薄田淳介白羊宮

［＃ページの左右中央］

この書を後藤寅之助氏にささぐ﹇＃改ページ﹈わがゆく海の挿画

﹇＃改ページ﹈

わがゆく海

わがゆくかたは、月つき明あかりさし入いるなべに、さはら木ぎは腕かひなだるげに伏ふし沈しづみ、赤あか目めが柏しははしのび音ねに葉はぞ泣なきそぼち、石しや楠くな花ぎは息いきづく深みや山ま、――﹃寂さび靜しみ﹄と、﹃沈しじ默ま﹄のあぐむ森もりならじ。わがゆくかたは、野のぐ胡る桃みの實みは笑ゑみこぼれ、黄こが金ねなす柑かう子じは枝えだにたわわなる新にひ墾ばり小を野ののあらき畑ばた、草くさくだものの釀かみ酒ざけは小こみ甕かにかをる、――﹃休やす息らひ﹄と、﹃うまし宴うた會げ﹄の塲にはならじ。わがゆくかたは、末うら枯がれの葦あしの葉はごしに、爛ただ眼らめの入いり日ひの日ひざしひたひたと、水みさ錆びの面おもにまたたくに見みぞ醉ゑひしれて、姥うば鷺さぎはさしぐむ水みぬ沼ま、――﹃歎なげかひ﹄と、﹃追おも懷ひで﹄のすむ郷さとならじ。わがゆくかたは、八やは百あ合ひの潮しほざゐどよむ遠とほつ海うみや、――あゝ、朝あさ發びらき、水みを脈び曳きの神かみこそ立たてれ、荒あら御みた魂ま、勇いさ魚なとる子こが日ひぐ黒ろみの廣ひろき肩かたして、いざ﹃慈じ悲ひ﹄と、﹃努ぬり力き﹄の帆ほをと呼よびたまふ。﹇＃改ページ﹈

ああ大和にしあらましかば

ああ、大やま和とにしあらましかば、いま神かみ無なづ月き、うは葉ば散ちり透すく神かみ無な備びの森もりの小こみ路ちを、あかつき露づゆに髮かみぬれて、徃ゆきこそかよへ、斑いか鳩るがへ。平へぐ群りのおほ野の、高たか草くさの黄こが金ねの海うみとゆらゆる日ひ、塵ちり居ゐの窓まどのうは白じらみ、日ひざしの淡あはに、いにし代よの珍うづの御みき經やうの黄こが金ね文も字じ、百くだ濟ら緒をご琴とに、齋いはひ瓮べに、彩だみ畫ゑの壁かべに見みぞ恍ほくる柱はしらがくれのたたずまひ、常とこ花ばなかざす藝げいの宮みや、齋いみ殿どの深ふかに、焚たきくゆる香かぞ、さながらの八やし鹽ほを折り美うま酒きの甕みかのまよはしに、さこそは醉ゑはめ。新にひ墾ばり路みちの切きり畑ばたに、赤あから橘たち葉ばなはがくれに、ほのめく日ひなか、そことも知しらぬ靜しづ歌うたの美うまし音ねい色ろに、目めう移つしの、ふとこそ見みまし、黄きび鶲たきのあり樹きの枝えだに、矮ちい人さごの樂あそ人びをめきし戯ざればみを。尾を羽ば身みがろさのともすれば、葉はの漂たゞよひとひるがへり、籬ませに、木この間まに、――これやまた、野のの法ほう子し兒ごの化けのものか、夕ゆふ寺でら深ふかに聲こわぶりの、讀どき經やうや、――今いまか、靜しづこころそぞろありきの在あり人びとの魂たましひにしも泌しみ入いらめ。日ひは木こがくれて、諸もろとびらゆるにきしめく夢ゆめ殿どのの夕ゆふ庭には寒さむに、そそ走ばしりゆく乾ひた反り葉ばの白ぬ膠る木で、榎え、棟あふち、名なこそあれ、葉はび廣ろぼ菩だい提じ樹ゆ、道みちゆきのさざめき、諳そらに聞ききほくる石いし廻わた廊どののたたずまひ、振ふりさけ見みれば、高あら塔らぎや、九くり輪んの錆さびに入いり日ひかげ、花はなに照てり添そふ夕ゆふながめ、さながら、緇し衣えの裾すそながに地ちに曳ひきはへし、そのかみの學がく生じやうめきし浮うけ歩あゆみ、―― ああ大やま和とにしあらましかば、今け日ふ神かみ無なづ月き、日ひのゆふべ、聖ひじりごころの暫しばしをも、知しらましを、身みに。﹇＃改ページ﹈

魂の常井

ああ、野のは上うはじらむ曙あけぼののゑわらひ浮うけ歩あゆむ童をと女めさび、瑞みづ木きの木こがくれに、花はな小をぐ草さ、莖くき葉はの下したじめり香かを高たかみ、朝あさ蹈ふむ陰かげ路みちの行ゆきずりに、若わかゆる常とこ夏なつの邦くにあらば、往ゆかまし、わが心こゝ葉ろばがらみに、くれなゐ、――燃もゆる火ひの花はなと咲さかめ。ああ、世よにしろがねの高たか御みく座ら、美うま酒きの香かぞにほふ御ご座ざの間まに、立たち舞まふ八やを少と女めの入いり綾あやや、樂がく所そのをんな樂がく、箜く※こ﹇＃﹁竹かんむり／候﹂、U+25C4C、14-1﹈の音ねのどよみよ、大わた海つみの浪なみとゆる夜よながを、宴うた會げうつ宮みやあらば、ゆかまし、わが心こゝろ醉ゑひざまに、はえある歌うたぬしの名なをか得えめ。ああ、日ひは身み隱かくれし宵よひやみの木こだ立ちの息いきごもり、氣けをぬるみ、林すだ精まは水みさ錆び江えに羽はぞ浸ひたす靜しじ寂まを、月つきしろの影かげ青あをく、ほのめく氣けぶ深かさや、空うつ室むろに燈とも明しの火ぞしめる寺てらあらば、ゆかまし、わが心こゝろ夜よごもりに、天あめゆく羽はぐ車るまや聞ききつべき。ああ、然さは野のに、宮みやに、夜よごもりに、あくがれまどひにし日ひはあれど、果はてしは、野のごころの伸のし羽ばして、歸かへるや、なつかしき君きみが手てに。たゆげの片かたゑまひ、優やさまみのうるみよ、うら若わかき靈たま魂しひの旅たび路ぢに熱あつれては、掬くみつべきうべこそ、眞まし清み水づの常とこ井ゐなれ。﹇＃改ページ﹈

ひとづま

あえかなる笑ゑみや、濃こあ青をの天あまつそら、君きみが眼めざしの日ひのぬるみ、寂さびしき胸むねの末くた枯ら野のにつと明あからめば、ありし世よの日ひぞ散ちりしきし落おち葉ば樹ぎは、また若わかやぎの新にひ青あを葉ば枝えだに芽めぐみて、歡よろ喜こびの、はた悲かな愁しびのかげひなた、戯あざるる木こ間まのした路みちに、美うまし涙なみだの雨あま滴じたり、けはひ靜しづかにしたたりつ、蹠あなうらやはき﹃妖まよ惑はし﹄の風かぜおとなへば、ここかしこ、﹃追おも懷ひで﹄の花はな淡あはじろく、ほのめきゆらぎ、﹃囁さゝやき﹄の色いろは唐はね棣ずに、﹃接くち吻づけ﹄のうまし香かをりは霧きりの如ごと、くゆり靡なびきて、夢まぼ幻ろしの春はるあたたかに、醉ゑひごこち、あくがれまどふ束つかの間まを、あなうら悲がなし、優やさまみの日ひざしは頓とみに、日ひな曇ぐもり、﹃現うつし心ごゝろ﹄の風かぜあれて、花はなはしをれぬ、蘗ひこばえし青あを葉ばは落おちぬ、立たち枯がれの木こしげき路みちよ、ありし世よの事こと榮ばえの日ひは、はららかにそそ走はしりゆき、鷺さぎ脚あしの﹃嘆なげき﹄ぞ、ひとり青あをびれし溜ため息いき低ひくにまよふのみ。――夢ゆめなりけらし、ああ人ひと妻づま、―― 實げにあえかなる優やさ目ま見みのもの果はかなさは、日ひな直ほりの和なぎむと見みれば、やがてまた、掻かきくらしゆく冬ふゆの日ひの空そら合あひなりき。﹇＃改ページ﹈

