一利己主義者と友人との対話

石川啄木




B おい、おれは今度また引越しをしたぜ。
A そうか。君は来るたんび引越しの披露ひろうをして行くね。
B それは僕には引越し位の外に何もわざわざ披露するような事件が無いからだ。
A 葉書でも済むよ。
B しかし今度のは葉書では済まん。
A どうしたんだ。何日いつかの話の下宿の娘から縁談でも申込まれて逃げ出したのか。
B 莫迦ばかなことを言え。女の事なんか近頃もうちっとも僕の目にうつらなくなった。女より食物くいものだね。好きな物を食ってさえいれあ僕には不平はない。
A 殊勝な事を言う。それでは今度の下宿はうまい物を食わせるのか。
B 三度三度うまい物ばかり食わせる下宿が何処どこにあるもんか。
A 安下宿ばかりころがり歩いた癖に。
 宿宿
A よく自分に飽きないね。
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A 君のやりそうなこったね。
B そうかね。僕はまた君のやりそうなこったと思っていた。
A 何故なぜ
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A 飯の事をそう言えや眠る場所だってそうじゃないか。毎晩毎晩同じ夜具を着て寝るってのも余り有難いことじゃないね。
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A 飯のたんびに外に出なくちゃならないというのと同じだ。
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A ひと足ひと足新しい眠りに近づいて行く気持はどうだね。ああ眠くなったと思った時、てくてく寝床を探しに出かけるんだ。昨夜ゆうべは隣の室で女の泣くのを聞きながら眠ったっけが、今夜は何を聞いて眠るんだろうと思いながら行くんだ。初めての宿屋じゃ此方こっちの誰だかをちっとも知らない。知った者の一人もいない家の、行燈あんどんか何かついた奥まった室に、やわらかな夜具の中にゆっくり身体を延ばして安らかな眠りを待ってる気持はどうだね。
B それあ可いさ。君もなかなか話せる。
 
 
A 飯を食いに出かけるのだってそうだよ。見給え、二日つと君はまた何処かの下宿にころがり込むから。
 
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B そうだろう。おれはどうも初め思いたった時、君のやりそうなこったと思った。
A 今でもやりたいと思ってる。たった一月でも可い。
B どうだ、おれん処へ来て一緒にやらないか。可いぜ。そして飽きたら以前もとに帰るさ。
A しかしいやだね。
B 何故。おれと一緒が厭なら一人でやっても可いじゃないか。
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B 何だい。もうその時の挨拶あいさつまで工夫くふうしてるのか。
A まあさ。「とうとう飽きたね」と君に言うね。それは君に言うのだから可い。おれは其奴そいつを自分には言いたくない。
B 相不変あいかわらず厭な男だなあ、君は。
A 厭な男さ。おれもそう思ってる。
B 君は何日いつか――あれは去年かな――おれと一緒に行って淫売屋いんばいやから逃げ出した時もそんなことを言った。
A そうだったかね。
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A 笑わせるない。
B 笑ってもいないじゃないか。
A 可笑おかしくもない。
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A 何故。
B 相不変あいかわらず歌を作ってるじゃないか。
A 歌か。
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A どうだか。
B 歌も可いね。こないだ友人とこへ行ったら、やっぱり歌を作るとか読むとかいう姉さんがいてね。君の事を話してやったら、「あの歌人はあなたのお友達なんですか」って喫驚びっくりしていたよ。おれはそんなに俗人に見えるのかな。
A 「歌人」は可かったね。
  
