﹇目次﹈
星ほし野のは博か士せ
火くわ星せいへの通つう信しん
火くわ星せいの運うん河が
火くわ星せいに人にん間げんが住すんでゐるか
空くう中ちう飛ひか行う
火くわ星せいの首みや都こミルチス・マヂョル市し
大だい歓くわ迎んげ会いくわい
腹はら痛いた
トマト騒さう動どう
火くわ星せいの看かん護ご婦ふさん
地ちき球うに向むかつて
テン太たら郎うの報はう告こく
人にん間げんのヒゲと猫ねこのヒゲ
コオロギと蛙かへる
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星ほし野のは博か士せ
○
テン太郎や お昼ひるのおべんとうを 天文もん台だいのお父とうさんに とどけておくれ
ハイ 行つてきます
○
ニヤン子とピチクン 僕ぼくについてきたまへ
天文台をみせてくれる?
テン太郎さん ぼくもついてゆきますよ
○
さあ みんなでそろつて でかけやう
足あしなみ そろへて
一二 一二
○
ピチクン あんまり鼻はなをくつつけては いけないよ
だつて いい匂にほひがするんだもの
あら ほんとだ 匂ひだけかぐのは つらいわね
○
あれが天文もん台だいだ あそこでお父とうさんは 星の世せか界いの研けん究きうをなさつてゐるのだ
月や星を見る望ばう遠ゑん鏡きやうは あのまあるい屋や根ねの やうな所にあるのよ
ニヤン君くん よくしつてゐるね
○
小使さんがゐるかしら
きれいな建たて物ものね
屋や根ねの上で なんだかくるくる まはつてゐるね
○
小使さん お父とうさんの所へ おべんとうをもつてきました
わたしも おともしたんだわ
これは これは 星野の博はか士せのぼつちやんですか 博士は研けん究きう室しつの方です
○
ぢや ぼくたち 中に入つてもいゝですね
あゝ ええですとも その長いらうかを通つて 突つきあたりの丸まるい建物です
○
あそこだな
あらまあ
ずゐぶん長いらうかだなあ
○
ここがね お父とうさんがゐらつしやる 火くわ星せい研けん究きう室しつだよ
火星といふのは 人間げんがすんでゐるといふ 星のことだわね
さうだよ
○
あら 向ふにつづいてる丸まるい円ゑん筒とうのやうな建たて物ものはなにかしら
あの建物は、火星へ飛とんでゆく、ロケットの格かく納なふ庫こなんだ
ちよつとのぞいてみたいわね
○
テン太郎さん ちよつと、まつて なんだか中の様やう子すがへんですよ
ほんとにへんだわ
さうかしら ぢや、ニヤンちやん調しらべてくれ給たまへ
○
あらまあ おどろいた 大変へんだわ
○
︵ドタバタ ドタバタ︶
なかで 何か起おこつたの
早く 降おりてくれ、何があつたか、しらしてくれ
○
どうしたんだ ニャンちやん
研究室の中では、ヒゲの引ひつ張ぱり合ひよ
それぢや、喧けん嘩くわを、してゐるの
○
さうなのよ テン太郎さんのお父とうさんと月野の博はか士せとが
それは大変だ のぞいてみやう
それがいい
○
この窓まどからのぞいてみやう シーッしづかにしづかに
あらまあ
へんな喧けん嘩くわだな
○
わしは、どうしても 火くわ星せいには人間げんが をらんと思ひますのぢや
いや、ちがふ 火星には人間がをりますよ
○
これはけしからん わしのヒゲを引ひつぱつて
わしのヒゲも あなたに引ッぱられてをりますのぢや
○
ヒゲがぬけてしまつても わしはわしの考かんがへを変かへません
わしは首がぬけても さう信しんじてをりますわい
○
これではいつまでたつてもケリがつかん 研けん究きうをつづけませう
さやう 研究がだいいちです 月野のさん、わしのヒゲを離はなして下さい
○
これは失しつ礼れい
わしこそ 失礼しました
○
星野のさん あなたはたいへんヒゲが御ごじ自ま慢んのやうですな
あなたのこそ美みご事とですよ わしが、ひつぱつて台だいなしにしましたわい どれ櫛くしをもつてをりますよ
○
これは恐きよ縮うしゆくの至いたりです
いや、どうも お互たがひさまで
○
ヒゲを引ひつぱつてゐるときは どうなるかと思ひましたよ
そつと降をりやう いや、おどろいてしまつた
ほんとに心しん配ぱいしたわ でも仲なか直なほりしてよかつたわ
○
お父とうさん お昼ひるのお弁べん当たうをもつてきました
○
おお テン太郎か
おや ニャン子にピチも御苦くろ労う 入り給たまへ
○
これは坊ぼつちやん やあ、いらつしやい いま貴あな方たのお父さんと床とこ屋やごつこをやつてゐましたわい
全まつたくその通り アハハ
ウフフ
ウフフ
ウフフ
○
けふのお弁当は何んぢや これはノリで包つつんだおにぎりぢやなあ
何ぢや君たちは なにがそんなにおかしいのぢや
ウフフ クス クス
○
月野のさん ひとついかが
ほほう これはわしの大好かう物ぶつでして ひとつちやうだい致いたしませう
○
ええと これが火くわ星せいだとしますと
○
火星の運うん河がの問もん題だいですかな
左さや様う 望ばう遠ゑん鏡きやうでみますと 河かははみんなまつすぐに見えますね
○
火星人じんが造つくつたものだといふんですな
その通り 火星の運河は 洪こう水ずゐとか噴ふん火くわとかの自しぜ然んの力で出来たとは思へませんね
○
それはちがひますよ、あまり地ちき球うから遠いので 直ちよ線くせんにみえるだけですよ
それは ちがひますな
○
現げんに写しや真しんにも まつすぐにうつりますからね
写真や望遠鏡は まだ完くわ全んぜんではありませんな
あら、また始はじまりさうだぞ
いまにどつちかがヒゲをひッぱつてよ
これは天てん候こう険けん悪あくだぞ
○
星野さん あなたはどうも強ごう情じやうでよろしくない
貴あな方たこそ強情ですわい
あらあら
とうとう ヒゲををひつぱつたい
アハハ おかしい おかしい
○
あつ これはとんだ失しつ敗ぱいだ あなたのお父とうさんの大事なヒゲを 引ひつぱつてしまつたわい
いや かまわんですよ ハハハ
アハハ ハハ ハ
○
いかがです 月野のさん おにぎりを半はん分ぶんさしあげませう
これはどうも
おや また仲なか直なほりだ
仲が良よいんだか悪わるいんだか わからないなあ
○
ぼく達たちも おにぎりをたべたいなあ
さうだつたね これは気がつかなかつた さあ君たちもおあがり
火くわ星せいの話も面おも白いけれど
おにぎりもうまいわね
その通りぢやアハハ
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火くわ星せいへの通つう信しん
○
坊ぼつちやん、わしが研けん究きう室しつを案あん内ないしてあげやう
やあ、うれしいなあ
みせて もらはう
○
わたし 火星へ行つてみたくなつたわ
○
これは、わしが研けん究きうをうけもつてゐる機きか械いですよ
大きなものだなあ
何んだらう
何んの機械だらう
○
いま機械の覆をほひをとりますから 離はなれて見てゐてごらん
アッ わかつた いつかお父とうさんが話してくれた 火くわ星せい信しん号がう器きだ
○
さうです、この機械は 地ちき球うから火星へ信号するのです
すごいなあ
ずゐぶん光るわね
まるで鏡かがみのやうだ
○
さうです これは鏡かがみです ピッカリングといふ天文もん学がく者しやが考かんがへ出した 火くわ星せいへの信しん号がふの仕しか方たです
これで火星へ 信号してゐるのかしら
○
いやこれは実じつ験けん模もけ型いです ほんとうに信号するときは 半はん哩まいる四方ほどの大きな鏡にするのです
半哩四方とは すごい大きな鏡を使ふんだな
○
ほをら あそこの山へ光くわ線うせんを反はん射しやさせましたよ
あら、山へ映うつつてきれいだわ
やあ 光る光る
○
太陽やうの面めんの百ひや万くま分んぶんの一の大きさの鏡をつくると 丁ちや度うど半哩平へい方程ほどの鏡がいることになります
その大きな鏡に 太陽の光をうけさせて光らすと 火星の側がはから見ると第だい五等とう級きふの星の光ほどに光つてみえる……
○
しかしいくら信号をしても 火星に智ち慧ゑのある生いき物ものがゐなければ 我われ々の信号を受うけ取とることができない
やあ あんなに遠くの方の森が照てらされて 明あかるくなつた
○
さあ こんどは鏡の反射を街まちの方へ移うつしてみやう
○
やあ いま光つた所は水すゐ道だうタンクだ
○
でも火くわ星せいに生いき物ものがゐなかつたら かういふ研けん究きうは無む駄だになるわね
いやいや さうではない、学がく者しやの研究に無駄はない 研究さへして置おけば他ほかのことにも応おう用ようできる
○
おぢさん いろいろ見せていただいてありがたう
ほんとうに面おも白かつたわ
おぢさん ありがたう
また、天文もん台だいにやつて来給たまへ 他ほかのものを見せてあげやう
○
やあ 愉ゆく快わい愉快
火星に生物が住んでゐたら面白いなあ
わたしたちのやうな猫ねこもゐるかしら
猫がゐるとすれば、当たう然ぜん鼠ねずみもゐるだらうな
○
火星に鼠がゐるとすれば 鼠トリも発はつ明めいされてゐるだらうなあ
とつた鼠は交かう番ばんにもつていつて 買かつてもらふだらうな
すると 火星には交かう番ばんもあるといふことになるわね
○
あつ これは大変へんだ
やあ 急に目がくらくらしだした
どうしたのでせう わたし
○
さあ早く みんなどこかにかくれろ
やあ わかつた 月野の博はか士せが火くわ星せい信しん号がう器きでぼく達たちへ光ををくつてゐるんだ
なんて まぶしいんでせう
○
ハハハ みんなまぶしがつて逃にげ出したぞ
○
降かう参さんだ
わあ逃げろ 逃げろ
待まつてちやうだい
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火くわ星せいの運うん河が
○
ああ重おもい もうすこしだ エッチラエッチラ
やあ お父とうさんがお帰かへりになつた
○
テン太郎 けふ お父とうさんは気きげ嫌んが悪わるいんぢや
こりや いかん
まあ どうなさいました
○
どうもかうもない わしは月野のさんにヒゲをつかまれたんぢや
おや まあ
お父さんはいつも議ぎろ論んをやつてゐるんだなあ
○
その通り しかし、わしも月野さんのヒゲをつかんでやつた
あなた ではまた火くわ星せいのことか何かで
うん さうぢや
○
わしや腹はらが立つて かういふ風ふうにな うんとひつぱつてやつた
すると 月野もわしのヒゲにぶらさがつて うんとかうして引ひつぱりおつた
○
︵ブス ブスン︶
あつ これは失しつ敗ぱい
まあ大体たい けふは天文もん台だいで かういふ風な大さわぎぢやつたんぢや!
