暗夜
一葉
取まわしたる邸の廣さは幾ばく坪とか聞えて、閉ぢたるまゝの大門は何(い)年(つ)ぞやの暴(あ)風(ら)雨(し)をさながら、今にも覆へらんさま危ふく、松はなけれど瓦に生ふる草の名の、しのぶ昔しはそも誰れとか、男鹿やなくべき宮城野の秋を、いざと移したる小萩原ひとり錦をほこらん頃(ころ)も、觀月のむしろに雲上の誰れそれ樣、つらねられける袂(たもと)は夢なれや、秋風さむし飛鳥川の淵瀬こゝに變はりて、よからぬ風(うわ)説(さ)は人の口に殘れど、餘(なご)波(り)いかにと訪ふ人もなく、哀れに淋しき主從三人は、都(みや)會(こ)ながらの山住居にも似たるべし
山崎の末路はあれと指されて衆口一齊に非はならせど、私欲ならざりける證(しる)據(し)は、家に餘財のつめる物少なく、殘す誹りの夫れだけは施しける徳も、陰(かげ)なりけるが多かりしかば、我れぞ其露にとぬれ色みする人すらなくて、醜名ながく止まる奧庭の古池に、あとは言ふまじ恐ろしやと雨夜の雜談に枝のそひて、松川さまのお邸といへば何となく怕(こわ)き處のやうに人思ひぬ
もとより廣き家の人氣すくなければ、いよいよ空(がら)虚(ん)として荒れ寺などの如く、掃除もさのみは行屆かぬがちに、入用の無き間は雨戸を其まゝの日さへ多く、俗にくだきし河原の院も斯くやとばかり、夕がほの君ならねど、お蘭(らん)さまとて册かるる娘(ひと)の鬼にも取られで、淋しとも思はぬか習(なら)慣(はし)あやしく無事なる朝夕が不思議なり
晝さへあるに夜るはまして、孤燈かげ暗き一室(ま)に壁にうつれる我が影を友にて、唯一人悄然と更け行く鐘をかぞへたらんには、鬼神をひしぐ荒ら男たりとも越し方ゆく末の思ひに迫まられて涙は襟に冷やかなるべし、時は陰暦の五月二十八日月なき頃は暮れてほどなけれども闇の色ふかく、こんもりと茂りて森の如くなる屋後の樫の大樹に音づるゝ、風の音のものすごく聞えて、其うら手なる底しれずの池に寄る浪のおとさへ手に取るばかりなるを、聞くともなく聞かぬともなく、紫檀の机に臂を持たして、深く思ひ入りたる眼は半ばねふれる如く、折々にさゞ波うつ柳(ま)眉(ゆ)の如何なる愁ひやふくむらん、金をとかす此頃の暑さに、こちたき髮のうるさやと洗(すま)しけるは今朝、おのづからの緑したゝらん計なるが肩にかゝりて、こぼるゝ幾筋の雪はづかしき頬にかゝれるほど、好(す)色(き)たる人に評させんは惜しゝ、何とやら觀音さまの面かげに似て、それよりは淋しく、それよりは美くし
忽ち玄關の方に何事ぞ起りたると覺しく、人聲俄かに聞えて平(た)常(ゞ)ならぬに、ねふれる樣なりし美人はふと耳かたぶけぬ、出火か、鬪(いさ)諍(かひ)か、よもや老夫婦がと微(ほゝ)笑(ゑみ)はもらせど、いぶかしき思ひに襟を正して猶聞とらんと耳をすませば、あわたゞしき足音の廊下に高く成りて、お蘭さま御書見でござりまするか、濟みませぬがお藥(くすり)を少(すこ)しと障子の外より言ふは老(ば)婆(ゞ)の聲なり
何とせしぞ佐助が病氣でも起りしか、樣子によりて藥の種類もあれば、せかずに話して聞かせよと言へば、敷居際に兩手をつきたる老婆は慇(いん)懃(ぎん)に、否(いゑ)老(ぢ)爺(ゞ)では御座りませぬ
今宵も例の如く佐助、お庭内の見廻りをすまして御門の締りを改ために參りし、潜りの工合の惡るくして平(つ)常(ね)さわる處のあれば、夫(そ)を直さんとて明けつしめつするほどに、暗をてらして彼方の大路より飛くる車の、提(かん)燈(ばん)に澤(をも)瀉(だか)の紋ありしかば、氣ばやくも浪崎さまの御(おは)入(した)來(る)と思ひて、閉づべき小門を其ままに待參らせし、されども夫れは浪崎さまにては非ざりしならん
其車の御門前を過ぐる時、老爺も知らざりし何時の間にか人のありて、馳せすぐる車の輪に何として觸れけん、あつと叫ぶ聲に驚きし老爺の、我が額を潜りに打ちし痛さも忘れて轉ろび出しに、憎くきは夫れと知りつゝ宙を飛ばして車は過ぎぬ
殘りし男の負(け)傷(が)はさしたる事ならねど、若きに似合ぬ意氣地なしにて、へた〳〵と弱りて起つべき勢ひもなく、半分は死にたるやうな哀れの情(さ)態(ま)、これを見捨る事のならぬ老爺が、お叱りを受くるかは知らねどお玄關まで荷ひ入れしに、まだ人心地のあるやなしなる覺束なさ、ともかく一ト目見ておやり下され、嘘ならぬ憐れさと語りける
數日の飢と疲れに綿のごとく成し身を、又もや車の齒にかけられて、痛みと驚きとに魂いつか身を離れて、氣息の絶えける暫時は夢の樣成りしに、馥郁とせし香の何(いづ)處(こ)ともなくして、胸の中すゞしく成ると共に、物に覆はれたらん樣なりし頭の初めて我れに復へりて、僅かに目を開きて身邊を見廻ぐらせば、氣の付しと見ゆるに藥今すこしといふ聲その枕に聞えて、まだ魂の極樂にや遊ぶ、いづれ人間の種ならぬ女菩薩枕(こ)邊(こ)におはしましけり
さりとは意地のなき奴、疵は小指の先を少しかすりて、蜻蛉おふ小僧が小溝にはまりても此位の負(け)傷(が)はありうちなるに、氣を失なふ馬鹿もなき物ぞ、しつかりして藥でも呑めやと佐助のやかましく小言いふを、左樣あら〳〵しくは言はぬ物、いづれ病後か何ぞにて、酷(ひど)く疲れて居るらしければ、靜かに介抱して遣るがよし
心を置くべき宿ならねば氣を落つけてゆる〳〵と睡り給へ、幾日ありとて此處にはさしつかへも無けれど、我家へ知らせたしと思はゞ人を遣りて家内の人をも迎ふべし、不時の災難は誰れとても有るならひなれば、氣の毒などの念をさりて思ふまゝの我まゝを言ふがよし、打見し處が病氣あがりかとも見ゆるに、斯く夜に入りても家に歸らずば、有らば二タ親の心配さこそと思はるゝに、今宵は此處に泊まる事として人をば宿處に走らすべし、目(まの)前(あたり)見ての憂ひよりは想(おも)像(ひやり)にこそ苦はまされ、別(こと)條(なること)なきよしを知らせて、其さまざまに走しる想像の苦を安めたし
住處はいづれぞと問はれて、からく起かへる男の頬はいたく肉落て、大きやかなる眼の光りどんよりと、鼻はひくからねど鼻筋いたく窪(くぼ)みて、さらでも差いでたる額のいよ〳〵いちじるく、生際薄くして延びたる髮は領(ゑり)﹇#﹁領(ゑり)﹂はママ﹈をおほへり。物いはんとすれど涙のみこぼれて、色もなき唇のぶる〳〵と戰(わなゝ)くは感の胸に迫りてにや、お蘭は靜かにさし寄りていざと藥をすゝむれば、手を振りて最早氣分はたしかで厶りまする
