元日
雑ぞう煮にを食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾かたむきがある。あとのものは皆和服で、かつ不ふだ断ん着ぎのままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証しょ拠うこである。自分も一番あとで、やあと云った。 フロックは白い手ハン巾ケチを出して、用もない顔を拭ふいた。そうして、しきりに屠と蘇そを飲んだ。ほかの連中も大いに膳ぜんのものを突つッついている。ところへ虚きょ子しが車で来た。これは黒い羽織に黒い紋もん付つきを着て、極きわめて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能のうをやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡うたいませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。 それから二人して東とう北ぼくと云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖あい昧まいである。その上、我ながら覚おぼ束つかない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来謡うたいのうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素しろ人うとでも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。 すると虚子が近来鼓つづみを習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所しょ望もうしている。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃はやしの何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬ざん新しんという興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七しち輪りんを持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙あぶり始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾はじいた。ちょっと好い音ねがした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒おを締しめにかかった。紋もん服ぷくの男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品ひんが好い。今度はみんな感心して見ている。 虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱かい込こんだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見けん当とうがつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで掛かけ声ごえをいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇ねんごろに説明してくれた。自分にはとても呑のみ込こめない。けれども合がて点んの行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領りょ承うしょうした。そこで羽はご衣ろもの曲くせを謡い出した。春はる霞がすみたなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩くずれるから、萎いび靡いん因じゅ循んのまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓つづみをかんと一つ打った。 自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な悠ゆう長ちょうなものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓こま膜くを動かした。自分の謡うたいはこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威おど嚇かした。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。 それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓つづみに、自分の謡を合せて、めでたく謡うたい納おさめた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶くさした末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦じゅ袢ばんの袖そでがぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞ほめている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。蛇
木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足あし迹あとの中に雨がいっぱい湛たまっていた。土を踏むと泥の音が蹠あし裏のうらへ飛びついて来る。踵かかとを上げるのが痛いくらいに思われた。手てお桶けを右の手に提さげているので、足の抜ぬき差さしに都合が悪い。際きわどく踏ふみ応こたえる時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放ほうり出だしたくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据すえてしまった。危あやうく倒れるところを手桶の柄えに乗のし懸かかって向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑みのを着た肩の後うしろから、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被かぶった笠かさが少し動いた。笠のなかからひどい路みちだと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。 石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から推おされて来る。不ふだ断んは黒くろ節ぶしの上を三寸とは超こえない底に、長い藻もが、うつらうつらと揺うごいて、見ても奇きれ麗いな流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨が叩たたく、真中を渦うずが重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、 ﹁獲とれる﹂と云った。 二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの迹あとを跟つけて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人淋さびしく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は茶ちゃ壺つぼの葢ふたのように暗く封じられている。そのどこからか、隙すき間まなく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見える貴きお王うの森もりにあたる音も遠くから交って来るらしい。 森の上には、黒い雲が杉の梢こずえに呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それが自じね然んの重みでだらりと上の方から下さがって来る。雲の足は今杉の頭に絡からみついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。 気がついて足元を見ると、渦うずは限かぎりなく水みな上かみから流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に勢いきおいづいたように見える。叔父さんはまた捲まく渦を見守って、 ﹁獲とれる﹂とさも何物をか取ったように云った。やがて蓑みのを着たまま水の中に下りた。勢いの凄すさまじい割には、さほど深くもない。立って腰まで浸つかるくらいである。叔父さんは河の真中に腰を据すえて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担かついだ網をおろした。 二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰かっ好こうを眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄すごい水の色を見つめていた。水は固もとより濁っている。上うわ皮かわの動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬まばたきもせずに、水みず際ぎわまで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。 雨あま脚あしはしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋もんは劇はげしく水みな上かみから回めぐって来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模もよ様うが見えた。瞬まばたきを容ゆるさぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻うなぎだなと思った。 途とた端んに流れに逆さからって、網の柄えを握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで弾はね返かえるように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たい縄なわのような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと鎌かま首くびを一尺ばかり持上げた。そうして持上げたまま屹きっと二人を見た。 ﹁覚えていろ﹂ 声はたしかに叔父さんの声であった。同時に鎌かま首くびは草の中に消えた。叔父さんは蒼あおい顔をして、蛇へびを投げた所を見ている。 ﹁叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか﹂ 叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。泥棒
寝ようと思って次の間へ出ると、炬こた燵つの臭においがぷんとした。厠かわやの帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻さいに注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半はん鐘しょうの音も耳に応こたえなかった。熟睡が時の世界を盛もり潰つぶしたように正体を失った。 すると忽こつ然ぜんとして、女の泣声で眼が覚さめた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼うろ狽たえるといつでも泣声を出す。この間家うちの赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が湯ゆ気けに上あがって、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。啜すすり上あげるようにして早口に物を云う。訴えるような、口く説どくような、詫わびを入れるような、情じょ人うじんの死を悲しむような――とうてい普通の驚きょ愕うがくの場合に出る、鋭くって短い感かん投とう詞しの調子ではない。 自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに妻さいの寝ている、次の部屋から出る。同時に襖ふすまを洩もれて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける瞼まぶたの裏に、この光が届くや否や自分は火事だと合がっ点てんして飛び起きた。そうして、突いき然なり隔へだての唐から紙かみをがらりと開けた。 その時自分は顛ひっ覆くり返かえった炬こた燵つを想像していた。焦こげた蒲ふと団んを想像していた。漲みなぎる煙と、燃える畳たたみとを想像していた。ところが開けて見ると、洋ラン灯プは例のごとく点ともっている。妻と子供は常の通り寝ている。炬こた燵つは宵よいの位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。 下女は妻の蒲団の裾すそを抑おさえるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、敷しき居いぎ際わに突つっ立たったまま、ぼんやり部屋の中を見みま回わした。途とた端んに下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に這は入いるや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を大おお股またに横切って、次つぎの間まに飛び出しながら、何だ――と怒ど鳴なりつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚外はずれて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人の住すま居いの奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。素すあ足しのまま板の間へ出て台所の流なが元しもとまで来て見ると、四あた辺りは寂しんとしている。表を覗のぞくと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。 引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も窃とられやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、箪たん笥すの前に翳かざした。観かん音のん開びらきが取とり外はずされている。抽ひき斗だしが明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者の薬やく礼れいその他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いて縁えん側がわの方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。 そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に小こよ用うに起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼が冴さえていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、十とおになる長女は、泥棒が台所から這は入いったのも、泥棒がみしみし縁えん側がわを歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお房ふささんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ這は入いって寝た。 明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、朝あさ食めしをやっていると、台所で下女が泥棒の足あし痕あとを見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。面めん倒どうだから書斎へ引き取った。引き取って十分も経たったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が格こう子しの前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。戸とじ締まりは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締しまりが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘くぎを差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇あってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不ふと取りし締まりな主人であるような心持になった。 巡査は台所へ廻った。そこで妻さいを捉つらまえて、紛ふん失じつした物を手帳に書き付けている。繻しゅ珍ちんの丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから…… 下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹はら合あわせもいっこう知らない。すこぶる単たん簡かんな面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると〆しめて百五十円になりますねと念を押して帰って行った。 自分はこの時始めて、何を窃とられたかを明めい瞭りょうに知った。失なくなったものは十点、ことごとく帯である。昨ゆう夜べ這入ったのは帯泥棒であった。御正月を眼前に控ひかえた妻は異いな顔をしている。子供が三さん箇がに日ちにも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。 昼過には刑事が来た。座敷へ上あがっていろいろ見ている。桶おけの中に蝋ろう燭そくでも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の小こお桶けまで検しらべていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。 泥棒はたいてい下谷、浅草辺あたりから電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていは捉つかまらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。機きみ密つ費ひは警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。 出でい入りのものを呼んで戸締りを直そうと思ったら生あや憎にく、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった。仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである。自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手に取とり締しまるべきものであると警察から宣告されたと一般だからである。 それでも昨きの日うの今きょ日うだから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕に就ついた。するとまた夜中に妻さいから起された。さっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云う。なるほどがたがたいう。妻はもう泥棒が這は入いったような顔をしている。 自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、隔へだての襖ふすまの傍そばまでくると、次の間では下女が鼾いびきをかいている。自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立った。ごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入口である。暗いなかを影の動くように三みあ歩しほど音のする方へ近ちかづくと、もう部屋の出口である。障しょ子うじが立っている。そとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てた。やがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、戸とだ棚なの奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常の所しょ作さをして、妻の部屋へ帰って来た。鼠ねずみが何か噛かじっているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。 朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った鰹かつ節ぶしを、膳ぜんの前へ出して、昨ゆう夜べのはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中無むざ惨んにやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、鰹おか節かをしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。柿
