不思議の血=懦だじ弱ゃくと欲張=髯将軍の一喝=技手の惨死=狡猾船頭=盆踊り見物=弱い剛力=登山競走=天狗の面=天てん幕との火事=廃殿の一夜=山頂の地震=剛力の逃亡=焼酎の祟=一里の徒競走=とんだ宿屋
︵一︶昼寝罵ばと倒う
この奮励努力すべき世の中で、ゴロゴロ昼寝などする馬鹿があるかッ! 暑い暑いと凹へこ垂たれるごときは意気地無しの骨頂じゃ。夏が暑くなければそれこそ大変! 米も出来ず、果実も実らず、万事尽ことごとく生せい色しょくを失う事となる。夏の暑いのがそれほど嫌な奴は、勝手に海中へでも飛込んで死ぬがよい。今や狭い地球上――ことにこの狭い日本では、碌ろくでもない人間が殖ふえ過ぎて甚はなはだ困っている。怠なま惰けも者のや意気地無しがドシドシ死んでしまえば、穀ごく潰つぶしの減るだけでも国家の為に幸福かも知れぬ。 吾わが党とうは大いに夏を愛する。暑ければ暑い程鋭気に満ちて来る。やれやれ、何か面白い事をやってくれようと、そこで企てたのが本州横断徒歩旅行! もちろん亜ア弗フ利リ加カ内地旅行だの、両極探検だのに比すれば、まるで猫の額を蚤のみがマゴついているようなものであるが、それでも、口をアングリ開けて昼寝をしているよりは、千倍も万倍も愉快に相違ない。 出発は八月十日、同行は差当り五人、蛮カラ画伯小こす杉ぎみ未せ醒い子、髯ひげの早大応援将軍吉よし岡おか信しん敬けい子、日曜画報写真技師木きが川わせ専んす介け子、本紙記者井いさ沢わい衣す水い子、それに病気揚句の吾わが輩はいである。吾輩は腹式呼吸と実験から得た心身強健法とで、漸ようやく病気の全快したばかりのところへ、要務が山積しているので、実は徒歩発足地の水戸まで一行を見送り、そこで御免を蒙こうむる積つもりであったが、さて水戸まで行ってみると、オイソレと逃げる訳にも参らず、とうとう牛に曳かれて八やみ溝ぞや山まの天険を踰こえ、九尾の狐の化けた那な須す野のヶ原はらまで、テクテクお伴をする事に相成った。︵二︶奇異の血ちし汐お
徒歩出発地は前にいう太平洋沿岸方面の常じょ州うしゅう水戸で、到着地は日本海沿岸の越えち後ごの国くに直なお江え津つの予定。足そく跡せきは常ひた陸ち、磐いわ城き、上こう野ずけ、下しも野つけ、信しな濃の、越後の六ヶ国に亘わたり、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見けん聞もんし、変った旅行をしてみようというのである。 ところが東都出発の数日以前から、殆ほとんど毎日のように暴風大たい雨うで、各地水害の飛報は頻ひん々ぴんとして来きたる。ことに出発の前夜は、烈風甍いらかを飛ばし、豪雨石を転まろばし、勢いきおいで、東都下町方面も多く水に浸され、この模様では今回の旅行も至しご極く困難であろうと想像しているところへ、ここに今考えても理わ由けの分からぬ事があった。というのは他ほかでもない、その夜の事である。本誌お馴なじ染みの断水坊、暴風雨を冒して遊びに来り、夜遅くまで、二人で将棋をパチクリパチクリやっておったが、時刻は夜半の零時か零時半頃であったろう、吾輩はなんでも香車か桂馬をばパチリッと盤面に打うち下おろそうと手を伸ばした途端である。不意に何か吾輩の食ひと指さしゆびの中まん央なかにポタリと落ちた冷たいものがある。 ﹁オヤ、雨が漏ったのか﹂と、熟視すると、雨ではない。豆粒程の大おおきさの生々しい血ちし汐おである。 ﹁ヤッ、変だぞ、変だぞ﹂と、断水坊も将棋指す手を止め、この血は鼻から出たのであろうと、二人は顔か面おはいうに及ばず、全身残りなく検しらべてみたが、どこからも血の出た気けは勢いが微みじ塵ん程もない。また鼻から出たにしたところで、鼻先から一尺四、五寸も前へ突つき出だした食ひと指さしゆびの上へ、豆粒程の大おおきさだけポタリと落ちる道理はないのだ。 ﹁それでは天井から落ちたに相違ない﹂ ﹁そうだそうだ、天井で鼠が喧嘩して、その負傷した血汐の滴り落ちたのだろう﹂と、断水坊は御苦労にも卓テー子ブルを担ぎ出してその上へ登り、吾輩は、懐中電灯を輝かして、蚤のみ取とり眼まなこで天井を隈くまなく詮索したが、血汐は愚か、水の滴り落ちた形跡すらどこにもない。どうも分からん分からん、不思議な事もあれば有るものだと、二人は暫しば時し顔を見みあ合わすばかり。鮮血は二人の身から体だから出たものでなく、また天井から落ちたものでもないとすれば、空中から飛んで来たものとほか思う事は出来ない。誰か友人中に死んだ者でもあって、その暗しら示せが来たのではあるまいか。イヤそんな事もあるまいが、横断旅行の首かど途でにこの理わ由けの分らぬ血汐は不吉千万、軍陣の血祭という事はあるが、これは余り有難くない、それにこの大たい風ふう! この大たい雨う! 万一の事があってはならぬから、明日の出発は四、五日延期してはどうかと、断水坊平生の洒しゃあツクにも似ず真面目臭くさって忠告を始めたが、吾輩はナアニというので、その夜はグッスリと寝込み、翌朝目め醒ざめたのは七時前後、風は止んだが、雨は相変わらずジャアジャア降っている。︵三︶洪水の悲惨
上野発水戸行の汽車は午前十時と聴いたので、さっそく朝飯を掻かっ込こみ、雨を冒して停ステ車ーシ場ョンへ駆け着けてみると、一いっ行こう連中まだ誰も見えず、読売新聞の小泉君、雄弁会の大沢君など、肝腎の出発隊より先に見送りに来ている。その内に未みせ醒い画伯の巨大なる躯くか幹んがノッソリ現われると、間もなく吉岡将軍の髯ひげ面づらがヌッと出て来る。衣水子、木川子など、いずれも勇気勃ぼつ々ぼつ、雨が降ろうが火が降ろうが、そんな事には委細頓とん着ちゃくない。 やがて午前十時になったので、切符を購もとめて出札口に差し掛かると、 ﹁ドッコイ、お待ちなさい。これは水戸行の汽車ではありません。水戸行は午前十一時五十五分です﹂と来た。 ﹁オヤオヤ、オヤオヤ。誰だ誰だ、水戸行を、午前十時だと言ったのは――﹂と、一同開あいた口をヒン曲げて詮議に及んだが、誰も責任者は出て来ない。元来呑のん気きな連中の事とて、発車時間表もよくは調べず、誰言うとなく十時に極きめておったのだ、とにかく約二時間待たねばならぬ。ボンヤリしているのも智恵がないから、不しの忍ばずの池の溢れた水中をジャブジャブ漕いで、納涼博覧会などを見物し、折から号外号外の声消けた魂たましく、今にも東都全市街水中に葬られるかのように人を嚇おどかす号外を見ながら、午前十一時五十五分、今度は首尾よく上野出発。この時から常ひた陸ち山中の大だい子ご駅に至るまでの間の事は、既に日曜画報にも簡単に書いたので、日曜画報を見た諸君には、多少重複する点のある事は御勘弁を願いたい。 汽車の旅行は平々凡々、未醒子ははや居眠りを始める。 ﹁コラコラ、今から居眠りをするようでは駄目じゃッ﹂と、髯将軍の銅ど鑼ら声はまず車中の荒あら肝ぎもを拉ひしぐ。 汽車、利根川の鉄橋に差し掛かれば、雨はますます激しく、ただ見る、河水は氾はん濫らんして両岸湖水のごとく、濁流滔とう々とう田でん畑ばたを荒し回り、今にも押流されそうな人家も数軒見える。遭難者の身にとっては堪たまったものではない。禿はげ頭に捩ねじ鉢巻で、血眼になって家財道具を運ぶ老おや爺じもあれば、尻も臍へそもあらわに着物を掀まくり上げ、濁流中で狂きち気がいのように立騒いでいる女も見える。融通の利かぬ巡査でも見付けたら、こんな場合でも用よう捨しゃなく風俗壊乱の罪に問うかも知れぬが、今は尻や臍の問題ではない、生いの命ちの問題である。近来、殆んど連年かかる悲惨なる目に遭い、その上苛かぜ税いの誅ちゅ求うきゅうを受けるこの辺へんの住民は禍わざわいなるかな。天公桂かつら内閣の暴政を怒いかるか、天災地変は年一年甚はなはだしくなる。国家のため実に寒心に堪えぬ次第ではないか。 しかるに、走り行く此こな方たの車内では、税務署か小しょ林うり区んく署の小役人らしき気き障ざ男、洪水に悩める女の有様などを面白そうに打うち眺めつつ、隣席の連れと覚おぼしき薄髭の痩男に向い、 ﹁どうです、一句出ましたぜ、洪水に女の股ももの白きかな――ハッ、ハッ、いかがでげす﹂などと、嘔へ吐どのごとき醜しゅ句うくを吐き出せば、側かたわらの痩男は小首を捻ひねって、 ﹁なるほどな、秀逸でげす﹂などと相あい槌づちを打つ。同胞の難儀を難儀とも思わぬ困った奴等である。こんな冷酷な役人根性もまた桂内閣お得意の産物なるか、咄とつ!︵四︶変な駄だじ洒ゃ落れ