歸るべきに家なく、案じ給ふ親なければ、車に曵ころされぬとも、道に行だほれぬとも、我れ一人天命を觀ずる外、世間に哀れと見る人もあるまじ、情ある方々に嬉しき詞(ことば)をそゝがるゝは、薄命の我れに中々の苦るしみを増す道理なれば、氣の付かざりし程は兎も角、今は御門外にすてさせ給へ、命あるほどは憂きを見盡して、魂さりての屍(か)體(ら)は痩せ犬の餌食にならば事たる身なり。恨めしかりし車の紋は澤瀉、闇なれども見とめたりし面かげの主に恨は必らず返へせど、情ある方々に御恩報じの叶ふべき我れならず
さらば免るし給へと身を起すに足もと定まらず、よろ〳〵とするを、扨もあぶなし道(わ)理(け)のわからぬ奴(やつ)め、親がなしとても其身は誰れから貰ひしぞ、さる無造作に粗末にして濟むべきや、汝ごとき不了簡ものゝ有ればこそ、世上の親に物おもひは絶えざるなれと、我れも一人もちたる子に苦勞したりし佐助が、人事ならず氣づかはしさに叱りつけて坐らすれば、男は又もや首うなだれて俯(うつ)ぶく
逆上してをかしき事を言ふらしければ、今宵一夜こゝに置きて、ゆる〳〵睡らせたしと老婆もいふに、男は老(ふ)夫(た)婦(り)にまかせてお蘭は我が居間に戻りぬ
籬にからむ朝顏の花は一朝の榮へに一期の本懷をつくすぞかし、我身に定まりたる分際を知らば、爲らぬ浮世に思ふことあるまじく、甲斐なき悶に膓にゆべしやは、さても祖父の世までは一郷の名醫といはれて、切棒の駕籠に畔ゆく村(わら)童(べ)まで跪(ひざまづ)かせしものを、下りゆく運は誰が導きの薄命道、不幸夭死の父につゞきて、母は野中の草がくれ妻とは言はれぬ身なりしに、浮世はつれなし親(みよ)族(り)なりける誰れ彼れが作略に、爭そはんも甲斐なや亡き旦那樣こそ照覽ましませ、八幡いつはりなき御胤(たね)なれども、言ひ張りてからが欲とやいはれん卑賤の身くやしく、涙をつゝみて宿に下りしは此子胎内にやどりて漸く七月、主樣うせての二七日なりける、さるほどに狹きは女子の心なり、恨みにつもる世の中あぢきなく成りて、死出の山踏み、今日や明日やと祈れば、さらでもの初産に血のさわぎ烈(はげ)しく、うみ落せし子の顏もゑしらで、哀れ二十一の秋の暮一村しぐれ誘はれて逝きぬ、東西しらぬ昔しより父なく母なく生立ば、胸毛に埋もれし祖父の懷(ふと)中(ころ)より外に世のあたゝかさを身に知らねば、春風氷をとく小田のくろに里の童が遊びにも洩れて、我れから木がくれのひねれ物に強情いよいよつのれば、憐れをかくるは祖父一人、世間の人に憎くまるゝほど、不憫や親のなき子は添竹のなき野末の菊の曲がるもくねるも無理ならず、不運は天にありて身から出たる罪にもあらぬを親なし子と落しめる奴原が心は鬼か蛇か、よし我等が頭に宿り給ふ神もなく佛もなき世なるべし、世間は我等が仇(かた)敵(き)にして、我等は遂に世間と戰ふべき身なり、祖(ぢ)父(い)なき後は何處にゆきても人の心はつれなければ、夢いさゝかも他人に心をゆるさず、人我れにつらからば我れも人につらくなして、とても憎くまるゝほどならば生(なま)中(なか)人に媚びて心にもなき追縱に、破れ草韃の蹈つけらるゝ處業は爲(す)なとて、口惜し涙に明暮の無念はれまなく、我が孫かはゆきほど世の人にくければ、此(こ)子(れ)が頭に拳(こぶし)一つ當てたる奴は、假(たと)令(へ)村長どのが息子にもせよ理非はとにかく相手は我れと力味たつ無法の振舞漸くつのれば、もとより水呑百姓の痩田一枚もつ身ならぬに、憎くき老(おひ)耄(ぼれ)が根生骨、美事通して見よやと計、田地持に睨まれたるぞ最期、祖父孫二人が命は風にまたゝく殘(あり)燈(あけ)の、言はんも愚かや消ゆるは定なり
娘が死(うせ)亡(て)の十三回忌より老爺は不起の病にかゝりぬ、觀念の眼かたく閉ぢては今更の醫藥も何かはせん、哀れの孫と頑なの翁と唯二人、傾きたる命運を茅(わら)屋(や)が軒の月にながめて、人聞かば魂(たま)や消(け)ぬべき凄(すご)く無慘の詞を殘して我れは流石に終焉みだれず、合唱すべき佛もなしとや嘲けるが如き笑みを唇に止めて、行衞は何(いづ)方(く)ぞ地獄天堂、三寸息たえて萬事休みぬ
殘りし孫ぞ即ち今日の高木直次郎、とる年は十九、積もりし憂さは量るも哀れや、仰げば高き鹿野山の麓をはなれ、天羽郡と聞えし生れ故郷を振すてけるより、おのれやれ世に捨られ物の我れ一身を犧牲に、こゝ東京に醫學の修業して聞つたへたる家の風いざや、とばかり、母と祖父との恨を負ひて誰れにか談(はか)合(ら)ん心一つを杖に、出し都(みや)會(こ)に人鬼はなくとも何處の里にも用ひらるゝは才子、よしや輕薄の誹りはありとも、口振怜悧に取廻しの小器用なるを人喜ぶぞかし、孟甞君今の世にあらばいざ知らず、癖づきし心は組糸をときたる如く、はても無くこぢれて微(みぢ)塵(ん)愛敬のなきに、仕業も拙なりや某博士誰れ院長の玄關先に熱心あふるゝ辨舌さはやかならず、自(みづ)身(から)食客の糶(せり)賣したりとて、誰れかは正氣に聞くべき何處にも狂氣あつかひ情なく、さる處にて乞食とあやまたれし時、御臺處に呼こまれて一飯の御馳走下しおかれしを、さりとは無禮失禮奇怪至極と蹴かへす膳部に一喝して出ぬ
野(し)猪(ゝ)に似たりし勇のみあふれて、智惠は袋の底にや沈みし、誰が目に見ても看板うつて相遠なき愚人と知らるれば、流石に憐れむ人も有りて心は低(ひく)くせよ身をおしむな、其身に合ひたる勞(はた)働(らき)ならば夫れ相應に世話しても取らすべしとて、湯屋の木拾ひ、蕎麥屋のかつぎ、權助庭男の數を盡して、一年がほどに目見への數は三十軒、三日と保たず隨徳寺はまだ宣し、内(かみ)儀(さま)がじやらくらのたぼ胸わるやと、張仆して馳出けるもあり、旦那どのと口論のはては腕だての始末むづかしく、警(けい)察(さつ)のお世話にも幾度とかや、又ぞろ此(こ)地(ゝ)も敵の中と自ら定めぬ
木賃宿とて燈火くらき塲末の旅店に帳つけといふ物して送りける昨日今日、主人が輕侮の一言に持病むらむらとして發(おこ)れば、何か堪(こら)へん筆へし折りて硯を投(なげ)つけつ、さして行手は東西南北、臥すや野山の當もなき身に高言吐ちらして飛び出せば、それよりの一飯も如何はすべき、舌かみ切て死なん際まで人の軒ばに立つ男ならねば、今日も暮れぬる入相の鐘に、さても塒をしらぬ身は旅(たび)烏(がらす)にも劣りつべく、來るともなく行くともなく、よろめき來たりし松川屋敷の表門、驚(す)破(は)といふ間に引過し車ぞ佐助も見たりし澤(おも)瀉(だか)の紋なる