冬の日

新にひ甞なめの祭まつり日びなりき、午ひるさがり、曝されし河かは原らに、老ねび御ごだ達ち、﹃冬ふゆ﹄こそたてれ、身みぞたゆげに。數かぞへ日びのこころ細ぼそさや、涙いや眼めなる日ひのたたずまひ、物ものの影かげ、淡あはげに搖ゆれて、うるみ色いろに。雲くもの襞ひだほのかに鈍にばみ、空そらひくに滑すべるゆるかさ、ありし世よのおもひでぐさの榮はえ、また、空く華げ。みだれ伏ふす根ねじろ高たか萱がや、老おいしらむ末うら葉ばのそそけ、氣けを寒さむみ、失ひご聲ゑかすけく音ねこそいため。今いまし、日ひは思おもひ消きゆらし、面おも隱がくし、――うは曇ぐもりして、夕ゆふ時しぐ雨れしのびに泣なくや、欷さぐ歔りよよと。かかる日ひよ、在あり巣すの鳥とりも、うらびれし目め路ぢの眺ながめに、さへづりの徒あだ音ねを絶たえて、俯うつ居ゐすらめ。束つかの間まや、――やがて日ひな直ほり、冬ふゆの日ひはほほ笑ゑみそめつ。青あをじろき頬ほぞ、鼻はなじろむ面おもてほでり。樹きに、莖くきに、伏ふし葉ばに、石いしに、泣なき濡ぬれしうるほひ映はえて嘆なげかひの似にるものもなきうつくしさや。日ひの心こゝ地ち、いまの憂うき身みに、そのかみの美よき日ひをしのぶさびしさに、笑ゑみし子こならで、誰たれか解とかめ。

［＃改ページ］

零餘子

片かたびなた、醜しき家やのかくれ、

だかの老おい木きにそひて、頂うながけり、蔓つるの手てたゆき零ぬ餘か子ごかづら。八やを少と女めの野のの使つかひ女めに、身みぞひとり、ささやけ者ものや、葉はがくれに、ああ聊いさゝかの實みこそむすべ。熟うみ色いろの黄ごが金ね覆い盆ち子ごは、そら聖ひじり、あかづら鶫つぐみ、ひと日ひ來きて、啄ついばみ去さりぬ、醉ゑひのすさび。核さねぐみし茱ぐ萸みは、端はや山まのまめをとこ、栗り鼠すか拾ひろひて、小こみ甕かざ酒け釀かみもこそすれ、洞うつ窟ろふかに。似にず、ひとり莖くき葉ばのしたに、︵隱こもり戀ごひ、人ひとこそ知しらね、︶實みはむすび、實みはまた熟つえて、蔓つるもたわに。つむじ風かぜ、した葉ばの煽あふり、あたふたと零ぬ餘か子ごはこぼる。ああ不さが祥な、――

高いら珠だか數じゆずの珠たまのみだれ。實みは、さあれ底しは土ににひそみ、日ひにめざめ、濕しめりに吹あ

び、いつかまた芽めば生えを伸のして、二ふた代よゆかめ。身みぞ小を野のの矮ちい人さごながら、あけぼのの映はえ、またありし夕ゆふながめ、見みこそ醉ゑひしか、數あま多たがへり。身みの程ほどのいささけ業わざに、許ゆるされの性さがは足たらひぬ。ああ熟うみ實み、――わが世よは落おちてまたかへらじ。秋あき収をさめ、野の田だのせはしさ、敝うけ履ぐつのはためきや、――いま、せつなさの

ゆるに、葉はこそ喘あへげ。

﹇＃改ページ﹈

鶲の歌

うべこそ來きしか、小をば林やしの法ほう子し兒ご鶲ひたき、―― そのかみ、︵邦くには風みや流び男をの代よにかもあらめ。︶豐とよ明のあ節か會りの忌をみごろも、童をぐ男なのひとり、日ひか蔭げかづらや曳ひきかへる木このした路みちに、葉はぞ染めの姫ひめに見みぞ婚あひて、生あれにし汝いまし、黄は櫨じのうは葉ばはくれなゐに、また、榛はし樹ばみの虚うろの實みは、根ねに落おち鳴なりて、常とこ少をと女めなる母はゝ宮みやの代よとしもなれば、すずろありきや許ゆるされて、さこそは獨ひとり野の木ぎの枝えに、占うら問どひ顏がほにたたずみて、初うひ祖その人ひとや待まちつらめ。ひととせなりき、春かす日がの宮みやの使つかひ姫ひめ、秋あきふた毛げして、竹な柏ぎの木この間まをゆきかへる小こは春るび日よ和りを、都みやこほとりの秋あき篠しのや、 ^＊﹃香かぐの清しみ水づ﹄は水み錆さびてし古ふるき御みて寺らの頽あば廢らす堂だうの奧おくぶかに、技ぎげ藝いて天んに女よの御みす像がたの天あまつ大おほ御み身ま、玉たまとしにほふおもざしに、美うまし御みく國にの常とこ世よ邊べぞあくがれ入いりし歸かへるさを、ふとこそ、荒あれし夕ゆふ庭にはの朽くち木きの枝えだに、汝なが靜しづ歌うたを聞ききすまし、心こゝろあがりのわが絃いとに、然さは緒をあ合はせにゆらぐ音ねの歌うたぬしこそは、うべ睦むつ魂だまの友ともとしも、おもひそめしか。また、ひと歳とせは神かみ無なづ月き、日ひぞ忍しのび音ねに時し雨ぐれつる深ふか草ぐさ小を野のの柿かきの上ほづ枝えに熟うみのこる美うまし木きざ醂はし、入いり日ひに濡ぬれて面おもはゆに紅あからむゆふべ、すずろ歩あるきの行ゆくすがら、竹たけの葉はや山まの雨あま滴じたりはらめく路みちに、汝いましを、ひとり黄きび鶲たきの默もだの俯うつ居ゐをかいまみて、 ^＊ありし掛けさ想うのまれ人びとの化けか、雨あまじめる野のにくゆる物もののかをりに、そのかみの夜よや思おもひいでて、涙いや眼めに鳥とりは嘆なげくやと、目めぞ留とまりにし。ああ汝いましこそ、小をば林やしの法ほう子し兒ご鶲ひたき、――人ひとの世よの往ゆくさ來きるさに、ともすれば、まためぐり會あふ魂たまあへる子こや、―― 實げにいささめの縁えにながら、空く華げにはあらじ。わが魂たましひの小を野のにして、﹃努ぬり力き﹄の濕うるひ、﹃思し慧ゑ﹄の影かげおほし齋いつきて、さて咲さきぬべき珍うづの花はな、そのうら若わかき莟つぼみこそ、さは龕づしの戸とと噤つぐみつれ、まだき滴したゝる言ことの葉はの美うましにほひは、生いの命ちの火ひをも齋いはふまで、香かにほのめきぬ。