憤慨ばかりが能ではあるまいから、一つ汽車中の駄洒落を御ごあ愛いき嬌ょうに記そう。 元来、今回の横断旅行は、出発地を太平洋波なみ打うち際ぎわの大おお洗あらいにしようか、大洗水戸間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしようかという事は未定問題であったので、吾輩は大洗説を主張し、 ﹁今夜は大洗に一泊して、沖合の夜釣をやってみようではないか﹂と、提議すれば、未醒子羅漢面づらの眉を揚げて、 ﹁途方もない。この風し雨けに夜釣なんか出来るものか。魚は釣れず、濡ぬれ鼠ねずみになって、大洗︵大笑い︶になるまでさ﹂と洒落のめす。吾輩も負けてはおらず、 ﹁そんな洒落は未醒︵未製︶品じゃ﹂ ﹁ドッコイ、来たな、駄洒落は止しに春しゅ浪んろう﹂ 側かたわらから吉岡信敬将軍、髯ひげ面づらを突つき出だして、 ﹁とにかく夜釣は危あぶない危い。横断旅行が海底旅行になっては大変じゃ﹂ ﹁ナアニ、危いもんか。そう信敬︵神経︶を起すな﹂ ﹁アハハハ、アハハハ﹂と、一同は笑い崩れる。 その内に汽車は水戸に到着、停ステ車ーシ場ョン前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する。芝しば原はら広く、梅ばい樹じゅ雅趣を帯びて、春はさこそと思われる。時刻は既に遅かったので、有名な好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜忽こつ然ぜんとして薨こう去きょされた処ところで、その薨去が余り急激であったため、一時は井いい伊かも掃んの部か頭みの刺客の業だと噂されたという事だ。︵五︶懦だじ弱ゃく千万
大おお洗あらいまでの無駄足は止よしにして、水戸から発足と決定した。というのは、翌日は行程十五里、山間の大だい子ご駅まで辿り着いておかねば、その次の日、予定のごとく八やみ溝ぞや山まの絶頂へ達する事は極めて困難であるからだ。その夜は座すわり相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝ひざ栗くり毛げに鞭打って、我が一行に馳はせ加わった三勇士がある。水戸の有志家杉すぎ田たき恭ょう介すけ君、川かわ又また英えい君、及び水戸中学出身の津つが川わご五ろ郎う君で、孰いずれも健脚御自慢、旅行は三度の飯より好きだという愉快な連中だ。ところで困ったのは吾輩である。吾輩は元来ここまで一行を見送り、明日は失敬して帰京する予定なので、旅装も何もして来なかったが、新あら手ての武者さえ馳はせ加わっては、見苦しく尻に帆掛けて逃出す訳にも行かない。且かつは吾輩の膝栗毛も頻しきりに跳ね出したい様子なので、ままよ後あとの要務は徹夜しても片付けろと、八溝山をこえて那な須す野のヶ原はらまで、一行の尻馬に跟ついてお伴をする事に相成った。 翌日午前七時、昨きの日うまでの雨に引替えてギラギラ光る太陽に射られながら水戸出発、右に久くじ慈が川わの濁流を眺めつつ進む。数里の間あいだ格別変った事もなく、ただ汗のだらだら流れるばかり。だんだん田舎深く入いり込こめば、この道中一行の呆れ返らざるを得なかったのは、この地方住民の懶らん惰だ極まる事である。孟子の所いわ謂ゆる恒産無き者は恒心無しとでも謂いうものか、多少でも財産や田でん畑ぱたのある者は左さほ程どでもないようだが、その他の奴等に至っては、どれもこれも、汗水流して少しばかりの金を儲けるよりは、ゴロゴロ寝ていた方が楽だといわぬばかり。どこの家うちを覗いてみても、一人か二人昼寝をしておらぬ家は殆んど一軒もない。男は越中褌ふんどし一本、女は腰巻一枚、大の字也なりになり、鼻から青あお提ぢょ灯うちんをぶら下げて、惰眠を貪むさぼっている醜しゅ体うたいは見られたものではない。試みに寝ね惚ぼけ眼を摩こすって起上った彼等のある者を掴つかまえ、 ﹁暑いのは誰でも暑いのだ。ゴロゴロ昼寝ばかりしていずに、ドシドシ草わら鞋じでも筵むしろでも作って売ったらどうだ。寝ている暇に少しでも金儲けが出来るではないか﹂といえば、彼等は面倒臭いといわぬばかりに、 ﹁この暑いに――、沢たん山との儲もうけがねえだ﹂と、鼻の先で笑っている。彼等の顔は全く無気力と自暴自棄との色に曇っているのだ。そのくせ、欲はなかなか深い。一ちょ寸っとした物を買っても、すぐに暴利を貪ろうとする。実に懦弱で欲張り根性の突張った奴等ほど済さい度どし難い者はないのだ。︵六︶髯ひげ将軍の一喝
一ちょ寸っとした実例を示せば、我等が船ふな負ふという村に差し掛かった時だ。一行は朝から重い天てん幕とだの、写真器械だの、食糧品だの、雑ざつ嚢のうだのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身から体だも多少疲れたので、このさき大だい子ご駅まで四、五里の間、二人ばかり荷物を担ぐ人夫を雇いたいものだ、と村中駆け回って談判に及んだが、誰も進んで行こうとする者はない。 ﹁賃銭はいくらでも出す﹂と嗾そそのかせば、 ﹁それではいくら出す﹂とはや欲張る。 ﹁一人前一円ずつ遣やろう﹂というと、 ﹁一円ばかしでは――、この暑いに――﹂と仲間相あい顧みて、 ﹁去年来た洋いじ人んさんは、五両ずつくれったっけなァ﹂などと吐ぬかす。 ﹁四、五里の道に五円もくれる馬鹿は日本人には無い。それでは一円五十銭ずつ遣ろう﹂といっても、彼等はいつまでも煮え切らずブツブツいっているので、髯将軍の癇かん癪しゃく玉が忽たちまち破裂して大喝一声、 ﹁黙れッ! 馬鹿野郎、もう頼まない。ウエー、ウエー、ウエー﹂と、将軍独特の豚声一喝を食わせ、一行は再び重い荷物を分担してテクテクテクテク。 吾輩は敢あえて重い荷物を担がせられたから憤慨するのではないが、一国の生命は地方人士の朴直勤勉なる精神にありとさえいわれているのに、その地方人士の一部がかくも懦弱にして狡猾なる気風に向いつつあるのは、実に痛嘆すべき次第である。かかる傾向は決してこの地方に限った事ではなく、今や全国に漲みなぎらんとする悪潮流ではあるまいか。彼等朴直勤勉なるべき地方人士をして、かくも懦弱に、かくも不真面目ならしめたのは、偽にせ文明の悪風漸ようやく日本の奥までも吹き込んで、時々この辺に来る高慢な洋よう人じん輩はいや、軽薄な都とじ人ん士し等らの悪感化を受けた故せいもあろう。苛かぜ税い誅ちゅ求うきゅうの結果、少しばかりの金を儲けたとて仕方なしとの、自暴自棄に陥った故せいもあろうが、要するに大体の政治その宜しきを得ず、中央政府及び地方行政官は、徒いたずらに軽けい佻ちょう浮華なる物質的文明の完成にのみ焦り、国家の生命の何者であるかを忘れ、一も偉大なる精神的感化力をば、彼等に与うるの道を知らざる為である事は疑いを容いれない。国家の最も憂うる処ところは、貧乏でもない、外敵でもない、宏大な官庁が無い事でもない、狭軌鉄道が広軌鉄道にならぬ事でもない、実に国こく人じん意気の沈滞と民心の腐敗とである。民心の腐敗その極に至れば、国家は遂に見苦しく自滅する他ほかはないのだ。今日我国は貧乏にして生産力に乏しいというが、富力を増し生産力を高める余裕はまだまだ沢山ある。ブラブラ遊んで暮らすのを誇りとしている一部上流社会の奴やつ原ばらを初めとし、ろくろく食う物も食えぬくせに、汗を流して努力する事を好まぬ下等人士に至るまで、惰眠を貪むさぼりつつ穀ごく潰つぶしをやっておる者共は、今日少くとも日本国民三分の一位はあるであろう。願ねがわくは何か峻しゅ烈んれつなる刺激を与え、鞭べん撻たつ激励して彼等を努力せしめたならば、日本の生産力もまた必ず多大の増加を見る事は疑いを容いれまい。こんな事は民力の発展などは眼中にない愚劣政治家共に話したとて分るまいが、真に国家の前途を憂うる人士は、大いに沈思熟考せねばならぬ問題であろうと思う。実に今日は、レオニダスのごとき大政治家出いづるか、日蓮のごとき大宗教家現われ、鉄腕を揮ふるい、獅し子し吼くを放って、国民の惰眠を覚醒せねばならぬ時代であろう。区々たる藩閥の巣窟に閉とじ籠こもり、自家の功名栄達にのみ汲きゅ々うきゅうたる桂内閣ごときでは、到底、永遠に日本の活力を増進せしめる事は出来ない。︵七︶狡猾船頭
