一
樺太で自分の力に餘る不慣れな事業をして、その着手前に友人どもから危ぶまれた通り、まんまと失敗し、殆ど文なしの身になつて、逃げるが如くこそ〳〵と北海道まで歸つて來た田村義雄だ。 小樽直行の汽船へマオカから乘り込んだ時、義雄の知つてゐる料理屋の主人やおかみや、藝者も多く、艀はしけで本船まで同乘してやつて來たのは來たが、それは大抵自分を見送つて呉れるのが主ではなく、二三名の鰊にし漁んれ者ふしや、建たて網あみ番ばん屋やの親かたを、﹁また來年もよろしく﹂といふ意味でなつけて置く爲めだ。 渠かれとても、行つた初めは、料理店や藝者連にさう持てなかつたわけでもない。然し失敗の跡が見えて來るに從ひ、段々融通が利かなくなつて來たので、自分で自分の飛揚すべき羽がひを縮めてしまつたのである。よしんばまた、縮めてゐないにしたところで、政廳の方針までが鰊を人間以上に大事がり、人間はただそれを捕獲する機械に過ぎないかの樣に見み爲なしてゐる樺太のことだから、番屋の親かた等がそこでの大名風を吹かせる勢ひには、とても對抗出來る筈のものではない。 渠等が得意げに一等室や二等室へ這入つて行くのを見せつけられて、自分ばかりが三等船客でなければならなくなつた失敗は、如何に平氣でゐようとしても、思ひ出せば殘念でたまらなかつた。 一等船室には、實際、三名の番屋が三ヶ所に陣取つてゐた。いづれも、それが自己の持つてゐる漁ぎよ場ばから、マオカへ引きあげて來た時、例年の通り、負けず劣らずの豪遊を試みてゐたので、その時義雄も渠等と知り合ひになつた仲だ。北海道相撲の一行が來て三日間興行をした時なども、渠は渠等と組んで棧さじ敷きを買ひ切り、三日を通して大袈裟な見物に出かけ、夜は夜で、また相撲を料理屋に招いて徹宵の飮いんをやつた。 その親かた等の一人は義雄の事業に來年から協同的補助を與へてもいいといふ申し出をしてゐた。義雄もそれが若し成り立てば、今年の事はたとへ損失が多くても、辛抱さへしてゐればいいからといふ考へである。その相談はどうせ小樽に着してからでなければ孰いづれとも定められない事情であつた。が、渠がふと三等室を出て、その人の室へ行つて見ると、その人は赤黒い戸張りの奧に腰かけて、そばに一人の女をひかへさしてゐる。 ﹁これは失敬﹂と云つて、義雄が出ようとすると、 ﹁いいのだよ、君も知つてるだらう﹂と引きとめ、その手で女の頸を押し出す。 見ると、お仙と云つた藝者だ。つき出された顏が笑つてゐる。義雄は、出發の前夜も、その人に連れられて酒店へ行き、この女を招いて飮んだのだ。その夜ふたりは關係したか、どうかは知らないが、以前は確かに關係があつたらしい。よく聽いて見ると、かの女は丁度いいしほに乘つて、見送りにかこつけ、マオカを脱走し、旅費だけをこの番屋に出させたのだ。 小樽へ着くと、直ぐ、お仙は獨りでどこかへ行つてしまつた。 義雄は例の番屋の本宅、松田方へついて行つた。そして、事業協同の下相談をあらかたでもつけて置きたいと思つたが、その會計主任とも云ふべき帳場が旅行中で、それが歸つて來るまでは、相談が出來ないとのことだ。 それに、この番屋の親かたは、船中で皆と一緒に相談してゐた通り、直ぐ札幌へ行つて、興行中の東京相撲を見ようと云ふ。そして、他の二人︵これは函館の人であつた︶の定ぢや宿うやどへ電話をかけたのだ。義雄も渠等と一緒に札幌へ來た。 然しステーシヨンを出てから、義雄は皆が勸めるにも拘らず、皆に別れた。來くる早々小使錢もないのを渠等に見透かされるのが厭であつたからである。渠はステーシヨンの入り口に立つて、渠等が車で外國じみたアカシヤ街を眞ツ直ぐに駆けて行く勇ましい姿を見送りながら、自分獨りはこれからどうなるのだと考へた。午後二時頃だ。 先づ、心に浮んだのは、今しがた、小樽の埠頭で別れたかのお仙はどこへ行つたか知らんといふことだ。かの女ぢよは無責任な女性――而も卑賤極まる女性――であるから、どこへ行つても、その場で自分一個を自分一個で處分することが出來る。然し渠自身はさうは行かない。小樽在住の番屋と共に同船して來たのは、小樽に着けば直ぐ來年の事業擴張の相談を濟ますつもりであつた。それさへ濟めば、本年殘餘の事業に對しても、多少囘復のつきさうな補助もしくは借金もその人から出來ようから、再び樺太へ引ツ返すなり、自分は北海道にゐて、また別に何か一儲け出來る仕事を見附け、東京へ歸る前に、樺太に於ける失敗の埋め合はせをするなりしようと思つた。 然しそのおもな而も唯一のもくろみが、たとへ當分でもはづれては、渠は當惑せざるを得ない。手にしてゐる風呂敷包みに、東京の雜誌二三册と手帳と、不ふだ斷ん衣ぎの袷あはせと袷羽織とめりやすのシヤツとがある外には、樺太の夏に向きかかつた時拵らへた銘仙の單ひと衣へに對つゐの銘仙の袷羽織を着てゐるばかりだ。そして、帽子と云つては、海水浴場で男も女もかぶる樣な大きな、粗末な麥わら帽だ。 札幌の眞夏は兎に角樺太のよりは暑い。人々がうす物一つで往來してゐる中を、渠獨りは袷の羽織を着たままで、ステーシヨンから離れ出した。三十年も以前にアメリカから取り寄せて植ゑつけたと聽いたアカシヤの樹が、この南北に渡る中央通りの兩がはに、ずらりと立ち並んで、家毎の家根を越えて葉を繁らしてゐる。風があつて、その動く枝葉ばかりは涼しい樣だが、下を通る渠その人の暑さは、今年になつて初めておぼえる暑さである。 渠は汗をふき〳〵、風呂敷をかかへて、五番館の陳列所前を反對の方角に曲つた。と云ふのは、兎に角、一友人の家に一時落ちつかうとするのだ。渠の懷中は宿を取るさへ心細いくらゐになつてゐる。そして、その友人とは、古くから知つてゐる同窓だが、手紙の上ばかりで、實際はもう十年足らずも會はなかつたのを、渠が樺太へ渡る前に鳥ちよ渡つと立ち寄つて、その住まひは承知してゐた。 廣いその眞ン中に低い草が生えたままにしてある通りを行くと、左りに北海道廳の柵がまはしてある。その柵内に直立して、天を突くさかさ掃ばう木きの樣に高い白楊樹の數々と、昨年の火災に燒け殘つた輪廓ばかりの道廳の赤煉瓦とを再び見ると、急になつかしい友人に近づいて來た氣になる。 そこから一町も行かないところに、通りは農科大學の附屬博物館構内の柵に行きつまる。柵内に繁茂してゐる、脊の高いアカダモや、ドロや、柳やの森をのぞむと、然し、渠は、數ヶ月前の月の夜に、友人と共にその間を散歩しながら、今囘着手した事業の成功を身づから保證したことがあるのを思ひ出す。それが今囘殆ど手ぶらで歸つて來たのであるから、何となく顏を會はすのが恥かしい樣な氣もする。且、みやげもなく、また用意の小使錢も殆ど皆無のあり樣だが、博物館そばの通り角の友人の家に着いた時は、遠慮もなく、玄關のがらす戸を明け、 ﹁歸つて來ましたよ﹂と、無造作に這入つて行つた。 半間ばかりの土間があつて、そこから障子をあけてあがると、直ぐ茶の間で、六疊敷の左り寄りのがらす窓のもとに、ちひさい四角い爐が切つてある。爐の中には、奇麗な小粒の石が澤山敷きつめてあり、その眞ン中に沈めた丸いかな物の中の灰にはおこつた火が埋めてあるかして、天井から鐵の自じざ在いか鍵ぎでつるした鐡瓶の湯がくた〳〵云つてゐる。 然し裏の方はすべて明けッ放しのまま、家族のものは誰れもゐない。右の方の客間や寢間もみな方かたづいたまま見られるし、直ぐ奧の臺所からは裏の共同庭も見透かされる。義雄は持つてゐた包みをそこに投げ出し、爐のそばにあぐらをかいて、煙草をのみ初める。そして、暫らくここに落ちついてゐられるか知らんと考へて見る。 けふは、明治四十二年の八月十六日だ。初めてここへ訪問してから、もう、三ヶ月餘りを樺太に經過した。そしてそれが殆ど全く失敗の經過であつた。ここに滯在してゐるうちに、向うから多少囘復の報知が來ればよし、さうでなければ、北海道で一つ何かいい仕事を見附けなければならない。 然し友人はまだ某女學校の國語漢文教師であつて、僅かの俸給によつて、夫婦に子供ふたりの生計を立てて行く人――交際も狹からうし、また義雄一個がその生計の一部分に影響しては、苦しい事情があるかも知れない。兎に角、札幌へ來ての第一着は、自分のその日を送るに足るだけの定收入を作らなければならない。これはこの友人に話しても駄目だらうから、けふにも、今ひとりの、これはさう親しくないが、知人で、近々一實業雜誌を發刊しようとしてゐるものに行つて、早速相談して見よう。 などと考へてゐるうち、奧の方の共同庭――そこは、通り角の兩面に立ち並んでゐる家々に共通の裏庭だ――を、細君が衣きも物のの裾を腰まで裏返しにはしよつて、手桶を兩手におもたさうに下げてやつて來るのが見えた。水口を這入つてから、かの女は義雄のゐるのに氣がつき、 ﹁あれ、まア﹂と、東北辯の押しつまつた口調で驚きあわてて、裾の端はし折よりをおろす。それで、義雄が第一に穢きたならしいと思つた白の腰卷きが隱れる。 ﹁歸つて來ましたよ﹂と、渠が何氣なく笑つてゐると、かの女は爐ばたへやつて來て、 ﹁いらツしやい﹂と挨拶する。﹁いかがでした、樺太の方は?﹂ ﹁失敗でした、矢ツ張り﹂と、ほほゑみをつづけて、﹁然しまだ囘復策が出來さうなので、ちよツと北海道まで歸つて來ました。﹂ ﹁それはいけません、ね﹂と、細君は變な顏をした。義雄はそれを見たくなかつたのだ。 然し、この場合、そんなことは云つてゐられない。ただ自分の暫らく厄介になることに對し、かの女がその所をつ天とにあたまから反對︵があるかも知れないから︶の氣勢を吹き込まない樣にさへして呉れればいい。 と、かう思つて、渠は、さきにここで話し合つた時の意氣込みとはうつて代つた自分の今のみじめな状態が如何にも情けない。 友人は子供ふたりをつれ、十三四町も南に當る公園の林檎畑へ林檎を買ひに行つて、留守だと云ふのを幸ひ、先づその細君に向つて、義雄は暫く厄介になることを告げた。そしてみやげ物も持つて來なかつた申しわけとして、ここまで歸つて來るのが漸くのことであつたくらゐで、用意の小使錢さへ殆どないほどだといふことをうち明けた。 然しまた生計上の心配をさしては濟まないと思つて、樺太の失敗はまだ全くの失敗でないこと。並に蟹――これを鑵詰に製造するのが義雄の事業である――の第二期漁獲が、八月の初め頃から始まるのだが、今年に限つて、七月一杯の昆布採集が豫想外に長引いてゐて、まだ初まらないが、それが初まれば、自分の生活費用は向うから送つて來る筈になつてゐるといふこと。さなくも、東京の家を賣る筈だから、今月中にはそツちからも金を送つて來ること。などを、自分の信じてゐる通りに云つて聽かせた。 ﹁然し事業といふものは六ヶしいものですよ﹂と、細君は、茶を入れながら、義雄の言をあやぶんだ樣な返事だ。渠には、かの女ぢよがさきに渠をあやぶんで忠告するやうに語つた話を思ひ出せたが、かの女の兄なる人に木材で失敗した者があつて、かの女はそれを共にゐてよく知つてゐるのであつた。 かの女の兄なる人は天てし鹽ほの或山林から枕木を切り出し、一と儲けしようとした。豫算通りに行けば大儲けをする筈であつたが、それが意外の失敗になつて、父の家までも失つてしまひ、この細君もその家に金持ちの娘として安んじてゐることが出來なくなつた爲め、七八年前、こんな教師風ふぜ情いのもとに方かたづいて來たのだ。 義雄の失敗もこの家の細君の兄のと殆ど全く同じであることが心に浮んだ。無い中の金の工面をする爲め、亡父の一周忌も濟まないうちに、自分の所有になつた家を抵當にしてしまひ、東京では、それが今月中に流れてしまふかも知れないのである。そしてその家には妻もゐるし、子供もゐる。然し、この場合どうすることも出來ない。家を流れないやうに賣り飛ばし、その殘りの差さき金んのうちから、百圓だけ送つて來い。そしてその殘金を以つて、二三年間、どこにでも引ツ込んでゐろといふことを自分の妻への最後の手紙に云つてやつたのは、今月の初め頃である。 渠はそれツきり東京の家には手紙を出さない。妻子には自分が二三年間北海道へ行つて、放浪の身となつたと思へと云ひ含めたつもりなのだ。 義雄は文學を以つて東都の文界に多少の名を知られてゐたものだが、その勞力に報むくいることの少い原稿生活に飽きが來たのが原因で、こんな失敗をした。然しこの失敗を失敗にしてしまつては、矢張り、厭になつた原稿生活に返らなければならない。今ではこれがつらいから、どうしても、鑵詰の事業をやり通すか、或はまた他に何かの實業的仕事を見つけようか、とする熱心が胸に燃えてゐる。 ﹁六ヶしいと云つても、やり方一つですよ。僕の事業の失敗などは、僕がその初めから附いてゐさへすればよかつたのです﹂と、義雄は斯う云ふ申しわけを云ふのさへ殘念であつた。 實際、ゆで釜とか、蒸せい籠ろうとか、敷地とか、製造所とか、固定資本に餘り金を入れ過ぎて、流動資本の用意がすくなかつたのも、一つの原因ではあらう。然し、渠が原稿の整理やら、不足金の調達やら、愛妾の病氣介抱やらで、東京出發を二ヶ月餘も後おくらしたうちに、さきへ樺太に行つたもの等が取り返しのつかないへまをやつてしまつた。 渠等は無職業同樣な惡辣者を相談相手にして、それに利益の半ばを喰はれてゐたし、土地の番屋におだてられて、蟹を製造力不相應に買ひ込み、毎日その半分は、無駄に腐らしてゐたし、また原料並に物品を餘り高く買つてゐた。それで經濟の取れて行く筈はない。 思ひ返せば、渠は人を信じ過ぎたのだ。從い兄と弟この製造技師は無學文盲の爲めに他人にのせられ易いし、會計掛りとして遣はした弟はまだ學生あがりで本統の役には立たない。おまけに、その弟が慣れない寒氣の爲め急性肺炎になつて、一ヶ月餘りも入院した。 そんなこんなで、渠が向うへ渡つた時は、最も望みある第一製造期の終りであつたが、利益どころか、東京の家を抵當にして拵らへた製造所が、諸機械ぐるみ、また抵當に這入つてゐた。渠が燒けを起して豪遊したのは、それが爲めである。 ﹁然し樺太出發の際、第二の時期に必要な費用は、極ごく切りつめたところだけでも、用意して置いたから、再び仕事を初めさへすれば、直ぐ五十や百の金は送らせるのに不自由はないのです﹂と、渠はつけ加へる。 ﹁さうなれば、あなたがたも結構ですが﹂と、細君は浮かない返事だ。 全體、義雄はかの女を初めて會つた時から好いてゐなかつた。盛裝させれば、きツと美人には相違ないとは思つても、第一、押しつまつた樣な東北口調が都振りに慣れてゐる渠には少し不愉快に感じられる。それはいいとしても、友人はその妻の身のまはりを餘りかまはなさ過ぎる。それも活計上の餘裕がないところから來るとして、女自身が餘り所帶じみて、くすみ過ぎてゐる。 半ばは同情から、半ばは惡感から來るのだが、女性といふものが子を持ち、所帶じみるに從つて、年の加減でもあらうが、自分から色けがなくなつて行くのを見ると、義雄はいつ、どこでそれを見るにしても、そのだらしなさ、意い久く地ぢなさ、きたなさを感じて、下らない樣な、馬鹿々々しい樣な、憎らしい樣な厭いや氣きを抱かざるを得ない。 ここの細君を厭なのは、義雄には、乃すなはち、自分の妻を厭な所ゆゑ以んであつた。妻が厭であると、その子供までが――恰あたかも自分との間に出來たものでないかの如く――厭になつて渠はわざとにも妻子の顏を暫く忘れてゐたし、また全く見ないで濟んでゐたのに、この北邊の地に來てゐながら、なほそれを聯想しなければならないのを非常に苦しく思つた。そして早く友人が歸つて來ればいいがと心で祈つた。 ﹁この頃は夏期休暇中です、ね﹂と、渠はふと氣がついた。一年中で最も閑散なこの時期を、子供と共に出て行つたのなら、夜まではかからないとしても、友人はいつ歸つて來るか分らない。 ﹁うちでも、もう直ぢき歸りませうから﹂と、細君が親しげに云ふのにかまはず、 ﹁奧さん、勝手に御用をなさい。僕はちよツと湯に行つて來ます――一日、一晩、船の中でごろついてゐたのですから。﹂二
そとへ出る時、友人の細君がまた裾をはしよつたまま見送つて來た。白い腰卷きの末の涼しい風にひらつくのが、如何にもきたないにほひを送つて來る樣に思はれた。 ﹁家庭なるものは實に厭なものだ。﹂と、かう心に叫んで、手に持つ手拭ひで顏の汗を拭きながら、博物館の樹木に蔭つた柵外を南の方へ歩んで行く。なか〳〵に涼しい。 渠が初めてこのあたりを散歩した時、まだ失敗などは夢にも見てゐなかつたからだが、今年の成功と共に樺太を引きあげると、こんなところへ東京から愛妾を呼び寄せて暫く閑靜に住んで見たいと思つた。然しその本人も、この頃では、生活費を送つてやらない爲め、頻りに怨うら言みごとや罵倒の意を反對に送つて來てゐたが、それも來なくなつたほど、現在の樣子は分らない。 どうせ失敗するなら、斷ち難い戀にまで失敗してもかまはない。渠はかう決心してゐる。そして、事業に熱心なものが往々義理も人情も返り見ないことがあるのは、こんな心持ちになつた時だらうと想像してゐる。 細いどぶの樣な川――それが柵内に流れ入る――に渡した橋を渡ると、道の眞ン中に、一本のアカダモの大樹が立つてゐる。その幽靈の手の樣にやアわりつき出た高い枝々を仰ぎ見ると、何とも云へないほど優しい、寂しい情が渠のあたまの上におツかぶさつて來て、すさんで行く孤立の幹とも云ふべき渠の精神をやはらげて呉れる樣だ。 札幌區立病院の廣い構内に添うて角をめぐり、その本門の前を通り過ぎた湯屋に來た。他に客はない。そこで樺太の垢をおとしながら、この夏をいつまでこの湯に這入りに來なければならないのか知らんと考へる。あちらで旅館の狹い湯に這入りつけてゐた身には、錢湯の廣いのが先づ心をも廣く、ゆるくする。 そしておほきな湯船にはだかのからだを再び漬ける時など、何だか自分に犯した罪惡でもあつて、それの刑罰に引き込まれる樣な氣分だ。湯の底が烈しい音でもして、ほら穴に變じはしないかとあやぶまれた。 節々がゆるんで、そのゆるんだ間から、自分の思想が湯氣となつて拔け出たのだらう。ぼうツとなつて、自分の神經までが目の前にちらつく。 どうも底から破裂しさうな氣がするので、湯船を飛び出し、板の間で再び垢をおとし初めると、身が輕くなるに從つて、不安が自由におそつて來る樣だ。 好きな湯に當りかけるのか知らんと、水船の水を汲んで顏を洗ふ。ひイやりすると同時に、不安の材料がはツきりと胸にこたへて來た。弟と從兄弟とが樺太で餓ゑ死にするかも知れないが、かまはないか? 東京で、妻子は心配の爲めに病氣になるかも知れないが、いいか? 愛妾も、亦、薄情を怨んでゐるが、どうだ? 渠は小桶を前にすゑてただ考へた。そして、一々その申しわけの理由を附けた。弟も從兄弟も、見す〳〵事業の不成功を來たしたのは、最も不注意なのだ。死ぬくらゐの苦しみをして、實際的に目を覺ます方がいい。妻子には、家を左右する權利を與へてあるから、それだけの心配をすればいい。それ以上の心配は、當分、自分の關することではない。愛妾のお鳥も、こちらの難局をあれだけ詳しく云つてやつてあるのに、同情の手紙一つもよこさないのは、不ふら埒ち極まる。ひよツとすると、例の男にまたくツついてしまつたのかも知れない。 かういふことは、特にけふに限らず、この頃は、朝に夕に考へてゐることだ。そして、三たび湯に漬かると、矢ツ張り獨りで不安の念にたへなくなる。 義雄が湯から歸つて來ても、まだ友人は歸つてゐない。友人に會ふ前に、ちよツと別な知人の方を訪問して來ようか知らん、それとも、今少し待つて見ようかなどと、心が落ちつかないで、立つたりゐたりしてゐると、向うから、相變らず猫脊、下向き加減の友人の歸つて來るのが見えた。 姥うば車ぐるまに澤山の林檎と末の男の子とを乘せ、友人はうへの女の子と共にそれを押して來る。 ﹁有馬君﹂と、爐ばたから義雄は呼んだ。友人は有馬勇と云ふのである。 ﹁おう、歸つて來たか﹂と、なつかしさうに勇は云つて、先づ一郎を車からおろしてやり、それから車を土間の片隅へ入れ、女の子に持つて來させた籠に林檎を移し、それを兩手に提げておもたさうに、 ﹁そら、そら、そら、そら﹂と、調子取りながら、一郎と共にあがつて來た。その樣子を見ると、義雄は、勇よりも早く四五名の子供を持つた經驗はありながら、自分は初めから獨身ものであるかの樣な考へで、勇のお父さんじみて來たのがおそろしく目に立ち、多少滑稽やら侮蔑の念が浮んだ。 ﹁をぢさん、また來たの?﹂一郎は直ぐふざけるつもりで義雄の肩を叩いたので、 ﹁ああ﹂とばかりあしらつたが、またと云はれたのが渠には痛く感じられた。 ﹁そんなことをしたら、いけない、いけない!﹂勇は、義雄の子供嫌ひなのを知つてゐるので、一郎を引き放してから、爐ばたへ坐わり、ハンケチで汗を拭きながら、﹁いや、暫らく﹂と、その下向き加減の首を義雄の方へちよツとつき出す。ひどい近眼で、四五度の眼鏡をかけてゐる。それが渠を間の拔けてゐるやうに見えしめることがないではない。年は三つか四つしか違はないが、義雄の叔父さんと見るのが、義雄自身には丁度適當だと思はれた。 ﹁六月の初めに會つたのだから、まア、ざツと三ヶ月ばかりであつた――この頃は夏期休暇中らしい、ね。﹂かうらしいねと云つたのが、義雄には自分ながら餘り冷淡な口調だと思へた。無論、教師生活などには今は全く同情がなくなつてゐるが、渠自身も昨年まで十餘年間は中學程度の英語教師であつた。ただ文學者として原稿生活に慣れて來るに從つて、鼻垂らし小僧同樣な學生を相手にしてゐたのが如何にも馬鹿々々しくなつて、不平やら、校長と衝突やらで、よしてしまつたに過ぎない。 もとはと云へば、矢張り教師根性を出して、自分等の俸給の上り方が遲いの、少いのとこぼし合ひ、土曜日の來るのを待ち兼ねたり、冬期休暇や夏期休業の近づくのを指折り數へたりしてゐた。 ﹁ああ、まだ大分樂が出來る、ね。﹂勇は斯う輕い調子で答へて、がん首の根がつぶれた煙きせ管るに刻み煙草をつめ初める。 ふたりの子供は、喰ひたさうな顏つきをして、籠の中の物をいぢくつてゐる。 ﹁その林檎はちひさくツて、青いぢやアないか﹂と、義雄が云ふと、 ﹁なに、こいつア青くツても喰へるやつだ。﹂勇は生來の東京ツ子口調を出して、 ﹁この手は、もう、けふあすでおしまひだ。今にも雨が降りやア、熟うんでしまつて、喰はれない。買ひ時だから行つて來たのだが、もう遲過ぎたくらゐだ――こんなに澤山でも、安いのだよ。﹂ かう云つて、勇がその値段を説明するのを聽くと、マオカに林檎の初荷が着した時に買つて見たのよりは十層倍も安いのに、義雄は驚いた。東京で、ジヤガ薯を買ふのと同じ樣な格だらう。北海道に來てから、所帶持ちの苦勞に親しんだ勇が、十餘町の道の暑いのをことともしないで、姥車を押しながら往來したのは、もツともだと思はれた。 ﹁そんなに安いものなら、僕も少し買つて置きたい、ね、食後に二つ三つづつ喰ふのに――﹂ ﹁もう、遲い――これをやり給へ、澤山あるのだから――暫らく立つと、また捨て賣りの時期が來る。買ひに行くのはその時にし給へ、それまで君がゐることになるなら。﹂ ﹁どうせ、僕、今も細君に話したことだが、暫らく御厄介になるよ、迷惑はかけないつもりだから。﹂ ﹁そんな心配には及ばないが、君さへよければ、いつまででもゐて呉れ紿へ――その代り、何のおかまひも出來ないのを承知して置いて貰はなけりやア――﹂ ﹁かまつて貰つては却つて僕が困る――今の場合、僕は大道で乞こじ食きをしさへしなければいいのだ。﹂ 大道で乞食! これは、義雄自身には痛切な發想であつたが、勇には戲じや言うだんと見えたのだらう、渠は不審らしく發想者の顏を見た。義雄はやはらかに微笑してゐるが、その微笑はアカダモの枝がかぶせたやはらかさで、幹には犯し難いほどの嚴肅な寂しみを感じてゐた。 ﹁時に﹂と、勇はゆツたりと煙草の煙を吹きながら、﹁樺太の方はどうだ、ね?﹂ ﹁今のところ、丸で失敗の體てい、さ。﹂かう云つて義雄は直ぐありのままをぶちまけてしまつた。氣のちひさい勇を心配させまいとして、渠は自分の身が何とか方のつくまで、中途半端な云ひ技けをして置かうかとも思つたが、それは心に不愉快でもあり、また面倒臭くもあると考へたし、且、細君には既に大體のことを語つてしまつた跡だといふことに氣が附いた。 細君にはただ手ツ取り早く義雄の生活費送金の望みある道筋をうなづかして置けばいいと思つたが、渠は、勇には、事業の經過と現状とばかりでなく、來年の發展策として、小樽の漁業家と協同しようとする相談があることをもつけ加へた。 そこへ細君が裏口からあがつて來た。そして、﹁一ちやん、歸つたの﹂と云ひながら、臺どころと茶の間との敷居際に立つた。 ﹁お母ツかちやん、林檎買つて來た。﹂ ﹁むいてお呉れ。﹂かう云つて、子供ふたりは直ぐ母親の左右にすがり附いて、﹁早く、早く﹂と云はないばかりに、かの女をゆすつてゐる。義雄は之を見て、あまい兩親にあまやかされて育つ子等を憎いほど厭に思つた。小兒を餓鬼と云ふのも、喰ひ物にかけては、最も適切な隱いん喩ゆであると。 ﹁おい、綱、田村君にも林檎をむいてあげろ﹂と、勇はその細君の方へ顏をふりむける。 ﹁はい﹂と答へて、お綱は薄うす刃ばば庖うち丁やうを持つて來て、水仕事に勞つかれたと云ふ樣子で、ぺッたり爐ばたに坐わり、籠の中のをむき初める。子供も亦そのまはりに坐わり込んで、皮のむけて行くのを一つづつ見つめてゐる。 ﹁その漁業家といふのがうまく金を出して呉れればいいが、ねえ。﹂勇は肩ごと首をあげて云つた。首をあげると同時に肩もあがるのが、この人の癖だ。 ﹁そりやア、まだちやんと契約したわけではないから﹂と、義雄は引き受けて、﹁しツかりとは云はれないが、然し僕の信ずるところでは、向うが云ひ出したくらゐだから、出す氣でゐるに定つてる、さ。而も、近々會見することになるのだ。﹂ ﹁どこの人です、の?﹂かう、お綱が庖丁の手をやすめて聽いた。 ﹁小樽の人で、樺太の鰊にし取んとり――﹂ ﹁鰊取りなど、當てになりませんよ。﹂ ﹁いや、さうでもない﹂と、勇は妻の言葉を受けた。﹁あいつ等だツて、見込みがあるから申し込んで來たのだらう。まんざら利益があるか、ないか知らないで協同しようとは云ふまい。﹂ ﹁そこ、さ﹂と、義雄は力を得て答へた。實際は、内心におぼつかないと思つてゐないでもなかつたのだ。﹁向うも靠もたれかかつて來るのをしほに、僕の方でも靠れかかつて見るの、さ。當つて碎けろだ。﹂ ﹁そのつもりでゐさへすりやア、大した間違ひはなからう。﹂勇は義雄に對して自分の弟か生徒に云つて聽かせる樣な口調であつた。﹁然し、それで、若しその相談が成立しなかつたら、どうする? その點は考へてゐるか、ね?﹂ ﹁その點は、君﹂と、義雄はちよツと云ひ樣に困つた。渠には、まだこれといふ思案が附いてゐないのだ。﹁まかり間違へば、東京へ歸るだけのこと、さ。然し僕は眞實歸りたくない。﹂渠は多少訴へる樣な目つきを勇に向ける。 ﹁どうして?﹂ ﹁どうしても、かうしてもない――事業が持ち直る樣子なら、僕は例の、君にも話したお鳥をつれて、再びあちらへ渡り、マオカで越をつ年ねんしながら、東京の或新聞に長篇の小説を書いて送りたいのだし――﹂ かう云つて、渠はその目をそらした。そして、むき立ての林檎を取つて、口に入れたが、あぢはふ氣にならない。渠はお鳥の樣子があやしくなつてゐるのを話す必要なしと考へた。若しいよいよ變心したのなら、直ぐ別な女を見付けようと決心してゐるからである。その書きたい長篇小説と云ふのも、渠がかの女ぢよと足かけ二年間一緒に暮したことが材料になつてゐるのだ。かの女をめかけ同樣にした爲め、渠は自分の家庭を殆ど全く棄ててしまつたし、棄てた家庭と屡々衝突したし、お鳥その者とも別れる會ふ、死ぬ生きるの悶着があつた。 財政がまた膨脹して收入の不足を度々感ずる樣になつてから、渠は自分の生せい々〳〵活動主義をその全ぜん人じん的てきな立脚地として、何をやつても、人間が人間の全心全力を盡して努力さへすればいいのだと考へ、報酬のすくない筆硯を投げうち、勞力の報酬がずツと多いと思つた鑵詰事業に手を出した。それも、――殆ど首尾よく失敗の體だが、――一つには、お鳥ともツと自由な生活をして見たいと云ふのが原因であつた。云つて見れば、お鳥の爲めに失敗し、その失敗の爲めにお鳥に見限られたのかも知れない。渠もこの點だけは餘り殘念で友人に語り得ないのだが、渠はこの創作の外に、マオカで越年しさへすれば、なほ別な仕事をやる計畫を立ててあると明かした。 それは、鑵詰製造の副業として、仕上げ鑵の入れ箱並に鱒箱を來年の事業期に對して豫約し、その箱を製造する目的で、この結氷期に、樺太の山林から木材を切り出すことだ。 實地を知らない友人に空想と笑はれない爲め、渠はあちらで實見した材料の控へ帳と、相當な大工並に木こび挽きに製調させた見積り書とを出して見せた。 ﹁若しマオカ越年の計畫がぐれてしまつたとすりやア、その時は樺太の事業が全然失敗と定きまるわけだが、それにしても僕は暫く東京へ歸りたくない――と云ふのは、だ、東京を出る時隨分盛んな意氣込みで出て來たのに、僅か三ヶ月や四ヶ月で失敗し、自分の家は人に取られてしまひ、自分の戀人もどうなつたか﹂とまで云つて、義雄は口をつぐんだ。これはまだしやべる時でないと思つたからである。然しここまで口がすべつた以上は、何とかつづけなければならないと決心し、ただ曖昧な口調で﹁分らない﹂と、聲を下げ、直ぐまたあげて、しツかりした調子をよそひ、﹁ところへ、おめ〳〵と手ぶらで歸れるものぢやアない。﹂ ﹁ぢやア一文にもならなかつたのか?﹂ ﹁さう、さ﹂と、義雄は友人の注意がお鳥のことに向はなかつたらしいのを見て、もとの通りに生氣づき、﹁やツとのことでここまで歸つて來ることが出來たのだ。あちらで、四、五、六の三ヶ月間に、三千圓ばかりの品物を拵らへたが、マオカの問屋へ即賣した現金が全く原料、その他の實費にかかつてしまつた――無論、僕が燒け酒を飮んだ費用も、その中には這入つてゐたのだ。﹂ ﹁つまらないぢやアないか?﹂ ﹁つまるも、詰らないもないことだ――今僕はどの面つらをさげて東京の友人等に會はれよう?﹂ ﹁友人も友人だらうが、細君が困つてやアしないか?﹂ ﹁今も云つた通り、家を處分して、困らんだけの方針をつけるやうに命令してゐるのだから、それ以上に僕は責任がないのだ﹂ ﹁それは少し﹂と、お綱は、さツきから林檎をむいてゐたが、そばから、そばから子供に喰はれてしまふので、もう、よしたと云はないばかりに庖丁を投げ出して、口を出した、﹁奧さん達にひどいでは御座いませんか? 家をお賣りになるにしても、あなたが御留守では女獨りでお困りでせうよ﹂ ﹁なアに、誰れか相談相手を見つけて來るでせう。――僕は友人に會ふのはまだしもだが、女房や子供のつらを見るのが何よりの苦しみです、げじ〳〵を見る樣にいやで、いやでたまらないんだから。﹂ ﹁あんなことを﹂と、お綱は義雄が眞面目にこんなことを云ふ顏を見て笑ひながら、﹁奧さんがお氣の毒です。ね。﹂ ﹁もとはさうでもなかつたらしいが、ね﹂と、勇は八九年前の同僚時代のことを思ひ出した。﹁一緒に京都や竹ちく生ぶじ島まなどへよく旅行や見物に出かけたりして、仲がよかつた樣であつたぢやアないか?﹂ ﹁うん、あの時はまだ、妻が僕より年うへだといふ訣點がさほど現はれなかつたので、僕が家庭といふものにまだ絶望してゐなかつたのだらう。然し、奧さんの前ではあるが、日本の女は殆どすべて、誰れでも、男子に對する情愛的努力が足りない。早くませて婆々アじみてしまふ癖に、つまり、精紳に張りがないのだ。結婚してしまひさへすりやア、もう、安心して、娘の時の樣な羞恥と身だしなみ――寧むしろ、男子の心を籠ろう絡らく牽制して置く手段と云ふ方がよからう――を怠り、﹃わたしはあなたの物です、どうとも勝手におしなさい!﹄――﹂ 義雄はかう云ひながら、眞面目くさつて顎をつき出し、さも憎らしさうな口眞似をして見せた。 ﹁ほ、ほ、ほ﹂と、お綱は之を見て吹き出すと、おとならしく無關心の樣な、もツともらしい樣な風をして聽いてゐる勇も、亦微笑する。 ﹁情愛にかけては、丸で死人も同樣な受働的、消極的、無努力的であつて、燃える戀の生命などは殆ど流れもしないし、動きもしない。愛すべき女としての活氣は全く失せてしまふ。それから見ると、盛りのついた猫のあわて過ぎて板壁からころげ落ちる方が、まだしも活氣がある。﹂ 有馬夫婦は聲をあげて笑つた。義雄は調子に乘つてなほ言葉をつづけた、 ﹁だから、女が直きに所帶じみて來て、まだそんなお年でもないのに、色氣といふものがなくなつてしまひ、丸で灰色の肉塊が出來る。そして、犬か猫の樣に跡から、跡から子供を産んで、それを厭だとも思はず、嘗めずるばかりにして、愛し育てるざまと云つたら、ない。丸で畜生も同樣だ。﹂ 夫婦は互ひに顏を見合はして苦笑したが、話し手はなか〳〵それくらゐで話をとめなかつた、 ﹁さう云ふことを云ふと、女は直ぐ辯解して、子供を可愛がるのは當あた前りまへのことで、何も恥ぢることはないと云ふが、それは餘裕のない畜生であるからである。最も貧困なものが人の軒に立つて物乞ひするを恥ぢないと同じ根こん性じやうだ。自分の面目を忘れてしまふ樣に、子供の爲めに亭主の存在を無視するのだ。﹂ ﹁では、丸で﹂と、お綱は女の味方をして﹁男といふものは自分が産ました子供の爲めに燒き餅を燒くのです、ね。﹂ ﹁如何にも、さう云はれりやアさうかも知れません。﹂義雄はなほ眞實に、﹁母がそのつれ添ひを無視してまで子供の愛におぼれるのを、父たるものは平氣で見てゐるに忍びられません。女の情愛が男を去つて、他のもの――それが自分等の子供であらうが、またはよその叔父さんであらうが、大した違ひはない――に移つてゐるのを知りながら、その女の跡をおめ〳〵と追つて行く男がありませうか?﹂ ﹁然しそれは﹂と、お綱は躍起となつて、﹁世間一般の風習で、仕方がないでは御座いませんか? 他人なら知らず、自分の子供を可愛がるのは自分の所をつ天とを愛するも同じです、わ。﹂ ﹁おんなじと思ふ男があれば、間違ひです――馬鹿か意い久く地ぢなしのことでせう。自分以外のものの爲めに謀むほ叛んされたのです。女は謀叛人です。﹂ ﹁それはあんまり角かどの立つ云ひ方です、わ。﹂お綱はいよ〳〵躍起となり、顏までがほてつて來た樣だ。﹁そんなことをおツしやるお方なら、わたし、あなたをおそろしくなりますよ。謀叛人なんかツて、女の心はそんなものとは反對です。子寶とも云ふ子供ですもの、それを夫婦が可愛がつて育てるのに不都合は御座いますまい。﹂ ﹁奧さん﹂と云つて、義雄は身づから少し反省した。そして、わざと微笑を漏らしながら、﹁間違つて貰つては困りますよ、これは根こん本ぽんのところ僕が僕の妻に對する不平であつて、決してあなたがたに關して云つてるのぢやアないのですから――﹂ ﹁それはわたしにも分つてをりますが、あなたがあんまり女のことを惡くお云ひなさるものですから、わたしも自然辯解したくなるのですもの。﹂お綱も微笑しながら優しく云つたが、その樣子にはどことなく惡をぞ憎うの色が見えた。 で、義雄は、お綱の心になほ理解を與へて置く必要があると思ひ、言葉をつづけ、 ﹁たとへば、あなたがたの家庭に就て云つて見ても﹂と云ひかけると、 ﹁わたしのうちのことは﹂と、お綱は笑ひながらさへぎつて、﹁どうでもよう御座んすから――﹂ ﹁なアに、奧さん、まア、お聽きなさい﹂と、義雄は平ひら手てで空くうを打ち、﹁別に惡く云ふのではないのですから。――若しあなたがいつも所帶じみた風ばかりしてくすんでゐるとすればです、――實着な有馬君だからそんなことも滅多にあるまいが、――どうしても、たまには充分色氣のある樣子をして自分に向つて貰ひたいと思ふことがないではなからう。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂勇はにこ〳〵ツとして、煙草を煙管につめかける。それが、もツともだが、さう適切に義雄から自分の心をうがたれたくはないと云ふ樣子であつた。お綱もにこついて、所をつ天との顏を瞥見したが、 ﹁そりやア無理です、わ。﹂恨めしい樣子をしたかの女の心持ちを義雄は分らないでは無かつた。かの女は如何に家兄の失敗の爲めに自分の家が零落してからかたづいて來たとは云へ、この七八年を、同じ北海道に於て、こんなみじめな状態で送るつもりではなかつた。結婚さへ承諾すれば、望み通り東京の學校へ轉任運動をして、やがては都の生活をさせて貰ふ條件であつたのが、一向その條件が行はれないで日を送り、年を送るうちに、子供は一人も二人も出來たけれども、所をつ天との俸給はその割合ひにはあがつて行かない。その上、相變らずこの寒僻地の好かない生活をつづけてゐるのが、かの女には一生の過あやまちの如く見えて、自分の身を餘り安賣りしたのだと思はれてならないが、日本婦人の常套思想なる運命主義からして、何事も運命だとあきらめてゐると云ふことは、この前に、かの女は義雄と勇との前で語つたところだ。 ﹁奧さんも亦考へて御覽なさい、娘であつた時の樣な色目を今使へますか?﹂と、かう義雄につツ込まれた時は、然しかの女もむツとして、﹁あなたのお好きな藝者ではありませんし、子供のある身で、さう、いつまでも、だらしなくもしてをられません。﹂輕蔑した樣な、然し恨みのある樣な、義雄には方々の家庭に於てしばしば出くわして親しみのある口調で、お綱は返事した。 ﹁田村君の意見はなか〳〵正直で、眞實なところがあつて﹂と、勇は下向き加減の首を動かしながら、﹁僕等もそこまで行きたいのだが、――處世上だ、ね、――處世上さう率直にやつてゐられないのだ。第一、生活問題の壓迫を感ずるから、ね。﹂ ﹁さうだ、それも大問題であるから、ねえ。﹂義雄もそれ以上は云ふまいと、口をつぐむ。 ﹁何はともあれだ、ね、お綱﹂と、勇は細君の機嫌を取る調子で云つた、﹁田村君に一杯あげる支度をしな。﹂三
