小さくなった雨が庭の無いち花じ果くの葉にぼそぼそと云う音をさしていた。静かな光のじっと沈んだ絵のような電燈の下で、油あぶ井らい伯爵の遺稿を整理していた山田三さん造ぞうは、机の上に積み重ねた新聞雑誌の切きり抜ぬきや、原稿紙などに書いたものを、あれ、これ、と眼をとおして、それに朱しゅ筆ふでを入れていた。当代の名士で恩師であった油井伯爵が死亡すると、政友や同門からの推薦によって、その遺稿を出版することになり、できるなら百日祭までに、伯爵が晩年の持論であった貴族に関する議論だけでも活字にしたいと思って、編へん纂さんに着手してみると、思いのほかに時間がとれて、仕事が進まないのでその当時は徹夜することも珍しくなかった。 一時間も前から眼を通していた二十頁ページに近い菊判の雑誌の切抜がやっと終った。三造は一服するつもりで、朱しゅ筆ふでを置き、体を左ひだ斜りななめにして火ひば鉢ちの傍にある巻煙草の袋を執とり、その中から一本抜いてマッチを点つけた。夜よはよほど更ふけていた。さっき便所へ往った時に十二時と思われる時計の音を聞いたが、それから後のちは時間に対する意識は朦もう朧ろうとなっていた。ただ時間と空間に支配せられた、頗すこぶる疲労し切った存在が意識せられるに過ぎなかった。 雨の音はもう聞えなかった。彼は二本目の煙草を点けたところで、その煙が円まるい竹ちく輪わ麩ふを切ったように一つずつ渦を巻いて、それが繋つながりながら飛んで往くのに気が注ついた。彼は不思議な珍らしい物を見つけたと云う軽い驚異の眼でそれを見ながら、ゆっくりゆっくり煙を吐いた。煙はやはり竹輪麩のように渦を巻いて、それが連続しながら天井の方へ昇って往った。そして、その靡なびきがぴったり止んで動かなくなったかと思うと、その煙の色がみるみる濃くなり、それが引締るようになると、ものの輪りん廓かくがすうと出来た。肩の円みと顔が見えて、仙せん台だい平ひらの袴はかまを穿はいた男が眼の前に立った。三造はその中ちゅ古うぶるになった袴の襞ひだの具合に見覚えがあった。 ﹁どうだ、山田﹂ と、前に立った人は懐しそうに云って、机の横に胡あぐ座らをかくように坐り、 ﹁伯はくの遺稿は、もうだいぶん進んだかね、あれ程有った伯の政友同志は、皆伯を棄すて去った中で、君達数人が、ほんとうに伯のことを思っていてくれたのは、実に感謝の他はない、吾輩も晩年の伯が甚はなはだお気の毒であったから、いつも傍にいてあげた、君達はたびたび伯から、木きう内ちの夢を見たよと云われたことがあるだろう、あれが吾輩の傍にいた証拠だ﹂ 三造は膝ひざを直してかしこまっていた。彼はその場合、何の矛盾も感ぜずに、非常な敬けい虔けんな心を持って先輩に対していた。油井伯爵を首領に戴いただいた野党の中の智ちの嚢うと云われた木きう内ちた種ねも盛りは、微うす髭ひげの生えた口元まで、三十年前ぜんとすこしも変らない精せい悍かんな容貌を持っていた。 ﹁しかし、もう、何も往くべき処へ往った、我が党の足あし痕あとへは、もう新しい世界の隻かた足あしが来ている、吾輩の魂も、これから永遠の安静に入いるべき時が来たから、最後の言げんとして、君にまで懺ざん悔げして置きたいことがあってやって来た﹂ 三造は頭をさげた。 ﹁君は、吾輩が至しせ誠い病院で斃たおれたことを覚えているだろう﹂ 眼に残っている金かな盥だらいの血、俄然容態が変って危険に陥おちいったと云う通知を得て、あたふたと駈かけつけて往く先輩の一人に跟ついて、至誠病院の病室へ入った三造は、呼い吸きを引きとったばかりの木内の顔に、白いガーゼのかけてあるのを見た。