武雄さんはお母さんが亡なくなられてから大層わるくなりました。今日も何か面白いいたずらは無いかと考えてお座敷に来ましたら、机の上にお祖ば母あさんの眼めが鏡ねがありました。武雄さんは手を拍うって喜んで、その眼鏡を懐ふところに入れました。それからお父さんとお姉さんの眼鏡も探し出して一所に懐に入れて、どこかへ遊びに行きました。
お祖母さんがお座しきに帰って来られますと、眼鏡が無いのでまごまごしておられます。お父さんは支度して出かけようとなさいますと、大切な金ぶちが無くなっています。お姉さんが買いものから帰って来られますと、これも眼鏡がありません。
﹁ああ、きっと武雄さんよ。あたし困っちまうわ。眼鏡がなくちゃ、晩のお支度が出来やしない﹂
﹁弱ったな。俺も眼鏡が無くちゃ、向うへ行って用が足せない。仕方がない。やめる事にしよう﹂
﹁わたしも縫い物が出で来けやせん。お母さんが亡くなってからほんとに武雄はわるくなった﹂
と三人は顔見合わせて困ってしまいました。仕方がないから何もかもやめて、三人で手探りに晩の支度を初めました。
そのうちに御飯の火を焚き付ける段になると、お姉さんはマッチの箱の蓋がすこし開あいているのを気が付かずにマッチを摺すったために、マッチ箱の中のマッチに火がついて一時に燃えて、姉さんは手にやけどをしてしまいました。
姉さんが泣き出しましたので、祖おば母あさんがお座しきから出てくると、暗い処で摺すり鉢ばちにつまずいて足をたがわかしてしまいました。お父さんが驚いて介抱をし、今度は自分で御飯の支度をしようとしますと、今度は肝腎のマッチが無くなりました。どこを探しても見当らないので、お父さんは近所までマッチを買いに行かれた留守に、武雄さんが帰って来て、
﹁御飯御飯﹂
と怒鳴りながらお茶の間へ座り込みました。
お姉さんは泣いています。お祖ば母あさんはうんうんうなっています。
﹁どうしたのです﹂
といくら尋ねても返事をしません。武雄さんはお腹が空いて泣き出しました。
﹁お母ちアん﹂
けれどもお母さんは返事も何にもなさいませんでした。そこへお父さんが帰って来られて、
﹁武雄、お母さんが見たければ、その眼鏡を三つとも掛けて見つけろ。そうして御飯を食べさせてもらえ﹂
と云って、お倉の中へ入れられました。
お倉の中へ入れられた武雄さんは、大あばれにあばれて泣きましたが、そのうちに泣く力も無くなる位お腹が空いてきました。力も何も無くなって冷たい板張りの上に寝ながら、﹁ああ、お母さんがいらっしゃると、こんな時には直ぐにあやまって御飯を食べさせて下さるのになあ﹂と思ってメソメソ泣いておりましたが、その中うちに不ふ図と、最前お父さんが、﹁そんなにお母さんに会いたければ、その眼鏡を三つともかけて探してみろ﹂と云われた言葉を思い出しました。
武雄さんは眼鏡を取り出して三つとも掛けて見ました。けれどもいつまで待っても何も見えません。しかし他にあてもありませんから、眼鏡をかけたままくら暗やみの中にじっとして、お母さんが見えるのを待っておりました。
すると不思議や、くら暗やみの中になつかしいなつかしいお母さんの姿がありありと見えて来ました。お母さんは悲しそうな顔をして、こうおっしゃいました。
﹁武雄や、お前はお母さまがいないからといっていたずらをするならば、私はもうお前を児と思いません。お前がお母さんの事を忘れないように、私の心もお前の傍へいつまでもつきまとうております。どんなに蔭でわるい事をしていても、お母さんはちゃんと見ております。お前がわるい事をすればお母さんが笑われるからです。このことを忘れないで、どうぞよい子になってちょうだい。よいか、武雄さん、忘れてはなりませんよ……﹂
と云ううちに、みるみるお母さんの姿は消えて見えなくなりました。
﹁お母さん、待って頂戴。堪かん忍にんして頂戴。アレお母さん﹂
と叫んで飛びつこうとしますと、これは夢で、いつの間にか武雄さんは床の上でねむっておりました。
その時お倉の戸があいて、お父さんが、
﹁さあ武雄、御飯を食べろ。これから悪い事をするときかないぞ﹂
とおっしゃいました。
武雄はそののちこの事をだれにも言いませんでしたが、武雄の音なしくなったのには誰もかれも皆驚いてしまいました。