帽子***
1・5
サンデー毎日
若い英文学者のN氏は、神戸のある高等専門学校で語学の教師をつとめてゐた。
その日は学期試験があつたので、朝九時から正午少し前まで、N氏は教室に詰切つてゐなければならなかつた。正午の休み時間に手早く食事ををはつたN氏は、日あたりのいい廊下で日なたぼつこをしながら、自分とさうさう年齢の違ひはない学生を相手に無駄口をきいてゐた。
そこへ小使が電話がかかつてゐると知らせて来た。出てみると近所の家からの取次で、分娩期が五六日後に近づいてゐた妻が、朝N氏が出て行つた後で急に虫がかぶつて来て、つい今しがた安産した。二人とも無事だから安心してほしいといふ知らせだつた。
﹁何だ。もう産れたのか。あんまりあつけなさ過ぎるぢやないか。あんなにお産を怖がつてた癖に。ことによると、お産を怖いものにいふのは、女全体を通じての嘘かも知れないぞ。――だが、まあ無事で何よりだつた。早速国元の両親のとこへ知らせてやらなくつちや……﹂
N氏はその足ですぐに校門を飛び出して、程近い郵便局に急いだ。
局の入口を入つたN氏はふと何か思ひついたものがあるやうにそこに立どまつた。彼は産れた児この男だか女だかを聞いてゐなかつたのだ。
﹁困つたな。どつちだらう。先さつ刻きの電話では唯あかんぼとばかしで、男だとも女だともいはなかつた。いはないところをみると或は女かも知れないが、さうかといつて、当てずつぽに女ときめる訳にも行かないし、困つたなあ……﹂
N氏は当惑してしまつた。産れた児の男だか女だかを知らないうちは、国元へ電報の打ちやうがなかつた。ふと気がつくと、街頭の人ごみのなかから、こちらを見てにこにこ笑つてゐる若い顔があつた。その男は彼が勤めてゐる学校の制帽をきてゐた。
彼はづかづかと若い学生の方へ歩み寄つた。
﹁君、うちのあかんぼが男だか女だか知つてゐますか。﹂
﹁お宅の赤ちやん……﹂若い学生は自分を詰問するやうな教師の顔を見てまごまごした。﹁赤ちやんがどうかなすつたのですか。﹂
﹁さつき宅からあかんぼが産れたと知らせて来たんだが、男だか女だかついきくのを忘れたんだ……﹂
﹁それはおめでたうございます。﹂若い学生は帽子を脱いで丁寧にお辞儀をした。﹁しかし、先生にお解りにならんことが、僕に解らうはずがありませんよ。﹂
﹁それぢや、何だつて僕の顔を見てにやにや笑つてゐたんだ。﹂N氏はきめつけるやうにいつた。﹁あれを見ると、僕が君にあかんぼの一件を知られたなと思ふのに不思議はないぢやないか。﹂
﹁でも、先生が帽子もおかぶりにならないで、こんな人通りの中を……﹂
若い学生は弁いひ疏わけがましくいつて、泣き出しさうな顔になつた。
﹁帽子をかぶらない?﹂N氏は頭へ手をやつた。なるほど帽子はかぶつてゐなかつた。
﹁しかし、帽子をかぶらないのが、そんなにをかしいことかしら。﹂
﹁でも、町を行く人はみんな帽子をきてるぢやありませんか。﹂
﹁さうかなあ。﹂
N氏は自分の周囲を見廻した。若い学生のいふ通りに皆それぞれ帽子をきてゐた。そしてこんな街頭を帽子もきないでうろうろしてゐるN氏の頭に、何か大きな禿でも見つけたかのやうに嘲笑の色を浮べて、わざわざ振向いて見てゆくのもあつた。
﹁帽子をきるといふのが、そんなにたいしたことかしら。――よし、そんなら俺にも考へがある。今度産れたあかんぼには、すばらしく立派な奴をきせてやるから……﹂
彼はさう思つて、雄鶏のやうにあたりにきつと挑みかけるらしい眼つきをした。
贈り物・貰ひ物
