安あん政せい年間の事であった。両りょ国うごく矢やの倉くらに栄えい蔵ぞうと云う旅商あき人んどがあった。其の男は近おう江みから蚊帳を為し入いれて、それを上じょ州うしゅうから野やし州ゅう方面に売っていたが、某ある時とき沼田へ往ったところで、領主の土と岐き家けへ出入してる者があって、其の者から土岐家から出たと云う蚊帳を買って帰り、それを橘たち町ばなちょうの佐さの野ま又たと云う質屋へ持って往った。それは十畳吊の萌もえ黄ぎ地じの近江麻で、裾は浅黄縮ちり緬めん、四隅の大房から吊手の輪わち乳ちに至るまで、凝こったものであったから主てい翁しゅは気にいった。そこで主翁は十五両で買ったが、それは一両三歩二朱で買った物であるから栄蔵は大喜びであった。ところで翌朝、栄蔵の家うちへ佐野又から使が来た。栄蔵は何事だろうと思って出かけて往った。
﹁旦那、お使いをいただきまして﹂
﹁栄蔵か、此の蚊帳は返すよ。浜はま町ちょうの親父が来て、吊って寝ると云って持ってったが、蚊帳の外へ、養老しぼりの浴衣を着た、二十位の女が来て中を覗のぞいたそうだ。金は要らないから持ってってくれ﹂
と云って蚊帳を返された。栄蔵が後で探ると、土岐家の妾めかけが小姓と不義をしたと云う嫌疑で、其の蚊帳の内で斬きられたとの事であった。