まあ ご本が
これはおどろいた
○
ニャン君 ご主しゆ人じんの おへやで仕しご事とだ 仕事だ 早くきて手伝つだつておくれよ
ご用
いいわ 手伝つてあげるわ
○
大げさね ピチ君 白ハチ巻まきなんかして
そういふ君だつて頬ほほかぶりなんかしておかしいよ
や、これ何んです お父とうさん
なんぢや
○
うむ、それぢや それが月野の博はか士せとの問もん題だいの種たねだつたのだ
それは火くわ星せいの運うん河がを写しや生せいした絵ゑぢや
運河といふのは 堀ほり割わりの大きなやうなのですね
○
さうぢや この運河を望ばう遠ゑん鏡きやうで見ると この様やうに あまり きれいにまつすぐな線せんなんで
︵火かせ星いシヤセイヅ︶
その運河は何か生いき物ものがほつて造つくつたのだといふんですね
○
さうぢやよ 火星に生いきものがゐて運河をつくつたといふ説せつをたてる学がく者しやがゐる
お父とうさんは 火星には生いき物ものがゐないといふんですか
○
わしは居ゐないとはいはん しかし居るともいはん
お父さんはどつちなんです
○
どつちか分らん ただね あの運河の様やうなものは 人間げんなんかでなくともできると言いふのぢや
火星に人間がゐると面おも白いんだがなア
○
テン太郎や 庭にはへ出ておいで
何をするんですか
○
ピチ おまへ この紙をくわへて走れ わがはいがよしといふ所までだ よいか
○
馳かけつこなら あたしだつて負まけないわ
ニャン君くんになんか負けるもんか
○
フーフー どこまで走るんだらう
なあんだ いくぢがないのね
○
博はか士せもつと走るんですか
止まれ よろしい 樹きの上にのぼれ
○
うわあ僕ぼくは犬だから 木のぼりは困こまつたなア
それぢや わたしが代かはつて登のぼつてあげるわ
○
テン太郎サアン この辺へんでいいですか
てつぺんまで登れつて いつてゐるよ
○
もつとのぼるの 少しこわいわね
なあんだ僕をいくぢなしといつたくせに
○
ぢや、もつと登つたつていいわ ちよつと芸げい当たうだわね
おや 博士が大きな声こゑで何か言いつてゐるよ
紙をこつちに見せてくれつてさ
○
さてテン太郎 いまニャン君がもつてゐる紙をよくごらん
何かがかいてありますね
○
おや
たくさん線せんが 引ひいてあるやうですね
あれを火くわ星せいの運うん河がだとして 一つ写しや生せいをしてごらん
○
よしきた、でもよく見えないんです
そんな弱よわ虫むしをいつてはいかん お父とうさんは毎まい日天文もん台だいでもつと遠くを見てゐるんだ
○
これは難むづかしい仕しご事とだなあ
お父さんなんかどうする 毎日地ちき球うと太陽ようとの距きよ離り六千せん二百ひや万くま哩んまいるの向ふを見てゐるんだよ
○
火くわ星せいが地ちき球うに一ばん近いときでも 年としによつて違ちがふが 三千ぜん五百ひや万くま哩んまいるもある
もの凄すごく遠くに 在あるんだなあ
○
いやそれ所か、もつともつと遠くに離はなれてゐる星が 空には一ぱいあるのだ
○
もう我がま慢んできないわ 手がしびれて上からすべり落ちさうだわ
○
なんだ 智ち慧ゑがないなあ 君は足だつて使へるぢやないかあ
○
もう駄だ目よ 足あしもふるへてきたのよ
もう一段だん下の枝えだに 下り給たまへ 叱しかられやしないよ
○
ああお尻しりが 痛いたくなつちやつた
困こまつたなあ ぢやもう一段下の枝へ
○
あたい つまらなくなつたわ
僕ぼくもたいくつだよ 下の枝まで降おりてき給たまへ
○
これなら楽らくだわ あんたキャラメルもつてゐたわね
さうだつた 一つあげやう
○
おや樹きの所に 何も見えなくなつたぞ
ほんとだ ニャン子たち 何うしたのだらう
○
あさうだ 望ばう遠ゑん鏡きやうをもつてきて見てやらう
ああそれから お父とうさんが作つくつてやつた模もけ型いのロケットもとつておいで
○
どれどれ
おやあ これは驚おどろいた ふたりとも樹の下で眠ねむつてゐるぞ
○
このロケットで驚ろかしてやれ
アハハ 驚ろくぞきつと
○
︵ドカン!︶
うわあ おどろいた
○
すつかり眠ねむつちやつた
テン太郎さん ごめんなさいね
○
きみ達たちは、もつと火くわ星せいの研けん究きうに熱ねつ心しんにならなければいけないよ
だつてわたし ずゐぶん高い木のてつぺんに上つてこわかつたわ
まあよろしい
いや、どうも恐おそれ入りました
○
ところでテン太郎 お前の写しや生せいした絵ゑを見せてごらん
こんなにかけました
○
テン太郎 お前の描かいた絵はこれだ ところで
ほんとうの絵はこれだ
あらッ まるで違ちがつちまつた
ほんとに
おかしいわねえ
○
どうぢや目めち茶やくちやな点てんだつて ある距きよ離りから見ると そんなに真まつすぐに見えるんぢや
ほんとうですね だから 星の運うん河がだつて真すぐに見えても 人間げんがつくつたとはいへませんね
その通りぢや お前は呑のみこみが早いぞ
○
月野の先せん生せいは なんとおつしやるんですか
月野博はか士せはロウエル教けう授じゆと同おなじ考かんがへで 火くわ星せいは水が少すくない そこで運うん河がへは火星人じんが大仕じか掛けの給きふ水すゐポンプで水をくばるといふのぢや
ほんとかしら
うそかしら
○
さあ 夕ゆふ飯はんがすんだら 今こん晩ばんはみんなにいいものを見せてあげるぞ
あ、さうだ けふはお父とうさんに幻げん燈とう写しや真しんを見せていただく約やく束そくだつた うれしいなあ
幻燈
まあうれしい 早く見たいわ
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火くわ星せいに人にん間げんが住すんでゐるか
○
これが 火星の運うん河がを想さう像ざうして描かいた絵ゑの幻燈だ
うわあ すごいなあ
この太い管かんはなんでせう
これが きつと 火星の運河のある所に茂しげつてゐる植しよ物くぶつに水を送おくる管だ
○
運うん河がの長さはどれ位くらゐあるんです
それが大変へんぢや 何千ぜん哩まいるも続つゞいてゐることになる
そして時々望ばう遠ゑん鏡きやうで火くわ星せいの運河が二本に見える 学がく者しやはこれを二重ぢゆう運河といつてゐるんぢや
○
それは、ほんとうに二重でせうか
それはわからん 反はん対たい者しやもある
これを主しゆ張ちやうする学者は火星にある運河の四分ぶんの一が、二重だといふのぢや
○
お父とうさん 火星の人間げんはどんな格かく好かうをしてゐるでせうね
それは分らんね 想さう像ざうもつかん またどんな想像したつてかまはん
足あしや手が有あるかも分わからないね
だつてそんな立りつ派ぱな運河をこしらへるんだもの 頭あたまや手はきつと有あるわ
○
さうだ ニャン子のいふ通りだ とにかく何千ぜん哩まいるもの運河を造つくつてゐるとすれば 測そく量りや術うじゆつだけは発はつ達たつしてゐることになる
ソクリョウ術じゆつつてどんなのかしら
ニャン君 きみ、まだしらないのかい
○
ほら よくそとで三本足あしをたてて 望遠鏡のやうなものをのぞいては地面めんや道なぞを量はかつてゐる人があるだらう
ああ 分わかつたわ
あれだよ 僕ぼくなんかちやんと知つてらあ
○
でもね人間の力でなくても 自しぜ然んの力でも いまここに映うつる位ぐらいのまつすぐな運河もできるのぢや ごらんあれを
やあ
満まん月げつだわ
きれいなお月さんだ
○
あの月がいい証しや拠うこだよ 火くわ星せいを調しらべるには月がとてもいい参さん考かうになるんぢや
ぢや 月にも 火星の運うん河がのやうなものがありますか
あるよ しかも 真まつすぐなのもある
○
さあ ごらん これが月の面をとつた写しや真しんだよ まん中の所に真つすぐな線せんがあるだらう
ああ あつた あつた
ほんとだわ
あれはなんです お父とうさん
○
あれは火山ざんの裂さけ目だ 名前はアリアダウエス小せう流りゆうといつてゐる
あれは どの位くらいの長さですか