林檎で腹の張つた子供ふたりは、廣い通りの眞ン中の草の上で遊んでゐる。その上へ、内地人には、異樣な高たか樹きが二三本路傍に生えてゐる間から、ゆふぐれの色が攻め寄せて來るのが見える。涼しい風が玄關からも、裏庭からも吹き通る。 勇が酒と牛肉とを買ひに出て行くので、義雄も一緒に出た。今一人の友人――さう遠くない――のところへちよツと顏を出して來るつもりなのだ。 ﹁島田君には、あれツ切り會はない﹂と、勇は道々義雄に別な友人のことを話した。あれツ切りとは、義雄が以前當地に一晩とまつた時、三人で大黒座へ芝居見物に行き、二人はそこで勇に別れて、遊廓へまぎれ込んだ時のことだ。﹁どうも、新聞記者肌の人には僕等は交際したくない、自分の現地位を危くする樣なおそれがあるから、ね﹂ ﹁教師などは、それだから、僕等もいやになつたの、さ﹂と、義雄は半ば勇に同情すると同時に、北海道の新聞記者の多くがまだ專ら昔の萬朝記者じみたところがあるのを思ひ出す。樺太では、記者と云へば、殆ど全く北海道の惡習慣を帶びて來たものであるから、新たに記者を傭ふにも北海道から採用するのを嫌ひ、或新聞などは直接に東京のものを世話して貰ひたいと、義雄にわざわざ頼み込んで來たこともある。 島田といふ友人はそんな惡習に染まつたことがあるか、どうか知らないが、勇がそれを、國語學上もとの同窓であるに拘らず、敬して遠ざけてゐるのは、よく渠自身の性質をあらはしてゐると、義雄は思つた。 義雄は途中から別れたが、再び歸つて見ると、勇は待つてゐた。 ﹁ゐたか、ね﹂と云ふ勇の問ひに答へて、 ﹁島田君はゐなかつたから、あす午前に來ると云ひ置いて來た﹂と、渠はどツかり、玄關の立て寄せた障子に近い爐ばたへ座を占める。 直ぐちやぶ臺の上に御馳走が並べられて出た。勇と義雄との間にちひさい焜爐が据ゑられ、牛鍋がかかつた。勇はその上にあぶら身をのせてじう〳〵云はせながら、 ﹁この頃肉屋の競爭で肉が非常に安いのだ。かういふものでなけりやア、僕のうちでは御馳走に出來ない。味はどこも同じことだらうが、けふは充分やつてくれ給へ。﹂かう云つて、酒の毒見をしてから、渠は義雄の猪ちよ口こにも酒をついだ。 鍋には、肉のあしらひに、玉ねぎが這入る、カイベツ︵キヤベツの變名だ︶が這入る。かういふ物も、林檎と同樣、この北海道が本場だと思へば、義雄には特に珍らしく感じられた。樺太の三ヶ月とはまた違つた生活がけふから初まるので、何となく愉快な點もないではない。 三ヶ月前の一日は事業の話ばかりで、懷舊談などは殆どなかつたが、こよひは義雄もなか〳〵呑氣にかまへてゐるので、古いことが二人の談話にのぼつた。 東京の或耶蘇教學校で同級にゐた時、西洋人の教師を夜に乘じてなぐり付けたこと、本邦人の教師が意久地なしなので排斥運動をしたこと。義雄が經濟學をやり出せば、勇もその專門學校に這入つて來たこと。某縣に於ける時代に、二人が共謀して校長排斥を企ててゐるといふ寃ゑん罪ざいを被かうむつたこと。などを語つた間に、燗徳利は二三度自在鍵でつるした鐵瓶を出たり、這入つたりする。 ﹁もう、あかりがつくのか?﹂義雄はお綱がランプを運んで來た時に云つた。そして、樺太はこの頃九時でなければ暗くならない、そして夜は午前二時に明けてしまふことを語つた。 ﹁大たい相さう暮し易いところです、ね。﹂このお綱の言葉を引き受けて、勇は不思議さうにかの女ぢよに聽いた、 ﹁どうして?――寒いところは厭だ、厭だと不斷云つてゐるのに?﹂ ﹁石油が入いらないから――﹂ ﹁馬鹿な﹂と、勇も妻の顏につり込まれて笑つた。 ﹁その上、澤山仕事が出來るでせう﹂と、かの女はつけ加へた。 ﹁ところが﹂と、義雄も笑ひながら、﹁若し飯を四度喰はなければならなかつたらどうします?﹂ ﹁まさか﹂と、お綱は吹き出した。 義雄は切つてある爐が初めから珍らしいのだ。そして、ぴか〳〵した鐵の灰入れを包んでゐる小石がいつも奇麗になつてゐるのは、時々取り出して磨くのだといふ説明も聽いた。渠はひよつツとすると、樺太越年の代りに、北海道の冬を過すかも知れないと考へてゐるので、札幌の家の建て方をも注意した。 窓はすべてがらす障子でカーテンを懸けてあり、縁がはの戸もがらす戸になつてゐるのは分つたが、冬籠りの時はどこを居間にするのだと聽くと、勇は釣りランプをはづし、それを手に持つて、次ぎの間に案内した。そして、渠の勉強室になつてゐる六疊の室を見せ、 ﹁ストーヴをこの眞ン中に焚いて、煙りをここから出すのだ﹂と、煙り出しがまがつてそとへ出る角石の穴をゆび指した。 ﹁かういふ住ひで色女と一緒に暮して見るのも面白からうぢやアないか?﹂かう義雄は語つて、もとの座につく。 ﹁僕等は君の樣な呑氣なことは云つてゐられないのだ。﹂勇は渠に猪口を指しながら、﹁暮して見たいのならいいが、暮さなければならないのだ。﹂ かう云はれた時、義雄は勇の書齋に書物が丸でないのをあはれみ、如何にくすんでゐるとしても、讀書ぐらゐはもツとやればいいのにと思つた。そして、自分の東京に於ける書棚の澤山の書册が、今囘は、どうなるだらう? 愛婦に次いで、書册――殊にわざ〳〵外國から取り寄せた洋書――は自分の大切にしてゐるものだ。それらが自分の家と共に、もう抵當物になつただらうか、それともまた全く人手に渡つてしまつただらうか? そんなことを考へると、自分の身も亦書棚本の如く別々に碎かれてしまふ樣な氣になる。 義雄は猪口を手にして、僅かに氣を取り直した。そして、どうしても、この冬は樺太か、北海道かで、どこかの女と共に越年しようといふことを考へながら、 ﹁ストーヴを焚たき出すと、部屋はさぞ穢きたなくなるだらう、ね﹂と尋ねる。 ﹁きたないどころではない﹂と、勇は答へた、﹁みんないぢけてしまふから、掃除などは滅多にしないで、ストーヴのそばにまた炬こた燵つをして引ツ込んでばかりゐる、さ。﹂ ﹁色女と暮しながら、原稿を書いたり、讀書したりするにやアいい、ね。﹂ ﹁君の嫌ひな子供ばかり出來て困るだらうよ。﹂ ﹁そりやア、また別なこと、さ。﹂ ﹁時に、君のはどうしてゐるんだ?﹂勇は義雄にお鳥のことを聽き出した。 ﹁實は、君、さツき、ちよツと口をすべらしたから、もう隱してゐるまでもないが――﹂義雄は猪口を置きながら、﹁どうしてゐるか分らないのだ。僕が東京を出る時は二ヶ月ばかりで歸るつもりであつたから、その間だけの生活費を渡して、寫眞學校に通はせることにして置いたが﹂と、先づ、その女に寫眞術を習はせて獨立の生活が出來るだけにしてやるつもりであつたことを語つた。 ところが、あちらへ行つてから、料理屋や藝者屋へは一時の信用で遊びまはることが出來たが、現金と云つたら、十圓とまとまつたかねが出來ない爲め、女への支送りが六ヶしかつた。催促が來る、申しわけをやる。女の催促が恨みに變じ、罵倒に變じ、義雄の申しわけが訴へに轉じ、絶望に轉じた。かういふことなどを語つて、 ﹁この頃では、女からの返事がない、多分一度關係した男にまたくツついてゐるか、別な男を見つけたのだらう﹂といふ想像を加へた。 そして、この關係した男といふのは、義雄の友人加かし集ふ泰助であつて、義雄が一度女と手を切らうとした時、中に這入つて貰つたものだ。その關係が出來た後、義雄の未練から再び愛の撚よりがかかる時、女は義雄に申しわけがなかつたと云ふ意味で、アヒサンを服して死にかけた。それは義雄の出發間ぎはのことだ。 それでその友人と女との關係は絶えた筈だ。そして、義雄は女の豫後を一週間ほど獨りで見てゐた上、女が平時のからだ通りよくなつたのを見定めてから出發したこと、などをも語つた。 ﹁そんな女はゐない方が奧さんの爲めによいでは御座いませんか﹂と、お綱は云ふ。 ﹁つまり、女といふ奴ア薄情なもの、さ﹂と、勇は斷定してしまふ。 然し義雄が醉つてゐながらも目の前にあり〳〵と思ひ浮べられるのは、出發の際お鳥が上野まで見送つて來て、いよ〳〵汽車に乘り込むといふ場合に、プラトフオムで、人々とかけ隔つてゐるすきを見て、 ﹁わたしは、もう、一生あんたばかりを愛します。親類もなく、友達もないと同樣寂しく待つてゐますから、早く歸つて來て頂戴、ね﹂と、その聲は顫へてゐながらも、いつにないしツかりした、はツきりした、積極的に情の籠つた言葉を發したことだ。 それから、また自分が二等客車の窓から、これが暫くの別れだといふ意味で、手をさし出すと、お鳥はじろ〳〵とあたりを見まはしてからまたその手をつき出し、義雄の思ふ存分に握らせたことを思ひ出す。 そんなことまでは義雄も語らなかつたが、 ﹁あれまで熱心になつてゐたものが、僕の云つてやつた難局を少しでも辛抱し切れないとは不埒極まる、さ﹂と、渠は勇に猪口を勸めながら云ふ。 ﹁然し﹂と、勇はその猪口を受けながら、﹁君が女を持たなければならないとすりやア、この難局を切り拔けてからの方が、つまり、いいぢやアないか? 難局を控へてゐながら、女に支送りしようなどと考へるのが贅澤、さ。﹂ ﹁そりやア、僕もさう決心してゐる、さ。ただ僕がまだ未練があるのだ。――考へると、可愛さうでもある。﹂義雄は風呂敷包みの中からお鳥のよこした手紙の一と束を取り出した。 六月二日附のはお鳥が義雄に上野で別れた日の夜認したためたもので、手を握られた時の嬉しかつたこと、恥かしかつたこと、汽車が出る時はその跡を飛んで行きたかつたこと、悲しさにその場へ倒れかかつたことなどが書いてある。それと同じ樣な感情で書いたのが、今一つ、一日置いて來てゐる。 その次ぎのは、十日間ほど經つてから書いたもので、樺太安着を本妻の方へは電報で知らせながら、自分へは手紙でよこしたといふ恨み言がある。これは、義雄には輕けい重ぢゆうの意味があつたのではなく、弟の病氣が餘り惡い状態であつたので、その入院を電報で知らせるついでに、安着をも書き加へたのであつた。その辯解は手紙で書いてやれば濟むことと思つたが、その時手紙の返事では間に合ふまいと思はれることが書いてある。 それは、關係がなくなつた筈の男が、義雄の留守をいいしほにして、お鳥の住んでゐる借り二階へおほ手を振つて這入り込まうとすることだ。最初などは、お鳥の朝まだ起きあがらない時やつて來て、ひらきのうち錠――義雄が出發前につけた――を押し切つて這入つたりしたので、下の人々に今度からは留守だと云つて呉れろと頼んだと書いてあるが、どうも義雄の安心出來ないことがあつた。 外でもない、かの女自身は義雄の手紙を受け取るまで頻りに渠の身を心配してゐたのに、本妻の方へは電報が行つてゐたのを知つた時は、渠に人情のないのを知り、 ﹁自分の身を抱いて泣きました﹂とある。電報のことをお鳥に知らせるのは、友人しかない。して見ると、その友人がかの女の義雄に對する愛を再び奪ふ爲め、輪に輪をかけて泣かせたのだと思つた。 この手紙の事情を解し得た時、義雄はマオカの旅館でむかむかッとのぼせあがり、友人並にお鳥を咒のろつた。そして、直ぐかの女へ當て、﹁カシウノシラヌヤドヘウツレ﹂といふ電報を打ち、またその意味をこま〴〵と認したためた手紙を出した。 再び取り返しのつかないことをしては、もう、二度の勘辨は出來ないと思つたからである。 その次ぎの手紙は、義雄の電報並に手紙に對するかの女の返事である。宿などは轉じなくても、自分の心さへしッかりしてゐれば、加集の樣な奴︵と、實際書いてある︶にたとへ來たとてだまされはしない。それに、この頃は來ないし、自分も元の自分とは違つて、心を確かにしてゐる。御命令通り轉宿しようとしてもかねがないから、それを何より早く送つて呉れろとある。 別れの際、受け取つたのは二ヶ月分の生活費と寫眞學校の月謝とだが、學校では別に種板や藥材の代金を拂はなければならない。その上、義雄に移された病氣︵移した渠の方が却つて早く直つた︶がまたひどくなり、且、例年の脚氣が出たので、兩方の爲めに氣分も惡く、歩行にも不自由してゐるから、醫師にも大分拂ひをした。そして、また、﹁蚊か帳やを借りることも儉約してをりますから、毎晩蚊にかまれて眠られません﹂ともある。 義雄はこの句を思ひ出して、お鳥の特別に色の白い肌を思ひ浮べた。 それに對して、義雄はたツた一圓を封じて送つてやつた切りだ。無論、やれたらやるが、やれなかつたのだ。そして、その封書には、某新聞社へ原稿を送つてあるから、そこから稿料をいくらいくら取れ。そして、樺太へ來るなら來い、醫師もあれば、寫眞屋もあるからと、旅行途中の手順や心がけなども書き入れた。 それに對するかの女の恨み言が、そのまた次ぎの手紙である。 ﹁難局だ、難局だと云つてよこしても、あなたが露領までも旅行出來る餘裕があるなら、わたしの方へも送つて呉れるくらゐなものはありましよう。あなたはわたしに加集と關係があるの、なんのと申されますが、あなたはそッちでまた浮氣をしてゐるのでしよう﹂とある。そして、樺太へ行くにはなほ更らかねが入る。自分は今持つてゐた不斷着まで質に入れ、器物類を賣つて、ゐ喰ひをしながら、一人仕事を探したり、勤めの口の世話を頼んで見たりしてゐる。然しわざ〳〵新聞社などへかねを取りに行つて、若し渡されなかつたら恥ぢをかくばかりだ。今度こそ送金がなかつたら、どうせ一度死にかけた身、自分はどうなるか知れない。などと書いてある。 かういふ手紙はすべて、義雄には、日附けさへ見れば直ぐその内容も分るので、一つ〳〵を束ねから無言で順序通りにめくり取つて行つたが、渠はその次ぎのを取つて、封筒から拔き出した。そして、鳥ちよ渡ツと開いて見たが、またもとの通りに納めた。 餘り罵倒罵言に滿ちてゐる手紙であるからだ。 義雄は、勇にも話した通り、樺太で越年して、木材を切り出したり、創作をしたりするもくろみがあつたので、ちひさなロスケ小屋を一軒手に入れた。そこでお鳥と一緒に住む氣になり、かの女にどうしても來い、かねは新聞社のを取つてと云つてやつた。 すると、かの女の返事に、渡すか、どうか分りもしないかねを當てにして、樺太へ來いとは氣違ひの云ふことだ。その上、自分を可愛いと思ふなら、早く歸つて來い、樺太などへ行くのはいやだ。お前の嬶かゝアも氣違ひの樣になつてゐるさうだが、お前もそれになつたのではないか? もう、何も云ひたくない。お前が出發前に、事業費のうちに用立てた衣類六點を――亡き母の形見であるから――そツくり、早く返して呉れさへすればいい。そのかねを直ぐ送つてよこせとあるのだ。 これに對しては、義雄も非常に怒つた。もう、勝手にするがいい。どうせこちらの命令通り轉宿もせず、稿料も取りに行かないなら、加集でないにしろ、また別な男にくツついてゐると見られても止むを得まいと云ふことを、最後の通知と見て、云ひ送つた。 その次ぎに、七月二十五日出のがある。それが樺太へ着した最後のものだ。 ﹁これが、君﹂と、義雄はそれを勇の前に繰り廣げ、﹁僕として殆ど絶縁のつもりで出した手紙に對する返事だ﹂と説明して、讀み初める。﹁七月十五日の御手紙拜見いたしました。御立腹の段は御もツとものことと存じます。わたしの方も餘りひどいことを申しあげたと今更ら氣の毒に思ひます。それも餘り暮しのことを心配して、どうしよう、かうしようと、のぼせたからでしよう。 ﹁然し昨日新聞社から原稿料を受け取りました。この頃はさツぱり加集はやつて來ませんから、宿を變へる必要はないと思ひますが、ふだんの着がへまで質に入れて、着の身着のままですから、わたしが入れた質物を出してしまひました。またお米なども買ひました。 ﹁この頃は、寫眞の方も進んで來ましたから、時々寫生に出かけます。それもつき合ひで仕かたがありません。その度毎に、女だから同じ衣きも物のも着てゐられません。衣物を出したり、お米を買つてしまつたら、もう、殘りは僅かになりました。成るべく儉約するつもりで、お湯にもめつたに行かず、おかずも買はないで濟ます樣にしてをります。﹂ ここまで讀んだ時、渠はかの女の或部分の臭いにほひを思ひ浮べた。手紙はここからまた訴へになつてゐる。 ﹁わたしがこれほどにしてゐるのをあなたは可愛さうとはおぼしめしませぬか。わたしはあなたの爲めに兄弟とは文通を絶ち、友達とは交際が出來ない身になつてをります。兩親がないわたしは、あなた獨りが頼りです。それに、あなたには別に本妻があつて、わたしは妾同樣なので御座います。世の中からはすたれ物にされてをります。わたしはいつまでも蔭に育つ草ではありませんか﹂だが、かの字を略して、疑問點を字のつもりで入れてあると、義雄は笑つた。 ﹁あなたも男でしよう、そして小説を書くだけ人情を解してをられるのなら、せめてこのみなし子同どう前ぜんな蔭草をあはれと思つて、身なりだけでも飾らして下さい。今では、化粧品一つ買ふおかねがないのです。﹂と、ここまで義雄は讀んで來て、ちよツと手紙を置き、卷煙草に火をつけて、二十二歳の女のいふこととしては、實に正直なところではないかといふことを勇に説明し、再び讀みつづける。 ﹁それですから、この手紙着次第、まとめたおかねを送つて下さい。さうでなければ、越年など云はないで、早く東京へ歸つて來て下さい。お顏が見たくて見たくてたまりません。 ﹁わたしは勤め口か都合のよい奉公口かを探してをりますが、いつかう見付かりません。うかうかしてゐると、學校へも行けなくなり、毎日のくらしも立たなくなります。話し相手も、相談相手もないからだで、廣い東京にどうしたらよいか途方にくれましよう。どうぞおかねを送つて下さい。一生のお願ひですから、わたしに心配させずに、早く送つて下さい。頼みますよ、あなた、頼みますよ。さよなら。七月二十五日、鳥より。 ﹁戀しき〳〵義雄さま﹂の艶ツぽい宛名だけは、義雄もそれを少し遠慮して、微笑にまぎらして讀みとめ、煙草の吸ひ殘りを火にほうり込んだ上、直ぐその手紙を卷き納め、ほかのと一と束ねにして、元の通り風呂敷に包んだ。 ﹁おのろけを聽かされて、默つてゐるのもつまらんです、わ。﹂お綱が先づ子供を寢かしつけた室から出て來た。 ﹁實際、おごる値打ちがある、ね。﹂勇も猪口を取りながら云ふ。 ﹁牛肉ぐらゐでは承知しませんよ。﹂ ﹁豐ほう平へい館くわんの晩餐はどうしても、ね﹂と、勇はお綱と互に目と目を合はせて、多少冷笑の氣味を見せた。 然し義雄は、暫らく、ただ寂しい微笑を以つて返事に換へてゐる。 ﹁僕ア聽きたいんだ﹂と、やがて渠は口を開き、﹁全體、あなたがたはこの手紙でどう思ひます?﹂ ﹁どう思ふとは?﹂ ﹁女に就いて、さ――?﹂ ﹁そりやア、あなた﹂と、お綱が引き取つて、﹁とても﹂と北海道流の副ふく詞しで力づけ、﹁お氣の毒な方だとお察し申します、わ。﹂ ﹁君が棄てるのも可愛さうだが﹂と、勇は猪口を取つてまた義雄にさし、お綱に酌をまかせながら、﹁一緒になつてゐるのも亦可愛さうだよ。﹂﹁ところが﹂と、義雄は受けた猪口を下に置いて、﹁どツちにしても、可愛さうでも何でもないのだ。――全體、年の行かない割合に、喰へない女だ。覺悟をしてかかれば、アヒサンの樣な毒藥を不斷隱して用意してゐたくらゐだから、どんなことでも平氣でやれる奴、さ。今の手紙も、全く信じて讀めば、少しも疑はれるやうなところがない代り、ちよツとでも皮肉に見りやア、後ろにあやつり手がゐるとも見える。少しでも金を取つて逃げようといふ手段だらう――加集といふ男がまだ關係してゐるとすりやア、口こう錢せん取りのやり繰り手、話上手な策略家だから、ねえ。﹂ ﹁逃げてしまへば、もう、責任はその男に歸するのだから、なほ更ら結構ぢやアないか?﹂勇が思ひ切れと云はないばかりに云ふのを、義雄は心で情けなく思ひながら、――否いや、寧ろ自分の心を解して呉れるものはこの家にもゐないと觀念しながら、―― ﹁そりやア、それツ切り、いくら手紙で事情を云つてやつても、向うからの便りがないのだから、僕もさツぱりして、思ひ殘りがなくなつたわけだが、どうせ僕には女が入用だから、矢ツ張り氣心の分つたものをつづけてゐる方がいいから、ねえ。﹂ ﹁ですから、奧さんのところへ御歸りになつたら――﹂と、お綱が云ふ。 ﹁いや、女房のところへは、失敗を囘復した後にも歸りません。﹂ かう云ふ話のうちに酒は終つて、飯になつた。 義雄は肉にカイベツのあしらひを、北海道の涼しい夜風と同樣、初めての如く珍らしく思つたと同時に、香の物代りに出てゐたカイベツ並に枝豆の糠味噌漬けを甘うまいと感じた。四
翌朝、義雄が有馬の家で目を覺ました時は、勇もお綱も食事を初めるのを待つてゐた。 渠は手早く顏を洗ひ、渠等と共に食膳についた。味噌汁の中なか身みがまたカイベツである。渠はこのカイベツと枝豆の漬け物とを味はつて、それらを渠の北海道生活に於ける最初の知己であるかの如く思つた。 渠は食後勇を伴つて、きのふの云ひ置き通り、島田の家を訪問した。島田の家は有馬の家と同じ通り條すぢの六七丁目違つたところにあり、札幌を一直線に南北に仕切る水道の一つ手前の横町だ。柳やイタヤもみぢなどが青い葉を飾つて路傍に立ち並んでゐるその角は、ちひさい個人的な鐵工場で、その筋向うに、﹁北海實業雜誌社﹂といふおほきな看板が出してあつて、﹁島田氷峰﹂といふ表札が打つてあるのがそれである。島田は名を定吉といふが、氷峰の雅號を以つて諸方の新聞社をまはつてゐたので、その雅號の方が廣く北海道人士に知られてゐる。 渠はもと東京に於ける某歌人の門弟で、十七八歳の時、既に出しゆ藍つらんのほまれがあつた。且、その當時は、石部金吉の名で通つてゐただけ、同門婦人の間に評判がよく、その一人の如きは、渠が北海道の故郷に歸つたのを追ツかけて來て、慇懃を通じようとしたが、渠にはね附けられてしまつた。その後滿洲に於て一つの邦字新聞が出來ようとする時、その記者として出發しかけたが、突然それを斷念したのは、そこの一外交官の細君が自分を追ツかけて來たその女であるといふことを聽いたからである。 渠は、義雄に三ヶ月前に初めて直接に會つた時、以上のことを誇りがに語つたのだ。然し、渠が歌よみとしての努力が薄らぎ、新聞記者としての生活に深入りするに從ひ、その性格は段々變化して行つたのであるとは、義雄も想像出來た。氷峰は今ではどの新聞にも關係はないが、いろんな新聞記者に後援をさせて、一つの實業雜誌を出さうとしてゐる。 渠の話に據ると、渠は人に信用される年齡の來るのを待つて、北海道の政治界にうつて出たいのである、それに思ひ附いた一昨年から昨年の後半にかけて、渠は歌よみは勿論、新聞記者をもやめて、東京に於ける或私立大學の政治科へ入學してゐたが、その時期の過半は一種の花柳病の爲めに入院してゐた。そして、それが直り、病院を退くと同時に、東京の諸實業雜誌に似た樣なものを發刊するもくろみが立つたので、その準備に取りかかる爲め歸北した。 然し徒とし手ゆく空うけ拳んを以つては、その主意に賛成して呉れるものはあつても、なか〳〵資本を出して呉れるものがない。半歳ばかり札幌に於て流浪してゐるうち、生活上の困難がつみ重つて來たので、止むを得ず、一時の間に合はせに、再び新聞記者となり、道中の或方面へ出かける途中で、兄のゐる山へ立ち寄つた。そこで、話が一轉化した。 渠の兄は某炭山の役員である。彼は一番末ツ子で、兄は一番うへの總領だから、年齡に於て親と子ほど違つてゐる。而も渠はこの兄の非常な贅澤な家で小學時代を送り、また中學時代の學費も世話になつた。今はさういい地位にはゐないが、そこへ、丁度、もと兄の世話になつた子分で、大分羽振りがよくなつてゐる受うけ負おひ師し川崎藤五郎といふのがやつて來て、渠氷峰を引きとめ、 ﹁新聞記者の樣なきたない商賣などはよして、おれが資本を出してやるから、お前の考へ通りやつて見い﹂と云ふことになつた。 何でも、一時に四五千圓出費するのだとは、義雄も氷峰から聽いてゐた。 義雄が島田の玄關のがらす戸をあけたてするのは、きのふを加へて、けふで三度目である。最初、渠が氷峰と共にここから出て芝居に行き、薄すす野きのに行つた時は、翌朝早く、汽車時間の都合上、ここへは立寄らないで、何とか樓の赤い、あツたかい蒲團から、直ぐ停車場へ車で驅けつけたが、氷峰はその後からまた追ツかけて來て、寢ぼけたつらをして、義雄の出かかつてゐる汽車の窓のそとに立つたことを渠はひそかに思ひ出した。 氷峰はゐなかつたが、ちよツと寫眞版屋へ行つたのだから、待つてゐて呉れろといふ云ひ殘しがあつたので、義雄等はあがり込んだ。大分準備がととのつて行くものと見え、書生兼用らしい寫字生もゐるし、編輯補助、會計、廣告取りなどらしい人々も數名ゐる。そのうちには、主筆なる氷峰よりずツと年うへらしい老人もある。書生が主人を呼びに出た跡で、他のものらも亦それぞれ用達しに出て行つた。 その跡で、義雄等は狹い家の樣子をかへり見ると、玄關に隣つたおもての室が雇ひ人らの事務室で、それにつづく奧の一と間が主筆の編輯室らしい。社とは云ふものの、まだ不整頓の爲め、どこかの書生雜誌の編輯所と大して變らない。然し、﹁購讀者名簿﹂﹁原稿受入帳﹂、﹁廣告控帳﹂などの、既に出來てつるさがつてゐるのが見える。原稿用紙も澤山用意してある樣子だし、雜誌へ入れる寫眞銅版も大小七八組は主筆の机の上に積み重ねられてある。 女中か家族のものか知らないが、前には一人の老婆がゐたのに、今回は二十一二歳の色は白い、然し田舍じみた樣子の女が、横手の茶の間から、茶を運んで來た。 義雄は縁がはに出て、狹い裏庭から吹いて來る風に當つて、涼んでゐる。以前白い花を一面に吹き亂してゐたクロバは刈り取られて跡かたもないが、その代り、脊の低い芙蓉には白と赤とのつぼみを含んでゐ、その根にあやめの花が落ちて葉ばかりのや、蝦えぞ夷ぎ菊くの咲いてゐるのがある。 暫くすると、書生が歸つて來る。つづいて、氷峰が單ひと衣へ一つのへこ帶、握りぎんたまで、ぬツと這つて來る。 ﹁やア、田村君﹂と云つて坐わつて、それでも渠は四角張つたお辭儀をして、﹁昨日お歸へりでしたと――あちらからの御返事は拜見いたしました。﹂ 義雄は、何よりも先きに、その返事以前にハガキが屆いたか、どうかを質問した。それと同時に勇に出したハガキが屆いてゐないからである。そして、氷峰へも屆いてゐないのを聽き知つた時、渠は自分とお鳥との關係にまだ望みがあるのかも知れないと思つた。蓋し、二人の間にも、往復封書の紛失もしくは不着したのがある爲め、意志の疏通を缺いてゐるのだらうかとも考へられる餘地が出來たからである。 ﹁樺太郵便の不着が多いのは實に困る﹂と、義雄は眞しん底そこから不平さうに云つたが、その不平の最も深い意味は、無論、他の二友には分らなかつたのである。 ﹁それはさうと、御出發の際は﹂と、氷峰は義雄に向ひ、﹁實に失敬しました。つい、ああ云ふところでしたから﹂と、笑ひながら、﹁寢すごしまして、――僕が顏も洗らはないでステーシヨンへ驅けつけたので、漸くお見送りが出來たのでした。﹂ ﹁いや、僕こそ――﹂義雄も丁寧に、﹁いろんな御厄介になつたのだ。然し﹂と、直ぐ碎けて、 ﹁あれから用意はつづけてゐて、まだ雜誌は出來ないのか?﹂ ﹁うん、まだ――﹂氷峰も隔てをゆるめて、﹁九月一日に初號を出すつもりであつたのが、多少後おくれるかも知れん。﹂ 義雄と氷峰とは、文學上では、數年間手紙の上の友人であつたが、相會ふのはけふが二度目だ。後者が前者に向ふ態度には多少文學上の先輩に向ふといふ遠慮がないでもないが、前者は今詩と評論と小説とを殆ど全く鑵詰事業に換へたかの如くなつた跡であるし、後者も亦現げんに歌よみと云はれるのを避けて、實業的方面に手を出しかけるのだから、先輩も後輩もあつたものではないと、義雄は思つてゐる。 ﹁然し大分準備が整つて來た樣に見える、ね。﹂ ﹁もう、漕ぎつけたも同じことぢや。ただ困るのは印刷と銅版で――ここにも﹂と、氷峰は机の上のをさはつて見、﹁こんなに寫眞銅版が出來て來たが、札幌だけでは間に合はんので、仙臺まで材料を送つて拵こしらへさすのぢや。東京などと違つて、萬事が不自由で困る。﹂ ﹁そりやア仕方がない、さ。﹂義雄は卷煙草をつけ換へながら、﹁その代り、東京の雜誌や新聞の競爭を受けないで、北海道專門のものを廣めることが出來る便利を持つてゐるぢやアないか?﹂ ﹁それもさうぢや。﹂氷峰も煙草を飮み初める。 ﹁早く出し給へ、――早く。﹂ ﹁出すのはわけアないが、金主の方が先づしぶり出して――五千圓出せば、三千圓を初號にかけ、その殘りを二號にまはさうとしたら、さう行かないうちに風向きが變つた――金主が山で一大失敗をやつたのぢや。﹂ ﹁どこでも失敗はある、ね。﹂勇は義雄を見て微笑した。 ﹁ところで、君の方は﹂と、氷峰は義雄の事業のことに及び、﹁どうです? 儲かりましたか?﹂ ﹁僕ア君のぐづ〳〵してゐるうちに、三千圓ばかりの品物を擧げた、さ。﹂かう氷峰に云つて、義雄は勇の方をほほゑみながら見返す。 ﹁ほう﹂と、氷峰は驚く。 ﹁ところが、君﹂と、勇は口を出して、﹁全く失敗ださうだ。﹂ ﹁そりやアまた――?﹂ ﹁なアに、島田君﹂と、義雄は平氣をよそひながら、﹁みんな實費にかかつてしまつたの、さ。﹂ ﹁は、は、は!﹂氷峰は笑つた、﹁藝者のあげ代も實費のうちへ這入りました、な。﹂ 義雄は自分の事業の失敗並にその囘復策に就て勇に話した通りのことを氷峰にも話した。 ﹁君はまださういふ事業をやるには早かつたのぢや﹂と、氷峰も遠慮なく云つた。 ﹁文學でこそ、田村義雄君と云つたら、一方の大家であるけれど、實業にかけては僕よりもまだあんこぢや、それが一躍して、千金を握らうとしたのはそも〳〵無理であつた。﹂ ﹁僕も實はさう思つてゐたよ。﹂勇は胸を反そらせて賛成した、﹁さう容たや易すく金が儲かるものなら、僕だツて、いつまでも學校などにぐづついてはゐない、さ。﹂ ﹁さうぢや、君もかね黨の方であつた、な。﹂氷峰は勇をあしらつて置き、また義雄に、﹁然し君の大膽なのには、世間の人々は感服してをる。﹂ ﹁そりやア月謝が餘り高過ぎる經驗だから、ねえ﹂と、義雄は受けた。 ﹁僕等にやア﹂と、勇はもつともらしく云つた、﹁とてもやれないことだ。全體、田村君は初めから人並みはづれて思ひ切つたことをするから、僕等にやア、あぶなくツて、見てゐられないことがあるんだ。﹂ ﹁君は然し﹂と、氷峰は勇に向ひ、﹁また人並みはづれて險呑がりぢやよ。それでは、田村君のどころではない、僕の事業をもあぶながつてをるんぢやらう?﹂ ﹁いや、さういふわけぢやアない――﹂勇は少し尻ごみして、﹁君のは君の、田村君のは田村君のだ。﹂ ﹁有馬君はまた﹂と、義雄もはたから口を出し、﹁引ツ込み思案過ぎるよ。相變はらずの教育家でつづいて來たには感心するが、餘り野心が少い。前にも直接に有馬君に云つたことだが、七年も八年も新開地に來てゐながら、何とか工夫して、さ、安い地面とか、拂ひ下げの山林とかを、買つて置く位のことアしてゐるべきものだ。﹂ ﹁そりやア考へてゐないでもないが、ね、島田君も知つてる筈だが、なか〳〵手に入り難いものだよ。﹂ ﹁それも、さ﹂と、氷峰は云つた、﹁行き方一つぢや。教師やへツぽこ官吏には六ヶしいとしても、農學校の教授とか、道廳の官吏などは、こツそりさきへまはつて、出る山林や土地を買ひ占めてしまふ。僕等もつまらんことをしたものの一人ぢやが、新聞記者をしてをると、何かの關係上、土地を少し貰つて置け、いいところがあるからと、向うから勸めて來ることが度々あつた。然しその時は意氣込みばかり高かつたから、土地などはいつでも得られる樣に思ひ、相手にもしなかつた。