胡こげ元んの社しゃ稷しょくが傾きかけて、これから明が勃興しようとしている頃のことであった。嘉かこ興うに羅らあ愛いあ愛いという娼婦があったが、容貌も美しければ、歌舞音曲の芸能も優れ、詩詞はもっとも得意とするところで、その佳かへ篇んれ麗いじ什ゅうは、四方に伝播せられたので、皆から愛し敬うやまわれて愛卿と呼ばれていた。それは芙ふよ蓉うの花のように美しい中にも、清楚な趣のあった女のように思われる。風流の士は愛卿のことを聞いて、我も我もと身のまわりを飾って狎なれなずもうとしたが、学ぼう無がく識むしきの徒は、とても自分達の相手になってくれる女でないと思って、今更ながら己れの愚しさを悟るという有様であった。
ある年のこと、それは夏の十六日の夜のことであった。県中の名士が鴛えん湖この中にある凌りょ虚うき閣ょかくへ集まって、涼を取りながら詩酒の宴を催した。空には赤い銅盤のような月が出ていた。愛卿もその席へ呼ばれて、皆といっしょに筆を執ったがまたたくまに四首の詩が出来た。
一
月は
手に
曲終って覚えず
願わくは
曲々たる
六
夜更けて
愛卿の詩を見ると、もう何た人れも筆を持つ者がなかった。
趙という富豪の才子があって、父親が亡くなったので母親と二人で暮していたが、愛卿の才色を慕うのあまり、聘へい物もつを惜まずに迎えて夫人とした。
趙家の人となった愛卿は、身のとりまわしから言葉の端に至るまで、注意に注意を払い、気骨の折れる豪家の家事を遺いか憾んなしに切りもりしたので、趙は可愛がったうえに非常に重んじて、その一言半句も聞き流しにはしなかった。
趙の父親の一族で、吏りぶ部しょ尚うし書ょとなった者があって、それが大都から一封の書を送ってきたが、それには江南で一官職を授けるから上京せよと言ってあった。功名心の盛んな趙は、すぐ上京したいと思ったが、年取った母親のことも気になれば、愛卿を遺して往くことはなおさら気になるので、躊躇していた。
愛卿は趙のそうした顔色を見て言った。
﹁私が聞いておりますのに、男の子の生れた時は、桑の弧ゆみと蓬よもぎの矢をこしらえて、それで天地四方を射ると申します、これは将来、男が身を立て、名を揚げて、父母を顕わすようにと祝福するためであります、恩愛の情にひかれて、功名の期を逸しては、亡くなられたお父様に対しても不孝になります、お母様のお世話は及ばずながら私がいたします、ただ、お母様はお年を召されておりますうえに、御病身でございますから、それだけはお忘れにならないように﹂
趙は愛卿に激励せられて、意を決して上京することにした。そこで旅装を調ととのえ、日を期して出発することになり、中堂に酒を置いて、母親と愛卿の三人で別れの觴さかずきをあげた。
その酒が三まわりした時であった。愛卿は趙に向って言った。
﹁お母様の御健康をお祝しになっては、いかがでございます﹂
趙はいわれるままに觴を母親の前へ捧げた。
愛卿は立って歌った。それは斉さい天てん楽がくの調べに合わせて作った自作の歌であった。
恩情功名を把りて誤らず
離筵 また金縷 を歌う
白髪の慈親
紅顔の幼婦
君去らば誰あって主たらん
流年幾許 ぞ
況 んや悶々愁々
風々雨々
鳳 拆 け鸞 分 る
未だ知らず何 れの日にか更に相 聚 らん
君が再三分付 するを蒙り
堂前に向って侍奉 す
辛苦を辞するを休 め
官誥 花を蟠 し
宮袍 錦 を製す
妻を封じ母を拝するを待たんことを要す
君須 らく聴取すべし
怕 る日西山に薄 って愁阻を生じ易きことを
早く回程 を促して
綵衣 相対 して舞わん
白髪の
紅顔の幼婦
君去らば誰あって主たらん
流年
風々雨々
未だ知らず
君が再三
堂前に向って
辛苦を辞するを
妻を封じ母を拝するを待たんことを要す
君
早く
歌が終った時ぶんには、皆の眼に涙が光っていた。趙を載せて往く舟は、門の前に纜ともづなを解いて待っていた。
趙は酔に力を借って別れを告げて舟へ乗った。愛卿は趙を送って岸へ出て、離れて往く舟に向って白い小さい手てさ端きを見せていた。
趙はやがて大都へ往った。往ってみると尚書は病気で官を免ぜられていた。趙は進退に窮して旅館へ入り、故郷へ引返そうか、仕官の口を探そうかと思って迷っているうちに、数ヶ月の日にっ子しが経った。