喜きいちゃんと云う子がいる。滑なめらかな皮ひ膚ふと、鮮あざやかな眸ひとみを持っているが、頬ほおの色は発育の好い世間の子供のように冴さえ々ざえしていない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御おっ母かさんがあまり可かわ愛いがり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女おん髪なか結みゆいが評した事がある。御母さんは束髪の流は行やる今の世に、昔風の髷まげを四日目四日目にきっと結ゆう女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付づけにして呼んでいる。このお母っかさんの上に、また切きり下さげの御お祖ば母あさんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御おこ琴との御おけ稽い古こに行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。 喜きいちゃんは、これがために滅めっ多たに表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩しお煎せん餅べい屋やがある。その隣に瓦かわ師らしがある。少し先へ行くと下げ駄たの歯入と、鋳いかけ錠じょ前うま直えなおしがある。ところが喜いちゃんの家うちは銀行の御役人である。塀へいのなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯かれ松まつ葉ばを一面に敷いて行く。 喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御おっ母かさんや、御お祖ば母あさんが張はり物ものをする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向むこ鉢うは巻ちまきの男が臼うすを担かついで来て、餅もちを搗つく所である。それから漬つけ菜なに塩を振って樽たるへ詰込む所である。 喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相手にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事がある。その時は浅い生いけ垣がきの間から、よく裏の長屋を覗のぞき込む。 長屋は五六軒ある。生垣の下が三四尺崖がけになっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よく見みお下ろすようにできている。喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出る辰たつさんが肌を抜いで酒を呑のんでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す。大工の源げん坊ぼうが手てお斧のを磨といでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほか喧けん嘩かをしててよ、焼やき芋いもを食べててよなどと、見下した通りを報告する。すると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う。喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。 喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊の倅せがれの与吉と顔を合わす事がある。そうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧けん嘩かになってしまう。与吉がなんだ蒼あおん膨ぶくれと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、と軽さげ侮すむように丸い顎あごをしゃくって見せる。一遍は与吉が怒って下から物もの干ほし竿ざおを突き出したので、喜いちゃんは驚いて家うちへ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸で奇きれ麗いに縢かがった護ゴム謨ま毬りを崖がけ下したへ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった。御返しよ、放ほうっておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って突つっ立たっている。詫あやまれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、裁しご縫とをしている御母さんの傍そばへ来て泣き出した。御母さんはむきになって、表おも向てむきよしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。 それから三日経たって、喜いちゃんは大きな赤い柿かきを一つ持って、また裏へ出た。すると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った。与吉は下から柿を睨にらめながら、なんでえ、なんでえ、そんなもの要いらねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めた。すると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、擲なぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した。欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。 こんな問答を四五遍繰くり返かえしたあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した。与吉は周あわ章てて、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた。 その時与吉の鼻の穴が震ふるえるように動いた。厚い唇くちびるが右の方に歪ゆがんだ。そうして、食いかいた柿の一いっ片ぺんをぺっと吐いた。そうして懸命の憎ぞう悪おを眸ひとみの裏うちに萃あつめて、渋しぶいや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放ほうりつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい食くい辛しん抱ぼうと云いながら、走かけ出だして家うちへ這は入いった。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。火鉢
眼が覚さめたら、昨ゆう夜べ抱だいて寝た懐かい炉ろが腹の上で冷たくなっていた。硝ガラ子スど戸ご越しに、廂ひさしの外を眺めると、重い空が幅三尺ほど鉛なまりのように見えた。胃の痛みはだいぶ除とれたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨きの日うの雪がそのままである。 風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍こおり着ついて、栓せんが利きかない。ようやくの事で温おん水すい摩まさ擦つを済まして、茶の間で紅茶を茶ちゃ碗わんに移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は一おと昨と日いも一日泣いていた。昨日も泣き続けに泣いた。妻さいにどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようである。けれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る。時によると小こに悪くらしくなる。大きな声で叱しかりつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする。一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃は朝あさ飯めしを食わぬ掟おきてにしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ退しりぞいた。 火ひば鉢ちに手を翳して、少し暖あったまっていると、子供は向うの方でまだ泣いている。そのうち掌てのひらだけは煙けむが出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒い。ことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた。少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それが刺とげにでも触さわったほど神経に応こたえる。首をぐるりと回してさえ、頸くびの付根が着物の襟えりにひやりと滑すべるのが堪たえがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中に竦すくんでいた。この書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、絨じゅを敷いて、普通の畳たたみのごとくに想像して坐っている。ところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が剥むき出だしに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、竦すくんでいると、男の子がまだ泣いている。とても仕事をする勇気が出ない。 ところへ妻さいがちょっと時計を拝借と這は入いって来て、また雪になりましたと云う。見ると、細こまかいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る。 ﹁おい、去年、子供の病気で、煖スト炉ーブを焚たいた時には炭代がいくら要いったかな﹂ ﹁あの時は月つき末ずえに廿八円払いました﹂ 自分は妻の答を聞いて、座ざし敷き煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置に転ころがっているのである。 ﹁おい、もう少し子供を静かにできないかな﹂ 妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。 ﹁お政まささんが御おな腹かが痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか﹂ お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから促うながすように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。襖ふすまを閉たてるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。 まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人の作さくを手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に堆うずたかく積んである。この一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくる。その上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いである。けれども、どう考えても、寒くて億おっ劫くうで、火ひば鉢ちから手を離す事ができない。 すると玄関に車を横付けにしたものがある。下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢の傍そばに竦んだまま、上うわ眼めづ遣かいをして、這は入いって来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った。長沢は懐ふと中ころから手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である。長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがない。いっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、手てぬ拭ぐいを提さげて玄関へ出かかると、御ごめ免んく下ださいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出した。そのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出した。とうとう湯に行った。 湯から上ったら始めて暖あったかになった。晴せい々せいして、家うちへ帰って書斎に這入ると、洋ラン灯プが点ついて窓まど掛かけが下りている。火鉢には新しい切きり炭ずみが活いけてある。自分は座ざぶ布と団んの上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云って蕎そ麦ば湯ゆを持って来てくれた。お政さんの容よう体だいを聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。 妻さいが出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜よである。泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎そ麦ば湯ゆを啜すすりながら、あかるい洋ラン灯プの下で、継つぎ立ての切きり炭ずみのぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い火かっ気きが、囲われた灰の中で仄ほのかに揺れている。時々薄青い焔ほのおが炭の股またから出る。自分はこの火の色に、始めて一日の暖あた味たかみを覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。下宿
始めて下宿をしたのは北の高台である。赤あか煉れん瓦がの小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅ポンドの宿しゅ料くりょうを払って、裏の部屋を一ひと間ま借り受けた。その時表を専せん領りょうしているK氏は目下蘇スコ格ット蘭ランド巡遊中で暫しばらくは帰らないのだと主婦の説明があった。 主婦と云うのは、眼の凹くぼんだ、鼻のしゃくれた、顎あごと頬の尖とがった、鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年とし恰かっ好こうの判断ができないほど、女性を超越している。疳かん、僻ひがみ、意地、利きかぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄もてあそんだ結果、こう拗ひねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。 主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸ひとみをもっていた。けれども言語は普通の英イギ吉リス利じ人んと少しも違ったところがない。引き移った当日、階し下たから茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人差さし向むかいに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に淋さびしい水仙が活いけてあった。主婦は自分に茶だの焼トー麺ス麭トを勧すすめながら、四よも方や山まの話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、仏フラ蘭ン西スであるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、後うしろの硝ガラ子スび壜んに挿さしてある水仙を顧かえりみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通り奇きれ麗いでないと教えたつもりなのだろう。 自分は肚はらの中でこの水仙の乏とぼしく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の褪さめた血の瀝したたりとを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼の裏うちには、幾いく年ねんの昔に消えた春の匂においの空むなしき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先を遮さえぎって、二三句続け様ざまに、滑なめらかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った咽の喉どから、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。 その夕、晩ばん餐さんの時は、頭の禿はげた髯ひげの白い老人が卓に着いた。