長さは百ひやく五十哩まいるぢや
○
月には こんな運河のやうなものは沢たく山さんあるんですか
いや 月には十哩まいる以いじ上やうのものはあまりない しかし火星の運河はみな大きいのぢや
○
さあ おそくなつてしまつた これで終をはりだ
みんな早くおやすみ またあしたね
ぢや お父さん おやすみ
おやすみなさい
おやすみなさい
○
さあ眠ねむらう いい月だなあ
わたし火くわ星せいの童どう謡えうができたわ
ぢや うたつてごらん
○
火星に猫が居ゐるならば ニヤンとはなかない﹇#﹁なかない﹂は底本では﹁なかな﹂﹈ワンとなく
やあ うまい うまい
ひどいなあ ぢや僕ぼくだつてできた
○
火星に犬が居ゐるならば ワンとはなかないニヤンとなく
やあ うまい うまい
ひどいわ ひどいわ
○
わたしの歌うたのまねだわ まねだわ
あれッ 痛いたいッ 僕の顔かほをひつかいた
あつ 喧けん嘩くわをするんぢやないよ よしなつてば
○
さあ仲なかよく合がつ唱しやうしやう
火星に猫ねこがゐるならば
火星に猫ねこがゐるならば
○
おやまあ なんてさわがしいんでせう
○
シッ お母かあさんが来たぞ
大変へんだ
もぐれ もぐれ
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空くう中ちゆ飛うひ行かう
○
グー グー
グー グー
クー クー クー
おや みんなよく寝ねてゐるやうだわね
○
お母かあさんが行つてしまつた みんなこんどはほんたうに眠ねむらうね
クウ
○
テン太郎さん テン太郎さん テン太郎さん
クー
クー
クー
○
テン太郎さん
テン太郎さん 早く起おきてください 大変へんです 大変です
オヤ 何んだらう
グー グー
クー
○
おや ストーブの煙えん突とつの穴あなから何か入はいつてきたわ
テン太郎さん
テン太郎さん
○
まあ たくさん出てきたわ
あなたは誰だれ
僕ぼく達たちは火くわ星せい人じんです
早く テン太郎さんを起おこして下さい
○
火星人…… まあ大変へんだわ それではすぐ起すわ
洪こう水ずゐがやつて来さうです
すぐ仕した度くをして逃にげださなければ大変です
○
テン太郎さん 早く起きて下さい 大変よ 大変よ
あつ おどろいた どうしたの
ムニャ ムニャ
こちらの 耳の長いかたも起きて下さい
○
やあ 一体たい全ぜん体たいこれは何だい ずゐぶん小さな人間げんだなあ
この人達たちは 火星の人たちです、さあ
クン クンクン 気持ちが悪わるいな
○
ごらんなさい もう洪水がやつて来ました
いつたい ここは どこなんだらう
テン太郎さん 早く逃げませうよ
ここが火星ですか おかしいなあ
○
あつ 窓まどの外そとはすばらしい街まちだ
まあ なんてきれいな所なんでせう
やあ驚おどろいた りつぱだなあ
さあ早く仕度をして下さい
○
僕ぼくたちはどうして火くわ星せいへやつて来たらう
わたしも わからないわ
僕もだ
さあ そんなことはどうでもいいのです 窓まどから早く
○
やあ高いなあ こんな所から飛とび降おりられないよ
わたし とても駄だ目よ こわいわ
○
僕たちを信しん用して下さい ほらかうして飛び降りるんです
○
あなた達たちは地球きうからの大切せつなお客きや様くさまです 悪わるいことにはなりません
ぢや わたし体からだが軽かるいから先に飛び降てみるわ
それでは僕だつて
僕も降りることにしやう
○
やあ 愉ゆく快わい愉快
体からだがふわふわと飛んでるぞ 不ふ思し議ぎだなあ
どうです 地球とはまるでちがふでせう
あらまあ 蝶てふ々のやうに飛べるわ
ほほ これは面おも白い 面白い
○
ごらんなさい あそこを いま火くわ星せい人じんは洪こう水づゐを避ひな難んしてゐます
やあ 雲くものやうに たくさん火星人がとんでゐる
あらまあ 鳥とりのやうに建たて物ものの屋や根ねの上にとまつてゐるわ
○
さあ 僕ぼくたちがあなた達たちを安あん全ぜんな所へ案あん内ないしませう
洪こう水づゐはいつまでもつづきますか
火くわ星せいの洪水はきまつてあるのです
あれ あれ 水があんなにあふれて来たわ
運うん河がの岸きしが いまにもかくれさうに水がびたびたになつちまつてゐるぞ
○
うわあ! すごい建たて物ものだなあ
なんて高い建物でせう
これは地球きうホテルといふ 火星一の高いビルデングです
○
このホテルは 地球からのお客きや様くさまを迎むかへるために、わざわざつくつたのです
すると僕達が 最さい初しよのお客なんですね
地球からの第だい一着ちやくだすごいぞ
面おも白いわね
○
さあ こゝが貴あな方たたちの部へ屋やです
まあ! きれいなベット
きれいな敷しき物もの
どこもこゝも縞しま模もや様う
○
とんだり はねたり おもしろい
さあ 下の露ろだ台いにでてみませう
○
やあ、火くわ星せい人じんの行ぎや列うれつだ
みんな妙めうな格かつ好かうをするわ
何か歌うたつてゐるよ
あれは あなた達たちを歓くわ迎んげいしてアイサツをしてゐるのです
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火くわ星せいの首みや都こミルチス・マヂョル市し
○
これから 市しが街いを御ごあ案んな内いいたしませう
ここの街まちは なんといふのです
火星の首みや都こです ミルチス・マヂョル市といふのです
○
ごらんなさい この素す晴ば﹇#ルビの﹁すば﹂は底本では﹁すばら﹂﹈らしい火星の運うん河がを
大きいなあ
なんて立りつ派ぱなんでせう
この運河はまつすぐだい
○
この運うん河がはなんに使ふんですか
火くわ星せいでは一年に数すう回くわい大洪こう水ずゐがあるのです、そのときに畑はたけに水をやるんですよ
○
あの畑にはなにが植うへてあるんです
トマトですよ
それから何にがあるの
トマトよりありませんよ
おどろいた あの畑がみんなトマト
○
さうですよ 地球きうではパンとか米こめとかが常じや食うしよくでせう、火星の人間げんは トマトだけよりたべないんです
トマトだけしかたべないから 火星の人は大きくならないんだわ
きつとさうだよ
でも体からだが小さくても 智ち慧ゑがあるようだな
○
ふふふ 智慧は地球の人に負まけませんよ、そら あの人たちをごらんなさい
おや?
頭あたまの大きな人と
頭の小さな人とがやつてきたね
○
火星人は 頭の大きい人はものを考かんがへてばかりゐるんです
頭の小さい人は?
小さい人は 働はたらいてばかりゐるんです
頭の大きい人の考へたことは
頭の小さい人がどんどん作りあげてしまふのです
○
やあ トマトの収とり獲いれだ
ほら いま面おも白いことが始はじまりますよ
あら トマトを運はこび出したわ
○
火くわ星せいでは一日に二回くわい 食しよ物くもつを市しみ民んに配くばります
やあい みんな窓まどから首を出した
○
ほら、あゝして下から投なげるのですよ
やあ上じや手うづだなあ
○
うけとるのもうまいわね
あんな高いテッペンまで上る
僕ぼくもトマトを喰たべたいなあ 好すきなんだけれどなあ……
○
ほら 合図づをすると投ほうつてくれます
やあ投げてくれたぞ
上手にうけとれ
○
おいしい おいしい
舌したが落ちさうにうまいわ
火星のトマトはうまいぞ
○
向ふの建たて物ものが市しや役くし所よ
その左ひだりの曲まがつた建物は何んです
建物ではありません あれは火星の天体たい望ばう遠ゑん鏡きやうです
えつ望遠鏡? すごいんだなあ
○
ぢや、あそこが火くわ星せいの天文もん台だいですか
さうです 行つてみませう
○
御ごせ紹うか介いします こちらが火星天文台の所しよ長ちやうさんです
僕ぼく 星野のテン太郎です
わたし 星野ニャン子よ
僕は 星野ピチです
○
僕のお父とうさんは 地球きうの天文台で研けん究きうしてゐます
これはこれは ようこそ 星野さんは私よく存ぞんじてをります
あれつ?