思わず理屈を捏こねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引ひき摺ずり引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大たい雨うのため諸とこ所ろどころ山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌がん石せきがガンと一つ頭へ衝あたろうものなら、忽たちまち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微みじ塵んとなって成仏する事受うけ合あいだ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久くじ慈が川わのとある渡わた船し場ば付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨きょ巌がん大だい石せきの夥おびただしく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟ごう然ぜんたる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰され、その片腕とか片脚とかは、かの巨巌の下に今なお取出す事が出来ず残っているという事だ。これには流さす石がの髯ひげ将軍も首を縮めて、お得意の奇声を放つこと飢えたる豚のごとし。 この渡船場で滑稽な事があった。河水はさまで氾濫していなかったが、渡わたし船に乗って向うの岸に着き、 ﹁船頭、いくら遣やろう﹂と訊きけば、 ﹁一人前四銭ずつだ﹂と、黒鬼のような船頭は澄ました顔をしている。 ﹁そうか、高い渡わた船しせ銭んだな﹂といいながら、八人前三十二銭渡して岸に上あがると、岸上の立札には明あきらかに一人前一銭ずつと書いてある。 ﹁此こや奴つ、狡ず猾るい奴だ﹂と、兵へい站たん係の衣いす水い子、眼玉を剥き出し、 ﹁八人前八銭ではないか、余分を返せ﹂と談判に及べば、船頭は一いっ旦たん握った金を容易に放して堪たまるものかと、 ﹁この大水だで――﹂と頑強に抵抗したが、﹁馬鹿をいうな。二尺や三尺増水したとて、四倍も増まし銭せんを取る奴があるものか。癖になるから返せ返せ﹂と、無理無理に二十銭だけ取返せば、船頭は口く惜やしそうに、 ﹁ケチなお客だなァ﹂と、一行を見送りつついつまでも口を尖とがらしている。こっちがケチなのではない。山男のくせに欲張るからとんだ罵ばと倒うを受けたのだ。︵八︶盆踊り見物
それより山道を或あるいは登り、或いは降くだり、山間の大だい子ご駅の一里半ほど手前まで来かかると、日はタップリと暮れて、十七夜の月が山さん巓てんに顔を出した。描けるごとき白雲は山腹を掠かす﹇#ルビの﹁かす﹂は底本では﹁さす﹂﹈めて飛び、眼下の久くじ慈が川わには金竜銀波跳おどって、その絶景はいわん方かたもなく、駄句の一つも唸うなりたいところであるが、一行は疲れ切っているのでグウの音も出ず、時々思い出したように、オイチニ、オイチニなどと付つけ景げい気きをして進んで行くと、この山中諸とこ所ろどころの孤村では、今宵の月景色を背景に、三々五々男女相あい集あつまって盛んに盆踊りをやっているが、我が一行の扮いで装たちは猿股一つの裸はだ体かもあれば白洋服もあり、月の光に遠望すれば巡査の一行かとも見えるので、彼等は皆周あ章わてて盆踊りを止やめ、奇妙頂来な顔付をして百鬼夜行的の我等を見送っている。ある農家の前に差し掛かった時など、ここでも確かに我が一行に驚いて盆踊りを止めたものと見え、七、八人の男女はキョトンとした面つら付つきをして立っておったが、我等の変テコな扮いで装たちを見て、 ﹁なんだ、査おま公わりさんでねえだ﹂と、一人の若者、獅しし子っぱ鼻なを動うごかしつつ忌いま々いまし気にいうと、中に交った頬被りの三十前後の女房、黄きいろい歯を現わしてゲラゲラと笑い、 ﹁白い物が何でも査おま公わりさんなら、俺わしが頭の手拭も査おま公わりさんだんべえ﹂と、警句一番、これにはヘトヘトの一行も失ふき笑ださずにはおられなかった。 元来盆踊りは先祖代々各村落に伝わり、汗を流して働く農民随一の娯楽で、その唄とても、﹁ままになるならこの丸まる髷まげを、元の島田にしてみたい﹂位なもので、東京の真まん中なか、新橋や赤坂等の魔まく窟つで、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば、決して卑ひわ猥いなるものという事は出来ない。彼かの舶来の舞踏など、余程高尚な積りでおるかは知らぬが、その変へん梃てこな足取、その淫い猥やらしき腰は、盆踊りより数倍も馬鹿気たものである。しかるに、盆踊りは野蛮の遺風だとかなんとかいって、一も二もなく先祖伝来の盆踊りを禁止し、他たに楽み少なき農民の娯楽を奪い去るとは、当世の役人や警官はよくよく冷酷な根性になったものかな。盆踊りの後あとで淫いん猥わいの実行が行われるから困ると非難する者もあるが、その実行は盆踊りの後に限った事ではない。芝居の帰かえ途りにもある。活動写真の戻りにもある。日々谷公園の散歩中にもある。それら淫猥の実行は他の方法で取締るのが当然だ。帝都の真中で密売淫や強姦を十分に取締る事の出来ぬ警察力や、待合の二階で醜業婦共に鼻毛を読まれている当世の大臣や役人輩ばらに、盆踊り位をとやかくいう権能は余りあるまいテ、馬鹿な話である。 その夜十時頃、大子駅に到着。山間の孤駅であるが一ちょ寸っと有ゆう福ふくらしき町である。未みせ醒い子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や木きが川わ子や衣いす水い子は夜中にも拘かかわらず、写真器械引担いで町見物にと出掛け、折よく町はずれで盛んな盆踊りを見付けたので、今度は巡査と間違えられる気遣いもなく、髯将軍は盆踊りの親方らしき若者と交渉の上、首尾よく珍妙な踊りを二、三枚撮影したが、夜やち中ゅうの事とて不意に閃せん電でんのごとくマグネシヤを爆発させて撮影するので、その音に驚き、キャッと叫ぶ女もあれば、閃光に眼まなこを射られて暫しば時しは四方真暗、眼玉を白黒にしてブツブツいっている男のあるなど滑稽滑稽。︵九︶弱い剛ごう力りき