これが私の親おや父じですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙な言こと葉ばづ遣かいをする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、倫ロン敦ドンへ落ちついたものだなと合がて点んした。すると老人が私は独ドイ逸ツじ人んであると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少し見けん当とうが外はずれたので、そうですかと云ったきりであった。 部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に懸かかってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は腫はれ上あがったように膨ふくれている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が寝ねこ転ろんで、細い眼が二つ着いている。南なん亜あの大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちの眸ひとみに映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が和わ気きを欠いている。歯が利きかなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘も阿おや爺じに対するときは、険けん相そうな顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。 翌日朝飯を食いに下りると、昨ゆう夕べの親子のほかに、また一人家族が殖ふえている。新しく食卓に連つらなった人は、血色の好い、愛あい嬌きょうのある、四十恰がっ好こうの男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。mマyイ bブrラoザtーher と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらい顔かお立だちが違っていた。 その日は中ちゅ食うじきを外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ這は入いると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人煖スト炉ーブの横に茶器を控ひかえて坐すわっていた。石炭を燃もやしてくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりのに照らされた主婦の顔を見ると、うすく火ほ熱てった上に、心持御おし白ろ粉いを塗つけている。自分は部屋の入り口で化粧の淋さびしみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼めづ遣かいをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。 主婦の母は、二十五年の昔、ある仏フラ蘭ンス西じ人んに嫁とついで、この娘を挙あげた。幾年か連れ添った後のち夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び独ドイ逸ツじ人んの許もとに嫁いだ。その独逸人が昨ゆう夜べの老人である。今では倫ロン敦ドンのウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。一ひとつ家うちにいても、口を利きいた事がない。息むす子こは夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで足たび袋は跣だ足しになって、爺おやじに知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前に失なくなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな阿おや爺じの手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をして小こづ遣かいを拵こしらえるのである。アグニスは―― 主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見た息むす子この顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスは焼トー麺ス麭トを抱かかえて厨くりやから出て来た。 ﹁アグニス、焼トー麺ス麭トを食べるかい﹂ アグニスは黙って、一いっ片ぺんの焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。 一箇月の後のち自分はこの下宿を去った。過去の匂い
自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇スコ格ット蘭ランドから帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫ロン敦ドンの山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名な乗のり換かわした事がないので、身分も、素すじ性ょうも、経歴も分らない外国婦人の力を藉かりて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張って膏あぶらの脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。 自分は老令嬢の態度が、いかにも、厳おごそかで、一種重要の気に充みちた形式を具えているのに、尠すくなからず驚かされた。K君は自分の向むこうに立って、奇きれ麗いな二ふた重えま瞼ぶちの尻に皺しわを寄せながら、微笑を洩もらしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋さびしみを感じた。幽霊の媒ばい妁しゃくで、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音に半なかば頭こうべを回めぐらした。 老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしい絨じゅが敷いてあって、白しら絹ぎぬの窓まど掛かけが下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している。何より嬉うれしいのは断えず煖スト炉ーブに火を焚たいて、惜おし気げもなく光った石炭を崩くずしている事である。 これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の料りょ理うり店やへいっしょに出かけた。勘かん定じょうは必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた。家うちにいると、海えび老ち茶ゃの繻しゅ子すに花鳥の刺ぬい繍とりのあるドレッシング・ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶ汚よごれて、見みと共もない始末であった。K君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。 二週間の間K君と自分とはいろいろな事を話した。K君が、今に慶けい応おう内ない閣かくを作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共に枢すう機きに参する権利を失うところであった。 こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が噂うわさに上のぼる事があった。するとK君はいつでも眉まゆをひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番可かわ愛いそ想うだと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと麺パ麭ンを持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても蒼あお褪ざめた顔をして、大きな潤うるおいのある眼でちょっと挨あい拶さつをするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。 ある時自分は、不愉快だから、この家うちを出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている身から体だだから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をした。その時K君は地中海の向むこ側うがわへ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。 自分が下宿を出るとき、老令嬢は切せつに思いとまるようにと頼んだ。下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった。 二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た。当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北の果はてまで推おしかける時間がなかった。一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。 表二階の窓から、例の羽はぶ二た重えの窓掛が引ひき絞しぼったまま硝ガラ子スに映っている。自分は暖かい煖スト炉ーブと、海えび老ち茶ゃの繻しゅ子すの刺ぬい繍とりと、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段を駆かけ上あがるように敲ノッ子カーをとんとんと打った。戸の向むこ側うがわに足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとする途とた端んに、戸が自じね然んと開あいた。自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、詫わびるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わした。その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分の嗅きゅ覚うかくを、稲いな妻ずまの閃ひらめくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似た息むす子こと、息子の影のようなアグニスと、彼らの間に蟠わだかまる秘密を、一度にいっせいに含んでいた。自分はこの匂を嗅かいだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄の裏うちに認めた。自分は二階へ上がってK君に逢あうに堪たえなかった。猫の墓
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠やせて来た。いっこうに小供と遊ぶ気けし色きがない。日が当ると縁えん側がわに寝ている。前足を揃そろえた上に、四角な顎あごを載せて、じっと庭の植うえ込こみを眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍そばで騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食めしを、台所の隅すみに置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒おこる様子もなかった。喧けん嘩かをするところを見た試ためしもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余ゆと裕りがない。伸のんびり楽々と身を横に、日光を領りょうしているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶ものうさの度どをある所まで通り越して、動かなければ淋さびしいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼かれはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳ひと子みを、ぼんやり一ひと所ところに落ちつけているのみである。彼れが家うちの小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判はっ然きりと認めていなかったらしい。 それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追おっかけられる。そうして、怖こわいものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障しょ子うじを突き破って、囲い炉ろ裏りの傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。 これが度たび重なるにつれて、猫の長い尻しっ尾ぽの毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後のちには赤あか肌はだに脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、体から躯だを圧おし曲げて、しきりに痛い局部を舐なめ出した。 おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻さいは至しご極く冷淡である。自分もそのままにして放ほうっておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽の喉どの所に大きな波をうたして、嚏くしゃみとも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳たたみの上でも、布ふと団んの上でも容よう赦しゃなく汚す。来客の用意に拵こしらえた八はっ反たんの座ざぶ布と団んは、おおかた彼れのために汚されてしまった。 ﹁どうもしようがないな。腸ちょ胃ういが悪いんだろう、宝ほう丹たんでも水に溶といて飲ましてやれ﹂ 妻さいは何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を開あきませんという答をした後あとで、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し嶮けんどんに叱りながら書見をしていた。 猫は吐はき気けがなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦すくめるようにして、自分の身を支える縁えん側がわだけが便たよりであるという風に、いかにも切りつめた蹲うず踞くまり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄しょ然うぜんたるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微かすかな稲いな妻ずまがあらわれるような気がした。けれども放ほうっておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。 ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾すそに腹はら這ばいになっていたが、やがて、自分の捕とった魚を取り上げられる時に出すような唸うな声りごえを挙あげた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸うなった。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛かじられちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦じゅ袢ばんの袖そでを縫い出した。猫は折々唸っていた。 明くる日は囲い炉ろ裏りの縁ふちに乗ったなり、一日唸っていた。茶を注ついだり、薬やか缶んを取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪まきを出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈へっついの上に倒れていた。 妻はわざわざその死しに態ざまを見に行った。それから今までの冷淡に引ひき更かえて急に騒ぎ出した。出でい入りの車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲いな妻ずま起る宵よいあらんと認したためた。車夫はこのまま、埋うめても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷ひやかした。 小供も急に猫を可かわ愛いがり出した。墓標の左右に硝ガラ子スの罎びんを二つ活いけて、萩はぎの花をたくさん挿さした。茶ちゃ碗わんに水を汲くんで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓しゃ子くしをおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝したたりは、静かな夕暮の中に、幾いく度たびか愛あい子この小さい咽の喉どを潤うるおした。 猫の命日には、妻がきっと一ひと切きれの鮭さけと、鰹かつ節ぶしをかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪たん笥すの上へ載せておくようである。暖かい夢
