定本青猫

萩原朔太郎




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宇宙は意志の現れであり、意志の本質は惱みである












 滿
 調
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
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  Blue 使 The Blue Cat ()

 滿稿便

 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28) ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)西西
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西暦一九三四年秋
著者
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定本 青猫  全



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蝶を夢む


座敷のなかで 大きなあつぼつたいはねをひろげる
蝶のちひさな 黒い顏とその長い觸手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと
わたしは白い寢床のなかで目をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と

しぜんに腐りゆく古き空家にかんする悲しい物語。


夢をみながら わたしは幼な兒のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な兒の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な兒の感情が
とほい水邊のうすら明りを戀するやうに思はれた。

ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。


あたらしい座敷のなかで 蝶がはねをひろげてゐる

白い あつぼつたい 紙のやうなはねをふるはしてゐる



黒い蝙蝠


わたしの憂鬱は羽ばたきながら
ひらひらと部屋中を飛んでゐるのです。
ああなんといふ幻覺だらう
とりとめもない怠惰な日和が さびしい涙をながしてゐる。
もう追憶の船は港をさり
やさしい戀人の捲毛もさらさらに乾いてしまつた
草場に昆蟲のひげはふるへて
季節は亡靈のやうにほの白くすぎてゆくのです。
ああ私はなにも見ない。
せめては片戀の娘たちよ

おぼろにかすむ墓場の空から 夕風のやさしい歌をうたつておくれ。



石竹と青猫


みどりの石竹の花のかげに ひとつの幻の屍體は眠る
その黒髮は床にながれて
手足は力なく投げだされ 寢臺の上にあふむいてゐる
この密室の幕のかげを
ひそかに音もなくしのんでくる ひとつの青ざめたふしぎの情慾
そはむしかへす麝香になやみ
くるしく はづかしく なまめかしき思ひのかぎりをしる。
ああいま春の夜の灯かげにちかく
うれしくも屍蝋のからだを嗅ぎて弄ぶ。
やさしいくちびるに油をぬりつけ すべすべとした白い肢體をもてあそぶ。
そはひとつのさびしい青猫

  














 



















 調




「停車場之圖」のキャプション付きの図



 








海牛のやうな農夫よ
田舍の屋根には草が生え、夕餉ゆふげの煙ほの白く空にただよふ。
耕作を忘れたか肥つた農夫よ
田舍に飢饉は迫り 冬の農家の壁は凍つてしまつた。
さうして洋燈らんぷのうす暗い廚子づしのかげで
先祖の死靈がさむしげにふるへてゐる。
このあはれな野獸のやうに
ふしぎな宿命の恐怖にかれたものども
その胃袋は野菜でみたされ くもつた神經にかさがかかる。
冬の寒ざらしの貧しい田舍で

愚鈍な 海牛のやうな農夫よ。



波止場の煙


野鼠は畠にかくれ
矢車草は散り散りになつてしまつた。
歌も 酒も 戀も 月も もはやこの季節のものでない
わたしは老いさらぼつた鴉のやうに
よぼよぼとして遠國の旅に出かけて行かう。
さうして乞食どものうろうろする
どこかの遠い港の波止場で
海草の焚けてる空のけむりでも眺めてゐよう。
ああ まぼろしの處女をとめもなく
しをれた花束のやうな運命になつてしまつた
砂地にまみれ

砂利食じやりくひがにのやうにひくい音で泣いてゐよう。



その手は菓子である


そのじつにかはゆらしい むつくりとした工合はどうだ
そのまるまるとして菓子のやうにふくらんだ工合はどうだ
指なんかはまことにほつそりとしてしながよく
まるでちひさな青い魚類のやうで
やさしくそよそよとうごいてゐる樣子はたまらない。
ああ その手の上に接吻きすがしたい。
そつくりと口にあてて喰べてしまひたい
なんといふすつきりとした指先のまるみだらう
指と指との間に咲く このふしぎなる花の風情はどうだ
その匂ひは麝香のやうで 薄く汗ばんだ桃の花のやうにみえる。
かくばかりも麗はしくみがきあげた女性の指
すつぽりとしたまつ白のほそながい指
ぴあのの鍵盤をたたく指
針をもて絹をぬふ仕事の指
愛をもとめる肩によりそひながら
わけても感じやすい皮膚のうへに
かるく爪先をふれ
かるく爪でひつかき
かるくしつかりと、押へつけるやうにする指のはたらき
そのぶるぶると身ぶるひをする愛のよろこび はげしく狡猾にくすぐる指
おすましで意地惡のひとさし指
卑怯で快活な小ゆびのいたづら
親指の肥え太つたうつくしさと その暴虐なる野蠻性
ああ そのすべすべと磨きあげたいつぽんの指をおしいただき
すつぽりと口にふくんでしやぶつてゐたい。いつまでたつてもしやぶつてゐたい。
その手の甲はわつぷるのふくらみで
その手の指は氷砂糖のつめたい食慾
ああ この食慾

