桐の花

北原白秋




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わがこの哀れなる抒情歌集を誰にかは献げむ
はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ
凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはし

Tonka John






桐の花とカステラの図




27. ※(ローマ数字5、1-13-25). 10
 ()()西()()()()()調()()
 西

          

 ()()() Lied ()

          

 
 ()()()

          

  Nostalgia ()()調
 ()()()調()()()()()

          

 ()()西
 

          

 湿()()
 調
 

          

 
 ※(「木+解」、第3水準1-86-22)

          

 調


 

          

 ()()西()()()()()
  EsseyEssey 




たんぽぽの図

調





※(ローマ数字1、1-13-21) 




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()()調()

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ゆく春のなやみに堪へで
鶯も草にねむれり

たんぽぽに誰がさし置きしすぢほど日に光るなり春の三味線


ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬かはせにやまずめぐるも

白き犬水に飛び入るうつくしさ鳥鳴く鳥鳴く春の川瀬かはせ

ココアの図


一匙ひとさじのココアのにほひなつかしくおとなふ身とは知らしたまはじ

黒耀の石のぼたんをつまさぐりかたらふひまも物をこそおもへ

薄あかき爪のうるみにひとしづく落ちしミルクもなつかしと見ぬ

寂しき日赤き酒取りさりげなく強ひたまふにぞ涙ながれぬ

十一


あまりりす息もふかげに燃ゆるときふとくちびるはさしあてしかな

くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ

十二


はるすぎてうらわかぐさのなやみよりもえいづるはなのあかきときめき

くさばなのあかきふかみにおさへあへぬくちづけのおとのたへがたきかな

わかきひのもののといきのそこここにあかきはなさくしづこころなし

ゆふぐれのとりあつめたるもやのうちしづかにひとのなくねきこゆる

十三


浅草にて

ゆく春の喇叭の囃子はやし身にぞ染む造花つくりばなちる雨の日の暮

ああ笛鳴る思ひいづるはパノラマの巴里パリスの空の春の夜の月

十四


美くしき「夜」の横顔を見るごとく遠きまち見て心ひかれぬ

薄暮たそがれ水路すゐろに似たる心ありやはらかき夢のひとりながるる

グラスの図

十五


そぞろあるき煙草くゆらすつかのまもかなしからずやわかきラムボオ

けふもまた泣かまほしさにまちにいで泣かまほしさに街よりかへる

やはらかきかなしみきたるジンの酒とりてふくめばかなしみきたる

ナイフとりフオクとるもやはらかに涙ながれしわれならなくに

にほやかに女の独唱ソロの沈みゆくここちにかなし春も暮るれば

ウイスキーの強くかなしき口あたりそれにもして春の暮れゆく

十六


夜会のあと

かくまでも心のこるはなにならむあか薔薇さうびか酒かそなたか

十七


春日笛のごとし

すずろかにクラリネツトの鳴りやまぬ日の夕ぐれとなりにけるかな

にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出

※(ローマ数字2、1-13-22) 夏


郷里柳河に帰りてうたへる歌


廃れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにける


夕暮はヘリオトロウプ、
そことなく南かぜふく

やはらかに髪かきわけてふりそそぐ香料のごとみるゆめかも


哀調一首

きりはたりはたりちやうちやう血の色の棺衣かけぎ織るとか悲しきはた


ロンドンの悲しき言葉耳にあり花赤ければ命短し

いと高き君がよき名ぞ忍ばるる赤きロンドン赤きロンドン

狂ほしく髪かきむしり昼ひねもすロンドンのべにをひとり凝視みつむる

縫針ぬひはりの娘たれかれおとなしくロンドンの花を踏みて帰るも

ロンドンは松葉牡丹の柳河語なり

枇杷の図


枇杷の木に黄なる枇杷の実かがやくとわれ驚きて飛びくつがへる

枇杷の実をかろくおとせば吾弟わおとらが麦藁帽にうけてけるかな


ケエヅグリのあたまに火のいた、うんだら消えた

吾弟わおとらはにほのよき巣をかなしむと夕かたまけてさやぎいでつも

Gonshan, Gonshan, 何処へいた、
きのふ札所ふだしよの巡礼に

馬鈴薯の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば

黒鶫の図

黒鶫くろつぐみ野辺にさへづり唐辛子たうがらしいまし花さく君はいづこに

つばさコツキリコ、畦道あぜみちやギリコ

病める児はハモニカを吹き夜に入りぬもろこしばたの黄なる月の出

※(ローマ数字3、1-13-23) 秋



日の光金糸雀カナリヤのごとく顫ふとき硝子にれば人のこひしき


啄木鳥きつつきの木つつきへて去りし時黄なる夕日にを絶ちしとき

雲あかく日の入る夕木々きぎの実の吐息にうもれ鳴く鳥もあり


あかあかと五重の塔に入日さしかたかげの闇をちやるめらのゆく

かかる時地獄を思ふ、君去りて雲あかき野辺に煙渦まく

※(ローマ数字4、1-13-24) 冬



十一月北国の旅にて三首

韮崎の白きペンキの駅標に薄日のしみて光るさみしさ

柿の赤き実、旅の男が気まぐれに泣きてにきと人に語るな

たはれめが青き眼鏡のうしろより朝の霙を透かすまなざし

久留米旅情の歌

日も暮れてはじの実とりのかへるころくるわの裏をゆけばかなしき


猫やなぎ薄紫に光りつつ暮れゆく人はしづかにあゆむ

水面みのもゆく櫂のしづくよ雪あかり漕げば河風身に染みわたる


雪のふる夜昔ながらの蝋燭の裸火にうつし出されし団蔵の仁木の凄さよ

わが友は仁木の顔につらあかりさしつけながら花道をゆく
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葱と紫蘇の図