○
こないだは あなたのお父さんと月野博はか士せと髯ひげのひつぱりつこをやりましたね
あれつ? どうして知つてゐるんだらう
○
よく知つてゐますよ あははゝゝ
地球の出来事ごとは 火星からは、みんな見えるのですよ
おどろいたなあ………
○
なにも驚おどろくことはありませんよ
みなさん、この天文台の設せつ備びを注ちゆ意ういして見て下さい
すごいなあ……
○
テン太郎さん あなたのお父さんは どんな望ばう遠ゑん鏡きやうをお使ひになつてゐますか
いろいろあります 口さし径わたし六吋インチのと 大きいのは二十四吋インチのと
火星のは 地球のの千倍ばいも大きいのを使つてゐます
○
ぢや地球きうの出来事ごとは なんでもみえるんだなあ
さうですよ さあ一つ望ばう遠ゑん鏡きやうをのぞかせてあげやうか
○
さあ テン太郎さん ごらんなさい
アッ? お父とうさんだ
わたしにも見せて
僕ぼくにも
○
あなたのお父さんが 何にかしきりに計けい算さんしてゐるでせう
ほんとにさうだ
やあ 手帳ちやうの上の数すう字じまで見える
○
お父さあーん 僕です テン太郎です
あははゝゝ 呼んだつて聞えませんよ
わたしにも見せて
○
さあ 望遠鏡の方向かうをかへて見ませう
あら なんだか見たことがあるやうなところだわ
どれどれ 僕にも見せて
○
あれつ わかつた! お豆まめ屋やだ
ぢや 学校のそばにあるお豆屋かしら?
どれどれ 見せて
○
やつぱりさうだ やあ 子供どもが豆を買ひに来た おや、おぢさんが豆を三粒つぶこぼした
○
おどろいた 何んでも見えるのね
どうもいろいろありがたうございました
地球へかへつたら 星野の博はか士せや月野博士によろしく
さあ これから市しち長やうが貴あな方たたちの歓くわ迎んげ会いくわいをひらくそうです 行きませう
﹇#改ページ﹈
大だい歓くわ迎んげ会いくわい
○
あれが ミルチス・マヂョル市しち庁ようの玄げん関くわんです
やあ…
りつぱですね
○
やあ ずゐぶん列ならんでゐるな
わたし なんだかはづかしいわ
なんだ弱よわ虫むし 大丈ぢや夫うぶだよ
○
テン太郎さん この人がミルチス・マヂョル市長ちやうです
これはこれは ようこそ ようこそ
○
さあ どうぞ ここへおかけ下さい
こんな正しや面うめんにですか
地球きうからのお客きやくさんです さあどうぞ
○
ニャンちやん すましてゐるなあ
あんただつて気取つてるわ
○
これより地球きうからはるばるおいでになつた お客きやくさんの歓くわ迎んげ会いくわいを開ひらきます
まづ最さい初しよ 地球のお客さんから 自じこ己せう紹か介いをしていただきます
?
?
○
こまつたわ ジコショウカイつてなんだか わたし知らないわ
僕ぼくも知らないよ こまつたなあ
それはね 自じぶ分んがどういふものだか 自分でいふことを 自己紹介といふんだよ 僕がするからまねをしたまへ
○
みなさん今こん日にちは 僕は地球の小学生で名前は星野のテン太郎 毎日学校へ行くのが仕しご事とです
ははあ学校 火くわ星せいにはさういふものはありませんな
○
僕は 星野のピチといひます 地球の犬であります 仕事は 泥どろ棒ぼうや怪あやしいものを追おひ払はらふことです
ははあ 犬、泥棒 怪しいもの火星にはさういふものは居をりませんな
○
わたくしは星野ニャン子と申もうします 地球の猫ねこの女をんなの子であります 仕事は悪わるい鼠ねずみを喰たべたり 追つたりいたします
猫,鼠 さういふものは火星にはをりませんな
○
これより音おん楽がく会くわい つづいておどりの大会くわいをひらきます
○
すてきねー
このすばらしい音おん楽がくはあのラッパのある自動音楽機きが ひとりで奏やつてゐるのです
愉ゆく快わいだなあ
○
あつ、これはへんだぞ
どうかしましたか
○
急にお腹なかが痛いたくなつてきた
それは大変へん!
あら わたしもお腹がチクチク痛くなつてきた
○
ウーン ウーン
痛い 痛い あいたつッ
僕ぼくもお腹が痛い
これは大変だ 病びやう気らしい
さつそく病院ゐんに送おくるやうに
○
お腹が痛い ウーム
痛い痛い
アーン アーン
早く 病院車しやを呼べ
みなさん せつかくですが歓くわ迎んげ会いくわいは中ちゆ止うしにいたしまあーす
﹇#改ページ﹈
腹はら痛いた
○
地球きうのお客きやくさんが病気になつたのだ
どうしたのだらう
やあ 病院車がやつてきた
︵みなさん さわがないでくださあーい︶
○
いたい いたい
ピチ あんまりあばれてはいけないよ
でも 痛いたいんだア
○
どうも 様やう子すがわからん
みなさん 手をかして下さい
病びやう人だから静しづかにのせて下さい
○
それ! 病院ゐんまでスピート
○
さあ 病院へ着つきましたよ
○
さつそく 注ちゆ射うしやを百ひやつ本ほどやらなければ
ウワア そんなに注射するんですか
○
ここがレントゲン室しつです お腹なかの中を見てあげませう
お医ゐし者やさん 早くみてちようだいよ いたいんですもの
○
ははあん これは怪あやしい
お腹 どうかなつてゐますか
早く痛いたいのを治なほして下さい
痛みはすぐとめてあげますよ
しかし これは治ちれ療うが長引びきますな
○
さあ 病びや室うしつに入るのです
これこれ 病室にベットを三つ用意いして
はい
困こまつたことになつたねえ
○
しづかに寝ね﹇#ルビの﹁ね﹂は底本では﹁て﹂﹈てゐらつしやい
どのくらゐたつたら治なほるんだらうなあ
痛みはすぐとめてあげますよ
やあ うれしい
○
ただいま市しち長やうからお見舞まいの花がとどきました
どうですみなさん 痛みはとまつたでせう
やあ 痛いのが治つたぞ
○
さあ 市長からの花束たばです
やあ ありがたう
火くわ星せいの市長さんは親しん切せつだわね
きれいな花だなあ
○
あれつ? 僕ぼくが花を握にぎつたら燃もえだした
どうしたんでせう
これは大変へんだ
いや それほど熱ねつが高いのです だからおとなしく寝ねてゐることです
○
テン太郎さん どうなんるんでせうね
なに すぐ治なほるよ 火くわ星せいの医ゐが学くは進しん歩ぽしてゐるよ
○
これは驚おどろいた 僕も、大変へんな高かう熱だ
あら? 手にふれるものがみんな燃えちまふわ
わあ みんなすごい熱だ
○
あの病びやう気はつまりペチャ クシャ
うむ、それでペチャ ペチャ
それだから ペチャクシャ
どうも大ぶ病気が重おもいのぢや
○
あれつ? なにを病人がさわいでゐるんだらう
︵ドタン バタン︶
○
やあ みなさんどうしました
だつて 手にさわるものみんな燃えるんだもの
いま火を消けしてゐるんですよ
○
火が燃もえ出したらテン太郎さん そこのボタンを押おして下さい
ボタン?
どれでせう
あゝ このボタンを押すんですか
○
︵ザザアー ザアー ザアー︶
○
あつ? びつくりした
天井じやうから大雨が降ふつてきた
やあ これは面おも白い面白い
○
熱ねつが大ぶありますから あまり手をふりまはさないやうに
みなさん 手を額ひたいの上にのせて寝ねてゐるのです
これは退たい屈くつだなあ
あゝ 早く治なほりたいわ…
○
さて、みなさん あなたたちは今け日ふなにを召めし上りました トマトをたべたでせう しかも種たねまで
ハイ 僕ぼくたちはたべました
○
それがいかんのです 種をたべたのが
地球きうでは トマトは種までたべるんですよ
○
火くわ星せいではトマトの種たねはたべません 種は、ていねいに出して運うん河がに捨すてます
すると 大洪こう水ずゐのとき種は畑はたけに自しぜ然んにまかれる
それぢや 種をまかなくてもいいや
○
あなた方は トマトを種ごと呑のんだ だからトマトが お腹なかに生はへだしたのです
えつ? 僕ぼくたちの体からだの中に?