子供のやうに意地のきたない無恥の食慾。



群集の中を求めて歩く


私はいつも都會をもとめる
都會のにぎやかな群集の中に居るのをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ。
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ。
ああ 春の日のたそがれどき
都會の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのは樂しいことだ。
みよ この群集のながれてゆくありさまを
浪は浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり、日影はゆるぎつつひろがりすすむ。
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと、みなそこの日影に消えてあとかたもない。
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましい。
いま春の日のたそがれどき
群集の列は建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれて行かうとするのだらう。
私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影。
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい
もまれて行きたい。
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「ホテル之圖」のキャプション付きの図
ホテル之圖


 















 












 





  




ふらんすからくる煙草のやにのにほひのやうだ
そのにほひをかいでゐると氣がうつとりとする。
うるはしい かなしい さまざまの入りこみたる空の感情
つめたい銀いろの小鳥のなきごゑ
春がくるときのよろこびは
あらゆるひとの命をふきならす笛のひびきのやうだ。
ふるへる めづらしい野路のくさばな
おもたく雨にぬれた空氣の中にひろがるひとつの音色
なやましき女のなきごゑはそこにもきこえて
春はしつとりとふくらんでくるやうだ。
春としなれば山奧のふかい森の中でも
くされた木株の中でもうごめくみみずのやうに
私のたましひはぞくぞくとしてきのこを吹き出す
たとへば毒だけ へびだけ べにひめぢのやうなもの
かかるきのこの類はあやしげなる色香をはなちて
ひねもすさびしげに匂つてゐる。
春がくる 春がくる
春がくるときのよろこびは あらゆるひとの命を吹きならす笛のひびきのやうだ
そこにもここにも
ぞくぞくとしてふきだすきのこ 毒だけ

また藪かげに生えてほのかに光るべにひめぢの類。



蠅の唱歌


春はどこまできたか
春はそこまできて櫻の匂ひをかぐはせた
子供たちのさけびは野に山に
はるやま見れば白い浮雲がながれてゐる。
さうして私の心はなみだをおぼえる
いつもおとなしくひとりで遊んでゐる私のこころだ。
この心はさびしい
この心はわかき少年の昔より私のいのちに日影をおとした
しだいにおほきくなる孤獨の日かげ
おそろしい憂鬱の日かげはひろがる。
いま室内にひとりで坐つて
暮れてゆくたましひの日かげをみつめる
そのためいきはさびしくして
とどまる蠅のやうに力がない。
しづかに暮れてゆく春の日の夕日の中を
私のいのちは力なくさまよひあるき
私のいのちは窓の硝子にとどまりて

たよりなき子供等のすすりなく唱歌をきいた。



恐ろしく憂鬱なる


こんもりとした森の木立のなかで
いちめんに白い蝶類が飛んでゐる。
むらがる むらがりて飛びめぐる
てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
みどりの葉のあつぼつたい隙間から
ぴか ぴか ぴか ぴかと光る そのちひさな鋭どいつばさ
いつぱいにひろがつてとびめぐる てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
ああ これはなんといふ憂鬱な幻だ
このおもたい手足 おもたい心臟
かぎりなくなやましい物質と物質との重なり
ああ これはなんといふ美しい病氣だらう。
つかれはてたる神經のなまめかしいたそがれどきに
私はみる ここに女たちの投げ出したおもたい手足を
つかれはてた股や乳房のなやましい重たさを
その鮮血のやうなくちびるはここにかしこに
私の青ざめた屍體のくちびるに
額に 髮に 髮の毛に 腋に 股に 腋の下に 手くびに 足に 足のうらに みぎの腕にも ひだりの腕にも 腹のうへにも 臍のうへにも
むらがりむらがる 物質と物質との淫らなかたまり
ここにかしこに追ひみだれたる蝶のまつくろい集團。
ああこの恐ろしい地上の陰影
このなやましいまぼろしの森の中に
しだいにひろがつてゆく憂鬱の日かげをみつめる。
その私の心はばたばたと羽ばたきして
小鳥の死ぬるときの 醜いすがたのやうだ。
ああこのたへがたく惱ましい性の感覺