翌日午前六時大だい子ご駅出発。これから八里の山道を登って、今夜は海抜三千三百三十三尺、八やみ溝ぞさ山んの絶頂に露営する積りである。そこで剛力を二人雇い、写真器械だの、天てん幕とだの二日分の糧食だけを背負わせたところ、重い重いと頗すこぶる不平顔。 ﹁ナァニ、こんな物が重いものか﹂と、追い立てるようにして出発したが、その遅いこと牛の歩あゆ行みも宜よろしくである。仕方がないから一同その荷物の幾分を分担したが、それでもなかなか速くは歩かぬ。ことに若い方の剛力は懦弱極まる奴で、歩きながら無精な事ばかりいっている。剛力でない、弱力と呼んだ方が適当だろう。 ﹁こんな奴はズット先へ遣っておいた方がよかろう﹂というので、二、三里先へ行って待っていろと命令して先発させ、一行は或あるいは山水の奇勝を写真に撮り、或いはゆるゆる写生などをし、もう牛ぎゅう的剛力も余程遠くへ行っているだろうと思い、急きゅ足うあしに半はん里みちばかりも進んでみると、剛力先生泰然自若と茶屋に腰打ち掛け、贅沢にも半腐りの玉ラムネなんか飲んでござる。癪しゃくに触って堪らぬ。ホイホイ背うし後ろから追い追い立て、約二里ばかり進めば、八溝川の上流、過般の出水の為に橋が落ちている。橋が無ければ徒歩じゃ徒歩じゃと、一同ジャブジャブ水を漕いで渡るに、深さは腰にも及ばぬ程であるが、水流は石をも転まろばす勢いきおいなので、下手をすれば足掬すくわれて転びそうになる。ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショと、爺じい様のような懸かけ声ごえをしながら漸ようやく河を渡り、やがて町まち付つきという寒村に来掛かれば、もう時刻は正午に近い。 ﹁アア腹が減った。腹が減った﹂という声が頻しきりに起る。この昼ひる飯めし分は剛力に担がせて持って来たのだが、この前さ途き山中に迷わぬものでもないから、なるべく食しょ物くもつを残しておけと、折りから通り掛かった路みち傍ばたに、﹁旅りょ人じん宿やど﹂と怪し気な行あん灯どんのブラ下がった家があるので、吾輩は早速跳おどり込み、 ﹁オイ、飯を食わせろ﹂と叫ぶと、安あだ達ちヶ原はらの鬼婆然たる婆さん、皺しわ首くびを伸ばして、 ﹁飯はねえよ﹂ ﹁無ければ炊いてくれ﹂ ﹁暇が掛かるだよ﹂ ﹁三十分や一時間なら待とうが。何か菜さいがあるか﹂ ﹁菜は格別ねえだよ。缶詰でも出すべえか﹂ ﹁缶詰ならこっちにもある。そんな物は食いたくない。芋でも大根でも煮てくれないか﹂ ﹁芋も大根もねえだよ﹂ 嘘ばかりいっている。現に裏の畑には芋も大根もあるのに、それを掘るのが面倒なのか、高い缶詰を売付けようとするのか、不親切も甚はなはだしいので、未みせ醒い子大いに腹を立て、 ﹁止よせ止せ、こんな家の厄介になるな﹂ と、一行は尻をたたいてこの家やを出たが、婆さん一いっ向こう平気なもの、振向いてもみない。食しょ物くもつ本位の宿屋ではなかったと見える。 三、四町行くとまた一軒の汚い旅人宿、幸いここでは、鰌どじょうの丸煮か何かで漸ようやく昼飯に有付くことが出来た。東京では迚とても食われぬ不ま味ずさであるが、腹が減っているので食うわ食うわ。水中の津川五郎子八杯、未醒子七杯、髯将軍と吾輩六杯、その他平均五杯ずつ、合計約五十杯、さしもに大きな飯おは櫃ちの底もカタンカタン。︵一〇︶登山競争
町まち付つき村から、山道は漸ようやく深くなり、初めは諸とこ所ろどころに風流な水車小屋なども見えたが、八やみ溝ぞが川わの草茂き岸に沿うて遡さかのぼり、急流に懸けたる独まる木き橋を渡ること五、六回、だんだん山深く入いり込こめば、最早どこにも人家は見えず、午後四時頃、常じょ州うしゅう第一の高山八溝山の登り口に達した。登り口には古びた大きな鳥居が立っている。ここから山道は急に険しくなるのだ。絶頂までは一里半、頂上間近になれば、登山者の最もくるしむ胸むね突つき八丁もあるとの事だ。 例の剛力先生なかなかやって来ない。鳥居の下で待つこと約三十分、杉田子、衣水子、木川子など付添で漸くやって来た。聴けばある坂道で、剛力先生凹へこ垂たれて容易に動かばこそ、仕方がないので、衣水子金剛力を出して、エイヤエイヤと剛力の尻を押上げたとの事。これではまるで反あべ対こべだ。呆れ返った剛力どのかな。 八溝山の登り口からは、一里半登山競走という事に相成った。凹へこ垂たれ剛力などは眼中にない。後あとからゆっくり来いというので、一同疲れし膝栗毛に鞭を加え、力ちか声らごえを揚げてぞ突貫する。初め山道は麓の村落で嚇おどかされた程急ではないが、漸く樵きこ夫りの通う位の細道で、両側から身みの長たけよりも高き雑草で蔽おおわれている処もある。赤土の急勾配、溝のごとくになり、辷すべって転ぶ事も幾回なるを知らず、足を大の字形なりに拡げて両側の草を踏みつつ、ヨタヨタ進まねば容易に登る事の出来ぬ場所も五、六町。巌い角わの突つき出いで巌がん石せきの砕けて一面に転ころばっている坂道は、草わら鞋じの底を破って足の裏の痛きこと夥おびただしく、折から雲霧は山腹を包んで、雨はザアザア降って来れば、水はこの巌石の細道を滝のごとく上から流れ落ち、さながら急流を踏んで山を登るに異ことならず。 ここに奇妙な事には、昨年日光の山中旅行では、常に凹垂れの大将となり、一行の厄介者であった吾輩、今日はいかなる風の吹き回しか、その元気凄すさまじく、水戸の津川五郎子と前後して先頭に立っている。ああら有あり難がたし、これも腹式呼吸のお陰かげ、強健術実行の賜たま物ものぞと、勇気日頃に百倍し、半身裸体に雨を浴びてぞ突進する。こんな場合にいつも先陣を争う髯将軍はいかにせしぞと後のちに聴けば、将軍、剛力の遅ぐず々ぐずが癪しゃくに触って堪らず、暫しば時し叱しっ督励していた為に、思わず大いに遅れたという事だ。 だんだん山道を高く登れば、四方に聳そびゆる群山は呼べば応こたえんばかり、今まで遥か高く見えた山々の絶頂も、いつの間にか視線と平行になり、更に登ればはや眼下に見えるようになる。その愉快なることいわん方なく、膝栗毛の進みもますます速く、来た処は、音に名高き胸突き八丁の登り口。日ははや暮れかかり、渓たに谷まも森林も寂せき寞ばくとして、真に深山の面影がある。 胸突き八丁の登り口に近く、青い苔の生むした断崖からは、金きん性せい水すいと呼ぶ清泉が滾こん々こんと瀑た布きのごとく谷間に流れ落ちている。これぞ八溝川の水源で、この細流に四方の水が合し、滔とう々とうとして常州の山野を流れ行くのだ。︵一一︶先せん登とうの自慢
吾輩と津川五郎子とは、百ひゃ鯨くげいの長ちょ川うせんを吸うがごとくガブガブ金性水を飲み、太鼓のように膨れた水腹を抱えて胸突き八丁を登って行く。頂上まで殆ほとんど一直線に付けられた巌がん石せきの道で、西側には老ろう杉さん亭てい々ていとして昼なお暗く、なるほど道の険しい事は数歩前さきの巌いわ角かどの胸を突かんばかり、胸突き八丁の名も道こと理わりだ。 しかしこんな事に凹へこ垂たれる吾輩でない、などと先頭に立っているので大いに得意になり、津川子と共にエイヤエイヤの掛声を揚げて攀よじ登る。雨は漸ようやく霽はれたが、流るる汗は滝のごとく、それに梢から滴る露を浴びつつ、帽子もズボンもズブ濡れになって、頓やがて六、七町も登って上を仰ぐと、嬉しや嬉しや、頭上には古びた神社の屋根らしき物が見える。あすここそ頂上に相違ないと、余りの嬉しさに周あ章わてたものか、吾輩は巌いわ角かどから足踏み滑らして十した分たかに向むこ脛うずねを打った。痛い痛いと脛すねを撫でつつ漸くそこに達し、拝殿にも上らず、直ちにその後うしろの丘の上に駆け上あがると、ここぞ海抜三千三百三十三尺、高さからいえば富士山の三分の一位のものであるが、人跡余り到らぬ常じょ州うしゅう第一の深山八溝山の絶頂である。 頂上には一個の石標があって、ここは常ひた陸ちと下しも野つけの国くに境ざかいである事を示す。吾輩はすぐさまその石標の上に跳おどり上り、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、吾こそは今日登山競走の第一着、冒険和尚字あざなは春しゅ浪んろうなりと呼よばわったが、音に聴く者も眼に見る者も側かたわらなる津川五郎子ばかり。四よ方もの山々は、なんだ人間一疋ぴき、蚊のような声を出すなと嘲あざけっているように見える。未みせ醒い子の漫画では、吾輩群を抜いて一着のように描かいてあるが、その実津川子と同着、シカモ吾輩は裸一貫、津川子には重い荷物のハンデキャップが付いている。