＊秋篠寺に香水堂あり常曉阿闍梨閼伽井の舊蹟なり
＊竹の葉山の下路は深草少將が通ひ路の舊蹟と傳へらる

［＃改ページ］

望郷の歌

わが故ふる郷さとは、日ひの光ひかり蝉せみの小をが河はにうはぬるみ、在あり木きの枝えだに色いろ鳥どりの咏ながめ聲ごゑする日ひながさを、物もの詣まうでする都みや女こめの歩あゆみものうき彼ひが岸ん會ゑや、桂かつらをとめは河かはしもに梁やな誇ぼこりする鮎あゆ汲くみて、小さ網での雫しづくに清きよ酒みきの香かをか嗅かぐらむ春はる日ひなか、櫂かいの音とゆるに漕こぎかへる山やま櫻ざく會らゑの若わか人うどが、瑞みづ木きのかげの戀こひ語がたり、壬みぶ生きや狂うげ言んの歌か舞ぶ伎き子こが技わざの手てぶ振りの戯ざればみに、笑ゑみ廣ひろごりて興きやうじ合あふかなたへ、君きみといざかへらまし。わが故ふる郷さとは、楠くす樹のきの若わか葉ば仄ほのかに香かににほひ、葉はびろ柏がしはは手てだゆげに、風かぜに搖ゆらゆる初はつ夏なつを、葉は洩もりの日ひかげ散ばら斑ふなる糺ただすの杜もりの下した路みちに、葵あふひかづらの冠かむりして、近この衛ゑづ使かひの神かみまつり、塗ぬりの轅ながえの牛うし車ぐるま、ゆるかにすべる御みあ生れの日ひ、また水みな無づ月きの祇ぎお園ん會ゑや、日ひぞ照てり白しらむ山やま鉾ぼこの車くるまきしめく廣ひろ小こう路ぢ、祭まつ物りも見のみの人ひとごみに、比ひ枝えの法ほう師しも、花はな賣うりも、打うち交まじりつゝ頽なだれゆくかなたへ、君きみといざかへらまし。わが故ふる郷さとは、赤はん楊のきの黄き葉ばひるがへる田たな中かみ路ち、稻いな搗きをとめが靜しづ歌うたに黄あめなる牛うしはかへりゆき、日ひは今いま終つひの目め移うつしを九くり輪んの塔たふに見みはるけて、靜しづかに瞑ねむる夕ゆふまぐれ、稍やや散ちり透すきし落おち葉ば樹ぎは、さながら老おいし葬はう式り女めの、懶たゆげに被かづ衣き引ひき延はへて、物もの嘆なげかしきたたずまひ、樹こ間まに仄ほのめく夕ゆふ月づきの夢ゆめ見みごこちの流なが盻しめや、鐘かねの響ひゞきの青あをびれに、札ふだ所しよめぐりの旅たび人びとは、すゞろ家うか族らや忍しのぶらむかなたへ、君きみといざかへらまし。わが故ふる郷さとは、朝あさ凍じみの眞まく葛づが原はらに楓かへでの葉は、そそ走ばしりゆく霜しも月つきや、專せん修じゆ念ねぶ佛ちの行ぎや者うじやらが都みや入こいりする御おこ講う凪なぎ、日ひは午ひるさがり、夕ゆふ越ごえの路みちにまよひし旅たび心ごゝ地ち、物ものわびしらの涙いや眼めして、下しも京ぎやうあたり時しぐ雨れする、うら寂さびしげの日ひみ短じかを、道みちの者ものなる若わか人うどは、ものの香か朽くちし經きや藏うざうに、塵ちり居ゐの御みか影げ、古こわ渡たりの御みき經やうの文も字じや愛めてしれて、夕ゆふくれなゐの明あからみに、黄こが金ねの岸きしも慕したふらむかなたへ、君きみといざかへらまし。﹇＃改ページ﹈

金星草の歌

一

そのかみ、山やまの一いちの日ひに、草くさ木きはなべて、　　　ああ金ひと星つ草ば、色いろゆるされの事こと榮ばえに笑ゑみさかゆるを、　　　ああひとつば、ひとり空むな手でに、山やま姫びめの宣のりをこそ待まて、　　　ああひとつば。

二

春はるは馬あ醉せ木びに、蝦えぞ夷すみ菫れかざしぬ、花はなを。　　　ああひとつば、裝よそほひ似にざるうれたさに、宮みやにまゐりて、　　　ああひとつば、願ねがへど、姫ひめは事ことなしび、素そ知しらぬけはひ、　　　ああひとつば。

三

夏なつは山やま百ゆ合り、難なに波は薔ば薇ら香かにほのめきぬ、　　　ああひとつば、匂にほひ香かなきにうらびれて、一ひと日ひは洞うろに、　　　ああひとつば、嘆なげけど、姫ひめは空そら耳みみに片かた笑ゑみてのみ、　　　ああひとつば。

四

秋あきは茴うゐ香きやう、えび蔓かづら實みぞ色いろづきつ、　　　ああひとつば、素すば腹らの性さがを恨うらみわび、夜よを泣なき濡ぬれて、　　　ああひとつば、萎なゆれど、姫ひめは目めも空そらに往ゆき過すぎましぬ、　　　ああひとつば。

五

やがて葉はは散ちり、實みは朽くちぬ。冬ふゆ木きの山やまに、　　　ああひとつば、獨ひとりし居ゐれば、姫ひめは來きて﹃思おもひかあたる、　　　ああひとつば、世よは吾われとわが知しるにこそ、在ありがひはあれ。﹄　　　ああひとつば。

六

姫ひめは微ほほ笑ゑみ、﹃今け日ふもはた、香かをか※うらや﹇＃﹁義﹂の﹁我﹂に代えて﹁咨−口﹂、U+7FA1、53-5﹈む、　　　ああひとつば、色いろをか、いかに、齋いはひ子ごの斯かくや、御みた賜ま。﹄と　　　ああひとつば、その日ひよりこそ、黄こが金ね斑ふの紋いさ葉はとはなれ、　　　ああひとつば。﹇＃改ページ﹈

夕ごゑ

日ひは暮くれぬ、野のの面も低ひくに、霧きりはくゆるたゆげさの、齋いみ精さう進じ、懺く悔ひのひと夜よ、思おもひしづむ魂たまならし。夕ゆふ晴ばれの黄こが金ねみ路ちに、かへる鳥とりの遠とほがくれ、胸むねの汚し染み、ひとつ消きえて、今いまはた、二にのうするかに。葉はずくなの並なみ木きなかに、﹃靜しづこころ﹄の浮うけ歩あゆみ、木き木ぎの枝えだしぬに垂たれて、われかの樣さまに息いきづきぬ。いま雲くもの夕ゆふくれなゐ、天あま照てる日ひの大おほ殿どのに、をんな樂がく、かへり聲こゑのほのにひびく夢ゆめごこち。淨きよまはる魂たまの深ふかみ、聖ひじりごころととのひて、美うまし音ねのさこそ響どよむ日ひのあなたに往ゆかまほし。

［＃改ページ］

^＊師走の一日

一

み冬ふゆとなりぬ、日ひ暮くれぬ、ひねもす森もりにあらびし脚あは早やの野のわ分きは、うしろ寒ざむに、そそけの髮かみもみだれて、北きた山やまあたりいそぎぬ。もとあら木こだ立ちの落おち葉ばば林やし、木この息いきごもりたゆげに、殘のこりの葉はこそは風かぜにあへげ。