﹂ ﹁A地のY先生などア隨分持つてるさうぢやアないか﹂と、勇が聽く。 ﹁なアに、その時貰つた土地ぢや――僕も惜しいことをしたの、さ、こちらが必要を感じて、どこか欲しいと思ふ時には、頼んでも、向うから持つて來て呉れない。意地の惡いものぢや。﹂ ﹁僕もどこか持ちたい、ね。﹂義雄は自分の窮境を救ふ一つの助けにもと空想して云ひ出す。 ﹁そんなかねがあるのか?﹂ ﹁ない、さ。﹂ ﹁それぢやア駄目、さ。﹂ ﹁無論、駄目の話だが――﹂ ﹁金と云ふ物は、然し﹂と、氷峰はのんきさうに云つた、﹁天下のまはり物ぢやから、なア。然しこの頃は駄目ぢや、人の賣り物を買ふのは、不利益ぢやから――山林拂ひ下げの公布が出るのは、もツとさきぢや。﹂ ﹁それにしても、君はいつまで滯在する? 當分をるのなら、僕等の方にも計畫があるのぢや﹂と云ふ氷峰の言葉に答へて、義雄は勇の方へ少し氣がねしながら、 ﹁ゐられるなら、當分ゐたいと思ふのだ。樺太を研究したから、北海道をもついでに研究したいと思ふし、また、出來るなら、何かやるべき事業をも思ひつきたい。﹂ ﹁やり給へ、北海道は新開地だけに、僕等の樣なあんこにでも仕事をさして呉れる。内地とは違つて、なか〳〵面白いよ。――君はどんな感じがする、ね?﹂ ﹁何だか、外國じみた感じがする。然し、どことなく、なつかしくなつて來た、僕には。﹂ ﹁さうだらう。僕は北海道が故郷も同前ぢやから、なつかしさも君のとは違ふだらうけれど、内地と變つて、萬事が大きい。第一、石狩原野や十勝原野の樣な廣漠たる風景はなからうし、諸方の炭山事業も規模のああ大きいのは他にすくなからうし、住んでをる人間その物が片田舍のどん百姓でもなか〳〵馬鹿にならん。君の著書などをも讀んでをるものは、隨分、あちらこちらにあつて、全體に讀書力が進んでをる。それぢやから、僕の雜誌も出さへすれば隨分見込みがあるのぢや。﹂ ﹁兎に角、滯在してゐるうちに、どうかして、北海道を旅行して見なければ――﹂ ﹁まはつて見給へ。有馬君は餘り出たことがない樣ぢやが、北海道を知るには、十勝原野を見なければならん。それも秋がよい。四方八方の紅葉した以いた平らたらき高原の如きは、天下無雙ぢやから、な。﹂ ﹁島田君は十勝にゐたから﹂と、勇は義雄に説明した、﹁向うの方はよく知つてる筈だ。﹂ ﹁僕には、十勝は第二の故郷ぢや。耽溺の記念も多いし、お安くないラバーもをるし、僕を信じて呉れるものもすくなくない。若し僕が代議士に打つて出る時になれば、あちらが根據地だらう。﹂ ﹁君の雜誌さへうまく行きやア﹂と、義雄も渠の北海道通をうらやましくなつたといふ樣子で、 ﹁君の政治的目的も着々はかどつて行くだらうよ。﹂ ﹁僕はこの頃ます〳〵歌人としての狹い世界がいやになつた。氷峰とはあの歌讀みではないかなど云つて、僕を實際に知らない人間は僕の實業雜誌主筆たる信用を輕んずる向きがまだあるのぢや。――然し、北海道なるものを適切に歌つた短歌はおそらく僕のが初めだらう。○○氏の如きがゐ坐わつてをつて北海道を歌つたのなどと來ては、實にお話にならん――槲かしはの木一つの形容でも、その葉が實際にどう光るかといふことを知つてをらん。﹂ ﹁そりやア實際だらう、さ。﹂ ﹁島田君の﹂と、勇が口を出した、﹁歌集と云ふか、詩集と云ふかが出た時にやア、僕等の樣な古いあたまにはよく分らなかつたが、學校でもなか〳〵評判があつた。﹂ ﹁それで思ひ出したが﹂と、氷峰は兩手をわざと堅く立てて膝につき、兩の肩をいからしてつき出す樣な眞似をしながら、義雄に、﹁僕の詩集の廣告を雜誌に出すつもりぢやから、君の著書も廣告したらどうぢやらう、餘地は與へるから?﹂ ﹁それもよからう。出版元がただで廣告出來るんだから。﹂ ﹁それよりも君が一人でも未見の友人のふえる方がよからう。﹂ ﹁それが女ならいいが﹂と、義雄は寂しい微笑を浮べて、﹁野郎なら、もう會ひたくも見たくもない、現在の失敗的状態に於いてはだ。﹂ ﹁さう失望したもんぢやアない。﹂氷峰は慰める樣に、﹁本道で何かすると云つても、知つてる人が多い方がよからう――こないだの時は餘り忙せはしかつたから、何とも仕やうがなかつたが、今囘は一つ歡迎會をやるつもりぢやから――それも、中學生や青年雜誌の投書家の樣なあんこ供は別にして、新聞記者を中心として集つて貰ひたいのぢや。﹂ ﹁それもありがたいことは有難いが、それよりやア僕を一度その十勝原野の樣な廣いところの眞ン中へつれて行つて、獨りで思ふ存分寢たり、起きたりさせて貰ひたい、ね――あんまり、樺太で精神を勞したから、その餘波だらう、考へると、この現在でもあたまや胸が、――もう、からだ全體だが、――煮えくり返つた跡の樣に氣が遠くなるのをおぼえる。﹂ ﹁そりやア神經衰弱だらう。僕等も新聞記者時代には、よくそんなことがあつた。社が貧乏の爲め退社するものが多くなり、社長兼主筆は燒け酒ばかり飮んでをるのを、僕ばかりで一面も二面も三面も書いたんだ。溜つたもんぢやない。一晩の徹夜で、頬ツぽねが神かも居ゐこ古た潭んの巖石の樣に出たと云はれた。﹂ ﹁さう云やア﹂と、勇が受けて、﹁田村君は、こないだ見た時よりも、ずツと痩せた、ね。﹂ ﹁さうかも知れない。﹂義雄は自分の頬ツぺたを撫でて見ながら、﹁僕は全體痩せた質たちだが、この頃ア目の玉が引ツ込んだ樣な氣がするんだ。そして、見える物がすべて暗い光を發してゐる樣だ。﹂ ﹁まア、大事にし給へ﹂と、氷峰は笑つた、﹁まだ氣違ひになるにやア早いから、なア。﹂ ﹁大丈夫だよ﹂と、義雄も笑ふ。 ﹁そりやアさうと、これからの方針はどう云ふ風にする、ね。﹂勇は相談でもかけるやうに云ひ出した、﹁小樽の方はまだ當てになるか、どうか分らないし、樺太から來るかねと云ふのもどうか分るまい――?﹂ 義雄は返事をしないで暫らく考へてゐる。 ﹁さう見くびツたものでもなからう。﹂氷峰が氣を利かせたやうに返事を引き受けた、﹁小樽の松田などア、兄の方は道會議員でも目に一丁字なしの方で、兄弟とも分らず屋だから、どうせ駄目と見といてよからうが、まア、あせらずにゐ給へ。僕の雜誌さへ二三號まで出れば、かねの方はどうともなる、さ――僕と共同のもとにやつたツてかまふまいから。﹂ ﹁さうなりやア、それに越したことはない、さ﹂と、義雄は少し勢ひづく。 ﹁それよりやア、まア、僕のところへ來て遊んでゐ給へ、君さへかまはんなら。有馬君は妻子があるけれど、僕は獨どく身しん者ものぢやから、遠慮はない。﹂ ﹁さう頼みたい、ね。﹂ ﹁なに、僕んところだツて、さしつかへはないよ﹂と、勇は調子を合はせたが、安心したといふ樣子がその顏に浮んだ。義雄はまた東京の妻子を見たくないこと、東京の友人に當分顏を會はせたくないことなどの意を氷峰にもらした。 奧から林檎をむいて持つて來たのが、義雄には昨夜の枝豆につづいてうまかつた。 ﹁北海道の林檎はどうか、ね?﹂氷峰はそのひと切れを手に取りあげながら聽いたので、 ﹁僕は﹂と、義雄は口をもぐ〳〵させて、そのあますツぱいつゆを味はひながら、﹁正直に云ふと、島田君や有馬君に今度親しくなるよりも、この林檎やきのふの枝豆漬けの味の方が、先づ第一に、僕の疲れたからだに親しく沁み込む樣な氣がするのだ。﹂ ﹁北海道の枝豆萬歳ぢや、な﹂と云ひながら、氷峰は立つて碁盤を持ち出して來る。三ヶ月前のかたきを打たう、少しは強くなつたから。﹂ 勇は、碁が分らないからと云つて失敬してしまつた。五
﹁君、實は、僕、小使錢もあぶなくなつて、ここまで歸つて來たのだから、少し融通して呉れ給へ、な、いづれ樺太から來たら返すとして﹂と、義雄が云ひにくさうに、然し云ひ出せば當り前の樣に云ふ。 ﹁いいとも、いづれ社長に話して、當座の入費は出ささう。その代り﹂と、渠は何か條件を持ち出しさうであるので、義雄はどんなことかと待ちかまへるのを、なアに、大したことではないのだと云ふ風で、﹁僕の雜誌に少し原稿を書いて呉れ給へ。﹂ ﹁そんなことア易いことだ。﹂ ﹁易いと云うても、どうせ雜誌が雜誌ぢやから、文學物は向かないから、先づさし當り、﹃田村義雄は何故に蟹の鑵詰製造家となりしや、﹄こんな問題で、一つ書いて貰ひたい。﹂ ﹁書くとも、さ、自分が自分を思ひ切り投げ出して、而も自分の根柢を離れてゐさへしなけりやア、如何におほびらに自分のことを善惡共に語つても、決して恥ぢることアないんだから――第一人稱が乃すなはち第三人稱、主觀的が乃ち客觀的、破壞が直ちに建設だ。﹂ ﹁僕の樣な俗物にはよく分らんが、君の小説描寫論はさう云うた樣な議論ぢや、なア。﹂ ﹁さうよ。君やア讀んでゐたのか?﹂ ﹁新聞紙上のはよく讀んでをつたぞ。﹂ こんな話をしてから、いよ〳〵碁に向つたが、氷峰は石を握つた手を下に向けて盤の上につき出し、にや〳〵笑つてゐる。 ﹁そんな筈はないが﹂と義雄は向うの顏を見たが、丁ちや半うはんの黒白を云はない。前には氷峰に二三目置かせたからである。 ﹁まア、いいから當て給へ。こないだのは違つてをつた、その上僕は少し強くなつたぞ。﹂ ﹁さうか﹂と云つて、義雄が黒を當てた。 ﹁そうれ、見給へ﹂と、氷峰は得意さうに白を取つた。 最初の勝負は義雄が勝つた。然しその次ぎに渠は白を取つて負けた。氷峰はいい勝負だと云つて、いつまでもやめさせない。互ひに勝負がある。 そのうち晝飯になつた。晩には久しぶりで飮まうとあつて晝はあつさりした食事で、例の女の子が給仕をして呉れた。かの女ぢよは氷峰を﹁兄さん﹂と呼び、渠はかの女を﹁お君﹂と云つてゐる。義雄には、も早や、北海道流の菜さいが親しんでしまつた。 食後も暑さを忘れて圍碁をつづける。然し義雄のあたまに強く響くのは、目の前なる碁石の音ではない。却つてこの家の筋向うに當る鐵工場で鐵板か、何かをかん〳〵云はせてゐる音だ。 義雄は、蟹の大きなゆで釜を、鑄いが釜までなく、鐵の厚板で打たした經驗を得てからと云ふもの、鐵のかな臭いにほひが忘れられず、鐵の響きを聽くと、自分の精神が響いてゐる樣な氣がする。そして、鐵で拵らへた大きな入れ物を見ると、自分がその内容であるものの樣に思へる。 ﹁あの工場はどんな人がやつてゐるんだらう﹂と、義雄が氣になるので聽くと、 ﹁何とか云ふ人ぢや﹂と、氷峰は別に注意もしない。 義雄は立つて行つて、おもて座敷の窓から、脊延びして、板壁越しにのぞくと、筋向うの道ばたに姿のいいしだれ柳が立ち並んでゐる。その間から見える工場入り口のわきに、ちひさい蒸汽釜の樣な物が二つ置いてある。 その釜に塗つてある朱色が柳の青葉と相映じて、義雄のかな臭くなつた神經の末の末までの感じを引き立てた。 ゆふかたに近くなつた頃、氷峰の宅へ物もづ集め北劍と云ふ人が尋ねて來た。義雄もそれに紹介された。 北劍は、もと氷峰が這入つてゐた北辰新報の社長兼主筆であつて、その盛んであつた時は、氷峰その他の記者等を使つて、北海メール︵今では最も勢力がある︶に對抗してゐたのだが、資力がつづかなかつたので、二三年前に休刊の名を以つてその新聞を廢刊した。 渠は今、遊び半分に、自分の本籍地たる村落︵札幌郊外︶の合併問題に奔走してゐる。四角張つたところへ出るには、いつも同じ古ぼけたフロクコートを着して行き、そのしみだらけで、色のさめてゐるなどに無頓着なので、却つて實着な人物として人々に信用されてゐる。そのなかなか膽ツたまの据わつたらしい、太つたからだを飛かす白りの單ひと衣へに包んだまま、あぐらをかき、短い眞鍮の煙きせ管るを横にくはへながら、柔和に而も自慢らしく自分のやつてゐることを語るのを聽くと、義雄には、然し、正直らしいところに嫉妬心が強さうな樣子が見える。 ﹁村の奴などは物の分りが遲くて困る。﹂北劍は少しどもる癖がある。﹁おれにまかすと云ふのだから充分にまかして置けばよからうに、そりや、北村がどうの、南村がどうのと云ひ出して、始末に終へない。然し、もう、ここまで漕ぎつけたから、近々決定するだらうよ。おれだツて、そんなに幅の利かない男ではないから、なア。﹂ ﹁それくらゐのことがまとまらないでは、昔の北劍も老いたり焉えんぢやから、なア。﹂ ﹁おれだツて、か、可愛さうに、それくらゐの、う、腕はあるとも。﹂ ﹁まア、しツかりやつて呉れ給へ。﹂ ﹁道會議員に打つて出ないかと勸めるものがあるのだよ――おれの地盤は充分堅いからと云うて。﹂ ﹁やつて見りやアどうぢや?﹂ ﹁然し道會ぐらゐに出るつもりなら、お、おれだツて、今までぐづつきやアしなかつた、さ。﹂ ﹁議長になツたツて、知れたもんぢやから、なア。﹂ ﹁國會議員になツたツて、何ほどのことがある﹂と、義雄も口を出した。 ﹁ただの起立議員では、なア﹂と、氷峰は笑つた。 ﹁然し帝國議會の演壇で、い、一度は大演説を試みたいものぢや、なア。﹂ ﹁北劍先生の樣にどもつては駄目だらう﹂と、氷峰がからかふと、 ﹁これでも、そ、その場になつたら、ど、どうして――﹂と、北劍は笑ひながら答へをし切れなかつた。 こんな話をしてゐるうちに、氷峰はすべての事務員や編輯掛りを歸してしまひ、晩酌の支度が出る。 酒を飮みながら話し合つて見ると、義雄と北劍とは、同時代に仙臺の別々な學校にゐたのが分つた。後者は無論五六歳の年うへだが、その知つてゐる當時の消息を前者もよく知つてゐる。後者がその校友會雜誌第一號の卷頭に出した論文を、別校から出る雜誌で攻撃したのは前者であつたのだ。また、前者がその校内の文學會に於いて朗讀した長篇の脚本的新體詩を、他校學生の招待席から足踏みして妨害した者の仲間に、その後文學博士となつて物故した文藝批評家もゐたと同時に、北劍も亦その一人であつたことが分つた。 ﹁奇遇だ、なア﹂と、はたから氷峰が愉快さうに云つた。 そこへ、また來客があつた。巖本天聲と云ふ北海メール記者だ。洋服で堅苦しく坐わる。 ﹁これが田村義雄君です﹂と、氷峰が紹介する。そして、義雄と天聲との初對面が濟む。 ﹁物集君﹂と、氷峰は北劍に向き直り、﹁今囘田村君が來らい札さつされたに就き、僕等で歡迎會をやらうと思ふんぢやが、君も來て呉れるだらう?﹂ ﹁僕は新聞記者の浪人だが、い、行つてもよい。﹂ ﹁實は、ゆうべ、田村君が來たと分つてから、巖本君に會つたので、同君に奔走して貰ふことを頼んだ――メールで奔走しないと、來こんものが多からうと思うて。﹂ ﹁それもさうだ。﹂ ﹁そのことで﹂と、天聲は話しの仲間入りを爲し、﹁相談に來たのですが、どうです、計畫は立ちましたか?﹂ ﹁計畫と云うて、別にないぢやないか? きのふ云うたことだけは僕が引き受けるから、その跡を君がやつて呉れたらよいのぢや。﹂ ﹁それは分つてるが、第一、いつまで御滯在やら――﹂ ﹁田村君は暫くをるから、この土曜日がよからう。﹂ ﹁日はそれとして、場所だ。﹂ ﹁幾いく代よがよからう﹂とは、北劍が出した意見である。 ﹁いや﹂と、氷峰は首を傾けた、﹁幾代では、會計の方が足るまい――さう高い會費を取れば、人が來まいから、なア――普通の月ならよからうが、今月は東京のお客さんがたが、大臣やら、次官やら、隨分飛び込んで來たので、皆が會費疲れをしてをる。﹂ ﹁本當に今年は北海道の大入りぢや﹂と、北劍はまた浪人的な目つきをして、﹁後藤が去つたと思へば、やがて司法大臣が來る――﹂ ﹁伊藤さんがまた變へん梃てこな韓太子などをつれて來るさうぢやし﹂と、氷峰。 ﹁田村さんも﹂と、天聲もその話に乘つて、﹁そのお客の一人になるのは、不名譽ではないと思ひますが――﹂ ﹁それは無論、さ。﹂氷峰が急に義雄の方を見て笑ふ。 ﹁僕などアどうして――さういふ歴々と一緒に見られては困る、値うちが違ふんだから﹂と、義雄は謙遜して云つたが、値打ちが違ふと出た言葉には、その實、謙遜の意味よりも寧ろ自信の影が這入つてゐた。自分が自分で自分の活動をしたり、失敗したりするに於いて、人間としての價値は決して渠等に勝るとも、劣つてゐはしないと云ふ確信が義雄の胸に湧いた。そして、性來の無頓着好きから、﹁會場などアどこでもいいぢやアないか、歡迎して貰へるなら、それだけで僕はありがたいのだ﹂ ﹁では、中島遊園の西の宮支店がよからう﹂と、天聲の發議で會費はいくら〳〵、藝者は幾人呼ぶなどと云ふ相談がきまつた。 すると、北劍は、 ﹁ああ、よ、醉つた﹂と云ひ出した。 ﹁なアに﹂と、氷峰はうち消して、笑ひながら、﹁君がさう云ふやうになつた時は、もう、二升は十分やつた時ぢや――さうして例の、血が湧くやうな戀を思ひ出さんと――﹂ ﹁けふは別ぢや。﹂かう云つて、北劍は同じちやぶ臺に向つて並んで坐わつてゐる義雄の肩を、 ﹁おい、君﹂と云つて叩き、また一方の手で義雄の手を握り、 ﹁き、君は天外の孤こき客やくではないぞ。おれと意氣投合した――きよ、兄弟分だ﹂と、もたれかかる。そしてまた起き直つて猪口をさし出し、氷峰に酌をさせる。 ﹁田村君は物もづ集め君と仙臺で同時代であつたさうぢや。﹂氷峰は北劍の酌をしながら、天聲に語る。 ﹁無論、直接には話をしなかつたのぢやが――﹂ ﹁眞に奇遇、さ﹂と、北劍も天聲に説明する。 ﹁そりやア面白い、なア﹂と、天聲も眞面目くさつて愛相を云ふ。﹁田村さんも島田君や物集君の樣な知己を得て、北海道の旅行も寂しくはあるまい。﹂ こんな話も義雄の耳には涼しく聽えてゐたが、渠の疲れたからだは、いつのまにか、疊の上に倒れてゐた。 ﹁もう、歸る。﹂ ﹁まア、待ち給へ、一緒に出よう﹂と云ふ北劍と氷峰との應對が聽えたかと思ふと、義雄は氷峰にゆり起された。で、渠は驚いた樣に目をさまして起きあがり、 ﹁あ、諸君に失敬した、ね﹂と、氣の毒さうに云ふ。そして心では餘ほど旅と事業上の心配とに疲れてゐる自分であることを感じた。 ﹁さア、散歩に出よう。﹂氷峰は渠を促す、﹁札幌の夏の夜景も見て置き給へ。﹂ ﹁君は弱い、なア﹂と、北劍は不平さうに云ふ。 ﹁いや、實に失敬﹂と、義雄はあやまる。 四人はつれ立つてそとに出た。そして、兩側に樹木の植わつてゐる大道を南へとほつて行く。 星月夜だ。見える物がすべて陰になつて、空ばかりが明るい。 ﹁いい夜だ、ねえ。﹂義雄は誰れにとなく語つて、急に沁み込んで來る孤獨の感に打たれた。 然し地上には、街燈の光で見ると、樹木の影にまじつて、四つの黒い影が動いてゐる。その一つの影が、 ﹁田村さん﹂と呼びかける。 ﹁はい﹂と、こちらが答へると、つづいて、 ﹁あなたの御滯在中を幸ひに、一つ自然主義の説明をして貰ひたいと思ひます。﹂ ﹁説明と云つて――僕が新聞や雜誌で書いたのと別に違ひませんよ。﹂ ﹁そんなことを頼むよりも﹂と、また別な聲だ、﹁巖本君、あの田村君が出した論著を讀む方が手ツ取り早い、さ。書いた本人でも、その實、説明の出來ないことがあるもんぢや。歌よみの歌なども大抵は皆そんなもんぢや。――物集君、さうぢやないか?﹂ ﹁そりやア、おれの書いた論説でも、明る日讀んで見ると、何のことか自分でちよツと分らんことがたまにはある。﹂ ﹁そんなもん、さ。讀む人が自分で發明するより仕やうがない。﹂ ﹁僕も書物だけはいろんな人のを買つてある。然し、どうも、いそがしいので、讀むひまがない。﹂ ﹁北海メールの編輯はつらいから、なア。﹂ ﹁實際だよ――僕もいつまでもやつてをる氣はない。﹂ この最後の聲が、先づ別れて、﹁ここが最高等の西洋料理屋だ﹂と説明された大建物の角から、道を右へ曲つて行つた。次ぎに、北劍の聲らしいのが、また、﹁あれが中央散策地の銅像だ﹂と云ふ黒影が二つ三つ立つてゐる廣い横通りを、右の方へ行つてしまつた。 あとに殘つた影二つは義雄と氷峰とであるが、なほ進んで、店頭の電氣で明るい街へ出た。それから、また一直線に薄暗い道を行き、南五條を横切ると、直ぐ左右の兩角に柳が一本づつ植わつてゐて、それが眞ン中の大きな電燈に照らされてゐる。そこのおほ門を這入ると、別世界の如くあたりが明るくなる。薄すす野きの遊廓だ。二人はもはや路傍の黒い影ではなく、明かに人間の血のあツたかみを吸ひたい動物であつた。 そして義雄も、一度前囘に氷峰と共にのぼつたことがある高砂樓の客となつた。六
その翌朝、義雄は獨りぼんやりした顏で薄野を出た。氷峰は渠より早くそこを出て、雜誌の訪問記事の種を取りに、前約のあるところへ行つたのだ。 渠は、如何にぼんやりして歩いてゐても、平氣なものだと思つた。札幌には、知つてゐる人もなく、自分の曾て教へた生徒もゐないので、東京に於けるが如く不意にお辭儀される恐れがないからである。 わざ〳〵最も賑やかな道を取り、アカシヤ街のつづきをアカシヤ街の方へ向つて、一直線にぶらぶらと歩いて行く。急に呑氣な餘よゆ裕う家かになつた樣な氣がする。今まで脊し負よつてゐた重荷をおろしてしまつた樣な氣がする。外國じみた別世界へ來て、自分も亦別な人間の洗禮を受けた樣だ。何とは知らず堪へてゐた壓迫がなくなつて、氣が輕々した。 その輕々した餘裕の間を歩いてゐると、これまでの自分の心は何の爲めにおも苦しかつたのかといふことが思はれる。自分の樣に、藝術や實行に、人間はさう執着する必要があるか知らん? 死んでしまへば、それまでではないか? そして、生きてゐるのに執着が必要になつてゐたのも、自分ばかりであつたのではないか知らん? かうして呑氣に歩いてゐれば、――こんな呑氣さを感ずるのは初めてであるだけ――自分は丸で別人間になつた樣だ。知人もなく、妻子もなく、戀人もなく、社會との關係もない今の自分から見ると、執着は自分が社會の人々に對する名譽心もしくは虚榮心から來てゐたかの樣に思はれる。 ﹁詩の一句や二句に拘こう泥でいして天下が動くものではない。﹂と、かう考へたが、﹁また、眞に天下を動かすだけの事業をしたところで、それが何ほどのことにならう?﹂ 自分の呑氣と快樂とにまかして行く方が、悲痛の哲理などにかじり附いてゐるよりも、結局、都合がいいのではなからうか? 今までの樣な苦しい生活に追はれて來て、こんなところで、こんな輕い氣分を感じては、知人もなく、妻子もなく、戀人もなく、社會もない境きや界うがいが却つて面白い樣な氣がする。 然し、これは、自分でも、樺太以來、殊に昨夜來の疲勞の爲めに、身心がゆるんでゐるのだらうと思ふ。 急に涼しい風が肌から沁み込むのに氣がつくと、自分は札幌の中央を南北に仕切る大通りの細長い散策地に出た。芝草の青々したのが殘りの夢をさまして呉れる。 目をあげて、西の方を見ると、もとの開拓使黒田伯の銅像を越えて、この大通りの西はづれに當る圓まる山やまの景色が、朝日を浴びて、つや〳〵しく見える。 自分の右手に當る角に建つてゐる、高い、大きな石造りは、拓殖銀行だ、な、と思ふとたんに、どこかの時計が午前八時を打つてゐた。 ハイカラの若者――銀行員だらう――が得意げに、然し急いで、その銀行のとびらを排して這入つて行つた。 時間に後れさうな女判任か事務員らしいのが自分を追ひ越して、おほ跨またに歩いて行くのを眺めながら、義雄はゆツくり歩いてゐたが、五番館陳列所の角まで來ると立ちどまつた。 右に行かうか、左に曲らうかと思ひ惑つたのである。 左りに曲れば有馬の家へ行くのだ。然し渠は右に曲つて、氷峰の家へ向つた。例の鐵工場からは、かん〳〵云ふ音が聽えて來る。渠は今更らの如く生せいの響きを感じた。そして、それと同時に、悲痛孤獨の感じがもとの通り胸一杯に溢れて來た。 工場とすぢかひになつてゐる角に、葉の大きなイタヤもみぢが立つてゐる。その太い根もとに、焜爐の火を起して唐もろこしを燒き賣りする爺さんがゐる。店の道具と云つては、もろこしを入れた箱と焜爐とだけである。 こんな簡單な店を、義雄は、昨夜も、町の角で澤山見たが、なかには、林檎をもかたはらに並べてゐるのがあつた。渠はもろこしの實が燒けて、ぷす〳〵はじけるそのいいにほひを、昨夜、醉ひごこちで珍らしく思つた。今、爺さんの獨りぼツちでそのにほひをさせてゐるのがなつかしくなり、何とはなしにその前へ行き、燒きもろこしを二穗ばかり買つた。 それを以つて實業雜誌社へ行くと、氷峰は今歸つたところで、茶の間で朝飯を喰つてゐる。 ﹁何を買つて來たんぢや?﹂ ﹁燒きもろこし、さ。﹂ ﹁好きなのか?﹂ ﹁なアに、うまさうだからよ。﹂義雄は一粒つまみ取つて口に入れたが、直ぐに二穗ともほうり出し、﹁にほひの香ばしい割合に、うまくない。﹂ ﹁とても、うまいものか?――まア、飯を喰ひ給へ。﹂ ﹁わたし好きよ﹂と、膳の用をしながら、お君さんの言葉だ。 ﹁ぢやア、あげませう﹂と、義雄が二つともさし出す。 ﹁燒きもろこしは﹂と、氷峰は微笑しながら、﹁東京の燒き芋の樣に、女の好くもの、さ。﹂ ﹁女に好かれるにいい、ね﹂と答へながら、義雄も氷峰のそばで膳に向ふ。 お君は二人の給仕をしながら、嬉しさうに、もろこしを一粒一粒喰つてゐる。そして二穗とも坊主になつてしまつた頃、二人の食事も濟んだ。 氷峰は事務室へ行き、來てゐる社員に向つて、それ〴〵何かの命令を與へてゐる樣であつたが、そこから、 ﹁君、待つてて呉れ給へ、直き歸つて來るから﹂と、義雄に聲をかけて、出て行つた。 ﹁ゆうべは寂しかつたでせう?﹂渠は、爐ばたから臺どころであとしまひをしてゐるお君さんに聽くと、 ﹁十とか勝ちにをつた頃から、いつもの樣ですから、慣れてしまつて、何ともありません﹂と、かの女ぢよは答へる。 ﹁それでも、前に來た時、あなたはゐませんでした。﹂ ﹁あの時は、わたし、山へ歸つてをりましたから、お母つかさんが代りに來てた時でせう。﹂ かういふ話を簡單にかはしてから、義雄は次ぎの間へ行き、寢ころんだが、お君さんは氷峰の實際の兄きや妹うだいか知らん。似てゐるところもある樣だが、どうもさう取れない。などと考へてゐるうち、ぐツすりと一ねむりした。 ところが、夢うつつの樣にひそ〳〵話が隣りの室から聽えて來る。 ﹁兄さんは、もう、出たの?﹂ ﹁出たのよ、直き歸ると云うて。﹂ ﹁ゆうべはどこへ行つたの?﹂ ﹁お客さんと一緒にお女郎買ひ。﹂ ﹁いやなこと、ねえ﹂と二人のくす〳〵笑ひ。 ﹁その代り、ゆうべだけは夢を見なかつたでせう?﹂ ﹁矢ツ張り、見たのよ。島田さんとわたしとが何か面白いお話をしてたら、大きな、堅い物があたまの上へ落ちて來るんでせう――それが火の出る樣にがんとわたしのあたまに當つたかと思うたら、目が覺めたの。﹂ ﹁ぢやア、またお父とつさんに蹴けられたの、ね。﹂ ﹁わたし、恥かしくもあるし、つらくもあるし、どうしようと思ふのよ。けさ、起きたら、直ぐお父さんが、いつもの通り、﹃色氣違ひめ、またうはことを云やアがつた﹄て叱るんでせう――﹂ ﹁お父さんの足もとにあたまが行く樣な寢かたをしてをるから、行けないのだ、わ。﹂ ﹁仕やうがないんですもの、それは――家が狹いんだから。﹂ ﹁では、夢でのお話はおよしなさい。﹂ ﹁わたしだツて、さうしたいことはありません、わ。けれども、夢に見るんですもの。﹂ ﹁毎晩、癖になつたの、ね。﹂ ﹁さう、ね。﹂ ﹁わたしなら、いやアだ。﹂ ﹁わたしもいやです、わ。﹂ ﹁お鈴さんがそれをいやになつたら、兄さんをいやになるわけ、ね。﹂ ﹁兄さんは好きよ、好きだから夢にまで見るんでせう。﹂ ﹁色きちがひ、ね、あなたは?﹂ ﹁あら、いやアだ、お君さん、兄さんにそんなこと云うたらいやよ。﹂ ﹁云うてやる、云うてやる。﹂ ﹁いやアよ、いやアよ。後ごし生やうだから、そんなことは――﹂ ﹁兄さんだツて、嬉しがるだらう。﹂ ﹁後生だからよ。﹂ 段々、かういふ聲が大きくなるに從つて、義雄の眠りは覺めて來た。氣がつくと、いつのまにかどてらのかかつてゐるのを發見した。社員はすべて出拂つて、ここに誰れもゐない。 ﹁靜かにおしなさい、お客さんに聽えるよ。﹂ ﹁え? ゐるの?﹂ ﹁寢てゐるの。﹂ ﹁聽えやしなかつたでせうか?﹂ その後は何か分らない小聲だ。 ﹁お鈴、お鈴!﹂南隣りの家から呼び聲が聽えると、 ﹁はい﹂と、大きな返事をして、一方の話相手は裏口から出て行つた樣子。 ﹁お君さん、あれはどなた﹂と、義雄が聲をかけた。 ﹁あなた、聽いていらツしやつたの?﹂ ﹁目がさめたので、すまないが、聽えましたよ﹂と云ひながら、渠はから紙を明けて茶の間へ行つた。 午前も、もう、そとは日の高いてか〳〵した光に照らされて、ほこりと共に暑い風が這入つて來る。 お君さんは横になつてゐたからだを坐わり直して、 ﹁あれはお隣りの娘さんです。﹂ ﹁お鈴さんといふの?﹂ ﹁ええ。﹂ ﹁氷峰君に大層惚れてゐるんだ、ね。﹂ ﹁さうよ﹂と、お君は答へて微笑したが、その顏には少しにが〳〵しい樣子が見えた。 ﹁いくつ?﹂ ﹁わたしに一つ下。﹂ ﹁では、十九? 十八?﹂ ﹁そこらあたりでせう。﹂ ﹁太つてゐるの? 痩せてゐるの?﹂ ﹁太つてをります、わ。﹂ ﹁美人?﹂ ﹁‥‥。﹂お君は笑つて返事がない。やがて、﹁去年の末、わたしの留守に、兄にイさんの病氣を親切に介抱してくれたさうです。﹂ ﹁そして、氷峰君はその人を細君にするつもりですか?﹂ ﹁さア、どうですか﹂と、かの女ぢよはにが笑ひして、心配さうな、しをれた顏つきをしてゐる。その樣子が、どうも、當り前の兄妹のする樣子ではない。﹁兄さんが病氣でぐツすり眠つてをりますと、隣りの室からこツそり出て行つて、お鈴さんは兄さんの顏を見てをつたことが度々あるさうです。﹂ ﹁誰がそれを見たの?﹂ ﹁うちのお母さんが――その時、お母さんもついてをつたので、寢たふりをしてお鈴さんの樣子を見てをつたのだ、て。﹂ 義雄はこの二人の女のどちらが氷峰の物であらうかと考へた。そして、 ﹁あなたは氷峰君の本當の兄きや弟うだいですか﹂と聽くと、 ﹁本當は、わたしのお父さんと兄弟だから叔父さんになるのですが、子供の時から一緒にをりますので、どうしても、兄さんとしか云へないの﹂と、かの女は答へて、多少元氣を囘復した樣だ。 ﹁何のことだ、まさか持統天皇ではあるまいし﹂と、然し、義雄は心でつぶやいて、その問題には興がさめてしまつたので、丁度その時膝の上にあがつて來た玉といふ猫をだいて、その喉をごろごろ云はせながら、獨り言ともつかず、﹁ああ、まだ眠い﹂と云つてあくびをする。 ﹁ゆうべのお疲れでせう﹂とかの女はにやり笑ふ。 そこへ氷峰が歸つて來た。 ﹁暑い、暑い﹂と、渠は洋服の上うは衣ぎを脱ぎ棄て、﹁おい、お君、氷をあつらへて來ないか?﹂かう云つて、直ぐ、にこ〳〵しながら、碁盤を座敷へ取り出し、﹁どうだ、君?﹂ ﹁きのふの勝負をつけようか、ね﹂と、義雄もねむけざましに氷峰と向ひ合つた。そして、石を運びながら、﹁君はなか〳〵色男だ、ね――今出て行つたのが本當か? それとも、隣りのお鈴さんか?﹂ ﹁誰れに聽いた?﹂ ﹁今、その二人で祕密談をしてゐるのを、ここで寢てゐて聽いたの、さ――隣りのが君の夢ばかり見て、またおやぢさんにあたまを蹴られたと云ふぜ。﹂ ﹁あいつにも困るのぢや、丸で色氣違ひの樣になつてゐやアがる。親の方から交渉があつたが、それとなく逃げてゐるの、さ――どんなに野暮臭くても、脊が低くても、別嬪ならまだしもぢやが――僕は當分君の樣にかつゑてはをらんぞ。お君は妹にしてあるが、實は僕が育てられた兄の兒で、兄はどうせ一緒に育つたのだから、夫婦になれと命令するが、僕はいやなんぢや。叔父と姪の間だから、無論、あやしい關係はない。﹂ ﹁さう意い張ばつてりやア、ここで意い地ぢめてやるぞ﹂と、義雄は敵のすきへ石を一つ打ち込んだ。 氷が來たので、それを飮みながら碁をつづけてゐるところへ、來客があつた。高見呑どん牛ぎうと云つて、北星といふ新聞體の週刊物を發行してゐる記者だ。 氷峰は渠に義雄を紹介してから、渠に斷わつて、勝負の方かた附づくまで碁をつづける。呑牛はにこにこ笑ひながら、二人の戰ふのを見てゐる。 勝負は義雄の勝ちで一先づ切りあげられた。すると、呑牛は、﹁出來たよ﹂と、ふところから原稿を二つ出して、氷峰に渡した。一つは、辯護士、道會議長、某會社の取締役の某氏を批評した物、一つは、北海道で有名な人々の逸事を書いた物だ。雜誌第一號に出るのだなと、義雄は直ぐ感づいた。 批評の方を讀んでゐる間に、義雄は逸事の方を疊の上に廣げて默讀した。それがなか〳〵面白い。或無學な金持ちが、初めて蓄音機を聽いて、切きり支した丹んではないかと驚いたこと。或豪農の若旦那が金時計を買ひ、おやぢに贅澤だとおこられない爲め、眞鑄時計だと僞はると、おやぢも承知して、眞鑄でも重い、なアと云つたこと。或政治家のところへ大酒家が二三名集つた時、餘り呑むので、そこの細君が中頃に燒酎を出し、それからただの湯を入れた徳利を幾度でも持つて行くと、それを知らずに飮んで徹宵徹夜したこと。などを、簡單に、諷刺的に、小氣味よく書いてある。 呑牛はそれを得意げに氷峰に讀んで聽かせ、一節毎に讀みとまりて、氷峰がどんな顏をするかといふことをうかがふ樣に、渠の顏を見る。氷峰はその度毎に聲をあげて笑ひ、おしまひまで行つた時、 ﹁これもよい材料ぢや﹂と云つて、受け取つた。 直ぐ原稿料を渡せといふ樣な談判を隱語まじりで呑牛はしてゐるのを見て、義雄は再び自分も原稿生活に立ち返つたかの樣にいやな氣がした。 ﹁二三日待つて呉れ給へ﹂と云つて、氷峰は金主が最初の約束通りやらない實情を話す。無論、近頃、或事業で失敗した爲め、大分不景氣なことは分つてゐるが、もと〳〵氷峰を雜誌で盛り立てようとしたのは、獨りぎめで金主自身の娘を呉れようとしたのだ。それが意の如くならないので、金をも出し澁る樣になつた。 ここを社とするにも、金主自身がこの家を探し當てたので、家主の方へも自分の名義で約束をしてしまひ、あれはおれの婿だから、よろしく頼むと云つたさうだ。氷峰はこれを傳へ聽いて非常に怒つた。そして、結婚問題は一生の大事である。それを勝手に獨り合點されては困る、その上、お前のうちのは貰ふわけに行かないと、ぴツたり斷わつた。それから、金主は氣を惡くしたのだらう、どうも出し澁る樣になつたといふことを、氷峰は、呑牛並びに義雄の前でうちあけた。 ﹁君は正直過ぎるんだ﹂と、呑牛は目を一度ぱちくりさせて、云ふには、﹁三千でも、五千でも、支度金をつけて呉れようと云ふのも同樣なら、貰つて置くがよからうぢやアないか?﹂ ﹁貰つて返すのならわけアない、さ、然し﹂と、氷峰は微笑しながら、﹁僕にも候補者が多いから、なア。﹂ ﹁また十勝の女のお自慢か?﹂ ﹁それもさうぢやが――﹂ ﹁全體、君ア氣が多いんだ――然しまたああ云ふ奴にも困る﹂と、呑牛は某代議士を引き出し、それがもと或後家さん――昔は耶蘇教の婦人矯風會の有名な辯士であつた――を引ツかけてゐた上に、その女の娘をも落し入れてゐたことを話す。その後家さんは鈴木玉たま壽じゆと云つて、亭主と北海道へ移住して失敗したものだ。 ﹁そりやア、肺病で去年茅ヶ崎に死んだ小説家田邊を昔棄てたと云ふ女の、母と妹だらうよ﹂と、義雄が不思議さうに口を入れる。 ﹁さうだ﹂と、呑牛がうなづく。﹁はんか臭い女達であつたよ。母は去年死んだ。﹂ ﹁はんか臭いのアあいつもだぞ﹂と、氷峰が某道會議員のことに及び、それがいつも連れてゐる藝者風の美人があるが、どこの抱へを引かしたのかと思つてゐたら、その人自身の娘だ。 ﹁自分の娘と赤鍋とア實に不都合極まる!﹂ 北海道の風俗が亂れてゐることは兼て聽いてゐたが、その實際は聽いたよりも甚しいのだらうと、義雄は思つた。 それから、話は北海道新聞界の歴史や人物談に移つた。そして、故中江兆民が北門新聞で榮えてゐた時のことや、中野天門の露清語學校のことなどだ。天門は弟子にえらいものがなかつた爲め、學校は長くつづかなかつたが、渠に養成されたもので、日露戰爭に祕密な功を立てたのが多くあることを義雄は知つた。また、義雄が面白い逸事として知つてゐた兆民の有名な睾きん丸たま酒ざけも、この地であつたことと分つた。 それから、北海メールと北辰新報との最終の勇ましい論戰と競爭とに及び、それからまた呑牛自身が或小新聞に據つて官憲と爭ひ、獄に投ぜられた間に、函館の太ツ腹な漁業家と獄中で知り合ひになり、出てからも、その人の資本を以つて大新聞を起さうとしたが、そのうちに漁業家は失敗して、どこへ行つたか分らなくなつたことなども話にのぼる。 義雄はこの最後の話を聽いた時、自分の事業に協同しようといふ漁業家も、有馬氏の細君が云ふ通り、當てにならないと思つた。一體、漁業などは、考へて見ると投機業の一種とも云ふべきで、どか儲けのある代り、一度しくじれば、もう、立てない。義雄は、樺太で、ナヤシへ行つた時、或大漁業家が失敗して逃げた跡に、給料を貰へなかつた夫婦者が、國へ歸る費用もない爲め、むしろでちひさいテントを造り、そのなかに見すぼらしく寢起きしてゐるのを見たことを思ひ出して、それを他の二人に語る。 ﹁北海道でもそんなことは珍らしくない﹂と、氷峰が云ふ。 ﹁急に出來た身しん代だいは急に倒れるのが北海道の原則らしい﹂と、呑牛は平氣だ。﹁僕等はその間にあつて、多少のうまい汁が吸へるの、さ――丸で火事場泥棒も同樣、さ。﹂ ﹁は、は、は﹂と、氷峰は笑つた。呑牛は目をぱちくりさせた。 一時頃に晝飯が出來たが、呑牛は有名な朝寢坊で、今しがた朝飯を喰つたからと云つて、歸つて行つた。 食事後、また碁を二三番戰つたが、義雄も氷峰もねむけがさして來たので、いつのまにか、二人ともうたた寢をした。 目が覺めると、間もなく晩飯だ。それが濟むと、 ﹁おなじみへ行かうか、な﹂と、氷峰は笑ひながら云ひ出す。 ﹁それもよからう。﹂義雄も惡くない樣子を見せる。 目的のところへ途中で電話をかけて置いて、義雄は氷峰と共に巖本天聲の家を訪問した。何と云つても、現今、北海メールの記者は信用もあり、勢力もあるので、兎に角、そこへは第一番に行つて置く必要があると、氷峰が云ふからである。 主筆とは云へ、地方新聞のだけに、天聲は隨分穢きたないところに住んでゐる。北一條札幌區立病院のそばだ。平へい生ぜい、胃が惡いので、醫師の勸めにより、飮めない酒を晩酌に五勺ばかりづつ飮むと云つて、それを濟ましてから、いきなり、黄金色のカフスぼたんを持つて來て、客間兼書齋に直り、 ﹁島田君、これはどれ程の値うちがある?﹂ ﹁めツきだらう﹂と、氷峰が受けると、 ﹁どうして〳〵、そのおもみを見給へ。﹂天聲は大事さうに云ひ、﹁或洋品店の贈り物だ――さう、けちな店ではない。﹂ ﹁生きまじめな天聲もなか〳〵話せる樣になつた、な﹂と、氷峰はからかひ半分に、﹁賄わい賂ろなどを取つて、けしからん。﹂ ﹁いや、そんな物ぢやアないぞ。﹂天聲は氷峰からぼたんを取り返し、﹁廣告文を書いてやつた禮を持つて來たのだ。﹂ 義雄もおつき合にそれを手に取つて見るうちに、天聲はビールを拔いた。 歡迎會に關する用意や來會者人名などに就いて、天聲と氷峰とは頻りに話してゐたが、やがて、天聲は義雄に向ひ、いづれ記者を遣つかはすから、東都文壇の近状を談話して呉れろといふことや、一度北海道を巡遊して、その記事を新聞に出して呉れるといいがといふことなどを語つた。 談話は容たや易すいことだが、巡遊には金がかかる。義雄の今の状態では、ひまはあつても、出來ない。 ﹁もしメールで何とか都合をつけて呉れれば、僕も旅行好きだし、樺太をもまはつて來たついでだから、一つ北海道をもまはつて見たいが﹂と、渠は當つて見た。 ﹁原稿さへつづけて貰へれば、何とか都合の附かないことはなからうと思ふ――パスもあることだから﹂と、天聲は答へた。 ﹁さう出來ると、面白いが、ねえ﹂と、義雄は氷峰を見ると、氷峰はそれに答へないで、 ﹁そんなことよりも、巖本君﹂と、天聲に向ひ、﹁君の地位を利用して、何かうまい儲け口を早く見つけ給へ、いつまでもあんな新聞にかじり附いちやアをられんぞ。﹂ ﹁うまいことがある、さ。﹂天聲は多少得意になつて、﹁僕の名義を貸して、百萬坪の地面を願ひ出した。成功すれば、半分呉れる筈だ。その時ア、兩君におごる、さ。﹂ ﹁當てにせずに待つてをらうか﹂と、氷峰は笑つた。 そこを出てから、義雄が天聲の云つた巡遊のことを餘ほど面白く見て、氷峰に聽くと、氷峰はかう答へた、 ﹁メール社の樣な金のないところは駄目ぢや。事務の方に無勢力な天聲の云ふことなどは、實際に行はれたためしがない。﹂そして、また、同社から自分に主筆を頼んで來たことがあるが、天聲がやめられるのは氣の毒だから、氷峰はそれを斷わると同時に、天聲にそのことを注意してやつたことを語つた。七
その翌朝、義雄は氷峰についてまた渠の家に行つた。
そこで正午過ぎまで熟睡してから、義雄は有馬の家へ歸つて見た。餘り所在なさに、新聞を讀むばかりにも飽き、風呂敷包みの中にある、趣味や早稻田文學の東京から送つて來たのを取りに來たのだ。
お綱さんは、門前で、二人の子供に取りまかれながら、八百屋物を買つてゐる。その八百屋が義雄には珍らしかつた。
脊の低い痩やせ馬うまの脊の左右に、底の深い畚もつこをになはせ、そのなかに青物――茄子、白瓜、西瓜、カイベツ、玉葱、枝豆、西洋かぼちや、林檎、唐もろこし、など――を入れてある。そして、それを引いて呼び賣りするものは、百姓馬子だ。アカダモやイタヤもみぢの影がつき添つてゐる札幌の市街を、かうして賣り歩くのかと思ふと、義雄には、それが新開地の市街を最も意味深く摘出してゐる樣に見えた。
ふと、札幌市街の自分が知らない部分を散歩して見る氣が起つたので、勇が留守なのを幸ひ、出した雜誌並に手帳をふところにして、直ぐまた有馬の家を出で、獨りでぶら〳〵歩いて見た。
道廳の構内をたツた五六本の白楊樹の高い影であるかの樣な氣持ちで通り拔け、郵便局の前に出で、豐平館の横を通つて、水道にかかつた小橋を渡り、東部の街々をめぐり、それからまた西部を見た。
札幌は石狩原野の大開墾地に圍まれ、六萬の人口を抱擁する都會で、古い京都のそれよりも一層正しく、東西南北に確實な井ゐげ桁たを刻み、それがこの都會の活きた動脈であるかの樣に強い感じを與へる。そして、その脈は四方ともに林檎畑や、もろこし畑や、水田、牧草地などに這入つて、消えてしまふ。
その間に散在して、道廳を初め、開拓記念に最も好かう箇こな農科大學や、いつも高い煙突の煙りを以つて北地を睥へい睨げいする札幌ビール工場や、製麻會社や、石造りの宏大な拓殖銀行や、青白く日光の反射する區立病院や、停車場、中島遊園、狸小路、薄野遊廓などがある。
一體に、大通りの南北ともに、停車場通りを中心として、西部の方が賑やかだ。賑やかで、繁榮な部分には、開拓者が切り殘した樹木はないが、それでも、他方のアカダモ、イタヤ、白楊などの下を通つて來る人の心には、至るところ、さう云ふ樹木の影がつき添つて離れない樣な氣がする。
さういふ街々を縫つて、かの百姓馬子は青物を呼び賣りしてゐるし、また人通りのある角々には、例の燒きもろこしの店が出てゐる。
義雄は、それが何となく嬉しく、なつかしくなり、この百姓馬子に出會ふ限り、またもろこしの香ばしいにほひがしてゐる限り、札幌は自分の心に親しみがあつて、自分の滯在地と云ふよりも、寧むしろ自分の故郷であるかの樣な安心の思ひがして來た。
途中に立つてゐる大きな楡にれの木の繁葉から、涼しいゆふぐれの薄暗い羽がひが飛び出す樣に見える頃、義雄は北海實業雜誌社へ歸つて來ると、氷峰はぼんやり待つてゐた。そして、
﹁また行かうか﹂と云ふ。
﹁よからう。﹂義雄が斯かうお定きまり文句になつたやうに答へると、
﹁軍用金を調達して來るから、待つてゐて呉れ﹂と云つて、氷峰は金きん主しゆ川崎のところへ出かけて行つた。
義雄は晩飯を獨り喰つてから渠の歸りを待つてゐたが、渠は一時間立つても、二時間立つても歸つて來ない。
﹁どうしたんだらう﹂と、渠は茶の間でうちはをつかつてゐるお君さんに聽くと、
﹁多分、しかられてをるのでせう﹂と、かの女は答へる。
﹁どうして?﹂
﹁でも、二晩もつづけて遊びに行くから――けふ、社員が云ツつけてをりましたよ。﹂
﹁は、は!﹂義雄は笑つて、﹁ぢやア、おほかたそんなことだらう。﹂
やがて玄關のがらす戸が明いた音がして、氷峰はにが笑ひをしながら這入つて來た。
﹁駄目ぢや、駄目ぢや﹂と、首とからだを振り動かして、﹁おこられた上に、長い説法を聽かされて來た。﹂
﹁そんなことだらうと、今、お君さんが云つてゐたんだ。﹂
﹁けちな奴ア仕かたがないんぢや。﹂氷峰は縁がはの明け放つた障子にぐツたりもたれかかつて、足を投げ出し、金主が餘り自分を子供あつかひにするのをこぼし、實は、ゆうべも、をととひの晩も、金を拂つたのは義雄の分だけで、自分のはなじみの女が出して呉れたのだが、三度目までもから手では行けないといふことを義雄にうち明けた。
﹁何も行かなけりやアならんところではなし﹂と、義雄は明快に、﹁碁でも打つ方がよからう。﹂
﹁それよりや、もう、寢よか﹂と、氷峰は蚊をうるささうにうちはで追ツ拂つてゐる。
そとは、もう、しんとして、音するものは上りか下りかの汽車の響きばかり――ねむさうなお君は、いいしほに、寢どこを敷き初めた、かの女のは事務室の方に獨り、氷峰と義雄とのは編輯室の方に同じ蚊か屋やだ。
氷峰は寢卷きを着かへながら、その赤いもみの裏を折り返して義雄に見せ、
﹁これもあの女に﹂と、高砂樓のなじみを思ひ出す樣子で、﹁貰つたのぢや。﹂かう云つて、渠は、かの女がここへ遊びに來たいのだが、妹がゐると聽き、それではつまらないと云つて、來たことがない事情を話した。
﹁色男は仕やうがない、ねえ﹂と、義男は渠を喜ばせながら、自分もとこに這入り、自分のお鳥はどうしてゐるのだらうと思つた。そこへ、優しい聲をして玉が來て、渠の夜よ着ぎの裾へもぐり込まうとしたので、渠は氣味が惡くなり、
﹁この畜生!﹂と云つて、足ではねのけると、﹁可哀さうに、なア、玉﹂と、氷峰がこれを引き寄せた。﹁これでも自然主義を實行するのぢや。﹂
﹁そんな點へ直ちに自然主義と云ふ語を應用されては困る﹂と、義雄は云ひながら、東京の諸新聞がこの語を洒しや落れに惡用した結果を、この地に來ても、見られるのがつく〴〵不平に思はれた。
氷峰は自分がどれか獨り、女を選んで結婚する時になれば、諸方から故障が出て來るだらうと云ふことを語り、お君のことは數へないが、第一、ネキストハウス︵と、お君には分らない樣に云つた︶のがある。十勝で待つてゐるのがある――これは、四五百圓も渠の新聞記者時代に補助を與へて呉れた女だ。或炭山には、今、身持ちになつてゐるのがある。小樽に遊女をしてゐるのがある。それに、この寢卷きの主がゐる。など、といふことだ。
義雄もお鳥との關係を一層深く氷峰に話しをしたが、われ知らず寂しい感じがして來て、涙までが出て來るので、氣を換へようとして、のこ〳〵起き出だし、衣物のたもとから、旅行中の感想や事件を控へた手帳を探し出し、再びとこの上にあふ向けになつて、蚊屋のそとに置いたランプの光をたよりに、そのうちに書き込んである數篇の散文詩を氷峰に讀んで聽かせた。渠も歌をよむ男であるから、必らず分るだらうと信じてゐるからである。
ホイトマンの散文詩の樣なぎごちない口調ではあるが、義雄は自分獨特の力が籠つてゐると誇つてる物だ。第一に、﹁汽車﹂と云ふのを讀んだ。これは、闇夜を横切つて、東北の廣野へ來た時、大きな青大將の大地をのたくる樣に思はれた列車が、神經の疲れと共に、自分その物と感じられたことを歌つてある。
次ぎは、﹁乘り込み﹂と云ふのだが、小樽で樺太行きの汽船に乘り込むと、今しも積み荷をおろす人夫の賑やかなかけ聲がしてゐたが、それがぱツたり止むと同時に、自分獨りの寂しい胸にばかり、聽えないかけ聲が合唱の如く響いてゐるといふことだ。
次ぎは、自分の﹁鑵詰製造所﹂の幻影。次ぎは、アイノ人がトンチ人の最後の末から﹁矛ほこ漁れふ﹂の術を授かる神話。次ぎは敗殘人種の末路を弔するアイノの﹁めの子。﹂次ぎは、火事の越年を歌つた﹁燒損林。﹂次ぎは、愛婦に棄てられた樣な寂しみを單調子な海岸に觀ずる﹁眞赤な太陽。﹂次ぎは自分を棄て去つたと思ふ女をなほも戀ふる意の﹁ブシの花﹂、乃すなはち、とりかぶとの花を歌つた物。
それから﹁何の爲めに僕﹂といふのを讀んだ時、讀み手の義雄は最も深くそれを作つた當時の感に打たれた樣で、聲の調子も少し變つてゐたから、聽き手の氷峰もそこに感づいたと見え、﹁今一度讀んで見給へ――おしまひのが一番振つてゐる樣だから﹂と云つた。義雄は知己を得たと思つて、得意げに讀み返した。それはかうである――
﹁何の 爲めに、僕、
樺太へ 來たのか 分らない。
蟹の 鑵詰、何だ それが?
酒と 女、これも 何だ?
﹁東京を 去り、友輩に 遠ざかり、
愛婦と 離れ、文學的努力 を 忘れ、
握り得たのは 金でも ない
ただ 僕 自身の 力、
これが 思ふ樣に 動いて ゐない 夕べには、
單調子な 樺太の 海へ
僕の 身も 腹わたも 投げて しまひたく なる。﹂
「まだ一つあるよ」と、調子にのつて義雄は「マオカのゆふべ」といふのを讀みかけると、氷峰はもとの如く仰向けになつた。
その樣子が「もう、澤山」といふ樣にも見えたので、義雄は讀むのをやめようかと思つたが、最も短くもあるし、また讀みかけたものだからとあつかましく構へて、それをつづける。かうだ――
「僕は 袷 せに 袷せ羽織、
そして 出て來た 藝者は單衣 に 夏帶
――
熱い 樣な、寒い 樣な、
分つて ゐる樣な、ゐない 樣な、
物足りない 歌と 三味と 酒と 洒落とに、
マオカ の ゆふべの お座敷は 暮れてしまつた。」
そして 出て來た 藝者は
――
熱い 樣な、寒い 樣な、
分つて ゐる樣な、ゐない 樣な、
物足りない 歌と 三味と 酒と 洒落とに、
マオカ の ゆふべの お座敷は 暮れてしまつた。」
﹁面白い﹂と、たわいのない聲で云つた切り、氷峰は無言で、手をだらり延ばしたまま動きもしない。隣室からは、お君さんのいびき聲が聽こえる。
義雄は慣れない蚊屋のなかで、急に、寂寞の感じに包まれてしまつた。
お鳥はどうしてゐるだらう? あすは、當地へ來たことを知らせる手紙を出さう。あんなおこつた手紙はよこしても、實際、最後の別れに誓つた通り、獨りで辛抱してゐるだらうか? それとも、再び取り返しのつかない樣に、誰れか男を拵らへただらうか? あの白い、いい羽はぶ二たへ重は肌だを他人に渡してしまひたくないが――
からだは、けふの長い散歩で、充分疲れてゐるが、神經が興奮してゐて、なか〳〵眠られない。そして、北海道といふところは、僅かにまだ二三日の滯在だが、その間に見聞したところだけを以て見ても、淫逸、放縱、開放的で、計畫をめぐらすにも、放浪をするにも、最も自由な天地らしい。金も容たや易すく儲かれば、女も直ぐ得られる樣に思ふ――北海道は若々しい!
お鳥がこのままになつてしまふのなら、誰れか別なのをここで見つけよう――
ゆうべで前後三囘﹁これでおなじみになりました、ね﹂と云つたその本人の姿が目の前に浮ぶ――遊女風ふぜ情いだと云つて、もし愛がある段になれば、女房にしてもかまはないではないか――
すると、北海道――と云つて、札幌だらうが――に人間はひとりもゐず、内地のとは違つて樹木ばかりがあつて、それをすべて自分獨りで占有してゐる樣な氣がして來る。農科大學の廣い構内でもない。その附屬博物館の庭でもない。中島遊園でもない。
どこかとほつたことがある樣な道の眞ン中に立つてゐる楡にれの樹かげから、脊の高いおほ廂びさしのハイカラ女が出て來る。お鳥の樣だが、然しお鳥ではない。
相談がつくものならいいがと、何氣なく立ちどまると、かの女ぢよはこちらの心は知らないで、同じ歩調をつづけて行つた。
ふと夢ではないかと氣がつくと、決して夢ではない。然し考へてゐたことは、すべて否定的にすべり拔けて行つた。ランプが明るい爲め、眠られないでうと〳〵するのだらうと思つて、それを吹き消さうとして脊を腹に轉ずると、
﹁まだ起きてをつたのか﹂と、氷峰は出しぬけに云ふ。
﹁うん﹂と云つた切り、あかりを吹き消すと、闇と無言のうちで、義雄はます〳〵神經のランプが照らされ、さま〴〵の思ひになやんだ。
八
氷峰は、珍客と稱してゐる者の爲めに三日三晩を殆ど空くう體たいに過した上、金主に叱られたりしたのを返り見、 ﹁これではならん﹂と思ひ直した日の朝から、また勉強をし出した。そして、義雄にも、例の鑵詰談を書いて呉れろと迫つた。 義雄は、それを書く前に、お鳥に送る手紙を書くことにした。ゆうべから、何だか、特に再びお鳥が戀しくなつたので、かの女が當地へ來て呉れないまでも、せめて今一度初めの樣に熱心な情を籠めた言葉に接したいのだ。 ゆうべからさう思つてゐる間は、手紙が電報の如く飛んで行つて、電報の如く早く返事の來るものならとまで思つたが、さて、筆を持つて紙にのぞむと、もう、何の手ごたへもないか知れないといふ心配が起る。 そしていよ〳〵書き出して見ると、その心配の爲めに、書き出すまでの熱心は半分以上も減じてしまひ、當てにならない女だといふ恨みが先きに立つて、優しい言葉がどうしても出ない。 何故に再三の手紙に返事をしないといふ叱責を冒頭にし、お前がゐなかつたら、こんな失敗はしないで濟んだ。︵實際、渠の事業を思ひ附いたのは、一面には、かの女と關係して、生活費が嵩かさんだ窮策であつた︶つまり、お前の爲めに失敗して、止むを得ず當地へ來た。事實は恢復の見込みがある。然し、しばしの難局を辛抱し切れないなら、もう、お前と事業とは無關係だ。お前が、自分と關係するまでの決心通り、下女奉公をしても獨立するつもりなら、さう容たや易すく自分を離れて、別人を待つべきものでなかつたらう。それも仕儀によつて再び許さないものでもない。まだ問題がそちらに殘つてゐれば、札幌區北四條西七丁目何番地の有馬勇氏方宛にて云つて來い。先づ電報でよこすがよからう。と云ふ風に書いて、身づから投函した。 ﹁みづから御出馬――御熱心です、な﹂と、氷峰がひやかすのを、義雄は原稿を早く書けといふ催促の樣に受け取つてむツとしたが、渠の性質として、そんなことは氣にならないので、さう取るのが正當か、正當でないかを考へるひまさへ與へない。 ﹁さア、これから、實業雜誌界月並みの﹃如何にして﹄云々の長なが表題的原稿だ﹂と、義雄は氷峰の机のそばに腹這ひになり、筆を執り初める。 渠がそんな不面目な態度で執筆するのは初めてだと、自分で自分を返り見た。藝者と共に床の中に横たはつてゐて、詩を作つたおぼえはある。然し、その時は、精神に於いて却つて張りのあつた時だ。書く精神が不眞面目で、書く時の態度に張りがないでは、とても碌な物は出來なからうと思ふ。 然し自分の名を出す以上は、僞つたことは云ひたくないから、燒やけツ腹ばら的てきにありのままを書き出した―― ﹁僕はこれまで文學者であつた。これからも矢ツ張り文學者でつづくだらう。文學界では、兎に角、以前から主義もあり、主張もあり、創作もやつて來たから、諸君に誇らうとすれば誇るところが多少ないではないが、それが近頃、而しかも本年、實業的方面に片足を踏み込んだのであるから、その方の事實はまだほや〳〵なところで、その基礎さへ本當には定らない状態にある。﹂かう云つて、然し友人の新雜誌の爲めに少しでもなることだから、いや〳〵ながら初歩の實業談をやるといふのが前置きだ。 ﹁先づ、僕がどんな動機で鑵詰業を始めたかと云ふに、さう六ヶしい動機はない、さ、考へて見給へ。文學をやつて大した金が儲かるわけはない。歴々な文學者でも金が欲しければ、別な仕事を兼業してゐなければならない。飜譯とか、雜誌編輯とか、出版屋顧問とか、新聞記者とか、然らざれば、學校教師とか、家庭教師とか、圖書館書記とか、何かをやつてゐる。 ﹁僕は去年まで拾數年來英語教師を兼業してゐた。それをよしたのも他業に向ふ一つの原因ではあらうが、僕の父が去年死んで――それまでは、父と別居してゐたのだが――僕の家を左右する自由が出來たと同時に、僕の財産はずん〳〵膨張して來た。 ﹁割合に金錢に淡泊な僕でも、金を欲しくならずにはゐられないではないか? それに、僕の性質として、今の所いは謂ゆる文學者と云はれるだけでは滿足出來ないところがある。﹂この最後の句には、氷峰は、二重丸圈點を打つた。﹁世人が一般に認めて文學社會といふ、その範圍以上に何か手を出して見たいと云ふことは、僕の以前から持つてゐた考へである。それが今囘蟹の鑵詰製造に實行され出したのだ。﹂この最後の句には、氷峰は普通の丸點を打つた。 それから、﹁今一つの原因﹂は弟の爲めに仕事を拵へてやるわけであつたが、事業の眞ツ最中にあちらで大病を煩つた爲め、製造場の帳簿などが丸でめちや苦茶になつて、義雄があちらへ渡るまでに、既に、﹁父の遺産を賭しての仕事が大打撃を被りかけたと共に、僕の弟までも失ふところであつた﹂︵この句にも、氷峰は二重圈點を打つた︶といふことを書いた。 ﹁それから、製造主任は僕の從い兄と弟こで、拾數年來の經驗と信用とがある。︵ここに氷峰のちよぼ圈けん點てんがついた。︶父の存命中、僕はこのものと共にこの事業を初めることを父に勸めたことがあるが、心の實直な父は危險を恐れて賛成しなかつた。︵ここには、氷峰の三角圈點がついた。︶然しこの人間がゐるので、僕等の鑵詰は、他の同業者等のよりも、一箱四ダースに附き、五十錢乃至一圓増しで賣れ行くのだ。︵ここには、氷峰の二重丸圈點。﹂︶ それから、マオカを中心として二十里ばかりの海岸は﹁世界有數の蟹捕獲場﹂であること。蟹の鑵詰は外國貿易品として有望だが、本年は﹁粗製濫造﹂が多いこと。品質は、樺太のも、北海道物に決して劣らないこと。﹁蟹といふ奴は、月夜には身が痩せるものだと云はれるが、それどころか、朝取つたのと夕がた取つたのとは、實質が丸で違ふほど、中身が微妙な組織を有する﹂こと。無經驗家は腐敗を防ぐ爲めに防腐劑を使ふかと思へば、儉約の爲め硫りう酸さん紙しの代りにパラピン紙を用ひて、白色の身に黒みを帶びさせてしまふ樣な、どちらもけちな、間違つた仕かたであること。などがあつて、 ﹁北海道物は不良品があつたら、製造家の怠慢もしくは不正行爲である。何となれば、北海道の製造家等は古くから良不良の經驗をしてゐるからである。︵ここは、氷峰の二重圈點。︶然し樺太物に不良品が出れば、北海道のと同樣、製造家の知りつつ惡意的に手を省くところから來るのもないではなからうが、多くは新らしい製造家等が、無經驗の爲め、知らずに不良な結果を生ぜしめるのだ﹂と結んだ。 そして、義雄が多大の不平と輕蔑とを以つて取り扱つてゐる製造主任なる從兄弟の無考へと不都合とを云はなかつたのは、――云ふ折があれば、渠として、必らず正直に云つただらうが、――この原稿依頼者の註文が失敗の方面を話せと云ふのではなかつたからである。 義雄はこれを書き終り、讀み返しもしないで、渡してしまつた。そして、 ﹁これが雜誌に掲載されて出る頃にやア、僕の樺太に於ける第二期の仕事も、大分出來てゐるだらうよ﹂と氷峰に語つた。九
義雄は朝夕お鳥のことが氣にかかる如く、樺太の方も亦心配で、心配でたまらないのだ。 最も有望な第一期の仕事は六月一杯で終はり、七月は、蟹の新たに發育する時で、取つてもちひさくて駄目だし、その上、雜ざつ漁れふ者しや等が昆布の採集に忙しいから、鑵詰製造業は一時中止の姿だ。最も經驗ある事業家はこの時でその年の事業を切りあげ、翌年の計畫擴張やら、賣り込みさきとの談判やらの爲めに、函館、東京などへ出てしまふ。 義雄等は東京から來て、事業が小規模なので、マオカの問屋と直き取引にしてゐるから、上京の必要もないままに、且は第一期の失敗を恢復するつもりで、第二期の仕事に、手を出す用意をした。 マオカから七里ほど北のオタトモといふところに製造所があるのだが、そこは八月から浪が荒くなるので、四里ばかり手前へ假製造所を定め、また別に一ヶ所、マオカの南一里ばかりのテイヤにも設けた。 ところが、二ヶ所とも、義雄の出發するまでは仕事を初めることが出來なかつた。渠はその後の事情を知りたいのだ。 ﹁シコトハシメタカヘン﹂といふ電報を弟あてにして打つた。それと同時に、本年の引きあげまでの心得を繰り返した手紙を出し、 ﹁この手紙着する頃には、大分仕事が出來てゐる筈だから、賣りあげ代金のうちから、自分が云ひ置いて來ただけの小使を送つて來い﹂といふことをつけ加へてやつた。それも電報がはせで送れと書いたのである。渠はこの事業を初めてから、何事にも電報を用ひ、また用ひられなければならない樣な氣になつてゐた。 戀の文句を電報でやり、それに對する返事を電報でよこさせようとしたが、お鳥がそれをしなかつた時は、義雄の怒りは非常であつた。それから、一つには、かの女の執心を疑ふ念が増した。渠は人生の實行的文學に對すると同樣、﹁戀も一種の事業だ﹂といふ感じが胸に溢れてゐる。そして、事業に對しても亦戀その物であるかの樣になる。 お鳥が一たび自分を離れて、また自分の胸中に投じて來た時の樣に、義雄は、失敗しかけた事業をもとの通り早く恢復するには、氷峰のまだ分らない成功を何ヶ月か待つてゐるよりも、小樽の松田の方を何とかまとめるのが近道だと思つてゐる。 氷峰の言を思ひ出せば、松田兄弟は當てにならない樣だが、毎年三十萬内外の資本を運轉して、汽船の所有もある漁業家だ。當てにならないのは、寧ろその事業全體に關する運命に出會した時だけで、三千や四千の出費は、どうにでもして、協同に本當の愛さへあれば出せないことはなからう。 かういふ戀愛的な考へを以つて、慇懃な情の籠つた、然し親しさうなだけ疑念に滿ち滿ちた手紙を、松田氏並にその會計主任森本春雄――義雄が樺太巡遊中に知り合ひになつた年下の人――に送つた。この人も旅から歸つたかも知れないと思つたからだ。そして、面會の上熟談したいから、都合を知らして呉れろと云つてやつた。 戀文やら、原稿やら、電報やら、事業に關する手紙やら、義雄は一時に精力を集中した爲、久し振りで執筆上の努力を爲し得た氣がして、心がすが〳〵しくなつた。 碁を打つても勝ち越しになるので、氷峰をとう〳〵先せんにしてしまつた。後者は躍起になつて來るが、前者は然しさう熱心でない。ただ時間つぶしにやつてゐた。 義雄は全體碁よりも、玉突が好きだ。東京では毎日の樣にやつてゐたのが、マオカでは旅館に臺が据わつてゐたから、日に幾度となくやつた。その爲めに、義雄は不斷に倍した活氣があつたし、また、町のおもな人々並びに藝者などに多くの知り合ひも出來たが、今はそれがやれない状態を考へると、如何にも心細い。 ﹁せめて、小使だけでも早く樺太から送つて來ればいい。﹂かう思つて、夕飯後、弟の返電が來てゐるだらうと、有馬の家をたづねた。 返電は來てゐないが、義雄の最近殆ど忘れてゐた家の方から、渠が樺太で書いて、この二三年間、便りしないと云つてやつた最後の手紙――それには、有馬氏の番地を知らしてあつた――に對する妻の長い返事が來てゐた。これも最後の便りの樣だ。 かの女もいよ〳〵あきらめたと見え、これまでによこした樣な、讀むのも面倒臭い泣き言は書いてない。その終りの方に、 ﹁あなたがあんな事業などを思ひ立つた爲め、家族はこんな苦しみをしなければならぬ樣になつたのです。それも、今は、もう云ひますまい。わたくし共が血を吐く思ひを以つて、家のことで奔走してゐるのも、今は云ひますまい。その代り、家族に冷淡なあなたを措おいて、家の處分はわたくしが勝手につけます。あなたは歸つて來てはなりません。 ﹁仰せの通り、もしそのまま失敗に終るなら、二三年が十年でも、あなたの所いは謂ゆる放浪とやらをおしなさい。妻子は東京で、あなたは北海道で、かつゑ死にをすれば、さぞ世の中でえらいと賞めましよう。世間はあなたを先生と呼びます。おほかた、放浪と餓ゑ死にの先生でしよう。 ﹁あなたはお鳥を思ひ切つたと云つて來ましたが、それを本當としても、時機が遲いです。あの女は毒とやらを移したり、移されたりして、加集と一緒にもがいてゐると云ひますよ。﹂ 義雄はこの一節に至つて、無念に堪へられない樣な息づかひをした。それが爲めに、申しわけがなく、お鳥は文通を斷念したのか知らんと、胸に憤ふん怒ぬをみなぎらして考へた。然し妻の云ふことも誰れかにいい加減なおだてを喰つたのかも知らんと、また默讀をつづける―― ﹁加集は惡人です、あなたの御注意を待たず、わたくしが家へは近づけません。あなたの友人ではありましようが、わたくし共の災難に乘じてこの家を賣らせ、自分がその間に這入つて口錢を取らうといふ考へであるのを看破しました。あいつとお鳥とで人の家をのツ取ればさぞよかつたでしようが、わたくしはさうはさせません。﹂ ここに至つて、また泣き言、恨み言が面倒臭いと思ひ、直ぐ破り棄てようとしたが、もう、その終りになるので、またつづける―― ﹁あなたは注意をして加集に家の處分の世話を頼むなら頼めと云はれますが、わたくしはあんな奴はいやです。あなたが如何に家に冷淡でも、わたくしにもまた相談相手があります。 ﹁これで手紙は暫く出しません。また貰はないでもよろしい。どこへ行くか分らないと云ふ仰せですから、あなた宛の郵便物は兎に角有馬氏方まで屆けることに致します﹂と結んである。 義雄は﹁そのわたくしにもまた相談相手があります﹂といふところを讀み返して、ふと、男が出來たといふ意味ではないかと思つた。 お鳥の手紙に、﹁わたしの行ひをかれこれ下らん心配をするより、まア、御自分のかかアを御注意おしなさい。色氣違ひの樣だから、誰れとくツついてゐるか分らないでしよう﹂といふ、からかふ樣な、諷ずる樣な言葉があつたのを思ひ合はせ、若しさうなら、離縁の口實も出來て、却つて自分には好都合だと考へた。 然しそれは餘り自分の都合ばかりを計つた考へであつて、若しあの四十婆々アが三人の兒を無くなし、なほ三人の兒を犬ツころの樣に大事に育てつつ、その養育に朝から晩まで燒きもきする有樣を思ひ浮べると、吹き出したくなる程冷笑したくなり、男を拵らへる樣な、そんな洒し落やれた餘裕があらう筈はないと信じられる。そして、 ﹁八月七日、千代より。田村先生﹂とある、その最後の宛名の先生などと如何にも皮肉ツたのを見ると、義雄は、妻の千代子のヒステリを噛み殺した樣な、憎いほど厭な、痩せこけづらを目の前に浮べずにはゐられない。 ﹁家のことに就いては、何とも云つてないか、ね﹂と、そばから勇が聽くのに答へて、 ﹁これでは、賣つたとも、賣れないとも書いてない﹂と云つて、義雄はその手紙をずた〳〵に引き裂き、そのことに就いてはそれツ切り何にも語らず、﹁君、散歩しよう﹂と、勇をつれ出した。 舊暦七日の月が鎌の樣にとがつて、その鋭い光を横ざまに暗い繁しげ樹きの間から投げる博物館の構内――牧草の生ひ繁るなかの小徑を、二人して無言で散歩すると、義雄は異樣な凄みと空想とにおぞ氣けが立つのをおぼえる。 そして博物館内に陳列してある、あの剥製のおほ熊や小熊がもとの通り生き返つて西洋館窓を拔け出すとする。そして生ひ繁る牧草の間から、その黒い影を現はすと、骨格逞しいアイノの鬚武者が、マキリの代りに、あの弦月の鎌を握つて、熊の喉なる月の輪をねらふ。 きゆツと、どこかで何者かの聲がした樣だ。 ﹁何だらう﹂と、義雄が氣味惡さうに立ちどまると、 ﹁栗り鼠すがゐるかも知れない﹂と、勇が答へる。 義雄はそれで思ひ出したが、樺太ノダサンの殖民豫定地を巡見する時、濕ヤチ地ぶ蕗きや大いたどりの人影を沒する間をかき分け、水芭蕉や、濕地ぜんまいや、道一面の木とく賊さなどを踏み行き、一條の小流れへ出ると、ちよツとしたドロ柳の曲りくねつた幹の上で、二三匹の栗鼠が遊んでゐるのを見た。 それからまた聯想したのは、山ダニに取ツつかれたことだ。宗そう谷やナイボの露領時代の濫伐林の跡を見に行つた時、椴とど松まつ、蝦えぞ夷ま松つの枝からふり落ちるどす黒い――雌は赤黒い――ダニが、蕗や芭蕉の葉から義雄等に移り、汽船に歸つてから、それを取り盡すになか〳〵骨が折れた。 二三日も知らないでゐたのは、足や腹の毛穴に喰ひ入つて、黒い山葡萄の實ほどに太つてゐた。義雄はぞツとすると同時に、 ﹁蛇は出て來はしないか、ね﹂と聽くと、 ﹁そんな物は、まア、ゐない、ね。﹂ 義雄は思想上蛇を大好きなのだ。蛇が直立すれば人間だらうとも思つてゐる。然しそれはその自然のままの状態に於いてばかり考へてゐられるのであつて、もし一たび直立しかけると、もう、自分の敵であるのが分つた。自分はいつ、どこでも、自分の自由を自在に發展するといふ考へを妨げられたくない。 といふのは、樺太旅行中に、同行者の一人が眞まむ蟲しに噛まれて、希望通りの同行をつづけることが出來なかつた。その時、眞蟲は横長の體を直立させて、義雄にも飛びかからうとした。渠は然しそれを、手に持つてゐた熊よけ喇らつ叭ぱ︵汽船の代用汽笛であつた︶を以つてなぐり倒し、それから踏み殺して、 ﹁敵對するものは何でもうち滅ぼして行くのが自然だ﹂と叫んだ。そして、その敵手の性質、勢力、惡意をも自分の物としてしまふのが自己自然の努力だと思つた。蛇も自分の内容の一部だと見られる樣になつてこそ、嫌ひでなくなるのだ。 かう云ふ追想やら思索やらに耽りながら、義雄は建物の前の方へまはり、何とも知れない大木に行き、月光がちら〳〵とその繁しげ葉ばをかき分けて漏れる樹かげの石に、勇と共に腰をかける。 渠は身づからこの夜の氣を吐いてゐる樣な心持ちになり、その氣の中に浮ぶ東京、樺太、失敗、失戀、札幌の滯在等が、目がねでのぞく綺麗な景の樣に、自分の世界と見える。そして、かたはらの勇が、 ﹁何とか恢復させてやりたいもんだ、ね、その――君の――あの事業を﹂と云ふのを聽いて、﹁事業は外形によつて拘束されない﹂と、義雄は答へる。そして、今組みあがつてゐた刹那の現實世界をうち毀されてしまつた氣がする。 この時、眼界の不透明な︵と渠は考へられる︶友人を厭な蛇だと思つた。 その不平を渠は例の思ひ切つた婦人論や教育論へ持つて行つて、勇をなやますと、勇は自分も學校教師に飽き、年取つて來た細君を嫌ひな點もあるのだから、義雄の云ふところに﹁半面の眞理﹂はあるとうなづく。 ﹁然し、君、その半面をもツと充分、神經まで體得して見給へ。それに裏はらはなくなるよ﹂と、義雄が云ふ。﹁たとへば、僕が事業に成功しても、失敗しても、僕その物に變りはない。﹂ ﹁努力さへしたのならいいと云ふのだらうが﹂と、勇は義雄の意を受けて答へた、﹁然し僕等はさう行かない、成功と失敗とは直ぐ自分の現在の生活に影響すると思ふから、ね。﹂ ﹁家庭や學校に囚とらはれてゐるからだ﹂と、義雄は無遠慮に云つた、こちらへ暗に勇の諷ふう意いがあると思つたからだ。﹁教師などよしてしまひ給へ。﹂ ﹁僕もさう考へてゐるが、ね――﹂勇は素直に應じてゐた。 義雄は勇と共に有馬の家まで歸つたが、あがらないで、弟の返電が來てゐるか、どうかを聽いて貰ふと、まだ來てゐない。 ﹁どいつも、こいつも不熱心な奴等だ﹂と、渠は靴脱ぎの土を右足の下駄で蹴つたが、勇の立つてゐる前だと氣がついて、それを取り消すかの樣なにが笑ひをする。 ﹁さう短氣を起さないで、氣ながに待ち給へ﹂と云ふ、勇の冷かしとも見えるおやぢじみた言葉を耳にしながら、渠に別れて義雄は氷峰の家へ行つた。十
