明治十七八年と云えば自由民権運動の盛んな時で、新思潮に刺しげ戟きせられた全国の青年は、暴ぼう戻れいな政府の圧迫にも屈せず、民権の伸張に奔走していた。その時分のことであった。 東京小こい石しか川わの某町に、葛かさ西いと云って、もと幕臣であった富裕な家があって、当主の芳よし郎ろうと云うのは仏フラ蘭ン西スがえりの少壮民権家として、先輩から望みを嘱しょくされていた。微うす曇ぐもりのした風の無い日であった。芳郎は己じぶんの家に沿うた坂さか路みちを登っていた。その附近の地所は皆葛西家の所有で、一面の雑ぞう木きば林やしであったが、数年前ぜんにその一部分を市へ寄附して坂路を開かい鑿さくしたものであった。芳郎はゆっくりとした足どりでその坂路を登りながら、その日、午後四時から井いぶ生むら村ろ楼うに催される演説会の演説の腹ふっ稿こうをこしらえていた。それは芳郎が平いつ生もの癖で、熱烈火の如き民権論はこうしてなるのであった。 坂の右側には葛西家の新しくこしらえた土どべ塀いがあり、左側には雑ぞう木きを伐きり開いた空地があって、それには竹垣が結ゆってあった。空地の中には四五本の梅の樹があって、それには白い花をつけていた。地べたの枯草の中からは春が萌もえていた。 場末の坂さか路みちは静かで淋しかった。芳よし郎ろうはその時、ミルの著書の中にある文句を頭に浮べていたが、何なんかの拍子にふいと見ると、束そく髪はつに赤い花をさした令嬢風の女が己じぶんの前さきを歩いていた。壮わかい芳郎の眼はその花にひきつけられた。冬薔薇のような赤い活いきいきとした花は、鼠ねずみ色にぼかされた四あた辺りの物象の中にみょうにきわ立って見えた。 女もゆっくりと歩いていた。芳郎の足は知らず知らず早くなった。女は坂を登りつめて、平坦な路のむこうにその背うし後ろ姿を消しかけた。芳郎はその姿を見失うまいと思って走るようにあがって往った。と、その跫あし音おとが聞えたのか女はちょと揮ふり返かえった。それは白いな顔であった。芳郎ははしたない己の行為に気が注ついて立ちどまるように足を遅くした。 芳郎はまた女の美貌に眼をひかれた。どこの令嬢だろう、ああして一人歩いている処を見ると、どこかこの辺に邸やしきがあるだろう、それとすれば、どこの女むすめだろうか、と、彼はその辺あたりに立派な邸を持った豪ごう家かを考えて見たが、彼の知っている限りでは、そう云うような家はなかった。 女の姿は坂の上にかくれて往った。彼はまた急いで坂を登り切った。女の姿はもう見えなかった。坂の上の古い通とお路りは二ふた条すじになっていて、むこう側には杉の生いけ垣がきでとり廻まわした寺の墓地があった。彼は右の方を見たり、左の方を見たりした。淋しい通とお路りには歩いている人もなかった。 通とお路りの右になった方は、真まっ直すぐになって見渡されたが、左になった方はすぐ折れ曲がっていた。寺の本ほん門もんは左の方にあった。彼は左の方へ曲がって往って、門かど口ぐちに大きな石地蔵のある寺の本門の前まで往ったが、とうとう女の姿は見つからなかった。彼はがっかりして引かえして来たが、その束そく髪はつにさした赤い花と、な顔は、眼の前にちらちらとしてもう思想を纏まとめようとする気分がなくなっていた。 芳郎はその時二十五歳であった。両ふた親おやともとうに無くなって、他に兄弟と云うものもないので、親類の老人達は彼に結婚させようとして煩うるさく勧めたが、彼はそれに耳を傾けないし、また、彼に財産の多いのと名めい聞ぶんがあるのとで、直接に近づいて来る女もあったが、彼はそれにも眼をやらずに、民権運動に熱中しているところであった。 芳郎のその日の演説は、甚はなはだ物たりない力の無い者であった。彼の演説を期待していた同志の者は大おおいに失望するとともに、中には彼があまりに運動に熱中した結果、健康を損ねたのではないかと心配する者もあった。