風が高い建物に当って、思うごとく真まっ直すぐに抜けられないので、急に稲いな妻ずまに折れて、頭の上から、斜はすに舗しき石いしまで吹きおろして来る。自分は歩きながら被かぶっていた山やま高たか帽ぼうを右の手で抑おさえた。前に客待の御ぎょ者しゃが一人いる。御ぎょ者しゃ台だいから、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人ひと指さし指ゆびを竪たてに立てた。乗らないかと云う符ふち徴ょうである。自分は乗らなかった。すると御者は右の手に拳げん骨こつを固めて、烈はげしく胸の辺あたりを打ち出した。二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。倫ロン敦ドンの御者はこうして、己おのれとわが手を暖めるのである。自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。剥はげ懸かかった堅い帽子の下から、霜しもに侵おかされた厚い髪の毛が食はみ出だしている。毛ケッ布トを継つぎ合せたような粗あらい茶の外がい套とうの背中の右にその肱ひじを張って、肩と平行になるまで怒いからしつつ、とんとん胸を敲たたいている。まるで一種の器械の活動するようである。自分は再び歩き出した。 道を行くものは皆追い越して行く。女でさえ後おくれてはいない。腰の後うし部ろでスカートを軽く撮つまんで、踵かかとの高い靴が曲まがるかと思うくらい烈はげしく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女は傍わき目めも触らず、ひたすらにわが志こころざす方かたへと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。眉まゆは深く鎖とざしている。鼻は険けわしく聳そびえていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかも往おう来らいは歩くに堪たえん、戸外はいるに忍しのびん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、生しょ涯うがいの恥辱である、かのごとき態度である。 自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした。上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、切きり岸ぎしのごとく聳そびえる左右の棟むねに余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝から鼠ねず色みいろであるが、しだいしだいに鳶とび色いろに変じて来た。建物は固もとより灰色である。それが暖かい日の光に倦うみ果はてたように、遠慮なく両側を塞ふさいでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうに往おう来らいする。自分はその黒く動くもののうちで、もっとも緩かん漫まんなる一分子である。谷へ挟はさまって、出で端はを失った風が、この底を掬すくうようにして通り抜ける。黒いものは網の目を洩もれた雑ざ魚このごとく四方にぱっと散って行く。鈍のろい自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。 長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つ階はし子ごだ段んを上のぼると、弾ば力ねじかけの大きな戸がある。身から躯だの重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、自じね然んと身は大きなガレリーの中に滑すべり込んだ。眼の下は眩まばゆいほど明かである。後うしろをふり返ると、戸はいつの間にか締しまって、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、瞳ひとみを慣ならすために、眼をぱちぱちさせた。そうして、左右を見た。左右には人がたくさんいる。けれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らず緩ゆるんで見える。たくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いを和やわらげている。自分は上を見た。上は大おお穹まる窿がたの天てん井じょうで極ごく彩さい色しきの濃く眼に応こたえる中に、鮮あざやかな金きん箔ぱくが、胸を躍おどらすほどに、燦さんとして輝いた。自分は前を見た。前は手てす欄りで尽きている。手欄の外には何なにもない。大きな穴である。自分は手欄の傍そばまで近寄って、短い首を伸のばして穴の中を覗のぞいた。すると遥はるかの下は、絵にかいたような小さな人で埋うまっていた。その数の多い割に鮮あざやかに見えた事。人の海とはこの事である。白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、大おお海うな原ばらに起る波はも紋んのごとく、簇そう然ぜんとして、遠くの底に、五色の鱗うろこを并ならべたほど、小さくかつ奇きれ麗いに、蠢うごめいていた。 その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった。今まで何千となくいならんでいたものは闇やみの中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくに寂しんとしている。と、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつの間まにやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の段だん取どりが違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかに柔やわらかな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は霧きりのような光線の奥に、不透明な色を見みい出だす事ができた。その色は黄と紫むらさきと藍あいであった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを瞬またたきもせず凝みつ視めていた。靄もやは眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り輝かがやく海を控ひかえて、黄きな上うわ衣ぎを着た美しい男と、紫の袖そでを長く牽ひいた美しい女が、青草の上に、判はっ然きりあらわれて来た。女が橄かん欖らんの樹きの下に据すえてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女を見みお下ろした。その時南から吹く温かい風に誘われて、閑のど和かな楽がくの音ねが、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。 穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった。闇の中で暖かな希ギリ臘シャを夢みていたのである。印象
表へ出ると、広い通りが真まっ直すぐに家の前を貫つらぬいている。試みにその中央に立って見廻して見たら、眼に入いる家はことごとく四階で、またことごとく同じ色であった。隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない。不思議な町である。 昨ゆう夕べは汽車の音に包くるまって寝た。十時過ぎには、馬の蹄ひづめと鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように馳かけた。その時美しい灯ともしびの影が、点々として何百となく眸ひとみの上を往おう来らいした。そのほかには何も見なかった。見るのは今が始めてである。 二三度この不思議な町を立ちながら、見みあ上げ、見みお下ろした後のち、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出た。よく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今度は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車が幾いく輛りょうとなく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や紺こんであったり、仕し切きりなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方を透すかして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後うしろから背の高い人が追おい被かぶさるように、肩のあたりを押した。避よけようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。 自分はこの時始めて、人の海に溺おぼれた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いても痞つかえている。左を見ても塞ふさがっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃そろえて一歩ずつ前へ進んで行く。 自分は歩きながら、今出て来た家の事を想おもい浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしい。どこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんど覚おぼ束つかない気がする。よし帰れても、自分の家は見みい出だせそうもない。その家は昨夕暗い中に暗く立っていた。 自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった。曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じた。すると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道路が五つ六つ落ち合う広場のように思われた。今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。 坂の下には、大きな石いし刻ぼりの獅し子しがある。全身灰色をしておった。尾の細い割に、鬣たてがみに渦うずを捲まいた深い頭は四しと斗だ樽るほどもあった。前足を揃そろえて、波を打つ群集の中に眠っていた。獅子は二ついた。下は舗しき石いしで敷きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を挙あげて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高く真まっ直すぐに立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているように聳そびえていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく下さがって行った。しばらくして、ふり返ったら、竿さおのような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。人間
御おさ作くさんは起きるが早いか、まだ髪かみ結ゆいは来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨ゆう夕べたしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までには上あがりますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにも焦じれったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんは及および腰ごしになって、障しょ子うじの前に取り出した鏡台を、立ちながら覗のぞき込んで見た。そうして、わざと唇くちびるを開けて、上うえ下したとも奇きれ麗いに揃そろった白い歯を残らず露あらわした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間あいの襖ふすまを開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩おそくなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦だん那なは九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。 御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊よう枝じと歯はみ磨がきと石しゃ鹸ぼんと手てぬ拭ぐいを一ひと纏まとめにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯ひげを剃すって来るよと、銘めい仙せんのどてらの下へ浴ゆか衣たを重ねた旦那は、沓くつ脱ぬぎへ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆かけ込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用よう箪だん笥すの抽ひき出だしから小さい熨のし斗ぶく袋ろを出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口が利きけないものだから、黙って、袋を受取って格こう子しを跨またいだ。御作さんは旦那の肩の後うしろへ、手てぬ拭ぐいの余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ引ひっ込こんで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首を傾かたむけた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは丁てい寧ねいにしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も始しじ終ゅう心配そうに柱時計を眺めていた。ようやく衣いし裳ょうを揃そろえて、大きな欝うこ金んも木め綿んの風呂敷にくるんで、座敷の隅すみに押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から這は入いって来た。どうも遅くなってすみません、と息を喘はずませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙きせ管るを出して髪結に煙たば草こを呑のました。 梳すき手てが来ないので、髪を結ゆうのにだいぶ暇ひまが取れた。旦那は湯に入いって、髭ひげを剃すって、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美みいちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御おと伴もをしたいもんだなどと、だいぶ冗じょ談うだ交んまじりの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。 旦那は欝うこ金んも木め綿んの風呂敷を、ちょっと剥はぐって見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美みいちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿わた入いれ羽ばお織りを着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣かすりの綿入羽織を出さなかった。 やがて、御化粧が出来上って、流行の鶉うず縮らち緬りめんの道みち行ゆきを着て、毛皮の襟えり巻まきをして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那の廻まわ套しの羽は根ねを捕つらまえて、伸び上がりながら、群ぐん集じゅの中を覗のぞき込んだ。 真中に印しる袢しば天んてんを着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢はん天てんがびたびたに濡ぬれて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、呂ろれ律つの回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。怖こわい眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こう見めえたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、突いき然なり思い出したように、人間だいと大きな声を出す。 ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉うれしそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰あお向むけに寝た。明あかるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆べら棒ぼうめ、こう見めえたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁わらの縄なわで酔払いを荷車の上へしっかり縛しばりつけた。そうして屠ほふられた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注しめ目か飾ざりの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖ふえたのを喜んだ。山鳥
五六人寄って、火ひば鉢ちを囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携たずさえずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招しょうじたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山やま鳥どりを提さげて這は入いって来た。初対面の挨あい拶さつが済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。 その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹あつものを拵こしらえて食った。山鳥を料りょうる時、青年は袴はかまながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割さいて、骨をことことと敲たたいてくれた。青年は小こづ作くりの面おも長ながな質たちで、蒼あお白じろい額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い口くち髭ひげよりも、彼の穿はいていた袴であった。それは小こく倉らお織りで、普通の学生には見みい出だし得うべからざるほどに、太い縞しま柄がらの派は出でな物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南なん部ぶのものだと云った。 青年は一週間ほど経たってまた来た。今度は自分の作った原稿を携たずさえていた。あまり佳よくできていなかったから、遠慮なくその旨むねを話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間の後のち、また原稿を懐ふところにして来た。かようにして彼かれは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも傑すぐれたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ編へん輯しゅ者うしゃの御おな情さけで誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから文ぶんを売って口を糊のりするつもりだと云っていた。 或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾ほして、薄い海の苔りのように一枚一枚に堅めたものである。精しょ進うじんの畳たた鰯みいわしだと云って、居合せた甲こう子しが、さっそく浸ひたしものに湯がいて、箸はしを下くだしながら、酒を飲んだ。それから、鈴すず蘭らんの造花を一枝持って来てくれた事もある。妹が拵こしらえたんだと云って、指の股またで、枝の心しんになっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った。兄きょ妹うだいして薪まき屋やの二階を一間借りて、妹は毎日刺ぬい繍とりの稽けい古こに通かよっているのだそうである。その次来た時には御おな納ん戸どの結び目に、白い蝶ちょうを刺ぬい繍とった襟えり飾かざりを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云って置いて行った。