その枕まく頭らもとには死人の吐いた血が金盥の中に冷たく光っていた。 ︵しまった、しまった、しまった︶ 感情家の先輩は、両手をひしと握りしめて、その拳こぶしを胸のあたりで上下に揮ふり動かしながら、床をどしどしと踏んだ。そこには至誠堂病院の院長青木寛かんをはじめ、二三人の医師が粛しゅ然くぜんとして立っていた。先輩の眼は院長に往った。 ︵何な故ぜ死んだのです、何故死んだのです、木内君は何故死んだのです︶ 先輩の眼は憎悪に燃えていた。 ︵急に容態が変じました、いろいろと手を尽してみましたが、どうも残念でした︶ 院長はすまして云った。その冷ひややかな調子は三造にまで反感をおこさせた。 ︵残念と云ってしまえばそれまでだが、この男の体をどう思っているのです︶ 先輩は怒ど鳴なりだした。当時閥ばつ族ぞく政府へ肉薄して、政府をして窘きん窮きゅうの極に陥おとしいれていた野党の中でも、その中堅とせられている某党の智ちの嚢うの死亡は、野党にとっての一大打撃であった。三造は先輩の憤激するのも無理はないと思った。 ︵実にお気の毒です︶ 院長はまた冷ひややかに云った。先輩の眼は金かな盥だらいに往った。先輩の熱した頭はやや醒さめかけていた。 ︵胃腸の病やまいに、こんなに血を吐くことがあるのですか︶ ︵無いにもかぎりません︶ ︵しかしどうもおかしいのですね、これまで木内君は、ちょいちょい胃腸が悪いが、何い時つも五六日位、口くち養よう生じょうさえすれば、すぐ癒なおったし、今度も別に大したこともないが、下宿では政友が押しかけて来て煩うるさいから、保養のつもりで入院すると云ってた位だから、こんなことはあらわれないはずだ︶ ︵私もはじめには、たいしたことはないと思っておりましたが、急にこんなになりました、どうもお気の毒です︶ そこへ三四人の同志が来たので、その先輩と院長の応対はそれっきりになったが、その後あとでも同志の中では、三造の先輩と同じように木内の死因に疑いを挟んで、院長と交渉した者もあったと云うことを聞いた。また、その野党の総理であった油井伯爵は、関西方面へ旅行中、旅先でそれを聞いて驚いて帰京したが、これまたその死因を疑って、死体を解剖に附ふすると云って口く惜やしがったけれども、結局そのままになってしまった。三造はその当時、その周囲から口ぐちに、 ︵木内君は毒殺せられた︶ と云うことを聞いた。そして、その院長が次第に社会的に栄えい達たつして、男爵を授さずけられた時にも、 ︵木内を殺した功こうさ︶ と、云うようなことを云う者があって、忘れていた過去の記憶を呼び起されたこともあった。…… ﹁あれは、君、僕はあの時、青木のためにガラスの粉末を飲まされたのだ、それを青木に頼んだ者は、三みた田じ尻りと山口さ、実に卑ひき怯ょう千せん万ばんな奴だが、謀はかりごとは見事図に当って、野党の歩調が乱れ、予算の大削減にも逢あわず、内閣も倒壊せずに済んださ、その時から青木は、もう男爵になることになっていた﹂ 三造はまた頭をさげた。 ﹁僕はこの悪漢に対して、すぐ思い知らしてやろうと思ったが、そのままでは復讐の効力が強くないから、時節の来るのを待っていたのだ、が、その時節がとうとうやって来た、君は昨年から本年にかけて、彼あい奴つの家に大きな不幸の来たのを知ってるだろう、それさ、彼奴は思いのままに男爵になり、金にも名誉にも不足が無くなったので、このうえは、二人の男の子を立派な人間にしたいと思いだした、彼奴が時どき己じぶんの室へやで、細さい君くんや親しい朋とも友だちに向って、 ︵あの二人さえ、一人前の人間になってくれるなら、もう何も遺いか憾んなことはない︶ などと云っているのを見て、僕は、 ︵今に見ろ、一人前の人間になりかけたところで、復讐してやるぞ︶ と呟つぶやいたことがあったさ、それで、二人とも大学を出たので、彼奴は知人の間を運動して、兄の方の小供を満みつ伊い商会へ入れ、弟は医科だから、己の経営している病院の副院長と云う事にしたのだ、 復讐の舞台が出来たのだよ、 そこで昨年になって、サンフランシスコの支店長となった兄の子の方から手をくだしたのだ、爺おや親じの血を受けて、意志の強い比較的厳格な奴を、先まずオペラへ引きだして、その座の人気役者で腕の凄い女に関係さして、その手でうんと金を絞らしたら、奴やっこさん苦しくなり、部下となっている遊あそ朋びと友もだちに勧められて、投機に手を出したところが、みるみる六十万円と云う穴を開けてしまったさ、それで、一方女の方では、年とし少したの情夫があって、奴さんから絞り執とった金を、その情夫と媾あい曳びきの費用にして遊んでいたのを、奴さんうすうす知って、煩はん悶もんしているところへ、投機の一件が本店の方へ知れて、本店から急に呼び返されたのでいよいよ困り、このうえはなんとか身の所置をしなくてはならないと思って、考え考え、ふらふらと彼かの女の許もとへ、足の向くままに往ってみたさ、ホテルの三階になった彼かの女の室へやへは、年とし少したの情夫が来ていて、微うす暗ぐらい電燈の下で話していたが、奴さんは入口へ立って扉ドアを叩たたこうとすると、不思議に開あいているので、そのまま静しずかに入って往ったのだ、中の二人は睦むつまじそうに話しているところへ、不意の闖ちん入にゅ者うしゃがあったので、びっくりして離れ離れになって起たちあがったが、入って来た者が奴さんだと知ると、平へい生ぜいからばかにしきっている女は、 ︵犬のようにそっと入って来るなんて、貴あな郎たはよっぽど卑ひき怯ょう者ものですわね︶ と云うと、奴さんしかたなく笑いながら、 ︵そう云ってくれるな、開あいていたから入ったまでだ、たくらんでそっと入ったものじゃないよ︶ と、穏かに云ったものの、うすうす知っている情夫の青年と睦じそうにしているところを見せつけられたので、頭の中は穏かでなかった、 ︵だから日本人は嫌いと云うのですよ、嘘つき、今私が締めた扉ドアが、どうして開あいてるのです、なにか私の秘密でも探ろうと思って、合鍵を持って来て、それで開けたのでしょう、出て往ってください、一刻も置くことはなりません︶ と、女は情夫との媾あい曳びきの場所を見られた腹立ちまぎれに怒ど鳴なりだした、すると奴やっこさんむらむらとして来た。 ︵よし、お前のような恩知らずの畜ちく生しょうのところには、おれと云ってもおってやらないさ、帰る︶ と云うと、 ︵帰ってくださいとも、犬のような奴は、一刻も置くことは出来ません、帰ってください、出てください︶ と、女は奴さんに向って進んで来て、突き飛ばしそうにする、奴さんも肱ひじを張って女を迎えようとしたが、思い返して室へやの外へ出た、女は追って来て扉ドアをぴしりと締めたさ、室へやの出口には、蒼あお白じろい瓦がす斯と燈うの光があって、その光の中に僕の顔が浮き出ていたが、奴さんは僕の顔を知らないから、 ︵変な顔が見えたぞ、頭の具合かな︶ と、眼をつぶって頭を一つ揮ふったさ、しかし、僕はまだ顔を出していたから、奴さんまた僕の顔を見たが、もうその時は、頭の具合かなどと、己じぶんの頭を疑ってみるような反省力は無くなっている、奴さんは恐れて、螺らせ旋んけ形いの階段を走りおりて街とお路りへでたのだ、そして、奴さんの意識は朦もう朧ろうとなってしまったさ、奴さんは人じん道どうも車しゃ道どうも区別なしに歩いていると、荷かも物つ自動車がやって来たさ、奴さんは腹部を引かれて大腸が露出したが、それでも二日ばかり生きていたのだ、君は昨年の九月の新聞に、満伊商会の支店長が過あやまって自動車に轢ひかれて、死亡したと云う記事の載っていたのを読んだことがあるだろう、あれさ﹂ 三造は頷うなずいてみせた。