残念ながら正直に白状仕つかまつる。 その内に髯将軍は、全身から湯けむり立てて登って来る。続いて未醒子、木川子など、一行は尽ことごとく到着したが、例の剛力先生容易に到着する気遣いはない。 見渡せば、群を抜ける八溝山の絶頂は雲うん表ぴょうに聳そびえ、臣下のごとき千山万峰は皆眼下に頭を揃えている。雲霧深くして、遠く那な須す野のの茫ぼう々ぼうたる平原を一いち眸ぼうに収める事の出来ぬのは遺いか憾んであったが、脚下に渦巻く雲の海の間から、さながら大洋中の群島のように、緑深き山々の頭を突とっ出しゅつしている有様は、実になんともいう事の出来ぬ雄大なる光景であった。泰たい岳がく巨峰の風物は人間の精神を雄大ならしめるというが、全くその通りに思われる。 衣水子は山さん嶽がく志でも読んで来たものと見え、得意になって頻しきりに﹇#﹁頻しきりに﹂は底本では﹁#頻しきりりに﹂﹈八溝山の講釈をやる。 ﹁そもそもこの八溝山というのは、全く海抜三千三百三十三尺という不思議な高さで、山中には三さん水すいと唱える金きん性せい水すい、竜りゅ毛うも水うすい、白はく毛もう水すいの清泉が湧き、五つの瀑た布きと八つの丘お嶽かとまた八つの渓た谷にとがあって、孰いずれも奇観だ。ことにこの山中に生ずるサヤハタという木は、水中に在ってもよく燃えるので、その皮を炬たい火まつとして大だい雨うち中ゅうでも振回して歩く事が出来るそうだ。先さっ刻き通ったあの金性水の所には、昔むか時し四斗樽だる程の大蛇が棲すんでおって、麓の村へ出てはしばしば人畜を害したので、須すど藤うご権んの守かみという豪傑が退治したという口碑が伝わっている。現に今でもこの山中にはなかなか毒蛇が沢山いるという事だ、御用心御用心﹂と、首を縮めて腰の辺あたりを撫でている。︵一二︶汗臭い握にぎ飯りめし
その話は面白いが、しかし吾輩は山登りの汗が引込むに随したがい、だんだんと寒くなって仕方がなくなった。それもその筈はずである。吾輩は帽子もズボンもズブ濡れで、腰から上は丸裸、山頂の雲霧を交えた冷風がヒューヒュー吹き付けるのだから堪ったものではない。シャツや上うわ衣ぎは今朝剛力の担ぐ荷物の中へ巻入れてしまったので、暑い道中は誠に結構であったが、この寒さでは閉口閉口。ブルブル震えながら山頂に立って、 ﹁オーイ、剛力ィ――。オーイ、剛力ィ――﹂と叫んで見たが、応こたうるものは木こだ精まばかり、馬うま糞くそ剛力どこをマゴ付いている事やら。 その内に再び雨さえ降って来たので、コリャ堪らぬ堪らぬと、杉田子はお年寄り役だけに、若手の面々を指揮して枯木枯枝を集めさせ、廃殿の横手に穴のような処を見付け出し、頻しきりに焚たき火びをしようと焦ってござるが、風が吹く、雨が降る、その上燃料が湿っているので火はなかなか付かぬ。エイ生意気な雨だと怒って見ても、雨は相手にならず。 漸ようやく火の盛んに燃え付いた頃、剛力先生もまた漸く上あがって来たので、まず早速着服に及ぶ。何はともあれ腹が減って堪らぬから、一同は焚火を囲んで夕食に取掛かったが、これはしたり! 一行二日分の握飯は風呂敷に包んで若い方の剛力が背し負ょって来たのだが、この男元来の無精者、雨が降っても蔽おおいもしなかったものと見え、グチャグチャに崩れた上に、雨に濡れてベトベトになっている。 ﹁こんな物食えるものか﹂と、怒っても、他たに食う物はないので、仕方なく一口やってみたが、これはまたしたり! なんだか臭いようで、その塩からいこと夥おびただしい。握飯がこんなに塩からい理わ由けはないと、よくよく調べてみると、ああ汚いかな、剛力先生数里の間汗だらけになって握飯を背し負ょって来たので、流るる汗が風呂敷を通して尽ことごとく握飯に染み込んだ次第、つまり握飯の汗あせ漬づけが出来た訳だ。 コリャ堪らん。英雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦よ弱わい奴の汗を舐なめるのは御免である。万一その懦弱が伝染しては堪らぬと、吾輩はペッと吐出してしまったが、それでも背に腹は替えられずと、苦い顔をしながら食った連中もあった。剛力は無論自分の汗だから平気である。得意になってムシャムシャ頬張っている面の癪しゃくに触る事! 吾輩等は握飯を失ったので仕方なく、コーンビーフの缶詰を切り、握飯の中の梅干だけはまさか汗漬にもなるまいと、塩からい冷肉をパク付き、梅干をしゃぶっている心細さ!︵一三︶駆かけ落おちの落書
このミゼラブルな夕食を終ったのは、午後の九時前後であったろう。夜よは暗く、ただ焚火の光の空を焦がすのみ。雨は相変らずショボショボと降り、風は雑草を揺がして泣くように吹く、人里離れし山さん巓てんの寂せき莫ばくはまた格別である。
廃殿の柱や扉には、曾かつてここを過ぎた者の記念と見え、色々様々の文字が記してあるが、中にこんな事も書いてあった。
「明治四十三年十月二十日、黒羽 町万盛楼 の娼妓 小万 、男と共に逃亡、この山奥に逃込みし筈 、捜索のため云々 ――」
と、捜索に来た人間の名も麗々と記してある。こんな山奥に逃込むとは驚いた女もあるものかな、もしや男と共に谷間へ投みな身げでもしたのではあるまいか、どこかそこらの森林で首でも縊くくって死んだのではあるまいかと思うと、余り好いい気持はせぬ。
その内に夜はシンシンと更けてくる。しかしまだ寝るには早い。イヤ寝るにも毛けっ布とも蒲団も無いので、一同は焚火を取囲み、付つけ元げん気きに詩吟するもあり、ズボンボ歌うたを唄うたうもあり。風上にいる者は雨の飛しぶ沫きを受けるだけで我慢もなるが、風下にいる連中は渦巻く煙に咽むせび返って眼玉を真まっ赤かにし、クンクン狸のように鼻ばかり鳴らしている。
とかくする内に、一同は咽のどが乾いて堪らなくなって来た。それもその筈だ。汗水たらして激しく山登りをして来た上に、握飯には有付けず、塩からい冷肉を無むや暗みにパク付いたので、迚とても堪たまったものではない。
﹁ああ咽が渇く、咽が渇く﹂との嘆声八方より起る。なるほど八人口々に唸るのだから、これこそ本当の八方じゃ。
なんでもこの山さん巓てんを少し降くだった叢くさむらの中には、どこかに岩間から湧き出いづる清せい泉せんがあるとは、日中麓ふもとの村で耳にしたので、
﹁オイ、その清いず泉みの所あり在かを知らぬか﹂と剛力に聴いてみたが、
﹁一向知らねえだ﹂と澄ました顔をしている。後あとから考えてみると、数回この山に登った奴が全然知らぬ道理はない、きっとこの雨の中を汲みに遣られては堪らぬと、自分等も咽の渇くのを我慢して、焚火に噛かじり着いていたいため、知らぬ顔の半兵衛を極きめ込んでいたものと見える。
一行は手分けをして、雨に濡うるおう身みの長たけより高い草を押分け押分け、蚤のみ取とり眼まなこで四方八方捜索したが、いかにしても見出す事が出来ない。咽はいよいよ渇いて来る。ある先生はショボショボ降る雨でも飲んでくれようと考えたものか、空を仰いで大口開けて突立っているが、雨はなかなか旨うまく口中へ降り込んではくれぬ。その馬鹿気た風体は見られたものではなかった。
︵一四︶暗中水みず汲くみ隊
