火鉢に翳している右の手の甲に一疋の蠅が来て止った。未だ二月の余寒の強い比ころにあっては、蠅は珍らしかった。九兵衛はもう蠅の出る時候になったのかと思ったが、それにしてもあまり早すぎるのであった。
九兵衛は手を動かして蠅を追った。蠅は前の帳場格子の上に往って手足を動かしはじめた。其処は京の寺町通り松原下町にある飾屋であった。店には二三人の小僧がいて、入って来る女客に頭の物をあきなっていた。九兵衛はもう蠅のことは忘れて、近いうちに嫁入りすることになっている親類の女むすめに祝ってやる贈物の方に心をやっていた。
飾屋の奥の室へやでは女房と女が向き合って針仕事をしていた。女むすめは十七八の人形のような顔をした女であった。女房は時どき女の縫方に細かな注意をしていた。縁側には下半面に朝陽が微うす紅あかく射していた。
女房は紅い小さな切れを膝の上でつまもうとした。一疋の蠅が何処からともなく飛んで来て、女房の鋏を持った手にとまった。
﹁まあ、もう蠅が出たよ﹂と、女房は不思議そうに云って蠅を見つめた。
女むすめは嫁入りすることになっている親類の女むすめに対する妙な嫉妬を感じて、その女の欠点などをそれからそれと考えていたので、蠅はちょいと見ただけで何も云わなかった。
﹁この寒いのに、なんぼなんでも、あんまりじゃないか﹂と、女房はまた云った。
﹁すこし早いようですわね﹂と、女むすめは何か考えながら気の無さそうに云った。
﹁早いとも、早いとも、時知らずの蠅じゃよ﹂と、女房は女の方を見て、そして、蠅の方に眼をやるともう蠅は見えなかった。
﹁……もう何処かへ往ったよ、何処へ往ったろう﹂と、云ってそのあたりを見廻したが、蠅の影は見当らなかった。
午が来て家内同志で飯を喫くっていた。主てい翁しゅの九兵衛が空になった茶碗を出すと、その傍にいた婢じょちゅうがお給仕の盆を差しだした。と、その盆にとまっていたのか一疋の蠅が、九兵衛の茶碗を持った方の手首にとまった。
﹁また蠅がおる﹂と、九兵衛は驚いた。
九兵衛と向き合っていた女房も、さっきの蠅のことを思いだした。
﹁あなたの処におりましたか、私の処にもさっき一疋おりましたよ﹂
﹁そうか、今朝帳場で見たよ﹂と、云って九兵衛が茶碗を盆の上に載せると、蠅は二人の膳の間になった畳の上に移った。
﹁まあどうした蠅でしょうね、ほんとうに時知らずじゃありませんか﹂と、女房は箸をやめて畳の上に眼をやった。
﹁ちと早いな﹂と、云って九兵衛は飯の入った茶碗を執りあげた。
女房と婢の間にいた女むすめはふと思いだした。
﹁それは、さっきの蠅でしょうか﹂
﹁そうかも知れんよ、今いま比ごろそんなに蠅がおるものか﹂と、女房が云った。
﹁店におった奴も、それかも判らない﹂と、云って九兵衛が畳の上に眼をやるともう蠅はいなかった。﹁ああ、もう、何処かへ往ったな﹂
二や時つ時分になって九兵衛が帳場で茶を飲んでいると、蠅の影がまた見えた。蠅は帳場格子の上から机の上におりた。それと前後して表座敷で親類の老人と話していた女房の耳元でも、蠅の羽音が微にした。
夜になって親子三人が行灯の下で話していた。九兵衛が何か云いながら見るともなしに見ると、行灯の障子に墨をつけたように一疋の蠅がとまっていた。
﹁またおる﹂と、九兵衛は不吉な物を見つけたように眼をった。
﹁蠅﹂と、女房も顔を持って往った。﹁さっきの蠅でしょうか、あれからお爺さんと話している時にも、耳のはたを飛びましたよ﹂