二

澄すみつる空そらや、さながらありにし戀こひも忘わすれて、菩ぼだ提いじ樹ゆがくれの法のりの苑そのに、﹃無む漏ろ慧ゑ﹄にあそぶ聖ひじりの、とわたる鳥とりのありなし、いささの染しみをもえは許ゆるさぬ齋ゆま戒ひか、――嚴いづの清きよまりは、見みるだに堪たへせじ、現うつしごころ。

三

あな大おほ日ひ枝えの額ひたひに、玉たま冠かぶりする夕ゆふ日ひの光ひかりや、天あめなる美うまし眼めざし、―― 東ひがしへ、ゆるに峰をご越しの淡あは雲ぐもすべる靜しづけさ、これやは終つひなる魂たまのひと日ひ、すずろに心こゝろゆらぎて、ありしを忍しのぶる美よき名なならし。

四

束つかの間まなりき、夕ゆふばえ今いまはた仄ほのにうすれぬ。さて日ひは葬ほふ式りの鈍にぶに暮くれて、眞まや闇みの墓はかに入いるらめ。この靜しづかなる臨いま終はに、吾われや看みと護り婦めの心こゝろしりに、日ひの物もの深ぶかさしのびて、祕かく密れのこころも辿たどらまほし。

＊洛東下岡崎の里より
　大比叡の方を眺めてよめる

［＃改ページ］

妖魔『自我』

一

妖えうこそ見みしか、立たち枯がれの木こ繁しげき木こは原ら﹇＃ルビの﹁こはら﹂は底本では﹁こ　ら﹂﹈、色いろ鳥どりはさしぐむ路みちの奧おくぶかに、ひともと青あを木き、木こむ叢らなる廣ひろ葉ばのかくれ、黄こが金ねなす鈴すず生なりの實みをなつかしみ、熟うみつはりたるひと房ふさを摘つみにし日ひなり、矮ひき人うどの黒すみ染ぞめすがたつと見みえて、﹃あな許ゆるされぬ慧ゑの實みを、﹄と私つぶ語やき低ひくに、面おも隱がくし、目まぶかに被かつ衣ぎうちまとひ、

杖かせづゑの音おとほとほとと、木このした路みちを、見みえ隱がくれ、鷺さぎ脚あしにこそ辿たどりしか。

二

妖えうこそ見みしか、姫ひめ百ゆ合りは木こぐ暗れに俯うつ居ゐ、石しや楠くな花ぎは日ひな向たに夢ゆめむ花はな苑ぞのに、あえかの人ひとと相あひ曳びきの日ひのしづけさを、囁ささやきは細すが蜂るの羽はねとひるがへり、うまし言こと葉ばは清きよ酒みきの露つゆとしたみて、醉ゑひ心ごこ地ち、愛めでのまどひを、――あな詫わびし、生なま目めとまりし苧むし垂たれの裾すそうちはへて、木こがくれに奧あう寄よる人ひとの後うし姿ろでに、頂うながくる手ては解とけたるみ、ふくろ心ごころの氣けをさむみ、身みは物もの怖おぢに竦すくまりき。

三

妖えうこそ見みしか、午ひるさがり日ひぞ照てりあかり、美うまし香かはほのかに薫くゆる新にひ舘やかた、一いちの樂がく所そにかきならす眞また玉ま唐から琴こと、立たち樂がくの色いろ音ねは浪なみのたかまりに、心こゝろあがりの面おもほでり、とりゆの半なかば、風みや流び男をや、紅あか顏らを孃と子めの間あひの座ざに、異ことよそほひの長たけすがた、童をぐ男なのひとり、弱よわ肩がたの藤ふ衣ぢのやつれに見みや惱まひて、押ゆの手ては梁やなのくづれ鮎あゆさみだれ落おちて、緒をあ合はせの調しらべの糸いとぞなか絶たえし。

四

妖えうこそ見みしか、御みと燈もしの火ひはねむたげに、華くゑ籠この花はな吐とい息きかすけき古ふる寺てらに、夕ゆふ座ざまゐりの在あり人びとは罷まかりし夜よはを、身みぞひとり齋いも居ゐ精さう進じの籠こもり居ゐに、思おもひ恍ほけてし常とこ世よ邊べの、美うまし黄こが金ねの嚴いづの苑その、――天あまつ少をと女めの相あひ舞まひに、見みしは、頭ふぶ白せのねび御ごだ達ち、あな時ときのまに、なよびかの姫ひめは隱かくれて、唯ただひとり墳おく墓つきの如ごと立たち殘のこるものわびしさに、胸むな騷さわぎ、つとまぼろしは覺さめはてき。

五

妖えうこそ見みしか、水みな無づ月きの祭まつりのひと日ひ、往ゆき軋きしむ飾かざ車りぐるまの山やま鉾ぼこに、日ひぞ照てりしらむ日ひざ盛か﹇＃ルビの﹁ひざか﹂は底本では﹁ひざかり﹂﹈りの都みや大こお路ほぢを、人ひとなだれ、祭まつ物りも見のみの大たい衆しゆうに、また見みぬ、鈍にぶの衣きぬかづき、他ひとこそ知しらね、不むな毛ぐ地にの野のにも往ゆくかのうらびれに、打うち附つけごころ、小こば走しりに追おふとはすれど、物ものの怪けは絶たえずかなたに前さきゆきて、えこそ及およばね、足あ惱なゆみぬ、ああ息いき詰づむと、道みちのべに、身みぞしだらなに倒たふれにし。

六

こよひ熱あつるる病いた臥つきの惱なやみのもなか、世よはとみに鴉から羽すばいろの焔ほのほして、蕩とろけたゆたふ火ひの海うみに、吾われや落おち葉ばの、左とみ視か右う顧み、ゆくへも知しらぬ途みちすがら、ふと遠をち方かたに目め馴なれてし人ひとがたち見みて、直ひたみちに追おひすがりつゝ失ひご聲ゑして、﹃君きみよ﹄と呼よべば、立たちどまり、振ふり向むき樣ざまに、﹃見みや惱まひの時ときこそ來くれ。﹄と脱ぬぎすべす被かつ衣ぎのひまに見み入いるれば、あな﹃我われ﹄なりき、驚おど駭ろきに胸むねはふたぎぬ、危あつ篤しれぬ。﹇＃改ページ﹈

日ざかり

季ときは夏なつなか、日ひぞ眞まひ晝る、日ひざしは麥むぎの穗ほにしらみ、野のなかの路みちにまたたきて、濁しろ酒うまの如ごと、湧わきたちぬ。牧まきの小を野のには、並なみ木こだ立ち、腕かひなだるげに葉はを垂たれつ。青あをぶくれなる水みさ錆び沼ぬは、めまぐるしさに、息いきだえぬ。雲くものひとひら、たよたよと

ひゆきて、ありなしに、やがては消きえつ。濃こあ青をなる空そらや、虚うろなる墓はかならし。水みの面もの水みし澁ぶ氣けをぬるみ、蠑ゐも

は

にくぐり入いり、爐ほけ土つちの香かに息いきむせて、蛇へびはひそみぬ、葉はがくれに。なべての上うへに高たか照てらす嚴いづの嘖ころびや、あな寂さびし、悔くひなき魂たまのけだかさは、げに水みな無づ月きの日ひならまし。