いつのまにか、義雄は氷峰の家の客の樣になつてしまつた。小樽へ出した手紙の宿所もここにしてあつたから、ここへその返事が來た。 森本春雄からので、義雄はそれを顫ひつくほど熱心な態度で讀んで見たが、それを卷き納める時は、失望の體ていに見えた。 ﹁ことわりか﹂と、氷峰は原稿を書きながら聽く。 ﹁なアに、主人が旅行中でまだ相談出來ないと、さ――會計主任からの返事で、松田は漁業組合總會出席の爲め函館へ行つた。﹂かう云つて、義雄は卷き納めたのを封筒に返した。 ﹁そりや困つた、なア。﹂氷峰も筆を擱おいて卷煙草に火をつける。﹁いつ歸ると云ふのか?﹂ ﹁まア、今月一杯はあちらにゐるらしい。﹂ ﹁當てにせずに待つ、さ。﹂ ﹁會計主任もあさつて頃は函館へ行くと書いてある。それに、行つたら必ず雜誌の相談もまとめるつもりだから、この手紙着次第直ぐ印刷上の見積りをどこか札幌の印刷屋でさして、郵送して呉れと云ふんだ。﹂かう云つて、義雄は氷峰に、この主任なる人と自分との間に、一種の他の話が進行しかかつてゐることを語る。 實は、森本の關係ある漁場は樺太の西海岸に於いて多少勢力があるのを利用して、森本は西海岸の漁業家を誘引し、今ある組合と衝突しない範圍に於いて、一つの團體を作り、政廳の施政方針に當る一雜誌を持たうとしてゐる。 初めは新聞を起さうと企ててゐたのだ。然し、それは森本の青年的客氣にまかせて、無學な主人の事業的意氣込みに訴へたに過ぎないから、餘り無謀過ぎるだらうと、義雄が忠告した。では、東京の一新聞を相當の金で抱き込まうかと云ふことであつた。それも、義雄は無駄だらうと判定した。そして、結局、ちよツとした新聞體の月刊雜誌がよからうと云ふことになつた。そして、その編輯者は、名を出さないでもいいのなら、義雄が樺太にゐる片手間にやらうと云ふ相談になつてゐる。 鑵詰製造上の協同が成り立つ上に、その雜誌の關係がつくとすれば、義雄の樺太に於ける位置は一層確かになるにきまつてゐるから、渠も一と肩入れる氣になつたのである。體裁も大體は決めてあるのだから、高見呑牛のやつてゐる週刊北星を持つて行つて、氷峰の出さうとする北海實業雜誌の印刷屋で見積り書を取り、それを小樽へ郵送するついでに、 ﹁協同問題の件もしツかり頼みます﹂と云ふことを附け加へた。 全體、樺太の西海岸と東海岸とは全く利害を異にしてゐる。西は鰊にしんを專らとし、東は鮭けい鱒そんを主とする。同じ建網税問題でも、前者に不利益なことが後者にさう痛つう痒やうを感じない。現に、函館に於ける總會も別々で、西海岸の組合のがあつた後で、東海岸並びに亞あに庭はわ灣んのがある。兩者の利害が一致しないのを政廳はつけ込みどころとしてゐるらしい。 かう云ふ事情を解するに至つてから、義雄は目前實際の政治的問題にも興味を有する樣になつてゐるので、自分の製造事業の協同は勿論、政治的意味の漁業雜誌を引き受けるのも亦面白いと思つてゐるのだ。十一
いよ〳〵歡迎會當日の土曜日が來た。 巖本天聲が、朝、最後の相談を決めに氷峰を訪ねて來た。それが歸ると、メール社の一記者が來て、義雄の樺太談や自然主義の三派論やを筆記して歸つた。それから、また、有馬勇がやつて來た。 ﹁手紙が來たよ﹂と、勇がふところから出すのを見ると、お鳥からのだ。義雄は胸を踊らしたが、さうは見せないで、受け取つた。一たびマオカへ行つたのがまはつて來たのだ。 ﹁それが例のか、ね?﹂勇は微笑して聽く。 ﹁さうだ。﹂義雄が答へて、開封しかけると、 ﹁矢ツ張り向うにも未練があるのぢや、な﹂と、氷峰は机に向ひながら冷かす。﹁こんな貧乏文士か事業家か分らない奴は、早く見限つてしまへばよからうに――﹂ ﹁いや、女といふ奴は執念深いから、ね﹂と、勇はもつともらしく云ふ。 ﹁さう馬鹿にしたものでもない、さ。﹂義雄は身づからまぎらしながらそれを默認してゐたが、叫んだには、﹁不都合だ、ねえ、樺太の郵便局は!﹂ そして、この二友に別々に送つた郵便物が屆かなかつたことのある上に、義雄からお鳥に送つた手紙にも向うへ屆かないのがあることを語つた。 ﹁あなたはかう〳〵云ふことを書いてよこしたに返事しないとおこつてゐられますが、そんな手紙は來てゐません﹂とある。義雄の心には、直ぐお鳥からよこしたのにも自分の手に屆かないのがあるのだらうと思つた。そして、 ﹁内地や北海道では、滅多にそんなことがないのに、樺太に關する郵便物に不着や紛失の度々あるのは、實に不都合だ﹂と云ふ。 ﹁戀の交換を妨げるくせ物ぢやから、充分おこつてやれ﹂とは、氷峰の冷かし半分の意見だ。 ﹁實際、さうだ﹂と、義雄は眞面目に憤慨しながら讀んで見ると、相變らずくだ〳〵しい恨み言ばかりだ。それに、最近の而も最終のとして勇に讀み聽かせた手紙には、病氣のことは忘れたかの樣に書いてなかつたから安心してゐたが、今囘のにはまたそれがひどくなつてつらいとある。 あの病氣が慢性になつてゐるので、直つたかと思ふと、またひどくなるのだらうと、義雄は想像する。自分がさツぱり︵だらう︶直つてしまつた經驗があるだけ、直らないものの苦しみが思ひやられる。 果して病氣が直らないものとすれば、自分と別べつ衾きんした經驗でも分つてゐるが、男と關係してゐるとは思へない。然し、かの女として充分燒きもきすべきよそ行き衣類質出しの件は何とも云つてゐない。そして、藥り代を送れ、食料をよこせとある。 誰れか泣きつく人を見つけて、それに質物を出して貰つたので、目下の必要ばかりを云つて來るのだらうかとも思ふ。お鳥の身の上を考へれば考へるほど、義雄のあたまは疑念に囚とらはれて行くのである。然し、まだ宛て名に、 ﹁戀しき義雄さま﹂と書けるのに免じて、表面は心をやはらげ、これまでの自分の疑ひは全く惡かつた。許して貰ひたい。然し局面はまだ發展しないから、思ふ樣に送金は出來ない。といふ樣なことを認め、氷峰がきのふその金主から工面して呉れたうちから、五圓札二枚を封入した。 渠がその長い手紙︵戀文だ︶を書くまをぼんやり待つてゐるのもつまらないと思つたのだらう、勇は中途から歸つてしまつた。氷峰は平氣で自分の仕事をしてゐる。 義雄は封書に﹁東京市京橋區木挽町二丁目三番地海老名方清水鳥子殿﹂の宛名を書き、それを手にして通りに出で、一二町さきのポストに投じた。 そして、ふところなるお鳥の手紙を出して引き裂き、路傍の排はい水すゐ渠きよに流した。かの女の手紙を棄てたのは、これが初めてだ。﹁下女奉公の口がありましたが、病氣でつとまらないからよしました﹂とあつたので、若しそれを氷峰にでも見られて、お前の色女は下女になつたのかなど冷かされては、今度もしかの女ぢよを札幌へ呼んだ時の自分の威嚴に關すると思つたからである。 然し渠はそれだけかの女に對する心の空疎をおぼえ、路傍のイタヤもみぢや鐵工場の音などの方が、今では、却つて、自分に密接な樣に感じた。 然しまたその日が特別に愉快に思はれたのは、決してただ渠に對する夜の歡迎會が待たれると云ふ理由ばかりではなかつた。 中島遊園は樹木を以つて蔽はれ、なかに丸木ぶねやボートを浮けた大きな池がある。その池の周圍に二三軒の料理屋がある。市中のはづれだから、繁はん盛じやうは夏分に限つてゐる。冬になれば、何か特別な目的がなければ、このはづれまで數尺の積雪を分けて來るものはないと云ふ。 そこに、立派な西洋建ての北海道物産陳列所があつて、その附屬として、北海道林業會出品の寄せ木家屋が建つてゐる。用材はすべて同道特産の木材である。床の間は山桑のふち、ヤチダモの板、イタヤ木も理くの落し掛け、センの天井。書院はクルミの机、カツラ木理の天井、オンコの欄間、トチの腰板、ヤシの脇壁板。床脇はシロコの地板、サビタ瘤の地袋ばしら、ヤチダモ根の木口包み、オンコの上棚板、ブナの下げづか。縁側はトド丸太の桁けた、アカダモの縁えんぶち、並びに板、蝦夷松及びヒノキの垂たる木き。座敷仕切りはクルミの欄間、ヒバ並びにガンピの釣りづか、ケンポナシの廊下の縁ぶち。鴨居並びに天井板はすべて蝦夷松。敷居は蝦夷松、五葉の松の取り合せ。西洋間の窓並びに唐戸の枠は蝦夷松、額ぶちはヌカセン、その天井板二十五種、腰羽目板二十二種は、以上に擧げた種類の外に、シナ、ナラ、シウリ、ヱンジユ、櫻、槲、朴ほうの木、ドロ、山モミヂ、オヒヨウ楡にれ、ハンの木、アサダ、サンチン、カタ杉、檜の木などだ。 義雄は、樺太トマリオロの鐵道工事並びに新着手炭坑を見に行つた時、山奧の平地のセン、イタヤ、ドロ、アカダモなどの間を切り開いて、そこに大仕掛けの炭坑事務所を新築してゐる、その新木材の強いにほひを嗅ぎ、深山のオゾンに醉はせられた樣な、如何にもいい、而も健全な心地を自分の神經に受けてからと云ふもの、木材に非常な趣味を持つて來た。且、また、樺太に歸れば、見積りした計畫通り、鱒箱や鑵入れ箱の製造かた〴〵、木材をも取り扱つて見ようとする考へがある。だから、氷峰と共に池のふちや陳列所の庭を散歩し、この出品家屋のなかへ這入つた時は、何よりも熱心にその用材の種類を注意して見た。 ﹁さう見たり、さはつたりして、君にはそれが分るのかい。﹂氷峰は早く去りたさうになじる。 ﹁うん。﹂義雄は獨り面白さうにうなづきながら、﹁少し考へがないでもないのだ。﹂ ﹁君は山海を選ばず、餘り氣が多い、なア。﹂氷峰は捨てぜりふの樣に云つて下り口の方へ行く。 ﹁然し何か一つ成功して見たいではないか﹂と、義雄も渠についてそこを出たが、玄關の桁けたや垂たる木きがカツラだと云ふのを名殘り惜しさうに見てゐる。 ﹁さア、行かう、遲くなるから。﹂氷峰に促されて、庭の芝草の間を通り、陳列所の門を右に出て、池のほとりのナラや椎の木らしい樹かげを行き、涼しさうに舟遊びをして若い男女がきやアきやア喜んでゐる方をながめながら、西の宮支店の前に來た。そして、二人は、 ﹁田村君歡迎會場﹂といふ幅びろの長い紙を張りつけてある門を這入つた。 天聲、呑牛、氷峰など、義雄が既に知つてゐるもの等のほかに、集つたのは旬刊北海新聞の菅野雪影、小樽新報支社の北山孤雲。以上の諸氏は孰いづれもその部下二三名から五六名をつれて來た。その他に物もづ集め北劍、有馬勇、もと新聞記者であつて今は競馬會社取締の濱野繁太郎、後藤遞相を室蘭へ送つて行つて、今札幌へ歸つて來た道會議員の松本雄次郎などだ。來ると云つて來なかつたのが、氷峰の雜誌の社長や、札幌電氣會社の取締某などだ。 都合二十個足らずの脇息が大廣間の上並びにその左右に並んだ。上中央は義雄、左りは松本雄次郎、右は濱野繁太郎。松本の次ぎは有馬、その次ぎは天聲並びにその社員。濱野の次ぎは北劍、その次ぎは孤雲並びにその社員。氷峰は、この會の發議者であるから、遠慮して、その社員と共に、右手の末に控へると、それに向つた左り手の末に雪影一派が坐わつてゐる。 藝者七八名の酌が一巡した時、孤雲が下座にまはつて、歡迎の辭を述べた。渠は記者の故參でもあり、また温厚實直の人望家でもあるから、その選に當つたのだ。 渠は義雄の文學上に於ける功績を賞讃し、長い間、文壇に奔走して倦うむことなく、詩に、評論に、散文詩に、小説に、自分等に教へることが多かつたこと。特に、近來、文壇並びに思想界に於いて、新主義運動の急先鋒であること。また、今囘、樺太に於ける蟹の鑵詰とかを製造する事業を起し、文壇の餘勢を事業界にも張らうとする勇氣は感服せざるを得ないこと。たま〳〵自分等の土地を見舞つて呉れたのを幸ひ、ここに有志のものが歡迎會を開らくに至つたこと。などを、熟達した巧妙の辯を以つて、二十分ばかり演説し、もて爲なしとては大したことはないが、充分に、自分等と共に、歡を盡くして貰ひたいと云つて、もとの席についた。 ﹁あの人が自然主義?﹂などと云つて、藝者どもは珍らしさうに義雄の方を見ながら、互ひにこそこそばなしをしてゐるのがきこえた。 義雄は、こんな歡迎會をされたのは初めてであるから、ちよツとまごついた。五百や六百の聽衆に對して平氣で演説することはあつても、自分一個に對する宴會にのぞんでは、どうしていいか、急に考へがつかなかつた。そして、やつてゐる仕事その物から位づけすれば、自分は左ほど謙遜するにも及ばない樣だが、兎に角、自分よりも年うへの人々がゐるのを見渡すと、何となくありがたくツて、胸が一杯になる。 ﹁どう云つて、禮を云はう﹂と、渠は下座に出てから考へたが、さうまごついてゐるのを見られるのは面白くないから、思ひ切つて、﹁諸君の御もて爲しに對しては、わたくしは非常に喜んでをります﹂と發言した。そして、自分はさう重く見られようとは思はなかつたことを述べた時などは、涙も出かからないばかりであつた。 出席の人々は渠から何か大氣焔でも聽かされることを豫期してゐたらしいが、渠は氣焔を吐くには餘り張り合のない會だと思つてゐたから、丁寧に禮だけ述べて席についた。 そして、冷靜になつて考へると、この會は自分を東都の文學者としてのことだ。自分は渠等の想像してゐる樣な遊戲的な文學者で滿足してゐない。それよりも、寧ろ實業界に足を投じ出した祝ひでもして呉れたのであつたら、この會は自分に最もありがたかつたのにと思つた。 酒は大分まはつた樣だ。あちらにも、こちらにも、藝者の三味線に乘つて、なか〳〵上手な端唄やら、都々逸などが初まる。おけさ節も出れば、いそ節、ほうかい節、しののめ節も出る。﹁僕は仙臺の﹃さんさ時しぐ雨れ﹄を聽くと非常に愉快になりますが、北海道の﹃追分﹄を聽くとその反對に非常に悲しくなる。好きな女があれば、それと心中でもしたくなります﹂と、義雄が松本に語つてゐるのを聽き、 ﹁あら、心中ではつまりません、ね﹂と、そばにゐた老藝者が酌をしながら云ふ。 ﹁お前でも﹂と、松本はその藝者に向つて、﹁昔、心中しかけたことがあるではないか?﹂ ﹁それだから、旦那﹂と、かの女ぢよは平手を下に振つて、﹁つまらないと云ふのです、わ。﹂ ﹁では、先生、僕が一つ歌つて聽かせませうか﹂と、メール社の追ひ分上手と云はれる一記者が進んで來て、それを歌ふ。なか〳〵うまい物だ。そしてその藝者は三味を合せながら、スイ〳〵と云ふかけ聲をする。 ﹁おしょろ――たかしィま――︵ア、スイ︶およびはないが、よ――︵ア、スイ〳〵︶せめて――︵スイ︶うたすつ――︵ア、スイ︶いそやまでよ――︵ア、スイ〳〵︶﹂ その簡朴悠長にして、哀韻嫋でう々〳〵、どこまでも續いて、どこまでも絶えず、細く、長く、悲しい響きを傳へる。それを聽くと、義雄は今、一方に、北海原野の單調な雪景はかうもあらうかと感じ、また一方に、早くお鳥を呼び寄せ、そんなところで二人しツぽり一と冬を暮して見たいと思ふ。 然し松本は、通つうを氣取る劇評家がわざと冷然として芝居を見る如く、追ひ分などは上手なのを聰き飽きたといふ風をしてゐる。そして、義雄に、後藤遞相隨行中の奇談などを物語つた。 文學者だと思つてだらう、或代議士が遞相と同船中、家やか持もちの長歌﹁海行かば﹂云々、﹁山行かば﹂云々の句を解し得なかつた滑稽を、特に面白さうに話した。その代議士は、﹁水づくかばね﹂のみづは海の水だらうが、くかばねとは何か分らない。また﹁苔蒸すかばね﹂のむすが分らない、むすめなら分るが――などと云つたさうだ。 ﹁とても、話せないです、なア﹂と、松本は附け加へて、今度は後藤男爵のことに移つた。そして、渠は漢詩を作るので、それに見識あるをほのめかしつつ、男爵の詩の拙劣な例などを擧げた。 ﹁然しあの人は﹂と、義雄は多少自分の好きな者を辯護する樣に、﹁今では、伊藤さん、大隈さんに次いで、面白い役割りを持つてゐる人物でせう。﹂ ﹁なアに、まだ膽ツたまが出來ない。﹂ ﹁その點は無論さうです﹂と答へた。義雄もそれは考へてゐることであるから、その一例として、この男爵が滿洲の金貨本位を提出した時、伊藤さんにあたまから叱りつけられたので、非常に頭痛に病んでゐたことを話した。そして、﹁下のものに横わう柄へいで、上のものにぺこ〳〵する間は、あの人もまだ第一流にはなれません、ね﹂と云つた。 ﹁少し僕等は耳が痛いです、なア﹂と、濱野は義雄の右から口を出した。﹁新聞記者をしてゐた時は、さうあたまを下げずに濟んだが、今の商賣ではなか〳〵さうは行かん。﹂ 義雄と濱野とが競馬の話から、樺太馬は小くていいのがない事などを話してゐるまに、向うの方で、孤雲が頻りに扇子を以つて膝をたたきながら、アオウ、アオウと鼓のかけ聲をしてゐる。それに向つた藝者は長唄﹁勸くわ進んじ帳んちやう﹂の初めの合の手を一生懸命に彈いてゐる。 一向歌が出ない。 ﹁出ないぢやアありませんか﹂と、藝者はなほ彈いてゐる。そして、孤雲はまた眞面目くさつた微笑を以つてそのかけ聲ばかりをつづける。藝者はつひに彈きくたびれて、三味をやめてしまふ。 ﹁孤雲先生まだ醉つてゐない、なア﹂と、それを見てゐた北劍は捨てぜりふに云つて自分の席を立ち、義雄のそばに來て、﹁おい、兄弟﹂と、渠の肩を叩く。﹁君と會うたのは偶然と云へないぞ﹂と云ひながら、杯の交換を爲し、北劍は、孤雲があのあり樣を通り越して、本當に歌ひ出すまでにならなければ、いつも、出席者全體が充分飮んだとはまだ云へないといふことを説明する。 ﹁妙な尺度が出來てゐるんだ、ね﹂と云つて、義雄は北劍のあひ手をしてゐるところへ、かはり番こに、呑牛が來る、天聲が來る、孤雲が來る。道中最も古株の三面記者で、小説も書けば、俳句も詠よむと云ふ老人が來る。芝居好きでその身しん代だいをつぶし、今は劇評家兼花柳界消息通になつて滿足してゐると云ふ大熊緑紅が來る。 義雄が自分の席を立つて各席をまはつた時、北海新聞の雪影だけその影をとどめてゐなかつた。どうしたのだと、こツそり氷峰に聽くと、席順に不平があつて早く歸つたとのことだ。そして、渠はその理由を説明した。雪影は札幌記者倶樂部から排斥されてゐるもので、自分の機關を利用して恐喝的手段を弄することが甚しく、呑牛第二世と言はれてゐる。呑牛は、氷峰が義雄に語つたによると、曾て刑事と稱して或油屋へ行き、そこの桝が法規に叶かなつてゐないから告訴するとおどし附けて金錢を強奪した爲め、數ヶ月の臭い飯を喰つたことがある男だが、近頃では、そのすたれた名譽を囘復しようとして謹直にしてゐる。ところが、雪影は、また、自分のところに使つてゐたハイカラ女を入れて、自分の妻を離縁し、それを遊女に賣り飛ばした形跡があるさうだ。そして、その新聞の資格から云つても、また最下等である。 然し席順の取り方は確かによくなかつた。同一社をまとめて、その資格のいいのから上席を取つてあるから、雪影はメール社の末輩の下に坐わらせられる樣なことになつた。 ﹁北海新聞は如何に劣等な社であるとしても、雪影は苟いやしくも一社の長である。それが他社の末輩の下座に置かれるのを、潔いさぎよく辛抱するほどまだ墮落してをらない。かう云つて、渠は歸つたのぢや﹂と、氷峰に義雄は語つた。 雪影は歸つたが、その社中の一記者は殘つてゐた。そしてその記者は義雄に向ひ、北海道を巡遊する機會があるから行かないかと語つた。紀行文さへ貰へば、旅費は他に出させる道があると云ふのだ。 ﹁そりやア望むところだから、話の都合によつたら行きませう﹂と、義雄は答へる。 ﹁では、あす相談にあがります﹂と、記者が云ふ。餘り容易な話なので、あの男はそんな話をする資格を持つてゐるかと、義雄が氷峰に尋ねると、 ﹁なアに、今巡じゆ錫んしやく中の本願寺法ほつ主しゆを抱き込んでをるから、それに話すつもりだらう。メール社の相談よりもなほ當てにならぬ﹂と云ふ。 松本議員の方を見ると、緑紅が紙切れと鉛筆とを以つて何か談判をしてゐる。時々、何子、かに子と云つてゐるのを聽くと、別な藝者を寄附させる談判らしかつた。 やがて藝者が代つてしまつた。 孤雲の唄がいよ〳〵初まつた。義雄も、天聲のそばへ行つて、下手な二上りを歌つた。渠はもう歸りたいのであるが、平凡に來て、平凡に歸るのも何だか氣がとがめる樣であつたからである。そして、自分の唄に向つてゐる藝者をその夜の逸物と見たが、所有者のあると聽いた時、何と云ふわけでもないが失望した。 ﹁土地の藝者に土地の男があるのは、何の不思議もない。﹂かういふことを義雄は心で云つて、心をまぎらせるつもりであつたが、この會に依つてます〳〵札幌に親しみが出て來ただけ、自分もかの女を競爭することが出來ないでもなからう――金さへあれば――だが、今の状態で考へると、この歡迎會その物も却つて自分を侮辱するのと同樣だ。いツそのこと、こんな時にこそ何事も忘れる爲めに遊廓へでもつれて行つて呉れるものがあればと思ふ。 ﹁もう、歸つてもよからう、ねえ﹂と、氷峰を捕へて聽くと、 ﹁まア、待ち給へ――今、計畫をしてゐるから﹂と答へる。 やがて義雄と氷峰とは玄關へ出た。 ﹁お帽子は﹂と、女中がまごついてゐるのに對して、義雄は、 ﹁その大きなのだ﹂と、例の麥藁帽を受け取つて、それをわざと阿あ彌み陀だに被る。 ﹁丸で海水浴のお客さん見た樣です、わ﹂と云ふ、女中の笑ひ聲を脊に受けながら、渠と氷峰とはそこを去つた。︵その麥藁帽子のうはさが、渠の殘した歡迎會第一の印象であつたさうだ。︶ 遊園の出口に、呑牛と緑紅とが待ち受けてゐた。そして四人して、歸路を薄すす野きのに向つた。同席の老藝者がひとり、暗い樹かげ道を歸るのがおそろしいのか、義雄等の跡について來て、 ﹁何の御相談です、惡いことはしないで、どなたもおうちへお歸りになる方がいいですよ﹂と云ふ。 それをさきへ行かしてから、四人はなほそろ〳〵語りながら薄野の横手の入り口に行き、新しん川がはおほどぶの石橋の上にしやがんで、行くべきところを相談する。今一人同席の北海新聞記者に出會つたが、それはその黒い影を三等小路の方へ消してしまつた。 實は、誰れも金を持つてゐないのだ。どこは知つてゐるが、借金になつてゐるから行きにくい。かしこは面白いが、矢張り借りて置くことが出來ない。こんなことを云つてゐるので、義雄は氷峰から工面して貰つたのを提供すると、呑牛と緑紅とは角の中ちゆ店うみせを決めに行つた。 月の光に、あたりの柳の枝がゆらいでゐるのが見える。橋のたもとからは、カンテラをとぼした露店の燒きもろこしのにほひがして來る。義雄は、このにほひが全身を以つて嗅げる限り、自分の神經は、他のもの等の習慣的に鈍り切つたのよりも、また鈍り切らないまでも部分的なのよりも、まだ〳〵鋭敏に全人的な努力をしてゐるのだと心丈夫に思つた。 ﹁何をしてやがるのぢや﹂と、氷峰は獨り言の樣に、二人の周旋者のぐづ〳〵して歸らないのを、待ち遠しさにつぶやき、﹁然し、君﹂と、義雄に向つて云つた、﹁けふの樣な會は北海道に初めてぢやぞ――東都文士の團體を歡迎したことはあるけれど、個人の文士をこんなに歡待したことはなかつたのぢや。﹂十二
とまつたのは義雄、氷峰、緑紅の三人で、呑牛は午前一時頃まで飮んで歸宅した。これが渠の近頃の慣例ださうだ。 呑牛はもと人數倍の遊び手であつた。渠としては、三四日のゐつづけなどは珍らしくなく、遊女屋から毎日、新聞社へ通勤した時代もある。また、行あん燈どん部べ屋やに一週間もほうり込まれ、﹁行燈部屋日記﹂を書いたこともあるさうだ。 それが、近頃、酒こそ飮め、決して細君以外に關係したことがない。或人は腎じん虚きよしたのだと云つてゐる。然しまた或人は、若い細君が盛んなので、それ以上に堪へることが出來ないのだと云つてゐる。 そんな人間が多くあるのを、義雄は北海道に來てから知つてゐるので、呑牛がどちらであつても、左ほど氣にもとめなかつた。然し渠は、朝になつてから、渠に向つて呑牛の相方が語つたことを耳じて底いに殘した、乃すなはち、かうだ―― ﹁高見さんは感心になつたの、ね――あの甚助と云はれた人が、奧さんを貰つてから、一度もとまつたことがありませんよ。本當に感心、ね。﹂ 義雄がそこを出る時、そこの電話を借りて、小樽の森本春雄と五分間の話をかはした。いよいよ明日頃は函館へ行くかといふこと。行けば、雜誌の問題をしツかりやり給へといふこと。それから、共同談判は大體うまく行きさうかと聽くと、まだ何とも分らないから、さう當てにしてゐては困るといふ返事である。 ﹁僕の方は君等の話を實際當てにしてゐるのだから、これもしツかりやつて呉れ給へよ﹂と云つてゐるうち、話は變つて、 ﹁君は今朝の小樽新報を見たか﹂と聽かれたので、 ﹁まだ見ない﹂と答へると、 ﹁君のことが載つてゐるぞ﹂と笑ひ聲だ。 それで五分間は切れてしまつた。氣になるので、早速氷峰に從つて北海實業雜誌社に歸り、小樽新報を探してゐると、氷峰が、 ﹁このことだらう﹂と云つて、北海メール第一面の文藝欄に出た義雄の談話筆記﹁自然主義の三派﹂を見せた。 ﹁いや、それとはまた別なことらしい﹂と、義雄がなほ探して見て、發見したのは小樽新報の欄外に出た﹁小説家田村氏の二十錢談判﹂といふのだ。樺太の新聞からの拔萃で、トマリオロの宿屋に於いて、隣室にとまつてゐたごけ志願者を僅か二十錢の違ひで買ひそこねたとある。 義雄はその意外なのに驚いた。然しそれに類似した事實はあつたので、實は、かう〳〵云ふのだと、氷峰に向つて辯解した。氣があつたのはあつたのだが、非常に毒がありさうなので、本氣になれなかつたのだ。 その日、メール社から義雄へ雜誌無名通信を讀めと屆けて來た。それにも、渠の私行上の、然し渠自身からおほびらにしてゐることの素すツ突ぱ拔ぬきが載つてゐる。そして、 ﹁渠が旅行に出る度毎に女を拵らへて來ないことはない﹂とある側かたはらに、誰れかのいたづらで、 ﹁而して歡迎會の歸りに女郎買ひをした﹂といふ朱書きがある。 さういふことを綜合して見て、義雄は當地にゐても自分の周圍が自分の爲めにいそがしい樣に見え、多少その意氣込みが揚らないでもなかつた。そして、樺太滯在中にも、東京新滑稽や、東京朝日新聞などに、お鳥との關係を書かれたことを思ひ出した。 然し、一方から考へると、さういふことはすべて過去のことだ。そして、現在の自分は殆ど全く戀もない。殆ど全く無一物である。無内容である。 この寂しい空疎に思ひ及ぶと、せめては早く弟の返電にでも接したくなる。然しそれも、今まで來ないなら、來さうにもない。 ﹁多分、まだ仕事の發展が出來ないのだらう﹂と思ふと、義雄はこの誘惑の多い地方に空しくとどまることが出來かねる樣な氣がして、心はゐても立つてもゐられなくなる。十三
北海實業雜誌社の隣りの娘お鈴はよく氷峰を目あてに社の茶の間へ遊びに來る。氷峰も必らず一度はそこへ顏を出すが、雜誌原稿の校正やら、順序取りやらにいそがしいので、お君が話し相手になつてゐる。 社のお君もまた屡々隣りへ遊びに行く。 義雄は、退屈まぎらしに、よくこの二人の娘にからかつて見たりする。お鳥がやつて來れば、いづれも、同じやうな年頃の友達だと思ふからである。然し渠等は義雄を叔父さん扱ひにして、氷峰に對する樣なみづ〳〵しい態度を取つて呉れない。 素しろ人うと娘むすめなどは、とても、この場合、自分を慰ゐし藉やして呉れるものではないのだらうと、義雄は考へてしまつた。 實は、お鳥の手紙を受け取る前に、渠は東京の友人なる或婦人に云つてやつたことがある。誰れか一人自分の愛婦に出來る婦人を見つけて呉れ。樺太へ一緒に行つて貰ひたいのだ。自分は、もとの愛婦に棄てられてから、實は寂寥で溜たまらない。若し自分の經歴と性質とをあなたの見た通りに、ありの儘に説明して、多少でもそれが分るものであつたら、成るべく年の若い美人の方がいいが、どんな家業の女でもいい。 ﹁あの老紳士の妾になつてゐて、それと手を切りたいと云つてゐた青森の女はどうしました?﹂かう云ふことを思ひ出して、その人でもいいからと書き、自分は今の場合どんな女にでも、向うが愛してくれさへすれば、降服してゐるだらう。決して尊敬を缺く樣なことはない。 ﹁それに、妻子があつても、御存知の通り、自分はそれに全く愛情を持つことが出來ない。﹂表面は有婦の夫だが、精神的には、今囘見つかつたものが本當の妻になれるのだ。 かういふ意味の義雄の照會に對して、そのをんな友達から返事が來た。然しそれはやはらかな冷罵を帶びた斷わりの返事だ。 ﹁今度初めて田村さんのよわ音ねを伺ひました﹂などいふことがあつて、如何に精神的にはさうでないとも、女として自分が人の妾同前なものを世話することは出來ない。それに、あの青森生れの婦人はどこへ行つたか分らない。お望みの種類の女なら、そちらにも澤山ころがつてゐようではないか? あなたの平生の手腕を振ふところはこの場合だ、といふ樣なことがある。 こんな斷わり手紙でも、優しい手で書かれたのだと思ふと、義雄には、實に嬉しい、有りがたい樣に感じられた。 ﹁まさか、外國の戰場へ出かけてゐるのではあるまいし﹂と、渠は思ひ直して見たが、それでも女の言葉が無むや暗みになつかしい。 かう云ふ時に、お鳥の手紙︵樺太からまはつて來たの︶が來たのであつた。それに對する返事の返事には、 ﹁早く歸つて來て下さい。それでなければ、そちらへ行きます﹂とあつた。然し義雄は、また、今少し方針のつくまで待つて呉れろと云つてやつたのだ。 義雄はお鳥を戀しいのは戀しいが、もとの樣にかの女に忠義立てをするほど誠實ではなくなつてゐる。もし他に愛する女が出來れば、お鳥などは呼ぶ必要がないとも思ふことがある。 然しそれを見つける道がないのだ。渠は聯想は屡々そば屋、だるま屋までに及ぶこともある。然しそんなところへ行くにも餘り無一文である。 渠は殆ど全く氷峰の食客になつてしまつた。 氷峰の急がしさうなのを見かねて、義雄は校正の手傳ひなどをしてやり、それに飽くと、有馬の家へ行くが、勇夫婦とは氣が合はないので、多くは市中を散歩する。そして、散歩の途中で行き違ふ艶ツぽい婦人は、すべて渠に餘り澄まし込んでゐる樣に見え、八百屋の百姓馬子と露店の燒きもろこしや林檎などが渠に最も親しみを感じさせるのである。 義雄は人間を離れて自然も天然もないと云ふ樣な考へを持つてゐながら、何となく人間がいやになつた樣な氣がする。渠は自己の存在を發見するところには必らず苦痛と悲哀とが伴ふことを承知してゐる。それが自己を逸して天然を親しみたくなるのは、明かに自己の自殺であるとは考へてゐるが、どうせ燒け死にをしてもかまはないのだと云ふ氣になると、表面的な天然の誘惑にも平氣で動かされるのが、却つて、自己最後の努力ではないかと云ふ思ひ切りにもなつて來る。 ﹁ああ、人間界を離れて、何の苦もなく天然界に放浪して見たい!﹂かう考へると、樺太西海岸の巡遊は、餘り深い自己の戀愛や事業やの失敗觀がつき添つてゐたので、無念無想的な快味が少しもなかつた。無論、そんな緩みがなかつたのだ。 それに、八月二十三日附けのハガキが弟から來たが、とても、話にならない。義雄からの電報並びに手紙は確かに受け取つたが、今暫く金を送ることは待つて呉れろ。テイヤ、ホロドマリ、兩製造場に於いて、まだ仕事を初めない。本年は風波の日が多く、昆布採集の方がまだ終らないが、もう、蟹があがる日も近いだらうから、とあるだけだ。 ﹁ええツ、駄目だ、駄目だ! 渠等はその間何をしてゐるんだ﹂と、渠は大きく獨語したが、何もしないで、渠等はただ喰つてばかりゐる間拔けさ加減を思ひ浮べた。 ここにゐて、遠いあちらのことを思ふと、飛んで行つて、殘餘の仕事を切りあげさせたくなる。然し切りあげさせるにも、多少の準備をこちらからして行かなければ、向うに借金があるので、無事に歸つて來ることは出來ないにきまつてゐる。 成り行きにまかせるほか仕かたがない。 自分は寧ろこの重り重つた心の荷を全くおろしてしまつて、一つ、北海道中をまはつて見たい。さうすれば、氷峰や勇の家を煩はせることもなく、そしてそのうちには樺太の方も何とか方針がきまつてしまふだらうと思ふ。 かう思ふと、かの北海新聞記者が、歡迎會の席で語つたことをそのままにして、何の挨拶もなく、渠ばかりが本願寺法主と共に巡囘してゐるのが羨ましい。然しまた考へて見ると、自分は、坊主などを取り込んで、自分の慾を滿たすほどまだ墮落はしてゐない。 北海メール社を動かすに限ると思つて、義雄は或夜巖本天聲の宅を音づれた。子分らしい青年記者が二人も來てゐて、自分等も文學者になりたいが、どうしたらいいだらうと云ふ樣な質問である。 義雄は渠等に忠告して、文學者などにはわけもなく成るものではない。文學者につき添ふ貧乏はなか〳〵辛抱し切れない、途中で商賣換へをする位なら、初めから他に向ふ方がいい。同時代の友人が立派になつてゐる方向へ、――どの方向にも、友人はあるものだが、――中途から向つて行くのは、われながら間の拔けたものだといふ、自分の現在の經驗談をして聽かせた。 そして、一人の青年の如きは、あたまが惡いので、文學でもやつたらと決心したのだと云つたので、義雄は非常に怒つて、﹁あたまの惡いものが緻ちみ密つな文學などはなほ更ら出來る筈はない――巡査か郵便配達を志願しろ﹂と警告した。そして、隣りの庭を隔てた家から、長唄と三味線の聲が聽えるのに心を奪はれ、 ﹁いつも聽いて痛快なのは、三味線の人間らしい聲だ、ねえ﹂と、渠は天聲に語る。そして旅行の問題に移つた時、天聲は、﹁パスもあることだから、何とか相談して見よう﹂と答へた。 