﹁俺の処にも、おやつに茶を喫んでた時におったよ﹂
﹁おんなじ蠅でしょうか、潰しましょうか﹂
﹁潰さずに撮つまんで外へ捨てよう﹂と、九兵衛は両の掌を持って往って、紙の上にじっとしている蠅を中へすくい込んだ。
﹁戸を開けてくれ﹂
女房は縁側に出て雨戸を細目に開けた。外は暗かった。九兵衛は後から往って掌の中の虫をむこうへ突き放すように捨てて戸を閉めた。
翌日の午時分、九兵衛と女房は茶の間で火鉢をなかにして、親類の女むすめの嫁入りのことに就いて話していた。
﹁叔父の処じゃから、箪笥位は買うてやらんといかんじゃろうな﹂と、云って九兵衛は見るともなしに女房の右の肩端を見ると、一尾ぴきの蠅がとまっていた。﹁また、蠅が来たぞ﹂﹁何処に﹂と、女房が顔を動かすと、蠅は九兵衛の膝頭に移った。
﹁昨日の蠅でしょうか﹂
﹁そうかも判らんな﹂
﹁煩いから潰しましょうか﹂
九兵衛は両手の掌を窪めて左右から持って往ってすぐ掌の中へすくいこんだ。
﹁潰さずに何処か遠くへ捨てさせよう、店から袋を持っておいで﹂
女房は黙って部屋を出て往ったが、直ぐ店で使う小さな紙かん袋ぶくろを持って来た。
﹁清吉が堀川の方へ用達しに往くそうじゃから、あれに捨てさせましょう﹂
九兵衛は女房に袋の口を開けさせ、その上に手を持って往って下の方から蠅を出し、急いで袋の口を捻じた。女房はそれを持って再び店の方へ往った。
夕方になって親子三人で夕飯をはじめようとしていた。婢は湯気の立つ鍋の中から煮た物をしゃくうていたが、それがそれぞれ三つの椀に盛られると、いっしょに盆に載せて女房の方へ出した。女房はまずその一つを九兵衛の膳に載せようとして、椀を差しだしたところで蠅が来てその手首にとまった。
﹁あ﹂と、女房は何か恐ろしい物でもとまったように見つめていた。
﹁蠅か﹂と、九兵衛は煩そうな顔をした。
﹁今朝の蠅でしょうか﹂と、女房は左の手を持って往って追った。九兵衛は椀を受けとった。
﹁まさか、今朝の蠅じゃなかろう﹂
蠅は二人の眼めの前まえをちらちらしていたが、やがて九兵衛の右の腕にとまった。九兵衛は左の手を持って往って掌で伏せ、そっと指で撮んだ。
﹁おんなじ蠅が戻るか、戻らんか、ためして見る、お豊、臙べ脂にを持っておいで﹂
女むすめが臙脂を持って来ると、九兵衛はそれを羽にも体にもべとべと塗ってまた紙袋に入れたが、朝になってすぐ近くで店を出している弟の勘右衛門が伏見へ往くと云って寄ったので、その袋を頼んでやった。
蠅は一疋であったと見えてその日は一日何だ人れも蠅の姿を見なかった。その日は微うす曇ぐもりのして寒い日であった。夕飯の後で九兵衛は蠅のことを云いだした。
﹁今日蠅のおらざったところを見ると、やっぱり蠅は一つであったらしいな、それとも二疋おって、一つは昨日捨てておらんようになり、一つは今日捨てに往ったから、それでもう蠅がおらんと云うことになったかも知れんな﹂
﹁それとも、昨日の奴が戻ったかも判りませんよ﹂と、女房は物の陰影を見ているような眼つきをした。
﹁この寒いのに、そんなに蠅は数たく多さんおらんだろうが、堀川あたりへ捨てたものが、戻って来やしないだろう﹂
﹁そうでしょうか、どうも私は、彼あの蠅が戻って来たような気がしますよ﹂
女房の眼前の行灯の障子に蠅の影が見えた。
﹁また蠅が﹂
と、彼女は恐ろしそうに云った。
