一
お鳥は、兄のところを拔けて來る場合が見付かり難にくかつたとて、四日目にやつて來た。そして直ぐ入院した。持つて來た行李までも運び込まうとしたので、義雄は、 ﹁荷物までも入院させるには及ぶまい﹂と云ふと、 ﹁お前は信用でけんから、ね。﹂頸をつき出し、目を細く延ばした。 ﹁もう、質屋へは入れないよ。﹂ ﹁分るもんか。﹂ ﹁けちな奴だ﹂とは云つて見たが、義雄はかの女ぢよの始末なのを一年以上も利用してゐたのを思ひ出す。思ひ通りの贅澤はやらせることが出來なかつた代り、いつもまとまつた金の取れた時に、それをすべてかの女にまかせたのである。 すると、それを大事がつて、よくしまつて置き、ちびり〳〵と實際生活上の必要にしか出さない。そして、一ヶ月なり、一ヶ月半なりのうちに、みんな無くなつてしまふ。然し、それでも、まとまつた金を受け取る時の嬉しさをかの女は忘れられない樣子であつた。 然し時々その手を氣が付いて自分のつまらないのを訴へることもあつた。そんな時は、かの女の望み通り、西洋料理屋なり、音樂會なり、三越、白木屋などにつれて行つた。 ﹁考へて見れば、若い女をむざ〳〵と、可哀さうでもある﹂と、成るべくお鳥の爲なすがままにして置くのである。 寂しいから、夜だけは義雄の方へとまりに來て呉れろと頼んだが、それも人の手てま前へ、をかしく思はれるからいやだと云つた。 ﹁みなに何と云はう? 兄さんだと云うて置こか?﹂ ﹁そんな嘘を云つたツて、人には直ぐ分るよ。﹂ ﹁どう分るの?﹂ ﹁亭主でなければ、色男、さ。﹂ ﹁いやアなこツた!﹂かう云つて、わざと横を向き、﹁そんなおぢイさんを――さう思はれるのは恥かしい。﹂ ﹁恥かしいたツて、覺悟の上ぢやアないか?﹂ ﹁では、お父さんだと云をか﹂と、からかつて笑ひながら、﹁けふも、直ぐ旦那さんにすれば、年が行き過ぎてる云うてたさうだもの。﹂ ﹁年寄りの旦那さん――西洋人なら、いくらもあらア。﹂ ﹁毛唐人ぢやあるまいし、いやアなこツた。――それとも、お前が田中子爵の樣に金持ちなら――﹂ ﹁さうすりやア、どうせ、お前ばかりではない、五人でも、六人でも、意い張ばつて女を持つかも知れない。﹂ ﹁若く生れ變つてお出でよ。﹂ ﹁その時ア、寫眞屋さんなどは女房にしない、さ。﹂ ﹁誰れもお前の女房にして呉れとは云うてをらん。今、少しで仕あがるところを惜しいのだけれど――﹂ ﹁さう、さ、仕上がる頃には、寫眞學校のハイカラ生徒とくツついてゐたのにと云ふんだらう?﹂ ﹁御心配には及びませんよ。獨りで寫眞屋を開業して、若い人を喰はしてやらア、ね。﹂ ﹁それがお前の理想か?﹂ ﹁へん、お前の無理想とか、屁へり理さ想うとか云ふのとは違ひます。﹂ ﹁利いた風なことをぬかすな﹂と、義雄は、眞面目になつて、自分の威嚴を持つて主張する主義にわけも分らず口を入れる女を叱りつけた。 お鳥は、看護婦や入院患者等に親しみが出來、病院の勝手が分つて來るに從ひ、金錢上の不自由を感ずる樣になつた。 それを小こ分わけして見ると、三等室の患者は役員や賄まかなひまでに馬鹿にされることもそれだ。ほかの人は二枚も三枚も立派な着がへを持つて來てゐるのに、自分はいつも一枚しかないこともそれだ。人はつき添ひの婆アさんを雇つたり、看護婦を頼んだりしてゐるのに、自分はたツた獨りぼツちであることもそれだ。また出るお膳だけではうまくないと云つて、鑵詰を明けたり、うなぎをあつらへたり、間かん食しよくをしたりする人々の間で、自分ばかりがつつましくしてゐるのは、如何にも貧乏臭く見えることもそれだ。 ﹁あなたは感心に間食をしませんな﹂と云はれたのを、お鳥は非常に輕蔑された樣に思つた。 心細くもなつたのだらう、また一つには、義雄をつき添ひと見せる爲めでもあらう、せめて、毎日、渠かれを幾いく度たびも病室へ見舞はせたり、また自分から渠の下宿へ出かけたりして、多少の滿足をしてゐる。 義雄も亦、お鳥の特に氣分が惡さうな時は、閉門時刻までも、そばについてゐてやることもある。そして、氷ひよ峰うほうの細君になるときまつたお鈴の弟が――義雄に一度遊廓をおごられた關係から――病人の見舞ひとして、ビスケトの鑵を贈つて來たのを持つて行つてやると、お鳥は他の患者等に對して見えがいいと喜んだ。 夫婦としては餘り年が違ふと云ふこと、並びにお鳥がそこではおほハイカラに見えることが注意を引いて、たださへ新らしい話し種だねを求めてゐる患者間に、おほ評判となつた。 ﹁なか〳〵親切な旦那さんです、な﹂などと冷かされながらも、お鳥自身は病院内でなか〳〵持てるので、その點はかの女ぢよも愉快らしかつた。 或時、義雄が見舞ひに行くと、お鳥は隣りの寢ねだ臺いの、﹁わたしの良りよ人うじんは教育家です﹂と意張つてゐる、小學教員の細君に寫眞を出して見せてゐる。かの女等が寫生した物ばかりだ。 隅田川の景色もあれば、大森の八景園や鎌倉の大佛もある。男生徒と女生徒とが田舍者の夫婦に假裝して、わざと道だう化けた取り方のもある。またお鳥自身が特に修正までしたと云ふのには、或る庭園の茶室の縁がはで、ハイカラな青年の腰かけたのが寫つてゐる。そして、それと同じ庭園の一部らしいところで、お鳥が片手に蝙かう蝠もり傘がさをつき、一方の肩に寫眞機を入れた角かくカバンをかけてゐるのもある。 義雄は最後の二枚を見て、むら〳〵と嫉妬の念が起つた。そして、その男とお鳥とが互ひに自分等を寫し合ひしたのだと思ふと、確かに一つの疑問の見當がつけられた。 然しその場では何とも云へないから、何なに氣げない樣に再びその二枚を見かはすと、どちらの人物も齒の浮く樣にきざなのが目に立つ。男は長い髮を眞ン中で奇麗に分け、ハイカラの洋服すがたが、如何にも女に見せてゐる樣で、腰かけ方までいやににやけてゐる。女はまた持ち慣れないコダクを下へ手たに肩にかけ、その重みで顏の筋肉までが多少一方へ引き下げられてゐるのに、無理に澄まし込んで、その澄ました口がおのづからさきの方へ押し出されるのを、一方の傘で後うしろにつきささへ、お負けに、片足をあげて、まさに段々をおりようとするところだ。女の氣取るのも、ここまで來ると、あきれるよりほかはないと、義雄は思つた。 ﹁無學で、淺あさ墓はかで、虚榮心の強いものは仕やうがない﹂と思ふと、嫉妬などはどこかへ行つてしまつて、――不斷は、或程度まで虚榮心を許すべしと主張しながら、――輕侮といや氣としか起つて來ない。﹁然し、それも若い女のことだから﹂といふ樣な、寛くわ仁んにんの態度で迎へて見ると、義雄は娘に對する父の樣な氣にもなつて、ただかの女を監督してゐさへすればいい位の冷淡な考へにもなることがある。 渠の年輩として、老成じみた理性が、兎角、智、情、意合がふ致ちし心んの一角に高まり易いにも拘らず、その理性を情化合一するほどの心熱が、渠の主義として主張する刹那的強烈を以つて、戀を實現する用意は、いつも、渠の胸中に缺けてゐるのではないと、渠自身は思つてゐる。 然し渠はその勢ひづいた鼻さきを折られる樣な經驗を、さきには東京に於けるお鳥、最近は札さつ幌ほろに於ける敷しき島しまによつて得た。云はば、有形的な事業や渠の所いは謂ゆる戀愛的努力――すべての努力を戀愛的に解してゐるが――に極度の疲勞を來たし、――それでも、その疲勞のうちに疲勞の内容を握つてゐれば渠としてはいいのだが、――ただ疲勞の爲めに疲勞をおぼえる樣なゆるみが出來て來た。 この樣なことは、その他にもないでもなかつた。然しそれが有る度毎に、渠は、自分が深しん刻こくな命脈にはづれて、トルストイの冷れい刻こくにもならず、ドストイエフスキの熱ねつ刻こくにも行かず、ただ淺い、淡い、なまぬるい感じと氣分とにぐらついてゐるのをおぼえる。然し、渠自身はいつも強烈深大の不愉快と悲痛とを進んで受けてゐるつもりである。苦痛があればあるだけ、その苦痛をもツと深入りしたいともがくのが生命だと思つてゐる。 然しまた渠は、今、雲上から落ちた天人の樣に、大切な刹那をはづれて、その氣力がない。目前に接近する女性をも、熱烈に自己化しようとは努めず、ただあツさりと取り扱つてゐる。お鳥は、今では、却つてその方を喜ぶので、初めはそれと反對かも知れないのを恐れて、義雄の下宿へちよく〳〵きても直ぐ歸つたのが、段々いい氣になつて、長く話をしてゐる樣になつた。 そして、かの女ぢよはのろけまじりに昔の所をつ天とのことや近頃會ふ人々のことを語り、義雄の燒き持ち心しんを挑發しようとする。そして、 ﹁副院長さんはあたいに氣があるんだよ。ほかの患者がをつても、あたいが行くと、おほ騷ぎだ――あたいもあの人に診察して貰ふ方がえい、な﹂などと云ふ。 また、或看護婦がお鳥を二等室の一患者に取り持たうとしてゐるとか、男子の病室のものが時々廊下で待つてゐて、話をしかけて困るとか、すべて、かの女の根本的病状を知つてゐる義雄には、可を笑かしと思はれるのろけ話だ。 ﹁そりやア、まことに御結構――お鳥さんのではなく、庭には鳥とりの聲です﹂など云つて、義雄が受け流すと、馬鹿にされたと思つて、かの女は急にその色の白い、然し筋肉にたるみある顏をくしやくしやとしがめ、鼻息を荒くして、渠に向つて來て、 ﹁このおぢイさん﹂などと渠を打つたりつめつたりする。 然し、それではまだ足りないと思つてか、義雄が爐を右にしてがらす窓のそばの小机にもたれてゐるのを押しのけ、その席を奪つて、自分が机に向ひ、渠をじらすつもりで手紙を書き出す。手紙のことでは、義雄も、かの女と一緒になり立てには、隨分嫉妬的注意を拂つてゐたのである。自分以外に、どんな關係者があるかも知れないと疑つてゐたからだ。かの女は、然し、自分の出す一切の郵便物の宛名を、姪や自分の朋輩に送るのでさへ、渠に見せたことがない。渠は、たまに、見ないふりして見て置くくらゐのことにとどめてゐた。ここへ來てからも、隨分出したのは分つてゐるが、東京の ﹁本郷區千せん駄だ木ぎ﹂云々と、上書きに書いてゐるのをちよツと見て、あれは寫眞學校の先生のところだ、な、と思つたほか、別にどれにも追窮はしなかつた。 義雄の下宿には、お鳥と同じ年輩の娘があつて、練習がてら、或産婆の手傳ひをしてゐる。師匠の忙がしい時は、自分が代理になつて産婦の家へかけつける。そして、兩親に厄介はかけないで、自分の衣服などは自分で拵らへられるだけの給料は貰つてゐる。 その娘が、今年は、雪せつ中ちゆうを出あるく時の用意にとて、縞セルの被ひ布ふを拵らへた。お鳥はそれをうらやましくなつて、然し入院料で心配させたあげくであるから、さう強くは云へず、義雄に一つ買つて呉れいと云ふ謎を懸けた。 ﹁ふん!﹂渠が鼻であしらふと、 ﹁へん、御親切だから、ねえ﹂と、笑ひにまぎらし、﹁然し、あんな田舍ツぺいが被布を着たツて、似合やせん。﹂ ﹁お前だツて、東京ぢやア、まだ田舍ツぺいだ。﹂ ﹁そんなら、あたいが通ると、東京の人が年寄りでも見かへるのはどうしたわけだ?﹂ ﹁それかい?﹂義雄はわざと輕く受けて、机の上にある自分の旅たび用ようの小鏡をつき出し、 ﹁これと相談したら、分らう。﹂ ﹁ふン!﹂お鳥は額ひたひにゆるい皺を澤山寄せて、鏡を引ツたくつて、脇へ投げつける。﹁あたいだつて、さう惡い顏ぢやない。﹂ ﹁色が白いだけ、さ――お前のおほ廂びさしと顏の造ぞう作さくとが釣り合つてゐない。﹂ ﹁何でもえい、さ――お前の世話にはならん!﹂かの女ぢよは締りのない顏をそむけ、光りの青い目を疊の上に投げる。 ﹁ここの娘は實際自分自身の處分をしてイらア、ね。﹂ ﹁あたいだツて、寫眞の方を卒業すれば、そんなことは出來る!﹂ かう云ふ風な云ひ合ひもあるが、義雄は宿のものにはお鳥を體裁上妻と云つてゐる。お鳥はまたさう思はれたくないので、わざと、義雄の困る樣に、人々の前で、また聽えよがしに、勝手なだだを捏こねることがある。 お鳥は、最後に札幌に着した日から入院して、義雄の下宿にとまつたことがない。且、義雄の口には毒どく蛇へびのやうな毒があると云つて、お鳥は渠を避けてゐる。渠には、それが却つて意外の疑念を挿さしはさむ餘地を與へたので、ひそかに女の方の容態を確かめる爲め、或日、身づから病院の婦人科へ出かけた。 車つき運はこび寢ねだ臺いの上に乘せられ、魔睡劑の利き目がまだ殘つてゐるのが運び去られる。母らしい老人に負ぶさり、足のさきに繃帶された娘が出て行く。ハンケチに包んだ藥り瓶を提げ、實に氣持ち惡さうな青白い顏が、そろり〳〵と歩いて行く。 膽いぶ振りや日高の切り開らかれた道路の兩がはの、黒土の脇腹に火山灰層の白い筋が通つてゐる樣に、白ペンキで塗つた板かべの腰に二本の赤筋の通つてゐる廊下で、義雄はそんな患者等に出會つたが、それらに比べては、お鳥の病氣はまだ輕いと思つた。 そして、かの女の屬する治療室の入り口まで行くと、看護婦等は何の用があると云はないばかりの樣子だ。また、一方のベンチに腰をかけつらねてゐる婦人連は一切にこちらの方へ目を向ける。立派な身なりのもあつた、さうでないのもあつた。奧さんらしいのもゐた、苦くろ勞う人とらしいのもゐた。 奧の方には白い幕が張つてあつた。雨の降つてゐる日で、室内も周圍から壓迫したやうに鬱うつ陶たうしくかげつてゐる。 ﹁西ちべ藏つと密教の奧の院!﹂何だか、こんな感想が突然起つたが、それ以上は門外漢に神祕のやうだ。左りの方に掛り員室の入り口があるのに氣がつき、義雄は直ぐそこへ這入り、來意を告げる。 うは鬚のはねた若いのが、洋服の上に白びや衣くいをつけて、忙しさうにしてゐたのを見た。それがお鳥の好きな醫學士だらうと思はれた。 その翌日、三ヶ條の責任ある囘答が來た。第一、お鳥には梅毒の恐れは決してない。第二、ただ一たび移された痳りん毒どくが慢性になつたのだ。第三、それも經過はいい方だと云ふ。これで、義雄は自分以外の關係者が、自分の東京出發後、もしやあつたかとも思はれたその證據を實際に發見することが出來なかつたのである。 で、何げなく、お鳥を安心させる爲め、この囘答を見せても、なほ、かの女は最初と最後との證明を信じないほど、自分の病氣を苦にしてゐるのである。二
義雄はお鳥を世話する間にも、豫備金の不足になるのを心配した。そして、森本春雄に別れる時頼んで置いた通り、小樽へ手紙を出したり、電話をかけたり、また手紙を出したりした。然し松田からは一言ごんの返事もない。 そればかりが氣にかかるのと、渠の無謀に見える態度に友人等が同情を失ふ樣になつたらしいのとの爲め、義雄は外出もせず、病院見舞ひのほかは、下宿にばかり引ツ込んでゐた。ところが、或時、お鳥を見舞ひに行くと、その場所にゐない。 あれだけ行くなと云ひつけてあるのに、また例の二等室だらうと思つたから、知らない振りでその前をとほつて見ると、お鳥と看護婦との賑やかな聲にまじつて、男の咳をするのが聽えた。あれが肺病患者のだらうと思ふとたん、その聲が、 ﹁また旦那さんが來てもかまひませんか﹂と云ふ。 ﹁かまひませんとも!﹂お鳥の聲だ。 ﹁叱られますよ﹂と、これは看護婦らしい者の聲。 ﹁叱られたツて、どうせ別れるつもりですもの。﹂ ﹁いい氣になつてゐやアがる﹂と、義雄は憤慨した。如何に蟲を殺してゐるからとて、あかの他人にこちらの恥辱となるやうなことをしやべつてゐるほどの馬鹿な女だ! こちらもやがて別れるつもりはつもりだ。然し多少あの病氣がよくなるまではと辛抱してゐる。この寛大な取り扱ひを却つていい氣になつてゐる! ええツ! けふは、わざとこれツ切り見舞つてやるまいと決心して、久しく會はない樣に思はれて來た氷峰をその下宿に音づれた。 渠もいよ〳〵窮して來た。雜誌の第三號印刷代の内うち金きんを渡せる見込みがないので、原稿をまはす日限が來たに拘らず、まだその標準も立つてゐない。 ﹁おい、どうする氣だい――ぐづ〳〵してゐると、これまで世間が持つてゐた期待と信用とを失つてしまふぞ﹂と、義雄は注意する。 ﹁そりやア知れたことぢやが、なア。﹂氷峰は例の芥けし子ぼ坊う主ずの樣な、そしてまた竹の筒の樣な顏に苦笑ひをしながら、﹁來月一日から、また、今度は通常道會が招集されるので、十とか勝ちから出て來るあの議員を捉へて、いよ〳〵泣きついて見ようかとも思うてをる――然しそれには、雜誌が全く僕の實權内にある樣になつてゐなければ困るから、なア。﹂それがいよ〳〵金を出すなら、氷峰一個の利益の爲めに出して呉れるのである。そして、その實、社は川崎の物だとすれば、もし衝突して追ひ出されたりなどすると、その出金者に對しても、もう、再び泣きつくことが出來ないからである。 幸ひ、晴天で、小春日よりの樣な午後であつたから、渠は鬱うつ憤ぷん晴ばらしに義雄を誘ひ、中島遊園に散歩と出かけた。そして、池のふちをめぐつて、大だい中ちゆう本店の池の中の座敷の裏がはが見えるところの、椎の木のもとにあるベンチへ腰を懸けた。 氷峰は若杉貞子と密會した時のことを思ひ出して語るのである。 ﹁あの﹂と、池の中の座敷を指さし、﹁障子を貞子が用がすんでから明けた時、この木のもとに﹂と、そばの椎の方に向き、﹁お鈴が意外にも裁縫友達と立つてをつたのぢや。﹂ ﹁おこつたのも尤も、さ。﹂ ﹁うちへ歸つたら、もう、來てをつて、大いにふて腐りやアがつた。﹂ ﹁今となつて見りやア﹂と、義雄は氷峰を見て、﹁その若杉といふ娘と一緒になつてゐた方が雜誌の爲めにも融通がついてよかつたらう。﹂ ﹁然しあいつは、實際、娘であつたか、喰はせ物であつたか、分りやアせん。﹂ ﹁今、どうしてゐるだらうか、ね?﹂ ﹁北海道には、あんな素すじ姓やうの分らぬ女がすくなくない、さ――當てにならん。﹂ こんな話を聽いてゐる時、義雄はその後會はなかつた加藤忠吉とその鐵道局に於ける一人の同僚とに出でつ會くはした。四人は一緒に舟を浮べようといふことになり、わざと細長い丸木舟を選んで、それに乘つて遊んだ。 ﹁時に﹂と、加藤は櫂かひの手を休めて、義雄に、﹁あの牧草地の一件はどうだ、ね?﹂ ﹁あれか?﹂義雄は他のことにかまけて殆ど忘れてゐたのを思ひ出し、﹁どうせ駄目だよ。﹂ そして、渠は自分の考への段々ぐれて來た實情を語つた。 義雄と氷峰とは加藤に別れてから高見呑どん牛ぎうを音づれて見た。 ﹁書記先生、どうぢや、な﹂と、氷峰は云ふ、﹁また、道會ではないか。﹂ ﹁うん﹂呑牛は目をぱちくりさせ、微笑しながら、﹁十一月一日から、さ。下らない議員どもを相手に、面白くもないが、喰へないなら仕方がないから、なア。﹂ ﹁それもさうぢや。﹂ ﹁然し、この頃、北海メールに對して、進歩派の機關新聞が出る計畫があるよ――主筆を僕の方に持つて來さうだから、條件さへよけりやアやつてやらうと思つてをる。﹂ ﹁あれも、然し、まだ當てにならん。﹂ ﹁そりやアさうとも――お互ひにかうごろついてをつて、なか〳〵いい儲けもないものだ、なア。﹂ ﹁僕も實際閉口ぢや。君の北星などを社會の上からは踏みつぶしたわけになつた北海實業雜誌も、こんな風で倒れてしまへば、結局、僕等仲間の恥辱、さ。﹂ ﹁共とも倒だふれのわけだから、なア。﹂口を圓めて笑ひながら、﹁然しまだ北海道は大きな働きの出來ないところだ。﹂ ﹁君ア、なぜ﹂と、默つて聽いてゐた義雄が口を出し、﹁東京へ出る氣がないのだ?﹂かう云つて、渠は以前から疑問にしてゐたことを糺ただす。渠は呑牛がその得意な人物評論などに於いて中央公論の黒頭巾的筆法を眞似てゐながらも、なか〳〵達者で鋭利な記者的才能があるのに敬服してゐる。そして、あれ位の才能があれば、碌ろくな記者の少い東京に出ても少くとも筆の上だけでは決して後れを取るまいといふことを語る。 ﹁それは僕も多少考へないでもないが﹂と、呑牛は云ふ、﹁北海道に十五六年も住み慣れると、矢ツ張り、この田舍がいい樣にも思はれて、なア。﹂ぽかんと口を圓く明けて、僞りのない樣子をする。﹁それに、僕は惡辣な筆の爲めで排斥されるのは筆の人たる以上は却つて名譽だが、ほかに刑事と僞稱して、或油屋の升ますが規定に反してゐるとおどしつけた――もう、過ぎ去つた夢だが――そんなことで中流以上の人々に排斥されてをる。それを打ち消して、呑牛も紳士になつたと云はれるまでは、意地づくでも札幌に喰ひついてゐたいのだ。喰へないで逃げたと思はれるのは、僕に取つて、千古の遺憾だから、なア――まア、つまり、まだ未練があるの、さ。﹂ ﹁それぢやア、止むを得ない、ね。﹂ ﹁實際、君﹂と、氷峰も義雄に、﹁北海道に來て、一度新開地の味を知つたら、なか〳〵忘れられないものぢやぞ。﹂ ﹁如何にも、ねえ﹂と、義雄は受けて、﹁さう云はれて見りやア、僕も何だかさういふ風な味が出かかつて來たところだ。﹂かう云つて、北海道に來てから感じた――而もそれが渠の刹那々々の生命に吸收されてゐたと思ふ――新しい臭にほひと色とを思ひ浮べる。 若葉の緑り――血の湧く青年――人生の奔ほん放ぱう時じ期き――僞りなき自我の天地――かう云ふ風に北海道を考へて行くと、自分が失敗と蹉さて跌つとの爲めにここに踏みとどまることが出來ないなら、それだけあはれな老境に入つたわけではないか知らんと思はれる。 そして、どうせ、ここを退去して、内地へ歸らなければならないのかと思ふと、渠には、北海道のみづ〳〵しいのに比べて、おやぢ臭く思はれる内地が目まのあたり、脊の高い、大きな鼻のさきの赤い、目の鋭い、巖がん丈ぢやうな、白はく髯ぜんの老翁と見えて來て、やがて、義雄を力強くその面前に引きすゑて、――義雄は曾て實際にさうされた時の力を感ずる―― ﹁馬鹿!﹂――﹁不孝者め!﹂――﹁先祖代々の業ごふさらし!﹂などと、非常な權威を以つて糺きう明めいする。 それが去年義雄の亡くした父のおもかげであつた。そして、そのおもかげは、その後うしろに、義雄を廢嫡しようとばかりたくらんでゐた、そして今は里へ逃げて歸つてゐる繼母を初めとして、義雄の妻、子供などを從へてゐる。それらが、たとへば、神經過敏な畫家マカルトの面前に、渠の使つた多くのモデルが、時をかまはず、一齊に現じて來た如く、また一齊に攻め寄せて來た。そして、そのすべてが饑かつゑて死んだ餓鬼の如く痩せ衰へた姿で、どうして呉れる、どうして呉れると叫ぶのである。 ﹁ああ、いやだ! いやだ! 僕は東京へ歸りたくは無い﹂と叫んで、渠は兩手であたまを押おさへたまま、呑牛と氷峰とのかたはらに倒れる。 ﹁然し、君、あの明き屋買ひ占め問題は駄目だ﹂と云つて、呑牛は義雄の相談相手にした畑中新藏が、きのふ、詐欺取財で拘引されたことを説明する。新藏は、室蘭に於ける鐵工場の發展を見込んで、その地の人々と組み合ひ、土地の拂ひ下げを運動した。そして、その間に立つて、運動費や拂ひ下げ代金を詐取した。 道廳が一たび、所いは謂ゆる羽織ごろの運動屋並びに無資本の土地轉買者等を退ぢにかかつてからと云ふもの、この種の人々はいつも成るべく重い刑に處せられてゐるのである。 ﹁僕も駄目らしいと思つたから、當てにやアしてゐなかつたのだ。――どうしても僕は歸京するほかはなからう。――僕は、もう、事業と計畫とに疲れてしまつたのだ﹂と、義雄は答へるほかは無かつた。 ﹁君は計畫に疲れたと云ふが、疲れついでに、君﹂と、氷峰は義雄に、﹁いツそ、ずツと格を落して、札幌に襤らん褸る會社を起して見たら、どうぢや?﹂ ﹁らんるとは﹂と、呑牛にもまだ分らなかつた。 ﹁ぼろ切れ、さ――つまり、ぼろ買ひまで落ちるわけぢやが、札幌中でも、毎年ぼろの出るのは大したものだらう。それを社員――と云うても、くづ屋ぢやが――を使うて、買ひ込むのぢや、資本などは何ほども入るまい。さうして、製紙會社へ買ひ上げさすればえいぢやないか?﹂ ﹁如何にも、さういふ話はあつたが﹂と、呑牛は合點して、﹁どうも、身分に關するなど思つて、まだやり出したものはない。﹂ ﹁考へて見給へ、三井木材を初め、王子製紙などがあの樣に手を廣げて行つたら、北海道の山林は、ここ十年も立たぬうちに、見す〳〵平らげられてしまふだらう。さうして、椴とど松まつ、蝦えぞ夷ま松つの樣なものは用材として、また燐マツ寸チ原料として伐ばつ切さいされる上に、また製紙原料になつてをる。纖維のあるものなら、大抵な木は――製造法さへ發達して行けば――紙にされてしまふのだから、その代りに、苫とま小こま牧いの王子や釧路の富士へ少しぼろを押し賣りしてもよからう。﹂ ﹁然しそんなことよりもツと面白いことがある。﹂呑牛は調子づいて、﹁桐の林がどこかに一つあるさうだから、それを探檢したらどうだ?﹂かう云つて、北海道には獸類で鹿と狼とがゐない如く、樹木では桐がないこと、然し一ヶ所――どこか分らないが――あるといふことを語る。 それは義雄が聽いてゐるとかう云ふわけだ。仙臺の或古老の話に據ると、伊達家の侍さむらひがあつて、昔、本ほん道だうへ來て、桐の苗を澤山植ゑつけたことがある。それがどこの山であつたか、記録には殘つてゐない。ところが、近年、或人が金坑や石炭坑を發見するつもりで本道の深しん山ざんをまはつてゐたところ、ふと珍らしい林に出くわした。木はいづれも一かかへ以上もあるが、幹にはすべて厚い苔がまとつてゐるので、何木であるか分らなかつた。然しその苔を剥いで、初めてそれが桐の古こぼ木くり林んであるを知つた。他人には祕してそのありがを云はず、或利益と交換する相談をしてゐるうちに、その人は急病で死んでしまつたと云ふのだ。そして、呑牛はつけ加へた、 ﹁この發見を仙臺古老の實話に參照して見ると、必らず桐がどこかの山にあるに相違ないのだ。然しいまだにどこか分らないので、北海道中の金儲け熱心家の間に、一つの疑問となつてをる。――田村君、一つ、どうだ、それを探檢して見たら?﹂ ﹁そりや面白いぜ。﹂氷峰も乘り氣になつた樣に膝を進め、﹁田村君は詩人、文學者から蟹の鑵詰製造家に變つたり、鑵詰屋からまた明き家買ひ占め屋に化けたりするほど、突とつ飛ぴな勇氣を出すのが得意ぢやから、今度一つ、よろしく桐山の探檢家になるべしぢや。﹂ ﹁空想家だから、なア。﹂呑牛はしみ〴〵とこちらの顏を見る。 ﹁空想ぢやアないよ、僕には﹂と、義雄は起き上つて、威儀を正す。 ﹁僕を空想家と見るのは當つてゐない。僕の主義は僕が社會に懇こん々〳〵主張したくらゐで、苟いやしくも自分が努力してゐると思つたことなら、そこに必らず實行が添つてゐる。成功、不成功は問ふところでない。空想とは、この努力と實行とをはづれたことを云ふのだ。﹂ かう云つて、渠は自分の刹那主義は手段や方便ではないこと。詩人たり、實業家たり、眈溺家たり、探檢家たることは、その人の生活の外形的變化であるなどと區別して、その生活者の内容もしくは進境だけが眞の人生や藝術だと云ふ樣な説は間違つてゐること。その代り、渠自身には、その内容もしくは進境が即ち詩人、實業家、耽溺家、或は探檢家その物で――一つの物から出る區別ではなく、一つの物その物であること。さうでなければ、全心全力を傾注する、全人的な、最も眞率眞劍な、最も無餘裕な肉靈合がふ致ちを悲痛の自我に實現することは出來ないこと。それには、然し、自分も、その必然の成り行きとして、自己のエネルギの蕩たう盡じんを惜まなかつたこと。そして、﹁エネルギの眞劍な蕩盡は自己の神經を心熱的に働かせる努力だ。そして、かう云ふ努力のあるところには、決して理想や空想を入れる餘地がない﹂と語る。 渠は、神經の過敏もしくは衰弱が必らずしも不健全の流行を證據立てるものではないことをよく承知してゐると思つてゐる。渠は、世の無努力もしくは半努力の煮え切らない論客等が、内容貧弱の健全や偉大を得意げに看板にするのを、罵倒したものである。そして、渠等の所謂健全、偉大よりも一層健全、偉大の努力をする爲めに過敏や衰弱になるのは、却つて渠の誇りとするところである。つまり、渠は神經とエネルギとの蕩盡を男性的、威力的に實行するデカダンであると自信して來た。 ﹁若し僕自身がその桐の山を發見しようとすれば、きツと空想的な態度でなく、その探檢を實行して見せよう――この場合、外部的に成功はしないでも、その努力さへしたら、内容は實行であるが、然し僕は今それだけの勇氣が出ない――僕は疲れ切つてゐる!﹂ かう云つて、渠はまた力なげに疊の上へ横になる。 ﹁田村君終つひに倒るか﹂と、氷峰も亦そのそばへ横たはる。 ﹁僕のことを人が云ふ樣に﹂と、呑牛は微笑しながら、﹁腎じん虚きよしかかつてゐるのぢやアないか?﹂ ﹁ほんに、なア﹂と、氷峰もぐツたりした聲で、﹁田村君が女に離れては――雪の屋先生も同じぢやが――水を出た膃をつ肭とせ臍いの樣なものぢや。勢ひがなくなる。﹂ ﹁馬鹿を云ひ給ふな。﹂義雄も然し吹き出す。 ﹁膃肭臍でなけりやア、砂上の蛸たこか﹂と、呑牛。 ﹁羽拔け鳥も古いから、なア﹂と、氷峰。 ﹁とど、海馬でもいい、さ――兎に角、勇氣の囘復策を講じなければ﹂と云つたが、義雄は自分に實際の寂莫と疲勞とをおぼえた。そして、井ゐげ桁たろ樓うと敷島とを思ひ浮べて嚢なう中ちゆうの無一文を苦しみ、入院中のお鳥を思ひ出してはその不自由な病氣を呪つた。 そして、呑牛の細君お繁が酒肴を運んで來る姿をつく〴〵見て、あのどこがよくツて、呑牛は遊廓にとまらなくなつたのだらうといふことを考へた。お繁さんは大した美人でもないが、北海道的な色白で、脊が高く、固肥りに肥つてゐる。その精力の強さうなのを呑牛の事情に思ひ合はせて、義雄はひそかに微笑した。 ﹁まア、酒でも飮み給へ。﹂呑牛はあとの二人をあしらつてゐるうちに、氷峰の話にのぼつた雪の屋主人、文學士の淺井能のう文ぶんがやつて來た。 ﹁やア、うはさをすれば――ぢや﹂と、氷峰は席を開らいて、﹁どうした、近頃は謹愼か?﹂ ﹁あア﹂と、雪の屋はただにこ〳〵して坐わる。 ﹁一向見えない、ね。﹂呑牛は自分で自分の猪ちよ口くに酒をつぎながら、﹁君も飮むかい?﹂ 雪の屋はその問ひには頓着せず、 ﹁借金で首がまはらない、なア﹂と、實際にまはり難さうな自分の首を窮屈さうに――これは渠の癖だが――傾けたまま、おほきな口を明く。 ﹁君の首はいつも曲つとるのぢや。﹂氷峰は遠慮なく一方の癖を指摘して、﹁餘り見ツともよくないから、直せと云ふとるのに――では、高砂樓も駄目ぢや、な。﹂ ﹁駄目ぢや、なア。﹂のろい口調で聲を引ツ張つたが、首の傾きは直さない。 ﹁然し地ぢまはりは相變らずか﹂と、呑牛がからかひ氣味に云ふ。 ﹁地まはりはたまにやる――夏休みの釧路の講習會が祟つて、なア――﹂ ﹁そりや、自業自得ぢや﹂と、氷峰。﹁倫理學の講演者が妓樓にばかり耽溺してをつたんぢやもの――麥藁帽子の裏に、いくら女の名を書かして來たツて、それが君の下宿屋の拂ひの役には立たん。﹂ ﹁それは、まア、その時の思ひ附きであつたのだ。﹂雪の屋はそれを別に辯解するでもないやうだ。 ﹁細君を呼び給へ、細君を﹂と、氷峰に云はれた時、雪の屋は非常にいやさうな顏つきをして笑ひにまぎらした。と云ふのは、渠の妻子は國の里かたに歸つてゐて、いくら渠が呼び戻さうとしても戻つて來ない。多分、締りのない所をつ天とを放棄してゐるのだらうとは、氷峰等の推察である。雪の屋自身もさう感づいてゐるので、神經の鈍い男にも拘かかはらず、こちらの見たところ、友人から細君のことを云はれるのがいやさうである。 ﹁そんなことはどうでもいい﹂といふ風で、雪の屋がした話に據ると、渠の校長――代議士だ――が演習參觀に出發する前、教師等を集めて演説した。酒を飮むのはまだしもだが、おほびらに女郎買ひだけはやめて呉れろと。﹁それで一つは僕も方針を換へた﹂と、渠が云ふ。呑牛や氷峰は聲をあげて笑つた。と云ふのは、渠は女郎屋に行く代りに、もと女郎であつて、渠も貿つたことがある女を女房にしてゐる配下の書記の宅へ遊びに行き、毎晩の樣に、その女の義太夫などを聽かせられて、恐きよ悦うえつがつてゐるのを知つてゐるからである。 そこへ、 ﹁號外﹂と云つて、それを玄關へほうり込んで行つたものがあるので、呑牛はお繁さんに命じて、取つて來させた。 ﹁伊藤さんがどうかしたのですか﹂と、かの女ぢよが驚いた樣子で持つて來たのを見ると、北海メールの號外で、公爵が哈ハル爾ビ賓ンに於いて韓國人に暗殺されたと云ふことが載つてゐる。一座は振動した。 義雄も疲れたからだをはね起した。 ﹁本當だらうか?﹂ ﹁誤ごぶ聞んぢやアないか?﹂ ﹁まだ分らん、なア。﹂ こんなことを云ひながら、いづれも疑問のまなこを熱心に紙上にそそいだ。然し、どう讀み返しても、銃殺されたに違ひない樣だ。 ﹁ただ一片の電報なら﹂と、呑牛は考へ込んだ樣に、﹁誤聞なり、誤電なりのこともあらうが、かう第二信も第三信もあつて、倒れるまでの順序まで分つてをるのだから、ね。﹂ ﹁お氣の毒です、なア﹂と、お繁さんが口を出したには頓着せず、 ﹁さうぢや﹂と、氷峰も沈んだ調子で、﹁プラトフオームで打たれてから、汽車へ歸つて倒れるまでに何ほどの時間もかかつてはをらん。﹂ ﹁人間はもろいものだ、て﹂と、呑牛。 ﹁眞に然りぢや。﹂氷峰も賛同して、﹁北海道長官を待遇がいかんと叱りつけたのは、つい、こなひだのことであつたが、なア。﹂ ﹁敵も十分うまくやつたものだ。﹂ ﹁そりや、もう、前から計畫してをつたのだらうから、なア。﹂ ﹁然し暗殺ぐらゐは覺悟の前であつたらう――公も出發前に、それに似た言げんを吐いた、さ﹂ ﹁飽くまで好運なおやじめ、死ぬにまでもいい役割であつた!﹂ 二人のこんな話を、默つて、雪の屋はのん氣さうに聽いてゐたが、義雄は自分の心中が掻きまぜられた樣に騷ぎ立つのをおぼえた。 渠は、自分の主義から歸着する獨存自我の考へを以つて、神は勿論、偉人豪傑なるものをも――自分と關係なしには――認めない。若し神なり、偉人なりがありとすれば、それは乃すなはち自分その物の範圍内であるのを信じてゐる。自分に關係なきものは、すべて空想であるからであると。 然し渠は、奇體にも、自分の獨存自我説の生せい々〳〵的てき威力發展主義が確立する頃から、その一例として、日清戰爭にはまださうでもなかつたが、日露戰爭には、その勝利を全くそれが自己その物の發展だと思つた。渠は一たび樺太の土を踏んで、一層この感を深くした。若しここ七八年のうちに、米國との戰爭があらば、また一層の發展だと思つてゐる。 ところが、この思想を殆ど神託的に體現した歴史上の人物として、義雄は昔では豐太閤、現代では伊藤公を推稱してゐた。 戰爭は一種の機關である。この機關を動かすには、いかめしい勳章を帶びた軍人といふ職工を動かせばいい。要はただ時代思想といふ油を横溢させるものにあるのだ。 そして藤公はそれだと。 藤公不斷の活動がある間は、義雄も自分の努力を軍事上、政治上にも實現してゐるとまで思つてゐた。公の死は、義雄に取りて、自己の一部をそがれたのである。 義雄がさきに東京を乘り出した汽車の上で、退屈と疲勞と睡眠不足と臨時習慣性との爲め、汽車の動搖が自分の神經の働きとなり、そして、曉あけ方、東北の青い野原をうはばみのぬたくる樣に進んでゐる汽車が、渠の散文詩で歌つた通り、自分その物になつてしまつた。そして、その時、東京から同室であつた一婦人が或停車場で降りると、自分の一部を失ふかの樣な氣持ちがした。 渠が伊藤公を失つたのも丁度その樣な氣持ちで、實に、がツかりせざるを得ない。そして、 ﹁死に場所を得たといふべしだ、ね﹂とは云つたが、自分の半なかば敗殘者たる現状を返り見て、こんな状態で實際生なる物の價値があるか、ないかの問題を自分に提出した。 ﹁然し伊藤さんは死んでも﹂と、氷峰はからかふ樣に義雄の方を見て、﹁田村君と云ふ第二の伊藤さんがをるからよからう――?﹂ ﹁その第三世は雪の屋先生か、ね?﹂呑牛は斯う云つて淺井の顏を見る。そして、見られた渠は何も答へないが、にや〳〵笑つて、急に得意の色を顯はす。淺井の雪の屋は、話が少しでも女のことになれば、初めて乘り氣になつて來るのである。 然し義雄には渠等の意味することが不愉快に取れた。と云ふのは、渠が公を友人間に推稱するのは時代思想の權ごん化げであつて、而もそれが義雄自身に屬してゐると思ふからである。義雄も女もしくは女の幻影がなければその生活に元氣がないが、その元氣は性慾並びに生々慾が軍事、政治、實業、文藝などを合がふ致ちしたものであると信じてゐる。 この確信を、雪の屋には勿論、氷峰や呑牛にも發表するには餘りに偉大、餘りに深刻、餘りに神聖だと思つて、義雄が語るのを躊躇してゐた。すると、呑牛は、何かの拍子で、そばにあつたちツぽけな地方新聞に手を觸れたので思ひ出したのだらう、 ﹁それはさうと、これを見給へ﹂と、その新聞を義雄に取つて渡す。見ると、文藝欄で東京の﹁文藝革新會﹂の提ちや燈うちんを持つてあつて、別に同會の反對する自然主義家のおもなもの三名ばかり――そのうちに田村義雄もあつた――の名を擧げ、渠等はもう時勢に後れて舊派だと書いてある。つまり、その記者が革新會が形式的な、内容の貧乏な理想、生命、發展などいふ看板に﹁新﹂の字をくツつけてゐるのにたぶらかされたのであると考へたから、 ﹁ふ、ふん﹂と、義雄は鼻で笑つて、新聞を横の方へほうり出し、﹁田舍者はどこまでも田舍者、さ。﹂かう云つて、革新さるべき人々が革新會などを設けるのは、抑そもそもおのれを知らない骨頂であることを語つた。 ﹁では、一つ﹂と、雪の屋が受けて、﹁僕の學校へ來て、演説して呉れ給へな――君を崇拜してをる生徒もある樣だから。﹂ ﹁そりやアいいだらうよ、英語の話か、旅行の話を――文藝論などはどうせ中學生などに分るものぢアないから。﹂かう、義雄は答へたが、何となく自分の考へてゐる伊藤公の話がして見たくなつた。何か好きな演説でもすれば、弱つた元氣が恢復するかと思つたからである。 その翌日、義雄は雪の屋の出る中學校で演説した。 先づ伊藤公の略歴から初め、公を以つて現代の豐太閤と爲し、公と時代思想との關係を説き、わが國將來の戰爭と發展との根本的性質に及び、歐米諸國の僞文明を排して實力を尊ぶ野蠻主義の必要を述べ、藤公の一缺點はその野蠻主義を押し通す勇氣に乏しかつたところにあり、また、豐太閤と同樣、心に餘裕、乃ち、ゆるみを生じたのが間違ひであつたと評し、生々、強烈、威力、悲痛、自己中心の刹那主義を説いて結論にした。 渠にはそれが伊藤公を語るのでなく、自分を語るのであつた。初めは、渠の現在に疲れた低い聲で出た。そこの教頭は氣を利かしたのだらう、三間ばかりもすさらして立ち並ばせてあつた五百名の生徒を、演壇一間ばかりのところまで進ませた。 然しそれは渠を知らなかつた爲めで、渠は教師をしてゐる時、その聲が教壇のテイブルの表面を振はせるかと思ふほどになつて、教室全體に鳴り響くので、その教室以外の人々にもよく聽え、それが面白い話ででもあると、他の教室の生徒や教師までがその方に氣が取られたくらゐであつた。義雄の熱心が段々加つて來るに從ひ、われを忘れるほどのおほ聲をつづけざまに發し、それで講堂中を振動させた。無論如何におほ聲でも練習があれば調子の取り樣もあるのだが、暫らく聲を出さなかつた爲め、渠は度を失つたのである。 渠が餘り無法な、調子はづれの銅どら鑼ご聲ゑを張りあげるのを見て、渠に比べるとずツと呑氣な雪の屋はづか〳〵と演壇に進み來たり、 ﹁餘りおほきい聲を出すと、からだに惡いから、注意し給へ﹂と、こちらに耳打ちした。 ﹁よし、分つた﹂と答へながらも、義雄はまたおほきな聲を出す。それが却つて滑稽に取れたのだらう、割り合に感動する生徒は少かつたらしい。そして二時間も演説したあとで、 ﹁豐太閤も、伊藤公も、現代の發展的思想に於いては全く僕に屬してゐるのだ――乃ち、僕自身の物である﹂と叫んだ時、眞しん率そつな演者には最も大切な要點であるのに、滿堂の生徒は申し合はせた樣に一齊にどツと笑つた。それが、こちらの調子を一層狂はせてしまつた。渠はぱツたり演説を中止し、一堂を瞰にらみつけてゐたが、 ﹁おれは宇宙の帝王だ! 否いな、宇宙その物だ! 笑ふとはなんだ?﹂ どツとまた滿堂の笑ひ。 義雄は非常に怒つた。そして人々があやまりを云つてとどめるのも聽かず、鳥打帽子を忘れたまま、とツとと驅け出して歸つて來た。三
義雄は自分の演説に自分が激動してゐた上に、滿堂の笑ひを受けた爲め一層その激動の餘勢が殘つてゐた。 ﹁中學生なんて分らないものだ。おれがまじめに話を進めてゐるのをどツと笑やアがつたのだ、おれは演説を中止して歸つて來たのだ﹂と、自分の歸りを來て待つてゐたお鳥に語る。 ﹁でも﹂と、かの女ぢよはなほこちらの樣子を不思議がつてゐるやうにして、﹁中學生ぐらゐのことにそんなに目の色を變へて來んでもえいのぢやないの?﹂ ﹁‥‥﹂渠は二度もかの女からさう云はれて見ると、自分ながらも何だか自分の目が飛び出さうな感じもする。けれども、餘りに高い聲を出した爲めに近眼の工合がちよツと違つたのだらうと考へたので、この方の不愉快さは自分よりも寧ろかのずツとひどい近眼の有馬が年中經驗してゐるのだらうと同情された。 兎に角、非常に勞つかれてゐる。そして手や足が自分のものではないやうに顫へて、自分の目のしたのあたりに絶えずぴく〳〵と痙けい攣れんがある。自分の發する言葉にも、いつも身づから感じて控へ目にする強い、明確な調子がなくなつてる。 そしてただ湧き出る不愉快の爲めに、渠はかの女が縫ひ物を持つて來てしてゐるそのそばへ無言で寢ころんでゐると、そこへ雪の屋がいつもとは何だか違つた樣子でやつて來た。 ﹁どうした﹂と、義雄はさし向ひになつてから、客の變な顏つきを無理に微笑しながら見つめる。 ﹁帽子を持つて來た。﹂客はわざ〳〵意味ありげに隱してゐたと云ふやうな工合ひで、ふところから勢ひづけて鳥打ちを出した。 ﹁さうか?﹂こちらはここに初めて自分の忘れ物に氣が付いたのだが、そんなことには左ほど氣が移つて行かなかつた。 ﹁‥‥﹂客は暫らく默つてゐてから、例ののツそりした口調でまた口を明けて、﹁帽子のことではいつも君は逸事を殘すのだ、なア。﹂ ﹁‥‥﹂こちらの爲めの歡迎會の席へ海水浴帽をかぶつて行つたことを云つてるのだ、な、と分つた。が、それを今自分が斯う激動してゐる心持ちで解釋放言して見ると、世間のやつらを馬鹿にしたに過ぎないのだ。逸事でも何でもない。 が、客の來るまでこちらに向つて衣きも物のを買つて呉れいとねだつてたお鳥は、それをうけがはれないのに、不滿を見せてゐた爲めでもあらうが、この時、 ﹁演説で意張り過ぎて、自分の物を忘れて來たんぢや﹂と云ふ。 ﹁なんだ﹂と、義雄はかの女に向つてきツとなつた。﹁歸れ! 手めへのやうな物はゐたつて邪魔だ!﹂ ﹁歸るとも! 反物一つ買へん癖に――﹂かの女は他の兩人が默つて見てゐるところでぷり〳〵しながら手早く仕事をかたづけると、直ぐ立ちあがつた。そして歸りがけの駄賃にでもするやうに、義雄のあたまの腦天をゆびの先きではじいた。 ﹁何をしやアがる!﹂義雄は突然のことにその方へふり向くが早いか、右の手でかの女の裾を捉へてかの女を引き倒す。 そのとたん、かの女がからだをささへようとした右の手が義雄と爐をさし挿はさんで相對してゐる雪の屋の膝にとまつた。 雪の屋はにやりと笑つたが、お鳥はきまり惡さを重ねた爲めだらう、恨めしさうに義雄を瞰にらみながら、急に坐わり直し、 ﹁けふは、餘ツぽどどうかしてる!﹂ ﹁何だと!﹂義雄も瞰みつけ、﹁おれをさツきから氣違ひ扱ひにしやアがる! 馬鹿、おれは天下の一大事業に一段落つけたのだ! 豐太閤の仕事にも、伊藤公の仕事にも、おれが一段落つけてやつた。﹂ ﹁そんなえらさうなことを云うて﹂と、お鳥も負けない氣になり、﹁また、あの有馬に馬鹿にされようとおもて。﹂ ﹁有馬の樣なしみツたれが何を云つたツて、かまやアしない!﹂ ﹁そのしみツたれに厄介をかけてをつたぢやないか?﹂ ﹁厄介をかけたのぢやアない、供くも物つを獻じさせてゐたのだ。﹂ ﹁へツ、神さんぢやあるまいし。﹂ ﹁何だ、神ぢやアない? 馬鹿を云へ! おれは神も同前だ! 宇宙の帝王だ! 宇宙その物だ! それが分らない樣な女なら、おれの女房でない! 妾でもない、色女でもない! 無資格、無價値の色氣違ひめ、下らない男にだまされてばかりゐやアがつて、いよ〳〵實際になりやア、棄てられてばかりゐやアがる!﹂ ﹁お前もわたしを棄てたのだから、その下らない男だらう?﹂ ﹁何だと! 貴さまはどうせ不具も同樣だ! 片輪だ!﹂ ﹁片輪なら、誰れがした? お前ぢやないか? 早う直せ!﹂ ﹁直すなら、然し――﹂ ﹁早う直せ!﹂お鳥の呼吸は烈しくなり、義雄を見つめて、じり〳〵と詰め寄せる樣子になり、まさに飛びもかからんばかりに、兩手の親指をおの〳〵四本の指で握り固める。 ﹁‥‥﹂義雄はこれを見て、さきに、かの女を見限つて姿を隱したが加かし集ふの宿でかの女に見附かつた時のかの女の樣子も――立つてゐたのが違ふだけで――斯うであつたことを思ひ出した。こんな時にかの女の癪しやくがさし込むのだがと氣が付いたが、ただ瞰みつけながら、﹁直すなら加集にも頼め――寫眞の先生にも頼め――その學校の生徒にも頼め!﹂ ﹁そんな人に頼むわけがない!﹂それツ切りお鳥は暫らく無言で呼吸を整へてゐたが、その燃える目は雪の屋のゐるのも見えなくなつたかのやうに、﹁畜生!﹂かう叫んで、固めた兩手を以て義雄の胸を突いた。 ﹁‥‥﹂彼はもろく横に倒れたが、直ぐあぐらをかき直して、 ﹁出て行け!﹂ ﹁出て行くとも! 嚊かかアも氣違ひなら、おやぢも氣違ひぢや。そんな氣違ひぢぢイは御兔ぢや﹂と、立ちあがる。 ﹁出て行け、出て行け!﹂義雄は自分でも濁つたやうに、そしてきよと〳〵したやうに思へる目でかの女ぢよを瞰みつけて、﹁宇宙の帝王と二等病室の肺患者と、どツちがいい位か分らないのか?﹂ ﹁へツ、氣違ひよりやアまだ肺病の方がえい。﹂かう云つてお鳥は雪の屋に挨拶もしないで出て行つた。 ﹁‥‥‥‥﹂雪の屋はかの女の出て行つたあとまでも暫らく無言で、見てゐたが、やがて、﹁隨分亂暴な女だ、なア。﹂ ﹁馬鹿で、無學だから、仕やうがない、さ――偉人の本體とその神經末梢との區別がつかないのだ。﹂ ﹁末梢とは何のこと、さ?﹂ ﹁寫眞屋や肺病患者、さ。﹂ 雪の屋は、これを聞いて變な顏をしたのが義雄にはまた變に思はれたが、暫らくまた無言でゐてから、歸つてしまつた。 義雄はランプを消し、寢床に這入つてゐた。その障子を明けて、 ﹁田村君、起き給へ﹂と、氷峰の聲だ。 ﹁田村君﹂と、呑牛の聲もする。 ﹁出し拔けに、どうしたんだ?﹂義雄は起きあがり、手早く衣物を着直し、マチを摺つて火をつける。 ﹁まだ寢るのにやア早いでないか?﹂呑牛は正面の爐ばたに坐わりかける。 ﹁けふの演説で、久し振りのおほ聲を出したので、非常に疲れたから。﹂義雄は、薄いかけ蒲團と敷き蒲團が延べてある上に、その不足を補ふインバネスや座蒲團を載せてある床を、そのまま圓めて障子の方に押しやる。﹁まだ火はある筈だが﹂と、机の前の爐ばたに坐り、炭火をかき起す。 見ると、この二人も亦先刻の雪の屋のと同じやうに常とは違つた、變な顏をしてゐる。來るものも、來るものも、けふに限りどうしたんだらうと、義雄は考へた。 ﹁君はあの演説で大氣焔を吐いたさうぢや、なア。﹂と云ひながら、氷峰は義雄と相對する爐ばたに腰を下ろす。 ﹁大氣焔も、小氣焔もない、さ――ただ當り前のこと、さ。﹂ ﹁君としては當り前かも知れんが、聽いたものには非常なことであつたさうだぞ。﹂ ﹁そりやア、さうだらう、さ――僕の説は僕自身の發明であつて、他に何ぴとも思ひ當らなかつたことを説いてゐるから。﹂ ﹁では、僕が聽きたいが﹂と、氷峰は呑牛を返り見てから、――そしてその樣子がまた變に見えたが、――再び義雄に向ひ、﹁一つ説明して呉れんか?﹂ ﹁何だい?﹂ ﹁國家の主權者と君とはどちらがえらいと思ふ?﹂斯う云つた氷峰を見ると、兩手を膝にかけて肩を怒らしてゐる。そして呑牛はまた目をぱちくりさせてたが、刑事のやうな注意を向けてゐる。 ﹁そりやア、主權者にきまつてらア、ね――然し﹂と、義雄が云ひかけると、氷峰は呑牛とちよツと目を見合はせた。義雄は二人がわざ〳〵何かからかひに來たのだと感づいたが、そんなそぶりは見せないで、﹁然し、そのえらいのは、――僕がわが國神代の生活状態を歐洲の表象主義に照り合はして、ここに新らしい眞理を發見して出來た刹那主義だ――この主義に據よつて代々生せい々〳〵的てき威力を體現して來た。そして、この主義に合がつしてゐる間は、日本が世界の最大最強の國になるにきまつてる。﹂ ﹁さうすると﹂と、氷峰はちよツと考へてから、﹁日本國と君との關係はどうなる?﹂ ﹁僕は刹那主義を以つて日本國を背し負よつてゐるの、さ。﹂ ﹁鑵詰事業や文藝で國家が背負へるか?﹂ ﹁馬鹿を云ひ給ふな!﹂義雄は目を鋭くして、﹁君等は外形と内容との一致が分らないか? 事業や文藝をただ外形で見る目には、政治も教育も亦外形だ。いや、外形ばかりだ。そんなことでは、その内容を別に探らなければならない。然し、たとへば、ニイチエが氣違ひになつたからツて、氣違ひとニイチエ哲學とを離して考へれば何等の生命もない。内容が乃ち外形であるまで物は充實してゐなければならない。内容が乃ち外形、偉人が乃ち國家だ!﹂ ﹁ぢやア﹂と、今度は呑牛が引き受けて、﹁伊藤公も君も偉人――偉人が同時にいくらも出來て、君の獨存説に合はないだらう?﹂ ﹁いや、それは一つにまとまる。すべては僕の主義を最も強く實行してゐるものにまとまる。殆ど神託的に、その國家を、たとへば、豐太閤なり、伊藤公なり、また他の人なりに背し負よはして立つことになる。さういふ偉大な政治家もしくは思索家は、今云ふ神託的に、國家その物だ。﹂ ﹁君の場合はどうだ?﹂かうまた呑牛が試問する。 ﹁僕は渠等よりもずツと現代的な偉人だ。﹂ ﹁は、は!﹂二人は顏を見合せる。 ﹁何がをかしい!﹂かう云つて、義雄はまた激動して、二人を見つめて、﹁馬鹿にし給ふな! 君等はおれをからかひに來たのか? 僕が眞面目に話してゐるのに、笑ふとは何だ! 反對があるなら、眞面目に反對するがいい!﹂ ﹁まだ反對するとも、賛成するとも分らないのぢや――實際、君の――﹂と、氷峰が何だか辯解しかける。 ﹁いいや、馬鹿にしてゐる! さツきの雪の屋君と云ひ、君等と云ひ、最初からの出かたが面白くない! 出直して呉れ!﹂ ﹁そりや出直してもえいが――﹂氷峰がまた言葉を出さうとするのを、義雄は何も云はせず、一いち圖づに、 ﹁歸れ﹂、﹁歸れ﹂と浴びせかけ、引ツ立てる樣に二人を立たしめると、二人が障子を出てから、呑牛はこちらへふり返り、 ﹁おい、貴樣はこの﹂と、氷峰をゆびさして、﹁男を知つてゐるか?﹂ ﹁馬鹿を云ふな、呑牛!﹂かう云つて、義雄は障子をぴしやりと内から締めた。 義雄は力拔けがして、いやアな氣になり、ランプを――いつも火を消して寢る習慣であるのに――机の上につけ放したまま、再び褥とこの中にもぐつてゐると、つか〳〵と這入つて來る足音が聽えて、 ﹁わツ﹂と、渠の枕もとにお鳥が泣き伏した。 ﹁どうしたんだ!﹂渠はびツくりして、首をあげる。 ﹁き、氣違ひになつたと云ふぢやないか﹂と、すすり泣きだ。 ﹁馬鹿! だ、だ、誰れがそんなことを云つた?﹂とがつた聲と共に起きあがる。そして、かの女ぢよにまだ最後の愛情は殘つてゐる、な、と思つたから、聲の調子を和らげて、﹁島田だらう﹂ ﹁‥‥‥‥﹂お鳥は兩の袖で涙を拭きながら、首で﹁うん﹂と答へる。 ﹁馬鹿々々しい!﹂自分は氣が狂つたと思はれるほどのことをしたか知らん? 如何にも、中學の講堂では激怒した。氷峰等に對しても、亦叱りつけた樣なことを云つた。然しそれが氣の狂つた證據でも何でもない。 多少、他人には強過ぎた言葉や態度であつたかも知れない。理解を以つてこちらを信じないものらに對したとしては云ひ過ぎたとも。その點は、もツと和らげて發想することが出來ただらう。義憤と云へば義憤、私憤と云へば私憤、どちらでも、兎に角、自分の態度を明かにしたのだ。決して間違つた理窟を述べたおぼえはないと思つた。然しまた考へて見ると、今一睡した以前と以後とは丸で氣持ちが違ふ。 一睡するまでは、氣が張りつめて、あたまが重く、大責任を背し負よつてゐるかの樣に壓迫を感じて、隨分のぼせてゐた樣だ。それが一睡後、今目をさましたら、重荷をおろした樣にからだが輕くなつたのをおぼえる代りに、また氣拔けがした樣だ。晝間からの意氣込みはわれながらどこへ行つたのか分らない。 失敗に失敗、疲勞に疲勞の結果だらうか? まるでがツかりしてゐる。こんな無氣力で生きてゐるくらゐなら、寧ろ伊藤公の如く花々しく死んだ方がいいとも思ふ。そして、自分が日光で或藝者に夢中になつてゐた時、その藝者がわざと自分のところへ泣いて來たのを、本當の號がう泣きふだと思ひ込んだことを思ひ出した。そして、お鳥のもその手ではないかと、かの女の顏を見ると、實際に涙のあとがある。 ﹁氷峰と呑牛とがここからの歸りにお前のところへ往つたのだらう。何も心配するにやア及ばない――人の思ひ違ひだ。﹂ ﹁それなら、安心だけれど――﹂笑ゑが顏ほを見せて、かの女はその涙を袖の端で拭く。 ﹁馬鹿だ、ねえ、お前は――さツきもおれを氣違ひなど云ふから、その罰で、人の思ひ違ひを本氣でさう信ずる樣なことにもなるのだ。﹂ ﹁然しさきほどは少し變であつたよ。﹂ ﹁そりやア、少し、おれが演説から激してゐたから、のぼせてゐたのかも知れない。﹂ ﹁まア、それなら、安心だ。﹂お鳥は微笑しながら立ちあがり、﹁もう、時間だから、あす來る、わ。﹂ ﹁ぢやア、早く歸れ。﹂ 義雄はお鳥が出て行つたあとで、また獨りで床にもぐり込んだ。どうせ、本心の冷淡な女などを戀しくもないが、その代り、自分も亦いつになく自覺的な疲勞と失望とを感じて、がツかり延ばしたからだの熱に痛む節々から、自分の言葉と行ひとの不一致――これが、渠の主義から云ふと、老衰に向ふしるしだ――に落ちて行くのを苦しむ聲がしてゐるのを聽いた。四
蝦え夷ぞ富士の稱ある後しり志べし羊やう蹄てい山ざん、マクカリヌプリが麓まで眞ツ白になつたのは、二三日前のことだ。札幌市外に遠く見える山々も、もう、いつのまにか一面に白くなつた。そして市街にもけふは初雪が來るだらうといふ十月二十八日――伊藤公横死の號外を見てから三日目、義雄の激動した演説の日から二日目の午前だ。 ﹁田村が氣違ひになつた﹂と云ふ評判を却つてこちらからあざ笑つて返却した義雄ではあるが、激動後の反動の爲めか、段々に氣拔けが増して、自分ながらぼんやりしてしまつた。そして、お鳥に對する冷淡の度も増しただけ、あたまにも亦取りとめがなくなつた。 ﹁ああ、僕は疲れ切つたのだ!﹂義雄が爐ばたに倒れて斯う叫んだ時、渠は自分の元氣も精神をもあの敷島のからだに吸ひ取られてゐたのではないかと思つた。 ﹁兎に角﹂と、お鳥はただ心配さうに、﹁醫者に見てもろたらえいぢやないか?﹂ ﹁馬鹿! おれは醫者の樣な草さう根こん木ぼく皮ひで左右出來る人間ぢやア無い。﹂ 然しお鳥は、氣を利かしたつもりで、ひそかに自分の掛りの副院長に相談し、見ただけの容態を云つて、同病院で精神病受け持ちの醫者に、それとなく、診察に來て貰つた。 すると、義雄はそれを感づいて、直ぐさま追ひ歸した。 氣の毒さうにして送つて出たお鳥は、宿の玄關のところで、﹁大丈夫でしようか﹂と云つた。 ﹁大丈夫でしよう――さう心配するにやア及ぶまい。﹂ ﹁さうでしようか?﹂ ﹁おれをまだ氣違ひだと思つてる、ね――馬鹿!﹂ ﹁でも、目の色までこの頃は變な色だ。﹂ ﹁これは、ね、實は、あの女郎の恨みかも知れない。﹂ ﹁へん﹂と、馬鹿にしたやうに横を向く。 ﹁然し、あいつとも別れた。お前とも亦別れるのだらうが、心配するな――お前の病氣だけは直してやる。﹂ ﹁早う直して貰はんでは困るぢやないか、――この雪が降り出さうとする時節にもなつて――若しこの旅で二人とも病氣にでもなつたら?﹂ ﹁二人が病氣になれば、どうせ、その結果はどツちからも無理心中、さ。﹂ ﹁では、一緒に死のか?﹂お鳥は斯う云つて、微笑しながら、坐わつてる義雄のからだに自分のからだを押し付けた。 ﹁死なう﹂と、渠も冗談に答へて、かの女を優しく見つめながら、﹁お前の白い肌を人に渡すのは惜しい。﹂ お鳥は自分の病氣に就いてその當初のやうにはやき〳〵訴へないが、自分で思ひ出すたんびに痛さうな顏をする。そして、もう、診察時間だからと云つて、病院へ歸つた。 義雄は獨り机に兩肱をつき、ぼんやりと、がらす窓から、狹い範圍の空を仰いでゐる。空は低く灰色に曇つて、今にも雪が降り出しさうだ。それが丁度、渠がこれまでに通過して來た、そしてまた今でもそこに落ちることがある疑惑の世界の色の樣だ。 その灰色の空に壓迫されて、隣りの物置き小屋の低い家屋が見える。それがまたどうも自分自身の姿の樣に見える。その屋根を越えて、一本の立ち木の葉は落ちて、枝ばかりのが見える。ふと、義雄は氣がつくと、その木の枝にまたがせて、漬け殘りらしい大根が、一束ね、懸けられたまま、寒さうにしなびてゐる。 ﹁あの大根の仲間はどこへ行つたらう?﹂かう渠は自問して、﹁井桁樓の廊下に並んでゐたやうな潰け樽の中だ﹂と、自答した。そして香の物のにほひと燒きもろこしのにほひとが義雄の神經に同時に復活して來る。そして最も人間らしく起つた聯想は、敷島がどうしてゐるだらうと云ふに始まり、あのイタヤ樹じゆ下かのもろこし老おや爺ぢ――きのふは氣づかなかつたが――は、まだゐるか知らん? もう一度、あの、札幌を代表する百姓馬子等の呼び賣り姿を見たい。今一度、鐵工場の鐵の響きを聽きたい。かう考へて來ると、渠は市中を散歩して見たくなつて、銘仙の袷に銘仙の羽織のまま出かかつたが、どうも寒過ぎる樣な氣がするから、例の乘馬用にした洋服に着かへた。 燒け跡に、また新築中であつた北海道聽の建て物は、いつのまにか出來あがつてゐた。そこを通り拔け、灰色の寒風にインバネスの袖を吹かれながら、氷峰の社のそばの四つ角へ行く。 槲かしはやナラの葉の、赤い色が褪せて、乾ひ反ぞり葉ばになつてしまつてから、やうやく色づくのだと云はれるイタヤもみぢも、その一と角に既に眞ツ赤に紅葉してゐる。然し、そのもとに店を出して、いい臭ひをさせた燒きもろこしの老おや爺ぢの見馴れた顏は、どこへ行つたか、影さへも見えない。そのにほひが、義雄の初めて札幌並びに北海道に親しむ一つの手づるであつたのに―― 且、そのすぢ向ふの鐵工場の柳の青い枝に對照して、義雄が常に見慣れた赤塗りの機關釜も、どこへ持つて行つたか、跡かたもない。 義雄はなつかしい思ひ出中の知己を二つも見失つたのに失望した。そして開墾者等が野生の樹木を殆ど全く切り去つた跡の市中を、かの植ゑ殘されて誰れもそのありかを知らないと云ふ桐の山でも探檢するかの樣な鼻息で、ただわけもなく歩きまはつた。 然しなつかしい曉きもろこしのにほひはどこにもしなかつたばかりでなく、カイベツの出でざ盛かりにはカイベツ。林檎、もろこしの盛りには林檎、もろこし。ココア、くるみの季きにはココア、くるみ。漬け大根の節には漬け大根、の樣な物を馬の脊に載せて呼び歩く百姓馬子等の影も、もう、見ることの出來ない季節である。 義雄は、あの百姓馬子等は速かに變遷するこの地の季節をこの市街に送り込む神ではなかつたかと思ふ。それに離れたのは、義雄が曾て信じてゐた耶蘇教の神を棄てた當時の樣な心持ちだ。正義、博愛、平和、文明などいふ外形ばかり美しい幻影が破れた樣に、渠の空想してゐた札幌市中の樹じゆ影えいの美觀が滅してしまつた。 そして、枝葉の枯れ落ちた木の樣に、自分は赤裸々の自分だといふ感じにもどつて、大通り散策地の故こ黒田伯の銅像の前を横切る時、忍びに忍んでゐた灰色のおほ空から、今年初めての白い物がおほきな花がたになつてぽと〳〵と落ちて來た。そして、見る〳〵、義雄の歸りさきを遮さへぎつて、一間さきが見えないほどに降り出した。 * * * お鳥はまた義雄の下宿へ來て、留守居のつもりでか、ほどき物をしてゐた。義雄が東京で買つてやつたセルの衣物を被ひ布ふに仕立て直して呉れいと云つてたのだが、それの半ばほどいてあつたのは全くほどいてしまつて、今や洗ひ古して色の褪さめたぼろ衣物を解いてゐるところであつた。その少しづつほどけたのを奇麗に延ばし重ねてゐたところへ義雄が歸つて來たのだ。 ﹁どこへ行いてたの﹂と、かの女が出向へた時、義雄はインバネスの雪を拂ひながら、 ﹁愉快ぢやアないか、このおほ雪は?﹂ ﹁愉快どころか、かう寒うなつて!﹂かの女ぢよは自分の衣物の用意が足りないのを暗あんに訴へたやうだ。 義雄はインバネスをかの女に渡し、また洋服の雪を拂ひ、靴の編みあげを解いて、あがつて來た。 ﹁氣分は、もう、直つたの?﹂かの女はこちらの後ろへ來て、﹁聲の調子までちごたやうだ。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂別に答へはしないで、渠が室に這入ると、絲屑や解き物で殆ど一杯にちらかつてゐるのを見つけた。かの女がそれをかたづけるのを暫らく立つて見てゐた。そして、破れたり、色が褪さめたりして、餘り見ツともよくないぼろ切れにかの女が手をつけた時、義雄は何だかぷんと寢小便のにほひを思ひ出して、殆ど忘れてゐた妻とその度々生んだ子供といふ物を聯想した。そして、お鳥も何だか所しよ帶たいじみて來たやうなのをあざけるつもりで、冗談ににツこり笑つて、姙娠を假定して、 ﹁お若いのに、もう、おしめの用意が出來ます、ね。﹂ ﹁ふン﹂と、お鳥はあまえた鼻聲を出し、額に皺を寄せ、立ちあがつて、義雄を見つめながら、渠を捉へて二三度力づよくゆり動かした。﹁そんなこと云ふと、聽かん!﹂五