初夏晩春



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※(ローマ数字1、1-13-21) 公園のひととき



手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ


山羊やぎの乳と山椒のしめりまじりたるそよ風吹いて夏は来りぬ

指さきのあるかなきかの青ききずそれにも夏はみて光りぬ


草わかば黄なる小犬の飛びねて走り去りけり微風そよかぜの中

草わかば踏めば身も世も黄にみぬ西洋辛子からしこなを花はふり

こころもち黄なる花粉のこぼれたる薄地のセルのなで肩のひと

草に寝ころべ、草に寝ころべ

草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしくて削るなり


夕されば棕梠の花ぶさ黄に光る公園のそとに座る琴弾者ことひき

※(ローマ数字2、1-13-22) 郊外



田舎家ゐなかやに中風病みのわが小父をぢが赤き花見る春の夕暮


きさくなる蜜蜂飼養者みつばちかひが赤帯の露西亜の地主ぢぬしに似たる初夏

あまつさへ赤き花ちり小馬く農家の白日ひるになげき入りぬる


ほそぼそと出臍でべそ小児こども笛を吹く紫蘇の畑の春のゆふぐれ

太葱ふとねぎの一茎ごとに蜻蛉とんぼゐてなにか恐るるあかき夕暮

欝金ざくらの花の図

※(ローマ数字3、1-13-23) 庭園の食卓


青き果のかげにわれらが食卓をしつらへよ、春を惜むわかき日のこころよ


あひびきの朝な夕なにちりそめし鬱金うこんざくらの花ならなくに


サラダとり白きソースをかけてましさみしき春の思ひ出のため

さくらんぼいまださ青に光るこそ悲しかりけれ花ちりしのち


青きのかげに椅子よせ春の日を友と惜めば薄雲のゆく

げば黄なる薄雲桐の木の木の間に見えて夏は来にけり


かなしげに春の小鳥も啼き過ぎぬ赤きセエリーを君と鳴らさむ

つばめ、燕、春のセエリーのいと赤きさくらんぼくはえ飛びさりにけり


ああ五月さつき蛍匍ひいでヂキタリスさき鈴ふるたましひの泣く

金口きんぐちの露西亜煙草のけむりよりなほゆるやかに燃ゆるわが恋


やはらかに誰がみさしし珈琲コオヒイぞ紫の吐息ゆるくのぼれる

よき椅子いすに黒き猫さへ来てなげく初夏晩春の濃きココアかな


蟾蜍が出て来た、皆で寄つてたかつて胡椒をふりかけたり、スープを飲ませたりした

しろがねの小さき匙もて蟾蜍ひきがへるスープ啜るもさみしきがため


干葡萄ひとり摘み取りかみくだく食後のほどをおもひさびしむ

カステラの黄なるやはらみ新らしき味ひもよし春の暮れゆく


昼餐ひるげどきはてしさびしさ春の日も紅茶のいろに沈みそめつつ

まひる野の玉葱の花紫蘇の花かろくかなしみ君とわかるる

※(ローマ数字4、1-13-24) 春の名残



一九一〇暮春三崎の海辺にて

いつしかに春の名残となりにけり昆布干場こんぶほしばのたんぽぽの花

寝てよめば黄なるこなつく小さき字のロチイなつかしたんぽぽの花

春愁極りなし

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蛍の図




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 ※(「窗/心」、第3水準1-89-54)()()()
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 ()調()()()
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 ()
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 ()()調
 ()()麿()()()()耀
 
 ()()()()
 ()()()()()() Stranger 

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  Chambre b Les enfants L Passion P湿()()
そなたの首は骨牌トラムプ
赤いヂヤツグの帽子かな、
光るともなきその尻は、
感冒かぜのここちにほの青し、
しをれはてたる幽霊か。
 ()
 調()調※(「金+肅」、第3水準1-93-39)
  Passion P

 ※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)
 便
 ()
 
 
 
 ()() Stranger ()※(「窗/心」、第3水準1-89-54)()()

 ()()()()()()()
 ()()
Cuckoo, jug-jug, pu-we, to-witta-woo!
Gristchen, gristchen, tutch, tutch, tutch!
 鳥屋が通る、くわつと明るい人道を車を曳いて。
Cuckoo, jug-jug, pu-we, to-witta-woo!
 車の上の円い四角な金網作りの、或は竹製の、大小さまざまの鳥籠、その鳥籠が六月の日に揺られながら蒸しかへるやうに光つてゆく。
Cuckoo, jug-jug, pu-we, to-witta-woo!
Gristchen, gristchen, tutch, tutch, tutch!
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道成寺の図

