彼岸過迄に就て
事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身から体だをぶっ通とおしに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好いい機し会おに、なお二箇月の暇を貪むさぼることにとりきめて貰ったのが原もとで、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執とらず、十一十二もつい紙上へは杳ようたる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩くずれた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。 歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒いと口ぐちを開くように事がきまった時は、長い間抑おさえられたものが伸びる時の楽たのしみよりは、背中に背しょ負わされた義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉うれしかった。けれども長い間抛ほうり出しておいたこの義務を、どうしたら例いつもよりも手てぎ際わよくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。 久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充みちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬むくいなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨うまいものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作さく物ぶつのできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳いいものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋うめ合あわせをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜ひそんでいるのである。 この作を公おおやけにするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪ロー漫マン派はの作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標ひょ榜うぼうして路ろぼ傍うの人の注意を惹ひくほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹ふい聴ちょうする事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。 自分はすべて文壇に濫らん用ようされる空疎な流行語を藉かりて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒げん気きがあって自分以上を装よそおうようなものができたりして、読者にすまない結果を齎もたらすのを恐れるだけである。 東京大阪を通じて計算すると、吾わが朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作さく物ぶつを読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露ろ路じも覗のぞいた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真しん率そつに呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公おおやけにし得る自分を幸福と信じている。 ﹁彼ひが岸んす過ぎま迄で﹂というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空むなしい標みだ題しである。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持じしていた。が、ついそれを試みる機会もなくて今こん日にちまで過ぎたのであるから、もし自分の手てぎ際わが許すならばこの﹁彼岸過迄﹂をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企くわだてが意外の障害を受けて予期のごとくに纏まとまらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨うまく行かなくっても、離れるともつくとも片かたのつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差さし支つかえなかろうと思っている。 ︵明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言︶風呂の後
一
敬けい太たろ郎うはそれほど験げんの見えないこの間からの運動と奔走に少し厭いや気きが注さして来た。元々頑がん丈じょうにできた身から体だだから単に馳かけ歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸かかったなり居いす据わって動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途とた端んにすぽりと外はずれたりする反へ間まが度たび重かさなるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪しゃくも手伝って、飲みたくもない麦ビー酒ルをわざとポンポン抜いて、できるだけ快かい豁かつな気分を自分と誘いざなって見た。けれどもいつまで経たっても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退のかないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、﹁まあ田川さん﹂と云ったが、その後あとからまた﹁本当にまあ﹂とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫なでながら、﹁赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ﹂と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外はずして廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜もぐり込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟つぶやいた。 敬太郎は夜中に二返へん眼を覚さました。一度は咽の喉どが渇いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に眼が開あいた時は、もう明るくなっていた。世の中が動き出しているなと気がつくや否いなや敬太郎は、休養休養と云ってまた眼を眠ねむってしまった。その次には気の利きかないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それから後あとはいくら苦心しても寝つかれなかった。やむを得ず横になったまま巻まき煙たば草こを一本吸っていると、半分ほどに燃えて来た敷しき島しまの先が崩れて、白い枕が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいに東窓から射し込む強い日ひあ脚しに打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやく我がを折って起き上ったなり、楊よう枝じを銜くわえたまま、手てぬ拭ぐいをぶら下げて湯に行った。 湯屋の時計はもう十時少し廻っていたが、流しの方はからりと片づいて、小こお桶け一つ出ていない。ただ浴ゆぶ槽ねの中に一人横向になって、硝ガラ子スご越しに射し込んでくる日光を眺ながめながら、呑のん気きそうにじゃぶじゃぶやってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森もり本もとという男だったので、敬太郎はやあ御早うと声を掛けた。すると、向うでも、やあ御早うと挨あい拶さつをしたが、 ﹁何です今頃楊よう枝じなぞを銜くわえ込んで、冗じょ談うだんじゃない。そう云やあ昨ゆう夕べあなたの部屋に電気が点ついていないようでしたね﹂と云った。 ﹁電気は宵よいの口から煌こう々こうと点いていたさ。僕はあなたと違って品行方正だから、夜遊びなんか滅めっ多たにした事はありませんよ﹂ ﹁全くだ。あなたは堅いからね。羨うらやましいくらい堅いんだから﹂ 敬太郎は少し羞くす痒ぐったいような気がした。相手を見ると依然として横おう隔かく膜まくから下を湯に浸つけたまま、まだ飽あきずにじゃぶじゃぶやっている。そうして比較的真ま面じ目めな顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口くち髭ひげがだらしなく濡ぬれて一本一本下した向むきに垂れたところを眺めながら、 ﹁僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は﹂と聞いた。すると森本は倦だ怠るそうに浴槽の側ふちに両りょ肱うひじを置いてその上に額を載のせながら俯うっ伏ぷしになったまま、 ﹁役所は御休みです﹂と頭痛でもする人のように答えた。 ﹁何で﹂ ﹁何ででもないが、僕の方で御休みです﹂ 敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、﹁やっぱり休養ですか﹂と云うと、相手も﹁ええ休養です﹂と答えたなり元のとおり湯ゆぶ槽ねの側に突つっ伏ぷしていた。二
敬けい太たろ郎うが留とめ桶おけの前へ腰をおろして、三さん助すけに垢あか擦すりを掛けさせている時分になって、森本はやっと煙けむの出るような赤い身から体だを全く湯の中から露出した。そうして、ああ好い心持だという顔つきで、流しの上へぺたりと胡あぐ坐らをかいたと思うと、 ﹁あなたは好い体格だね﹂と云って敬太郎の肉にく付づきを賞ほめ出した。 ﹁これで近頃はだいぶ悪くなった方です﹂ ﹁どうしてどうしてそれで悪かった日にゃ僕なんざあ﹂ 森本は自分で自分の腹をポンポン叩たたいて見せた。その腹は凹へこんで背中の方へ引ひっつけられてるようであった。 ﹁何しろ商売が商売だから身体は毀こわす一方ですよ。もっとも不養生もだいぶやりましたがね﹂と云った後で、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合せる気味で、 ﹁今日は僕も閑ひまだから、久しぶりでまたあなたの昔話でも伺いましょうか﹂と云った。すると森本は、 ﹁ええ話しましょう﹂とすぐ乗気な返事をしたが、活かっ溌ぱつなのはただ返事だけで、挙動の方は緩かん慢まんというよりも、すべての筋肉が湯にでられた結果、当分作はた用らきを中止している姿であった。 敬太郎が石シャ鹸ボンを塗つけた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股を擦こすったりする間、森本は依然として胡座をかいたまま、どこ一つ洗う気けし色きは見えなかった。最後に瘠やせた一ひと塊かたまりの肉団をどぶりと湯の中に抛ほうり込むように浸つけて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭きながら上って来た。そうして、 ﹁たまに朝湯へ来ると綺きれ麗いで好い心持ですね﹂と云った。 ﹁ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這は入いるんだからことにそうだろう。実用のための入にゅ湯うとうでなくって、快感を貪むさぼるための入浴なんだから﹂ ﹁そうむずかしい這入り方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億おっ劫くうでね。ついぼんやり浸つかってぼんやり出ちまいますよ。そこへ行くと、あなたは三層倍も勤ま勉めだ。頭から足からどこからどこまで実によく手落なく洗いますね。御おま負けに楊よう枝じまで使って。あの綿密な事には僕もほとんど感心しちまった﹂ 二人は連立って湯屋の門かど口ぐちを出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎もつき合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨ゆう夕べの雨が土を潤ふやかし抜いたところへ、今朝からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴け上あげたりした泥の痕あとを、二人は厭いとうような軽けい蔑べつするような様子で歩いた。日は高く上のぼっているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微かすかな波動を地平線の上に描えがいているらしい感じがした。 ﹁今朝の景けし色きは寝ねぼ坊うのあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖くせに靄もやがいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透すかして見ると、乗客がまるで障しょ子うじに映る影かげ画えのように、はっきり一ひと人り一人見分けられるんです。それでいて御おて天んと道さ様まが向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ﹂ 森本はこんな話をしながら、紙屋へ這は入いって巻紙と状袋で膨ふくらました懐ふところをちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上スリ靴ッパーの踵かかとを鳴らして階はし段ごだんを二つ上のぼり切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、 ﹁さあどうぞ﹂と森本を誘いざなった。森本は、 ﹁もう直じき午ひ飯るでしょう﹂と云ったが、躊ちゅ躇うちょすると思いの外、あたかも自分の部屋へでも這入るような無むぞ雑う作さな態度で、敬太郎の後に跟ついて来た。そうして、 ﹁あなたの室へやから見た景色はいつ見ても好いね﹂と自分で窓の障子を開けながら、手てす摺りつ付きの縁板の上へ濡ぬれ手てぬ拭ぐいを置いた。三
敬けい太たろ郎うはこの瘠やせながら大した病気にも罹かからないで、毎日新橋の停ステ車ーシ場ョンへ行く男について、平生から一種の好奇心を有もっていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿住ずま居いをして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話した試ためしもないので、敬太郎には一切がXエックスである。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑に取とり紛まぎれて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余よゆ裕うも出ず、そうかと云って、森本の方から自己の存在を思い起させるように、敬太郎の眼につくべき所へ顔を出す機会も起らなかった。ただ長い間同じ下宿に立たて籠こもっているという縁故だか同情だかが本もとで、いつの間にか挨あい拶さつをしたり世間話をする仲になったまでである。 だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴れっ乎きとした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。﹁餓が鬼きが死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山さん神じんの祟たたりには実際恐れを作なしていたんですからね﹂と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭においが、箒ほう星きぼしの尻しっ尾ぽのようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。 女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒ぼう険けん譚だんの主人公であった。まだ海かい豹ひょ島うとうへ行って膃おっ肭とせ臍いは打っていないようであるが、北海道のどこかで鮭さけを漁とって儲もうけた事はたしかであるらしい。それから四国辺のある山から安アン質チモ莫ニ尼ーが出ると触れて歩いて、けっして出なかった事も、当人がそう自白するくらいだから事実に違ない。しかし最も奇抜なのは呑のみ口ぐち会がい社しゃの計画で、これは酒さか樽だるの呑口を作る職人が東京にごく少ないというところから思いついたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったと云って彼はいまだに残念がっている。 儲もう口けぐちを離れた普通の浮世話になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるという事を容易に証拠立てる。筑ちく摩まが川わの上流の何とかいう所から河を隔てて向うの山を見ると、巌いわの上に熊がごろごろ昼寝をしているなどはまだ尋常の方なので、それが一層色づいて来ると、信州戸とが隠くし山やまの奥の院というのは普通の人の登れっこない難所だのに、それを盲めく目らが天てっ辺ぺんまで登ったから驚ろいたなどという。そこへ御おま参いりをするには、どんなに脚あしの達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚たき火びをして夜の寒さを凌しのいでいると、下から鈴れいの響が聞えて来たから、不思議に思っているうちに、その鈴の音ねがだんだん近くなって、しまいに座ざと頭うが上のぼって来たんだと云う。しかもその座頭が森本に今晩はと挨あい拶さつをしてまたすたすた上って行ったと云うんだから、余り妙だと思ってなおよく聞いて見ると、実は案内者が一人ついていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、後あとから来る盲めく者らがその鈴の音を頼りに上る事ができるようにしてあったのだと説明されて、やや納なっ得とくもできたが、それにしても敬太郎には随分意外な話である。が、それがもう少し高こうじると、ほとんど妖よう怪かい談だんに近い妙なものとなって、だらしのない彼の口くち髭ひげの下から最も慇いん懃ぎんに発表される。彼が耶やば馬け渓いを通ったついでに、羅らか漢ん寺じへ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦すれ違った。その女は臙べ脂にを塗って白おし粉ろいをつけて、婚礼に行く時の髪を結ゆって、裾すそ模もよ様うの振ふり袖そでに厚い帯を締しめて、草ぞう履りば穿きのままたった一人すたすた羅らか漢ん寺じの方へ上のぼって行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締しまっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーと云って、信じられ得ない意味の微笑を洩もらすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁べん口こうを迎えるのが例であった。四
この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風ふ呂ろから帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門を潜くぐって来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬けい太たろ郎うに取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。 その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌いむ浪ロマ漫ンチ趣ッ味クの青年であった。かつて東京の朝日新聞に児こだ玉まお音とま松つとかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁てい年ねん未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中うちでも音松君が洞穴の中から躍おどり出す大おお蛸だこと戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短ピス銃トルをポンポン打つんだが、つるつる滑すべって少しも手てご応たえがないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小こだ蛸こがぐるりと環わを作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調から戯かい半分に、君のような剽ひょ軽うきんものはとうてい文官試験などを受けて地じみ道ちに世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸たこ狩がりでもしたらどうだと云ったので、それ以来﹁田たが川わの蛸狩﹂という言葉が友達間にだいぶ流は行やり出した。この間卒業して以来足を擂すり木こぎのようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。 南洋の蛸狩はいかな敬太郎にもちと奇きば抜つ過ぎるので、真ま面じ目めに思い立つ勇気も出なかったが、新シン嘉ガポ坡ールの護ゴム謨り林ん栽培などは学生のうちすでに目もく論ろんで見た事がある。当時敬太郎は、果はてしのない広ひろ野のを埋うめ尽す勢いきおいで何百万本という護謨の樹が茂っている真中に、一階建のバンガローを拵こしらえて、その中に栽培監督者としての自分が朝あさ夕ゆう起き臥がする様を想像してやまなかった。彼はバンガローの床ゆかをわざと裸にして、その上に大きな虎の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲をかけ、なおその下に錦の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真白なターバンをぐるぐる頭へ巻きつけて、広いヴェランダに据すえつけてある籐と椅い子すの上に寝そべりながら、強い香かおりのハヴァナをぷかりぷかりと鷹おう揚ように吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、スマタラ産の黒猫、――天びろ鵞う絨どのような毛並と黄こが金ねそのままの眼と、それから身の丈たけよりもよほど長い尻しっ尾ぽを持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲うず踞くまっている訳になっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足の行くようにあらかじめ整えた後で、いよいよ実際の算そろ盤ばんに取りかかったのである。ところが案外なもので、まず護ゴ謨ムを植えるための地面を借り受けるのにだいぶんな手てす数うと暇が要いる。それから借りた地面を切り開くのが容易の事でない。次に地ならし植えつけに費やすべき金かな高だかが以外に多い。その上絶えず人夫を使って草取をした上で、六年間苗なえ木ぎの生長するのを馬鹿見たようにじっと指を銜くわえて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに充分退却に価すると思い出したところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨通つうは、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起すに違ないと威いか嚇くしたので、彼はその後護謨の護の字も口にしなくなってしまったのである。五
けれども彼の異常に対する嗜しよ欲くはなかなかこれくらいの事で冷却しそうには見えなかった。彼は都の真中にいて、遠くの人や国を想像の夢に上のぼして楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合せる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上に奇きなあるものを、マントの裏かコートの袖そでに忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートを引ひっくり返してその奇なところをただ一ひと目めで好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような気になる。 敬けい太たろ郎うのこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新しん亜アラ剌ビヤ比もの亜が物た語りという書物を読ました頃からだんだん頭を持ち上げ出したように思われる。それまで彼は大だいの英えい語ごぎ嫌らいであったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読を怠らずに、あてられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面白がっていたかが分る。ある時彼は興奮の余り小説と事実の区別を忘れて、十九世紀の倫ロン敦ドンに実際こんな事があったんでしょうかと真ま面じ目めな顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻から麻の手ハン帛ケチを出して鼻の下を拭ぬぐいながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の眼はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅い子すを離れてこんな事を云った。 ﹁もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈も自おのずから普通の人間とは違うんで、こんなものができ上ったのかも知れません。実際スチーヴンソンという人は辻つじ待まちの馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから﹂ 辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡極きわまる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨ゆう夕べ人殺しをするための客を出で刃ばぐるみ乗せていっさんに馳かけたのかも知れないと考えたり、または追おっ手ての思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌ほろの中に隠して、どこかの停ステ車ーシ場ョンへ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖こわがるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。 そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測通りとまで行かなくっても、どこか尋常と変った新らしい調子を、彼の神経にはっと響かせ得るような事件に、一度ぐらいは出で会あって然しかるべきはずだという考えが自然と起ってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗るのと、紹介状を貰って知らない人を訪問するくらいのもので、その他に何といって取り立てて云うべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔に飽あき果てた。毎日食う下宿の菜さいにも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄の方ができるとか、朝鮮の方が纏まとまるとかすれば、まだ衣食の途みち以外に、幾分かの刺しげ戟きが得られるのだけれども、両方共二三日前に当分望のぞみがないと判然して見ると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどくぼんやりしてしまった。それで糊ここ口うのための奔走はもちろんの事、往来に落ちたばら銭せんを探さがして歩くような長のど閑かな気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕はさほど好きでもない麦ビー酒ルを大いに飲んで寝たのである。 こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買う御おと供もまでして彼を自分の室へやへ連れ込んだのはこれがためである。六
森本は窓まど際ぎわへ坐ってしばらく下の方を眺ながめていた。 ﹁あなたの室へやから見た景けし色きは相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾すそに、色づいた樹が、所々暖あったかく塊かたまっている間から赤い煉れん瓦がが見える様子は、たしかに画えになりそうですね﹂ ﹁そうですね﹂ 敬けい太たろ郎うはやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱ひじを乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、 ﹁ここはどうしても盆ぼん栽さいの一つや二つ載のせておかないと納まらない所ですよ﹂と云った。 敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう﹁そうですね﹂を繰り返す勇気も出なかったので、 ﹁あなたは画や盆栽まで解るんですか﹂と聞いた。 ﹁解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄がらにないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄いじくるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描かいたもんですよ﹂ ﹁何でもやるんですね﹂ ﹁何でも屋に碌ろくなものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった﹂ 森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。 ﹁しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞なめて見たいといつでもそう思っているんです﹂と敬太郎が真ま面じ目めに云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大おお袈げ裟さに右左に振って見せた。 ﹁それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身から体だだ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝かん心じんなところで山やま気ぎだの謀むほ叛ん気ぎだのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見め付っかりましたか﹂ 正直な敬太郎は憮ぶぜ然んとしてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期あ待てもないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。 ﹁へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが﹂ 森本はここまで来て少し首を傾かしげて、自分の哲理を自分で噛かみしめるような素そぶ振りをした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑こっ稽けいとも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言こと葉ばづ遣かいをするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手てだ段てを知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾かしげた首を急に竪たてに直した。 ﹁どうです、御おい厭やでなきゃ、鉄道の方へでも御お出でなすっちゃ。何なら話して見ましょうか﹂ いかな浪ロマ漫ンチ的ックな敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退のける彼の愛あい嬌きょうを、翻ほん弄ろうと解釈するほどの僻ひがみももたなかった。拠よん処どころなく苦笑しながら、下女を呼んで、 ﹁森本さんの御おぜ膳んもここへ持って来るんだ﹂と云いつけて、酒を命じた。七
森本は近頃身から体だのために酒を慎しんでいると断わりながら、注ついでやりさえすれば、すぐ猪ちょ口くを空からにした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱ほてってくる、気楽はしだいしだいに膨ぼう脹ちょうするように見えた。自分でも﹁こうなりゃ併へい呑どん自じじ若ゃくたるもんだ。明あし日た免職になったって驚ろくんじゃない﹂と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃さかずきに唇くちびるを付けて、付つき合あっているのを見て、彼は、 ﹁田川さん、あなた本当に飲いけないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖くせに冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです﹂と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌ろくでなしのように蹴けなしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後ごこ光うが逆ぎゃくに射すとでも評すべき態度で、気きえを吐はき始めた。そうしてそれが大抵は失敗の気であった。しかも敬太郎を前に置いて、 ﹁あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士で候そうろうのって、肩書ばかり振り廻したって、僕は慴おびえないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの﹂と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていた事はまるで忘れたような風で、無遠慮なきめつけ方をした。そうかと思うと噫げっぷのような溜ため息いきを洩もらして自分の無学をさも情なさけなさそうに恨うらんだ。 ﹁まあ手っ取り早く云やあ、この世の中を猿同どう然ぜん渡って来たんでさあ。こう申しちゃおかしいが、あなたより十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこの通り解げだ脱つができないのは、全く無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ﹂ 敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでも云ったように相手を考えて、その云う事に相応の注意を払って聞いていたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日はいつもより気だの愚ぐ痴ちだのが多くって、例のように純粋の興味が湧わかないのを残念に思った。好い加減に酒を切り上げて見たが、やっぱり物足らなかった。それで新らしく入れた茶を勧すすめながら、 ﹁あなたの経歴談はいつ聞いても面白い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、御話を伺うたんびに利益を得ると思って感謝しているんだが、あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか﹂と聞いて見た。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した眼を二三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯ゆの呑みを干してしまうとこう云った。 ﹁そうですね。やった後あとで考えると、みんな面白いし、またみんなつまらないし、自分じゃちょっと見分がつかないんだが。――全体愉快ってえのは、その、女おん気なっけのある方を指すんですか﹂ ﹁そう云う訳でもないんですが、あったって差さし支つかえありません﹂ ﹁なんて、実はそっちの方が聞きたいんでしょう。――しかし雑じょ談うだん抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさておいて、あれほど呑のん気きな生活は世界にまたとなかろうという奴をやった覚おぼえがあるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、御茶受の代りに﹂ 敬太郎は一も二もなく所望した。森本は﹁じゃあちょっと小便をして来る﹂と云って立ちかけたが、﹁その代り断わっておくが女気はありませんよ。女気どころか、第一人間の気けがないんだもの﹂と念を押して廊下の外へ出て行った。敬太郎は一種の好奇心を抱いだいて、彼の帰るのを待ち受けた。八
ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬けい太たろ郎うはとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階はし段ごだんを上あがって、彼の部屋の前まで来ると、障しょ子うじを五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきに転ころがっているものがすなわち彼であった。﹁森本さん、森本さん﹂と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室へやに這は入いり込むや否や、森本の首筋を攫つかんで強く揺ゆす振ぶった。森本は不意に蜂はちにでも螫さされたように、あっと云って半なかば跳はね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢ゆめ現うつつのたるい眼つきに戻って、 ﹁やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって﹂と弁解する様子に、これといって他ひとを愚ぐろ弄うする体ていもないので、敬太郎もつい怒おこれなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一いち頓とん挫ざを来きたしたも同然なので、一人自分の室へやに引取ろうとすると、森本は﹁どうもすみません、御苦労様でした﹂と云いながら、また後あとから敬太郎について来た。そうして先さっ刻きまで自分の坐すわっていた座ざぶ蒲と団んの上に、きちんと膝ひざを折って、 ﹁じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな﹂と云った。 森本の呑気生活というのは、今から十五六年前ぜん彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。固もとより人間のいない所に天テン幕トを張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕を担かついで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っ気けのありようはずはなかった。 ﹁何しろ高さ二丈もある熊くま笹ざさを切り開いて途みちをつけるんですからね﹂と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮まむ蛇しがとぐろを巻いて日光を鱗うろこの上に受けている。それを遠くから棒で抑おさえておいて、傍そばへ寄って打ぶち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚さか肉なと獣に肉くの間ぐらいだろうと答えた。 天テン幕トの中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身から体だを埋うずめぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚たき火びをして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊か帳やは始しじ終ゅう釣っていた。ある時その蚊帳を担かついで谷川へ下りて、何とかいう川魚を掬すくって帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥なまぐさくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。 彼はまた山であらゆる茸たけを採とって食ったそうである。ます茸だけというのは広ひろ葢ぶたほどの大きさで、切って味みそ噌し汁るの中へ入れて煮るとまるで蒲かま鉾ぼこのようだとか、月つき見みだ茸けというのは一ひと抱かかえもあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠ねず茸みだけというのは三つ葉の根のようで可かわ愛いらしいとか、なかなか精くわしい説明をした。大きな笠かさの中へ、野のぶ葡ど萄うをいっぱい採って来て、そればかり貪むさぼっていたものだから、しまいに舌したが荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。 食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲ひさ酸んな物語もあった。それはみんなの糧かてが尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢さわ辺べまで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄にわ雨かあめで谷が急にいっぱいになったが最後、米など背し負ょって帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰あお向むけに寝て、ただ空を眺ながめていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。 ﹁そう長い間飲まず食わずじゃ、両りょ便うべんとも留とまるでしょう﹂と敬太郎が聞くと、﹁いえ何、やっぱりありますよ﹂と森本はすこぶる気楽そうに答えた。九
敬けい太たろ郎うは微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次茫ぼう々ぼうたる芒すす原きはらの中で、突然面おもても向けられないほどの風に出会った時、彼らは四よつ這ばいになって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一ひと抱かかえも二ふた抱かかえもある大木の枝も幹も凄すさまじい音を立てて、一度に風から痛いた振ぶられるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。 ﹁それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っている訳に行かないでしょう﹂と敬太郎が聞くと、﹁無論突伏していました﹂という答であったが、いくら非ひ道どい風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起すほどの勢いきおいがあろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他ひと事ごとのように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真ま面じ目めになって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。 ﹁おかしいが本当です。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不や中く用ざにゃあ違ないが本当です。――もっともあなた見たいに学のあるものが聞きゃあ全く嘘うそのような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らず随分面白い事がたくさんあるし、またあなたなんざあその面白い事にぶつかろうぶつかろうと苦労して御おい出でなさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄目ですよ。いざとなると大抵は自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落すつもりでかかっても、まさか親の敵かた討きうちじゃなしね、そう真剣に自分の位い地ちを棄すてて漂ひょ浪うろうするほどの物もの数ず奇きも今の世にはありませんからね。第一傍はたがそうさせないから大丈夫です﹂ 敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常じょ調うちょう以上の変った生活は、普通の学士などには送れないかも知れないと考えた。ところがそれを自分にさえ抑おさえたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、 ﹁だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などは無いんですぜ。あなたは位置位置ってしきりに云うが。――実際位置の奔走にも厭あき々あきしてしまった﹂と投げ出すように云った。すると森本は比較的厳げん粛しゅくな顔をして、 ﹁あなたのは位置がなくってある。僕のは位置があって無い。それだけが違うんです﹂と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御おみ籤くじめいた言葉がさほどの意義を齎もたらさなかった。二人は少しの間煙たば草こを吹かして黙っていた。 ﹁僕もね﹂とやがて森本が口を開いた。﹁僕もね、こうやって三年越、鉄道の方へ出ているが、もう厭いやになったから近きん々きん罷やめようと思うんです。もっとも僕の方で罷めなけりゃ向うで罷めるだけなんだからね。三年越と云やあ僕にしちゃ長い方でさあ﹂ 敬太郎は罷めるが好かろうとも罷めないが好かろうとも云わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、他ひとの進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子を易かえて、世間話を快活に十分ほどした後あとで、﹁いやどうも御ごち馳そ走うでした。――とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも﹂と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを云って帰って行った。 それから一週間ばかりの間、田川は落ちついて森本と話す機会を有もたなかったが、二人共同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めない事はほとんど稀まれであった。顔を洗う所などで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒くろ襟えりの掛ったドテラが常に目についた。彼はまた襟えり開あきの広い新調の背せび広ろを着て、妙な洋ステ杖ッキを突いて、役所から帰るとよく出て行った。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘かさ入いれに入れてあると、ははあ先生今日は宅うちにいるなと思いながら敬太郎は常に下宿の門かどを出でい入りした。するとその洋ステ杖ッキがちゃんと例の所に立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。十
一日二日はつい気がつかずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬けい太たろ郎うはようやく不審の念を起し出した。給仕に来る下女に聞いて見ると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。固もとより役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男を相そうして、何でも停ステ車ーシ場ョンの構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違ないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持がした。けれども立つ時すでに五六日と断って行ったのだから、今日か翌あし日たは帰るはずだと下女に云われて見ると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖が依然として傘入の中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。 しまいに宿の神かみさんが来て、森本さんから何か御おた音よ信りがございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟ふくろのような丸い眼の中うちに漂ただよわせて出て行った。それから一週間ほど経たっても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱いだき始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出でば花ななので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食の計はかりごとのために、好奇家の権利を放棄したのである。 すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障しょ子うじを開けて這は入いって来た。彼は腰から古めかしい煙たば草こい入れを取り出して、その筒つつを抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙きせ管るに刻きざ草みを詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴から迸ほとばしらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判はっ然きり向うからそうと切り出されるまで覚さとらずに、どうも変だとばかり考えていた。 ﹁実は少し御願があって上ったんですが﹂と云った主人はやや小声になって、﹁森本さんのいらっしゃる所をどうか教えて頂く訳に参りますまいか、けっしてあなたに御迷惑のかかるような事は致しませんから﹂と藪やぶから棒につけ加えた。 敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくは何という挨あい拶さつも口へ出なかったが、ようやく、﹁いったいどう云う訳なんです﹂と主人の顔を覗のぞき込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は煙管が詰ったと見えて、敬太郎の火ひば箸しで雁がん首くびを掘っていた。それが済んでから羅ら宇うの疎通をぷっぷっ試した上、そろそろと説明に取りかかった。 主人の云うところによると、森本は下宿代が此こ家こに六カ月ばかり滞とどこおっているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此こと年しの末にはどうかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。家うちのものは固もとより出張とばかり信じていたが、その日にち限げんが過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからも何の音たよ信りも来ないので、しまいにとうとう不審を起した。それで一方に本人の室へやを調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物もそのままで、彼のおった時分と何の変りもなかったが、新橋の答はまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月限り罷やめられていたそうである。 ﹁それであなたは平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、あなたに伺ったら多分どこに御おい出でか分るだろうと思って上ったような訳で。けっしてあなたに森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らして頂けますまいか﹂ 敬太郎はこの失しっ踪そう者しゃの友人として、彼の香かんばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこの間まである意味の嘆たん賞しょうを懐ふところにして森本に近づいていたには違ないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合せがあるように見み做なされては、未来を有もつ青年として大いなる不面目だと感じた。十一
正直な彼は主人の疳かん違ちがいを腹の中で怒おこった。けれども怒る前にまず冷たい青あお大だい将しょうでも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙たば草こい入れから刻きざみを撮つまみ出しては雁がん首くびへ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬けい太たろ郎うに与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙きせ管るを扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺ながめていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退たい治じてやりたいような気がし出した。 ﹁僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪の徒とといっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後うし暗ろぐらい関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執しつ濃こく疑っているのは怪けしからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料りょ簡うけんがある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿しゅ料くりょうを滞とどこおらした事があるかい﹂ 主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭抱いだいていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えて貰もらいたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気に障さわったら、いくらでも詫あやまるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙たば草こい入れを早く腰に差させようと思って、単に宜よろしいと答えた。主人はようやく談判の道具を角かく帯おびの後へしまい込んだ。室へやを出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気けし色きも見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。 それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新らしい客が這は入いった。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片づけたかについて不審を抱いだいた。けれども主人がかの煙草入を差して談判に来て以来、森本の事はもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上うわ部べは知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦あ燥せらない程度ながらも、まず自分のやるべき第一の義務として、根気に狩かり歩あるいていた。 或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食くったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄きは八ちじ丈ょうの袢はん天てんで赤ん坊を負おぶった婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉まゆ毛げの細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋いきな部類に属する型だったが、どうしても袢天負おんぶをするという柄がらではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前まえ垂だれの下から格こう子しじ縞まか何かの御おめ召しが出ているので、敬太郎はますます変に思った。外そ面とは雨なので、五六人の乗客は皆傘かさをつぼめて杖つえにしていた。女のは黒くろ蛇じゃ目のめであったが、冷たいものを手に持つのが厭いやだと見えて、彼女はそれを自分の側わきに立て掛けておいた。その畳んだ蛇じゃの目めの先に赤い漆うるしで加か留る多たと書いてあるのが敬太郎の眼に留った。 この黒くろ人うとだか素しろ人うとだか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉まゆを心持八の字に寄せて俯ふし目めが勝ちな白い顔と、御おめ召しの着物と、黒蛇の目に鮮あざやかな加留多という文字とが互たが違いちがいに敬太郎の神経を刺しげ戟きした時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、﹁こういうと未練があるようでおかしいが、顔かお質だちは悪い方じゃありませんでした。眉まみ毛えの濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある﹂といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶おもい起しながら、加留多と書いた傘の所もち有ぬ主しを注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。後に残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差出人の名前の書いてない一封の手紙を見出した。十二
好奇心に駆かられた敬けい太たろ郎うは破るようにこの無名氏の書信を披ひらいて見た。すると西せい洋よう罫けい紙しの第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力つとめたが、肉が薄いのでどうしても判断がつかなかった。やむを得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片づける事にした。本文にはこうあった。 ﹁突然消えたんで定めて驚ろいたでしょう。あなたは驚ろかないにしても、雷らい獣じゅうとそうしてズク︵森本は平生下宿の主人夫婦を、雷獣とそうしてズクと呼んでいた。ズクは耳ズクの略である︶彼ら両人は驚ろいたに違ない。打ち明けた御話をすると、実は少し下宿代を滞とどこおらしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面倒をいうだろうと思って、わざと断らずに、自由行動を取りました。僕の室へやに置いてある荷物を始末したら――行こ李りの中には衣類その他がすっかり這は入いっていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人にあなたから右を売るなり着るなりしろとおっしゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲くせ者もの故ゆえ僕の許諾を待たずして、とっくの昔にそう取計っているかも知れない。のみならず、こっちからそう穏おん便びんに出ると、まだ残っている僕の尻を、あなたに拭って貰いたいなどと、とんでもない難題を持ちかけるかも知れませんが、それにはけっして取り合っちゃいけません。あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣輩はいが食くい物ものにしたがるものですから、その辺へんはよく御注意なさらないといけません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善よくないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺いか憾んの至いたりだから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います﹂ 森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽がかりを勤めている由よしを書いて、来年の春には活動写真買入の用向を帯びて、是非共出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今から楽たのしみにして待っているとつけ加えていた。そうしてその後あとへ自分が旅行した満まん洲しゅう地方の景況をさも面白そうに一口ぐらいずつ吹ふい聴ちょうしていた。中で最も敬太郎を驚ろかしたのは、長ちょ春うしゅんとかにある博ばく打ち場ばの光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まる汚ない支那人が、折詰のようにぎっしり詰って、血ちま眼なこになりながら、一種の臭しゅ気うきを吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰なぐさみ半分わざと垢あかだらけな着物を着て、こっそりここへ出しゅ入つにゅうするというんだから、森本だってどんな真ま似ねをしたか分らないと敬太郎は考えた。 手紙の末段には盆ぼん栽さいの事が書いてあった。﹁あの梅の鉢は動どう坂ざかの植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載のせておいて朝あさ夕ゆう眺ながめるにはちょうど手頃のものです。あれを献けん上じょうするからあなたの室へやへ持っていらっしゃい。もっとも雷らい獣じゅうとそうしてズクは両人共極きわめて不風流故ゆえ、床の間の上へ据すえたなり放っておいて、もう枯らしてしまったかも知れません。それから上り口の土間の傘かさ入いれに、僕の洋ステ杖ッキが差さっているはずです。あれも価ねだ格んから云えばけっして高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖をあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だからけっして御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満洲ことに大連ははなはだ好い所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかに無いでしょう。思い切って是非いらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄の方にもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当の御世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら﹂ 敬太郎は手紙を畳んで机の抽ひき出だしへ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について、何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入の中に差さっていた。敬太郎は出でい入りの都つ度ど、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。停留所
一
敬けい太たろ郎うに須すな永がという友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大だい嫌きらいで、法律を修おさめながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退たい嬰えい主しゅ義ぎの男であった。少くとも敬太郎にはそう見えた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、淋さみしいような、また床ゆかしいような生活を送っている。父は主計官としてだいぶ好い地位にまで昇のぼった上、元来が貨かし殖ょくの道に明らかな人であっただけ、今では母おや子こと共も衣食の上に不安の憂うれいを知らない好い身分である。彼の退嬰主義も半なかばはこの安泰な境遇に慣なれて、奮闘の刺しげ戟きを失った結果とも見られる。というものは、父が比較的立派な地位にいたせいか、彼には世せけ間んて体いの好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。 ﹁そう贅ぜい沢たくばかり云ってちゃもったいない。厭いやなら僕に譲るがいい﹂と敬太郎は冗じょ談うだん半分に須永を強せ請びることもあった。すると須永は淋さびしそうなまた気の毒そうな微笑を洩もらして、﹁だって君じゃいけないんだから仕方がないよ﹂と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執しゅ念うね深んぶかくない性た質ちだから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景を有もたない彼は、朝から晩まで下宿の一ひと間まにじっと坐っている苦痛に堪たえなかった。用がなくっても半日は是非出て歩あるいた。そうしてよく須永の家うちを訪おと問ずれた。一つはいつ行っても大抵留守の事がないので、行く敬太郎の方でも張合があったのかも知れない。 ﹁糊く口ちも糊口だが﹇#﹁糊口だが﹂は底本では﹁口糊だが﹂﹈、糊口より先に、何か驚嘆に価あたいする事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いても全く駄目だね。攫す徒りにさえ会わない﹂などと云うかと思うと、﹁君、教育は一種の権利かと思っていたら全く一種の束そく縛ばくだね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃ何の権利かこれあらんやだ。それじゃ位い地ちはどうでもいいから思う存分勝手な真ま似ねをして構わないかというと、やっぱり構うからね。厭いやに人を束縛するよ教育が﹂と忌いま々いましそうに嘆息する事がある。須永は敬太郎のいずれの不平に対しても余り同情がないらしかった。第一彼の態度からしてが本当に真ま面じ目めなのだか、またはただ空から焦はし燥ゃぎに焦燥いでいるのか見分がつかなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮ずった事ばかり言い募つのるので、﹁それじゃ君はどんな事がして見たいのだ。衣食問題は別として﹂と聞いた。敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。 ﹁じゃするが好いじゃないか、訳ないこった﹂ ﹁ところがそうは行かない﹂ 敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜もぐる社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫つかんだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただ他ひとの暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴ばく露ろにあるのだから、あらかじめ人を陥おとしいれようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者否いな人間の異常なる機から関くりが暗い闇やみ夜よに運転する有様を、驚嘆の念をもって眺ながめていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永は逆さからわずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ちつき払った風のあるのを悪にくく思って別れた。けれども五日と経たたないうちにまた須永の宅うちへ行きたくなって、表へ出ると直すぐ神田行の電車に乗った。二