十月廿八日は夜ぢゆう降りつづいて廿九日はいい天氣であつた。家々の家根から、庭から、道路までが眞ツ白になつてゐる上を、立派な太陽がきら〳〵照らす。空氣は乾燥して、實に清新だ。非常に氣持ちがいい。北海道の冬は却つて健康にいいよと、曾て札幌から東京へ歸つて來た友人が語つたのは、乃ち、これだ、なと義雄は思つた。梁はお鳥に引ツ張られて、セルの仕立て直しを頼みに丸井呉服店へ行つた。 三十日はまた雪、三十一日は天氣であつた。そして、十一月一日から、通常道會が開らかれた。 一日の朝、おほ雪を冒して、義雄は、陸軍演習參觀から歸つて來た北海メールの社長、昇のぼり敏郎を大通り一丁目の角かどなる本宅に訪問した。 煉瓦の高塀で角の二方を圍まれた、ちよツと見み榮ばえのする家で――間まぐ口ち一間の玄關の、摺りがらす入りの兩びらき戸を入ると、直ぐ左りが西洋風の應接室である。壁には名も知らない人の油繪やら、大きな世界地圖やら、アイノの刺しし繍うやらが掛つてゐる。一隅の三角棚には、土人の古こき器ぶ物つも二三据ゑてある。義雄が初めて面會した時、奧から出して來て見せた物ぶつ徂そら徠いの掛け物で、この支那崇拜家が例の變へん挺てこな宇じく畫わくをひねつてあるのも、一方の壁に釣してある。奧の狹い庭に向いた窓のレースの間から、まだ葉の殘つてゐる萩などが見える。 この室の中央の圓テーブルを挿んで、主客は相對してゐたのである。 義雄は自分の最後に殘つた希望、乃ち、アイノ研究並びにその滯北費の周旋に關し、遠藤道會議員は既に昇代議士に相談してあることだと思つてゐた。ところが、遠藤は天鹽から歸つて直ぐ道會に於ける黨派問題の爲めに多忙であると見え、まだ昇に會つてゐなかつた。で、義雄が直接にその相談を持ちかけた時、昇は怪けげ幻んな顏をすると同時に、後ろにもたれて一方の膝に乘せた一方の足を、スリッパを﹇#﹁スリッパを﹂はママ﹈穿いたまま横手に突き出し、持ち前らしい横柄な口調で、 ﹁社は君の一身を引き受けるほど深い關係を結んだつもりではない――ただ君が旅行したいと云ふから、原稿さへ貰へばいいとして、こちらから遠藤に相談してやつたのではないか?﹂ ﹁無論、さうに違ひないです。また、それ以上に僕はあまえ込まうとするのではないです。﹂かう義雄は聲をとがらせて答へた。渠は、遠藤が昇と相談して見ようと云つた問題があるので、それを遠藤のまだ渠に相談しないうちに、ただ直接に云ひ出したと云ふに過ぎない。それも決して必らず相談に乘れと云ふのではない。見込みがなければ早く歸京するだけのことだから、多忙な遠藤を待つ暇もないと思つてゐたのである。 それだけなら、まだしもよかつた。然し昇は同じ口調で、義雄が遠藤から相當な金を受け取つて十勝へまはつた上に、また旅費の追つゐ送そうを社へ請求して來たのを責めた。そして、 ﹁そんなことも怪しからんぢやないか﹂と云ふ。 ﹁そして、送つて呉れましたか?﹂義雄は怒りの胸をとどろかせ、飛びかかりたいほどの勢ひを制して、かう皮肉に出る。 ﹁無論、送る筈はない。﹂ ﹁送らないで、そのお小こご言とが何の役に立ちます?﹂ ﹁然し遠藤から君は隨分金を出させたさうだ。﹂ ﹁それはあの人に別れてからの費用にでしよう? それなら帶おび廣ひろに至るまでに殆ど必然的に入るだけで――その報告は天聲君にもしてあります。﹂ ﹁おれはまだ聽かん。﹂ ﹁聽かないで、勝手氣儘な想像はおよしなさい! 而もそれを以つて人を責める樣な口調はどうしたのです?﹂ ﹁まア、さうおこらんでもえいぢやないか?﹂ ﹁おこりますとも、あなたの出かたがどうも面白くない!――それに、全體、あなたの社が人のふんどしで相撲を取らうと云ふ樣なやり方です。﹂ ﹁社が仲に這入らんければ、旅行も出來なかつただらう?﹂ ﹁それは結構です、然し僕のあれだけの――またここ三四日つづきます――原稿に對して、あなたの社で何ほど出したと云ふのです?﹂ ﹁そりやア、社が直接に出したのは少い、さ――然し――﹂ ﹁御覽なさい! 社以外で出たのはすべて遠藤氏と僕との關係です。あなたは紹介者だけであつて、それに對する僕の謝禮はメールに原稿を書いたので十二分に濟んでゐます。﹂ ﹁だから、その點は君に禮を云つたぢやないか?﹂ ﹁禮を云ふだけならかまひません。然しさう横柄に出るなら、さし引き、それが消滅したと同樣です。﹂ ﹁然しさう横柄に出たわけでは――﹂ ﹁いや、お待ちなさい! あなたの態度は地方のへツぽこ記者に對する態度でしよう? 地方の記者ならそれで濟みましようが、僕は決して許しません――侮辱も亦甚しいです!﹂ 義雄の態度は寸すん毫がうも假かし借やくしないと云ふ勢ひだ。そして、忿ふん怒どの爲めに、相手を見つめる目が燃えて來た。昇は然し左ほど熱しない。兎に角、おほやうに折れて出て――毬いが栗ぐり坊ばう主ずの一文學者の云ふことなど、どうでもいいと思つたやうだ。 ﹁ぢやア、君の氣に喰はない言げんは僕が取り消さう。然し、社で君の一身上の世話は出來ないぞ。﹂ ﹁無論、社に頼んだのではありませんが、もう、あなたにも頼みません。然しなほ一言云つて置きますが﹂と、義雄は決して新らたに原稿料を貪るつもりでこんな罵言を云つたのではない。餘り人を馬鹿にする樣な昇の態度を反省させたので――帶廣から釧くし路ろ行きの旅費を電報で請求したのも、天聲がそれ位の請求はあとから出來る餘地を殘した證言をしてあつたからだと云ふことを、いつまでも誤解を殘さない爲めに、はツきりと辯解した。 ﹁そりや天聲が勝手を云うたのだらう。﹂かう云つて、昇は目を轉じ、自分の庭の松や萩に雪のおほびらがどん〳〵降りかかるのを見てゐる。 ﹁それにしても﹂と、義雄もその方に向き、おもさうに地上に直角に下る北海道のおほ雪――それが、もう所謂消えない寢ねゆ雪きだ――を見て、﹁僕がそんな意志の不ふそ疎つ通うがあなたと天聲君との間にあつたとは、初めから知らう筈がないです。﹂ ﹁兎に角、もう、分つたから、その話はよさう。﹂ ﹁僕も歸ります。﹂ かう云つて、義雄は立ちあがり、昇が後について來るのを見もしないで玄關に出で、靴の紐を結ぶ時、自分はまたのぼせたのであると思ふ。下を向いてゐる顏に血が行きどころもない樣に充みちたのか、兩の頬ぺたが何となく熱して膨はれぽツたい。 同時に、ふと、昇と云ふ奴は、性格があの畑中新藏に似てゐるところがある。顏の大きいところも亦さうだ。然し、昇のは碾ひき臼うすの上うは石いしの樣だと思ふ。そして、また、あの大きな口が一文字に延びてゐると。 ﹁また、ひまにやつて來給へ。﹂ ﹁いや、もう﹂と、義雄は渠の方を見て土間につツ立ち、﹁東京へ歸ります。﹂ ﹁では、達者にし給へ﹂と云つて、主人は引ツ込んで行つた。 どん〳〵降る雪は、風がないのに、ただ義雄の無謀に進む勢ひに亂れてか、渠の前後左右から、お前の樣なものは早く北海道を去れと迫るかの樣に、渠の洋服にまとひつくのだ。 昇の家の角を曲つて、大通りの散策地が、近頃出來あがつた永なが山やま將軍の銅像だけをむき出しにして、地べた一面白くなつて、枯芝一つも見せない路傍を、東に進んだ。 無謀の歩みは渠が燒けになつた時の習慣である。渠は曾て燒けツ腹の餘り、雨中をどろ下駄の重みが癪にさはり、身をその場で泥濘中に投げ出したことがある。今も亦殆どさうしかねない勢ひだ。 昇の横柄な言葉を思ふと、癪にさはつて溜たまらない。あんな奴の爲めに原稿を書いてやつたり、身の上のことを頼みに行つたりしたことが、また癪にさはつて溜らない。雪がうるさくまとひつくのがまた癪にさはつて溜らない。 ﹁これが東京なら、もう、これツ切り、行き倒れになつてもかまはない!﹂然し北海道で死に恥も生き恥もさらしたくないと思ふと、如何に季節上の事情を實際に知らなかつたとは云へ、勇や氷峰に注意はされながら、かう雪の降るまでまご〳〵してゐた自分を、無見識だと身づから嘲あざけらざるを得ない。 思ひ出すと、樺太の鑵詰業者でも、見切りのいいもの等は、秋の蟹は割合に利益にならないとして、疾とつくに、今年の仕事を切りあげ、東京などへ、來年の發展もしくは契約の爲めに出かけてゐる筈だ。まして、その見込みもなくなつた自分が、弟や從い兄と弟こをそのままにして置くのは、北海道よりも早いおほ雪の中で、渠等を進退に窮させるばかりだ。 然しそれどころではない――今は自分自身が全く窮してゐるのだ。二三年の經驗があつたから、あの旭川新聞にゐた俗謠詩人はあの時に逃げ出したのだらう。また自分と一緒に歸らうと約束してゐた森本春雄の上京も、たとへ、父が亡くなつた爲めに早くなつたのにせよ、何となく自分は渠の先見に鼻をあかされた樣な氣がする。それが如何にも殘念で溜らない。 ﹁この無先見の馬鹿野郎!﹂かう、自分で自分を罵倒しても見る。然し、昇に對してまだ云ひ足りなかつたところもある樣な氣がするので、それを言こと傳づてさせる爲め、昇があとで行かなければならないと云つた北海メール社に行き、天聲を訪うて見た。まだ來てゐなかつた。 また雪を冒して、渠の宅へ行くと、細君が兒を生んだといふ騷ぎだ。 ﹁それはお目出たう﹂と、入り口に立ちながら云つたが、義雄はこの寒いのに御苦勞なお産だと思ふ。渠は自分の妻子を聯想させるものはすべていやだ。妻が兒を産む、そして所をつ天とに對する愛が薄らぐといふことが鼻について以來、義雄の持論として、また曾てそれを勇のゐるまへで勇の細君と云ひ合つたことがある通り、兒を産む女、兒を可愛がる男などを見ると、馬鹿だとも下等だとも思はれる。そして、兒といふ物を見ると、最もうるさくツて溜らないのである。 まして、こんなに氣のいら〳〵してゐる時だ――﹁おぎやア、おぎやア﹂といふ聲がぞツとするほどいやだ。早く立ち去らうとした。 ﹁まア、ちよツとあがり給へ﹂といふ天聲に向ひ、敷居のそとから、昇の言葉とそれに對する反駁とを語り、 ﹁君が社と僕との間に立つて、意志の疎通を缺いたのを今更ら責めるのではないから、ただ昇に向つて、君からも一つ僕の公明正大な不滿と渠の間違つた態度とを證明して呉れ給へ――僕はもう歸京するから。﹂ ﹁證明はいつでも出來るが﹂と、天聲は心配さうに、﹁歸京するツて、金があるか?﹂ ﹁なアに、持ち物を賣りツ放ぱなす、さ。﹂ ﹁僕も氷峰君と何とか相談して見よう。﹂ ﹁氷峰だツて、今窮してゐるから、ね。﹂義雄は、心ここ安ろや立すだてに、暗にメール社でもツと奮發すべきだといふことを諷ふうじかけた。が、どうせ天聲の力では及ぶまいし、昇には立派に云ひ切つて來たのだから、それツ切りにした。 そして、そとを歩きながら、まだ火ほ照てつてゐる自分の顏に大きな雪の花がぶつかるのを、ひイやりと心よく感じた。六
東京へ歸つてやると、今度こそはいよ〳〵決心したが、義雄はお鳥にそれを語らなかつた。と云ふのは、まだ暫らく入院してゐられるだけの分を拂ひ込んであるから、それが盡きないうちに、兎に角、何とかして、自分だけが歸京したい。そして、どうせいつ直るか分らないお鳥と遠く別れてから、手紙の上のいい加減な相談で、かの女ぢよから逃げてしまはうと思つてゐるからである。 一日の午後――雪は降りつづいてゐた――まだ鐵道局が引けないうちに、義雄は加藤忠吉を停車場の二階なる會計部に訪問し、樺太から着て來た銘仙の衣物と羽織とをこツそり賣つて貰ふことを頼んだ。それさへ賣れたら、下宿屋の拂ひだけは出來る。加藤は夕方までに返事すると云つて、それを引き受けた。 歸宅して、義雄はまた汽車賃と途中の費用との工面を考へた。さし當り、目的物は銀時計と金ぶち眼鏡とであるが、これはどうも放したくない。いづれも去年の末、學校を辭職した時、教へた生徒一同から贈つて呉れた記念だ。渠はこの一つの記念を見る度毎に、あれだけ叱りつけた生徒だが、自分が英語の教へかたが上手であつた爲めに、よく親しんでゐたことを思ひ出す。また、學校に關係があつた時は、一日置きに大きな聲を出すので、それが非常にいい運動になつたことを思ひ出す。 で、この二つは、どうも放したくない。さりとて、その他に賣り拂ふものはない。再びあの書きかけた論文原稿﹁悲痛の哲理﹂に思ひ及ばざるを得なかつた。あれを徹夜してでも一生懸命に書きあげ、東京へ送り、無理にでも一時の立て換へをして貰はうと考へた。それに、加藤に頼んだことも實際うまく行くか、どうか分らないからである。 この考へに多少の活氣を囘復し、義雄は机に坐わる用意として、まづ近處の床屋へ鬚を剃りに行つた。すると、左りの目ぶたからあたまへかけて、ひたひ中を縫つて貰つたおほ傷の跡のある男が散髮をして貰つてゐる。 その男の實話に據ると、熊にひツかかれたのである。鑛山探檢に行つた歸途、その熊に出くわした。熊といふ物は人間の聲がすると逃げる。慣れた郵便脚夫などは、遠くおやぢの影を見ると、その場で石の上などへ腰をおろし、﹁えへん、えへん﹂など云ひながら、ゆツくり煙草を飮んでゐる。すると、向ふから近よらない。然し、どちらも不意に一間以内のところで出會ふと、おやぢもびツくりするのだらう、直ぐ後ろ足で立ちあがり、人に飛びかかる。 そこを、アイノなら直ぐマキリを以つて熊の胸に飛び込み、喉にある月の輪を刺すのだが、渠はそんな用意も手練もなかつた。おまけに、子づれ熊と來てゐた。子は逃げたが、親は立ちあがつた。熊は内うち手でが利かないから、胸ぐらに飛び込み、そこに顏を當ててゐたら、決して傷を受けないと、兼て或アイノから聽かされてゐたのを思ひ出し、渠は夢中でその胸ぐらにつかみ附いた。 熊と自分とは一緒に倒れたが、その時、額ひたいをかきむしられたのだらう。氣がついた時は、もう熊はゐなかつたが、自分は顏中血みどろになつてゐるのが分つた。 ﹁然し手術といふものはありがたいもので、目玉までくり拔かれたかと思つたほどの傷が、兎に角、この通り直つたのだから、なア﹂と云つた。をととひも、博物館へ行つて陳列してある剥製の熊をいろ〳〵見たが、あのおそろしいざまをしてゐる大畜生の胸ぐらへ、どうして、まア、つかみつくことが出來たかと、今更ら思ひ出してもぞツとするが、﹁おほかた、おそろしい一心で夢中になつたからであらう﹂と云ふことをも云ひ添へた。 床屋にゐたものらはすべて吹き出した。 然し吹き出すどころではない。義雄はその時の一心、それが自分の論文の急所にもなるのだと思ふ。 この新らしい絲ぐちを得たのと、鬚を剃つたいい氣持ちとにそそられ、直ぐ筆を執る氣になつて床屋を出た。然し旅行前にちよツと見た﹁氣きし象やう考かう﹂のことを思ひ出し、それを一材料にする爲め借りて來るつもりで有馬の家へ行く。 勇はここ一週間ばかり、毎晩、奧州松島の瑞ずゐ巖がん寺じから來た某師の﹁碧へき巖がん録ろく﹂提てい唱しやうを聽きに行き、その度毎に參さん禪ぜんをしてゐた。舊派の而も平凡な教訓的短歌を作つたりする渠としては、割合に感心な試みだと義雄は思つた。然し、却つてまたそんな俗習家に限つて、禪など云ふ、義雄が催眠術の一種に過ぎないと不斷罵倒してゐる工くふ風うを、この上もなくありがたがるものだと見ると、馬鹿にして見たくもなる。 ﹁ゆうべでやツと參禪は終つた﹂と云つて、多少得意げになつてゐる勇に向ひ、義雄は、 ﹁禪と云ふものは、僕は松島でもやつたし江州の永えい源げん寺じででもやつたが、すべて野やこ狐ぜ禪んに終ると僕等は見み爲なしてゐるが、君はどう云ふ結果を得た?﹂ ﹁そりやア、僕等にはまだ分らないが﹂と、勇はこちらのいつもの壓迫的態度を逃れようとする樣に、然しまた辯解もして見る樣に、﹁いろんな結果を得る、さ。﹂ ﹁たとへば、どんな樣に?﹂ ﹁たとへば、生死の巷ちまたに立つて、膽力が鍛へる。﹂ ﹁馬ア鹿な! そんなことを、わざ〳〵三十棒のもとで鍛へて貰はなければならない樣な人間では駄目だ。﹂ ﹁あの先生は、然し、打つ樣なことはしないので有名ださうだ。﹂ ﹁打たないでも、形式は同じだらう――自己催眠がやれると云ふばかりで、而もそれが肝かん心じんの内容を空虚にしてしまふものだから、死しぶ物つになるも同樣、さ。死物の膽力とか、不動心とか云ふのは、ただ物に感じない無神經の虚飾に過ぎない。﹂ ﹁禪は無論神經の刺戟を離れて、純粹の觀念を凝こらすものだ。﹂ ﹁それが既に間違つてゐる。觀念とは、プラトンの所謂イデーを初めとして、全く消極的なもので、矢ツ張り、人の無むし飾よく活動を殺す形式の範圍になる。僕等は神經を鋭敏にと働かすべきで、それを離れて現象も、實體も、活動も、自我もないとするのだ。﹂ ﹁然し無我といふことが禪には大切だ。﹂ ﹁實際に無我なら、もう、膽力も、くそも入る筈がないぢやアないか? 全體、禪は矛盾と云ふよりも、ただぬらり、くらりとした不眞面目な態度でその人の無内容を胡ごま麻く化わしてゐるに過ぎない。無我とは結局無内容だ。無内容は空くうだ。空な物が膽力どころではない、これから何物をも贏かち得うることは出來ないのだ。現代に必要な自我の充實と國家の發展とに於いては、耶蘇教思想と共にわが國から排斥すべきものだ。釋しや宗くそ演うえんが――無論、くそ坊主だが――東京帝國大學派の哲學會で、﹃悟道とは何ぞや﹄といふ演説をやつたことがある。―― ﹁大學の先生どもは、どうせ無むど獨くと得くの淺薄者流ばかりだから、下らないことに笑はせられたりするので、外げだ道う禪などは催眠術にも似てゐようが、達だる磨ま禪、圓ゑん頓とん最さい上じや乘うじようの禪はさうではないなど云はれて嬉しがつた。そしてその最上禪とは何かと云ふに、壇上で興行師の樣に一喝かつして見せ、曰いはく云ひがたしだ。―― ﹁不ふげ言んの言、非ひし思れ料うの思料などとは瓢箪なまづ的の胡麻化しで、老子の態度もさうであつた。現代では、メテルリンクの態度もさうだ。つまり、誰れでも、そこまでは行けると云ふところにとどまつてゐる。自然主義の初歩者にも、﹃默の一字あるのみ﹄など云つて、空虚な高踏派的態度のがある。その實、何等の内容も、生命も握つてゐないのだ。―― ﹁僕等は主義として、自分の云へないこと、乃ち、エキスプレス、發想し得ないことは、すべて價値のないものと信じてゐる。たとへ發想とサジエスト、乃ち、暗示と云ふこととは區別して見ても、暗示する物は自分の神經で握つてゐる物でなければならない。そして、その物が本能力であつたなら、まだしもそれだけ禪の取り柄だが、それは心理學の發達した今日、催眠心理學の方がずツと正確だ。それも、曰く云ひ難しなどの程度にとどまつて、發想もしくは暗示し得ないのは、自分で獲得してゐないことだ。まだ獲得してもゐないものをかうだとか、あアだとか、直觀自覺せよだとか云ふのは、手の平に握つてゐない物を當てて見よと云ふのと同樣、人に虚僞を強ひてゐるのでなければ、空想を實際だと誤信してゐるのだ。―― ﹁そんなことで、實際に、眞の實際に、どうして膽力が鍛へられる? 僕の刹那主義に於てこそ、充分に膽力の鍛練も出來ようが、三さん昧まいとか、無我とか、無念無想とか云ふ、俗そく人じん原ばらがわけも分らず喜ぶ無意義の形式を以つて、﹃思想感情の最高頂﹄もあきれらア、ね。―― ﹁自己を超絶――ふん、自己を超絶したら、空だ、死だ! 大だい我が――馬鹿な、我がに大小を別わかつのは既に考へ方が淺薄だ! 積極的――それも却つて消極的なのを知らないのだ!﹂ 知らず識らず自問自答になつて來た義雄の長談議を、勇は小せう乘じよ的うてきだと云ひたさうにして聽いてゐた。が、まだ口を出さないうちに、義雄はその辯解もする。 ﹁大だい乘じようとか、小乘とかいふことが佛教思想には離れられなくなつてゐるが、それも下らないことだ。小乘であつて、大乘ぢやアないといふのは、自己の無内容を知らず人のことを下等だ高尚ぢやアないと云ふのと同じで――佛教の俗習家等の空言空語だ。色しき即そく是ぜく空うといふことも、僕が井の哲博士の現象即實在論を駁した樣に、全くのナシングネス、空くうでなければ、ただ觀念的程度にとどまつてゐる。えらいことも、玄妙なこともない。えらいとか、玄妙とかいふ形容がつく實際の内容を握つてゐないからだ。そこへ行くと、僕の刹那主義が初めてその内容の充實した事實を表象と正當な暗示とを以て現じ得るのである。﹂ ﹁その表象といふことをいつか君は詩の論で云つたが﹂と、勇はやツと義雄の言葉を引き取つて、 ﹁さういふことが禪にもあるよ。君は物を云ひ切つてしまへば、却つて物の全體が現はれないから、舊來の和歌なるものが駄目だと云つた。﹂ ﹁さう、さ。﹂ ﹁ところが、禪でも、暗示といふことを云ふよ。説明してしまへば何でもなくなると。﹂ ﹁そりやア、今云ふ内容がないからのこと、さ。僕等が暗示とか、表象、乃ち、シムボルとか云ふのは、發想と共に生きてゐる。ただその發想が、以心傳心など云つて、胡麻化しの消極的寓意手段ではない。乃ち、禪の樣な無神經、もしくは脱神經の假空的暗示でなく、大膽で赤裸々の人格實現が發想その物で、それが直ちに人世全體の暗示になつてゐるべきものだ。﹂ ﹁然し禪にも内容がないとは云へまい?﹂ ﹁ぢやア、どんなものがある? 隻せき手しゆの聲など云つて、徒いたづらにヰト、頓智を弄してゐるに過ぎない。﹂ ﹁頓智ではない、さ。﹂ ﹁そんなら、それにどう云ふ工風を凝らした?﹂ ﹁それは云はないことになつてゐる。云へば、ただ人の冷笑を買ふだけだから、ただ自分で自分の工風にしなければならないぞと云ふのだ――さうなると、師に對する一種の信仰の樣なもので、信じないものにはつまらなくなるのだ。﹂ ﹁信不信によつて、つまる、つまらないぢやア、もう、語るに足らない、さ。木ぼく石せきも神と思つて信じたら、病氣も直るといふのと同樣、矢ッ張り、催眠術、よく云つて、自己催眠にしか當らないことになる。暗示も、膽力鍛錬も、そんなもののお世話になる必要がない。僕等は自己催眠など云ふ手段によつて消極的な、外向的な、死滅的な宇宙を觀ずるのではない、立ちどころに、現實の自己の覺醒、自己の滿足、自己の充實、自己の發展を内觀するのである。﹂ ﹁さう云つてしまへば、さうだらうが――﹂ ﹁その位にして置かうよ。どうせ、君の禪を攻撃してゐるのではないから、ね――僕はあの﹃氣象考﹄、ね、新あら居ゐも守りむ村らとかいふ少せう教けう正せいの――あれを見せて貰ひに來たのだ。今の樣な議論も、僕の論文には這入るが、あの少教正の書をも引き合ひに出さうと思ふから――﹂ ﹁見せてもいいが――﹂勇は少し不興らしい樣子をしてその書を出して來る。 ﹁ちよツと借りて行つてよからう。﹂ ﹁うん。﹂勇は急に考へた樣に、渡さうとした書を引ツ込めて、﹁借してもいいが――﹂ ﹁無くしては困ると云ふのか?﹂義雄はむツとした。 ﹁さうぢやアないが――﹂ ﹁矢ツ張り、隻せき手しゆの聲で、祕密だと云ふのか?﹂ ﹁いや﹂と勇はなほ重々しさうに、﹁餘り人に見せて呉れては困るが、ねえ。﹂ ﹁かう云ふ珍らしい掘り出し物を人に見せないで、祕藏するつもりか?﹂ ﹁一概にさうでもないが、――これが君には立派な材料にならうが、人から見ると、僕が教育家として、こんな物をこツそり讀んでゐると思はれないでもないから。﹂ ﹁これが讀どく破は出來りやア、教育家としても、君はえらい筈だ――スプリングピクチユアでも、正直に云ふと、教育家は見て置く必要がある。﹂ ﹁世間はさう思はないから、ね。﹂ ﹁そんなことを心配するから、人は何も出來ないのだ。新主義を主張するだけ、僕は大膽に古人の説をも採さい否ひするつもりだ。﹂ ﹁君はそれでよからう――兎に角、濟んだら直ぐ返してくれ給へ。﹂ ﹁よし、心配するにやア及ばんよ。﹂ 義雄はその書並びに到着の雜誌一まとめを受け取り、そこを出た。そして、勇の樣な小膽者は舊式な禪でもやつてゐるに丁度よからうと思ふ。 義雄はその往きにも、復かへりにも、博物館わきの湧き水のそばにある、自分の好きな、例の幽靈の樣な枝を高く擴げたアカダモのそばを通つた。然しそれはもう立ち樹ではなかつた。根から切り倒されて、雪が降り、雪が積つてゐる道に横たはつてゐる。そして、枝は枝で切り落され、幹は幹で三つばかりに挽ひき離されたままになつてゐる。義雄はそれが自分の形骸ではないか知らんと思つて、しめツぽく冷えて來た手に白い息を吐きかけながら、暫らく踏みとどまつて見てゐた。 立つてゐた時よりも、幹がずツと長い樣に思はれる。もう、樹木ではなく、木材だが、根は廣い道の眞ン中からその廣い道の片がはを横斷して、そのさきは、博物館構内のふちを流れる水の上に出てゐる。そしてこの木材にも雪が降り積んでゐる。 伊藤公追弔演説會以來の獨ひとり激げき昂かうを思はずまた參禪論に於いてした爲め、神經が再び非常に過敏になつてゐるのが、今、路上の放浪者として、初はつ冬ふゆのしめツぽさと冷氣とに當つて、義雄は夏以來の働きを一いち度ど期きに目の前に浮べた。 そして、その疲勞の姿はこの木材であつた。そして、それを踏み越える時、かう考へた――自分は、もう、肉と靈とが分離して、生せい々〳〵活動のもとなる肉の幻影力を失ひ、靈ばかりが痩せツこけた無生氣の亡者の如く、自分の運命を踏み越えるのではないか知らん? それなら、自分の主義の破滅だと。七