1・12
サンデー毎日
一
近頃人に物を贈つたり、人から物を貰つたりして、とかくよくない評判を立てられる人が多い。――といふのは、物を贈つたり、または貰つたりするほんたうの心がけをわきまへないからによることなのだ。 むかし徳川家光治世の時のことであつた。ある日伊達政宗が将軍家のいひつけで、お茶を献じようとお勝手元でその支度にとりかかつてゐた。するとそこへいそいそと入つて来たのが佐久間将監で、手にはお茶入をもつてゐた。 ﹁これを政宗に下さるによつて、これにてお茶を立てよとの御意にござります。﹂ 政宗は一寸尻目にお茶入を見たやうだつたが、手に取上げようともしなかつた。 ﹁どうかそのままおしまひおき下さいますやうに。﹂ 将監は自分の言葉が相手に聞えなかつたものと思つて、今一度声を高めていつた。 ﹁上様よりこれを政宗に下さるによつて……﹂ 政宗の返辞は同じだつた。 ﹁どうかそのままおしまひおき下さいますやうに。﹂ 将監はけげんさうな顔をして、お茶入を手に、起たつて奥へ入つて行つた。そして家光にこの趣きを言上した。 ﹁さうか。﹂それを聞く家光の口もとには、微笑が漂つてゐた。﹁もつともなことだ。茶入はそれへおいておけ。﹂ 暫くすると政宗が入つて来た。その時家光は袖の中からお茶入を一つとり出した。それは将軍家秘蔵の木この葉はさ猿るとして聞えたものだつた。 ﹁これをそなたに取らせる。﹂ ﹁有難く頂戴仕つかまつりまする。﹂政宗は両手を差し延べてそのお茶入を拝領した。﹁先刻将監が、御意のよしにてお勝手もとに何やら持参いたしましたやうに見受けましたが、大切なお道具をお台所にて拝領いたしますのもいかがかと存じまして、一応御辞退を仕りましたやうな次第で……﹂ 家光は心から動かされた。この荒々しい武将のどこにそんな細かい心遣ひが蔵かくされてゐるのだらうかと、今更のやうに前にゐる相手の、荒削りのやうな相貌に見とれてゐるらしかつた。二
千利休の家に、名物の石燈籠が一つあつた。その形が高雅で一風変つてゐるので、主ある人じの宗匠はそれを愛撫しておかなかつた。
太閤秀吉がそれを聞くと、いつもの癖ですぐに所望して来た。秀吉は人並はづれた気まま者で、名高い聚楽第を造営した当時などは、洛中洛外の目ぼしい名木は、根こそぎ持つて行かれ、その頃松の名所として知られた吉田山といつたやうなところは、お蔭で禿山にせられたといふ程だつたから、相手が誰であらうが、欲しいものを所望するのに少しも遠慮はしなかつた。
太閤が所望の由を聞くと、利休はすぐさま石燈籠の前に立つた。その美しい蕨わら手びての一つは、無残にも主人の手で打ち落されてしまつた。
利休はいつた。折角の上意ではあるが、大切な蕨手に傷のついたものを、今更上覧には供せられまいと。
利休は後になつて、その石燈籠を細川三斎に贈つた。この石の持つ高雅な味ひがわからうといふものは、その頃の茶人を通じて三斎をおいて外にないといふのが、利休の考へらしかつた。
三斎は利休の心をこの上もなく喜んだ。彼はその石燈籠を自分の居間近くに据ゑて、朝夕その風情を見ては楽しんだ。そして参覲交代のをりにも、わざわざそれを輿側に持ち運ばせ、途中の旅やどりには、何をおいても庭さきで先づそれを賞観するを忘れなかつたさうだ。
彫刻
1・19
サンデー毎日
一
