ある日の蓮月尼

岡本かの子




第一景


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無名の青年 ――僕はとうとうこの短冊を見付けて来ました。
蓮月 ――(短冊を青年から受け取って読む)――木の間よりほの見し露のうす紅葉おもひこがるゝ始めなるらん――これはいつかわたくしが京のお人に頼まれて書いて差上げた歌です。これがどうかいたしましたか。
無名の青年 ――こんな歌を詠むあなたが人情を解さぬと云う筈はありません。僕はそれを発見してうれしいのです。
蓮月 ――わたくしは人情を解さぬとあなたに一度も云った覚えはありません。人一倍涙もろい性質に自分でも困っております。
無名の青年 ――人情を解しながら涙もろくて、しかも僕の熱情を容れて下さらないのは矢張り僕がお嫌いだからなのですね。
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無名の青年 ――愛のまごころより以上の世界があるでしょうか?
 宿()
無名の青年 ――くわしくは今が始めてですが、そういうあなたの御事情は前から大分知って居ました――で、あなたは世の中は無常だから、愛までも信じられなくなったといわれるのですか?
蓮月 ――一番幸福な絶頂から一番不幸な谷底へ蹴落された人間に、それをあえて繰り返す勇気も精もまだ残って居るとあなたはお思いですか?
無名の青年 ――僕の愛は死や無常ではくつがえされない積りです。僕の愛は永遠にあなたを活かし切ります。
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無名の青年 ――…………。
蓮月 ――これまでお聞きになって、まだあなたはわたくしを愛に繋ごうと云うお気持になれますか?
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無名の青年 ――それではあなたはただ一人のおとうさまの為に生きて居られるのですか。おとうさまもそれほどあなたを愛して居られますか。
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無名の青年 ――では何が力です。何を希望にあなたは生て行かれるのです。
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無名の青年 ――それはあまり非人情に消極的に歩まなければならない道ではありませんか。
蓮月 ――(手を挙げて青年の言葉を押しとどめ)理屈でもって実行を妨げないこと。
(蓮月、ふと気がついて机の傍に落ちて居る短冊を拾い)
蓮月 ――これはむかし詠み捨てた歌を望む人があって書いたものですが、これをあなたに差上げますから、あなたの京から持って来られた短冊と代える事にして下さい。
(蓮月手に持った短冊を青年に与え、青年の持ちたる短冊をうけとり破り捨てる。)
無名の青年 ――ああ!
蓮月 ――わたくしは今日の生活の務めをしなくてはなりませんから、これで失礼さして下さい。あなたも早く帰って勉強をなさって下さい。
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無名の青年 ――いつの間にそでのしづくとなりにけむわけ来し法の道しばの露。






(前景と同じ住庵の場、立派な武士が供の二人と部屋の縁に腰かけて居る。これに対して蓮月は別に愛想好くも無くまた不愛想という程でもなく、極めて自然の態度でさむらいが望むままに出来上った陶器を棚から下して見せて居る。)
蓮月 ――もう、この外に出来たものは御座いません。
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蓮月 ――不細工なもので恐れ入ります。
供の士の一 ――蓮月さんの仮名書は今日世間に定評あって有名ですが、絵までいつの間にか美事にお描きになるとは随分器用な事ですな。
蓮月 ――ほほほ、絵などと仰せられては痛み入ります。ほんの模様代りのいたずら描きなのです。
 
蓮月 ――いいえまったく女の手すさびの素人描きなのです。この蛙も始めて描きますので、一体蛙の手の指が五本のものやら三本のものやら一向存じませんので、裏の田へ行き蛙をおさえて指を見せて貰った程で御座います。
主人の士 ――ははははは。
供の士の一 ――ははははは。
供の士の二 ――ははは。そこが無垢むくで尊いところです。
(蓮月、客の讃辞を聞き流し、そろそろ品物をしまいかける。)
主人の士 ――おお、だいぶ邪魔をいたした。それでは、これを貰って戻るといたそう。
 