薄明の時



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※(ローマ数字1、1-13-21) 放埒



美くしきかなしき痛き放埒の薄らあかりに堪へぬこころか


ものづかれそのやはらかき青縞のふらんねるきてなげくわが恋

わがゆめはおいらんさうの香のごとし雨ふれば濡れ風吹けばちる


鳴きしきるは葦きり、舌うつは海、さるにてもせんなや、夜の明けがたのつれびき

アーク燈ともれるかげをあるかなし蛍の飛ぶはあはれなるかな


なんぼ恋には身が細ろ、
ふたへの帯が三重まはる

なにとなく軍鶏しやもの啼く夜の月あかりいぶかしみつつ立てる女か


博多帯しめ、筑前しぼり、筑前博多の帯しめて、
あゆむ姿は柳腰……

すつきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白ゆりの花


ぬば玉の銀杏がへしの君がたぼ美くし黒し蓮の花さく


ある遊女の部屋に、薄い硝子の水盤があつた、夏の夕方、夜のひきあけ、ひけすぎの薄いあかりにほのかにウオタアヒヤシンスの花が咲いてはまた萎れてゆくのであつた

水盤の水にひたれるヒヤシンスほのかに咲きて物思はする

フラスコの図


フラスコに青きリキユールさしよせてればよしなや月さしにけり

二上りの宵のながしをききしよりすて身のわれとなりにけむかも


毒草なれどもその花かすかに、
光あれどもその色さびし

雪の下白くちひさく咲きにけり喜蝶が部屋の箱庭はこにはの山


わかき身の感じ易さよ硝子杯さかづきの薄きひびにも心みつつ

顫へ易く傷つき易き心あり薄らあかりにちる花もあり

十一


鳥よ、鳥よ、宿場の小鳥、
広重の海に飛べよ

木の枝に青き小鳥のとまりゐてただほれぼれと鳴ける品川

十二


年増のなげき一首

玉虫の一羽ひとは光りて飛びゆけるその空ながめをんな寝そべる

※(ローマ数字2、1-13-22) 踊子



悩ましくまは梯子はしごをくだりゆく春の夕の踊子がむれ


やるせなき春のワルツの舞すがたかなしくるほし君のをどれる

美くしきさいへかなしく愚かしきつかれつくると踊子踊る

紫のいたましきまで一人ひとり踊るスカートの陰影かげに春はくれゆく

ただ飛びね踊れ踊子現身うつそみくつのつまさき春暮れむとす


たらんてら踊りつくして疲れ伏す深むらさきのびろうどの椅子

あでやかに踊りつかれしさみしさか寝椅子に人を待てるこころか


くろんぼが泣かむばかりに飛びぬる尻ふり踊にしくものはなし

※(ローマ数字3、1-13-23) 浅き浮名



恋すてふ浅き浮名もかにかくに立てばなつかし白芥子の花


薄青きセルの単衣ひとえをつけそめしそのころのごとなつかしきひと

片恋のわれかな身かなやはらかにネルは着れども物おもへども


茴香さく

わが世さびし身丈みたけおなじき茴香うゐきやうも薄黄に花の咲きそめにけり

茴香の花の中ゆき君の泣くかはたれどきのここちこそすれ


白き籐椅子をふたつよせてものおもふひとのおだやかさよ。読みさせるはアルベエル・サマンにや、やはらかに物優しき夕なりけり

さしむかひ二人ふたり暮れゆく夏の日のかはたれの空に桐の匂へる


潮来出島の真菰の中にあやめ
咲くとはしほらしや

かきつばた男ならずばたをやかにひとり身投げて死なましものを


たんだ振れふれ六尺袖を

桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな


すずかけの木とあかしやとあかしやの木とすずかけと舗石みちのうす霧に

ほのぼのと人をたづねてゆく朝はあかしやの木にふる雨もがな

※(ローマ数字4、1-13-24) 蟾蜍の時



蛍飛び蟾蜍かへろ啼くなりおづおづと忍び逢ふ夜の薄霧の中

蟾蜍と人の図


蟾蜍ひきがへる幽霊のごと啼けるあり人よほのかに歩みかへさめ

ゆくりなくかかるなげきをきくものか月蒼ざめて西よりのぼる


烏羽玉ぬばたまの夜のみそかごと悲しむとひそかにひきも啼けるならじか

宝玉のこよなき心とり落しよきひと泣けばひきもまた啼く


いかばかり麻の畑の青き葉の身にはむらむ人妻の泣く

人知れず忍ぶ心は烏羽玉ぬばたまの黒き夜のごとかがやきいでぬ

※(ローマ数字5、1-13-25) 猫と河豚と



青柿のかの柿の木に小夜ふけて白き猫ゐるひもじきかもよ


白き猫膝に抱けばわがおもひ音なく暮れて病むここちする

白き猫泣かむばかりに春ゆくとめつゆるめつ物をこそおもへ


弓矢八幡寝はせねど、寝たと
おしやらばなとせうぞの

夜おそくかけしふすまに匍ひのぼる黒きけもののけはひこそすれ

河豚の図


乳緑にゆうりよくのびろうどの河豚ふぐ責めふくらし昨日きのふも男涙ながしき

河豚ふぐ河豚ふぐなれは愚かし地にねて沖津玉藻の香のなげきする

※(ローマ数字6、1-13-26) 路上



いそいそと広告燈も廻るなり春のみやこのあひびきの時


白耳義新詩人のものなやみは静かにしてあたたかく、芭蕉の寂はほのかに涼し

かはたれのロウデンバツハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし

水路


空見れば円弧燈アークライトに雪のごと羽虫たかれり春よいづこに

薄暮かはたれ水路すゐろにうつるむらさきの弧燈こたうの春の愁なるらむ

新橋


新らしき匂なによりいとかなし勧工場のぞく五月のこころ

人力車じんりき提灯かんばんけて客待つとならぶ河辺に蛍飛びいづ

銀座


薄あかりあかきダリヤを襟にさし絹帽シルクハツトの老いかがみゆく

夏よ夏よ鳳仙花ちらし走りゆく人力車夫にしばしかがやけ

ダリヤの図

おそ夏


折ふしのものの流行はやりのなつかしくかなしければぞ夏もいぬめる

両国


万歓夢のごとし

青玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる路上を君よいそがむ

初秋


夏の夜の牡丹燈籠の薄あかり新三郎を誰か殺せる

ちりからと硝子問屋の燈籠の塵埃ほこりうごかし秋風の吹く
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銀座の図

