宮沢賢治十六日

　よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆ぼんの十六日なので鉱こう山ざんも休んで給きゅ料うりょうは呉くれ畑はたけの仕しご事とも一いち段だん落らくついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹ふく風も家のなかの煙けむりに射さす青い光の棒ぼうもみんな二人のものだった。　おみちは朝から畑にあるもので食べられるものを集あつめていろいろに取とり合せてみた。嘉かき吉ちは朝いつもの時じこ刻くに眼めをさましてから寝ねそべったまま煙たば草こを二、三服ぷくふかしてまたすうすう眠ねむってしまった。　この一年に二日しかない恐おそらくは太たい陽ようからも許ゆるされそうな休みの日を外では鳥が針はりのように啼なき日光がしんしんと降ふった。嘉吉がもうひる近いからと起おこされたのはもう十一時近くであった。　おみちは餅もちの三いろ、あんのと枝えだ豆まめをすってくるんだのと汁しるのとを拵こしらえてしまって膳ぜんの支した度くもして待まっていた。嘉吉は楊よう子じをくわいて峠とうげへのみちをよこぎって川におりて行った。それは白と鼠ねずみいろの縞しまのある大だい理りせ石きで上じょ流うりゅうに家のないそのきれいな流ながれがざあざあ云いったりごぼごぼ湧わいたりした。嘉かき吉ちはすぐ川かわ下しもに見える鉱こう山ざんの方を見た。鉱山も今日はひっそりして鉄てつ索さくもうごいていず青ぞらにうすくけむっていた。嘉吉はせいせいしてそれでもまだどこかに溶とけない熱あついかたまりがあるように思いながら小こ屋やへ帰って来た。嘉吉は鉱山の坑こう木ぼくの係かかりではもう頭かし株らかぶだった。それに前は小しょ林うり区んくの現げん場ばか監んと督くもしていたので木のことではいちばん明るかった。そして冬撰せん鉱こうへ来ていたこの村の娘むすめのおみちと出来てからとうとうその一本調ちょ子うしで親たちを納なっ得とくさせておみちを貰もらってしまった。親たちは鉱山から少し離はなれてはいたけれどもじぶんの栗くりの畑はたけもわずかの山林もくっついているいまのところに小屋をたててやった。そしておみちはそのわずかの畑に玉とう蜀もろ黍こしや枝えだ豆まめやささげも植うえたけれども大たい抵ていは嘉吉を出してやってから実じっ家かへ手てつ伝だいに行った。そうしてまだ子こど供もがなく三年経たった。　嘉吉は小屋へ入った。︵お前さま今夜ほうのきさ仏ほとけさん拝おがみさ行ぐべ。︶おみちが膳ぜんの上に豆まめの餅もちの皿さらを置おきながら云いった。︵うん、うな行っただがら今年ぁいいだなぃがべが。︶嘉吉が云った。︵そだら踊おどりさでも出はるますか。︶俄にわかにぱっと顔をほてらせながらおみちは云った。︵ふん見さ行ぐべさ。︶嘉吉はすこしわらって云った。膳ができた。いくつもの峠とうげを越こえて海かい藻そうの︹数文字空白︺を着きせた馬に運はこばれて来たてんぐさも四角に切られて朧おぼろにひかった。嘉かき吉ちは子こど供ものように箸はしをとりはじめた。　ふと表おもての河かわ岸ぎしでカーンカーンと岩を叩たたく音がした。二人はぎょっとして聞き耳をたてた。　音はなくなった。︵今いま頃ごろ探たん鉱こうなど来るはずあなぃな。︶嘉吉は豆の餅もちを口に入れた。音がこちこちまた起おこった。︵この餅拵こさえるのは仙せん台だい領りょうばかりだもな。︶嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた。︵はあ。︶おみちはけれども気の無なさそうに返へん事じしてまだおもての音を気にしていた。︵今こん日にちはちょっとお訪たずねいたしますが。︶門口で若わかい水々しい声が云いった。︵はあい。︶嘉吉は用があったからこっちへ廻まわれといった風で口をもぐもぐしながら云った。けれどもその眼めはじっとおみちを見ていた。︵あっ、こっちですか。今日は。ご飯はん中ちゅうをどうも失しっ敬けいしました。ちょっとお尋たずねしますが、この上じょ流うりゅうに水車がありましょうか。