下宿へ歸つてから、義雄は先づ﹁氣象考﹂を讀み通した。木もく版はん本ぼんで、おほきな字の本文の間に、また割わり註ちゆうが澤山してあるが、薄ツぺらなのだから、直ぢき讀めた。 渠がこの種の木版本で、渠自身の思想を反省するに至つたのは、さきに平たひ朝らの臣あそ玄んげ道んだうと云ふ人の﹁眞まき木ばし柱ら﹂があつた。この書から、宗教的農學者佐藤信しん淵ゑんの﹁天柱記﹂、﹁鎔造化育論﹂並びに同著者の農業本位の、而も最も古いと云はれる連れん山ざん易えきと天主教の耶蘇教理とから綜合した日本中心主義を發見した。 今、またこの明治十八年に於ける少教正の書によつて、天地萬物の生々的威力は陽やう根こんの氣に基もとゐすると云ふ思想を得た。 いづれも義雄の説に於いては大切になつてゐるもので、渠等がなぜこんないい考へを持つてゐたかと考へて見ると、つまり、わが國の神道を離れないからである。そして義雄は宗派化した神道ではないが、神道の本源にさか登つて、わが國有史以前の神代の肉靈合がふ致ちて的き生活から、歐洲近代の觀念的表象主義を矯正する心熱的表象主義――それが新自然主義だ――をうち立てたのである。渠の國家人生論はそこに立つてゐる。そして、日本中心説も、陽根本位論も心熱を刹那主義的に追つゐ行かうしさへすれば、義雄の立脚地にぴツたり合致して來るのである。 義雄は愉快に﹁氣象考﹂を讀み返した。陽根の氣︵發音、キ︶が發音上轉じて身のミ、神のミ、君のミにもなつてゐるなど云ふ、徒らにわが國語の語源的説明に拘泥してしまつた弱點はある。また、あれだけの卓見を有しながら、それをうち消すかの樣に、普通の宋學者流の氣を、學理としては、外存的に、沒我的に解釋してしまつた缺點はある。然し、赤裸々に男女陰陽の關係を、自作の歌を以つて云ひあらはしたり、﹁古事記﹂を引用して説明したりして、性慾に關することだけでも、大膽にまた眞摯に、わが國固有の生々主義を發揮してある。義雄は自分の﹁デカダン論﹂で説いた最も悲痛切實な自食的戀愛觀が、時代を云へば逆だが、既に讀まれてゐたかの樣に感じた。 然しまた外げだ道う禪もしくは病氣治療的手段にばかり落ちたところもある。然しその部分に於いて、女の癪を即そく治ぢするには、男の○○を當てるに限るとあるに至り、義雄はそれを徒らに手段と見ず、眞面目にその理由を追窮し、自分の肉靈合致、生々刹那主義の論據を確かめた。宇宙の本體は實に威力ある男性、優強者たる自我にあるのだと。 そして、義雄自身は、愉快の餘り、全くこの思想に包まれてしまつて、男性的自我が火の樣に燃えて、觸れるものはすべて燒き盡す熱心があらはれた。火の樣な自我と燃えてゐる刹那は、渠の所謂獨どく存ぞん強きや者うしやである。その状態で考へると、この熱心の爲めに、自分の妻子も燒かれたのである。自分の崇拜者も燒かれたのである。自分の友人も、お鳥も、敷島も燒かれたのである。燒き盡されて無關係になつたものはまだしもいいが、半燒けのまま、まごついているお鳥の如きは、一番面倒だと云ふ感想が、その間に、自分の體内に浮ぶ。 然し渠は、北海道生活を初めてから、今日ほど、すべての幻影を攝取して、自己の悲痛と孤獨とを強烈に感じたことはない。 この實際を書きさへすれば、自分の論文は無事に成立するのだと、勇み勇んで机に向ひ、原稿紙の上に筆を持つて行くとたん、生憎、お鳥が勢ひ込んでやつて來た。而も出し拔けに泣いてゐるのである。 ﹁どうした?﹂ふり向くと、かの女ぢよはそのそばへぺツたり坐わり込み、義雄にかじりついて、 ﹁早く病氣を直せ!﹂ ﹁‥‥‥‥﹂ 義雄はちよツとあツけに取られた。 ﹁病氣を早く直せ!﹂かの女は渠をつき飛ばす。 ﹁‥‥‥‥﹂ ﹁早く病氣を直せ!﹂と、また、つき飛ばす。 ﹁‥‥‥‥﹂ ﹁早く直せ、早く直せ!﹂お鳥はます〳〵顏をしがめて、義雄を強くゆすつてゐた。が、義雄が持つてゐる筆も擱おかないで、ただ目を圖くして見つめながら、かの女の爲すままにぐら〳〵からだをゆすぶらせてゐるのに堪へられなくなつてか、一と聲高く﹁直せ﹂と、渠を机にまでつき飛ばした。そして、自分は兩肱を後ろに曲げて、握り固めた手を乳のあたりに擧げ、それをゆすりながら、﹁え、え、えツ﹂と齒を喰ひしばり、涙をほろ〳〵落す。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄は、なほ無言で、わざとただそれを見てゐる。 ﹁早く直せ﹂と、またかの女はつき飛ばす。 ﹁よせ!﹂かう突然叫んで、渠はかの女の手をふり拂ひ、﹁おれは醫者ぢやアない!﹂ ﹁そんなら、もツとえい醫者に見せて貰ふ! ちツともよくならんぢやないか?﹂涙の顏を義雄に押しつけて、﹁もう、死んでしまふ﹂と云ふ聲は、義雄の袖に壓迫されて聽える。 ﹁まだ死ぬにやア早いよ。﹂輕く受けて、渠は筆を投げうち、膝をかの女の方へ向けて、﹁死にたけりやア、いつでも死ねる、さ――人の死ぬのア何でもないことだ。直ぐにも死ねらア、ね。ただおれと關係がなくなるだけのことだ。﹂ ﹁生きてても﹂と、お鳥は顏をあげた、﹁いやだのに――死んでまで、關係があつて溜たまるもんか?﹂ ﹁ぢやア、死ぬ、さ――火葬ぐらゐの世話はしてやらア。﹂ ﹁お前などに世話してもろたら、たましひまでも穢けがれる。﹂ ﹁穢れるなら、もう、穢れてゐらア、ね。﹂ ﹁だから、早く直せと云ふのに!﹂なほ恨みを含んで、こちらの顏を見る、意地惡るさうな窪み目だが、うるほつてゐると、義雄には可愛くも見える。然し、もう、可愛がつてゐると見られるのを避けたいので、――無論、もう、愛情の八九分までも失せてしまつたと思ふので、――義雄は冗談にして云つた、 ﹁うるさい、ねえ――いツそのこと、お前の望み通り、お前の形まで死んでしまつた方がいい――面倒くさいから。﹂ ﹁面倒くさいものに誰れがした?﹂ ﹁おれと加かし集ふと、それから、ひよツとすると、寫眞の先生と、その學校のハイカラ生徒と――﹂ ﹁違ふ! 違ふ! そんな呑氣なことではない!﹂ ﹁呑氣なのアお前、さ。﹂ ﹁お前こそ呑氣ぢやないか?﹂かの女は斯う云ひ放つた。﹁病氣になつた時、直ぐよい病院にかけて呉れたらよかつたのに、廣田の樣な、あんなへツぽこ醫者へつれて行いて、もう、一週間で直る――もう、十日で直ると云うて、直るどころか、なほ惡うなつた。それから、牛込の病院へ通つたて、遲かつたではないか? 慢性になつてしまつて――それも、毎日、行けたのなら、運が惡いとあきらめもつくけれど、金が出來たり、出來なかつたりして、つづけて行くことがない爲め、よくなつたり、惡うなつたりするばかりで、ちツとも直りやせん。﹂ ﹁慢性になつたら、なか〳〵直らないもの、さ――氣長に治療するに限るよ﹂ ﹁自分ばかり直つたので、人のことはちツとも思ひやつて呉れないんだもの。﹂ ﹁いくら思ひやつてゐても、直る時が來なけりやア直りやアしない。﹂ ﹁金さへあれば、勝手に直して見せる、さ。﹂ ﹁さぞいいお醫者が出來あがるだらうよ、速成のをんな寫眞屋さんの樣に。﹂義雄はお鳥の持つてゐる寫眞にかの女自身がコダクを提げて寫つてゐるのを思ひ出し、﹁男の持つ寫眞機を肩にかけて、重過ぎるので、足が宙にあがつてらア。﹂ ﹁何でもえい!﹂お鳥はこちらの批評を反省したかして顏を赤くする。 ﹁時に、だ﹂と、義雄は少し眞面目になり、﹁お前は金、金と云ふが、さう澤山出來る見込はないよ――ここへも拂ひをする必要があるから。﹂ ﹁然し、金の出來る見込みがあるの?﹂ ﹁心配するにやア及ばないよ――病院の方はまだ新らしく拂ひ込む日は來ないだらう?﹂ ﹁來たら、困るぢやないか?﹂ ﹁どうかするよ――まツこと困るなら、おれだけでも東京へ歸つて工面する、さ。東京へ歸りさへすれば何とか出來よう。﹂義雄は暗あんに自分ばかりの歸京をほのめかす。 ﹁歸つてしまへば、自分ばかりはよからう、さ――﹂ ﹁そんなことはない、直ぐお前の入院料のあとを心配しなければならないから。﹂ ﹁へん! そんな人の氣休めになることを云うて、――離れてしもたら、えい氣になつて、それツ切りになるのだらう?﹂ ﹁さう思つてゐたら、間違ひはないだらうよ。﹂ ﹁ふん、いやだ! いやだ! いやだ!﹂かう鼻を鳴らして、お鳥はまた義雄をちから強くゆすぶり、﹁いやだ、いやだ! 歸つたら、承知しない!﹂と、こはい目をしてこちらを瞰にらみつける。 ﹁ぢやア、歸るまい。その代り、おれは何もしないで、遊んでゐよう。﹂ ﹁それも許さん、金を拵こさへて來い! 金を拵へて來い!﹂ ﹁どこでよ?﹂ ﹁島田なり、どこなりで。﹂ ﹁あるもんですか?﹂ ﹁ぢやア、どうするの?﹂ ﹁どうする當てもない。﹂義雄はわざと斯う云つた。論文を書きあげてと思つた興味は、お鳥の爲めにどこへやら行つてしまつたのをおぼえるからである。 ﹁だから、歸るといふの?﹂ ﹁うん、歸るかも知れない。﹂ ﹁歸つたら、もう、駄目ぢやないか、あたいのことなど思やしない!﹂ ﹁ぢやア、一緒に歸る、さ。﹂ ﹁いやだ! いやだ! またあの氣違ひ婆ば々ゞアに﹂と、義雄の本妻のことを云つて、﹁いろんなことを云はれるばかりぢや!﹂ ﹁ぢやア、どうしたらいいんだ!﹂ ﹁ここにをつて、工面すりやえい、――東京へ行たら、また病院にも這入れないにきまつてる。﹂ ﹁さうともきまらない、さ。﹂ ﹁では、直ぐ大學病院へ入れて呉れるか?﹂ ﹁入れてやる、さ。﹂かう答へたが、實は、義雄身づからさう云ふ氣にもなれないのである。 ﹁うそぢや、うそぢや!﹂お鳥は今度は自分のからだをゆすぶり、﹁病氣がいつ直るか分らないのに、金がなければ心配ぢやないか? もう、十一月に這入つたから、十日も直きに來る。したら、また入院料を拂ひ込まねばならん。――ふん﹂と、またからだをゆすぶり、ゐても立つてもゐられない樣子をして、涙をこぼす。すすり泣きのやうになつて、﹁もう、直りやせん! 直りやせん!﹂ ﹁今夜に限つて、どうしてさう泣くの、さ?﹂ ﹁それでも、つらいぢやないか? 人が苦しい目をしてをるのに、ちツとも思つて呉れないのぢやもの!﹂ ﹁入院さしてある以上に思ひ樣がない。﹂ ﹁それでも、今、あの有馬のおやぢが病院へ來て、あたいを應接室へ呼び出し、下らんことを云ふぢやないか? いやになつてしまふ!﹂ ﹁‥‥‥‥﹂まさか、あの男がくどいたわけでもなからうと思つたが、義雄は多少好奇心に驅られて、 ﹁何を云つたのだ?﹂ ﹁お前の惡くち、さ。﹂お鳥はこちらをその有馬の後ろ姿にでも對するかの樣に瞰にらみつけながら、 ﹁とても、見込みのない男だから、早く手を切れと、さ。﹂ ﹁切れるなら、直ぐにも切らうよ。﹂ ﹁それが行けんと云ふのぢやい! 早く病氣を直してしまへ!﹂かの女ぢよは言葉と同時に義雄を叩いた。﹁あんなおやぢの云ふことなど相手にせんでもえい!﹂ ﹁おれもぢぢイぢやないか、お前の言葉に據よれば?﹂ ﹁ふん、それなことはどうでもえい! 病氣を直せ!﹂かう叫んで、また義雄を叩いたり、つき飛ばしたりして、﹁今、有馬へ行いて來たと云ふぢやないか、同じ樣なことを云はれたのだらう?﹂ ﹁なアに、おれにやア、もう、何も云はないよ。﹂ ﹁うそぢや、うそぢや!﹂お鳥は然し氣をまはした。そして、義雄にせがんで、﹁あたいの惡くちも云うたので、隱してをるのぢや――白状せい、白状せい!﹂ ﹁云はないツたら、云はない! もう、歸れ!﹂義雄は辛抱し切れないで云つた、﹁おれは今これを書き出すところだ。これを早く書きあげて原稿料にするほか、別に當てがないのだ。﹂ ﹁泥棒を見て繩を綯なふことをしてをるのぢや――間まに合はんぢやないか?﹂ ﹁間に合はないと云つてぐづ〳〵してゐりやア、なほ間に合はない、さ。﹂ ﹁長くなるの?﹂かの女ぢよも俄かにちよツと氣をかへたやうだ。 ﹁うん、百五六十枚にはならう。﹂ ﹁まだちツとも書いてないぢやないか?﹂机の上の原稿の枚數を數へて見てから、﹁まだ三十枚しか出けてをらん。いつ出きることか分りやせん。﹂ ﹁だから、急いで、徹夜してでも書かうと云ふのだ。邪魔になるから、歸つて貰はう。﹂ ﹁歸ります、わ﹂と、お鳥はしぶ〳〵立ちあがる。﹁氣の毒ぢやとおもて默つてをると、一向、この苦しみを察して呉れないのだもの――あさつては天長節ぢやないか? それでも、あたいには何の樂しみもない。毎日、毎晩、生きながら地獄へ這入つてをる樣なものぢや。夢にまで苦しい目にばかり會うてをる!――直さないと、取り殺してしまふぞ!﹂ かの女は最後の言葉を云ふ時にこちらを瞰にらみつけて行つてしまふ。そのあとで、渠は直ぐ筆を手にしたが、つい、今しがた湧いて來た思想の引き締りが丸でゆるんでしまつてた。そして、そのゆるみを骨ぶしから感じて來て、自分の生命なる努力は既に過去のものになつてしまつた樣な氣がする。 筆が一向動かない。そして、お鳥の色白い、堅かた太ぶとりの肉――それを義雄は東京で引き受けたのだ――の段々痩せて來た姿ばかりがあはれにも浮ぶ。不斷から癇の強い女で、少しでも熱が出ると、なか〳〵直らない。或醫者がかの女を神經で以つて身づから病氣を惡くしてしまふお方かただと云つたことがある。それに違ひはないのである。これまでに、兎角、癪しやくや精神錯亂を起し易い女だ。やがては、またヒステリ性しやうに落ちるのだらうと思ふと、どうしても、早くかの女の面前から遠ざかりたくなる。 義雄は自分の本妻が段々ヒステリになるに從つて、自分は段々にそれをいやになつた經驗を思ひ出した。そして再び第二のヒステリ面づらを見てゐなければならないやうなことになるのは、忍び切れないと思ふ。然し、本妻をも、お鳥をも、ヒステリなどにするのは自分だ、自分の熱ねつ刻こくもしくは冷れい刻こくな性質からのことだ。自分が愛するものに全身全力をうち込む代りには、その愛するものを全く占領してしまはなければ承知しない。この自分の性質を知つて、妻でも、お鳥でも、それに合がつする樣に努めた時代がある。然し自分には滿足が出來なかつた。自分の深刻なと思はれる心中まで、いづれの女も十分に這入つて來る資格がなかつた。自分に向けるべき愛を、妻は子供の方に多く裂いてしまつた。お鳥は病氣の爲めに子供が出來るをりがなかつたのはいいが、妻が子供に愛を裂いたと同じ程度で、かの女自身に愛を保留してゐた。自分はそのいづれにも滿足が出來ない。その滿足出來ないところに滿足させようと努めたのが、女どもの精神と神經とを過勞させた。そこに、妻のヒステリやお鳥の癪を増長させる原因があつた。然しそのヒステリや癪が増長するだけ、自分の渠等に對する反感も亦増長した。 然しこれは自分の惡いのではない、女どもが自分の熱中する全人的性格に這入つて來ない淺薄な根こん性じよツ骨ぽねが惡いのだ。かうして、おのれ自身から病氣になり、おのれ自身で恨み痩せに痩せこけて行き、やがては死んでしまふのだ。それが淺薄な女どもの運命だ。みんなこちらの爲めに精神的、神經的に取り喰らはれてしまふのだ。かうして、妻も死ぬのだらう。お鳥も死ぬのだらう。然し自分自身も亦、かうして、やがて死ぬのだらう。つまり、さう思つて、 ﹁死ぬものは死ね﹂と、義雄は自分に一喝した。そして、﹁どうせ、いやなものは無用の長物だ! 自分に無關係なもの、自分に合しないものには、すべて愛情も未練もない﹂といふ反感を盛んにして、僅かに過去の努力を復活させた樣な氣分になる。 然し、どうも筆が執とれない。實際と實感とを破壞徹底した主觀が現じて來ないからでもあらうと思ひ、暫らく氣を轉ずるつもりで、有馬から受け取つて來た東京の雜誌を、手近にあるままに、取つて見る。 早稻田文學、文章世界、その他をひらいて、文藝に關する談話や評論を飛び讀みすると、その話者や論者は大抵こちらの直接に知つてゐるものではあるが、非常にうとましい樣に思はれる。と云ふのは、その話題や論旨が、相變らず、傍觀的態度とか、客觀的描冩とか、小主觀の排斥とかばかりだ。自然主義文藝の初歩としては、さういふことも必要ではあつたらうが、そんなことばかりで現代の自然主義は成立しないのである。 破壞的主觀といふことに達すれば、主觀の大小廣狹は勿論、こと更らに客觀を物質的、外存的に考へる必要はない。且、この主義は徒いたづらに區別的文藝の問題ではなく、直ちに天地の組織と社會の根柢とを革新する宇宙觀、人生觀である。それが乃すなはち義雄の刹那主義を發表した論著、﹁新自然主義﹂の要領である。渠は東京に於いて口が酸ツぱくなるまでもそれを論議し、友人等も多少それを認めてゐたと思つてゐる。然し、渠がゐなくなつてからは、渠等は殆どそれを忘れてゐるかの如く、矢ツ張り、もとの初歩的な説を繰り返してゐて、一向にこちらの影響らしいのが見えない。 そして、一方には、また、まだ自然主義が起らなかつた時代の考へを套たう襲しふして、外表の事件その物を以つて創作を批判し、少しもその内容の適不適に及ぶ素養も、思索力もない樣な談論ばかりだ。盜賊を書いたから行けない。女郎を描いたから、間違がつてゐる。強姦や姦通の事件だから、よくない。暗黒面でなく、光明界を出さなければならない。醜だから、美でない。苦しみばかりで面白くない。などと、そんなことは義雄等が主張した醜美論、苦痛美學だけにも觸れてゐないことばかりで、すべてその暗黒、耽溺、不道徳などを描冩もしくは批判するうちに、どんな充實した内容や思想が這入つてゐるか、そこまで窮きはめる力がないもの等の説だ。 義雄はそれを見て自分の説が大して影響してゐないのに失望すると同時に、自分はそんな頼たの母もしくもない東京の文界へ再び舞ひもどる氣がしない。 ﹁矢ツ張り、實感によつて、實感の眞劍勝負なる文藝でなければならない。﹂と思ふと、死んだ二ふた葉ばて亭いが硯けん友いう社しや派的な遊戲文學者、餘裕文學者等と相伍するを嫌つたのは、今更ら卓たく見けんであつたのだ。そして、渠を再び呼び起して、自分の主義を十分に吹き込み、二葉亭の考へであつたよりももツと眞劍な文學者にして見たくもなる。 ﹁然し渠も死んだ。自分も亦どうせ死ぬのだ。﹂いや、自分の努力が既に過去になつた上、その努力の影響がなかつたとすれば、もう、自分は全く死んだと同前だ。遺著などがあつても、何にもならない。現代の現實界が自分の物、自分その物になつて來なければ駄目だ。だから、自分その物の遺物はこの空むなしく筆を動かさうとする形骸ばかりだらうと思ふ。 かう思ふと、もう何の努力も勇氣もなくなつてしまふ。ええツ? どうともなれと、自分で自分の身を疊の上へ投げる。そして、﹁氣象考﹂の生氣ある説を考へると、自分もそれ以上に生々主義を主張してゐたのだが、自分の氣力も生々慾も、却つて、その説から、外存的に、たとへば地面がけふこの頃の寢ねゆ雪きに壓迫されて、段々凍つて行く樣だ。 そして、ふと、加藤がまだ來ないのに思ひ及び、渠に頼んだことが出來ないのだ、な、と考へる。あの衣物が賣れなければ、下宿屋の拂ひも出來ないのだ。それが出來なければ、旅費だけをたとへして呉れるものがあつたとしても、歸れないにきまつてゐる。 ﹁伊藤公は奇麗に死んだ、なア!﹂そして自分の生き恥ぢをさらすのが意氣地ない樣になる。實際、自分は自分の主義を自分で持ちなやんでゐる。主義さへ棄てたら、死んでもいいのだ。いや、無主義は實際に於いて死だ。 かう考へて、寢雪の切せつ々〳〵と降りしきる音を聽きながら、義雄はぼんやりと横になつてゐる。午後十一時の時計を數へた。 そこへ、丁度お鈴の弟、原口鶴次郎が訪問して來た。 ﹁まだ褥とこに這入つてゐない、な。﹂坐わつて、酒のにほひをぷん〳〵させる。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄は投げ出してゐる自分のからだを起さうともしなかつた。 ﹁起き給へ、君、女郎買ひに行かう。﹂ ﹁この雪に僕はいやだ。﹂ ﹁返りやしやんすか、この雪に﹂と歌ひながら、鶴次郎もそこに横になり、病人の樣子を聽いたり、田村義雄はあの歡迎會で直ぐ歸つたら花であつたが、今ぢやア、歸る時期を失したのだと皆が云つてゐることなどを語つたりした。それから、氷峰、呑牛等が發議して、義雄の歸京費を醵金しようといふ相談があることを語つた。 ﹁急には行くまいが、誰れが何ぼ、彼れがいくらといふことを島田君のうちで書いてをつたよ。僕にも出せと云うてをつた。﹂ ﹁僕も、そんなことをやつて貰はなければならなくなるとは、北海道に於ける新聞記者のなれの果て見た樣ぢやないか?﹂ ﹁然し、この場合、止むを得まいからと、鳥田君が云うてをつた。﹂ ﹁無論、僕の爲めにやつて呉れることなら、僕はことわりもしないが――﹂ ﹁君は知らんつもりでをつたらえい、さ。僕等がうまくやるから――﹂ こんなことを話してから、鶴次郎は再び最初のことを云つて誘つたが、義雄は應じなかつた。應ずるだけの力も出なかつたのである。すると、鶴次郎は義雄の銀時計を借せ、あす返すからと頼んだ。 義雄はそれを信じて、記念物の一つを鶴次郎に借した。そしていつも最も近く自分のからだにつき添つてゐた時計のちやき〳〵云ふ音がしないのに氣が附いた時、自分の身のそがられたやうな寂しみをおぼえた。八
翌二日に加藤を停車場二階の官房に訪ふと、きのふは要領を得なかつたから失敬したが、今しがたきまつて、現金が手に這入つたからとのことで、それを義雄は受け取つた。然し夜に入つても、鶴次郎は時計を持つて來なかつた。 そのまた翌日は天長節だ。同日の北海メールには、義雄の﹁天長節に關する一記憶﹂といふ小品的な原稿も一段半ばかり出た。 北海道の天長節には毎年必らず雪が降ると氷峰等から聽いてゐたが、果してその通りだ。然し午後からそれが止んだ。そして、お鳥は珍らしくにこ〳〵した顏つきでやつて來た。かの女ぢよは、この頃沈み返つた顏をしてゐなければ、きツと泣くか、怒るかするのだが、けふに限つて違つてゐる。 ﹁さう天長節が嬉しいのか?﹂ ﹁そんなことではない。別に嬉しいことがあるの、さ。﹂かの女は自分の廂ひさ髮しがみの前髮に注意せよと云ふ樣子をする。 ﹁‥‥‥‥﹂見ると、そこに蒔まき繪ゑのゴム櫛がさされてゐる。それを義雄はどこかの男から送つて來たのではないかと疑つたので、﹁どうしたのだ、隨分立派なのではないか?﹂ ﹁さう、さ。﹂かの女はにこつきながら、﹁林檎を送つてやるからと云うて、東京の友達から送つてもろたのぢや――ゆうべ屆いた。﹂ ﹁男の友達だらう?﹂ ﹁女、さ、國からこなひだ出て來たばかりの。﹂ ﹁本當か﹂と、念を押して見たが、兎に角、かの女の機嫌がいいのは、うるさくないだけ、義雄も喜ぶところだ。﹁からだにさしつかへないなら、市中をぶらついて見ようか?﹂ ﹁行いこ、行いこ﹂と、お鳥も勇み出した。 ﹁あたいが通ると、誰れでも、うるさいほど見向くよ﹂とは、かの女の常からの自慢で、こちらへ來てからも、矢ツ張りさうだと云つてゐる。 ﹁あれだけのハイカラで、もツと美人であつたらと、人が氣の毒がつて見るのだらう﹂と、義雄がひやかすと、かの女は非常に怒つて、終日、物を云はなかつたことがある。 義雄はそんなことをかの女のさした櫛に附けても思ひ出した。 二人は停車場通りを大通りへ出て、南一條、二條の賑やかな街を歩いた。人通りの多いところは、五六寸も積んだ雪を道の兩がはから中央にかき寄せてあるが、人の餘り通らないところの道でも、雪がさく〳〵して水みづ氣けがないから、さう歩きにくくはない。 曇天ではあるが、積雪の天地に家並みの國旗がひる返つてゐるのは、如何にも新鮮で、氣持ちがいい。往來の人々も、平日とは違つて、よそ行き姿の景氣がいい樣に見える。 義雄はお鳥に從つて、丸井に立ち寄つた。セルの被ひ布ふを催促する爲めである。その洋服店と呉服店とは、いづれも高い西洋建てで、賑やかな街の兩りや角うかどを占領して、嚴いかめしく分立してゐる。そして、諸國の國旗を結びつけた綱を四角の方々に引きまわしてあつた。そして、また、日が日だけに、店さきはなか〳〵賑はつてゐた。お鳥はその景氣におそれて大膽に這入り切れなかつたので、義雄がさきに立つて、お鳥の云ふことを取りついでやつた。 お鳥は途中から車に乘せて呉れろと云ひ出した。局部が痛み出したので、歩いて歸り兼ると云ふ。僅かの道を車もつまらないと思つたから、義雄はかの女をつれて氷峰の下宿へ飛び込んだ。すると、お鈴さんが盛裝して來てゐた。 義雄はお鳥を、氷峰はお鈴を、互ひに引き合せたが、いづれもまだ正式の夫婦ではない。初對面の挨拶をしたばかりで、お鈴は恥かしい爲めにか口をつぐんでゐるし、お鳥はまた痛みの爲めにだらう顏をしがめて無言だ。 ﹁天長節ぢやと云ふのに﹂と、氷峰は爐ろ火びをかき起しながら義雄に向ひ、﹁困つた、なア――足がないので、そとへも碌ろくに出られん。たとへ出られたとして、面白いことも、何もない、さ。﹂ ﹁御ごど同うぜ前んだが、ね﹂と、義雄は受けた。﹁さうすると、雜誌は今月出ないのか?﹂ ﹁とても出せん――金の出どこがない。﹂ ﹁川崎は、もう、駄目なのか?﹂ ﹁駄目ぢや、なア――社長はこの頃禿はげ安やすに周旋さした方の口から矢の如く催促を受けてをる。そんな筈ぢやなかつたと云うて、周旋者の禿げ安を探しまわつてをる。あのおやぢはまた自分が社長に返すべき金があるので、捕へられない樣に逃げてをる。――面白い芝居、さ。社長も苦しからうが、僕も苦しいよ。氷峰が大奮發の――實際、今囘のが僕のありたけの智慧をしぼり出したのぢやと見られても止むを得ない――事業をやつて、一二號でつぶれたと世間から云はれちや、たとへ金は殘つたとしても、僕の將來に大不利益ぢや。況いはんやこのぴい〳〵ではないか? この十五日にはとても間に合はんから、いツそ來年元旦の發行に變へて、十二月中に大準備をして、新年號から大發展としようかとも思うてをる。﹂ ﹁早く別な金きん主しゆを見つけたらどうだ?﹂ ﹁さうも思はんぢやないが、その先決問題として、今の社長と關係を絶つ時機を見てをるのぢや。僕を信じて資本を出すものがあるとしても、それが社長の左右するところとなつてしまふ樣ではつまらんから、なア。﹂ ﹁無論だ。﹂ ﹁時に、どうぢや――北海道の雪には面喰らつただらう?﹂ ﹁聽かせられてはゐながら﹂と、少し恥辱を感じながら、﹁その時になるまでは、まさか、まさかと思つてゐた、ね。――然し、こツちの雪はぱさ〳〵してゐて、その降り積む樣子が内地のとは違ふ樣だ。その上、雪のつんだあとの晴天は如何にも氣持ちがいい。うららかな太陽が白い上に反射して、空氣が如何にも新鮮で、健全らしい。﹂ ﹁伊藤公の演説をして氣違ひになりかけた人の言とも思はれん、なア。この不健全文學、神經衰弱の主張者!﹂かう云つて、氷峰は義雄の顏にほほゑむ。﹁あの時は僕らは突然の話でびツくりしたんだ。﹂ ﹁健全とか、不健全とか云ふには﹂と、義雄も微笑を以つて受け流しながら、﹁俗人、俗見者流が考へる樣な區別がつくものぢやアない。常識ばかりで事に當るものは、表面上、健全だらう。然し、餘り高いところへも、深いところへも接觸することが出來ない。ところが、その高いところ、深いところに接觸しなければ、人生の眞相を握ることは出來ない。それを握るには努力が入る。常識家にはその努力が不足してゐる。そして、極度の努力には、たとへ身心の過勞、神經の衰弱が伴ふものとしても、その過勞衰弱までに至る努力者が不健全で、殆ど無努力の常識家が健全だと云ふ區別はつくまい。よしんば、區別がつくとしても、そんな區別に由つて無意義の健全を貪むさぼるものには、進んで不健全と云はれるだけの名譽も見識もあるべき筈がないぢやアないか?﹂ ﹁何か分らんが、然し僕は矢ツ張り常識家を以つて任ずる、なア――第一、僕は君のやうな堅苦しい、無餘裕の努力家にはなれん。を着けて、眈溺するんぢやから、なア。﹂ ﹁いや、常識家が勝手にそれをと見るのであつて、――がその人の常用であつたらどうする?﹂ ﹁あたまはちよん髷まげと來るか、な?﹂ 女どもは笑つた。 ﹁馬鹿を云ひ給ふな。常識家こそ、ちよん髷をつけてゐるべき筈が、僅かにそれを切り去つた外形をよそほつてゐるに過ぎない。﹂ ﹁然し、兎に角、君は何と云つても、根本は保守家であることが分つたよ。﹂ ﹁無論、僕は日本を中心とする立ち場に於いては保守主義、さ――然し、そのまた奧に、斬ざん新しんな態度を發揮してゐるから、その點に於いて新時代の戰士として努力したのだ――またこれからもするつもりだ。﹂義雄はそれから少し間を置いて、﹁が、斯う弱つちやア、僕も萬事が過去のやうで――僕自身は既にしやりかうべか何かのやうな氣もする。﹂ ﹁さう失望し給ふな。﹂氷峰はこちらを慰める樣に云ふ。 ﹁あのセルがでけてたら、よかつたのに、なア。﹂斯う、突然お鳥はこちらを見て云つた。 ﹁‥‥‥‥﹂渠はそれに答へもしなかつたが、お鳥がさツきからお鈴の樣子並びに衣服を意地惡さうに見てゐたのには氣が附かないでもなかつた。お鈴は小あづ豆き縮緬の羽織に黄八丈の小袖を着てゐる上に、からだも元のお鳥の樣に肉づいて、無病息災らしいのを見ると、葡萄色の唐たう縮緬羽織りのお鳥は、見すぼらしくもあり、また病人らしくもある。そして蒔繪の櫛が出來たぐらゐでは滿足しない慾心を起して、せめて、あのセルが仕立てあがつてゐればよかつたのにと、あせつてるのだらうと、思へた。 氷峰はそんなことに無頓着で言葉をつぎ、 ﹁北海道では、これからまた活動期に入るのぢや。降雪期の活動はおもに山林の木材切り出しぢやが、雪で凍つたうへを運搬するのぢやから、却つて簡單で便利に行く。﹂ ﹁若々しい北海道!﹂この印象が再び義雄の胸に刻みを深くした。これと同時にまた、氷峰が土地拂ひ下げ運動をしかけたのを思ひ出し、﹁あれはどうした﹂と聽いて見る。 ﹁あれか?﹂氷峰は詰つまらなささうに笑つて、﹁どうせ、駄目ぢやから、あれツ切りにして置いた。﹂ ﹁天聲君の百萬坪はどうしたらう?﹂ ﹁さア、あれは名義だけ貸したのぢやから、その運動はほかの人がやつて呉れるし、天聲の地位が兎に角札幌ではいい方ぢやから、成り立つかも知れん。――あれがうまく行けば、君も、約束があるのぢやから﹂と、初めて義雄を天聲の内へ案内した時の天聲の保證――戲ぎげ言んではあらうが――を引き出して、﹁その一部分を貰ひ給へ。﹂ ﹁僕もさう思つてゐる、さ――なアに、貰はないでも、安く買つてやる、さ。﹂ ﹁買うては引き合はん、どうせ、直ぐ賣り飛ばすんぢやから。﹂ ﹁その時の氣分が許すなら、直接に百姓になつてもいい、さ。﹂ ﹁君に肥こえ桶たごが持てるか?﹂ ﹁そりやア、持つ、さ。﹂かう義雄が云つたので、お鈴さんは聲を出して笑つた。お鳥もそのおつき合ひの如く苦笑した。 ﹁それよりやア、君﹂と、氷峰は話題を轉じて、﹁雪が降り出すと、面白いことがある。﹂ ﹁どう云ふことだ?﹂ ﹁山の活動は別として、さ、普通の家では、寒いので、そとへ出まい? 北海道人に割合に物の分つたものが多いのは、内地で一ひと廉かどの仕事が出來るものが移住して來たからであらうが、一つには、讀書によつて知識を吸收するからぢや。生活の程度も、それだけ、また進歩してをる。野のな中かの一軒家でも、家の造りが粗末ぢやからとて、水飮み土百姓が住んでをると思うては違ふ――ビールのあき瓶が五六本は必らず裏口のそとに棄ててある。―― ﹁越をつ年ねん中ちゆうは、讀書するか、喰ふか、飮むか、寢るかぢや。子供の出來るのは名物ぢやぞ﹂と、また女どもの笑ひを引いてから、﹁面白いのは雪せつ中ちゆうの戀――戀と云へば、奇麗過ぎて當らないか知らんが、積んだ雪と降る雪との間で密談でも、何でもするのぢや。無論、人の少い田舍に多いのぢやが、人が通つても分らないし、自分等もぬくい――北海道の雪はしめり氣がないから。――僕等のもツと若い時にはよくあつたことぢやが、或熱心な女などはそれどころぢやなかつた。十町もあるところから、一丈ばかりの雪を泳いで――北海道では、雪を泳ぐといふが――やつて來た時はその手足は殆ど全く死人の樣に冷えかかつてをつた。﹂ ﹁あなたのところへ來たのですか?﹂お鈴さんが聽き咎める。 ﹁さうとも。﹂ ﹁いやな女です、わ、ねえ﹂と、かの女はお鳥の方へ向いて笑ふ。 ﹁‥‥‥‥﹂お鳥はただ苦にがい顏をちよツとやわらげたばかりだ。 義雄も亦これによつてお鳥が曾かつて語つたことを思ひ出してゐた。かの女が旭川に父と共にゐた時のことだ――今、由ゆ仁ににゐる兄の勸めか、命令かにより、柔術を習ひに行つたこと――祭禮のあつた時、藝者の子と一緒に揃ひの衣物で踊つたこと――小學校の往きや歸りにいたづらをする男の兒を、自分の覺えた手で投げ飛ばすと、あたまからさきへ雪の中につきささつたこと――家へ出入の獨身老人に、――それが學校の歸りを待ち伏せしてゐて、――自分のまだ弱い手を引ツ張られて、雪の中で、女房になつて呉れろと云はれたこと―― ﹁あなたは﹂と、お鈴はなほお鳥に向ひ、﹁けふ、街を歩いていらツしやつて?﹂ ﹁はア――。﹂ ﹁賑やかでしよう?﹂ ﹁大して賑やかでもありません――東京から見ると、札幌は丸で田舍です、ねえ。﹂ ﹁あなたは東京を見ていらツしやるから、いいの、ね。﹂ ﹁然し﹂と、苦い顏でだが氣取つた調子で、﹁東京も、もう、いやになりました。﹂ すると、氷峰がまた義雄に向つて、 ﹁君は歸ると云うてをつたが、日はきまつたか?﹂ ﹁ああ――いや﹂と、義雄はちよツとまごついた。と云ふのは、お鳥にもほのめかしてあるのはあるが、實際に用意してゐるそのことはまだ語つてないのである。それをかの女ぢよに感づかれない樣にと、氷峰に、﹁まだ、どうともきまつてゐない。﹂ ﹁早く歸る方がよからう、ぜ。﹂ ﹁それはさうだが――。﹂お鳥を見ると、もう、感づいたのかして、こちらをちよツと瞰にらみつけた。そして胸のそとまで乳のあたりが浪なみ打うつてゐるのが見える。 お鈴さんもこの樣子に氣がついたのか、默つてしまつた。 ﹁早くきめ給へ。﹂氷峰は親切に、﹁それがきまつたら、僕も天聲君などと相談して、一圓なり、二圓なりづつ、君の友人間から醵金して見よう。﹂ ﹁そんなことが實際出來るか知らん﹂と、義雄は云つて、天聲は氷峰に、氷峰は天聲に、相談をゆづり合ふ樣だと思つたので餘り乘り氣にはなれない。 ﹁第一、有馬君がある。﹂ ﹁いや、あれは可哀さうだ。﹂ ﹁それから、天聲君。﹂ ﹁あれも、今、子供が出來たりして困つてるだらう。﹂ ﹁僕も、無論、今の場合、君も知つてる通りぢやから、なア――大したことは出來ん。﹂九