いよいよ山さん巓てんに近く水が無いものとすれば、胸むね突つき八丁を降くだって金きん性せい水すいまで汲みに行かねばならぬ。オオ金性水よ! 金性水よ! そこには氷のごとき清水が瀑た布きのように落ちているのだ。それを考えただけでも咽のどがグウグウ鳴る。しかしこの疲れた足で金性水を汲みに行くのは容易な事ではない。この暗い夜! 胸突き八丁の険阻。ことにこんなジメジメした夜やち中ゅうには、蝮まむしが多く叢くさむらから途中に出ているので、それを踏み付けようものなら、生いの命ちにも係わる危険であるが、咽の渇きも迚とても怺こらえる事が出来ぬので、一同は評議の上、留守師団は水汲み隊の帰ってくるまでの間に、天てん幕とを張り、寝る用意を総すべて整えておく事とし、未みせ醒い子、杉田子、髯将軍の三人は、身を殺して仁を為すといわぬばかりに、甲か斐い甲が斐いしく身支度を整え、水筒はただ三個の他ほかはないので、こればかりの水では足らぬと、廃殿の中を捜し回り、古びた花立てのような長い竹筒を見付け出したので、それ等をぶら下げ、懐中電灯に暗い険しい胸突き八丁の道を照しつつ、雨を冒して金性水の方かたへと降りて行った。 跡に残った吾輩等は、焚火に燃ゆる枯枝を松たい明まつと振り照らし、とある大木の下の草の上に天てん幕とを張り出したが、松明は雨で消える、鉄釘は草の中へ落ちて見えなくなる、その困却は一通りでなかったが、彼かの殿様然たる剛力どのには、水を汲みに行こうとはいわねば、天幕を張る手伝いをするでもなく、ただ焚火に噛かじり着いてはや居眠りを始めてござる。 三、四十分も掛かって漸ようやく天てん幕とを張り終り、筵むしろを敷いてそこへ覚おぼ束つかなくも焚火を始めた頃、水汲み隊は息を切らしヘトヘトになって帰って来た。 ﹁万歳万歳﹂の声は四方に起り、一同は蟻ありの甘あま味きに付くように水汲み隊の周まわ囲りに集り、咽のどを鳴らして水筒の口から水を呷あおる。その旨うまい事! 甘露ともなんとも譬たとえようがない。 スルト今まで居眠りをしていた剛力先生、二人共ノソノソやって来て、吾輩等の背うし後ろから猿えん臂びを伸ばして水筒を掴つかもうとする。 ﹁コラッ、貴様ッ、ろくろく働きもせぬくせに、生いき血ちのような水を唯ただ飲みしようとは、怪けしからん奴だ﹂と呶ど鳴なり付けたが、考えてみればあれも人の子、咽の渇くのは同じだろうと惻そく隠いんの心も起り、 ﹁皆飲むなよ﹂と、長い竹筒の水を渡してやれば、先生竹筒に口を当てるが早いか、逆さか様さまにして皆ゴボゴボと飲んでしまった。イヤ腹の中へ飲んだのならまだいいが、奴やっこさん一口でも多く飲んでやろうと周あ章わてたため、水汲み隊が汗水流して汲んで来た大事な水をば、大半ゴボゴボと溢こぼして地面に飲ませてしまったのだ。よくよく癪しゃくに触る奴等であるわい。︵一五︶巨大な天狗面
しかし小こご言とをいったとて帰らぬ事、一同は些いささか咽のどの渇きも止とまったので、
﹁サァ明あ朝すは早いぞ、もう寝ようか﹂と、狭い天てん幕と内へゾロゾロと入り込んだが、下は薄い筵むしろ一枚で水がジメジメ透とうして来る。雨はますます激しく、開あけ放はなしの入口は風と共に霧さえ吹込んで来るので、なかなか以て横になる事も出来ない。その内に焚火は天幕の一隅に燃え付いて、天幕は鬼火のように燃え上がる。
﹁ヤア、火事だ火事だ﹂と、周あ章わてて揉み消す。火の粉は八方に散る。
﹁これは迚とてもいかん。寧むしろ廃殿の中で眠った方が得策だ﹂と早速天幕を疊み、一同はまたもやゾロゾロと、簷のきは傾き、壁板は倒れ、床は朽ちて陥おち込こんでいる廃殿に上のぼり、化物の出そうな変な廊下を伝つたわって奥殿へと進み、試みに重い扉を力任せに押してみると、鍵は掛かかっておらず、扉はギーと開あいたので、これは有難いと、懐中電灯の光に中を照てらしてみると、奥殿の床板は塵ちり埃ほこりの山を為なし、一方には古びた巨おお太鼓が横よこたわり、正面には三尺四方程の真まっ赤かな恐ろしい天狗の面がハッタとこちらを睨んでござる。一人でこんな場所へ来てこんな恐ろしい面を見たら、キャッと叫んで逃げ出すかも知れぬが、一行は大勢なのでチットも驚かない。
﹁ハハァ、天狗様が祀まつってあるのだな、これは御挨拶を申さずばなるまい﹂と、そこで髯将軍は恭うやうやしく脱帽三拝し、出でた鱈ら目めの祭さい文もんを真面目臭くさって読み上げる。その文もん言くに曰いわく、
﹁コレ、天狗殿、吾輩は東京天狗倶楽部の一人にん、吉岡信敬なり。敢あえて閣下の子分に非あらずと雖いえども、また多少の因縁なきにしもあらず。今夜ここに泊る。もし猛獣毒蛇来きたらば、その眼玉で睨み殺して賜われ。猛獣ならばその皮は吾輩有難く頂ちょ戴うだいする。終りッ!﹂
スルト側そばから水戸の川又子、俳号を五茶さと申す、宗匠気取りで、
ああら天狗一夜の宿を貸し給え
と駄だ句くれば、
﹁アーメン﹂と誰か混ぜ返した者がある。
﹁コラ、そんな事をいうと、天狗様の罰が当るぞ﹂と、未みせ醒い子は眼を剥く。先生の相貌、羅漢に似たる為か、アーメンはよくよく嫌いと見えたり。
︵一六︶拝殿の﹇#﹁拝殿の﹂はママ﹈一夜
サア天狗様へ御挨あい拶さつも済んだというので、一同は奥殿の片隅を拝借し、多くはビショビショに濡れたまま、雑ざつ嚢のうや新しい草わら鞋じを枕に横よこたわったが、なかなか以て眠られる次第ではない。下は毛けっ布と一枚敷かぬ堅い床板なので、腰骨や肩先が痛くなる。深夜の寒さむ気けにブルブル震えて来る。その上得体も知れぬ虫がウジウジ出て来て、誰かの顔へは四寸程の蚰げじ蜒げじが這はい上あがったというので大騒ぎ。あっちでもブウブウ、こっちでもブウブウ、その内にゴーゴーと遠雷のような音ひび響き、山岳鳴動してかなり大きな地震があった。 ﹁ソラ、天狗様の御立腹だ﹂と、一同は眼玉を円まるくする。ヌット雲うん表ぴょうに突つっ立たつ高山の頂てっ辺ぺんの地震、左程の振動でもないが、余り好いい気持のものでもない。しかしこんな高山絶頂の野営中に地震に出逢うとは、一生に再び有る事やら無い事やら、これも後日一つ話ばなしの記念となるであろう。 とにかく寒さむ気さと虫類のウジウジ押し寄せるので、吾輩はいかに日中の疲つか労れがあっても容易に眠る事は出来ず、早く夜が明けてくれればいいがと待つばかり。その内に一時間位はウットリしたのであろう。なんだか悪魔に腰骨でも蹴られたような夢を見てハット驚き目を開あくと、眼前には真まっ赤かな恐ろしい天狗の面。将まさに消えなんとする蝋ろう燭そくの光は朦もう朧ろうとそれを照てらしている。時計を出して見ると午前三時。まだ夜の明けるには間まがあるが、いつまでもこんな所に寝ていられるものかと、吾輩は突いき如なり跳ね起き、拳こぶしを固めて傍そばの巨おお太鼓を、ドドンコ、ドンドン、ドドンコ、ドンドンと無むや暗みに打叩けば、何なに人びとも満足に睡ねむっていた者は無かったものと見え、孰いずれもムクムクと頭を擡もたげて、 ﹁何時だ何時だ﹂ ﹁まだ三時だが、もうそろそろ出立と致そう﹂ ﹁よかろうよかろう﹂と、一同も起おき上あがり、着のみ着のままで寝たので身仕度の手間は入らず、顔を洗おうにも水はない。また握にぎ飯りめしはオジャンとなったので朝あさ食めしの世話もないが、今日の行程は七里以上、何も食わずでは堪らぬと、昨ゆう夜べ咽のどを渇かしたにも懲りず、またしても塩からいコーンビーフに些いささか腹を作り、氷砂糖などをしゃぶりつつ、出発の用意全く出来上ったが、ここに困った事には、例の剛力先生、今日のお伴は真まっ平ぴらだといい出した一件で、 ﹁こんな苦しいお伴をした事は生れて初めてだ。荷物の重いばかりでなく、箆べら棒ぼうに前さ途きばかり急いで、途中ろくろく休む事も出来ねえ。どこまでも付くっ従ついて行ったら生いの命ちを取られるかも知れねえだ。俺達はここから帰る帰る﹂ とダダを捏こねている。 ﹁そんな事をいっては困る。この深山で置いてきぼりを食っては、麓へ降りる道も分からないではないか。今日は荷物もウント軽くしてやる。ゆっくり休ませてもやるから、ぜひ行ってくれ﹂と頼んでも、 ﹁厭いやだ厭いやだ、ここで御免蒙こうむるだ﹂と、いつまでもグズグズいっているので、吾輩大いに腹を立て、 ﹁勝手にしろ。山を降りれば何かあるに相違ない。何かに付いて降おりれば、どこかの村に着つくに極きまっている。汝なん等じらごとき懦弱漢はかえって手てあ足し纏まといだ。帰れ帰れ﹂と追い帰し、重い荷物は各自分担して、駄馬のごとく、背に負い、八溝山万歳を三呼して廃殿を立ち出いでた。︵一七︶山中マゴツキ