［＃改ページ］

^＊笛の音

生いの命ちの路みちのもろ側がはに聳そびやぎ立たてる﹃かなしび﹄の女め木ぎ、﹃よろこび﹄の男を木ぎ、今こよ宵ひさしぐむ月つき代しろのまみの濕うるみに、すずろに木こだ靈まうらびれて、天あまの幸さき夜よにあくがるる沈も默だの深ふかみを、笛ふえの嘆なげきの音ねをいたみ、上うは枝えそよろに囁ささやきて散ちりこそまがへ、二ふた木きの落おち葉ばほろほろに。﹃日ひか影げ﹇＃ルビの﹁ひかげ﹂は底本では﹁ひがげ﹂﹈にしめらへる﹃かなしび﹄の一ひと片へは黄きく朽ち葉ばの色いろに染しみ。﹄﹃日ひな向たにひるがへる﹃よろこび﹄の一ひと片へは緑みど葉りばの香かににほふ。﹄﹃ああ、わが故ふる郷さとは聖ひじり世よの沈しじ默まぞ、齋いも居ゐする嚴いづの苑その。﹄﹃また、わが本おほ宮みやは、箜く篌この音ねの緒をあ合はせ、うちどよむ美うまし國くに。﹄﹃そこしも、黄こが金ねなす﹃慧ゑ﹄の實み、はた木こぐらき無むう憂け華じ樹ゆの葉はのにほひ。﹄﹃かしこよ、狹さ丹にづらふ﹃愛あひ﹄の花はな、﹃努ぬり力き﹄の常とこ烽のろ火し、日ひの光ひかり。﹄﹃そこしも、齋いつき女めの小を忌みごろも、蝋らうの火ひ、黄こが金ね文も字じ、偈げのけはひ。﹄﹃かしこよ、八やを少と女めのをんな樂がく、盃うき誓ゆひ、さざめ言ごと、白しろ酒きの香か。﹄﹃かなたへ、――忌いみ精さう進じ、夜よごもりに、今いまはた歸かへるべき羽は。﹄といへば、また言いふ、﹃かかる夜よを、宴うた會げうつかなたへ、――いざ、朱あけの赭そば舟ふねを。﹄﹃苑そのには、領しらす神かみ名なこそあれ、畏かしこし、あな天あめの﹃あくがれ﹄女め。﹄﹃宜うべこそ、いまそがる國くにつ神かみ、尊たふとし、名なは天あめの﹃あくがれ﹄男を。﹄

色いろ音ねは絶たえつ、――醉ゑひざまの心こゝろあがりに、さざめき散ちりし飜こぼれ葉はは、糸いと絡がらみせし舞まひの羽はの、つと舞まひさして、噤つぐみぬ、下したに落おち敷しきぬ。生いの命ちの路みちに、雌めと鳥り羽ばに、はた雄おと鳥り羽ばに、唇くち觸ふれあひて相あひ寢ねぬる伏ふし葉ばの亂みだれ、魂たま合あへる美うまし睦むつびに、月つきは夜よすがら見みぞ惚ほけぬ。

＊秋の末つ方月の一夜洛東華頂山
　境内に笛の音をききて咏める

別わかれぬ、二ふた人り。魂たま合あひし身みは、常とこ世よにも離はなれじとこそ悶もだえしか、そも仇あだなりき。落おち葉ばもかくぞ相あひ舞まひに散ちりはゆけども、分わかちぬ、風かぜは追おひわけに。さて見みず知しらず。﹇＃改ページ﹈

幻なりき

幻まぼろしなりき、事こと映ばえの消きえゆくにこそ、御みた賜まのふゆの、かつがつに目まが耀よひ初そむれ。ああ神かみ無なづ月き、木こむ叢らなる葉はぞ散ちり透すきて、濃こあ青をの空そらの微ほほ笑ゑまひ、然さはほのめきつ。﹇＃改ページ﹈

月見草の歌へる

夕ゆふづく日ひ、黄こが金ね羽はぐるま、海わだの宮みや、今いまかも沈しづめ、天あまつ軋きしみ。野のづかさの草くさの淺あさみに、まどろみの夢ゆめ路ぢは覺さめぬ、目めこそひらけ。夕ゆふ霧ぎりは、身みざ樣またゆげに、目めな馴れ樹ぎの木こむ叢らにまきて、うしろ袈げ裟さに。青あを羽ば木つ菟ぐ、叉また枝ぶり低ひくに、片かた眠ねむり、言こと葉ばずくなの宿との居ゐすがた。靜しづけさの野のによみがへる青あををみな、身みや幸さき魂だまの月つき見みを小ぐ草さ。見みよ、かなた、森もりの木この間まに、うは白じらみ、――ああ月つき白しろのにほひ仄ほのに。いま、樹き々ぎの片かた枝えの青あをみ、やがて、野ののしろがね色いろや、被かつ衣ぎえ兄び姫め。 ぢきたりす花はなの瞳ひと子みは、日ひにあきて、日ひにしも笑ゑみぬ、紅あか顏らを童と女め。似にず、わなみ若わか尼あま御ご前ぜの、夜よご籠もりに、ささらえをとめ見みこそ惱やまへ。身みぞ、姫ひめが丈たけの垂たり髮がみ花はな鬘かづら、しづくや凝こりしこゝろまどひ。姫ひめか、また魂たまのおほ宮みや、常とこ世よ邊べや、――無むじ上やう涅ねは槃んの嚴いづのむしろ。焚たきしむる花はなの蕚うてなは、夜よの、やがて吾わが世よ黄こが金ねの齋いはひ火ひざ盤ら。くゆり香がは、莖くき葉ばに蒸むして、聖ひじり世よの初しよ夜やの精さう進じみ、齋ゆに塲は淨ぎよめ。靜しづこころ、下したにゆらぎて、魂たまむすび、――思おもひぞあがる醉ゑひの今いまや。野のの老たう狐め踏ふみは折をるとも、えやは朽くちめ﹇＃ルビの﹁く﹂は底本では﹁ち﹂﹈、身みよ弱なよ草ぐさの聖ひじりごころ。

［＃改ページ］

日ひは水みづの如ごと、事こと榮ばえのおち葉ばを浮うけて、流ながれぬ。やがて冬ふゆは來きぬ、熟うま睡ゐぞせまし。身みは河かはぞひの白はこ楊やなぎ、またひこばえて、常とこ夏なつかげの花はな苑ぞのに新にひ葉ばはささめ。﹇＃改ページ﹈

聖り心

矢やの根ねを深ふかみ、創いた手でより聖ひじりごころは、日ひに夜よに、絶たえず膿うな沸わきて流ながれぬ、神かみに。青あを水みな無づ月きの小をば林やしに、漆うる樹しは、さこそ木こは膚だの目めより美うま脂やにをしぬに滴したつれ。﹇＃改ページ﹈

こよひは、髮（かみ）のかかりばに、
朝露（あさづゆ）しろき甲斐（かひ）が根（ね）の
山（やま）した小野（をの）に咲（さ）き濡（ぬ）るる
十六夜薔薇（いざよひばら）の香（か）を嗅（か）ぎぬ。

四

路（みち）ゆきぶりに、遠（とほ）つ野（の）の
顏（かほ）佳（よ）の花（はな）は摘（つ）ますとも、
小木曾（をぎそ）の山（やま）のえぞ菫（すみれ）、
あえかの色（いろ）もわすれざれ。

［＃改ページ］

夏の朝

かた岡をかに、日ひは照てりぬ、男を木ぎの枝えに、鳥とりうたひ、いさら水みづ、笑ゑみまけて、面おもはゆに、野のこそ滑すべれ。朝あさ踏ふます風かぜの裳もに、草くさかた葉はさゆらぎて、しづれ散ちる露つゆや、げに玉たまゆらの瓊ぬな音とすらめ。雲くもは、いましろたへの羽はを伸のしぬ、朝あさ發びらき、海うな原ばらに、帆ほをあぐる蜑あま舟ぶねの心こゝろみえや。郎いら女つめのしろ裝よそひ、あな﹃朝あさ﹄か、童わらはげにかた笑ゑみて、つと消きえつ、﹃日ひ﹄はすでに、牧まきに立たちぬ。