晩餐をやつて行けと、氷峰やお鈴が勸めるのを辭して、義雄はお鳥をつれてそこを出た。もう、日は暮れてゐた。 默つて、新しん川かは水すゐ道だうに添うて來ると、お鳥は突然、 ﹁うそつき! 畜生!﹂かう云つて、義雄を亂暴にも突き飛ばした。不意を喰らつてこちらは路傍の雪の上へ倒れかけた。それを踏みこたへた時の驚愕と忿怒とがこちらをまた無言にしてしまつた。 お鳥も、こちらにそのざまを見ろと云はないばかりの冷淡な風を見せて、ずん〳〵さきへ進んで行く。一つには、例の痛みに耐たへられなくなつた樣子である。 二人は別々になつて、義雄の下宿へ着いた。夕飯の膳が一つ出てゐたので、渠は今一つを拵らへて貰つたが、矢ツ張り、例の無關係の樣にして食事を濟ませた。 膳が引けてからも、亦無關係で、お鳥はそのまま横になつて手まくらしてゐると、義雄は机に兩肱をのせたまま、そばのランプがじい〳〵と燃えるのを見てゐる。 じい〳〵云ふ音に、ランプの石油はつづけざまに吸ひあげられるのである。丁度、それと同樣、渠は自分のいのちが自分の一と息毎に吸ひ取られて行くのだと觀じてゐた。 ﹁自分はいつのまにこんな無考へになつたのだらう? お鳥にすんでのことで突き倒されるところであつたし、またあの若輩の鶴次郎には﹂と、今しがた氷峰が語つたことを思ひ出す。鶴次郎は、何か事業上の頼みを受けて、きのふの午前、室蘭方面へ出かけた。そして、廿日ばかりは歸つて來ないと云ふのである。 して見ると、翌日返すからと云つてこちらの時計を持つて行つたのは、返すつもりがなくツて持つて行つたのに相違ない。きのふも、けさも、實は心待ちに待つてゐたのに―― ﹁實に怪しからん奴だ﹂と、その出發したことを聽いたその場でも思つたが、その姉なるお鈴の手前もあることだから、何も云はないで歸つて來た。都合によれば、あの銀時計をも――近眼鏡までは外せないが――どうかしなければならないかも知れないのに、それをあんな無責任な者に渡したのは、今更らおろかであつた。 さうかと云つて、鶴次郎の留守にその親や兄等を煩はすのは、年甲斐もなく、ただ自分の愚を發表するに過ぎないと考へると、寧ろそのままにして置くよりほかはないとあきらめられる。自分の爲めに、醵金をしてゐると鶴次郎が告げたのも、さう安心させて置いて、時計を借り出すつもりであつたかも知れない。無論、どうでもかまはないが、けふ、氷峰の言葉に由つて見ても、それがさう進んでゐるわけではない。 ﹁ああ、自分は馬鹿であつた! 豐太閤や伊藤公の透すき、乃すなはち、拔けてゐた缺點をいつも指摘しながら、自分も亦いつのまにかその缺陷があつたのだ。﹂かう考へると、自分の肉と靈、言葉と行爲、主義と實生活とが分離して、不一致の度がいよ〳〵増して行くのを感ずる。そしてこれは、刹那充實主義の自分に取つては、散漫無氣力な死の影がおほうて來たのだと思ふ。 お鳥を見ると、矢ツ張り、向ふを向いて、手まくらをしてゐる。 ﹁風を引くから、起きたらどうだ? そして、ここへとまるつもりなら、褥とこを取つたらいいでないか?﹂かう義雄が云つても、かの女ぢよは返事もせず、動きもしない、﹁ふて腐れめ! 飽くまで強情な女だ﹂とは私ひそかに思つたが、どうせ感じの強い病人だからと、叱りつけることはしないで、その枕もとに行き、實は近々歸京のつもりで、準備してゐないでもないと云ふことをうち明ける。 お鳥はこれを聽いて、つぶつてゐた目を見開らき、義雄をじつと瞰にらんだまま、顫ふるへる下口びるを噛みしめ、おほ粒の涙をはら〳〵とこぼしてゐる――渠がかの女に隱して、さういふ計畫をしてゐたのが殘念で、殘念で溜らないと云ふやうに。 かの女の心は大抵分つてゐるから、義雄も強しひて物を云はせる必要がない。ただ、風を引くのを心配して、 ﹁病院へ歸るなら、早く歸れ。﹂ ﹁歸つてる留守に、今夜、逃げてしまふんだらう?﹂お鳥はその聲までが顫へてゐる。 ﹁そんな皮肉は云ふなよ。﹂渠は笑つて何氣なく見せかけた。自分の逃げるのが――今夜でないとしても――多少事實に近いといふ顏つきをかの女の鋭い目から隱すやうにした。 お鳥は一層しぶとく横たはつてゐる。 義雄は毎晩の通り身づから寢ねど褥こを敷いてから、無言でお鳥を抱き起してやると、かの女は半ば自分の力ですツとつツ立つた。無論、ふくれツ面をして、これも無言だ。 ﹁おほきなからくり人形だ﹂と云つて見たが、かの女は目を横に向けたまま、なほ口を固く結んでゐる。義雄はそれを自分のかすりの單ひと衣へに着かへさせ、重い雛人形の樣に横抱きにして褥とこに入れる。 渠も亦、どうせ仕事は出來ないと思つたから、一緒に這入る。自分ひとりでは感じないあまいやうな、臭いやうな人間の肌のにほひがぷんとしたが、僅かの間に自分の鼻に慣れてしまつた。 渠は、東京にゐた時から、勞つかれるまでは、曉あけがたの三時までも、四時までも、褥に這入らないのが習慣であつた。それが、巡歴旅行から歸つてからは、普通の常識家、健全家の通り、可なり規則正しく寢起きをすることが段々多くなつて來た。そして何時にでも枕にあたまが當れば、間もなく眠つてしまへる樣になつて來た。もとは、どんなことにも、努力が出來るだけして、その上に疲れ切らないでは、どうしても眠られなかつたのと比べると、非常な違ひだ。無論、それは所謂健全家の貪る安眠ではない、然しまたデカダン特色の努力から來る元氣ある疲勞でもない。もう、根柢から、ただ疲勞と衰弱とばかりだと思つた。 デカダンの生きつ粹すゐを以つて標へう榜ばうしてゐた自分だが、今では、その元氣ある道程を終つて、ただその最後の遺物をばかり握つてゐるらしくも自分自身で見える。 ﹁遺物――形骸!﹂かう考へながらも、渠はうと〳〵して、八時の時計の鳴るのを聽いた。そして、お鳥のからだがびく〳〵動くのが傳はつて、度々目をさました。 けふ、雪の中を歩いたせゐで、お鳥の痛みは非常な痙攣を伴つて來たのであらう。獨りでじれツたさうに苦しんでる樣子だ。そしてその苦しみがこちらにも傳はる度毎に、渠も亦――經驗ある思ひやりから――同じ苦しみをしてゐた。 ﹁あ、あツ﹂と最後に叫んで、かの女ぢよはつツ立ちあがつた。 ﹁どうした?﹂義雄もはね起きる。 ﹁死の! 一緒に死の!﹂ 全く血の氣がなくなつて、消し忘れたうす暗いランプの光りにかの女の額の眞まツ青さをな色が見える。こちらには、それが、實際、死の命令者たる權威でもあるやうだ。 お鳥が着物を着かへるので、義雄も手早く洋服をつけた。そして、下宿屋を一緒に出た。 空には、なほ雪を含んでゐるらしい。どす黒い雲の層が、地下に於ける石炭層の如く、幾重にもかさなり合つて、おもくこの大地に迫り、その間あひ々だ〳〵から射照らす舊暦八日の月は、宿とさし向つてる病院のペンキ塗りの高樓にその光りを鋭くぶちつけて、寒い風も透かして見える樣だ。 お鳥はからだを縮めて、人通りのない積雪の中で立ちどまり、自分の兩手を、胸のところで、衣物のうちに握り合はせてゐるやうだ。 ﹁一緒に死なう﹂と云つてから初めての聲を出して、 ﹁どこにしよう?﹂ ﹁豐とよ平ひら川がはの鐵橋がよからう。﹂義雄は斯かう咄とつ嗟さの間に答へたが、自分の足は既にその方へ向いてゐた。そこは神かも居ゐこ古た潭んの釣り橋のうへででも思ひ出したところだし、また最近には、自分が雪の屋のゐる中學校へ演説しに行つた時、そのそばを通つてゐるところだ。 ﹁‥‥‥‥﹂お鳥は素直について來る。 ﹁鐵橋﹂と出た強い發音が渠に、今一度、人生の充實した響きを聽かせて呉れた。 渠は、今や、突然招集の命令を受けて、死の寢床から起き出でた青鬼の樣に身づから思へた。生きてゐて面倒な女が渠から無關係に遠ざかつて行くのを、これ幸ひと、その死に場所まで案内するつもりである。途みち々〳〵考へて見ると、自分がかの女を棄てて逃げようとしたのも、自分の思想的生活に無關係になつて來たからである。それがおのれから逃げて呉れるのだ。これほど都合のいいことはない。それだけにまたこちらの顏も、雲間を漏れる月の光に照らされると、眞ツ青になつてるのだらうと思はれる。 月がかげつたり、照らしたりする雪道を進み、大通りを横切つて南一條、二條を出た。まだ大きな店々の電燈が街を照らしてゐて、人通りはあるが、知り人のない二人が誰れにも認められないのは、渠が思ふに、丁度、もう形のない死神と亡靈との並んで通つてゐるのが人間界のものに見えないやうなものだ。 渠は女と互ひに少しも口を利かない。 この無言の影二つは狸たぬ小きこ路うぢを掘り割水道に出て、それに添うて少し南へ行き、それを渡つてまた東へと歩いて行つた。 つき當つたところが豐平川で、それを札幌から豐平町へ渡す鐵橋は、昨年のおほ水――札幌も半ば浸水し、石狩川の沿岸はすべて大害を被かうむつた――の時、大破損をした。まだそのままになつてゐるので、別に木製の假り橋がかけてある。義雄の目あては假り橋の方ではなかつた。 渠はこの時、過去の忙しかつたあらゆる直接經驗を旅行として思ひ出した。天龍川の鐵橋――大井川、富士川の鐵橋――利根川、阿あぶ武くま隈が川は、北上川の鐵橋。十勝川、十勝石狩國境の山中、空そら知ちが川は、石狩川等の鐵橋――記憶の耳には、がうがう云つて、列車が通り過ぎて行く。そして列車の通りすぎた跡は、すべてまた義雄の通り過ぎた跡だ。殆ど日本中の、汽車の窓からのぞかれる風景が、最後の幻影であるかのやうに、すべて一度ど期きに映つて來る。 まるで、あツと云つて自分が高いところから落ちて行くその瞬間に、ぱツと火ばなと咲く一生の思ひ出のやうだ。 ﹁これでは自分が死ぬのだ!﹂斯う思ふと、然し渠は自分の死を案内してゐるのではなかつた。丁度幸ひに死なうと云ふ者を案内して、それにおつき合ひをしなければならぬなら、その時自分も死なうと云ふ覺悟なのである。矢ツ張り、さう云ふ風にして來たる死は決してゐたのだが――。 この鐵橋は、無論、鐵道の鐵橋ではない。末は石狩川にそそぐ豐平川を、札幌區から豐平町に渡す人道である。然しその構造は汽車ががう〳〵云つて通るのと同じ構造だ。つまり、義雄に東京の吾あづ妻まば橋しを思ひ起させるのである。 すると、ふと、渠は肝かん心じんのお鳥をさし置いて、曾て本當の吾妻橋の上で、――自分の敬意を戀愛に轉じて思つてたをんなと別れたことがあるのを思ひ出す。それが友人の細君になつて、今仙臺に家を持つてゐる。渠はこちらへ來る途中で、その家へ立ち寄つた。そして、歸りにも、寄つて見る氣でゐたのである。その女とその友人とがいよ〳〵結婚するといふ日の前夜、渠は二人と共に吾妻橋の上で別れの言葉を述べ合つた。それも、お互ひに變な感じに打たれた。半時間ほど皆がただ無言でつツ立つてゐたあげく、おの〳〵一言づつしか口に出し得なかつた。 ﹁もう、別れようか?﹂ ﹁ぢやァ、歸らう。﹂ ﹁どうぞ、ねえ、あんまり大きな聲で笑はない樣に――。﹂ 女はこちらの特別な高笑ひが餘ほど氣になつてゐたのであつた。然し渠は、それ以前から、いろいろな失戀の結果、それを身づからまぎらせようとして、わざと高く笑つてゐたのが、しまひには自分の習慣になつてしまつてたのだ。 ﹁あれは、秋であつた――千住の方から、圓い澄んだ月が登つたツけが――﹂然し、それはもう前世のことのやうで――今は、早や他界のこなたに來てゐる樣な冷たい感じで、渠は佇たたずんでゐる。 どす黒い層雲は、動かない樣でも動いてゐるので、冷やかに笑ふ月の西に傾くその一端を見せたり、隱したりする。その度毎に、二人に殘る天地が消えたり、現はれたりする。 義雄には、その大體の形勢はよく分つてゐる。第七師團第二十五聯隊の兵營所在地なる月つき寒さつぷは、この橋を渡つて、約一里のところにある。それは區の東南に當つて見えないが、中島遊園の樹木の黒い影を左りにして、西方に向ふと、限界は遠く藻もい巖は、圓山、天狗、手てい稻ねの諸山まで開らけ、豐平川は、その南から東北に向つて、幾多の川かは洲すを現じてゐる。 そして、六七十間の鐵橋は三ヶ所の土臺――煉瓦を以つて巖丈に築きあげたの――にささへられてゐたのが、中央の土臺が昨年の洪水によつて掘り起され、川下に向つて傾いた爲め、鐵橋はそこから中斷し、上したに二三間の喰ひ違ひを生じた。こちらからの端づれが高いままで、あちらからは、もし渡つて來ると低くなつてゐるので、土臺石につき當つてゐるのだ。これは、こなひだも、演説に行つた時、車の上からよく見て置いた。 義雄は、この中斷した橋の喰ひ違ひに於いて、その土臺石を圍んで、深い水が渦卷いてゐるのをさき頃見たと想像してゐる。そして、そこへお鳥がほうり込まれれば、大丈夫溺れて死ぬと考へてゐる。 雪の降つた跡でもあり、夜は段々更けて來たので、向ふの假り橋を提ちや灯うちんの火が一つ渡つた切りで、幸ひに人通りは絶えた。 聽えるものは、鐵橋の上うは構こう造ざうに當る強い風の響きばかりで――天候は、宿を出た時よりも險惡になつてゐた。周圍に近い人家もなく、また防風林もないので、橋のうへはそらに向き出した。 月はくろ雲に隱れてしまつた。そして、その雲からいよ〳〵雪がちら〳〵やつて來た。 義雄の遲い歩みが橋の上に進むと、お鳥は一間ばかり離れてついて來る。 いづれも無言だ。そして、その無言の影二つは、歩ほ一歩ぽ、川なかのうへへ近づくのである。 雲の切れ目から、月がちよツと横ざまに照らした。その照らしにはツきりと映つたのは、數丈高い空間に鐵材の構造が壟ろう斷だんされた鼻である。 その上に義雄は達してゐて初めて自分の心のおそろしさが分つた。同時に、下を見て目がくらつくと同時に、吹き飛ばされさうな風に自分の足をしツかり踏みこたへた。そして、再び下をのぞいて見ると、水があると思つたのは大したことでもなく、別に深くもなかつたかして、その上を平均してゐる雪の色が見える。 ﹁ここぢやア、とても死ねまい。﹂獨り言のやうに云つて、渠はかの女ぢよがあとから進んで來るのを返り見た。 ﹁‥‥‥‥﹂お鳥にはそれが聽えなかつたらしい。而もをかしなことには、水に濡れることをでもよけてゐるかのやうに、兩手で以つて衣物の裾の兩りや端うはしをはしよつてゐる。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄もただじツとのぞき込むやうにしてかの女を避けて通した。 かの女は壟斷された薄うす暗やみの鼻へおづ〳〵と進んで、﹁待つて下さい﹂と云ふ風で、あぶなツかしさうに少し腰をかがめて、向ふの下の方を見て、その鼻の幅だけを、右へ行つたり左りへ行つたりしてゐる。 ﹁おれはこツちにゐるぢやアないか﹂と、義雄は云はうとした。が、ふと、氣が附いたその一瞬間に自分の胸が煮えくり返つた。かの女は和歌山縣の小學校で同僚としてくツ附き合つたが、どすかおん坊の血統だと云ふ評判を聞いたので、兄の不承知をしほにその男を――最後の夜を夜ツぴて泣き別れたと、かの女はこちらに白状したことがあるが――棄てて來た。その男を、矢ツ張り、何かに附けて一番思ひ出してゐたのをこちらは知つてゐるが、こんなところでまたかの女は思ひ出したのだらう。洪水があつた時など、新らしく持つた家が水につかつたので、二人して夜、あぶない橋の上を手を取り合ふことも出來ず、――別々に這ふやうにして渡つたと云ふ。かの女が東京で一度女優になる氣でゐた時、こちらの前でその場合の樣子を獨りで試みに演じて見せた時にも、同じやうに裾をはしよつた。かの女は、今また、それをこれまでにも云ひ爭ひなどの時に起つた精神錯亂のうちに演じてゐるらしい。これは渠が時々――時によると、二晩もつづけて――見せられたかの女の精神錯亂の最後だらうと思はれた。 ﹁要吉さん、渡して﹂とお鳥はさながらもとの男に實際にからだを托すやうにして、とツ鼻から手とからだとを延ばす。 ﹁あぶない!﹂かう叫んで、義雄はかの女に抱き附いた時は、然し、もう、どうせ死ぬんだと覺悟してゐた。 二人は、抱き合つて薄やみの中を落ちた。 義雄はこの場に、自分の一生涯にあつたことをすべて今一度、一度期に、一閃光と輝やかせて見た。然しそれは下に落ちるまでの間のことで、――落ちて見ると、溺れる水もなかつた。怪我する岩石もなかつた。この冬中の寢ねゆ雪きとして川床に積み重なつた雪のうへだ。 二人は抱き合つた手を放した。そして、別々に起きあがつた。 お鳥が自分の肩から下の雪を兩手でふり拂つてゐると、義雄はまた鳥打ち帽をかぶり直し、自分の洋服のをふり拂つてゐる。然し、月はもうその光りを見せる隈くまがないほど、そらは一面にかき曇つて、風がおほひらの雪をぽたり〳〵と二人の顏に投げ打つのである。 川床を札幌の方へ出るにはどうしても一つの細い流れを渡らなければならない。お鳥を脊中に負ぶつて、義雄は編みあげ靴のままその流れをざぶ〳〵渡つた。 川を出てからも、矢ツ張り、無言で、歸途を急いだが、お鳥は、ふと、降る雪の中に立ちどまつて、手を前髮の上へやつて見た。そして、動かない。 ﹁どうした?﹂義雄が先づ聲をかける。 ﹁櫛がないぢやないか?﹂かの女は泣き聲だ。きのふ、東京から屆いた蒔繪の櫛を云ふのだ。 ﹁身代りになつたのだらう、さ――また買へばいい。﹂ ﹁金がないのに、買へやせんぢやないか?﹂ ﹁そんなこともないだらう。﹂ ﹁買へやせん! 買へやせん!﹂からだをゆすぶりながら、﹁探して來い!﹂ ﹁馬鹿を云ふな!﹂かう、義雄は叱りつけた。そして、さくり〳〵と積つた雪の中をさきに立つて急ぐ。 餘りひどく降つて來たので、渠はインバネスを脱いで、かの女にかけてやつた。 下宿に歸つた時は、かれこれ二時頃であつた。たて寄せてあるがらす戸を明けて這入つたが、家のものは皆寢てゐたので、渠等に何ごとをも感づかれずに濟んだ。 室に這入ると、そのままにして置いた寢床のそばに、お鳥の櫛が仰向けにころがつてゐる。 ﹁あ、ここにあつた﹂と、かの女は嬉しさうに驅け寄つて、それを拾ひあげる。 ﹁その櫛に妄まう念ねんが殘つて、浮べなかつたのだらうよ。﹂ お鳥はまたすねてしまひ、無言でずん〳〵寢床へ這入つてしまつた。歩いたり、冷えたりした爲め、痛みが一層烈しくなつたのをおぼえるらしい。 然し義雄は氣が立つてゐて、なか〳〵床に這入りたくもない。机の前に坐わり、机の上の論文原稿に手を當てると、 ﹁少くとも、この論文を書きあげる間は、死ぬべきものではない﹂といふ考へが浮ぶ、悲痛の哲理は乃すなはち生の哲學である。生の哲學を體現するものは、飽くまで、死を排斥する意志と努力とを持つてゐなければならない。渠はかう考へて、再び自分といふものを引き立てることが出來た。 ﹁この半月ばかりは﹂と、渠は心に語つた、﹁實に、自我を最も多く逸してゐた。實質上の自殺をしてゐた。自分自身も亦あの樣な斷だん橋けうであつた。﹂十
渠は夜を徹して執筆した。 この﹁悲痛の哲理﹂は、中央公論に出た義雄論を反駁して、合はせて自説を一層明らかにするつもりで。 第一章﹁僕の意志﹂には、文藝家は深い思索力を缺き、哲學研究者は獨創の見けんに乏しい現代に於いて、文藝と哲學とを合がふ致ちする義雄自身の新哲理、新情調を發表するのは、どちらにも分らないといふ困難があること。第二章﹁新文藝に平行すべき新哲學いまだ實現せず﹂に於いては、人生即文藝の意は肉靈合致の心熱的態度によつて事實の特殊的把持をすること。第三章﹁現實は自我の無理想的活動﹂に於いては、解決附きの經驗には、いつも輪廓的、外向的無内容が伴ふから、最も内容的になるには盲動の刹那を自覺すべきこと。第四章は、義雄の論敵こそ却つて排斥すべき抽象論者たること。第五章、第六章、第七章に於いては、解決が附けば既に死であること。理想といふものは、生その物なる主義とは違つて、さうありがたがるべきものでないこと。無解決の活動は苦痛だが、それが人生その物であること。 以上は既に書きあがつてゐた分だが、云ひ足りない分を欄外に書き入れて行つた。シヨペンハウエルの苦樂觀――これは隨分刹那的につツ込んである説だが――まだ〳〵相對的なものだと難じて、﹁一刹那にも苦樂の交替があるのは事實だが、その苦痛が快樂に變るのは死の分子に移るのだから、人生の價値は後者になく、前者の者だ﹂と書いたのは、われながら古今に絶した一發見だと書きそへた。 渠は新たに第八章﹁獨存自我は神の如き手段にあらず﹂といふ項目に筆を執つたが、論敵は故綱島梁川︵義雄はその生前に直接に攻撃したのだ︶の淺薄な宗教論と大して違ひのない形式を應用してゐること。プラグマチズムの實用眞理説はまだ悲痛な刹那の一元的内容を十分に説明することが出來ないこと。﹁極端な個人主義にして極端な國家主義と合致する﹂義雄自身の﹁國家人生論﹂を引證して、獨存自我の出現は威力にあること。﹁ニイチエは神をぶち毀したが、自我なる物を充實させることが出來なかつた。渠は悲痛に重みを置いただけ、その自我は多少内容的になつたが、ただ分裂的自我にちよツと威勢を附けたくらゐに過ぎない﹂こと。乃ち、ニイチエは﹁積極的自我の獨存的價値には思ひ及ばなかつた﹂こと。などを書いた。 第九章﹁論者とカライルと僕との相違﹂といふ項目を書き出す時、午前五時が鳴つた。お鳥を見ると、疲れてしまつたのか、たあいもなく眠つてゐる。 ﹁まア、そツとして置け﹂と、義雄はつづけて筆を運び、カライル、シヨペンハウエル、ニイチエ、ツルゲネフ、メテルリンクなどは耶蘇教國的感化を脱し切れないから、どうしても抽象的傾向を有することを指摘し、﹁近代の哲學的傾向が、物の分析をやつても、ある程度まで内向的を重んずる樣になつたのは嘉よみすべしだが、何等の能力もない死物もしくは虚無︵といふ抽象物︶に逆襲的壓迫力があるかの如く見なす思想が盛んになつたのは、生活の法則と思索的論法とを革新すべき任務ある僕等の注意して反對すべきところである﹂と書いた。 この革新――これが威力ある自我の活動的實現になるのだ。渠は身を以つてそれに任じてゐるのだと思つてゐる。 第十章﹁特別發現なるわが國の神代生活と現代的生活との比較﹂に至り、初めてかの﹁氣象考﹂の陽やう根こん中心説をも紹介した。そして、その説が豫想する肉靈合致の心熱的生活――﹁思想的生活﹂と命名してある――は、ヘブライ人やギリシヤ人の最古代には強烈に出てゐないが、わが國の古事記を研究して見ると、それが殆ど現代的なほど強烈に實現されてゐること。本末をあやまつてゐる今の神道者流が、もし他日一いち隻せき眼がんを開らく時が來たら、十年前の單純な日本主義にも奮起したほどなのだから、この義雄の國家人生論的神道の新哲理に奮ひ起つたらうと云ふこと。そして、思想と實行とは別々な生活ではない、また別々になつてはならぬのだといふこと。 第十一章、﹁強烈生活の本質と空影とを混ずる勿れ﹂に於いては、人生の心熱的態度は刹那主義に結びついて、初めて義雄の新説となること。﹁合致もしくは統一は強烈生活に於ける事實であつて、目的もしくは手段でない﹂こと。﹁分化や分業は、強烈的存在の影であつて、決して内容でない﹂こと。﹁刹那的燃燒の有無が萬事をその場に可否してしまふこと。強烈孤獨の悲痛生活を自覺するものは、刹那の自己を、いつも、たとへば、﹁男女間の關係を最も極度に追行した時﹂の如く適切に感得してゐるといふこと。 この最後の論證を、男女間のことは始ど知らないと世間から云はれてゐる論敵には、殆ど解し得られまいと思つて、義雄は微笑した。それと同時に、自分は妻に就き、お鳥に就き、また最近は敷島に就き、耽溺的努力を隨分經驗して來たことを思ひ浮べる。 然しその耽溺はまだ滿足を與へなかつた。と云ふのは、自分の自我心はそれに滿足するには餘りに熱刻、冷刻、もしくは深刻であつたからである。然し、兎に角、弱劣者でなく、優強者としてとほつて來たのだと思ふ。 ただ現今のお鳥の樣なものの爲めにおほかた心中までしかけたのは、優強者としての努力にゆるみがあつたばかりの間違ひだ。死といふ無内容物の魔がさしてゐたのだ。この論文がかうして書ける以上は、もう、大丈夫だ。自分には思策も實行だ。そして、實行出來ないことは思索にも這入るべきものでないし、思索にも這入らないなら、空くう物ぶつだ。宗教家の形式、禪家の一喝かつ、神祕家の沈默、すべてこれらは實行的自我を逸する、否、無にする所ゆゑ以んだと。 かう勇氣が盛んになつたに乘じて、なほ、第十二章﹁利己心は優強者の憚はゞかるところなき特色﹂、第十三章﹁優強者政治の必要﹂、第十四章﹁優強威力者の幻影は現實なるべき表象主義﹂といふ樣な項目を擧げて見た。その他に、まだ〳〵澤山書くべきことがある。 然し義雄はここまで一氣呵成に運んだ筆を中止した。曉あけがた六時の時計が鳴つたのである。宿の臺どころでは、下女が起き出たらしい。そして、渠の神經はます〳〵冴えて來るが、あたまは疲勞して考へがまとまり兼ねて來た。 それでも、お鳥の青ざめた顏をして熟睡してゐる寢床へは、何となく、いやな樣で、這入りたくない。 風でも入れようと、窓のカーテンをあげると、そらは晴れてしまつたのが見える。いツそ散歩に出ようと決心し、獨りでそツと室を出た。 積雪を渡つて吹く風は非常に寒い。然しその新鮮な空氣を呼吸して散歩するうちに、義雄はあたまの遲鈍を恢復した。遲鈍が恢復すると共に、全身に自分の氣力が行き渡り、男性的欲望が身内に燃えて來て、寒いと思つた風も自分の顏に當ると、直ぐあツたかみを感ずる樣になつた。そして、 ﹁若々しい北海道! 活動の好時期!﹂かう云ふ考へを思ひ浮べると、自分の想像はまだ踏みよごされない雪の上を渡つて、多くの木こ挽びき等が雪の深山に椴とど松まつ、蝦えぞ夷ま松つの切り倒されたのを挽き、多くの人夫等がそれを橇そりで引き出すところに飛んで行く。 健全なオゾンのにほひ、新らしい木材の音までも近く聽える。渠には、樺太トマリオロの奧なる石炭鑛を見に行つた時に、初めて意識して吸つた強いオゾンのにほひとそれが與へた元氣とを、いまだに忘れられない。 ﹁北海道や樺太へは、然し、出直すより仕かたがない。﹂かう考へて、義雄は大通りなる黒田伯の銅像を横切り、開拓碑の前に立つて、その石いし文ぶみを讀んで、自分自身とも思はれる北海道なる物の年齡を數へて見た。十一