それを安やす野のが私に下さいと云って取って帰った。 そのほか彼は時々来た。来るたびに自分の国の景けい色しょくやら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。篆てん刻こくが旨うまいという事も話した。御お祖ば母あさんは去る大名の御屋敷に奉公していた。申さるの年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿に縁ちなんだものを時々下さった。その中に崋かざ山んの画かいた手てな長がざ猿るの幅ふくがある。今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。 すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、単ひと衣えを唯ただ一枚つけて、じっと書しょ見けんをしていてさえ堪たえがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た。 相変らず例の派は出でな袴はかまを穿はいて、蒼あお白しろい額ににじんだ汗をこくめいに手てぬ拭ぐいで拭ふいている。少し瘠やせたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという。実は友人が急病に罹かかったから、さっそく病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がった。と説明した。 自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例のごとく両手を膝ひざの上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の家うちはそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間経たてば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である。自分は金の調ちょ達うだつを引き受けた。その時彼かれは風呂敷包の中から一幅の懸かけ物ものを取り出して、これがせんだって御話をした崋かざ山んの軸じくですと云って、紙表装の半はん切せつものを展のべて見せた。旨うまいのか不ま味ずいのか判はっ然きりとは解らなかった。印いん譜ぷをしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った落らっ款かんがない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った。翌日また金を取りに来た。それっきり音おと沙さ汰たがない。約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分は欺だまされたのかも知れないと思った。猿さるの軸は壁へ懸かけたまま秋になった。 袷あわせを着て気の緊しまる時分に、長なが塚つかが例のごとく金を借かしてくれと云って来た。自分はそうたびたび借すのが厭いやであった。ふと例の青年の事を思い出して、こう云う金があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろうと云うと、長塚は頭を掻かいて、少し逡しゅ巡んじゅんしていたが、やがて思い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿の懸かけ物ものを添えて、長塚に持たせてやった。 長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否や懐ふところから手紙を出したから、受け取って見ると昨きの日う自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚は額ひたいに八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、惨さん澹たんたるものです、汚きたない所でしてね、妻さい君くんが刺ぬ繍いをしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、掛かけ物ものだけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。 翌あくる日ひ、青年から、どうも嘘う言そを吐ついてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云う端はが書きが来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、乱みだ箱ればこの中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。 そのうち冬が来た。例のごとく忙せわしい正月を迎えた。客の来ない隙すき間まを見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。差さし出だし人にんの名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙を剥はぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。その後のちいろいろの事情があって、今国へ帰っている。御ごお恩んし借ゃくの金きん子すは三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥はがれなかった。 その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥の羹あつものを食った。そうして、派は出でな小こく倉らの袴はかまを着けた蒼あお白しろい青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件御ごか介い意いに及ばずと云う一句を添えた。モナリサ
井いぶ深かは日曜になると、襟えり巻まきに懐ふと手ころでで、そこいらの古道具屋を覗のぞき込んで歩るく。そのうちでもっとも汚きたならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうな見み世せを選よっては、あれの、これのと捻ひねくり廻まわす。固もとより茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。 井深は一箇月ほど前に十五銭で鉄てつ瓶びんの葢ふただけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄の鍔つばを買って、これまた文ぶん鎮ちんにした。今日はもう少し大きい物を目め懸がけている。懸かけ物ものでも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、色いろ摺ずりの西洋の女の画えが、埃ほこりだらけになって、横に立て懸かけてあった。溝みぞの磨すれた井戸車の上に、何とも知れぬ花かび瓶んが載っていて、その中から黄色い尺八の歌うた口ぐちがこの画えの邪魔をしている。 西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、上その昔かみの空気の中に黒く埋うまっている。いかにもこの古道具屋にあって然しかるべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻ひねったが、硝ガラ子スも割れていないし、額がく縁ぶちもたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。 井深がこの半身の画像を抱いだいて、家うちへ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額がくを裸はだかにして、壁へ立て懸かけて、じっとその前へ坐すわり込んでいると、洋ラン灯プを持って細さい君くんがやって来た。井深は細君に灯ひを画の傍そばへ翳かざさして、もう一いっ遍ぺんとっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄きばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧かえりみて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。 飯を食ってから、踏台をして欄らん間まに釘くぎを打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃よすが好いと云ってしきりに止とめたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。 細君は茶の間へ下さがる。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画えか工きの光線のつけ方である。薄い唇くちびるが両方の端はじで少し反そり返かえって、その反り返った所にちょっと凹くぼみを見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開あいた口をわざと、閉とじたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。 調べものとは云いい条じょう、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経たったら、また首を挙あげて画の方を見た。やはり口元に何か曰いわくがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一ひと重えま瞼ぶちの中から静かな眸ひとみが座敷の下に落ちた。井深はまた机の方に向き直った。 その晩井深は何なん遍べんとなくこの画を見た。そうして、どことなく細君の評が当っているような気がし出した。けれども明あくる日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。四時頃家うちへ帰って見ると、昨ゆう夕べの額は仰あお向むけに机の上に乗せてある。午ひる少し過に、欄らん間まの上から突然落ちたのだという。道理で硝ガラ子スがめちゃめちゃに破こわれている。井深は額の裏を返して見た。昨夕紐ひもを通した環かんが、どうした具合か抜けている。井深はそのついでに額の裏を開けて見た。すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、印イン気キで妙な事が書いてある。 ﹁モナリサの唇には女にょ性しょうの謎なぞがある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。﹂ 翌あく日るひ井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆みんなに聞いた。しかし誰も分らなかった。じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。井深は細君の勧すすめに任まかせてこの縁えん喜ぎの悪い画を、五銭で屑くず屋やに売り払った。火事
息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉こがもう頭の上を通る。霜しもを置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒そつ然ぜんと消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮あざやかなやつが、一面に吹かれながら、追おっかけながら、ちらちらしながら、熾さかんにあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙すき間まなく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅もみが静かな枝を夜よに張って、土手から高く聳そびえている。火はその後うしろから起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真まっ赤かである。火元はこの高い土手の上に違ちがいない。もう一町ほど行って左へ坂を上あがれば、現げん場ばへ出られる。 また急ぎ足に歩き出した。後から来るものは皆追越して行く。中には擦れ違に大きな声をかけるものがある。暗い路は自おのずと神経的に活いきて来た。坂の下まで歩いて、いよいよ上のぼろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいに埋うずめて、上から下まで犇ひしめいている。焔ほのおは坂の真上から容よう赦しゃなく舞い上る。この人の渦うずに捲まかれて、坂の上まで押し上げられたら、踵くびすを回めぐらすうちに焦こげてしまいそうである。 もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。上のぼるならこちらが楽で安全であると思い直して、出であ合いが頭しらの人を煩わずらわしく避よけて、ようやく曲り角まで出ると、向うから劇はげしく号ベ鈴ルを鳴らして蒸じょ汽うき喞ポン筒プが来た。退のかぬものはことごとく敷しき殺ころすぞと云わぬばかりに人込の中を全速力で駆かり立てながら、高い蹄ひづめの音と共に、馬の鼻はな面づらを坂の方へ一ひと捻ひねりに向むけ直なおした。馬は泡を吹いた口を咽の喉どに摺すりつけて、尖とがった耳を前に立てたが、いきなり前足を揃そろえてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢はん天てんを着た男の提ちょ灯うちんを掠かすめて、天びろ鵞う絨どのごとく光った。紅べに色いろに塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほど際きわどく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂を馳かけ上がった。 坂の中途へ来たら、前は正面にあったが今度は筋すじ違かいに後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。横よこ丁ちょうを見つけていると、細い路ろ次じのようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただ一いっ寸すんのセキもないほど詰つんでいる。そうして互に懸命な声を揚あげる。火は明かに向うに燃えている。 十分の後のちようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまた組くみ屋やし敷きぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっき地じを蹴けって、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角に妨さまたげられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。 傍そばに押し詰められているものは口々にどこだ、どこだと号さけぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。は勢いを得て、静かな空を煽あおるように、凄すさまじく上のぼる。…… 翌日午ひる過すぎ散歩のついでに、火元を見みと届どけようと思う好奇心から、例の坂を上って、昨ゆう夕べの路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先の曲まが角りかどをまがって、ぶらぶら歩いて見たが、冬ふゆ籠ごもりと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにも見みあ当たらない。火の揚あがったのはこの辺だと思われる所は、奇きれ麗いな杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からは微かすかに琴ことの音ねが洩もれた。霧
昨ゆう宵べは夜よじ中ゅう枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大おお停ステ車ーシ場ョンのある御おか蔭げである。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを細こまかに割りつけて見ると、一分に一ひと列車ぐらいずつ出でい入りをする訳になる。その各列車が霧きりの深い時には、何かの仕しか掛けで、停車場間まぎ際わへ来ると、爆ばく竹ちくのような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。 寝ねだ台いを這はい下りて、北窓の日ブラ蔽インドを捲まき上げて外そ面とを見おろすと、外面は一面に茫ぼうとしている。下は芝生の底から、三方煉れん瓦がの塀へいに囲われた一いっ間けん余よの高さに至るまで、何も見えない。ただ空むなしいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂しんとして凍こおっている。隣の庭もその通りである。この庭には奇きれ麗いなローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯ひげを生はやした御おじ爺いさんが日ひな向たぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚おう鵡むを留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴くちばしで突つかれそうに近く、鳥の傍そばへ持って行く。鸚鵡は羽はば搏たきをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い裾すそを引いて、絶え間なく芝しば刈かり器械をローンの上に転ころがしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く霧きりに埋うまって、荒あれ果はてた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。 裏通りを隔へだてて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天てっ辺ぺんでいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖とがった頂きは無論の事、切石を不ふそ揃ろいに畳み上げた胴どう中なかさえ所あり在かがまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音ねはまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖とざされた。 表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮ちぢまったかと思うと、歩けば歩あるくほど新しい二間四方が露あらわれる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任まかせて消えて行く。 四つ角でバスを待ち合せていると、鼠ねず色みいろの空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒おかして、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き逢あうときは、行き逢った時だけ奇きれ麗いだなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空くうの中に消えてしまう。