此處に助けられける夜より三日がほどを夢に過ぐせば、記憶はたしかならねど、最(はじ)初(め)の夜みたりし女菩薩枕のもとにありて介抱し給ふと覺しく、朧氣ながら美くしき御聲になぐさめられ、柔らかき御手に抱かるゝ我れは宛(さな)然(がら)天上界に生れたらん如く、覺めなば果敢なや花間の蝴蝶、我れは人かの境に睡りぬ
浮世の中の淋しき時、人の心のつらき時、我が手にすがれ我が膝にのぼれ、共に携へて野山に遊ばゞや、悲しき涙を人には包むとも、我れにはよしや瀧津瀬も拭ふ袂は此處にあり、我れは汝が心の愚かなるも卑しからず、汝が心の邪(よこしま)なるも憎くからず、過にし方に犯したる罪の身を苦しめて、今更の悔みに人知らぬ胸を抱かば、我れに語りて清しき風を心に呼ぶべし、恨めしき時くやしき時はづかしき時はかなき時、失望の時、落膽の時、世の中すてゝ山に入りたき時、人を殺して財を得たき時、高位を得たき時高官にのぼりたき時、花を見んと思ふ時月を眺めんと思ふ時、風をまつ時雲をのぞむ時、棹さす小舟の波の中にも、嵐にむせぶ山のかげにも、日かげに踈き谷の底にも、我身は常に汝が身に添ひて、水無月の日影つち裂くる時は清水となりて渇きも癒(いや)さん、師走の空の雪みぞれ寒き夕べの皮衣とも成ぬべし、汝は我と離るべき物ならず、我れは汝と離るべき中ならず、醜美善惡曲直邪正、あれもなし、これもなし、我れに隱くすことなく我れに包むことなく、心安く長閑に落付きて、我が此腕(かいな)に寄り此膝の上に睡るべしと、の給ふ御聲心耳にひゞく度(たび〳〵)に、何處の誰れ樣ぞ斯くは優しの御言葉と伏拜む手先ものに觸れて、魂(たましひ)我れにかへれば苦熱その身に燃ゆるが如かりし
斯くて眠りつ覺めつ覺めつ眠りつ、今日ぞ一週といふ其午(ひる)後(すぎ)より我れとおぼえて粥の湯のゆくやうに成りぬ、やかましけれども心切あふるゝ佐助翁が介抱、おそよが待遇、いづれもいづれも心付きては涙こぼるゝ嬉しの人々に、聞けば病中の有樣の亂暴狼藉、あばれ次第にあばれ、狂ひ放題くるひて、今も額に殘るおそよが向ふ疵は、我が投げつけし湯呑の痕と説(と)明(か)れて、微(みぢ)塵(ん)立腹氣もなき笑顏氣の毒に、今更の汗腋(わき)下を傳へば後悔の念かしらにのぼりて、平(つ)常(ね)の心の現(あら)はれける我れ恥かしく、さても何如なる事をか申たる、お前樣お二人の外に聞かれし人は無きかと裏どへば、佐助大笑ひに笑ひて、聞かせたしとても人氣のござらねば、耳引たつるは天井の鼠か、壁をつたふ蜥(いも)蝪(り)、我と二人にお孃樣をおきては此大伽藍に犬の子のかげも無く、一年三百六十五日客の來ることなく客に行くことなく、無人屋敷の夫れに心配は無けれど、氣の付かれなば淋しさに堪へがたく、今までの夢なりし代りに今宵よりは瞼ふつに合はず、寢られぬ枕に軒の松風、さりとは馴れぬ身に氣の毒やとあれば、そのお孃樣と聞まするは何(い)時(つ)も枕(こ)邊(こ)に御(おい)出(で)たるお人か、いかにも其通りと言はれて、さらば夢にも非ざりけり
現か、優しき御聲に朝夕を慰さめ給ひしは、夢か、御膝に抱き給ひしは、正氣づきゆく日數にそへて、目(まの)前(あたり)お蘭さまと物いふにつけて、分らぬ思ひは同じ處を行めぐり行めぐり、夢に見たりし女菩薩をお蘭さまと爲(す)れば、今見るお蘭さまは御人かはりて、我れに無(つれ)情(なし)となけれど一重隔ての中垣や、きつとして馴れがたき素振は何として御手にすがらるべき、何として御膝にのぼらるべき、悲しき涙を拭(ぬぐ)へと仰せられし、お袖の端(はし)の端(はし)の端(はし)にも、我が手のもしも觸れたらば恥かしく恐ろしく我身はふるへて我が息(いき)はとまりぬべく、總じて夢中に見(まみ)へし女(ひと)は嬉しく床しくなつかしく、親しさは我れに覺えなけれど母のやうにも有りけるを、現在のお蘭さまは懷かしく床しきほかに恐ろしく怕きやうにて、身も心も一(ひと)躰(つ)になどゝ懸けても仰せられんことか、見たりしには異(こと)なる島田髷に、美相は斯くぞ覺えし夢中の面影をとどめて、御聲も斯くぞ有し朝夕の慰問うれしけれど、思へば此處も他人の宿なり、心はゆるすまじき他人の宿なり、いざさらば行かん此優しげなるお蘭樣が許(もと)をも辭して
さらば行かんと思ひたちしより直次郎、しばしも待たぬ心は弦(つる)をはなれし矢の樣に一直(す)線(ぢ)にはしりて此まゝの御暇ごひを佐助に通じてお蘭さまにと申上れば、てもさてもと驚かれて、鏡を見たまへ未だ其顏(い)色(ろ)にて何處へ行かんとぞ、強情は平(つ)時(ね)のこと病ひに勝てぬは人の身なるに、其やうな氣みじかは言はで心靜かに養生をせであらんやは、最(はじ)初(め)よりいひしやうに此(こ)家(ゝ)には少しも心をおかず遠慮もいらず斟酌も無用にして、見かへす樣な丈夫の人になりてたまはらば嬉しかるべし。袖すりあふも他生の縁と聞くを、假初ながら十日ごしも見馴れては他(よ)處(そ)の人ともおもはれぬに、歸るに家なしとかいひし一言のあやしさをおもへば、いづれ普(な)通(み)ならぬ悲しき境(さか)界(い)をさまよふにこそ、我れも見給ふ通りの有樣にあれゆく邸の末はいかならん、果敢なき身にもよそへられていよ〳〵思はるゝは浮世の浪にもまれぬきてたゞよひつかれし人の上なり。何も女の力たらで談(かた)合(らふ)に甲斐なしとも、同じこゝろは榮花にあきし世の人よりも持つ物ぞや、我れに遠慮あらば佐助もありそよもあり、あの年浪の寄るほどには稽古もつみて世渡りの商(み)法(ち)も知らぬではなく、それこそ相談の相手にも成るべし。家は化物屋敷のやうなれど人鬼の住家でもなければ、さのみは物恐ぢをし給ふなと、少し笑ひてお蘭さまの仰せらるゝは我が意氣地なくくだらなき奴を見ぬき給ひてなぶらるゝにや、誠に我れは此處をはなれてはいづくへ行かん目(あ)的(て)もなく、道にて病まば誰れかは助けん其まゝの行仆れと、我身の弱きに心さへ折れて、恥かしけれど直次郎、はじめの勢ひには似ず強てもとは言はざりけり。
老(ふ)夫(た)婦(り)は猶もおらん樣が詞の幾倍を加へて、今少し身(から)躰(だ)のたしかに成るまでは我等が願ひても此處に止めたしと思ひしを、孃樣よりのお言葉なれば今は天下はれての御食(いそ)客(うらう)ぞや、肩身を廣くおもふ事をも爲し此處の用をも助けて、大きに働くがよかるべし、若き者の愚圖々々と日を送るは何よりの毒なればとて、身にあふほどの用事を彼れ是れとあてがひて、家内の物の樣にあつかわるれば、それに引れて氣の毒もうすく、一日二日三日四日、さらばお詞にあまへてとも言はねど、やう〳〵に根の生へて我れも分らぬ日を何とはなしに送りぬ