一方故郷の方では、旅に出た我が子の身の上を夜も昼も心配していた趙の母親は、その心配からまた病気がちの体を痛めて、病床の人となった。愛卿は人の手を借らずに、自分で薬を煎じ、粥をこしらえて母親に勧め、また神にその平癒を祈った。
﹁あの子は、どうしたというだろう、何故便りがないだろう﹂
母親は愛卿の顔を見るたびに、こんなことをいって聞いた。
﹁なに、今に何か言ってまいりますよ、それとも官が定ったので、御自分でお迎えにきていらっしゃるかも判りません、御心配なされることはありませんよ﹂
愛卿はしかたなしにいつもこんなような返事をして慰めていたが、自分でも母親以上に心配していた。
そのうちに半年ばかりになったが、母親の病気はひどくなって、もう愛卿の勧める薬を自分の手で飲むことすらできないようになった。愛卿は枕まく頭らもとに坐って、死に面している老婆の顔を見て泣いていた。と、麻あさ殻がらのような痩せた冷たい手がその手にかかった。
﹁もう私はだめだ、あんたにひどく厄介をかけたが、その返しをすることもできない、このうえ、私の望みは、早くあの子が旅から帰ってくれて、あんたとの間に、児こどもができ、孫ができて、その児や孫達に、あんたが私にしてくれたように、あんたに孝行をさしたい、もし、天がこのことを見ていらっしゃるなら、きっとそうしてくだされる﹂
母親はそれをやっと言ってから、呼い吸きが絶えてしまった。愛卿はその死骸に取り著いて泣いていた。
愛卿はその母親の死骸を白はく苧ちょ村そんに葬ったが、心から母親の死を悲しんでいる彼女は、その悲しみのために健康を害して、げっそり体が痩せて見えた。
それは元の至正十七年のことであった。その前年、張ちょ士うし誠せいが平へい江こうを陥れたので、江こう浙せつ左さじ丞ょう相そう達たつ織しき帖ちょ睦うぼ邇くじが苗びょ軍うぐんの軍師楊よう完かんという者に檄を伝えて、江浙の参政の職を授け、それを嘉興で拒ふせがそうとしたところが、規律のない苗軍は掠奪を肆ほしいままにした。
楊完の麾き下かに劉りゅ万うま戸んこという者があったが、手兵を連れて突然趙の家へきた。愛卿は大いに驚いて逃げようとしたが、逃げる隙がなくとうとう捕えられて、万戸の前へ引きだされた。
万戸は愛卿の顔を赤あか濁にごりのしたいかつい眼でじっと見ていたが、いきなり抱きかかえて一室の中へ入って往った。愛卿はもう悶も掻がくのをやめていた。万戸の毛もくじゃらの頬はすぐ愛卿の頬の近くにあった。
﹁体が、体が汚れております、ちょっと湯あみをさしてくださいまし﹂
万戸はすこし顔を引いて愛卿の顔を見た。
﹁なりもこんな汚いなりをしております、ちょっとお待ちを願います﹂
愛卿はにっと笑って万戸の眼を見入った。
﹁そうか﹂
万戸もにっと笑って愛卿を下におろした。
愛卿はも一度万戸の方を見て恥かしそうに笑いながら外へ出た。そして、一室へ入って水で体を洗い、静かに、傍かたわらの閤こざしきへ入って往ったが、それっきり出てこなかった。
女のくるのを待っていた万戸は、あまり遅いので不審を起して、探し探し閤の中へ往った。閤の中では愛卿が羅らき巾んを首にかけて縊くびれていた。
万戸は驚いて介抱したが蘇生しないので、綉しと褥ねに包んで家の背後の圃はた中なかにある銀いち杏ょうの樹の下へ埋めた。
間もなく張士誠は、江浙左丞相達織帖睦邇の許もとへ款かんを通じて、降服したいといってきたので、達丞相は参政周しゅ伯うは埼くきなどを平江へやって、これを撫ぶ諭ゆさし、詔みことのりを以って士誠を大尉にした。
それがために楊参政は殺されて、麾下の軍士は四散した。大都の旅館にいた趙は、故郷へ引返すことに定めて帰ろうとしたところで、嘉興が戦乱の巷になりかけているということを聞いたので、帰ることもできずに家のことを心配していたが、そのうちに士誠が降り楊参政の軍が潰滅した。従って道も通じたので、はじめて舟に乗って帰り、太たい倉そうからあがって往った。
嘉興の城内は、到る処に破壊の痕を止めていた。見覚えのある第宅が無くなっていたり、第宅はあっても住んでいる人が変っていたりした。趙は自分の家のことを心配しながら走るようにして歩いて往った。
家は依然として立っていたが、入口の扉はとれて生え茂った雑草の中に横たわっており、調度のこわれなどが一面に散らかって、それに埃ほこりがうず高くつもっていた。脚あし下もとで黒い小さなものがちょろちょろと動くので、よく見るとそれは鼠であった。