トマトが生へだしたんですかあ?
ウワア! 困こまつた
○
困つたなあ
アーン アーンあたし 困つたわ
泣いたつて治なほりはしないよ
いや心しん配ぱいなく かならず治してあげませう
ぢや また見舞まひにまいります﹇#﹁まいります﹂は底本では﹁まいりま﹂﹈
﹇#改ページ﹈
トマト騒さう動どう
○
あゝ つまらないなあ
ピチちやん さう手をふりまはしちやだめよ
いやだ 退たい屈くつだよ
○
わあ面おも白い 握にぎつたものがみんな燃もえるよ
だめだつたら ピチちやんおよしよ およしつたらさ
うるさいなあ
○
みんな静しづかにゐなけりやあ治なほらないよ
そう手をふりまはしちやだめだつたらさ
いくら言いつてもわからないのこのひと
あ痛いた! あれつ 引ひつかいたな
○
あつ! ニャン君 大変へんだ
あら わたしのリボンが どうしやう
あッ!
○
困こまつちやつたなあ
アーン アーン
だれか早く消けしてちようだい
さうだ早くあのボタンを押おさう
○
やあ これは涼すずしい
ごめんね ニャンちやん
アーン アーン だつて わたしこれきしリボンもつてないんですもの
○
ひどいわ ひどいわ リボンがない……
アーン アーン
ごめんね そのうちにどこからか拾ひろつてきてあげるわよ
○
もし もし
あつ だれかきた
……
……
○
まあー みなさん どうしました 室へやの中が水だらけ
やあ病びや院うゐんの看かん護ご婦ふさんだ
看護婦さん ピチちやんがわたしのリボン燃もやしてしまつたの
○
ボタンを押おして 水をとめて下さい
ホイキタ 合がつ点てんだ
○
とき〴〵喧けん嘩くわするんですよ
だつて リボンをなくしちやつたんだもの
さあ 泣くんぢやないですよ かわりをあげませう
○
さあ わたしのリボンをあげませう
まあ うれしい!
やあ! 素すて的きだなア!
○
ではみなさん 喧嘩をしないで おやすみなさいよ
看かん護ご婦ふさん リボンありがたう
看護婦さんおやすみ!
○
僕ぼくが﹇#﹁が﹂は底本では﹁か﹂﹈ 君のリボン 焼やいたからもらつたんだよ
そんなことないわよ いぢわる﹇#﹁いぢわる﹂は底本では﹁いちわる﹂﹈
親しん切せつな看かん護ご婦ふさんだな
○
困こまつたなあ トマトがお腹なかに生はへる病びやう気なんて
わたし 地球きうへかへりたくなつてきたわ
駄だ目めだい 病気が治なほらなければかへれないや
○
では あの地球からのお客きやくさんたちは 野やぐ外わい病院ゐんの方へ移うつしませう
なるべく患くわ者んじやを驚おどろかさないやうにね
準じゆ備んびはできました
﹇#改ページ﹈
火くわ星せいの看かん護ご婦ふさん
○
あなた方がたはこれから野外病院の方へ移うつります
どうです 体からだの具ぐ合あ﹇#ルビの﹁ぐあ﹂は底本では﹁ぐあひ﹂﹈ひは
どうも熱ねつが下りません
外そとの病院へ行くんですか
○
では トマトの葉はつぱで三人とも目かくしをしてくれ
はい かしこまりました
どうするんですか
心しん配ぱいだわ
○
そんなに心しん配ぱいしなくともいいですよ
でも、わたし気味みがわるいわ
あゝ 何んにも見えない
自動車を三台だい用意い
はい かしこまりました
○
用意ができました
では出しゆ発つぱつ!
○
どの辺へんを走つてゐるのか さつぱりわからない
ここは運うん河がづたひに走つてゐるのです
○
野やぐ外わい病びや院うゐんといふのはどんなところです
それはハイカラな病院ですよ
○
みんな離はなればなれになつてしまつたわ
またすぐみんなと一緒しよになりますからね
○
さあ みなさん病びや院うゐんに着つきました
この辺へん一帯たいが病院です
だつて目かくしされてるから見えませんよ
クンクン 何にか良よい匂にほひがする
トマトのやうな匂ひがする
○
さあ この入口から階かい段だんを下りませう
ころばないやうに
○
なんだか地面めんの下を歩いてゐるやうだ
さうなんです
わたし いやだわ
心こころ細いね
○
長いらうかだなあ
いやになつてしまふわ
もうすぐ地上じやうに出られます
○
さあみなさんもう着つきました
葉はつぱの目かくし取つていいですか
まだ まだ
○
あなた この台だいの上に立つてゐてください ころばないやうに
やあ体からだが上へあがるやうだ
︵ぶるん ぶるん ぶるん︶
○
お次つぎーあなた さあ、しつかり立つて
よし スイッチをいれてくれ給たまへ
○
︵ぶるん ぶるん ぶるん︶
やあ 天国ごくへゆくのか 地獄ごくへゆくのか わからない
○
さあ猫ねこのお嬢ぢようさん あがりますよ
あたし こわいわ
心しん配ぱいしなくてもいいのです
○
︵ぶるん ぶるん ぶるん︶
あゝ こわいー
○
さあ 仕しご事とがすんだ 帰か﹇#ルビの﹁か﹂は底本では﹁かへ﹂﹈へらう
あの病びやう人たちは 地球きうの病人なんで骨ほねが折をれますね
どうも 火くわ星せいの病人とは勝かつ手がちがひますね
○
わつ こんなところに出てきた
これはガラスの筒つつの中だ
みんなはどうしたらう
○
あらまあ! みんな こんな容いれ物ものに入れられちやつた
○
うわあ みんな ちりぢりばらばらになつてしまつた
テン太郎さーん 早く救たすけて下さい
僕ぼくだつて出られないんだよ
○
こりや いくらあばれても駄だ目だ くやしいなあ
よし! ここを出たらトマトたちめ みんな踏ふみつけてやるから
わはあ 地球きうのお客きやくの喰くひしん棒ぼう
種たねまでたべたいやしん棒
ずゐぶん貴あな方たたちは意い地わるね さうのぞくもんぢやないわ
お腹なかにトマトが生はへるとさ
うわあ、これぢや手も足あしも出ないや とんだ野やぐ外わい病びや院うゐんに入れられてしまつた
○
おや お医ゐし者やさんがやつてきた
どうです 火くわ星せいの病びや院うゐんはなかなかいいでせう
ちつともよかないわ
早くこんなとこ出してよ
ははあ おとなしくしてゐませんな
○
お医者さん ひどいですよ こんなところに押おしこめて
いや さうではありません 地球きうにだつて温おん室しつといふのがあるですよ
○
どれ診しん察さつしませう
うわッ!
そう こわがらなくてもいいですよ
だいぶよろしいやうですな
○
こんどはアーンと舌したを出してごらん
アーン
○
いや なかなかりつぱな舌ですな
いや みごと、みごと
舌なんかどうでもいいや いつ治りますか
○
さやう 千年ねんぐらひたつたら退たい院ゐんができるでせう
え! 千年?
ウワアー
アハハハ
○
さてこんどは猫ねこのお嬢ぢようさんいかがです
ずゐぶんひどいわ こんなところに入れて
ほほう 大立りつ腹ぷくですな すぐ治なほりますよ
○
あら まあ嬉うれしい! 親しん切せつな看かん護ご婦ふさんだわ
ほう 猫ねこのお嬢ぢようさんはだいぶ君が気に入つてゐるやうだよ
ええ リボンをさしあげたのです
○
このガラスの筒つつの中は 地球きうの温おん度と同おなじにしてあるのです
なるほど
さうすればトマトが 生えないですむんですか
その通り
○
ぢやみなさん おとなしくしてゐるんですよ
またきますからね
○
もう へたばつてしまつた
どこを見てもトマト畑ばたけばつかりつまらないわ
地球へかへりたくなつたなあ
○
なんとかしてこゝを出られないかなあ
わたしだつて帰かへりたいわ
お父とうさんやお母かあさんに 急にあひたくなつてきた
○
やあ テン太郎さんがメソメソ泣き出した
無む理りないわ あたしだつて悲かなしくなつちまつたわ アーン アーン
みんな地球がこひしくなつたんだ
﹇#改ページ﹈
地ちき球うに向むかつて
○
やあ 嵐あらしだ! 嵐だ!
わつ! こわい! 稲いな光びかりが!
すごい暴ばう風ふう雨うだ!
○
わア!
助けてえ!
みんな しつかりするんだよ
○
わあ ガラスの病びや院うゐんが倒たふれさうだぞ
もしかするとわたしたち 出られるかもしれないわ
風よ吹け吹け ガラス病院を吹き倒してくれ
○
ワッショイ ワッショイ﹇#﹁ワッショイ﹂は底本では﹁ワッシイ﹂﹈
風さーん 頼たのみますよ
やつ? 病院が舞まひ上つた!
○
あれあれッ?
大変へんだ!
どうしやう?
○
あつ!
