一
今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠やせぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小こも諸ろへ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏かし木わぎ村――はい、小諸まで一里と申しているのです。 柏木界かい隈わいの女は佐さ久くの岡の上に生くら活しを営たてて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生烈はげしい労はた働らきを為しなければなりません。さあ、その烈しい労働を為するからでも有ましょう、私の叔母でも、母おふ親くろでも、強つ健よい捷はし敏こい気象です。私は十三の歳としから母親に随ついて田の野らへ出ました。同じ年恰かっ好こうの娘は未だ鼻を垂して縄なわ飛とびをして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓うれしいも哀かなしいも解り始めましたのです。吾う家ちでは子供も殖ふえる、小こあ商きな売いには手を焼く、父おや親じは遊のら蕩くらで宛あてにもなりませんし、何なん程ぼ男勝まさりでも母親の腕一つでは遣やり切きれませんから、否いやでも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣いし裳ょう此こち方ら持もちの年に十八円位が頂とま上りです。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御宛あて行がいという約き束めに願って出ました。 金おか銭ねで頂いたら、復また父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。 出るにつけても、母親は独ひとりで気を揉もんで、﹁旦だん那な様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが﹂から、﹁御奉公は奥様の御機きげ嫌んを取るのが第一だ﹂まで、縷さん々ざん寝物語に聞かされました。忘れもしない。母親に連れられて家うちを出たのは三月の二日でした――山やま家がではこの日を山でが替わりとしてあるのです。微すこし風が吹いて土つち塵ぼこりの起たつ日でしたから、乾はし燥ゃいだ砂交りの灰色な土を踏ふんで、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手てぬ拭ぐいを冠かぶって麻あさ裏うら穿ばき。私は萌もえ黄ぎの地木綿の風呂敷包を提さげて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌もえ初そめた麦むぎ畠ばたけの側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農ひゃ夫くしょうが鍬くわを休めて、私共を仰山らしく眺ながめるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其そ処こまで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅たび商あき人んどの群が居りました。﹁唐から松まつ﹂という名高い並木は伐きり倒される最中で、大木の横よこ倒たおしになる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦いく闘さのよう。私共は親子連の順礼と後あとになり前さきになりして、松葉の香を履ふんで通りました。 小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏おお壮きな鼠色の建たて築も物のは小学校です。その中の一棟むねは建たて増ましの最中で、高い足場の内には塔の形が見えるのでした。その構かま外えそとの石垣に添ついて突当りました処が袋ふく町ろまちです。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支わか流れが浅く町中を通っております。この支なが流れを前に控えて、土どべ塀いから柿の枝の垂下っている家が、私共の尋ねて参りました荒井様でした。見みつ付きは小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格こう子しづ作くりで、二階建の閑静な御住すま居いでした。 