あまりに恐ろしく憂鬱なる。



憂鬱なる花見


憂鬱なる櫻が遠くからにほひはじめた。
櫻の枝はいちめんにひろがつてゐる
日光はきらきらとしてはなはだまぶしい。
私は密閉した家の内部に住み
日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる
その卵や肉はくさりはじめた
遠く櫻のはなは酢え
櫻のはなの酢えた匂ひはうつたうしい。
いまひとびとは帽子をかぶつて、外光の下を歩きにでる
さうして日光が遠くにかがやいてゐる
けれども私はこの室内にひとりで坐つて
思ひをはるかなる櫻のはなの下によせ
野山にたはむれる青春の男女によせる
ああ なんといふよろこびが輝やいてゐることか
いちめんに枝をひろげた櫻の花の下で
わかい娘たちは踊ををどる
娘たちの白くみがいた踊の手足
しなやかにおよげる衣裳
ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあつてゐることか
花見のうたごゑは横笛のやうに長閑のどか
かぎりなき憂鬱のひびきをもつてきこえる。
いま私の心は涙でぬぐはれ
閉ぢこめたる窓のほとりに力なくすすり泣く
ああこのひとつのまづしき心は なにものの生命いのちをもとめ
なにものの影をみつめて泣いてゐるのか
ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで

遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。



怠惰の暦


いくつかの季節はすぎ
もう憂鬱の櫻も白つぽく腐れてしまつた。
馬車はごろごろと遠くをはしり
海も 田舍も ひつそりとした空氣の中に眠つてゐる。
なんといふ怠惰な日だらう
運命はあとからあとからとかげつてゆき
さびしい病鬱は柳の葉かげにけむつてゐる。
もう暦もない 記憶もない
わたしは燕のやうに巣立ちをし さうしてふしぎな風景のはてを翔つてゆかう。
むかしの人よ 愛する猫よ
わたしはひとつの歌を知つてる
さうして遠い海草の焚けてる空から 爛れるやうな接吻きすを投げよう。

  





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()() ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)









  

   
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冬の曇天の 凍りついた天氣の下で
そんなに憂鬱な自然の中で
だまつて道ばたの草を食つてる
みじめな しよんぼりした 宿命の 因果の蒼ざめた馬の影です。
わたしは影の方へうごいて行き
馬の影はわたしを眺めてゐるやうす。
ああはやく動いてそこを去れ
わたしの生涯らいふ映畫幕すくりーんから
すぐに すぐに りさつてこんな幻像を消してしまへ。
私の「意志」を信じたいのだ。馬よ!
因果の 宿命の 定法の みじめなる
絶望の凍りついた風景の乾板から



























 


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調
  



 
 




薄暮の疲勞した季節がきた。
どこでも室房はうす暗く
慣習のながい疲れをかんずるやうだ。
雨は往來にびしよびしよして

貧乏な長屋が竝びてゐる。


こんな季節のながいあひだ
ぼくの生活は落魄して
ひどく窮乏になつてしまつた。
家具は一隅に投げ倒され
冬の 埃の 薄命の日ざしのなかで
蠅はぶむぶむと窓に飛んでる。
こんな季節のつづく間
ぼくのさびしい訪問者は
老年の よぼよぼした いつも白粉くさい貴婦人です
ああ彼女こそ僕の昔の戀人

古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ。


こんな白雨のふつてる間
どこにも新しい信仰はありはしない。
詩人はありきたりの思想をうたひ
民衆のふるい傳統は疊の上になやんでゐる。
ああこの厭やな天氣

日ざしの鈍い季節。


ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は

ああもう どこにだつてありはしない。



桃李の道

老子の幻想から


聖人よ あなたの道を教へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
とりこうしの聲さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの眞理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ私は家を出で なにの學問を學んできたか
むなしく青春はうしなはれて
戀も 名譽も 空想も みんな泥柳のかきに涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舍の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌はたうたの聲も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか?
あなたは默し さうして桃や李やの咲いてる夢幻のさと
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道徳の人を知らない
晝頃になつて村に行き
あなたは農家の庖廚に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れ もはや遠くあなたの沓音くつおとを聽かないだらう
悲しみのしのびがたい時でさへも
ああ 師よ! 私はまだ死なないでせう。
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「海港之圖」のキャプション付きの図
海港之圖

 港へ來た。マストのある風景と、浪を蹴つて走る蒸汽船と。

どこへもう! 外の行くところもありはしない。
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へ歸つて行かう。
さうして忘却の錨をとき、記憶のだんだんと消えさる港を訪ねて行かう。
――まどろすの歌――


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風船乘りの夢


夏草のしげるくさむらから
ふはりふはりと天上さして昇りゆく風船よ
籠には舊暦の暦をのせ
はるか地球の子午線を越えて吹かれ行かうよ。
ばうばうとした虚無の中を
雲はさびしげにながれて行き
草地も見えず 記憶の時計もぜんまいがとまつてしまつた。
どこをめあてに翔けるのだらう!
さうして酒瓶の底は空しくなり
醉ひどれの見る美麗な幻覺まぼろしも消えてしまつた。
しだいに下界の陸地をはなれ
愁ひや雲やに吹きながされて
知覺もおよばぬ眞空圈内へまぎれ行かうよ。
この瓦斯體もてふくらんだ氣球のやうに
ふしぎにさびしい宇宙のはてを