荒廃した家の内からは、返事をする者もなければ、出てくる者もいなかった。趙は驚いて家の中を駈け廻ったが、母親の影も愛卿の影も、その他にも人の影という影は見えなかった。
趙は茫然として中堂の中に立っていた。庭の方で鳥の声がした。それは夕陽の射した庭の樹に一羽のがきて啼いているところであった。
淋しい夕暮がきた。趙は母親と愛卿は、楊参政の麾下の掠奪に逢って、どこかへ避難しているだろうと思いだした。彼は翌日知人を訪うて精くわしい容子を聞くことにして、そのあたりを掃除して一夜をそこで明かした。
朝になって趙は、嘉興の東門となった春波門を出て往った。そこには紅橋があった。趙はその側へ往ったところで見覚えのある老人に往き逢った。
﹁おい、爺じゃないか﹂
それはもと使っていた僕げなんであった。
﹁だ、旦那様じゃございませんか﹂
老人は飛びかかってきそうな容ふうをして言った。
﹁ああ、俺だよ﹂
趙は一刻も早く母親と愛卿のことが聞きたかった。
﹁爺や、お前に聞きたいが、家のお母さんと家内は、どこにいるだろう、お前は知らないのか﹂
﹁旦那様は、まだ御存じがないのですか﹂
﹁知らない、どうした、お母さんと家内は、どうしたというのだ﹂
趙はせき込んで言った。
﹁旦那様、えらいことが出来ております﹂
老人の眼に涙が湧いて見えた。
﹁どうした、早く言ってくれ﹂
﹁旦那様、びっくりなされちゃいけません、大奥様は御病気でお亡くなりになりますし、若奥様は苗びょ軍うぐんの盗ぬす人びとのために、迫られて亡くなられました、なんとも申しあげようがございません﹂
趙は青い顔をして立ったままで何も言えなかった。
﹁旦那様、しっかりなすってくださいませ、大奥様が御病気になりますと、若奥様が夜も睡らないで御介抱なさいました、お亡くなりになってからも、若奥様がほとんどお一人で、お墓までおこしらえになりましたが、苗軍がやってきて、劉万戸という盗人が、若奥様を見染めて、迫りましたので、若奥様は閤こざしきへ入ってお亡くなりなさいました﹂
﹁そうか、俺が旅に出たばかりに、こんなことになった、俺が悪い、爺や俺は馬鹿者だ﹂
趙は老人を連れてその足で白苧村にある母親の墓へ往った。墓場には愛卿の手で植えた小松が美くしい緑葉を見せていた。
﹁これは若奥様のお植えになったものでございます﹂
老人はまた墓の盛り土へ指をさした。
﹁これも若奥様が御自身でお造りになりました﹂
趙は老人と家へ帰って、家の背後の圃はた中なかに立った銀杏の下へ往った。趙は愛卿の死骸を見たかった。
墓が発あばかれて、綉しと褥ねに包まれた愛卿の死骸が露われた。趙は我を忘れてそれを開けてみた。
ただちょっと睡っているようにしか見えない生なま々なました死骸であった。趙はその死骸へ手をやって泣いたがそのまま気が遠くなってしまった。
趙は老人の介抱によってやっと我に還った。彼はそこで愛卿の死骸を家の中へ運んで、香こう湯ゆで洗い、その姿にふさわしい華美な服を被きせて、棺に納め、それを母親の墓側へ持って往って葬った。
改葬が終ったところで、趙は墓へ向って言った。
﹁お前は聡明な女であった、凡人ではなかった、わしの心が判っているなら、もとの姿を一度見せておくれ﹂
趙は家へ帰っても銀杏の下へ往って、これと同じようなことを言ったが、これはその日ばかりでなしに、翌日もその翌日も、毎日のように白苧村の墓と銀杏の下へ往ってそれを言った。
十日近くにもなった頃であった。その晩は家のまわりに暗い闇が垂れさがって、四あた辺りがひっそりしていた。趙は一人中堂にいたが、退屈でしようがないので、いっそ寝ようかと思ったが、どうも寝ね就つかれそうもないので、そのまましかたなしにじっとしていた。と、どこからか泣声のような物声が聞えてきた。趙は不思議に思うてその方へ耳をやった。それは確かに咽むせび泣く泣声であった。
泣声はすぐ近くに聞えた。趙は何者の泣声だろうと思って、起って声のした方へ眼をやったが何も見えなかった。趙はこの時ふと思いだしたことがあった。
﹁だれ、愛愛じゃないのか、愛愛なら何故すぐきてくれない、愛愛じゃないのか﹂
趙はこう言ってまた透して見た。