雨のあとさき



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※(ローマ数字1、1-13-21) 雨のあとさき



新らしき野菜畑のほととぎす背広着て啼け雨の

キヤベツの段々畑だん/\ばたけ銀緑なり雨霽れ空に白雲の湧く

あまつさへキヤベツかがやく畑遠く郵便脚夫疲れくる見ゆ


入日うくるだらだら坂のなかほどの釣鐘草の黄なるかがやき

※(「窗/心」、第3水準1-89-54)ぎはの男の頬のみあかう見せ釣鐘草の中を汽車ゆく


酒場の夏

夏帽子瀟洒につけて身をやつす若き紳士の白百合の花


夏の日はなつかしきかなこころよく梔子くちなしの花の汗もちてちる

きりぎりすよきたはがひとり寝て氷食む日となりにけるかな


やるせなきみだら心となりにけり棕梠の花咲き身さへ肥満ふとれば

黒き猫夜は狂ほしくかきいだき五月蠅うるさきものに昼はねやる


桐の花ちるころ

人妻のすこし汗ばみ乳をしぼる硝子杯コツプのふちのなつかしきかな


梅雨くるまへ

栗の花四十路過ぎたる髪結の日暮はいかにさびしかるらむ


あかしやの花ふり落す月は来ぬ東京の雨わたくしの雨

検温器けんおんきかけてさみしく涙ぐむ薄き肌あり梅雨つゆ尽きずふる

二階より桐の青き葉見てありぬ雨ふるまち四十路よそぢの女

七月やおかめ鸚哥いんこの啼き叫ぶ妾宅の屋根の草に雨ふる


色硝子暮れてなまめく町の湯の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)もとなるどくだみの花

湯上りのいた娘がふくよかに足の爪る石竹の花


長雨ながさめの蒼くさみしくたはれてしその日かの日もいまは恋しき

長雨のあとのこころにひるがへり孔雀火のごと鳴く日きたりぬ

十一


新らしき皮膚のいたみかたましひのしんの汗より来るなげきか

たもちがたきこころとこころ薄ら青き蝗のごとく弾ねてなげくや

十二


憎きは女、恋しきもまた女

憎悪にくしみのこころ夏より秋にかけ茴香の花の咲くもあはれや

十三


昼見えぬ星のこころよなつかしく刈りし穂に凭り人もねむりぬ

あかあかとあひる卵を置いてゆく草場のかげの夏の日の恋

十四


夏の日は女役者のものごしのなまめかしさに似てさびしけれ

紫の日傘さしかけき人ののらりしやらりと歩む夕ぐれ

十五


やはらかに夏のおもひも老いゆきぬ中年の日の君がまなざし

※(ローマ数字2、1-13-22) 昼の鈴虫


明治四十四年の夏、蠣殻町の岩佐病院にて

その日


なつかしき七月二日ふつかしみじみとメスのわがに触れしその夏

麻酔のまへ


麻酔の前鈴虫鳴けり※(「窗/心」、第3水準1-89-54)辺には紅くちひさき朝顔のさく

麻酔の時


夏はさびしコロロホルムにしびれゆくわがこころにも啼ける鈴虫

朝顔をあかく小さしと見つるいのち消えむとぞする鳴け鳴け鈴虫

麻酔のあと


つばめつばめ、昼の麻酔のさめがたに宙がへりして啼くはさびしも

午前午後


気のふれし女寡婦をんなやもめのいと蒼くしまりなきに朝顔のさく

きずいたしかなし鋭しまたさびし狂人きちがい[#ルビの「きちがい」はママ]の部屋に啼ける鈴虫

香水の壜に蝋燭の図

夕ぐれ


ほのかなる水くだもののにほひにもかなしや心疲れむとする

さしのぞけば向ふの寄席よせに人形の治兵衛踊れりなんとせうぞの

宵のくち


なにおもふわかき看護婦夏過ぎて雨夜あまよの空に花火あがれる

宵のくちそれもひととき看護婦のはるもにか吹く夏もひととき

立秋


退院の前の日

長廊下いろ薄黄なる水薬の瓶ひとつ持ち秋は来にけり
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上海の図

秋思五章



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※(ローマ数字1、1-13-21) 秋のおとづれ



松脂のにほひのごとく新らしくなげく心に秋はきたりぬ


薄らかに紅く孱弱かよわし鳳仙花人力車じんりきの輪にちるはいそがし

鳳仙花うまれて啼ける犬ころの薄き皮膚より秋立ちにけり


秋の空酒をしがめて飲む人の青きひたひに顫ひそめぬる

眼のふかく昼も臆する男あり光れる秋をぢつと凝視みつむる


※(「金+肅」、第3水準1-93-39)しやうぎんの蠅取蜘蛛をまづ活かし秋はさやかに光りそめぬる

君がピンするどに青き虫を刺すそのつめたさを昼も感ずる


かかる日の胸のいたみのしくしくと空に光りて雨ふるらむか

しづやかに光の雨のふりそそぐ昼の心に蒼ざめてあり

クリスチナ・ロセチの図

※(ローマ数字2、1-13-22) 秋思



クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔


食堂の黄なる硝子をさしのぞく山羊やぎの眼のごと秋はなつかし


秋の草白き石鹸しやぼんの泡つぶのけはひ幽かに花つけてけり

人形の秋の素肌となりぬべき白き菊こそかなしかりけれ


旅に来て船がかりする思あり宝石商の霧の夜の月


みすずかる信濃か日本アルプスか空のあなたに雪の光れる

静かなる秋のけはひのつかれより桜の霜葉ちりそめにけむ

動物の図

※(ローマ数字3、1-13-23) 清元



清元の新らしき撥君が撥あまりに冴えて痛き夜は来ぬ


手の指をそろへてつよくそりかへす薄らあかりのもののつれづれ

ひいやりと剃刀かみそりひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき


かすかにも光る虫あり三味線の弾きすてられしこまのほとりに

蟋蟀いとどならばひとり鳴きてもありぬべしひとり鳴きても夜は明けぬべし


円喬のするりと羽織すべらするかろき手つきにこほろぎの鳴く

太棹ふとざほのびんと鳴りたる手元より夜のかなしみや眼をあけにけむ

昇菊の絃のつよさよ

黒き猫しづかに歩みさりにけり昇菊のいと切れしたまゆら

きりきりと切れし二のいとつぎ合せ締むるこころか秋のをはりに


歌舞伎座十月狂言所見

常盤津の連弾つれびきの撥いちやうに白く光りて夜のふけにけり

※(ローマ数字4、1-13-24) 百舌の高音



百舌啼けば紺の腹掛新らしきわかき大工も涙ながしぬ


いらいらと葱の畑をゆくときの心ぼそさや百舌啼きしきる

いつのまに刈り干しにけむ甘庶黍さたうきび刈り干しにけむあはれ百舌啼く


とある池のほとりにて

水すまし夕日光ればしみじみとねてつるめり秋の水面みのも


鶏頭の血のしたたれるうまやにも秋のあはれの見ゆる汽車みち

三月まへ穂麦のびたる畑なりきいま血のごとく鶏頭の咲く


柔かき光の中にあをあをと脚ふるはして啼く虫もあり

かかれとて虫の寡婦やもめは啼かざらむ鴉こまかに啄みにけり


武蔵野のだんだん畑の唐辛子いまあかあかと刈り干しにけれ

あかあかと胡椒刈り干せとめどなく涙ながるる胡椒刈り干せ

父親とその子の三次ひと日赤く胡椒刈り干せど物言はずけり

男子らは心しくしく墾畑きりばたの赤き胡椒を刈り干しつくす

※(ローマ数字5、1-13-25) 街の晩秋



黄なる日に※(「金+肅」、第3水準1-93-39)びし姿見鏡すがたみてりかへし人あらなくに百舌啼きしきる

皀莢の木の図


秋の葉

いつのまに黄なる火となりちりにけむ青さいかちの小さき葉のゆめ


都大路いまだゆらげるとちの葉に日向雨こそふりいでにけれ

午前八時すずかけの木のかげはしる電車の霜もなつかしきかな


あかしやの金と赤とがちるぞえな、
やはらかな秋の光にちるぞえな

()

人物の図








泪芙藍と磁石の図




25. ※(ローマ数字3、1-13-23). 10.