赤い花をさした女の姿は、芳郎の眼めさ前きをはなれなかった。翌日、彼はまたその女に逢あえはしないかと思って、家の傍の坂をあがったりおりたりして、その辺をさまよい歩いたが女には逢わなかった。 その翌日は冷たい雨が降っていた。彼はまたその雨を冒おかして坂を上下したが、その日もとうとう見えなかった。 十日ばかりも彼はこうして女を尋ねたが、どうしても逢えなかった。で、やっと諦あきらめてしまったが、それでも赤い花は眼の前にあった。 一箇月ばかりして、彼はまた演説の腹ふく案あんをこしらえる必要が起ったので、平いつ生ものように散歩しながら思想を纏まとめるつもりで戸そ外とへ出た。 その時はもう春も深くなって、土塀の上に見える邸内の桜は咲きかけていた。芳郎は坂さか路みちを登りながら、二十三年に発布になることになっている憲法のことを考えていた。そして、知らず識しらず坂を登って往って見るともなしにむこうの方を見た。と、束髪に赤い花をさした女の後姿が見えた。それは彼が探している女であった。彼は久しく逢わなかった恋人に逢あったような気になって、すたすたと走って往った。と、女は背うし後ろを揮ふり返かえって白いな顔を見せた。彼はまたはしたない己おのれの姿に気が注ついたのでちょっと立ちどまった。 女は坂を登ってむこうの方へ往った。芳郎はまた急ぎ足になって坂を登り切った。と、もう女の姿は見えなかった。彼は不審しながら上の路みちを右の方へ往ってみたが、そこにも女の姿はなかった。で、彼はまた左の方へも往ってみたが、とうとう見つけることができなかった。それでも諦あきらめられないので彼は終日その辺を歩いて、その日はとうとう演説にも往かなかった。 赤い花はまた鮮かな色をして芳郎の眼の前にあった。彼はもう何事も手につかないようになって、日にち日にちその辺をさまよい歩くようになったが、その時分からひどく健康が衰えて来たので、親類の者や葛西家に使われている者などが心配して、無理に勧めて彼を熱あた海みへ転地さした。
芳郎の往った家は相さが模み屋やと云う熱海では一流の温泉宿であった。彼はそこに滞在しながら心静かに養よう生じょうすることにしたが、赤い花の女のことが浮んで来ると、みょうに神経的になって夜も眠られなかった。 夏が過ぎて秋口になって来ると、やや彼の健康も回復して来た。彼は東京から見舞に来る同志と政治上の意見を闘わしたり、ちょっとした論文を書いて新聞に送るようになった。 明るい月が出て室へやの中に籠こもっているのも惜おしいような晩が来た。彼はふらりと宿を出て海岸へ往ってみた。月の光にぼかされた海は静かで、磯には有るか無いかの浪が、さ、さ、さ、と云う音をさしていた。 彼は沙すなの上に引きあげられた漁船の間を潜くぐって、魚うお見みが岬さきの方角のほうへ歩いて往ったが、何い時つの間にか倦あいて来たので引っかえしていると、二人の女おん伴なづれが岩の上に腰をかけて話しているのが見えた。そして、その傍を通りながら見ると、一人は令嬢で一人はお供ともの婢じょちゅうらしかった。二人は彼の跫あし音おとを聞きつけて云いあわせたように顔を向けたが、その令嬢の顔は芳郎の眼めさ前きに残っている顔にそっくりであった。彼は驚いてその顔を見返したが、束そく髪はつには赤い花は見えなかった。 