謡曲嫌いの事
世の中には謡曲嫌いと称する人が大層多くて、到る処謡曲の攻撃を為して廻わって、甚だしきに到っては謡曲亡国論なぞを唱える人がある。それ程でなくとも、謡曲が始まるとすぐにお尻をモジモジさせて、やがて妙な用事を思い出して御免を蒙こうむる程度の人に到っては、浜の真まさ砂ごの類限りなく、殆ど十中九人はそうだと云っても差し支えはあるまいと思う。現に自分もこれを幾度となく、しかも深刻に経験した一人で、こんな人々は只拙者の謡いだけが嫌いなのかも知れないが、とにかくその中にも心しん底そこから嫌いな人も少なくはなかったろうと自うぬ惚ぼれているのである。そんな人々に、何故貴あな方たは謡曲がお嫌いですかと聞くと、誰でも先ず第一に、私には解かりませんからと云う。成る程、これも無理もなかろう。謡曲の中うちでも比較的芝居がかりに出来ている鉢はちの木き、安あた宅か等ですら、処しょ々しょ三四行乃ない至し十四行宛ずつ要領の得えに悪くい文句が挿まっていて、習う本人のみならず黒くろ人うとの先生方でも何だか解からぬまま唸うなっているのが多く、ましてその他の曲に到っては全部雑巾のように古びた黒い寄せ文句で出来上っているのだから、局外者が聞いて訳が解かりかねて面白くないのも尤もっともな事と思われる。
けれ共何とかして謡曲の御利益を納得させて、あわよくば一曲御所望を云わせてやろうと思う甲種熱心家が﹁でも高尚ではありませんか﹂と切り込むと、その返事は大抵﹁でもあの声が……﹂と来る。ここに到って並大抵の天てん狗ぐ様ならば一遍にギャフンと参いって、それなり生唾を飲み込んで我慢するところであるが、併しかし慢性の超弩級大天狗になるとこれ位の逆撃は然さして痛つう痒ようを感じない。却かえってこれを怪けしからぬという面おももちで、直ちに第三発の十六吋インチを撃ち出す。
﹁ハハア。それはそうでしょう、まだ妙味を御存じないから。あの声というものは一朝一夕で出る声ではありません。他の音曲では浮いた声があっても差し支えありませぬが、謡曲では決してそんな声を用いる事を許しません。ですから他の音曲は面白くても賤いやしく、謡曲は面白くなくても高尚なのです。この声を出すには、先ずこんな風に正座して身心を整斉虚名ならしめ、気海丹たん田でんに力をこう籠めて全身に及ぼし、心広く体たい胖ゆたかに、即ち至誠神明に通ずる底ていの神気を以て朗々と吟誦するのです。ですから一句の裡うちに松影婆ば娑さたる須磨の浦を現わし、一節の裡に万人の袖を濡らす事が出来るのです﹂
例えばこういう風に直ぐにも始めそうに身構えをして、相手の顔をグッと睨む。ここが危機一髪、相互の生死の分れるところで、折角の深い交際が疎おろそかになったり、恩義ある人に悪感を抱かせたり、又は大切の得意を失しく策じったりして、後悔臍ほぞを噬かむ共及ばぬような大事件が出しゅ来ったいするその最初の一刹那なのである。もしそれ掣せい電でんの機前に虎を捕え得る底ていの名外交家ならばいざ知らず、大抵の相手ならばここで大切な用事を思い出したり、天気が怪しくなったり、少く共いずれ又その中うちにという言葉を抵当にして、多少先方の心田に不満の種を蒔まいて帰るか、然らずんば先方に機先を制せられて、人間離れのした声で上かみは天堂下しもは地獄まで引きずりまわされて、散々に神経系統を攪こう乱らんされて、小便にも行けずに這ほう々ほうの体で逃げ帰るのが落ちである。