漠ばく々ばくとして無色の裡うちに包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠かすめて翻ひるがえった。眸ひとみを凝こらして、その行ゆく方えを見つめていると、封じ込められた大気の裡うちに、鴎かもめが夢のように微かすかに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが厳おごそかに十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音おんだけがする。 ヴィクトリヤで用を足たして、テート画館の傍はたを河かわ沿ぞいにバタシーまで来ると、今まで鼠ねず色みいろに見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥ピー炭トを溶といて濃く、身の周まわ囲りに流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに逼せまって来た。外がい套とうは抑おさえられたかと思うほど湿しめっている。軽い葛くず湯ゆを呼吸するばかりに気い息きが詰まる。足元は無論穴あな蔵ぐらの底を踏むと同然である。 自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫ぼう然ぜんと佇たた立ずんだ。自分の傍そばを人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛もう々もうたる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目めあ標てに、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓まど硝ガラ子スの前へ顔が出た。店の中では瓦ガ斯スを点つけている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。 バタシーを通り越して、手てさ探ぐりをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕しも舞た屋やばかりである。同じような横町が幾筋も並へい行こうして、青天の下もとでも紛まぎれやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真まっ直すぐに歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を傾かたむけていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠とお退のいて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは寂しんとしている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。懸物
大だい刀とう老ろう人じんは亡妻の三回忌までにはきっと一基の石せき碑ひを立ててやろうと決心した。けれども倅せがれの痩やせ腕うでを便たよりに、ようやく今こん日にちを過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工くめ面んをしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨うらめしいほど無むぞ雑う作さにそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸かけ物ものも、とうに融通の利きくものに変形したはずである。 この懸かけ物ものは方一尺ほどの絹地で、時代のために煤すす竹だけのような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗あん澹たんとして何が画かいてあるか分らない。老人はこれを王おう若じゃ水くすいの画いた葵あおいだと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋ふく戸ろと棚だなから出して、桐きりの箱の塵ちりを払って、中のものを丁てい寧ねいに取り出して、直じかに三尺の壁へ懸かけては、眺めている。なるほど眺めていると、煤すすけたうちに、古血のような大きな模様がある。緑ろく青しょうの剥はげた迹あとかと怪しまれる所も微かすかに残っている。老人はこの模も糊こたる唐とう画がの古蹟に対むかって、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸かけ物ものをじっと見つめながら、煙たば草こを吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触つけようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触さわってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪いた戯ずらをしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋ふく戸ろと棚だなへしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴あめ屋やへ寄って、薄はっ荷かい入りの鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅せがれが晩婚なので小供は六つと四つである。 倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風ふろ呂し敷きに包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸かけて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落らっ款かんがないとか、画えが剥はげているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。 倅は道具屋は廃よしになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱かかえて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明あかない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんな贋にせ物ものだ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。 二月の初旬に偶然旨うまい伝つ手てができて、老人はこの幅ふくを去る好こう事ず家かに売った。老人は直ただちに谷やな中かへ行って、亡妻のために立派な石碑を誂あつらえた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後おくれて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一いっ遍ぺん見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透すき徹とおるような臘ろう梅ばいが活いけてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御ごち馳そ走うになったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。紀元節
南向きの部屋であった。明あかるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃そろえて、塗ぬり板ばんを眺めていると、廊下から先生が這は入いって来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠やせた男で、顎あごから頬ほおへ掛けて、髯ひげが爺じじ汚むさく生はえかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触さわる着物の襟えりが薄黒く垢あか附づいて見えた。この着物と、この髯の不ぶし精ょうに延びるのと、それから、かつて小こご言とを云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。 先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。 すると、後うしろから三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋テー卓ブルの傍そばへ来て、先生の使った白墨を取って、塗ぬり板ばんに書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍わきへ新しく紀と肉にく太ぶとに書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。 ﹁誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ﹂と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。 記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今こん日にちでも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖こわがっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。儲もう口けぐち
﹁あっちは栗くりの出る所でしてね。まあ相場がざっと両りょうに四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升しょうに一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨うまく行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵拵こしらえて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜よろしいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一いっ間けんもあろうと云う大きな樽たるを持ち出して、水をその中へどんどん汲くみ込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵ひょうをほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴やつは本当に食えないもんだと後あとになって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打ぶち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎笊ざるでしゃくってね、ペケだって、俵ひょうの目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍そばで見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入いってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打うっ遣ちゃって来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。 ﹁それから薩さつ摩まい芋もを買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのが月つき半なかば、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、否いや契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三勧すすめるもんだから、ついその気になりましてね。――いえ芋いもは支那へ行くんじゃありません。亜ア米メ利リ加カでした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉から川かわ越ごえの方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実に狡こう猾かつな奴やつがいるもんで、約やく定じょ書うがきのうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はその条じょ款うかんを応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっとも手てづ付けは四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、先むこ方うでは芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまり業ごう腹はらだから、千円の保証金を納めましてね、現げん物ぶつ取とり押おさえを申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました﹂行列
ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間にか﹇#﹁いつの間にか﹂は底本では﹁いつの間か﹂﹈、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐からめいた手てす摺りに遮さえぎられて、上には硝ガラ子ス戸どが立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒のき端ばを斜はすに、硝子を通して、縁えん側がわの手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽かげ炎ろうが湧わいたように、春の思いが饒ゆたかになる。 その時この二尺あまりの隙すき間まに、空くうを踏んで、手てす摺りの高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐から草くさを浮き織りにした絹リボ紐ンを輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌はめた間に、海かい棠どうと思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿さした。黒髪の地じに薄うす紅くれないの莟つぼみが大きな雫しずくのごとくはっきり見えた。割合に詰った顎あごの真下から、一ひと襞ひだになって、ただ一枚の紫むらさきが縁えんまでふわふわと動いている。袖そでも手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後あとから、―― 今度は少し低い。真しん紅くの厚い織物を脳天から肩先まで被かぶって、余る背中に筋すじ違かいの笹ささの葉の模様を背し負ょっている。胴どう中なかにただ一ひと葉は、消けし炭ずみ色いろの中に取り残された緑が見える。それほど笹の模様は大きかった。廊下に置く足よりも大きかった。その足が赤くちらちらと三足ほど動いたら、低いものは、戸口の幅を、音なく行き過ぎた。 第三の頭ずき巾んは白と藍あいの弁べん慶けいの格こう子しである。眉まび廂さしの下にあらわれた横顔は丸く膨ふくらんでいる。その片頬の真中が林りん檎ごの熟したほどに濃い。尻だけ見える茶褐色の眉まみ毛えの下が急に落ち込んで、思わざる辺あたりから丸い鼻が膨ふくれた頬を少し乗り越して、先だけ顔の外へ出た。顔から下は一面に黄色い縞しまで包まれている。長い袖を三寸余も縁えんに牽ひいた。これは頭より高い胡ごま麻だ竹けの杖つえを突いて来た。杖の先には光を帯びた鳥の羽はをふさふさと着けて、照る日に輝かした。縁に牽く黄色い縞の、袖らしい裏が、銀のように光ったと思ったらこれも行き過ぎた。 すると、すぐ後から真白な顔があらわれた。額から始まって、平たい頬を塗って、顎あごから耳の附つけ根ねまで遡さかのぼって、壁のように静かである。中に眸ひとみだけが活きていた。唇くちびるは紅べにの色を重ねて、青く光線を反射した。胸のあたりは鳩はとの色のように見えて、下は裾すそまでばっと視線を乱している中に、小さなヴァイオリンを抱かかえて、長い弓を厳おごそかに担かついでいる。二足で通り過ぎる後うしろには、背中へ黒い繻しゅ子すの四角な片きれをあてて、その真中にある金きん糸しの刺ぬ繍いが、一度に日に浮いた。 最後に出たものは、全く小ちさい。手摺の下から転ころげ落ちそうである。けれども大きな顔をしている。その中うちでも頭はことに大きい。それへ五色の冠かんむりを戴いただいてあらわれた。冠の中央にあるぽっちが高く聳そびえているように思われる。身には井の字の模様のある筒つつ袖そでに、藤ふじ鼠ねずみの天びろ鵞う絨どの房の下さがったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤い足た袋びを踏んでいた。手に持った朝鮮の団うち扇わが身から体だの半分ほどある。団扇には赤と青と黄で巴ともえを漆うるしで描かいた。 行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空むなしい日の光を、書斎の入口に送って、縁えん側がわに幅四尺の寂さびしさを感じた時、向うの隅すみで急にヴァイオリンを擦こする音がした。ついで、小さい咽の喉どが寄り合って、どっと笑う声がした。 宅うちの小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんな遊いた戯ずらをしている。昔