須すな永がはもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目めじ標るしに、須田町の方から右へ小さな横町を爪つま先さき上のぼりに折れて、二三度不規則に曲った極きわめて分り悪にくい所にいた。家いえ並なみの立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御みか影げの上を渡らなければ、格こう子しさ先きの電ベ鈴ルに手が届かないくらいの一ひと構かまえであった。もとから自分の持もち家いえだったのを、一時親類の某なにがしに貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無ぶに人んの活くら計しには場所も広さも恰かっ好こうだろうという母の意見から、駿する河がだ台いの本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬けい太たろ郎うはなるほどそうかと思って、二階の床柱や天てん井じょ板ういたを見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後から継つぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺きれ麗いに明かな四畳六畳二ふた間まつづきの室へやであった。その室に坐すわっていると、庭に植えた松の枝と、手ちょ斧うな目めの付いた板いた塀べいの上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手てす摺りから見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺さぎ草そうを眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。 彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽けい蔑べつすると同時に、閑静ながら余よゆ裕うのあるこの友の生活を羨うらやみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上った斑まだらな興味を懐ふところに、彼は須永を訪問したのである。 例の小こう路じを二三度曲折して、須永の住す居まっている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜くぐった。敬太郎はただ一ひと目めその後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪ロマ漫ンし趣ゅ味みとが力を合せて、引き摺ずるように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗のぞいて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅もみ葉じを引ひき手てに張り込んだ障しょ子うじが、閑静に閉しまっているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺ながめていたが、やがて沓くつ脱ぬぎの上に脱ぎ捨てた下げ駄たに気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきに揃そろっているだけで、下女が手をかけて直した迹あとが少しも見えない。敬太郎は下駄の向むきと、思ったより早く上あがってしまった女の所しょ作さとを継つぎ合わして、これは取次を乞わずに、独ひとりで勝手に障子を開けて這は入いった極きわめて懇意の客だろうと推察した。でなければ家うちのものだが、それでは少し変である。須永の家いえは彼と彼の母と仲なか働ばたらきと下女の四よつ人たり暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。 敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外から窺うかがうというよりも、むしろ須永とこの女がどんな文あやに二人の浪ロマ漫ンを織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞きき耳みみは立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。艶なまめいた女の声どころか、咳せ嗽き一つ聞えなかった。 ﹁許いい嫁なずけかな﹂ 敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯めし焚たきは下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私ささ語やいている。――はたしてそうだとするといつものように格こう子し戸どをがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼ひる寝ねをしている。女はそこへ這は入いったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐きつ憑ねつきのようにのそりと立っていた。三
すると二階の障しょ子うじがすうと開あいて、青い色の硝ガラ子スび瓶んを提さげた須すな永がの姿が不意に縁えん側がわへ現われたので敬けい太たろ郎うはちょっと吃びっ驚くりした。 ﹁何をしているんだ。落し物でもしたのかい﹂と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽の喉どの周まわ囲りに白いフラネルを捲まいていた。手に提さげたのは含がん嗽そう剤ざいらしい。敬太郎は上を向いて、風か邪ぜを引いたのかとか何とか二三言葉を換かわしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいに這入れと云った。敬太郎はわざと這入っていいかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味を覚さとらない人のごとく、軽く首うな肯ずいたぎり障子の内に引き込んでしまった。 階はし段ごだんを上あがる時、敬太郎は奥の部屋で微かすかに衣きぬ摺ずれの音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒くろ八はち丈じょうの襟えりの掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像を逞たくましくしたという疚やましさもあり、また面めんと向ってすぐとは云い悪にくい皮肉な覘ねらいを付けた自覚もあるので、今しがた君の家うちへ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心を圧おし隠すような風に、 ﹁空想はもう当分やめだ。それよりか口の方が大事だからね﹂と云って、兼かねて須永から聞いている内うち幸さい町わいちょうの叔父さんという人に、一応そういう方の用向で会っておきたいから紹介してくれと真ま面じ目めに頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連つれ合あいで、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係を有もっている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力を藉かりてどうしようという料りょ簡うけんもないと見えて、﹁叔父がいろいろ云ってくれるけれども、僕は余あんまり進まないから﹂と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。 須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽の喉どを痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、﹁叔父も忙がしい身から体だだしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ﹂と念のためだか何だかつけ加えた。余り望のぞみを置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ず宜よろしく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。 元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯いつわりなき事実ではあるが、いまだに成せい効こうの曙しょ光こうを拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸かけ値ねが籠こもっていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、︵妹が片づいて、︶母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田でん地じを有もっていた。固もとより大した穀こく高だかになるというほどのものでもないが、俵ひょうがいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空から騒さわぎでないにしても、郷党だの朋ほう友ゆうだのまたは自分だのに対する虚栄心に煽あおられている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪ロマ漫ン家かだけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶる鮮あざやかならぬ及第をしてしまったのである。四
それで約一時間ほど須すな永がと話す間にも、敬けい太たろ郎うは位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先さっ刻き見た後うし姿ろすがたの女の事が気に掛って、肝かん心じんの世渡りの方には口先ほど真ま面じ目めになれなかった。一度下した座ざし敷きで若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶち壊こわす道具になって、せっかくの問が間まは外ずれになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。 それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心に媚こびるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小こう路じのために、賽さいの目めのように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんど戸こごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。 まず須永の五六軒先には日本橋辺の金かな物もの屋やの隠居の妾めかけがいる。その妾が宮みや戸と座ざとかへ出る役者を情い夫ろにしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代だい言げんだか周しゅ旋うせ屋んやだか分らない小こぎ綺れ麗いな格こう子しど戸づ作くりの家うちがあって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒ボー板ルドへ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、襞ひだを取った紺こん綾あやの長いマントをすぽりと被かぶって、まるで西洋の看護婦という服な装りをして来て職業の周旋を頼んだ。それが其そ家この主人の昔むかし書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白しら髪があ頭たまで廿はたちぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵か当たに取った女房だそうである。その隣りの博ばく奕ちう打ちが、大勢同類を寄せて、互に血ちま眼なこを擦こすり合っている最中に、ねんね子で赤ん坊を負おぶったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主を迎むかえに来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれと縋すがりつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四あた隣りの眠ねむりを驚ろかせる。…… 須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口を拭ぬぐってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。固もとよりその推察の裏には先さっ刻き見た後姿の女が薄い影を投げていた。﹁ついでに君の分も聞こうじゃないか﹂と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に﹁今日は咽の喉どが痛いから﹂と云った。さも小説は有もっているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨あい拶さつに聞えた。 敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気を利きかして隠したのか、彼にはまるで見けん当とうがつかなかった。表へ出るや否や、どういう料りょ簡うけんか彼はすぐ一軒の煙たば草こ屋やへ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻を銜くわえて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途とた端んに、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這は入いって来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちら跟ついて来た。しまいに﹁本郷台町の三階から遠とお眼めが鏡ねで世の中を覗のぞいていて、浪ロマ漫ンて的き探険なんて気の利いた真ま似ねができるものか﹂と須永から冷ひ笑やかされたような心持がし出した。五
彼は今こん日にちまで、俗にいう下町生活に昵なじ懇みも趣味も有もち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜くぐれない格こう子し戸どだの、三た和た土きの上から訳わけもなくぶら下がっている鉄かな灯どう籠ろうだの、上あがり框がまちの下を張り詰めた綺きれ麗いに光る竹だの、杉だか何だか日ひ光が透とおって赤く見えるほど薄っぺらな障しょ子うじの腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几きち帳ょう面めんに暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊よう枝じの削けずり方かたまで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙たば草こぼ盆んのように、先祖代々順々に拭ふき込まれた習慣を笠かさに、恐るべく光っているのだろうと推察する。須すな永がの家うちへ行って、用もない松へ大事そうな雪ゆき除よけをした所や、狭い庭を馬ばか鹿てい丁ね寧いに枯松葉で敷きつめた景けし色きなどを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐ふところに、ぽうと育った若わか旦だん那なを聯れん想そうしない訳に行かなかった。第一須永が角かく帯おびをきゅうと締しめてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長なが唄うたの好きだとかいう御おっ母かさんが時々出て来て、滑すべっこい癖くせにアクセントの強い言葉で、舌した触ざわりの好い愛あい嬌きょうを振りかけてくれる折などは、昔から重じゅ詰うづめにして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出でき来あ合い以上の旨うまさがあるので、紋もん切きり形がたとは無論思わないけれども、幾いく代だいもかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜ひそんでいるとしか受取れなかった。 要するに敬けい太たろ郎うはもう少し調ちょ子うし外はずれの自由なものが欲しかったのである。けれども今きょ日うの彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿しめっぽい空気がいまだに漂ただよっている黒い蔵くら造づくりの立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣かき殼がら町ちょうの水すい天てん宮ぐう様さまと深川の不動様へ御参りをして、護ご摩までも上げたかった。︵現に須永は母の御供をしてこういう旧きゅ弊うへいな真ま似ねを当り前のごとくやっている。︶それから鉄てつ無む地じの羽織でも着ながら、歌舞伎を当とう世せいに崩くずして往来へ流した匂においのする町内を恍こう惚こつと歩きたかった。そうして習慣に縛しばられた、かつ習慣を飛び超こえた艶なまめかしい葛かっ藤とうでもそこに見出したかった。 彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物もの好ずきにも自みずから進んでこの後うしろ暗ぐらい奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙こうむるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんに依よっては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪ロマ漫ンが急に温あた味たかみを失って、醜みにくい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口くち髭ひげをだらしなく垂らした二ふた重えま瞼ぶちの瘠やせぎすの森本の顔だけは粘ねばり強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮あなどりたいような、また憐あわれみたいような心持になった。そうしてこの凡ぼん庸ような顔の後うしろに解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記かた念みにくれると云った妙な洋ステ杖ッキを聯れん想そうした。 この洋杖は竹の根の方を曲げて柄えにした極きわめて単たん簡かんのものだが、ただ蛇へびを彫ってあるところが普通の杖つえと違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑のみかけているところを握にぎりにしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑すべっこく削けずられているので、蛙かえるだか鶏たま卵ごだか誰にも見けん当とうがつかなかった。森本は自分で竹を伐きって、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。六
敬けい太たろ郎うは下宿の門かど口ぐちを潜くぐるとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりも途みちすがらの聯想が、硝ガラ子ス戸どを開けるや否や、彼の眼を瀬せと戸も物のの傘かさ入いれの方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出でい入りの際視線を逸そらしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入の傍そばを通るのが苦になってきて、極きわめて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずと祟たたられたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去に溯さかのぼる嫌けん疑ぎを恐れて、森本の居所もまたその言こと伝づても主人夫婦に告げられないという弱味を有もっているには違ないが、それは良心の上にどれほどの曇くもりもかけなかった。記かた念みとして上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、他ひとの好意を空むなしくする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げるとする。︵おそらくはのたれ死じにという終りを告げるのだろう。︶その憐あわれな最さい期ごを今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によって刻きざまれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつまでも竹の棒の先に、口を開あいたまま喰くっ付ついているとする。――こういう風に森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結びつけて考えた上に、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近い内にのたれ死をする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時に始めて妙な感じが起るのである。彼は自分でこの洋杖を傘入の中から抜き取る事もできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かない所へ片づけさせる訳にも行かないのを大おお袈げ裟さではあるが一種の因いん果がのように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活かっ計けいとはだいぶ一致しないところもあって、実際を云うと、これがために下宿を変えて落ちついた方が楽だと思うほど彼は洋杖に災わざわいされていなかったのである。 今日も洋ステ杖ッキは依然として傘入の中に立っていた。鎌首は下げた駄ば箱この方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分の室へやに上ったが、やがて机の前に坐って、森本にやる手紙を書き始めた。まずこの間向うから来た音たよ信りの礼を述べた上、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を二三行でもいいからつけ加えたいと思ったが、それを明らさまに打ち開けては、君のような漂ヴァ浪ガボ者ンドを知己に有もつ僕の不名誉を考えると、書信の往復などはする気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取り紛まぎれと簡単な一句でごまかしておいた。次に彼が大連で好都合な職業にありついた祝いの言葉をちょっと入れて、その後あとへだんだん東京も寒くなる時節柄、満まん洲しゅうの霜しもや風はさぞ凌しのぎ悪にくいだろう。ことにあなたの身から体だではひどく応こたえるに違ちがいないから、是非用心して病気に罹かからないようになさいと優しい文句を数すぎ行ょう綴つづった。敬太郎から云うと、実にここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するように旨うまくかつ長く、そうして誰が見ても実意の籠こもっているように書きたかったのだけれども、読み直して見ると、やっぱり普通の人が普通時候の挨あい拶さつに述べる用語以外に、何の新らしいところもないので、彼は少し失望した。と云って、固もと々もと恋人に送る艶えん書しょほど熱烈な真まご心ころを籠こめたものでないのは覚悟の前である。それで自分は文章が下手だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実の下に、そこはそのままにして前さきへ進んだ。七
森本が下宿へ置き去りにして行った荷物の始末については義理にも何とか書き添えなければすまなかった。しかしその処置のつけ方を亭主に聞くのは厭いやだし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬けい太たろ郎うは筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう﹁あなたの荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合の宜いいように取り計らわせろとの御依頼でしたが、あなたの千里眼の通り、僕が何にも云わない先に、雷らい獣じゅうの方で勝手に取計ってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆ぼん栽さいを下さるという事ですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただ御礼だけ申し述べておきます。それから﹂とつづけておいて、また筆を休めた。 敬太郎はいよいよ洋ステ杖ッキのところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御おぼ覚しめ召しだから、ちょうだいして毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しい嘘うそは吐つけず、と言って御親切はありがたいが僕は貰いませんとはなおさら書けず。仕方がないから、﹁あの洋杖はいまだに傘かさ入いれの中に立っています。持主の帰るのを毎日毎夜待ち暮しているごとく立っています。雷獣もあの蛇の頭へは手を触れる事をあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としてのあなたの手腕に敬服せざるを得ないです﹂と好いい加かげ減んな御お世せ辞じを並べて、事実を暈ぼかす手段とした。 状袋へ名宛を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮ばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽掛り森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼を憚はばからなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせる訳にも行かなかったから、敬太郎はすぐそれを自分の袂たもとの中に蔵かくした。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯はし子ごだ段んを下まで降り切ると、須すな永がから電話が掛った。 今日内幸町から従いと妹こが来ての話に、叔父は四五日内に用事で大阪へ行くかも知れないそうだから、余り遅くなってはと思って、立つ前に会って貰もらえまいかと電話で聞いて見たら、宜よろしいという返事だから、行く気ならなるべく早く行った方がよかろう。もっとも電話の上に咽の喉どが痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向であった。敬太郎は﹁どうもありがとう。じゃなるべく早く行くようにするから﹂と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行って見ようという気が起ったので、再び三階へ取って返してこの間拵こしらえたセルの袴はかまを穿はいた上、いよいよ表へ出た。 曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝かん心じんの森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微かすかな火ほと気ぼりを残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口を滑すべって、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封を披ひらく様を想見して、満まん更ざら悪い心持もしまいと思った。 それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考も一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明みょ神うじ下んしたへ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭の内で繰り返して見ると、覚えずはっと思うところが出て来た。須永は﹁今日内幸町からイトコが来て﹂とたしかに云ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子である事は疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。 ﹁どっちだろう﹂ 敬太郎は突然気にし始めた。もしそれが男だとすれば、あの後姿の女についての手がかりにはならない。したがって女は彼の好奇心を徒いたずらに刺しげ戟きしただけで、ちっとも動いて来ない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上り具合といい、どうも自分より一足先へ這は入いったあの女らしい。想像と事実を継つぎ合わせる事に巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうときめてしまった。こう解釈した時彼は、今まで泡あわ立だっていた自分の好奇心に幾分の冷水を注さしたような満足を覚えると共に、予期したよりも平凡な方角に、手がかりが一つできたと云うつまらなさをも感じた。八
彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須すな永がの門かど口ぐちまで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮せん議ぎをすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真まっ直すぐに神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従いと妹この家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行の辺あたりで下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。淋さびしい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。丸い瓦ガ斯スに田たぐ口ちと書いた門の中を覗のぞいて見ると、思ったより奥深そうな構かまえであった。けれども実際は砂利を敷いた路みちが往来から筋すじ違かいに玄関を隠しているのと、正面を遮さえぎる植込がこんもり黒ずんで立っているのとで、幾分か厳いかめしい景気を夜陰に添えたまでで、門内に這は入いったところでは見みつ付きほど手広な住すま居いでもなかった。 玄関には西せい洋よう擬まがいの硝ガラ子ス戸どが二枚閉たててあったが、頼むといっても、電ベ鈴ルを押しても、取次がなかなか出て来ないので、敬けい太たろ郎うはやむを得ずしばらくその傍そばに立って内の様子を窺うかがっていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえ出して、眼の前の擦すり硝ガラ子スがぱっと明るくなった。それから庭にわ下げ駄たで三た和た土きを踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉が片方開あいた。敬太郎はこの際取次の風ふう采さいを想望するほどの物もの数ず奇きもなく、全く漫然と立っていただけであるが、それでも絣かすりの羽はお織りを着た書生か、双ふた子この綿入を着た下女が、一応御辞儀をして彼の名刺を受取る事とのみ期待していたのに、今いま戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立派な服な装りをした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔は判はっ然きりしなかったが、白しろ縮ちり緬めんの帯だけはすぐ彼の眼に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれども事が余り意外なので、すぐ挨あい拶さつをする余よゆ裕うも出ず少しはあっけに取られた気味で、ぼんやりしていた。その上自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが乃ない至し六十代だろうがほとんど区別のない一いち様ようの爺さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対して有もたなかったと同時に、そのいずれに向っても慣れないうちは異人種のような無ぶ気き味みを覚えるのが常なので、なおさら迷ま児ごついたのである。しかし相手は何も気にかからない様子で、﹁何か用ですか﹂と聞いた。丁てい寧ねいでもなければ軽けい蔑べつでもない至って無むぞ雑う作さなその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗ると共に手短かく来意を告げる機会を得た。すると年とし嵩かさな男は思い出したように、﹁そうそう先さっ刻き市いち蔵ぞう︵須永の名︶から電話で話がありました。しかし今夜御おい出でになるとは思いませんでしたよ﹂と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精せい一いっ杯ぱい言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、﹁そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかっても宜ようござんす﹂と云った。敬太郎は篤あつく礼を述べてまた門を出たが、暗い夜よの中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。 これはずっと後あとになって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人碁ごば盤んに向って、白石と黒石を互たが違いちがいに並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一いっ石せきやった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝かん心じんのところで敬太郎がさも田いな舎かも者のらしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛てん末まつを聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨あい拶さつが丁てい寧ねい過ぎたような気がした。九
中なか一いち日にち置いて、敬けい太たろ郎うは堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差さし支つかえないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的横おう風ふうなところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、﹁どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから﹂と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、﹁ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です﹂と前よりは言葉がよほど粗ぞん末ざいになっていた。敬太郎は、﹁そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人に宜よろしく﹂と答えて電話を切ったが、内心は一種厭いやな心持がした。 十二時かっきりに午ひる飯めしを食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいた膳ぜんが、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急せき立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一おと昨と日いの晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無むぞ雑う作さな取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛あい嬌きょうのある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲かがめて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先さっ刻き電話の取次に出たもののように、五分と経たたないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。その癖くせ自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性た質ちであった。 小川町の角で、斜はすに須すな永がの家うちへ曲まがる横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日ひか蔭げから日ひな向たへ想像を移した。今日も美くしい須永の従いと妹このいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億おっ劫くうな手てか数ずをかけて、好い顔もしない爺じいさんに、衣食の途みちを授けて下さいと泣なきつきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取っては遥はるかに麗うららかであったからである。彼は須永の従いと妹こと田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先さ方きの人品は判はっ然きり分らなかったけれども、眼鼻だちの輪りん廓かくだけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜よ目めにも疑うたがいなく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器きり量ょうはあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日ひな向たひ日か蔭げの裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱いだいていたのである。それを互違にくり返した後あと、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御ぎょ者しゃを乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。 玄関へ掛って名刺を出すと、小こく倉らの袴はかまを穿はいた若い書生がそれを受取って、﹁ちょっと﹂と云ったまま奥へ這は入いって行った。その声が確かに先さっ刻き電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後うし姿ろすがたを見送りながら厭いやな奴やつだと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして﹁御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ﹂と云って、敬太郎の前に突つっ立たっていた。敬太郎も少しむっとした。 ﹁先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが﹂ ﹁実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御おぜ膳んなどが出て混ごた雑ごたしているんです﹂ 落ちついて聞きさえすれば満まん更ざら無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪しゃくに障さわっている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先せんを越すつもりか何かで、﹁そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく﹂と平ひょ仄うそくの合わない捨すて台ぜり詞ふのような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍そばを擦すり抜けて表へ出た。十
彼はこの日必要な会見を都合よく済ました後あと、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須すな永がと彼の従いと妹ことそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みに継つぎ合せつつある一いち部ぶし始じゅ終うを御ごち馳そ走うに、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園の傍わきに立った彼の頭には、そんな余よゆ裕うはさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在あり所かをすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持は固もとよりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐ちく一いち顛てん末まつを話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほど間まがあった。須永の家うちの前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障しょ子うじは立て切ったままついに開あかなかった。もっとも彼は体てい裁さい家やで、平生からこういう呼び出し方を田いな舎かも者のらしいといって厭いやがっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬けい太たろ郎うは正式に玄関の格こう子しぐ口ちへかかった。けれども取次に出た仲なか働ばたらきの口から﹁午ひる少し過に御出ましになりました﹂という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。 ﹁風か邪ぜを引いていたようでしたが﹂ ﹁はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました﹂ 敬太郎は帰ろうとした。仲働は﹁ちょっと御隠居さまに申し上げますから﹂といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這は入いった。と思うと襖ふすまの陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面おも長ながの下町風に品ひんのある婦人であった。 ﹁さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから﹂ 須永の母にこう云い出されたが最後、江え戸ど慣なれない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第だい一ちどこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世せけ間んて体いの好い御お世せ辞じと違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失なくなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐から紙かみを締しめてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐さく倉らを埋いけた火ひば鉢ちを勧めてくれたりするうちに、一時昂こう奮ふんした彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋あき田たぶ蕗きを一面に大きく摺すった襖ふすまの模様だの、唐から桑くわらしくてらてらした黄色い手てあ焙ぶりだのを眺ながめて、このしとやかで能弁な、人を外そらす事を知らないと云った風の母と話をした。 彼女の語るところによると、須永は今日矢やら来いの叔父の家うちへ行ったのだそうである。 ﹁じゃついでだから帰りに小こび日な向たへ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃無ぶし精ょうになったようですね、この間も他ひとに代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだって中じゅうから風邪を引いて咽の喉どを痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我が無むしゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無むと頓んじ着ゃくでございますから……﹂ 須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子で伜せがれの話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題の後あとへ喰くっ付ついて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。十一
そのうち話がいつか肝かん心じんの須すな永がを逸それて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御おっ母かさんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅ぜい沢たく屋やのように敬けい太たろ郎うは須永から聞いていた。外がい套とうの裏は繻しゅ子すでなくては見っともなくて着られないと云ったり、要いりもしないのに古こわ渡たりの更さら紗さだ玉まとか号して、石だか珊さん瑚ごだか分らないものを愛あい玩がんしたりする話はいまだに覚えていた。 ﹁何にもしないで贅ぜい沢たくに遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね﹂と敬太郎が云うのを引き取るように母は、﹁どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません﹂と打ち消した。 須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途と切ぎれるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉を継ついだ。 ﹁それでも妹いも婿とむこの方は御おか蔭げさまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来の弟おととなどになりますと、云わば、浪ろう人にん同様で、昔に比くらべたら、尾羽うち枯らさないばかりの体ていたらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ﹂ 敬太郎は何となく自分の身の上を顧かえりみて気恥かしい思をした。幸さいわいにさきがすらすら喋しゃ舌べってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてもの得とくとして聞き続けた。 ﹁それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、務つとめにでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無むと頓んじ着ゃくであなた……﹂ 敬太郎はこの点において実際須永が横おう着ちゃ過くすぎると平ふだ生んから思っていた。﹁余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも﹂と全く年寄に同情する気で云った。 ﹁ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這は入いって算そろ盤ばんなんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵が嬉うれしがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました﹂ 敬太郎はこの時自分が今日何のために馳かけ込むようにこの家を襲おそったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門は潜くぐらないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台せり詞ふを云って帰る気でいたのに、肝かん心じんの須永は留る守すで、事情も何も知らない彼の母から、逆さかさにいろいろな話をしかけられたので、怒おこってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見を遂とげ得なかった顛てん末まつだけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。十二
﹁実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが﹂と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、﹁おやそうでございましたか﹂とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬けい太たろ郎うが躍やっ起きになって口を探さがしている事や、探しあぐんで須すな永がに紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永の傍そばにいる母として彼かの女おんなのことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先さ方きで何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうと力つとめにかかったが、時々相手から﹁そうでございますとも﹂とか、﹁本当にまあ、間まの悪い時にはね﹂とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっ腹ぱらを立てて悪あく体たいを吐ついた事などは話のうちから綺きれ麗いに抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返した後あとで、田口を弁護するようにこんな事を云った。―― ﹁そりゃあ実のところ忙しい男なので。妹いもとなどもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落おち々おち話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要よう作さくさんいくら御金が儲もうかるたって、そう働らいて身から体だを壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資もと本でじゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧わいてくるんで、傍そばから掬しゃくい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へ伴つれて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つように急せき立てる事もございますが……﹂ ﹁御嬢さんがおありなのですか﹂ ﹁ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿むこを取るとかしなければなりますまいが﹂ ﹁そのうちの一人の方かたが、須永君のところへ御おい出でになる訳でもないんですか﹂ 母はちょっと口くち籠ごもった。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、 ﹁まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当とう人にん達たちの存じ寄りもしかと聞きき糺ただして見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱やき急もき思ってもこればかりは致し方がございません﹂と何だか意味のありそうな事を云った。一度退ひきかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、善よくないという克こっ己きし心んにすぐ抑えられた。 母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身から体だだから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、緩ゆっくり会ったら宜よかろうという注意とも慰いし藉ゃともつかない助じょ言ごんも与えた。 ﹁矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけば馳かけて帰って来て会うといった風の性た質ちでございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと﹂ こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先さっ刻きのようにぷんぷん怒ってはとうてい物にならないにきまり切っている。しかし今いま更さらそれを打ち明ける訳には行かないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお﹁あんな顔はしておりますが、見かけによらない実意のある剽ひょ軽うき者んものでございますから﹂と云って一人で笑った。十三
剽軽者という言葉は田口の風ふう采さいなり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬けい太たろ郎うの腑ふに落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。田口は昔むかしある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯は熱ほてり過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪けげ訝んな顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいと捻ねじって暗くするんだと真ま面じ目めに云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田いな舎かから出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違って捻ひねったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄しょ然げずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここの家うちにも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとう真まに受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいち点つけっ放ぱなしで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事が出来て門も司じとか馬ばか関んとかまで行った時の話はこれよりもよほど念が入いっている。いっしょに行くべきはずのAという男に差さし支つかえが起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。その間の退たい屈くつ紛まぎれに、彼はAを一つ担かついでやろうと巧たくらんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪いた戯ずらで、彼はその店から地とこ方ろの芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のように拵こしらえた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすように艶なまめかしく曲くねらしたもので、誰が貰もらっても嬉うれしい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明あし日たここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。力つとめて真ま面じ目めな用談についての打合せなどを大事らしくし続けて、やっと同じ食卓で晩ばん餐さんの膳ぜんに向った時、突然思い出したように袂たもとの中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっと箸はしを下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読み下くだすと同時に包んである写真を抜いて裏を見るや否いなや、急に丸めるように懐ふところへ入れてしまった。何か急いそぎの用でもできたのかと聞くと、いや何というばかりで、不ふと得くよ要うり領ょうにまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落のつかない用談をそのままに、少し失礼する腹が痛いからと云って自分の部屋に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aが何にも云わない先に彼を乗せて馳かけ出して、その思わく通りどこの何という家うちの門かどへおろすようにしろと云いつけた。そうして自分はAより早く同じ家へ行って、主かみ婦さんを呼ぶや否や、今おれの宿の提ちょ灯うちんを点つけた車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺きれ麗いな座敷へ通して、叮てい嚀ねいに取扱って、向うで何にも云わない先に、御おつ連れさ様まはとうから御おま待ちか兼ねでございますと云ったなり引き退がって、すぐおれのところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で煙たば草こを吹かして腕組をしながら、事件の経過を待っていた。すると万事が旨うまい具合に予定の通り進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋の傍そばへ行って間の襖ふすまを開けながら、やあ早かったねと挨あい拶さつすると、Aは顔の色を変えて驚ろいた。田口はその前へ坐り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪いた戯ずらを話した上、﹁担かついだ代りに今夜は僕が奢おごるよ﹂と笑いながら云ったんだという。 ﹁こういう飄ひょ気うげた真ま似ねをする男なんでございますから﹂と須永の母も話した後あとでおかしそうに笑った。敬太郎はあの自働車はまさか悪いた戯ずらじゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。十四
自動車事件以後敬けい太たろ郎うはもう田口の世話になる見込はないものと諦あきらめた。それと同時に須すな永がの従いと弟こと仮定された例の後うし姿ろすがたの正体も、ほぼ発ほっ端たんの入口に当たる浅いところでぱたりと行きとまったのだと思うと、その底にはがゆいようなまた煮にえ切きらないような不愉快があった。彼は今こん日にちまで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有もっていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気にやりかけて、貫つらぬき終おおせた試ためしがなかった。生れてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、向むこうで引き摺ずり出してくれたのだから、中途で動けなくなった間まだ怠るさのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴せい々せいした心持も知らなかった。 彼はぼんやりして四五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招待したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、自みずから進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議でたまらないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかに透すき徹とおるような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見ても鮮あざやかに見えながら、自分だけ硝ガラ子スば張りの箱の中に入れられて、外の物と直じかに続いていない心持が絶えずして、しまいには窒ちっ息そくするほど苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病に罹かかっていたのではなかろうかと疑ったなり、今こん日にちまで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈くっ託たくしているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気き張ばる事さえ覚えれば、当っても外はずれても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今こん日にちまでついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。 敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けの後あとの祭のような気がして、何という当あてもなくまた三さん四よっ日かぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬やか缶んあ頭たまを攫つかむと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼は碁ごを打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波はら瀾んき曲ょく折せつのある碁が見たいと思った。 すると直すぐ須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色つ沢やを着けて奥おく行ゆきのあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところが他ひとの事を余計なおせっかいだと、自分で自分を嘲あざけりながら、ああ馬鹿らしいと思う後あとから、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいと閃ひらめいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪ロマ漫ンチ的ックな或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関で怒おこったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。 職業についても、あんな些ささ細いな行ゆき違ちがいのために愛あい想そづかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだ方かたのつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んで煮にえきらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽さげ蔑すまれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかり捕つらまえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。十五
けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬けい太たろ郎うの思案には屈託の裏うちに、どこか呑のん気きなものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題は煎せんじつめるまでもなく当初から至しご極く簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度籤くじを引き損そくなったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非ひ道どい目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠ねむ気けに抵抗する努力を厭いといながら、文字の意味を判はっ明きり頭に入れようと試みるごとく、呑のん気きの懐ふところで決断の卵を温めている癖に、ただ旨うまく孵か化えらない事ばかり苦にしていた。この不決断を逃のがれなければという口実の下もとに、彼は暗あんに自分の物もの数ず奇きに媚こびようとした。そうして自分の未来を売うら卜ない者しゃの八はっ卦けに訴えて判断して見る気になった。彼は加か持じ、祈きと祷う、御ごふ封う、虫むし封ふうじ、降いち巫この類たぐいに、全然信仰を有もつほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今こん日にちまで失わずに成長した男である。彼の父は方ほう位いき九ゅう星せいに詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端はし折ょって、鍬くわを担かついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、後あとから跟ついて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあの乾いぬいに当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確に鍬くわを下ろすつもりなら、肝かん心じんの時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂うか闊つをおかしく思った。学校の時計と自分の家うちのとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその後ご摘つみ草くさに行った帰りに、馬に蹴けられて土ど堤てから下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪け我がも何もしなかったのを、御お祖ば母あさんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御おか蔭げだこれ御ごら覧んと云って、馬の繋つないであった傍そばにある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎よだ掛れかけだけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身から体だの具合や四あた辺りの事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今こん日にちに至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。 こういう訳わけで、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大だい道どう占うらないの弓ゆみ張はり提ぢょ灯うちんを眺ながめていた。もっとも金を払って筮ぜい竹ちくの音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄しょ然んぼりそこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐あわれな人に、易えき者しゃがどんな希望と不安と畏い怖ふと自信とを与えるだろうという好奇心に惹ひかされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立たち聞ぎきをする事がしばしばあった。彼の友の某なにがしが、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩わずらっている頃、ある人が旅行のついでに、善ぜん光こう寺じに如ょら来いの御おみ神く籤じをいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中に雲くも散さんじて月重ねて明らかなり、という句と、花発ひらいて再び重ちょ栄うえいという句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺きれ麗いに及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売うら卜ない者しゃの顧とく客いになる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。十六