さしも廣かる邸内を手入れのとゞかねば木はいや茂りに茂りて、折しもあれ夏草ところ得がほにひろごれば、忘れ草しのぶ草それらは論なし、刈るも物うき雜草のしげみをたどりて裏手にめぐれば幾抱への松か枝大(おろ)蛇(ち)の中にのぞめる如くうねりて、下枝はぬるゝ古池のふかさいくばくぞ、むかしは東屋のたてりし處とて、小高き處の今も名殘は見ゆめれど、まやのあまりも淺ましく荒れて、秋風ふかねど入日かげろふ夕ぐれなどは、獨りたつまじき怪しの心さへ呼おこすべく、見わたす限り物すさまじき宿に、さらでも沈みがちの直次郎、明ぬれど暮ぬれど淋しきおもひは滿身をおそひて、いよ〳〵浮世に遠ざかるやうなり
月にも闇にもをかしきは夏の夜といへど斯る宿の夕月夜、五條わたりの軒のつまならば夕がほの猶や花々しかるべき、お蘭さまの居間といへるは廊下いく曲りはるかにはなれて、獨りや物おもふ呼べど答へも松風のおと物さわがしき奧の奧の奧坐敷なり、直次は老(ふ)夫(た)婦(り)と共に玄關ちかき處にあれば一家の内ながらおのづからの隔てに、病中とは異なりて打とけて物いふ事も少なく、佐助おそよとても孃樣をば神さまのやうにいつきまつりて、大事に大事に大事に、我が命はよしや芥のすてもせん此御爲ならばと忠義はすることながら、唯だ恐れてかしこみて、此處にさかりの名花一木、散らさじ折らさじと注(し)繩(め)引はへて垣の外より守るが如く、馴れての睦みのあらざれば直次もいつしか引いれられて、我れは食客の上下相通の身ながら、さなからお主樣のやうにぞ覺えける、されば月の頃の夕納凉とて團扇かた手に浮世ものがたり聲たか〴〵と、晝のあつさを若竹の葉風に拂ひて蚊遣の烟り空になびかする輕々しきすさびもあらねば、何として分るべきお蘭さまの人となりも此家の素性も、唯(たゞ)雲をつかむやうの想像に、虚實はしらず佐助おそよが物語を加へて、僅かに松川何某と言ひし財産家の浮世にはづれ易き投機にかゝりて、花と望みし峯の白雲あとなく消れば、殘るはお蘭さまの御身一つと、痛はしや脊負ふにあまる負(も)債(の)もあり、あはれ此處なる邸も他(ひ)人(と)の所(も)有(の)と、唯これだけを曉(さと)り得ぬ
庭草におく露玉をつらねて吹風こゝちよき或る朝ぼらけのこと、おらん樣いつより早くお起きなされて、今日は父樣が御命日なれば、お花は我れが剪りて奉らんとて、花鋏み手にして庭へ下りらるゝに、撫子ならば裏の方が美くしとて、直次もつゞひて跡を追ひぬ。
いつぞは問はんと思ひし此處の樣子を、お蘭樣が口づから聞くよしもやと直次郎、例に似ず口がるに物いへばお蘭樣も機嫌よげにて、早百合なでしこあれこれの花は剪りて後も、我が庭ながら物珍らしげに見あるき給ふ嬉しさ、直次は何氣なき躰にて今日のお志しは御父上樣とか、御前樣は幾(いく)年(つ)にて別れ給ひしぞと問へば、汝(そなた)も早くよりの一人者とや我れによく似しことかなとほゝゑまる。
此坂を下りてあしこへ行きて暫時やすまん、つかれては話しも厭やなればと仰せあるに、さらば歸りたまふか、厭々、今しばし遊ばんとて、苔なめらかなる小道を下らるゝに、おあぶなしと言へば、氣のどくなれど其肩をかし給へとてつと寄りて此處を下りぬ。
下りて出るは例の池の岸なり、木の切株の平らなるに御座を拂ひて此處にお休みなされよと言へば、嬉しきことよの今朝は弟の介抱をうくるやうなり、其方も此處へ休まばよきにと半分を讓らるれば、何として勿躰なきことゝ直次は別なる枯草の中へうづくまりぬ。
其方も早くに二タ親とも世をさりしとか、我れも母なりし人の顏はしらで、育ちしは父上の手一つなれば、戀しさなつかしさは又一倍におぼゆるぞかし、平(つ)常(ね)はともあれ由(ゆか)縁(り)ある日はこと更におもひ出されて、まぎらさんとても氣のまぎれぬは今日なり。其方にも其おぼえはあるべしとあるに、誠に其通りとて直次も涙ぐまれぬ。さてもお父樣は幾年の前にか失(う)せ給ひし、お前さまの親御樣なれば御年もまだお若かりしならんと問へば、いや若しといふほどにはあらず、別れしは八年の前おもへば夢のやうな別れ成しとあるに、さらば御病氣は俄の病にてやありしと、たゝみかけて問へば、何の病氣かは、我が父はこれこの池に身を沈め給ひしなり。
直次が驚(おど)愕(ろき)に青ざめし面(おもて)を斜に見下して、お蘭樣は冷やかなる眼(まな)中(こ)に笑みをうかべて、水の底にも都のありと詠みて帝(みかど)を誘ひし尼君が心は知らず、我父は此世の憂きにあきて、何處にもせよ靜かに眠る處をと求め給ひしなり、浪は表(おも)面(て)にさはぐと見ゆれど思へば此底は靜なるべし、暗くやあらん明くやあらん、世の憂き時のかくれ家は山邊もあさし海邊もせんなし、唯この池の底のみは住よかるべしとて靜かに池の面(おもて)を見やられぬ。
吹風松の梢にたかく音づるれば、やがてさゞ波池の面におこりて草のそよぎも後(うしろ)の見らるゝに、お蘭さまは猶たゝんともし給はず、直次は何故そのやうにかしこまりてのみ居るのぞや、我れ斗りならで汝(そなた)も何ぞ話して聞かせよと仰せらるゝに、いよ〳〵詞のふさがりてさしうつむけば、困りし人よ女のやうな男と笑はれて、今更きえぬ心の恐れも顏(い)色(ろ)に出て笑はるるにや、我が意氣地なさに比べてお蘭さまはどれほど強き心を持てば彼の樣に平氣に落つきて、すら〳〵と物語をつゞけらるゝならん、我れは聞くのみにも膽の冷るやうなるをと、物は言はで御顏を打守れば、思ひなしにや流石に色は青白く見ゆ。
さりながら此はなしは他人に聞かすまじきぞや、物いひさがなきは世のならひながら、親のことなれば口惜しきぞかし、汝とてもこれを知りては此處は厭とおもふやうに成るべきか、さらば話すのでは無かりしにと、少し景色のかはりて言へば、何として何として、其やうなこと思ふて成りましようや、又口外などはもとよりの事、夢さら御心配なされますなといへば、誠に我が弟同樣におもふ心易だてより、底の見えるやうなこと聞かせし恥かしさ、何も聞ながしにし給へ、さらば行かんと立あがるに、花は我が持ちて參らん、いや夫れよりは手を助けて給はれとて、例の脇道にかゝりし時、白く美くしき手を直次が肩にかけつゝ、小作りに見ゆれど流石に男は丈の高きものかな、汝(そなた)は幾(いく)歳(つ)とや十九か二十か、我れに比らべてよほどの弟とおぼゆるに、我れはまあ幾(いく)歳(つ)ほどに見ゆるぞや、されば一ツ二ツの※﹇#﹁女+︵﹁第−竹﹂の﹁コ﹂に代えて﹁丿﹂︶、﹁姉﹂の正字﹂、U+59CA、2-22-下-13﹈君か、何として何として、すがれと言ふ三十はやがてほどなき廿五といふ、それは誠に何たる御若さといへば、褒めるのかやそしるのかや、とて御顏あかみぬ。