八月二十九日の夕かた、小樽の森本が義雄を訪問して來た。義雄はその時生あい憎にく留守であつたから、會ふことが出來ずにすんでしまつた。 然し、函館から歸つたのに相違ないから、その翌日、義雄は樣子を見に小樽へ出かけた。 小樽は北海道中最も商業的な都會で、金融機關が最もよく備はり、人間も亦最も多く活動してゐる。函館の繁華は昔の夢であつて、今は、その繁榮を小樽に奪はれてしまつた。札幌を純粹な官吏町とすれば、小樽は敏活な活動地である。 巡歴畫家などが行つて、得意げに包はう一いつがどうだの、應擧がどうだの、雅邦がどうだのと説明しても、そこの主人は感服して聽いてゐると思つたら間違ひ――話の途中をもかまはず、思ひ出した樣に番頭に聲をかけ、 ﹁おい、店の方へ米五俵とどけたか﹂と云ふ樣なことを云ひ出す。などとは、義雄が氷峰から聽かせられてゐた。 松田の家は花園町にあり、四角に室をめぐらした二階建てで、中庭――冬になれば、雪が軒までも埋めてしまふ――に向つた廊下のがらす戸は、如何にも巖がん丈ぢやうで、うつたうしい日のつづく冬籠りの状態を思はせる。 主人は、函館から歸つた翌日、直ぐまた樺太の大おほ泊どまりへ渡つたさうだ。同所に、九月一日から三日間、樺太建たて網あみ漁業家の大會が長官によつて招集されたからである。建網漁場入札税金の引き下げ、漁網の間隔擴張、漁期の延長、雜漁者の刺し網制限等、諸問題の爲めに建網家等が隨分強硬になつてゐるのを、長官はこの大會で相談的に融和折衷しようとするのだ。 森本も亦けふにも、あすにも、電報の來次第、應援に出かけることになつてゐるさうだ。渠は、無論、主人の命令通り動かなければならないからと義雄に語つた。 玄關のがらす唐戸を這入つた十疊敷きの室の横にある帳場の格子前で、義雄は渠と對坐して對談した。 第一に、漁業雜誌の方は人々が不賛成ではないが、維持金を出すだけの熱心がないので、駄目だといふことが分つた。次ぎに、義雄がその前から頼んで手紙で聽いて貰つて置いた事件――乃すなはち、樺太西海岸の某漁場にたツた一個ある引き上げ蒸氣機械︵所有主は今北海道の福島に歸つてゐる︶を、本年の十一月から來年の漁業期前まで、木挽機械に使ふのを許して呉れないかと云ふ件――は、使用者さへ確かな責任あるものなら、貸してもいいと云ふ返事が來たことが分つた。 然しこの件は義雄が副業として材木屋もしくは鑵箱鱒箱製造を始める時の必要であるが、その先決問題であるべき鑵詰製造協同の件はまだ曖昧であるのだ。森本の主人が向うから歸つて來なければ、分らないと云ふのだ。 ﹁もう、どうでもいい。﹂などと、心では當てにしないが、結局を聽くまでは、相談しかけたことだからと思ひ、義雄は詳しい豫算書きを森本の手帳に控へさせた。 固定準備品――二百圓、ゆで釜並びに附屬品一切。八十五圓、チンプレス。七十五圓、切斷器。三十圓、切り搾り。十八圓、三本ロール。三十二圓、底締め。十一圓、胴附け。二十五圓、鍛冶屋道具。五圓、臺ばかり。計、四百八十一圓也。これは先づ三四年間は大丈夫つづく物だ。 消費品︵百箱、四千八百鑵に附き︶――二百四十圓、蟹二千四百疋。百九十二圓、空鑵並びにハンダ。五十七圓六十錢、硫酸紙、ニス。鏝こて、並びに炭代。四十八圓、箱代並びに荷造り費。その他に、工場費――九十六圓、男五人、女十人の出でめ面んち賃ん。運賃︵小樽まで︶――三十圓。計、六百六十三圓六十餞也。 それに對して、百箱の收入千圓也とした。そして原料を多く買ひ込み、出面の人數をふやしさへすれば、仕あがりの箱數が多くなるから、それだけ利益も亦多くなること。蟹一疋に附き、マオカで二十錢から二十五錢もしたのに、少し不便なオタトモでは始終八錢の値段を保つてゐたが、それも雜漁者數名を抱へて置けば、ずツと安い割合になること。ここ三四年で蟹は取り盡されてしまふかも知れないから、やるものは充分機敏に早くやらなければならないこと。などを附言した。 森本はそれに向つて頻りに考へをめぐらし、一年、二年、三年と、金利などをも見込んだ上、﹁年四割も利益のある仕事は餘りない、ね――まア、よく相談して見るから﹂と、その話はそれでおしまひになつた。 巖谷一六の筆で、﹁疎そに而して不もら漏さず﹂と書いた大きな額がかかつてゐるのに氣が附いた。魚がどんな惡いことをしたのか知らないが、天てん網まうの恢くわ々い〳〵を漁網の嚴密なのに持つて行つて、漁業家の主人を世俗的に喜ばせた筆者の氣轉が思ひやられる。 ﹁小樽の街でも歩いて見ようか﹂と、森本が云ひ出したのについて、 ﹁行つてもいい、ね﹂と、義雄は答へる。 ﹁では、ちよツと待つて呉れ給へ――けふ、二萬五千圓の鰊糟を取引きすることになつてゐるのが、晝を過ぎても音沙汰がないから﹂と、森本は電話口へ行つて、その本人を呼び出し、いつ頃來て呉れるかと云ふことを尋ねた。そして、﹁けふは日が惡いから、あすにすると、さ﹂と云つて、出て來た。 それから、二人して小樽のでこぼこした有名な石ころ道を歩み、街をまはつてから、山の公園地にのぼつた。後ろの方に、氷峰にうち込んでゐる女の住むと聽いた新遊廓が見える。前をのぞむと、洋々たる海だ、大規模の築港も、半ば完成してゐる。 ﹁小樽には、天然セメントの出る山があるので、築港にも非常な便利です﹂と、去さる十五日にここを汽車でとほつた時、同行者の一人が聽かせて呉れたことを、義雄は今思ひ出した。 森本と共に、海に向つた山上の茶屋に休み、林檎をむきながら、よも山のことを物語る――多くは樺太に關する話だ。 その話を聽き、また海上を浮ぶ汽船のうちには樺太へ往來するのもあると思へば、義雄の現事業地もたツた一晝夜の隣り――ただ海一つが隔てだ。然しその海が、渠自身の心中の缺陷と同樣、今では最も越え難い。 海の悲風が慘憺として自分の胸に吹き入る樣な氣がして、義雄は自分の足で自分を踏んでゐる絶體絶命の位置を深く感ぜざるを得ない。 ﹁苟いやしくもこのまま死んでしまはない以上、どうしても、この悲痛を實現する一大事業をしたい。﹂かう、心で叫びながら、自分も一つセメントの山でも發見したい。さう云ふ有形的な仕事が出來ないなら、無形的でもいい――たとへば、死といふ無内容物を轉じて、自己その物と同じ現實的存在物にして見たい。 かういふ空想に耽りつつ、義雄は一方に森本の極ごく皮相的な、一般世俗的な事業觀や處世觀を聽くと、自分の自慢ではないまでも、大音樂の前で蚊が呻うなつてゐる樣に見える。二萬圓が三萬圓、百萬圓が千萬圓でも、音樂としては、蚊ほどの聲しか立てることは出來なからうと、義雄は思ふ。 ﹁僕だツて、あんな僻地にいつまでも束縛されてゐる氣はないから﹂と云つて、森本が獨身の間はどこへでも飛び歩けるが、結婚でもすれば、東京か北海道で定住する樣な仕事を見つけるつもりだとうち明けたのに答へて、義雄は、 ﹁僕も樺太は樺太として、北海道で一つ何かしたいと思つてゐる﹂と、自分は北海道を知らなかつたから、あちらへ先づ手を出したが、知つてゐたら、直ちにこちらへ來たのだらうと云ふことを語つた。そして、 ﹁それにしても、あちらの方がうまく行かなければ困るから、よろしく頼むよ﹂と云つて、山を下つた。 森本の誘ふままに玉突屋へ這入つた。義雄は久し振りのこの遊びで心も活溌になるだらうと思つたが、さうではなかつた。そして渠は森本にさん〴〵負けを喰つた。 それから、松田の家にちよツと歸つてから、晩餐の爲めに、森本はその裏の料理屋へ義雄を案内した。先づ、前者は中央公論を開らき、 ﹁先刻話したのはこれだよ﹂と、後者に見せる。見ると、九月號豫告のところに﹁田村義雄氏の人生觀並びに藝術觀を論ず﹂︵百五十枚︶とある。 ﹁これが出たら、そしてもう二三日で出るのだが、また答辯する必要があるだらう﹂と、義雄は云ふ。 藝者が來て、酒がまはつてから、義雄の重苦しい心も漸く多少の愉快を感じた。十四
松田の家に一と晩とまり、翌朝になつて思ひ出したが、義雄が小樽から樺太へ渡る時、ふちの堅い麥藁帽と袷あはせとを旅館に預けて置いたのだ。渠は冬の鳥打帽を被かぶつて行つたのであつた。 渠はその旅館に行き、帽子を取りかへ、袷を受け取つて、札幌に歸つた。然しいい首尾もないので、氷峰の家の敷居を跨ぎかねる樣な氣がした。 ﹁どうも思ふ樣にはか取らないものだ、ねえ﹂と、義雄はつく〴〵考へ込んで氷峰に語ると、渠も一と晩見ないうちに急に痩せたかの如く、しをれた樣子をして、 ﹁僕の方もあしたの拂ひに困つてをるのぢや、金主に現金もなく、融通もつきさうでないから﹂と云ふ。そして、それが出來ないばかりか、社員の給料も出せないし、印刷屋の前借約束も履行しかねるし、從つて雜誌全體の果はか取どりもうまく行かない恐れがあるといふことを語る。 晝から有馬の家へ行けば、夫婦であすの月末拂ひを六ヶ敷さうに勘定してゐる。 義雄は、自分の心の重苦しい代りに、渠等の樣な家持ち、所帶持ちでない身を自由で、輕快なものだと思つた。そして、勇の細君お綱さんが、どこかへ行つて來たのか、お白いも濃く、衣物も綺麗なのを着てゐるところを見ると、不斷とは違つて可なり別嬪に見えるといふ樣なことを考へた。 然しまた雜誌社へ歸つてから、考へて見ると、自分は當てにすべからざることを當てにしてゐるのだ。樺太のこともさうだ。小樽のこともさうだ。東京の家の處分のことも、賣れるか、賣れないか分らないから、さうだ。氷峰の安受け合ひも、この有樣では、さうだ。 跡に殘る問題はただ一つメール社の巡遊相談で、それも當てにはならないが、今一應念を押して置かうと思つて、天聲を社に訪問すると、パスが旭川支社へ行つてゐるから、手紙を出して置いた、二三日待つて呉れろとの返事だ。 さう〳〵煙草錢を氷峰に出させてもゐられないから、 ﹁僕もまた原稿書きをやらうか﹂と、さし當り新らしい物を書き出す勇氣はないので、義雄は自分が東京出發前後に書きかけた小説――面白くないので、中絶してあるの――を取り出し、讀み返して見る。 矢張り面白くないのは面白くないから、これは跡まはしにして、手帳に控へてある散文詩十篇を清書し、﹁樺太雜吟﹂と題して博文館へ送つた。それから、小説の方もまた一氣呵成に書き足して、これは餘りいい舞臺にも出せないので、秀才文壇へ送つた。いづれも、稿料は直ぐ電報がはせで頼むと添へ書きして置いた。 ﹁なか〳〵かせぎ出した、なア﹂と、氷峰は冷かす。 ﹁なアに、何ほどにもなるものぢやアない﹂と、義雄は投げ出す樣に云ふ。十五
雜誌社では、すべての月末拂ひが出來なかつた騷ぎだ。 氷峰の俸給が貰へないのだから、渠自身の私經濟が始末出來なかつたのは勿論、社員のうちには、あすから家族に喰はせる米がないと云ひ出すものもあつた。印刷屋はまた當てが違つて、職工に給金が渡せないから、職工が働かなくツて困ると、押しかけて來た。 氷峰は後ろ鉢卷きでおほ悶えの體ていだ。 ﹁男めかけにでも行つて、一つ工面をして來こようか、なア﹂と、渠はそばにゐる義雄に冗談半分でだらうが云つた。それから、また、押しかけてゐる印刷屋の主人に向つて、﹁どうせ、僕を責めたツて金の出ようはないのぢやから、社長へ行つて僕等と一緒に泣きつくより法はない﹂と、智慧をつける。 そこへ、社長の川崎がやつて來た。顏は日にやけて黒いままによく磨かれて、綺麗な艶もある。二枚も金齒を入れ、意氣な銘仙の衣物に、同じ地の羽織、白縮緬の兵兒帶を締め、指には二つも太い金の指輪をはめてゐる。 ﹁どうぢや、うまく行つたか﹂と、渠は皆の中へ割り込んだ。 ﹁うまく行くも行かんもない。﹂氷峰は鉢卷きをしめ直しながら、﹁社長に活動して貰はにや、とても、やり切れない。社員は飯が食へないと云ふし、澤山君は職工が動かないと云ふし、なア。﹂ ﹁實際、あなたに泣きつかねば﹂と、澤山もそばからおづ〳〵した樣子を見せて、﹁何とも仕やうがないのです。﹂ ﹁そりやア困つた、なア。﹂川崎は快活さうにあたまへ手を載せたが、これまでにもう二千圓足らずつぎ込んで、それがまだ一文も這入つて來ないのだから、少しは思ひやつて貰ひたい。それに、今、現金は手もとに少しもない。と云ふことなどを話した上、兎に角、五日まで待つて呉れ、澤山の方だけはどうかするから、社員の給料は廣告約束の前金を取つて拂へとのことだ。 渠はこれから山に行かなければならぬと云つて歸つた。澤山も兎に角安心を得て歸つた。氷峰はその跡で社員と共に﹁廣告控帳﹂を繰つて見たが、前金を渡して呉れさうなのは少い。 ﹁全體、八月に出す計畫で發表して置いた雜誌が、九月一日にも後れてゐるのだから﹂と、義雄ははたから小言のやうに云つた。たださへ無謀な事業と思はれてゐるのが一層評判を落して來たので、社員の廣告取りなどを世間が少しも信用しないのは無理もなかつた。 それに、岡部司法大臣が來道して、人を茶化した樣な駄洒落歌を作りつつ、道中を巡視してゐるので、世間はその駄句や逸事の評判に急がしくなつてゐて、道中空前の大雜誌が出ることなどは思ひ出すものもなかつたのである。 氷峰は身づから出馬して、多少の廣告前金を集め、それに自分の時計、冬の洋服、和服などを質に入れたのを足して、社員の最も貧窮したのを助け、また社の日々を維持して行く道を立てた。 五日には、禿はげ安やすと云ふ仇あだ名なのある老人が社へやつて來て、印刷屋へ渡すだけの金を氷峰に受け取らせた。あたまが禿げて、鼻さきの赤いこの老人は、もと、内地の或縣に於いて、縣會議長までしたことがあるが、今は札幌中知らない人がないくらゐなか〳〵喰へない點に於いて名物男だ。金貸しと借り手との間に這入つて、口錢を取るのが商賣で、この人の手にかかつてどんぞこまで失敗しないものはないとまで云はれてゐる。川崎社長は、苦しまぎれに、この人の手を煩はしたのだ。 ﹁社も君の手にかかる樣では、もう、駄目ぢや、なア﹂と氷峰が冷かすと、渠は、 ﹁なアに、まア、精々勉強し給へ﹂と、てんで洒しや々あ〳〵したものだ。そして、﹁君の産はどこ﹂などと義雄に平氣な問ひを發し、碁盤を見て、その前に坐わり、﹁さア來給へ――五目は大丈夫だらう。﹂ 義雄は詰らないと思ひながらも初會を打つて見たが、このほら吹きおやぢめと分つたので、二番立て投げにした。それでも平氣なつらをして、禿安は歸つて行つた。 ﹁今夜一つ川上を見に行かうか?﹂氷峰が云ひ出したので、 ﹁それも面白からう﹂と、義雄は答へた。 川上一座は、先月から函館へ來たついでに、小樽並びに札幌の大黒座で五日づつ、都合十日間、二萬五千圓で賣り込まうとした。ところが、けふ日、もう、お前などの出る幕ではないと、首尾よくはね附けられた。然し他の座持ちに泣き附いて、漸く興行をしてゐるのである。そして、札幌での人氣はよくない。 然し義雄が行くつもりで夕飯後有馬の家からやつて來ると、氷峰はゐない。 ﹁どうしたの﹂と、お君さんに聽くと、かの女は、 ﹁隣りのお鈴さんと芝居へ行つたの。﹂不平さうな顏つきだ。義雄も氷峰の違約に對して不平が出ないでもない。 第一、今夜のとまり場所に困る。氷峰の歸りは、どうしても、十一時過ぎの芝居のはね後だらう。それまで自分は若い女ひとりのところに寢て待つことは出來ない。 ﹁樺太といふところはどんなところでせう?﹂ ﹁いいところですよ。﹂ ﹁一度行つて見たい、わ。﹂ ﹁ぢやア、僕と一緒に行つて呉れますか?﹂ こんな冗談の應對をした跡で、義雄はまた有馬の家へ引ツ返した。 その跡を追ツかけて、意外な客が來た。加藤忠吉と云つて、義雄の古い同窓にして後輩で、今は鐵道の役員だ。 ﹁相變らずちよこ〳〵してゐる、ね。﹂ ﹁うん﹂と加藤はいやな顏をしたが、義雄に昔を思ひ出せる樣なもとの無邪氣に返つて、﹁君のことが新聞に出てゐたから、尋ねよう〳〵と思つて――それも急がしいので、延引してゐた。けふメール社へ電話をかけて聽いて、今、あの雜誌社へ行つたのだ。﹂ ﹁久し振りだ、話さう﹂と、義雄は渠をつれて、有馬の家へあがつた。 義雄は加藤を有馬の客間に招じ、勝手にがらす窓を明けて涼しい夜風を通し、渠を勇にも紹介した。 ﹁君がまだこちらにゐるとア夢にも知らなかつた。もう、かれこれ十四五年だらう――どうだ、地位はいい加減進んだらう?﹂ ﹁なアに、まだ一部の掛り長だ、俸給と手當を入れて、月小百圓ばかりだ。﹂ ﹁まア、それでもいい、さ――しツかりやり給へ。﹂ ﹁いつまでも、こんなこツちやアやり切れないよ。﹂ ﹁然し結構です。﹂勇は口を挿み、﹁僕も十何年一日の如く勤めてゐるが、教師などア、君から比べると、縁の下のちから持ちだ。﹂ ﹁いや、お互ひです。﹂加藤は勇をあしらつて、義雄に、﹁君の教師はよしたのか?﹂ ﹁よしたとも、今は﹂と、義雄はほほゑみながら、﹁鑵詰製造屋、さ。﹂ ﹁さう云ふことを新聞で見てゐたが――﹂加藤は云つて、樺太などよりも、北海道の方が仕事をすれば澤山出來る餘地があることを、あれやこれやと語つた。そして﹁今、牧ぼく草さう地ちにいい場所があるが、ね、賣つてもよし、貸してもいいが、成るべくは協同でやりたいと云ふんだ。﹂加藤がかう云つた時、義雄は身振ひするほど喜んでその話を聽いた。 牧草のことにも義雄は多少考へを向けてゐたのだ。都合いいものなら、それを目あてにして、手近くは小樽の森本に謀り、それで行かなければ、東京の一二の知人に相談をかけて見たいと思ふ。農業や牧畜などよりも、ずツと容たや易すい仕事であるからである。 加藤の云ふがままに、手帳に控へて行くと、或川添ひの未開墾地、毎年一度水があがるから、水田にもいいところ二十五町歩。買へば、水田として一反歩六圓、總計千五百圓也。借りれば、借地料、一年二百五十圓也。開墾費並びに牧草種代その他一千二百五十圓也。︵一反歩、五圓の割。︶收入、初年一反歩に附き三圓、總計七百五十圓也。二年目は却つてなし。三年目から、毎年、一反歩一噸十八圓、二十五町歩につき四千五百圓也。 そして、牧草は軍馬の増加に對して不足なので、陸軍省は近頃その培養を奬勵してゐるから、一噸十八圓で直接に糧りや秣うま厰つしやうへ賣り込むことが出來ると云ふ説明を聽き、 ﹁よし、一つ考へて見よう﹂と、義雄は加藤に受け合つた。そして、﹁僕もあツちの事業があやしくなつてゐるので、何か一つこツちで見つけなければならないから﹂と、附言した。 ﹁一杯飮みに行かうぢやアないか?﹂加藤が義雄を引ツ張り出したので、勇は、玄關まで送つて來て、 ﹁今夜、こツちでとまるか、ね?﹂ ﹁島田君が芝居へ行つた留守だから、こツちへ歸つて來るよ。﹂ ﹁なアに、醉つたところでとまる、さ﹂と、加藤が云つて、勇の方に向ひ、﹁しめ出して置いても大丈夫ですよ。﹂ ﹁田村さん、成るべくお歸りなさいませ、さうお遊びになると、やめられなくなりますよ﹂と云ふ、お綱さんの聲が聽えた。十六
その翌日、午後二時頃、雜誌社に行き、玄關のがらす戸を明けても、けふに限つて、來客を出迎へに來るものが來ない。 義雄はいつもの通り默つて靴脱ぎをあがり、そこの障子を明けると、お君が事務室から編輯室をいそいでとほつてらしい、いやな目つきをしてこちらを見ながら、茶の間へ來るのが見えた。 事務室には、氷峰がひとり仰あふ向むけに寢ころんで、暑さうにうちはを使ひながら、これも、義雄を見て、變な顏をしてゐる。 義雄は、その場の聯想がちよツと怪しい方面に向つたので、われ知らずをかしいほど顏を赤める。然し、 ﹁まさか﹂と、心で思ひ直して、﹁どうしたと云ふんだ?﹂ ﹁なアに﹂と、氷峰は身を起しながら、﹁妹に芝居をねだられてをつたのぢや。﹂ ﹁うそですよ、田村さん。﹂お君は奧の方から聲をかける。﹁わたしはねだりません。兄さんが自分で他人ばかりよくして、お前をつれて行かないのは氣の毒ぢやから、一度一緒に芝居に行かうと云ふから、そんなら今夜つれて行つてと云うたのですよ。﹂ ﹁どちらでも同じでないか?﹂ ﹁わたしは誰れかの樣にねだりませんよ﹂と、お君の聲は冷淡なうちに多少の熱があるらしい。 ﹁然し、お君さんだツて﹂と、義雄はその中を取つて、﹁行きたいのは當然だ、ねえ﹂と云ひながら、今まで二人は一種の祕密な情を以つて押し問答してゐたのだ、な、と想像した。 ﹁實は、君に失敬であつたが﹂と、氷峰はバツトの箱から兩切り煙草を出しながら、聲を低め、 ﹁ゆうべ、隣りのと行つたのぢや。はねは十一時頃であつたが、途中できやつがすね出したんで、あツちへ行つたり、こつちへ行つたり、さ――歸ると云つて見たり、歸らんと云つて見たり――どこかへちよツとつれ込めばよかつたらうが、僕はまだそこまで決心してをらぬから、他日若し拒絶する樣なことがある場合の邪魔を殘しても困るで、なア――人通りのない街をただぶら附いて、一時頃に歸つたのぢや。﹂ ﹁然しさうじらして置いて、いよ〳〵本物の色氣違ひにでもなつたら、可哀さうぢやアないか?﹂ ﹁大丈夫、さ。お君の件もさうぢやが、年頃の女といふ奴ア、思ひつめると、死ぬほど熱心にもならう。然し、また、獨り手にさめて行く時があるものぢや。思はれたが最後、それを待つてをるより外に、逃げる道はなからうと僕は思つとる。たとへば、お君は今大分さめて來た時で、お鈴は今熱した絶頂に達してをる時ぢや。﹂ ﹁さう云ふ風にあしらつて行けるなら、君もなか〳〵えらいよ。﹂ こんな話があつてから、氷峰は、きのふ、物もづ集め北劍が來て、義雄に會ひたいと云つてゐたことを語る。 ﹁何の用だらう?﹂ ﹁何か未墾地のことに就いてだ、君が牧草培養の話をしてをつたからと云うて。﹂ ﹁ぢやア、これから行つて來こよう――實は、ゆうべ、鐵道に出てゐる舊友に會つたら、牧草地に適する賣り物があるといふ件もあるから。﹂ 大通り七丁目の角なる板長屋の一つは、古くから物集北劍の質素な住ひである。 北辰新報失敗以來、借金の跡始末の外に何の用事もない主人は、そとでは、自己本籍の所在地部落合併の問題に盡力し、うちでは、朝顏を培養して樂しんでゐる。渠は酒好きで、いくらでも飮むが、何の藝もない。その藝のない無骨な點に惚れ込んで、今の細君は來た。もとは客を振り飛ばすことが有名な女郎だが、渠ばかりには心からうち込んだと見え、北辰新報の難局時代には、かの女の部屋の金屏風までも質屋へまげてしまつた。お豐と云ふが思ひ通り夫婦になれた今日では、自分が資本家ででもあつた樣に、 ﹁もう、新聞發行などはいやです、なア﹂と云つてゐる。ヒステリ的に痩せてはゐるが、顏に美人のおもかげは殘つてゐる。北劍の盛んであつた時は、かの女が渠の部下なる記者氷峰に――慰勞のつもりで、わざ〳〵、――薄すす野きの遊びの資をつぎ込んだものだと義雄は聽いてゐた。 ﹁物集君の細君には僕も隨分世話になつたよ﹂と、氷峰は度々語つた。 北劍はお豐を縁がはに呼び寄せ、自分の造つた朝顏の鉢を友達に分配する相談をしてゐた。その標準は、早起きのものにいいのをやり、寢坊のものにはさういいのをやる必要がないと云ふにある。お豐さんは、 ﹁島田さんなどは、寢坊の隊長ですから、よいのをあげるに及びません、わ﹂と云つてゐた。 そこへ義雄が行き合はせたので、朝顏の話から始まつて、北劍が釧くし路ろに經營させてある牧場のことや放はう牧ぼく馬ばのことに移り、それから、義雄の話し出した牧草のことになつた。 ﹁ゆうべ、かう云ふ話を持つて來た友人があるが、どうだらう﹂と、義雄は手帳を出して、その控へを北劍に見せる。 ﹁川添ひで、水田――どこか知らんが、そんなよいところが殘つてゐる筈がない﹂と北劍は考へながら、﹁あつても、一反歩六圓とは既墾成功地の價格ぢや。それに開墾費、少くとも三圓を見込むと、八圓――高い、高い。﹂いツそ、この方が見込みあるか知れないと云つて、渠は一と綴ぢの書類を出し、近々やられる成功調査を金のない爲めに無事通過し難がつてゐる未墾地、二百三十萬坪ほどが天てし鹽ほにあることを説明する。そして、 ﹁ちよツと木を切つたり、柵をめぐらしたりする金が二百か、三百あれば無事なのぢや――何とかして見たら、どうぢや﹂と云ふ。 ﹁ちよツと當てがあるから、では、その方を當つて見ようか﹂と、義雄は答へて、それもどうだか分らないが、小樽の松田へ先づ相談しようと自分だけで決める。 ﹁當つて見給へ、君もその土地の一部分を貰へれば、それを土臺にして、牧草培養も容易に出來るのぢやから﹂と、北劍はそれからまた牧草談に移り、面白い事實を語る。或退職軍人が坊主になつて本道に來たり、人助けの爲めだと云つて、頻りに牧草培養の利益を傳道した。それが爲めに、本道にクローバ、ルーサン、チモシ、ケンタキなどの牧草が非常に増加した。すると、間もなく、日露戰爭が起つて、糧秣厰は充分な買ひ上げをした。そして、その坊主は多分その筋の命を受けて、牧草を奬勵したのであつたといふことが分つた。 ﹁北海道には、まだ不思議なことが多いよ﹂と、北劍は義雄の感服してゐるのに輪をかけた。 ﹁あなたのことが東京の新聞に出てをります、なア﹂と云つて、お豐は前日の都新聞を持つて來た。見ると、義雄とお鳥との惡口が出てゐて、中に這入つた加かし集ふばかりがいい人物になつてゐる。 ﹁こりやア、この加集といふ男か、さうでなけりやア、それが周旋した金貸しかが材料を與へたのに相違ない﹂と、義雄は辯明した。心ではこんな復讎をされるには、自分の東京に於ける家がまだ賣れないで、借りた元金や利子を妻がまだ拂つてゐない、な、と想像できた。 天鹽の未墾地に關して義雄が照會したその返事が小樽から來た。無論、森本の手紙である。 先月末の交渉事件を返事しようと思つてゐるうち、未墾地問題の知らせがあつたから、二つを一緒に返事するとあつて、先づ、義雄の最も多く望みを屬して、小樽までも念押しに出かけた協同問題はすツぱり斷わりだ。 ﹁三四年間に取り盡されるといふ蟹の鑵詰製造の爲めに、如何に奮發して資本金を出しても知れたものゆゑ、松田家の事業としては、餘りちひさ過ぎるといふ理由で、あの問題はお斷わりすることに決定致しました﹂と。 義雄はこれを讀んで、有形的物質的勢力なるものの、自分が豫想してゐたよりも偉大であることを自覺すると同時に、自分の有すると思ふ無形的、内容的現實の、まだ〳〵不充分なことをおぼえた。この場合、渠は勝ち誇つてゐた相撲がきはどいところで脊負ひ投げを喰つたと同樣な恥辱を感じた。 ﹁情けない、なア﹂と、渠は心から叫んだ。無論、その場に人は誰れもゐなかつたからである。 それから、そのあとを讀むと、未墾地の方も、實は、それと殆ど同じ方面に二萬町歩ばかり着手中のがあつて、その處分に困難してゐるところだ。現に、きのふ、成功調査を受ける爲め、雇ひ技師がその地に向つて小樽を出發したが、それが歸り次第、兎に角、一度書類を見ようとある。 義雄はせめてこの土地問題だけでもうまく成功させたいと專らになる。然しこれは、 ﹁また駄目だらう﹂と、默笑に附せられるのを恐れて、勇には話さなかつた。 樺太からの便りも一向ないので、仕事の初まり次第云つてよこせといふハガキを弟へ出した。そして、渠は自分の文句が一便毎に過激な命令になつて行くのをおぼえた。 然し、それと行き違ひに、弟から細かい字で書いたハガキが着した。いよ〳〵仕事を初め出すことが出來る時になつたが、蟹は毎日五疋から十疋、二十疋しか得られない。且、それが一疋に附き二十錢も二十五錢もする。これでは引き合ふ筈がないと怒られるかも知れないが、僅かでも製造しなければ、融通がつかないとある。 ﹁馬鹿!﹂かう叫んで、義雄はそのハガキを疊に投げつけた。そして、その輕い紙に手ごたへがないのを、自分の事業に手ごたへがないのと同じ樣に思つた。﹁駄目だ、駄目だ――僕は、もう樺太を斷念する!﹂ ﹁さう云ふんぢやア困る、ねえ﹂と、勇が云ふのを聽くと、渠は義雄よりもさきにそれを讀んだらしい。 ﹁實に、無禮だ﹂と、義雄は心では怒つたが、ハガキだから止むを得ないことだ。それに、勇は、近頃時々義雄が勇のところにとまるので、義雄のことを心配し出したらしい。それが目に立つほどになつた。東京の家の方がどうなつたのか丸で音沙汰がなく、樺太からも送金して來ない。小樽漁業家の協同問題は駄目になる。すべて初めに云つたこととは違つてゐる。そこへ、またこのハガキだから、 ﹁どうせ、失敗だらうから﹂と、勇は忠告がましく云つた。﹁東京へ歸つた方がよからう――こないだ出したといふ原稿料が來たら、それで歸り給へ。牧草のことなどア、ちよッくり行くものぢやアない。﹂ ﹁そりやア、さうですよ、お歸りになれば、また奧さんのお力にもなりませうから﹂と、お綱さんも調子を合はす。 ﹁何を云やアがる、この所帶持ちめ等!﹂かう思つたが、義雄はさう見せないで、ただやはらかに、﹁歸らなければならないことになれば歸りますが、まだ少し考へがありますから﹂と云つて、天鹽の土地のことをまた思ひ出した。十七
辭令に巧みな壯語男爵後藤遞相を送り、駄だ句くり屋や子爵岡部法相を送つた北海道は、今また伊藤公爵と韓太子とを迎へた。 韓太子が主で、公爵を從にして待遇しようとした河島長官は、衆人稠ちう坐ざ而も藝者などが澤山ゐる中で、公爵から叱り附けられた。そして、如何に太子のお伴でも、自分は自分だから、そのつもりで待遇を怠るなと命令された。 その時の長官の恐縮し方がをかしかつたと云つて、それを實見した人々から評判になつた。そして、伊藤公爵に關する記事は、韓太子のよりも多く、諸新聞に出た。北海メールや小樽新報は勿論、高見呑牛の編輯する北星にも、渠の人物評や戀物語が掲載された。 かう云ふ賑やかな時に當つて、氷峰は獨り新聞界の友人等にかけ離れて、未刊雜誌原稿の校正の爲めに印刷屋へ往復ばかりしてゐる。 渠の好きな猫が、殺されたのか、見えなくなつたので、その代りに、どこからか兎を一對貰つつて﹇#﹁貰つつて﹂はママ﹈來た。書生に命じて、庭の隅に低い板がこひを造らせ、そこへ入れ、博物館構内の牧草などを取つて來て喰はして置いた。晝となく、夜となく、他よ家その猫がいたづらをしに來るのが分つてゐたが、三日目の晩に、大きな音がしたかと思ふと、きゆうツと云ふ低い聲が聽えた切り、二匹ともゐなくなつた。 ランプを持ち出して、皆と一緒に義雄も頻りに隅々を探して見たが見えなかつた。 ﹁きツと、猫かいたちが喰ひ殺したのだ、わ﹂と、お君さんは可哀さうがつた。 その翌朝、皆で厠が臭いと云ひ出したので、よく調べて見ると、その肥えつぼをかき交ぜて、一匹の兎がおぼれてゐた。そのまた翌日、ふと氣がつくと、無言の動物がまた一匹もとの巣のそばにしやがんでゐた。二日立つても道を忘れず、その死んだとは知らないつれを追うて來たのだ。孕んでゐる方の兎だが、喉を痛く噛まれてゐたので、食事を少しもせず、そのまた翌日死んでしまつた。 ﹁兄さん、どうしよう﹂と、お君は自分の妹でも失つたかの樣に泣いた。 その日であつた、氷峰はお君をいつまでも――たとへ、臺どころ仕事をして貰ふには便利だが――とめて置くのは、かの女の爲め並びに自分の爲めによくないと考へついた。そして、かの女のいやがるにも拘らず、山なる長兄のもとへ歸してしまふことに決めた。 隣りのお鈴さんは、話し相手を失ひながらも、これから遠慮なく思ふ人に近づけるのを喜ぶらしかつた。 然し、氷峰も亦他へ轉居する必要が出來た。と云ふのは、社長が會計上の不始末でもあつたら困ると云ふ考へで、自分の選んだ會計掛りをそこへ住み込ませることになつたからである。 ﹁水くさい、なア﹂と氷峰は云つたが、自分も臺どころ掛りを失ふので、下宿屋へでも行く方がいいと決心した。そして、渠はお鈴や義雄と共にお君をステーシヨンに見送つた日、印刷屋に近い、南二條の西一丁目なる鈴木といふ下宿屋へ移つた。 氷峰が下宿屋住ひになつて見ると、義雄はそこへ行つて居候暮しも出來ないから、有馬の家に置いて貰ふことになつた。 獨身者の不しだらな家とは違ひ、夫婦子供が小ぢんまりと暮してゐる家庭へ世話になつてゐるのは、義雄としてはなか〳〵こころ苦しい。 いツそのこと、思ひ切つて、東京の自由な友人間へ歸らうかとも思はないではない。然し、今のところ、歸るにしても旅費さへないので、工面を頼むとすれば、氷峰よりほかにないが、渠も亦今は、社長に束縛されて、着のみ着のままで下宿屋住ひになつたのだ。 ﹁どうしても、原稿を書いて、勇夫婦に安心させて置くべしだ﹂かう考へて、義雄は、その月の一日の中央公論に出た、某氏の自分に對する長論文︵執筆者から送つて呉れた︶の反駁を書き初めた。某氏の論評に對して、義雄の人生觀並びに藝術觀︵これは渠の論文集﹁新自然主義﹂に於いて發表してある︶を辯護する爲めである。 然し某氏の論法が徒いたづらに書籍上の空論に終つてゐるのを見ると、氣の毒なほどみじめな感じがした。義雄は、第一に、自分が青年時代に一たび足を入れかけた學者や宗教家仲間に這入らなかつたのを喜んだ。そしてその時代の同學や知人や感化者にして、今もなほ舊傳習の夢が覺めず、生命もない形式に囚はれ、生きながら死んでゐる渠等の状態を思ひ浮べ、如何にもあはれなものばかりだと考へた。 夏期休業も終はり、毎朝八時から勇が學校へ出かける樣になつたのを幸ひ、渠の書齋に引ツ籠つて、義雄は筆を執つてゐるのだが、ここにはプラトンはない、イムマニユエルカントはない。スヰデンボルグはない、エマソンはない。渠等はすべて義雄の古い感化者である。そして今では渠の思想上に於ける敵である。渠は渠等をそばに控へて、その向うを張るのを正直な誇りとしてゐるのだ。渠等のないのは、渠に取つて、何だか心寂しい樣だ。 然し、その代り、反對的にでもカントやエマソンをそばに控へない放浪の身でありながら、今持つてゐる思想をまとめ得られるのは、自分の精神と神經とに獨創の情想が出來てゐるからであると、自分で心丈夫に思ふ。 ﹁自分の悲痛な思索は自分の直接經驗だ。﹂かう思ふと、自分のこれまでに經て來た幾多の戀、信仰、詩人的努力、家庭の迫害、親不孝、妻子を虐待、友人の離散、失戀、懷疑、絶望、破壞、墮落、自殺未遂、戀愛的事業、生の自覺、悲哀苦痛の現實的體得など、それからそれへと變轉滑脱して來た間にも、自分は終始一貫してゐるのを、自分ながら痛切に感じた。 そして、筆などを以つてまどろツこしい論戰をするよりも、寧ろ自分その物を今のまま論敵の前へほうり出した方が手速い證明だと考へる。 然しただ、東京と札幌と、海山何百里の隔てがこの論戰の筆を渠に執らせるのだ。渠は渠の鑵詰事業に熱中したと同じ覺悟を以つて、構想をめぐらす。 ﹁執筆の意志﹂といふ第一項を書いてから、駁論全體の項目を先づ數へあげて見た。﹁新文藝に平行すべき新哲學いまだ實現せず﹂とか、﹁論者こそ却つて抽象的﹂とか、﹁主義と理想との新解釋﹂とか、﹁論者とカライルと自分との相違點﹂とか、いふのを列擧しながら、﹁現實は自我の無理想的活動﹂とか、﹁解決は死、無解決は生﹂とか、﹁活動は苦痛なり﹂とか、﹁強烈生活は優強者の勝利に歸す﹂とかいふのに至ると、項目だけを擧げたのに對しても、自分は既に自分の現在の本體を活躍させ得たといふ樣な痛みをおぼえる。痛みは即ち自分の眞摯な快樂であつた。 ﹁戀や事業は自己の活動であつて、手段、目的ではない。﹂かう考へて、目的を持つから失戀、失敗が見えるのだが、自分が、強烈に活動してさへゐたのなら、失敗も成功もあるものではない。そして、今の自分ほど強烈な活動を心身におぼえることは少いと思ふ。 渠のこの現實的幻影は二日ばかりつづいた。そして、三十枚ほどまで原稿が進んだ。題名も﹁悲痛の哲理﹂とすることにきまつた。然しその進捗は殆ど忘れてゐたものの記憶を再起したので途絶されてしまつた。 渠は段々の順序に從ひ、家も忘れ、妻子も忘れてゐる。樺太の事業をも忘れてゐる。そしてまたお鳥をも殆ど忘れてゐた。ところが、かの女から、突然、﹁スグイクカネオクレ﹂といふ電報が來た。 ﹁暫らく便りもしないで、人を馬鹿にしてゐやアがる!﹂かう考へて、義雄はそこに心のないほどに冷淡だ。そして、自分のやつてゐることを返り見た。 ﹁この原稿を書き終はつて東京へ送つても、若し出すところがなくツて、稿料が取れないなら、當座の間には合はない。﹂ いくら簡結にしても百五六十枚にはならう。そんな長い論文を出して呉れる雜誌はちよツと心當りがない。先づ、同じ中央公論だらうが、それもさうつづけざまにはどうだか分らない。且、さきに送つた二原稿に對しても、各社は人を馬鹿にしてゐる、留守だと思つて、稿料を早く果はか取どらせて呉れないありさまだ。 北海メールの天聲もさうだ。パス〳〵と云つてゐながら、少しもそれを旭川から取り寄せる手つづきを熱心にやらない。北海道巡遊も、もう、當てにはならないのだ。 ﹁せめて、札幌だけにでも、もツと親しんで見たいものだが﹂と思ふと、ただつツ立つてゐる樹木のイタヤ、ハル楡にれ、白楊樹のながめだけでは、滿足出來ない。また、百姓馬子の八百屋や燒きもろこし屋だけでもさうだ。 義雄はあツたかい抱擁に久しく遠ざかつてゐるのである。十八