敬けい太たろ郎うはどこの占うらない者しゃに行ったものかと考えて見たが、あいにくどこという当あてもなかった。白はく山さんの裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流は行やるのは山やま師しらしくって行く気にならず、と云って、自分で嘘うそと知りつつ出でた鱈ら目めを強しいてもっともらしく述べる奴やつはなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わない家うちで、閑静な髯ひげを生やした爺じいさんが奇きけ警いな言葉で、簡潔にすぱすぱと道いい破やぶってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷く里にの一いっ本ぽん寺じの隠居の顔を頭の中に描えがき出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むような占うらない者しゃの看板にぶつかるだろうという漠ばく然ぜんたる頭に帽子を載のせた。 彼は久しぶりに下谷の車くる坂まざかへ出て、あれから東へ真まっ直すぐに、寺の門だの、仏ぶっ師し屋やだの、古ふる臭くさい生きぐ薬すり屋やだの、徳川時代のがらくたを埃ほこりといっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門もん跡ぜきの中を抜けて、奴やっ鰻こうなぎの角へ出た。 彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖じ父いさんから、しばしば観かん音のん様さまの繁はん華かを耳にした。仲なか見み世せだの、奥おく山やまだの、並なみ木きだの、駒こま形かただの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜なめ飯しと田でん楽がくを食わせるすみ屋という洒しゃ落れた家があるとか、駒形の御堂の前の綺きれ麗いな縄なわ暖のれ簾んを下げた鰌どじ屋ょうやは昔むかしから名なだ代いなものだとか、食くい物ものの話もだいぶ聞かされたが、すべての中うちで最も敬太郎の頭を刺しげ戟きしたものは、長なが井いひ兵ょう助すけの居いあ合いぬ抜きと、脇わき差ざしをぐいぐい呑のんで見せる豆まめ蔵ぞうと、江ごう州しゅ伊うい吹ぶき山やまの麓ふもとにいる前足が四つで後あと足あしが六つある大おお蟇がまの干し固めたのであった。それらには蔵くらの二階の長持の中にある草くさ双ぞう紙しの画えと解きが、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下げ駄たを穿はいたまま、小さい三さん宝ぼうの上に曲しゃがんだ男が、襷たすきがけで身から体だよりも高く反そり返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦が蟆まの上に胡あぐ坐らをかいて、児じら雷い也やが魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天てん眼がん鏡きょうを持った白い髯の爺さんが、唐とう机づくえの前に坐って、平へい突つくばったちょん髷まげを上から見みお下ろすところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境けい内だいには、歴史的に妖よう嬌きょ陸うり離くりたる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽かげ炎ろっていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢は固もとより手痛く打ち崩くずされてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠こうの鳥とりが巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料りょ簡うけんが暗あんに働らいて、足が自おのずとこっちに向いたのである。しかしルナパークの後うしろから活動写真の前へ出た時は、こりゃ占うらない者しゃなどのいる所ではないと今いま更さらのようにその雑ざっ沓とうに驚ろいた。せめて御おび賓ん頭ず顱るでも撫なでて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へ上あがって、魚うお河が岸しの大おお提ぢょ灯うちんと頼より政まさの鵺ぬえを退たい治じている額だけ見てすぐ雷かみ門なりもんを出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もし在あったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰かっ好こうな飯めし屋やでも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生あい憎にくなもので、平ふだ生んは散歩さえすればいたるところに神しん易えきの看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜うら者ないはまるで見当らなかった。敬太郎はこの企くわ図だてもまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵くら前まえまで来た。するとやっとの事で尋ねる商売の家うちが一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割わり書がきをした下に、文ぶん銭せん占うらないと白い字で彫って、そのまた下に、漆うるしで塗った真まっ赤かな唐とう辛がら子しが描かいてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼を惹ひいた。十七
よく見るとこれは一軒の生きぐ薬すり屋やの店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差さし掛かけ様のものを作ったので、中に七なな色いろ唐とう辛がら子しの袋を並べてあるから、看板の通りそれを売る傍かたわら、占ないを見る趣向に違ない。敬けい太たろ郎うはこう観察して、そっと餡あん転ころ餅もち屋やに似た差掛の奥を覗のぞいて見ると、小こづ作くりな婆さんがたった一人裁しご縫とをしていた。狭い室へや一つの住すま居いとしか思われないのに、肝かん心じんの易者の影も形も見えないから、主人は他たぎ行ょう中ちゅうで、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見みき切りをつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方を覗のぞくと、八ツ目めう鰻なぎの干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中の棚たなに載のせた古風の装飾もなかった。一いっ本ぽん寺じの隠居に似た髯ひげのある爺さんは固もとより坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断文ぶん銭せん占うらないという看板のかかった入口から暖のれ簾んを潜くぐって内へ入った。裁しご縫とをしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼めが鏡ねの上から睨にらむように敬太郎を見たが、ただ一口、占うらないですかと聞いた。敬太郎は﹁ええちょっと見て貰もらいたいんだが、御お留る守すのようですね﹂と云った。すると婆さんは、膝ひざの上のやわらか物を隅すみの方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほど汚よごれた室へやではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしい香かがした。婆さんは煮立った鉄てつ瓶びんの湯を湯ゆの呑みに注ついで、香こう煎せんを敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅らし紗ゃがかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面に据すえて、そうして再び故もとの座に帰った。 ﹁占うらないは私がするのです﹂ 敬太郎は意外の感に打たれた。この小ちいさい丸まる髷まげに結ゆった。黒くろ繻じゅ子すの襟えりのかかった着物の上に、地味な縞しまの羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮ぜい竹ちくも算さん木ぎも天てん眼がん鏡きょうもないのを不思議に眺ながめた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴の開あいた銭ぜにを九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に﹁文銭占ない﹂とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分を操あやつっている運命の糸と、どんな関係を有もっているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳い出だされた模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能のう装しょ束うぞくの切れ端か、懸かけ物ものの表具の余りで拵こしらえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手てず擦れと時代のため、派手な色を全く失っていた。 婆さんは年寄に似合わない白い繊きゃ麗しゃな指で、九枚の文銭を三枚ずつ三みけ列たに並べたが、ひょっと顔を上げて、﹁身の上を御覧ですか﹂と聞いた。 ﹁さあ一いっ生しょ涯うがいの事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう﹂ 婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。その後あとで胸むな算ざん用ようでもする案あん排ばいしきで、指を折って見たり、ただ考かんがえたりしていたが、やがてまた綺きれ麗いな指で例の文銭を新らしく並べ更かえた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。十八
婆さんはしばらく手を膝ひざの上に載のせて、何事も云わずに古い銭ぜにの面おもてをじっと注意していたが、やがて考えの中心点が明はっ快きり纏まとまったという様子をして、﹁あなたは今迷っていらっしゃる﹂と云い切ったなり敬けい太たろ郎うの顔を見た。敬太郎はわざと何も答えなかった。 ﹁進もうかよそうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へ御お出でになった方が、たとい一時は思わしくないようでも、末すえ始しじ終ゅう御おた為めですから﹂ 婆さんは一ひと区くぎ限りつけると、また口を閉じて敬太郎の様子を窺うかがった。敬太郎は始めからただ先方のいう事をふんふん聞くだけにして、こちらでは喋しゃ舌べらないつもりに、腹の中できめてかかったのであるが、婆さんのこの一いち言げんに、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺しげ戟きに応じて見たくなった。 ﹁進んでも失しく敗じるような事はないでしょうか﹂ ﹁ええ。だからなるべくおとなしくして。短気を起さないようにね﹂ これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告に過ぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故わ意ざとらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。 ﹁進むってどっちへ進んだものでしょう﹂ ﹁それはあなたの方がよく分っていらっしゃるはずですがね。私はただ最もう少し先まで御お出でなさい、そのほうが御為だからと申し上げるまでです﹂ こうなると敬太郎も行きがかり上そうですかと云って引ひっ込こむ訳に行かなくなった。 ﹁だけれども道が二つ有るんだから、その内でどっちを進んだらよかろうと聞くんです﹂ 婆さんはまた黙って文ぶん銭せんの上を眺ながめていたが、前よりは重苦しい口調で、﹁まあ同おんなじですね﹂と答えた。そうして先さっ刻き裁しご縫とをしていた時に散らばした糸いと屑くずを拾って、その中から紺こんと赤の絹糸のかなり長いのを択より出して、敬太郎の見ている前で、それを綺きれ麗いに縒より始めた。敬太郎はただ手ても持ち無ぶ沙さ汰たの徒いた事ずらとばかり思って、別段意にも留とどめなかったが、婆さんは丹念にそれを五六寸の長さに縒より上げて、文銭の上に載のせた。 ﹁これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派は手でな赤と地味な紺こんが。若い時にはとかく派手の方へ派手の方へと駆かけ出してやり損そこない勝がちのものですが、あなたのは今のところこの縒より糸いとみたように丁ちょ度うど好い具合に、いっしょに絡からまり合っているようですから御仕合せです﹂ 絹糸の喩たとえは何とも知らず面白かったが、御仕合せですと云われて見ると、嬉うれしいよりもかえっておかしい心持の方が敬太郎を動かした。 ﹁じゃこの紺糸で地じみ道ちを踏んで行けば、その間にちらちら派手な赤い色が出て来ると云うんですね﹂と敬太郎は向うの言葉を呑のみ込んだような尋ね方をした。 ﹁そうですそうなるはずです﹂と婆さんは答えた。始めから敬太郎は占ないの一いち言ごんで、是非共右か左へ片づけなければならないとまで切せつに思いつめていた訳でもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんの云う事が、まるで自分の胸とかけ隔へだたった別世界の消息なら、固もとより論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用の利きく点もあるので、敬太郎はそこに微かすかな未練を残した。 ﹁もう何にも伺がう事はありませんか﹂ ﹁そうですね。近い内にちょっとした事ができるかも知れません﹂ ﹁災難ですか﹂ ﹁災難でもないでしょうが、気をつけないとやり損そこないます。そうしてやり損なえばそれっきり取り返しがつかない事です﹂十九
敬けい太たろ郎うの好奇心は少し鋭敏になった。 ﹁全体どんな性た質ちの事ですか﹂ ﹁それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです﹂ ﹁じゃどうして失しく敗じらない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね﹂ ﹁分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍占うらないを立て直して見て上げても宜ようござんす﹂ 敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊きゃ細しゃな指先を小器用に動かして、例の文銭を並べ更かえた。敬太郎から云えば先せんの並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけた後あとで、婆さんは敬太郎に向って﹁大体分りました﹂と云った。 ﹁どうすれば好いんですか﹂ ﹁どうすればって、占ないには陰いん陽ようの理で大きな形が現われるだけだから、実地は各めい自めいがその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他ひ人とのような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這は入いるようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨うまく行きます﹂ 敬太郎は煙けむに巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たない霧きりのようなものだから、たとい嘘うそでも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこう埒らちが明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝ねご言とに似たものを、手てぬ拭ぐいに包くるんだ懐かい炉ろのごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七なな色いろ唐とう辛がら子しを二袋買って袂たもとへ入れた。 翌日彼は朝あさ飯はんの膳ぜんに向って、煙の出る味みそ噌しる汁わ椀んの蓋ふたを取ったとき、たちまち昨きの日うの唐辛子を思い出して、袂たもとから例の袋を取り出した。それを十二分に汁しるの上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる﹁陰陽の理によって現われた大きな形﹂と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠ばく然ぜんと瓦ガ斯スのごとく残っていた。しかし手のつけようのない謎なぞに気を揉もむほど熱心な占うらない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦あ心せる苦くも悶んを知らなかった。ただその分らないところに妙な趣おもむきがあるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙かみ片ぎれに書いて机の抽ひき出だしへ入れた。 もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨きの日うすでに婆さんの助じょ言ごんで断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須すな永がへ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛てん末まつを簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせ閑ひまな身から体だだから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権けん幕まくは、綺きれ麗いに忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨あい拶さつもないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売うら卜ない者しゃの言葉などに動かされて、恥を掻かいてはつまらないという後悔も交まじった。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。二十
電話口へ出て見ると案外にも主人の声で、今直すぐ来る事ができるかという簡単な問い合わせであった。敬けい太たろ郎うはすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのは何となくぶっきらぼう過ぎて愛あい嬌きょうが足りない気がするので、少し色を着けるために、須すな永が君から何か御話でもございましたかと聞いて見た。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知して来たのですが、手てか数ずだから直接に私の方で御都合を伺がいました。じゃ御待ち申しますから、直どうぞ。と云ってそれなり引ひっ込こんでしまった。敬太郎はまた例の袴はかまを穿はきながら、今度こそ様子が好さそうだと思った。それからこの間買ったばかりの中なか折おれを帽子掛から取ると、未来に富んだ顔に生気を漲みなぎらして快かい豁かつに表へ出た。外には白い霜しもを一度に摧くだいた日が、木こが枯らしにも吹き捲まくられずに、穏おだやかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はその中を突つっ切きる電車の上で、光を割さいて進むような感じがした。 田口の玄関はこの間と違って蕭ひっ条そりしていた。取とり次つぎに袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮てい嚀ねいに来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這は入いったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次の揃そろえてくれた上スリ靴ッパーを穿はいて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙けん遜そんから、彼は腰の高い肱ひじ懸かけも装飾もつかない最も軽そうなのを択よって、わざと位置の悪い所へ席を占めた。 やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨あい拶さつやら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨あい拶さつした。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手ても持ち無ぶ沙さ汰たと知りながら黙らなければならなかった。主人は巻まき莨たば入こいれから敷しき島しまを一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。 ﹁市蔵からあなたの御話しは少し聞いた事もありますが、いったいどういう方を御希望なんですか﹂ 実を云うと、敬太郎には何という特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれるとぼんやりした答よりほかにできなかった。 ﹁すべての方面に希望を有もっています﹂ 田口は笑い出した。そうして機きげ嫌んの好い顔つきをして、学士の数かずのこんなに殖ふえて来た今こん日にち、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られる訳のものでないという事情を懇ねんごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。 ﹁何でもやります﹂ ﹁何でもやりますったって、まさか鉄道の切符切もできないでしょう﹂ ﹁いえできます。遊んでるよりはましですから。将来の見込のあるものなら本当に何でもやります。第一遊んでいる苦痛を逃のがれるだけでも結構です﹂ ﹁そう云う御考ならまた私の方でもよく気をつけておきましょう。直すぐという訳にも行きますまいが﹂ ﹁どうぞ。――まあ試しに使って見て下さい。あなたの御おう家ちの――と云っちゃ余り変ですが、あなたの私わた事くしごとにででもいいから、ちょっと使って見て下さい﹂ ﹁そんな事でもして見る気がありますか﹂ ﹁あります﹂ ﹁それじゃ、ことに依ると何か願って見るかも知れません。いつでも構いませんか﹂ ﹁ええなるべく早い方が結構です﹂ 敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。二十一
穏おだやかな冬の日がまた二三日続いた。敬けい太たろ郎うは三階の室へやから、窓に入る空と樹と屋やね根がわ瓦らを眺ながめて、自然を橙だい色だいいろに暖ためるおとなしいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこの間の会見で、自分に都合の好い結果が、近い内にわが頭の上に落ちて来るものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形を装よそおって、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者の申もうし出いで以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺しげ戟きに充みちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成効の影が彼を掠かすめて閃ひらめくならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望を抱いて、彼は毎日美くしい日光に浴していたのである。 すると四日ばかりして、また田口から電話がかかった。少し頼みたい事ができたが、わざわざ呼び寄せるのも気の毒だし、電話では手間が要いってかえって面倒になるし、仕方がないから、速達便で手紙を出す事にしたから、委いさ細いはそれを見て承知してくれ。もし分らない事があったら、また電話で聞き合わしてもいいという通知であった。敬太郎はぼんやり見えていた遠とお眼めが鏡ねの度がぴたりと合った時のように愉快な心持がした。 彼は机の前を一いっ寸すんも離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてその間絶ず例の想像を逞たくましくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立てて見た。そこにはいつか須すな永がの門前で見た後姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んで来た。ふと気がついて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。 やがて待ち焦こがれた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継つがずに巻紙の端はしから端までを一気に読み通して、思わずあっという微かすかな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪ロマ漫ンチ的ックであったからである。手紙の文句は固もとより簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる四十恰かっ好こうの男がある。それは黒の中なか折おれに霜しも降ふりの外がい套とうを着て、顔の面おも長ながい背の高い、瘠やせぎすの紳士で、眉まゆと眉の間に大きな黒ほく子ろがあるからその特徴を目めじ標るしに、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報知しろというだけであった。敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持がし出した。同時に田口が自己の社会的利害を護まもるために、こんな暗がりの所しょ作さをあえてして、他日の用に、他ひとの弱点を握っておくのではなかろうかと云う疑うたがいを起した。そう思った時、彼は人の狗いぬに使われる不名誉と不徳義を感じて、一種苦くも悶んの膏あぶ汗らあせを腋わきの下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっと眸ひとみを据すえたなり固くなった。しかし須永の母から聞いた田口の性格と、自分が直じかに彼に会った時の印象とを纏まとめて考えて見ると、けっしてそんな人の悪そうな男とも思われないので、たとい他人の内ない行こうに探さぐりを入れるにしたところで、必ずしもそれほど下品な料りょ簡うけんから出るとは限らないという推断もついて見ると、いったん硬こう直ちょくになった筋肉の底に、また温あたたかい血が通かよい始めて、徳義に逆らう吐むか気つきなしに、ただ興味という一点からこの問題を面白く眺ながめる余よゆ裕うもできてきた。それで世の中に接触する経験の第一着手として、ともかくも田口から依頼された通りにこの仕事をやり終おおせて見ようという気になった。彼はもう一度とくと田口の手紙を読み直した。そうしてそこに書いてある特徴と条件だけで、はたして満足な結果が実際に得られるだろうかどうかを確かめた。二十二
田口から知らせて来た特徴のうちで、本当にその人の身を離れないものは、眉まゆと眉の間の黒ほく子ろだけであるが、この日の短かい昨今の、四時とか五時とかいう薄暗い光線の下もとで、乗のり降おりに忙がしい多数の客の中うちから、指定された局部の一点を目めじ標るしに、これだと思う男を過あやまちなく見つけ出そうとするのは容易の事ではない。ことに四時と五時の間と云えば、ちょうど役所の退ひける刻限なので、丸の内からただ一筋の電車を利用して、神田橋を出る役人の数かずだけでも大したものである。それにほかと違って停留所が小川町だから、年の暮に間もない左右の見みせ世さ先きに、幕だの楽隊だの、蓄音機だのを飾るやら具そなえるやらして、電灯以外の景気を点つけて、不時の客を呼び寄せる混雑も勘かん定じょうに入れなければなるまい。それを想像して事の成否を考えて見ると、とうてい一人の手てぎ際わではという覚おぼ束つかない心持が起って来る。けれどもまた尋ね出そうとするその人が、霜しも降ふりの外がい套とうに黒の中なか折おれという服いで装たちで電車を降りるときまって見れば、そこにまだ一いち縷るの望があるようにも思われる。無論霜降の外套だけでは、どんな恰かっ好こうにしろ手がかりになり様ようはずがないが、黒の中折を被かぶっているなら、色変りよりほかに用いる人のない今こん日にちだから、すぐ眼につくだろう。それを目めあ宛てに注意したらあるいは成功しないとも限るまい。 こう考えた敬太郎は、ともかくも停留所まで行って見る事だという気になった。時計を眺ながめると、まだ一時を打ったばかりである。四時より三十分前に向むこうへ着くとしたところで、三時頃から宅うちを出ればたくさんなのだから、まだ二時間の猶ゆう予よがある。彼はこの二時間を最も有益に利用するつもりで、じっとしたまま坐っていた。けれどもただ眼の前に、美みと土しろ代ちょ町うと小川町が、丁てい字じになって交叉している三つ角の雑ざっ沓とうが入り乱れて映るだけで、これと云って成功を誘いざなうに足る上じょ分うふ別んべつは浮ばなかった。彼の頭は考えれば考えるほど、同じ場所に吸いついたなりまるで動くことを知らなかった。そこへ、どうしても目指す人には会えまいという掛けね念んが、不安を伴って胸の中をざわつかせた。敬太郎はいっその事時間が来るまで外を歩きつづけに歩いて見ようかと思った。そう決心をして、両手を机の縁ふちに掛けて、勢よく立ち上がろうとする途とた端んに、この間浅草で占うらないの婆さんから聞いた、﹁近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ﹂という注意を思い出した。彼は婆さんのその時の言葉を、解すべからざる謎なぞとして、ほとんど頭の外へ落してしまったにもかかわらず、参考のためわざわざ書きつけにして机の抽ひき出だしに入れておいた。でまたその紙かみ片ぎれを取り出して、自分のようで他ひ人とのような、長いようで短かいような、出るようで這は入いるようなという句を飽あかず眺ながめた。初めのうちは今まで通りとうてい意味のあるはずがないとしか見えなかったが、だんだん繰り返して読むうちに、辛抱強く考えさえすれば、こういう妙な特性を有もったものがあるいは出て来るかも知れないという気になった。その上敬太郎は婆さんに、自分が持っているんだから、いざという場合に忘れないようになさいと注意されたのを覚えていたので、何でも好い、ただ身の周まわ囲りの物から、自分のようで他ひ人とのような、長いようで短かいような、出るようで這は入いるようなものを探さがしあてさえすれば、比較的狭い範囲内で、この問題を解決する事ができる訳になって、存外早く片がつくかも知れないと思い出した。そこでわが自由になるこれから先の二時間を、全くこの謎なぞを解くための二時間として大切に利用しようと決心した。 ところがまず眼の前の机、書物、手てぬ拭ぐい、座ざぶ蒲と団んから順々に進行して行こう李り鞄かばん靴くつ下したまでいったが、いっこうそれらしい物に出合わないうちに、とうとう一時間経ってしまった。彼の頭は焦いら燥だつと共に乱れて来た。彼の観念は彼の室へやの中を駆かけ廻めぐって落ちつけないので、制するのも聞かずに、戸外へ出て縦横に走った。やがて彼の前に、霜しも降ふりの外がい套とうを着た黒の中折を被かぶった背の高い瘠やせぎすの紳士が、彼のこれから探そうというその人の権威を具そなえて、ありありと現われた。するとその顔がたちまち大連にいる森本の顔になった。彼はだらしのない髯ひげを生はやした森本の容よう貌ぼうを想像の眼で眺ながめた時、突然電流に感じた人のようにあっと云った。二十三
森本の二字はとうから敬けい太たろ郎うの耳に変な響を伝える媒なか介だちとなっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符ふち徴ょうに変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋ステ杖ッキを聯れん想そうしたものだが、洋杖が二人を繋つなぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人の中を割さく邪魔に挟はさまっていると見み傚なしても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距へだ離たりがあって、そう一いっ足そく飛とびに片方から片方へ移る訳に行かなかったのに、今ではそれが一つになって、森本と云えば洋杖、洋杖と云えば森本というくらい劇はげしく敬太郎の頭を刺しげ戟きするのである。その刺戟を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持主のどっちとも片づかないという観念が、熱ほてった血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんと捕つかまえたのである。 ﹁自分のような他ひ人とのような﹂と云った婆さんの謎なぞはこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉しがった。けれどもまだ﹁長いような短かいような、出るような這は入いるような﹂というところまでは考えて見ないので、彼はあまる二カ条の特性をも等しくこの洋杖の中うちから探さがし出そうという料りょ簡うけんで、さらに新たな努力を鼓こ舞ぶしてかかった。 始めは見方一つで長くもなり短かくもなるくらいの意味かも知れないと思って、先へ進んで見たが、それでは余り平凡過ぎて、解釈がついたもつかないも同じ事のような心持がした。そこでまた後戻りをして、﹁長いような短かいような﹂という言葉を幾いく度たびか口の内でくり返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込は立たなかった。時計を見ると、自由に使っていい二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜ぬけ裏うらと間違えて袋の口へ這は入いり込んだ結果、好んで行き悩みの状態に悶もだえているのでは無かろうかと、自分で自分の判断を危ぶみ出した。出で端はのない行きどまりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新らしい途みちを探す方がましだとも考えた。しかしこう時間が逼せまっているのに、初しょ手てから出直しては、とても間に合うはずがない、すでにここまで来られたという一部分の成功を縁えん喜ぎにして、是非先へ突き抜ける方が順当だとも考えた。これがよかろうあれがよかろうと右左に思い乱れている中に、彼の想像はふと全体としての杖つえを離れて、握りに刻まれた蛇へびの頭に移った。その瞬間に、鱗うろこのぎらぎらした細長い胴と、匙さじの先に似た短かい頭とを我知らず比較して、胴のない鎌かま首くびだから、長くなければならないはずだのに短かく切られている、そこがすなわち長いような短かいような物であると悟った。彼はこの答案を稲いな妻ずまのごとく頭の奥に閃ひらめかして、得意の余り踴こお躍どりした。あとに残った﹁出るような這は入いるような﹂ものは、大した苦労もなく約五分の間に解けた。彼は鶏たま卵ごとも蛙かえるとも何とも名状しがたい或物が、半なかば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、呑のみ尽されもせず、逃のがれ切りもせず、出るとも這入るとも片のつかない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。 これで万事が綺きれ麗いに解決されたものと考えた敬太郎は、躍おどり上るように机の前を離れて、時計の鎖を帯に絡からんだ。帽子は手に持ったまま、袴はかまも穿はかずに室へやを出ようとしたが、あの洋ステ杖ッキをどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊ちゅ躇うちょさした。あれに手を触れるのは無論、たとい傘かさ入いれから引き出したところで、森本が置き去りにして行ってからすでに久しい今こん日にちとなって見れば、主人に断わらないにしろ、咎とがめられたり怪しまれたりする気きづ遣かいはないにきまっているが、さて彼らが傍そばにいない時、またおるにしても見ないうちに、それを提さげて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪まじ禁ないに使う品物を︵これからその目的に使うんだという料りょ簡うけんがあって︶手に入れる時には、きっと人の見ていない機会を偸ぬすんでやらなければ利きかないという言い伝えを、郷く里ににいた頃、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上り口の正面にかけてある時計を見るふりをして、二階の梯はし子ごだ段んの中途まで降りて下の様子を窺うかがった。二十四
主人は六畳の居間に、例の通り大きな瀬戸物の丸まる火ひば鉢ちを抱かかえ込んでいた。細君の姿はどこにも見えなかった。敬けい太たろ郎うが梯子段の中途で、及び腰をして、硝ガラ子スご越しに障しょ子うじの中を覗のぞいていると、主人の頭の上で忽こつ然ぜん呼ベ鈴ルが烈はげしく鳴り出した。主人は仰あお向むいて番号を見ながら、おい誰かいないかねと次つぎの間まへ声をかけた。敬太郎はまたそろそろ三階の自分の室へやへ帰って来た。 彼はわざわざ戸とだ棚なを開けて、行こ李りの上に投げ出してあるセルの袴はかまを取り出した。彼はそれを穿はくとき、腰こし板いたを後うしろに引き摺ずって、室へやの中を歩き廻った。それから足た袋びを脱ぬいで、靴下に更かえた。これだけ身みな装りを改めた上、彼はまた三階を下りた。居間を覗のぞくと細君の姿は依然として見えなかった。下女もそこらにはいなかった。呼ベ鈴ルも今度は鳴らなかった。家中ひっそり閑かんとしていた。ただ主人だけは前の通り大きな丸火鉢に靠もたれて、上り口の方を向いたなりじっと坐っていた。敬太郎は段々を下まで降り切らない先に、高い所から斜はすに主人の丸くなった背中を見て、これはまだ都合が悪いと考えたが、ついに思い切って上り口へ出た。主人は案あんの上じょう、﹁御出かけで﹂と挨あい拶さつした。そうして例いつもの通り下女を呼んで下げた駄ば箱こにしまってある履はき物ものを出させようとした。敬太郎は主人一人の眼を掠かすめるのにさえ苦心していたところだから、この上下女に出られては敵かなわないと思って、いや宜よろしいと云いながら、自分で下駄箱の垂たれを上げて、早速靴を取りおろした。旨うまい具合に下女は彼が土間へ降り立つまで出て来なかった。けれども、亭主は依然としてこっちを向いていた。 ﹁ちょっと御願ですがね。室の机の上に今月の法学協会雑誌があるはずだが、ちょっと取って来てくれませんか。靴を穿はいてしまったんで、また上あがるのが面倒だから﹂ 敬太郎はこの主人に多少法律の心得があるのを知って、わざとこう頼んだのである。主人は自分よりほかのものでは到とて底も弁じない用事なので、﹁はあようがす﹂と云って気きさくに立って梯はし子ごだ段んを上のぼって行った。敬太郎はそのひまに例の洋ステ杖ッキを傘かさ入いれから抽ぬき取ったなり、抱だき込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲った角かどを、右の腋わきの下に感じつつ急ぎ足に本郷の通まで来た。そこでいったん羽織の下から杖つえを出して蛇へびの首をじっと眺ながめた。そうして袂たもとの手ハン帛ケチで上から下まで綺きれ麗いに埃ほこりを拭いた。それから後は普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上に顋あごを載のせた。そうしてやっと今一段落ついた自分の努力を顧かえりみて、ほっと一息吐ついた。同時にこれから先指定された停留所へ行ってからの成否がまた気にかかり出した。考えて見ると、これほど骨を折って、偸ぬすむように持ち出した洋杖が、どうすれば眉まゆと眉の間の黒ほく子ろを見分ける必要品になるのか、全く彼の思量のほかにあった。彼はただ婆さんに云われた通り、自分のような他ひ人とのような、長いような短かいような、出るような這は入いるようなものを、一生懸命に探し当てて、それを忘れないで携たずさえているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寝かそうと起こそうと、手に持とうと袖そでに隠そうと、未知の人を探す上に、はたして何の役に立つか知らんと疑ぐった時、彼はちょっとの間ま、瘧ぎゃくを振い落した人のようにけろりとして、車内を見廻わした。そうして頭の毛穴から湯気の立つほど業ごうを煮やした先さっ刻きの努力を気恥かしくも感じた。彼は自分で自分の所しょ作さを紛まぎらす為ために、わざと洋杖を取り直して、電車の床ゆかをとんとんと軽く叩たたいた。 やがて目的の場所へ来た時、彼はとりあえず青年会館の手前から引き返して、小川町の通へ出たが、四時にはまだ十五分ほど間まがあるので、彼は人通りと電車の響きを横切って向う側へ渡った。そこには交番があった。彼は派出所の前に立っている巡査と同じ態度で、赤いポストの傍そばから、真まっ直すぐに南へ走る大通りと、緩ゆるい弧線を描いて左右に廻り込む広い往来とを眺ながめた。これから自分の活躍すべき舞台面を一応こういう風に検分した後で、彼はすぐ停留所の所在を確かめにかかった。二十五
赤い郵ポ便ス函トから五六間東へ下くだると、白いペンキで小川町停留所と書いた鉄の柱がすぐ彼の眼に入いった。ここにさえ待っていれば、たとい混雑に取り紛まぎれて注意人物を見失うまでも、刻限に自分の部署に着いたという強味はあると考えた彼は、これだけの安心を胸に握った上、また目めじ標るしの鉄の柱を離れて、四あた辺りの光景を見廻した。彼のすぐ後には蔵くら造づくりの瀬戸物屋があった。小さい盃さかずきのたくさん並んだのを箱入にして額のように仕立てたのがその軒下にかかっていた。大きな鉄かね製せいの鳥とり籠かごに、陶器でできた餌えつ壺ぼをいくつとなく外から括くくりつけたのも、そこにぶら下がっていた。その隣りは皮屋であった。眼も爪も全く生きた時のままに残した大きな虎の皮に、緋ひら羅し紗ゃの縁へりを取ったのがこの店の重おもな装飾であった。敬けい太たろ郎うは琥こは珀くに似たその虎の眼を深く見つめて立った。細長くって真白な皮でできた襟えり巻まきらしいものの先に、豆まめ狸だぬきのような顔が付着しているのも滑こっ稽けいに見えた。彼は時計を出して時間を計りながら、また次の店に移った。そうして瑪めの瑙うで刻ほった透明な兎うさぎだの、紫むら水さき晶ずいしょうでできた角かく形がたの印材だの、翡ひす翠いの根ねが懸けだの孔くじ雀ゃく石せきの緒おじ締めだのの、金の指輪やリンクスと共に、美くしく並んでいる宝石商の硝ガラ子スま窓どを覗のぞいた。 敬太郎はこうして店から店を順々に見ながら、つい天下堂の前を通り越して唐から木きざ細い工くの店先まで来た。その時後うしろから来た電車が、突然自分の歩いている往来の向う側でとまったので、もしやという心から、筋すじ違かいに通を横切って細い横町の角にある唐とう物ぶつ屋やの傍そばへ近寄ると、そこにも一本の鉄の柱に、先さっ刻きのと同じような、小川町停留所という文字が白く書いてあった。彼は念のためこの角かどに立って、二三台の電車を待ち合わせた。すると最初には青山というのが来た。次には九段新宿というのが来た。が、いずれも万まん世せい橋ばしの方から真まっ直すぐに進んで来るので彼はようやく安心した。これでよもやの懸けね念んもなくなったから、そろそろ元の位地に帰ろうというつもりで、彼は足の向むきを更かえにかかった途とた端んに、南から来た一台がぐるりと美みと土しろ代ちょ町うの角を回転して、また敬太郎の立っている傍でとまった。彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣すが鴨もの二字を読んだ時、始めて自分の不注意に気がついた。三田方面から丸の内を抜けて小川町で降りるには、神田橋の大通りを真まっ直すぐに突き当って、左へ曲っても今敬太郎の立っている停留所で降りられるし、また右へ曲っても先さっ刻き彼の検分しておいた瀬戸物屋の前で降りられるのである。そうして両方とも同じ小川町停留所と白いペンキで書いてある以上は、自分がこれから後あとを跟つけようという黒い中折の男は、どっちへ降りるのだか、彼にはまるで見けん当とうがつかない事になるのである。眼を走らせて、二本の赤い鉄柱の距みち離のりを目分量で測って見ると、一町には足りないくらいだが、いくら眼と鼻の間だからと云って、一方だけを専門にしてさえ覚おぼ束つかない彼の監視力に対して、両方共手落なく見張り終おおせる手てぎ際わを要求するのは、どれほど自分の敏腕を高く見積りたい今の敬太郎にも絶対の不可能であった。彼は自分の住す居まっている地理上の関係から、常に本郷三田間を連絡する電車にばかり乗っていたため、巣鴨方面から水道橋を通って同じく三田に続く線路の存在に、今が今まで気がつかずにいた自己の迂うか闊つを深く後悔した。 彼は困却の余りふと思いついた窮きゅ策うさくとして、須すな永がの助力でも借りに行こうかと考えた。しかし時計はもう四時七分前に逼せまっていた。ついこの裏通に住んでいる須永だけれども、門前まで駈けつける時間と、かい摘つまんで用事を呑のみ込ます時間を勘定に入れればとても間に合いそうにない。よしそのくらいの間まは取れるとしたところで、須永に一方の見張りを頼む以上は、もし例の紳士が彼のいる方へ降りるならば、何かの手段で敬太郎に合図をしなければならない。それもこの人込の中だから、手を挙げたり手ハン帛ケチを振るぐらいではちょっと通じかねる。紛まぎれもなく敬太郎に分らせようとするには、往来を驚ろかすほどな大きな声で叫ぶに限ると云ってもいいくらいなものだが、そう云う突とっ飛ぴなよほどな場合でも体てい裁さいを重んずる須永のような男にできるはずがない。万一我慢してやってくれたところで、こっちから駆かけて行く間には、肝かん心じんの黒の中なか折おれ帽ぼうを被かぶった男の姿は見えなくなってしまわないとも云えない。――こう考えた敬太郎はやむを得ないから運を天に任せてどっちか一方の停留所だけ守ろうと決心した。二十六
決心はしたようなものの、それでは今立っている所を動かないための横着と同じ事になるので、わざと成せい効こうを度外に置いて仕事にかかった不安を感ぜずにはいられなかった。彼は首を延ばすようにして、また東の停留所を望んだ。位地のせいか、向むきの具合か、それとも自分が始終乗のり降おりに慣れている訳か、どうもそちらの方が陽気に見えた。尋ねる人も何だか向むこうで降りそうな心持がした。彼はもう一度見張るステーションを移そうかと思いながら、なおかつ決しかねてしばらく躊ちゅ躇うちょしていた。するとそこへ江戸川行の電車が一台来てずるずるととまった。誰も降おり者てがないのを確かめた車掌は、一分と立たないうちにまた車を出そうとした。敬けい太たろ郎うは錦町へ抜ける細い横町を背にして、眼の前の車台にはほとんど気のつかないほど、ここにいようかあっちへ行こうかと迷っていた。ところへ後の横町から突然馳かけ出して来た一人の男が、敬太郎を突き除のけるようにして、ハンドルへ手をかけた運転手の台へ飛び上った。敬太郎の驚ろきがまだ回復しないうちに、電車はがたりと云う音を出してすでに動き始めた。飛び上がった男は硝ガラ子ス戸どの内へ半分身から体だを入れながら失敬しましたと云った。敬太郎はその男と顔を見合せた時、彼の最後の視線が、自分の足の下に落ちたのを注意した。彼は敬太郎に当った拍ひょ子うしに、敬太郎の持っていた洋ステ杖ッキを蹴け飛とばして、それを持主の手から地面の上へ振り落さしたのである。敬太郎は直すぐ曲こごんで洋杖を拾い上げようとした。彼はその時蛇へびの頭が偶然東ひが向しむきに倒れているのに気がついた。そうしてその頭の恰かっ好こうを何となしに、方角を教える指フィ標ンガーポストのように感じた。 ﹁やっぱり東が好かろう﹂ 彼は早足に瀬戸物屋の前まで帰って来た。そこで本郷三丁目と書いた電車から降りる客を、一人残らず物色する気で立った。彼は最初の二三台を親の敵かたきでも覘ねらうように怖こわい眼つきで吟ぎん味みした後あと、少し心に余よゆ裕うができるに連れて、腹の中がだんだん気きじ丈ょうになって来た。彼は自分の眼の届く広場を、一面の舞台と見み傚なして、その上に自分と同じ態度の男が三人いる事を発見した。その一人は派出所の巡査で、これは自分と同じ方を向いて同じように立っていた。もう一人は天下堂の前にいるポイントマンであった。最後の一いち人にんは広場の真中に青と赤の旗を神聖な象シン徴ボルのごとく振り分ける分ふん別べつ盛ざかりの中ちゅ年うね者んものであった。そのうちでいつ出て来るか知れない用事を期待しながら、人目にはさも退屈そうに立っているものは巡査と自分だろうと敬太郎は考えた。 電車は入れ代り立ち代り彼の前にとまった。乗るものは無理にも窮屈な箱の中に押し込もうとする、降りるものは権けん柄ぺいずくで上から伸のしかかって来る。敬太郎はどこの何物とも知れない男なん女にょが聚あつまったり散ったりするために、自分の前で無作法に演じ出す一いっ分ぷん時じの争を何度となく見た。けれども彼の目的とする黒の中折の男はいくら待っても出て来なかった。ことに依ると、もうとうに西の停留所から降りてしまったものではなかろうかと思うと、こうして役にも立たない人の顔ばかり見つめて、眼のちらちらするほど一つ所に立っているのは、随分馬鹿気た所しょ作さに見えて来る。敬太郎は下宿の机の前で熱に浮かされた人のように夢中で費やした先さっ刻きの二時間を、充分須すな永がと打ち合せをして彼の援助を得るために利用した方が、遥はるかに常識に適かなった遣やり口くちだと考え出した。彼がこの苦にがい気分を痛切に甞なめさせられる頃から空はだんだん光を失なって、眼に映る物の色が一面に蒼あおく沈んで来た。陰いん鬱うつな冬の夕暮を補なう瓦ガ斯スと電気の光がぽつぽつそこらの店みせ硝ガラ子スを彩いろどり始めた。ふと気がついて見ると、敬太郎から一間ばかりの所に、廂ひさ髪しがみに結いった一人の若い女が立っていた。電車の乗のり降おりが始まるたびに、彼は注意の余なご波りを自分の左右に払っていたつもりなので、いつどっちから歩き寄ったか分らない婦人を思わぬ近くに見た時は、何より先にまずその存在に驚ろかされた。二十七
女は年に合わして地味なコートを引き摺ずるように長く着ていた。敬けい太たろ郎うは若い人の肉を飾る華はな麗やかな色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦じゅ袢ばんの襟えりさえ羽はぶ二た重えの襟えり巻まきで隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮の逼せまるに連れて、空気から浮き出して来るほかに、女は身の周まわ囲りに何といって他ひとの注意を惹ひくものを着けていなかった。けれども時じせ節つが柄らに頓とん着じゃくなく、当人の好この尚みを示したこの一ひと色いろが、敬太郎には何よりも際きわ立だって見えた。彼は光の抜けて行く寒い空の下で、不調和な異いな物に出逢った感じよりも、煤すすけた往来に冴さえ々ざえしい一点を認めた気分になって女の頸くびの辺あたりを注意した。女は敬太郎の視線を正まと面もに受けた時、心持身から体だの向むきを変えた。それでもなお落ちつかない様子をして、右の手を耳の所まで上げて、鬢びんから洩もれた毛を後うしろへ掻きやる風をした。固もとより女の髪は綺きれ麗いに揃そろっていたのだから、敬太郎にはこの挙動が実みのない科しなとしてのみ映ったのだが、その手を見た時彼はまた新たな注意を女から強いられた。 女は普通の日本の女にょ性しょうのように絹の手袋を穿はめていなかった。きちりと合う山や羊ぎの革製ので、華きゃ奢しゃな指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いた蝋ろうを薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋の皺しわも一いち分ぶの弛たるみも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手てく頸びを三寸も深く隠しているのに気がついた。彼はそれぎり眼を転じてまた電車に向った。けれども乗のり降おりの一混雑が済んで、思う人が出て来ないと、また心に二三分の余よゆ裕うができるので、それを利用しようと待ち構えるほどの執着はなかったにせよ、電車の通り越した相あい間ま相間には覚さとられないくらいの視力を使って常に女の方を注意していた。 始め彼はこの女を﹁本郷行﹂か﹁亀沢町行﹂に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順廻って来て、自分の前に留っても、いっこう乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいは無理に込み合っている車台に乗って、押し潰つぶされそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費を怺こらえた方が差引得とくになるという主義の人かとも考えて見たが、満員という札もかけず、一つや二つの空席は充分ありそうなのが廻って来ても、女は少しも乗る素そぶ振りを見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改ためると、雨の降らないうちに傘かさを広げる人のように、わざと彼の観察を避よける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべく露むき骨だしに女の方を見るのを慎つつしんでいた。がしまいにふと気がついて、この女は不案内のため、自分の勝手で好い加減にきめた停留所の前に来て、乗れもしない電車をいつまでも待っているのではなかろうかと思った。それなら親切に教えてやるべきだという勇気が急に起ったので、彼は逡しゅ巡んじゅんする気けし色きもなく、真正面に女の方を向いた。すると女はふいと歩き出して、二三間先の宝石商の窓際まで行ったなり、あたかも敬太郎の存在を認めぬもののごとくに、そこで額を窓まど硝ガラ子スに着けるように、中に並べた指環だの、帯留だの枝えだ珊さん瑚ごの置物だのを眺ながめ始めた。敬太郎は見ず知らずの他人に入らざる好こう意いだ立てをして、かえって自分と自分の品位を落したのを馬鹿らしく感じた。 女の容よう貌ぼうは始めから大したものではなかった。真まむ向きに見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴はれ々ばれしい心持のする眸ひとみを有もっていた。宝石商の電灯は今硝ガラ子スご越しに彼かの女おんなの鼻と、豊ふっくらした頬の一部分と額とを照らして、斜はすかけに立っている敬太郎の眼に、光と陰とから成る一種妙な輪りん廓かくを与えた。彼はその輪廓と、長いコートに包まれた恰かっ好こうのいい彼女の姿とを胸に収めて、また電車の方に向った。二十八
電車がまた二三台来た。そうして二三台共また敬けい太たろ郎うの失望をくり返さして東へ去った。彼は成功を思い切った人のごとくに帯の下から時計を出して眺めた。五時はもうとうに過ぎていた。彼は今いま更さら気がついたように、頭の上に被かぶさる黒い空を仰いで、苦にが々にがしく舌した打うちをした。これほど骨を折って網を張った中へかからない鳥は、西の停留所から平気で逃げたんだと思うと、他ひとを騙だますためにわざわざ拵こしらえた婆さんの予言も、大事そうに持って出た竹の洋ステ杖ッキも、その洋杖が与えてくれた方角の暗示も、ことごとく忌いま々いましさの種になった。彼は暗い夜を欺あざむいて眼先にちらちらする電灯の光を見廻して、自分をその中心に見出した時、この明るい輝きも必ひっ竟きょう自分の見残した夢の影なんだろうと考えた。彼はそのくらい興を覚さましながらまだそのくらい寝ね惚ぼけた心持を失わずに立っていたが、やがて早く下宿へ帰って正気の人間になろうという覚悟をした。洋杖は自分の馬鹿を嘲あざける記かた念みだから、帰りがけに人の見ていない所で二つに折って、蛇の頭も鉄の輪の突がねもめちゃめちゃに、万世橋から御茶の水へ放り込んでやろうと決心した。 彼はすでに動こうとして一歩足を移しかけた時、また先さっ刻きの若い女の存在に気がついた。女はいつの間にか宝石商の窓を離れて、元の通り彼から一間ばかりの所に立っていた。背が高いので、手足も人ひと尋な常みより恰かっ好こうよく伸びたところを、彼は快よく始めから眺めたのだが、今度はことにその右の手が彼の心を惹ひいた。女は自然のままにそれをすらりと垂れたなり、まるで他の注意を予期しないでいたのである。彼は素直に調子の揃そろった五本の指と、しなやかな革かわで堅く括くくられた手てく頸びと、手頸の袖そで口くちの間から微かすかに現われる肉の色を夜の光で認めた。風の少ない晩であったが、動かないで長く一ひと所ところに立ち尽すものに、寒さは辛つらく当った。女は心持ち顋あごを襟えり巻まきの中に埋うずめて、俯ふし目めが勝ちにじっとしていた。敬太郎は自分の存在をわざと眼中に置かないようなこの眼めづ遣かいの底に、かえって自分が気にかかっているらしい反証を得たと信じた。彼が先刻から蚤のみ取とり眼まなこで、黒の中折帽を被かぶった紳士を探している間、この女は彼と同じ鋭どい注意を集めて、観察の矢を絶えずこっちに射いがけていたのではなかろうか。彼はある男を探偵しつつ、またある女に探偵されつつ、一時間余あまりをここに過ごしたのではなかろうか。けれどもどこの何物とも知れない男の、何をするか分らない行動を、何のために探るのだか、彼には何らの考かんがえがなかったごとく、どこの何物とも知れない女から何を仕し出でかすか分らない人として何のために自分が覘ねらわれるのだか、そこへ行くとやはりまるで要領を得なかった。敬太郎はこっちで少し歩き出して見せたら向うの様子がもっと鮮明に分るだろうという気になって、そろりそろりと派出所の後うしろを西の方へ動いて行った。もちろん女に勘づかれないために、彼は振向いて後を見る動作を固く憚はばかった。けれどもいつまでも前ばかり見て先へ行っては、肝かん心じんの目的を達する機会がないので、彼は十間ほど来たと思う時分に、わざと見たくもない硝ガラ子スま窓どを覗のぞいて、そこに飾ってある天びろ鵞う絨どの襟えりの着いた女の子のマントを眺ながめる風をしながら、そっと後うしろを振り向いた。すると女は自分の背後にいるどころではなかった。延び上ってもいろいろな人が自分を追越すように後あとから後から来る陰になって、白い襟えり巻まきも長いコートもさらに彼の眼に入らなかった。彼はそのまま前へ進む勇気があるかを自分に疑ぐった。黒い中折の帽子を被った人の事なら、定刻の五時を過ぎた今だから、断念してもそれほどの遺憾はないが、女の方はどんなつまらない結果に終ろうとも、最もう少すこし観察していたかった。彼は女から自分が探偵されていると云う疑念を逆に投げ返して、こっちから女の行動を今しばらく注意して見ようという物もの数ず奇きを起した。彼は落し物を拾いに帰る人の急ぎ足で、また元の派出所近く来た。そこの暗い陰に身を寄せるようにして窺うかがうと、女は依然としてじっと通りの方を向いて立っていた。敬太郎の戻った事にはまるで気がついていない風に見えた。二十九
その時敬けい太たろ郎うの頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂ひさ髪しがみに結いっているので、その辺の区別は始めから不ふぶ分んみ明ょうだったのである。が、いよいよ物陰に来て、半なかば後うしろになったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲おそって来た。 見かけからいうとあるいは人に嫁とついだ経験がありそうにも思われる。しかし身から体だの発育が尋常より遥はるかに好いからことによれば年は存外取っていないのかも知れない。それならなぜあんな地味な服つく装りをしているのだろう。敬太郎は婦人の着る着物の色や縞しま柄がらについて、何をいう権利も有もたない男だが、若い女ならこの陰いん鬱うつな師しわ走すの空気を跳はね返すように、派は出でな色を肉の上に重ねるものだぐらいの漠ばっとした観察はあったのである。彼はこの女が若々しい自分の血に高い熱を与える刺しげ戟きせ性いの文あやをどこにも見せていないのを不思議に思った。女の身に着けたものの内で、わずかに人の注意を惹ひくのは頸くびの周まわ囲りを包む羽はぶ二た重えの襟巻だけであるが、それはただ清いと云う感じを起す寒い色に過ぎなかった。あとは冬枯の空と似合った長いコートですぽりと隠していた。 敬太郎は年に合わして余りに媚こびる気分を失い過ぎたこの衣な服りを再び後うしろから見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。その上この女の態度にはどこか大おと人なびた落ちつきがあった。彼はその落ちつきを品性と教育からのみ来た所得とは見み傚なし得なかった。家庭以外の空気に触れたため、初うい々ういしい羞はに恥かみが、手ハン帛ケチに振りかけた香水の香かのように自然と抜けてしまったのではなかろうかと疑ぐった。そればかりではない、この女の落ちつきの中には、落ちつかない筋肉の作用が、身から体だ全体の運動となったり、眉まゆや口の運動となって、ちょいちょい出て来るのを彼は先さっ刻き目撃した。最も鋭敏に動くものはその眼であろうと彼は疾とくに認めていた。けれどもその鋭敏に動こうとする眼を、強しいて動かすまいと力つとめる女の態度もまた同時に認めない訳に行かなかった。だからこの女の落ちつきは、自分で自分の神経を殺しているという自覚に伴ともなったものだと彼は勘かん定ていしていた。 ところが今後うしろから見た女は身体といい気分といい比較的沈静して両方の間に旨うまく調子が取れているように思われた。彼かの女おんなは先刻と違って、別段姿勢を改ためるでもなく、そろそろ歩き出すでもなく、宝石商の窓へ寄り添うでもなく、寒さを凌しのぎかねる風ふぜ情いもなく、ほとんど閑かん雅がとでも形容したい様子をして、一段高くなった人道の端はじに立っていた。傍そばには次の電車を待ち合せる人が二三散らばっていた。彼らは皆向うから来る車台を見つめて、早く自分の傍そばへ招き寄せたい風に見えた。敬太郎が立ち退のいたので大いに安心したらしい彼女は、その中うちで最も熱心に何かを待ち受ける一いち人にんとなって、筋向うの曲り角をじっと注意し始めた。敬太郎は派出所の陰を上かみへ廻って車道へ降りた。そうしてペンキ塗の交番を楯たてに、巡査の立っている横から女の顔を覘ねらうように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。今まで後うし姿ろすがたを眺ながめて物陰にいた時は、彼女を包む一ひと色いろの目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂ひさ髪しがみとを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論を弄もてあそんだのだが、こうして彼女の知らない間に、その顔を遠慮なく眺めて見ると、全く新らしい人に始めて出逢ったような気がしない訳に行かなかった。要するに女は先刻より大変若く見えたのである。切に何物かを待ち受けているその眼もその口も、ただ生いき々いきした一種華はなやかな気きし色ょくに充みちて、それよりほかの表情は毫ごうも見当らなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。 やがて女の見つめている方角から一台の電車が弓なりに曲った線路を、ぐるりと緩ゆるく廻転して来た。それが女のいる前で滑すべるようにとまった時、中から二人の男が出た。一人は紙で包んだボール箱のようなものを提さげて、すたすた巡査の前を通り越して人道へ飛び上がったが、一人は降りると直すぐに女の前に行って、そこに立ちどまった。三十
敬けい太たろ郎うは女の笑い顔をこの時始めて見た。唇の薄い割に口の大きいのをその特徴の一つとして彼は最初から眺ながめていたが、美くしい歯を露むき出しに現わして、潤うる沢おいの饒ゆたかな黒い大きな眼を、上うえ下したの睫まつげの触れ合うほど、共に寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた。敬太郎は女の笑い顔に見み惚とれると云うよりもむしろ驚ろいて相手の男に視線を移した。するとその男の頭の上に黒い中なか折おれが乗っているのに気がついた。外がい套とうは判はっ切きり霜しも降ふりとは見分けられなかったが、帽子と同じ暗い光を敬太郎の眸ひとみに投げた。その上背は高かった。瘠やせぎすでもあった。ただ年と齢しの点に至ると、敬太郎にはとかくの判断を下しかねた。けれどもその人が寿命の度ども盛りの上において、自分とは遥はるか隔へだたった向うにいる事だけはたしかなので、彼はこの男を躊ちゅ躇うちょなく四十恰がっ好こうと認めた。これだけの特点を前後なくほとんど同時に胸に入れ得た時、彼は自分が先さっ刻きから馬鹿を尽してつけ覘ねらった本人がやっと今電車を降りたのだと断定しない訳に行かなかった。彼は例刻の五時がとうの昔むかしに過ぎたのに、妙な酔すい興きょうを起して、やはり同じ所にぶらついていた自分を仕合せだと思った。その酔興を起させるため、自分の好奇心を釣りに若い女が偶然出て来てくれたのをありがたく思った。さらにその若い女が自分の探す人を、自分よりも倍以上の自信と忍耐をもって、待ち終おおせたのを幸運の一つに数えた。彼はこのXエックスという男について、田口のために、ある知識を供給する事ができると共に、同じ知識がYワイという女に関する自分の好奇心を幾分か満足させ得るだろうと信じたからである。 男と女はまるで敬太郎の存在に気がつかなかったと見えて、前後左右に遠慮する気けし色きもなく、なお立ちながら話していた。女は始終微笑を洩もらす事をやめなかった。男も時々声を出して笑った。二人が始めて顔を合わした時の挨あい拶さつの様子から見ても彼らはけっして疎遠な間柄ではなかった。異性を繋つなぎ合わせるようで、その実両方の仲を堰せく、慇いん懃ぎんな男なん女にょ間かんの礼義は彼らのどちらにも見出す事ができなかった。男は帽子の縁ふちに手をかける面倒さえあえてしなかった。敬太郎はその鍔つばの下にあるべきはずの大きな黒ほく子ろを面と向って是非突き留めたかった。もし女がいなかったならば肉の上に取り残されたこの異様な一点を確かめるために、彼はつかつかと男の前へ進んで行って、何でも好いから、ただ口から出でま任かせの質問をかけたかも知れない。それでなくても、直ただちに彼の傍そばへ近寄って、満足の行くまでその顔を覗のぞき込んだろう。この際そう云う大胆な行動を妨たげるものは、男の前に立っている例の女であった。女が敬太郎の態度を悪く疑ぐったかどうかは問題として、彼の挙動に不審を抱いだいた様子は、同じ場所に長く立ち並んだ彼の目に親しく映じたところである。それを承知しながら、再びその視線の内に、自分の顔を無遠慮に突き出すのは、多少紳士的でない上に、嫌けん疑ぎの火の手をわざと強くして、自分の目的を自分で打うち毀こわすと同じ結果になる。 こう考えた敬太郎は、自然の順序として相応の機会が廻めぐって来るまでは、黒子の有る無しを見届けるだけは差し控えた方が得策だろうと判断した。その代り見え隠れに二人の後あとを跟つけて、でき得るならば断片的でもいいから、彼らの談話を小耳に挟はさもうと覚悟した。彼は先方の許諾を待たないで、彼らの言動を、ひそかに我胸に畳み込む事の徳義的価値について、別に良心の相談を受ける必要を認めなかった。そうして自分の骨折から出る結果は、世せ故こに通じた田口によって、必ず善意に利用されるものとただ淡たん泊ぱくに信じていた。 やがて男は女を誘いざなう風をした。女は笑いながらそれを拒こばむように見えた。しまいに半なかば向き合っていた二人が、肩と肩を揃そろえて瀬戸物屋の軒のき端ば近く歩き寄った。そこから手を組み合わせないばかりに並んで東の方へ歩き出した。敬太郎は二三間早足に進んで、すぐ彼らの背後まで来た。そうして自分の歩調を彼らと同じ速度に改ためた。万一女に振り向かれても、疑惑を免まぬかれるために、彼はけっして彼らの後姿には眼を注がなかった。偶然前後して天下の往来を同じ方角に行くもののごとくに、故わ意ざとあらぬ方かたを見て歩いた。三十一
﹁だって余あんまりだわ。こんなに人を待たしておいて﹂ 敬けい太たろ郎うの耳に入った第一の言葉は、女の口から出たこういう意味の句であったが、これに対する男の答は全く聞き取れなかった。それから五六間行ったと思う頃、二人の足が急に今までの歩調を失って、並んだ影法師がほとんど敬太郎の前に立ち塞ふさがりそうにした。敬太郎の方でも、後うしろから向うに突き当らない限りは先へ通り抜けなければ跋ばつが悪くなった。彼は二人の後戻りを恐れて、急に傍そばにあった菓子屋の店先へ寄り添うように自分を片づけた。そうしてそこに並んでいる大きな硝ガラ子スつ壺ぼの中のビスケットを見つめる風をしながら、二人の動くのを待った。男は外がい套とうの中へ手を入れるように見えたが、それが済むと少し身から体だを横にして、下向きに右手で持ったものを店の灯ひに映した。男の顔の下に光るものが金時計である事が、その時敬太郎に分った。 ﹁まだ六時だよ。そんなに遅かあない﹂ ﹁遅いわあなた、六時なら。妾あたしもう少しで帰かいるところよ﹂ ﹁どうも御気の毒さま﹂ 二人はまた歩き出した。敬太郎も壺つぼ入いりのビスケットを見棄ててその後あとに従がった。二人は淡あわ路じち町ょうまで来てそこから駿する河がだ台いし下たへ抜ける細い横町を曲った。敬太郎も続いて曲ろうとすると、二人はその角にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門かど口ぐちから射す強い光を浴びた男と女の顔を横から一眼見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像もつかなかったのだが、突然こんな家うちへ入はいられて見ると、何でもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝たか亭らていと云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出でい入りをする家うちであった。近頃普ふし請んをしてから新らしいペンキの色を半分電車通りに曝さらして、斜はすかけに立ち切られたような棟むねを南向に見せているのを、彼は通り掛りに時々注意した事がある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦ビー酒ルの広告写真を仰ぎながら、肉ナイ刀フと肉フォ叉ークを凄すさまじく闘かわした数す度どの記憶さえ有もっていた。 二人の行先については、これという明らかな希望も予期も無かったが、少しは紫むらさきがかった空気の匂う迷メー路ズの中に引き入れられるかも知れないくらいの感じが暗あんに働らいてこれまで後を跟つけて来た敬太郎には、馬じゃ鈴がい薯もや牛肉を揚げる油の臭においが、台所からぷんぷん往来へ溢あふれる西洋料理屋は余りに平凡らしく見えた。けれども自分のとても近寄れない幽玄な所へ姿を隠して、それぎり出て来ないよりは、遥はるかに都合が好いと考え直した彼は、二人の身体が、誰にでも近寄る事のできる、普通の洋食店のペンキの奥に囲われているのをむしろ心丈夫だと覚さとった。幸い彼はこのくらいな程度の家で、冬空の外気に刺しげ戟きされた食慾を充みたすに足るほどの財布を懐中していた。彼はすぐ二人の後あとを追ってそこの二階へ上のぼろうとしたが、電灯の強く往来へ射さす門かど口ぐちまで来た時、ふと気がついた。すでに女から顔を覚えられた以上、ほとんど同時に一つ二階へ押し上っては不ま味ずい。ひょっとするとこの人は自分を跟つけて来たのだという疑惑を故こと意さら先方に与える訳になる。 敬太郎は何気ない振をして、往来へ射す光を横切ったまま、黒い小こう路じを一丁ばかり先へ歩いた。そうしてその小路の尽きる坂下からまた黒い人となって、自分の影法師を自分の身から体だの中へ畳み込んだようにひっそりと明るい門口まで帰って来た。それからその門かどを潜くぐった。時々来た事があるので、彼はこの家うちの勝手をほぼ承知していた。下には客を通す部屋がなくって、二階と三階だけで用を弁じているが、よほど込み合わなければ三階へは案内しない、大抵は二階で済むのだから、上あがって右の奥か、左の横にある広間を覗のぞけば、大抵二人の席が見えるに違ない、もしそこにいなかったら表の方の細長い室へやまで開あけてやろうぐらいの考で、階はし段ごだんを上りかけると、白服の給ボー仕イが彼を案内すべく上り口に立っているのに気がついた。三十二