女子は温順にやさしくは事たりぬべし、生中もちたる一節の、よきに隨ひて好(よ)きは格別、浮世の浪風さかしまに當りて、道のちまたの二タ筋にいざや何(いづ)方(こ)と决心の當時、不運の一あほりに炎あらぬ方へと燃えあがりては、お釋伽さま孔子樣兩の手をとらへて御異見あそばさるゝ共、無用のお談義お置なされ、聞かぬ聞かぬと振りのくる顏の眼に涙はたゝゆるとも、見せじ、こぼさじ、これを浮世の剛情我慢と言ふぞかし、天のなせる麗質よきは顏のみか、姿とゝのひて育ちも美事に、斯くながら人の妻とも呼ばれたらば、打つに點なき潔白無垢の身なりけるを、はかなきはお蘭が身の上なり、天地に一人の父をうしなひて、しかも病ひの床に看護の幾日、これも天壽と醫藥の後ならばさても有るべし、世上に山師のそしりを殘して、あるべき事か我れと我が手に水底の泡と消えたる、原(おこ)因(り)の罪はとかぞふれば流石に天道是れ無差別とは言ひがたけれど、口に正義の髭つき立派なる方樣のうちに、恐ろしや實(まこと)の罪はありける物を、手先に使はれける父の身はあはれ露拂ひなる先供なりけり、毒味の膳にあてられて一人犧牲にのぼりたればこそ、殘る人々の枕たかく春の夜の夢花をも見るなれ、さては恩ある忘れがたみに切めては露の情もあるべきを、荒れゆく門に馬車あとたえて、行かば恐ろし世上の口と、きたなき物は人心ならずや、巫(ふか)峽(う)の水(みづ)の木の葉舟かゝる流れに乘りたるお蘭が、悲しさ怕さ口惜しさの乙女心に染こみて、よしさらば我れも父の子やりてのくべし、惡ならば惡にてもよし、善とはもとより言はれまじき素性の表(うわ)面(べ)を温和につゝんでいざ一と働き、仆れてやまば夫れまでよ、父は黄(よみ)泉(ぢ)に小手招ぎして九品蓮臺の上品ならずとも、よろしき住家は彼の世にもあるべし、さらば夢路に遊ばんの决心、これさら〳〵好(す)きに狂ひしうかれ心かは、時にかられて涙は胸に片頬笑みしつ、見あぐる軒ば日毎にあるれど、しのぶの露をあはれ風(みや)流(び)とうそぶく身は、人しらぬあはれ此中にあり。
爲すまじきは戀とや、色ある中に忍ぶ文字ずり、卒ざ陸(みち)奧(のく)にありといふ關の人目にと絶えを詫るは優しかるべし、懸けつかけられつ釣繩のくるしきは欲よりの間柄なり、一人は誠の心より慕ふともよりあはねば是れも片糸の思ひやすらん、其比番町に波崎漂とて衆議院に美男の聞えある年少議員どのありき、遠からぬ縣より撰出の當時、やかましかりし沙汰も世のならひとて疵にはならねど、秘密は松川との間にかくれて今日の財産も半(なかば)は何より出しやら、世にある頃は水魚の交り知らぬ人なく、よき聟得つと洩らせし一ト言を耳に殘せる人もあれど、浮雲おほふて乍ち昏し扶桑の影、なしと言はゞ夫れまでなる外國あるきに年月を經て、歸りしは其人すでに亡せけるの後、今日の羽風に昔しの塵を拂ひて、又ぞろ釣り出すや其筋のゆかり、官臭とやら女子の知らぬ香のする黨には鮒馬の君とて用ひも輕からず、演説上手にて人をも感動さするよし、夫れもしかなり口車よく廻はらでやは、萬(もし)一(や)に引かれて二十五の秋まで、哀れお蘭が獨寢の枕に結ばぬ夢の行衞はこれなり、誰が爲まもる操の色ぞ松の常盤もかくては甲斐なき捨られ物に、一身つく〴〵と觀じては、浮世いや〳〵墨染の袖に、さが野は遠し此(こ)處(ゝ)ながらの世すて人ともならんは常なれど、憎くき男心におめ〳〵と秋の色ひとり見て、生ざとりの經佛に爲(せう)事(こと)なしのあきらめ、夫れも嫌々、とても狂はゞ一世を闇にして、首尾よくは千載の後まで花紅葉ゆかしの女(ひと)に成りおほせ、出來ずは一時の榮花に末は野となれ山路の露と消ゆるもよし、我ながら女夜叉の本性さても恐ろしけれど、かく成行くはこれまでの人なり、悔まじ恨まじ浮世は夢と、これや戀をしをりに淺ましの觀念、おそろしきは涙の後の女子心なり。
此夏もくれて秋は荻の葉に風そよぐ比も過ぎぬ、松川屋敷の月日はいかに流るゝか、お蘭さま作助夫婦﹇#﹁作助夫婦﹂はママ﹈、直次の上にも變りたることなく、唯年來熱心なりし醫學の修業をおもひ絶えたるのみぞ此男の變動なりける。
どうでも遣りまする、骨が舍利になるともやりまする、精神一到何事か出來ぬといふ筈はなく、我れも男なれば言ひたる事を後へは引き難し、これまでも散々と村の奴原にも侮どられ、此(こ)都(ゝ)に出ても輕蔑されて出來ぬ物に言ひおとされましたれば猶さらの事、美事通して見せねば骨も筋もなき男でござります、我れは其やうな骨なしに見えまするかとて、いつも此話しの始まりし時は青筋出して疊(たゝみ)をたゝくに、はて身知らずの男、醫者になるは芋大根つくりたてるとは竪(たて)が違ふぞとて、作助﹇#﹁作助﹂はママ﹈は眞向より強(こわ)面(もて)の異見に、とても出來ぬ事はよして仕舞へと言ひける、お蘭さまはつく〴〵と聞きて、可愛さうに叱からずともの事なり、夫れほど思ひ込たる事なれば出來まじとは言はれねど、荻の友ずり殖(ふ)えて痩せるは世のならひなれば、隨分と人數も多し、年毎にむづかしくは成る、しかも學費の出どころが無くは一段と難義ではなきか、それが精神一到と其方はいふか知らねど、其方の寳の潔白沙汰は今の世の石瓦、此やうの事は口にするも嫌やなれど、丸うならねば思ふ事は遂げられまじ、其會得がつきたらば隨分おもう事は貫くが宜けれど、どうやら其邊がむづかしくは無きかと仰せられける、國を出しより此方、心は一途にはしりて前後をかへり見ず、どうでも貫ぬくと言ひし舌の根我れと引きたくはあらねど、打たれて擲かれて輕(お)蔑(ど)されて、はては道ゆく車の輪にかけられて、今一歩の違ひにては一生の不具にもなるべき負傷の揚句、あはれか愛やと救ひあげられし大恩の主樣とても浮世はおなじ秋風に、門檣あれて美玉ちりにかくるゝ旦(あけ)暮(くれ)のたゝずまひ悲しく、天道はどうでも善人に與(くみ)したまはぬか、我が祖父、我が母、我が代までも、飛虫ひとつむざとは殺さじ、里の小犬が飢(きか)渇(つ)の哀れは我が一飯を分けてもの心、さりとは世上に敵をもうけて憎まれ者の居處なしに成らんとは知らざりし、今さら世上に媚をうりて初一念の貫ぬかるゝとも、夫までの道中いやなりいやなり、とても辛棒なりがたきは泥草履つかんで追從の犬つくばひ、それで成りあがりて醫は仁術と勿躰ぶる事穢なし、今は此(こ)業(れ)もやめにせん、やめになすべし、思ひ絶えて仕舞ふべし、我れは浮世の能なし猿(さる)にはなるとも、きたなき男には得こそ成るまじ、夫れよと斷念の曉きよく、再(ふた)度(ゝび)口にも出でず成りぬ。