友だちもなく ふはりふはりと昇つて行かうよ。



古風な博覽會


かなしく ぼんやりとした光線のさすところで
圓頂塔どうむの上に圓頂塔どうむが重なり
それが遠い山脈の方まで續いてゐるではないか。
なんたるさびしげな青空だらう。
透き通つた硝子張りの虚空の下で
あまたのふしぎなる建築が格鬪し
建築の腕と腕とが組み合つてゐる。
このしづかなる博覽會の景色の中を
かしこに遠く 正門を過ぎて人人の影は空にちらばふ
なんたる夢のやうな群集だらう。
そこでは文明のふしぎなる幻燈機械や
天體旅行の奇妙なる見世物をのぞき歩く
さうして西暦千八百十年頃の 佛國巴里市を見せるパノラマ館の裏口から
人の知らない祕密の拔穴「時」の胎内へもぐり込んだ
ああ この逃亡をだれが知るか?
圓頂塔どうむの上に圓頂塔どうむが重なり
無限にはるかなる地平の空で

日ざしは悲しげにただよつてゐる。



まどろすの歌


愚かな海鳥のやうな姿すがたをして
瓦や敷石のごろごろとする 港の市街區を通つて行かう。
こはれた幌馬車が列をつくつて
むやみやたらに圓錐形の混雜がやつてくるではないか
家臺は家臺の上に積み重なつて
なんといふ人畜のきたなく混雜する往來だらう。
見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで
冬のさびしい海景が泣いて居るではないか。
涙を路ばたの石にながしながら
私の辮髮を背中にたれて 支那人みたやうに歩いてゐよう。
かうした暗い光線はどこからくるのか
あるいは理髮師とこや裁縫師したてやの軒に artist の招牌かんばんをかけ
野菜料理や木造旅館の貧しい出窓が傾いて居る。
どうしてこんな貧しい「時」の寫眞を映すのだらう。
どこへもう! 外の行くところさへありはしない。
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へかへつて行かう。

さうして忘却の錨を解き 記録のだんだんと消えさる港を訪ねて行かう。



荒寥地方


散歩者のうろうろと歩いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
青や赤や黄色の旗がびらびらして
むかしの出窓に鐵葉ぶりきの帽子が飾つてある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだらう!
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲彈の碎片かけなどが掘り出されて
それが要塞區域の砂の中で まつくろに錆びついてゐたではないか。
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを歩いてゐよう。
年をとつた婦人のすがたは
家鴨あひるにはとりによく似てゐて
網膜の映るところに眞紅しんくきれがひらひらする。
なんたるかなしげな黄昏だらう!
象のやうなものが群がつてゐて
郵便局の前をあちこちと彷徨してゐる。

「ああどこに 私の音づれの手紙を書かう!」



佛陀


 

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どこにまあ! この情慾は口を開いたら好いのだらう。
海龜うみがめは山のやうに眠つてゐるし
古生代の海に近く
厚さ千貫目ほどもある ※(「石+車」、第3水準1-89-5)※(「石+渠」、第3水準1-89-12)しやこの貝殼が眺望してゐる。
なんといふ鈍暗な日ざしだらう!
しぶきにけむれる岬岬の島かげから
ふしぎな病院船のかたちが現はれ
それが沈沒した錨のともづなをずるずると曳いてゐるではないか。
ねえ! お孃さん
いつまで僕等は此處に坐り 此處の悲しい岩に竝んでゐるのでせう。
太陽は無限に遠く
光線のさしてくるところに ぼうぼうといふほら貝が鳴る。
お孃さん!
かうして寂しくぺんぎん鳥のやうにならんでゐると
愛も 肝臟も つららになつてしまふやうだ。
やさしいお孃さん!
もう僕には希望のぞみもなく 平和な生活らいふの慰めもないのだよ。
あらゆることが僕を氣ちがひじみた憂鬱にかりたてる
へんに季節は轉轉して
もう春もすもももめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。
どうすれば好いのだらう お孃さん!
ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で 大きな貝肉のやうにふるへてゐる。
そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし

こんなにも切ない心がわからないの? お孃さん!