敬けい太たろ郎うは手に持った洋ステ杖ッキをそのままに段々を上のぼり切ったので、給仕は彼の席を定める前に、まずその洋杖を受取った。同時にこちらへと云いながら背中を向けて、右手の広間へ彼を案内した。彼は給仕の後うしろから自分の洋杖がどこに落ちつくかを一目見届けた。するとそこに先さっ刻き注意した黒の中なか折おれ帽ぼうが掛っていた。霜しも降ふりらしい外がい套とうも、女の着ていた色合のコートも釣るしてあった。給仕がその裾すそを動かして、竹の洋杖を突つっ込こんだ時、大きな模様を抜いた羽はぶ二た重えの裏が敬太郎の眼にちらついた。彼は蛇へびの頭がコートの裏に隠れるのを待って、そらにその持主の方に眼を転じた。幸いに女は男と向き合って、入口の方に背中ばかりを見せていた。新らしい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと廻るのが、いったん席に落ちついた品位を崩くずす恐おそれがあるので、必要のない限り、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後姿を眺ながめながら、ひとまず安あん堵どの思いをした。女は彼の推察通りはたして後うしろを向かなかった。彼はその間まに女の坐っているすぐ傍そばまで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけず向むきも改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいた鉢はちに植えた松と梅の盆ぼん栽さいが飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きな匙さじを落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間に横よこたわる六尺に足らない距離は明らかな電灯が隈くまなく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔いさぎいい光を四方の食テー卓ブルから反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備した室へやで、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉まゆと眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒ほく子ろを認めた。 この黒ほく子ろを別にして、男の容よう貌ぼうにこれと云った特異な点はなかった。眼も鼻も口も全く人並であった。けれども離れ離れに見ると凡ぼん庸ような道具が揃そろって、面おも長ながな顔の表にそれぞれの位地を占めた時、彼は尋常以上に品格のある紳士としか誰の目にも映らなかった。敬太郎と顔を合せた時、スープの中に匙さじを入れたまま、啜すする手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。敬太郎はそれなり背中を彼の方に向けて自分の席に着いたが、探偵という文字に普通付着している意味を心のうちで考え出して、この男の風ふう采さい態たい度どと探偵とはとても釣り合わない性質のものだという気がした。敬太郎から見ると、この人は探偵してしかるべき何物をも彼の人相の上に有もっていなかったのである。彼の顔の表に並んでいる眼鼻口のいずれを取っても、その奥に秘密を隠そうとするには、余りにできが尋常過ぎたのである。彼は自分の席へ着いた時、田口から引き受けたこの宵よいの仕事に対する自分の興味が、すでに三分の一ばかり蒸発したような失望を感じた。第一こんな性た質ちの仕事を田口から引き受けた徳義上の可否さえ疑がわしくなった。 彼は自分の注文を通したなり、ポカンとして麺パ麭ンに手も触ふれずにいた。男と女は彼らの傍そばに坐った新らしい客に幾分か遠慮の気味で、ちょっとの間ま話を途切らした。けれども敬太郎の前に暖められた白い皿が現われる頃から、また少し調子づいたと見えて、二人の声が互たが違いちがいに敬太郎の耳に入いった。―― ﹁今夜はいけないよ。少し用があるから﹂ ﹁どんな用?﹂ ﹁どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ﹂ ﹁あら好くってよ。妾あたしちゃんと知ってるわ。――さんざっぱら他ひとを待たした癖に﹂ 女は少し拗すねたような物の云い方をした。男は四あた辺りに遠慮する風で、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。 ﹁何しろ今夜は少し遅いから止そうよ﹂ ﹁ちっとも遅かないわ。電車に乗って行きゃあ直じきじゃありませんか﹂ 女が勧めている事も男が躊ちゅ躇うちょしている事も敬太郎にはよく解った。けれども彼らがどこへ行くつもりなのだか、その肝かん心じんな目的地になると、彼には何らの観念もなかった。三十三
もう少し聞いている内にはあるいはあたりがつくかも知れないと思って、敬けい太たろ郎うは自分の前に残された皿の上の肉ナイ刀フと、その傍に転がった赤い仁にん参じんの一ひと切きれを眺ながめていた。女はなお男を強しいる事をやめない様子であった。男はそのたびに何とかかとか云って逃のがれていた。しかし相手を怒おこらせまいとする優しい態度はいつも変らなかった。敬太郎の前に新らしい肉と青あお豌えん豆どうが運ばれる時分には、女もとうとう我がを折り始めた。敬太郎は心の内で、女がどこまでも剛情を張るか、でなければ男が好いい加かげ減んに降参するか、どっちかになればいいがと、ひそかに祈っていたのだから、思ったほど女の強くないのを発見した時は少なからず残念な気がした。せめて二人の間に名を出す必要のないものとして略されつつあった目的地だけでも、何かの機はず会みに小耳に挟はさんでおきたかったが、いよいよ話が纏まとまらないとなると、男なん女にょの問答は自然ほかへ移らなければならないので、当分その望みも絶えてしまった。 ﹁じゃ行かなくってもいいから、あれをちょうだい﹂と、やがて女が云い出した。 ﹁あれって、ただあれじゃ分らない﹂ ﹁ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう﹂ ﹁ちっとも分らない﹂ ﹁失敬ね、あなたは。ちゃんと分ってる癖に﹂ 敬太郎はちょっと振り向いて後うしろが見たくなった。その時階はし段ごだんを踏む大きな音が聞こえて、三人ばかりの客がどやどやと一度に上あがって来た。そのうちの一人はカーキー色の服に長靴を穿はいた軍人であった。そうして床ゆかの上を歩く音と共に、腰に釣るした剣をがちゃがちゃ鳴らした。三人は上って左側の室へやへ案内された。この物音が例の男と女の会話を攪かき乱したため、敬太郎の好奇心もちらつく剣の光が落ちつくまで中途に停止していた。 ﹁この間見せていただいたものよ。分って﹂ 男は分ったとも分らないとも云わなかった。敬太郎には無論想像さえつかなかった。彼は女がなぜ淡たん泊ぱくに自分の欲しいというものの名を判はっ切きり云ってくれないかを恨うらんだ。彼は何とはなしにそれが知りたかったのである。すると、 ﹁あんなもの今ここに持ってるもんかね﹂と男が云った。 ﹁誰もここに持ってるって云やしないわ。ただちょうだいって云うのよ。今こん度だでいいから﹂ ﹁そんなに欲しけりゃやってもいい。が……﹂ ﹁あッ嬉うれしい﹂ 敬太郎はまた振り返って女の顔が見たくなった。男の顔もついでに見ておきたかった。けれども女と一直線になって、背中合せに坐っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動は慎つつしまなければならないので、眼のやりどころに困るという風で、ただ正面をぽかんと見廻した。すると勝手の上あがり口くちの方から、給ボー仕イが白い皿を二つ持って入って来て、それを古いのと引き更かえに、二人の前へ置いて行った。 ﹁小鳥だよ。食べないか﹂と男が云った。 ﹁妾あたしもうたくさん﹂ 女は焼いた小鳥に手を触れない様子であった。その代り暇のできた口を男よりは余計動かした。二人の問答から察すると、女の男にくれと逼せまったのは珊さん瑚ごじ樹ゅの珠たまか何からしい。男はこういう事に精通しているという口くち調ょうで、いろいろな説明を女に与えていた。が、それは敬太郎には興味もなければ、解りもしない好こう事ず家かの嬉うれしがる知識に過ぎなかった。練ねり物もので作ったのへ指先の紋もんを押しつけたりして、時々旨うまくごまかした贋がん物ぶつがあるが、それは手てざ障わりがどこかざらざらするから、本当の古こわ渡たりとは直すぐ区別できるなどと叮てい嚀ねいに女に教えていた。敬太郎は前あと後さきを綜すべ合あわして、何でもよほど貴たっとい、また大変珍らしい、今時そう容たや易すくは手に入らない時代のついた珠たまを、女が男から貰もらう約束をしたという事が解った。 ﹁やるにはやるが、御前あんなものを貰って何なんにする気だい﹂ ﹁あなたこそ何になさるの。あんな物を持ってて、男の癖に﹂三十四
しばらくして男は﹁御前御菓子を食べるかい、菓くだ物ものにするかい﹂と女に聞いた。女は﹁どっちでも好いわ﹂と答えた。彼らの食事がようやく終りに近づいた合図とも見られるこの簡単な問答が、今までうっかりと二人の話に釣り込まれていた敬けい太たろ郎うに、たちまち自分の義務を注意するように響いた。彼はこの料理屋を出た後あとの二人の行動をも観察する必要があるものとして、自分で自分の役割を作っていたのである。彼は二人と同時に二階を下りる事の不得策を初めから承知していた。後おくれて席を立つにしても、巻まき煙たば草こを一本吸わない先に、夜と人と、雑ざっ沓とうと暗くら闇やみの中に、彼らの姿を見失なうのはたしかであった。もし間違いなく彼らの影を踏んで後あとから喰くっ付ついて行こうとするなら、どうしても一足先へ出て、相手に気のつかない物陰か何かで、待ち合せるよりほかに仕方がないと考えた。敬太郎は早く勘定を済ましておくに若しくはないという気になって、早速給ボー仕イを呼んでビルを請求した。 男と女はまだ落ちついて話していた。しかし二人の間に何というきまった題目も起らないので、それを種に意見や感情の交とり換やりも始まる機お会りはなく、ただだらしのない雲のようにそれからそれへと流れて行くだけに過ぎなかった。男の特徴に数えられた眉まゆと眉の間の黒ほく子ろなども偶然女の口に上のぼった。 ﹁なぜそんな所に黒子なんぞができたんでしょう﹂ ﹁何も近頃になって急にできやしまいし、生れた時からあるんだ﹂ ﹁だけどさ。見っともなかなくって、そんな所とこにあって﹂ ﹁いくら見っともなくっても仕方がないよ。生れつきだから﹂ ﹁早く大学へ行って取って貰うといいわ﹂ 敬太郎はこの時指フィ洗ンガ椀ーボールの水に自分の顔の映るほど下を向いて、両手で自分の米こめ噛かみを隠すように抑おさえながら、くすくすと笑った。ところへ給仕が釣銭を盆に乗せて持って来た。敬太郎はそっと立って目立たないように階はし段ごだんの上あがり口くちまでおとなしく足を運ぶと、そこに立っていた給仕が大きな声で、﹁御立あち﹂と下へ知らせた。同時に敬太郎は先さっ刻き給仕に預けた洋ステ杖ッキを取って来るのを忘れた事に気がついた。その洋杖はいまだに室へやの隅すみに置いてある帽子掛の下に突き込まれたまま、女の長いコートの裾すそに隠されていた。敬太郎は室の中にいる男なん女にょを憚はばかるように、抜き足で後戻りをして、静かにそれを取り出した。彼が蛇の頭を握った時、すべすべした羽はぶ二た重えの裏と、柔かい外がい套とうの裏が、優しく手の甲に触れるのを彼は感じた。彼はまた爪先で歩かないばかりに気をつけて階段の上まで来ると、そこから急に調子を変えて、とん、とん、とんと刻きざみ足あしに下へ駆かけ下りた。表へ出るや否や電車通を直ぐ向うへ横切った。その突き当りに、大きな古着屋のような洋服屋のような店があるので、彼はその店の電灯の光を後うしろにして立った。こうしてさえいれば料理店から出る二人が大通りを右へ曲ろうが、左へ折れようが、または中川の角に添って連れん雀じゃ町くちょうの方へ抜けようが、あるいは門かどからすぐ小こう路じ伝いに駿する河がだ台いし下たへ向おうが、どっちへ行こうと見みの逃がす気きづ遣かいはないと彼は心丈夫に洋ステ杖ッキを突いて、目指す家の門かど口ぐちを見守っていた。 彼は約十分ばかり待った後で、注意の焼しょ点うてんになる光の中うちに、いっこう人影が射さないのを不審に思い始めた。やむを得ず二階を眺ながめてその窓だけ明るくなった奥を覗のぞくように、彼らの早く席を立つ事を祈った。そうして待ち草くた臥びれた眼を移すごとに、屋根の上に広がる黒い空を仰いだ。今まで地面の上を照らしている人間の光ばかりに欺あざむかれて、まるでその存在を忘れていたこの大きな夜は、暗い頭の上で、先さっ刻きから寒そうな雨を醸かもしていたらしく、敬太郎の心を佗わびしがらせた。ふと考えると、今までは自分に遠慮してただの話をしていた二人が、自分の立ったのを幸いに、自分の役目として是非聞いておかなければならないような肝かん心じんの相談でもし始めたのではなかろうか。彼はこの疑惑と共に黒い空を仰ぎながら、そのうちに二人の向き合った姿をありありと認めた。三十五
彼はあまり注意深く立ち廻って、かえって洋食店の門を早く出過ぎたのを悔くやんだ。けれども二人が彼に気きが兼ねをする以上は、たとい同じ席にいつまでも根が生えたように腰を据すえていたところで、やっぱり普通の世間話よりほかに聞く訳には行かないのだから、よし今まで坐すわったまま動かないものと仮定しても、その結果は早く席を立ったと、ほぼ同じ事になるのだと思うと、彼は寒いのを我慢しても、同じ所に見張っているより仕方なかった。すると帽子の廂ひさしへ雨が二ふた雫しずくほど落ちたような気がするので、彼はまた仰あお向むいて黒い空を眺めた。闇やみよりほかに何も眼を遮さえぎらない頭の上は、彼の立っている電車通と違って非常に静であった。彼は頬ほおの上に一いっ滴てきの雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、恰かっ好こうさえ分らない大きな暗いものを見つめている間あいだに、今にも降り出すだろうという掛けね念んをどこかへ失なって、こんな落ちついた空の下にいる自分が、なぜこんな落ちつかない真ま似ねを好んでやるのだろうと偶然考えた。同時にすべての責任が自分の今突いている竹の洋ステ杖ッキにあるような気がした。彼は例のごとく蛇へびの頭を握って、寒さに対する欝うっ憤ぷんを晴らすごとくに、二三度それを烈はげしく振った。その時待ち佗びた人の影法師が揃そろって洋食店の門口を出た。敬けい太たろ郎うは何より先に女の細長い頸くびを包む白い襟えり巻まきに眼をつけた。二人はすぐと大通りへ出て、敬太郎の向う側を、先刻とは反対の方角に、元来た道へ引き返しにかかった。敬太郎も猶ゆう予よなく向うへ渡った。彼らは緩ゆるい歩調で、賑にぎやかに飾った店先を軒のきごとに覗のぞくように足を運ばした。後うしろから跟ついて行く敬太郎は是非共二人に釣り合った歩き方をしなければならないので、その遅過ぎるのがだいぶ苦になった。男は香かの高い葉巻を銜くわえて、行く行く夜の中へ微かすかな色を立てる煙を吐いた。それが風の具合で後うしろから従がう敬太郎の鼻を時々快ろよく侵おかした。彼はその香においを嗅かぎ嗅ぎ鈍のろい足並を我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背が高いので後うしろから見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少錯さっ覚かくを助けた。すると聯れん想そうがたちまち伴つ侶れの方に移って、女が旦だん那なから買って貰もらった革かわの手袋を穿はめている洋らし妾ゃめんのように思われた。敬太郎がふとこういう空想を起して、おかしいと思いながらも、なお一人で興を催していると、二人は最前待ち合わした停留所の前まで来てちょっと立ちどまったが、やがてまた線路を横切って向側へ越した。敬太郎も二人のする通りを真ま似ねた。すると二人はまた美みと土しろ代ちょ町うの角かどをこちらから反対の側へ渡った。敬太郎もつづいて同じ側へ渡った。二人はまた歩き出して南へ動いた。角から半町ばかり来ると、そこにも赤く塗った鉄の柱が一本立っていた。二人はその柱の傍そばへ寄って立った。彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時始めて気がついた敬太郎は、自分も是非同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した。彼らは申し合せたように敬太郎の方を顧かえりみた。固もとより彼のいる方から電車が横町を曲って来るからではあるが、それにしても敬太郎は余り好い心持はしなかった。彼は帽子の鍔つばをひっくり返して、ぐっと下へおろして見たり、手で顔を撫なでて見たり、なるべく軒下へ身を寄せて見たり、わざと変な見けん当とうを眺ながめて見たりして、電車の現われるのをつらく待ち佗わびた。 間まもなく一台来た。敬太郎はわざと二人の乗った後あとから這は入いって、嫌けん疑ぎを避けようと工夫した。それでしばらく後の方にぐずぐずしていると、女は例の長いコートの裾すそを踏まえないばかりに引き摺ずって車掌台の上に足を移した。しかしあとから直すぐ続くと思った男は、案外上あがる気けし色きもなく、足を揃そろえたまま、両手を外がい套とうの隠かく袋しに突き差して立っていた。敬太郎は女を見送りに男がわざわざここまで足を運んだのだという事にようやく気がついた。実をいうと、彼は男よりも女の方に余計興味を持っていたのである。男と女がここで分れるとすれば、無論男を捨てて女の先途だけを見届けたかった。けれども自分が田口から依いた託くされたのは女と関係のない黒い中なか折おれ帽ぼうを被かぶった男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。三十六
女は車台に乗った時、ちょっと男に目礼したが、それぎり中へ這は入いってしまった。冬の夜よの事だから、窓まど硝ガラ子スはことごとく締しめ切ってあった。女はことさらにそれを開けて内から首を出すほどの愛あい嬌きょうも見せなかった。それでも男はのっそり立って、車の動くのを待っていた。車は動き出した。二人の間に挨あい拶さつの交やり換とりがもう必要でないと認めたごとく、電力は急いで光る窓を南の方かたへ運び去った。男はこの時口に銜くわえた葉巻を土の上に投げた。それから足の向を変えてまた三ツ角の交叉点まで出ると、今度は左へ折れて唐とう物ぶつ屋やの前でとまった。そこは敬けい太たろ郎うが人に突き当られて、竹の洋ステ杖ッキを取り落した記憶の新らしい停留所であった。彼は男の後あとを見え隠れにここまで跟ついて来て、また見たくもない唐物屋の店先に飾ってある新しん柄がらの襟ネク飾タイだの、絹シル帽クハットだの、変かわり縞じまの膝ひざ掛かけだのを覗のぞき込みながら、こう遠慮をするようでは、探偵の興も覚さめるだけだと考えた。女がすでに離れた以上、自分の仕事に飽あきが来たと云ってはすまないが、前ぜん同様であるべき窮屈の程度が急に著るしく感ぜられてならなかった。彼の依頼されたのは中折の男が小川町で降りてから二時間内の行動に限られているのだから、もうこれで偵察の役目は済んだものとして、下宿へ帰って寝ようかとも思った。 そこへ男の待っている電車が来たと見えて、彼は長い手で鉄の棒を握るや否いなや瘠やせた身から体だを体ていよくとまり切らない車台の上に乗せた。今まで躊ちゅ躇うちょしていた敬太郎は急にこの瞬間を失なってはという気が出たので、すぐ同じ車台に飛び上った。車内はそれほど込みあっていなかったので、乗客は自由に互の顔を見合う余裕を充分持っていた。敬太郎は箱の中に身体を入れると同時に、すでに席を占めた五六人から一度に視線を集められた。そのうちには今坐すわったばかりの中折の男のも交まじっていたが、彼の敬太郎を見た眼のうちには、おやという認識はあったが、つけ覘ねらわれているなという疑惑はさらに現われていなかった。敬太郎はようやく伸び伸びした心持になって、男と同じ側を択よって腰を掛けた。この電車でどこへ連れて行かれる事かと思って軒先を見ると、江戸川行と黒く書いてあった。彼は男が乗り換えさえすれば、自分も早速降りるつもりで、停留所へ来るごとに男の様子を窺うかがった。男は始しじ終ゅう隠かく袋しへ手を突き込んだまま、多くは自分の正面かわが膝ひざの上かを見ていた。その様子を形容すると、何にも考えずに何か考え込んでいると云う風であった。ところが九段下へかかった頃から、長い首を時々伸ばして、ある物を確かめたいように、窓の外を覗き出した。敬太郎もつい釣り込まれて、見みに悪くい外を透すかすように眺ながめた。やがて電車の走る響の中に、窓まど硝ガラ子スにあたって摧くだける雨の音が、ぽつりぽつりと耳元でし始めた。彼は携たずさえている竹の洋ステ杖ッキを眺めて、この代りに雨あま傘がさを持って来ればよかったと思い出した。 彼は洋食店以後、中折を被かぶった男の人ひと柄がらと、世の中にまるで疑うたがいをかけていないその眼つきとを注意した結果、この時ふと、こんな窮屈な思いをして、いらざる材料を集めるよるも、いっそ露むき骨だしにこっちから話しかけて、当人の許諾を得た事実だけを田口に報告した方が、今更遅おそ蒔まきのようでも、まだ気が利きいていやしないかと考えて、自分で自分を彼に紹介する便べん法ぽうを工夫し始めた。そのうち電車はとうとう終点まで来た。雨はますます烈しくなったと見えて、車がとまるとざあという音が急に彼の耳を襲おそった。中折の男は困ったなと云いながら、外がい套とうの襟えりを立てて洋ズボ袴ンの裾すそを返した。敬太郎は洋杖を突きながら立ち上った。男は雨の中へ出ると、直すぐ寄って来る俥くる引まひきを捕つらまえた。敬太郎も後おくれないように一台雇った。車夫は梶かじ棒ぼうを上げながら、どちらへと聞いた。敬太郎はあの車の後あとについて行けと命じた。車夫はへいと云ってむやみに馳かけ出した。一筋道を矢やら来いの交番の下まで来ると、車夫は又梶棒をとめて、旦那どっちへ行くんですと聞いた。男の乗った車はいくら幌ほろの内から延び上っても影さえ見えなかった。敬太郎は車上に洋杖を突っ張ったまま、雨の音のする中で方角に迷った。報告
一
眼が覚さめると、自分の住み慣なれた六畳に、いつもの通り寝ている自分が、敬けい太たろ郎うには全く変に思われた。昨きの日うの出来事はすべて本当のようでもあった。また纏まとまりのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、﹁本当の夢﹂のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴なっていた。それよりか、酔った気分が世の中に充みち充ちていたという感じが一番強かった。停留所も電車も酔った気分に充ちていた。宝石商も、革かわ屋やも、赤と青の旗振りも、同じ空気に酔っていた。薄青いペンキ塗の洋食店の二階も、そこに席を占めた眉まゆの間に黒ほく子ろのある紳士も、色の白い女も、ことごとくこの空気に包まれていた。二人の話しに出て来る、どこにあるか分らない所の名も、男が女にやる約束をした珊さん瑚ごの珠たまも、みんな陶とう然ぜんとした一種の気分を帯びていた。最もこの気分に充みちて活躍したものは竹の洋ステ杖ッキであった。彼がその洋杖を突いたまま、幌ほろを打つ雨の下で、方角に迷った時の心持は、この気分の高潮に達した幕前の一ひと区くぎ切りとして、ほとんど狐から取り憑つかれた人の感じを彼に与えた。彼はその時店の灯ひで佗わびしく照らされたびしょ濡ぬれの往来と、坂の上に小さく見える交番と、その左手にぼんやり黒くうつる木立とを見廻して、はたしてこれが今日の仕事の結末かと疑ぐった。彼はやむを得ず車夫に梶かじ棒ぼうを向け直させて、思いも寄らない本郷へ行けと命じた事を記憶していた。 彼は寝ながら天てん井じょうを眺ながめて、自分に最も新らしい昨日の世界を、幾順となく眼の前に循環させた。彼は二ふつ日かよ酔いの眼と頭をもって、蚕かいこの糸を吐はくようにそれからそれへと出てくるこの記かた念みの画えを飽あかず見つめていたが、しまいには眼先に漂ただようふわふわした夢の蒼うる蠅ささに堪たえなくなった。それでも後あとから後からと向うで独ひとり勝がっ手てに現われて来るので、彼は正気でありながら、何かに魅入られたのではなかろうかと云う疑さえ起した。彼はこの浅い疑に関かん聯れんして、例の洋杖を胸に思い浮べざるを得なかった。昨日の男も女も彼の眼には絵を見るほど明らかであった。容よう貌ぼうは固もとより服な装りから歩きつきに至るまでことごとく記憶の鏡に判はっ切きりと映った。それでいて二人とも遠くの国にいるような心持がした。遠くの国にいながら、つい近くにあるものを見るように、鮮あざやかな色と形を備えて眸ひとみを侵おかして来た。この不思議な影響が洋杖から出たかも知れないという神経を敬太郎はどこかに持っていた。彼は昨ゆう夕べ法外な車賃を貪ぼられて、宿の門かど口ぐちを潜くぐった時、何心なくその洋杖を持ったまま自分の室へやまで帰って来て、これは人の目に触れる所に置くべきものでないという顔をして、寝る前に、戸とだ棚なの奥の行こう李りの後うしろへ投げ込んでしまったのである。 今け朝さは蛇へびの頭にそれほどの意味がないようにも思われた。ことにこれから田口に逢って、探偵の結果を報告しなければならないと云う実際問題の方が頭に浮いて来ると、なおさらそういう感じが深くなった。彼は一日の午後から宵よいへかけて、妙に一種の空気に酔わされた気分で活動した自覚はたしかにあるが、いざその活動の結果を、普通の人間が処世上に利用できるように、筋の立った報告に纏まとめる段になると、自分の引き受けた仕事は成せい効こうしているのか失敗しているのかほとんど分らなかった。したがって洋ステ杖ッキの御おか蔭げを蒙こうむっているのか、いないのかも判然しなかった。床の中で前後をくり返した敬太郎には、まさしくその御蔭を蒙っているらしくも見えた。またけっしてその御蔭を蒙っていないようにも思われた。 彼はともかくも二日酔の魔を払い落してからの事だと決心して、急に夜よ着ぎを剥はぐって跳はね起きた。それから洗面所へ下りて氷るほど冷めたい水で頭をざあざあ洗った。これで昨きの日うの夢を髪の毛の根本から振い落して、普通の人間に立ち還ったような気になれたので、彼は景気よく三階の室へやに上のぼった。そこの窓を潔いさぎよく明け放した彼は、東向に直立して、上野の森の上から高く射す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並に刺しげ戟きした後で、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項について力つとめて実際的に思慮を回めぐらした。二
突きとめて見ると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬けい太たろ郎うは少し心細くなって来た。けれども先方では今朝にも彼の報告を待ち受けているように気が急せくので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これから直すぐ行っていいかと聞くと、だいぶ待たした後あとで、差さし支つかえないという答が、例の書生の口を通して来たので、彼は猶ゆう予よなく内幸町へ出かけた。 田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴と下げ駄たが一足ずつあった。彼はこの間と違って日本間の方へ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸かけ物ものが二幅掛かっていた。湯ゆの呑みのような深い茶ちゃ碗わんに、書生が番茶を一杯汲くんで出した。桐きりを刳くった手てあ焙ぶりも同じ書生の手で運ばれた。柔かい座ざぶ蒲と団んも同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。敬太郎は広い室の真中に畏かしこまって、主人の足音の近づくのを窮屈に待った。ところがその主人は用談が果てないと見えて、いつまで待ってもなかなか現われなかった。敬太郎はやむを得ず茶色になった古そうな懸かけ物ものの価ねだ額んを想像したり、手焙の縁ふちを撫なで廻したり、あるいは袴はかまの膝ひざへきちりと両手を乗せて一人改たまって見たりした。すべて自分の周まわ囲りがあまり綺きれ麗いに調ととのっているだけに、居心地が新らし過ぎて彼は容易に落ちつけなかったのである。しまいに違ちが棚いだなの上にある画がじ帖ょうらしい物を取りおろしてみようかと思ったが、その立派な表紙が、これは装飾だから手を触れちゃいけないと断ことわるように光るので、彼はついに手を出しかねた。 こう敬太郎の神経を悩ました主人は、彼をやや小一時間も待たした後あとで、ようやく応接間から出て来た。 ﹁どうも長い間御待たせ申して。――客がなかなか帰らないものだから﹂ 敬太郎はこの言訳に対して適当と思うような挨あい拶さつを一と口と、それに添えた叮てい嚀ねいな御お辞じ儀ぎを一つした。それからすぐ昨きの日うの事を云い出そうとしたが、何をどう先に述べたら都合がいいか、この場に臨んで急にまた迷い始めたうちに、切り出す機を逸してしまった。主人はまた冒頭からさも忙がしそうに声も身から体だも取り扱かっている癖に、どこか腹の中に余よゆ裕うの貯蔵庫でもあるように、けっして周あわ章てて探偵の結果を聞きたがらなかった。本郷では氷が張るかとか、三階では風が強く当るだろうとか、下宿にも電話があるのかとか、調子は至しご極く面白そうだけれども、その実つまらない事ばかり話の種にした。敬太郎は向うの問に従って主人の満足する程度にわが答えを運んでいたが、相手はこんな無意味な話を進めて行くうちに、暗あんに彼の様子を注意しているらしかった。そこまでは彼もぼんやり気がついた。しかし主人がなぜそんな注意を自分に払うのか、その訳わけはまるで解らなかった。すると、 ﹁どうです昨きの日うは。旨うまく行きましたか﹂と主人が突然聞き出した。こう聞かれるだろうぐらいの腹は始めから敬太郎にもあったのだが、正直に答えれば、﹁どうですか﹂という他ひとを馬鹿にした生返事になるので、彼はちょっと口くち籠ごもった後あと、 ﹁そうです御通知のあった人だけはやっと探し当てました﹂と答えた。 ﹁眉みけ間んに黒ほく子ろがありましたか﹂ 敬太郎は少し隆起した黒い肉の一点を局部に認めたと答えた。 ﹁衣な服りもこっちから云って上げた通りでしたか。黒の中なか折おれに、霜しも降ふりの外がい套とうを着て﹂ ﹁そうです﹂ ﹁それじゃ大抵間違はないでしょう。四時と五時の間に小川町で降りたんですね﹂ ﹁時間は少し後おくれたようです﹂ ﹁何分ぐらい﹂ ﹁何分か知りませんが、何でも五時よっぽど過すぎのようでした﹂ ﹁よっぽど過すぎ。よっぽど過ならそんな人を待っていなくても好いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもうあなたの義務はすんだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです﹂ 今まで穏おだやかに機きげ嫌んよく話していた長ちょ者うしゃから突然こう手てき厳びしくやりつけられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。三
敬けい太たろ郎うは今まで下した町まち出での旦那を眼の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友達に対してなら云い得る﹁君のためだから﹂という言葉も挨あい拶さつも有もっていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。 ﹁ただ私の勝手で、時間が来てもそこを動かなかったのです﹂ 敬太郎がこう答えるか答えないうちに、田口は今のきっとした態度をすぐ崩くずして、 ﹁そりゃ私わたしのために大変都合が好かった﹂と機きげ嫌んの好い調子で受けたが、﹁しかしあなたの勝手と云うのは何です﹂と聞き返した。敬太郎は少し逡しゅ巡んじゅんした。 ﹁なにそりゃ聞かないでも構いません。あなたの事だから。話したくなければ話さないでも差さし支つかえない﹂ 田口はこう云って、自分の前に引きつけた手てさ提げた煙ばこ草ぼ盆んの抽ひき出だしを開けると、その中から角つのでできた細長い耳みみ掻かきを捜さがし出した。それを右の耳の中に入れて、さも痒かゆそうに掻かき廻した。敬太郎は見ないふりをしてわざと自分を見ているような、また耳だけに気を取られているような、田口の蹙しか面めつらを薄気味悪く感じた。 ﹁実は停留所に女が一人立っていたのです﹂と彼はとうとう自白してしまった。 ﹁年寄ですか、若い女ですか﹂ ﹁若い女です﹂ ﹁なるほど﹂ 田口はただ一口こう云っただけで、何とも後を継ついでくれなかった。敬太郎も頓とん挫ざしたなり言葉を途と切ぎらした。二人はしばらく差向いのまま口を聞かずにいた。 ﹁いや、若かろうが年寄だろうが、その婦人の事を聞くのはよくなかった。それはあなただけに関係のある事なんでしょうから、止しにしましょう。私の方じゃただ顔に黒ほく子ろのある男について、研究の結果さえ伺がえばいいんだから﹂ ﹁しかしその女が黒子のある人の行動に始しじ終ゅう入り込んでくるのです。第一女の方で男を待ち合わしていたのですから﹂ ﹁はあ﹂ 田口はちょっと思いも寄らぬという顔つきをしたが、﹁じゃその婦人はあなたの御知合でも何でもないのですね﹂と聞いた。敬太郎は固もとより知合だと答える勇気を有もたなかった。きまりの悪い思いをしても、見た事も口を利きいた事もない女だと正直に云わなければならなかった。田口はそうですかと、穏おだやかに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気けし色きを見せなかったが、急に摧くだけた調子になって、 ﹁どんな女なんです。その若い婦人と云うのは。器量からいうと﹂と興味に充みちた顔を提さげ煙たば草こぼ盆んの上に出した。 ﹁いえ、なに、つまらない女なんです﹂と敬太郎は前後の行いきがかり上答えてしまって、実際頭の中でもつまらないような気がした。これが相手と場合しだいでは、うん器量はなかなか好い方だぐらいは固より云い兼ねなかったのである。田口は﹁つまらない女﹂という敬太郎の判断を聞いて、たちまち大きな声を出して笑った。敬太郎にはその意味がよく解らなかったけれども、何でも頭の上で大おお濤なみが崩れたような心持がして、幾分か顔が熱くなった。 ﹁よござんす、それで。――それからどうしました。女が停留所で待ち合わしているところへ男が来て﹂ 田口はまた普通の調子に戻って、真ま面じ目めに事件の経過を聞こうとした。実をいうと敬太郎は自分がこれから話す顛てん末まつを、どうして握る事ができたかの苦心談を、まず冒頭に敷ふえ衍んして、二つある同じ名の停留所の迷った事から、不思議な謎なぞの活いきて働らく洋ステ杖ッキを、どう抱かかえ出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手てが柄らのなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うや否いなや四時と五時とのいきさつでやられた上に、勝手に見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にも何にもならない見ず知らずの女だったりした不ま味ずいところがあるので、自分を広告する勇気は全く抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入ってから以後の事だけをごく淡あっ泊さり話して見ると、宅うちを出る時自分が心配していた通り、少しも捕つらまえどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いて見せたと同じような貧しい報告になった。四
それでも田口は別段厭いやな顔も見せなかった。落ちついた腕組をしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとか云う繋つなぎの言葉を、時々敬けい太たろ郎うのために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだ何か予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、﹁それだけです。実際つまらない結果で御気の毒です﹂と言訳をつけ加えた。 ﹁いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう﹂ 田口のこの挨あい拶さつの中うちに、大した感謝の意を含んでいない事は無論であったが、自分が馬鹿に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛あい嬌きょうが充分以上に聞こえた。彼は辛うじて恥を掻かかずにすんだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂たる味みのできた気分が、すぐ田口に向いて働らきかけた。 ﹁いったいあの人は何なんですか﹂ ﹁さあ何でしょうか。あなたはどう鑑定しました﹂ 敬太郎の前には黒の中なか折おれを被かぶって、襟えり開あきの広い霜しも降ふりの外がい套とうを着た﹇#﹁着た﹂は底本では﹁来た﹂﹈男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言こと葉ばづ遣かいといい歩きつきといい、何から何まで判はっ切きり見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出て来なかった。 ﹁どうも分りません﹂ ﹁じゃ性質はどんな性質でしょう﹂ 性質なら敬太郎にもほぼ見けん当とうがついていた。﹁穏おだやかな人らしく思いました﹂と観察の通りを答えた。 ﹁若い女と話しているところを見て、そう云うんじゃありませんか﹂ こう云った時、田口の唇くちびるの角に薄笑の影がちらついているのを認めた敬太郎は、何か答えようとした口をまた塞ふさいでしまった。 ﹁若い女には誰でも優やさしいものですよ。あなただって満まん更ざら経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから﹂と田口は遠慮なく笑い出した。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の眼を注いでいた。敬太郎は傍はたで自分を見たらさぞ気の利きかない愚ぐぶ物つになっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口と共に笑わなければいられなかった。 ﹁じゃ女は何物なんでしょう﹂ 田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に﹁女の方は男よりもなお分り悪にくいです﹂と答えてしまった。 ﹁素しろ人うとだか黒くろ人うとだか、大体の区別さえつきませんか﹂ ﹁さよう﹂と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。革かわの手袋だの、白い襟えり巻まきだの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜すべ括くくったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。 ﹁割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿はめていましたが……﹂ 女の身に着けた品物の中うちで、特に敬太郎の注意を惹ひいたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真ま面じ目めな顔をして、﹁じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか﹂と聞き出した。 敬太郎は先さっ刻き自分の報告が滞とどこおりなく済んだ証しょ拠うこに、御苦労さまと云う謝辞さえ受けた後あとで、こう難問が続発しようとは毫ごうも思いがけなかった。しかも窮しているせいか、それが順をおってだんだんむずかしい方へ競せり上あがって行くように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行きづまった様子を見て、再び同じ問をほかの言葉で説明してくれた。 ﹁例えば夫婦だとか、兄きょ弟うだいだとか、またはただの友達だとか、情い婦ろだとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか﹂ ﹁私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います﹂ ﹁夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか﹂五
敬けい太たろ郎うの胸にもこの疑うたがいは最初から多少萌きざさないでもなかった。改ためて自分の心を解剖して見たら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼を操あやつって、それがために偵てい察さつの興味が一段と鋭どく研とぎ澄まされたのかも知れなかった。肉と肉の間に起るこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男なん女にょの間に起り得るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、暖たかい血を有もった青年の常として、この観察点から男なん女にょを眺ながめるときに、始めて男女らしい心持が湧わいて来るとは思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の眼には、人間という大きな世界があまり判はっ切きり分らない代りに、男女という小さな宇宙はかく鮮あざやかに映った。したがって彼は大抵の社会的関係を、できるだけこの一点まで切落して楽んでいた。停留所で逢った二人の関係も、敬太郎の気のつかない頭の奥では、すでにこういう一いっ対ついの男女として最初から結びつけられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れを抱いだくほどの道徳家でもなかった。彼は世間並な道義心の所有者としてありふれた人間の一いち人にんであったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働らかないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直して見ても、別段不愉快にはならずにすんだのである。彼はただ年と齢しの上において二人の相違の著るしいのを疑ぐった。が、また一方ではその相違がかえって彼の眼に映ずる﹁男女の世界﹂なるものの特色を濃く示しているようにも見えた。 彼の二人に対する心持は知らず知らずの間にこう弛ゆるんでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられて見ると、断然とした返答は、責任のあるなしにかかわらず、纏まとまった形となって頭の中には現われ悪にくかった。それでこう云った。―― ﹁肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません﹂ 田口はただ微笑した。そこへ例の袴はかまを穿はいた書生が、一枚の名刺を盆に載のせて持って来た。田口はちょっとそれを受取ったまま、﹁まあ分らないところが本当でしょう﹂と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、﹁応接間へ通しておいて……﹂と命令した。先さっ刻きからよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好い機しおに、もうここで切り上げようと思って身みづ繕くろいにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれを遮さえぎった。そうして敬太郎の辟へき易えきするのに頓とん着じゃくなくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明めい瞭りょうに答えられるのはほとんど一カ条もなかったので、彼は大学で受けた口答試験の時よりもまだ辛つらい思いをした。 ﹁じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう﹂ 田口の最後と断ことわったこの問に対しても、敬太郎は固もとより満足な返事を有もっていなかった。彼は洋食店で二人の談話に注意を払う間にも何々さんとか何々子とかあるいは御おな何にとかいう言葉がきっとどこかへ交まじって来るだろうと心待に待っていたのだが、彼らは特にそれを避ける必要でもあるごとくに、御互の名はもちろん、第三者の名もけっして引合にさえ出さなかったのである。 ﹁名前も全く分りません﹂ 田口はこの答を聞いて、手てあ焙ぶりの胴に当てた手を動かしながら、拍ひょ子うしを取るように、指先で桐きりの縁ふちを敲たたき始めた。それをしばらくくり返した後あとで、﹁どうしたんだか余あんまり要領を得ませんね﹂と云ったが、直すぐ言葉を継ついで、﹁しかしあなたは正直だ。そこがあなたの美点だろう。分らない事を分ったように報告するよりもよっぽど好いかも知れない。まあ買えばそこを買うんですね﹂と笑い出した。敬太郎は自分の観察が、はたして実用に向かなかったのを発見して、多少わが迂うか闊つに恥じ入る気も起ったが、しかしわずか二三時間の注意と忍耐と推測では、たとい自分より十層倍行き届いた人間に代理を頼んだところで、田口を満足させるような結果は得られる訳のものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直と賞ほめられた事も大した嬉うれしさにはならなかった。このくらいの正直さ加減は全くの世間並に過ぎないと彼には見えたからである。六
敬けい太たろ郎うは先さっ刻きから頭の上らない田口の前で、たった一ひと言ことで好いから、思い切った自分の腹をずばりと云って見たいと考えていたが、ここで云わなければもう云う機会はあるまいという気がこの時ふと萌きざした。 ﹁要領を得ない結果ばかりで私もはなはだ御気の毒に思っているんですが、あなたの御聞きになるような立ち入った事が、あれだけの時間で、私のような迂うか闊つなものに見みき極わめられる訳はないと思います。こういうと生意気に聞こえるかも知れませんが、あんな小刀細工をして後あとなんか跟つけるより、直じかに会って聞きたい事だけ遠慮なく聞いた方が、まだ手てか数ずが省はぶけて、そうして動かない確かなところが分りゃしないかと思うのです﹂ これだけ云った敬太郎は、定めて世せ故こに長たけた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真ま面じ目めな態度で﹁あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ﹂と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。 ﹁あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです﹂と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。 ﹁それほどの考かんがえがちゃんとあるあなたに、あんなつまらない仕事を御おた頼のみ申したのは私わたしが悪かった。人物を見みそ損くなったのも同然なんだから。が、市蔵があなたを紹介する時に、そう云いましたよ。あなたは探偵のやるような仕事に興味を有もっておいでだって。それでね、ついとんでもない事を御願いして。止よしゃあよかった……﹂ ﹁いえ須すな永が君にはそう云う意味の事をたしかに話した覚えがあります﹂と敬太郎は苦しい思おもいをして答えた。 ﹁そうでしたか﹂ 田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切り棄すてたなり、それ以上に追窮する愚ぐをあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた。 ﹁じゃどうでしょう。黙って後なんどを跟けずに、あなたのいう通り尋常に玄関からかかって行っちゃ。あなたにそれだけの勇気がありますか﹂ ﹁無い事もありません﹂ ﹁あんなに跟け廻した後で﹂ ﹁あんなに跟け廻したって、私はあの人達の不名誉になるような観察はけっしてしていないつもりです﹂ ﹁ごもっともだ。そんなら一つ行って御覧なさい。紹介するから﹂ 田口はこう云いながら、大きな声を出して笑った。けれども敬太郎にはこの申し出が万まん更ざらの冗じょ談うだんとも思えなかったので、彼は紹介状を携たずさえて本当に眉みけ間んの黒ほく子ろと向き合って話して見ようかという料りょ簡うけんを起した。 ﹁会いますから紹介状を書いて下さい。私はあの人と話して見たい気がしますから﹂ ﹁宜いいでしょう。これも経験の一つだから、まあ会って直じかに研究して御覧なさい。あなたの事だから田口に頼まれてこの間の晩後あとを跟つけましたぐらいきっと云うでしょう。しかしそれは構わない。云いたければ云っても宜ようござんす。私わたしに遠慮は要いらないから。それからあの女との関係もですね、あなたに勇気さえあるなら聞いて御覧なさい。どうです、それを聞くだけの度胸があなたにありますか﹂ 田口はここでちょっと言葉を切らして敬太郎の顔を見たが、答の出ないうちにまた自分から話を続けた。 ﹁だが両方とも口へ出せるように自然が持ちかけて来るまでは、聞いても話してもいけませんよ。いくら勇気があったって、常識のない奴やつだと思われるだけだから。それどころじゃない、あの男はただでさえ随分会あい悪にくい方ほうなんだから、そんな事をむやみに喋しゃべろうものなら、直すぐ帰ってくれぐらい云い兼ねないですよ。紹介をして上げる代りには、そこいらはよく用心しないとね……﹂ 敬太郎は固もとより畏かしこまりましたと答えた。けれども腹の中では黒の中なか折おれの男を田口のように見る事がどうしてもできなかった。七
田口は硯すず箱りばこと巻紙を取り寄せて、さらさらと紹介状を書き始めた。やがて名なあ宛てを認したため終ると、﹁ただ通り一遍の文もん言ごんだけ並べておいたらそれで好いでしょう﹂と云いながら、手てあ焙ぶりの前に翳かざした手紙を敬けい太たろ郎うに読んで聞かせた。その中には書いた当人の自白したごとく、これといって特別の注意に価あたいする事は少しも出て来なかった。ただこの者は今年大学を卒業したばかりの法学士で、ことによると自分が世話をしなければならない男だから、どうか会って話をしてやってくれとあるだけだった。田口は異存のない敬太郎の顔を見届けた上で、すぐその巻紙をぐるぐると巻いて封筒へ入れた。それからその表へ松まつ本もと恒つね三ぞう様と大きく書いたなり、わざと封をせずに敬太郎に渡した。敬太郎は真ま面じ目めになって松本恒三様の五字を眺ながめたが、肥ふとった締しまりのない書体で、この人がこんな字を書くかと思うほど拙せつらしくできていた。 ﹁そう感心していつまでも眺ながめていちゃあいけない﹂ ﹁番地が書いてないようですが﹂ ﹁ああそうか。そいつは私わたしの失念だ﹂ 田口は再び手紙を受け取って、名宛の人の住所と番地を書き入れてくれた。 ﹁さあこれなら好いでしょう。不ま味ずくって大きなところは土どば橋しの大おお寿ずし司りゅ流うとでも云うのかな。まあ役に立ちさえすればよかろう、我慢なさい﹂ ﹁いえ結構です﹂ ﹁ついでに女の方へも一通書きましょうか﹂ ﹁女も御存じなのですか﹂ ﹁ことによると知ってるかも知れません﹂と答えた田口は何だか意味のありそうに微笑した。 ﹁御おさ差しつ支かえさえなければ、おついでに一本書いていただいても宜よろしゅうございます﹂と敬太郎も冗じょ談うだん半分に頼んだ。 ﹁まあ止した方が安全でしょうね。あなたのような年の若い男を紹介して、もし間違でもできると責任問題だから。浪ロー漫マン―何とか云うじゃありませんか、あなたのような人の事を。私わたしゃ学問がないから、今頃流は行やるハイカラな言葉を直すぐ忘れちまって困るが、何とか云いましたっけね、あの、小説家の使う言葉は。……﹂ 敬太郎はまさかそりゃこう云う言葉でしょうと教える気にもなれなかった。ただエヘヘと馬鹿みたように笑っていた。そうして長居をすればするほど、だんだん非ひ道どく冷かされそうなので、心の内では、この一段落がついたら、早く切り上げて帰ろうと思った。彼は田口のくれた紹介状を懐ふところに収めて、﹁では二三日内うちにこれを持って行って参りましょう。その模様でまた伺がう事に致しますから﹂と云いながら、柔やわらかい座ざぶ蒲と団んの上を滑すべり下りた。田口は﹁どうも御苦労でした﹂と叮てい嚀ねいに挨あい拶さつしただけで、ロマンチックもコスメチックもすっかり忘れてしまったという顔つきをして立ち上った。 敬太郎は帰り途に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰かっ好こうのいい女とを、合せたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷メー宮ズの奥に引き込まれるような面白味を感じた。今きょ日う田口での獲えも物のは松本という名前だけであるが、この名前がいろいろに錯さく綜そうした事実を自分のために締しめ括くくっている妙な嚢ふくろのように彼には思えるので、そこから何が出るか分らないだけそれだけ彼には楽みが多かった。田口の説明によると、近寄悪にくい人のようにも聞こえるが、彼の見たところでは田口より数倍話しがしやすそうであった。彼は今日田口から得た印象のうちに、人を取扱う点にかけてなるほど老練だという嘆たん美びの声を見出した上、人物としてもどこか偉そうに思われる点が、時々彼の眼を射るようにちらちら輝やいたにもかかわらず、その前に坐すわっている間、彼は始しじ終ゅう何物にか縛しばられて自由に動けない窮屈な感じを取り去る事ができなかった。絶えず監視の下もとに置かれたようなこの状態は、一時性のものでなくって、いくら面会の度数を重ねても、けっして薄らぐ折はなかろうとまで彼には見えたくらいである。彼はこういう風に気のおける田口と反対の側に、何でも遠慮なく聞いて怒られそうにない、話し声その物のうちにすでに懐なつかし味の籠こもったような松本を想像してやまなかった。八
翌よく朝あささっそく支度をして松本に会いに行こうと思っているとあいにく寒い雨が降り出した。窓を細目に開けて高い三階から外を見渡した時分には、もう世の中が一面に濡ぬれていた。屋やね根がわ瓦らに徹とおるような佗わびしい色をしばらく眺ながめていた敬けい太たろ郎うは、田口の紹介状を机の上に置いて、出ようか止そうかとちょっと思案したが、早く会って見たいという気が強く起るので、とうとう机の前を離れた。そうして豆腐屋の喇らっ叭ぱが、陰気な空気を割さいて鋭どく往来に響く下の方へ降りて行った。 松本の家うちは矢やら来いなので、敬太郎はこの間の晩狐きつねにつままれたと同じ思いをした交番下の景けし色きを想像しつつ、そこへ来ると、坂下と坂上が両方共二ふた股またに割れて、勾こう配ばいのついた真中だけがいびつに膨ふくれているのを発見した。彼は寒い雨の袴はかまの裾すそに吹きかけるのも厭いとわずに足を留めて、あの晩車夫が梶かじ棒ぼうを握ったまま立往生をしたのはこのへんだろうと思う所を見廻した。今日も同じように雨がざあざあ落ちて、彼の踏んでいる土は地下の鉛管まで腐れ込むほど濡れていた。ただ昼だけに周囲は暗いながらも明るいので、立ちどまった時の心持はこの間とはまるで趣おもむきが違っていた。敬太郎は後うしろの方に高く黒ずんでいる目めじ白ろだ台いの森と、右手の奥に朦もう朧ろうと重なり合った水みず稲いな荷りの木こだ立ちを見て坂を上あがった。それから同じ番地の家の何軒でもある矢来の中をぐるぐる歩いた。始めのうちは小ちさい横町を右へ折れたり左へ曲ったり、濡れた枳から殻たちの垣を覗のぞいたり、古い椿つばきの生おい被かぶさっている墓地らしい構かまえの前を通ったりしたが、松本の家は容易に見当らなかった。しまいに尋ねあぐんで、ある横町の角にある車屋を見つけて、そこの若い者に聞いたら、何でもない事のようにすぐ教えてくれた。 松本の家はこの車屋の筋向うを這は入いった突き当りの、竹垣に囲われた綺きれ麗いな住すま居いであった。門を潜くぐると子供が太鼓を鳴らしている音が聞こえた。玄関へかかって案内を頼んでもその太鼓の音は毫ごうもやまなかった。その代り四あた辺りは森しん閑かんとして人の住んでいる臭においさえしなかった。雨に鎖とざされた家いえの奥から現われた十六七の下女は、手を突いて紹介状を受取ったなり無言のまま引っ込んだが、しばらくしてからまた出て来て、﹁はなはだ勝手を申し上げてすみませんでございますが、雨の降らない日においでを願えますまいか﹂と云った。今まで就職運動のため諸方へ行って断わられつけている敬太郎にも、この断り方だけは不思議に聞こえた。彼はなぜ雨が降っては面会に差さし支つかえるのか直すぐ反問したくなった。けれども下女に議論を仕かけるのも一種変な場合なので、﹁じゃ御天気の日に伺がえば御目にかかれるんですね﹂と念ねん晴ばらしに聞き直して見た。下女はただ﹁はい﹂と答えただけであった。敬太郎は仕方なしにまた雨の降る中へ出た。ざあと云う音が急に烈はげしく聞こえる中に、子供の鳴らす太鼓がまだどんどんと響いていた。彼は矢来の坂を下おりながら変な男があったものだという観念を数す度どくり返した。田口がただでさえ会あい悪にくいと云ったのは、こんなところを指すのではなかろうかとも考えた。その日は家うちへ帰っても、気分が中止の姿勢に余儀なく据すえつけられたまま、どの方角へも進行できないのが苦痛になった。久しぶりに須すな永がの家うちへでも行って、この間からの顛てん末まつを茶話に半日を暮らそうかと考えたが、どうせ行くなら、今の仕事に一段落つけて、自分にも見けん当とうの立った筋を吹ふい聴ちょうするのでなくては話しばいもしないので、ついに行かずじまいにしてしまった。 翌あく日るひは昨きの日うと打って変って好い天気になった。起き上る時、あらゆる濁にごりを雨の力で洗い落したように綺きれ麗いに輝やく蒼あお空ぞらを、眩まばゆそうに仰ぎ見た敬太郎は、今きょ日うこそ松本に会えると喜こんだ。彼はこの間の晩行こう李りの後うしろに隠しておいた例の洋ステ杖ッキを取り出して、今日は一つこれを持って行って見ようと考がえた。彼はそれを突いて、また矢やら来いの坂を上あがりながら、昨日の下女が今日も出て来て、せっかくですが今日は御天気過ぎますから、も少すこし曇った日においで下さいましと云ったらどんなものだろうと想像した。九
ところが昨日と違って、門を潜くぐっても、子供の鳴らす太鼓の音は聞こえなかった。玄関にはこの前目に着かなかった衝つい立たてが立っていた。その衝立には淡たん彩さいの鶴がたった一羽佇たたずんでいるだけで、姿見のように細長いその格かっ好こうが、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意を促うながした。取次には例の下女が現われたには相違ないが、その後あとから遠慮のない足音をどんどん立てて二人の小供が衝立の影まで来て、珍らしそうな顔をして敬太郎を眺ながめた。昨日に比べるとこれだけの変化を認めた彼は、最後にどうぞという案内と共に、硝ガラ子ス戸どの締しまっている座敷へ通った。その真中にある金魚鉢のように大きな瀬戸物の火ひば鉢ちの両側に、下女は座ざぶ蒲と団んを一枚ずつ置いて、その一枚を敬太郎の席とした。その座蒲団は更さら紗さの模様を染めた真丸の形をしたものなので、敬太郎は不思議そうにその上へ坐すわった。床とこの間まには刷は毛けでがしがしと粗ぞん末ざいに書いたような山さん水すいの軸じくがかかっていた。敬太郎はどこが樹でどこが巌いわだか見分のつかない画を、軽けい蔑べつに値する装飾品のごとく眺ながめた。するとその隣りに銅ど鑼らが下さがっていて、それを叩たたく棒まで添えてあるので、ますます変った室へやだと思った。 すると間あいの襖ふすまを開けて隣座敷から黒ほく子ろのある主人が出て来た。﹁よくおいでです﹂と云ったなり、すぐ敬太郎の鼻の先に坐ったが、その調子はけっして愛あい嬌きょうのある方ではなかった。ただどこかおっとりしているので、相手に余り重きを置かないところが、かえって敬太郎に楽な心持を与えた。それで火鉢一つを境に、顔と顔を突き合わせながら、敬太郎は別段気がつまる思もせずにいられた。その上彼はこの間の晩、たしかに自分の顔をここの主人に覚えられたに違ないと思い込んでいたにもかかわらず、今会って見ると、覚えているのだか、いないのだか、平然としてそんな素そぶ振りは、口にも色にも出さないので、彼はなおさら気きが兼ねの必要を感じなくなった。最後に主人は昨日雨天のため面会を謝絶した理由も言訳も一ひと言ことも述べなかった。述べたくなかったのか、述べなくっても構わないと認めていたのか、それすら敬太郎にはまるで判断がつかなかった。 話は自然の順序として、紹介者になった田口の事から始まった。﹁あなたはこれから田口に使って貰もらおうというのでしたね﹂というのを冒頭に、主人は敬太郎の志望だの、卒業の成績だのを一通り聞いた。それから彼のいまだかつて考えた事もない、社会観とか人生観とかいうこむずかしい方面の問題を、時々持ち出して彼を苦しめた。彼はその時心のうちで、この松本という男は世に著あらわれない学者の一人なのではなかろうかと疑ぐったくらい、妙な理りく窟つをちらちらと閃ひらめかされた。そればかりでなく、松本は田口を捕つらまえて、役には立つが頭のなっていない男だと罵ののしった。 ﹁第だい一ちああ忙がしくしていちゃ、頭の中に組織立った考かんがえのできる閑ひまがないから駄目です。あいつの脳と来たら、年ねんが年ねん中じゅう摺すり鉢ばちの中で、擂すり木こぎに攪かき廻されてる味み噌そ見たようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない﹂ 敬太郎にはなぜこの主人が田口に対してこうまで悪あく体たいを吐つくのかさっぱり訳が分らなかった。けれども彼の不思議に感じたのは、これほどの激語を放つ主人の態度なり口調なりに、毫ごうも毒々しいところだの、小こに悪くらしい点だのの見えない事であった。彼の罵ののしる言葉は、人を罵しった経験を知らないような落ちつきを具そなえた彼の声を通して、敬太郎の耳に響くので、敬太郎も強く反抗する気になれなかった。ただ一種変った人だという感じが新たに刺しげ戟きを受けるだけであった。 ﹁それでいて、碁ごを打つ、謡うたいを謡うたう。いろいろな事をやる。もっともいずれも下へた手く糞そなんですが﹂ ﹁それが余よゆ裕うのある証しょ拠うこじゃないでしょうか﹂ ﹁余裕って君。――僕は昨きの日う雨が降るから天気の好い日に来てくれって、あなたを断わったでしょう。その訳は今云う必要もないが、何しろそんなわがままな断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそう云う断り方はけっしてできない。田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高こう等とう遊ゆう民みんでないからです。いくら他ひとの感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです﹂十
﹁実は田口さんからは何にも伺がわずに参ったのですが、今御使いになった高等遊民という言葉は本当の意味で御用いなのですか﹂ ﹁文字通りの意味で僕は遊民ですよ。なぜ﹂ 松本は大きな火ひば鉢ちの縁ふちへ両りょ肱うひじを掛けて、その一方の先にある拳げん骨こつを顎あごの支えにしながら敬けい太たろ郎うを見た。敬太郎は初対面の客を客と感じていないらしいこの松本の様子に、なるほど高等遊民の本ほん色しょくがあるらしくも思った。彼は煙たば草こ道楽と見えて、今日は大きな丸い雁がん首くびのついた木製の西洋パイプを口から離さずに、時々思い出したような濃い煙を、まだ火の消えていない証拠として、狼のろ煙しのごとくぱっぱっと揚げた。その煙が彼の顔の傍そばでいつの間にか消えて行く具合が、どこにも締しまりを設ける必要を認めていないらしい彼の眼鼻と相待って、今まで経験した事のない一種静かな心持を敬太郎に与えた。彼は少し薄くなりかかった髪を、頭の真中から左右へ分けているので、平たい頭がなおの事尋常に落ちついて見えた。彼はまた普通世間の人が着ないような茶色の無地の羽織を着て、同じ色の上うわ足た袋びを白の上に重ねていた。その色がすぐ坊主の法ころ衣もを聯れん想そうさせるところがまた変に特別な男らしく敬太郎の眼に映った。自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれが始めてではあるが、松本の風ふう采さいなり態度なりが、いかにもそう云う階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。 ﹁失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか﹂ 敬太郎は自みずから高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。すると松本は﹁ええ子供がたくさんいます﹂と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。 ﹁奥さんは……﹂ ﹁妻さいは無論います。なぜですか﹂ 敬太郎は取り返しのつかない愚ぐな問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。 ﹁あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです﹂ ﹁僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか﹂ ﹁そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです﹂ ﹁高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ﹂ 敬太郎はもう何も云う事がなくなってしまった。彼の頭脳の中では、返事に行き詰まった困却と、ここで問題を変えようとする努力と、これを緒いと口くちに、革かわの手袋を穿はめた女の関係を確かめたい希望が三ついっしょに働らくので、元からそれほど秩序の立っていない彼の思想になおさら暗い影を投げた。けれども松本はそんな事にまるで注意しない風で、困った敬太郎の顔を平気に眺ながめていた。もしこれが田口であったなら手てぎ際わよく相手を打ち据すえる代りに、打ち据えるとすぐ向うから局面を変えてくれて、相手に見苦るしい立ち往生などはけっしてさせない鮮あざやかな腕を有もっているのにと敬太郎は思った。気はおけないが、人を取扱かう点において、全く冴さえた熟練を欠いている松本の前で、敬太郎は図はからず二人の相違を認めたような気がしていると、松本は偶然﹁あなたはそういう問題を考えて見た事がないようですね﹂と聞いてくれた。 ﹁ええまるで考えていません﹂ ﹁考える必要はありませんね。一人で下宿している以上は。けれどもいくら一人だって、広い意味での男対女の問題は考えるでしょう﹂ ﹁考えると云うよりむしろ興味があるといった方が適当かも知れません。興味なら無論あります﹂十一