さして行く處はなし、世間は仇なり、望みの空に歸してより此一身を如何になすべき、詮方なき身の捨て處いづこと尋ぬれば、籬はあれて庭は野らなる秋草のしげみに嵐をいたむ女郎花にも似たる、おらん樣が上いとしと思ひぬ、もとより我れは愚人なり、おらん樣は女子なれども計り難き意志の、我れ弱虫のたぐひには有るまじきが、強しといふとも頼のむに人なき孤獨の御身に大厦の一木何として支へん、佐助おそよとても一身この君にさゝげ物の忠ならんが、我が目より見ればまだな事、かよわき御身の女子樣を主にもちて、吹かば散るべき花前のあらしに掩ふたもとの狹さ狹さ、彼の人々はいづれ重代の縁もあるべし、我れはきのふけふの恩なれども、情の露の甘露にぬれては、いづれに年の長短を問ふべき、口廣けれども我れはお蘭さまに命と申す、此一言を金打にして、心にうき世のさま〴〵を思ひ斷ちたれば、生死はこゝろのまゝと、優しき弟になりぬ。
人の心はをかしき物なり、直次がお蘭さまを思ふほどに、佐助夫婦が直次に對する憐れみは薄くなりぬ、見ず知らずの最初いだき入れて介抱の心切は、つくろひ無き誠(まこ)實(と)なれば今とて更に衰るよしはなけれど、一にもおらん樣二にもおらん樣と、我がものゝやうに差出たる振舞さりとは物しらずの奴かな、御産湯の昔しより抱き參らせたる老(わ)爺(れ)さへ、心におもふ事の半分は殘して御意にしたがふは浮世の禮なるを、宿なし男の行仆れを救はれし恩は知らで、我がお孃さまが弟がほする憎くさ、あのような物しらずは眞向から浴せつけずは何事も分るまじとて、つけ〳〵と憎くまれ口はゞかりなく、ともすれは此間に年甲斐もなき爭ひの火の手もえあがりて、いづれに團扇のあげがたきお蘭が一人氣をもむ事もありし。
秋は夕ぐれ夕日花やかにさして、ねぐらにいそぐ烏の聲さびしき比、めづらしき黒鴨の車夫に状箱もたせて、波崎さまよりの御使ひといふが來たりぬ、折しもお蘭さま籬の菊に日映りのをかしきを御覽じけるほど成りしが、おそよが取次ぎて珍らしきお便(たよ)りと差し出すに、おかしや白妙の袖にはあらでと受とりて座敷へ歸られける、文は長く〳〵一丈もあるべし、久しき途絶えをうらめしとも仰せられぬは愁らからずや、俗用しげく心は君が宿にかよへど、うき世はあし分小舟ぞかし、今日は暇を得て染井の閑居に一人かき籠りし、理(わ)由(け)は自から知り給へ、人目の煩ひなく思ふ事をも聞えたく、我れより其(そ)邸(こ)を訪はんは見る目かぐ鼻うるさし、此車にて今よりと能書の薄ずみ其昔(かみ)ならば魂も消えぬべし、これ見よおそよ、波崎さまは相變らずお利口なりとて、格別は喜こびもせぬお蘭が顏を不審氣に守りて、お前さまは其やうに落つきてお出なされど邂(たま)逅(さか)の御暇に先方さまは飛たつやうなるは知れたこと、少しも早くお支度をなされませ、お車もまちて居りまする物をと急がするに、あれ老(ば)媼(ゝ)は我れに行けと言ふか、さりとは正直ものと笑ひて返事を書く。
文の便りの度々につられて萬(もし)一(や)と思ひしは昔、今日のお蘭は其やうな優しきお孃樣氣をすてたれば、古手の嬉しがらせに仰せを惶(かしこ)みて御別莊に御機嫌をうかゞふまでの耻はさらさじ、つれなしとても一(ひた)向(すら)のかき絶えは世にあるならひと諦らめもある物を、憎くき男の地位にほこりて何(い)時(つ)まで我れを弄ばんとや、父は山師の汚名をきたれど未だ野幇間の名は取らざりし、戀に人目を忍(しの)ぶとは表面、やみ夜もある物を千里のかち跣(はだ)足(し)に誠(まこ)意(と)は其時こそ見ゆれ、此(こ)家(ゝ)よりは遠からぬ染井の別墅に月の幾日を暮すとは、新聞をまたでも知るべき事なり、殊更の廻り道して我が門を他(よ)處(そ)に、やみがたき時は車を飛ばせて女子一人に逢はじの掛念、お笑止や我れゆゑ天地を狹しと思すか、あまりの窮屈にいざ廣々とならんには我れを欺(たら)して君樣いとしと言はせ、何も時世とあきらめ給へ、正しき妻とは言ひ難けれど心は後の世かけてなどゝ、我れを何(ど)處(こ)までも日蔭ものゝ人知らぬ身と爲(し)て仕舞はじ、前後に心ざはりなくて胸安からんの所(しわ)爲(ざ)とは見え透きたり、流石に御心には懸りていつぞは仇する女とおぼしめしたるか、お道理の御懸念たゞに有るべき我れかは、裏屋の夫婦が倦かれしとは事かはれば、御身分がら世の攻(かう)撃(げき)に居塲處のなき、其やうの恥はお互(たがひ)の事みせ申まじ、おのづからの恨みはゆる〳〵とゝ、人こそ知らね心の底には冷やかに笑ひぬ。
返事はたゞ。折ふしの風邪に取みだしたる姿はづかしく、中々の御目通りに絶かね參らする事のつらければ、免し給へ、又こそとて、何もうはべは美はしくして使ひを歸しぬ。
波崎が車は此門を過ぐる事あり、直次が引かれし其夜の車も提(かん)燈(ばん)の紋は澤潟なりしに、今日の車夫も被(はツ)布(ぴ)に澤潟の縫紋ありけり、あれとこれとは同一か別物か、直次は此使ひの來たりし時より例になき事なれば不審きおもひに心をとゞめて、終始眼をそゝぎけるが、歸る後姿を見送りし途端、不圖おもだかの縫紋われ知らず目に映りぬ。
あれは何處よりの使ひと佐助に問へば、さても宜く根堀り葉堀り﹇#﹁根堀り葉堀り﹂はママ﹈聞たがる男ではなきか、人の家なれば使ひの來る事もありと無(すげ)情(なき)こたへに、左樣いはれては返すに詞も無けれど、どこからの使ひだ位は聞かせて呉れてもよき筈、喧嘩かひのとげ〳〵しき言葉ならでもと下(した)手(で)に出れば、はて貴樣などの聞いて益はなき事、孃樣への文なれば理(わ)由(け)は孃樣ならでは知りがたし、波崎どのとて新聞にも見ゆる議員どのよりの使ひといふに、夫れは御親類でゝもありや、此處へお出はなきやうなるが、我が參らざりし以前はお出に成し時もありしかと問ふに、夫々それがくどし、聞て何にすると笑はれて、何にもせねど被布の紋が彼(あ)の夜の紋に同じなれば、何か心にかゝりて聞きたき心持とかたるに、さらば彼の車夫を捕らへて小指の一ツも斬る心なりしか、恐ろしき執念の奴、前世は蛇でも有しやら、しかし其夜の恨みを忘れぬとは感心にて頼母しゝ、恩をば疾くの昔しにわすれたる樣なれば、よもや恨みの性根もあるまじと思ひしに、流石なり感心の男と折ふし何の疳に障りしやら、後におもはゝ耻かしかるべき事を、舌の動くまゝにいひけり、いつもならば泡を飛ばして口論もすべき直次郎が無言に終りし屈托の程は其夜お蘭さまがお膝もとに、泣きの涙の白状いつはりなく、立聞かば共に布子の袖やしぼらん、此男の影法師うすく成りけるをば夢にも知らざりけり。