お鳥はやツと八時頃に目をさました。そして、義雄のゐないのを見て、飛び起きて、﹁逃げたのだらう﹂と考へたさうだ。然し、枚數の倍になつた原稿がそのままにしてあり、革かば鞄んにも手をつけた樣子がないので安心し、顏を洗つて、病院に歸つたと、かの女ぢよが再びやつて來た時にこちらへ笑ひながら打ち明けた。そしてなほ續けて、相談らしく語るによると、かの女の留守に一つの手紙が來てゐた。寫眞學校の先生からのである。さきにちよツと直接に交渉があつた男生徒が、お鳥の兄︵由ゆ仁ににゐる︶にも交渉したら、本人さへよければとの返事だ。いよ〳〵お鳥を貰ひたいから、直ぐにも東京へ歸つて來て貰ひたい――病氣などは︵勿論、今の樣な病氣とは知らず、まだ脚氣ばかりだと思つて︶東京で治療させるからと云ふのだ。これをしほに、お鳥も歸京することに決心したらしい。 ﹁まことに結構でしよう﹂ ﹁またそんな冷かしを!﹂かの女はこちらを例の如く攫つかんでゆすぶつた。 然し、まだ旅費の方が出來ない。義雄の衣物を賣つたのは下宿の拂ひになつてしまふし、病院から拂ひもどして呉れる分も僅かしかない。渠には、また、もう、賣り拂ふものがない。どうせ別れるかの女の物を今更ら曲げさせるのも面白くない。 お鳥のセルの被ひ布ふが六日の朝出來るから、その日を出發ときめて、義雄は氷峰に相談して見た。すると、 ﹁醵金でもしようかと思つてをつたが、君がいつ歸るか曖昧であつたから﹂と云ふ。 ﹁いや、あの時はあいつがゐたから云ふのに困つたのだ――都合によると、こツそり、自分だけかへらうかと思つてゐたから。﹂ ﹁然し、まア、かう急になると、僕等の方ではとてもまとまりかねるから、先づ呑牛君に頼むのが早道だぞ。呑牛君は或道會議員から少し出させてもえいと云うてをつた。﹂ ﹁兎に角、さうでもして、頼まうよ。﹂ ﹁僕や天聲君も一圓や二圓は出さう――今の場合、僕は、なア――は、は、は﹂と、苦笑する。氷峰は雜誌どころか、自分自身も亦非常に行き詰つて來たのである。 ﹁相あひ見みた互がひだよ。﹂義雄は氷峰と自分とを慰めて置いて、呑牛を訪うて頼むと、明日まで待てば、道會議員から出させて見よう――然し當てにしないで、他をも奔走して見給へとの返事である。 告別に北劍のところへ行くと、相變らず酒を飮んでゐる。相手は牧草培養者だといふ某氏だ。北劍はこの人とこちらとを引き合せ、 ﹁このた、た、田村君もぼ、ぼ、牧草を、や、やりたいと、ゆ、云うてをる﹂と説明する。 義雄はもうそれどころではない。けふしか來られないかも知れないので、歸京の日と大體の時間とを知らせ、 ﹁また會ふ時もあらうから﹂と云ふ。 ﹁ぼ、僕も、東京へ、ゆ、行くよ――ら、來年から、しゆ、出版屋をやるかも知れん。﹂ ﹁それも面白からう。﹂ ﹁その時――君にも――世話にならう――ところで、き、君、君は歡迎會のあとで直ぐ、か、歸れば花であつたが、なア﹂ ﹁僕もさう思つたが、僕は歡迎されたツて、實はありがたくもなかつたのだ――寧ろ、北海道で苦しめられても、何か一つ仕事を發見したかつたのだ。殘念だから、また出直すかも知れない、さ。﹂ ﹁お氣の毒でした、なア、本當に﹂と、そばからお豐さんが同情して呉れた。 その足でつづいて遠藤の家を見舞つた。 渠は今檢事局の取り調べを受ける身となつてゐた。と云ふのは、今度の道會で、多數黨が勝手次第の決議をしたので、少數黨の新進辯舌家なる遠藤は義憤を發し、演説壇上に飛びあがつて、議長を椅子から引き摺ずりおろした。そして、毆打罪に問はれてゐるのである。 たださへ忙がしい人が、またその跡始末でここ二三日滅多に在宅しないと云ふので、義雄は卷き紙と封筒を借りて、歸京の日と世話になつた禮とを書き殘した。 遠藤と同じ町に、黒川信也といふ道廳の技師がゐる。その人の細君お宮さんは義雄と昔からの知り合ひである。お宮のもとの所をつ天とは義雄の親友で、而も一緒にその越後の所有地で養蠶事業をやつて、それを生活の基礎にして、共に文學に從事しようと云ふ約束をしてゐた。それが爲めに、義雄は信州に於ける有名な養蠶學校へ這入る準備までした。然しその友人は肺病で間もなく亡くなつた。そして、お宮は、その頃、未亡人として髮を切つてしまつた。十五六年前のことだ。 その後、お宮は自分の所をつ天との兄と結婚した。それが黒川だ。もとの所天がまだ生きてゐる時から、そのおとなしい兄に相談を持ちかけてあつたのだといふ惡評をするものもあつたが、兎に角、圓滿な家庭で子供も五六名できてゐた。 黒川へ行つてからは、お宮さんはこちらと文通によつてもとの所天を忍ぶことは度々であつたが、直接に會つて話したのはこちらが石川縣の金澤へ尋ねて行つた時ばかりであつた。その時、かの女はこちらに、 ﹁あなたの樣な人は奧さんを持つても、直ぐ棄ててしまふだらうと云ふのが、女がはの評判でありましたが、却つて反對で、圓滿に行つてゐるのは結構です﹂と云つた。 その圓滿が今日では全く破れてゐる。それだけ、義雄は年を取つて、づう〳〵しくなつて來たのだと、身づから考へた。そして、その代り、氣分はまた段々若くなつて來たと自信してゐる。 黒川は農學士で、今、道廳古株の高等官であつた。義雄はお宮さんと暫らく文通が絶えてゐたから、ここにゐるのを全く忘れてゐたので――然し、きのふ、ふと思ひ出した。實を云ふと、誰れかに金を借りたいと云ふ苦心が、ふと、そこに思ひ及んだので、そのゐどころを調べて置いたのである。 ﹁奧さんに云つて下さい、わたしは田村です﹂と、出て來た下女に云ふと、その聲を聽いて、かの女ぢよは飛び出して來た。 ﹁來やうが遲かつたの、ねえ――うちでは、早く來さうなものだと云つてゐたんですよ。﹂ ﹁實は、濟みませんが、忘れてゐたのです。﹂ ﹁薄情、ねえ――メール新聞では毎日の樣に拜見してゐましたが、どうして來ないのか知らんと思つてゐました。﹂ ﹁濟みませんでした。﹂ ﹁いつ旅行からお歸りでした?﹂ ﹁もう、半月も前に――。﹂ ﹁さうでしたか? 尋ねて行つて見ようかとも云つてゐたんですが、まだお留守ではとも思つて――まア、おあがんなさい。﹂ ﹁暫らくでした、ねえ﹂と、義雄は靴を脱いで、客間へとほつた。 黒川もちよツと挨拶に出たが、今夜出張に出る準備があるからと斷わつて、直ぢき引ツ込んでしまつた。 ﹁何から話していいやら﹂と、お宮さんは、前後させながら、もとの所をつ天とのことやら、巣鴨女學校の不始末な終りやら、そしてこちらはまた今囘の事業の失敗やら、旅行中のことやらを、話したり、聽いたりした。そして、こちらが自分の家庭のめちや〳〵になつたことから、お鳥のことなどを正直に話すと、﹁矢ツ張り、ねえ﹂と、氣の毒さうな顏つきをして、﹁詩人と云ふものは、どうしても、一人の女で滿足出來ないのでしようか?﹂ ﹁さうきまつたものでもないでしよう。﹂義雄は苦しい微笑をしながら、﹁女には男の機嫌を取るのに下手なのが多いでしよう。﹂ ﹁いくら機嫌ばかり取つても、滿足しなければ仕やうがない、わ。﹂ ﹁僕等を滿足させるだけの、つまり、深刻な女がゐないのでしよう。﹂ ﹁あなたは隨分皮肉になつたの、ねえ。﹂かの女は血の循環のよささうな頬に兩ゑくぼを見せながら、﹁メールの天長節號に出たあなたの﹃記憶﹄も隨分皮肉だ、わ。﹂ ﹁さうですか、ね﹂と云つて、義雄は考へた。﹁天長節に關する一記憶﹂には、自分の子供の時のことが書いてある。この祭日に、小學校の教員どもが式を濟ませると、料理屋に集つて一杯飮み、その一盃機嫌で市中を鼓や太鼓や笛や蛇じや味みせ線んを合奏して練り歩いた。それを自分は人の教師として不都合だと思つた。しかし後ちには、また、教員連の合奏やそんな遊びも、人間として、當り前のことだと考へる樣になつたと云ふことなのである。耶蘇教を奉じて來たここの夫婦には、それが最も皮肉に取れたのだ。 然しその話を義雄はそれツ切りにしたので、かの女は、今度は、渠が一緒に旅行した遠藤その人の細君とはかの女が同一の教會の信者であること。その教會で、けさ、獨逸婦人を細君にしてゐる農科大學の教授が、その二歳の子供の葬式を行つたことなどを話す。それから、 ﹁うちの子供を見て下さい――一號から六號まであるのですよ﹂と云ひながら、かの女ぢよは六名の子供を順番に並べて見せた。そして、これが何雄、これが何子と、一々その名と小學校に於ける年級とをこちらへ云つて聽かせた。 義雄はかの女が殆ど年とし兒ごか、一年置きかに出産しながら、相變らず若いのに感心した。貴族院の長者議員をしたこともある家の娘で、氣がのんびりしてゐるのも一つの原因であらう。また、おとなしい所をつ天とに心配もなく待遇されてゐるのもそれであらう、と。 子供は一人びとり出て行つた。 かの女は林檎をむいて呉れながら、出してある寫眞帳をこちらに開らかせ、寫眞のうちで義雄が知らない人々を説明して行く。とツ端ぱなに、義雄の亡友で、ここの主人の弟で、お宮さんのもとの所をつ天とが張りつけてある。 ﹁もう、ことしで十五年ですから、ねえ。﹂かの女はそれをこちらと共に見ながら云ふ、そして、さう、昔の樣な感慨も見せない。 ﹁この人がゐて呉れさへすりやア﹂と、義雄は然しもとの親しみを思ひ出して、﹁僕の生涯も無事に行つたのか知れません。﹂ ﹁ほんとに、ねえ、惜しいことをしました、わ。﹂ 次ぎに、巣鴨學校の美びぜ髯ん校長がゐる。お宮さんともとの所をつ天と、また今の所天との關係には、この校長は忘るべからざる人である。 ﹁あの人も困ります、ねえ、ああ評判が惡くツては。﹂ ﹁なアに、あれが本ほん色しよくで、もとは僞善者であつたのかも知れない、さ。﹂ ﹁奧さんがなくなつてからですもの﹂ ﹁さうでもなかつた樣ですよ。﹂かう云つてこちらはこのお宮さんとも校長でありながらいろんな評判のあつたことを思ひ出してゐた。 次ぎのはかの女と今の所をつ天ととが盛裝して寫つてゐる。まだ子供が出來なかつた時のらしい。その他に、義雄の直接に知つてゐるのもあるし、また今初めてこんな人がと思ふのもある。かの女の親戚ばかり集めてあるページもあるし、ここの子供ばかり寄せてあるところもある。 ﹁詩人は詩人同志並べて置くのがいいと云つて、並んでゐるのがそこにありましよう﹂と云ふので、義雄がそこを見ると、故磯貝雲峯並びに故北村透谷と共に、義雄の若い時の寫眞が張り附けられてある。 この三人には、その下に、特に姓名までが書きつけてある。 ﹁この時から見ると、あなたも年を取つたの、ねえ﹂と、かの女はじツとこちらの顏を見る。 ﹁あなたは相愛らず若いです、ね﹂と、義雄は返した。﹁僕もこの頃では氣分だけは若返る樣です、第一、女の若いのが好きになつて來たのを見ましても。﹂ ﹁あんなことを!﹂かの女は美しい顏をやわらかにしがめる。 義雄の心はかの女の久し振りの、やわらかな、あツたかい樣な言葉に接して、その場では大分心が落ちついた。その代り、圓滿無事を樂しんでゐる家庭に向つて、その氣分を害する樣な旅費の立て換へを頼むほどの勇氣は出なかつた。十二
五日の午後、呑牛が受け合つたのが出來たか、どうか、見に行つた。すると、きのふ、けふは道會のごた〳〵でとても會へないから、あすの朝にして呉れろと云ふ。出來ても、五六圓のことだからと云ふ注意もあつた。 然し今は、もう、それより外に當てがない。あすは多分出來るのだらうと思つたから、義雄はそのつもりで、みんなに歸る報告をしてまわつた。 六日の正午頃、また呑牛を訪ふと、出すことだけは向ふも受け合つたが、けふはとても受け取れないと云ふ前置きで、 ﹁けふ、どうしても、歸るか﹂と、念を押す。 ﹁どうしても、けふ、歸りたい――みなにも、けふの六時に出發と云つてあるから﹂と、義雄は答へる。 呑牛は考へてゐたが、細君のお繁しげさんに命じて、衣物か何かを質屋へ持つて行かせたらしい。云つてゐただけの金を義雄の前に出した。 ﹁どうも濟まないが、この場合、惡からず﹂と、義雄はそれを受け取る。 ﹁どうせ、あすは受け取れるのだから﹂と、呑牛は餘り氣にもかけてはゐなかつた。 * * * その歸りに、義雄は南三條西七丁目の角でお宮さんに會つた。雪が少しちら〳〵してゐたが、かの女はコートを着ているばかりで、傘はもつてゐなかつた。 ﹁どこへ?﹂かの女は立ちどまつて、こちらの向き出しの洋服で見すぼらしい姿をしてゐるのをながめてゐる。渠かれのインバネスは、きのふ、氷峰の入にふ用ようなので、返してしまつたのである。 ﹁歸京費を拵こしらへて來たのです﹂と苦笑する。 ﹁そしていつ歸るの?﹂ ﹁今晩の六時出發です。﹂ ﹁では﹂と、ちよツと考へて、﹁見送ります、わ。﹂ ﹁いえ、それには及びません、お子供もあるのですから。﹂ ﹁それでも、氣は氣ですから、ねえ。﹂ ﹁では、御隨意にして下さい。然し雪が降るかも知れませんから、遠方をわざ〳〵御見送りにも及びませんよ。﹂ ﹁兎に角、行けたら、行きますから――。﹂ ﹁また、今度お目にかかります。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂お宮さんは、こちらが行きかけても、矢ツ張り、こちらを向いて立つてゐる。そして突然のやうに最後の言葉を云つた、﹁あなたはいつも出し拔けに來て、出し拔けに歸るの、ねえ――今度もゆツくりお話も出來ないで!﹂ ﹁さうです、ねえ﹂と、こちらは寂しい微笑になつて、﹁放浪者ですから。﹂斯う答へて別れたあとまでも、何となくかの女の昔からの親しみある言葉に心は引きつけられてゐた。 * * * お鳥は病院を引き拂ひ、義雄の下宿にセルの被ひ布ふを取り寄せ、それを着て、今一度、知り合ひになつた入院患者等へ別れを云ひに行つた。 義雄は車で時間を少し早く出て、先づ有馬の家に行つた。その途中にあつたアカダモの親しい木――それは數日前切り倒されてあるのを見た――は、もう、どこへやら持つて行かれて、跡かたもなかつた。 勇は入れ違ひに義雄の方へ行つて留守であつたので、義雄はお綱さんにいとまを告げ、﹁氣象考﹂を返却した。それから北海實業雜誌社へまわつた。そこで車を返した。 氷峰はこちらを待つてゐた。お鈴さんも別れを惜しみに來た。 ﹁早く結婚なさいよ﹂と、義雄がかの女に云ふと、 ﹁まア﹂と、氷峰が引き取つて、﹁雜誌でもうまく行く樣にならねば、なア。﹂ 義雄はズツクの革かば鞄ん一つを提げて、一と足さきにそとへ出た。革鞄一つが荷物のすべてだが、その中には、樺太と北海道とに關する調査、見聞、感想を控へた手帳と、﹁悲痛の哲理﹂の前半六十枚ばかりとが這入つてゐる。この二つは渠の放浪を自分に具體化させる記念でもあり、所得でもある。 雪は殆ど人のからだが見えないほどに降り頻しきつて來た。渠はそれが自分のこの地に於ける最後のなさけない姿を隱して呉れるやうに思へた。 停車場に來て待つてゐると、先づ天聲がやつて來た。そして、もしあの百萬坪の件が成功すれば、こちらにも分けるからと云ふことを念押した。 そのうち、氷峰も呑牛も來た。 勇が來さうなものだと思つてゐるところへ、お鳥が車に乘つて、大きな行李のほかに、風呂敷包みの大きなのや、林檎の包みなどを持つて來た。そして、義雄に向つて、こツそりと、 ﹁早く來ようとおもても、あの有馬のおやぢがまた下らんことを云うて――しかづめらしく、分り切つたことをくど〳〵云うてたの。﹂ ﹁そりやア、お前だけを時間に後れさせようとしたのだらうよ。﹂ ﹁いやアなこツた!﹂お鳥は、まア、よかつたと云ふ風をした。﹁見送つて來ないとよ。﹂ ﹁どうして、さ?﹂ ﹁田村が自分の忠告を容いれないのだから、東京の細君に對しても申しわけがない。もう友人でないと、さ。﹂ ﹁ぢやア、ほうつて置く、さ。﹂ ﹁あんな無謀な氣儘者は北海道の雪に凍え死ぬくらゐの目に逢うて見なければ、直らんと、さ。﹂ ﹁もう、それだけでも十分だ。﹂義雄は餘り氣にはかけないで、﹁お前と手を切ることを云ひ置いて來なかつたから、あいつも心配して呉れてゐるのだらう。﹂ 然し氷峰や天聲の餞別を入れても、二人の東京まで歸る汽車賃は出ない。義雄は仙臺までの三等切符を二枚買つた。 お宮さんを今一度見たかつたが、つひに來なかつた。 三人の友人に送られて、義雄はお鳥と共に汽車に乘つた。 強い風はおほひらの雪をプラトフオムや車窓の中まで吹き込んで來る。電燈の光りが達する限りは、もう、一尺も積んでゐるのが見える。 汽笛は鳴つた。友人等は帽子を取つた。汽車はどん〳〵降る雪の下をくぐつて進み出した。 かうして、義雄は、親しみの深くなつてた札幌から、舅しうとの好かない婿養子の如く、追ひ出されたのである。 渠は、自分の乘つてゐる汽車のがた〳〵云ふ響きに、たださへとがり切つた神經を摩擦せられ、今日までの斷橋的經驗を目の前に思ひ浮べて、足もとから迫つて來る寒氣に、却つて、お鳥のからだの熱よりも一層あつい熱をおぼえた。十三
お鳥と一緒に長い旅をすると云ふことは、義雄に取つて、あとにもさきにもこれが初めてである。そしてこれが若し東京に於いてかの女ぢよとの關係のつき初める時に於けるかの鎌倉行きのやうなものであつたら、若いものに對する好奇心やら可かは愛ゆみやらでまた自分の胸も若返りの樂しみに一杯になつただらう。そして、鎌倉の宿に於いてかの女が如何にも妖艶な微笑を以つて、﹁ほんとに學校へ入れて呉れる﹂と念を押したのを、そのうへから顏ぢかく見おろした時、自分は――今思つても、多少強壓的なこわい顏をしてゐたらう――ただ一と言、 ﹁無論です﹂と答へたツけが。――その時は全くうぶな女を持つたつもりであつたのが、そのあとから段々といろんなことが發見されても、ます〳〵自分の愛情はかの女にからまつて行つた。 が、今や自分らは別れる爲めに東京へ向ふやうなものである。いや、別れる爲めに、東京へ行つても自分は早くかの女ぢよの病氣を直してやらねばならぬのだ。そしてその厄介な入院料を再び出せるか、どうかはあらかじめ分らない。成らうことなら、何とかしてそれを御免をかうむりたいと私ひそかに考へてゐる。 けれども、また、その別れが一ヶ月さきに來るにせよ、今、まのあたりであるにせよ、自分らがいよ〳〵別れてしまふまでは、自分でかの女に對する愛は――然らざれば、かの女に對するこれまでの苦勞した思ひ出は――まだ自分の心に十分殘つてるやうな氣がする。これは、然し、もう、自分からかの女へ積極的には發表して見せたくもない物であつた。 夜でもあり、またどこまでも雪が降つてたので、お互ひにそとの景色などに氣をまぎらせることもできなかつたけれども、自分らは殆ど全く汽車中での言葉はかはさなかつた。 ﹁どうせ歸りにはゆツくり立ち寄つて見るから﹂と思つて、行きには、車中から見て通り過ぎた駒ヶ嶽やそのあたりの奇麗な沼も、とう〳〵雪やみのうちにまた通り過ぎてしまつた。今の自分には、たとへ時間があつたとしても、この見すぼらしい姿では、とても下車する氣にはなれなかつただらう。氷峰に借りてた外套は取り返されてたので、安ツぽい馬乘り洋服をむき出しである。それに、お鈴さんの弟へ貸した時計もそのままになつて來た。 ﹁そんな者にだまされて貸してやつたのが阿呆ぢやないか?﹂斯う云つて、こちらの多くの失敗の一つをもいら〳〵した樣子で叱り附けもしたお鳥だ。かの女は初めのうち時々ただ恨めしさうな目つきをしてこちらを見つめたりしてゐたが、やがては勞つかれて來たと見え、こちらの寒さにふるへてゐる膝の上にその兩手を兩肱までかけ、そのうへへその顏とからだの上半身とを托してしまつた。そしてよく眠られないのが苦しいと云はぬばかりにして、時々その顏をあげてまたこちらをじツと見つめた。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄は自分が札幌へうツちやつて來ようとまで、一度は決心したところの、そしてかの女自身も東京に行けば別れようとしてゐることが分つてるところの女を、なんでいまだに斯う心で可愛いのかちよツと分らなかつた。 病氣が直つたのでもないのだから、夜を通して函館まで來るあひだ、かの女はこちらの膝の上で顏をあげたり、伏せたりしてゐた。 それまでは、まだしもよかつたが、函館から青森へ海上を渡る時、かの女は非常に船に醉つたので、青森で上野行き列車の出發を待つ間に、少しも食事はせず、ただ牛乳を一杯すつただけである。こちらには、こんなことでよくも女の獨り旅ができたものだと思へた。 青森からまた汽車に乘る時、腰をかける場所もないほど多數の乘客で――あちらの客車、こちらの客車と探し歩いても、一向に空席が見つからない。止むを得ず義雄はどこへでもかの女を押し込むつもりで、或客車の踏み段へ片足をあげると、かの女は立ちどまつたまま、 ﹁あたい、そんな窮窟なところ厭だ、わ﹂とすねて見せた。 渠はかの女の財布の中と自分のポケトとをそらで數へて見て、大抵大丈夫だらうと決心し、かの女だけをその次ぎにつづく二等車へ乘せてやつた。こちらも三等に一ヶ所空席を發見したので、そこへ腰を据ゑ、列車が動き出してから、ちよツとお鳥の樣子を見に行くと、熱が出て來たと云つて、足をのばして横になつてゐた。ひたひにさはつて見ても、然し、さう熱がありさうではなかつたが、横になるだけの空席はあるので、他の客が這入つて來るまでさうしてゐてもよからうと云ひ聽かせた。胸が惡いとも云ふので、仰向けに寢られるやうにしてやり、胸から足の方へ毛けつ布とをかけてやつた。割り合ひに脊の高い女であるから、足だけは遠慮して膝を折らせ、乘り合ひの人々にも申しわけを述べて置いて、自分の席へ引ツ返した。昨夜の寒さで風を引いたのであらうと思ひながらだ。青森を離れてからこちらへは雪は見えないし、さう寒くもないが――。 再び見舞つて見た時、第一に氣が附いたのは、空席が一二人ぶん出來てゐたことだ。渠はかの女ぢよの顏の上へこちらの顏を持つて行つて、靜かに、 ﹁氣分はどうだい?﹂ ﹁吐きたいのよ。﹂かの女は肩をゆすつて眉をしがめる。これは、かの女があまえる時、よくする表情で、こちらは見慣れてゐるから左ほど驚きもしなかつたが、吐きたいと云ふのだから、室の中央に置かれた鐵の平たい痰つぼを近よせると、かの女は直ぐそれへ白い物を出した。青森で飮んだ牛乳らしい。他の乘客に見えない樣にそれをかこつてゐたが、壺から溢れ出したので、通りすがつたボーイにわけを話して、掃除して貰ふことを頼み、 ﹁餘り惡いやうなら、盛岡か、どこかで降りてもいいから、ね﹂と、お鳥に注意を與へる。 ﹁辛抱出けるなら、する方がえい、わ﹂と答へるので、他の人々にも無禮のないやうにして、落ちつかせて置いた。 盛岡へ段々近くなつて來た時、また見舞つて見ると、お鳥の車中の樣子が變つてゐるのに驚かれた。 他の乘客等のいづれもから無言で凝視されてゐる間に、一人の、古ぼけたとんびを着た肥えた紳士――それまではゐなかつたと思ふ――がお鳥の足の方にかけてゐて、その前に立つてゐるボーイと押し問答をしてゐる。 ﹁貴樣アボーイぢやアないか? 汽車中を取り締つて行く役目でありながら、こんな無禮を見のがして置くと云ふんか?﹂ ﹁さう云ふわけでは御座いませんが――﹂ ﹁だら、なぜ﹂と、おほ聲に足踏みして、﹁起さないんだ?﹂ ﹁それでも――﹂ 紳士は確かに醉つてゐるらしい。然し醉つてゐる爲めのくだ卷きでもない樣だ。ボーイの顏をにらみつけて、﹁それでも﹂のつづきを待つてるらしいその顏つきを見ると、義雄が昔自分の同窓に於いて知つてゐた川かう本もと氏である。 然し自分は渠を嫌ひであつた。自分ばかりではない、渠を知る學友は誰れでも渠を嫌ひであつた。 仙臺の或耶蘇教學校に自分等が學んでゐる時、年うへだけに渠は自分の先輩であつた。自分は英語を主にして普通學部にゐたが、渠は傳道師になる爲めの邦語神學をやつてゐた。もとは大井憲太郎の部下に屬する壯士であつたさうだが、耶蘇教に改宗してからは、非常に熱心らしい信者であつた。が、然し、さツぱり人好きのしない男であつた。まだ學生でありながら、教會を一人で脊し負よつてゐるかの樣にがんばつて、定まりの集會に出ないと云つては會員を責め、出るとまた、態度が不謹愼だと云つてはそれを責める。笑つたと云つて責め、泣いたと云つて責めるので、渠のゐるところでは、新入會員等はどうしていいのか分らなかつた。しかし、渠はさういふことをしなければおのれの熱心がをさまらないばかりでなく、またさうしておのれの熱心を得意がつてるらしかつた。はたのものらは、しかし、渠一個の都合の爲めに自分等の行爲を左右されるのを好まなかつたから、成るべく渠を避けて、近よらないやうにしてゐた。 神學部を出てから、渠は矢張りさういふ態度を以つて傳道師になつてると、こちらも聽いてゐた。何も知らない田ゐな舍かび人とは、その熱心に隨喜して、渠を牧師にまでも仕あげた。渠は得意になるに從つて、人の行爲に干渉することが甚しくなつた。そして人の行爲に干渉することが甚しくなるに從つて、それだけ渠自身の行爲を責めることが薄くなつて來た。教會員は、そを看破するに至つて、渠を放逐した。渠はます〳〵人の無情と罪惡とを指摘する性情が強くなつたと同時に、渠自身は酒をあふつて大道にごろつくやうになつた。 そこまではこちらも話に聽いてよく知つてゐるが、それから渠がどこへ行つたのか分らなかつた。うわさに據ると、北海道で隨分よく開墾に成功してゐたが、持ち前の性分の爲めにまた失敗したことがあるさうだ。今でもそこにゐるといふ話もあつたから、こちらは札幌に於いて渠を時々思ひ出さないでもなかつたのだ。 その人が今、こちらの目前で、こちらの携帶者のことに就いて相變らず例の調子でボーイと押し問答をしてゐるのであつた。今更ら名のるのは好ましくなかつたから、知らない振りで通すつもりで、 ﹁ちよツと――失禮ですが――若しこの婦人のことで起つたお話しなら、長くとは申しません、盛岡でおろしますから――どうかそれまで。﹂ ﹁なにイ!﹂川本はこちらの方に向いて、﹁君の席がここにあるのか﹂と、少し勢ひがゆるみかけた。 ﹁いや、わたくしはあツちの室にゐます。﹂ ﹁苟いやしくも﹂と、渠は再び威だけ高になつて、﹁二等室に乘るくらゐのものなら、それくらゐの禮儀ア知つてをる筈だ。﹂ ﹁御婦人ですから﹂と、ボーイは詫びるやうに受ける。 ﹁婦人だツて、何だツて、おれの妻がゐたなら、矢ツ張り婦人だ。それが勝手氣儘に長くなるといふ法があるもんか?﹂ ﹁實は﹂と、こちらは一層おだやかに出て、﹁船で醉ひまして――また汽車でゆられましたので、御無禮を致してをります。﹂ ﹁無禮にやアきまつとる!﹂ ﹁御病人ですから﹂と、またボーイが引き取つて、﹁お醉ひになつて――。﹂ ﹁おれも醉つてゐるのだ!﹂ ﹁それは、あなたはお酒にお醉ひになつてをられますので――。﹂ ﹁おれも寢るのだ。ゆうべから眠らなかつたんだ。﹂ ﹁それは、あなたの御勝手に、お眠りなさりませんでしたので――。﹂ ﹁兎に角、あれを起せ、起せ!﹂川本は窓の方へ大きく無理にもたれかかつた。 義雄がお鳥はと見ると、案外平氣で、毛けつ布との中で足は縮めてゐるが、仰向けになつたまま、目をつぶつてゐる。近よつて、わざと大きな聲で他の人々にも聽えるやうに、 ﹁盛岡でおりるかい?﹂ ﹁‥‥‥‥﹂かの女は目をひらいて、小さい聲だ、﹁人がやかましく云ふから、おりたくなつたの。﹂ ﹁では﹂と、こちらはボーイを返り見て、﹁盛岡でおろしますから、それまで頼みます。﹂そこを出がけに、今一度川本に向つて、﹁何分、病人のことで、濟みませんが、それまでよろしく﹂と云つて見たが、渠は何の答へもしなかつた。また、こちらの誰れであるかを認めもしなかつた。 義雄は、多少薄氣味惡くないでもなかつたが、そのまま自分の席へ引ツ返した。時計を見ようとしたが、それがないのに氣が附いた。寂しい――眠くもある。十四
やがて、お鳥の車室のボーイがやつて來て、こちらの室に空席があるかないかを探してゐる樣子であつたが、一つ見つかつての歸り足をこちらのそばにとどめて、 ﹁どうか、只今のは御勘辨を――時々、あアいふお客さんがあつて困ります。途中で三等から乘り變へたんで御座いますが、まだ切符を切り變へませんので、わけを話して、もとへ直つてもらふことに致しましたから――。﹂ ﹁それは氣の毒でした、ね。﹂ 直ぐ二人のボーイがおもい手荷物を提げて這入つて來ると、それについて、川本も苦い顏をして來た。渠はこちらのそばを二三席過ぎたところの、通り道がはの席を占める爲め、窓ぎはの客と肱かけの間に、でツぷりしたからだを横わう柄へいに割り込んだ。見てゐると、窓ぎはの客は、どんなえらい人が隣客になつたのかと云はないばかりに、からだを縮めて奧の方へ坐わり直した。 肱かけのそばで中央の道に、ボーイが積み置いた二個の荷物は、下のは何だか分らないが、上のはみやげ物の菓子折の樣なものや林檎入りの籠であるらしい。 間もなく渠は居眠りを初め、窓ぎはの客の方へもたれかかつて行つた。客は暫らく渠の方を見い見い無言でそれをこらへてゐたが、餘りおもみを感ずるやうになつたからであらう、咳ばらひをして胸をゆすつた。川本はちよツと目を覺まし、何かしをらしい詫び言を云つてゐた樣であるが、今度はまた肱かけの方へたわいもなく、こくり〳〵ともたれて行つた。 義雄に限らず、車中の注意はすべて渠ひとりに集つてゐたので、渠のそのあり樣をただ見つめてゐる客もあれば、互ひに小聲で冷笑し合つてゐる客などもある。 ﹁二等から天あま降くだつて來た醉ツ拂ひだ。﹂ ﹁なアに、三等から切りかへて貰はうとしてことわられたんださうだ。﹂ ﹁そんなに醉つてるとも見えぬが――。﹂ ﹁酒樽の樣にふてい奴だ。﹂ ﹁可哀さうに、眠いんだらうよ。﹂ 人々がこんな嘲弄語を吐いてゐるのを聽きながら、こちらもいつのまにかゐ眠りをしてゐたらしい。 ﹁わツはツは﹂と、手を打つて人々が笑ふ聲に目を覺ますと、川本は席からころげ落ちてみやげ物と共に不恰好に倒れてゐる。 然し渠はのツそり起きあがつて、大きな風呂敷の中で長方形のものが角張つてがく〳〵してゐるらしいのを手にもたげて、もとのところへ積み直し、おのれも元の席についた。 こちらは別に大したことでもないので、直ぐまた眠つたらしい。ふとまた目が覺めると、川本はこちらの方に向ひ、つツ立つて何かしやべつてゐたのだ。 ﹁禮儀といふことを知らなければならないです﹂と、出しぬけにおほ聲を聽かせられ、こちらはお鳥と自分とのことが惡くち云はれてゐるのではないかと驚いた。然しさうではなかつた。渠は、説教者の教壇に立つ樣な、おほやうな態度を持つて、暫らく無言で車中を見まわしてゐたが、おもおもしい、腹から出る樣な聲で、﹁禮儀――禮儀――禮儀をです﹂と繰り返し、﹁諸君は實に禮儀といふことを知らん。わたくしが席からころげ落ちたのを見て、ただ徒いたづらに笑つてをるとは何のことです?――失敬ぢやないか?――無情といふものではないか?――諸君は實にあさましい人々だ!﹂ ﹁‥‥‥‥﹂そりやア、尤もだよ、川本君と、こちらは名のりまで擧げて現はれたいやうな氣になつた。そして渠の昔の無反省の惡い癖などはここに問はないでもよかつた。人の弱點や失敗はうらから見れば誰れにでもいくらでもあらう。それを自分からさらけ出して他人に向ふなら、いくらでも――正直にだから――強いことを云つていい。自分はこれまでにさうしてゐることを少しも厭いとはなかつたが、渠も――昔とは違ひ、餘ほど燒けツ鉢からの正直を得て來たものと見え――お互ひに語り合へば共鳴するところが少からぬやうだ。 が、なほ默つて見てゐると、車中のものはすべて渠の方を見つめてゐるばかりで、ひとりも渠を相手にするものはなかつた。渠は當然にも物足りなささうな顏つきをして席に着いた。然し直ぐまた立ちあがつて、 ﹁世の中は實にあさましい。實にあさましいものと云はなければならん。――さうしたのが世の中の人の常かも知れません。然し、諸君、わたくしは今醉つてゐたのであります。酒に醉つたものには、少しも罪がないのです。――罪のない、云はば、無邪氣に倒れたものを目の前で見ながら、手を打つて笑ふとは何のことです。可哀さうだといふ考へは諸君に起らないんですか?――諸君は先づ飛び出して來て、わたくしを助け起してくれんければならんです。――諸君には、その考へが起らない。世の中は實にあさましいです。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂その最後の二句などには、最も誠實な語氣が含まれて、こちらには、今自分の氣ぶんでは、豫言者の熱誠も亦これには劣るとも、勝ることはあるまいといふ氣がした。弱い人間の身を眞ツぱだかに投げ出して弱い人間どもにぶつかつたのではないか? こちらは自分がかの中學でした演説に於いて氣違ひ扱ひをされてしまつたことを思ひ出してゐた。自分があの時あひ手にされなかつたやうに、今、渠も亦誰れにもあひ手にされてゐない。その威巖を全く滑稽にでも見てゐるのか、少しはおそれた氣味も見せながら、皆が皆北海道の雪を脊中にしよつて來たかの樣に冷淡で、一言たりとも同情の意を表するものはなかつた。 渠は、暫らく何かの返事または應援を待つて居る樣子であつたが、絶望の色を見せたかと思へると、急に顏を和やはらげて苦笑に轉じた。 ﹁いや、かう云ふことを諸君に申しあげてすみません――すみません――どうか、お許しを願ひます﹂と語つて、ゆツくりと席に着いた。渠のあたまに――絶望のほか――何ごとか浮んだ爲めか、その態度が突然變化した理由は、こちらに分らなかつた。 義雄が車中を見まわすと、俄かにあちらこちらに話し聲が起つて、その散漫なことは大きな豚小屋の中のやうであつた。その一隅には、どこかへ護送される囚人が五六名陣取つて、あみ笠の下からこの演説者のゐる方をじツと見てゐた。そして附き添ひの巡査二名のうち、一名は知らない振りをして煙草を吹かし、また一名は居眠りをしてゐた。川本自身の醉ひも醒めてしまつたらしい。こちらと巡査等とにそびらを見せて頻りに煙草のけむりを吹いてゐた。 然し義雄はその後川本がどうしたか知らない。今度の驛が盛岡だといふので、その車内を去つて、お鳥を下車させる仕度にかかつた。 ﹁あのおやぢはあれからどうしたの﹂と、かの女ぢよはいつ下りるとなつてもかまはぬ用意をしてから聞き糺ただした。 ﹁おれの室へ來て、頻りに演説してゐたよ。﹂ ﹁へんてこなおやツぢや――二等客になつて威張つて見ようとしたのだろて、皆が笑つてゐた。﹂ ﹁いや、さう臆斷してしまふには可哀さうなところもあるのだが――。﹂義雄は斯う云つた切りで、川本のことは詳しくかの女に語つてやるまでもないと思つた。十五