丁度、旦那様の御留守、母おふ親くろは奥様にばかり御目に懸かかったのです。奥様は未だ御若くって、大おおきな丸まる髷まげに結って、桃色の髪てが飾らを掛た御方でした。物腰のしおらしい、背のすらりとした、黒目勝の、粧つくれば粧るほど見みま勝さりのしそうな御容かお貌だち。地の御おう生まれでないということは美しい御言葉で知れました。奥様の白い手に見比べると、母親のは骨太な上に日に焼けて、男の手かと思われる位。 ﹁奥様、これは御恥しい品ものでごわすが、ほんの御印ばかりに﹂ と母親は手てみ土や産げを出して、炉ろば辺たに置きました。 ﹁あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃ反かえって御気毒ですねえ﹂ ﹁否いいえ、どう致しやして。家で造こしらえやした味みそ噌づ漬けで、召上られるような品ものじゃごわせんが﹂ ﹁それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上り﹂ ﹁もう何どう卒ぞ御構いなすって下さいますな﹂ ﹁よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの﹂ ﹁はい、お定と申しやす。実まことに不調法者でごわして。何どう卒かまあ何分宜よろしく御願申しやす﹂ 私はつんつるてんの綿入に紺こん足たび袋ば穿きという体しこ裁うで、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御ござ座いました。御傍へ添よれば心持の好い香水が顔へ匂いかかる位、見るものも聞くものも私には新しく思われたのです。御奉公の御約束も纏まとまりました。母親は華は麗でな御おく暮らしや美しい御言葉の裡なかに私を独ひとり残して置いて、柏木へ帰って了しまいました。 御本宅は丸まる茂もという暖のれ簾んを懸かけた塩問屋、これは旦那様の御おあ兄にい様さまで、私の上りました御家は新宅と申しました。御本宅は大勢様、奉公人も十人の上遣つかっておりましたが、新宅は旦那様に奥様、奉公人といえば爺じいさんが一人と、其処へ私が参りましたから、合せて四人暮。御本宅は旧むか気しか質たぎの土地風。新宅は又た東京風。家の構つく造りを見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思かん想がえを御持ちなすった御方で、御おみ服な装りも、御言葉も、旧弊は一切御廃し。それを御本家では平しじ素ゅう憎に悪くんでいるということでした。 まあ、聞いて下さい。世には妙な容かお貌だちの人もあればあるもので、泣いている時ですら見たところは笑っているとしか思われないものがあります。旦那様のが丁度それで、眼の周まわ囲りの筋の縮んだ工合から口元と頬ほおの間に深い皺しわのある御様子は、全く旦那様の御顔を見ると笑が刻んであるようでした。さ、その御顔です。一いっ時ときも油断をなさらない真ま面じ目めな精ここ神ろの旦那様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議なようでした。然し、それが旦那様の御おひ人との好いいという証拠で、御おう天まれ性つきの普な通みの人とは違ったところでしょう。一体、寒い国の殿方には遅ぐず鈍ぐずした無精な癖があるものですけれど、旦那様にはそれがありません。克よくもああ身から体だが動くと思われる位に、勤ま勉めな働はた好らきずきな御方でした。 小諸で新しい事しご業ととか相談とか言えば、誰は差置ても先まず荒井様という声が懸る。小諸に旦那様ほどの役者はないと言いました位です。 私が上りました頃の御夫婦仲というものは、外よそ目めにも羨うらやましいほどの御睦むつまじさ。旦那様は朝早く御散歩をなさるか、御二階で御調しら物べものをなさるかで、朝飯前には小原の牝う牛しの乳を召上る。九時には帽子を冠って、前垂掛で銀行へ御おで出ま掛しになる。御おや休す暇みの日には御客様を下座敷へ通して、御おは談な話しでした。尋ねて来る御客様は町会議員、大地主、商た家なの旦那、新聞屋、いずれも土地の御歴々です。御おゆ晩は食んの後は奥様と御おさ対しむ座かい、それは一日のうちでも一番楽しい時で、笑いさざめく御声が御部屋から泄もれて、耳を嬲なぶるように炉辺までも聞える位でした。その時は珈コー琲ヒーか茶を上げました。 思えば結けっ構こう尽づくめの御暮です。