牡ぼた丹んの花の咲いたような王朝時代が衰えて、武家朝時代が顕あらわれようとしている比ころのことでありました。土佐の国の浦戸と云う処に宇うか賀のち長ょう者じゃと云う長者がありました。浦戸は土佐日記などにも見えている古い土地で、その当時は今の浦戸港の入江が奥深く入いり込んで、高知市の東になった五ごだ台いざ山んと呼んでいる大おお島しまや、田たべ辺し島ま、葛かず島らしま、比ひし島まなど云う村村の丘陵が波の上に浮んでいた。長なが岡おか郡ぐんの国府に在任していた国司などが、任期を終えて都へ帰って往くには、大おお津つの崎さきと云う処から船に乗って、入江の右岸になったこの地をさして漕いで来て、それから外そと海うみに出て、泊り泊りを追うのでありました。宇賀長者は、ここに大きな邸やしきをかまえて、莫大な富を作っておりました。その田でん地ちから獲とれる米のすり糠ぬかが、邸の傍に何い時つも大きな山をこしらえていたので、糠ぬか塚づか長者と呼ぶ者もありました。 この長者の家では、附近の土地を耕すほかに、海の水を煮て塩を製し、また魚などを獲とっておりました。それには二百人に近い奴どれ隷いがいて、その仕事をやっておりました。長者は太い赤あか樫がしの杖つえを持って、日ひご毎とに奴隷の前にその姿を見せました。赤樫の杖は、時とすると、奴隷どもの肩のあたりに蛇のように閃ひらめきました。奴隷どもはその杖を非常に恐れました。 それは晩春の明るい正おひ午るさがりのことでありました。紺こん青じょうを湛たたえたような海には、穏かな小さな波があって、白い沙すな浜はまには、陽かげ炎ろうが処どころに立ち昇っておりました。そこには潮風に枝葉を吹き撓たわめられた磯そな馴れま松つが種しゅ種じゅな恰かっ好こうをして生えておりました。その中のある松の下には、海の水を入れた塩しお汲くみ桶おけを傍に据すえて、腰こし簑みのをつけた二人の奴隷が休んでおりました。一人は痩やせた老人で、それは浮出た松の根に腰をかけておりました。一人は物に劫おびえるようなおどおどした眼つきをした壮わかい男で、それは沙すなの上に腰をおろして、両足を投げ出しておりました。壮い男は思い出したように小さな声で、﹁お月つき灘なだ桃もも色いろ、だれが云うた、様さまが云うた、様の口を引き裂け﹂と、調子をつけて歌を歌うように云いました。 ﹁お前はどこから来た﹂と、老人は思い出したように壮い男の顔を見て問いました。 ﹁西の方から来た﹂と、壮い男は云いました。この壮い男は、人ひと買かい船ぶねから長者の家に揚あげられたばかりでありました。 ﹁西はどんな処だ、よい処か﹂と、老人はまた問いました。 ﹁好い処とも、それは好い処だよ、磯いそには球たまにする木が生えていたり、真珠を持った貝があったりするから、黄こが金ねときれいな衣きぬをどっさり積んだ商あき人んど船ぶねが都の方から来て、それと交かえ易かえして往くことがあるよ﹂ ﹁球たまにする木と、真珠を持った貝、何な故ぜまたそんな好い処を捨てて、こんな地獄のような処へやって来た﹂ ﹁人ひと買かいに掠さ奪らわれたのさ﹂ ﹁お前もやっぱりそうか、俺もそうだが、俺は小供の時だった、故郷は判らないが、どうもここから東ひが北しきたのように思われる、やっぱり海があって、海の中には数たく多さんの島があった、掠奪われた日は、暑い日の夕方だ、磯いそへ一人出て遊んでいると、珍らしい船が着いた、俺は何なに船ぶねだろうかと思って、傍へ往ってみると、顔の赧あかい男が出て来て、好い物を見せてやろうと云うから、うっかり船へあがって往くと、そのまま船ふな底ぞこの室へやへ投ほうり込まれて伴つれて来られた、お前はどうして掠奪われた﹂ ﹁俺か、俺は、人魚を見に往って掠奪われた﹂ ﹁え、人魚……﹂と、老人には合がて点んがゆきません。 ﹁そうだよ、人魚を見に往っていてこんなことになったよ、俺には好きな女むすめがあって、毎晩のように往っていたが、女むすめも俺が好きで、俺の往きようが遅いと、門かど口ぐちに出て待っていたものだ、その女むすめは俺と話をする時に、好い匂においをさすと云うて、何い時つも草花を折って頭か髪みに挿さしていた、痩やせぎすな、手足のしんなりとした、それはな女むすめであったよ、その女むすめの在ざい所しょへ往くには、小さな岬の下の波の打ちかける処を通らねばならなかったが、ある晩、平いつ生ものように俺はそこを歩いていた、それは月の好い晩であった、海は静しずかに凪ないで、灘一面に蒼あお白じろい月が射さしていた、俺は波の飛しぶ沫きのかかる巌いわおの上を伝いながら、ふと前の方を見ると、その巌から人の脊せだ丈けを三つ継ついだ位離れた海の中に、満みち潮しおの時には隠れて、干ひし潮おの時に黒犬の頭のような頭だけだす礁はえがあるが、そこにな女おな子ごが、雪のような白い胸を出しているじゃないか、おおかたその礁に両手をかけて縋すがりついていたろうよ、烏からすの羽を濡ぬらしたような黒い頭か髪みは肩に重そうに垂れていた、胸から下は青い衣きものを着ているように、青い玉のようなものがぎらぎらとその周まわ囲りに光っていた、それを見つけた時の俺の気もちと云うものはなかったよ、俺はなんだか五ごし色きの雲に包まれて、竜りゅ宮うぐうへでも往って、乙おと姫ひめ様さまの前に出たような気になって、穴の開く程その顔を見詰めていたよ、すると女おな子ごは俺に気が注ついたように、俺の顔を見て莞にっと笑ったが、笑う拍子に赤い下唇が動いて、なにか云ったように思ったが、それは聴きとれなかった、俺の気は、もう遠くなっていたと見える、その時、なにか知ら、ぐらぐらとしたので、気をつけてみると、俺の体は巌いわの端はしへ往って、今にも波の中へ落ち込もうとしているのを、傍の巌いわ角かどにかけた隻かた手てがやっと支えていたじゃないか、俺は吃びっ驚くりして体の位む置きを変えたが、今度見るともう女おな子ごは見えなかった、俺はそれから女むすめの許もとへ往ったが、その女おな子ごのことが頭に一杯になっているので、女むすめの詞ことばがおりおり耳に入らないことがある、︵どうしたの、睡ねむいの︶と云って、女むすめは俺の体を揺ゆったりした、翌あく晩るばん、俺はまた岬の下へ往って、昨ゆう夜べの女おな子ごはいないだろうかと思って、その辺を見廻したが、もうその晩はいなかった、俺は、一いっ時ときあまりもそこに立っているうちに、女むすめの許に往くのが厭いやになったので、そのまま引きかえそうかと思ったが、それもなんだか、心残りがするので、また女むすめの許へ往くと、︵お前さんは、人魚を見やしない︶と女むすめが云うじゃないか、俺はなるほどあの女おな子ごは人魚だと思ったが、他人に知らすのは何か知ら大事の秘密を漏もらすような気がして恐ろしいので、︵そんなことはない︶と云って黙っていた、すると女むすめが、︵ほんとに人魚を見やしないの、人魚を見ると世の中の女おな子ごが厭になって、どこかへ往ってしまうと云うよ︶と云うじゃないか、俺はあの人魚といっしょならどこへ往っても好いと思ったが、それが俺の過あやまりであったよ、その翌あく晩るばんになると、俺はまたふらふらと岬の下へ往ったが、未まだ月が出ていないので、巌いわに腰をかけて待っていた、併しかしその時は、もう三人の人ひと買かいが背うし後ろの巌いわ陰かげにかくれている時であったよ﹂と云って、壮わかい男は悲しそうな顔をしました。 ﹁そうか、それは可哀そうだ、女むすめのところへ帰りたいだろうな﹂と、老人は海の方を見て云いました。 ﹁帰りたい、どうしたら帰れるだろう﹂と、壮い男は問いました。 ﹁この海のふちを西へ西へ往けば、帰れないことはないだろうが、見張りが厳しいから逃げられない、もし逃げ出して捕まろうものなら、どんな目に逢あわされるか知れやしない﹂ 老人がこう云いかけた時に、磯いその方から三人の仲間の塩しお汲くみがあがって来ました。三人の中うちの一人は、十三四歳の小供でありました。前には四十格かっ好こうの脊せの高い男がおりました。その男は陸おかの方で何なんか見つけたと見えて、﹁鬼が来たよ、鬼が来たよ﹂と周あ章わてて云いました。 老人と壮い男はその声を聞くと飛びあがるように起たちあがって、塩しお汲くみ桶おけを肩にして歩きだしました。陸おかの麦畑の間にある路みちから、中ちゅ脊うぜいの肥ふ満とった傲ごう慢まんな顔をした長者が、赤あか樫がしの杖つえを引ひき摺ずるようにしてあるいて来るところでありました。麦畑のはてには、長者の邸やしきの構えのなかに建てつらねた、堅かつ魚お木ぎのある檜ひわ肌だぶ葺きの屋根が幾いく棟むねとなく見えておりました。
人魚を見たと云う壮わかい男は、それから二三日して夜遅く長者の邸やしきを逃げだしました。数たく多さんの仲間といっしょに寝ていた塩小屋を這はいだしてみると、庭には薄月が射さしておりました。 壮い男は海岸を西へ西へ往きました。野のい茨ばらの藪やぶがあったり、人の背丈よりも高い荻おぎの生えたところがあったりしました。荻の大きな葉は人の来るように、ざらざらと鳴りました。そのたびに壮い男は心を顫ふるわせました。 一里ばかり往ったところで、小さな野川の水が微ほの白じろく現われました。川の縁へりには一軒の苫とま屋やが黙黙として立っておりました。壮い男はその前に立って、どうして川を越したものかと考えておりました。苫屋の中からは四つの眼が光っておりました。そこは長者の家の見張でありました。壮い男は水みず際ぎわの蘆あしの中へ追い詰められて縛られました。 海から昇った真まっ紅かな朝あさ陽ひが長者の家の棟むね棟むねを照らしておりました。背うし後ろ手でに縛られた壮い男は、見張の男に引ひき摺ずられて母おも屋やの庭にわ前さきへはいって来て、土の上に腰をおろしました。起きたばかりの長者は、縁えん側がわに立って大きな欠あく伸びをしておりました。 ﹁旦那様、また一疋ぴき兎うさぎがかかりました﹂と云って、見張の男は鼻高高と云いました。 長者は黙って頷うなずいて、じっと壮い男の顔を見おろしておりましたが、﹁ふむ、此こい奴つは、この間の奴だな、まだ赤あか餅もちの味を知らんと見えるな﹂と嘲あざけるように笑って、家の内を揮ふり向いて云いました。﹁おい、赤あか餅もちを持って来い﹂ 壮わかい男は首を縮すくめて俯うつ向むいておりました。見張の男は背うし後ろの方で、手鼻をかむ音をさせました。長者は室へやの内をあっちこっちと歩きだしました。 年とった僕げなんが赤く焼いた火ひば箸しのような鉄片を持って出て来ました。握る処には濡ぬれた藁わら縄なわを巻いてありました。長者はそれを受けとると、庭に下りて壮わかい男の前に立ちました。 壮い男は恐れて気が遠くなっておりました。彼にはもう長者の云う詞ことばが判りません。長者は何か云いながら焼いた鉄片を壮い男の額ひたいに当てようとしました。 ﹁父さん、父さん﹂と云う声がしました。長者は背うし後ろを向いて室へやの方を見ました。紫色の衣きものを着た起きたばかりの一人女むすめが立っておりました。 ﹁父さん、お伊勢様へ往くのに、そんなことをなさらんが好いではありませんか﹂と、女むすめは云いました。 