大正十二年の震災の時であった。幡ヶ谷に住んでいた三好七郎と云う人の許へ、荻原高三郎と云う知人が避難して来て、一月ばかり厄介になっていて他へ移って往ったが、移って往く時、 ﹁大事の書類が入れてあるから、すまないが預っておいてもらいたい﹂ と云って、高さ三尺位の箱を置いて往ったので、三好の方ではそれを壁おし厨いれへ入れておいた。ところで、翌年になって七郎が病気になって夜になると、 ﹁うん、うん﹂ と云って、魘うなされるので、女房の留とめが鬼き魅みをわるがって、 ﹁おまえさん、どうしたの﹂ と云って聞いてみると、七郎は蒼あおい顔をして、 ﹁彼あの箱の中から、男と女が出て来て紙幣を数える﹂ と云ったが、そのうちに死んでしまった。ところで、それから間もなく長女の芳と次男の次郎と云うのが病気になった。そして、次郎は夜になると、 ﹁何た人れか来た﹂ と云って飛び起きたり、突然、 ﹁わっ﹂ と云って叫んだりするので、留は気が注ついて、荻原から預っていた彼かの箱を開けてみた。 中には十数個の阿弥陀仏とした位牌と六匹の鼠が入っていたが、鼠は箱の蓋を開けるなりばらばらと飛び出して往った。三好家では驚いて代よよ代はた幡し署ょへ荻原の捜そう査さか方たを願い出た。