︵ガチャン☆︶
○
やあ 出られた
うれしーい
○
さあ みんな集まれ!
テン太郎さあーん
どうしませう
○
どうしませう テン太郎さん
何んとか考かんがへなければ…
あッ 向ふから
親しん切せつな看かん護ご婦ふさんが走つてきた
○
やあ 看護婦さん!
わたしたち ひどい目にあつたわ
さあ みなさん! 今のうちに早くこの火くわ星せいからお逃にげなさい
○
またガラスの病びや院うゐんをかぶせられてしまふのはいやだい
すぐ天文もん台だいに行くのです 早く 早く! そしてロケットでお逃げなさい
○
看かん護ご婦ふさん ありがたう
さあみんな続つゞけ!
早く! 早くしないと追おつ手がきます
○
なにをしてゐるのさ ピチクン トマトなんかむしつたりして のんきだわね
いや ロケットに食しよ糧くれうを積つみこまなければ!
抜ぬけめがないな
○
走れ 走れ
地球きう行きのロケットは 格かく納なふ庫この一ばん右はじです
ありがたう!
○
さうだ! わたし看護婦さんにリボンもらつたんだけれど お別わかれの記きね念んにあげるものないわ
ぢや これをあげりやいい
○
ほんとにいいことを思ひついてくれたわ
これあげるわ 服ふくのボタンだけれど
まあ! きれいだことありがたう ではさやうなら
○
さあ 天文もん台だいがすぐだよ
走れ 走れ!
○
さあ 着ついたぞ!
これが格かく納なふ庫こだ
どこから入りませう
○
格納庫の天窓まどから入らう
よしつ!
それがいいわ
○
みんな 風に吹き飛とばされないやうに気をつけるんだよ
○
みんな 気をつけるんだぞ
危あぶない 危い
あッ! ここから入れるぞ
○
やあ ずゐぶんロケットがならべてあるな
うわあ! 驚おどろいた 地球きう行きはどれだらう
あんまり沢たく山さんあるからわからないわ
○
格かく納なふ庫この右端はしだと教をしへてくれたよ
これは金星せい行きのロケットだわ
あつたあつた! これだこれだ!
○
さあ、早くのりこまう
だつて広ひろ場ばにロケットを引き出さなければね
かまふものか このまゝ発はつ射しやして屋や根ねを突つき抜ぬいてしまふんだ
○
テン太郎さん あんたロケット操さう縦じうできて
僕ぼく 知らないや
ぢや 駄だ目めだ
○
大丈ぢや夫うぶだよ そこらへんのボタンをみんな押おしてみるんだよ
僕 ハンドルをみんな動かしてみる
それがいい それがいい
○
なんだらう ここに革かは帯おびがついてゐる
わかつた それで体からだをしばるんだわ
○
しめた! 動きだした!
︵ブルンブルン シュシュシュ︶
○
︵ヅドン︶
すごいぞ!
わッ! ロケットが屋や根ねを突つきぬけた!
すごいぞ!
○
そこの丸まる窓まどからのぞいてごらん
あら! 看かん護ご婦ふさんが見送おくつてゐるわ
看護婦さーん
○
さらば火くわ星せいよ!
○
もうどの位くらゐ飛とんだかしら
出しゆ発つぱつしてから一分ぷん五秒べう!
早さはどの位?
おゝ ものすごい! 一時じか間ん七千せんキロメートルの早さだ
○
どうしたの?
あれえ? 変へんだぞ 早く舵かぢをさがしてくれ
舵はどれかしら
○
どうも見けん当たうがちがつた 地球きうぢやない 月に向つて走つてゐるらしいんだ
えッ! 月に向つて?
大変へんだわ どうしやう
○
やあ月だ
○
これは大変へん
月なんかに着ついたら困こまつてしまふぞ
○
あッ これが舵かぢらしいよ
早くロケットを 地球きうに向けなければ
○
やあ どうやらこんどは地球に向つてゐるらしい
○
やれやれ やつと安あん心しんした
ほんとに心配ぱいしてしまつた
○
おや? なんだか見たやうな街まちに着つきさうだなあ……
○
あれあれ? 大変だ! 火くわ星せいに舞まひもどつてきたわ
○
さあ困つた! どうしたんだらう
あゝ 汗あせびつしよりだ
○
あれ? わかつた! ピチクン あんた変へんなボタンを踏ふみつけてゐるわ
あッ! これはいけない
やあ 成せい功こう! 成功
○
まつすぐに地球きうへ向つたらしい
○
ニャンちやん 右のハンドルをまはしてくれ
ピチクン そこのボタンをおしてみてくれ
やれ いそがしい
○
︵ピピ ピピ ゲロンゲロン︶
︵ダダダダ︶
︵しゆしゆ︶
ゲロン ゲロンだつてさ おかしい音だわね ホホ
○
おお 地球きうが近づいてきたぞ
○
あの光つたところは 太平へい洋やうらしいね
テン太郎さん 海の中へ落さないやうにたのみますよ
○
テン太郎さん トマト一つたべません
トマトどころぢやないよ ロケットが故こし障やうかもしれないんだ
︵ピピ ピピ︶
○
あれ ニャンちやん トマトをまた種たねごと喰たべちやつた
いいわよ トマトが生へたら地球のお医ゐし者やさんに治なほしてもらふから
のん気な連れん中ぢゆうだな どうもロケットがおかしいぞ
︵ゲロン ゲロン︶
○
︵ゲロンゲロンゲロンゲロ︶
またゲロンゲロンが始はじまつたわ
やッ 大変へんだ! ロケットが故こし障やうだ!
早く早く パラシュートの用意いだ!
︵ピピィピィピィ︶
○
どうするのよ
パラシュートを体からだにつけるんだ
扉とびらを開あけたら外そとに飛とび出す用意!
○
︵ゲロン ゲロン ダダ プップッ︶
やあ大変 横よこふりだ
○
︵ババン︶
うわーい 破はれ裂つしたい
○
ニャンちやん ニャンちやん
おや気絶ぜつしてゐる
○
よし 一つ活くわつを入れてやれ
︵ポン︶
ウーム……
○
あ! わたし達たち助かつたわ
○
︵ブツン︶
あッ!
○
墜つゐ落らくだ
○
痛いたいッ
○
あれッ? ここはどこだ?
○
あれッ 君達はどうしてたの?……
テン太郎さん 寝しん台だいから落つこちたりして
きつとねぼけたんだよ
○
あゝ助かつた 夢ゆめでよかつた
夢をみたんだよ
わたし達びつくりしたわ
○
僕ぼく 君達たちと火くわ星せいへ行つた夢ゆめをみたんだよ
だつて僕はなんにもみない
わたしだつて 何にもみやしないわ つまらないわね
﹇#改ページ﹈
テン太たら郎うの報はう告こく
○
お父とうさん 僕ゆふべ火星へ行つた夢をみました
それはよかつた わしも見たかつたな
○
ピチクンも ニャンちやんも いつしよでした
わたし そんな夢 みないわ
僕ゆふべの夢はつまらなかつたの
ははゝゝ 大勢ぜいで同おなじ夢をみるわけにはいかないよ
○
火くわ星せいには天文もん台だいもありました そこの所しよ長ちやうさんがお父とうさんを知つてゐました
エッ? わしを火星で知つてゐたか?
○
エヘン! オホン
さうぢやらう そこでわしの研けん究きうを火星で知つてゐたかね
ええ 何にもかもみな知つてゐました
○
月野の博はか士せとお父さんと髯ひげの引ひつぱり合ひをしたのも
えッ? それはまたどうして? ……
︵フフ︶
︵クスクス︶
○
火星では 高い大きなビルデングのやうな望ばう遠ゑん鏡きやうで 地球きうの出来ごとをみてゐるのです
ナニ?
そんなばかげたことがあつてたまるものか
○
だつてお父さん ほんとにあつたんです
そんな馬ば鹿かなことはない!
まあ貴あな方た それはテン太郎の夢ゆめの話ぢやありませんか
○
僕ぼく 夢でほんとにみたんですよ
ほい 失し敗まつた! 本気に腹はらをたてたか ははゝゝ
○
さあさあ 朝ご飯はんの仕した度くができました
しかしね テン太郎
地球きうから火くわ星せいを見るのに大望ばう遠ゑん鏡きやうがいるとはかぎらん
小さな望遠鏡でもいいんですか
○
さうぢや 鏡さし径わたし八インチか十インチもあれば沢たく山さんぢや
望遠鏡の大きさより大切せつなことがある
それはなんです
○
それを天文もん学がく者しやは﹃グット・シーイング﹄といつてゐるんだ
これは専せん門もん語ご﹇#﹁専門語﹂は底本では﹁専問語﹂﹈だよ
グット シーイング
グット シーイング
○
グット シーイング 僕ぼくは天文学の専門語﹇#﹁専門語﹂は底本では﹁専問語﹂﹈を覚おぼえてしまつたぞ エヘン!