﹁今度は医学士の弟の方だが、彼には五いつ歳つになる女の子があって、悪漢のお祖じ父いさんが、非常に可愛がっていたから、それからさきへやったのだ、むせむせする晩はる春さきのことだ、その小供が二階の窓の下で遊んでたから、二三本の赤い芥け子しの花を見せてやったさ、小供の心はすぐその花へ来た、小供は手を延のべて執とろうとしたが執れない、そこで、
︵春はるや、春や︶
と、小こま間づか使いを呼んだが、返事がないので、じれて来て、窓へ掻かきあがろうとしたが、あがれない、
︵春や、春や、春やってば︶
と、今度は怒って呼んだが、それでも小間使はやって来ない、僕はその花を小供の眼から離さないように努力していたものさ、そこで、小供は小さな頭をひねって、その花を執とる法を考えたが、やっと椅い子すのことを思いだして、室へやの中から、よっちょらよっちょらと引張って来て、窓まど際ぎわへ据すえ、その上にあがって執ろうとしたが、花が掴つかめないので、窓の敷居の上へ這はいあがって、手を一ぱいに延べたので、そのまま下へ落ちてしまったさ、小供には気の毒だが、悪漢の悲しんでいた容さまが痛快だったね、
医師はその比ころから神経に故障が出来たのだ、ある夜よ、眼を覚してみると、並びの寝台に寝ているはずの細さい君くんの姿が見えないのだ、細君の行動に疑問を抱くようになっていた奴やっこさんは、そっと室へやを出て、廊下を通って父親の居間になっている日本間の方へ往くと、廊下のとっつきの小こざ座し敷きで人の気配がするのだ、奴さん、そっと障しょ子うじ際ぎわへ寄って耳を立てると、むし笑いに笑う女の声がするが、それがどうしても細君だ、奴さん頭がかっとなるとともに、体が顫ふるひだしたが﹇#﹁顫ふるひだしたが﹂はママ﹈すぐ奴さんに自制力が出来た、
︵ただ亢こう奮ふんする時でないぞ︶
と、奴さんは歯をくいしばったのだ、そして、耳を澄まして見ると、女の声は無くなって、父親が何か小さい声で話している声が聞える、
︵しかし、あの笑い声は、たしかに彼だ︶
奴さんは近ちか比ごろ細君の行動の怪しいことから、傍の寝台にいなかったこと、むし笑いに笑った女の声が、たしかに細君の声であったことを思いだして、世界が暗くなったのだ、しかし、
︵待てよ、このことは、己じぶんの身にとって、青木一家にとって、極めて重大な事件だ、これは、好く前後を考えたうえの所置にしなければならん︶
と、奴さん稍やや精神がはっきりしたので、己の寝室へ帰って往ったのだ、そして、室の中へはいってみると、細君は己の寝台の上ですやすや睡ねむっているのだ、奴さんは己の神経の狂くるいで奇怪な幻を画えがいたことに気が注つかないから、びっくりして眼をったのだ、そこで奴さんは、その晩のことは己の邪推であったと思うようになったが、それでも細君に対する疑惑は薄らがなかったさ、それから五六日して、夕方芝しば口ぐちを散歩していると、背うし後ろから一台の自動車が来たが、ふと見ると、それには深ぶかと青い窓まど掛かけを垂れてあった、それが奴やっこさんを追越そうとしたところで、中からちょっと窓掛を捲まいて、白い顔を出した女があった、それが細さい君くんさ、細君はその日三時から本ほん郷ごうの公爵家で催す音楽会へ往っている筈はずである、おかしいぞと思って、内を透すかすと、男の隻かた頬ほおが見えた、それは父親の顔であった、奴さんの眼めさ前きはまた暗んだのさ、