自分は熟つら々つら案じて見るに、こんな連中があとで極端な謡い嫌いになって、到る処この時の経験を吹聴してまわるから、世上に比較的謡曲嫌いが多く、下手謡曲家に捕まるのと鼈すっぽんに喰い付かれるのとを同じ位の悪感を以て迎え、謡曲好きの近所に住むのと高架線のガードの下に住まうのとを混同して考えるような事になったのではあるまいかと思う。こう考えて見ると、世上に謡曲亡国論の多いのも無理はない事で、その原因は皆斯かよ様うな脅迫的謡曲家が種を蒔いたという事に帰するであろう。於ここ此にお乎いて斯しど道う愛好者は宜しく冷静に熟慮反省して、決して人間界に於てこの声を発せず、換言すれば深山幽谷に去って哀猿悲鳥を共として吟ずるか、もしくは環海の孤島に退いて狂瀾怒濤に向って号叫すべしである。思えば吾輩も飛んでもない道楽を始めたものだ。
謡曲の廃物利用の事
この、下手謡曲に限って聞かせたい、又その相手は聞きたくないという心理状態は、近頃のように謡曲隆盛の昭代にその到る処深刻に又痛切に繰り返し繰り返し経験されて、恰あたかも欧州戦前のバルカンの如く、日露戦前の竜りゅ岩うが浦んぽの如く、如何なる名外交家と雖いえども後しりえに瞠どう若じゃくたらしむる底ていの難解問題となっているのであるが、併し又世上にはこの外交上の大難問題を丸まる一いちの大だい神かぐ楽らの如く自由に操縦して、逆に外交上の便宜に利用し、銀山鉄壁の如き上官、重役の威厳を指呼の間に土崩瓦解せしめ、又は槓て杆こでも動かぬ長尻の訪客を咄嗟の間に紙片のように掃き出して終しまうという辣らつ腕わん家が時あってか出頭して、人天の眼を眩ぜしむるには驚かされるのである。
正に毒草を変じて薬となし、糞土を烹にて醍醐をなす底ていの怪手腕と称すべしで、謡曲の教外別伝の極地、声色の境界を超越した、玄中の玄曲を識得した英霊漢というべしである。かくの如きに到っては、到底吾人味みそ噌かす粕は輩いは申すに及ばず、斯道五流の大家と雖も倒退三千里で、畢ひっ竟きょう百ひゃ説くせつ不ふ会え只ただ識しき者しゃの知に任せ、達者の用に委まかして、遥はるかに三拝九拝して退くより他に途みちはないのである。
聴き手は注意して択えらむべき事
自分も実は大の聴聞脅迫党で、今まで随分謡曲嫌いを製造した覚えがあるが、ここに只一つ無類飛び切りの謡曲好きに出でく会わして、却かえってヘトヘトに悩まされて懲こり懲ごりした珍談がある。その謡い好きというのは拙者の祖母で、今年九十三歳になって中風の気味で郷里福岡の片かた傍ほとりの伯父の家に寝ているのであるが、これをこの間久方振りに帰郷した時見舞いに行って見ると、折おり節ふし伯父伯母は下女を残して外出の留守で、小供は皆学校に行っているし、祖母は只一人奥の六畳に霞んだ眼をして寝ているところであった。拙者は兼てから祖母が非常に記憶力が減退していると聞いていたが、会って見ると左程でもなく、よく拙者を記憶していて、いつ東京から帰ったかとか、幾つになったかとか、嫁はまだ貰わぬかなど聞いた。そうして最後に、
﹁妾わたしも最もは早や余程長い事こうやっていて退屈してなあ﹂
と云った。この時に自分は不ふ図とこの祖母が謡い好きであった事を思い出して、忽ち胸中に湧き出した野心が半天に漲みなぎり渡ると、思い切って独逸流に、
﹁お祖ば母あ様。私は東京に行って謡いを稽古して来ました。御退屈なら伯父が帰るまでに一ツ謡って見ましょうか﹂
と切り出した。その時の祖母の喜びようと来たら全く地獄で仏に会ったようであったが、自分も亦また御同様で全くこの祖母を拝みたい位に思ったのである。
﹁併しかし何を謡いましょうか﹂
と尋ねて見ると、祖母はその濁った眼を天井に放ってしきりに考えている様子であったが、
﹁ああ、それそれ、死んだ爺さんが謡い御座った、あの、それ……四方にパッと散るかと見えてというあれを﹂
﹁富士太鼓ですか﹂
﹁それそれ、その富士太鼓――﹂