おやムヅカシイことを言つてテン太郎 それは一体たいなんのことですか
あれ まだ聞いてゐなかつた
○
ははゝゝそれはね 天体たいを見るには機きか械いにばかり頼たよらないで﹃見るのに具ぐ合ひのいい調てう子し﹄にしておくことだよ
あゝ わかつた 高い山のてつぺんに天文台をつくるとか
○
さうだ、しかしいくら高い山へ建たてても雲が多おほいとこぢや駄だ目だ
さうですね 高くて雲がなくて
○
さうだ 地球の上の雲はぢやまになる しかし火星の雲を見るのは これは仕しご事とだよ
むづかしいんですねえ…
○
テン太郎 火くわ星せいに人間げんがゐたか
ゐましたよ 頭あたまの大きいのと小さいのと
あらー いつてみたいわねえ
ホヽヽ 面おも白いところねえ
○
気に喰くわん 生いき物ものが居ゐるはづがない 空くう気が薄うすくて住めんはづぢや
あれ、またお父とうさんが テン太郎の夢ゆめの話で憤ふん慨がいしてゐますよ
○
あ また失しつ敗ぱいした
○
それから僕ぼくは 体からだがとても軽かるくなつて 空を自由いうにとびまはりました
あらー あたし いつてみたいわ
だめだい テン太郎さんの夢の中へ行けるかい
○
火星の表へう面めんは地球きうの引いん力りよくの五分ぶんノ二しかない だから人は地球にゐるときより二倍ばい半は高く飛とべるが しかし、それ以いじ上やう高くは飛べるはずがないのぢや
なあーんだ それつぽつち﹇#﹁それつぽつち﹂は底本では﹁それつぱつち﹂﹈ぢやつまらない
お父さん 僕それから市しち長やうにあひました 街まちの名まへはミルチス・マヂョル市といひました
○
︵えつ! ミルチス・マヂョル?︶
あつ! 危あぶない! お父さん
博はか士せが目をまはした
どうなさいました 貴あな方た!
○
お父とうさん しつかりして下さい
まあ お行ぎや儀うぎが悪わるい
いや 驚おどろいたよ
あゝ びつくりした
○
テン太郎 お前の行つた街まちがミルチス・マヂョルといつたかね
ほんとうですよ
なんですか そのミルチス・マヂョルといふのは貴あな方た
○
わしは驚ろいたよ お前の夢ゆめの話の中でそれだけは真ほん当たうのことだよ
エ? お父さん ほんとにあるんですか
まあ 火くわ星せいにさういふところがあるのですか
○
火星の街の名前ではないが 別べつに地球きうの学がく者しやがつけた運うん河がの名前にたしかにあるよ
どうしてテン太郎がそれを夢にみたでせう
○
たしか ミルチス・マジョルといふのもあれば 運河にはネクタル・アガトドエモンとか ハデスとか みんな名前が﹇#﹁名前が﹂は底本では﹁名前か﹂﹈つけてある
それぢや 火星の地ち図づがちやんとできてゐるんだなあ
○
それにしてもお前が夢でミルチス・マジョルをみるとは どうも不ふ思し議ぎだ
ほんとにふしぎだわ
ほんとにねえー
○
どうもおかしい まてよ
○
あら どこへ行つたんだらう
○
テン太郎さんばかり面おも白い夢ゆめをみてつまらないな
あ、さうだ さうだ ニャンちやんは火くわ星せいの看かん護ご婦ふさんからリボンをもらつたんだよ
まあ! ほんとう……なら……うれしいけど
○
これぢや これぢや
○
テン太郎 お前まへはいつかお父さんの書しよ斎さいでこんな本を見たことがなかつたかい
どんな本です 僕ぼくときどきお父さんの本を見ますから
○
この本ぢや どうだ こういふ絵ゑを見たことがなかつたか
あッ! あつた 見ましたよ
○
これが ミルチス・マジョルぢや
○
うーむ わかつた それぢや!
お前は本を見て頭あたまの底そこに名前を覚おぼえた それが夢ゆめの中にフッとでてきたといふわけぢや
きつとさうだ
○
お父とうさん ほんとに僕ぼくが火くわ星せいへ行つたと思つたんですか
さうは思はんが ほんとうの名前を言いつたんで わしもびつくりしたよハヽヽヽヽ
ホホヽヽ
○
テン太郎は夢で、だいぶ火星の嘘うそを頭に仕し込こんだから わしの研けん究きう室しつへおいで ほんとうを見せてあげやう
うれしい! 今け日ふみんな行かうね
いつていらつしやいませ
﹇#改ページ﹈
人にん間げんのヒゲと猫ねこのヒゲ
○
テン太郎さん あんた大きくなつたら天文もん学がく者しやになるの
僕なるんだ
いいなあ さうして火星へロケッ﹇#﹁ロケッ﹂はママ﹈飛とんで行くの
○
いやだい 火星に行くのは やつぱり地球きうに住んでゐるのがいいよ
あら 弱よわ虫むしの天文学者に なるのね
○
だつて お父とうさんやお母かあさんのゐない所へ行くのはいやだい
○
ぢや 君たちも僕ぼくといつしよに火くわ星せいへ行く どう?
ピチクン あんたどう
あんまり気が進すゝまないな
○
やあい 君たちだつて弱よわ虫むしだい
行けても 帰かへれなくなつたら困こまるわ
○
ニャンちやんは大きくなつたら何になるの
大きくなつても 猫ねこよりほかに何にもなれなくてつまらないわ
そんなことをいへば 僕だつて犬より出しゆ世つせはできないや
○
それでもいいの 鼠ねずみを上じや手うずにとれるやうになれば……
さうだ さうだ
みんな本ほん分ぶんをつくせばいいんだ
○
あ! 天文もん台だいの庭でお父さんがこつちを見てゐる
早く行かう
走れ! 走れ!
○
ほう よく来た、何にをみんなでしやべつてゐたんだ
ニャンちやんとピチ君が天文もん学がく者しやになれないつて悲ひく観わんしてゐたんです
○
アハハハ それは考かんがへちがひぢや
ニャン子 お前のヒゲは何のためにある
このヒゲですか 鼠ねずみをとるために大切せつなものです
○
では どういう風ふうに使ふか やつてごらん
ハイ 世せけ間んでは猫ねこはどんな暗くらやみでも見えるといひますが嘘うそです
少しも光のない暗くらい所では目は見えませんから
○
さういふ時にかういふ格かく構かうでヒゲをかうして床ゆかにさはつて歩いて鼠の居ゐさうな所をさがすのです
○
だから人間げんはわたしたち猫のヒゲを切つてはいけません
○
そらごらん 猫のヒゲはそんな立りつ派ぱな使ひ道がある
ところで この人間のヒゲは何のために生へてゐるか
あゝわかつた 威い張ばるためについてゐるんだ
ハハハおかしいな
○
ハハハ その通りぢや それからニャン子は足あしをなめたり 耳や鼻はなを何度ども洗ふときがあるね
ええ それは雪降ふりや嵐あらしがやつて来る前 お天気が変かはりさうになるからです
○
それごらん 天気の変かはり目をちやんと知るのは天文もん学がく者しやより偉えらいんだよ
猫ねこだつて 偉いんだなア
ほんとだ
そんなにほめられるとあたし恥はづかしいわ
○
やあ ニャン子がほめられてすつかり恥かしがつてゐるよ
ニャンちやん そんな顔かほをするとこつちが恥かしくなつてしまふよ
あれ、こんどはピチ君が恥かしがつてゐらア
○
︵火くわ星せい実ぢつ験けん室しつ︶
ここが特とく別べつ研けん究きう室しつだ さあ みんなお入り
へんな建たて物ものだなあ
○
やあ おかしいなあ 中ががらんどうだ
なんだか薄うす気き味みがわるいわ
さあ そこに丸まる窓まどや扉とびらがあるから のぞいてごらん
○
やあ おどろいた ここの部へ屋やは二重ぢゆうになつてゐる
機きか械いがぎつしりあるわ
ここは何にをするところです
いま いろいろの実じつ験けんをやつて見せやう
○
さあ みんなマスクをかけ給たまへ
ニャンちやん マスクのかけ方がさかさまだよ
あら さう
○
マスクつて変へんな格かく好かうのものね
そのマスクは酸さん素そき吸ふに入ふ器きにもなつてゐるんだ
みんなタコのお化ばけのやうだ
○
おや お父とうさんだけマスクをかけないんですね
わしは次つぎの室へやだ 最さい初しよこの部へ屋やを火くわ星せいの状じや態うたいにする
○
何が始はじまるんだらう
お父さん あんまり恐こわいことをしないでね
なんぢや 科くわ学がく者しやの子がそんな弱よわ音ねを吐はいて
○
もし危きけ険んなことが起おきたら 扉ドアをあけてそとに出たらいい
○
説せつ明めいはその壁かべにうつる仕しか掛けになつてゐる
みんな用意いはいいか
イイデス……
なんだ 情なさけない声こゑを出すね
○
あれ お父とうさんが隠かくれてしまつた
やあ 機きか械いのうなる音がしだした
︵ブルン ブルン ブルン︶
テン太郎さん 大だい丈ぢや夫うぶかしら
○
︵ブルルン ブルルン ブルブル ピューキャタ キャタ キャタ ホホホヽ︶
?