 ()()()
 ※(「金+肅」、第3水準1-93-39)
 ()
 
  French ()
 ()()()
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 
 
 
 ()()
 
 
 
 湿()()()()調西()()
 W. C. 
 ()()()
 ()()
 ()
 
 ()()()湿()()()()
 ()()
 ()()※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) White  Blue ※(「日/咎」、第3水準1-85-32)()()()()()
 ()
 ()
 
 Tobaccos 
 ()()()()姿 Blue-Stocking  English 
 ()
 
 ()()
 ()
 ()()
 ()()
 
 西()()()()
 
 
 
(植物園手記)
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[#ページの左右中央]


雪の図

春を待つ間



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※(ローマ数字1、1-13-21) 冬のさきがけ



ふくらなる羽毛襟巻ボアのにほひを新らしむ十一月の朝のあひびき


遠々しくなりし女のもとへ二首

いと長きまちのはづれの君が住む三丁目より冬は来にけむ

しみじみと人の涙を流すときわれも泣かまし鳥のごとくに


いちはやく冬のマントをひきまはし銀座いそげばふるみぞれかな

電柱でんちゆうの白き堤子ていしにいと細く雨はそそげり冬きたるらし

自鳴鐘の図


たましひの薄き瞳を見るごとし時雨の朝の小さき自鳴鐘めざまし

なつかしき憎き女のうしろでをほのかに見せて雨のふりいづ


男ぶりには惚れんばな、
煙草入の銀かな具がそれが因縁たい

煙草入の銀のかな具のつめたさがいとど身に染むパチと鳴らせど


夜をこめて風見かざみのきしりさびしさの身にむ空となりにけるかな

さいかちの青さいかちの実となりて鳴りてさやげば雪ふりきたる

道化の図

※(ローマ数字2、1-13-22) 戯奴



一月や道化帽子の色あかき一寸坊の小屋に雪ふる


かなしや雪のふる日も道化ものもんどりうつとよく馴れにけり

ほこりかにとんぼがへりをしてのくるわかき道化に涙あらすな


よるおそくひとりひそかに帰りきて道化衣裳をる男あり

感冒かぜなひきそよ朝はつめたき鼻のさきひとりこゞえて春を待つ間に

※(ローマ数字3、1-13-23) 雪



寂しさに赤き硝子を透かし見つちらちらと雪のふりしきる見ゆ


厨女くりやめの白き前掛まへかけしみじみと青葱の香のみて雪ふる

つつましき朝の食事に香をおくる小雨に濡れし※(「さんずい+自」、第3水準1-86-66)芙藍さふらんの花


横浜埠頭所見

つや青き支那の料理人コツクつらがまへ憎しとばかりうつ霰かな

腰ひくき浜のガイドが襟にさす温室むろ咲きの花の色の赤さよ


ぬくぬくと双手もろてさし入れ別れゆくマフの毛いろの黒き雪の日

薄青き路上の雪よあまつさへ日てりかがやき人妻のゆく


君かへす朝の舗石しきいしさくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ


河岸の明け暮れ

猫柳薄紫に光るなり雪つもる朝の河岸の景色に

屋根の雪屋根をすべると三味線の棹拭きかけて泣く女かな


木挽町の河岸の夜ふけに

雪ふるひとりゆく夜の松の葉に忍びがへしに雪ふりしきる


※(「木+査」、第3水準1-85-84)古聿チヨコレート嗅ぎて君待つ雪の夜は湯沸サモワルの湯気も静こころなし

ああ冬の夜ひとり汝がたく暖炉ストーブの静こころなき吐息おぼゆる


ひとよよのつねの
恋となあはれおもひたまひそ

雪の夜のあかきゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ


悪夢のあとの朝明

狂ほしき夜は明けにけり浅みどりキヤベツ畑に雪はふりつつ

雪ふるキヤベツを切ると小男が段々畑をのぼりゆく見ゆ

十一


わかき日は赤き胡椒の実のごとくかなしや雪にうづもれにけり

※(ローマ数字4、1-13-24) 早春



その翌朝よくあさおしろいやけの素顔吹く水仙の芽の青きそよかぜ


四十路びとおもさみしらに歩みよる二月の朝の※(「さんずい+自」、第3水準1-86-66)芙藍さふらんの花


つつましきひとりあるきのさみしさにあぜ菜の香すら知りそめしかな

あはれなるキツネノボタン春くれば水に馴れつつ物をこそおもへ

エレン夫人の図


みじめなるエレン夫人が職業なりはひのミシンの針にしみる雨かな

名なし草あかちひさく咲きそめぬみすぎ世すぎの※(「窗/心」、第3水準1-89-54)日向ひなた


春が来た。黄色なサンシユユの梢に、沈丁に、針えにしだの苦き尖りに

沈丁の薄らあかりにたよりなく歯の痛むこそかなしかりけれ


猫柳春の暗示のそことなくをどる河辺を泣きてもとほる

猫柳ものをおもへば猫の毛をなづるここちによき風も吹く


細葱の春の光をかなしむと真昼しみらに小犬つるめる

野にきたれば遠きキヤベツの畑をゆく空ぐるまの音もなつかしきかな


すずろぐは葱か、キヤベツか、
きさらぎのそことなき春の暗示よ

ふくれたるあかき手をあて婢女はしためが泣けるくりやに春は光れり

※(ローマ数字5、1-13-25) 寂しきどち



かりそめにおん身慕ふといふ時もよき俳優わざをぎは涙ながしぬ

わがづる小さくさもしくいぢらしき白栗鼠しろりすのごと泣くは誰ぞや

泣きたまふな、あまりにさびし

いざやわれとんぼがへりもしてのけむ涙ながしそ君はかなしき


わがどちよ寂しきどちよつねに見て思へばくるし泣かざれば

おのがじし弱きけふ日の涙をばはふり落して鳴ける小鳥ら

寂しさのこのもかのもにへりくだり泣けば心の響きこゆる

涙してひとをいたはるよそ人のあつき心をわれに持たしめ


つかのまも君を見ずては抑えがたきかなしき狐つきそめにけり


歇私的里ヒステリーの冬の発作のさみしさのうす雪となりふる雨となり

ひややかに薄き※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたをしばたたく人にな馴れそ山の春の鳥


芥子のたねひとりにのせきらきらと蒔けば心の五月さつき忍ばゆ
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白き露台の図