﹁‥‥‥‥﹂義雄はこんなにさし迫つた状態では全く無關係な土地へは下車できなかつたのである。盛岡市には自分がさきに○○商業學校の講師であつた時に頼まれて自分の家で監督した生徒がゐた。勉強のことだけは隨分巖格に監督したり、猛烈に英語の復習を強しひたりしてやつたのだが、この場合、それをでも反對に手た頼よつて行くしか道がなかつた。 もう、日が暮れてゐた。停車場を出た直ぐわきの陸むつ奧くわ館んと云ふのに這入り、電話で以つてその生徒を呼び出して見たところ、今外出してゐないとの返事であつた。何でも當地では隨分大きな金物屋の息子で、あたまの惡い爲めにとう〳〵中學程度の學歴も終らないでしまつたが、北ほく斗とと稱して、土地の新聞に歌や短篇小説を書いてると聽いてゐた。その父親も、その子の爲めに、もとは義雄の家へ度々訪ねて來たことがある人だ。 殆ど一文なしの不安に驅られながら、二人の寢床を取らせてゐると、電話がかかつた。そして今から訪ねて來ると云ふのであつた。 ﹁どんな人か早う見たい﹂と、お鳥は云つた。そして半ばぬいだ衣物を急いで再び着直してゐた。 ﹁それどころかい?﹂義雄は少しも浮いた氣になれなかつた。そして、たとへ北斗が訪ねて來たツて、まだ親がかりであるからまとまつた金ができないとすれば、結局來たのが無駄であるが――と考へてゐた。 やがて案内があつて、久し振りで面會の挨拶が終はると、東京に於ける義雄の妻の顏をよく知つてた北斗は、ここに違つた若い女のゐるのをじろりと遠慮がちに見てから、それにも關聯させたらしい口ぶりで、然し眞面目くさつて、斯う尋ね出した、 ﹁突然――また――どう云ふわけで――﹂ ﹁‥‥‥‥﹂たツた三四年會はなかつたうちに、大分おとなじみてしまつたやうな言葉を向けるのを、義雄は頼たの母もしくも思つたと同時に、自分の今の状態を返り見ないではゐられなかつた。以前には、自分の多少野心のあつた或婦人のところへも、自分の書生として渠を伴ともなつて行つたこともある。が、その學業の後れてゐると反對に、年はその級でも一番うへの子であつた。數へて見ると、もう、確か十九歳にはなつてる筈だもの。 ﹁こんなところへ?﹂ ﹁どう云ふわけツて、實は、これが﹂と、義雄はお鳥が取り澄まして客を少し馬鹿にしたやうな顏つきで、これはまた度々、じろ〳〵と珍らしさうに見てゐる方へ顏を向けて見せてから、﹁札幌を出た時から工合がよくなくツて、船や汽車に醉つた氣味もあるが、持ち前の病氣がどうしても途中で下車をしなければならなくなつたのです。﹂尤も、ふな醉ひや汽車醉ひだけでは、如何にかの女が途中でぐづねてもおろしてやるのではなかつた。が、その病氣は若いものに向つては少し遠慮すべき性質のものであつた。 ﹁そりやいけません、な。﹂ ﹁いけないのはそればかりぢやアない。﹂渠は然し根本からうち明けて行かねばならぬと思つたので、ここへ下りたものの、金がなくツて困ることを告げた。 ﹁‥‥‥‥﹂北斗はこちらの云ひ出すことを前ぜん知ちして、たださへ煮え切れない顏つきを一層煮え切れなくした。 ﹁何とか一とき、少しの都合をして貰へないか知らんて?﹂ ﹁さア――かねのことは﹂と、火鉢にかけた兩手を引ツ込めて固くなつた。 ﹁無論、東京へ歸つたら、何とかして必らず返すつもりだが――君もまだ親がかりだらうとは知つてるから、君が僕の爲めにおやぢさんと相談して見て呉れさへすりやアいいのだが?﹂ ﹁‥‥‥‥﹂渠はまだ固くなつてゐる。 ﹁それでも駄目なら駄目とするが、兎に角、頼むから相談して見て呉れ給へ。﹂ ﹁では、まア、して見ますが――﹂ ﹁この場合、君が僕に思ひ出されたのを災難と見て、ね。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂北斗もこちらの笑ひにつり込まれて苦笑し初めた。 ﹁久し振りで會つて、直ぐ無理を云ふのは如何にも氣の毒だが、――それから今一つ頼みがあるのだ。別なことでもないが、これをどこかの病院へ入れなけりやアならんので――今夜と云つても、もう、時間がおそ過ぎるだらうから、あす、なるべく早く君の紹介で頼みたい。﹂ ﹁そりやア知つてる病院もありますから﹂と、この返事には多少の元氣が見えた。﹁一體、どう云ふ種類の御病氣です?﹂ ﹁婦人科でなけりやアならないのだ﹂と云つて、お鳥を返り見ると、かの女はこちらを見て平氣で微笑してゐた。こちらも笑ひにまぎらしながら、﹁實は、面白くない病氣だが、僕のは直つて、移つた方のこれに執念深く殘つてるのだが――。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂この青年も何のことだか分つてるやうに笑つたが、それがまたちよツとにがい顏に返つたところに、そんなとばツちりをこんなところまで持つて來られては困ると云ふやうな心が見えないでもなかつた。 ﹁出發の時に俄かにおほ雪となつたのがいけなかつたのだが、青森に來ると地上が僅かしか白くなつてなかつたし、ここぢやアまだのやうだ、ね。﹂ ﹁ええ、盛岡ではまだ雪は積みません。けさ、ちよツとちら〳〵しましたけれど。﹂ ﹁ところで、どうだおやぢさんの目かけ狂ひは? もう、いい加減に納まつたか、ね?﹂ ﹁ええ――まだ――﹂ ﹁そんなおやぢの子には却つてしツかりしたのが出る筈だが――﹂ ﹁どうですか﹂と答へて、笑ひながらちよツと横を向いたやうすが、自分もおやぢや先生に負けないと云ふ意味であるらしかつた。 ﹁ぢやア、君もやり出したのか? よくない、ね。けれども、やるならやるで、十分の責任を飽くまで自分で持つ覺悟でなけりやアいけないぜ。おやぢがやるのはやるだけの資格があるからだが、子供が何の責任も持てないでおやぢの眞似をして、おやぢへすべての厄介を持つて行くのは、意久地のないことだから、ね。﹂ ﹁それは先生が○○學校でも先生を御自分で辯解したお言葉でした。﹂ ﹁よくおぼえてる、ね。――酒飮みや藝者買ひを公然やつてた僕にやアそれ以上の教訓はなかつた。やつても僞善になるし、また教訓として無駄だから、ね。﹂ ﹁尤もだと思ひました。﹂ ﹁へえ。﹂少し意外な氣がして、笑ひながら、﹁して見ると君は、あの時分から、そんなことが多少でも分つてたのかい?﹂ ﹁さうでもありませんが――﹂ ﹁僕はまた君を小僧同樣に思つて、僕が僕の女房と今に取りかへようかと考へてた女のところへ君をお伴につれてツたこともあるが、おぼえてますか?﹂ ﹁下谷でしよう?﹂ ﹁さうだ、さうだ! あれは、然し、僕と別に實際の關係などアなかつた。暫らく或る夜學校で英語を教へてやつただけだが、さう斯うしてゐるうちに、よそへかた付いてしまつたよ。﹂ ﹁先生に關する逸話は今でもよく新聞で拜見します。﹂ ﹁なアに、あんなのにやア半分はうそがあるのだ。﹂ こんなことでその夜は北斗と別れてしまつた。如何に明けツ放しの義雄でも、金のことだけは日ごろの正直な責任論に兔じても持ち出したくなかつたのだが、切せつ破ぱ詰つて止むを得なかつた。それにつけても、樺太まで出掛けて折角やつた事業の失敗が殘念であつた。それも人を信じ過ぎ、人に委せ過ぎたのが原因だが――。 ﹁あんなへなちよこが目かけを持つなんて洒しや落れ過ぎてる。﹂ ﹁そんなことがあるものか?﹂ ﹁でも、今云うてたぢやないか?﹂かの女ぢよはいつも通りのうは目づかひをして、抵抗氣味に出て來た。 ﹁また何かの聽き間違ひだらうよ。﹂渠は取り合はなかつた。いろんなことにかの女が聽き違ひやら思ひ違ひやらをするには、もう飽きが來てゐた。それでも半ば聽かしてやるやうに、﹁あれでも藝者買ひか女郎買ひをするやうになつたのか、ね? それとも、お前なんぞよりやアあばずれでない純粹の令孃をでも戀ひしてゐる意味か?﹂ ﹁あたいだツて、別にすれからしぢやない。﹂ ﹁すれからしと云ふからしは蜜柑と一緒にやアできないか、ねえ?﹂とぼけたことを云つて、渠は默つてしまつた。來た女中に再び床を取らせながら、この紀州に生れ、北海道に育ち、東京でこちらを捕へるまでにも、そして一旦棄てられながらも、そのいろ〳〵な間に何をしたか分らない女の、少し足りないやうで而も神經の鋭敏なのを、かの女自身のうち明け話やこちらの實驗やによつて思ひ出してゐた。 かの女に札幌へ追ツかけて來られてからも、渠は性的關係をかの女に求めなかつたのだから、別々になつて休むのは何でもなかつた。そして病氣を直してやるまで責任を持つと云ふ約束の外には、こちらは殆ど執着もなくなつてゐた。約束さへ守つてやれば、若しくはこの約束を守ることを誰れでも代つて引き受けて呉れる者があらば、もう、自分はかの女ぢよとの最後の關係もなくなるのだ。長途の汽車にはかの女もちよツと刺戟を受けたやうだが――かの女が息づまるほどその痛みを苦にすると云ふことは、札幌に於いて二度目のたうげを經過してゐるし、東京に於いて女房に直せと云つて一度あつた如きかの女からの刃はも物のざ三んま昧いも、もう、今ではそんな恐れの必要がなかつた。渠はただ、この失敗のあとをどうして行けばいいかと云ふ自分自身のあせりと燒け苦しみとの爲めに、この二三ヶ月を――かの女の追ツかけて來る前から――神經衰弱の氣味であつた。 存外に痩せたと思はれる胸のあたりを薄團の﹇#﹁薄團の﹂はママ﹈下で私ひそかにさすつてゐるうちに、とろ〳〵と眠りに入りかけた。すると、 ﹁あんな、あんた﹂と、かの女に呼び起された。﹁なんだ?﹂枕の上でその方へあたまを向けて見ると、向ふもそのままでこちらへ顏を向けてゐた。 ﹁若し、あす、金がでけんとどうするの?﹂まだ眠らないで、そんなことを考へてたらしい。 ﹁そのときやア、また、その時のこと、さ。﹂渠には一度かの女から逃げた經驗があるので、また札幌へ置き去りにもしかねなかつたので、いよ〳〵どうにもならぬとならば、またかの女をうツちやるだけのことであつた。再びよりを戻したのがこちらのあまかつたところでもあり、また物好き過ぎたのでもあつた。 ﹁そんなこと云うて、あんたはえいか知れんけれど、あたいは困る。﹂ ﹁おれも困る、さ。﹂渠はそれツ切り反對の方へ向いてしまつた。あすの返事が心配でもあつたが、どうとも聽いたうへでなければ、それからのことを考へるのは無駄のやうに思へる。失敗の經驗とからだの衰弱とが渠をして思ひ切つて行き當りばツたりにならせてゐた。そしてかの女が言葉を繼がぬのを幸ひのことにして、うと〳〵と、ただ、かの女のしやくんだ顏が不平がる時に出す額の太いよこ皺をそらおぼえに數へてゐた。 あくる日、目がさめたのは九時頃であつた。大きな旅館相應の洗面場の水でたツぷり顏を洗ふのが、それでも、雪ばやい札幌の下宿に於けるけちな化粧湯よりも﹇#﹁化粧湯よりも﹂はママ﹈らくであり、また氣もちもよかつた。けれども、矢ツ張り、ここも雪もやうで、寒い風が吹いてゐた。 ﹁あいつがやつて來るだらうか?﹂ ﹁來ないでどうするんだ?﹂ ﹁でも、金がでけんで逃げてたら――?﹂ ﹁お前ぢやアあるまいし、ね、そんな卑怯な男でもなからうよ。﹂食事中の話だが、渠にはまだ自分に對する相當の自信があつた。北斗にして、若し――さうだ、金はできないかも知れぬが、それに對する報告をまで避けることは、以前の恩義若しくは關係から云つても、まさかあるべき筈でないと思はれた。と同時に、かの女が、その初めから見ると、ずツと疑ひ深くなつたのは、一緒になつてから一層いろ〳〵なことに出くわした爲めだらうと、多少のあはれみもできてゐた。 食事をすましてしまふと、丁度、果して北斗がやつて來た。そしておやぢと相談して見たと云ふ結果によると、現金はできないが、もと世話にもなつた先生のことだから、病院の方は北斗が紹介人になるつもりで、今よくそこの院長に頼んで來たのであつた。 ﹁どうもお頼み通りに行きませんで――。﹂それでも一人前の商人らしく、もみ手などしてゐる。 ﹁なアに、それでも結構。﹂義雄は寧ろその相手がゆうべの出よりも一層警戒深く且おとなじみてるのに氣を取られた。惡い意味ではなく、君もなか〳〵商人じみて來た、ね、と賞めてやりたかつたが、違つた方へ思ひ取られては濟まぬから、さし控へる。 お鳥はまた客にも愛嬌のかげさへ見せず、むツつりしてゐる。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄は別にまだ云ひにくい考へがあつてぐづ〳〵してゐると、北斗は、 ﹁では、直ぐいらツしやつたらどうでしよう、向ふは室を明けて待つてをりますから?﹂ ﹁さうだ、ね――ぢやア、今から行くとするが、君、宿の拂ひも一とき保證して置いてくれよ、今、主人を呼んで事情は述べるから。﹂たとへ一ときのことだツて、宿屋のただどまりなんて、よく〳〵困窮してゐることが自分ながら返り見られた。 ﹁いや、わたしが云うて來ましよう﹂と答へて、北斗は獨りで向ふへ行つた。そのあとで、お鳥は憤慨したやうにこちらを見詰めながら、 ﹁まるでお前の恥さらしぢやないか?﹂ ﹁おればかりぢやアない、お前にも恥さらし、さ。﹂ ﹁では、なんでそんなことにした?﹂ ﹁お前の爲め、さ。お前の汽車賃をもおれが使へば、丁度眞ツ直ぐに東京までおれは歸れた勘定だが――こんなところの病院などへ寄り道しないで、ね。﹂ ﹁お前が惡いのやないか――もとはと云へば?﹂ ﹁さうだ。だから、ね、おれまでもお前と一緒に恥ぢをさらしてゐるんだ。﹂ ﹁汽車賃さへなかつた癖に、大きな顏して!﹂ ﹁何が大きな顏だい――お前の見ツともないその顏ぢやアあるまいし?﹂十六
病院へ行つてからも、多少やわらかにだが、お鳥が不平と心配とを訴へる罵倒に對して、義雄はそれに報いる燒けツ腹の皮肉しか出せなかつた。その間に在つて、渠は先づ第一に思ひ附いて、札幌で一番親しくした氷峰へ電報を打つた。 ﹁トリ、入院、カネタノム、モリオカ○○○病院、タムラ。﹂ そしてその返事を待ちに待つたけれど、晩になつても來なかつた。そのうちに北斗が一名の年うへの同伴者をつれてやつて來て、共に文學談を聽かうとした。こちらには然しそんな談話をしようとする餘裕がなかつた。 ﹁君等はまだ僕をもと〳〵通りの文學者に思つてるのだらうが、僕はあの事業をやると決心した時に僕の方向も一轉したのです。それが全然失敗に終つたからツて、直ぐのこ〳〵と再び文學の世界に顏が出せるか、どうでしよう?﹂ ﹁そりや先生なら出せます﹂と、北斗の同伴者が答へた。 ﹁僕の決心はそんな無責任、無頓着の性質のものではなかつた。たとへて云へば、僕はBの爲にAを見棄てたんだ。この見棄てられたAを假りに女として見給へ。直ぐほかの男をこしらへてしまふ。﹂斯う云つて、ふと、そのそばに寢てゐるお鳥を返り見ると、蒲團がかけてあると安心してだらうが、勝手に曲げてるらしいからだの輪廓をもく〳〵させながら、こちらをにらみ附けてゐた。如何にも、かの女がこちらにちよツと棄てられた間に、こちらの友人なる加かし集ふとくツ附いたのであつた。けれども、渠はかの女に頓着しないで、﹁文學その物だツて同じことで、僕と云ふ背信者または反逆者などはこれをうツちやつて置いて、ずん〳〵それ自身が進んで行つてしまふ。そのあとへ僕がたとへ復歸したツて、向ふも喜ぶ筈はない、僕自身も何の面目あつて歸り新參がつとまらう?﹂ここには專ら詩や小説の方面を云つてるのだ。 ﹁えらいお見限りです、な。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂北斗の顏に何だか失望のやうすが見えたのを、義雄はまだこちらを信じてゐて呉れるのかとありがたく思つたが、話の勢ひはとめることができなかつた。﹁今一ついい例を擧げて見れば、海外留學生だ、ね。文學に關する學問を研究しになら、まだしも多少の意味があらうが、文學と云ふ藝術その物の爲めに洋行しようと考へるものがあらば、それは無意味でなければよこ道だ。そのよこ道をしたいものは、してもいい。が、僕が他へ轉じたと同樣の覺悟がなくてはならぬ。どうせその洋行から歸朝して來れば、新知識は愚か、却つてわが國の進歩發展的時代に後れてるのはきまつてる。かの○○氏の如く、また△△氏の如く。﹂ ﹁そりや少し違ひましよう﹂と、北斗の同伴者は口をさし挾んだ。﹁洋行となれば、誰れでも少くても二三年、長ければ五年、十年でもしますから、その間にわが國の時勢が分らなくなるのも尤もでしようが、先生のは文學を離れてから、まだ切りつめたところ半年にもならぬでしよう。﹂ ﹁は、はア、成るほど、ね。﹂義雄は自分のことを人に手を取つて貰つたやうな氣がした。そして考へて見ると、如何にも、自分自身では樺太から北海道に於けることが一むかしも以前の如く見えてたのは、自分の現實ではあるが、乃すなはち、苦しまぎれの幻影に飛び込んでたのであつた。 ﹁それに、先生、今あなたは女のたとへをお出しになりましたけれど、――﹂ ﹁‥‥‥‥﹂お鳥はその客の方へ枕の上の顏を向けてる。 ﹁女だツて一度關係のあつた男が立ち戻つて來れば、喜んで再び迎へますよ。﹂ ﹁成るほど、ね。﹂義雄は苦笑して、まさか、この男がこちらの内實を既にすべて知つてるわけでもあるまいにと思つた。お鳥はと見ると、この時そツぽうを向いてゐた。恐らく、かの女の移轉さきの借り二階へこちらが突然また顏を出した時、その瞬間に於いてこちらの薄情を全く忘れてしまつたかの如くその心に歡迎したのをおぼえてゐたのだらうか? あの時、曾て、見せたこともないほどの優しい樣子をして、にツこり笑つたツけ。今や煮え上つたところの鍋ぶたを取つて、御はんはまだかと尋ねた。そして煮えた切り身をさかなにすることにして、酒を一合買つて來た。實は別な男に煮てゐたのであつたから、それが爲めにその男と一悶着があつたけれども、そしてかの女は毒を仰いで死にそくなつたけれども、とう〳〵再びこちらの物になつてしまつたのだ。――成るほど、ね。――如何にも、ね。こんな女でもさうであつた。ましてその物としては意地も意志もない文學のことだ。こちらのもと〳〵通りの努力一つで、十分にまた初めからやり直すことが容易でないこともなからう。自分は正直のあまり、生きまじめに物をかたづけ過ぎていつのまにか自分の思想の反對なる輪廓ばかりに執着してゐるのであつた。さうだ、自分が詩から小説に移つたのも、小説から實業に投じたのも、矢ツ張り、輪廓の制限に捕はれたのではなく、自分といふ内部生命の方向轉換に過ぎないつもりであつたのだ。﹁僕は思ひ違ひをしてゐた。いや、この最近に心がゆるみ過ぎてた。ありがたう。僕は意外なところで意外な警告と奬勵とを與へられました。﹂ ﹁いや、大先生にさう云はれると、わたくしの方が意外です﹂と、その男はあたまをかいた。 ﹁わたくしも文學をやりたいと思つてをります。﹂北斗がそれに續いて斯う云つたのはまだしもよかつたけれど、﹁どうせ、もとからの腦病で、相變らずあたまが惡いやうですから﹂と附け足したのを聽いて、義雄は憤いきどほらないではゐられなかつた。 ﹁文學だから、病人もできると思つたなら違ひます! 實業はあたまがよくなければできないと云ふなら、文學だツてさうです! その他のことだツて、皆同じだ。﹂ ﹁そりやさうです、な﹂と、同伴者もこれには賛成した。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄は北斗が氣まづい顏をしてゐるのを見て、自分の言葉の調子があまりつよかつたことを知つた。少し聲を和やはらげて、﹁然し、北斗君のはただ云ひかたが惡かつたのでしよう。つまり、文學が好きだと云ふことで、多少腦が惡いツても、實業が好きなら實業を一生懸命にやるだらう。﹂ ﹁まア、さうです、な。﹂北斗も愛相笑ひをしたが、無理にのやうであつた。 ﹁やりたければやり給へ。僕も今の警告に一本まゐつたと同時に、新たに奮發心を得ましたよ。﹂ この時、お鳥は不作法に大きなあくびをしたので、二人の客は歸り仕たくになつた。尤も、時間も大分おそくなつてゐた。札幌からの返電がまだ來ないので、こちらは向ふの今困つてる事情をよく知つてるだけに、とても當てにすることができなかつた。 ﹁返事が來ないぢやないか? それに呑氣さうに詰らん話ばかりおほ聲でしてて――見ツともない! 外聞が惡い!﹂ ﹁‥‥‥‥﹂渠は返事をしなかつた。かの女ぢよには――これも如何にもだ! ――詰らないだらうが、こちらには何よりも重大な問題をおのづから語つたのであつた。歸つた二人、殊に無意識にだらうがこちらに奬勵を與へた同伴者の方に懷かしみをおぼえながら、渠はお鳥の枕もとへ尻を向けて、今一つ新たに仙臺の友人へと鉛筆を執とつて見たが、普通電報の時間が過ぎてるのに氣が附いて、手紙に替へた。そしてこれを認したため終はると直ぐ、郵便箱へほうり込んで來てから、自分も休むことにした。 西洋室ではあるが、疊を敷いてあつた。割り合ひに綺麗な病院だ。けさ、車でとほつて來た道をあたまに浮べると、土塀や生け垣も衰微しつつあるあはれな士族屋敷ばかり多い市だのに、私立でよくもこんな病院が立つて行けるものだ、な、と思はれた。自分が今警告を得たその以前の内心のやうに、希望もなく、さびれ果てた市ではないか? それに、可なり美しい看護婦も四五名はここに使はれてるらしい。その一名だツてこの室にはまだ一度も顏を出さないのが、既にこちらの事情を知つて、こちらをおろそかにしてゐるのだと受け取れても、別に致しかたがなかつた。 如何にも心細い位置に置かれては、また變つた女のあツたかみを望ましくならないではない。お鳥が來て入院の費用を心配しなければならぬやうになるまでは、札幌に於いては一とき、そんな氣持ちが續いて、五晩目が三晩目になり、三晩目が一晩置きになり、とう〳〵おしまひには毎晩のやうに一人の女の爲めに遊廓へかよひ詰めた。そしてかの敷島も亦熱心になつて來たやうであつたから、若し樺太に於ける來年の方針さへ立てば、敷島をつれて再びあツちへ渡り、さきに僅かの金でそこに買つて置いたロスケ小屋に一と冬を越をつ年ねんして見てもいいとまで思つた。が、そんなことも皆一むかし以前であつたかの如く、義雄のあたまもからだも衰弱してゐた。そして渠が飽くだけのことを仕飽きた報いの無慾を、お鳥は札幌以來却つて結けつ句く安心なことにしてゐた。こちらも亦その方が、東京に於ける或時期などとは違つて、却つて面倒でなかつた。 一枚毎に何錢ときまつてゐる蒲團をさう贅澤に貸りるまでもないと云つて、渠はかの女が、﹁見ツともない﹂と反對したに拘らず、この室に一と組しか置かせなかつた。けれども、別に心は動かなかつた。十七
翌よく朝てうになつて、 ﹁あなたがたのことが出てをります﹂と云つて、一名の看護婦が土地の新聞を持つて來て呉れた。今一名すがたを見せないのがゐたらしい。聲をかけた方のが直ぐ引ツ込む時に、かげのと顏を見合せたやうにして、くす〳〵と吹き出して行つた。見ると、﹁田村義雄氏の來遊﹂と云ふ見出しのもとに、﹁東都の小説界にその人ありと知られたる田村氏は、北海道より歸京の途中、同伴の一美人が病氣の爲め當市に下車し、一昨夜は陸奧館に一泊、昨日その美人と共に○○○病院に移りたり。出發はまだ未定なりと云ふ﹂と書いてある。北斗が書いたか、書かせたかにきまつてるが、義雄は先づ、これを贖み返して見ながら、たとへば自分の知つてる或女が鐵道往生をでもした時の記事を讀んでる氣がした。どんな見ツともない女でも、死んでしまへば新聞には美人とまつり上げられるものだ。自分は今その手を自分の生きた物に對して喰つてるのである。看護婦どもがくすくす笑ひをして行つた意味もこれでよく分つた。 ﹁どんな惡口が書いてあるの﹂と云つて、お鳥が半ばからだを起してのぞき込みに來た方へ新聞を投げてやつて、 ﹁見て見ろ! お前が世界一の美人だとよ。﹂ ﹁‥‥‥‥﹂かの女は再び仰向けになりながら、枕もとの方へ行つて落ちたところの廣い紙を自分の手で――不ぶし精やうたらしくも――自分の顏のうへを越えて拾ひ上げた。胸のうへの蒲團が少しもち上げられたと同時に、かの女の大きなひさし髮のひさしがまたうへへ反そつた。そこへまる出しに現はれたかの女の皮のゆるんだ額には、いつも通り、横に太い深い線が三つきざまれてゐた。渠はそれがかの女のしやくんだ顏その物よりも一層好ましくなかつた。が、かの女は天井の方へ新聞紙を兩手で廣げて、初めは心配さうに默讀したのが、やがて、色だけはからだ中に渡つて白いのがこちらにもかの女のたツた一つの價うちであつたところのその顏をちよツと赤めると同時に、崩れたやうににこ〳〵し出して、熱心に二度も三度も默つて讀み返してゐた。 ﹁‥‥‥‥﹂渠は吹き出したくなるほどにかの女の無邪氣を感じた。が、直ぐそれをいやがらせてやるつもりで、﹁お前も新聞で美人と書かれちやア、もう、――また一度毒を飮むか、くびを縊くくるかしなけりやア、義理がすむまいぜ。﹂かの女がこちらといさかひの末、芝公園のからす山で縊死しかけたのを助けたのもこちらの思はず出くわした拾ひ物であつた。 ﹁もう、お前なぞおもとりやせんぢやないか?﹂かの女はこちらの方へその顏を勢ひよく向けたが、さきの無邪氣さは全くそのかげだになかつた。そして憎々しかつた。 ﹁無論、それでおれの方の荷も輕くなつたの、さ。﹂ ﹁でも、約束通り、病氣が直るまでは世話せにやならん。﹂ ﹁それ位のことは何でもない、さ。﹂ ﹁何でもない云ふけれど、今の今でも、金がでけんぢやないか?。﹂ ﹁ぢやア、どうだ、ね――今一度札幌へ立ち歸つて、あの川で例のやりそこねた心中をやり直さうかい?﹂渠としては、この意地わるい云ひ草は自分の心臟を自分でゑぐり取つてるやうであつた。闇にもそのすべこさが見えるやうな肌の思ひ出の爲めに、かの女をかの女自身の意志でだが毒を飮ませまでして一旦取り返した。それを東京に置き忘れたやうになつて、札幌の女にかよひ詰めた。今度はお鳥の方からやつて來たけれども、その時は既に金の工面は附かず、からだの精魂は拔けてゐて、その上にも北海道に於て熊や眞まむ蟲しよりもずツと恐るべき雪と寒さとにうか〳〵と迫られるやうになつた。うツかりとこちらも死に神の手に乘せられたのはその時だ。 かの女ぢよは最初に自分で自分の首をくくらうとした。それから、こちらの寢くびをかかうとした。次には、かの女自身で毒藥自殺をしそくなつた。かの女のその時の愛情や決心はこちらもこれを十分に汲んでやつてゐたのである。たツた足かけ二ヶ年のことだが、二人のそんな出來事や思ひ出がからみ合つて、豐とよ平ひら川がはに於ける心中――思へば變態心中だ――をやつて見た。が、その時でさへ二度とはやり直せなかつたことを、希望のうす光りをいだく今となつて、再びこちらが本氣で實行できよう筈はなかつた。 ﹁人を馬鹿にして!﹂かの女だツても、さうであらう。札幌の病院に於いてかの女が東京と二三度通信をし合つた男――それが寫眞學校の先生か、それとも、そこの同じ生徒か? どちらともかの女はこちらへうち明けなかつた。が、こちらの東京出發前に、かの女の學ぶべきことを寫眞にきめてやり、そこの束そく修しうやら二三ヶ月分の月謝やらを渡して來たのだ。金が約束通り送れなかつたので、かの女はそこの學僕じみたことをもちよツとやつて見たと云つた。