二人は人間として誰しも利害を感ずるこの問題についてしばらく話した。けれども年と歯しの違だか段の違だか、松本の云う事は肝かん心じんの肉を抜いた骨組だけを並べて見せるようで、敬けい太たろ郎うの血の中まで這は入いり込んで来て、共に流れなければやまないほどの切実な勢いきおいをまるで持っていなかった。その代り敬太郎の秩序立たない断片的の言葉も口を出るとすぐ熱を失って、少しも松本の胸に徹とおらないらしかった。 こんな縁遠い話をしている中うちで、ただ一つ敬太郎の耳に新らしく響いたのは、露ロ西シ亜ヤの文学者のゴーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行する上に、資金の必要を感じて、それを調ちょ達うたつのため細君同伴で亜ア米メ利リ加カへ渡った時の話であった。その時ゴーリキは大変な人気を一身に集めて、招待やら驩かん迎げいやらに忙ぼう殺さつされるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国から伴つれて来た細君というのが、本当の細君でなくて単に彼の情婦に過ぎないという事実がどこからか曝ばく露ろした。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものが無くなってしまったので、ゴーリキはやむを得ずそのまま亜米利加を去った。というのが筋であった。 ﹁露西亜と亜米利加ではこれだけ男なん女にょ関係の解釈が違うんです。ゴーリキのやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些ささ細いな事件なんでしょうがね。下らない﹂と松本は全く下らなそうな顔をした。 ﹁日本はどっちでしょう﹂と敬太郎は聞いて見た。 ﹁まあ露西亜派でしょうね。僕は露西亜派でたくさんだ﹂と云って、松本はまた狼のろ煙しのような濃い煙をぱっと口から吐いた。 ここまで来て見ると、この間の女の事を尋ねるのが敬太郎に取って少しも苦にならないような気がし出した。 ﹁せんだっての晩神田の洋食店で私はあなたに御目にかかったと思うんですが﹂ ﹁ええ会いましたね。よく覚えています。それから帰りにも電車の中で会ったじゃありませんか。君も江戸川まで乗ったようだが、あすこいらに下宿でもしているんですか。あの晩は雨が降って困ったでしょう﹂ 松本ははたして敬太郎を記憶していた。それを初めから口に出すでもなく、今になってようやく気がついたふりをするでもなく、話してもよし話さないでもよしと云った風の態度が、無邪気から出るのか、度胸から出るのか、または鷹おう揚ような彼の生れつきから出るのか、敬太郎にはちょっと判断しかねた。 ﹁御おつ伴れがおありのようでしたが﹂ ﹁ええ別べっ嬪ぴんを一人伴つれていました。あなたはたしか一人でしたね﹂ ﹁一人です。あなたも御帰りには御一人じゃなかったですか﹂ ﹁そうです﹂ ちょっとはきはき進んだ問答はここへ来てぴたりととまってしまった。松本がまた女の事を云い出すかと思って待っていると、﹁あなたの下宿は牛込ですか、小石川ですか﹂とまるで無関係の問を敬太郎はかけられた。 ﹁本郷です﹂ 松本は腑ふに落ちない顔をして敬太郎を見た。本郷に住んでいる彼が、なぜ江戸川の終点まで乗ったのか、その説明を聞きたいと云わぬばかりの松本の眼つきを見た時、敬太郎は面倒だからここで一つ心持よく万事を打ち明けてしまおうと決心した。もし怒おこられたら、詫あやまるだけで、詫まって聞かれなければ、御お辞じ儀ぎを叮てい嚀ねいにして帰れば好かろうと覚悟をきめた。 ﹁実はあなたの後あとを跟つけてわざわざ江戸川まで来たのです﹂と云って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起らないので、敬太郎はまず安心した。 ﹁何のために﹂と松本はほとんどいつものような緩ゆるい口調で聞き返した。 ﹁人から頼まれたのです﹂ ﹁頼まれた? 誰に﹂ 松本は始めて、少し驚いた声の中うちに、並より強いアクセントを置いて、こう聞いた。十二
﹁実は田口さんに頼まれたのです﹂ ﹁田口とは。田口要よう作さくですか﹂ ﹁そうです﹂ ﹁だって君はわざわざ田口の紹介状を持って僕に会いに来たんじゃありませんか﹂ こう一句一句問いつめられて行くよりは、自分の方で一と思いに今までの経過を話してしまう方が楽な気がするので、敬けい太たろ郎うは田口の速達便を受取って、すぐ小川町の停留所へ見みは張りに出た冒険の第一節目から始めて、電車が江戸川の終点に着いた後の雨の中の立往生に至るまでの顛てん末まつを包まず打ち明けた。固もとよりただ筋の通るだけを目的に、誇張は無論布ふえ衍んの煩わずらわしさもできる限り避けたので、時間がそれほどかからなかったせいか、松本は話の進行している間一口も敬太郎を遮さえぎらなかった。話が済んでからも、直すぐとは声を出す様子は見えなかった。敬太郎は主人のこの沈黙を、感情を害した結果ではなかろうかと推察して、怒り出されないうちに早く詫あやまるに越した事はないと思い定めた。すると主人の方から突然口を利きき始めた。 ﹁どうもけしからん奴だね、あの田口という男は。それに使われる君もまた君だ。よっぽどの馬鹿だね﹂ こういった主人の顔を見ると、呆あきれ返っている風は誰の目にも着くが、怒気を帯びた様子は比較的どこにも現われていないので、敬太郎はむしろ安心した。この際馬鹿と呼ばれるぐらいの事は、彼に取って何でもなかったのである。 ﹁どうも悪い事をしました﹂ ﹁詫まって貰いたくも何ともない。ただ君が御気の毒だから云うのですよ。あんな者に使われて﹂ ﹁それほど悪い人なんですか﹂ ﹁いったい何の必要があって、そんな愚ぐな事を引き受けたのです﹂ 物もの数ず奇きから引き受けたという言葉は、この場合どうしても敬太郎の口へは出て来なかった。彼はやむを得ず、衣食問題の必要上どうしても田口に頼らなければならない事情があるので、面白くないとは知りながら、つい承諾したのだという風な答をした。 ﹁衣食に困るなら仕方がないが、もう止した方がいいですよ。余計な事じゃありませんか、寒いのに雨に降られて人の後あとを跟つけるなんて﹂ ﹁私も少し懲こりました。これからはもうやらないつもりです﹂ この述懐を聞いた松本は何とも云わず、ただ苦にが笑わらいをしていた。それが敬太郎には軽けい蔑べつの意味にも憐れん愍みんの意味にも取れるので、彼はいずれにしてもはなはだ肩身の狭い思をした。 ﹁あなたは僕に対してすまん事をしたような風をしているが、実際そうなのですか﹂ 根本義に溯さかのぼったらそれほどに感じていない敬太郎もこう聞かれると、行がかり上そうだと思わざるを得なかった。またそう答えざるを得なかった。 ﹁じゃ田口へ行ってね。この間僕の伴つれていた若い女は高こう等とう淫いん売ばいだって、僕自身がそう保証したと云ってくれたまえ﹂ ﹁本当にそういう種類の女なんですか﹂ 敬太郎はちょっと驚ろかされた顔をしてこう聞いた。 ﹁まあ何でも好いから、高等淫売だと云ってくれたまえ﹂ ﹁はあ﹂ ﹁はあじゃいけない、たしかにそう云わなくっちゃ。云えますか、君﹂ 敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮を憚はばかるほどの男ではなかった。けれども松本が強しいてこの四字を田口の耳へ押し込もうとする奥底には、何か不愉快なある物が潜ひそんでいるらしく思われるので、そう軽々しい調子で引き受ける気も起らなかった。彼が挨あい拶さつに困ってむずかしい顔をしていると、それを見た松本は、﹁何、君心配しないでもいいですよ。相手が田口だもの﹂と云ったが、しばらくしてやっと気がついたように、﹁君は僕と田口との関係をまだ知らないんでしたね﹂と聞いた。敬太郎は﹁まだ何にも知りません﹂と答えた。十三
﹁その関係を話すと、君が田口に向ってあの女の事を高こう等とう淫いん売ばいだと云う勇気が出でに悪くくなるだけだからつまり僕には損になるんだが、いつまで罪もない君を馬鹿にするのも気の毒だから、聞かして上げよう﹂ こういう前置を置いた上、松本は田口と自分が社会的にどう交渉しているかを説明してくれた。その説明は最も簡単にすむだけに最も敬けい太たろ郎うを驚ろかした。それを一言でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須すな永がの母、一人が田口の細君、という互の縁続きを始めて呑のみ込んだ時、敬太郎は、田口の義弟に当る松本が、叔父という資格で、彼の娘と時間を極きわめて停留所で待ち合わした上、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極めたものの一つのように見た。それを込み入った文あやでも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽かげ炎ろうを散らつかせながら、後あとを追おっかけて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなって来た。 ﹁御嬢さんは何でまたあすこまで出で張ばっていたんですか。ただ私を釣るためなんですか﹂ ﹁何須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話をかけて、四時半頃あすこで待ち合せているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面倒だから止そうと思ったけれども、是非何とかかとかいうから、降りたところがね。今け朝さ御父さんから聞いたら、叔父さんが御おせ歳い暮ぼに指ゆび環わを買ってやると云っていたから、停留所で待ち伏せをして、逃にがさないようにいっしょに行って買って貰えと云われたから先さっ刻きからここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝手な請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいでごまかしておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は箆べら棒ぼうだね。わざわざそれほどの手てか数ずをかけて、何もそんな下らない真ま似ねをするにも当らないじゃないか。騙だまされた君よりもよっぽど田口の方が箆棒ですよ﹂ 敬太郎には騙された自分の方が遥はるかに愚ぐぶ物つに思われた。そうと知ったら、探偵の結果を報告する時にも、もう少しは手加減が出来たものをと、自おのずから赧あかい顔もしなければならなかった。 ﹁あなたはまるで御承知ない事なんですね﹂ ﹁知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか﹂ ﹁御嬢さんはどうでしょう。多分御存じなんだろうと思いますが﹂ ﹁そうさ﹂と云って松本はしばらく思案していたが、やがて判はっ切きりした口調で、﹁いや知るまい﹂と断言した。﹁あの箆棒の田口に、一つ取とり柄えがあると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪いた戯ずらをしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥を掻かきそうな際きわどい時になると、ぴたりととめてしまうか、または自分がその場へ出て来て、当人の体面にかかわらない内に綺きれ麗いに始末をつける。そこへ行くと箆べら棒ぼうには違ないが感心なところがあります。つまりやりかたは悪あく辣らつでも、結末には妙に温あたたかい情なさけの籠こもった人間らしい点を見せて来るんです。今度の事でもおそらく自分一人で呑のみ込んでいるだけでしょう。君が僕の家うちへ来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策さく略りゃくを、始めから吹ふい聴ちょうするほど無む慈じ悲ひな男じゃない。だからついでに悪いた戯ずらも止せばいいんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに箆棒です﹂ 田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振ふる舞まいを顧かえりみる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者を怨うらむよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸の裏うちで一番勝を制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしている間に、あんな窮屈な感じが起るのだろうという不審も自おのずと萌きざさない訳に行かなかった。 ﹁あなたの御話でだいぶ田口さんが解って来たようですが、私はあの方かたの前へ出ると、何だか気が落ちつかなくって変に苦しいです﹂ ﹁そりゃ向うでも君に気を許さないからさ﹂十四
こう云われて見ると、田口が自分に気を許していない眼めづ遣かいやら言葉つきやらがありありと敬けい太たろ郎うの胸に、疑うたがいもない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、何で学校を出たばかりの青あお臭くさい自分が、それほど苦になるのか、敬太郎は全く合がて点んが行かなかった。彼は見た通りのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固く己おのれを信じていたのである。彼はただかような青年として、他ひとに憚はばかられたり気をおかれたりする資格さえないように自分を見みく縊びっていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分の思おもわくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考え出した。 ﹁私はそんな裏表のある人間と見えますかね﹂ ﹁どうだか、そんな細かい事は初めて会っただけじゃ分らないですよ。しかしあっても無くっても、僕の君に対する待遇にはいっこう関係がないからいいじゃありませんか﹂ ﹁けれども田口さんからそう思われちゃ……﹂ ﹁田口は君だからそう思うんじゃない、誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長い間人を使ってるうちには、だいぶ騙だまされなくっちゃならないからね。たまに自然そのままの美くしい人間が自分の前に現われて来ても、やっぱり気が許せないんです。それがああ云う人の因いん果がだと思えばそれで好いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけを重おもに眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。ああなると女に惚ほれられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐらなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは当然だと思わなくっちゃいけない。そこが田口の田口たるところなんだから﹂ 敬太郎はこの批評で田口という男が自分にも判はっ切きり呑み込めたような気がした。けれどもこういう風に一々彼を肯うけがわせるほどの判断を、彼の頭に鉄てっ椎ついで叩たたき込むように入れてくれる松本はそもそも何者だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫ぼう漠ばくたる雲に対する思があった。批評に上のぼらない前の田口でさえ、この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。 同じ松本について見ても、この間の晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊さん瑚ごじ樹ゅの珠たまがどうしたとかこうしたとか云っていた時の方が、よっぽど活きて動いていた。今彼の前に坐すわっているのは、大きなパイプを銜くわえた木像の霊が、口を利きくと同じような感じを敬太郎に与えるだけなので、彼はただその人の本体を髣ほう髴ふつするに苦しむに過ぎなかった。彼が一方では明めい瞭りょうな松本の批評に心服しながら、一方では松本の何者なるかをこういう風に考えつつ、自分は頭脳の悪い、直覚の鈍い、世間並以下の人物じゃあるまいかと疑り始めた時、この漠ばく然ぜんたる松本がまた口を開いた。 ﹁それでも田口が箆べら棒ぼうをやってくれたため、君はかえって仕しあ合わせをしたようなものですね﹂ ﹁なぜですか﹂ ﹁きっと何か位置を拵こしらえてくれますよ。これなりで放っておきゃ田口でも何でもありゃしない。それは責任を持って受合って上げても宜いい。が、つまらないのは僕だ。全く探偵のされ損だから﹂ 二人は顔を見合せて笑った。敬太郎が丸い更さら紗さの座ざぶ蒲と団んの上から立ち上がった時、主人はわざわざ玄関まで送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴の衝つい立たての前に、瘠やせた高い身から体だをしばらく佇たたずまして、靴を穿はく敬太郎の後うし姿ろすがたを眺ながめていたが、﹁妙な洋ステ杖ッキを持っていますね。ちょっと拝見﹂と云った。そうしてそれを敬太郎の手から受取って、﹁へえ、蛇へびの頭だね。なかなか旨うまく刻ほってある。買ったんですか﹂と聞いた。﹁いえ素しろ人うとが刻ったのを貰ったんです﹂と答えた敬太郎は、それを振りながらまた矢やら来いの坂を江戸川の方へ下くだった。雨の降る日
一
雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬けい太たろ郎うもそのうちに取り紛まぎれて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出しゅ入つにゅうのできる身になってからの事である。その時分の彼の頭には、停留所の経験がすでに新らしい匂いを失いかけていた。彼は時々須すな永がからその話を持ち出されては苦笑するに過ぎなかった。須永はよく彼に向って、なぜその前に僕の所へ来て打ち明けなかったのだと詰問した。内幸町の叔父が人を担かつぐくらいの事は、母から聞いて知っているはずだのにと窘たしなめる事もあった。しまいには、君があんまり色気があり過ぎるからだと調から戯かい出した。敬太郎はそのたびに﹁馬鹿云え﹂で通していたが、心の内ではいつも、須永の門前で見た後姿の女を思い出した。その女がとりも直さず停留所の女であった事も思い出した。そうしてどこか遠くの方で気恥かしい心持がした。その女の名が千ち代よ子こで、その妹の名が百もも代よ子こである事も、今の敬太郎には珍らしい報知ではなかった。 彼が松本に会って、すべて内幕の消息を聞かされた後あと、田口へ顔を出すのは多少きまりの悪い思をするだけであったにかかわらず、顔を出さなければ締しめ括くくりがつかないという行きがかりから、笑われるのを覚悟の前で、また田口の門を潜くぐった時、田口ははたして大きな声を出して笑った。けれどもその笑の中うちには己おのれの機略に誇る高慢の響よりも、迷った人を本来の路みちに返してやった喜びの勝利が聞こえているのだと敬太郎には解釈された。田口はその時訓戒のためだとか教育の方法だとかいった風の、恩に着せた言葉をいっさい使わなかった。ただ悪意でした訳でないから、怒おこってはいけないと断わって、すぐその場で相当の位置を拵こしらえてくれる約束をした。それから手を鳴らして、停留所に松本を待ち合わせていた方の姉娘を呼んで、これが私わたしの娘だとわざわざ紹介した。そうしてこの方かたは市いっさんの御友達だよと云って敬太郎を娘に教えていた。娘は何でこういう人に引き合されるのか、ちょっと解かいしかねた風をしながら、極きわめてよそよそしく叮てい嚀ねいな挨あい拶さつをした。敬太郎が千代子という名を覚えたのはその時の事であった。 これが田口の家庭に接触した始めての機会になって、敬太郎はその後ごも用事なり訪問なりに縁を藉かりて、同じ人の門を潜る事が多くなった。時々は玄関脇の書生部屋へ這は入いって、かつて電話で口を利きき合った事のある書生と世間話さえした。奥へも無論通る必要が生じて来た。細君に呼ばれて内うち向むきの用を足す場合もあった。中学校へ行く長男から英語の質問を受けて窮する事も稀まれではなかった。出でい入りの度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接近する機会も自然多くなって来たが、一種間まの延びた彼の調子と、比較的引き締しまった田口の家風と、差向いで坐る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、無論形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、大抵は五分とかからない当用に過ぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。彼らが公然と膝ひざを突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮の交まじらない談話に更ふかしたのは、正月半なかばの歌かる留た多か会いの折であった。その時敬太郎は千代子から、あなた随分鈍のろいのねと云われた。百代子からは、あたしあなたと組むのは厭いやよ、負けるにきまってるからと怒おこられた。 それからまた一カ月ほど経たって、梅の音たよ信りの新聞に出る頃、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮した時、偶然遊びに来ていた千代子に出で逢あった。三人してそれからそれへと纏まとまらない話を続けて行くうちに、ふと松本の評判が千代子の口に上のぼった。 ﹁あの叔父さんも随分変ってるのね。雨が降ると一しきりよく御客を断わった事があってよ。今でもそうかしら﹂二
﹁実は僕も雨の降る日に行って断られた一いち人にんなんだが……﹂と敬けい太たろ郎うが云い出した時、須すな永がと千代子は申し合せたように笑い出した。 ﹁君も随分運の悪い男だね。おおかた例の洋ステ杖ッキを持って行かなかったんだろう﹂と須永は調から戯かい始めた。 ﹁だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持って行けったって。ねえ田川さん﹂ この理り攻ぜめの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。 ﹁いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。わたしちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見て来ても好くって﹂ ﹁今日は持って来ません﹂ ﹁なぜ持って来ないの。今日はあなたそれでも好い御天気よ﹂ ﹁大事な洋杖だから、いくら好い御天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ﹂ ﹁本当?﹂ ﹁まあそんなものです﹂ ﹁じゃ旗はた日びにだけ突いて出るの﹂ 敬太郎は一人で二人に当っているのが少し苦しくなった。この次内幸町へ行く時は、きっと持って行って見せるという約束をしてようやく千代子の追窮を逃のがれた。その代り千代子からなぜ松本が雨の降る日に面会を謝絶したかの源因を話して貰う事にした。―― それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午ひる過すぎであった。千代子は松本の好きな雲う丹にを母からことづかって矢やら来いへ持って来た。久しぶりに遊んで行こうかしらと云って、わざわざ乗って来た車まで返して、緩ゆっくり腰を落ちつけた。松本には十三になる女を頭かしらに、男、女、男と互たが違いちがいに順序よく四人の子が揃そろっていた。これらは皆二つ違いに生れて、いずれも世間並に成長しつつあった。家庭に華はなやかな匂を着けるこの生き生きした装飾物の外に、松本夫婦は取って二つになる宵よい子こを、指環に嵌はめた真珠のように大事に抱だいて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、漆うるしのように濃い大きな眼を有もって、前の年の雛ひなの節句の前の宵よいに松本夫婦の手に落ちたのである。千代子は五人のうちで、一番この子を可かわ愛いがっていた。来るたんびにきっと何か玩おも具ちゃを買って来てやった。ある時は余り多量に甘あまいものをあてがって叔母から怒おこられた事さえある。すると千代子は、大事そうに宵子を抱いて縁えん側がわへ出て、ねえ宵子さんと云っては、わざと二人の親しい様子を叔母に見せた。叔母は笑いながら、何だね喧けん嘩かでもしやしまいしと云った。松本は、御前そんなにその子が好きなら御祝いの代りに上げるから、嫁に行くとき持っておいでと調から戯かった。 その日も千代子は坐ると直すぐ宵子を相手にして遊び始めた。宵子は生れてからついぞ月さか代やきを剃そった事がないので、頭の毛が非常に細く柔やわらかに延びていた。そうして皮膚の青白いせいか、その髪の色が日光に照らされると、潤うる沢おいの多い紫むらさきを含んでぴかぴか縮ちぢれ上っていた。﹁宵子さんかんかん結いって上げましょう﹂と云って、千代子は鄭てい寧ねいにその縮れ毛に櫛くしを入れた。それから乏しい片かた鬢びんを一束割さいて、その根元に赤いリボンを括くくりつけた。宵子の頭は御おそ供なえのように平らに丸く開いていた。彼女は短かい手をやっとその御供の片かた隅すみへ乗せて、リボンの端はじを抑えながら、母のいる所までよたよた歩いて来て、イボンイボンと云った。母がああ好くかんかんが結えましたねと賞ほめると、千代子は嬉うれしそうに笑いながら、子供の後姿を眺ながめて、今度は御父さんの所へ行って見せていらっしゃいと指さし図ずした。宵子はまた足元の危ない歩きつきをして、松本の書斎の入口まで来て、四つ這ばいになった。彼女が父に礼をするときには必ず四つ這になるのが例であった。彼女はそこで自分の尻をできるだけ高く上げて、御供のような頭を敷居から二三寸の所まで下げて、またイボンイボンと云った。書見をちょっとやめた松本が、ああ好い頭だね、誰に結って貰ったのと聞くと、宵子は頸くびを下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいと云うのは、舌の廻らない彼女の千代子を呼ぶ常の符ふち徴ょうであった。後うしろに立って見ていた千代子は小ちさい唇くちびるから出る自分の名前を聞いて、また嬉しそうに大きな声で笑った。三
そのうち子供がみんな学校から帰って来たので、今まで赤いリボンに占領されていた家庭が、急に幾色かの華はなやかさを加えた。幼稚園へ行く七つになる男の子が、巴ともえの紋もんのついた陣じん太だい鼓このようなものを持って来て、宵よい子こさん叩かして上げるからおいでと連れて行った。その時千代子は巾きん着ちゃくのような恰かっ好こうをした赤い毛織の足た袋びが廊下を動いて行く影を見つめていた。その足袋の紐ひもの先には丸い房がついていて、それが小いさな足を運ぶたびにぱっぱっと飛んだ。 ﹁あの足袋はたしか御前が編あんでやったのだったね﹂ ﹁ええ可かわ愛いらしいわね﹂ 千代子はそこへ坐って、しばらく叔父と話していた。そのうちに曇った空から淋しい雨が落ち出したと思うと、それが見る見る音を立てて、空から坊ぼう主ずになった梧ごと桐うをしたたか濡ぬらし始めた。松本も千代子も申し合せたように、硝ガラ子スご越しの雨の色を眺めて、手てあ焙ぶりに手を翳かざした。 ﹁芭ばし蕉ょうがあるもんだから余計音がするのね﹂ ﹁芭蕉はよく持つものだよ。この間から今日は枯れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見ているがなかなか枯れない。山さざ茶ん花かが散って、青あお桐ぎりが裸になっても、まだ青いんだからなあ﹂ ﹁妙な事に感心するのね。だから恒つね三ぞうは閑ひま人じんだって云われるのよ﹂ ﹁その代り御前の叔父さんには芭蕉の研究なんか死ぬまでできっこない﹂ ﹁したかないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんは内の御父さんよりか全く学者ね。わたし本当に敬服しててよ﹂ ﹁生なま意い気き云うな﹂ ﹁あら本当よあなた。だって何を聞いても知ってるんですもの﹂ 二人がこんな話をしていると、ただいまこの方かたが御見えになりましたと云って、下女が一通の紹介状のようなものを持って来て松本に渡した。松本は﹁千代子待っておいで。今にまた面白い事を教えてやるから﹂と笑いながら立ち上った。 ﹁厭いやよまたこないだみたいに、西洋煙たば草この名なんかたくさん覚えさせちゃ﹂ 松本は何にも答えずに客間の方へ出て行った。千代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込められた空の光を補なうため、もう電気灯が点ともっていた。台所ではすでに夕ゆう飯めしの支度を始めたと見えて、瓦ガス斯しち七り輪んが二つとも忙がしく青いを吐いていた。やがて小供は大きな食卓に二人ずつ向い合せに坐った。宵子だけは別に下女がついて食事をするのが例になっているので、この晩は千代子がその役を引受けた。彼女は小ちさい朱塗の椀わんと小皿に盛った魚肉とを盆の上に載のせて、横手にある六畳へ宵子を連れ込んだ。そこは家うちのものの着きが更えをするために多く用いられる室へやなので、箪たん笥すが二つと姿見が一つ、壁から飛び出したように据すえてあった。千代子はその姿見の前に玩おも具ちゃのような椀と茶碗を載せた盆を置いた。 ﹁さあ宵子さん、まんまよ。御おま待ちど遠おさま﹂ 千代子が粥かゆを一ひと匙さじずつ掬すくって口へ入れてやるたびに、宵子は旨おいしい旨しいだの、ちょうだいちょうだいだのいろいろな芸を強しいられた。しまいに自分一人で食べると云って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまた丹たん念ねんに匙の持ち方を教えた。宵子は固もとより極きわめて短かい単語よりほかに発音できなかった。そう持つのではないと叱られると、きっと御おそ供なえのような平たい頭を傾かしげて、こう? こう? と聞き直した。それを千代子が面白がって、何遍もくり返さしているうちに、いつもの通りこう? と半分言いかけて、心持横にした大きな眼で千代子を見上げた時、突然右の手に持った匙を放り出して、千代子の膝ひざの前に俯うつ伏ぶせになった。 ﹁どうしたの﹂ 千代子は何の気もつかずに宵子を抱だき起した。するとまるで眠った子を抱えたように、ただ手てご応たえがぐたりとしただけなので、千代子は急に大きな声を出して、宵子さん宵子さんと呼んだ。四
宵よい子こはうとうと寝ね入いった人のように眼を半分閉じて口を半分開あけたまま千代子の膝ひざの上に支えられた。千代子は平手でその背中を二三度叩たたいたが、何の効きき目めもなかった。 ﹁叔母さん、大変だから来て下さい﹂ 母は驚ろいて箸はしと茶碗を放り出したなり、足音を立てて這は入いって来た。どうしたのと云いながら、電灯の真下で顔を仰あお向むけにして見ると、唇くちびるにもう薄く紫の色が注さしていた。口へ掌てのひらを当てがっても、呼い息きの通う音はしなかった。母は呼こき吸ゅうの塞つまったような苦しい声を出して、下女に濡ぬれ手てぬ拭ぐいを持って来さした。それを宵子の額に載のせた時、﹁脈みゃくはあって﹂と千代子に聞いた。千代子はすぐ小さい手てく頸びを握ったが脈はどこにあるかまるで分らなかった。 ﹁叔母さんどうしたら好いでしょう﹂と蒼あおい顔をして泣き出した。母は茫ぼう然ぜんとそこに立って見ている小供に、﹁早く御父さんを呼んでいらっしゃい﹂と命じた。小供は四よつ人たりとも客間の方へ馳かけ出した。その足音が廊下の端はずれで止まったと思うと、松本が不思議そうな顔をして出て来た。﹁どうした﹂と云いながら、蔽おい被かぶさるように細君と千代子の上から宵子を覗のぞき込んだが、一目見ると急に眉まゆを寄せた。 ﹁医者は……﹂ 医者は時を移さず来た。﹁少し模様が変です﹂と云ってすぐ注射をした。しかし何の効きき能めもなかった。﹁駄目でしょうか﹂という苦しく張りつめた問が、固く結ばれた主人の唇くちびるを洩もれた。そうして絶望を怖おそれる怪しい光に充みちた三人の眼が一度に医者の上に据すえられた。鏡を出して瞳どう孔こうを眺めていた医者は、この時宵子の裾すそを捲まくって肛こう門もんを見た。 ﹁これでは仕方がありません。瞳孔も肛門も開いてしまっていますから。どうも御気の毒です﹂ 医者はこう云ったがまた一いっ筒とうの注射を心臓部に試みた。固もとよりそれは何の手段にもならなかった。松本は透すき徹とおるような娘の肌に針の突き刺される時、自おのずから眉みけ間んを険けわしくした。千代子は涙をぽろぽろ膝の上に落した。 ﹁病因は何でしょう﹂ ﹁どうも不思議です。ただ不思議というよりほかに云いようがないようです。どう考えても……﹂と医者は首を傾むけた。﹁辛から子し湯ゆでも使わして見たらどうですか﹂と松本は素しろ人うと料りょ簡うけんで聞いた。﹁好いでしょう﹂と医者はすぐ答えたが、その顔には毫ごうも奨しょ励うれいの色が出なかった。 やがて熱い湯を盥たらいへ汲くんで、湯気の濛もう々もうと立つ真中へ辛から子しを一袋空あけた。母と千代子は黙って宵子の着物を取り除のけた。医者は熱湯の中へ手を入れて、﹁もう少し注う水めましょう。余り熱いと火やけ傷どでもなさるといけませんから﹂と注意した。 医者の手に抱だき取られた宵子は、湯の中に五六分浸つけられていた。三人は息を殺して柔らかい皮膚の色を見つめていた。﹁もう好いでしょう。余あんまり長くなると……﹂と云いながら、医者は宵子を盥たらいから出した。母はすぐ受取ってタオルで鄭てい寧ねいに拭いて元の着物を着せてやったが、ぐたぐたになった宵子の様子に、ちっとも前と変りがないので、﹁少しの間このまま寝かしておいてやりましょう﹂と恨うらめしそうに松本の顔を見た。松本はそれがよかろうと答えたまま、また座敷の方へ取って返して、来客を玄関に送り出した。 小ちさい蒲ふと団んと小さい枕がやがて宵子のために戸とだ棚なから取り出された。その上に常の夜の安らかな眠に落ちたとしか思えない宵子の姿を眺ながめた千代子は、わっと云って突つっ伏ぷした。 ﹁叔母さんとんだ事をしました……﹂ ﹁何も千代ちゃんがした訳じゃないんだから……﹂ ﹁でもあたしが御飯を喫たべさしていたんですから……叔父さんにも叔母さんにもまことにすみません﹂ 千代子は途と切ぎれ途切れの言葉で、先さっ刻き自分が夕ゆう飯めしの世話をしていた時の、平ふだ生んと異ならない元気な様子を、何遍もくり返して聞かした。松本は腕組をして、﹁どうもやっぱり不思議だよ﹂と云ったが、﹁おい御おせ仙ん、ここへ寝かしておくのは可かわ哀いそうだから、あっちの座敷へ連れて行ってやろう﹂と細君を促うながした。千代子も手を貸した。五
手頃な屏びょ風うぶがないので、ただ都合の好い位置を択よって、何の囲かこいもない所へ、そっと北枕に寝かした。今けさ朝が方た玩おも弄ちゃにしていた風船玉を茶の間から持って来て、御仙がその枕元に置いてやった。顔へは白い晒さらし木もめ綿んをかけた。千代子は時々それを取り除のけて見ては泣いた。﹁ちょっとあなた﹂と御仙が松本を顧かえりみて、﹁まるで観かん音のん様さまのように可かわ愛いい顔をしています﹂と鼻を詰らせた。松本は﹁そうか﹂と云って、自分の坐っている席から宵子の顔を覗のぞき込んだ。 やがて白木の机の上に、櫁しきみと線香立と白団子が並べられて、蝋ろう燭そくの灯ひが弱い光を放った時、三人は始めて眠から覚さめない宵子と自分達が遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その煙の香においが、二時間前とは全く違う世界に誘いざない込まれた彼らの鼻を断えず刺しげ戟きした。ほかの子供は平生の通り早く寝かされた後あとに、咲さき子こという十三になる長女だけが起きて線香の側そばを離れなかった。 ﹁御前も御お寝ねよ﹂ ﹁まだ内幸町からも神田からも誰も来ないのね﹂ ﹁もう来るだろう。好いから早く御寝﹂ 咲子は立って廊下へ出たが、そこで振り回かえって、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、怖こわいからいっしょに便はば所かりへ行ってくれろと頼んだ。便所には電灯が点つけてなかった。千代子は燐マッ寸チを擦すって雪ぼん洞ぼりに灯ひを移して、咲子といっしょに廊下を曲った。帰りに下女部屋を覗のぞいて見ると、飯めし焚たきが出でい入りの車夫と火ひば鉢ちを挟はさんでひそひそ何か話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭いたり茶碗を並べたりしていた。 通知を受けた親類のものがそのうち二三人寄った。いずれまた来るからと云って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然な最後をくり返しくり返し語った。十二時過から御仙は通つ夜やをする人のために、わざと置おき火ごた燵つを拵こしらえて室へやに入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦は無理に勧められて寝室へ退しりぞいた。その後あとで千代子は幾度か短かくなった線香の煙を新らしく継ついだ。雨はまだ降りやまなかった。夕方芭ばし蕉ょうに落ちた響はもう聞こえない代りに、亜トタ鉛ンぶ葺きの廂ひさしにあたる音が、非常に淋しくて悲しい点てん滴てきを彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨の中で、時々宵子の顔に当てた晒さらしを取っては啜すす泣りなきをしているうちに夜が明けた。 その日は女がみんなして宵子の経きょ帷うか子たびらを縫った。百もも代よ子こが新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意の家うちの細君が二人ほど見えたので、小さい袖そでや裾すそが、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆と硯すずりとを持って廻って、南なむ無あ阿み弥だ陀ぶ仏つという六字を誰にも一枚ずつ書かした。﹁市いっさんも書いて上げて下さい﹂と云って、須すな永がの前へ来た。﹁どうするんだい﹂と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受取った。 ﹁細かい字で書けるだけ一面に書いて下さい。後あとから六字ずつを短たん冊ざく形がたに剪きって棺かんの中へ散らしにして入れるんですから﹂ 皆みんな畏かしこまって六字の名みょ号うごうを認したためた。咲子は見ちゃ厭いやよと云いながら袖そで屏びょ風うぶをして曲りくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午ひる過すぎになっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に﹁御前着物を着換さしておやりな﹂と云った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にして抱だき起した。その背中には紫むら色さきいろの斑点が一面に出ていた。着換が済むと御仙が小さい珠じゅ数ずを手にかけてやった。同じく小さい編あみ笠がさと藁わら草ぞう履りを棺に入れた。昨きの日うの夕方まで穿はいていた赤い毛糸の足た袋びも入れた。その紐ひもの先につけた丸い珠たまのぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。みんなのくれた玩おも具ちゃも足や頭の所へ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短たん冊ざくを雪のように振りかけた上へ葢ふたをして、白しろ綸りん子ずの被おいをした。六
友とも引びきは善よくないという御おせ仙んの説で、葬式を一日延ばしたため、家うちの中は陰気な空気の裡うちに常よりは賑にぎわった。七つになる嘉かき吉ちという男の子が、いつもの陣じん太だい鼓こを叩たたいて叱られた後あと、そっと千代子の傍そばへ来て、宵よい子こさんはもう帰って来ないのと聞いた。須すな永がが笑いながら、明あし日たは嘉吉さんも焼場へ持って行って、宵子さんといっしょに焼いてしまうつもりだと調から戯かうと、嘉吉はそんなつもりなんか僕厭いやだぜと云いながら、大きな眼をくるくるさせて須永を見た。咲さき子こは、御母さんわたしも明あし日た御葬式に行きたいわと御仙にせびった。あたしもねと九つになる重しげ子こが頼んだ。御仙はようやく気がついたように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、﹁あなた、明日いらしって﹂と聞いた。 ﹁行くよ。御前も行ってやるが好い﹂ ﹁ええ、行く事にきめてます。小供には何を着せたらいいでしょう﹂ ﹁紋もん付つきでいいじゃないか﹂ ﹁でも余あんまり模様が派手だから﹂ ﹁袴はかまを穿はけばいいよ。男の子は海軍服でたくさんだし。御前は黒紋付だろう。黒い帯は持ってるかい﹂ ﹁持ってます﹂ ﹁千代子、御前も持ってるなら喪服を着て供ともに立っておやり﹂ こんな世話を焼いた後で、松本はまた奥へ引返した。千代子もまた線香を上げに立った。棺かんの上を見ると、いつの間にか綺きれ麗いな花はな環わが載のせてあった。﹁いつ来たの﹂と傍そばにいる妹の百もも代よに聞いた。百代は小さな声で﹁先さっ刻き﹂と答えたが、﹁叔母さんが小供のだから、白い花だけでは淋さみしいって、わざと赤いのを交まぜさしたんですって﹂と説明した。姉と妹はしばらくそこに並んで坐っていた。十分ばかりすると、千代子は百代の耳に口を付けて、﹁百代さんあなた宵子さんの死顔を見て﹂と聞いた。百代は﹁ええ﹂と首う肯なずいた。 ﹁いつ﹂ ﹁ほら先さっ刻き御棺に入れる時見たんじゃないの。なぜ﹂ 千代子はそれを忘れていた。妹がもし見ないと云ったら、二人で棺の葢ふたをもう一遍開けようと思ったのである。﹁御止しなさいよ、怖こわいから﹂と云って百代は首をふった。 晩には通つや夜そ僧うが来て御経を上げた。千代子が傍で聞いていると、松本は坊さんを捕まえて、三さん部ぶき経ょうがどうだの、和わさ讃んがどうだのという変な話をしていた。その会話の中には親しん鸞らん上しょ人うにんと蓮れん如にょ上しょ人うにんという名がたびたび出て来た。十時少し廻った頃、松本は菓子と御お布ふ施せを僧の前に並べて、もう宜よろしいから御引取下さいと断ことわった。坊さんの帰った後あとで御仙がその理わ由けを聞くと、﹁何坊さんも早く寝た方が勝手だあね。宵子だって御経なんか聴くのは嫌きらいだよ﹂とすましていた。千代子と百代子は顔を見合せて微笑した。 あくる日は風のない明らかな空の下に、小いさな棺が静かに動いた。路みち端ばたの人はそれを何か不可思議のものでもあるかのように目もく送そうした。松本は白しら張はりの提ちょ灯うちんや白しら木きの輿こしが嫌だと云って、宵子の棺を喪車に入れたのである。その喪車の周ぐる囲りに垂れた黒い幕が揺れるたびに、白しろ綸りん子ずの覆おいをした小さな棺の上に飾った花環がちらちら見えた。そこいらに遊んでいた子供が駆かけ寄って来て、珍らしそうに車を覗のぞき込んだ。車と行き逢った時、脱帽して過ぎた人もあった。 寺では読どき経ょうも焼香も形式通り済んだ。千代子は広い本堂に坐っている間、不思議に涙も何も出なかった。叔父叔母の顔を見てもこれといって憂うれいに鎖とざされた様子は見えなかった。焼香の時、重子が香こうをつまんで香こう炉ろの裏うちへ燻くべるのを間違えて、灰を一ひと撮つかみ取って、抹まっ香こうの中へ打ち込んだ折には、おかしくなって吹き出したくらいである。式が果ててから松本と須永と別に一二人棺につき添って火葬場へ廻ったので、千代子はほかのものといっしょにまた矢やら来いへ帰って来た。車の上で、切なさの少し減った今よりも、苦しいくらい悲しかった昨きの日う一おと昨と日いの気分の方が、清くて美くしい物を多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。七
骨こつ上あげには御おせ仙んと須すな永がと千代子とそれに平ふだ生ん宵よい子この守をしていた清きよという下女がついて都合四よつ人たりで行った。柏かし木わぎの停ステ車ーシ場ョンを下りると二丁ぐらいな所を、つい気がつかずに宅うちから車に乗って出たので時間はかえって長くかかった。火葬場の経験は千代子に取って生れて始めてであった。久しく見ずにいた郊外の景けし色きも忘れ物を思い出したように嬉うれしかった。眼に入るものは青い麦むぎ畠ばたけと青い大根畠と常とき磐わ木ぎの中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々後うしろを振り返って、穴あな八はち幡まんだの諏す訪わの森もりだのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のために指ゆびさした。それには弘こう法ぼう大だい師し千五十年供くよ養うと塔うと刻きざんであった。その下に熊くま笹ざさの生い茂った吹井戸を控えて、一軒の茶見世が橋の袂たもとをさも田いな舎かみ路ちらしく見せていた。折々坊主になりかけた高い樹の枝の上から、色の変った小さい葉が一つずつ落ちて来た。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿が鮮あざやかに千代子の眼を刺しげ戟きした。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には眼新らしい現象であった。 火葬場は日当りの好い平ひら地ちに南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射した。御仙が事務所の前で、松本ですがと云うと、郵便局の受付口みたような窓の中に坐っていた男が、鍵かぎは御持ちでしょうねと聞いた。御仙は変な顔をして急に懐ふところや帯の間を探り出した。 ﹁とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用よう箪だん笥すの上へ置いたなり……﹂ ﹁持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いで市いっさんに取って来て貰うと好いわ﹂ 二人の問答を後うしろの方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重いものを袂たもとから出して叔母に渡した。御仙がそれを受付口へ見せている間に、千代子は須永を窘たしなめた。 ﹁市さん、あなた本当に悪にくらしい方かたね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか﹂ 須永はただ微笑して立っていた。 ﹁あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つ零こぼすじゃなし﹂ ﹁不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ﹂ ﹁まあ。よく叔母さんの前でそんな呑のん気きな事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持った覚おぼえがあって﹂ ﹁あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう﹂ 御仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済ますとすぐ待合所の方へ歩いて行った。そこへ腰をかけてから、立っている千代子を手招きした。千代子はすぐ叔母の傍そばへ来て座に着いた。須永も続いて這は入いって来た。そうして二人の向むこ側うがわにある涼み台みたようなものの上に腰をかけた。清もおかけと云って自分の席を割さいてやった。 四人が茶を呑のんで待ち合わしている間あいだに、骨こつ上あげの連中が二三組見えた。最初のは田いな舎か染じみた御婆さんだけで、これは御仙と千代子の服装に対して遠慮でもしたらしく口数を多く利きかなかった。次には尻を絡からげた親おや子こづ連れが来た。活かっ溌ぱつな声で、壺つぼを下さいと云って、一番安いのを十六銭で買って行った。三番目には散さん髪ぱつに角帯を締しめた男とも女とも片のつかない盲めく者らが、紫の袴はかまを穿はいた女の子に手を引かれてやって来た。そうしてまだ時間はあるだろうねと念を押して、袂たもとから出した巻まき煙たば草こを吸い始めた。須永はこの盲者の顔を見ると立ち上ってぷいと表へ出たぎりなかなか返って来なかった。ところへ事務所のものが御仙の傍へ来て、用意が出来ましたからどうぞと促うながしたので、千代子は須永を呼びに裏手へ出た。八
真しん鍮ちゅうの掛札に何々殿と書いた並なみ等とうの竈かまを、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空あき地ちの隅すみに松まつ薪まきが山のように積んであった。周まわ囲りには綺きれ麗いな孟もう宗そう藪やぶが蒼あお々あおと茂っていた。その下が麦むぎ畠ばたけで、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿うね蜒うねしているので、北側の眺ながめはことに晴はれ々ばれしかった。須すな永がはこの空地の端はしに立って広い眼界をぼんやり見渡していた。 ﹁市いっさん、もう用意ができたんですって﹂ 須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、﹁あの竹たけ藪やぶは大変みごとだね。何だか死しび人との膏あぶらが肥こや料しになって、ああ生いき々いき延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍たけのこはきっと旨うまいよ﹂と云った。千代子は﹁おお厭いやだ﹂と云いい放ぱなしにして、さっさとまた並なみ等とうを通り抜けた。宵よい子この竈かまは上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨きの日うの花環が少し凋しぼみかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨ゆう夜べ宵子の肉を焼いた熱ねっ気きの記かた念みのように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御おん坊ぼうが三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが﹁御封印を……﹂と云うので、須永は﹁よし、構わないから開けてくれ﹂と頼んだ。畏かしこまった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠じょうを抜いた。黒い鉄の扉が左右へ開あくと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一ひと塊かたまりとなって朧おぼ気ろげに見えた。御坊は﹁今出しましょう﹂と断って、レールを二本前の方に継つぎ足しておいて、鉄の環かんに似たものを二つ棺台の端はしにかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼やけ残のこりが四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御おそ供なえに似てふっくらと膨ふくらんだ宵子の頭ずが蓋いこ骨つが、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手ハン帛ケチを口に銜くわえた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、﹁あとは綺きれ麗いに篩ふるって持って参りましょう﹂と云った。 四よつ人たりは各めい自めい木きば箸しと竹箸を一本ずつ持って、台の上の白はっ骨こつを思い思いに拾っては、白い壺つぼの中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼あお白しろい顔をして口も利きかず鼻も鳴らさなかった。﹁歯は別になさいますか﹂と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎あごをくしゃくしゃと潰つぶしてその中から二三枚択より出したのを見た須永は、﹁こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ﹂と独ひと言りごとのように云った。下女が三た和た土きの上にぽたぽたと涙を落した。御おせ仙んと千代子は箸はしを置いて手ハン帛ケチを顔へ当てた。 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱だいてそれを膝ひざの上に載のせた。車が馳かけ出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅けやきが白しら茶ちゃけた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥はるか頭の上で交こう叉さするほど繁しげく両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺ながめた。宅うちへ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢ふたを開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。 やがて家内中同じ室へやで昼飯の膳ぜんに向った。﹁こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね﹂と須永が云い出した。 ﹁生きてる内はそれほどにも思わないが、逝ゆかれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ﹂と松本が云った。 ﹁非ひ道どいわね﹂と重子が咲子に耳ささ語やいた。 ﹁叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜うり二ふたつのような子を拵こしらえてちょうだい。可かわ愛いがって上げるから﹂ ﹁宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡なくしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから﹂ ﹁己おれは雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭いやになった﹂須永の話
一
敬けい太たろ郎うは須すな永がの門前で後うし姿ろすがたの女を見て以来、この二人を結びつける縁えんの糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂においがあるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子として眺ながめる時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺しげ戟きを与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因いん果がのごとくに繋つないだ。田口の家うちへ出でい入りするようになってからも、須永と千代子の関係については、一ひと口くちでさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子を直じかに観察しても尋常の従い兄と弟こ以上に何物も仄ほのめいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯れん想そうに支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一いっ対ついの男なん女にょとして認める傾きを有もっていた。女の連つれ添そわない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損そこなった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。 それはこむずかしい理りく窟つだから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻ひねったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐さえ伯きから聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏まとまらない先から、奥の委くわしい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠ばく然ぜんとした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。 ﹁千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね﹂ ﹁そうも行かないでしょう﹂ ﹁なぜ﹂ ﹁なぜって聞かれると、僕にも明めい瞭りょうな答はでき悪にくいんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね﹂ ﹁そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ﹂ ﹁知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから﹂ 敬太郎は佐伯の云わゆる﹁複雑な事情﹂なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪しゃくに障さわるのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気きづ遣かいがないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨あい拶さつをしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。 これは敬太郎が須永の宅うちで矢やら来いの叔父さんの家うちにあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何なん人びとと結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容たや易すく右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通り幻まぼろしに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥めい々めいのうちに繋つなぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容して然しかるべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。固もとよりそれは単なる物もの数ず奇きに過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。二
その日は生あい憎にく千代子に妨たげられた上、しまいには須すな永がの母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬けい太たろ郎うは偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑しゅうとめになり終おおせているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏まとめるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。 次の日曜がまた幸いな暖かい日ひよ和りをすべての勤つとめ人にんに恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘いざなおうとした。無ぶし精ょうでわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿はかした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判はっ切きりした方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。 この日彼らは両国から汽車に乗って鴻こうの台だいの下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土ど堤ての上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴はれ々ばれした好い気分になって、水だの岡だの帆ほかけ船ぶねだのを見廻した。須永も景けし色きだけは賞ほめたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴つれ出した敬太郎を恨うらんだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆あきれたような顔をして跟ついて来た。二人は柴しば又またの帝たい釈しゃ天くてんの傍そばまで来て、川かわ甚じんという家うちへ這は入いって飯を食った。そこで誂あつらえた鰻うなぎの蒲かば焼やきが甘あまたるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先さっ刻きから二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に﹁江戸っ子は贅ぜい沢たくなものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね﹂と聞いた。 ﹁云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田いな舎かものだって云うだろう﹂ 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに﹁江戸っ子は無ぶあ愛いき嬌ょうなものだね﹂と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それから後あとは二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から﹁君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ﹂と評されても、彼は﹁少し真ま面じ目めになったかね﹂とおとなしく受けるし、彼が須永に﹁君はますます偏へん窟くつに傾くじゃないか﹂と調から戯かっても、須永は﹁どうも自分ながら厭いやになる事がある﹂と快よく己おのれの弱点を承認するだけであった。 こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見みと透おして恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂うわさを皮かわ切きりに須永を襲おそった。その時須永は少しも昂こう奮ふんした様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、﹁また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨うまく纏まとまればいいが﹂と答えたが、急に口くち調ょうを更かえて、﹁なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ﹂とさも陳ちん腐ぷらしそうに説明して聞かせた。 ﹁君は貰もらう気はないのかい﹂ ﹁僕が貰うように見えるかね﹂ 話しはこんな風に、御互で引き摺ずるようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際きわどいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更かえるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に﹁また洋ステ杖ッキを持って来たんだね﹂と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁えん側がわへ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、﹁この通りだ﹂と蛇へびの頭を須永に見せた。三
須すな永がの話は敬けい太たろ郎うの予期したよりも遥はるかに長かった。―― 僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けた温あたたかい肉の塊かたまりに対する情なさけは、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親を懐なつかしいと思う心はその後ごだいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事も稀まれではない。一いち言ごんでいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色の勝すぐれない、親しみの薄い、厳格な表情に充みちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡の裏うちに見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容よう貌ぼうと大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じ厭いやな印象を、傍はたの人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰いん欝うつな眉まゆや額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯たくわえていたのではなかろうかと考えると、父の記かた念みとして、彼の悪い上うわ皮かわだけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、﹁市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄やっ介かいにならなくっちゃならないぞ。知ってるか﹂と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今いま更さら改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、﹁今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと﹂と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小こご言とをまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。 父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間まぎ際わになって、僕は着物を着換えさせられたまま、手ても持ち無ぶ沙さ汰ただから、一人縁えん側がわへ出て、蒼あおい空を覗のぞき込むように眺ながめていると、白しろ無む垢くを着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、供ともに立つものはみんな向むこうの方で混ごた雑ごたしていたので、傍はたには誰も見えなかった。母は突いき然なり自分の坊主頭へ手を載のせて、泣き腫はらした眼を自分の上に据すえた。そうして小さい声で、﹁御父さんが御お亡なくなりになっても、御母さんが今まで通り可かわ愛いがって上げるから安心なさいよ﹂と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両ふた親おやに対する僕の記憶を、生長の後のちに至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがその後のちしだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向って直じかに問い糺ただして見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気が摧くじけてしまうのが例つねであった。そうして心の中うちのどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母おや子こが離れ離れになって、永久今の睦むつましさに戻る機会はないと僕に耳ささ語やくものが出て来た。それでなくても、母は僕の真ま面じ目めな顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いに紛まぎらしそうなので、そう剥はぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。 僕は母に対してけっして柔順な息むす子こではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母に逆さからった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができた後あとでも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母おや子こは生れて以来の母子で、この貴たっとい観念を傷つけられた覚おぼえは、重おも手でにしろ浅あさ手でにしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢はん痕こんを遺のこさなければすまない瘡きずを受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏い怖ふの念は神経質に生れた僕の頭で拵こしらえるのかも知れないとも疑うたぐって見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。四
父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまだ妻さいを貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲の善いい夫婦でも、時々は気き不ま味ずい思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚し点みを双方の胸の裏うちに見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人苦にがく味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳かん癖ぺきの強い割に陰性な男だったし、母は長なが唄うたをうたう時よりほかに、大きな声の出せない性た分ちなので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らの宅うちほど静かに整ととのった家庭は滅めっ多たに見当らなかったのである。あのくらい他ひとの悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間まち違がいないものと信じ切っている。 母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布ふき巾んをかけてだんだん光つ沢やを出すつもりとも見られる。けれども慈愛に充みちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕が目まのあたりに見ているあの柔にゅ和うわな母が、どうしてこう真ま面じ目めになれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気きし象ょうで僕を打ち据すえる事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強せ請びって同じ話をくり返して貰もらっても、そんな気けだ高かい気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるで荒すさみ果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分を呪のろいたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいという望のぞみを起すが、同時にその望みがとても遂とげられない過去の夢であるという悲しみも湧わいて来る。 母の性格は吾われ々われが昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差さし支つかえない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女の喜よろこびはないのである。が、もしその僕が彼女の意に背そむく事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。 思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分に妙たえちゃんという妹いもとと毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被ひ布ふを平ふだ生ん着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父の亡なくなる何年前かに実ジ扶フ的テ里リ亜アで死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕は固もとより実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。宅うちへ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調から戯かわれて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことに穏おだやかだったので、小供ながら、ついその時の言葉まで小ちさい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、初はじめから覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計に他ひとを知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察に価あたいしないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。五
だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今こん日にちまで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目めや安すに人を採とる今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨うらやましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人にん選せんの依いた託くを受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有もっている。それだのに僕は動かなかった。固もとより自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引ひっ込こみ思じあ案んなのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃はやされたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけ纏まとっていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修おさめないで、植物学か天文学でもやったらまだ性しょうに合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。 こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺のこして行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐すわらないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。 母は昔むか堅しか気たぎの教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務つとめだというような考えを、何より先に抱いだいている。しかし彼女の家名を揚あげるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠ばく然ぜんと、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他が後あとを追って門前に輻ふく湊そうするぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただ汚けがさないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんで貰もらえるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。 僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯ためずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕が私ひそかに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時に溯さかのぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅はば利ききでも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹いもとに当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口は固もとより僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはその折おり快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾ごい一ちという男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。六
とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆きずながあった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固もとより天に上あがる雲ひば雀りのごとく自由に生長した。絆を綯なった人でさえ確しかとその端はしを握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。 母は僕の高等学校に這は入いった時分それとなく千代子の事を仄ほのめかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻さいという観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧けん嘩かをしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺しげ戟きを与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証しょ拠うこには長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒おころうが泣こうが、科しなをしようが色眼を使おうが、常に変らない従いと兄こに過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気きし象ょうを受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男なん女にょの牆しょ壁うへきが取り除のけられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜よかろうと思う。 母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞はに恥かみ家やと解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐ふところに収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞はに恥かんだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力つとめた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。 その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂におわした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱だいたまま一人で温あたためていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂うわさのあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大おと人ならしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭てい寧ねいに吟ぎん味みする余よゆ裕うができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従いと妹こは血属だから厭いやだと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私わたしの好きな子で、御前も嫌きらうはずがないからだと、赤ん坊には応用の利きかないような挨あい拶さつをして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子は厭いやかと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔むかし田口が父の世話になったり厄やっ介かいになったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安の裏うちに一いち縷るの望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。 こういう事情で、今まで母一人で懐ふところに抱だいていた問題を、その後のちは僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵かえしつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。七
僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺あざむいてその日その日を姑こそ息くに送っているような気がしてすまなかった。一ひと頃ころは思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰もらってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎うとんずるような素そぶ振りを口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかに憐あわれむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますその傾かたむきが著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼あお白しろい顔色とを婿むことして肯うけがわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性た質ちだから、物を誇大に考え過したり、要いらぬ僻ひがみを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委くわしい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚はばかりたい。ただ一いち言ごんで云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その後ご彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただ惚ぼけかかった空むなしい義理の抜ぬけ殻がらを、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差さし支つかえないのである。 僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。 ﹁市いっさんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ﹂ ﹁好いのがあったら母に知らしてやって下さい﹂ ﹁市さんにはおとなしくって優やさしい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう﹂ ﹁看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来き手てはあるまいな﹂ 僕が苦笑しながら、自みずから嘲あざけるごとくこう云った時、今まで向うの隅すみで何かしていた千代子が、不意に首を上げた。 ﹁あたし行って上げましょうか﹂ 僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、﹁御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね﹂と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘たしなめるようなまた怖おそれるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍そばにいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具そなえない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。 この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますます屑いさぎよしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向の洩もらし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでも蟠わだかまりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういう訳わけなら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、私ひそかに掛けね念んを抱いだいたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得る極きわめて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。八
意地の強い僕は母を嬉うれしがらせるよりもなるべく自我を傷きずつけないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くある姪めいや甥おいの中で、取り分け千代子を可かわ愛いがった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝ねと泊まりに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的疎うとくなった今こん日にちでも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、生うみの親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出でい入りをしていた。単純な彼女は、自分の身を的まとに時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、恨うらめしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。 僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞ふさいでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我がを通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにか萌きざすので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄の眉まゆを曇らすのがただ情なさけないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少抑おさえたのである。 それで僕は千代子に関して何という明めい瞭りょうな所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、会たまには単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御ごち馳そ走うするからと引止められて、夕飯の膳ぜんについた。いつも留る守すがちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気きさ作くな話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障しょ子うじに響くくらい家の中が賑にぎわった。飯が済んだ後あとで、叔父はどういう考か、突然僕に﹁市いっさん久しぶりに一局やろうか﹂と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退しりぞいた。二人はそこで二三番打った。固もとより下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁ごい石しを片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙たば草こを呑のみながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に﹁千代子さんの縁談はまだ纏まとまりませんか﹂と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊ちゅ躇うちょもなくこう云った。―― ﹁いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ﹂ 叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。 ﹁母は本気でそう云ったんだそうです﹂ ﹁本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真ま面じ目めになって叔母さんにその話をするそうだ﹂ 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世よ慣なれた人の巧妙な覚さとらせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚おろかだと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世よ慣なれた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。九
それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛けね念んだけが問題なら、あるいは僕の気きず随いをいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな﹇#﹁そんな﹂は底本では﹁そんに﹂﹈風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地を翻ひるがえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するように力つとめ出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸ぜん々ぜん形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一ひと帳ちょ場うば先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居を跨またぎ出した。 彼らの僕を遇する態度に固もとより変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとは故もとのごとく笑ったり、ふざけたり、揚あげ足あしの取りっくらをしたりした。要するに僕の田口で費ついやした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかに偽いつわりの影が射して、本来の自分を醜く彩いろどっていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じた覚おぼえがただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族が揃そろって遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風か邪ぜを引いたと見えて、咽の喉どに湿布をしていた。常にも似ない蒼あおい顔色も淋さびしく思われた。微笑しながら、﹁今日はあたし御留守居よ﹂と云った時、僕は始めて皆みんな出払った事に気がついた。 その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いを挑いどまなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くや否いなや、優しい慰いし藉ゃの言葉を口から出す気もなく自おのずから出した。すると千代子は一種変な表情をして、﹁あなた今日は大変優しいわね。奥さんを貰もらったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね﹂と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無ぶあ愛いき嬌ょうに振舞っても差さし支つかえないものと暗あんに自みずから許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼の中うちにどこか嬉しそうな色の微かすかながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。 二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互の唇くちびるから当時を蘇よみ生がえらせる便たよりとして洩もれた。僕は千代子の記憶が、僕よりも遥はるかに勝すぐれて、細かいところまで鮮あざやかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったまま袴はかまの綻ほころびを彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木もめ綿んい糸とでなくて絹糸であった事も知っていた。 ﹁あたしあなたの描かいてくれた画えをまだ持っててよ﹂ なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやった覚おぼえがあった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜たし好なみは、それから以後今こん日にちに至るまで、ついぞ画えふ筆でを握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺しげ戟きが、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。 ﹁見せて上げましょうか﹂ 僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分の室へやから僕の画を納めた手文庫を持って来た。十
千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿つばきだの、紫むらさきの東あず菊まぎくだの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花か卉きの写生に過ぎなかったが、要いらない所にわざと手を掛けて、時間の浪費を厭いとわずに、細かく綺きれ麗いに塗り上げた手てぎ際わは、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。 ﹁あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね﹂ 千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳ひとみを僕の上にじっと据すえていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で﹁でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう﹂と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首うけ肯がった。 ﹁それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね﹂ ﹁あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ﹂ 僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応こたえそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹せつ那なすでに涙の溢あふれそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。 ﹁そんな下らないものは持って行かないがいいよ﹂ ﹁いいわ、持って行ったって、あたしのだから﹂ 彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもう直じきに行くのだと答えた。 ﹁しかしまだきまった訳じゃないんだろう﹂ ﹁いいえ、もうきまったの﹂ 彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一いち日じつも早く彼女の縁談が纏まとまれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のする浪なみを打った。そうして毛穴から這はい出すような膏あぶ汗らあせが、背中と腋わきの下を不意に襲おそった。千代子は文庫を抱だいて立ち上った。障しょ子うじを開けるとき、上から僕を見みお下ろして、﹁嘘うそよ﹂と一口判はっ切きり云い切ったまま、自分の室へやの方へ出て行った。 僕は動く考かんがえもなく故もとの席に坐っていた。僕の胸には忌いま々いましい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻ほん弄ろうに対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解り悪にくい怖こわいものなのだろうかと考えて、しばらく茫ぼう然ぜんとしていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。 ﹁もう呼び出してあるのよ。あたし声が嗄かれて、咽の喉どが痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから﹂ 僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前まえ屈こごみになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独ひとり彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨あい拶さつを大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑こっ稽けいも構わず暇がかかるのも厭いとわず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑ちょ発うはつするような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲こごんだまま、おいちょいとそれを御おか貸しと声をかけて左手を真まっ直すぐに千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否いや々いやをして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――十一
こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその後ご何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会は捉つらまえられるではないかと、同じ運命が暗に僕を唆そそのかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段を憚はばからなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害で割さく事のできない愛に陥おちいっていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。 田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入いれ智ぢ慧え同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以イタ太リ利アで一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりも遥はるかに興味が多かった。その話はこうである。―― ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席に群むらがるすべての人から多大の尊敬と愛あい嬌きょうをもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘はい徊かいしているうち、どういう機はず会みか自分の手ハン巾ケチを足の下もとへ落した。混雑の際と見えて、彼は固もとより、傍はたのものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾を床ゆかの上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛あい嬌きょうが必要になったと見えて、﹁あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから﹂とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖スト炉ーヴの傍そばまで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑を洩もらした。 僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有もった以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼と眉まゆを想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。 口の悪い松本の叔父はこの姉きょ妹うだいに渾あだ名なをつけて常に大おお蝦が蟆まと小ちい蝦が蟆まと呼んでいる。二人の口が唇くちびるの薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇がま口ぐちだと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小ちい蟇がまはおとなしくって好いが、大おお蟇がまは少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑うたがいを挟さしはさみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵かくしているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女の有もっている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲いな妻ずまに打たれたような思いをする。当りの強く烈はげしく来るのは、彼女の胸から純粋な塊かたまりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺とげだの毒だの腐ふし蝕ょく剤ざいだのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈はげしく怒おこられても、僕は彼女から清いもので自分の腸はらわたを洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気けだ高かいものに出会ったという感じさえ稀まれには起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。十二
これほど好よく思っている千代子を妻さいとしてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時理わ由けも何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強しいて沈黙のなかに記憶を埋うずめる必要もないから、それを自分だけの感想に止とどめないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。 僕は常に考えている。﹁純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない﹂と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪たえられないだろう。その光は必ずしも怒いかりを示すとは限らない。情なさけの光でも、愛の光でも、もしくは渇かっ仰こうの光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射いす竦くめられるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下げ戸ことして、今こん日にちまで世間から教育されて来たのである。 千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天てん賦ぷの感情を、あるに任せて惜おし気げもなく夫の上に注つぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然しかるべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指さす事のできる権力か財力を攫つかまなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差さし支つかえないのである。僕は今云った通り、妻さいとしての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻くすぶった性た質ちなのだが、よし焼石に水を濺そそいだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽はぶ二た重えの足た袋びで包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。 僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想おもい出す。叔父は素しろ人うと学問ながらこんな方面に興味を有もっているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕つらまえて﹁御前のような感情家は﹂と暗あんに詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取とり越こし苦ぐろ労うをするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸に湧わき出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一いち人にんである。だから恐れる僕を軽けい蔑べつするのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐あわれむのである。否いな時によると彼女のために戦せん慄りつするのである。十三
須すな永がの話の末段は少し敬けい太たろ郎うの理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれは傍はたから彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価あたいしないくらいに見みか限ぎっていた。その上彼は理りく窟つが大だい嫌きらいであった。右か左へ自分の身から体だを動かし得ないただの理窟は、いくら旨うまくできても彼には用のない贋がん造ぞう紙しへ幣いと同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻つじ占うらに似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤うるおった身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。 須永もそこに気がついた。 ﹁話が理りく窟つ張ばってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒しゃ舌べっているものだから﹂ ﹁いや構わん。大変面白い﹂ ﹁洋ステ杖ッキの効きき果めがありゃしないか﹂ ﹁どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか﹂ ﹁もう無いよ﹂ 須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判はっ然きりしない雲の峰のように、頭の中に聳そびえて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前に坐すわっている須永自身も、平生の紋もん切きり形がたを離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘かん定じょうを済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。 柴しば又またの帝たい釈しゃ天くてんの境けい内だいに来た時、彼らは平凡な堂どう宇うを、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停ステ車ーシ場ョンへ来ると、間ま怠だるこい田いな舎か汽車の発車時間にはまだだいぶ間まがあった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯たてに須永から聞かして貰ったものである。―― 僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅うちの二階に籠こもってこの暑中をどう暮らしたら宜よかろうと思案していると、母が下から上あがって来て、閑ひまになったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海うみ辺べを好まない性た質ちなので、一いっ家けのものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容いれて、材木座にある、ある人の邸やし宅きを借り入れたのである。移る前に千代子が暇いと乞まごいかたがた報しら知せに来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖がけの上に、二段か三段に建てた割合手広な住すま居いだそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍そばで聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気きぼ保よ養うになってよかろうと忠告した。母は懐ふところから千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変へん窟くつな僕からいうと、そう混ごた雑ごたした所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒で厭いやだった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。十四
母は内気な性分なので平へい生ぜいから余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由が利きくようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長く宅うちを空あけたりする便べん宜ぎを有もたない彼女は、母おや子こ二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。 鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個の鞄かばんを携たずさえて直ちょ行っこうの汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻ひん繁ぱんな経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平ふだ生んよりは生いき々いきしていた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停ステ車ーシ場ョンには誰も迎むかえに来ていなかったが、車を雇うとき某なにがしさんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠はた中なかの黄色い花を美くしく眺ながめた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じ趣おもむきを具そなえた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚あげ句く、突然唐とう茄な子すだと気がついたので独ひとりおかしがった。 車が別荘の門に着いた時、戸とし障ょう子じを取り外はずした座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴ゆか衣たを着た男のいるのを見て、多分叔父が昨きの日うあたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手に入いって結構だとか、年寄の女だけに口くち数かずの多い挨あい拶さつのやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒さ干ぼしてくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道みち程のりのある山手だけれども水は存外悪かった。手てぬ拭ぐいを絞しぼって金かな盥だらいの底を見ていると、たちまち砂のような滓おりが澱おどんだ。 ﹁これを御使いなさい﹂という千代子の声が突然後うしろでした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまた傍そばにある鏡台の抽ひき出だしから櫛くしを出してくれた。僕が鏡の前に坐すわって髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身から体だを持たして、僕の濡ぬれた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから﹁悪い水でしょう﹂と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕は藪やぶから棒に後うしろから彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。 ﹁御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一おと昨と日いまた用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ﹂ ﹁ここにゃいないのかい﹂ ﹁ええ。なぜ。ことによると今日の夕方吾ごい一ちさんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども﹂ 千代子は明あし日たもし天気が好ければ皆みんなと魚を漁とりに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先さっ刻き見た浴ゆか衣たがけの男の居所が知りたかった。十五
﹁先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか﹂ ﹁あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう﹂ 僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校朋ほう輩ばいに高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょに撮とった写真で知っていた。手しゅ蹟せきも絵えは端が書きで見た。一人の兄が亜ア米メ利リ加カへ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。 ﹁ついこの下よ﹂と彼女は云ったぎりであった。 ﹁別荘かい﹂と僕は重ねて聞いた。 ﹁ええ﹂ 二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明あ日す魚を漁とりに行く時の楽みを、今眼まの当りに描えがき出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。 ﹁高木さんもいらっしゃるんでしょう﹂ ﹁市いっさんもいらっしゃい﹂ 僕は行かないと答えた。その理由として、少し宅うちに用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混ごた雑ごたしているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉きょ妹うだいの知っている高木という男に会うのが厭いやだった。彼は先さっ刻きまで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いを逃のがれて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人を怖こわがる性分なのである。 僕の帰ると云うのを聞いた二人は、驚ろいたような顔をしてとめにかかった。ことに千代子は躍やっ起きになった。彼女は僕を捉つらまえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対しては遥はるかに自由な言葉を使い得る特権を有もっていた。僕は平生から彼女が僕に対して振舞うごとく大胆に率直に︵ある時は善意ではあるが︶威圧的に、他人に向って振舞う事ができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡って行かれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴タイ君ラントを羨うらやましがっていた。 ﹁えらい権けん幕まくだね﹂ ﹁あなたは親不孝よ﹂ ﹁じゃ叔母さんに聞いて来るから、もし叔母さんが泊って行く方がいいって、おっしゃったら、泊っていらっしゃい。ね﹂ 百代子は仲裁を試みるような口調でこう云いながら、すぐ年寄の話している座敷の方へ立って行った。僕の母の意向は無論聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄二人から齎もたらした返事もここに述べるのは蛇だそ足くに過ぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。 僕はやがてちょっと町へ出て来るという口いい実まえの下もとに、午後の暑い日を洋こう傘もりで遮さえぎりながら別荘の附近を順序なく徘はい徊かいした。久しく見ない土地の昔を偲しのぶためと云えば云えない事もないが、僕にそんな寂さびた心持を嬉うれしがる風流があったにしたところで、今はそれに耽ふける落ちつきも余よゆ裕うも与えられなかった。僕はただうろうろとそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立派な平ひら屋やだ建ての門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前に佇たたずんだ。それから後あとは全く何の目的もなしになお緩かん漫まんな歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。十六
実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口の家うちに足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にも上のぼらなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住すま居いに何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さを冒おかして外出したのだろう。僕は今こん日にちまでその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身から体だを動かしに来たという漠ばくたる感じが胸に射さしたばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、紛まぎれもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。 僕が別荘へ帰って一時間経たつか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮てい嚀ねいにその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊しまった血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気に充みちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒しゃ落れとしか受取られなかった。 二人の容よう貌ぼうがすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応おう対たいぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従いと妹ことか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取り捲まかれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己おのれを取扱かう術すべを心得ていたのである。知らない人を怖おそれる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏に棄すてられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除のけ物ものにしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生あい憎にく僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼おさ馴なな染じみに用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御おう噂わさをしていたところでしたと云った。 僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨うらやましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎にくみ出した。そうして僕の口を利きくべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。 落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻ひがみだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性た質ちだから、結局他ひとに話をする時にもどっちと判はっ然きりしたところが云い悪にくくなるが、もしそれが本当に僕の僻ひがみ根こん性じょうだとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉しっが潜ひそんでいたのである。十七
僕は男として嫉の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉を起す機会を有もたなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至しご極く太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きをおかないのが、一般の習慣であった上、年ごとに自分を高く見積る見識というものが加わって来るので、点数の多少は大した苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争った覚おぼえはなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺きれ麗いな顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。会たまにはその所有者になって見たいと云う考かんがえも起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、酔よいが去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執しゅ念うねく美くしい人に附つけ纏まつわらせないものは、まさにこの酒に棄すてられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然老とし人よりか坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快に陥おちいる。が、あるいはそれがために恋の嫉というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。 僕は普通の人間でありたいという希望を有もっているから、嫉心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、眼まの当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われた試ためしがなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉心を抑おさえつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉心を抱いだいて、誰にも見えない腹の中で苦くも悶んし始めた。幸い千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと云い出したので、高木が必ず彼らに跟ついて行くに違ないと思った僕は、早く跡に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼は何とか言訳を拵こしらえて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますます眉まゆを暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕は固もとより応じなかった。高木の面前から一刻も早く逃のがれる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでに厭いやであった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上を眺ながめていた。姉きょ妹うだいは笑いながら立ち上った。 ﹁相変らず偏へん窟くつねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ﹂ 千代子にこう罵ののしられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁えん側がわへ出て、二人のために菅すげ笠がさのように大きな麦むぎ藁わら帽ぼうを取ってやって、行っていらっしゃいと挨あい拶さつをした。 二人の後姿が別荘の門を出た後で、高木はなおしばらく年寄を相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気に充みちた身から体だを暑さと退屈さに持ち扱かっている風に見えた。やがて、これから晩まで何をして暮らそうかしらと独ひと言りごとのように云って、不意に思い出したごとく、玉たまはどうですと僕に聞いた。幸いにして僕は生れてからまだ玉突という遊戯を試みた事がなかったのですぐ断った。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと云いながら帰って行った。僕は活かっ溌ぱつに動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉きょ妹うだいのいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕は坐すわっている席を動かなかった。十八
高木の去った後あと、母と叔母はしばらく彼の噂うわさをした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったように見えた。気のおけない、至って行き届いた人らしいと云って賞ほめていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめる風に見えた。この時僕は高木について知り得た極きわめて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならない事を発見した。僕が百代子から聞いたのでは、亜ア米メ利リ加カ帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英イギ吉リ利スで教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなく品ひんの善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。 二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口を利きかなかった。ただ上うわ部べから見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまた恨うらめしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。 前後の模様から推おすだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打うち明あけ話ばなしを、僕ら母おや子こに向って、相談とも宣告とも片づかない形式の下もとに、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂う遠とい母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉きょ妹うだいは浜から広い麦むぎ藁わら帽ぼうの縁ふちをひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦もど躁かしがらせたのも嘘うそではない。 夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停ステ車ーシ場ョンに迎えるべく母に命ぜられて家いえを出た。彼らは揃そろいの浴ゆか衣たを着て白い足た袋びを穿はいていた。それを後うしろから見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母には画えとして普通以上にどんなに価あたいが高かったろう。僕は母を欺あざむく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。 途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、﹁あっ高木さんを誘うのを忘れた﹂と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びを止とめたが、口は開かなかった。﹁もう好いじゃないの、ここまで来たんだから﹂と百代子が云った。﹁だってあたし先さっ刻き誘ってくれって頼まれたのよ﹂と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡ため巡らった。 ﹁市いっさんあなた時計持っていらしって。今何時﹂ 僕は時計を出して百代子に見せた。 ﹁まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから﹂ ﹁もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたって詫あやまったらそれで好よかないの﹂ 姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這は入いって来て、姉妹に、どうも非ひ道どい、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛あい想その好い挨あい拶さつをした。十九
その晩は叔父と従いと弟こを待ち合わした上に、僕ら母おや子こが新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶ後おくれたばかりでなく、私ひそかに恐れた通りはなはだしい混雑の中うちに箸はしと茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、市いっさんまるで火事場のようだろう、しかし会たまにはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静な膳ぜんに慣れた母は、この賑にぎやかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口に上のぼった一ひと塩しおにした小こあ鰺じの焼いたのを美う味まいと云ってしきりに賞ほめた。 ﹁漁りょ師うしに頼んどくといくらでも拵こしらえて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐ腐わるくなるんでね﹂ ﹁わたしもいつか大おお磯いそで誂あつらえてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね﹂ ﹁腐るの﹂千代子が聞いた。 ﹁叔母さん興おき津つだ鯛い御おき嫌らい。あたしこれよか興津鯛の方が美おい味しいわ﹂と百代子が云った。 ﹁興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ﹂と母はおとなしい答をした。 こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一ひと塩しおの小こあ鰺じを好いていたからでもある。 ついでだからここで云う。僕は自分の嗜しこ好うや性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方有もっている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真ま似ねをしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞き糺ただして見ても判はっ切きり云えなかったのだから、理わ由けは話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共に具そなえているなら僕は大変嬉うれしかった。長所でも母になくって僕だけ有もっているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継ついでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。 食事の後おくれた如ごとく、寝る時間も順じゅ繰んぐりに延びてだいぶ遅くなった。その上急に人にん数ずが増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一ひと骨ほね折おりであった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊か帳やに寝た。叔父は肥ふとった身から体だを持ち扱かって、団うち扇わをしきりにばたばた云わした。 ﹁市いっさんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね﹂ 僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉下くだりまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。 ﹁これも一いっ興きょうだ﹂ 疑問は叔父の一句でたちまち納おさまりがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明あし日たの魚さか捕なとりの事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真ま面じ目めだか冗じょ談うだんだか、船に乗りさえすれば、魚の方で風ふうを望のぞんで降くだるような旨うまい話をして聞かせた。それがただ自分の伜せがれを相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴きき手てにするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨あい拶さつをする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一いち人にんとして受うけ答こたえをするようになっていた。僕は固もとより行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾いび声きをかき始めた。吾一もすやすや寝ね入いった。ただ僕だけは開あいている眼をわざと閉じて、更ふけるまでいろいろな事を考えた。二十
翌あく日るひ眼が覚さめると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかない路みちを辿たどりながら、時々別種の人間を偸ぬすみ見るような好奇心をもって、叔父の寝顔を眺ながめた。そうして僕も寝ている時は、傍はたから見ると、やはりこう苦くがない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這は入いって来て、市いっさんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろと促うながすので、起き上って縁えん側がわへ出ると、海の方には一面に柔かい靄もやの幕がかかって、近い岬みさきの木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空を眺ながめ出したが、少し降ってると答えた。 彼は今日の船遊びの中止を深く気きづ遣かうもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当あてにならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風ふ呂ろ場ばの方へ行った。 食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏おだやかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御おば婆あさんだけ残して、若いものが揃そろって出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御おじ爺いさんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。 ﹁今日はこれでも若いものの部だよ﹂ 叔父はこの言葉を証しょ拠うこ立だてるためだか何だか、さっそく立って浴ゆか衣たの尻を端はし折ょって下へ降りた。姉きょ弟うだい三人もそのままの姿で縁から降りた。 ﹁御前達も尻を捲まくるが好い﹂ ﹁厭いやな事﹂ 僕は山賊のような毛けず脛ねを露むき出だしにした叔父と、静しず御かご前ぜんの笠かさに似た恰かっ好こうの麦むぎ藁わら帽ぼうを被かぶった女二人と、黒い兵へこ児お帯びをこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺ながめた。 ﹁市いっさんがまた何か悪口を云おうと思って見ている﹂と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。 ﹁早く降りていらっしゃい﹂と千代子が叱るように云った。 ﹁市さんに悪い下げ駄たを貸して上げるが好い﹂と叔父が注意した。 僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳かけ足あしで迎むかえに行って連れて来る事にした。 叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉きょ妹うだいを乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人は後おくれた事にいっこう頓とん着じゃくしない様子で、毫ごうも追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざと後あとから来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所しょ作さだったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図を止やめてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小こつ坪ぼへ這は入いる入口の岬みさきの所まで来た。そこは海へ出で張ばった山の裾すそを、人の通れるだけの狭い幅はばに削けずって、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。二十一
彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後うしろを振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎とがめると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首が猪いのししのように堅くなって後へ回らなかったのである。 見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木は被かぶっていた麦むぎ藁わら帽ぼうを右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽けい古こでもしたものと見えて、海と崖がけに反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。 叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後のちも呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながら上あがって来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外がい套とうのようなものを着て時々隠ポッ袋ケットへ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺ながめていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨レイ除ンコートである事に気がついた。その時叔父が突然、市いっさんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じて脚あしの下を見た。すると磯いそに近い所に、真白に塗った空から船ぶねが一艘そう、静かな波の上に浮いていた。糠ぬか雨あめとまでも﹇#﹁糠雨とまでも﹂は底本では﹁糖雨とまでも﹂﹈行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面に暈ぼかされて、平いつ生もなら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一ひと色いろに眺ながめられた。そのうち四よつ人たりはようやく僕らの傍そばまで来た。 ﹁どうも御待たせ申しまして、実は髭ひげを剃すっていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……﹂と高木は叔父の顔を見るや否や云いい訳わけをした。 ﹁えらい物を着込んで暑かありませんか﹂と叔父が聞いた。 ﹁暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮ばん殻からなんだから﹂と千代子が笑った。高木は雨レイ外ンコ套ートの下に、直じかに半はん袖そでの薄い襯シャ衣ツを着て、変な半はん洋ズボ袴ンから余った脛すねを丸出しにして、黒くろ足た袋びに俎まな下いた駄げたを引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴レデ女ーの前でも気きが兼ねがなくって好いと云っていた。 一同がぞろぞろ揃そろって道幅の六尺ばかりな汚むさ苦くるしい漁村に這は入いると、一種不快な臭においがみんなの鼻を撲うった。高木は隠ポッ袋ケットから白い手ハン巾ケチを出して短かい髭の上を掩おおった。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅うちはどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨ゆう夕べ聞き合せに人をやった家うちの主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑のん気きな教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙に羨うらやましく思った。 ﹁それで分るんでしょうか﹂と高木が不思議な顔をした。 ﹁分ったらよっぽど奇体だわね﹂と千代子が笑った。 ﹁何大丈夫分るよ﹂と叔父が受合った。 吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編あみ笠がさを被かぶって白い手てっ甲こうと脚きゃ袢はんを着けた月げっ琴きん弾ひきの若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じ問といをかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容たや易すく教えてくれたので、みんながまた手を拍うって笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁わら葺ぶきの家であった。二十二
この細い石段を思い思いの服な装りをした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、傍はたで見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明はっ瞭きりした考を有もっていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝かん心じんの叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまで漕こいで出るのかいっこう弁わき別まえないらしかった。百代子の後あとから足の力で擦すり減へらされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、己おのれを委ゆだねて悔いないところを、避暑の趣おもむきとでも云うのかと思いつつ上のぼった。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間に暗あんに演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分の務つとめなければならない役割がもしあるとすれば、穏おだやかな顔をした運命に、軽く翻ほん弄ろうされる役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無むぞ雑う作さにやって除のける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手てぎ際わを有もった作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐ後あとから跟ついて上あがって来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御ごめ免んこ蒙うむって雨レイ防ンコ衣ートを脱ごうと云い出した。 家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓しゃ子くしが一つ打ちつけてあって、それに百ひゃ日くに風ちか邪ぜ吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目めざ敬とい吾一の手柄であった。中を覗のぞくと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上を指さした。靄もやはまだ晴れなかったけれども、先さっ刻きよりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的判はっ切きり見える中に、指された船は遠くの向うに小さく横よこたわっていた。 ﹁あれじゃ大変だ﹂ 高木は携たずさえて来た双眼鏡を覗のぞきながらこう云った。 ﹁随分呑のん気きね、迎むかいに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう﹂と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。 婆さんは何直じきですと答えて、草ぞう履りを穿はいたまま、石段を馳かけ下りて行った。叔父は田いな舎かも者のは気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんの後あとを追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五いつ坪つぼにも足りなかった。隅すみに無いち花じ果くが一本あって、腥なまぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない実みが云いい訳わけほど結なって、その一本の股またの所に、空からの虫むし籠かごがかかっていた。その下には瘠やせた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中を餓うえた嘴くちばしでつついていた。僕はその傍そばに伏せてある鉄かな網あみの鳥とり籠かごらしいものを眺ながめて、その恰かっ好こうがちょうど仏ぶし手ゅか柑んのごとく不規則に歪ゆがんでいるのに一種滑こっ稽けいな思いをした。すると叔父が突然、何分臭くさいねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、断たえず千代子と話していた高木はすぐ後うしろを振り返った。 ﹁何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう﹂ 彼はそう云いながら、手に持った雨レイ外ンコ套ートと双眼鏡を置くために後うしろの縁を顧かえりみた。傍そばに立った千代子は高木の動かない前に手を出した。 ﹁こっちへ御出しなさい。持ってるから﹂ そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半はん袖そで姿すがたを見て笑いながら、﹁とうとう蛮ばん殻からになったのね﹂と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意して眺ながめた。二十三
船に乗るためにみんなが揃そろって浜に下り立ったのはそれから約一時間の後のちであった。浜には何の祭の前か過すぎか、深く砂の中に埋うめられた高い幟のぼりの棒が二本僕の眼を惹ひいた。吾一はどこからか磯いそへ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。 ﹁さあ御乗り﹂と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船ふな縁べりから這はい上った。偶然の結果千代子と僕は後あとのものに押されて、仕切りの付いた舳へさきの方に二人膝ひざを突き合せて坐った。叔父は一番先に、胴どうの間まというのか、真中の広い所に、家かち長ょうらしく胡あぐ坐らをかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否いや応おうなしに叔父の傍そばに座を占めた。百代子と吾一は彼らの次の間まと云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。 ﹁どうですこっちが空すいてますからいらっしゃいませんか﹂と高木はすぐ後うしろの百代子を顧かえりみた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄うす縁べりの上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉しっ妬とを起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨きの日うも今きょ日うも同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微みじ塵んも僕の胸に萌きざさなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女を的まとに劇烈な恋に陥おちいらないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ふところにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他ひとから評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に価あたいしない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡なびかない女を無理に抱だく喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡きず痕あとを淋さみしく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。 僕は千代子にこう云った。―― ﹁千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くって楽らくなようだから﹂ ﹁なぜ、ここにいちゃ邪魔なの﹂ 千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭いや味みと受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種の嬉うれしさが閃ひらめいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝ばく露ろする好い証しょ拠うこで、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。 昨きの日う会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船が磯いそを離れたとき、彼は﹁好い案あん排ばいに空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で﹂というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、﹁船頭、いったい何を捕とるんだ﹂と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗ぞん末ざい﹇#ルビの﹁ぞんざい﹂は底本では﹁そんざい﹂﹈な言葉で、蛸たこを捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。 ﹁蛸はどこにいるんだ﹂と叔父がまた聞いた。 ﹁ここいらにいるんだ﹂と船頭はまた答えた。 そうして湯屋の留とめ桶おけを少し深くしたような小こば判んな形りの桶の底に、硝ガラ子スを張ったものを水に伏せて、その中に顔を突つっ込こむように押し込みながら、海の底を覗のぞき出した。船頭はこの妙な道具を鏡かがみと称となえて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭の傍そばに座を取った吾一と百代子であった。二十四
鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃ鮮あざやかだね、何でも見えると非ひ道どく感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、万よろずに高たかを括くくる癖に、こういう自然界の現象に襲おそわれるとじき驚ろく性た質ちなのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのない極きわめて平凡な海の底が眼に入いっただけである。そこには小ちさい岩が多少の凸とつ凹おうを描いて一面に連つらなる間に、蒼あお黒ぐろい藻もく草さが限りなく蔓はび延こっていた。その藻草があたかも生なま温ぬるい風に嬲なぶられるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後に揺うごかした。 ﹁市いっさん蛸が見えて﹂ ﹁見えない﹂ 僕は顔を上げた。千代子はまた首を突つっ込こんだ。彼女の被かぶっていたへなへなの麦むぎ藁わら帽ぼう子しの縁ふちが水に浸つかって、船頭に操あやつられる船の勢に逆さからうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はその後うしろに見える彼女の黒い髪と白い頸くび筋すじを、その顔よりも美くしく眺めていた。 ﹁千代ちゃんには、目め付っかったかい﹂ ﹁駄目よ。蛸たこなんかどこにも泳いでいやしないわ﹂ ﹁よっぽど慣れないとなかなか目め付っける訳に行かないんだそうです﹂ これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手で桶おけを抑おさえたまま、船ふな縁べりから乗り出した身から体だを高木の方へ捻ねじ曲げて、﹁道どう理れで見えないのね﹂といったが、そのまま水に戯たわむれるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女めだ竹けの先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜くわえて、片手に棹さおを使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるや否いなや、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。 蛸は船頭一人の手で、何なん疋びきも船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそ皆みんな珍らしがって、捕とれるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽あきて来たと見えて、﹁こう蛸ばかり捕っても仕方がないね﹂と云い出した。高木は煙たば草こを吹かしながら、舟ふな底ぞこにかたまった獲えも物のを眺め始めた。 ﹁千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ﹂ 高木はこう云って千代子を招いたが、傍そばに坐っている僕の顔を見た時、﹁須すな永がさんどうです、蛸が泳いでいますよ﹂とつけ加えた。僕は﹁そうですか。面白いでしょう﹂と答えたなり直すぐ席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕は故もとの所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。 ﹁ええ面白いわ、早く来て御覧なさい﹂ 蛸は八本の足を真直に揃そろえて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏い賊かのように黒い墨を吐はくのも交まじっていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。 叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹たけ籃かごのようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋さむしいと思った叔父は、船をその一つの側わきへ漕こぎ寄せさした。申し合せたように、舟ふね中じゅう立ち上って籃かごの内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中を馳かけ廻っていた。その或ものは水の色を離れない蒼あおい光を鱗うろこに帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏に透とおすように輝やいた。 ﹁一つ掬すくって御覧なさい﹂ 高木は大きな掬た網まの柄えを千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木は己おのれの手を添えて二人いっしょに籃かごの中を覚おぼ束つかなく攪かき廻した。しかし魚は掬すくえるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬た網まで叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択より出した。僕らは危きか怪いな蛸の単調を破るべく、鶏いさ魚き、鱸すずき、黒くろ鯛だいの変化を喜こんでまた岸に上のぼった。二十五
僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下もとに、なお二三日鎌倉に留とどまる事を肯がえんじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好よく落ちついているのだろうと、鋭どく磨とがれた自分の神経から推して、悠ゆう長ちょう過ぎる彼女をはがゆく思った。 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三みつ巴ともえを描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先せん途どを予知したごとき態度で、中途から渦うず巻まきの外に逃のがれたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏まといを撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目もく論ろ見みがあって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉しっ妬とし心んだけあって競争心を有もたない僕にも相応の己うぬ惚ぼれは陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽かげ炎ろったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己うぬ惚ぼれをあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩わずらわしさに悩んだのである。 彼女は時によると、天下に只ただ一いち人にんの僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞ふさいで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮しおの満みち干ひはすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠とお退のいたりするのでなかろうかという微かすかな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一いつの意味に解釈し終ったすぐ後あとから、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実じつどっちが正しいのか分らないいたずらな忌いま々いましさを感じた例ためしも少なくはなかった。 僕はこの二日間に娶めとるつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭いやでもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋つむ風じかぜの中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上うわ部べから云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲おそって来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃きらめきを物もの凄すごく感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。 僕は強い刺しげ戟きに充みちた小説を読むに堪たえないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹せつ那なに驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄すてたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯いそがあった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激げきして女が泣いた。後あとでは女が激して男が宥なだめた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額がくがあり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果はては立ち上って拳こぶしを揮ふるい合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描えがかれた。僕はそのいずれをも甞なめ試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲あざけるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸かれて乾からびたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。二十六
僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺しげ戟きを眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦い躁らつきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸の中うちに描いて見た。偶然にも結果は他の一方に外それた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無むと頓んじ着ゃくとを、比較的容易に、淋さみしいわが二階の上に齎もたらし帰る事ができた。僕は新らしい匂においのする蚊か帳やを座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風ふう鈴りんの音を楽しんで寝た。宵よいには町へ出て草花の鉢はちを抱かかえながら格こう子しを開ける事もあった。母がいないので、すべての世話は作さくという小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳ぜんに向った時、給仕のために黒い丸盆を膝ひざの上に置いて、僕の前に畏かしこまった作の姿を見た僕は今いま更さらのように彼女と鎌倉にいる姉きょ妹うだいとの相違を感じた。作は固もとより好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎つつましやかにいかに控目に、いかに女として憐あわれ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐すわっていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧あかい顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利きいた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下か婢ひの女らしいところに気がついた。愛とは固もとより彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周まわ囲りから出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。 僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女にょ性しょうのある方面の性質が、想像の刺しげ戟きにすら焦い躁ら立だちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景けし色きは折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害を一いつにし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。 僕は二階に上のぼって書架の整理を始めた。綺きれ麗いず好きな母が始しじ終ゅう気をつけて掃除を怠おこたらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬ埃ほこりの色を、目の届かない陰に見つけるので、残らず揃そろえるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読み耽ふけってみようという気楽な方針で蝸かた牛つむりのごとく進行した。作は時ならない払はた塵きの音を聞きつけて、梯はし子ごだ段んから銀いち杏ょう返がえしの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑ぞう巾きんで拭いて貰もらった。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階し下たへ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草くた臥びれたから煙たば草こを吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。 作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻まき煙たば草こを呑み切った後あとでまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一いち人にんの世界を妨さまたげられる虞おそれなしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然棚たなの後うしろから発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向むこ側うがわへ落ちたなり埃だらけになって、今きょ日うまで僕の眼を掠かすめていたのである。二十七
僕にこの本を貸してくれたものはある文学好ずきの友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこう華はなやかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本を指さして、ここに書いてある主人公は、非常に目めざ覚ましい思慮と、恐ろしく凄すさまじい思い切った行動を具そなえていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独ドイ乙ツ字じが書いてあった。彼は露ロシ西ア亜も物のの翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗こうを彼に尋ねた。彼は梗などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉しっ妬となのだか、復ふく讐しゅうなのだか、深刻な悪いた戯ずらなのだか、酔すい興きょうな計略なのだか、真ま面じ目めな所作なのだか、気きち狂がいの推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華はな々ばなしい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読み耽ふけらない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味を有もたなかったからである。 この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今棚たなの後うしろから引き出して厚い塵ちりを払った。そうして見みお覚ぼえのある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心に駆かられて、すぐその一頁ページを開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。 ある女に意いのあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指を銜くわえて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手てだ段てとして一種の方法を案出した。ある晩ばん餐さんの席へ招待された好機を利用して、彼は急に劇はげしい発ほっ作さに襲おそわれたふりをし始めた。傍はたから見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場裡りで、同じ所しょ作さをなお二三度くり返した後、発作のために精神に狂くるいの出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手てか数ずのかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、華はなやかな交際の色を暗く損そこない出してから、今まで懇意に往ゆき来きしていた誰彼の門戸が、彼に対して急に固く鎖とざされるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出でい入りのできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴けお落とそうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住すま居いを敲たたいた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機を窺うかがった。彼は机の上にあった重い文ぶん鎮ちんを取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友は固もとより彼の問を真まに受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名の下もとに、瘋ふう癲てん院いんに送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛てん末まつを基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必ひっ竟きょう正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄りつ然ぜんとして恐れた。二十八
僕の頭ヘッドは僕の胸ハートを抑おさえるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしい悔くいを遺のこさない過去を顧かえりみると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意いじ地ば張りという点において、どっちかというとむしろ陰性の癇かん癪しゃ持くもちだから、発ほっ作さに心を襲おそわれた人が急に理性のために喰い留められて、劇はげしい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅めっ多たに甞なめた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命を削けずる争いだという畏い怖ふの念から解げだ脱つする事ができなかった。 それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のように軽かろく見る彼は、理と情じょうとの間に何らの矛盾をも扞かん格かくをも認めなかった。彼の有する凡すべての知力は、ことごとく復ふく讐しゅうの燃料となって、残忍な兇行を手てぎ際わよく仕遂げる方便に供せられながら、毫ごうも悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮を率ひきいて、満まん腔こうの毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いに羨うらやましかった。同時に汗あせの滴したたるほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかした後あとは定めし堪たえがたい良心の拷ごう問もんに逢うだろうと思った。 けれどももし僕の高木に対する嫉しっ妬とがある不可思議の径路を取って、向こう後ご今の数十倍に烈はげしく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真ま似ねはしえまいという見地から、すぐこの問題を棄きき却ゃくしようとした。次には、僕でも同じ程度の復ふく讐しゅうが充分やって除のけられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、逞たくましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥はるかに複雑なものに見えた。が、纏まとまって心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとても逃のがれる事はできないのだと沈痛に諦あきらめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文ぶん鎮ちんを骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開あきながら見て、驚ろいて立ち上った。 下へ降りるや否いなや、いきなり風ふ呂ろ場ばへ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午ひる過すぎなので、それを好い機し会おに、そこへ坐すわって飯を片づける事にした。給仕には例の通り作さくが出た。僕は二ふた口くち三みく口ち無言で飯の塊かたまりを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃びっ驚くりした眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた ﹁いいや、大してどうもしない﹂ ﹁急に御暑うございますから﹂ 僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶を注つがして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混ごた雑ごたするより宅うちにいる方が静しずかで好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。二十九
僕は僕の前に坐すわっている作さくの姿を見て、一ひと筆ふでがきの朝あさ貌がおのような気がした。ただ貴たっとい名家の手にならないのが遺いか憾んであるが、心の中はそう云う種類の画えと同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人ひと柄がらを画に喩たとえて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏かしこまっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆あきれたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証しょ拠うことして、今こん日にちまで自分の頭が他ひとより複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因いん果がでこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶ちゃ碗わんを膳ぜんの上に置きながら、作の顔を見て尊たっとい感じを起した。 ﹁作御前でもいろいろ物を考える事があるかね﹂ ﹁私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから﹂ ﹁考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ﹂ ﹁あっても智ち慧えがございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます﹂ ﹁仕合せだ﹂ 僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。 その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時日ひの限りかけた二階の縁に籐と椅い子すを持ち出して、作が跣はだ足しで庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へ降おりて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女の後あとに跟ついて沓くつ脱ぬぎから上あがったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨あい拶さつを取り替かわす前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。 ﹁叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて﹂ ﹁そりゃありがとう﹂と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょに束つかねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分で随ついて来たのだと云って、作が足を洗っている間まに、母の単ひと衣えを箪たん笥すから出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通り豆まめやかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、﹁でもね久しぶりに好いい気きほ保よ養うをしました。御蔭で﹂と云った。僕にはそれが傍そばにいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。 ﹁泊って行くわ﹂ ﹁どこへ﹂ ﹁そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎて淋さむしいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん﹂ 僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分に逆さからって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭いやがる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。 ﹁千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに﹂ ﹁だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう﹂三十
﹁じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来て貰もらえば好かった﹂ ﹁だから他ひとの云う事を聞いて、もっといらっしゃれば好いいのに﹂ ﹁いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ﹂ ﹁そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの﹂ ﹁云っても断られそうだったから﹂ ﹁あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、厭いやにむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ﹂ ﹁だから千代子について来て貰いたかったのだろう﹂と母が笑いながら云った。 僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木について齎もたらす報道をほとんど確実な未来として予期していた。穏おだやかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母姪めいであった。彼らの各おの自おのは各自に特有な温あたたか味みと清すが々すがしさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。 その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階に上あがって涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒のき端ばに七なな草くさを描かいた岐ぎふ阜ぢょ提うち灯んをかけて、その中に細い蝋ろう燭そくを点つけた。熱いから電灯を消そうと発ほつ議ぎした千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高く上のぼった。柱に凭もたれていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月を看みるのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴な染ずんだ千代子が評した。僕は先さっ刻きの籐と椅い子すの上に腰をおろして団うち扇わを使っていた。作さくが下から二度ばかり上って来た。一度は煙たば草こぼ盆んの火を入れ更かえて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷アイ菓スク子リームを盆に載のせて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代よに生れたように、卑しい召使の位置を生しょ涯うがいの分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴レデ女ーとしてふるまって通るべき気位を具そなえた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起たって梯はし子ごだ段んの傍そばまで行って、もう降りようとする間まぎ際わにきっと振り返って、千代子の後うし姿ろすがたを見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍そばに見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐あわれに眺ながめた。 ﹁高木はどうしたろう﹂という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都つ度ど卑怯だと遠くで罵ののしられるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直じ下かに高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判はっ切きり胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉しっ妬との作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料りょ簡うけんで考えて見ても、どうもほかの名はつけ悪にくいようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事に窮きゅうするよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈みゃ搏くはくの上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉しっ妬とぶ深かい訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一いち言ごんそれにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去った後あとなお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言して憚はばからない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。三十一
千代子の様子はいつもの通り明あけっ放ぱなしなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口を利きいた。それは必ひっ竟きょう腹の中に何も考えていない証しょ拠うこだとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣けん呑のんがって、詫あやまるように悲しい声を出して止とめるのが面白いと云った。その時母は半なかば心配で半ば呆あきれたような顔をして、﹁何ですね女の癖にそんな軽かる機はずみな真似をして。これからは後ごし生ょうだから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけは止よしておくれよ﹂と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁えん側がわの椅子に腰を掛けている僕を顧かえりみて、市いっさんもそう云う御おて転ん婆ばは嫌きらいでしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光の隈くまなく落ちる表を眺ながめていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、﹁しかし高木さんには気に入るんだろう﹂という言葉をその後あとにきっとつけ加えたに違ない。そこまで引き摺ずられなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。 千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜が更ふけて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭に上のぼせなかった。そこに僕ははなはだしい故こ意いを認めた。白い紙の上に一点の暗い印イン気キが落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女にょ性しょうのうちで、最も純粋な一いち人にんと信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技アー巧トを疑い出したのである。その疑うたがいが今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。 ﹁なぜ高木の話をしないのだろう﹂ 僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われる愚おろかさを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなお癇かんが起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲ふと団んを並べて、一つ蚊か帳やの中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必ひっ竟きょうのつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえ厭いやになった。自分がまだ眠られないという弱味を階し下たへ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。 僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字を公おおやけにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。宅うちへ引ひっ込こんで交つき際あいさえしなければそれで宜いい。けれどももし親切を冠かむらない技アー巧トが彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒おと鳥りに僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺しげ戟きして楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺ながめて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。 僕は寝つかれないで負けている自分を口く惜やしく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、室へやの中に隙すき間まもなく蔓はび延こる暗くら闇やみが窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛に堪たえなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急に起たって室へやを明るくした。ついでに縁えん側がわへ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷かな空気を肌と咽の喉どに受けただけであった。三十二
翌あく日るひはいつも一人で寝ている時より一時間半も早く眼が覚さめた。すぐ起きて下へ降りると、銀いち杏ょう返がえしの上へ白地の手てぬ拭ぐいを被かぶって、長なが火ひば鉢ちの灰を篩ふるっていた作さくが、おやもう御おめ目ざ覚めでと云いながら、すぐ顔を洗う道具を風呂場へ並べてくれた。僕は帰りに埃ほこりだらけの茶の間を爪つま先さきで通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊か帳や越ごしに覗のぞいて見たら、目めざ敏とい母も昨きの日うの汽車の疲が出たせいか、まだ静かな眠ねむりを貪むさぼっていた。千代子は固もとより夢の底に埋うずまっているように正体なく枕の上に首を落していた。僕は目あ的てもなく表へ出た。朝の散歩の趣おもむきを久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑ざっ沓とうとに染めつけられない安息日のごとく穏おだやかに見えた。電車の線路が研とぎ澄まされた光を真まっ直すぐに地面の上に伸ばすのも落ちついた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ眼が早く覚さめ過ぎて、中はし有たに延びた命の断片を、運動で埋うめるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも乃ない至し町にも見出す事ができなかった。 一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻って来た。母はどこへ行ったのと聞いたが、後あとから、色いろ沢つやが好くないよ、どうかおしかいと尋ねた。 ﹁昨ゆう夕べ好よく寝られなかったんでしょう﹂ 僕は千代子のこの言葉に対して答うべき術すべを知らなかった。実を云うと、昂こう然ぜんとしてなに好く寝られたよと云いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技アー巧チス家トでなかった。と云って、正直に寝られなかったと自白するには余り自尊心が強過ぎた。僕はついに何も答えなかった。 三人が同じ食卓で朝あさ飯めしを済ますや否いなや、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪かみ結いが来た。洗あらい立たての白い胸掛をかけて、敷しき居いご越しに手を突いた彼女は、御帰りなさいましと親しい挨あい拶さつをした。彼女はこの職業に共通なめでたい口ぶりを有もっていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇の種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう蝶ちょ蝶うちょうしくは饒しゃ舌べり得なかった。髪結はより効きき目めのある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子は固もとより誰彼の容赦なく一様に気きや易すく応対のできる女だったので、御嬢様と呼びかけられるたびに相当の受うけ答こたえをして話を勢はずました。千代子の泳の噂うわさが出た時、髪結は活かっ溌ぱつで宜よろしゅうございます、近頃の御嬢様方はみんな水泳の稽けい古こをなさいますと誰が聞いても拵こしらえたような御世辞を云った。 妙な事を吹ふい聴ちょうするようでおかしいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母が乏ともしい髪を工面して、どうかこうか髷まげに結ゆい上げる様子は、いくら上じょ手うずが纏まとめるにしても、それほど見みば栄えのある画えではないが、それでも退屈を凌しのぐには恰かっ好こうな慰みであった。僕は髪結の手の動く間まに、自然とでき上って行く小さな母の丸まる髷まげを眺ながめていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流に櫛くしを入れたらさぞみごとだろうと思った。千代子は色の美くしい、癖のない、長くて多過ぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでに結いって御貰いなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向って投げかける気が出でに悪くかった。すると偶然にも千代子の方で、何だかあたしも一つ結って見たくなったと云い出した。母は御お結いいよ久しぶりにと誘いざなった。髪かみ結いは是非御上げ遊ばせな、私始めて御おぐ髪しを拝見した時から束そく髪はつにしていらっしゃるのはもったいないと思っとりましたとさも結いいたそうな口ぶりを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐った。 ﹁何に結おうかしら﹂ 髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然市いっさんと呼んだ。 ﹁あなた何が好き﹂ ﹁旦だん那なさ様まも島田が好きだときっとおっしゃいますよ﹂ 僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、﹁じゃ島田に結って見せたげましょうか﹂と笑った。﹁好いだろう﹂と答えた僕の声はいかにも鈍どんに聞こえた。三十三
僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へ上あがった。僕のような神経質なものが拘こだわって来ると、無関係の人の眼にはほとんど小供らしいと思われるような所しょ作さをあえてする。僕は中途で鏡台の傍そばを離れて、美くしい島しま田だま髷げをいただく女が男から強ごう奪だつする嘆賞の租税を免まぬかれたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心に媚こびる好意を有もたなかったのである。 僕は自分で自分の事をかれこれ取り繕つくろって好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長なが火ひば鉢ちの傍はたで起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引き摺ずり落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分で憎にくみ自分で鞭むちうった。 僕は空から威いば張りを卑劣と同じく嫌きらう人間であるから、低くても小ちさくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛かっ藤とうを超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しか有もたない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽きぶ物つが贋んぶ物つの名を加える非礼と僻へき見けんとを憚はばかりたい。が、事実上彼は世俗に拘こう泥でいしない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷あく齪そくしない手を拱こまぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通より品ひんが好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産の御おか蔭げ、年と齢しの御蔭、学問と見識と修養の御蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子が程好く取れているからでもあり、彼と社会の関係が逆ぎゃくなようで実は順じゅんに行くからでもある。――話がつい横道へ外それた。僕は僕のこせこせしたところを余り長く弁護し過ぎたかも知れない。 僕は今いう通り早く二階へ上あがってしまった。二階は日が近いので、階し下たよりはよほど凌しのぎ悪にくいのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らす事にしていたのである。僕はいつもの通り机の前に坐すわったなりただ頬ほお杖づえを突いてぼんやりしていた。今朝煙たば草この灰を棄すてたマジョリカの灰皿が綺きれ麗いに掃そう除じされて僕の肱ひじの前に載のせてあったのに気がついて、僕はその中に現わされた二羽の鵞がち鳥ょうを﹇#﹁鵞鳥を﹂は底本では﹁鷲鳥を﹂﹈眺ながめながら、その灰を空あけた作さくの手を想像に描えがいた。すると下から梯はし子ごだ段んを踏む音がして誰か上って来た。僕はその足音を聞くや否や、すぐそれが作でない事を知った。僕はこうぼんやり屈托しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時に傍そばにあった書物を開けて、先さっ刻きから読んでいたふりをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。 ﹁結いえたから見てちょうだい﹂ 僕は僕の前にすぐこう云いながら坐る彼女を見た。 ﹁おかしいでしょう。久しく結わないから﹂ ﹁大変美くしくできたよ。これからいつでも島田に結ゆうといい﹂ ﹁二三度壊こわしちゃ結い、壊しちゃ結いしないといけないのよ。毛が馴な染ずまなくって﹂ こんな事を聞いたり答えたり三四返へんしているうちに、僕はいつの間にか昔と同じように美くしい素直な邪気のない千代子を眼の前に見る気がし出した。僕の心持が何かの調子で和やわらげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改ためたのか、それは判はん然ぜんと云い悪にくい。こうだと説明のできる捕とらえどころは両方になかったらしく記憶している。もしこの気きや易すい状態が一二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対して抱いだいた変な疑惑を、過去に溯さかのぼって当初から真まっ直すぐに黒い棒で誤解という名の下もとに消し去る事ができたかも知れない。ところが僕はつい不ま味ずい事をしたのである。三十四
それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せに上あがって来たばかりでなく、今日これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを云いにちょっと顔を出したのだと云う事を知った時、僕はつい用意の足りない躓つまずき方をしたのである。 ﹁早いね。もう帰るのかい﹂と僕が云った。 ﹁早かないわ、もう一晩泊ったんだから。だけどこんな頭をして帰ると何だかおかしいわね、御嫁にでも行くようで﹂と千代子が云った。 ﹁まだみんな鎌倉にいるのかい﹂と僕が聞いた。 ﹁ええ。なぜ﹂と千代子が聞き返した。 ﹁高木さんも﹂と僕がまた聞いた。 高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話頭に上のぼすのをわざと憚はばかっていたのである。が、何かの機はず会みで、平いつ生も通りの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、その中に引き込まれた矢先、つい何の気もつかずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問をかけて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。 僕が煮え切らないまた捌さばけない男として彼女から一種の軽けい蔑べつを受けている事は、僕のとうに話した通りで、実を云えば二人の交際はこの黙許を認め合った上の親しみに過ぎなかった。その代り千代子が常に畏おそれる点を、幸さいわいにして僕はただ一つ有もっていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気のすまない者から云うと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、けっして気に入るはずがないのだが、そこにまた妙な見み透すかせない心の存在が仄ほのめくので、彼女は昔から僕を全然知り抜く事のできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これは公おおやけにこそ明言しないが、向うでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥めい々めいのうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。 ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持がした。と云うのは、﹁高木さんも﹂という僕の問を聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれを強あながちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の眼のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見出した試しのない、一種の侮ぶべ蔑つが輝やいたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平ひら手てで横よこ面つらを力任せに打たれた人のごとくにぴたりと止とまった。 ﹁あなたそれほど高木さんの事が気になるの﹂ 彼女はこう云って、僕が両手で耳を抑おさえたいくらいな高笑いをした。僕はその時鋭どい侮辱を感じた。けれどもとっさの場合何という返事も出し得なかった。 ﹁あなたは卑ひき怯ょうだ﹂と彼女が次に云った。この突然な形容詞にも僕は全く驚ろかされた。僕は、御前こそ卑怯だ、呼ばないでもの所へわざわざ人を呼びつけて、と云ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向うと同じ程度の激語を使うのはまだ早過ぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして﹁なぜ﹂というわずか二字の問をかけた。すると千代子の濃い眉まゆが動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を充分自覚していながら、たまたま他ひとの指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、取とり繕つくろって空そらっとぼけるものとこの問を解釈したらしい。 ﹁なぜって、あなた自分でよく解ってるじゃありませんか﹂ ﹁解らないから聞かしておくれ﹂と僕が云った。僕は階し下たに母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよく呑のみ込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ちつかせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつ緩ゆるい調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。 ﹁それが解らなければあなた馬鹿よ﹂ 僕はおそらく平いつ生もより蒼あおい顔をしたろうと思う。自分ではただ眼を千代子の上にじっと据すえた事だけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の眼が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方共しばらくそこに止とまっていた事も記憶している。三十五