白き露台



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※(ローマ数字1、1-13-21) 春愁



わかき日の路上にて

歎けとていまはた目白僧園のゆふべの鐘も鳴りいでにけむ


ソフイー、けふもまた気づかはしさうなお前の瞳に薄い雲がゆく、薄い雲がゆく

春はもや静こころなし歇私的里ヒステリーの人妻のかほのさみしきがほど


浅草聖天横丁

君見ずば心地死ぬべし寝室しんしつの桜あまりに白きたそがれ


私は思ふ、あのうらわかい天才のラムボオを、而して悲しい宝石商人の息づかひを、心を

アーク燈いとなつかしく美くしき宝石商の店に春ゆく

美くしく小さくつめたき緑玉エメラルドその玉らばかなしからまし

いと憎き宝石商の店を出で泣かむとすれば雪ふりしきる

緑玉と蜥蜴の図


温かに洋傘かささきもてうち散らす毛莨きんぽうげこそ春はかなしき

しみじみと二人ふたり泣くべく椅子の上の青き蜥蜴をはねのけにけり


定斎ぢやうさいきしみせはしく橋わたる江戸の横網よこあみ鶯の啼く

桜、さくら、街のさくらにいと白く塵埃ほこり吹きつけけふも暮れにけり


すず鳴らす路加ルカ病院のおそざくら春もいましかをはりなるらむ

※(ローマ数字2、1-13-22) 夜を待つ人



思ひ出の赤き毛糸よ、夕暮の薄らあかりにたゞたぐれ、静こころなく

やはらかに赤き毛糸をたぐるとき夕とどろきの遠くきこゆる


泣かむとし赤き硝子に背を向けつゆふべは迫る窓の内部うちら

いつしかと身は※(「窗/心」、第3水準1-89-54)掛に置く塵の白きがごとも物さびてける


かろがろと女腰かけなにやらむ花あかき窓に物思ひ居り

よしやあしや君が銀座の入日ぞらほのかに暮れて夜となりにける

ラムプの図


つくづくと昼のつかれをうらがへしけふもラムプをともすなりけり

編みさしの赤き毛糸にしみじみと針を刺す時こほろぎの鳴く


鳴りひびく心甲斐絹を着るごとしさなりさやさやかかる夕に

これやこの絹のもつれをときほぐしほのかによるを待つすべもがな


露西亜の白夜にはあらねども

かなしきは気まぐれごころ宵のまに朝の風たちかなかなの啼く

松の葉の松の木の間をちりきたるそのごとほそきかなしみの来る

※(ローマ数字3、1-13-23) なまけもの



なまけものなまけてあればこおひいのゆるきゆげさへもたへがたきかな


ほれぼれと歌ふにしくはなかるらむおもへばしや涙ながるる

ものおもふわかき男の息づかひそなたも知るやさるひあの花


なまけもの昼は昼とてそことなきびんつけの香にも涙してけれ

へら鷺の卵かへすとなまけものなまけはてたるわれならなくに

おづおづとわかきむすめを預れる人のごとくに青ざめて居り

ひとりゐて罪あり

このおもひ人が見たらばひきとなれ雨が降つたらへら鷺となれ


わがゆけば男のにほひちかよると含羞草はにかみさうの葉を閉づるかも

ものおもへば肩のうしろにこそばゆきわかきをなごのといきこそすれ


夕暮のあまり赤さになまけものとんぼがへれば啼くほととぎす

※(ローマ数字4、1-13-24) 女友どち



ゆくりなく庚申薔薇かうしんばらの花咲きぬ君を忘れて幾年いくとせか経し


うらうらと二人ふたりさしより泣いてゐしその日をいまになすよしもがな

ただひと目君を見しゆゑ三味線のいとよりほそく顫ひそめにし


才高きある夫人に

ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも


嗅ぎなれしかのおしろいのいや薄くつめたきなさけ忘られなくに


女は白き眼をひきあけてひたぶるに寄り添ふ、淫らにも若く美しく

どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし


あるあはれなる女に

いつとなく親しむとなく寄るとなく馴れしなさけも忘られなくに


偽おほく而もなほ美しき女ありけり
その女消えさりにけり

くちびるのあかく素顔のいと蒼き女手品師君去りにけり

※(ローマ数字5、1-13-25) 白き露台



ひとたび別れて

かはたれの白き露台に出でて見つわがおもふ人はいづち去にけむ


君には似つれ、
見も知らぬ少女なりけり

仏蘭西のみやび少女がさしかざす忽忘草わすれなぐさそらいろの花


かなしみは出窓のごとし連理草れんりさう夜にとりあつめそよかぜぞ吹く

にほやかに君がよき夜ぞふりそそぐ白き露台の矢ぐるまの花


その君はいづこにありや、
はつ夏の空も薫りぬ

匂よき宵のロベリヤ朝の芥子小窓に据ゑて忍ぶ日は来ぬ


姿見の中の草生よ
老いほけしたんぽぽも飛ぶ

昨日きのふ君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草ひなげしのさく


鳩よ鳩よひとりぽつちのわが鳩よ

煩悩の赤き花よりやはらかに煙る草生くさぶへ鳩飛びうつる


とまり木の鳥のこころよ

夕かけて白き小鳥のものおもひ木にとまるこそさみしかりけれ

酒罎と鉢植えの図


空いろよりすこし濃きロベリヤの花はほのかに小さくして、しかも数かたまりて瞳をひらく。悲しき日その花をながめて

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露のおきふしの図




 ※(「窗/心」、第3水準1-89-54)()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()※(「窗/心」、第3水準1-89-54)()()西
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 ()()()()()()()西
(Echizenbori, 28. ※(ローマ数字6、1-13-26). 1912.)
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鳳仙花の図