長者は二三日すると伊勢参さん宮ぐうをすることになっておりました。長者はなるほどと思いました。併しかし逃亡しようとした奴どれ隷いをそのままにして置くわけには往きません。で、長者は奴隷の体に傷をつけないで、懲こらしめになる苦しい刑罰はないかと考えました。そして、長者の頭に一つの考えが浮うかみました。 ﹁赤餅を許してやるかわりに、十日間切きり燈とう台だいにする﹂と云って、長者は手にしていた鉄片を投げだしました。 壮い男は長者の詞の意味がはっきり判りません。彼はどんなことになるだろうと思って、おどおどしながら長者の顔を見あげました。その物に怯おびえた蘆あしの嫩わか葉ばの風に顫ふるえるような顔を、長者の女むすめは座敷の方から覗のぞくようにしておりました。
壮わかい男はその日から昼間は塗ぬり籠かごの中へ入れられ、夜になると長者の室へやへ引き出されて、切きり燈とう台だいの用をさせられました。それは頭髪を角みず髪らにして左右の耳の上に束つかねた頭に、油をなみなみと入れた瓦かわ盃らけを置いて、それに火を燈ともすのでありました。 ﹁一滴でも油を滴こぼしたら、これだぞ﹂と云って、長者は傍に置いてある赤あか樫がしの杖つえを揮ふって見せました。長者はその明あかりで酒を飲んでおりました。 壮い男は腕を組んだなりに眼をつむっておりました。油の燃える音が頭の上でじじじと鳴りました。長者の傍にいる者は、壮い二人の女と、﹁宇賀の老おじ爺い﹂と云う長者一門の老人でありました。下した顎あごの出た猿のようなこの老人は、どこへでもしゃあしゃあと押しだして往って、何た人れとでも顔かお馴なじ染みになりました。国こく司しの館たちなどに往くと、十日も二は十つ日かもそこにいることがありました。そして、国司や、奥おく方がたの身のまわりの用を足してやりました。これがために国司の館たちなどでは、﹁宇賀の老爺﹂﹁浜の宇賀﹂などと云って、非常に重宝がりました。長者もこの老人を可愛がって、今度の伊勢参宮にも伴つれて往くと云うことになっておりました。 ﹁老爺の用意は好いかな﹂と、長者は瓦盃の酒を一口甞なめてから云いました。 傍の女を対あい手てにして戯じょ言うだんを云っていた宇賀の老おじ爺いは、小さな円つぶらな眼を長者の方にやりました。﹁この老爺に用意も何もあるものではありません、これから直すぐでもお供ともができます﹂ ﹁……さすがに国司のお気に入る老爺ほどあるな、それでは明あさ後っ日てあたり出かけるとしよう﹂と、長者は心地好さそうに云って、空からになった瓦かわ盃らけを前に差しだしました。 宇賀の老爺は心持ち背うし後ろに反そりかえて、かすれた声を出して今いま様ようを唄いました。そして、手にしている扇おうぎをぱちぱち鳴らして拍子をとりました。 長者は隻かた手てを突いて、体を横にして聞いていたが、何い時つの間にか寝込んでしまいました。宇賀の老爺はこれを見ると小声でまた女に戯じょ言うだんを云いだしました。そして、三人で戯たわむれあいながら次の室へやへ出て往きました。 切きり燈とう台だいの壮わかい男は、この容さまを微かすかに見開いた眼で恨めしそうに見ておりました。
長者はその日が来ると、宇賀の老爺はじめ十余人の供とも人びとを伴つれて、伊勢参宮に出かけて往きましたが、土佐の海は風ふう浪ろうの恐れがあるので、陸路をとることにしました。海岸を東へ往って、野のね根や山まと云う山を越えると阿あ波わの国になります。阿波から船で由ゆ良らの門とを渡って往きます。 長者が出発すると、その日から長者の留るす守も許とでは、修しゅ験げん者しゃを迎えて長者一行の道中の安全を祈りました。柿色の篠しの掛かけを着けた、面おも長ながな眼の鋭い中年の修験者は、黒い長い頭髪を切って頷あごのあたりで揃えておりました。