芳郎は二三歩往き過ぎてから立ちどまった。………もしや、彼かの女ではあるまいか、も一度見なおしてやろうと思って後もどりをしかけると、女伴はもう起たちあがっていた。月の光に浮き出たような二つの女の顔がこちらへ向いた。令嬢の顔ははじめに見たような顔ではなかったが、それでもどこかにちょと似た処があった。 女おん伴なづれは何か囁ささやきながら陸おかの方へあがって往った。芳郎はすぐ往ってしまわれるのが何となく惜おしいように思われたので、往くともなしに後あとから跟ついて往ったが、沈着な平へい生ぜいの態度は失わなかった。 女伴は小さな漁師町の間を通って傾斜のある小こみ路ちを登って往った。芳郎は女伴に怪しまれないようにと思って、よほど距離を置いて歩いた。女伴は時どき笑い声をたてたが背うし後ろは向かなかった。 女伴はやがて別荘風の二階家の見える家の中へ入って往った。芳郎は静かにその門かど口ぐちに往って月の光に晒さらされた表ひょ札うさつに注意した。表札には杉浦と云う二字が書いてあった。……いずれ東京から来ている人だろうが、どうした人だろう、そのうちに何だ人れかに聞いてみようと思って、彼は相模屋の方へ帰って往った。赤い花の女の影のようにその女のことが軽く頭にあった。 その翌日になって芳郎の門下同様にしている新聞記者の一人が、彼に論文の依頼かたがた遊びに来た。芳郎はそれに酒などを出して対あい手てになっていたが、ふと杉浦のことを思い出して聞いてみた。 ﹁君は物知りだが、このすぐ前さきに、杉浦と云う別荘があるが、あれはどうした家か知らないかね﹂ ﹁あ、杉浦、杉浦なら知ってますよ、ありゃあ、有名な御用商人じゃありませんか、きっとそれでしょう﹂ ﹁そうかも判らないね、昨ゆう夜べ、海岸へ散歩に往ってて、そこの女むすめらしい女おんなを見たよ﹂ ﹁じゃ、たしかにその杉浦だ、佳よい女おんなでしょう、お気に入ったら、お貰いになったら如いか何がです﹂ ﹁しかし、ただちょっと見かけただけだよ﹂ ﹁それでもお目にとまったら、好いじゃありませんか﹂ ﹁そりゃ、交際をしてみて、先方の気質が好いとなりゃ、貰わないにも限らないが、君は知ってるかね﹂ ﹁好く知ってます、二人で遊びに往ってみようじゃありませんか﹂ ﹁主人はこっちにいるだろうか﹂ ﹁細さい君くんの体が弱いから、この一二年、女むすめをつけて、こっちに置いてありますから、しょっちゅうこっちへ来ております﹂ 新聞記者は芳郎の詞ことばの意味が判ったので、その夜一人で杉浦の別荘へ往って、主人にそれとなく芳郎のことを話した。主人は非常に喜んで翌日自身で相模屋へ来て、芳郎に遊びに来るようにと云って帰ったので、芳郎はその翌日杉浦の別荘へ往った。 杉浦の方では主人と海岸で見た女むすめが出て、芳郎の対あい手てになった。芳郎と主人は碁を打った。 その日から芳郎は杉浦家と接近しはじめた。それとともに女むすめとも親しくなって往った。女むすめの名は喜美代と云った。 秋の終りになると、芳郎と喜美代との間に結婚話が持ちあがって、その約束が出来たところで、芳郎が神経痛のようになったので、その期日が延びることになった。そして、十二月になって芳郎の病気が癒なおると、今度は喜美代の母が病気になったので、二人の結婚はまた春と云うことになった。 芳郎はその間一二度東京へ帰って往ったが、すぐ熱海へ来て相模屋にいた。そして、三月になって熱海の梅が散る時じぶ分んになって、喜美代の母親の病気が癒ったので、その間に結婚式をあげようと云うことになった。