※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)と樹木


※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)の暦をかぞへてみれば
わたしの過去は魚でもない 猫でもない 花でもない
さうして草木の祭祀に捧げる 器物うつはや瓦の類でもない
金でもなく 蟲でもなく 隕石でもなく 鹿でもない
ああ ただひろびろとしてゐる無限の「時」の哀傷よ。
わたしのはてない生涯らいふを追うて
どこにこの因果の車を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して行かう!
とりとめもない意志の惱みが あとからあとからとやつてくるではないか。
なんたるあいせつの笛のだらう
鬼のやうなものがゐて木の間で吹いてる。
まるでしかたのない夕暮れになつてしまつた
燈火ともしびをともして窓からみれば
青草むらの中にべらべらと燃える提灯がある。
風もなく
星宿のめぐりもしづかに美しいよるではないか。
ひつそりと魂の祕密をみれば
わたしの轉生はみじめな乞食で
星でもなく 犀でもなく 毛衣けごろもをきた聖人の類でもありはしない。
宇宙はくるくるとまはつてゐて
永世輪※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)のわびしい時刻がうかんでゐる。
さうしてべにがらいろにぬられた恐怖の谷では
けもののやうなはんの木が腕を突き出し
あるいはその根にいろいろな祭壇がからびてる。

どういふ人間どもの妄想だらう!



暦の亡魂


薄暮のさびしい部屋の中で
わたしのあうむ時計はこはれてしまつた。
感情のねぢは錆びて ぜんまいもぐだらくに解けてしまつた。
こんな古ぼけた暦をみて
どうして宿命のめぐりあふ暦數をかぞへよう。
いつといふこともない
ぼろぼろになつた憂鬱の鞄をさげて
明朝あしたは港の方へでも出かけて行かう。
さうして海岸のけむつた柳のかげで
くびなし船のちらほらと往きふ帆でもながめてゐよう
あるいは波止場の垣にもたれて
乞食共のする砂利場の賭博ばくちでもながめてゐよう。
どこへ行かうといふ國の船もなく
これといふ仕事や職業もありはしない。
まづしい黒毛の猫のやうに
よぼよぼとしてよろめきながら歩いてゐる。
さうして芥燒場ごみやきば泥土でいどにぬりこめられた
このひとのやうなものは

忘れた暦の亡魂だらうよ。



夢にみる空家の庭の祕密


その空家の庭に生えこむものは松の木の類
枇杷の木 桃の木 まきの木 さざんか さくらの類
さかんな樹木 あたりにひろがる樹木の枝。
またそのむらがる枝の葉かげに ぞくぞくと繁茂するところの植物
およそ しだ わらび ぜんまい もうせんごけの類
地べたいちめんに重なりあつて這ひまはる
それら青いものの生命いのち
それら青いもののさかんな生活。
その空家の庭は、いつも植物の日影になつて薄暗い
ただかすかにながれるものは一筋の小川のみづ
夜も晝もさよさよと悲しくひくくながれる水の音
またじめじめとした垣根のあたり
なめくぢ へび かへる とかげ のぬたぬたとした氣味のわるいすがたをみる。
さうしてこの幽邃な世界のうへに
夜は青じろい月の光がてらしてゐる
月の光は前栽の植込から、しつとりとながれこむ。
あはれにしめやかな この深夜のふけてゆく思ひに心をかたむけ
わたしの心は垣根にもたれて横笛を吹きすさぶ
ああ このいろいろの物のかくされた祕密の生活
かぎりなく美しい影と 不思議なすがたの重なりあふところの世界
月光の中にうかびいづる羊齒しだ わらび 松の木の枝
なめくぢ へび とかげ の不氣味な生活。
ああ わたしの夢によくみる このひと棲まぬ空家の庭の祕密と

いつもその謎のとけやらぬ おもむき深き幽邃のなつかしさよ。



黒い風琴


おるがんをお彈きなさい 女のひとよ
あなたは黒い着物をきて
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這ふのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに…………。

おるがんをお彈きなさい 女のひとよ


だれがそこで唱つてゐるの
だれがそこでしんみりと聽いてゐるの。
ああこの眞黒な憂鬱の闇のなかで
べつたりと壁に吸ひついて
おそろしい巨大の風琴を彈くのはだれですか。
宗教のはげしい感情 そのふるへ
けいれんするぱいぷおるがん れくれえむ!
お祈りなさい 病氣のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間ときはないのです
お彈きなさい おるがんを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときの松葉のやうに
あかるい光彩をなげかけてお彈きなさい
お彈きなさい おるがんを

おるがんをお彈きなさい 女のひとよ。


ああ まつくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしづまるまで
あなたはおほきな黒い風琴をお彈きなさい。
おそろしい眞暗の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!