その間に、その男との、どこまでかはこちらに分らない親しみができたらしい。それが今一度早く東京に歸つて來たら、何とでもしてやると云つて來たのだ。それが爲めにだらう。﹁お前などの女房にならんでも、東京にはえい奧さんにしてやると云うて呉れる人がある﹂と、かの女は機嫌のいい時にはこちらをじらしてゐた。兎に角、かの女にはまたかの女相應の希望が私ひそかにできてるとも見えてゐる。こちらはただそれを根問ひする必要を認めてゐなかつたのみならず、そんなことがあらば自分の責任からかの女が自然に離れて呉れるから結構だとも考へてゐる。 ﹁ぢやア、お前は矢ツ張り美人のつもりかい?﹂ ﹁知らん! そんなこと聽かんでもえい!﹂ 渠がとう〳〵吹き出したので、かの女はふくれツつらになつてしまつた。 がらす窓からそとを見ると、ここでも白い物がちら〳〵降り出してゐた。やツと免のがれて來た札幌の、冷淡にも寒い光景が再び思ひ出された。この盛岡の少しでも賑やかな部分を散歩がてら見て來こようと考へてた心も、いつのまにかちぢこまつてしまつた。 北斗でもまた話しにやつて來るか知らんと心待ちに待つてるのだが、一向にそんなたよりもない。そのうちに晝めしも過ぎて、二時に近くなつた。電報の來ないのも氣がかりであつたが、なほ一層氣がかりに思はれて來たのは北斗のことであつた。ここの保證をして呉れたのは、昔教へてやつた關係を思つてだと見てしまつてもいい。が、それだけでこちらに對する自由な責任若しくは義務が盡きてるわけでもない。向ふから見ればたまにこの地へやつて來てゐるのだし、こちらから云へばこんなに寂しい所在なさに苦しんでるのだし、毎日でも、また日に何度でも、尋ねて來てもいいではないか? それがゆうべおそく歸つた切り、今になつても顏を見せない。ひよツとすると、ゆうべの憤りが氣になつたのではないか知らんとも考へられた。こんな場合に入らないことを云つてしまつた。今夜も來ず、そしてあすから見限られては、こちらは札幌を出た時よりもまた一段と見じめな状態ではないか? どちらからか金さへ來れば、それをここに殘して、渠はせめては自分だけでも早くここを去りたくなつた。 外套も持ち合はせぬ、粗末な背廣では疊の上が寒かつた。渠はかの女の着てゐるかけ蒲團のその上へ行つて、そのうへでだが、かの女と同じ方向になつた。 ﹁見ツともない、見ツともない!﹂斯う、やアわりしたかみがた口調で叫んだかの女は直ぐそツぽうを向いた。渠はそのかの女の顏を右の手で無理にこちらへ引き向け、 ﹁おい、美人﹂とからかひながら、その頬に接吻してやつた。可愛味がまんざら皆無でもなかつたのである。 ﹁‥‥‥‥﹂かの女も機嫌よく微笑した。そしてけさ新聞を讀んだ時の嬉しさをまだ忘れてゐなかつたのかして、﹁あの北斗も存外あぢを云ふ、なア――文章がうまい。﹂ ﹁ふ、ふん!﹂渠は鼻で返事をした切り、これには相手になれなかつた。自分のやつて來た、そしてこれからも亦やり直さうとする職業を、こんな無學な女にけがされた氣がしたからである。 すると、かの女はこれこそまた案外なことを云つた、 ﹁あたい、あの男を引ツ張つて見たろか知らん?﹂ ﹁‥‥‥‥﹂渠は暫らくぎツくりしてゐたうへでだが、﹁腦病がその爲めに目をまわしてしまふだらうツて!﹂ ﹁お前は好かん!﹂かの女はまた横を向いてしまつた。そして不平を籠めた聲と共にからだをゆすりながら、﹁人がまじめに物を云うてる時、いつも冷かしてしまふ!﹂ ﹁ぢやア﹂と、わざと目を大きく明いて、﹁今のもまじめで云つたのかい?﹂ ﹁さうやないけれど﹂と、再びこちらを向いて微笑にまぎらせながら、﹁さうして見たらどうするだろおもてん。﹂ ﹁だから、目をまわすと――。﹂ ﹁また――知らん!﹂かの女は今度は天井の方へその白しろ目めがちな目を向ける。 ﹁‥‥‥‥﹂可哀さうに、もとはこんなに心がすさんでゐやアしなかつたのにと、渠は少からず同情の念まで起した。北斗が十九であるとすれば、かの女は三つうへだ。まだ自分よりも年したな男をおもちやにして可愛がるほどの年とし増まごころになつてゐない筈だ。かの女が義雄の繼母をたよつて國を出て來た當座に、かの女とは一つしたの渠の弟をだまし込まうとしたと云ふ評判が專ら渠の家族中に在つたが、それをさへも渠はほんとうにしなかつた。そして今でもまさか信じてはゐないのだ。 日が暮れても北斗が訪ねて來て呉れないのに失望して、早くから床に這入つてると、札幌の氷峰からの手紙が屆いた。 ﹁電報見た。お困りの樣子はよく察せられますが、こちらも君の御出發の時に御存じの通りとても工面がつかぬ。他の友人はまたすべて君に多少の反感を持つたから、なほ更ら見込みがない。何とか外の方法を講じて、兎に角早く東京へ歸るやうにし給へ。多少はひどかつたとしても、前から分つてる病氣ではないか? 盛岡へ下車したのが君の一大失策だと思はれる。願はくはこの忠告を怒らないで、早くあとの始末を考へるやうに――どうぞ。﹂ 渠はかの女には見せないやうにして、先づ讀み終はつたが、直ぐびり〳〵と引き裂いて、 ﹁駄目だ﹂と、簡單に叫んだまま、それのもみくちやにしたのを枕もとへうツちやつた。 ﹁‥‥‥‥﹂かの女はそれを、仰向けのまま、からだを延ばして拾ひ取り、その皺を直してつぎ合はせようとしてゐたやうすだが、こちらは涙がこぼれるのを防ぐ爲め眼をつぶつてゐるので見えなかつた。 ﹁どうするの?﹂女も顫へ聲になつて、渠の胸をゆすつた。 ﹁‥‥‥‥﹂渠は胸がつまつてゐて、返事を與へなかつたが、からだがゆすれたと同時に、熱いのが兩眼を溢れて枕の方へ落ちた。 ﹁ええ、どうするの?﹂かの女は今一度ゆすつたので、 ﹁夜逃げでもする、さ!﹂渠はなほ皮肉に出たつもりであつたが、これも聲が顫へてゐた。 ﹁あたいは病氣ぢやないか?﹂ ﹁‥‥‥‥﹂もう、何邊となく何と云はれても、﹁あすまで待て﹂と叱りつけるより外に仕方がなかつた。 その翌日は寒い風に曇つてゐても、雪は降らなかつた。當日も晩めし頃になつて、仙臺から返事の手紙があつたが、これも駄目であつた。どうせ仙臺までの切符を買つてあるのなら、病人だけを置いて、先づ獨りでやつて來い。その上で兎も角も話を聽かうと云ふのであつた。 渠はいよ〳〵その氣になつた。いや、なぜそんな考へが初めから出てゐなかつたのだらうと悔いられた。かの女のやうすは、決してつき添ひを要するほどではない。半ば贅澤に札幌病院に這入つてたのと少しも違はないのである。考へて見ると、ここへ下りたのさへ――札幌の友人が云つて來た通り――失策であつたかも知れない。一番びツくりしたのは、かの女が大變に熱が出て、他の客の足もとへ物を吐いたことだが、これもただ汽車に醉つたのに過ぎなかつたではないか? 少しでも突然にからだが惡いと、自分からあせつてます〳〵これを惡い方に進めるのは、神經のつよいかの女の癖であつた。 ﹁風の關係は少しもありません。まだよく直らない子宮病の發作です﹂とは、かの女を初めてここで取り扱つた醫者の診斷であつたけれども――。 ﹁おれはちよツと北斗のうちへ行つて來る﹂と云つて、渠は晩めしがすむと突然立ちあがつた。 ﹁逃げやせん?﹂かの女の問ひはあんまり手まわしがよかつた。そして汽車の切符を渡して行けと云ふので、渠は素直にその通りにした。 ポケトには、まことに僅かのはした金しかないその洋服すがたも、自分ながら見すぼらしかつたが、さびしい暗い町を歩くには多少安心であつた。けれども、さして行くところはこの市の目ぬきの場所であるからして、自分の姿に比べては隨分賑やかであつた。 行き着いて見ると、北斗は店の用事で、きのふの朝から、汽車で當市を去る十里ばかりのところへ行つたとかで、留守だツた。まんざらこちらを見限つたわけでもないのが分つたけれども、そのおやぢも亦ゐなかつた。いま時分からは、いつも店にゐないと番頭が云ふのを見ると、矢ツ張り、もとからの巣が續いてるのだらうと思はれた。が、そんなことはこちらの構ふことでもなかつたし、結局、こちらが久し振りの面會をして、わざ〳〵恥ぢを見せないでもすむことが喜ばれた。 そして出て來た北斗の母に――奧へあがれと云はれたのを斷わつて――店で會ひ、自分だけは工面の爲めに仙臺に立つから、殘つてる病人をよろしく頼むと云ふ北斗への言ことづてを告げた。 そこを出てからも、鼻についたその店のかな物のにほひが今の渠には何よりもなつかしかつた。欲しい金錢のことは勿論、氷峰の雜誌社の前通りにあつた鐵工場や自分が樺太へ持つて行つた蒸し釜のことが思ひ出された。それに、また、自分が死んだ父の眞似をして芝にある家で梅の木の枝を刈つたはさみのことまでが――。 戻つて來てから、渠は初めてかの女にうち明けた、――かの女の枕もとにあぐらをかいて言葉和やはらかに、 ﹁おれはあすの朝仙臺へ出發するから、ね。﹂ ﹁あたいを置いて?﹂かの女は目を見張つて、ちよツと不安さうに見えた。 ﹁さうでもしなけりやア、工面ができないぢやアないか?﹂ ﹁仙臺なら、でける?﹂直ぐ優しくなつて、枕のうへで首をかしげた。 ﹁來てから話を聽かうと書いてあるから、ね。﹂ ﹁では、でけたら直ぐ送つておくれよ。﹂ ﹁無論、さ。﹂渠はこの自分の返事が本氣のやうで、また不眞面目にも自分に聽こえた。當てができさへすれば、無論、それを横取りして置くと云ふそんなさもしい不人情な考へは少しもなかつたけれども、できない場合には、もう、何としてもできないのだらうから、今どんな約束をして置いても無駄になることが分つてゐた。が、かの女はそこまで覺つてゐないのか、今夜に限つてさうくどくはなかつた。 ﹁では、行くことにしなはれ﹂と輕く云つて、少しも心配さうではなかつた。そして機嫌のいゝ顏で、﹁あんたの留守にあたいも手紙を書いて、看護婦に出してもろた。﹂ ﹁分つてるよ。﹂渠はかの女もこちらをあきらめて自分で工風をし出したのではないか知らんと推察した。 ﹁では、どこ?﹂ ﹁‥‥‥‥﹂東京の例のところへだとは直ぐ想像できたが、わざと方角を換へて、﹁美人と云つて呉れた感謝状よ。﹂ ﹁違ふ!――でも、あの人、をつて?﹂ ﹁ゐなかつた。十里ばかりさきの驛へ行つて留守だツた。﹂ ﹁いつ歸るの?﹂ ﹁あすにも歸るだらう。﹂ ﹁歸つたら、あたい獨りでも來て呉れるだろか?﹂ ﹁そりやア、頼んで來たから。﹂この言葉には少しも力が這入らなかつた。渠としては、その實、自分がゐなくなつた爲めにかの女までが追ツ拂はれさへしなければいいのだ。保證さへしてあれば、北斗自身がかの女を訪ねて來るには及ばない。向ふは放蕩をやり出したと自慢してゐる男だし、こちらは窮すれば身賣りも同樣のことを義雄やその友人にもして來た女だ。もとの生徒にもとの教師が女を取られたと云はれても、女をくツつけたと云はれても、どちらにしたツてこちらの恥辱ではないか――病氣が移るのは本人の勝手だとしてもだ! 最初にとまつた旅館へも渠は事のよしを云ひわけしに立ち寄ることを忘れなかつた。 仙臺へ來てからも、一番氣にかかつたのはかの女のところへ北斗がしげ〳〵訪問しやしないかと云ふことであつた。けれども來て見ると、お鳥の可なり久しい間の壓迫はこれを肩ぬけしたやうに思はれたが、矢ツ張り、金はできなかつた。友人は隨分長く或女學校の校長をしてゐるので、貯たくはへもできてるだらうと思へたのだが、子供も多い爲めにやツとかつ〳〵に暮して行つてるのであつた。樺太へ行きがけに立ち寄つた時にはお互にそんな話に觸れなかつたので分らなかつたが――。 どこへ行つても、自分のを初めとして、生活と云ふ物ほど眞面目なものはないと、義雄にはつくづく考へられた。そして、 ﹁好きなことをすれば、それ位の報いは來る、さ﹂と冷かされてしまつた。 ﹁矢ツ張り仙臺でもかねはできぬ。どうしても東京で工面するより仕かたがないから、直ぐまた出發して歸京するが、それまで待つてゐて貰ひたい﹂といふ手紙をかの女へ書いた。が、離れてゐると、さう云ふことを書くにも、もう、苦痛が餘ほどなくなつてゐた。 札幌に於ける宮さんのことなども報告して、久し振りに少し心を落ち附けて一泊してからも、云はれるままに今一と晩とまることにして、友人の出勤を玄關まで見送つた。この地には義雄が昔在學してゐた耶蘇教學校もあつて、舊友どもが多くそこの教師になつてるし、前に立ち寄つた時には、もとの外國教師から晩餐の招待を受けたけれども、急いでゐたので復かへりの時を約束して、その招待を斷わつた。が、今度、斯う云ふやうなざまをしては、とても顏出しする氣になれなかつた。 友人の母や細君を相手にしてその日の晝間を送つた。この細君はお宮さんと同樣既に六人の子供の母親になつてるが、その昔、義雄が熱心に求愛してゐたのを友人に横取りされたのであつた。そしてそのことを渠は豐平川の鐵橋のうへででも思ひ出した。が、お互ひに、もう、然し、そんなことを恥ぢ合ふ年ではなかつた。相當に高級の教育があつた筈のかの女だが、その所をつ天とに對する不平などを、矢ツ張り、一般の細君どものやうに述べ出した時、 ﹁ぢやア、僕と結婚してゐたらどうでしたらう。﹂などと、義雄は冗談を云つて見た。 ﹁そりやア、まだうちの○○の方がよかつたでしよう、ね――教育家だけに、放蕩はしませんから。あなたでは、わたしのやうな者は、もう、とツくに離婚されてたでしようよ。﹂ ﹁あなたも大抵にして放蕩はおやめなされよ﹂と、友人の母なる老婦人も義雄に忠告した。﹁もとはなか〳〵おとなしい眞面目な人であつたのですが、な。﹂ ﹁眞面目は今でも、おツ母さん、隨分眞面目なんですよ。﹂渠は自分のここにも誤解されてるのを矢ツ張り止むを得ないことに見て、正直な告白をする氣になつた。自分の死んだ實父でさへ死ぬまでもその子を誤解して行つたのだもの! 今や、外部の社會に對する反抗心のやうなものは影もなくなつて、ただ和やはらかな寂しい微笑をもらしながら、﹁お女郎にでも僕は札幌で本氣になつたんですから。﹂ ﹁はア、それでおかねをたんとお取られになつたのでしよう﹂と云はれた。﹁うちの健つアんも﹂と、前からこちらの耳には殘つてるこの老婦人のお國なまりが出て、﹁少しは遊んで見た方がよろしうござりますが――あれはまた堅過ぎて、奧さんばかりを毎日じり〳〵と叱つてて。﹂もとは、東京に於いて、その實子よりもと思はれるほどこちらを可愛がつて呉れたおツ母さんだ。どちらの子が行く〳〵はえらくなるだらうなんてくり返しながら、若いものが二人で親しく行き來するのを喜んでゐた人だ。 ﹁‥‥‥‥﹂その時のことに免じても、義雄は眞面目のそばへ不眞面目のかげを許し添はせて置くべきではないと云ふ氣になつた。その友人が相變らず克明にだがうまく世に處して行くのを考へて見てもだ。﹁今度こそ、おツ母さん、東京に歸つたら、もう、何をするにしても落ちつくつもりです。﹂ ﹁それがようございますよ﹂と、二人の婦人は口を揃へて賛成した。十八
渠は二十一二歳の頃に自分の母に死に別れた。そしてそれからはこの老婦人を一時じ實母のやうになつかしんだ。 まだ義雄の實母の存生中に、友人がその初めての戀人を親のゆるしを得て親の家へつれ込んでたことがあるが、義雄も亦そんなのを一度自分の家へつれて來て、 ﹁これが將來わたくしの妻になる約束ですから﹂と云つて、親に紹介までしたことがある。 ところが、友人のも渠のも、共に間もなく、別々な事情で駄目になつた。それを知つた渠の父はそれからと云ふもの渠の友人を嫌ひ、 ﹁あんな友人を持つてるから、義雄もその云ふことがいつもぐら〳〵して、當てにならん﹂と、怒つてた。そしてよく父と子との衝突があつたが、その間をよく取り爲なして呉れたのは、渠の實母であつた。 ﹁義雄にだツて、もう、自分の考へがあるでしようから。﹂ 今、渠はここに友人の母のその時代に於けるなつかしさを思ひ起すと共に、自分の亡き母のことも思ひ出された。別に學問とてはなかつたけれども、よく味かたになつて呉れた。渠は今ここに子供のやうになつて、珍らしくもしんみりした涙のこぼれるほど心の安靜をおぼえる。 渠はもと耶蘇新教から脱却して來た者だが、さきにこの仙臺に於いて、或る日、氣まぐれに天主教の會堂へ這入つて見ると、多くの婦人が純白のかつぎを着て式に列してゐた。そしてそれが年の若い渠を妙に刺戟して、おれは男子として一つ何でも大きな仕事をして見せねばならぬと考へさせた。今の心持ちは第二のそれである。友人の母も細君も、死んだ實母も、お鳥や札幌の敷島も、お宮さんも東京にとどまる自分の妻も、渠にはすべて今やいちやうに淨化して一緒に目の前に現はれ、純白のかつぎに不淨を遠慮した婦人どもであつた。そのうへを越えてキリスマのかをりが、その後ろにゐる自分の方までもして來て、それがきざはしの高い樂がく堂だうから落ちる荘嚴なオルガンの響きと調和したやうに、胸に自分の希望が悲しく痛くよみ返つてゐた。克明な點に於いてもここの友人に負けないやうに、自分の生活を根本からやり直して、矢ツ張り、文學と云ふ藝術を一生の仕事にしよう。早く東京へ、早く東京へ! その翌朝、友人から汽車賃と僅かの小使ひとを貰つて出發した。出發までは、何かお鳥からたよりがありはせぬかと心待ちにしてゐた。事件が起れば、いつにても電報をよこせと云つて、友人の番地を書き殘して來たのであつた。が、別に何もなかつたと見えて、音沙汰もなかつた、汽車のうへでは隅ツこに小さくなつて、自分で時間が分らないのも寂しかつた。時計がないので。 渠は自分の東京なる麻布の家に到着して見ると、當然豫期はしてゐながらも、あまり荒れてゐるのに驚いた。親ゆづりで自分の所有に落ちた建て物を事業費調達の爲めに抵當に入れても、なほ不足した分は僅かに短い期限の信用借りで間に合はせた。その期限に當てが違つたので、何でも賣つてできることをしろと命令してあつた。ところが、自じよ用うの部屋々々が――書齋を初め――殆どからツぽになつてたばかりでなく、亡父から引き繼いだ下宿客の多くも大抵は見限つてしまつてた。そのうへにも三名の子供はその父の突然に歸つたのを珍らしがつて、順ぐりにこわ〴〵見に來るばかりで、こちらがみやげも呉れず見すぼらしい樣子をしてゐるのを孰いづれも皆輕蔑してゐるやうであつた。 ﹁お父とツさんは馬鹿だから、ね、あんな女に迷つて﹂と、渠等の母が以前に時々狂ひ出したそのざまを、その後も、書物若しくは家財を賣り拂ふ時やいろ〳〵考へ込む時などに、また繰り返してゐたに相違ないことが想像された。それが爲めに、仙臺からつづけて來たところの清淨なそして落ち附いた考へがまたひツくり返りかけた。 ﹁‥‥‥‥﹂それまでは一册だツて賣ると云ふことをしたおぼえのない書物の目ぼしいのがすべて無くなつて、明きばかり多くなつてる書棚を背にして、あはれな自分の書齋に於いて歸つたままの勞れたからだにあぐらをかかせた。そしてこのあはれな書齋に今や自分の書きためて來た長論文のあるのがせめてもの心だのみだと思はれる。成るべく心のいら立ちを押さへてじツとして見た義雄は、出ようとする涙を無理に鼻で噛み殺して、自分の過ぎたこと、これからのことをその場に無理にも吸收しながら、自分の心に語つた――おれは女に迷つて家を抵當にしたのぢやアなかつた。やがて四十の坂を越えようとするのに、いまだに人並みの金もできないのを殘念に思つて、新らしい事業に手を出した。けれども、失敗したのはおれに取つておれその物の事業の第一歩であつた。その第二歩は實際にこれからだ、と。 疲れてはゐるが、一と眠りもしないで、そのまま、また家を出た。 さして行つたのは小石川なる▽▽と云ふ友人で、文學も好きであるが、その本職は別にあつて、月々の收入も一般地方の知事以上にはなつてる。先づ、それを心當てにするのであつた。 ﹁やア、歸つたか、ね﹂と云つて出迎へて呉れたその人は、直ぐ言葉を繼いで、﹁丁度いいところだ。今、○○會をやつてるから上り給へ。﹂その會とは二三年前に死んだ文學者○○を記念する會だから、集つてる人々は義雄にもおよそ分つてゐた。 ﹁それもいいが、ちよツとその前に話があつて來たのだが――﹂ ﹁ぢやア﹂と云つて、先づ別室に案内され、こちらの事情を語つて見たけれども、向ふも近來あまり遊び過ぎて借金に苦しんでゐるからとの理由で、物にならなかつた。 會に列席の人々は、文學者でも畫家でも皆、義雄に多少の知り合ひであつた。いづれも苦勞のなささうに、景氣よく飮んでるのを見ると、然し、渠が僅かの間地方に行つてて自分でかち得て來たその考へとは大いにそぐはなかつた。そして都會生活と田舍生活とは、その傾向が浮華であると實着であるとの點に於いて、こんなにも違ふものであつたらうかと、今更らの如く思はれた。 それだけ自分が田舍くさくなつてる證據にも見えたので、努めて盃をかさねたけれども、不斷は二三杯で醉ひが出るものであるのに、なか〳〵醉へなかつた。そして自分には歸京第一に處分すべき者としてお鳥のことばかりが氣になつてた。が、連中には同じ藝術家と云つても文學の方面でないもの等があつて、そのうちから、こちらのしをれた姿を見て侮蔑し、それとなく反感を與へるやうなことを云つたのもある。 渠はそれが最も氣に喰はなかつたうへに、もう、大分夜が更けてたのを知つて、誰れよりもさきに失敬した。若し主人がひまであつたら、金談のことは別としても、自分のこの最近のことを共に語り明してもいいと云ふつもりであつたのに! 東京の夜も既に思つたよりもなか〳〵寒くなつてゐた。 電車のうへでもふるへる身を押しかかへながら、今夜は歸つて來ないかも知れぬと獨りぎめをして出た家へ再び歸つて見ると、渠の蒲團は――それでもこれだけは殘してあつたかして――空虚のやうな書齋に取つてあつた。 やがてなまぬるい茶を入れて來た妻は、 ﹁あとで來ますから、ね﹂と、押しつけるやうに云つた。﹁‥‥‥‥﹂渠はぎよツとして返事をしなかつた。こちらも、當分は、或は二年なり五年なり、歸りたくないと云つてよこしたのだが、かの女ぢよも例のやき〳〵した口調で、歸らないなら歸らないでもいい、あなたのやうな人は子供までがさう云つてますと云ふ、最後の手紙をこちらへほうり附けた切りであつたのだ。 かの女はあとでやつて來たが、渠が口さへもきかず眠つたふりをしてゐたので、暫らくしてから矢張り無言でその手あしをぷり〳〵怒らせて出て行つてしまつた。その顏が――晝間の印象では――見るもいやなほど頓とん狂けふに痩せてる割りには、その他の部分はさうでもないらしかつたが――。 そのあとで渠の心が獨りでに亂れて來て、最近には珍らしくもいろ〳〵に狹いことを見えない天井に向つて考へながら、神經だけが段々にその方へさえて行つたそのくら闇のかた隅に當つて、大きく頓狂なうなり聲が聽き取れた。妻の寢室からであつたやうだ。自分も思ひ出すと、若い時に特に大きくうなされたことがある。驚いて來た父に手を引ツ張られながらも、なほ暫らくは夢がさめなかつた。戀に心配して大分に神經がよわつてた時のことだ。が、自分よりなほ三つも年うへな妻が近頃毎晩のやうに、若しくはたまにでも、うなされてあんな見ツともない聲を出してゐるのだらうかと思ふと、こちらは何よりもあはれにも又あさましくもなつた。 自分も斯く疲れ切つてる状態に在るところだから、若し無意識になつてる間に、いつ、どんな聲を擧げて、これまでやつて來たことをしやべらないとも限らない。眠ると云ふことが自分には恐ろしかつた。 その翌朝は、かのお鳥に別れてから三晩目の朝であつたが、渠は久し振りの机に向つて、自分が唯一の生命として持ち歸つて來たところの書きかけの原稿を、ずツくのかばんから出して見た。乃ち、例の自分獨得の哲學論で、札幌に於いて既に六十枚ばかりを書いてあつた。これでも早く書き上げて取れる原稿料で、お鳥の處分をするより外に道がなかつた。 けれども、若しかの女ぢよが盛岡に於いてかの北斗にでも關係がつくと、もう、こちらは――恥辱とは思ふが――責任のがれになるのであつた。 ところが、案外にも別なことでかの女から無責任になることができた。かの女に當てた電報がこちらへ郵便で送り返されて來たので分つたのだが、さし出し人は東京のものである證據には、﹁小石川﹂局受け付けになつてあつて、 ﹁チチ、キウベウ、マサル、スグカヘレ﹂と。 ﹁‥‥‥‥﹂義雄はこれに向つて俄かにまたむら〳〵と忘れかけてた憤りを發した。思ふに、こちらを出し拔いて、あの﹁あたいも手紙を書いた﹂と云つたその手紙で、かの女はこのマサルと云ふ者――多分、同級の寫眞生徒なる男だらう――を呼び寄せたのだ。この男が出かけて行つて、少くとも接吻などし合つたうへで、向ふをとも〴〵に出發したあとへ、この電報が屆いた。實際にそのおやぢの病氣か、それとも、女を迎へるのに不同意の爲めの手段か、どちらにしても男の親はその子がかの女のもとへ行つたのは知つてたに違ひない。當て名をかの女にしてあるが、電報が屆いた時には既に二人はそこを出發してゐたので、それが病院から一と先づ北斗の手に渡つて、それからこちらへ郵便で回送された。それにしても、北斗が金のことを云はず、ただ電報だけを封書でまわして來たのは、拂ひがすべて濟んだからであらう。 かう考へて來ると、渠の心はまたおだやかになつて、肩のおも荷をすツかりおろせたと云ふ氣であつた。嚴密に云へば、この一ヶ年半ばかりを、自分を苦しめたりまた自分の利益になつたりしたところの憑き物が、今や落ちてしまつたのだと思へた。 絶えず壓迫を感じてゐた心が俄かにすツかり輕くなつたので、一方では自分の心がぽかんとした。何となく物足りなかつた。矢ツ張り、嫉妬なり皮肉なりがつよかつた方がいいやうでもある。 けれども、いよ〳〵生活を一新するのはこの時であつた――お鳥は向ふから離れて呉れたし、今度は前々から考へてた通り、妻とその同類なる子供とにここの家業をもツと改良させて與へたうへ、離婚してしまひさへすれば、もう、占めたもので――自分は自分ばかりであらう。 けれども、また、この心のゆるみで久しい間の疲れが一ときに出て來た。あたまのしんから眠氣がからだを投げ飛ばしさうに動くと同時に、そのからだ中に風かざ氣けか何ぞの熱が籠つてるやうになつた。 とても筆が運べないので、自分で蒲團を引き出して、朝から再び床に這入つた。そしてぐツすり寢込んでしまつたので、いつ日が暮れたか知らなかつた。十九
その翌朝、また面白い手紙が屆いた。おもてには差し出し人の名が書いてないので、妻も却つて直ぐそれと察したのだらう。
﹁あなたはまたあの女をつれて歸つて來たのですか﹂と叫びながら、いや、寧ろわめきながら、かの女ぢよはこちらの寢てゐる室へ這入つて來た。そしてその所をつ天との枕もとへ無作法にばたりと坐わつて、その手紙を突き出した。こちらはこの相變らずの氣違ひじみたがさつを嫌つてたのだ。そして今またこれを見ると、起きようと思つてたのさへ中止してしまつた。これがなほ一つ殘つてるところの憑き物ではないか? この妻が?
手紙の文面には、
﹁只今歸京致しまして、おもて書きの﹂と書いたのを、そのおもて書きのだけ塗り消して、﹁上野停車場前の○○と云ふ宿屋にをります。待つてますから、この手紙着つき次第直ぐ來て下さい﹂とある。
﹁何をまだ云やアがるんだい!﹂渠は仰向いて讀んでゐたのだが、それをほうり投げてかの女が手に拾ひ取るにまかせた。それから、くるりと腹這ひになつて、お鳥その者に命じつけるかの如く荒ツぽく、﹁そのかばんを出せ!﹂
﹁いろんな祕密が這入つてるんでしよう?﹂かの女は棄てぜりふでかばんを引き寄せた。手紙を渡してやつたに對しては少し安心したかして、齒ぐきまで出していやに笑つてる。こちらは曾てそこをお鳥の故を以つてなぐり附け、妻のその出ツ齒を血に染めさせたこともある。
﹁明けろ﹂と云つて、渠は鍵を投げた。
﹁‥‥‥‥﹂かの女は物欲しさうに明けて見てから、﹁おや〳〵、おみやげ一つ這入つてないのです、ね――子供が待つてますのに?﹂
﹁親を親とも思はせてない子だ――どいつにも、こいつにも!﹂
﹁あなたがよくないからですよ。﹂
﹁馬鹿を云へ! 手めへの云つて聽かせかたが惡いんだ!﹂
まだぐづ〳〵その中をのぞいてるので、渠は手を延ばしてそれを奪ひ取り、その中から封筒と盛岡からまわつて來た電報とをぬき出し、この二つをかの女の膝の上に投げた。
﹁あの女にやる手紙をわたしに封じさせるのですか?﹂かの女はまた顏いろを變へて、勘ちがひにこちらのさきを越し、身を振はせてこちらへ飛び附きさうな構へをした。
﹁また、もう、般はん若にやの面めんか? 讀んで見れば分る!﹂兩手を疊の上に張つて、渠は自分のあたまを擧げると同時に、うつ伏しの胸を反らせてかの女の恨めしさうな顏をにらみ附けた。が、自分の本意では、以後お鳥とは最後にさうしたわけで全く無關係になると云ふことだけは見せて置きたかつたのである。
﹁‥‥‥‥﹂妻は眞がほになつて電報を讀んで見てから、これを封筒に入れた。そして今度はまた凄いほどのあざ笑ひになつて、﹁だから、だまされてると云ふのですよ。﹂
﹁默れ――口かずが多い! 讀んどきさへすりやアいいんだ!﹂渠はその中味のできた封筒をかの女から取り上げ、自分で封をして、鉛筆で以つて上野の宿屋かたの宛て名を書き、おもて裏には自分の姓をひら假名で出したばかりだ。そして私ひそかに無言の縁切り状、最も安い手切金だと思つた。
﹁向ふもさぞびツくりするでしようよ――わるだくみがばれてしまつて。﹂
﹁手めへは何も云ふ資格がないんだ! 早く出させろ!﹂
まだ何かぐづ〳〵云ひながらかの女が封書を以つて室を出て行つたあとで、渠はまた蒲團にもぐり込んで、再び仰向けになつた。そして自分が舊ふるい責任と云ふ責任をすべて果し得て新たに活動し初めるその勇ましい姿のかたわらに、お鳥が今の縁切り状を受け取つてその大きな口――よくあまえても憎まれ口を云つたその口――をぽかんとあけてるのを空くうにゑがいて見詰めてゐた。