︶若わかいかばんを持もって鉄かな槌づちをさげた学生だった。︵さあ、お前さんどこから来なすった。︶嘉吉は少しむかっぱらをたてたように云った。︵仙せん台だいの大学のもんですがね。地図にはこの家がなく水車があるんです。︶︵ははあ。︶嘉かき吉ちは馬ば鹿かにしたように云いった。青年はすっかり照てれてしまった。︵まあ地図をお見せなさい。お掛かけなさい。︶嘉吉は自分も前小しょ林うり区んくに居いたので地図は明るかった。学生は地図を渡わたしながら云われた通りしきいに腰こし掛かけてしまった。おみちはすぐ台だい所どころの方へ立って行って手早く餅もちや海かい藻そうとささげを煮にた膳ぜんをこしらえて来て、︵おあが※﹇＃小書き平仮名ん、134-7﹈な※﹇＃小書き平仮名ん、134-7﹈え︶と云った。︵こいつあ水車じゃありませんや。前じきそこにあったんですが掛かけ手て金山の精せい錬れん所じょでさ。︶︵ああ、金きん鉱こうを搗つくあいつですね。︶︵ええ、そう、そう、水車って云えば水車でさあ。ただ粟あわや稗ひえを搗くんでない金を搗くだけで。︶︵そしてお家はまだ建たたなかったんですね、いやお食しょ事くじのところをお邪じゃ魔ましました。ありがとうございました。︶　学生は立とうとした。嘉吉はおみちの前でもう少してきぱき話をつづけたかったし、学生がすこしもこっちを悪わるく受うけないのが気に入ってあわてて云った。︵まあ、ひとつおつき合いなさい。ここらは今日盆ぼんの十六日でこうして遊あそんでいるんです。かかあもせっ角かく拵こさえたのお客きゃくさんに食べていただかなぃと恥はじかきますから。︶︵おあがんな※﹇＃小書き平仮名ん、134-16﹈え。︶おみちも低ひくく云った。　学生はしばらく立っていたが決けっ心しんしたように腰こしをおろした。︵そいじゃ頂いただきますよ。︶︵はっは、なあに、こごらのご馳ちそ走うてばこったなもんでは。そうするどあなだは大学では何のほうで。︶︵地ちし質つです。もうからない仕しご事とで。︶餅もちを噛かみ切って呑のみ下してまた云いった。︵化かせ石きをさがしに来たんです。︶化石も嘉かき吉ちは知っていた。︵そこの岩にありしたか。︶︵ええ海うみ百ゆ合りです。外でもとりました。この岩はまだ上じょ流うりゅうにも二、三ヶ所しょ出ていましょうね。︶︵はあはあ、出てます出てます。︶学生は何でももう早く餅をげろ呑みにして早く生きたいようにも見えまたやっぱり疲つかれてもいればこういう款かん待たいに温あたたかさを感かんじてまだ止まっていたいようにも見えた。︵今日はそうせばとどこまで。︶︵ええ、峠とうげまで行って引っ返かえして来て県けん道どうを大おお船ふな渡とへ出ようと思います。︶︵今こん晩ばんのお泊とまりは。︶︵姥うば石いしまで行けましょうか。︶︵はあ、ゆっくりでごあ※﹇＃小書き平仮名ん、135-11﹈す。︶︵いや、どうも失しつ礼れいしました。ほんとうにいろいろご馳ちそ走うになって、これはほんの少しですが。︶学生は鞄かばんから敷しき島しまを一つとキャラメルの小さな箱はこを出して置おいた。︵なあにす、そたなごとお前さん。︶おみちは顔を赤くしてそれを押おし戻もどした。︵もうほんの。︶学生はさっさと出て行った。︵なあんだ。あと姥石まで煙たば草こ売るどこなぃも。ぼかげで置おいで来こ。︶おみちは急いそいで草ぞう履りをつっかけて出たけれども間もなく戻って来た。︵脚あし早くて。とっても。︶︵若わかいがら律りち儀ぎだもな。︶嘉かき吉ちはまたゆっくりくつろいでうすぐろいてんを砕くだいて醤しょ油うゆにつけて食った。　おみちは娘むすめのような顔いろでまだぼんやりしたように座すわっていた。それは嘉吉がおみちを知ってからわずかに二度どだけ見た表ひょ情うじょうであった。︵おらにもああいう若ぃづぎあったんだがな、ああいう面おも白しろい目見る暇ひまなぃがったもな。︶嘉吉が云いった。︵あん。︶おみちはまだぼんやりして何か考えていた。　嘉吉はかっとなった。︵じゃぃ、はきはきど返へん事じせじゃ。何でぁ、あたな人形こさ奴やつさぁすぐにほれやがて。