ピトロクリの谷は秋の真まし下たにある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半はん途とで包くるんで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山やま向むこうへ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄かすんでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸すいものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔むかし、二百年の昔にかえって、やすやすと寂さびてしまう。人は世に熟うれた顔を揃そろえて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地じを透すかせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。 自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。幾いく年ねん十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠ねず色みいろに枯れている西の端に、一本の薔ば薇らが這はいかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟はさまった花をいくつか着けた。大きな弁べんは卵色に豊かな波を打って、萼がくから翻ひるがえるように口を開あけたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。香においは薄い日光に吸われて、二間の空気の裡うちに消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這い上のぼって行く。鼠色の壁は薔薇の蔓つるの届かぬ限りを尽くして真直に聳そびえている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上の靄もやの奥から落ちて来る。 足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届く遥はるかの下が、平ひらたく色で埋うずまっている。その向う側の山へ上のぼる所は層々と樺かばの黄き葉ばが段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。明あきらかで寂さびた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横に蜿うねって動いている。泥でい炭たんを含んだ渓たに水みずは、染そめ粉こを溶といたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。 後うしろから主人が来た。主人の髯ひげは十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。形な装りも尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。俥くるまの膝ひざ掛かけのように粗あらい縞しまの織物である。それを行あん灯どん袴ばかまに、膝ひざ頭がしらまで裁たって、竪たてに襞ひだを置いたから、膝ふく脛らはぎは太い毛糸の靴くつ足た袋びで隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝と股ももの間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。 主人は毛皮で作った、小さい木もく魚ぎょほどの蟇がま口ぐちを前にぶら下げている。夜煖だん炉ろの傍そばへ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、煙たば草こを出す。そうしてぷかりぷかりと夜よな長がを吹かす。木もく魚ぎょの名をスポーランと云う。 主人といっしょに崖がけを下りて、小おぐ暗らい路みちに這は入いった。スコッチ・ファーと云う常とき磐わ木ぎの葉が、刻きざみ昆こん布ぶに雲が這はいかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろと栗り鼠すが長く太った尾を揺ふって、駆かけ上のぼった。と思うと古く厚みのついた苔こけの上をまた一匹、眸ひとみから疾とく駆かけ抜けたものがある。苔は膨ふくれたまま動かない。栗鼠の尾は蒼あお黒ぐろい地じを払ほっ子すのごとくに擦すって暗がりに入った。 主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷を指ゆびさした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へ溯さかのぼるとキリクランキーの峡はざ間まがあると云った。 高ハイ地ラン人ダースと低ロー地ラン人ダースとキリクランキーの峡はざ間まで戦った時、屍かばねが岩の間に挟はさまって、岩を打つ水を塞せいた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。 自分は明あ日す早朝キリクランキーの古戦場を訪とおうと決心した。崖から出たら足の下に美しい薔ば薇らの花はな弁びらが二三片散っていた。声
豊とよ三さぶ郎ろうがこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片かたづけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明あくる日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居いど所ころが変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸のこぎりの音がする。 豊三郎は坐すわったまま手を延のばして障しょ子うじを明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧あお桐ぎりの枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜おし気げもなく股またの根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥おびただしくなった。同時に空むなしい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬ほお杖づえを突いて、何なに気げなく、梧ごと桐うの上を高く離れた秋晴を眺めていた。 豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐なつかしい故ふる郷さとの記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥はるかの向むこうにあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。 山の裾すそに大きな藁わら葺ぶきがあって、村から二町ほど上のぼると、路は自分の門の前で尽きている。門を這は入いる馬がある。鞍くらの横に一ひと叢むらの菊を結ゆわいつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋やの棟むねを照らしている。後うしろの山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸たけの時節である。豊三郎は机の上で今採とったばかりの茸の香かを嗅かいだ。そうして、豊とよ、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。 豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先さっ刻き見た梧ごと桐うの先がまた眸ひとみに映った。延びようとする枝が、一ひと所ところで伐きり詰められているので、股またの根は、瘤こぶで埋うずまって、見みに悪くいほど窮屈に力が入いっている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔へだてて、垣根の外を見みお下ろすと、汚きたない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲ふと団んが遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍そばに五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。 ところどころ縞しまの消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏ともしい髪を、大きな櫛くしのまわりに巻きつけて、茫ぼん然やりと、枝を透すかした梧桐の頂てっ辺ぺんを見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼あおくむくんでいる。婆さんは腫はれぼったい瞼まぶちの奥から細い眼を出して、眩まぼしそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。 三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁わらで括くくって貰って、徳とく利りのような花かび瓶んへ活いけた。行こう李りの底から、帆ほあ足しば万ん里りの書いた小さい軸じくを出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座ざぶ蒲と団んの上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊とよ々とよと云う声がした。その声が調子と云い、音ねい色ろといい、優しい故ふる郷さとの母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障しょ子うじをがらりと開けた。すると昨きの日う見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額ひたいに受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻ひるがえして下から豊三郎を見上げた。金
劇げき烈れつな三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭いやになった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃いの腑ふまで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰つまって、いかにも苦しい。そこで帽子を被かぶって空くう谷こく子しの所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占うら者ないしゃみたような、妙な男である。無むへ辺んざ際いの空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾われ々われの眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。 空谷子は小さな角かく火ひば鉢ちに倚もたれて、真しん鍮ちゅうの火ひば箸しで灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今金かねの事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。 ﹁金は魔物だね﹂ 空谷子の警句としてははなはだ陳ちん腐ぷだと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描かいて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。 ﹁これが何にでも変化する。衣きも服のにもなれば、食くい物ものにもなる。電車にもなれば宿屋にもなる﹂ ﹁下らんな。知れ切ってるじゃないか﹂ ﹁否いや、知れ切っていない。この丸がね﹂とまた大きな丸を描いた。 ﹁この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利きき過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな﹂ ﹁どうして﹂ ﹁どうしても好いが、――例たとえば金を五ごし色きに分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう﹂ ﹁そうして、どうするんだ﹂ ﹁どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦かわらの破かけ片ら同様まるで幅が利きかないようにして、融通の制限をつけるのさ﹂ もし空谷子が初対面の人で、初対面の最さい先さきからこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論ろん客かくと認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。 ﹁金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼ひ是し相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万噸トンの石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一ひと度たびこの器械的の労力が金に変形するや否や、急に大だい自じざ在いの神じん通ずう力りきを得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪かく乱らんされてしまう。不都合極きわまる魔物じゃないか。だから色いろ分わけにして、少しその分ぶんを知らしめなくっちゃいかんよ﹂ 自分は色いろ分わけ説せつに賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。 ﹁器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう﹂ ﹁そうさな。今のような善ぜん知ちぜ善んの能うの金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな﹂ 自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。心
二階の手てす摺りに湯上りの手てぬ拭ぐいを懸かけて、日の目の多い春の町を見みお下ろすと、頭ずき巾んを被かむって、白い髭ひげを疎まばらに生はやした下げ駄たの歯入が垣の外を通る。古い鼓つづみを天てん秤びん棒ぼうに括くくりつけて、竹のへらでかんかんと敲たたくのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋すじ向むこうの医者の門の傍わきへ来て、例の冴さえ損そこなった春の鼓つづみをかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向むこうの方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一ひと摶はばたきに手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘ざく榴ろの細枝に留とまっていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身みぶりを易かえる拍ひょ子うしに、ふと欄らん干かんに倚よりかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙けむるごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇きれ麗いな足で手摺の桟さんを踏ふまえている。 まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著いちじるしく自分の心を動かした。鶯うぐいすに似て少し渋しぶ味みの勝った翼つばさに、胸は燻くすんだ、煉れん瓦がの色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。その辺あたりには柔やわらかな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。怖おどすのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後うしろへ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半なかば無意識に右め手てを美しい鳥の方に出した。鳥は柔やわらかな翼つばさと、華きゃ奢しゃな足と、漣さざなみの打つ胸のすべてを挙あげて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中うちに、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後あとはどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後あとが潜ひそんでいて、総体を薄く暈ぼかすように見えた。この心の底一面に煮に染じんだものを、ある不可思議の力で、一ひと所ところに集めて判はっ然きりと熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直ただちに籠かごの中に鳥を入れて、春の日影の傾かたむくまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。 やがて散歩に出た。欣きん々きん然ぜんとして、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑にぎやかな往おう来らいを行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後あとから、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いても賑にぎやかで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。知らない人に幾千人となく出で逢あうのは嬉うれしいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。するとどこかで、宝ほう鈴れいが落ちて廂ひさ瓦しがわらに当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小こう路じの入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷まげに結ゆっていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉まゆと額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後のちまで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後うしろを向いた。追いついて見ると、小路と思ったのは露ろ次じで、不ふだ断んの自分なら躊ちゅ躇うちょするくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へ這は入いって行く。黙っている。けれども自分に後を跟つけて来いと云う。自分は身を穿すぼめるようにして、露次の中に這入った。 黒い暖のれ簾んがふわふわしている。白い字が染抜いてある。その次には頭を掠かすめるくらいに軒灯が出ていた。真中に三さん階がい松まつが書いて下に本もととあった。その次には硝ガラ子スの箱に軽かる焼やきの霰あられが詰っていた。その次には軒の下に、更さら紗さの小こぎ片れを五つ六つ四角な枠わくの中に並べたのが懸かけてあった。それから香水の瓶びんが見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺ほど前にいた。と思うと、急に自分の方をふり返った。そうして急に右へ曲った。その時自分の頭は突然先さっ刻きの鳥の心持に変化した。そうして女に尾ついて、すぐ右へ曲った。右へ曲ると、前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。自分は女の黙って思惟するままに、この細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥のようにどこまでも跟いて行った。変化