ああなんといふはげしく 陰鬱なる感情のけいれんよ



憂鬱の川邊


川邊で鳴つてゐる
蘆や葦のさやさやといふ音はさびしい。
しぜんに生えてる
するどい ちひさな植物 草本さうほんの莖の類はさびしい。
私は眼を閉ぢて
なにかの草の根を噛まうとする
なにかの草の汁をすふために 憂鬱の苦い汁をすふために。
げにそこにはなにごとの希望もない。
生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ
梅雨だ
じめじめとした雨の點滴のやうなものだ
しかし ああ また雨! 雨! 雨!
そこには生える不思議の草本
あまたの悲しい羽蟲の類
それは憂鬱に這ひまはる 岸邊にそうて這ひまはる。
じめじめした川の岸邊を行くものは
ああこの光るいのちの葬列か
光る精神の病靈か
物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草むら

雨に光る木材質のはげしき匂ひ。



佛の見たる幻想の世界


花やかな月夜である
しんめんたる常盤木の重なりあふところで
ひきさりまたよせかへす美しい浪をみるところで
かのなつかしい宗教の道はひらかれ
かのあやしげなる聖者の夢はむすばれる。
げにそのひとの心をながれるひとつの愛憐
そのひとの瞳孔ひとみにうつる不死の幻想
あかるくてらされ
またさびしく消えさりゆく夢想の幸福と、その怪しげなるかげかたち。
ああ そのひとについて思ふことは
そのひとの見たる幻想の國をかんずることは
どんなにさびしい生活の日暮れを色づくことぞ
いま疲れてながく孤獨の椅子に眠るとき
わたしの家の窓にも月かげさし

月は花やかに空にのぼつてゐる。


佛よ
わたしは愛する おんみの見たる幻想の蓮の花瓣を
青ざめたるいのちに咲ける病熱の花の香氣を
佛よ







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雨のひどくふつてる中で
道路の街燈はびしよびしよにぬれ
やくざな建築は坂に傾斜し へしつぶされて歪んでゐる。
はうはうぼうぼうとした煙霧の中を
あるひとの運命は白くさまよふ。
そのひとは大外套に身をくるんで
まづしく みすぼらしいとんびのやうだ。
とある建築の窓に生えて
風雨にふるへる ずつくりぬれた青樹をながめる。
その青樹の葉つぱがかれを手招き
かなしい雨の景色の中で
厭やらしく 靈魂たましひのぞつとするものを感じさせた。
さうしてびしよびしよに濡れてしまつた。

影も からだも 生活も 悲哀でびしよびしよに濡れてしまつた。



恐ろしい山


恐ろしい山の相貌すがたをみた。
まつ暗な夜空にけむりを吹きあげてゐる
おほきな蜘蛛のやうなである。
赤くちろちろと舌をだして
うみざりがにのやうに平つくばつてる。
手足をひろくのばして麓いちめんに這ひ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた
さびしくおそろしい闇夜である。
がうがうといふ風が草を吹いてゐる 遠くの空で吹いてる。
自然はひつそりと息をひそめ
しだいにふしぎな 大きな山のかたちが襲つてくる。
すぐ近いところにそびえ

怪異な相貌すがたが食はうとする。



題のない歌


南洋の日にやけた裸か女のやうに
夏草の茂つてゐる波止場の向うへ ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた。
ふはふはとした雲が白くたちのぼつて
船員のすふ煙草のけむりがさびしがつてる。
わたしは鶉のやうに羽ばたきながら
さうして丈の高い野茨の上を飛びまはつた。
ああ 雲よ 船よ どこに彼女は航海の碇をすてたか
ふしぎな情熱になやみながら
わたしは沈默の墓地をたづねあるいた。
それはこの草叢くさむらの風に吹かれてゐる

しづかに 錆びついた 戀愛鳥の木乃伊みいらであつた。



艶めかしい墓場


風は柳を吹いてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくぢは垣根を這ひあがり
見はらしの方からなまあつたかい潮みづがにほつてくる
どうして貴女あなたはここに來たの?
やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ。
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡靈よ!
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚のくさつた臭ひがする。
そのはらわたは日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。
ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ。
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない
さうしてただ なんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命いのちや肉體はくさつてゆき
「虚無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。
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「市街之圖」のキャプション付きの図
市街之圖

散歩者のうろうろと歩いてゐる
十八世紀頃の物わびしい裏町の通があるではないか
青や 赤や 黄色の旗がびらびらして
むかしの出窓にブリキの帽子が竝んでゐる。
どうしてこんな 情感の深い市街があるのだらう。
――荒寥地方――


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くづれる肉體


蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で
わたしはくづれてゆく肉體のはしらをながめた。
それは宵闇にさびしくふるへて
影にそよぐしにびとぐさのやうになまぐさく
ぞろぞろと蛆蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた。
ああこの影を曳く景色のなかで
わたしの靈魂はむずがゆい恐怖をつかむ
それは港からきた船のやうに 遠く亡靈のゐる島島を渡つてきた。
それは風でもない 雨でもない
そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ。
さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に