修験者の珠じゅ数ずを押し揉もんで祈きと祷うする傍には、長者の一人女むすめと、留守を預あずかっている宇賀一門の老人達が二三人坐っておりました。 修験者は二三年前ぜんから浦戸に来て、長者の家へ出でい入りしている者で、老人達とも親しい間あい柄だがらでありました。彼は祈祷の後あとでゆっくり坐り込んで面白そうに話しておりましたが、心の中は物足りなさで一杯になっておりました。それは祈祷が済むや済まずに引っ込んで往って、二度と顔を見せない長者の女むすめのこの比ごろの素そぶ振りからでありました。彼は折おり老人の詞ことばに対して、とんちんかんな返事をしました。 そのうちに老人が一人起たち二人起ちして、一人も姿を見せないようになりました。修験者はそっと起って奥の座敷の方へ往きました。それは女むすめに逢あうためでありました。 女むすめは己じぶんの室へやでつくねんと坐って何か考えごとをしておりました。修験者のそっと入って往く跫あし音おとがしますと、女むすめは顔をあげました。女むすめの眼は魚うおのように冷たく光っておりました。 ﹁老とし人よりに見られては困ります、帰ってください﹂と女むすめが云いました。 ﹁何な故ぜそんなことを云います、あなたは何か私に憤おこっておりますか﹂ ﹁何も憤ることはありませんが、こんなことが父さんに知れたら大変ではありませんか﹂ ﹁どうせ一度は知れることではありませんか﹂ ﹁私は厭いや﹂と、女むすめは叱るように云いました。 修験者は淋しそうな顔をして立っておりました。 ﹁さ、早う帰ってください、何だ人れか来ると困りますから﹂ ﹁もう私が厭になりましたな﹂と、修験者は強しいて穏やかな声で云いました。 女は黙って戸そ外との方を見ました。薄れかけた夕陽の光が築つい地じの上にありました。 ﹁何かあなたは、かん違いをしておるようだ、今晩来てゆっくり話します﹂と、修験者は云いました。 ﹁父さんの留守に、そんなことをされては困ります﹂と、女むすめは周あ章わてたように云いました。 ﹁来ては悪いですか﹂ ﹁困ります、父さんの留守に……﹂ 修験者は一ちょ寸っと口をつぐんでいたが、 ﹁まあ、そんなに云うものではありませんよ﹂と云って、苦にが笑わらいをしながら出て往きました。 今こと歳しの正月、長者が宇賀の老おじ爺いを伴つれて、国こく司しの館たちに往って四五日逗とう留りゅうしている留守に、女むすめは修験者の神秘に侵おかされていたが、その比ころになってその反動が起っておりました。 ﹁来ては困りますよ﹂と、女むすめはまた修験者の背うし後ろから云いました。 やかましい父が見張っている時でさえ、その隙すきを盗んで纏まとわりついた者が、今日からはどんなに煩しつ耨こく纏うて来るだろうと云う恐れが、女むすめの頭に充いっ満ぱいになっておりました。女むすめはどうかして修験者から逃れる工くふ風うはないかと考えておりました。 暗くなると塗ぬり籠かごに入れられていた壮わかい男が引き出されて、長者の室へやで頭に火を燈ともしました。女むすめはそれを見て、これを己じぶんの室へ据すえて置くなら、修験者が入って来ないだろうと思いました。切きり燈とう台だいは女むすめの寝室へ移されました。