二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今こん日にちまでも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下した調しらべをした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓まど障しょ子うじを明け放ったものである。その時窓の真下の家うちの、竹たけ格ごう子しの奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際きわ立だって美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらく見みお下ろしていた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。 女の顔は今は全く忘れてしまった。ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。無論長なが屋やず住ま居いの貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝ねお起きする所も、屋根に一枚の瓦かわらさえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学がく僕ぼくと幹事を混まぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹ふき曝さらしの食堂で、下げ駄たを穿はいたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不ま味ずいものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉の膏あぶらが少し浮いて、肉の香かが箸はしに絡からまって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡こう猾かつで、旨うまいものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。 中村と自分はこの私しじ塾ゅくの教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込こみいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。 二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪かき交まぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭若そく干ばくを引いて、あまる金を懐ふところに入れて、蕎そ麦ばや汁しる粉こや寿す司しを食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。 予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。 中村が端ボー艇トき競ょう争そうのチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好すきなものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの論文と沙さお翁うのハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。 学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるで逢あわなかったのが、偶然倫ロン敦ドンの真中でまたぴたりと出で喰くわした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前と異かわって、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。 日本へ帰ってからまた逢あわなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新しん喜きら楽くまで来いと云って来た。正ひ午るまでにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控ひかえていた。妻さいに電話を懸かけさせて、明あ日すじゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちも忙いそがしいから……と云うところで、電話が切れてしまった。いくら、どうしても懸かからない。おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。それでとうとう逢わずにしまった。 昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説をいまだかつて一頁ページも読んだ事はなかろう。クレイグ先生
クレイグ先生は燕つばめのように四階の上に巣をくっている。舗しき石いしの端に立って見上げたって、窓さえ見えない。下からだんだんと昇って行くと、股ももの所が少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。幅三尺足らずの黒い戸に真しん鍮ちゅうの敲ノッ子カーがぶら下がっているだけである。しばらく門前で休息して、この敲子の下かた端んをこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。
開けてくれるものは、いつでも女である。近ちか眼めのせいか眼鏡をかけて、絶えず驚いている。年は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸を敲たたくのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。
這は入いると女はすぐ消えてしまう。そうして取とっ附つきの客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分の這は入いって来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向むこうではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃よしたらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺しわだらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。
この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めて逢あった時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七志シルリングじゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。君、少し金が入いるから払って行ってくれんかなどと云われる。自分は洋ズボ袴ンの隠かくしから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡ひろげて、ちょっと掌てのひらの上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へ繰くり越こそうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。
先生は愛アイ蘭ヤラ土ンドの人で言葉がすこぶる分らない。少し焦せきこんで来ると、東京者が薩さつ摩ま人と喧けん嘩かをした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。
その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分に善よく似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいら中じゅうむしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。髯ひげなどはまことに御気の毒なくらい黒こく白びゃ乱くら生んせいしていた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭むちを忘れた御カブ者マンかと思った。
先生の白しろ襯シャ衣ツや白しろ襟えりを着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでも縞しまのフラネルをきて、むくむくした上うわ靴ぐつを足に穿はいて、その足を煖スト炉ーブの中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲たたいて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌はめていた。――時には敲たたく代りに股ももを擦こすって、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によると昨きの日うと今きょ日うで両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあ出でた鱈ら目めで、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏まとまった規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。もっとも先生の頭も、その髯ひげの代表するごとく、少しは乱雑に傾かたむいていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。
先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには顔から肩の辺あたりが陽かげ炎ろうのように振動する。――嘘うそじゃない。全く振動した。その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物を膝ひざの上に伏せて、鼻はな眼めが鏡ねをわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。
先生は自分を小供のように考えていた。君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどと愚ぐにもつかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同どう輩はい扱あつかいに飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後のち耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減な挨あい拶さつをした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩たたいて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。
ある時窓から首を出して、遥はるかの下界を忙いそがしそうに通る人を見みお下ろしながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可かわ愛いそ相うなものだ。いったい英イギ吉リス利じ人んは詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くと愛アイ蘭ヤラ土ンド人じんはえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩を味あじわう事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。自分はこの先生においていまだ情じょ合うあいというものを認めた事がない。全く器械的にしゃべってる御おじ爺いさんとしか思われなかった。
けれどもこんな事があった。自分のいる下宿がはなはだ厭いやになったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例の稽けい古こを済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまち膝ひざを敲たたいて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。固もとより四階裏の一ひと隅すみだから広いはずはない。二三分かかると、見る所はなくなってしまった。先生はそこで、元の席へ帰って、君こういう家うちなんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。昔ホイットマンが来て自分の家へしばらく逗とう留りゅうしていた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読み過すごしているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。だから……
書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。自分はただ成なり行ゆきに任せてへえへえと云って聞いていた。何でもその時はシェレーが誰とかと喧けん嘩かをしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。
先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれが見みあ当たらないと、大いに焦せきこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰ぎょ山うさんな声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。
﹁お、おれの﹃ウォーズウォース﹄はどこへやった﹂
婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応書しょ棚だなを見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、﹁ウォーズウォース﹂を見つけ出す。そうして、﹁ヒヤ、サー﹂と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚きたない表紙をぴしゃぴしゃ敲たたきながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退さがって行く。先生は二分も三分も﹁ウォーズウォース﹂を敲いている。そうしてせっかく捜さがして貰った﹁ウォーズウォース﹂をついに開けずにしまう。
先生は時々手紙を寄こす。その字がけっして読めない。もっとも二三行だから、何遍でも繰くり返かえして見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。先生から手紙がくれば差さし支つかえがあって稽けい古こができないと云うことと断定して始めから読む手てす数うを省はぶくようにした。たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。その時ははなはだよく分る。先生は便利な書記を抱かかえたものである。先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。そうして君の方がよほど上手だと云われた。
こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資格があると思う。先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりして済すましている。のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけた緒しょ言げんを読まされた事がある。その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。しかしその時はさほどにも感じなかった。しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。
客間を鍵かぎの手てに曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかり併ならべて、先生はまがな隙すきがな、紙かみ片ぎれに書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝けち坊んぼうが穴の開あいた銭ぜにを蓄ためるように、ぽつりぽつりと殖ふやして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙が沙さお翁うじ字て典んの原稿であると云う事は、ここへ来き出だしてしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛なげうって、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七志シルリングの御弟子を疎そま末つにするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜槃ばん桓かん磅ほうしているのみである。
先生、シュミッドの沙さお翁う字じ彙いがある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさも軽けい蔑べつを禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完かん膚ぷなきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものを拵こしらえるくらいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指を揃そろえて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃ敲たたき始めた。
﹁全体いつ頃ごろから、こんな事を御始めになったんですか﹂
先生は立って向うの書しょ棚だなへ行って、しきりに何か捜さがし出したが、また例の通り焦じれったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンの所あり在かを尋ねている。婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーと窘たしなめて帰って行くと、先生は婆さんの一いっ拶さつにはまるで頓とん着じゃくなく、餓ひもじそうに本を開けて、うんここにある。ダウデンがちゃんと僕の名をここへ挙あげてくれている。特別に沙さお翁うを研究するクレイグ氏と書いてくれている。この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。
自分はその後ごしばらくして先生の所へ行かなくなった。行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要いらんかね。僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。
日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。沙さお翁うの専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、反ほ故ごになってしまったのかと考えた。