センチメンタルな気風はセンチと呼んで唾だ棄き軽けい蔑べつされるようになったが、世せじ上ょう一般にロマンチックな気持ちには随ずい分ぶん憧あこがれを持ち、この傾向は追おい々おい強くなりそうである。 飛躍する気持になり度たい。何物かに酔ようて恍こう惚こつとした情熱にわれを忘れたい。大だい体たいこういう気風である。だが、世上一般の実状はその反対を強しいている。それだけ人々は却かえってそれを欲ほっするのかも知れない。 世上一般の実状が人々に強いるものはリアリズムである。如い何かに苦しく醜みにくい現実でも青せい眼がんに直視せよと言うのである。然しからざれば生活の足を踏み滑すべらす。 リアリズムの用心深い足取りで生活の架け橋を拾い踏み渡りながら、眼は高い蒼そう空くうの雲に見み惚とれようとする。歪ゆがんだポーズである。此この矛むじ盾ゅんが不思議な調子で時代を彩いろ色どる。 純情な恋の小こう唄たを好んで口くち誦ずさむ青年子女に訊きいてみると恋愛なんか可お笑かしくって出で来きないと言う。家庭に退屈した若い良おっ人とが、ダンス場やカフェ這は入いりを定期的にして、而しかもそれに満足もしない。肯定と否定とが一人の人の中に同どう棲せいしている。そして、そのような矛盾のままで性格が固定し切っているかと思えば、そうでない。気分の動きにつれて肯定と否定の両りょ頭うとうは直すぐ噛かみ合いを始める。今日の都会の青年子女に就ついて、気持ちの話になって、はっきり一つの意味の言葉を言いい切きる者は尠すくない。必ず意味に濁にごりを打つか取消しの準備を言内に付け加えている。これは相手に向っての用心ばかりでなく、恐らく自分自身に向っても保証し切れないからであろう。 しかし、この矛盾に堪たえぬものは現代の落らく伍ごし者ゃである。逞たくましい忍耐を以もって、この歪ゆがんだポーズに堪え、根気よく真に魅力ある理想を探って行き度たい。