あはれ三十一文字に風雅の化粧はつくるとも、いつうせにけん幼な心の、誠(まこ)意(と)は愚に似しものなりけり、其夜ふけたる燈火のかげにお蘭樣を驚かして、涙にぬれし眼のうち唯事ならず、疊に兩手をきつと畏まりし直次の躰、これは何事とおらん樣心もとながりて、遠慮なき我れに斟酌は無用ぞ、おもふ事は有りのまゝにつげ給へと優しき問ひに保ちかねてはらはらと膝に玉を散らしけるが、思ひ切りて、我れにお暇を下さりませと一言、あとも先もなければ何の事とも思はれず、又物爭ひの餘(なご)波(り)では無きか、いつも言ふ通り年寄りの一徹に遠慮なき小言などを、心に懸けては一日の辛棒もなるまじく、彼(あ)男(れ)とても惡る氣は微塵も無き人なれば、其方の爲よかれとての言葉ならんを、苦にはすまい物、まあ何事の起りにて其やうに腹は立しと例の通り慰めらるゝに、否(いゑ)、否、否、何も言はれましたる事もなけれは、喧嘩はもとよりのこと、唯我が身に愛想が盡きましたれば、最早この世に居ることが嫌やに成りました、とて疊にひれ伏して泣きけり。
直次、其方は死なうと思ふや。誠か誠か、と膝を直して問ひ給ふに、嘘には死なれ申まじ、いつぞや奧庭に遊びし時、お池に親旦那が御最期を聞かせ給ひて、此底のみは浮世の外の靜かさならんと仰せられし、あれをば今に忘れませぬ、掻きまわさるゝやうの胸の中は明けても暮れても、くれても明けても、寸の間のたゆみなしに靜かなる時もなく、生れ落しより以來不幸不運の身なれば、一生を不運の内に終りたらば我が本分は盡きまするやら、お世話に成りしは今で幾月、嘘ではござりませぬお前樣は我が爲の大恩人、お袖のかげに隱くれてより面白しと思ふ事もをかしと思ふ事も有りましたなれど、これが世に出で初めの終り、我れは明らかに悟つた事のあれば、最はや此嫌やな世には止まりませぬ、さりながら、未練のやうなれど、情深きお前樣に無言で此世をさりまする事の愁らく、お禮は澤(たん)山(と)申度なれど、口が廻らねば是れも口惜しくござります、お前樣はいつ〳〵までも無事に御出世をなされませ、我れは此世には愚人に生れましたれば御爲にとおもふ事も叶はねど、魂はかならず御上を守りまするとて、涙に咽んで語り出る言の葉かなし。
我れは何故に君の慕はしきかを知らず、何故に君の戀しきかを知らねど、一日は一日より多く、一時は一時より増りて、我が心は君が胸のあたりへ引つけらるゝやうにて、明くれ御姿を見御聲をきゝ、それに滿足せば事なかるべけれど、唯々心は火の燃ゆるやうにて、我れながら分らぬ思ひに責めらるる果(はて)々(〳〵)、靜かに顧みれば勿躰なや耻かしき思ひの何(ど)處(こ)やらに潜みて、夫故の苦とさとりたる今、此身を八ツ裂にして木の空にもかけたきは、今日の夕ぐれの御使ひを君が御縁の方よりと知りてなり、申まじき事なれど我れは誠に妬しと思ひぬ、口惜しき事に見てけり、しかも見ねば宜かりし車夫の被布に、憎くしと染こみたる澤潟の紋ありしかば、我れは殆と神經病者の樣なれど、あの夜の車上にちらと見とめし薄髭の有りける男を、その、その、波崎とかいへる奴、國會議員なりとか聞けば定めし世には尊ばるゝ人ならんが、其(そや)奴(つ)のやうに思はれて、これは妄念と幾度おもへども腦をさらねば其甲斐もなし、大恩ある君が戀人を恨みしと思ふ我れは即ち君が仇に成りしなり、斯くて此思ひの増りゆかばいかにせん、恐ろしと思ひしより我身は誠にすてたく成りぬ、我が身の死(し)するは君に害を加へじとてなり、よしや我が想像のあやまりにて、今日の文には謂くあらずとも、すでに我が心の腐りはしるく、清からぬ思ひの下に忍(しの)べる上は、我れは最早大罪を犯せる身、表面はいかに粧ひて人目をつゝむとも、明くれ君につきまとふ心の、思へば耻かし我れは餓鬼道のくるしみに、美妙の御聲も身を燒く炎と成ぬべし、さては人心の頼みなさ、我れながら今日までの經歴をおもふにも時に隨がひて移りゆく後は、我れにもあらぬ我れに成りて、いかに恐ろしき所爲をなすべきか、今うする身の御恩は萬分が一を送らねど、切めては害(がい)を加へ參らせじとのすさび、憎くき奴とは思し給ふとも、死(うせ)たる後は吊らはせ給へとて、眞心よりの涙に詞はふるへて、疊(たゝみ)につきたる手をあげも得せず、恐れいりたる躰、哀れとはこれをや。
戀をうきたる物とは誰れか言ひし、戀に誠なしとは誰れか言ひし、きのふまでの述懷我れながら恥かし、直次は我れを左ほどに思ひしか、我れは其方を思ふ事の夫(それ)ほどには非ざりしぞかし、我れは其方を憐れとは思ひつれど命をかけても可愛しとは思はざりし、今日の今こそ其方は誠に可愛き人に成りぬ、誠ぞや、今日の今までお蘭が口づから戀しと言ひし人も無ければ、心に染みて一生の戀はせざりしなり、浮世を知らざりし乙女の昔し、誘はれしは春風か才智、容貌、それ等の外(うわ)形(べ)に心を亂して、今日の晝(ひる)間(ま)の文のぬし、今こそ見る目も厭はしけれど、波崎といふ人にも逢ひき、斯くいはゞ我れを不貞とおもはくも愁らけれど、守らぬは操ならで、班女が閨の扇の色に、我れ秋風のたゝれし身なり、捨られける人に恨みは愚痴なれど、愁らきうき世に我れは弄ばれて、恐ろしとおぼすな、いつしか心に魔神の入りかはりてや、其やさしき人の前には肩身も狹き我れは惡人なるべし、夫れをも更に厭ひ給ふまじきか、恐ろしとはおぼさぬか、さらば今日より蘭が心の良人になりてたまはれ、蘭をば君が妻と呼び給へ。
さりながら此世の縁は無き物と諦らめ給へ、我れも諦めぬべし、たま〳〵嬉しき君が心を知りながら、これは我が口より言ひ出がたき事、心ぐるしさの限りなれど、浮世に不運の寄合ひと思せかし、我れを誠に可愛しとならば、其命を今此塲にて賜はるまじきや、不仁の詞、不慈の心、よの常の中にでもさる事は言はれまじきに、まして勿躰なき心の底を知り※﹇#﹁抜﹂の﹁友﹂に代えて﹁丿/友﹂、U+39DE、3-29-上-5﹈きける今、此やうの情なき願ひに血を吐くおもひの我が心中を汲み給へ、今日の文のぬしは我が昔しの戀(こひ)人、今よりは仇に成りて我が心のほだしは彼(あ)れのみ、斷たずば止むまじき執着を、これをも戀(こひ)といふかや、我れは知らねど憎くきは彼の人なり、いかにもしての恨みは日夜に絶えねど、我が手を下して率ざとあらんは、察し給へ、まだ後に入用のある身の上つらく、欲とはおぼすな父の遺志のつぎたさになり、今二十五年の我が命に替りて、御身を捨て物に暗(やみ)夜(よ)の足塲よき處をもとめて、いかやうにも爲して給はらずや、此やうの恐ろしき女子に我れが何時より成りけるやら、死なるゝ身ならば我れも死にたけれどもと常に涙は見せし事なきお蘭さまの、襦袢の袖にぬぐふ露あり。