わたしのくづれてゆく影がさびしく泣いた。



鴉毛の婦人


やさしい鴉毛の婦人よ
わたしの家根裏の部屋にしのんできて
麝香のなまめかしい匂ひをみたす
貴女はふしぎな夜鳥
木製の椅子にさびしくとまつて
そのくちばし心臟こころをついばみ 瞳孔ひとみはしづかな涙にあふれる。
夜鳥よ
このせつない戀情はどこからくるか

あなたの憂鬱なる衣裳をぬいで はや夜露の風に飛びされ。



緑色の笛


この黄昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと歩いてゐる。
黄色い夕月が風にゆらいで
あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。
さびしいですか お孃さん!
ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ緑です。
やさしく歌口うたぐちをお吹きなさい
とうめいなる空にふるへて
あなたの蜃氣樓をよびよせなさい。
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像いめぢがしだいにちかづいてくるやうだ。
それは首のない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする。

いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまひたいのよう! お孃さん!



寄生蟹のうた


潮みづのつめたくながれて
貝の齒はいたみに齲ばみ 酢のやうに溶けてしまつた
ああ ここにはもはや友だちもない 戀もない。
渚にぬれて亡靈のやうな草を見てゐる
その草の根はけむりのなかに白くかすんで
春夜のなまぬるい戀びとの吐息のやうです。
おぼろにみえる沖の方から
船人はふしぎな航海の歌をうたつて 拍子も高く楫の音がきこえてくる。
あやしくもここの磯邊にむらがつて
むらむらとうづ高くもりあがり また影のやうに這ひまはる

それは雲のやうなひとつの心像 さびしい寄生蟹やどかりの幽靈ですよ。



かなしい囚人


かれらは青ざめたしやつぽをかぶり
うすぐらい尻尾しつぽの先を曳きずつて歩きまはる。
そしてみよ そいつの陰鬱なしやべるが泥土ねばつちを掘るではないか。
ああ草の根株は掘つくりかへされ
どこもかしこも曇暗な日ざしがかげつてゐる。
なんといふ退屈な人生だらう
ふしぎな葬式のやうに列をつくつて 大きな建物の影へ出這入りする
この幽靈のやうにさびしい影だ。
硝子のぴかぴかするかなしい野外で
どれも青ざめた紙のしやつぽをかぶり

ぞろぞろと蛇の卵のやうにつながつてくる さびしい囚人の群ではないか。



猫柳


つめたく青ざめた顏のうへに
け高くにほふ優美の月をうかべてゐます。
月のはづかしい面影
やさしい言葉であなたの死骸に話しかける。
ああ 露しげく
しつとりとぬれた猫柳 夜風のなかに動いてゐます。
ここをさまよひきたりて
うれしいなさけのかずかずを歌ひつくす
そは人の知らないさびしい情慾 さうして情慾です。
ながれるごとき涙にぬれ
私はくちびるに血汐をぬる。
ああ なにといふ戀しさなるぞ
この青ざめた死靈にすがりつきてもてあそぶ
夜風にふかれ

猫柳のかげを暗くさまよふよ そは墓場のやさしい歌ごゑです。



憂鬱な風景


猫のやうに憂鬱な景色である
さびしい風船はまつすぐに昇つてゆき
りんねるを着た人物がちらちらと居るではないか。
もうとつくにながいあひだ
だれもこんな波止場を思つてみやしない。
さうして荷揚機械のばうぜんとしてゐる海角から
いろいろさまざまな生物意識が消えて行つた。
そのうへ帆船には綿が積まれて
それが沖の方でむくむくと考へこんでゐるではないか。
なんと言ひやうもない
身の毛もよだち ぞつとするやうな思ひ出ばかりだ。
ああ神よ もうとりかへすすべもない

 





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※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)


地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはつて
※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。
ああ こんな陰鬱な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう!
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小蟲が燒地やけち穢土ゑどにむらがつてゐる。
なんといふ傷ましい風物だらう!
どこにもくびのながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いてゐる。
考へることもない かうして暮れがたがちかづくのだらう。
戀や孤獨やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽靈のやうに見えるばかりだ。
どこを風見のとりが見てゐるのか

冬の日のごろごろと※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)る瘠地の丘で もろこしの葉つぱが吹かれてゐる。



