三日幻境

北村透谷




     

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I still had hopes, my long vexation past,
Hero to return――and die at home at last.
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 ()()()()()()()()()()()()※(「竹かんむり/(工+卩)」、第3水準1-89-60)()()
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 ()()()()()宿()()()()()()()()()()()
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 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()便()()()()()()()()※(「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-84)()湿()()()()()()()()()()()沿()()()()()()()()()()()西()()()()()()()
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 ()※(「煢−冖」、第4水準2-79-80)()()()()()()()
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七年を夢に入れとや水の音
みけるに、翁はこれを何とか読み変へて見たり。翁未だ壮年の勇気をうしなはざれど、生年限りあれば、かねて存命に石碑を建つるの志あり、我が来るを待ちて文をしよくせしめんとの意をのべければ、我は快よく之を諾しぬ、又た彼の多年苦心して集めし義太夫本、我を得て沈滅の憂ひなきを喜び、其没後には悉皆しつかい我に贈らんと言ひければ、我は其好意に感泣しぬ。翁の秀逸一二を挙ぐれば、
夢いくつさまして来しぞほとゝぎす
こゝに寝む花の吹雪にうづむまで
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越えて来て又一峰ひとみねや月のあと
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 ()()()()()()()()()()()()()※(「皐+栩のつくり」、第3水準1-90-35)()()()()()()()()()()()
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すゞ風や高雄まうでの朝まだち
 ()()()()()()()()※(「窗/心」、第3水準1-89-54)()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()98--12()()()()()
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この山に鶯の春いつまでぞ
 ()()()()湿()
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日ぐらしの声の底から岩清水
 この夜は山麓の覊亭に一泊し、あくる朝連立つれだつて蒼海を其居村に訪ひ、三個みたり再び百草園もぐさゑんに遊びたることあれど、記行文書きて己れの遊興を得意顔に書き立つること平生好まぬところなれば、こゝにて筆をかくしぬ。

(明治二十五年八月)






底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二五號、三二七號」女學雜誌社
   1892(明治25)年8月13日、9月10日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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JIS X 0213

JIS X 0213-


「山+咢」    98-下-12