［＃改ページ］

さざめ雪

夕ゆふ凍じみの小を野のや、――伏ふし目めにさしぐみし日ひはみまかりぬ。左とみ視か右う顧み、あな細さざ雪めゆき、常じや樂うらくの宮みやとめあぐみ、ものうげの旅たびや、はつはつ。ここ、かしこ、榛はし實ばみの殼から、また乾ひ反そる伏ふし葉ばのみだれ、小こ木ぎの枝えに、鵐しとど竦すくりて、―― あな、ここは悲かなしびの邦くに、鈍にぶ色いろの住すみ家かならまし。ささやきつ、また吐とい息きしつ、雪ゆき片ひらの嘆なげきよ、――落おちて、葉はに、石いしに凭いこひぬ、倦うみぬ、またたきて、つとこそ消けぬれ、いささめの生いの命ちか、――濕うるひ。

［＃改ページ］

烟

燃もえつや、黄は櫨じの乾ひそ反り葉ばに、また橡つるばみの爆はぜ實みの殼からに。――今ははた、鈍にび色いろ被かづ衣ぎ身みぞたゆげに、苅かり野のに凭いこひ、隱こもり沼ぬの水みし澁ぶに浸ひたり、伏ふし木きに添そひて火ひ移うつりの昨きの日ふを夢ゆめみ、冷ひやかの今いまに涙なみだぐみ、もの倦うじがほにたゆたひつ、迷まよひつ、軈やがて木きの上ほづ枝えより細ほそ高だかに、い行ゆくか烟けむり、ありなし雲ぐもとたゞよひて、天あめのこころに溶とけ入いりぬ。﹇＃改ページ﹈

寂寥

宿との直ゐやつれの雛ひな星ぼしは、

たゆげにまたたきつ、竹な柏ぎの老おい木きは、寢ねおびれの夢ゆめさわがしく息いきづきぬ。　　夜よはもなか、　　吾あぞひとり、かすかに物もののけはひして、ささやく心こゝ地ち、さびしさの香かにほのめきて身みにぞ泌しむ。

［＃改ページ］

隱り沼

初はつ冬ふゆの日ひはたそがれぬ、隱こもり沼ぬや、山やま田だの乳ちお媼も、おもひでの吐とい息きかすけき面おもてやつれ。葉はずくなの並なみ木きの路みちに、黄あめまだら足あな惱ゆむ牛うしは、夕ゆふ霧ぎりの鈍にぶにかくれつ、蹄ひづめおもに。苅かり小を田だの目め路ぢや、さながら齋いはひ兒ごの葬はふ式りのゆふべ、跡あと淨ぎよめ、――柱はし隱らがくれに、居ゐよるここち。涙なみだぐむ小を木ぎの翡かは翠そび、初うひ立だちし巣すや見みわ忘すれし、ものうげに、つとこそ移うつれ、あなたざまへ。夕ゆふ凝ごりの岸きしのくづれに、かさこそと、河かは原らす菅が菜なのこれや、はた老おいにし夏なつの夢ゆめのひびき。佛ぶつ生しや會うゑ、生いく日ひの日ひなか、花はな浮うけし胸むねに、こよひは野のの――柳やなぎ――姫ひめが落おち髮がみ、葉ぞひたりつ。寂じや寞くまくや、﹃昨きの日ふ﹄は逝ゆきぬ、﹃明あ日す﹄はまた虚そら音ねに似にたり。失うつ心けなる﹃今いま﹄になづみて、水かよどむ。しだらなの眞まこ菰ものなかに、水み漬づく火ひや、――今こよ宵ひも星ほしは、秉ひや燭うそくの火ほか影げに、天あめの戸とこそまもれ。水みど泥ろなす闇くらき胸むねにも、常とこひさの光ひかりの映はえや、―― たゆげなる笑ゑみ青あをじろに、沼ぬまぞ皺しわむ。

［＃改ページ］

江ばやし

しろがねの角つのがむり、あえかなる月つきしろや、眼まなざしは、天あまつ阿あ摩まの慈じ悲ひとこそ滴したたれ。水みさ錆びの香かくゆる夜よを、江えば林やしのたたずまひ、さびしらや、齋いも居ゐ精さう進じ、木き木ぎの息いきしのびに。蝙かは蝠ほりはうつぼ樹ぎに、膜あまかはか味あぢ甞なむる。妖まよ惑はしの羽は搏うち絶たえて、しめらへる樹この間まや。葉はのひと片へつぶやき、ふた片へまたささやぐ。ありし日の榮はえや、さこそ鷺さぎ脚あしに落おつらし。あな解けだ脱ち、――さばかりの嚴いづの夜よの氣けぶ深かさに、ともすれば、女めが吐とい息きのなよびこそ仄ほの見みれ。

［＃改ページ］

睡蓮の歌

水みづうはぬるむ水みな無づ月きの夏なつかげくらき隱こもり沼ぬに、花はなこそひらけ、觀くわ法んばふの日ひを睡すい蓮れんのかた笑ゑまひ。しろがね色いろの花はな萼ぶさに、一いち

のかをり焚たきくゆる蘂しべは、ひめもす薫くん習じふの沼ぬの氣けに染しみてたゆたひぬ。たたなはる葉はのひまびまに、ほのめきゆらぐ未みふ敷れ蓮んのひとつびとつは、後のちの日ひをこの日ひにつなぐ願ぐわんならし。夕ゆふべとなれば、水みがくれの阿あ摩まなる姫ひめがふところに、ひと日ひを、やがて現げん想さうのうまし眠ねむりに隱かくろひぬ。沼ぬにひとりなる法はふ子し兒ごの翡かた翠そびならで、くだちゆく如によ法ばふ闇あん夜やに、睡すい蓮れんの聖ひじり世よを、誰たがしのぶべき。

［＃改ページ］

海のほとりにて

鈍にぶなるみ空そら、鈍にぶなる海うみ、ああ身みぞひとり、入いり波なみゆたにたゆたひてゆふべとなりぬ。氷ひさ雨めの海うみの海わだ神つみは、椰や子しの實み熟うるる常とこ夏なつかげの國くに戀こひて、胸むねさわぐらし。冲おきの遠とほ鳴なり、潮うしほの香か、―― ああ醉ゑひごこち、いづくは知しらず、靈たま魂しひの故ふる郷さとこひし。わが世よは知しらぬかなたへと、日ひに、また夜よはに、あくがれまどふ野のご心ころの努ぬり力きの羽はう搏ち。﹃時とき﹄は頓ま死ぐれて死しにぬとも、遂とげの日ひまでは、常とこ若わかにしもあらまほし、わだつみとわれ。

［＃改ページ］

知らぬかなた

一

小を野のの苅かり生ふの葉はがくれに、乾ひ田だの

のしたぶしに、鶉うづらは夢ゆめをはぐくみぬ。さこそは似にしか、そのかみのたもとほりにし日ひの戀こひは。

二

紅あか顏らを孃と子めのましら手でに、ゐよりし宵よひは、くちづけの香かをしも愛めでき。さあれなほ魂たまはしのびに吐とい息きして、知しらぬかなたにあくがれき。

三

今こよ宵ひかすけき囁ささやきに、ふと聞きき惚とれて涙なみだぐむ心こころは知しらじ、甞かつてだに。そことしも無なきかなたこそ、また追おも懷ひでのそのかみに、――

［＃改ページ］

夕とどろき

一

新月（ゆふづき）さしぬ、物（もの）の香（か）の
ほのかに薫（くゆ）る五月野（さつきの）に、
夢（ゆめ）かのわたり、都邊（みやこべ）の
夕（ゆふ）とどろきに聞（き）きとれぬ。