?
あれまあ 機械が笑わらひ出したわ
○
や 映えい写しや板ばんに何にか映うつつた
やあ これは面おも白い
︵これからこの部へ屋やの空くう気きをかき出だしてしまふ。︶
○
︵ガッタン ガッタン ガッタン︶
︵火くわ星せいの直ちよ径っけいは四ま千い二る〇〇哩ある 地ちき球ゆうの半はん分ぶんよりちよっと長ながいくらいだ。︶
○
あら? わたし体からだが軽かるくなつてきた
おかしいなあ しやぼん玉だまのやうに軽いぞ
やあ 面おも白い 面白い
○
飛とんだり 跳はねたり 愉ゆく快わいだなあ!
やあ 面おも白いなあ
いくらでも跳とべるわ
︵火くわ星せいの重じゆ力うりよくは 地ちき球ゆうの五分ぶんノ二しかない。だから君きみ達たちの重おもさも五分ぶんノ二にへった。︶
○
体からだが軽かるくて気持ちがいい
︵地ちき球ゆうで百五〇封ポン度ドの重おもさの人間も、火くわ星せいでは六〇封ポン度ドになる。人は地ちき球ゆうにゐるときよりも二倍ばい半はん高たかくとべる。︶
○
︵いま実ぢつ験けん室しつは火くわ星せいのやうになってゐる。酸さん素そ・窒ちつ素そ・水すい蒸じや気うきなんどは有あってもとても少い。︶
あれ酸さん素そが少いんだつて マスクがとれたらみんな死んでしまふぞ
まあ おそろしい
それぢや火くわ星せいには人間げんなんかゐないや
○
酸素がなくちや猫ねこだつて住めないわ
︵火くわ星せいには水みづも少すくない。もし海うみがあるとすれば、春はるの雪ゆきどけのときだけできる浅あさい海だうみだ。︶
○
︵地ちき球ゆうから見みえる火くわ星せいの黒くろいところは、だから海うみといふよりも沼ぬまか 小ちいさな沼ぬまの集あつまったのか、川かわだ。︶
火くわ星せいといふところは 寂さびしいところなんだなあ
○
︵これが想さう像ざうした火くわ星せいの表へう面めんで一面めんの砂すな原はらで植しよ物くぶつもある。︶
やあ 寂しいところに来てしまつたぞ
まるで砂さば漠くのやうね
○
僕ぼくの見た火星の夢ゆめは こんなに寂しくはなかつたよ
だつて夢だもの なんでも見られるわ
さうだ 夢より科くわ学がくの方がほんとうだ
○
ちがわい 夢からいろいろの科学だつて生れたんだい
ぢや テン太郎さん何んと何にが生れたの?
○
たとへば 人間げんが空を飛とびたいと考かんがへてゐたから とうとう飛ひか行う機きといふものを考へ出した
さうだ 想さう像ざうは発はつ明めいの母ははだ!
○
ちがひますよ テン太郎さんの夢ゆめは目をつぶつて見たんでせう 科くわ学がくを生みだす夢は目をあけてみる夢だわ
こいつ 生なま意い気きな!
目をあけて 夢を見られるかい
○
みられるわ さういふ夢を想さう像ざうとか空くう想さうとかいふんだわ
うそだい 科くわ学がく者しやなんか空想なんかしないよ
ちがひますよ しますよ
○
ニャンちやんなんか駄だ目だい
鼠ねずみの夢より見ないんだから
ひどいわ ひどいわ アーン ぢやピチちやん あんたは泥どろ棒ぼうを追おつかける夢より見ないんだわ アーン
○
︵これこれみんな喧けん嘩くわをするな︶
あれ? 叱しかられた
なんでも映うつるんだなあ
︵フフフ。︶
○
あれニャン君が今 フフつて笑わらつたぞ
いま泣いた烏からすが笑ひだした ハハハ
だつて あんなところに映つたりして おかしいんですもの
ニャンちやん 仲なか直なほりしやうね
○
あら変へんだわ わたしなんだか寒さむくなつてきたわ
どうしたんだらうね
僕ぼくは少しも寒くはない
○
おお寒さむい! もうたまらないわ
︵ブルブルブル︶
ほんとだ 少し寒くなつてきたぞ
僕ぼくはすこしも感かんじませんよ
○
ニャン君 僕とピチ君の間あひだにかうしてはさまつてをいでよ
︵ブルブルブル︶
昔むかしから猫ねこは 寒がりときまつてゐるんだよ
○
あれッ、これはきれいだ
ほれごらんなさい こんなに氷こほりだらけになつたわ
︵ブルブルブル︶
やあ きれいだなあ うわあ、寒い寒い
○
︵実ぢつ験けん室しつの中なかの温おん度どをだんだん下げて 火くわ星せいの寒さむさにしてみる。︶
火星の寒さはどの位くらゐだらうな
おや寒く なつてきたネ
︵ブルブルブルブル︶
昔から犬は 寒がらない動物ぶつであつたはづだわ
○
︵火くわ星せいにも北ほつ極きよくのやうな寒さむいところがある。﹃極きよ冠くくわん﹄と呼よんでる。まんなかのは火くわ星せいにのぼつた月つきだ。火くわ星せいの寒さむいところは零れい下か四十度どから零れい下か七十度どの寒さむさだ。︶
おお寒い寒い これはたまらん
○
あッ! ピチクンがのびちやつた
あれ?
○
お父さん! 大変です あけてください!
そんなところたたいてもだめだわ そこの扉ドアをあけるんだわ
﹇#改ページ﹈
コオロギと蛙かへる
○
やあ助かつた
お父とうさん ピチクンがこんなになつちまつた
こりや失しつ敗ぱい しかし実じつ験けん室しつはまだ零れい下か四十度そこそこなんだよ
早く温あたためてやらなければ……
○
なに大丈ぢや夫うぶだよ ほら目をあけた
おや? ここはどこだ
あんた凍こゞえ死ぬところだつたのよ
ピチクンはニャンちやんよりも弱よわ虫むしだなあ アハハ
○
さあ、おいで 火くわ星せい行ロケットを見せてあげやう
僕ぼくは火星へ行きませんよ
ハハハ テン太郎はすつかり火星嫌きらひになつたね
ちがひます 僕は星はみな好すきです 中でも火星は大好きです
○
それに どうして火星へ行くのをいやがるんだね
あんまりへんな夢ゆめをみてしまつたんです
○
ハハハハ それでテン太郎は ほんとうの事を知りたくなつたんだね
さうです
○
さうぢや ほんとうのことを知ることぢや 火星に人間げんがむりに居ゐるやうに考かんがへてはいかん
さうですね 人間がゐるかゐないか研けん究きうすればいいんですね
さうぢや
○
火くわ星せいの夢ゆめを見たければ テン太郎のやうにベットの上で見たらいい
僕ぼくもう火星の夢はみません こんどは機きか械いをのぞいてほんとうのことを沢たく山さん知るんです
賛さん成せい!
賛成!
○
さあ みんな帰かへらう
お父とうさんがいろいろのことを見せてやつた こんどはテン太郎は自じぶ分んの学校の勉べん強きやうを帰つてやりなさい
さやうなら
さよなら
○
これこれテン太郎 一ちよ寸つとまて きのふからな お父さんの髯ひげにコオロギが巣すをつくつたんぢや
︵エ?︶
まあ驚おどろいた 髯の中にですか?
○
さうぢや わしは殺ころすことがきらひぢやから放ほうつておいたよ
ホレ鳴ないてゐる
やあ ふしぎだ?
○
あらほんと聞きたいわ
僕にも聞かせて下さい
さわいぢや鳴かないよ そつと寄よつてきたまへ
○
︵コロ コロ コロ︶
ああ ほんとだ!
どうして髯の中になんか入つたんだらうな
いい声こゑだなア
○
︵コロ コロ コロ ハクション︶
アレッ コオロギが くしやみをした!
○
ア、わかつた お父さんが口で鳴く真ま似ねをしてゐたんだ
では みなさんさやうなら
○
お父さんにやられちやつた
くやしいわね
なんだかこのまゝ帰るのは残ざん念ねんだなあ
○
僕もさうだ 子供どもや犬や猫ねこが科くわ学がく者しやに負まけるなんていまいましいなあ
なんだか、このまゝ帰れませんね
くやしいな
○
いいことを考かんがへついた みんな……………………ネ
うまい考へだな
くやしいわね
○
︵ゲロゲロゲロゲロ ゲゲゲゲゲゲ ゲーロゲロ ゲロゲロ︶
こりや助からん どうもうるさい蛙かへ共るどもぢやなあ
○
星野のさん だいぶ蛙がうるさいやうですな
︵ゲロゲロゲロ︶
研けん究きうも何もできませんですね
○
おや これは
ヤしまつた
さつきの敵かたきうちか こりやいかん
○
︵ピシャッ︶
○
さあ みんな帰かへらう
︵ゲロゲロ ゲロゲロ︶
やつと胸むねがスースーしたわ
︵ゲゲゲゲゲゲ︶
アハハハ
︵ゲーロ ケロケロゲロ︶