ところで、その当時政府の民党圧迫がその極に達して、運動ができないようになっていたので、結婚式も杉浦の別荘であげ、芳郎は当分そこで暮らすことになった。 そして期日を定めて、その期日ももう三日の後のちに迫った。芳郎は朝から東京の邸やしきから来ている使用人と結婚の準備に関する相談をしたが、その夜枕に就ついたところで怪しい夢を見た。彼は演説の腹案をこしらえるために、邸の傍の坂さか路みちをあがっていたのであった。そして、前のほうを見ると、赤い花をさした己じぶんが去年から探している女が歩いていた。で、今日こそどうしても見失わないぞと思って走って往ってみると、その日は女は男の来るのを待っているように揮ふり返かえって立っていた。芳郎が近寄ると女はにっと笑って、 ﹁貴あな郎たは私と結婚なさるはずじゃありませんか﹂ と、束髪にさした赤い花を抜いて彼の手に握らした。花は陽ひの光を握ったようにほのかな温あたたかみがあった。 翌日になると芳郎は東京へ帰ると云いだした。使用人は驚いて止めたがどうしても聞かずに帰って往った。 そして、小石川の邸へ帰った芳郎は、その翌よく朝ちょう散歩すると云って家を出たが、間もなく死体となって坂路の登り口の処に斃たおれていた。それを通行人が見つけて邸へ知らしたので、医師も駈かけつけて来たが死因は不明であった。
芳郎の変死の噂が伝わってから、芳郎の父の変死したことも知れて来た。
﹁あすこの家には、何か大きな祟たたりがあるだろう﹂
﹁なんの祟りだ﹂
﹁先代もやっぱり、ああして、ただ斃たおれて死んでたと云うことだ﹂
﹁よっぽど因縁のある家と見えるぞ、なんだろう﹂
附近の人びとがこう云って噂をしているところへ、一人の老人が旅から来た。それはもとこの辺に生れたもので、京浜地方を流れ渡っていて乞こじ食きのような風をして帰って来たものであった。
﹁そんじゃ、お前さんは、あすこの葛西さんを知ってるだろう﹂と、老人の遠縁にあたる男が聞いた。
﹁お旗はた下もとの葛西さんか、知ってるとも、私なんかは、あすこの構かまえ内うちの林やぶん中へ入って、雉きじや、兎うさぎをとったもんだ﹂
﹁そんじゃちょうど好い、聞きたいことがあるが、あすこの家は、昔から何か変なことがある家じゃないかね﹂
﹁ああ、そう云やあ、葛西の大旦那は、裏の林やぶの中で、理わけの判らない死しに方かたをしてたよ﹂
﹁大旦那と云やあ、今の旦那のお祖じ父いさんだね、じゃ三代、変な死方をしたと云うのだね、こりゃ、いよいよただごとじゃないよ﹂
﹁すると、大旦那の息子も、その孫も不思議な死方をしたと云うかね﹂
﹁何かお前さんに思い当ることはないかね﹂
﹁そう、他に思い当ることはないが、一つ怪しいことがあるんだ、今、乃お公れがあの林やぶで雉きじや兎うさぎをとったと云ったね、その時分じゃ、ある時、林の中へ往ってみると、昨きの日うまでなかった処に、土を掘りかえして、物を埋めたような処ができて、そのまわりの落葉へ生なまなました血が滴たれていたがね、それから二三年して、大旦那が死んだとき、人に聞くと、どうもそのあたりらしかったよ、どうも、乃公は、あの血が怪しいと思ってる﹂
遠縁の男は初めて謎が解けたと云うような顔をした。
﹁じゃ、お爺さんは、その血のあったあたりを覚えてるかね﹂
﹁もう御ごい一っし新んぜ前んのことじゃで、はっきり覚えないが、方けん角とう位ぐらいはつくだろうよ﹂
遠縁の者はその老人を伴つれて葛西の邸やしきの傍へ往くと、老人はそこここと方ほう角がくを考えていて、坂さか路みちの登りぐちへ往って、
﹁このあたりだ﹂
と云った。そこは芳郎の変死していた処であった。