切きり燈とう台だいになった壮わかい男は、膝ひざに手を置いてじっとしておりました。そこには草色の帷とばりをかけた几きち帳ょうがあって、女むすめはその陰に横になっておりましたが、枕まく頭らもとに坐っている白い兎うさぎのような感じのする壮い男のことが、頭に浮んだり消えたりしておりました。 この時、寝室の外の暗い廊下に修験者が来て立っておりましたが、どうしても内へ入ることができませんでした。修験者は女むすめを恨み恨み帰って往きました。 翌あく晩るばんになると、女むすめは切燈台の台を持って来て、 ﹁人に知らさないようにすれば、瓦かわ盃らけは台の上に乗せても好い﹂と云いました。壮い男は女むすめの云うままに、折おり瓦盃を頭からおろして休んでおりました。修験者は女むすめの寝室へ近づくことができませんでした。 五六日すると、壮い男の懲ちょ罰うばつを受ける期きが尽きました。女むすめは壮い男に昼の自由を与えて、夜はそのままに切燈台の役を勉めさせました。女むすめの寝室に近づくことができないと見てとった修験者は、昼の隙すきに女むすめに近づこうとしました。女は下はし婢ためや老とし人よりの中へ身を置いたり、壮い男を閉じ込めてあった塗ぬり籠かごの中へ隠れたりしました。 ある夜よ懲こりずに忍んで来た修験者が、寝室の口から覗のぞいて見ると、切燈台の壮い男は頭から明あかりの点ともった瓦盃をおろして、こくりこくりと居いね睡むりをしておりました。修験者は己じぶんの忍び込んで来ていることを忘れて飛び込んで来ました。 ﹁こらッ、横おう道ちゃ漢くもの!﹂と云って、壮わかい男の頭に拳こぶしを加えました。壮い男は驚いてうろうろしておりました。 几きち帳ょうの陰から女むすめがあらわれました。 ﹁かってに入って来て狼ろう藉ぜきをなさるのは何た人れ﹂ ﹁私だ、これが瓦かわ盃らけをおろして横おう道ちゃくをきめておったから、折せっ檻かんに入りました﹂と修験者が云いました。 ﹁これに不都合があれば、私が折檻します、あなたはお帰りください﹂ ﹁あなたは私を忘れましたか﹂と、修験者は恨うらみを籠こめた詞ことばで云いました。 ﹁私は何も忘れました、お帰りください﹂と、女むすめは叱るように云いました。 修験者は凄すごい眼をして、女むすめの顔を見い見い出て往きました。 女むすめはおろおろしている壮い男の傍を通って、几きち帳ょうの陰に隠れましたが、眼が冴さえて物淋しくなりましたから、声をかけて壮い男を呼びました。 女と壮い男との間はその夜よから非常に接近しました。そして、二人で修験者を恐れるようになったのは、それから間もないことでありました。
長者の一行は漸ようやく伊勢に着いて、先まず外げぐ宮うに参さん詣けいしました。白しら木きの宮みや柱はしらに萱かや葺ぶきの屋根をした素朴な社やしろでありました。一の華とり表いを潜くぐったところで、驕きょ慢うまんな長者は大きな声をだしました。
﹁お伊勢様、お伊勢様と云うから、どんなものかと思えや、俺の家の納な屋やほどもないじゃないか﹂
宇賀の老おじ爺いの耳にも、不敬なその詞ことばが入りました。宇賀の老爺は恐れて耳をおおいました。
﹁老爺どうじゃ﹂と、長者は揮ふり返って宇賀老人を見て云いました。
老人は恐ろしくて返事をすることができませんでした。
内ない宮ぐうへ参さん詣けいした時にも、長者は外げぐ宮うのような不敬な詞を繰返しました。
﹁なんと云う乱暴な詞だろう﹂と、宇賀老人は長者の詞を悪にくみました。
修験者は長者の家へ忍び込んで来て、女むすめの寝室の方へ歩いておりました。
その時女むすめと壮わかい男は、几きち帳ょうの陰でひそひそと話しておりました。切きり燈とう台だいの燈ひは淋しそうに燈ともっておりました。
寝室の口に立った修験者は耳を聳そばだてました。几帳の陰かげの話は、生暖かな夜の空気に融け込んで艶なまめかしく聞えました。修験者は狂きち人がいのようになって駈かけ込みました。
女むすめと壮い男がとり乱した姿をして、燈とも火しびの光の中に出ました。吠えかかるような修験者の声が家の中に響きました。女むすめと壮い男は寝室の外へ逃げだしました。切燈台の燈がどうした拍子にか几帳の帷とばりに燃え移って、めらめらと焔ほのおをあげました。二人を追っかけて往く修験者の背に、その光がちらちらと映りました。