渠の目の前を、高砂樓のなじみやら、歡迎會の藝者やら、小樽の料理屋のや、路上で印象を得た女やらの記憶が、度々通り過ぎる。然し、通り過ぎるだけで、直ぐ消えてしまふ。 それが、渠には、闇にとぼつた光が直ぐまた消えた跡の樣に一しほ寂しくて、寂しくて溜らないのだ。﹁いツそ、歸つてしまへ!﹂かう自分で自分に命令した時は、一刻も早く歸京して、あの迷つてはゐる女だが、心の分つたお鳥に、今一度會つて見たいといふつもりになる。 然しお鳥には、ただ冷淡に、自分が歸るか、かの女を呼ぶか、どちらもまだ決しられないから、少し待てといふ返事を出した。そして、別に、親友二三名に向つて、歸りたいが、旅費が出來ないから、送金して呉れろと頼んでやつた。一人を當てたのでは、留守であつたり、出來なかつたりして、間に合はないかも知れないと思つたからだ。 義雄が歸京と決心したのを喜んだのは勇夫婦だ。その日の夕方は、めづらしく特別な御馳走をした。そしてお綱さんが、 ﹁奧さんがさぞお喜びになるでせうよ﹂と云ふと、勇もそれについて、 ﹁僕も惡いことは云はない――さうした方が實際いいのだ。君は越年の計畫も云つてゐた樣であつたが、充分の用意がなくつては、札幌の冬は寒いから、ね。﹂ ﹁なアに、マオカにさへ越年しようとしたのだから﹂と、義雄は少し反抗的に、﹁北海道ではなほ更ら平氣だらうが――﹂勇の家、いや、札幌ばかりが自分の好奇心を引いた北海道ではないことをほのめかして、﹁然し、兎に角、かう軍用金が不自由では、ねえ﹂と微笑した。 ﹁北海道の冬は﹂と、勇もこちらの土地不案内を諷ずる口調で、﹁來るのが突然だから、慣れないと、ちよツとまごつかされる。﹂ ﹁まごつくのは、まごつく奴が惡いのだらう。﹂ 然し、思ひ返すと、義雄は今からも早や多少まごついてゐる形がある。それを氣が附かないほどの人間だと思はれるのが不本意なので、且は、また、自分は決してそこまでうか〳〵してゐるものではないといふことを示めす爲め、二三年前、越年期のマオカで、食糧上の大慘事があつたことを勇に語り聽かせた。 それはかうである――マオカへ初めて來た移住者等のうち、越年の用意に氣が附かなかつた爲め、海がいよ〳〵結氷するに至つてから、あちらにもこちらにも餓ゑを叫ぶものが出來た。それが丸で饑饉の状態であつた。官憲はその處分に困り、急仕立ての慈善會を催しなどして、僅かに救濟することが出來た。その翌年からは、雪が降り出す前に、巡査が必らず各戸をまはり、三四人の家族に附き米三俵、味噌一と樽の用意をしてあるか、どうかを取り調べることになつてゐる。 ﹁馬鹿な奴は、官憲でも、人民でも、そんな目に逢つてから、漸く注意するのだ﹂と、義雄は政治的意味を帶びさせたつもりで勇に云ふ。 ﹁さういふのは、困つたものだ、ねえ﹂と、勇も答へて、小だはりのない世間ばなしに移る。 義雄は珍らしくいい氣持ちに醉つた。 獨りふら〳〵と有馬の家を出で、暗やみの道を、博物館わきに於いて、かのアカダモ――幽靈の手の樣な枝、すさんで行く自分を放浪の第一日に優しく、寂しくやはらげて呉れた幹――はこの邊だらうなどと考へた。それから、南二條に行き、氷峰に決心のほどを告げた。 ﹁歸るなら、旅費ぐらゐはするつもりぢやが、今のところ、君も知つとる通り、僕自身の首がまはらぬのぢやから、なア﹂と、氷峰は云ふ。 ﹁なアに、それはけふ東京の友人二三名へ云つてやつたから、どれからか送つて來る、さ﹂と、義雄は氷峰に平氣を見せる。 ﹁さうか﹂と云つたばかりで、氷峰は頻りに同席の印刷屋に向ひ、發刊に迫つた雜誌に關する至急な話をしてゐるので、小使を借りてまたそこを出で、もう、やがて別れるのかと思ふ市中を、見みを納さめのつもりでぶらついた。 足は段々薄野の方に向いたが、あがりもしないのに、地廻りの樣に、格子さきをまごつくのは詰らないと思ひ返した。そして、狸小路の賑やかな夜店をひやかしながら、掘り割り水道を東へ渡つた。 ガスの深い夜で、店々のあかりが濕ツぽく見える。 その邊に客を引ツ張る女がゐると聽いてゐたから、好奇心を起したのであるが、八字ひげの風來者を誰れも相手にして呉れるものはない。その癖、行き會ふ女はすべてそれではないかと思はれた。 ふと、思ひ附いたのは、そば屋といふ物だ。東京などとは違つて、云つて見れば、そこが仙臺なら汁しる粉こ屋やといふところださうだ。そばは却つてどうでもいいので、いろんな料理で酒を飮ませ、その上の相談も出來るのだ。 ﹁札幌滯在の一とみやげに、それがどんなところか實見して置かう。﹂かう考へて、義雄はとある看板を見つけて、そこへあがつた。 こせ〳〵と小ちひさい部屋の多い、薄ぎたない家で、べた〳〵お白いをつけた不別嬪が四人も五人もゐる。そのうちの一人が出て來て、 ﹁御料理は何がよろしい﹂と云ふ。 ﹁僕はもう醉つてゐるんだから、そばだけ喰ひに來たのだ。﹂かう註文して、﹁それにお銚子を一本﹂と云つた切り、女が勸める他の料理は命じなかつた。 それで女を相手に話して見ようとしても、自分は何となく氣がとがめて調子に乘れないし、女も亦こちらを安いお客と見たのか、話しかけられても、冷やかな挨拶ばかり――横を向いて、挑發的な鼻唄を歌つてゐる。 唄は普通の唄で、決して聞き慣れてゐないのではないが、義雄の現在には、それが異樣な挑發に取れたのだ。然しそれに應ずる手づるがない。 そして、二三室隔つた部屋では、どんな女か分らないが、客と共に追分を歌つてゐる。 義雄は座に堪へない樣な、いやな氣がして來たので、それだけの拂ひをして、そこを出た。 雨がしよぼ〳〵降り出したのである。 義雄は傘なしでのそり〳〵歩く。醉つてゐるので、熱した顏に雨がひやり〳〵當るのが實に氣持ちいい。そして、 ﹁自分は解ける物でもない、また急ぐ用事のある身でもない。﹂かう考へて、わざとくそ度胸を決めたところは、どうしても、燒けツ腹だと自分でも思つた。 掘り割り水道に添うて北に行き、北四條を西の方へ、今聽いた女の追ひ分節を繰り返しながら歸つて來ると、行く手のガスの中から一つ、カンテラの光が見える。それが氷峰の社の角なるもろこし店で、いつもと違つて、イタヤもみぢの下なるおやぢは寒さうに焜爐火にしがみ附いてゐる。 何となく話がして見たくなつたので、そのそばへ行き、 ﹁この雨に、おそくまでよくかせぐ、ね。﹂初めての聲をかけると、 ﹁へい。﹂渠は丁寧にあたまを下げたが、さも馴れ〳〵しさうに、﹁上機嫌で、旦那はいつも御結構です。﹂ 義雄は、このおやぢばかりが唯一で最後の親友かと、興ざめざるを得なかつた。十九
氷峰の雜誌の初號が刷りあがつて、その發刊があすの十五日に迫つてゐるのに、社としてそれを引き取る用意が出來てゐないばかりか、渠自身が下宿へ拂ふ前金も、僅かばかりを與へたほか、まだ渡すことが出來ないのだ。これは、義雄も、一緒に行つてそこを探し當てたので、よく知つてゐる。 ﹁ところが、あの婆々アはなか〳〵氣きま前へも者のぢやぜ﹂と、氷峰は讃めてゐた。婆々アとは、そこの女主人で、五十近いが、まだ目に立つほどお白いもつける質たちの女だ。 義雄は、そこの貰ひ娘や女中に、 ﹁目のきよと〳〵した、言葉附きの荒ツぽい人﹂として、嫌はれてゐる。十四日の夜、渠が氷峰の二階の室に行つてゐると、下の娘があがつて來て、 ﹁島田さん、お母ツかさんがお約束の林檎を御馳走しますからいらツしやいツて﹂と云つた。 氷峰はそれについて行つて、暫らく戻つて來ない。義雄は渠を待ちながら、雜誌の刷り上り見本のページを繰つて見ると、雨敬、新戸部、山縣勇次郎、その他知名の人々の材料の外に、呑牛の人物評や逸事談、天聲の新聞編輯苦心談、北劍の中野天門談などがある。義雄の書いたのは、﹁詩人文豪より蟹の鑵詰製造家となりたる田村義雄の鑵詰談﹂と云ふ、長い表題で載つてゐる。そして、義雄、氷峰、勇が三人で撮影した寫眞が挿んであつて、義雄の見出しには﹁將まさに實業家とならんとする田村義雄氏﹂とある。 義雄はこれを見た時、非常に心で苦しみをおぼえた。その原稿と寫眞とが發表されないうちに、もう、自分の事業は殆ど跡かたもなくなつてゐるありさまであるからである。 渠は雜誌を伏せてしまつた。然し、氷峰の戻るのが待ち遠しいままに、またそれを開らいて見ると、二百ページ餘の四六二倍大の雜誌が殆ど各ページに大小一つなり、二つ、三つなりの寫眞が這入つてゐる。材料はすべて北海道專門だが、その體裁は東京のおもな實業雜誌にも劣つてゐない。廣告も澤山あつて、金のあがらないのは社長川崎藤五郎の請負廣告と、氷峰の詩集廣告と、義雄の詩集と﹁半獸主義﹂と﹁新自然主義﹂との廣告ばかり、あとはすべて取れるものだ。 ﹁北海道に於ける絶後ではないかも知れぬが、空前の大雜誌だらう﹂といふ、仲間での評判は讃め過ぎでないと思はれた。 そこへ、氷峰が左りに酒を注いだ猪口を持ち、右に徳利を持ち、變な手つきで兩方から肩と平行するほどにあげ、脊を丸めてをかしな樣子で、女主人の婆アさんにふすまを明けさせて、這入つて來た。 ﹁ああ、醉うた、醉うた﹂と、渠は坐わらないでふら〳〵してゐる。 ﹁お酒がこぼれるぢやありませんか﹂と、婆アさんは息子でも世話する樣に渠を押へる。然しかの女も醉つて顏が赤くなつてゐる。 ﹁さ、もう、お休みなさい。﹂婆アさんは猪口と徳利とを氷峰から取りあげ、﹁これはお客さんにあげると云うて、持つて來たのですから﹂と、義雄の前に置く。そして、かの女は立ち去つてしまつた。 ﹁仕やうがない婆々アだ﹂と、氷峰はけろりとした。それほど醉つてゐるのではないらしい。 ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁なアに﹂と、氷峰はいま〳〵しさうに、﹁あの年をして、おれに氣があるはあきれらア、な。林檎は晝間からの約束であつたが、一緒に酒を飮めと云ふのぢや。飮むと、ここは茶の間で女中の用に邪魔になるから、お母さんの部屋へ來いと云ふのぢや。はんか臭いから、逃げて來たの、さ。﹂ ﹁そんな婆アさんらしい、ね。﹂ ﹁おやぢがあつても、別に女と住んでをつて、自分を相手にして呉れないから、獨りで浮氣をしようと云ふのだらう。﹂ ﹁困つた婆々アだ。﹂義雄も調子を合はせたが、自分の妻のことを思ひやると、かの女にしても若し少しでも浮氣があるなら、ここのと同じ樣になるかも知れないがと云ふ樣なことが浮ぶ。そして、自分が段々若い女、若い女と目をつける樣になつたと考へられるだけ、反對に、年寄り女の色氣をぞつとするほどいやな物だと聯想した。 ﹁僕もこれではやり切れないよ﹂と、氷峰は義雄と爐を挾んで相對する。﹁お君からは毎日の樣に手紙をよこすし。お鈴も裁縫に行くと云うては隱れ通ひをして來るし。また、孕んでゐる女の親からは、來月が臨月ぢやから、準備の金だけでも送つて呉れろと云うて來るし。その本人はまた死んでしまふと云ふ手紙ぢや。けふも夏洋服まで質に入れて、郵便かはせを送つてやつたのぢや。﹂ ﹁身から出たさび、さ。﹂かう云つて、義雄は獨酌する。﹁然し、事情が事情だけに、お君さんは可哀さうだよ。叔父さんを戀するとは、もう、現代では悲劇だ。﹂ ﹁それに、雜誌はこの通り刷り上つても、これを受け取る金があすまでに出來るか、どうか分らん。僕もよわつた、なア。﹂ ﹁然し雜誌の方は社長がどうかするだらう、さ。﹂ ﹁それにしても、僕の入用があるのぢや。今、頻りに人を持つて呼び出しに來る女があるから、あす逢うてやつて、それから二三百出させようかと思うてをる。﹂ ﹁男めかけに行くのかい?﹂ ﹁まア、さう大きな聲をするな﹂と微笑して、氷峰は雜誌をつき出し、﹁時に、うまく出來たらう、どうぢや?﹂ ﹁立派なものだが、賣れて呉れないと困る、ね。﹂ ﹁それは僕に充分考へがある、さ。――初號を出したら、直ぐ新聞記者がはへ披露會をやるが、君にも來て貰ふぞ。﹂ ﹁そりやアありがたい、ね。﹂ こんな話から碁に移り、互ひ先の勝負があつて、義雄はその部屋で氷峰と一つ床へあとさきに這入つた。實は、今夜、勇は學校の當直であるから、細君ばかりの家にとまるのを氣の毒に思つて、義雄はこちらへ來たのだ。 ﹁野郎同志では仕やうがない、なア。﹂ ﹁然し、あの婆アさんぢやア溜るまいよ。﹂ ﹁は、はツ﹂と、二人はあとさきの枕もとから笑ひ聲を出した。 氷峰は少し風を引いてゐたので、義雄と夢うつつで蒲團の引ツ張り合ひをした。そして、義雄は、北海道は夜中になると、夏でもなか〳〵寒いといふことを實驗した。二十
中島遊園の料理屋大だい中ちゆう本店に於いて、午後一時頃から、氷峰と或女とその仲に這入つた取り持ち年増とが會見した。この件ははなし上手な氷峰自身の詳くはしい報告を義雄がまた義雄自身で解釋して見たのだが―― 女は二十二だと話してゐるが、そこの女中に料理を命じたり、酒をあつらへたりするその態度や、しツかりした口振りから推察すると、どうしても、氷峰とはさう年が違つてゐないだらう。然し、自分から呼び出しをかけたのには似合はず、男に對してどことなくうぶな羞恥を帶び、何か問はれるたびに顏を赤くする樣子を見ると、決して苦くろ勞う人と筋のものではないらしい。むツくりした美人は美人であつた。 ﹁お久し振りで御座いました﹂と、女が初めての挨拶した時、氷峰はその馴れ〳〵しさうにされるのを意外に思ひ、どこで會つたことがあるのか知らんと、さま〴〵に心では考へて見るが、どうも心當りがなかつた。 名は若杉貞子と云ふのを頼りに、どこかの歌の會へ出たことのある女か知らんとも考へて見た。然しそれも一向分らない。ただ、 ﹁はア﹂と、曖昧な挨拶を返してしまつたので、それを今更ら問ひ糺ただすのも角かどが立つだらうと思ひ、もぢ〳〵する心を煙草でごまかした。 女も言葉のつぎほを失つてしまつた。 序幕から場が白しらけてゐるので、年増がそばから、 ﹁少しお話しなさいよ、わたしが眠くなつてしまひます、わ﹂と、碎けた態度でおだてた。 それから、何の關係もない伊藤公爵のことやら、當地へ本年はえらい人々が巡遊に來ることやら、舊北辰新報のことやら、新派の歌のことやら、まさに出ようとする實業雜誌のことやら、すべて女の方から持ち出して話題にするのを、男はただそれに説明的返事をするだけであつたが――。 ﹁手ツ取り早く要領に入ればよいに。つまらない﹂と、氷峰は、こんな時ばかりの伊達に、飮めない酒を女につがせてぐん〳〵あふつた。 ﹁大分いけます、ね。﹂女は多少勢ひづいて來た。 ﹁えい〳〵、島田さんは隨分飮めるのですよ﹂と、年増がいい加減に取りつくろつた。 ﹁何を云やアがる、この婆々ア﹂と、氷峰は心でそれをあざ笑ひ、こんな種類の桂けい庵あん的てきがゐる爲め、北海道のをんなの風儀が亂れるのだと憤慨もしかねなかつた。 その癖、渠は自分にも望みがあつて來たのだが、貞子といふ女も、それについて來たこの年増も、一向話を進めなかつた。 貞子も少し酒の相手をしたが、かの女の方に話題が盡きて、けふの天氣模樣などのことに及んだ。餘り辛しん氣き臭いので、氷峰は醉ひの勢ひにまかせて切り出した、 ﹁全體あなたは何物です?﹂ ﹁何物とはひどいぢや御座いませんか﹂と、年増がさへぎつた。 ﹁なに、それは云ひ方が惡かつた。﹂氷峰はわざとあたまを押へたが、﹁あなたは何をしてをるんです?﹂ ﹁何もしてはをりませんが﹂と、貞子はきまりが惡いといふ樣子であつた。氷峰の方をじろりと見て優やさしく微笑したが、直ぐ下を向いて顏を赤くしてゐるのは、醉ひも出たので、必ずしも、恥かしみばかりではなかつたらしい。 そして、貞子が自分のことを氷峰に話したに據ると、兄と二人で親の財産を分けて貰ひ、その自分の部分は自分の考へのままになる。そして、今、やつて見たい事業があるから、氷峰に手助けをして貰ひたいと云ふのだ。 その事業とは、瀬戸物製造である。京都あたりで十五錢、二十錢しかしない陶器が運賃やら割れやらを見込んでだらうが、北海道に來ると、實際、五十錢から六十錢する。それを運賃入らず、割れも少く製造販賣することが出來れば、五十錢が四十錢、三十錢に賣つても、利益は充分に望まれよう。小樽附近にも陶器原料にいい土があるさうだが、貞子の方では、岩見澤の或場所に、それがあるのを發見した。 ﹁で、あなたは﹂と、貞子は氷峰に向ひ、﹁新聞社にをられた時から、大變精力の強いお方と聽いてをりますから、一つ、自分の事業と思つて、專らお力になつて貰ひたいのです。﹂ ﹁それもよからうが――第一、こないだからのこちらの要求は、どうなつたのです?﹂ ﹁あれは、な、島田さん﹂と、年増が口を出し、﹁二十日まで待つて貰ひたいと云ふことです。﹂ ﹁けふ渡すと云ふので、君が僕を引ツ張つて來たんぢやないか?﹂ ﹁さう云ふことで御座いましたか﹂と、貞子は少し恥ぢた樣子で、﹁わたくしの方では、初めから二十日と申してをりましたんで御座います。﹂ ﹁それならそれで、一杯喰つたとおもやよろしい﹂と、氷峰はすねた樣に笑つた。 ﹁然し、島田さん、そんな野暮は禁物よ。﹂年増は變な手つきで渠を打つ眞似をして、 ﹁さう云はなきや、あなたが早く來ないぢやありませんか――貞子さんは大變お待ちかねよ。﹂ ﹁あら、叔母さん!﹂これは貞子が北海道流に親しい人を呼びかけた呼び名だ。これも打つ眞似をして、﹁きまりが惡いぢやありませんか?﹂ ﹁は、は﹂と、氷峰は輕く笑つて、貞子に、﹁これで、僕があなたを打つ眞似をすりや、形式上の三すくみだ。﹂ ﹁ほ、ほ、ほ﹂貞子も笑つて、口に手を當てた。その手は綺麗に白く、金の指輪が二つ光つてゐた。そして、また眞面目になつて氷峰に、﹁然し、ちよツと都合がありますので、どうか二十日まで﹂とあたまを下げた。 ﹁わたしはその三すくみを拔けますから﹂と云つて、年増の叔母さんはそこをはづした。 * * * 再び年増が出て來た時、 ﹁まア、いい風でもお入れなさいよ﹂と云ひながら、池に向つた障子をするりと兩方へ明けた。すると、その池の向う側の椎の樹かげに、裁縫通ひの娘らしいのが三名、すぼめた蝙かう蝠もり傘がさを杖について、水中の魚の泳ぐのを見てゐた。 ﹁見えるぢやありませんか﹂と、貞子はうつて變つたうは付き方で立ち上り、自分でその障子を締め返した。 その時、三名の娘は同時にこちらを見た。その一人はお鈴であるのを、氷峰は認めた。かの女も亦渠を認めて、﹁あら﹂といふ樣子を見せた。お互ひに意外であつた。 拾五圓何拾錢といふ勘定を貞子がして、三人は一緒にそこを出た。 氷峰は、きのふも、そこへ婦人と共に來たのである。その婦人は、渠がお母さんも同樣世話になつたおほ年増であつたと云ふ。然し、今、三人をいいお客と見て、門まで送つて來たおかみや女中が、じろ〳〵自分の顏を見たのに、渠は氣が引けた。と云ふのは、この頃、大黒座で打つてゐる役者一座の一人が、さうたび〳〵、後ご家けさんや娘に買はれに來るのだと思はれては、迷惑だからであつた。 ﹁これから、また、あのお鈴がやつて來て、今の事情を執しふ念ねん深く聽きただすのであらう﹂と思ひながら陳列館の前をぶら〳〵行くと、貞子はそのあとから恥かしさうに少し離れてついて來た。 ﹁もツとくツついてお歩きなさいよ﹂と、年増に押しやられて、やツとかの女ぢよは渠のそばへ來た。 ﹁醉ひました、なア。﹂ ﹁わたくしもこんなに醉つたことはないの。﹂ ﹁もツと飮まうか?﹂ ﹁いやです、わ﹂と、かの女は身を娘らしくそらした。そして、またてく〳〵ついて來た。氷峰はその樣子をさかりのついた雌馬の樣だと思つた。 ﹁よく似合ひます、な。﹂後から年増が冷かした。 ﹁たんとお燒きなさいよ﹂と、貞子はその割合に腹を決めてゐたらしい。 ﹁えい〳〵、燒きますとも――その代り、また芝居でもおごつて貰はねば、な。﹂ ﹁おごりますとも、さ――芝居だけ?﹂ ﹁いいや、芝居に、あづま壽司に、西洋料理に、丸井の呉服に――﹂ ﹁大變慾張り、ね――お腹なかが裂けますよ﹂と、貞子は段々調子づいて來た。 然しかの女が調子づいて來た時は、遊園を出た女學校々舍の前に來て、そこから氷峰は別れてしまつた。人に見られては、下らないと思つたからだ。 そして、家に歸る道々考へて見ても、どうも貞子なるものが、一囘會つた切りだからでもあらうが、腹に這入つて來ない。いい女ではあるが、妻とするには、まだよく分らないところがある。 ﹁それよりもお鈴だ﹂と考へると、かの女の方は、まだ決定はさせてないが、度々會つてゐるだけに、よく素すじ姓やうも心持ちも分つてゐる。顏や姿や學問から云へば全くゼロと言つてもいいが、自分のずぼらな性質に對しては、かの女が經濟向に一種の才を持つてゐるのは唯一の取り柄だ。﹁それに、あの熱心なのだから﹂と思つた。 歸つて見ると、果してお鈴が來て待つてゐた。そして、うらめしさうな脹ふくれツつらをしてゐる。 ﹁今のを燒いてるのか﹂と、氷峰は笑ひながら爐ばたに坐わつた。 ﹁そんなんぢやない﹂と、お鈴は涙ぐんだ。 ﹁なんで泣くんぢや﹂と聽くと、かの女は下のお婆アさんがここへ來る度に瞰にらみつけることを告げた。 ﹁はんか臭い奴ぢや、なア、そんなことでめそ〳〵泣くのア。﹂氷峰は慰める樣な、またじらす樣な樣子で、﹁ありや、おれに氣があつて、燒いてるのぢや。﹂ ﹁まさか﹂と、お鈴は笑つたが、矢ツ張り泣いてゐる。 ﹁あんたは、そんなこと云うて、矢ツ張り、今見たことが氣になるのぢや。﹂かう云つて、氷峰は今の女は山から來た自分の親戚のものだといふことに云ひくるめてしまつた。 然しなほ、かの女は歸りもしないで、めそ〳〵泣くのが止まない。面倒臭いのでほうつて置かうとすると、聲をあげてすすり泣いた。 氷峰はやツとその意味が分つた。若い女がただ悲しいのではなく、その生理的經過上制しがたい力のみなぎつて來たのに堪へ兼る訴へだと考へた。そして、お鈴を引き寄せて、その頬にあつく接吻してやつたさうだ。 女にかつゑてはゐる義雄だが、氷峰のこんな話を聽いたのでは、人ごとだからでもあらう、曾て或旅館で隣室のことに目がさめた時と同樣、別に刺戟も挑發も受けなかつた。そして、若し神なる物があつて、密室に於ける夫婦の樣子を見てゐたら、矢ツ張り、こんな冷靜と寛大とを持つて見てゐるのだらうと思へた。二十一
北海實業雜誌の初號はいよ〳〵生れた。全道各地の書店へ發送したのは勿論、北海メール、小樽新報、並びに北星に出た大きな廣告を見て、講讀を申し込んで來るものが多い。それに、札幌ステーシヨンの賣店に於ては、發刊日の午後半日のうちに、二百部ばかりも賣れた。 その評判は、最近の來道貴賓なる後藤男爵、岡部子爵、伊藤大師、本願寺法ほつ主しゆに次いで、著明なものとなり、札幌、小樽、旭川、帶おび廣ひろ、函館等に於いては、直ぐ知らないものはないほどになつた。そして、逢ふ人毎に、 ﹁氷峰君萬歳﹂を呼ばないものはない。社長の川崎は、主筆ばかりが讃められて自分は殆ど縁の下の力持ち同樣なのに業ごふを煮やしたのだらう。雜誌の披露會を東壽司に於いて思つたよりも張り込んだ。然し、その内幕は、初號を印刷屋から受け取る代金も、披露會の費用も、すべてかの禿安老人に二度目の手を煩はしたのだ。 東壽司に招待されたものは、義雄の歡迎會に來た新聞記者のあたま株と、北劍と義雄と禿安とである。藝者やお酌も七八名來た。 その席で、禿安が入らない世話を燒いて、記者仲間を怒らしてしまつた。と云ふわけは、全體、この老人などをこの席へ招待したのは川崎の不注意であつて、酷こくに云へば、仲間を侮辱したのだと思はれてゐる矢さきに、禿安はどう感づいたのか、例の小樽新報の孤雲がまだ歌ひ出さないで、﹁アオウ、アオウ﹂を頻りに繰り返してゐる最中、片ツ端から細君持ちを説きつけて、自分と共に早く歸るやうにしてしまつたのだ。そして、殘つた獨身者は義雄と氷峰ばかりだ。 ﹁あのおやぢ、また、何をおせツかいしやアがつたんぢや――勝手に出しや張りやアがつて、さ﹂と、川崎は自分がけちな策略をさせたと思はれては困るといふことを憤慨した。 それから、三人は雨の夜を車で高砂樓に繰り込んだ。島田さんが來たといふので渠に熱心な女が先づ飛び出して來たが、川崎のゐるのを見て、 ﹁あら、兄さん﹂と、まごついた。川崎は暖のれ簾んをこぐつてあがる時、兩の袖で顏を隱してゐた。そして、渠も亦この女のなじみである。 酒の席では、川崎と氷峰とがどちらも感づいて、をかしな遠慮がちの鞘當てがあつたが、川崎は高見呑牛と同じ事情で女郎屋にとまつたことがない。然し請負師のかけ引き上、人をつれて、よくここへやつて來るので、すべての女から、 ﹁兄さん、兄さん﹂と云はれて喜んでゐる。 この夜も、自分が大藏省である見識を見せて、女どもに意張つた話を聽かせ、皆の前で可なりふざけもしたばかりで、さきへ歸つてしまつた。 ﹁あの兄さんは本當に面白い人よ﹂と、花子といふ義雄のなじみも引けてから渠に語つた。 渠はこの樓へ最も多く來たのであるが、女が格式張つてどうも木で鼻をくくつた樣なので、いつも、二度と來こまい、二度と來まいと思ふのだ。二十二
義雄は、歸京することになつてゐる以上は、一日でも早く出發したいのである。メール社の方のパスも餘り延び〳〵してゐるうへ、その延びる理由をも云つてよこさないので、或は天聲がいい加減なことを云つてゐたのだらうと想像して、多少怒らないでゐられない。義雄は渠のところへ問ひにも行かない。 天てし鹽ほの土地問題も、松田の雇ひ技師に書類を見せたところ、とても相談にならないと云ふので、北劍の家へ行つて、義雄は書類を返却してしまつた。 樺太の方へは、また、癇癪まぎれの最後の手紙として、これから以後までも仕事をしてゐる必要がないのみならず、ゐればゐるほど損害が多くなるのだらうから、早く引きあげるやうにしろ。自分は、北海道でも見込がつかないから、全然失敗と見て東京へ歸る。然し、いよ〳〵出發となれば、電報を打つといふことを云つてやつた。 書きかけた論文も、かうなれば、筆を執る勇氣がなく、中絶してゐる。 義雄は全く虻蜂取らずの大失敗者の樣だ。待たれるものは、ただ、歸京旅費の來ることばかり。 ﹁然し旅費の來るのを待つのも一種の事業だらう、若し自分がそれに心身全體を投じてゐれば﹂と、まだ剛情張つて、渠は自分の人生觀とは離れたくなかつた。 勇のところに終日引ツ込んでゐるのも面白くないので、毎日、晝間は氷峰の社へ遊びに行き、夜はおそくまで渠の下宿へ行つて話す。氷峰も大分義雄に飽きが來たらしい。これを知つた義雄は、もう、どこにも、眞に親しむところがない樣な氣になつて、歸京したい一方だ。そして、そのいら〳〵する心を靜める爲め、暑苦しい日を終日寢て暮らしたこともある。そして、殆ど全くがツかりして、筋肉の一すぢも動かしたくない樣になつた。 一日置いて、實業社へ行つて見ると、氷峰は、もう、第二號の原稿を取りまとめにかかつてゐる。そして、社として僅かに這入つて來た金を社員の出張旅費に分配して、次號の材料並びに廣告を取る爲め、小樽、旭川、帶廣、釧くし路ろ、室むろ蘭らん地方へ、社員を分派したところだ。 それを見ても、時間の經つのと人のやつてゐる事業の進行とが明らかに目に見える。樺太から着した翌日には、氷峰に誇つて、渠のまだぐづ〳〵してゐるうちに、自分は三千圓ばかりの仕事をして來たぞと吹ふい聽ちやうしたが、今はそれが殆ど正反對だ。外部的には殆ど何もやつてゐない。そして活動停止の樣な義雄は、身づから、如何にも氣が氣でならない。 ﹁もう、どこからか一と口ぐらゐは送金して來さうなものだが、ねえ――﹂すると、 ﹁いい友人がなくなつたのぢやないか﹂との返事だ。 ﹁或はさうかも知れない。﹂義雄は、東京へ歸つても、もとの如き立ち場が得られるか、どうかといふこの頃の心配を胸にみなぎらした。然し、自分のやつた文學上の過去の事業は、決して友人で出來たのではない。自分一個の努力だ。そして、その寂しい努力を再びつづけるのが、矢ツ張り自分の仕事だと思ふ。 ﹁僕は一度でも快樂一方の人間を想像して見たい。﹂義雄はいつになく弱わ音を吐いたので、 ﹁それでは﹂と、氷峰は異樣な顏つきをして、﹁君の説に從へば死ではないか?﹂ ﹁無論、死、さ。﹂義雄は痛切に自分を返り見て、﹁然し僕が死ねば、死その物もつひに充實した内容を得られよう、さ。﹂ ﹁さうだ、君の考へで死ねれば、なア。﹂ かう云ふしんみりした物語りをしてゐるところへ、雪の屋といふ雅號の淺井能文がやつて來た。 渠はもと或東京新聞の記者をしてゐたが、今は當地の或中學で、倫理並びに作文の教師だ。呑氣な、人のいい人物で、友人間には聖人のあだ名があり、自分も亦時々その借金手紙などの裏書きに﹁雪の屋聖人﹂と書く。 渠は、夏期休暇を利用して開かれた釧路地方の教育會講習會へ、氷峰の周旋で、倫理學の講義に行つてゐた。そして、妓樓遊びばかりしてゐたので、講習會で得た金を使ひ果し、九月の授業開始期に間に合ふ樣に歸ることが出來なかつた。そして、歸つて來ての唯一のみやげは、自分の被る麥藁帽の裏絹へ數多く書かせた藝者や女郎の自署であつた。 渠も義雄と同じ樣に毎日氷峰のところへやつて來る。そして、これは義雄とは違ふが、毎晩、遊廓を地ぢま廻はりしなければ、寢られない人だ。この頃は、金を使ひ切つたあとで、無論、登樓が出來ないから自分のなじみのゐるあちらこちらの格子さきに立ち、ただ言葉をかはすのを喜んでゐる。 そして、たまには、格子隔てに金品をねだられ、親切にも、苦しい算段をして持つて行つてやる。それから、また、女郎から來た﹁雪の屋さま﹂當ての手紙をすべて序文つきで麗々しく雜誌北星に出すのも、人とは違つてゐる男だ。親切だが、どうも女に好かれない。そして、嫌はれても、どう云ふものか、それが分らない。 ﹁雪の屋にも困る、なア﹂と、氷峰はいつも義雄に語つてゐる。女の話が出ると、にやり〳〵笑つてのり氣になつて來るが、それが出ない限りは、一時間でも二時間でも默つてゐて、それに飽きた時は、どんな用談があつても、かまはず平氣で失敬する。然し、また、 ﹁まだ地廻りには時間が早いよ﹂などと冷かされると、 ﹁さうだ、なア。﹂首を曲げ、口をぱくりと明けながらもとの座に直る。 渠と義雄と氷峰と、三人はつれ立つて社を出で、晩飯を喰ひに氷峰の下宿へ行つた。そこへ、北山孤雲が訪ねて來て、 ﹁丁度淺井君がをられるので、好都合ですが﹂と云つて、今度小樽に商業學校が設けられたが、その教頭になつて呉れないかといふ相談を持ち出した。そして、俸給はこれ〳〵だが、位地は今よりもいいと云ふ。 雪の屋は暫らく默つてゐたが、今の方が結局都合がいいと云つて斷わつた。 孤雲と入れ代つて、また呑牛がやつて來た。いきなり、雪の屋を捕へて、 ﹁おい、あの、君のあまツたるい寄よせ書がきは今度限りよすよ、讀者から新聞の品格がさがるといふ忠告が來るから﹂と云ふ。かうむき出しに云ふのは友人間で、義雄も聽いてたが、雪の屋の反省を促してやる相談があつたからである。 ﹁さうか﹂と、渠も不意打ちを喰つたといふ樣子で、のろ〳〵と、﹁それでは――僕もやめよう。﹂ ﹁何か、もツと身のあるものなら、結構だ。﹂ ﹁さうだ、なア。﹂ ﹁あんな物を出すのは、いつも云ふ通り、君の恥辱ぢや﹂と、氷峰もそばから云ひ添へる。 それから、皆が出し合つて、僅かな金が出來たので、牛肉を買はせて、簡單な宴會が初まつた。 仕事をしなければ考へる、考へてゐなければ何かの遊びでもする。かういふ風にして疲れ切つてしまはなければ、不斷でも、義雄は眠られない。それが、この頃の如くいら〳〵して來たら、殆ど終夜一睡の安眠も出來ない。一つ、はしやぎ倒れるまで、充分はしやいで見るのも面白からうといふ氣になり、下らない雜談やら﹁春夢瑣言﹂の話やらをしたり、聽いたりしながら、常よりも澤山酒をあふつた。然しその割りには醉はない。 女の話になつて來ると、雪の屋もその仲間入りをして、例のにや〳〵笑ひを以つて、釧路や帶廣のことを語る。氷峰も、帶廣にゐる女の自分にまだ熱心である自慢ばなしや、中學一年生の時、人の細君に強ひられて、ついその氣になつたこと。東京で石部金吉と云はれてゐた時、歌を縁にいろんな申し込みがあつたこと。などを話す。呑牛は、また、札幌の遊女や藝者の個人的内幕や、知名の人士の遊び振りを素ツ破拔く。義雄も亦負けない氣になり、自分の九歳の時の初戀や、その次ぎの戀人に十數年振りでめぐり會つたことや、吉彌といふ藝者を受け出した時のことや、樺太女の話をする。 然し話も漸く盡きたらしい頃、誰れかの發議で花を引かうといふことになり、下の女中を呼んで、當てのあるところへ花札を借りにやると、 ﹁もう寢てしまうて、駄目です﹂といふ返事だ。﹁何時だらう﹂時計を見ると、もう、十二時に近い。 ﹁雪の屋君、どうぢや、皆で行かうか?