欧洲大戦争の当時、彫刻家ロダンが、ロオマへ旅をして、法王の頂ちん相ざうを刻んだことがあつた。彫刻といふものに何の理解もない法王は、この芸術家の折角の注文を仇あだに聞き過して、どうしても定めの椅子につかうとしなかつた。そんなことが繰り返されて、三度目に法王は塑像用の粘土を不思議さうに見まもりながら、 ﹁これは何かね。﹂ と、ロダンにきいたといふことだ。あとで彫刻家は知合の誰彼にこの話をして、 ﹁あれは馬鹿だね。﹂ といつて笑つてゐたさうだ。二
紀州鷲じゆ峰ぶせ山ん興国寺の開山法燈国師が八十七歳を迎へた時のことだつた。多くの弟子達は、師し家けの達者なうちにその頂相を残しておきたいものだと思つて、なにがしといふ彫ほり師しにそのことを依頼した。 なにがしは、そのころすぐれた彫師の一人だつた。彼は九十に近い老齢になつても、きちんと居ずまひを正して、少しの弛ゆるみをも見せない国師の前に坐つて、丹念に像を刻み出した。ときどき眼をあげてこの老僧の面貌を味はひながら、そのなまなましい印象を逃のがさないやうに木に移し植ゑようとした。だが、その皺くちやな皮膚の上に見られる衰頽と気力との激しい挌かく闘とうの影は、どうにか捉へることが出来たが、澄みきつた眼のうちに湛へられた叡智のかがやきだけは、どんなに技わざを尽くしても写し取ることは出来なかつた。ああでもない、かうでもない、とひとり苦しんでゐるうちに、彫師の心には、とんでもない暗い影がさすやうになつた。 ﹁和尚め。あんなにえらさうな顔をしてゐるが、わしがこの小こが刀たなでづぶりとやつてみろ。すぐにお陀仏だ。してみると……﹂ ほんの一瞬間だつたが、彫師はこんなことを思つてゐた。 だしぬけに老和尚の声が聞かれた。 ﹁おい、くだらぬことを考へるものぢやない。﹂ 彫師は頭の上に大きな石臼が落ちかかつたやうに、覚えずその言葉の下にひしやげてゐた。三
むかし支那に丁蘭といふ孝行息子があつた。はやく母親に死に別れて、なつかしさのあまり自分で刀とうをとつてその姿を彫刻した。
丁蘭は彫ほり物ものの道にかけては、ずぶの素人だつたが、出来上つた木像を見ると、簡素なうちに母親にそつくりな面おもざしがあつた。丁蘭はそれを家のうちに祠まつつて女房とともに生きた人に対するやうに丁寧にかしづいた。
ある日丁が旅に出たあとで、隣に住んでゐる張叔といふものの妻が、裏口からのつそりと入つて来た。
﹁おかみさん。お米を少し貸しておくれでないか。晩にはきつと返すから。﹂
隣の夫婦は二人とも大のずぼらもので、近所ではいつも迷惑をかけられどほしだつた。丁の女房は小声でそつと木像にきいてみた。
﹁おばあさま。今お聞きの通りですが、どうしたものでせうな。﹂
木像は一寸顔をしかめて、首を横に振つたやうだつた。――少くとも丁の女房にはさうとしか見られなかつた。
﹁おかみさん。お米は取替へられないよ。御覧なさい。おばあさまがあんなにいやいやをしてゐなさるから。﹂
隣の妻はぶりぶりして帰つて行つた。入違ひにその主ある人じが入つて来た。手には握り太の杖を持つてゐた。
﹁この皺くちや婆ばゝめ。お礼にはかうしてくれる。﹂
彼は大声にわめきながら、婆さんの頭をしたたか杖のさきで叩きつけた。頭は木魚のやうな音を立てて鳴つた。
旅から帰つて来てこの出来ごとを耳にした丁蘭は、腹の底から憤いきどほつた。彼はその足ですぐに隣家に躍り込んでそこに居合せた主ある人じをさし殺してしまつた。
程なく村役人がやつて来た。丁蘭は召し捕られた。役人に引き立てられようとした彼は、名残をしさうに最後の一瞥べつを木像の方に投げた。
木像はさめざめと泣いてゐた。
箱の中
1・26
サンデー毎日