供の士の一 ――軽少ですがこれは料金です。
蓮月 ――ありがとう御座います。
(客の士連れ立ち去る。蓮月、土間の轆轤台の前に座って陶器の仕事にとりかかる。一方客の三人が柴折戸を出て十二三間行く時、儒者にして画家の鉄斎、年頃二十七八、友人亀田を連れて来かかる。双方すれ違う。鉄斎は主人の士を振り返っていぶかしき面持ち、然し直ぐに態度を取り戻し柴折戸の前に立ちどまる。)
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鉄斎 ――その有名扱いがまた尼さんの嫌いの随一と来て居る。尼さんは世間から名士扱いにされるのを五月蠅うるさがって、宿がえ蓮月と云われるほど宿がえを致した位だからその名士見物の素振りをちらっとも見せてはならんぞ。
亀田 ――なかなかきびしいな。まあ万事貴君の指揮に任せる。
(鉄斎、おずおず柴折戸を開け亀田を伴い内に入る。蓮月はやはり土間の轆轤台の前に坐って居て工作に余念も無い。)
鉄斎 ――今日は――お仕事ですか。
蓮月 ――…………。
鉄斎 ――お仕事に御念が入りますな。
(蓮月、振り向かずその儘口を利く。)
蓮月 ――どなたですか。
鉄斎 ――わたくしです。鉄斎です。
蓮月 ――鉄斎さんですか。勉強が忙しいでしょうに、わざわざ何の用ですか。
鉄斎 ――え――その一人友人が陶器を欲しいと云うのです。
蓮月 ――あなたのお友達? それでわたしの陶器が欲しいの?
(蓮月、はじめて首を振り向け鉄斎と亀田を見る。亀田、周章あわててお辞儀をする。)
 
鉄斎 ――申訳がありません…………。
蓮月 ――まあ折角連れていらっしたのですから、縁側でなりと休んでお出でなさい。
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亀田 ――一言ぐらい宜さそうなものだ。
鉄斎 ――さっきあれほどいかんと言ったじゃないか。
亀田 ――でも折角――。
鉄斎 ――いかんいかん。
(蓮月、振り向いて)
蓮月 ――何を云い争って居るんです。
 
蓮月 ――(鉄斎の言葉を抑えるように)この世捨人の尼に、あなた方のような青年が聞くことがあるのですか。
(蓮月、轆轤台の前を立ち部屋の方に来る。そこで炉の釜の湯の様子を見て茶を入れ二人に勧め、縁に近く来て坐る。)
 
 
蓮月 ――働かなければ喰べられないではありませんか。
 
 
亀田 ――それで世捨人なのでしょうか。
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亀田 ――そう働けばあなたと親御さんお二人お暮しになる以上金が取れるでしょう。その余りの金の仕末はどうなさるのです。
蓮月 ――(手でさえぎって)もうやめましょう。お互に働く時間を無駄に費しますからあなたも勉強盛りの年頃ではありませんか。
(蓮月また轆轤台の前に戻る。)
鉄斎 ――亀田、もうよかろう。いよいよ約束が違うぞ。

鉄斎 ――尼さん、また金をほうり出した儘ですよ。だらしが無いな。
蓮月 ――それはさっきの客が置いて行った陶器代でしょう。
鉄斎 ――陶器代にしては重いなあ。
蓮月 ――開けて見て下さい。
 殿殿()()
蓮月 ――何しろ陶器二組に小判は多過ぎます。あなた△△の殿様のお宿を知って居ませんか。
鉄斎 ――知ってます。四条烏丸です。
蓮月 ――では十日程したらまた陶器が溜りますから、差引残りの価だけのものを持って、あなたお宿まで届けに行って下さい。
鉄斎 ――承知しました。
蓮月 ――それに、今その金はわたしのところに入用ありませんから、橋の方の費用にやって下さい。
鉄斎 ――ではお預かりして行きます。
(両人一礼して柴折戸を出る。道にさしかかる。)
亀田 ――橋の費用とは何だね。
鉄斎 ――尼さんは自分で費用を出して、加茂川に人助けの為めの橋を架けつつあるのだ。

亀田 ――ふむ。(尊敬の念に堪えぬ表情で尼の方を振り返り、しばらくじっと立ち止まって居る。)


第三景


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老僧 ――蓮月さん、まだ寝なさらんのかい。
蓮月 ――(筆を止めて)律師さまですか。あなたもまだ起きていらっしゃいますか。
老僧 ――いやわしは退屈まぎれに碁の本を見て居るのだが、あんたは日一日働いてその上夜業はしんどうないかな。
 
老僧 ――まめなお人だ。過ぎんようにしなされよ。
蓮月 ――有難う存じます。
老僧 ――ほい、思い出した。あんた大根の葉がえらい好きなそうやな。
蓮月 ――ほほほほ。わたくしは鶏の生れ代りで御座います。
老僧 ――そしたら今夜、わしとこで大根の葉と揚豆腐あげどうふを煮たからあげようわい。一寸竹藪まで来なされ。
蓮月 ――折角せっかくで御座いますから、では頂きましょうか。
(蓮月庭に下り半身を竹藪の中へさしいれ、やがて皿を両手に持って出る。)
老僧 ――どうじゃ、皿は無事か。
蓮月 ――無事で御座います。
老僧 ――藪越のものの遣り取りも稽古が積んでうもうなられた。
蓮月 ――ほほほほほ。
老僧 ――ははははは。
(蓮月、座敷に戻り皿を経机の上へ置き、紙を一枚女らしくかける。)
蓮月 ――まあ、こんなに沢山恐れ入ります。
老僧 ――なんの、まだいるようなら明日もまた上げよう。
蓮月 ――いえ、もう充分で御座います。
 