哀傷篇



罪びとソフイーに贈る

「三八七」番



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※(ローマ数字1、1-13-21) 哀傷篇序歌



ひとすぢのかうの煙のふたいろにうちなびきつつなげくわが恋


自棄二首

あだごころ君をたのみて身をおとす媚薬の風に吹かれけるかな

かなしくも君に思はれこの惜しくきよきいのちを投げやりにする


花園の別れ六首

君と見て一期いちごの別れする時もダリヤはあかしダリヤはあか

君がため一期いちごの迷ひする時は身のゆき暮れて飛ぶここちする

かなしければ君をこよなく打擲ちやうちやくすあまりにダリヤあかく恨めし

くれなゐの天竺牡丹ぢつと見て懐姙みごもりたりと泣きてけらずや

身の上の一大事とはなりにけりあかきダリヤよあかきダリヤよ

われら終にあかきダリヤを喰ひつくす虫の群かと涙ながすも

※(ローマ数字2、1-13-22) 哀傷篇



悲しき日苦しき日七月六日

鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり


かなしきは人間のみち牢獄ひとやみち馬車のきしみてゆく礫道こいしみち

眼をつぶれど今も見えたる草むらの麦稈帽は光るなりけり

馬車霞が関を過ぐ

大空に円き日輪血のごとしまが監獄ひとやにわれちてゆく

胸のくるしさ空地あきち落日いりひあかあかとただかがやけり胸のくるしさ

まざまざとこの黒馬車のかたすみに身を伏せて君の泣けるならずや

夕日あかく馬のしりへの金網かなあみを透きてじりじり照りつけにけり

向ふ通るは清十郎ぢやないか
笠がよう似た菅笠が

夏祭わつしよわつしよとかつぎゆくまち神輿みこしが遠くきこゆる

泣きそ泣きそあかきの軒したの廻り燈籠にきにけり


うれしや監獄にも花はありけり
草の中にも赤くちひさく

しみじみと涙して入る君とわれ監獄ひとやの庭の爪紅つまぐれの花

女はとく庭に下りて顫へゐたり、数珠つなぎの男らはその後より、ひとりひとりに踉けつつ匍ひいでて紅き爪紅のそばにうち顫へゐたり、われ最後に飛び下りんと身構へて、ふとをかしくなりぬ、帯に縄かけられたれば前の奴のお尻がわが身体を強く曳く、面白きかな、悲しみ極まれるわが心、この時ふいと戯けてやつこらさのさといふ気になりぬ