君が恨みのおもだかは正しく其人と我れは思ふぞかし、染井の宿に飛ばす車の、折から惡るき我が門前にての出來ごとなれば、知られて成るまじの千里一ト飛と、負(け)傷(が)は正しく其人の所爲なれど、原(おこ)因(り)は我れを恐るゝよりの事、おもへば何も我が罪なりし、君をば我が手に救ひしにはあらで、言はゞ死地に導くやうの成行、何もこれまでの契りと御命を賜はれや、さりながら斯くいふ君の運つよくは、逃るゝ丈のがれて美事その塲をさへ外るれば、夜にまぎれて此邸までの途中に難をさけ、門より内に入れば世は安泰なり、今しる通りの人氣のなきに、出這入るものとては犬くゞりに小犬のかげもなく、女子あるじなれば警察の眼にもかゝるまじ、ともかくもして逃がれんと思しめせときぬ。
詞はなくて聞き居たりし直次郎、もはや何も仰せられますな、會得がつきました、僞りにても此世に思ひがけざりしお詞を聞きて、殘る恨みも我れは無き身、さらでも今宵は過ぐさじの决心でありしを、御所望にて仆れんは願ふても無きこと、美事にやつて御目にかくべし、今日までは思ひ立し事の何事も通らで、浮世に意氣地なしの鏡なりける身なれど、一心おもひ込みたるお前樣がお聲がゝりにて、身をすて物に此度の仕事は、天晴れ直次も男なりけりと御心だけに賞めて賜はるが本望、其塲に仆れても捕へられての絞(しめ)木(き)の上にも思ひ殘す事はござりませぬ、唯うらめしきはのがるゝ丈のがれて來よのお詞、さりとはお情(なさけ)とも申まじ、逃れんと思ふ卑怯にて人一人やられん物か、我れは愚人なればその利口ものが所爲は知らず、相手が仆るゝか我れが死ぬか二つに一つの瀬戸際に我れ助からんの汚なき心にて後髮を引かるゝ物ありては、いさぎよき本望は遂げられまじ、先の手に殺さるれば夫れまで、仕遂げて後に捕へられぬ共御名は决して出すまじければ、案じ給ふな、罪は我れ一人なり、首尾よき曉に我れ命冥加ありて其塲をのがるゝは萬一の事なれど、さりとて再度お顏をば見申さじ、いかなる事より罪の顯はれて、最(い)愛(と)しき君に連累の咎口惜し、何も直次は今日限りのお暇、此世に無き物とおぼしすてられて、事の成否は世の取沙汰に聞き給へ、御縁もこれまで、我れはいさぎよく死にまする、と思ひさだめては涙もこぼさねど、悄然とせしかげ障子にうつりて、長く、長く、長く、お蘭有らん限り此夜の事わすれがたかるべし。
直次は其夜の闇にまぎれて、松川屋敷を出ぬ、明けて驚きし佐助夫婦が、常は兎角に小言もいひけれど、いかに定めて斯かる仕義と流石に胸やすからねば評議とり〴〵に、おそよは朝な〳〵手を合する神々にも、心得違ひの無きやうにと祈りぬ。
ほどを隔てゝ冬のはじめつ方、事は番町の波崎が本宅前におこりぬ、何某の大會に幹事の任を帶びて、席上演説に喝采わくやうの中を終れば、醉ひのまぎれの車上ゆる〳〵と半は夢を乘せて歸り來たりし表門の前、乍ち物かげより跳り出たる男の母布に手をかけて後さまにと引けば、たまらず覆へる處を取つて押へて首筋かゝんとひらめかす白(やい)刄(ば)の、さりとは鈍かりしか頬先少しかすりて、薄手の疵に狼藉の呼聲あたりに高く、今はこれまでとや逃足(あし)いづこに向ひし、たちまち露と消えて誰れとも分らず成りける、明日は新聞に見出しの文字こと〴〵しく、ある黨派の壯士なるべし、何々倶樂部の誰れとやら嫌疑のかゝりて其筋に引かれぬといふもあれば、終ひに何物の業とも知れで、一月の後には風説もあとなく成りぬ、疵は猶さら半月の療治に可(あた)惜(ら)男の直打も下らず、よし痕は殘るとも向ひ疵とてほこられんか可(を)笑(か)し、才子の君、利口の君萬々歳の喜に、又もややりそこねて身は日蔭者の、此世に有りたりとも天地廣からぬ直次郎はいかにしたる、川に沈みしか山に隱(かく)れしか、もしくは心機一轉、誠の人間になりしか、夫(そ)れ怪しきは松川屋敷の末(すゑ)なり、此事ありて三月ばかりの後、門は立派に敷石のこはれも直りて、日毎に植木や大工の出入しげきは主(あるじ)の替りしなるべし、されば佐助夫婦おらんも何處に行きける、世間は廣し、車は國中に通ずる頃なれば
︵をはり︶
底本:(その一)〜(その四)「文學界 一九号」文學界社雜誌社
1894(明治27)年7月30日
(その五)〜(その六)「文學界 二一号」文學界社雜誌社
1894(明治27)年9月30日
(その七)〜(その十二)「文學界 二三号」文學界社雜誌社
1894(明治27)年11月30日
初出:(その一)〜(その四)「文學界 一九号」文學界社雜誌社
1894(明治27)年7月30日
(その五)〜(その六)「文學界 二一号」文學界社雜誌社
1894(明治27)年9月30日
(その七)〜(その十二)「文學界 二三号」文學界社雜誌社
1894(明治27)年11月30日
※表題は底本では、「暗夜」となっています。
※「澤瀉」と「澤潟」と「おもだか」、「お蘭」と「おらん」の混在は、底本通りです。
入力:万波通彦
校正:Juki
2019年4月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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●﹇#…﹈は、入力者による注を表す記号です。
●﹁くの字点﹂をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
●この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。︵数字は、底本中の出現﹁ページ-行﹂数。︶これらの文字は本文内では﹁※﹇#…﹈﹂の形で示しました。
「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA
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2-22-下-13 |
「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE
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3-29-上-5 |