厭やらしい景物


雨のふる間
眺めは白ぼけて
建物 建物 びたびたにぬれ
さみしい荒廢した田舍をみる。
そこに感情をくさらして

かれらは馬のやうにくらしてゐた。


私は家の壁をめぐり
家の壁に生える苔をみた
かれらの食物は非常にわるく

精神さへも梅雨つゆじみて居る。


雨のながくふる間
私は退屈な田舍にゐて
退屈な自然に漂泊してゐる

薄ちやけた幽靈のやうな影をみた。


私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨氣の中に

ずつくり濡れたる 孤獨の 非常に厭やらしいものを見たのです。



さびしい來歴


むくむくと肥えふとつて
白くくびれてるふしぎな球形まり幻像いめいぢよ。
それは耳もない 顏もない つるつるとして空にのぼる野蔦のやうだ
夏雲よ なんたるとりとめのない寂しさだらう!
どこにこれといふ信仰もなく たよりに思ふ戀人もありはしない。
わたしは駱駝のやうによろめきながら
椰子の實の日にやけた核を噛みくだいた。
ああ こんな乞食みたいな生活から
もうなにもかもなくしてしまつた。
たうとう風の死んでる野道へきて
もろこしの葉うらにからびてしまつた。





沿



沿

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わたしはびらびらした外套をきて
草むらの中から大砲を曳きだしてゐる。
なにを撃たうといふでもない
わたしのはらわたのなかに火藥をつめ
ひきがへるのやうにむつくりとふくれてゐよう。
さうしてほら貝みたいなだまをひらき
まつ青な顏をして
かうばうたる海や陸地をながめてゐるのさ。
この邊の奴らにつきあひもなく
どうせろくでもない 貝肉の化物ぐらゐに見えるだらうよ。
のらくら息子のわたしの部屋には
春さきののどかな光もささず
陰鬱な寢床のなかにごろごろとねころんでゐる。
わたしを罵りわらふ世間のこゑごゑ
だれひとりきて慰さめてくれるものもなく
やさしい婦人をんなのうたごゑもきこえはしない。
それゆゑわたしの玉はますますひらいて
へんにとうめいなる硝子玉になつてしまつた。
なにを喰べようといふでもない
妄想のはらわたに火藥をつめこみ
さびしい野原に古ぼけた大砲を曳きずりだして

  





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※(「木+無」、第3水準1-86-12)()
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猫の死骸


ula 

綿








 
 
 






沼澤地方

ula と呼べる女に


蛙どものむらがつてゐる
さびしい沼澤地方をめぐりあるいた。
日は空に寒く
どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。
わたしはけだもののやうに靴をひきずり
あるいは悲しげなる部落をたづねて

だらしもなく 懶惰らんだのおそろしい夢におぼれた。


ああ 浦!
もうぼくたちの別れをつげよう
あひびきの日の木小屋のほとりで
おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。
あの灰色の空の下で
いつでも時計のやうに鳴つてゐる
浦!
ふしぎなさびしい心臟よ。

ula ! 







 

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「時計臺之圖」のキャプション付きの図



 





























便


便

















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退









姿




 




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こんもりとした森の木立のなかでいちめんに白い蝶類が飛んでゐる むらがる むらがりて飛びめぐる てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
 
 
 
 
 
 
 西
 姿
 
 
  
 
 
 
 ※(二の字点、1-2-22)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 

藏原伸二郎
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 この書の中にある詩篇は、初版「青猫」を始め、新潮社版の「蝶を夢む」第一書房版の「萩原朔太郎詩集」その他既刊の詩集中にも散在し、夫夫少し宛詩句や組方を異にしてゐるが、この「定本」のものが本當であり、流布本に於ける誤植一切を訂正し、併せてその未熟個所を定則に改定した。よつて此等の詩篇によつて、私を批判しようとする人人や、他の選集に拔粹しようとする人人は、今後すべて必ずこの「定本」によつてもらひたい。
著者





 
   197651325

   193611320
 
   191761
    
   1922117
    
   1922117
    
   1922117
    
   19211012
    
   191871
    
   1923125
    
   191766
    
   191766
    
   191764
    
   191764
    
   191871
    
   191765
    
   191765
    
   191766
   
   1922116
    
   19211012
   
   19221148
    
   19211012
    
   19211012
    
   1922115
    
   19211010
    
   19211012
    
   1922111
    
   1922115
    
   19211010
    
   1922111
    
   1923121
    
   1923121
    
   1923121
    
   1923121
   
   1923121
    
   1923122
    
   1923122
   ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11) 
   1923122
    
   1923122
    
   191766
    
   191874
    
   191874
    
   191871
    
   191871
    
   1922116
    
   1922115
    
   1922115
    
   1922116
    
   1922116
    
   1922115
    
   1922115
    
   1922116
    
   1922116
    
   1922115
    
   1922117
    
   1923125
   ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11) 
   1922117
    
   19211012
    
   1922116
   沿 
   1923126
    
   1923126
    
   1925145
    
   1924138
    
   1925142
    
   1924139
    
   1924139
    
   1925149
    
   192721
   便 
   192726
    
   1926158
    
   1928312
















※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)

沿沿

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kompass

2001822
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