やつこらさと飛んでりれば吾妹子わがもこがいぢらしやじつと此方こち向いて居り

同じく二首

編笠をすこしかたむけよき君はなほあかき花に見入るなりけり

鳳仙花あかく咲ければ女子もかくてかなしく美くしくあれよ


監房の第一夜

この心いよよはだかとなりにけり涙ながるる涙ながるる

罪びとは罪びとゆゑになほいとしかなしいぢらしあきらめられず


ふたつなき阿古屋の玉をかき抱きわれ泣きほれて監獄ひとやに居たり

どん底の底の監獄ひとやにさしきたるあまつ光に身は濡れにけり

テテツプツプ
弥惣次ケツケ

日もすがらひと日監獄ひとやの鳩ぽつぽぽつぽぽつぽと物おもはする

* 柳河の童謡、テテツプツプは鳩ぽつぽのこと


二日経て弟面会に来りければ

監獄ひとやにも鳳仙花咲けりいとあかしとこの弟に言ひ告げやらむ

母びとは悲しくませば鳳仙花せめてあかしと言ひ告げやらむ


監獄の庭に引き出されて、ある時

いつまでか日は東よりのぼるらむ昨日きのふに同じ赤き花咲く

あはれなる獄卒どもが匍ひかがみあかきダリヤの毛虫とる見ゆ

太陽のもとに許されて尿するは
うれしきかな楽しきかな

狂人きちがひの赤き花見て叫ぶときわれらしみじみ出て尿いばりする

赤き花見つつ涙しかたくなのこの若ものが物言はぬかも


バリカンの光うごけばしくしくといたかしらのやるせなきかなや

バリカンにかしらあづけてしくしくとつるむ羽虫を見詰めてゐたり


真昼の監房にてある時

おのれあかき水蜜桃のつゆをもて顔をかむぞ泣けるなれが顔

夕されば入日血のごとさしつくる監獄ひとやうれしやままべてむ

またある時

驚きてふと見つむればかなしきかわが足の指も泣けるなりけり

わが睾丸ふぐりつよくつかまば死ぬべきかけば心がこけ笑ひする

たはれ歌うたひつくして泣くなめり忘れ難かりあきらめられず

殺人犯隣にあり

猫のごと首絞められて死ぬといふことがをかしさ爪紅つまぐれの咲く

監獄にて子を生みし女ありけり
いかなる罪業のめぐりなるらむ

恐ろしくおのれ死なむとつきつめぬいきいきとまたも赤子啼き啼く

夕されば火のつくごとく君恋し命いとほしあきらめられず


夕暮より夜にかけて

曇り日の桐の梢に飛び来りかなかな鳴けば人の恋しき

市ヶ谷の逢魔あふまが時となりにけりあかんぼの泣く梟の啼く

夜となりぬのうまくさんまんだばさらだせんだまかろしやだとわが父の泣く声のきこゆる

梟はいまか眼玉めだまを開くらむごろすけほうほうごろすけほうほう

深夜二首

たれこめて深きねむりにつる時わがそばに来り寝る女あり

君もなほ死なずしありけむさめざめと夜のに見えて涙を流す

十一


裁判の日、七月十六日

一列ひとつらに手錠はめられ十二人涙ながせば鳩ぽつぽ飛ぶ

鳩よ鳩よをかしからずや囚人めしうどの「三八七さんはちしち」が涙ながせる

十二


法廷へのゆくみちにて

向日葵ひぐるま向日葵囚人馬車の隙間すきまより見えてくるくるかがやきにけれ

十三


すべてなつかしすべてなつかし

鳳仙花われゐやすればむくつけき看守もうれしや目礼したり

鳳仙花よ監獄ひとやにも馴れ罪にも馴れ囚人しうじんにさへも馴れむとするか

十四


許されたり許されたり

監獄ひとやいでぬ重き木蓋きぶたをはねのけて林檎函よりをどるここちに

監獄ひとやいでぬ走れ人力車じんりきよ走れまちにまんまろなお月さまがあがる

十五


監獄ひとやいでてじつと顫へて噛む林檎林檎さくさく身にみわたる

くれなゐの濃きが別れとなりにけり監獄かんごくの花爪紅つまぐれの花

※(ローマ数字3、1-13-23) 続哀傷篇



空見ると強く大きく見はりたるわがつぶら眼に涙たまるも


烏羽玉ぬばたまの天竺牡丹咲きにけり男手に取り涙を流す

烏羽玉の黒きダリヤにあまつさへ日の照りそそぐ日の照りそそぐ


お岩稲荷にゆきて

あまつさへ夾竹桃の花あかく咲きにけらずやわかき男よ


木更津へ渡る。海浜に出でて
あまりに悲しかりければ

いとき赤き柘榴ざくろをひきちぎり日の光る海に投げつけにけり

松川といふ旅館に泊りぬ
白き猫あまたゐたりけり

白き猫あまたゐねむりわがやどの晩夏ばんか正午まひる近まりにけり

驚きて猫の熟視みつむる赤トマトわが投げつけしその赤トマト


あかあかとさやぎ廻りそ人力車夕日に坐り泣く男あり

またぞろふさぎの虫がつのるなり黄なる鶏頭赤き鶏頭


やはらかにロンテニースのたま光る公園に来てけふもおもへる

草の葉にすべりちろめく青蜥蜴あをとかげその児悲しも夕日は光る


くつわ虫を蝉かと思うた、
ひとりひるねの宵のねざめに

かなしければ昼と夜とのけぢめなしくつわ虫鳴くかなかなの鳴く


曇り日の朝の瓦の見はるかしを鳩歩み居れりさみしきか鳩よ

電線はりがねに雀とまりてつるみたり悲しかりけりまた飛んでけり


心心赤き実となり枝につく鴉まむとすはぢぎれむとす

暴風雨来りぬ面白きかな面白きかな

柿の赤き実隣家りんかのへだて飛び越えてころげ廻れり暴風雨あらし吹け吹け


浅草にて

電線はりがねに鳶の子が啼き月の夜に赤いくぴいひよろろろよ

なになれば猫の児のごと泣くならむとんびとまれり電線はりがねうへ

十一


河岸あるき

横網よこあみに一銭蒸汽近づくと廻るうねりも君おもはする

見れば乞食かたゐは腐れ赤茄子トマトをかいつかみひたぶる泣きてくらふなりけり

小犬二匹石炭ぶねのふなべりを鳴けり狂へり夜に叫び居り

ぬば玉のくらき水のを奥ふかく石炭舟のすべりゆきにけり

朱欒と鳥居の図

十二


冬来る

十一月は冬の初めてきたるとき故国くに朱欒ザボンの黄にみのるとき

喨々とひとすぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴のくちばし

※(ローマ数字4、1-13-24) 哀傷終篇



かなしみに顫へ新たにはぢけちるわれはキヤベツのたまならなくに


くるしくるし堪へがたし

わが心ただひとすぢとなりにけり笛を吹け吹けとんぼがへれよ

ひとをどりひやるろと吹けば笛の音もひやるろふれうと鳴るがいとしさ


思ひ出のひとつふたつ

代々木の※(「木+解」、第3水準1-86-22)あをかしがもとに飛びありく白栗鼠しろりすのごとく二人ふたり抱きし

春くれば白くちひさき足の指かはゆしと君を抱きけるかな

手にぎりてかたみに憎み蓴菜じゆんさいの銀の水泥みどろを見つめつるかな

死ぬばかり白き桜に針ふるとひまなく雨をおそれつつ寝ぬ

蝋燭をひとつともして恐ろしきわれらが閨をうかがひにけり

その翌朝よくあさ君とわが見てふるへたる一寸坊が赤き足芸


旧歓とどめがたし生はかたく死はやすし

ひなげしのあかき五月さつきにせめてわれ君刺し殺し死ぬるべかりき


男泣きに泣かむとすれば竜胆りんだうがわが足もとに光りて居たり

このかなしき胸のそこひゆこみあぐるくるめきの玉は鉄の玉かも


来て見れば監獄署の裏に日は赤くテテツプツプと鳩の飛べるも

囚人の泣く声か、拷問の叫びか

と見れば監獄署裏の草空地くさあきちにぶらんこのくわんのきしるなりけり


野辺あるき

氷閉ぢ野菜つめたき冬のみちゆけどもゆけども人に逢はなく

煤烟すすけむりたなびくもとに葛飾かつしかの青菜畑ははるばると見ゆ


夜ふけて

ぐろきしにあつかみつぶせばしみじみとからくれなゐのいのち忍ばゆ

時計の針※(ローマ数字1、1-13-21)いち※(ローマ数字1、1-13-21)とにきたるときするどく君をおもひつめにき


母の云へらく

どれどれ春の支度にかかりませうあかい椿が咲いたぞなもし


あかんぼを黒き猫来て食みしといふ恐ろしき世にわれもいひ

犬が啼き居り乾草ほしぐさのなかにやはらかく首突き入れて犬が啼き居り

十一


ひもじきかなひもじきかな
わが心はいたしいたしするどにさみし

吾が心よ夕さりくれば蝋燭に火のくごとしひもじかりけり
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白猫の図




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 ()()()()()()()()※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)()()()()()
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 ()()()()()()西()()()
 ()()※(「木+解」、第3水準1-86-22)()()
 
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昼の三味線の図




 西()西()()()()()()()()
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 西
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 ()※(「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57)
 

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 調
 
 
  Tonka John 
 
この心を誰か悲しく弄ばむやんごともなし
やんごともなし
一九一二、初冬

著者



奥付裏カットの図





 6
   19856017
 
   19132125
5-86



2014926

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