火はみるみる天井に移り、屋根に燃えつきました。母おも屋やの火はまたその周まわ囲りの建物に移りました。四あた辺りは火の海となりました。
女むすめと壮い男はその火の光に背そむいて、北へ北へと逃げました。修験者はその後あとを激しく追っかけました。女むすめと壮わかい男は手を執とりあっておりました。
丘お陵かの間を走ったり、入江の縁ふちを走ったりしていると、一軒の家が星の下に見えました。二人はその戸を叩きました。
そこは北村と云う長者の家と親しい家でありました。家内の者は、二人を奥の室へやへあげて茶を汲くんでくれました。二人はやっと安心して茶を飲んでおりました。もう夜よが明けかけておりました。どこかで鶏とりの声がしました。
表の戸を割れるように叩く者がありました。﹁ここに長者の女むすめがおるはずじゃ、出してくれ、出してくれ﹂
二人は裏口から逃げだしました。そして、田たん圃ぼの間を東に向って走りました。走りながら壮い男が揮ふり返って見ると、修験者は直すぐ背うし後ろに迫っておりました。
田圃の前さきは低い丘お陵かでありました。二人はその丘お陵かに駈かけあがって、生い茂った林の下を潜くぐって前むこうの麓ふもとにおりましたが、そこは入江の岸になって、路みちの下には水の白い池がありました。右を見ても左を見ても嶮けわしい崖で、背うし後ろに引返すより他に往く処はありません。修験者の跫あし音おとはもう聞えて来ました。
二人は池の中へ飛び込みました。微うす暗ぐらい水の面おもてに二人の姿が一度浮みあがった時、修験者は池の上に駈けつけることができましたが、この容さまを見ると己おのれも池の中へ身を沈めました。
伊勢参宮から帰りかけた長者の一行は、ある夜よな半かご比ろ、手てい結や山まと云う山やま坂さかの頂上にかかりました。手結から浦戸へは五里位しかないから、夜よみ路ちをしたものと見えます。
長者はその坂に登ると、浦戸の方へ眼をやりました。浦戸の方角に当って山やま焼やけのような焔ほのおが赤あかと空に映って見えました。
﹁や、火事だぞ、それにしても、こんな大きな火事は、俺の家より他にないが、ままよ、急いで帰ったところで間に合うまい、ここで尻でも炙あぶろうか﹂と云って、長者は大きな尻を、浦戸の方へ向けて突きだしました。
﹁云はん﹇#﹁云はん﹂はママ﹈ことか、お伊勢様の罰ばちだ﹂と、宇賀の老おじ爺いは小声で呟つぶやいておりましたが、やがて大おお祓ばらいの詞ことばを唱となえだしました。
長者の女むすめはじめ三人の沈んだ処は、福浦と云う処であった。浦戸港の入江に面した田たん圃ぼの中には、その趾あとだと云う蓮はすの生えた小さな池があって、そこに三人を祭った小こや社しろがあった。私の記憶では社やしろは二つあったように思われる。一つは縁えん切きりの神とせられ、一つは縁結びの神とせられて、痴ち愚ぐな附近の男女の祈願所となっている。何なんでもその社には錆びた二つ三つの鋏はさみを置き、その願がんほどきに切ったらしい、女の黒髪の束にしたのを数たく多さんかねの緒おに結びつけてあったのを憶えている。
宇賀長者の邸やし跡きあととしては、今、吾あが川わぐ郡ん浦戸村の南になった外がい海かいに沿うた松原に、宇賀神社と云う村そん社しゃがある。その村社の背うし後ろには古墳らしい円えん錐すい形の小しょ丘うきゅうもある。土地の人は之これを糠ぬか塚づか様さまと云っている。
古い土佐の諺ことわざに、遠とお火びに物を焙あぶって火のとどかないことを、手てい結や山まの火と云ったものだ。