A 御馳走ごちそうでもしてくれるのか。
B 莫迦ばかなことを言え。一体歌人にしろ小説家にしろ、すべて文学者といわれる階級に属する人間は無責任なものだ。何を書いても書いたことに責任は負わない。待てよ、これは、何日いつか君から聞いた議論だったね。
A どうだか。
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B それは三等の切符を持っていた所為せいだ。一等の切符さえ有れあ当り前じゃないか。
A 莫迦ばかを言え。人間は皆赤切符だ。
B 人間は皆赤切符! やっぱり話せるな。おれが飯屋へ飛び込んで空樽あきだるに腰掛けるのもそれだ。
A 何だい、うまい物うまい物って言うから何を食うのかと思ったら、一膳飯屋へ行くのか。
B かみは精養軒の洋食からしもは一膳飯、牛飯、大道の焼鳥に至るさ。飯屋にだってうまい物は有るぜ。先刻さっき来る時はとろろ飯を食って来た。
A 朝には何を食う。
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A 流行るかね。おれの読んだのは尾上柴舟おのえさいしゅうという人の書いたのだけだ。
B そうさ。おれの読んだのもそれだ。しかし一人が言い出す時分にゃ十人か五人は同じ事を考えてるもんだよ。
A あれは尾上という人の歌そのものが行きづまって来たという事実に立派な裏書うらがきをしたものだ。
B 何を言う。そんなら君があの議論を唱えた時は、君の歌が行きづまった時だったのか。
A そうさ。歌ばかりじゃない、何もかも行きづまった時だった。
B しかしあれには色色理窟りくつが書いてあった。
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B 君はそうすっと歌は永久に滅びないと云うのか。
A おれは永久という言葉は嫌いだ。
B 永久でなくても可い。とにかくまだまだ歌は長生ながいきすると思うのか。
 
B 何日になったら八十になるだろう。
A 日本の国語が統一される時さ。
 使
A それだけ混乱していたら沢山じゃないか。
B うむ。そうすっとまだまだか。
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B 気長い事を言うなあ。君は元来性急せっかちな男だったがなあ。
A あまり性急だったおかげで気長になったのだ。
B 悟ったね。
A 絶望したのだ。
B しかしとにかく今の我々の言葉が五とか七とかいう調子を失ってるのは事実じゃないか。
A 「いかにさびしき夜なるぞや」「なんてさびしい晩だろう」どっちも七五調じゃないか。
B それはきわめてまれな例だ。
A 昔の人は五七調や七五調でばかり物を言っていたと思うのか。莫迦。
B これでも賢いぜ。
A とはいうものの、五と七がだんだん乱れて来てるのは事実だね。五が六に延び、七が八に延びている。そんならそれで歌にも字あまりを使えば済むことだ。自分が今まで勝手に古い言葉を使って来ていて、今になって不便だもないじゃないか。なるべく現代の言葉に近い言葉を使って、それで三十一字にまとまりかねたら字あまりにするさ。それで出来なけれあ言葉や形が古いんでなくって頭が古いんだ。
B それもそうだね。
 調()()()()調()
B そうすると歌の前途はなかなか多望なことになるなあ。
A 人は歌の形は小さくて不便だというが、おれは小さいからかえって便利だと思っている。そうじゃないか。人は誰でも、その時が過ぎてしまえば間もなく忘れるような、乃至ないしは長く忘れずにいるにしても、それを言い出すには余り接穂つぎほがなくてとうとう一生言い出さずにしまうというような、内から外からの数限りなき感じを、後から後からと常に経験している。多くの人はそれを軽蔑けいべつしている。軽蔑しないまでもほとんど無関心にエスケープしている。しかしいのちを愛する者はそれを軽蔑することが出来ない。
 
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B いのちを愛するってのは可いね。君は君のいのちを愛して歌を作り、おれはおれのいのちを愛してうまい物を食ってあるく。似たね。
A (間)おれはしかし、本当のところはおれに歌なんか作らせたくない。
 
A おれはおれに歌を作らせるよりも、もっと深くおれを愛している。
B 解らんな。
A 解らんかな。(間)しかしこれは言葉でいうと極くつまらんことになる。
B 歌のような小さいものに全生命を託することが出来ないというのか。
 

B (やや突然に)おい、飯食いに行かんか。(間、独語するように)おれも腹のへった時はそんな気持のすることがあるなあ。






底本:「石川啄木集(下)」新潮文庫、新潮社
   1950(昭和25)年7月15日発行
   1970(昭和45)年6月15日25刷改版
   1991(平成3)年3月5日48刷
底本の親本:「啄木全集第4巻 評論 感想」筑摩書房
   1967(昭和42)年9月30日
初出:「創作 第一巻第九号」
   1910(明治43)年11月1日
入力:青空文庫
校正:鈴木厚司
2004年8月11日作成
2016年4月26日修正
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