︶︵何云うべこの人ぁ。︶おみちはさぁっと青じろくなってまた赤くなった。︵ええ糞くそそのつら付つき。見だぐなぃ。どこさでもけづがれ。びっき。︶嘉吉はまるで落おちはじめたなだれのように膳ぜんを向むこうへけ飛とばした。おみちはとうとううつぶせになって声をあげて泣なき出した。︵何だぃ。あったな雨降ふれば無なぐなるような奴ひと凧つこぱだこさ、食えの申もうし訳わげなぃの機きげ嫌ん取とりやがて。︶嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆さからうでもなくただ辛つらそうにしくしく泣いているおみちのよごれた小こく倉らの黒いえりや顫ふるうせなかを見ていると二人とも何年ぶりかのただの子こど供もになってこの一日をままごとのようにして遊あそんでいたのをめちゃめちゃにこわしてしまったようでからだが風と青い寒かん天てんでごちゃごちゃにされたような情なさけない気がした。︵おみち何でぁその年してでわらすみだぃに。起おぎろったら。起ぎで片かた付づげろったら。︶　おみちは泣なきじゃくりながら起きあがった。そしてじぶんはまだろくに食べもしなかった膳ぜんを片付けはじめた。　嘉かき吉ちはマッチをすってたばこを二つ三つのんだ。それから横よこからじっとおみちを見るとまだ泣きたいのを無む理りにこらえて口をびくびくしながらぼんやり眼めを赤くしているのが酔よった狸たぬきのようにでも見えた。嘉吉は矢もたてもたまらず俄にわかにおみちが可かわ哀いそうになってきた。　嘉吉はじっと考えた。おみちがさっきのあの顔いろはこっちの邪じゃ推すいかもしれない。　及およびもしないあんな男をいきなり一ひと言こと二言はなしてそんなことを考えるなんてあることでない。そうだとするとおれがあんな大学生とでも引け目なしにぱりぱり談はなした。そのおれの力を感かんじていたのかも知れない。それにおれには鉱こう夫ふどもにさえ馬ば鹿かにはされない肩かたや腕うでの力がある。あんなひょろひょろした若わか造ぞうにくらべては何と云いってもおみちにはおれのほうが勝かち目めがある。︵おみち、ちょっとこさ来こ。︶嘉かき吉ちが云いった。　おみちはだまって来て首を垂たれて座すわった。︵うなまるで冗じょ談うだんづごと判わがらなぃで面おも白しろぐなぃもな。盆ぼんの十六日ぁ遊あそばなぃばつまらなぃ。おれ云ったなみんなうそさ。な。それでもああいうきれいな男うなだて好すぎだべ。︶︵好かなぃ。︶おみちが甘あまえるように云った。︵好ぎたって云ったらおれごしゃぐど思うが。そのこらぃなごと云ってごしゃぐような水みず臭くさぃおらだなぃな。誰だれだってきれいなものすぎさな。おれだって伊い手でででもいいあねこ見ればその話だてするさ。あのあんこだて好すぎだべ。好ぎだて云え。こう云うごとほんと云うごそ実じつぁあるづもんだ。な。好ぎだべ。︶おみちは子こど供ものようにうなずいた。嘉吉はまだくしゃくしゃ泣ないておどけたような顔をしたおみちを抱だいてこっそり耳へささやいた。︵そだがらさ、あのあんこ肴さかなにして今日ぁ遊ぶべじゃい。いいが。おれあのあんこうなさ取とり持もづ。大だい丈じょ夫うぶだでばよ。おれこれがら出で掛かげて峠とうげさ行ぐまでに行ぎあって今夜の踊おどり見るべしてすすめるがらよ、なあにどごまで行がなぃやなぃようだなぃがけな。そして踊り済すまってがら家さ連つれで来ておれ実じっ家かさ行って泊とまって来るがらうなこっちで泣いて頼たのんでみなよ。おれの妹だって云えばいいがらよ。そしてさ出来ればよ、うなも町さ出はてもうんといい女子だづごともわがら。︶　おみちの胸むねはこの悪あく魔まのささやきにどかどか鳴った。それからいきなり嘉かき吉ちをとび退のいて、︵何云うべ、この人あ、人ばがにして。︶そして爽さわやかに笑わらった。嘉吉もごろりと寝ねそべって天てん井じょうを見ながら何べんも笑った。そこでおみちははじめて晴れ晴れじぶんの拵こしらえた寒かん天てんもたべた。餅もちもたべた。キャラメルの箱はこと敷しき島しまは秋らしい日光のなかにしずかに横よこたわった。