二

甞（かつ）ては、吾（われ）もなよびかの
あえかの人（ひと）と相知（あひし）りて、
世（よ）にうつくしき事榮（ことばえ）の
あまた夜（よ）にこそ醉（ゑ）ひにしか。

三

日（ひ）は徃（ゆ）き消（き）えつ。今（いま）もはた
かすかに殘（のこ）るおもひでの、
何（なに）とは知（し）らず、夕（ゆふ）ごゑを
吾（われ）かのさまにさしぐみぬ。

［＃改ページ］

涙の門をゆきすぎて

涙なみだの門かどをゆきすぎて、わが家いへ居ゐこそそこにあれ、﹃笑ゑまひ﹄の花はなも、﹃嘆なげかひ﹄の垂たり葉はも生おひぬ夕ゆふ庭にはは、橡つる色ばみいろの被かづ衣ぎして、墳おく墓つきの如ごとしめやぎぬ。涙なみだの門かどをゆきすぎて、そこに﹃沈しじ默ま﹄の樹きこそあれ、しろがねの葉はのした蔭かげに、﹃思し慧ゑ﹄の木この實みを採とり食はみて、生よは榛はし實ばみの虚うろの實みの﹃寂さびしみ﹄をのみ味あぢはひぬ。涙なみだの門かどをゆきすぎて、神かみこそ坐ませれ、古ふる御ごだ達ち、天あまつ御みの宣りの老おい舌じたに、ひと日ひは、知しらずつらかりし、さあれ、風みや雅びに數す奇きなりし運さ命だ神めをこそは忍しのびしか。

［＃改ページ］

^＊朝顏姫の嘆き

黄こが金ね樞くるるの音ねこそすれ、いま﹃曙あけぼの﹄のいでますと、天あめの御みか蔭げの一いちの門とは、戸とをかもあくる。どよみは胸むねを拊そたたきて、日ひの追おも懷ひでぞめざめぬる。ああ曙あけぼのや、なつかしき唐はね棣ずのころも。さしぐむ目まみの濕うるほひに、目まか耀よふ天あめの羽はぐるまや、ああ曙あけぼののうはじらむ唐はね棣ずのころも。美うつくしかりしそのかみの夢ゆめの香かほのに身みに泌しみて、手たわ弱やか腕ひなの卷まき鬚ひげぞ、わななき撓たゆむ。天あめの御みか蔭げの宮みやづとめ、朝あさ顏がほ姫ひめの名なに呼よばれ、七なな座ます星ほしの群むれにして、舞まひしや、むかし。おほみ淵うた醉げの良あた夜らよに、日ひ子こに婚あひてし日ひの初はじめ、嚴いづのむしろを禁とめられて、花はなとし生おひつ。花はなとを咲さけど、﹃くらやみ﹄の牢ひと獄やの窓まどに俯うつ居ゐして、ああ曙あけぼのや、夜よもすがら君きみをこそ待まて。君きみを待まつ間まをゆるされに、天あめの足たる日ひをかいまみるありなし時どきや、せつなさの心こゝろもすずろ。はかなき今いまの身みが柄らには、ひかりは久ひさに堪たへなくに、ああ曙あけぼのや、まばゆさに、目めこそ盲しひぬれ。黄こが金ねひ向ぐ日る葵ま、日ひう移つりに、日ひの轍あとをこそ趁おふといへ、わなみ盲めし目ひのうなだれて方かたもぞ知しらぬ。﹃悲なげ愁き﹄は若わかき孕うぶ婦めにて、日ひなみに五い百ほの眼めをはらみ、ああ曙あけぼのや、目まの伸しして君きみを待またまし。

＊朝顏姫は七夕七姫のうちの
　ひとりなり

﹇＃改ページ﹈

^＊筑波紫

夜よは明あけぬ。二にの新あら代たよの朝あさぼらけ、國くにの兄えび姫めの長たけすがた、富ふ士じこそ問とへれ、しろがねの被かづ衣きも搖ゆらに、﹃やよ筑つく波ば、八やそ十と伴もの緒をは玉たまぶちの冕かむ冠りも高たかに、天あめの宮みや御みか垣きは守もるに、いかなれば、異ことよそほひの東あづ人まどと、汝なれやはひとり、玉たま敷しきの御みか蔭げの庭にはも見みず久ひさに、下したなる國くにの暗くら谷だににつくばひ居ゐるや。﹄筑つく波ば根ねの東あづ聲まごゑして、﹃天あめの宮みや、御みつ使かひ姫ひめは汝なこそあれ、われは國くに造つこ、高たか翔がくる日ひの羽はぐ車るまをともなひて、朝あさなゆふなに七なな度たびの國くに見みの反そり身み、﹃汝なが希のぞ望み、あくがれ、吟なが咏め、高たかわらひ、努ぬり力き、若わかやぎ、また愛あいの華け座ざはここに。﹄と、むらさきの常とこ若わかすがた花はなやかに、ほにこそ揚あぐれ、人ひとの世よの、あはれ烽のろ火しを。﹄

＊詩集『筑波紫』に序す

［＃改ページ］

^＊樂のすずろぎ

衣きぬかづき腕かひなたゆげに、夕ゆふ月づきは門とにこそゐよれ。靜さび寂しさは清きよみ酒きの如ごと、野のも山やまもねむげに醉ゑひつ。ひともとの河かは原ら赤はん楊のき、うなだるる下しづ枝えの梢うらき、四よつの緒をは風かぜに歌うたへり、しろがねの音ねい色ろもゆらに。﹃わが絃いとの一いちには、天あめの飛とぶ車くるま、星ほしのどよもし。二にの緒をには、青あをうなばらや、海わだ神つみの浪なみのゑわらひ。﹃三さんの緒をは、瑞みづ樹きのかくれ、たわや女めが夏なつの夜よの夢ゆめ。四しには、はた巖いは根ねの小さ百ゆ合り、あけぼのの香かのささやきを。﹃今こよ宵ひしも思おもひあがりつ、美うまし音ねは神かみもこそ聞きけ、常とこ樂よ界べの、はた黄かく泉りよの魂たまむすび、――今いま暫しばの間まを。﹄琴ことの音ねは低ひくにゆるびぬ、ああ今いまか、小を野のの草くさだに、奇くし御みた靈ま葉はにもゆらぎて、靜しづ歌うたの音ねにはたつらめ。

＊詩集『四の緒琴』に序す

﹇＃改ページ﹈

^＊藝のゆるされ

立たち樂がくの節ふしはたゆみぬ。聞ききね、いま御みか蔭げの庭にはに羽はばたきのはたと響どよみて、セラヒムの聲こそわたれ、﹃天あまつ世よの生いく日ひ足たる日ひや、事こと榮ばえに醉ゑひさまたれぬ。合をあ奏はせの美うまし音ねい色ろに聞ききとれし心あがりの、やがてまた、見みがほしとこそ見みざらめや、御みか門どば柱しらの彩だみ畫ゑにも、天あまつ顏かほばせ、大おほ御み身まの嚴いづのひかりを。やをれ、今いま天あま路ぢに虹にじを、野のに花はなを、眞まや闇みに星ほしを、黎しの明のめの空そらを、あからめ、わだつみの浪なみをいろどる選えり人うどを召めせよ。﹄とあれば、二にの大おほ門どからりと鳴なりつ。しろがねの樞くるるはきしり、諸もろとびらつと離はなるるや、階きざはしを繪ゑ師しはあがりぬ。