九兵衛は横から顔を持って往って一眼見た後に、膝を寄せて往って両手ですくい、それを右の指ゆび端さきに軽く撮んで行灯の戸を開けて灯火の光に透して見た。羽にも腹の下にも塗ったままの臙べ脂にが点ついていた。九兵衛はふと気になった。蠅は指の下をすべり抜けて彼と女房の頭の上あたりを静に飛んだ。
﹁臙脂が点いておりますか﹂と、女房は大きな声をするのが恐ろしいと云う容ふうに聞いた。
﹁うむ﹂と、九兵衛は頷いて見せた。
彼の心は何かに往き当っていた。彼の心には先月亡くなったお玉と云う婢のことが浮んでいた。若狭の生れで宇治の方に伯母が一人あるだけで、他には親も兄弟もない女であった。円顔の小作りな女で飾屋へ四五年も奉公している間に、衣きも服のは一枚もこしらえずに百目ほどの銀をためた。
﹁そんなに銭ばかり集めて、どうするか﹂
ある日女房が冗談はんぶんに云うと、お玉はこうこたえた。
﹁お父さんやお母さんの位牌を、お寺へ立てたいから、それで集めております﹂
そして、昨年の秋になってお玉は常楽寺と云う寺へ両親の位牌を立て、祠堂料として銀七十目を収めたが、その残りの三十目は主人に預けてあった。それが冬になって病気になって次第に重くなって来たので、宇治の伯母の許へ引とられて養生していたが、とうとう先月の十一日に亡くなった。――九兵衛はふと預かって未だそのままになっている女の銭のことを、思いだした。
﹁お玉の銭を預かっていたな﹂と、云って彼は女房の顔を見た。
女房は九兵衛と眼を見合しただけで声は出さなかった。蠅はまだ頭の上の方で羽音をさしていた。
﹁あんなにして、親の位牌をたてた女じゃから、彼の銭で供養でも受けたいと思うておるかも判らんな﹂
﹁さようでございますよ﹂と、女房は体をこわばらせたようにしていた。
﹁あれの死んだのは、何時であったかな﹂と、九兵衛は考えて、﹁十一日か、……それで、そうすると、明日は四十九日じゃな﹂と、またすこし考えて、﹁よし明日は勘右衛門に頼んで我う家ちから三十目足して、六十目にして、通西軒と瑞光寺とに三十目ずつ収めて、供養をしてやろう﹂
蠅はもう見えなくなっていた。そして、朝になると臙脂をつけたその怪しい虫は、また何処からともなく出て来て九兵衛と女房の傍をちらちら飛んだ。二人はもう蠅のことは云わずに黙ってその姿を見ていた。
朝飯がすんだところへ勘右衛門が呼ばれて来た。蠅は女房の膝頭にとまった。
﹁蠅が戻って来たよ﹂と、九兵衛はその顔を見た。
﹁なに、彼の蠅が戻った﹂と勘衛門はあきれて眼をった。
﹁それ、その蠅だ﹂と、彼は女房の膝頭の蠅に指をさしながら、女の供養のことを話して、﹁で、御苦労でも、お前にお寺へ往ってもらいたいが﹂
﹁往きましょう、それが宣しゅうございましょう﹂と、勘右衛門は承知した。
女房が勘右衛門に渡す銀を執りに起とうとすると、蠅は九兵衛の右の手の甲に移った。勘右衛門も九兵衛もじっと怪しい虫を見ていた。
女房が布施にした二つの紙包を持って座に戻って来た。と、今まで九兵衛の手の甲にとまっていた蠅はころりと畳の上に落ちて死んだ。
蠅の死骸もいっしょに寺にやることになって、小さな箱に入れて勘右衛門が持って往った。そして、まず深草の通西軒へ持って往くと、自堂上人は蠅に加か持じ土す沙さをふりかけた。
次に瑞光寺へ持って往くと、慈明上人は経を読んで、蠅を山上へ葬って卒都婆をたてた。これは元禄十五年に於ける京の巷説の一つである。