蓮月 ――なるべく気をつけます。
老僧 ――それにも一つ、あんたはいつも戸をあけ放しで寝なさるが、あれも悪いこっちゃ。いくら田舎でも盗っ人は居るからのう。
蓮月 ――盗人がはいりましても、何も持って行くものは御座いません。
老僧 ――そうばかり云うものでもない。鍋一つ失うても、直ぐその日からの不自由じゃからな。
蓮月 ――御深切は頂きます。
老僧 ――どれ、お休み。
蓮月 ――お休みなさいまし。
()()()()()姿()()()
蓮月 ――(落ち付いた声で)どなたです。
盗人 ――……はい。
蓮月 ――どなたですか。
(盗人決心して懐中より短剣を抜き放ち、蓮月の前にすっくと立つ。)
盗人 ――盗人です。
(蓮月静かに筆をさし措いて盗人に正面する。)
蓮月 ――このあばら屋に何か欲しいものがおありなのですか。
盗人 ――そうたやすく持って行けるものは欲しくないのです。
 
 
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蓮月 ――ではもう何も申しますまい。そしてそのむずかしいお望みものとやらは何なので御座います。
(盗人の短剣の先が少し慄う。それから決然たる声音にて。)
盗人 ――他のものでもありません。あなたの身体が頂戴いたしたいのです。
(蓮月盗人の顔をつくづく見る。盗人、その眼ざしを避けるように覆面の顔を他方に振り向ける。)
蓮月 ――あなたは今朝の青年の方ではありませんか、あの短冊を交換して頂いた……
(盗人、其処へべったり坐り、しばらく息を切って居る。やがて顔を振り上げる。)
 
蓮月 ――お気の毒な事になりました。何があなたをそうさせたのでしょう。
無名の青年 ――あなたの純粋がこうさせたのです。
蓮月 ――わたくしはそうおさせした覚えはありません。
 ()()宿()()()()()

 
(無名の青年止むを得ず再び坐る。)
蓮月 ――あなたはどうしてその半分冷静に半分情熱が残って居る焦立たしい心境から悪の途へ門出されたのです。わたくしの肉体を盗むのがどういうわけでその二つに分れた心境から生れた結果となったのです。
 ()()()()()使()()()  ()() 
(青年の血相が変り鬼畜の形になって蓮月に飛びかかる。蓮月静かにふりほどき、利き手をとって青年を座に据え伏せる。)
無名の青年 ――獣だ! 獣だ! 獣だ! (うめくようにいう。)
 

 
無名の青年 ――それは本当ですか。
 姿()()
無名の青年 ――ありがとう御座います。まるで夢のようです。
()()姿()()
蓮月 ――これがわたくしにただ一枚残って居る娘時代の着物です。
無名の青年 ――娘だ! 娘だ!
蓮月 ――これを着たので、すっかり女らしい気持に還りました。
無名の青年 ――僕は嬉しくって堪まりません。もうこんな陰気な庵なんか捨てて、早く京のにぎやかな処へ行って二人で暮すことにしましょう。
(青年、蓮月の手を執る。)
蓮月 ――一寸待って下さい。たった一つ仕残した仕事がありますから。

無名の青年 ――どうしたのです! どこか悪くしたのですか。蓮月さん! 蓮月さん!
(青年、蓮月を抱き起し顔に手を添え振上げる。蓮月の口から血がしたたか垂れて居る。)
無名の青年 ――や!
(青年、蓮月の手に持てるものに気付きてぎ取る。)
無名の青年 ――はかりの分銅を噛んだのだ! 歯が折れている!
蓮月 ――ほほほほほ。(苦痛を忍んだ意地笑い。)
無名の青年 ――何故こんなことをしたのです。
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(蓮月、短剣を拾い取り身構える。)
無名の青年 ――止めて下さい。あやまります。あやまります!

(青年ひれ伏す。)


第四景


姿
無名の青年 ――あーあ、飯などのどへ通らない。
(前歯が無くなりずっと人相がふけた蓮月、口もいくらかきき憎そうであるが、言葉は優しく凜々りりしい。)
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(蓮月、経机の上の鉢から覆い紙を除け青年の膳へ持って行ってやる。)
無名の青年 ――有難う。ではまあ一生懸命喰べて見ましょう。
(青年、覚束おぼつかなく喰べ出す。蓮月、香湯の鍋の胴に手を触れて見る。)
 ()
(蓮月、塗盥ぬりだらいを庵室の中央に持ち出し、中に黄金の仏像を安置する。)
 
()()()姿()

――幕――






底本:「岡本かの子全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「散華抄」大雄閣
   1929(昭和4)年5月
入力:門田裕志
校正:いとうおちゃ
2021年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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