﹁愛愛でございます、あなたのお言葉に従いましてまいりました﹂
それは耳の底にこびりついている愛卿の声であった。趙はその方へ眼をやった。人の歩いてくるような気配がして物の影がひらひらとしたが、やがて五足か六足かの前へ白い服を著た人の姿がぼんやりと浮んだ。面長な白い顔も見えた。それは生前そのままの愛卿の姿であったが、ただ首のまわりに黒い巾きれを巻いているだけが違っていた。
愛卿の霊は趙の方を見て拝おじぎをしたが、それが終ると悲しそうな声を出して歌いだした。それは沁しん園えん春しゅんの調にならってこしらえた自作の歌であった。
一別三年
一日三秋
君何ぞ帰らざる
記す尊姑 老病
親 ら薬餌 を供す
塋 を高くして埋葬し
親 ら麻衣 を曳く
夜は燈花を卜 し
晨 に喜鵲 を占う
雨梨花 を打って昼扉 を掩 う
誰か知道 らん恩情永く隔 り
書信全く稀ならんとは
干戈 満目 交 揮 う
奈 んぞ命薄く時乖 き
禍機 を履 んで鎖金 帳底 に向う
猿驚き鶴怨む
香羅巾下
玉と砕け花と飛ぶ
三貞を学ばんことを要せば
須 く一死を拆 つべし
旁人 に是非を語らるることを免る
君相念いて算除 せよ
画裏に崔徽 を見るに非ず
一日三秋
君何ぞ帰らざる
記す
夜は燈花を
誰か
書信全く稀ならんとは
猿驚き鶴怨む
玉と砕け花と飛ぶ
三貞を学ばんことを要せば
君相念いて
画裏に
歌の中に啜すすり泣きが交って、詞ことばをなさないところがあった。趙も涙を流してそれを聞いていた。
歌の声は消えるように輟やんだ。趙は夢の覚めたようにして愛卿の側へ往った。
﹁おいで、お前にはいろいろ礼も言いたい、よくきてくれた﹂
趙の手と愛卿の手はもう絡みあった。二人は室の中へ入った。
﹁お前はお母さんのお世話をしてくれたうえに、わしのために節を守ってくれて、なんともお礼の言いようがない、わしは、今、更あらためて礼を言うよ﹂
﹁賤いやしい身分の者を、御面倒を見ていただきました、お母様は私がお見送りいたしましたが、思うことの万分の一もできないで、申しわけがありません、賊に迫られて自殺したのは幾分の御恩報じだと思いましたからであります、お礼をおっしゃられては恥かしゅうございます﹂
﹁いや、お礼を言う、それにしても、お前を賊に死なしたのは、残念で残念でたまらない、今、お前は冥めい界かいにおるから、お母さんのことも判ってるだろうが、お母さんは、今、どうしていらっしゃる﹂
﹁お母様は、罪のない体でしたから、もう人間に生れかえっております﹂
﹁お前は、何故、いつまでもそうしておる﹂
﹁私は、私の貞烈のために、無ぶし錫ゃくの宋そうという家へ、男の子となって生れることになっておりますが、あなたに情縁が重うございますから、一度あなたにお眼にかかるまで、生れ出る月を延ばしております、が、もうお眼にかかりましたから、明日は往って生れます、もしあなたがこれまでの情誼をお忘れにならなければ、一度宋家へ往って、私を御覧になってくださいまし、笑ってその験しるしをお眼にかけます﹂
趙と愛卿の霊は、手を取りあって寝室へ往って歓会したが、楽しみは生前とすこしも変らなかった。
鶏の声が聞えた。
﹁私は、帰らなくてはなりません、これでお別れいたします﹂
愛卿の霊は泣きながら榻ねだいをおりた。趙も後から送って出た。
愛卿の霊は階をおりて三足ばかり往ったが、ふと涙に濡れている顔を此方へ見せた。
﹁これでいよいよお別れいたします、どうかお大事に﹂
趙も胸がいっぱいになって言おうと思うことが口に出なかった。
暁の光がうっすらと見えた。と、愛卿の霊は燈の消えるように見えなくなった。室の方を見ると有明の燈の光が消えかかっていた。
趙はその朝、旅装を調えて無錫へ往った。そして、宋という姓の家を尋ねたところがすぐ知れた。趙は半信半疑で往ってみた。妊娠してから二十ヶ月目に生れたという男の子がひいひい泣いていた。それは生まれ落ちるときから輟やめずに泣いているものであった。
趙は主人に逢って、自分のきた事情を話し、主人の承諾を得て産室へ入って往った。今まで泣いていた男の子は、趙を見るなり泣くことをやめてにっと笑った。
宋家ではその子に羅らせ生いという名をつけた。趙はその日から宋家の親しん属ぞくとなって、往おう来らい餽き遺い、音問を絶たなかった。