この時は午前の四時少し過ぎ、東の空は漸ようやく白んで来たようだが、濃霧は四方を立て罩こめて、どこの山の姿も分らない。もし濃霧霽はれて、東天に太陽の昇るのを見たならば、その絶景はいかばかりだろうと思うが、今日到底その望みはないので、一行は濃霧中に道を捜しつつ山を降くだって行く。 登る時には長い時間と多くの汗水とを費ついやさせた八溝山も、その降おりる時は頗すこぶる早い。しかし降おり道も決して楽ではなかった。濃霧は山を降おりるに随したがい次第次第に薄くなって、緑の山々も四方に見えるようになったが、道はしばしば草に埋没して見えなくなる。崖の崩れて進むに難かたい処ところもある。赤土の道では油断をすると足を掬すくわれて一、二回滑り落おち、巌がん石せきの道では躓つまづいて生爪を剥がす者などもある。その上、虻あぶの押寄せる事甚はなはだしく、手や首筋を刺されて閉口閉口。 絶頂から一里ほど降おりると、果はたして急流矢のごとくに走っている。急流の岸には一軒の水車小屋も淋さびし気に立っている。一行は今夜、那な須す野のヶ原はらの黒くろ羽ばね町に一泊の予定で、その途中、有名な雲うん巌がん寺じへ回ってみる積りなので、急流の岸の水車小屋に足を運び、 ﹁ここから雲巌寺まで何里ある﹂と訊きけば、 ﹁二里位だ﹂と答える。有あり難がたし有難し、二里位なら一足飛びだと、くわしく道を聴き、急流に沿うて、或あるいは水を渉わたり、或あるいは岩角を踰こえ、漸ようやく道らしい道に出たので、一行は勇気数倍し、髯将軍真まっ先さきに軍歌などを唱うたい出し、得意になってだんだん山を降くだること一里半ばかり、むこうから樵きこ夫りらしき男が来たので、 ﹁雲巌寺へはこの道を行けばいいのか﹂と訊きけば、 ﹁滅相もない。この道を行けば棚たな倉ぐらへ出てしまう。雲巌寺へはズット後戻りして、細い道を右へ曲って行かねば駄目だ﹂と、悉くわしく道を教えられて有難いやらガッカリやら。一同はその教えられた通りにまたもや一里半ほど進むと、今度は頬ほお被かむりの馬ま士ごがドウドウと馬を曳ひいてやって来たので、もう雲巌寺も間近だろうと胸算用をしながら、 ﹁お寺へは何里だね﹂と軽く訊たずねると、 ﹁そうさね、二里半もあろうか﹂といい捨てて行き過ぎる。 ﹁ハテナ、来れば来るほど道が遠くなるとはこれ如い何かに﹂禅宗の問答ではないが分からぬ事限りなし。初め雲巌寺まで二里と聴いた水車小屋からは、二里は愚おろか無駄足をして既に四、五里は来たのに、この先まだ二里半あるとはガッカリガッカリ。孔こう明めいの縮地の法という事は聞いているが、この辺へんに伸地の魔法でも使う坊主でもいるのではあるまいかと、一同は俄にわかに疲つか労れを感じてきた足を引ひき摺ずり﹇#﹁引ひき摺ずり﹂は底本では﹁引ひき摺ずりり﹂﹈引摺り、更に半里ほど歩んで、路みち傍ばたの農家にチョン髷まげの猿のような顔をした老おや爺じが立っていたので、またしても懲こり性しょうなく、 ﹁雲巌寺まで何里だ﹂と問うと、 ﹁二里半だ﹂と相変らずである。これでは歩いているのだか、ツクネンと立っているのだかさっぱり分からぬ。 ﹁いくら歩いたって駄目だ。まだ二里半あるなどと、そんな馬鹿な事があるものか。道を近くいう奴は可愛らしいが、遠くいう奴は憎らしい。あの老おや爺じの面つらも癪しゃくに触るではないか﹂と、老爺どのとんだお憎にくしみを受けたものだ。蓋けだし足の重くなった旅行家の真情を暴露したものだ。︵一八︶焼しょ酎うちゅうの御馳走
一行は多少ヤケ気味に、それよりはブラリブラリと牛の歩み宜よろしく、またもや一里あまり進んで、南みな方みかた村という寒村に来掛かれば、路みち傍ばたの開あけ放はなされたる一軒家では、褌ふんどし一本の村の爺じいさん達四、五人集あつまって、頻しきりに白どぶ馬ろくか何か飲んでいる。ここでもまたまた雲巌寺へ何里あると問えば、 ﹁そうさね、一里には近かろう﹂との答えだ。 ﹁善ぜん哉ざい! 善哉! この爺さん達はエライよ﹂と、一同はホッと一息。時刻は正ひ午る間近なので、朝飯の不足に腹が減って堪らず、ここは掛茶家ではないが、一同は御免候そうらえと腰を下し、何か食う物は無いかと聴くと、何も食う物は無いが、焼酎に漬物位なら有るという。 ﹁焼酎でも結構結構﹂と、焼酎五、六合に胡きゅ瓜うりの漬物を出して貰い、まだ一缶残っておった牛肉の缶詰を切って、上じょ戸うごは焼酎をグビリグビリ、下げ戸こは仕方がないので、牛肉ムシャムシャ、胡瓜パクパク。漬物は五、六杯お代りをすれば、もう一家中にあるだけ尽ことごとく平たいらげてしまったので、今度は生の胡瓜に塩をつけて丸まる噛かじり。減すき腹はらに焼酎を呷あおった連中はフラフラして来る。吾輩も白状すれば大いに参った。 何しろ重い荷物を引担いで山道は迷う、炎天には照りつけられる、その上昨ゆう夜べの睡眠不足も手伝って、一行は足の重きこと夥おびただしく、些いささか意気消沈の気味にも見えるので、こんな事ではいかん、反対療法に如しくは無しと、その実吾輩も大いに凹へこ垂たれているくせに、 ﹁ここから雲巌寺まで約一里、クロスカンツリーレースを行やろうではないか﹂と威張り出せば、誰も凹垂れたと見られるのは厭なものと見え、 ﹁賛成賛成﹂と孰いずれも疲れ切ったる毛けず脛ねを叩く。 ﹁お前様達、一里駆かけッこをするのかね﹂と爺さん達は眼を円まるくしている。 そこで農家の爺さん達にお頼み申し、重い荷物は尽ことごとく駄馬に着けて、近道を黒くろ羽ばね町まで送り届けて貰う事とし、黒羽町の宿屋は△△屋というのが一等だと聴いたのでそこと取とり極きめ、さて一行は半身裸体なるもあればシャツ一枚となるもある、内心困った事になったと思いながらも、程よく一列に並び、一、二、三の掛声で砂塵を蹴立てて一目散に駆け出した。︵一九︶一里競争
先頭は誰ぞと見れば、腕力自慢の衣いす水い子韋いだ駄て天ん走り、遥か遅れて髯将軍、羅らか漢ん将軍の未みせ醒い子と前後を争っていたが、七、八町に駆けるうちに、衣水子ははや凹へこ垂たれてヒョロヒョロ走ばしり、四、五町にいた水戸中学の津川五郎子、非常なヘビーを出して遥か先頭に進み、続いて髯将軍、羅漢将軍等、髭ひげ面づら抱えてスタコラ走って行ゆく有様は、全く正気の沙さ汰たとは思われず、田畑の農民等は何事ぞと、腰を伸ばして眼を見張っているばかり。 吾輩はいかにと自分で自分を見れば、これはいかなこと! 昨きの日う登山第一の元気はどこへやら、焼しょ酎うちゅうは頭へ上のぼって、胸の悪あしき事甚はなはだしく、十二、三町走るか走らぬに、迚とても堪たまらず、煙たば草こ畑の中へ首を突込んで嘔へ吐どを吐つく。焼酎と胡きゅ瓜うりは尽ことごとく吐はき出したが、同時に食った牛肉は不思議にも出て参らず、胃の腑ふもなかなか都合好く出来たものかな。 そこに背うし後ろに人の足音が聴こえたので、南無三宝! 見付けられたかと、大急ぎで煙草畑から首を突出してみると、幸いに嘔へ吐どはくところは見付けられず、そこには六十ばかりの梅干婆ばあさん眼玉を円まるくして、あっちに駆け行く一行を眺めつつ、 ﹁何事が起っただね﹂と、さも驚いた顔。 吾輩は空そら惚とぼけて、 ﹁泥棒を追掛けているのだ﹂というと、婆さんなるほどといわぬばかり、 ﹁あの髯生えた黒い洋ふ服く、泥棒だんべい。お前様方刑事かね﹂と、ここから真まっ先さきに逃げているように見える髯将軍は泥棒と間違えられ、吾輩等は刑事と相成った次第。 ﹁そうだよそうだよ﹂と、吾輩焼酎を吐出してしまったので大いに気持もよく、またもやスタコラ走って漸ようやく雲巌寺の山門に着いてみると、先着の面々は丸裸となり、山門前を流るる渓流で水泳などをやっている。元気驚くべし! 一着は水中の津川五郎子で、一哩まいるの時間十五分十二秒、二着は髯将軍、三着は羅漢将軍、四着は走れそうもない木川子が泳ぐようにして辿たどり着いたという事で、吾輩はビリの到着。