＊『太平洋畫會畫集』に序す

［＃改丁］

鈴蘭の歌

一

﹃深みや山まし樒きみの小さえ枝だにも、花はなはほのかにくゆる日ひを、日ひが雀ら、日ひが雀ら女め、そなたには、母はは御ごが無ないか、子こが無ないか、何な故ぜに色いろ音ねの濕しめるや。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

二

﹃母ははも知しらねば、子こも有もたぬ、たつた一ひと人りの夫つま鳥どりを、鷹たかにとられた日ひの初はじめ、歌うたの若わかえは忘わすられた、孀やもめの鳥とりの身みぢやまで。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

三

﹃雀すずめがくれの狩かり塲くらに、黄きあ脚しし鴫ぎもや裏うらぎりて、さは囚とらはれの、――日ひの後のちは、野の木ぎの古ふる巣すのおもひでに、泣なき濡ぬれてのみ過すぐすや。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

四

﹃夫せなに別わかれたまたの朝あさ、餘あまり戀こひしさ、會あひたさに、黄は櫨じの木こだ立ちの山やまごえを、鷹たか師しのもとに訪おとづれて、許ゆるされもこそ嘆なげいたに。﹄　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

五

深みや山まの鳥とりも、悲かなしびの酒もた甕ひに

むしたたりに、醉よはざなるまい術すべなさか、いづれは若わかい身みの性さがの、さても相あひ似にた宿すぐ世せや。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

六

﹃鷹たか師しの君きみの言いやるには、幸さちは市いち女めにひさがれて、肴なにもこそなれ、其そな方たには代しろやまゐろと、啄ついばみにやがて取とらせた草くさの實み。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

七

﹃深みや山まお姥うなの使つかひ姫ひめ、鷽うそが落おとした蠱まじの實みの粒つぶのひとつや含ふくまれて、野の木ぎの叉また枝えの巣すごもりに、芽めぐむや、禍まがの妖まよ惑はし。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

八

﹃狐きつにかくれて、切きり畑ばたの片かた日びな向たにもおろしやれ、木この葉はごろもの山やま姫びめの袖そでをこぼれた實みぢやまでに、あり慰なぐさめにまゐらす。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

九

﹃草くさくだものの償つぐのひに、秋あきのとまりの神かみ無なづ月き、末すが枯れを小を野のに齎もたらする﹃日ひ﹄は、鈍にぶの葉はもはぐくみて、咲さいたか、花はなの忘わすれぐさ。﹄　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

一〇

﹃山やました小を野のは、羅あす漢な松ろの老おい木きのもとに實みを蒔まいて、花はなのしづくに濕しめすまに、芽めば生えは日ひ日びに羽はを伸のして、やをら生おひ出でた、鈴すず蘭らに。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

一一

﹃あな憂うと見みたは、山やま姫ひめの心こころしらひの戯たはむれか、小を木ぎ曾そをとめの身みが柄らには、また見みるものか、鈴すず蘭らんの名なは幸さい福はひのよみがへり。﹄　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

一二

﹃木きの叉また枝ぶりに俯うつ居ゐして、日ひにまた夜よはの齋ゆま戒はりに、つと幻まぼろしのほのめいて、白しろよそほひの郎いら姫つひめ、花はなは笑ゑみそろ、一いちの花はな。﹄　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

一三

﹃ああ、よみがへる歡よろ喜こびの日ひの前まへ申まうし、鈴すず蘭らんのひとつびとつの花はなびらに、黄こが金ねの文も字じも見みやらぬか、﹃あり待まつ戀こひの齋ゆま戒はり﹄。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

一四

﹃待まちよろこびや、またの日ひは、紅あか顏らをとめの曙あけぼのが、山やました小を野のの朝あさ踐ぶみに、玉たま裳ものすその香かにしみて、花はなは咲さきそろ、二にの花はな。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

一五

﹃また笑ゑみそめた垂たり花ばなの麻あさの葉はが形たのくちびるに、天あめの

酒したみを味あぢ甞なめて、聞ききやらぬかの、囁さゝやきを、﹃齋ゆまはる戀こひの淨きよまり﹄。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　小を木ぎ曾そ女め。

一六

汲くむにまかせた大おほ甕みかの深ふかげの世よかな、あり掬むすぶ辱かたじけなさにさしぐみて、あり木きの枝えだの葉はがくれに、今け日ふもこそ待まて、三さんの花はな。﹄　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

一七

﹃ひたぶる心ごころ――汝なが眼めには、花はなは天あま路ぢの

惑ひな星つぼし明あ日すは莖くき葉ばの三さんの座ざに、巖いづのひかりも見るわいな、﹃淨きよまる戀こひのゆるされ﹄を。﹄　　さつさ、いよこの、﹇＃﹁いよこの、﹂は底本では﹁よいこの、﹂﹈　　　　小を木ぎ曾そ女め。

一八

﹃花はなを待まちみる事こと榮ばえに、さこそは齋ゆまへ、ともすれば青あを水みな無づ月きの小を野のの香かに、むかしの夢ゆめのうらびれて、古ふる巣すを見てはさしぐむ。﹄と、　　さつさ、いよこの、　　　　日ひが雀ら女め。

［＃改ページ］

三の百合

やをれ、此こな方さ樣ま、初はつ夏なつの永ながい日ひなかを何ど處こへ徃ゆこ、ぬるむ小をが河はの水みづこえて、向むかうお山やまへ花はな折をりに。花はなは何なにぐさ、山やまの百ゆ合り、瑞みづ枝えしだれた秦とね木り皮この蔭かげにひともと手た折をりては、知しらぬ﹃往むか時し﹄にたてまつり。深みや山まほ頬ほじ白ろ鳴なきかへる十いざ六よ夜ひ薔ば薇らの葉はがくれに、またもひと本もと見み出だしては、﹃今け日ふ﹄を祝ほがひの花はなの環わに。一いちはかざしに、二には胸むねに、さては御おん手てに、﹃ゆくすゑ﹄のあらまし事ごとの願ねがひにと、參まゐらす花はなのあらばよい。あかつき露づゆのうは濕じめり、まだ乾ひぬ森もりのした路みちを、眞ま保ほ良らの奧おくにわけいれば、深みや山まがくれの戸とが見ゆる。﹃夏なつ野のの姫ひめに物ものまうす、牧まきのをとめに、ひと莖ぐきの花はなを。﹄と門かどをそたたけば、からりと開あいた闇やみの宮みや。宮みやの閾しきみのかたかげに、白しろよそほひの立たちすがた、えならぬ香かにも仄ほのめいて、咲さいた、あえかの山やまの百ゆ合り。姫ひめが御みた賜まの花はなやとて、心こゝろいそいそ寄よるとすりゃ、思おもひもかけぬ尾をな鳴らしの蛇へびが見みえそろ、葉はがくれに。花はなは折をりたし、蝮くちばみの葉はも守りのまみは見みま憂ういし、淺あさ野のに百ゆ合りは咲さくまいに、何なにを樣さまにはまゐらさう。ついと強しひ往ゆく手たなさきに、蛇へびはぬる火びのかつ消きえて、闇やみのあなたに、ほのぼのの花はなや、――と見みれば夢ゆめわいな、山ぶ毛な欅の瑞みづ枝えの下した蔭かげで、樣さまにもたれて眞まし白ら百ゆ合り、一いちはかざしに、二には胸むねに、三さんは御おん手ての手てのひらに。

［＃改ページ］

白羊宮　畢

「竹かんむり／候」、U+25C4C		14-1、14-1
「義」の「我」に代えて「咨−口」、U+7FA1		53-5
「てへん＋吾」、U+6342		281-7