果然、富士太鼓は拙者の得意の出し物であった。今は何条猶予すべき、直ぐに偉容を張って謡い了おわったが、我れながら会心の出来で、殊に、
﹁乱れ髪乱れ笠、思いはいつか忘れむと﹂
のあたり、即座に天てん関かん地軸を撲落して、唯一人の美人を天の一方に仰ぐような心地がした。祖母も余程感に堪えた様子で、二ツ切りの手拭を顔に押し当てて涙を拭いながら、
﹁ああ、久し振りで面白かった。死んだ爺さんが生きて御座ったらなあ……。今一つ聞かせて﹂
と云った。拙者はこの言葉を聞いて正直のところ涙が出そうであった。自分が謡曲を始めてから今日までこれ位に感動を他人に与えた事はないので、全く自他の本懐といい祖母への孝養といい申し分のない大成功であった。ところが扨さて、
﹁今度は何を謡いましょう﹂
と尋ねて見ると、祖母は又もや涙を拭いながら、
﹁お前はあの富士太鼓を知っていなさるかの﹂
と云った。自分は聊いささか驚いて、
﹁今うたいましたよ、それは﹂
﹁何をば﹂
﹁その富士太鼓をです﹂
﹁ああ、その富士太鼓富士太鼓。妾はようよう思い出した。死んだ爺さんはそれが大好きで、毎日毎日謡い御座った。あれを一ツ﹂
これには自分も全くうんざりして終しまった。真まさ逆か祖母の記憶力がここまで消耗していようとは夢にも思わなかったが、併し謡わないよりは増ましだと思って又一番相あい勤めた。けれ共その終い際になったら、もともと厭気がさしている上に疲れているものだから、声が甲かんに釣り上ってヘトヘトになってすっかり汗を掻いてしまった。そうしてやっと謡って仕舞うと、祖母は又もや涙を拭いながら、
﹁ああ、久し振りで面白かった。死んだ祖じ父い様が生きて御座ったらなあ。それでは今度は富士太鼓を一ッつ何どう卒ぞ﹂
と云った。自分はとうとう死に物狂いの体ていで今一番富士太鼓を謡って、伯父伯母が帰らぬ内に這々の体ていで退却した。
そうして聴き手を択えらむべきものだと、この時つくづく感じた事であった。
夢中運動の事
電車の中なぞでよく見受けるが、分別盛り以上の年輩で一ひと廉かどの服装をして髯ひげなぞを生やしている人が、夢を見るような眼付で天の一方を睨みつつ、お経の化け物見たいな声を高く低く出しながら、手や足を痙けい攣れん的に動かして拍子を取っている御仁がある。知らぬものは一ちょ寸っと驚くが、これは狐付きでも何でもない。謡曲の第三期中毒者で、些すこしも危険の恐れのない発作症状を今現わしているところなのである。謡曲中毒もここまで来ると既に病やま膏いこ肓うこうに入ったというもので、頓とん服ぷく的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四しら楽くに聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露ロ西シ亜アで革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱ねっ鬧とう世界を遠く白雲緬めんの地平線下に委棄し来きたって、悠々として﹁四条五条の橋の上﹂に遊び、﹁愛あし鷹たか山や富士の高たか峰ね﹂の上はるかなる国に羽うか化とう登せ仙んし去るのである。
南無阿弥陀仏もよかろう。アーメンも面白かろう。天理教の蒟こん蒻にゃ躍くおどり、静坐法の癲癇舞踊、皆それぞれ相当の境界があろう。けれ共世の中にこれ位高尚で、玄妙で、無害で楽しみの深い境界に容易に到達し得る宗旨は滅多にあるまい。拙者は大方の諸君が一日も早くこの宗旨に帰依して、九段の本山の大会に随喜渇かつ仰ごうの涙を以て臨んで、用いて尽きず施して足らざる事なき大歓喜の至楽を享うけられむ事を希望して息やまぬものである。