昨きの日うの第一着は差引きでゼロと相成った。残念残念。 雲巌寺は開基五百余年の古ふる寺でらで、境内に後ご嵯さ峨が天皇の皇おう子じ仏ふつ国こく国こく師しの墳墓がある。山門の前を流るる渓流は、その水清きこと水晶のごとく、奇きが巌ん怪石の間を縫うて水流の末はここから三里半ばかり、黒羽の町はずれを通っていると聴くので、足の重くて堪たまらぬ吾輩は一策を案じ出し、 ﹁どうだ、大きな盥たらいを八やっ個つ買ってそれに乗り、呑のん気きに四方の景色を見ながら水なが流れに泛うかんで下ったら、自然に黒羽町に着くだろう﹂と、そこで新しい盥でも古い盥でも構わん、人間一疋ぴき乗れそうな盥を売ってくれぬかと、そこらをウロウロ捜し回ったが、こんな寒村に大盥が八やっ個つもあろう筈はないので、せっかくの妙案もあわれオジャンと相成った。 しかし雲巌寺を出発してから行く途みち々みち、渓流に沿うて断岸の上から眼下を見れば、この渓流には瀑た布きもあれば、泡立ち流るる早瀬もあり、また物凄く渦巻く深淵などもあって、好もの奇ずきに盥に乗って下くだろうものなら、二人や三人土左衛門と改名したかも知れぬのだ。盥が無くて仕しあ合わせ仕合。︵二〇︶とんだ宿屋
雲巌寺から黒くろ羽ばね町まちまでは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩などは茹うで章だ魚このごとくになり申した。疲れに疲れし一行は、途中掛茶屋さえあれば腰を下おろして、氷水を飲む、真まく桑わう瓜りを食う、饅まん頭じゅうをパク付く。衛生も糸へち瓜まもあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前さ途きもう半はん里みちばかりという処ところまで来かかると、ここにも飴あめン棒など並べて一軒茶屋。一行はまたもや一休みして、
﹁黒羽で好よい宿屋はどこだ﹂と試みに問うと、将棋を指していた四、五人の爺じじい連、
﹁そうさね、新しくできた花月がよかんべい。あの家うちは堅えだ。お前様方どこへ泊るね﹂というので、
﹁△△屋がいいと聞いたので、荷物も先回しに遣っておいた﹂と答えると、
﹁へへへへへ、あの家もよかんべい。梅うめヶ谷たにみたいな女あまも二人いるだで――﹂と妙に笑う。形勢甚はなはだ穏かならん。よくよく聴きただせば、△△屋というのは女郎屋と背中合せの曖あい昧まい屋で、我が一行の荷物は先回しに、淫いん売ばい宿やどへ担ぎ込まれた次第と分ったり。
﹁サア大変じゃ!﹂
第一に敦いき圉まき出したのは髯ひげ将軍、
﹁これはいかん! これはいかん! 淫売屋などへ泊れるものか、堅いという花月へ行こう﹂
﹁荷物はどうする﹂
﹁荷物なんか構うものか。△△屋の前は知らん顔に素通りして、後あとから宿屋の者を取りに遣る。ぐずぐずいったら査おま公わりに持って来て貰うさ﹂
﹁そうじゃそうじゃ﹂と評議一決。やがて黒羽町に入いり込こむと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような宿屋が一軒、簷のき先には△△屋と記してある。
﹁これだな﹂と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店みせ内うちを眺めると、有るわ有るわ、天てん幕と、写真器械、雑ざつ嚢のうなど、一行の荷物は店頭に堆うず高たかく積んである。宝の山に入りながらではないが、我が荷物ながらオイ遣よこせと持出す訳にも行かず、知らぬ顔に一、二町スタスタ行き過ぎると、忽たちまち背うし後ろからオーイオーイと呼ぶ者がある。振返ってみると、なるほど、梅ヶ谷のような大おお女おんな、顔を真まっ白しろに塗立てた人じん三化ばけ七が、頻しきりに手招きしながら追っ掛けて来る。
﹁ソラ来た﹂というので、一同ワッと逃げ出す。その速い事! 今までの足の重さもどこへやら、五、六町韋いだ駄て天ん走りに逃げ延びて、フウフウ息を切らしながら再び振返ってみると、これはしたり、一行中の杉田子は、件くだんの大女に掴つかまって何か談判最中。救助隊を出さねばなるまいという者もあったが、ナァニあの先生が捕虜になる気遣いはないと、一同は一足お先に那なか河が川わに架けたる橋を渡り、河畔の景けい色しょく佳よき花月旅りょ店てんに着いて待っていると、間まもなく杉田先生得意満面、一行の荷物を腕わん車しゃに満載してやって来た。聴けば、杉田先生はお年寄役だけに、三十六計の奥の手も余り穏かならじとあって、単身踏み留とどまり、なんとかかんとか胡ご魔ま化かして、荷物をことごとく巻上げて来たとの事だ。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎よりも大手柄大手柄。
黒羽の宿屋で久し振りにビール一杯。ペコペコに減った腹に鰻うな飯ぎめし! その旨うまかった事! 咽のどから手が出て蒲焼を引ひき摺ずり込むかと思われた。
翌あ日すは茫漠たる那な須す野のヶ原はらを横断して西那須野停ステ車ーシ場ョン。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。横断隊は未醒子、髯将軍、衣水子、木川子、これから日本海沿岸まで山中の突貫旅行をやるのである。
小おや山ま駅で水戸の三人武者とも別れて、後あとはただ一人、俄にわかに淋さびしくなれば数日以来の疲労も格段に覚えて、吾輩は日光の鮮かに照てらす汽車の窓から遠おち近こちの景色を眺めていると、吾輩に向い合って腰掛けていたのは頬骨の高いハイカラ紳士、物をもいわず猿えん臂びを伸ばして、吾輩が外を眺めている車窓の日除け扉どを閉ざす。これは怪けしからん奴じゃ、他ひとの領分の扉を無断で閉ざす奴があるものかと、吾輩は用捨なくすぐに開けると、暫しば時らくしてまたノコノコ手を伸ばして閉める。
﹁何をする﹂と呶ど鳴なり付けると、
﹁日が射して困る﹂と、ハンカチーフなんかで鼻の頭を撫でている。
﹁馬鹿をいうな、太おて陽んとう様さまは結構じゃ﹂と、吾輩は遠慮会釈もなく再び扉を開け、今度は閉められぬようにと窓の上に肱ひじを凭もたせて頑張っていると、これには流さす石がのハイカラ先生も閉口し、ブツブツいいながら日の当らぬ方へと退却に及んだ。こんな奴は自分で自分の身から体だを弱くしようしようと掛かっている馬鹿者と見える。太陽の光ひか線りに当るのが左さほ程ど恐こわければ、来らい生せいは土もぐ鼠らもちにでも生れ変って来るがいい。日陰の唐とう茄な子すの萎しなびているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒どく虫ちゅうにでも襲われたように周あ章わてて窓を閉ざして得意でいる。事こと小しょうなりと雖いえども、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光ひか線りがなんでそんなに恐こわいのだ。現代の所いわ謂ゆるハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴は終ついには亡国の種を播まく糞くそ虫むしとなるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、須すべからく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾こん身しんに吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまで癪しゃくの種も尽きぬ旅行であったわい。
付記。吾輩の今回の旅行はこれで終ったが、横断隊は勇気勃々 として突貫旅行を続けている。髯将軍と衣水子の快筆は、未醒子の漫画、木川子の写真と共に、必ず痛快に本誌の次号を飾るであろう。
〔〈冒険世界〉明治44年9月号掲載〕