大正七八年比ごろのことであった。横須賀航空隊のN大尉とS中尉は、それぞれ陸上偵察機を操縦してA飛行場に向けて長距離飛行を行い、目的地に到とう著ちゃくして機きよ翼くをやすめるひまもなく、直ちに帰還の途についた。 両機は一千米メートルの高度を保ちながら雁がん行こうしていたが、箱根の上空にさしかかったところで、密雲のために視界を遮さえぎられたうえに、エアーポケットに入って機体が烈はげしい勢いで落下した。そして、二百米ばかりも落下して、やっと危険を脱したので、N大尉はやや安心して僚りょ機うきの方を見たが、僚機の姿は見えなかった。 N大尉は己じぶんでも危険に遭遇しているので、もしや彼あの時にどうかしたのではないかと思ってS中尉の身の上を心配しいしい帰って来た。それで著陸するなり、機体の手入れも忘れて西の方ばかり見ていた。と、二十分ばかりして僚機の姿が夕暮の空に見えて来た。N大尉はほっとして僚機の著陸するやいなや駈けて往って、S大尉﹇#﹁S大尉﹂はママ﹈の手を執った。 ﹁おめでとう、やられたろう﹂ ﹁やられた、君もか﹂ ﹁そうだ﹂ それからS中尉は後の方を見た。それは同乗のM兵曹に声をかけるためであった。が、そこには何た人れもいなかった。 ﹁おや﹂ みるみるS中尉の顔色がかわった。N大尉も気が注ついた。 ﹁M兵曹か﹂ ﹁そうだ﹂ ﹁どうしたのだ﹂ ﹁さあ﹂ ﹁どこからいなくなったのだ﹂ ﹁箱根へかかるまでは確かにいたのだが﹂ ﹁それはたいへんだ﹂ 航空隊の方ではM兵曹の行方を捜索したが判らなかった。その一方でS中尉は、すっかり憂鬱になって平常の快活さを失った。そして、夜など歩いていると、往きちがった人の顔がM兵曹の顔に見えたり、又飛行機に乗ろうとして、機体に手をかけようとして見ると、同乗の練習生の顔がM兵曹に見えたりした。 それは冬の微うす曇ぐもりのした日のことであった。S大尉﹇#﹁S大尉﹂はママ﹈が格納庫の中で機体の手入れをしていると、飛行服を著きたS中尉が顔色をかえて飛んで来て、 ﹁M兵曹がおれの機に乗ってたのだ﹂ と云ったかと思うと、そのままばったりと倒れてしまった。N大尉は驚いてS中尉を抱えて病室へ駈けこんだ。後で聞いて見ると、練習飛行中、S中尉が何の気もなしに後をふりむいてみると何人もいなかった同乗席に、飛行服を著た一人の男が腰をかけていた。それは、真まっ蒼さおな顔をしたM兵曹であったから、夢中になって著陸したと云うのであった。 そんなことでS中尉は極度の神経衰弱になり、熱海へ転地して静養していると、翌年の春になってすっかり元気を回復したので帰って来た。N大尉は非常によろこんで、それから毎日のように二人で練習飛行を行ったが、某ある日ひN大尉が練習を終って兵舎へ帰って汗を拭いていると、練習生の一人が飛びこんできた。 ﹁○○機が墜落しました﹂ ﹁なに、○○機が﹂ ○○機は今までN大尉とともに練習飛行を行っていたS中尉の操縦していた飛行機であった。N大尉は夢中になって墜落現場へ駈けつけた、機体は大破してS中尉は血まみれになっていたが同じく駈けつけていた軍医が生命に別条はないと云ったのでN大尉はほっとした。 それから数日して、N大尉が海軍病院へ見舞に往くと、S中尉は繃ほう帯たいの中から恐怖におびえた眼を見せて、墜落の原因を話した。 ﹁雲の中を往ってると、向うの方から同じような飛行機が来て、今にも衝突しそうになったから、驚いてハンドルを廻したが、その時向うの飛行機を見ると、M兵曹が操縦しているじゃないか、僕ははっと思って顔を伏せたが、それっきり判らなかったよ﹂ S中尉が墜落したのは、M兵曹が空中に消えてから、ちょうど一周忌にあたる日であった。︵平野嶺夫氏談︶