﹂かう云つて、氷峰が冷かし半分に淺井に向つて微笑する。 ﹁どうも、地廻りだけだ。﹂雪の屋が口を明けて締りのない返事をする。 ﹁どうぢや、田村君も惡くはなからう﹂と、氷峰は義雄をも促した。 ﹁結構だ、ねえ。﹂ ﹁あすまで居殘るものがあれば、僕に一つ當てがあるが――﹂と、呑牛は相談を持ちかけた。 ﹁僕も君の方に﹂と、氷峰は呑牛に向ひ、﹁拂ふ廣告料があるから――﹂ こんな話の末、雪の屋はあす學校があるし、呑牛や氷峰も用事があるから、さしたる用のない義雄があすの居殘り役になるときまつて、四人は薄野に向つた。 一等店には行ける見込みがない。中店でも、義雄が知つてゐるところには行けない。皆で相談の上、三等小路のうちの上店へあがつた。 井ゐげ桁たろ樓うといふのである。 呑牛のなじみなる女の部屋――二階の一廊下の隅にある――に這入り、先づ皆で相談する。雪の屋にもここになじみがある。氷峰もここでは、﹁金魚の旦那﹂といふ名でとほつてゐる。そのわけは、渠にうち込んでゐた一妓がその愛翫する金魚、三つ尾四つ尾の琉りう金きんを立派ながらす鉢ごと渠に贈つたのを、渠がさげて歸る途中で友人に發見されてから、評判になつたのだ。今小樽にゐると云ふのが乃すなはちその主だ。 渠と義雄との相方になるのがきまつてから、酒宴が初まつた。 義雄は、かういふところでは、不斷の談話家に似合はず、兎角沈み勝ちになるのが常だが、今夜に限つて、誰れよりもよくしやべる。そして、自分の關係した女や自分のからだの思ひ切つたうち明け話をして、女どもを笑はせた。 そして、自分が十四の時神戸で初めて福原へつれて行かれ、こはいので、ただ眠つたばかりで歸つたあとの感想や、仙臺で汁粉屋へあがつたら、それがこちらの所いは謂ゆるそば屋であつた時のまごつきなどを、熱心な、性急な調子で、而もおもしろをかしく語つた。そして、樺太二枚鑑札の藝者がマオカで或客︵これは森本春雄のことだ︶を追ツかけ、逃げてゐるのを知らず、旅館へその客の室に忍ぶつもりで、別な人のところへ入り込み、枕さがしと思はれたことをおほきな聲で最も滑稽的に話した時などは、脊中合せの隣室からも笑ひ崩れる聲が聽えた。そして、同席の女どもは、義雄の熱心な滑稽的口調や態度にも醉はせられたらしく見える。 ﹁どちらがおれの相方だらう﹂と思つて、渠は新らしい方の二名を見ると、どちらもいい女ではない。然しまだしも比較的に小づくりの方がいいと思ふ。 試みにかはやへ立つて行くと、丁度小づくりのがついて來た。手てう水づば鉢ちで手を洗つてから、廊下で、 ﹁お前がおれのか?﹂笑ひながら聽くと、 ﹁わたくしはどちらでもよろしい、お好きでないなら。﹂ ﹁なアに、お前の方ならいいんだよ。﹂義雄はかの女の手を引いてもとの部屋へ這入ると、皆が、 ﹁やア、萬歳﹂と冷かす。然し氷峰がちよツと苦い顏をしたのは、こちらが先を越した故だらう。 義雄と共に、今の部屋を一つ隔てたのに引けてから、かの女は茶を入れたりしながら、何だかいそ〳〵して、思ひ出し笑ひをする。 ﹁薄氣味の惡い女だ、なア。﹂渠がわざと顏をしかめながら云ふと、 ﹁だツて、あなたはおもしろい人だ、わ――隣りのこの花さんのお客までが吹き出してをりました、わ。﹂ ﹁吹き出すものは吹き出させて置くがいいぢやアないか? まさか出でき來も物のぢやあるまいし、膏藥を張るわけにやア行くまい。﹂ ﹁わたし、あなたの樣な人が好きよ。﹂ ﹁好きなら、勝手に好きなよ、おれはおれでおれだい――ああ、こりや〳〵﹂と、義雄は獨りで躍り出す。 然し、渠は、腹の中では、その實、最も反對に、自己をその根柢から動かす知、情、意合がふ致ちの悲痛を、過去や未來の記憶や希望の餘裕なきほどに、深く感じてゐたのである。そして、この感じがよくかたづけてある部屋の引き締つた空氣と女の今ふり撒いた香水のにほひとに、直接に融和して行く樣におぼえられた。 義雄は然し非常に醉つてゐる。 ﹁おれが本當に踊つて見せようか﹂と、子供の時に見覺えた幇ほう間かん踊り﹁今頃は半七さん﹂を臆面もなく出鱈目に踊ると、女はにこ〳〵しながら見てゐる。そして渠は音を立てまいと思つても、ふらつく足がどたり〳〵と疊に當る。 そこへ、今、呑牛を見送つて來た女が通りかかり、締めてある障子のそとから、聲をかける、 ﹁何事が初まつたのよ?﹂ ﹁まア、お這入りよ。﹂こちらの女が云ふがままに、そとのが這入つて來た。 ﹁よく入らツしやいました﹂と、義雄はわざと平つく張つて挨拶をする。その樣子がをかしいと云つて、二人の女はまた笑つた。﹁本當にこの人はおもしろいのよ、どたばた踊つたりして、さ。﹂ ﹁承りますが﹂と、こと更らに丁寧なお辭儀をして、﹁踊つては惡う御座いますか?﹂ 二人はまた笑ふ。 ﹁それでも﹂と、這入つて來た女の方が眞面目な笑顏を見せて、﹁あなたはえらい人なのだて、ねえ。﹂かう云つて、かの女は、呑牛に云つて聽かせられたらしく、義雄が自分の歡迎會席上へ平氣で安ツぽい海水浴帽を被つて行つたことを、阿彌陀にかぶる眞似までして、話す。 屏風が立てまはされてから、直ぐ女は、 ﹁初しよ會くわ惚いぼれして、わしや恥かしや﹂と低い調子で歌ひながら這入つて來た。 義雄は、そんなあり振れた思はせ振りに容たや易すく乘る樣な男ではないぞと云はないばかりに、その方へ寢返りながら云つた、 ﹁へん、﹃あすは來るやら、來ないやら﹄だい。﹂ * * * ﹁煙草の樣だ、ねえ﹂と、義雄が冷かした通り、敷島といふのが女の名だ。仙臺在、岩沼の生れで、義雄が仙臺に學生をしてゐた時知つてゐた人をかの女も亦知つてゐるので、よく話が合つた。 朝、起きてから、――どうせ、ゐ殘りだから、ゆツくり起きたのだ――綺麗に掃除の出來た火鉢を中にさし向ひ、女が火をつけて呉れた卷煙草を吸ひながら、六疊の部屋を見まはし、義雄はまだねむさうなあくびをした。女もそれにつり込まれた樣にあくびをして、 ﹁あなたのが移つた﹂と笑つて、袖を以つてその口を隱し、目をしよぼつかす。ゆうべ見た時の心持ちとは違つて、細い、優しい目を持つてゐる女だ。 如何にも小づくりだが、品のいい細おもての額や頬に縮緬皺が多いのを見ると、然しおほ負けに負けてやつても、二十五は下らない樣だ。︵ゆうべ初めて見た時は、もツと年増に見えた。︶それでもかの女は二十三だと云ふ。そして、少し躍起となり、箪笥の引き出しから、娼妓許可の鑑札を出して來て、 ﹁御覽なさい、これより確かなものはない――誰れにも見せたことはないけれど、あなたがさう云ひ張るから見せます。﹂ 見ると、﹁宮城縣岩沼町――荒物商――平民――大野富藏次女、梅代――明治二十年九月十日生﹂とある。本當のことを云つてゐるのだとは分つたが、それが分つたとて、別に自分の鑵詰事業が恢復されるわけでもなく、また、自分の望まない歸京をやめる樣にして呉れるものでもないと思ふ。 ﹁こんな詰らないお札は何の御利益もねえや。﹂わざと憎まれ口を聽いて、義雄はそれを女の膝の上に投げる。﹁燒いてしまふがいいや。﹂ ﹁おほきなお世話だ。﹂女はそれを引き出しにしまつて、ほほゑみながら、﹁これがなければ、わたしの商賣が出來ませんから、ね――﹂そこに聲を引ツ張ると同時に目を細めて、顎のさきを義雄の方へつき出す。義雄はその顎を、火鉢のうへの方で、ちよツと、手の握り拳に受けて見せた。 そこへ、番頭が來て、これで二度目の催促だ――明けた障子の敷居の上へ膝をつき、丁寧の樣だが然し冷酷な顏つきをして、 ﹁一向、遲い樣ですが、使ひでもさし立てませうか?﹂ ﹁さうだ、ねえ――﹂義雄も變な顏をして、氣の毒の樣な、またこちらが恥かしい樣なおぢけが出た。が、まさか、氷峰等が自分をこのまま打ツちやつては置くまいといふ考へがあるので、﹁まア、君、もうすこし待つて呉れ給へ、いよ〳〵來なかつたら、僕が責任を負つて、行あん燈どん部べ屋やへでも下りる、さ﹂と、おもては笑つて見せる。 然し番頭は少しもをかしくない樣子だ。義雄の腹の中と同樣な澁い顏をして、 ﹁それでは、今少し待つて見ませう﹂と答へて、引ツ込んだ。その引ツ込んだのをじろりと見た女の目つきが非常に意地惡さうに義雄には見えた。顏は少しもそツちを向かないで、黒い目の玉だけが細い長い目の中でじろりと動いた。 ﹁いやにこはい目つきをしたぢやアないか?﹂義雄がからかふと、 ﹁でも、癪にさはるからよ。﹂女は直ぐ笑がほになる。さうしげ〳〵催促しないでもよからうぢやないか、あの番頭さんが分らないのだ、わ、わたしがついてゐるのに。﹂ ﹁おそろしい人にくツつかれたものだ。﹂義雄はなほおぢけを見せないつもりで、﹁いよ〳〵金が來なけりやア、お前と番頭とでおれを行燈部屋へほうり込まうと云ふのだらう。﹂ ﹁はんか臭い人だ、ねえ、あなたは――そんな心配はしないでも、わたしが二日でも三日でも大事にして置いてあげます、わ。﹂ ﹁何とも、重々恐れ入ります。﹂おほ業なお辭儀をして女を笑はせながら、時計を出して見ると、もう、十一時過ぎた。自分も腹が減つて、ぺこ〳〵して來たのをおぼえる。 ﹁本當に冗談ぢやアない!﹂少し女にも申しわけのない、恥かしい樣な氣になつたが、それを隱す爲めにわざと笑ひながら、火鉢のふちへ兩肱をついて、招き猫の樣にして寄せ合はせた兩手の上へ顎を置き、女の顏を見つめて、﹁どうだ、仙臺へ歸りたくないか?﹂ ﹁さう見つめると、わたしの顏に穴があきますよ﹂と云つた切り、女はつんとして返事をしない。そして﹃歸りたいとて、歸りよか佐渡へ﹄と、もぢつて歌つてから、﹁﹃四十九里浪の上﹄をどうします﹂と云ふ。 ﹁誰れか引かして呉れるものがあるだらう、さ。﹂義雄は冷淡に答へたつもりだが、かねさへあらば自分が引かしてやるのにと云ふ望めない望みにも裏切られて、自分の目は弱く他へ轉じた。 ﹁立派な箪笥や茶箪笥があるぢやアないか?﹂ ﹁わたしだツて﹂と、女は答へる、﹁お嫁に行つて、人の細君になる時がありますから、ね、﹂ 元祿女郎を書いた掛け物がかかつてゐる半間の床の間には、女學世界、婦人世界などが積み重ねてある。また、家政學、裁縫教科書、挿花の栞しをりなどがある。 然し、さういふしをらしい、所帶がかつた物を見て、女がいつか人の妻になるその用意をしてゐるのかと思ふと、矢ツ張り、淺薄な、くすぶつた普通並みの女房になつてしまふのだらうと云ふ想像がさきに立ち、憐れん憫びんと侮蔑とが互ひ違ひに嫌惡の繩を綯なつて行く。そして、その繩が自分の身のまはりに段々蛇の樣に纒つて來るのを感ずると、義雄は早くそこを拔け出したくなる。﹁ああ、早く歸りたい、なア﹂と、渠はさもつらさうに云つて、うつ向きに長くなり、投げ出した毛脛の足を以つて、右と左りをかたみに、疊の燒やけ蹴げりをする。 ﹁丸で子供の樣だ、ねえ。﹂女は座を立つて、義雄のわきへ來て坐わる。 義雄も亦、うつ向いたのを仰向けになると、ぢツとこちらを見てゐる女の顏を下から見あげることになつた。何だか抱きついてやりたい樣な氣になつたが、いい氣になつて、女の巧みな手てく管だにのつたと思はれはしないかと思つて、ただ苦笑ひをしてゐる。近頃の寂しさが初會の女をでも若し心の奧まで抱き込めるなら抱き込みたい氣にこちらをならせてゐた。 ふと氣がついたのは、女の左りの耳たぶの下部に、ちひさな瘤の樣な物が附いてゐる。梅毒の吹き出た跡か知らんなどと思つたが、それにしては、顏の無事であるのが不思議だ。 ﹁まさか﹂と、心ではさう云つて信じないが、憎まれ口のつもりで、﹁もう、一度は吹き出たんだ、ね?﹂ ﹁何が、さ?﹂女は兩手を以つて上から義雄の胸を押す。 ﹁その﹂と、押されたのを少し苦しみに感じながら、﹁耳たぶの瘤よ。﹂ ﹁これは、失禮ながら、そんなあやしいものでは御座いませんよ。﹂女は憎らしいと云はないばかりに義雄をゆすりながら、﹁ニキビの固まつたのです﹂ ﹁どれ、見せろ。﹂手を出すと、女はおとなしくその方の耳を少し傾むける。そして、義雄がそれをさはつて見ると、やはらかい。 番頭の足音がするので、女は自分の座に戻つた。義雄も亦坐わり直した。そして、渠の心の中では、いツそ、金が來ないで、もツとかうしてゐたいと思つた。 然し氷峰から屆けて來た封金に不足はなかつた。義雄はいよ〳〵立ち去らなければならない。 ﹁また來て頂戴よ﹂といふ聲を從へて、廊下へ出ると、 ﹁今歸るの﹂と、呑牛のなじみが聲をかける。かの女は自分の部屋の前なる欄干に倚つて、下庭の池の緋鯉の泳ぐのを見てゐたのだ。名は左近と云つたツけと、義雄は思ひ出しながら、 ﹁さよなら﹂と答へると、 ﹁またお出でよ、ね、――またお出で。﹂左近も斯う云ひながらついて來た。 二階の段を下だり、裏玄關にまはしてある履き物を引ツかけて出ると、敷島も附いて裏門のそとまで來た。 ﹁また來て頂戴よ﹂と繰り返すのを冷淡に聽き流して、出たところを誰れか知り人に見られはしないかと思ひ、角まで一直線に急ぎ進み、曲りがけにふり向くと、裏門の柳のもとに、まだかの女ぢよは立つて、こちらを見てゐた。 ﹁‥‥‥‥﹂たツたおひるまでのゐ殘りになんだか一ヶ年も二ヶ年も一緒に住んでて別れたやうな親しみがあつた。二十三
義雄はその足で氷峰の下宿へ行つたが、留守だ。雜誌社の方へ行くと、氷峰が出しぬけに云ふ、 ﹁ゆうべ君は持てた筈ぢやぞ。﹂ ﹁そんなことがあるもんか﹂と答へたが、義雄は女の態度がこれまでに自分の經驗しなかつた親切な態度であると思ひ浮べてゐた。そして、あれは女その物が親切であるのでなく、あの店がさうさせて客を引くのだらうと云ふことを説明した。 ﹁それもさうぢや。﹂氷峰は金魚の經驗を思ひ起したらしく、﹁もとから、あすこは丁寧なところぢや――實は、金を屆けないで、もツと君を心配さしてやらうかと思うてをつた。﹂ ﹁そんなことをされて溜るかい?﹂ ﹁まア、これを見給へ。﹂氷峰は自慢さうに一つの封書の開封してあるのを出す。見ると、渠が中島遊園で密會した若杉貞子の手紙だ。義雄は中を出して讀んだが、要するに、氷峰にはほかに女があるさうだから、自分如きものはと遠慮して、とてもお邪魔になるだらうといふことが書いてある。 ﹁どう返事をしたのだ?﹂ ﹁車屋に持たせて來たのぢやが、僕は無論ほかに女がある、貴きぢ孃やうにその中へ這入られては邪魔だ。僕から要求した金も、他で工面するから、入らないと書いてやつた。女といふ奴はいやなもんぢや、もう、燒いて來たのぢや。﹂ ﹁そりやア當り前だらう、一度でも關係しちやア。﹂ ﹁然し、僕の要求は少しも果さないで、そんな勝手なことが云へる筈ぢやない。﹂ ﹁それもさうだらうが、君の思ひ切りがいいのにも感心すらア。﹂ ﹁君に感心して貰つても、一向金は出來ぬ。﹂ ﹁然し向うの身になつて見給へ、な。﹂ ﹁あれだツて、娘ぢやと云うてをるけれど、何物ぢやか分るものか!﹂ ﹁さう考へりやア一言もない、さ――女郎を君が胡魔化すのと同じだから。﹂ ﹁それも、僕が本當に惚れたのなら、別、さ。﹂ こんな話をしたあとで、義雄は朝晝兼帶の食事の代りに、氷峰と共に、露ロ西シ亞アパンを噛じつた。辨當を取る金がなかつたのだ。 義雄が有馬の家へ歸ると、原稿料がかはせで一と口、友人からの電報で一と口、來てゐた。いよいよこれで歸京が出來る。 それを郵便局へ行つて受け取つた歸り途で、有馬の子供にやるみやげや、夕飯の馳走を買つた。 然しあす、あさつてに出發すると云ふのではない。と云ふのは、義雄が何か一つ握つて置きたいと云ふつもりで、先般、樺太廳の或人に照會したことがある。樺太の木材を樺太以外へ輸出する目的で切れば、特別な保護があるので、税も非常に安い。そして、木材の性質も、三井物産の探險隊が先年報告した樣な、そんな惡いものばかりではないらしい。渠等は實際の探險はせず、いい加減の報告材料を拵らへて、徒いたづらに飮んでゐたのを聽いて知つてゐるから、あれは決して信用出來ない、と義雄は思つてゐる。それを切り出して、一つ北海道の木材と競爭する計畫を立てて見たいので、それに關する問ひ合せの返事を待つてゐるのだ。 その返事がここ二三日のうちに來る筈だ。 晩酌のほろ醉ひにまかせて、義雄は有馬の家から二三町さきの巖本天聲を音づれた。 一つには、歡迎會などのことで世話になつたので、さう冷淡にほうつて置けないからでもあるが、今一つには、出し拔けに歸京を報告して、もう、渠の樣に要領を得ないものの言を待たないといふ意をほのめかしたのだ。 すると、天聲はあわてた樣子をして、 ﹁さうせツかちにしなくてもよからう﹂と云つて、パスのことを旭川へ度々云つてやつて貰ふのだが、旭川の支局長がなか〳〵ずぼらで、今囘に限らず、いつも滅多に返して來ないこと。事務の方に、義雄を相當に歡待するだけの費用を出させたいのだが、それも僅かに二十圓内外しか出さないこと。然しその金は既に預つてゐるから、今、中止されては、自分が事務の方に對して困ること。その代り、それだけでは何とも仕やうがないから、今一度パスを請求して見るといふこと。などを語つた。 ﹁では、まだ多少の望みはある﹂と思つて、義雄はそこを出た。天聲は、中央公論に出た田村論の駁論を義雄が書いてゐるのを知つてゐるから、それを書きあげたか、どうかといふ樣なことを聽き、且、早く書き給へと親切らしく云つた。が、義雄にはこの時何だか他人の仕事の樣に思はれて、別に乘り氣になつた話はしなかつた。 歸つて見ると、まだ九時だ。有馬夫妻は爐ばたに坐つて話してゐる。義雄は何氣なくその仲間入りをすると、夫婦はいづれもしよげた樣な態度が見える。 ﹁夫婦喧嘩でもしたあとか知らん﹂と思ふと、さうでもないらしい。 義雄はメール社の話がまだ見込みのないわけではなかつたことなどを語つて聽かせた。と云ふのは、こないだ中から、何の話も一つとしてまとまらない爲め、渠等の方に少からず不信用の樣子が見えて來たので、これでも一つ出來たら、渠等も多少自分の價値を認めるだらうと考へたからである。然し、義雄の心では、その實、それを――條件が餘り面白くなささうなので――決してさう結構な話とは思つてゐないのだ。 すると、お綱さんが突然、云ひにくさうな樣子で、 ﹁今晩は島田さんの方へとまりにお行きなさらんので御座いますか﹂と云ふ。義雄は變な心持ちがした。勇も亦かの女に附いて、 ﹁實は、今晩叔母が歸つて來るか知れないのだ――君も知つてる通り、人の留守番に行つてゐる﹂と云ふ。 ﹁それが來ると、あなたの蒲團が御座いませんのですよ。﹂ ﹁貧乏所帶はこれだから困るんだよ﹂と、勇がまた附け加へた。 お綱と勇とは顏を見合はせた。そして、それを見た義雄は苦笑ひして、では、なぜ先刻出る前に云つて呉れなかつたのだとは思つたが、 ﹁それも尤もだから――僕ア行かう。然し島田にも別な蒲團があるわけぢやアないのだ。然し、まア、お休みなさい。﹂かう云つて、渠は再び有馬の家を出た。 夫婦が立ちよつて見送りながら、惡くは思はない樣にと頻りに辯解してゐたが、渠には、もう、それが立派な辯解には取れなかつた。 ﹁體よく夜やち中ゆうに追ひ出されたも同樣だ。﹂かう考へて、渠は重い足を運ぶ。そして、かの八月十五日の午後二時頃、初めて札幌停車場の前に立つた時の寂しい感じを、今夜また、舊暦八日のつき夜に思ひ浮べた。 博物館構内へでも這入つて見ようと思つて、直ぐそばの入り口まで行つては見たが、高い繁しげ木きの數多い根もとを透かして、暗く牧草の生えてゐるのが、如何にも物凄い。そして、風にゆらぐ繁葉の間から、隱れた月の光がぽろり〳〵と夥あま多たの蛇の目の樣にひかつてこぼれるのを見ると、どうしても、おぞ氣がついてそこへ這入る氣になれない。 然し渠は牧草と寢床、木の枝と家を聯想して、自分も兎や蛇の形になつてゐたら、こんな苦悶やまごつきはなからうにと考へる。 構外の路のなかに立つ例のアカダモの樹かげに行き、その根に腰かけて瞑想すると、自分と云ふ物の心しん熱ねつまでが自分の目前にあらはれて來て、生存と云ふ苦悶の闇を照らす樣だ。然しその照らしは却つて自分の苦悶を一層明暸に自覺させる鋭さであつた。 そこにもゐたたまらないので、また歩き出す。然し今から氷峰の下宿へ行つたとて、あれもゐないかも知れない。よしんばゐたとて、つづけざまに風邪の氣味があるので、早く寢てゐるに相違ない。その一つ寢床へ這入り込むのは氣の毒だ。それに、こないだ、一緒にその床のあとさきに枕した時の寒かつたことを思ひ出すと、再びさういふ目に會ひたくない。 ﹁勇等の考へでは、金が來たから、宿屋へでも行けといふのか知らん﹂と、初めてかう氣が附いて見ると、なほ更らそんな氣にもなれない。 ﹁矢ツ張り自分は自分だ﹂と考へると、知力も意志も共に感情と合體して、﹁薄すす野きのへ行け﹂と命令する樣だ。そして、どうせ行くなら、ゆうべの女のところへ行つてやらうと云ふ氣になる。 敷島といふ女が、どことなく、他のよりは可愛い樣なところがあつた。 井桁樓のおもてに達すると、入り口で、涼しいのに、見知りの番頭が睾きん丸たま火鉢をしてゐた。冷淡に構へて、然し顏を赤らめながら、義雄は女の名を云つて、その部屋が明いてゐるかを聽くと、 ﹁へい。﹂渠は馴れ〳〵しく、﹁明いてをりますから、どうかおあがり下さい。﹂ 確かにさうかと念を押したうへ、店を張つてゐるものらにわざと顏を見せない樣にして、つか〳〵あがつた。そのあとに、ばた〳〵といふ拍子木の音がした。 敷島の部屋に飛び込み、獨り、床の間の前の座蒲團の上で、火鉢に向つてあぐらをかき、そのまま壁にもたれて、川崎雜誌社長がさきに高砂樓でした樣に兩袖で顏を押へてゐると、ばた〳〵云ふおいらん草履の音が近づいて來て、障子が明く。 多分敷島に違ひないと思つたから、義雄は袖で固く顏を隱してゐると、 ﹁へん、そんなことしたツて、駄目だ﹂と云ひながら、かの女は這入つて來て、火鉢を中に義雄と相對して坐わる。﹁入らツしやい。﹂ ﹁はい、入らツしやい。﹂渠もわざと固苦しくあたまをさげたが、微笑してゐた。 ﹁來て呉れればよいと思つてたところへ呼ばれたので﹂と、女もにこ〳〵しながら﹁誰れか知らと考へながら來たら、矢ツ張りあなたであつた。﹂ ﹁おれも﹂と、義雄は火鉢に兩肱をかけながら、﹁ばツたり〳〵とお前の草履の音だらうと考へてゐたら、矢ツ張りお前であつた。﹂ ﹁眞似師だ、ねえ﹂と、女は火鉢を越えて渠を打つ。 ﹁然し﹂と、義雄はその態度のまま、﹁まア、結構だ。﹂ ﹁何が、さ?﹂女は不思議さうに云ふ。 ﹁いつ來ても、御商賣が繁はん盛じやうしない樣だ。﹂ ﹁人を!﹂あツけに取られた樣に體を正し、﹁馬鹿にしてる、ねえ﹂と、聲を引ツ張り、﹁お氣の毒だが、もう、晝間からかせいでしまひましたよ。﹂如何にも憎らしさうだ。 ﹁ぢやア、おれは來てやらないでもよかつたのだ。﹂ ﹁何ぼでも、お客が多い方がいいぢやないの?﹂ ﹁然しさう多けりやア、また、おれとばかりしツぽりといふわけにやア行くまい?﹂ ﹁だから、明けて置いたとお思ひよ。﹂ ﹁親切だ、ねえ、この子は。﹂ ﹁親切ですとも、あなたには。――今晩は、もう、店へ出ないの。﹂ ﹁そんなことを云つて、矢ツ張り、敷島さん﹂と、番頭の大きな呼び聲を眞似る。女は不意を打たれて、 ﹁びツくりするぢやないか﹂と、胸を撫でる。 ﹁然しさう云つて呼びに來たら、矢ツ張りお客に出るぢやアないか?﹂ ﹁いえ、出ません、わ、今晩に限り――病氣だと云うて。――實際、けふはいそがしかつたもの。﹂ 女はあまえてゐる樣な調子だ。義雄は然しあまい奴と見られない樣に、見られない樣にと努めてゐる。そして、何氣ない風をして、女の耳たぶの下部のニキビのかたまりと云ふのをさはつて見る。番頭が臺の物を持ち運んで來たので、その番頭に、 ﹁けふは、番頭さん、ゐ殘りぢやアないから、安心して呉れ給へ。﹂ ﹁へい、恐れ入りました。﹂渠はあたまを下げて去る。 ﹁また來たの?﹂左近が通りすがりに義雄の聲を聽きつけ、そとから聲をかけた。 ﹁はア﹂と、ちよツと氣恥かしい樣な返事をしたが、思ひ直して、﹁また來ましたから、どうかよろしく願ひます。﹂ ﹁こツちこそよろしくです、わ。――高見さんは?﹂ ﹁けふは會はないから知らない。﹂ ﹁ひどいの、ね、あなたばかり來て。﹂ ﹁そりやア濟まなかつた。﹂向うへは平氣らしく云つたが、獨りで來たのがこちらの女に弱みを見せるわけだ、な、と思つて、少し自分で自分が面白くなかつた。 ﹁まあ、お這入り﹂と、敷島がお上手をつかつたが、左近は障子にも手をかけない。 ﹁仲よくお二人でお話しよ。敷島さんはあなたに惚れたのよ。﹂ ﹁そりやア、まだ早過ぎるよ﹂と、義雄は障子の方を向いて答へる。 ﹁馬鹿におしでないよ。左近さん。﹂敷島はゆるんでゐるが、然し圓味を帶びた口調で、﹁これでも場數を踏んで來たおいらんですから、ね。﹂ ﹁左樣、左樣﹂と、そとのも冗談に答へて、﹁だが、ね、田村さん。﹂ ﹁はい〳〵。﹂ ﹁あなたのやうな呑氣な人のお話は面白いから、また聽かして頂戴よ。﹂ ﹁はい、かしこまりました。﹂わざと斯うは答へたが、自分を呑氣な人間と女どもが本氣で思つてるかと思ふと、馬鹿々々しくもなつた。 ばた〳〵云ふ草履の音が廊下の奧の方へ響いて行つた。 左近の云つたことを敷島のゆうべ以來の言葉振りや樣子に照らして見ると、かの女の﹁初會惚れ﹂云々の唄もまんざら無意味に低唱したのではなからうかとも思はれる。 然し何の見どころあつてさうかと考へて見ると、それも女等の言葉に徴して、ただ﹁呑氣な人﹂﹁面白い人﹂と云ふにとどまるらしい。 自分は決してそんな男ではない。と、かう義雄は心で憤慨した。こんなところへ來るのが既にやぶれかぶれであるので、思ひ切つた馬鹿も云ひ、思ひ切つた踊りもするからこそ、渠等は不斷の不愉快と低氣壓とから救はれて、面白くもあらう。 渠等の不斷の生活が所いは謂ゆる苦界で、つらいことはつらからうが、そのつらさは子供に與へるおもちや同樣の物を與へれば濟む。たとへば、人形とか、風船玉とか、飛行機模型とか、そんな物で一時をまぎらしても濟むのだ。渠等自身が既におもちやだから、人をおもちやにするのも何とも思つてゐないのだ。自分はいくら失敗や墮落しても、決して渠等の慰みには使はれない。 ﹁然し、まア、假面をかぶつてゐるのも一興だ﹂と覺悟して、義雄は女の調子を取つてゐる。 そして、互ひに酒をついだり、つがせたりしながら、義雄はきのふと同じ冗談を云はうと思つても、どうしてか、それが出ない。また云ひたいこと、問ひたいことが女の身の上や考へに就いて山々ある樣で、然し、それも相手がそんな種類の女だと思ふと、眞面目には出て來ない。 あり振れた題目よりほか話がないままに、膳も引けてしまつた。 義雄は左近――の方をいいと見たので――あれを敷島よりも好きだと公言する。すると、敷島は、あの人は若い樣だが、自分より三つも四つも年うへであり、また、おとなしいので、近々引かせて呉れるお客がついてゐるなど云ふことを語つた。そして、 ﹁わたしも、誰れか引かして呉れるお客があれば、ね――﹂と、聲を引いて、遠慮がちに男にすがり附く。然し男が、 ﹁ぢやア、おれが引かしてやらうか﹂と云つても、なか〳〵信ずる樣子はない。 ﹁けふ日のお客さんは女郎よりも餘ツぽど商賣人だ﹂と云つて、女は男といふものの信じ難い例として、自分の一度打ち込んだ道廳の青年官吏の物語りをした。隨分つかはせたあげくだが、その友人と共に店の格子さきに立ち、百圓の金がなければ免職される破は目めになつたから、どうかして呉れないかとの相談を持ち込んだ。その翌日、自分がこの店へ住み換へをして、それを調達してやつたのは遣つたが、それが男の官金を費消した埋め合せになつたばかりだ。有罪にはならなかつたが、そのまま遠方へ轉任して、便りがなくなつた。 ﹁それから、もう、二度と再び男になど惚れるものか﹂と決心したのださうだ。そして、女郎を本氣にさせるのは容たや易すいことだ。二三度ぱツぱと使つて見せ、それから格子のさきに立つて、ちびりちびり無心を云ひかければ、初しよ手ての女なら、大抵それで釣られてしまふといふことを語つた。 然し、かの女が義雄の顏を、屏風のあちらになつてゐる電燈の光の薄暗い餘波に照らして、ぢツと見つめながら、 ﹁うらの返しに來て呉れたの、ね﹂と云つた時は、渠も何となく女の寂しい心が思ひやられ、それを、あす、また、裏門の柳のかげから、冷然として、あとは見ず知らずの人の如く、立ち去らなければならない自分の心と對照して見た。二十四
その翌日、氷峰の下宿で朝晝兼帶の食事をやつたが、敷島にあつくなつてゐると思はれるのが不本意だから、義雄は不斷の開放的談話家に似合はず、井桁樓のことは餘り口に乘せなかつた。
然し今晩も亦行つて見たくなつたので、たの字よりとして、女に當て午後六時頃には行くから、部屋を明けて置けよといふことを、ハガキに書いて送つた。それほどなら、けさ出る時云ひ置いて來ればよかつたのだが、さういふのが何となく意久地ない樣な氣がして、相變らず、つらい心を冷やかに見せて歸つて來たのだ。
北海實業雜誌を送つてやつた。それは約束であつたのだが、どうせ行くのなら持つて行つてやつてもいいのに、それとこれとは何だか別なことであるかの樣な氣がした。且、また、自分の行くまでに雜誌を見て、自分が實際何をやつてゐるかといふことを知らせて置きたかつたにも由よるのだ。
今度は裏門から這入つて、裏玄關のがらす戸を開けた。すぐそばの便所のにほひがアルボースにうち消されたまま匂つて來る。そのにほひは、丁度、自分が穢きたない方面に這入りながら、目をつぶつて、心の内容を披瀝する氣持ちの樣に思はれ、それによつて、義雄は自分自身の現在の立ち場をよく嗅ぎつけることが出來た。
戸についてゐる鈴が鳴つたので、おもての方から番頭が草履を持つて飛んで來た。かれにさき立つて階段を二つに折れてのぼり、廊下の角の左り手の部屋へ行かうとすると、
﹁ちよツとこちらへ﹂と、右の方へつれて行く。
﹁畜生! けふはまはし部屋だ、な﹂と思ひながら、先づおもて二階の廣間へ行き、低い大きな飯臺の前に腰を据ゑる。
やがて敷島がにこ〳〵してやつて來た。然し臺を隔ててさし向ひになり、義雄の浮かない顏を見た時は、かの女も眞面目臭くなり、
﹁今晩は濟みません――あなたのハガキが一と足遲く來たもんだから、部屋がふさがつたのです。﹂
﹁然しさう遲く屆いた筈ではない﹂と、義雄は重い、浮かない聲で、﹁かな棒時間よりも早かつたに相違ない。﹂
﹁それでも、お客さんがさきへ來たら、仕やうがない、わ。﹂女もうらみ聲で云ひ爭ふ樣に云ふ。
﹁仕やうがないから、おれも仕やうがない、さ。﹂
﹁では、歸ると云ふの?﹂
﹁ああ、歸れと云ふなら、歸る、さ。﹂
﹁誰れも歸れとは云はないぢやありませんか?﹂
﹁ああ、誰れも歸れと云はない、さ。﹂
﹁それなら、素直にしてゐたら、いいでは御座いませんか﹂と、女は笑ひながら臺をまはつて來て、男のそばへぴツたり坐わる。
﹁今晩は生あい憎にくなんだもの――でも、一人でも急がしいなら、喜んで呉れるのが當り前だのに。﹂
﹁そりやアお前の爲めには喜んでゐる、さ。然しおれが不愉快なんだ。﹂義雄はまたいや味を云ひながらも、出て來た臺の物に向つて、猪口の取りやりをした。
まはし部屋に引けてから、女は茶を入れて置いて、寢床を取りながら、
﹁これでいよ〳〵なじみになるの、ね﹂と云ひ、をととひの初會、ゆうべの返し、今夜からなじみ、つづけて來たのだといふことを嬉しさうに語る。
﹁おなじみがふえて結構でせう﹂と、義雄は冷かす。
﹁‥‥‥‥﹂女は冷かされてもただにこ〳〵しながら、本部屋の方から、わざ〳〵、綺麗な枕や赤い肩敷き――義雄の親しみある――を持つて來て、休む仕度をする。
その間に、左近を初め、その他の女が澤山入り代り、立ち代り、やつて來て、叮嚀らしい挨拶をしながら、義雄の顏を見て行く。渠は﹁人を見せ物にしてゐる﹂と思つたが、實は、敷島が色男を得たと云ふわけで、その祝ひらしいことを皆にさせられ、皆はまたその禮に來たのだと分つた。
﹁向うのお客を棄てて置いてはよくなからうよ。﹂義雄はいや味半分、粹半分の心持ちで云ふと、
﹁なアに、今、どこかへ遊びに出て行つてゐないから﹂と答へながら、床の中へ這入つて來た。そして、男と横に向ひ合つて、これで、まア、安心といふ樣子だ。
義雄の判斷では、この種の女等は殆ど戀しいといふことを知らない。朝、目がさめて、客を送つてしまへば、その日の晩はまた同じ人が來るか、來ないか分らない。たとへ戀しいと思つても、その人が來なければ、それツ切りのことだ。
客の歸り姿を送つて、また來て呉れればいいと思ふことはいくらもあらう。然し、その代り、門を一歩離れてしまへば、自分の心はもう屆かないといふ經驗を幾度もしてゐる。
渠等の人生は曲くる輪わの中に限られてゐて、そこを離れたものはすべて死でもあらう、虚無でもあらう。ただ男を自分のそばに引きつけてゐる間が、その商賣でもあり、生活でもあり、生命でもある。そして、その男が好きであり、可愛くあれば、その間だけ眞實の生活がある。
かう思ふと、義雄はこの種の女が自分の主義をちひさく實現してゐる樣に考へられる。曲輪以外は死または虚無の空想界である。無經驗、無思慮の女は、一般の俗習家等の空想界に求める理想と同樣、頼むに足らない死人同樣の戀を追うて失敗する。然し本當に思慮あり經驗ある女は、全く空しい戀などに一時の安心を求める樣なことはしないで、自己の苦界に密接して來た戀をばかりその場の實質ある糧かてにする。だから、握つた間はその男を離さない。これが却つて最も切實な、最も遊戲分子の少い愛であらう。
自分に對する敷島が、然し、そんな切實な愛を持つてゐるか、どうだか分らないが、それと同じ樣な心持ちにはなれる稼業だと思ふと、その樣子振りから言葉つきに至るまで、義雄にはそれと取れないこともない。
そして、義雄があがつた時、女は渠の送つた雜誌を店で繰りひろげ、渠の書いた談話を讀んでゐたところであつたと語つた。そして、女は少し取り澄ましながら、
﹁僕はこれまで文學者であつた。これからもやツぱり文學者でつづくのだ﹂と、暗誦して見せる。その眞意が分つてゐるか、どうか知らないが、ただすら〳〵と、雜誌に出た義雄の文句通りを暗誦し、そのあとに書いてあることまでもお浚さらひするのを聽くと、渠は自分がかの女ぢよに半ば了解された樣な氣がして、自分を今遠く離れてゐてよく理解して呉れないお鳥などよりは、ずツと親しみがある樣だ。
この苦界に辛抱してゐるほどだから、こちらと一緒になつてこちらの悲哀と苦痛とを共にすることもできないことはなからう。いツそのこと、この小づくりな女を引かせることができるなら引かせて、義雄は自分のまだ飽かない燒けツ腹のこの放浪を――無理に東京などへは歸らないで――かの女と一緒につづけてもかまはないと思つた。