人皇百十二代霊元天皇の御宇の時のことだつた。ある日禁裏に参内してゐた五六人の
道しらば摘みにも往 かむ住の江の
岸に生ふてふ恋忘れ草
岸に生ふてふ恋忘れ草
といふ歌の忘れ草とは、どんな草をいふのだらうかとの詮索だつた。
﹁忘れ草――むかしから随分やかましくいはれたものだが、岸に生ふてふといふからには、多分水草に相違ありますまい。私は葦か何かの異名だらうと思ひます。﹂
﹁あながち岸といふ詞にこだはる必要はありますまい。私は紫しを苑んか何かの……﹂
﹁いや、紫苑ぢやありますまい。私は萱くわ草んざうぢやなからうかと……﹂
﹁紫苑や萱草はあまりに丈が伸びてゐて、風情がなさ過ぎます。もつと小さくて哀れの深い……﹂
﹁忘れ草。忘れ貝。忘れ水。――住吉には物忘れをするのにいろいろ都合のいいものがあるとみえますな。どれ一つを持つてゐても、われわれには調法です。﹂
それを聞くと、居合はす公卿達は、皆声をそろへて笑ひ出した。あるものは恋を忘れ、あるものは貧乏を忘れ、あるものは老おいを忘れ、またあるものは立身の遅いのを忘れようとしてゐる場合だつたので、そんな物忘れをするのに効きき験めのある草が見つかつたなら、人知れず自分の宿に移し植ゑたいといふのが、皆の心からの願ひであつた。
﹁一体貫之卿は、忘れ草といふものがどんな草か知つてゐたのでせうか。﹂
﹁いや、知つてはゐなかつたのでせう。住の江の忘れ草が何であるかといふことは、津つも守り家の口くで伝んで、世間のものはただ勝手にそれを想像してゐるに過ぎなかつたのですからな。﹂
﹁なぜまた、そんなものを秘密にしたのでせうな。うつかりすると、口伝を受けた人が、物忘れをせぬとも限らぬのに……﹂
皆はまた一緒になつて高声に笑ひ出した。その声が襖越しに畏かしこき辺あたりの御耳に入つた。そして何事かとのお尋ねがあつたので、皆は恐縮しながら、そのなかの一人から事の仔細を申し上げた。
この詮索には、主上も一方ならず御興味をもたさせられた御様子で、程なく禁裏から津守家へあてて、
﹁住の江の忘れ草といふものを叡覧遊ばされたいから……﹂
との御諚が下つた。
やかましい口伝もので、滅多に他たに洩らすことの出来ない秘密ではあつたが、御諚とあつてみれば、津守家でも否応はなかつた。同家では白木の箱を三重に仕立てて、その中につひぞ人の見たこともない神秘な忘れ草を納めた。そしてそれを大切に禁裏にたてまつつた。
主上は御手づから外箱と中箱とを取りのけさせられた。そして最後の箱の蓋を静かに取り上げて、そつとその内な部かを覗かさせられたかと思ふと、今まで好奇に輝いてゐた御眼のうちに、急に困惑したやうな表情を浮べさせられた。
主上は箱の蓋をもとのやうにして、そつと溜息を洩らせられた。
そこに居合はせた公卿達は、お許しを得て、次の間で箱のなかを見ることが出来た。皆は燃えるやうな眼でそれに見入つたが、その次の瞬間には、誰も彼もが見まじきものを見たやうに侮蔑と当惑とのごつちやになつたやうな顔つきをした。そして互に眼を見交して、そつと吐息をついた。
﹁何ぢや、小松のことか、忘れ草といふのは。――お蔭で明日からは歌が一そう下手になりさうぢや。﹂
誰かが口のなかでこんなことをつぶやいた。
﹁見ぬ方が却かへつてよかつた。もしか人にきかれたらつひぞ見たこともない、世にも不思議な霊草ぢやといつておかう。どんな虚いつ偽はりにしても平凡よりはましだから。﹂
誰に話しかけるともなしにこんなことをいつたものがあつた。皆は心からうなづいたらしかつた。