越えち前ぜんの福ふく井いは元北きたの庄しょうと云っていたが、越前宰相結ゆう城きひ秀でや康すが封ぜられて福井と改めたもので、其の城じょ址うしは市の中央になって、其処には松まつ平だいら侯爵邸、県庁、裁判所、県会議事堂などが建っている。そして、柴しば田たか勝つい家えの居城の址あとは、市の東南の方角に在って、明治四十年までは石垣なども残っていたが、四十年になって市中を流れている足あす羽ばが川わを改修したので、大半は川の底になってしまった。
明治の初年のことであった。月の明るい晩、某それがしと云う者が北の庄の大手のあった処ところを歩いていたところで、幾いく何ら往っても同じ処へ帰って来て、どうしても他へ往くことができなかった。そこでふと気をつけてみると、己じぶんの周まわ囲りには城の枡ます形がたらしい物の影が映っていた。大手の址はあっても建物も何もないのに枡形の映るは不思議であった。某は顫ふるいあがって逃げようとしたが、どうしても枡形の外へ出られないので朝まで其そ処こに立ちすくんでいた。
幕末の比ころ、某ぼうと云う医師があって夜遅く病家へ往って帰っていた。それは月の明るい晩であった。其の大手を通っていると、戞かつ戞かつと云う夥おびただしい馬の蹄ひづめの音が聞えて来た。続いて鎧よろいであろう金属の触れあうような音も聞えて来た。おやと思って見ると、騎馬武者の一隊が前から来ているところであった。
某は不思議に思ったが路の真中に立っていられないので、路ぶちへ寄って見ていると、騎馬武者の一隊は、其の前を粛しゅ々くしゅくと通りすぎようとした。医師はどうした軍勢だろうと思って見ると、其の武者にはどれもこれも首がなかった。はっと思って眼を下へやると、それには何の影もなかった。
医師は驚いて家うちへ帰るなり、家の者を起してその話をしたが、しているうちに血を吐いて死んだ。それは柴田勝家の亡霊で、同地方では、それを見た者は死ぬと云われているものであった。