﹁千代ちゃんのような活かっ溌ぱつな人から見たら、僕見たいに引ひっ込こみ思じあ案んなものは無論卑ひき怯ょうなんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、またはそのまま所しょ作さにあらわしたりする勇気のない、極きわめて因いん循じゅんな男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方がないが……﹂ ﹁そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか﹂ ﹁しかし軽けい蔑べつはしているだろう。僕はちゃんと知ってる﹂ ﹁あなたこそあたしを軽蔑しているじゃありませんか。あたしの方がよっぽどよく知ってるわ﹂ 僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。 ﹁あなたはあたしを学問のない、理りく窟つの解らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです﹂ ﹁それは御前が僕をぐずと見みく縊びってるのと同じ事だよ。僕は御前から卑怯と云われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃ御前の方が間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯なふるまいをした覚おぼえはないはずだ。ぐずとか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、何だか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞えてはなはだ心持が悪いから訂正して貰いたい。それとも今いった意味で、僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう﹂ ﹁じゃ卑怯の意味を話して上げます﹂と云って千代子は泣き出した。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単に優やさしい一図から出た女おん気なぎの凝こり塊かたまりとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝気に充ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙の間からいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女の唇くちびるを洩もれるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかに何もあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女は濡ぬれた睫まつ毛げを二三度繁しば叩たたいた。 ﹁あなたはあたしを御おて転ん婆ばの馬鹿だと思って始しじ終ゅう冷笑しているんです。あなたはあたしを……愛していないんです。つまりあなたはあたしと結婚なさる気が……﹂ ﹁そりゃ千代ちゃんの方だって……﹂ ﹁まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれで宜ようござんす。何も貰もらって下さいとは云やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……﹂ 彼女はここへ来て急に口くち籠ごもった。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まだ覚さとれなかった。﹁御前に対して﹂と半なかば彼女を促うながすように問をかけた。彼女は突然物を衝つき破った風に、﹁なぜ嫉しっ妬となさるんです﹂と云い切って、前よりは劇はげしく泣き出した。僕はさっと血が顔に上のぼる時の熱ほてりを両方の頬ほおに感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。 ﹁あなたは卑ひき怯ょうです、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料りょ簡うけんさえあなたはすでに疑うたぐっていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたは他ひとの招待に応じておきながら、なぜ平ふだ生んのように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥を掻かいたも同じ事です。あなたはあたしの宅うちの客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています﹂ ﹁侮辱を与えた覚はない﹂ ﹁あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです﹂ ﹁そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ﹂ ﹁男は卑怯だから、そう云う下らない挨あい拶さつができるんです。高木さんは紳士だからあなたを容いれる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです﹂松本の話
一
それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍はたで見ていると、二人の関係は昔から今こん日にちに至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘うそを、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。 あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、極きわめてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免まぬかれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因いん果がと見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍はたのものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一いっ対ついを形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸かもす目的で夫婦になったと同様の結果に陥おちいるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択えらぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成なり行ゆきに任せて、自然の手で直接に発展させて貰もらうのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのと要いらぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須すな永がの姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例ためしは何度もある。けれども天の手てぎ際わで旨うまく行かないものを、どうして僕の力で纏まとめる事ができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。 須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質が余りよく似ているので驚ろいている。僕自身もどうしてこんな変り者が親類に二人揃そろってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料りょ簡うけんでは、市蔵の今こん日にちは全く僕の感化を受けた結果に過ぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでも有もっている内で、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわが甥おいに及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度に顧かえりみて、この非難をもっともだと肯がえんずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差さし支つかえない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上った偏へん窟くつ人じんのように見み傚なして、同じ眉まゆを僕らの上に等しく顰ひそめるのは疑もなく誤っている。 市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろを捲まき込む性た質ちである。だから一つ刺しげ戟きを受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうしてどこまで喰い込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃のがれたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪のろいのごとくに引っ張られて行く。そうしていつかこの努力のために斃たおれなければならない、たった一人で斃れなければならないという怖おそれを抱いだくようになる。そうして気きち狂がいのように疲れる。これが市蔵の命めい根こんに横よこたわる一大不幸である。この不幸を転じて幸さいわいとするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲まき出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために眼を使う代りに、頭で外にある物を眺ながめる心持で眼を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、優やさしいものか、を見出さなければならない。一口に云えば、もっと浮うわ気きにならなければならない。市蔵は始め浮気を軽けい蔑べつしてかかった。今はその浮気を渇望している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩へん々ぺんたる軽薄才子になりたいと心しんから神に念じているのである。軽薄に浮かれ得るよりほかに彼を救う途みちは天下に一つもない事を、彼は、僕が彼に忠告する前に、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないでもがいている。二
僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗あんに恨うらまれているが、僕自身もその点については疚やましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術すべを心得なかったのである。ただ自分の好こう尚しょうを移せるだけ市蔵の上に移せばそれで充分だという無分別から、勝手しだいに若いものの柔らかい精神を動かして来たのが、すべての禍わざわいの本もとになったらしい。僕がこの過失に気がついたのは今から二三年前である。しかし気がついた時はもう遅かった。僕はただなす能力のない手を拱こまぬいて、心の中うちで嘆息しただけであった。 事実を一いち言ごんでいうと、僕の今やっているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵にはけっして向かないのである。僕は本来から気の移りやすくでき上った、極きわめて安価な批評をすれば、生れついての浮うわ気きものに過ぎない。僕の心は絶えず外に向って流れている。だから外部の刺しげ戟きしだいでどうにでもなる。と云っただけではよく腑ふに落ちないかも知れないが、市蔵は在来の社会を教育するために生れた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好い年をしながら、まだ大変若いところがあるのに引き更かえて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移って行くだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜ひそんでいる。そこに僕の短所があり、また僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨こっ董とうを捻ひねくれば寂さびた心持になる。そのほか寄よ席せ、芝居、相すも撲う、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然に己おのれなき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物を有もっていない男である。彼の欠点を補なう――というより、彼の不幸を切りつめる生活の径路は、ただ内に潜もぐり込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類が恨うらむのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合せと思っているくらいである。 今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨あい拶さつをしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活いけ花ばなの歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝すぐれないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た。彼は妻さいとも仲が善よかったので、あるいは茶の間で話でもしている事かと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部屋だろうというので、縁伝いに戸ドアーを開けると、彼は咲子の机の前に坐すわって、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺めていた。その時彼は僕を顧かえりみて、今こういう美人を発見して、先さっ刻きから十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が眼の前にある間、頭の中の苦痛を忘れて自おのずから愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂うか闊つだと云った。それほど気に入った顔ならなぜ名前から先に頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受ける事も不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまた何の必要があって姓名や住所を記憶するかと云った風の眼めづ使かいをして僕の注意を怪しんだ。 つまり僕は飽あくまでも写真を実物の代表として眺ながめ、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、本当の位置や身分や教育や性情がつけ加わって、紙の上の肖像を活いかしにかかったなら、彼はかえって気に入ったその顔まで併あわせて打ち棄ててしまったかも知れない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。三
市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思は固もとより田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑がん固こなものであった。僕は女に理りく窟つを聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背そむくのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑ふに落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めて穏おだやかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返して憚はばからない婦人に共通な特性を一人前以上に具そなえていた。僕は彼女の執しつ拗ようを悪にくむよりは、その根気の好よ過すぎるところにかえって妙な憐あわれみを催もよおした。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女の請こいを快よく引受けた。 僕がこの目的を果はたすために市蔵とこの座敷で会見を遂とげたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳ちん腐ぷなものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口く説どかれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待って呉くれろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。 僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏まといつくに違ないと勘かん定ていして、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻ひるがえさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段に過ぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃ無いかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのは山々であると答えた。けれども千代子を貰もらおうとはけっして云わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかも知れないと云い切った。もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔を眺ながめていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏い怖ふというと仰ぎょ山うさんすぎるし、同情というとまるで憐あわれっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手を諦あきらめてしまわなければならない絶望に、ある凄すご味みと優やさし味みをつけ加えた特殊の表情であった。 市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌きらわれるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。なぜそんな愚ぐ痴ちを零こぼすのかと窘たしなめるような調子で反問を加えた。 ﹁愚痴じゃありません。事実だから云うのです﹂ ﹁じゃ誰が御前を嫌っているかい﹂ ﹁現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか﹂ 僕は再び驚ろかされた。あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌けん悪おの念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛った。 ﹁おれが何で御前を悪にくむ必要があるかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな﹂ 市蔵は叱られて激した様子もなくますます蒼あおい顔をして僕を見つめた。僕は燐りん火かの前に坐すわっているような心持がした。四
﹁おれは御前の叔父だよ。どこの国に甥おいを憎にくむ叔父があるかい﹂ 市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄い唇くちびるを反そらして淋さみしく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透すかし見た。自白するが、彼は理解の上において僕よりも優すぐれた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるような愚ぐをなるべく慎んで外に出さない用心を怠おこたらなかった。けれども時々は、つい年長者の傲おごる心から、親しみの強い彼を眼がん下かに見みく下だして、浅薄と心ここ付ろづきながら、その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。賢かしこい彼は僕に恥を掻かかせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所しょ作さをあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都つ度ど彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。 ﹁そりゃ広い世の中だから、敵かた同きど志うしの親子もあるだろうし、命を危あやめ合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋つながっている以上は、繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻ひがみがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。傍はたから見ていても不愉快だ﹂ ﹁だから叔父さんまで嫌きらっていると云うのです﹂ 僕は返事に窮した。自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。 ﹁僻みさえさらりと棄すててしまえば何でもないじゃないか﹂と僕はさも事もなげに云って退のけた。 ﹁僕に僻ひがみがあるでしょうか﹂と市蔵は落ちついて聞いた。 ﹁あるよ﹂と僕は考えずに答えた。 ﹁どういうところが僻んでいるでしょう。判はっ然きり聞かして下さい﹂ ﹁どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ﹂ ﹁じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう﹂ ﹁そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう﹂ ﹁あなたは不親切だ﹂と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。僕はまずその調子に度どを失った。次に彼の眼の色を見て萎いし縮ゅくした。その眼はいかにも恨うらめしそうに僕の顔を見つめていた。僕は彼の前に一いち言ごんの挨あい拶さつさえする勇気を振い起し得なかった。 ﹁僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないから独ひとりで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身から体だも続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした﹂ 僕は頬ほおを伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴な染じんで今こん日にちに及んだ彼と僕との間に、こんな光シー景ンはいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂こう奮ふんした青年をどう取り扱っていいかの心得が、僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。僕はただ茫ぼう然ぜんとして手を拱こまぬいていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕を有もたなかった。 ﹁僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間の中うちであなたを一番信用しているから聞いたのです。あなたはそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生しょ涯うがいの敵としてあなたを呪のろいます﹂ 市蔵は立ち上った。僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。五
僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上うわ滑すべりにならなければ必ず神経衰弱に陥おちいるにきまっているという理由を、臆おく面めんなく聴衆の前に曝ばく露ろした。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏ほとけですましていた昔が羨うらやましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退しりぞいた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういう苦にがい真理を承うけたまわらなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫つかもうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層見みじ惨めに違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺そそいだ。 これは単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉を有もたない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対する前からの行ゆきがかりさえなければ、打ち明けないはずだったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。 僕は誰にでも明言して憚はばからない通り、いっさいの秘密はそれを開放した時始めて自然に復かえる落らく着ちゃくを見る事ができるという主義を抱いだいているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今こん日にちまでに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時に溯さかのぼって、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落と云ってもいいくらいである。今考えて見ると、僕が市蔵に呪われる間まぎ際わまで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母おや子この間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。 市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交まじわりの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一ひと口くちでいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一いち言げんつけ加えると、本当の母子よりも遥はるかに仲の好い継まま母ははと継まま子こなのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽けい蔑べつしても差さし支つかえないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括くくりつけられている。どんな魔の振る斧おのの刃はでもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖こわがる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。 僕はその時の問答を一々くり返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固もとよりそれほどの大事件とも始から見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまり何でもない事のように話したのだが、市蔵はそれを命がけの報知として、必死の緊張の下もとに受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口に約つづめて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経たった昔の話だから、僕も詳しい顛てん末まつは知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下さがった妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表おも向てむき自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子として愛いつくしむ考も無論手伝ったに違ない。実際彼らは君の見るごとく、また吾われ々われの見るごとく、最も親しい親子として今こん日にちまで発展して来たのだから、御互に事情を明あかし合ったところで毫ごうも差さし支つかえの起る訳がない。僕に云わせると、世間にありがちな反そりの合あわない本当の親子よりもどのくらい肩身が広いか分りゃしない。二人だって、そうと知った上で、今までの睦むつまじさを回顧した時の方が、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美くしい点を力のあらん限り彩いろどる事を怠おこたらなかった。六
﹁おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前の僻ひがみだ。解ったかな﹂ ﹁解りました。善よく解りました﹂と市蔵が答えた。僕は﹁解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのは止よしにしようよ﹂と云った。 ﹁もう止します。もうけっしてこの事について、あなたを煩わずらわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常に怖こわかったです。胸の肉が縮ちぢまるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。淋さびしいです。世の中にたった一人立っているような気がします﹂ ﹁だって御母さんは元の通りの御母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰も御前に対して変るものはありゃしないんだよ。神経を起しちゃいけない﹂ ﹁神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれから宅うちへ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想しても淋さむしくってたまりません﹂ ﹁御母さんには黙っている方がよかろう﹂ ﹁無論話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分りません﹂ 二人は黙もく然ねんとして相対した。僕は手ても持ち無ぶ沙さ汰たに煙たば草こぼ盆んの灰はい吹ふきを叩いた。市蔵はうつむいて袴はかまの膝ひざを見つめていた。やがて彼は淋さみしい顔を上げた。 ﹁もう一つ伺っておきたい事がありますが、聞いて下さいますか﹂ ﹁おれの知っている事なら何でも話して上げる﹂ ﹁僕を生んだ母は今どこにいるんです﹂ 彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥ひだ立ちが悪かったせいだとも云い、または別の病やまいだとも聞いているが、これも詳しい話をしてやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうてい餓うえた彼の眼を静めるに足りなかった。彼の生せい母ぼの最後の運命に関する僕の話は、わずか二三分で尽きてしまった。彼は遺いか憾んな顔をして彼女の名前を聞いた。幸さいわいにして僕は御おゆ弓みという古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年と齢しを問うた。僕はその点に関して、何という確しかとした知識を有もっていなかった。彼は最後に、彼の宅うちに奉公していた時分の彼女に会った事があるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦もう朧ろうとしていた。事実僕はその当時十五六の少年に過ぎなかったのである。 ﹁何でも島田に結いってた事がある﹂ このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦あきらめたという眼つきをして、一番しまいに、﹁じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋うまっているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから﹂と云った。けれども御弓の菩ぼだ提い所じを僕が知ろうはずがなかった。僕は呻しん吟ぎんしながら、已やむを得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。 ﹁御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか﹂ ﹁まああるまいね﹂ ﹁じゃ分らないでもよござんす﹂ 僕は市蔵に対して気の毒なようなまたすまないような心持がした。彼はしばらく庭の方を向いて、麗うららかな日ひあ脚しの中に咲く大きな椿つばきを眺ながめていたが、やがて視線をもとに戻した。 ﹁御母さんが是非千代ちゃんを貰えというのも、やっぱり血統上の考えから、身みよ縁りのものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね﹂ ﹁全くそこだ。ほかに何にもないんだ﹂ 市蔵はそれでは貰おうとも云わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。七
この会見は僕にとって美くしい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合う事ができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生れて始めての慰いし藉ゃではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善い功くど徳くを施こしたという愉快な感じが残ったのである。 ﹁万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい﹂ 僕は彼を玄関に送り出しながら、最後にこういう言葉を彼の背に暖かくかけてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだまずかった。已やむを得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片をつけると云っているから、それまで待つが好かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまず宥なだめておいた。 僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工くふ夫うした。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無むぞ雑う作さであった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。 ﹁けれども必竟は本人のために嫁かた入づけるんで、︵そう申しちゃ角が立つが、︶姉さんや市蔵の便べん宜ぎのために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから﹂ ﹁ごもっともだ﹂と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並の交つき際あいをしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向うから相談を受けた例ためしも有もたないのである。それで今こん日にちまで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどその噂うわさを耳にしなかった。ただ前の年鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って、気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛あい嬌きょうらしく笑って、高木は始めから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰でも候補者になり得る権利は有っているのだから、候補者でないとはけっして断言できないとも告げた。この曖あい昧まいな男の事を僕はなお委くわしく聞いて見て、彼が今上シャ海ンハイにいる事を確かめた。上海にいるけれどもいつ帰るか分らないという事も確かめた。彼と千代子との間柄はその後何らの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父ふ母ぼが眼を通した上で本人の手に落つるという条件つきの往復であるという事まで確めた。僕は一も二もなく、千代子には其そ男れが好いじゃないかと云った。田口はまだどこかに慾があるのか、または別に考かんがえを有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。 僕と市蔵はその後久しく会わなかった。久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈くっ托たくしなければならない彼の事が非常に気にかかった。僕はそっと姉を訪たずねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕ゆうべを僕と会食するために割さかせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩ばん餐さんを食いながら、ひそかに彼の様子を窺うかがった。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満まん更ざらの虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情なさけなそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖こわくってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗じょ談うだんらしくもあり、また真ま面じ目めらしくもあるこの言葉が、妙に憐あわれ深い感じを僕に与えた。八
若葉の時節が過ぎて、湯ゆあ上がりの単ひと衣えの胸に、団うち扇わの風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るや否いなや僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨きの日うようやくすんだと答えた。そうして明あ日すからちょっと旅行して来るつもりだから暇いと乞まごいに来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須す磨ま明あか石しを経て、ことに因よると、広島辺へんまで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的大おお袈げ裟さなのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意を仄ほのめかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨あい拶さつをした。そんな事に気を遣つかう叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思い立たちが及落の成績に関係のない別方面の動機から萌きざしているという事を発見した。 ﹁実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎に坐すわっている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途で已やめなかったのが感心だぐらいに賞ほめて許して下さい﹂ ﹁そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差さし支つかえはないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい﹂ ﹁ええ﹂と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、﹁実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです﹂とつけ足した。 ﹁不愉快になるのか﹂と僕はむしろ厳おごそかに聞いた。 ﹁いいえ、ただ気の毒なんです。始めは淋さびしくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今こん度だの旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕なら供ともをする気で留る守すを叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母の傍そばを離れたらという気ばかりして﹂ ﹁困るね、そう変になっちゃあ﹂ ﹁僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そう旨うまくはいかないもんでしょうか﹂ 市蔵はさも懸けね念んらしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事を他ひとに尋ねて安心したいと願う彼の胸の裏うちを憐あわれに思った。上うわ部べはいかにも優しそうに見えて、実際は極きわめて意地の強くでき上った彼が、こんな弱い音ねを出すのは、ほとんど例ためしのない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。 ﹁そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るが好いい。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い﹂ 市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰いし藉ゃの言葉が、明めい晰せきな頭脳を有もった市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。 ﹁おれもいっしょに行こうか﹂ ﹁叔父さんといっしょじゃ﹂と市蔵が苦笑した。 ﹁いけないかい﹂ ﹁平ふだ生んならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……﹂ ﹁じゃ止よそう﹂と僕はすぐ申し出を撤回した。九
市蔵が帰った後あとでも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背し負ょって立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいた妻さいを呼んで、相談かたがた理わ由けを話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんで市いっさんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、独ひとりで受合っていた。 ﹁すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね﹂ ﹁そうですとも、誰だってあなたの懐ふと手ころでばかりして、舶来のパイプを銜くわえているところを見れば、心配になりますわ﹂ そのうち子供が学校から帰って来て、家うちの中が急に賑にぎやかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えず冷ひやりとした。 姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無ぶ沙さ汰たの詫わびやら、時候の挨あい拶さつやらを長々しく妻さいと交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。 ﹁市蔵が明あ日すから旅行するって云うじゃありませんか﹂と僕は好い加減な時分に聞き出した。 ﹁それについてね……﹂と姉はやや真ま面じ目めになって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、﹁なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使った後あとだもの。少しは楽もさせないと身から体だの毒になるから﹂とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉は固もとより同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行に堪たえるかどうかを気きづ遣かうだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味を有もっているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額に刻きざんで、﹁恒つねさん、先さっ刻き市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい﹂と聞いた。 ﹁何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御おせ仙ん﹂ ﹁ええちっとも違っておいでじゃありません﹂ ﹁わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね﹂ ﹁どんななんです﹂ ﹁どんなだと云われるとまた話しようもないんだが﹂ ﹁全く試験のためだよ﹂と僕はすぐ打ち消した。 ﹁姉さんの神きで経んですよ﹂と妻も口を出した。 僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納なっ得とくしたらしい顔つきをして、みんなと夕ゆう食めしを共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉の傍そばに席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。 僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢やら来いまで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗とう留りゅうするなら逗留する所から、必ず音たよ信りを怠おこたらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。 僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。 僕を迎むかえに玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、明あくる日は新橋へ見送りにも行かなかった。十
約束の音たよ信りは至る所からあった。勘かん定じょうすると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画えは端が書きに二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、妻さいからよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛あい想そもなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅めっ多たにあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見み傚なす女であった。そうして両方とも嘘うそと信じて疑わないほど浪ロマ漫ン斯スに縁の遠い女であった。 端書に満足した僕は、彼の封筒入の書しょ翰かんに接し出した時さらに眉まゆを開いた。というのは、僕の恐れを抱いだいていた彼の手が、陰いん欝うつな色に巻紙を染めた痕こん迹せきが、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかに鮮あざやかに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。 彼の気分を変化するに与あずかって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上かみ方がた地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺しげ戟きになったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云う滑なめらかで静かな調子が、鎮ちん経けい剤ざい以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効きき目めが多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。―― ﹁僕はこの辺の人の言葉を聞くと微かすかな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭いやだと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金こん米ぺい糖とうのような調子を得意になって出します。そうして聴きき手ての心を粗暴にして威張ります。僕は昨きの日う京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕みの面おという紅もみ葉じの名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓たに川がわがあって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶ク楽ラ部ブとかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這は入いって見ると、幅の広い長い土間が、竪たてに家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷しき瓦がわらで敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵こしらえたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦かわらを畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇だそ足くに書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御おば婆あさんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅い子すに腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這は入いるや否いなや、友人の顔を見て挨あい拶さつをしました。そうして﹃おや御ごめ免んやす。今八十六の御婆さんの頭を剃そっとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん﹄と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫なでて﹃大きに﹄と礼を述べました。友人は僕を顧かえりみて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢のん気びりした心持がしました。僕はこういう心持を御おみ土や産げに東京へ持って帰りたいと思います﹂ 僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。十一
次のは明あか石しから来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をより鮮あざやかに現わしている。 ﹁今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙たば草こを呑んで海の方を眺ながめていると、――海はつい庭先にあるのです。漣さざなみさえ打たない静かな晩だから、河かわ縁べりとも池の端はたとも片のつかない渚なぎさの景けし色きなんですが、そこへ涼み船が一艘そう流れて来ました。その船の形かっ好こうは夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えない穏おだやかな形を具そなえていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提ちょ灯うちんがいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人が坐すわっているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣そう体たいがいかにも落ちついて、滑すべるように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御お祖じ父いさんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんは固もとより御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟ふね遊あそびを実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾あや瀬せが川わまで漕こぎ上のぼせて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀ぎん扇せんを開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇の要かなめがぐるぐる廻って、地じが紙みに塗った銀ぎん泥でいをきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競きそう光景は想像しても凄せい艶えんです。御お祖じ父いさんは銅どう壺この中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳とく利りの燗かんをした後あとをことごとく棄すてさしたほどの豪ごう奢しゃな人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅ぜい沢たくなところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早はや合がて点んなさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈くっ托たくしていないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦にがい意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇ほう間かんを大勢集めて、鞄かばんの中から出した札さつの束たばを、その前でずたずたに裂いて、それを御ごし祝ゅう儀ぎとか称となえて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着た﹇#﹁着た﹂は底本では﹁来た﹂﹈まま湯に這は入いって、あとは三さん助すけにくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢極きわまるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪にくみました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所しょ行ぎょうを見ると、強盗が白しら刃はの抜身を畳に突き立てて良民を脅おび迫やかしているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕きょ奢うしゃに近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍おどり狂う人の、一転化の後のちを想像して、怖こわくてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮うわ気きになって行きます。賞ほめて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭いやな東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶なまめかしい女の声も交まじっていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更ふけましたから、僕も休みます﹂十二
﹁昨ゆう夕べも手紙を書きましたが、今日もまた今こん朝ちょう以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文ふみをやる所がないものだから、已やむを得ず姉と己おれに対してだけ、時間を費ついやして音たよ信りを怠おこたらないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執とりながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰もらわないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上あがって海を見みお下ろしていると、そういう幸福な二人連が、磯いそ通づたいに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋こう傘もりを翳さして、素足に着物の裾すそを少し捲まくりながら、浅い波の中を、男と並んで行く後うし姿ろすがたを、僕は羨うらやましそうに眺ながめたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸おかに近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透すいて見えます。泳いでいる海くら月げさえ判はっ切きり見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所しょ作さが、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。︵午前七時半︶﹂ ﹁今度は西洋人が一人水に浸つかっています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。﹃ユー、カム、ヒヤ﹄と云って英語を使います。﹃イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター﹄と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流りゅ暢うちょうで羨うらやましいくらい旨うまく出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸つけたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執とって、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦すくめるようにして拒こばみました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱だきました。女の跳はねて水を蹴ける音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。︵午前十時︶﹂ ﹁今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端ボー艇トを漕こぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極きわめて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖こわいからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫びっ驚くりして見せる科しなが、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋つないである和船に向って、船頭はん、その船空あいていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御ごち馳そ走うを入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦ビー酒ルだの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝かん心じんの御客はよほど威勢のいい男で、遥はるか向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒くろ裸はだかの浦の子僧を一人生いけ捕どっていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根こんかぎりの大きな声で、阿あほ呆うと呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕こぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。︵午前十一時︶﹂ ﹁僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物もの数ず奇きだと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証しょ拠うこなのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭いとわなくなったのも、つまりは考えずに観みるからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已やまないのです。白しら帆ほが雲のごとく簇むらがって淡あわ路じし島まの前を通ります。反対の側の松山の上に人ひと丸まるの社やしろがあるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑ひまがあったらついでだから行って見ようと思います﹂結末
敬けい太たろ郎うの冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這は入いって、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして﹁世間﹂を聴く一種の探たん訪ぼうに過ぎなかった。
彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪りん廓かくと表面から成る極きわめて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充みちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙すき間まが、瓦ガ斯スに似た冒険譚だんで膨ぼう脹ちょうした奥に、彼は人間としての森本の面おも影かげを、夢ゆめ現うつつのごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。
彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺ながめているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋つながれていながら、まるで毛色の異ことなったこの二人の対照を胸に据すえて、幾分か己おのれの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。
彼は千代子という女にょ性しょうの口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙じょせられた﹁死﹂は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画えを見るようなところに、彼の快感を惹ひいた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃のがれるために已やむを得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱いだいていたい意味から出る涙が交まじっていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐あわれであった。彼は雛ひな祭まつりの宵よいに生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可かれ憐んに聞いた。
彼は須すな永がの口から一ひと調ちょ子うし狂った母おや子この関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有もつ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因いん果がに纏てん綿めんされていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦あきらめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必ひっ竟きょう夫婦として作られたものか、朋ほう友ゆうとして存在すべきものか、もしくは敵かたきとして睨にらみ合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆かって彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜くわえて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委くわしく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審つまびらかにした。
顧かえりみると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今こん日にちまでの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋ステ杖ッキを大事そうに突いて、電車から下りる霜しも降ふりの外がい套とうを着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後あとを跟つけたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載のせて眺ながめると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児じ戯ぎであった。彼はそれがために位い地ちにありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑こっ稽けいの意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真ま面じ目めな、行動に過ぎなかった。
要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾いく席せきかの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸ぜん々ぜん深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這は入いれなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇へびの頭を呪のろい、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流るて転んして行くだろうかを考えた。