季節は何い時つであったか聞きもらしたが、市いちヶ谷や八はち幡まんの境けい内だいで、壮わかい男と女が話していた。話しながら女の方は、見るともなしに顔をあげて、頭の上になった銀いち杏ょうの枝葉を見た。すると、青葉の間に壮い男の顔があって、じっと女の顔を見つめた。それは、その女のもとの情じょ人うじんで、先年病死した男の顔であった。女はびっくりして倒れようとした。男は驚いて、女の体を抱きすくめるようにして、銀杏の枝に眼をやった。青葉の間の男の顔は依然としてこちらを見ていたが再び見なおした時には、もう見えなかった。