︵怪けしからん、怪しからん︶
奴さん自や暴け自く棄そになって、もと往ったことのある烏から森すもりの待まち合あいへ往って、女を対あい手てにして酒を飲んでいたが、それも面白くないので、十二時比ころになって自う宅ちへ帰ったさ、
︵今日は大変面白うございましたよ︶
と、奴さんを待っていた細君が悦うれしそうな顔をして云うのを、何も云わずに睨にらみつけたさ、細君はその凄すごい眼の光を見て、どうしたことが出来たのかと思って、口をつぐんではらはらとして立ったのだ、僕はその時、細君の横手になった大きな姿すが見たみの中へ顔を出していたが、二人とも見なかったのだ、それから五六日経たった、奴さんとろとろ睡ねむっていて、眼を開けてみると、また細君がいない、しかし何い時つかの夜のことがあっているので、好く眼を据すえて見定めてみたが、たしかにいないと云うことが判った、が、また便所へ往っていないとも限らないと思って、十分ばかり起きあがらずに待っていたが、細君は入って来ない、そこでまた廊下へ出て、廊下を日本間の方へ往ったのだ、往ってみると、怪しい囁ささやきのしていた室へやの前の雨戸が五六寸開あいているから、それを見ると、その開あき口ぐちを広くして裸はだ足しで庭へおりたさ、遅い月が出て、庭は明るかった、池の傍を廻って、新緑の匂においのぷんぷんする植込みの下の暗い処を歩いて、仮つき山やまの背うし後ろになった四あず阿ま屋やの方へ往ったのだ、四阿屋の中には、人のひそひそと話す声がしていた、枝葉の間からそっと覗のぞくと、月の陰になって中にいる人は見えないが、あまえるような女の声はたしかに細さい君くんで、他の声はがすがすする父親の声なのだ、
︵なんと云う醜体だ︶
と、奴やっこさんは顫ふるひだしたが﹇#﹁顫ふるひだしたが﹂はママ﹈、忽たちまち引返して己じぶんの寝室へ入り、机の抽ひき斗だしにしまってあった短ぴす銃とるを持って、はじめの処へ往き、また、枝葉の間から眼を出して、四阿屋のなかを透すかして見た、四阿屋の中では話声はしなかったが、もそりもそりと物の気配がしていた、
︵畜ちく生しょうどもたしかにいるぞ︶
と、奴さんは眼をったさ、白い手や白い顔がはっきりと暗い中に見えた、奴さんの右の手の短ぴす銃とるの音が大きな音を立てたのだ、
︵貴あな方たは何をなさるのです︶
奴さんが短ぴす銃とるを持ち出して往く姿をちらと見て、後あとをつけて来た細君が抱きついたのだ、四阿屋の中には僕の影がおったさ、そこへ悪漢の青木が来る、書生が来るして、発狂してしまった奴さんを執とり押えたのだ、その奴さんは、今至誠病院の一室しつで狂い廻って、悪漢の心をさんざんに掻かき乱しているが、もう長いことはないし、悪漢の寿命も今こん明みょ年うねんのものさ、僕は思いどおりに復讐することができたが、こうなってみると仇かたきながらも可哀そうだ﹂
私にこの話を聞かしてくれた仮かり名なの山田三造君は、最後にこんなことを云った。
﹁それが夢であったか、起きていた時であったか、どうもはっきりしないが、その朝、隣室で小供といっしょに寝ていた妻さいが、昨ゆう夜べ遅くお客さんがありましたね、長いこと何か話してましたね、それからお客さんのかえりに、貴あな方たがお客さんに挨あい拶さつをして、玄関の戸を締めたことを、うつつに覚えておりますよと云ったが、僕にはその覚えがない﹂