私は洋ラン燈プの下で雑ぞう巾きんを刺し初めると、柏木のことが眼めの前まえに浮いて来て、毎晩癖のようになりました。吾こち等とらの賤いやしい生くち涯すぎでは、農しご事とが多いそ忙がしくなると朝も暗いうちに起きて、燈あか火りを点つけて朝あさ食めしを済ます。東の空が白々となれば田の野らへ出て、一日働くと女の身体は綿のようです。ある時、私は母おふ親くろと一緒に疲れきって、草の上に転んでいると、急に白ゆう雨だちが落ちて来た、二人とも起上る力がないのです。汗臭い身体を雨に打たれながら倒れたままで寝ていたことも有ました。その時に後で烈ひどい熱病を煩わずらって死ぬ程の苦くるしみをいたしました。農家の女の労つら苦さはどれ程でしょう――麦刈――田の草取、それから思えば荒井様の御奉公は楽すぎて、毎日遊んで暮すようなものでした。野けも獣ののように土だらけな足をして谷たに間あいを馳かけ歩あるいた私が、結構な畳の上では居いね睡むりも出ました位です。 何一つ御不足ということが旦那様と奥様の間なかには有ません。唯御似合なさらないのは御年です。ある日のこと、下座敷へ御客様が集りました。旦那様は細こまかい活版刷の紙を披ひろげて御覧なさる、皆さんが無遠慮な方ばかりです。﹁こりゃ甚ひどい、まるで読めない﹂と旦那様はその紙を投出しました。 ﹁成程、御若い方の読むんで、吾われ儕われの相手になるものじゃありません。ここの処なざあ、細い線すじのようです﹂ と言いながら、一人の御客様は袂たもとから銀縁の大きな眼鏡を取出しました。玉の塵ほこりを襦じゅ袢ばんの袖そで口ぐちで拭いて、釣つり針ばりのように尖とがった鼻の上に載せて見て、 ﹁これなら私にも、明はっ瞭きりとはいきませんけれど……どうかこうか見えます﹂ ﹁へえ、一ちょ寸っとその眼鏡を拝借﹂と他の御客様が笑いながら受取て、﹁成程、むむ、これなら明瞭します﹂ 旦那様も笑って反そりかえりました。やがて、瞬めばたきをしたり、眼を摩こすって見たりして、眼鏡を借りようとはなさいません。 ﹁まあ、眼鏡はもう二三年懸けない積つもりです。懸けた方が目の為には好いいと言いますけれど﹂ ﹁ですから、私なざア何か読む時だけ懸けるんです﹂と眼鏡を出した方は仔しさ細いらしく。 ﹁驚きましたねえ﹂とその隣の方が引取って、 ﹁こんなに能よく見えるのかなア。ハハハハ、こりゃ眼鏡を一つ奢おごるかな﹂ 終しまいには旦那様も釣込れて、 ﹁拝借﹂と手を御出しなさいました。 一人の御客様が笑いながら渡しますと、旦那様も面白そうに鼻の上へ載せて、活版刷の紙を遠く離したり近く寄せたりして御覧でした。 ﹁懸けた工合は……どうですな﹂と渡した方が旦那様の御顔を覘のぞくようにして尋ねる。 ﹁や、こりゃ能く見える。これを懸ければすっかり読めます﹂ ﹁ハハハハハ、酷ひどいものですなア﹂ ﹁ハハハハハ﹂ と旦那様も手を拍うって大笑い、一人の御客様は目から涙を流しながら、腹を抱かかえて笑いました。終しまいには皆さんが泣くような声を御出しなさると、尖った鼻の御客様は頭を擁かかえて、御座敷から逃出しましたのです。 私も旦那様がこれ程であろうとは思いませんでした。人程見かけに帰よらない者はありません。これから気を注つけて視みると、黒か髪みも人知れず染め、鏡を朝晩に眺ながめ、御召物の縞しまも華は美でなのを撰より、忌いみ言こと葉ばは聞いたばかりで厭いやな御顔をなさいました。殊ことに寝起の時の御顔色は、毎いつも微すこし青ざめて、老おい衰おとろえた御様子が明あり白ありと解りました。智ち慧えの深そうな目の御色も時によると朦どん朧より潤みを帯もって、疲れ沈んで、物を凝みつ視める力も無いという風に変ることが有ました。私は又た旦那様の顎あごから美しく白く並んだ御歯が脱はず出れるのを見かけました。旦那様は花やかに若く彩いろどった年寄の役者なのです。住慣れて見れば、それも可お笑かしいとは思いません。御二人の御年違も寧いっそ御似合なされて、かれこれと世間から言われるのが悲しいと懐おもう様になりましたのです。 奥様は御器量を望まれて、それで東京から御おか縁たづ組きに成ったと申す位、御湯上りなどの御美しさと言ったら、女の私ですら恍ほれ惚ぼれとなって了う程でした。旦那様が熟じっと奥様の横顔を御眺めなさるときは、もう何もかも忘れて御了いなすって、芝居好が贔ひい負き役者に見みと惚れるような目付をなさいます。聞けばこの奥様の前に、永いこと連添った御方も有たとやら、無理やりの御離縁も畢つま竟りは今の奥様故ゆえで、それから御本宅と新宅の交な情かが自然氷のように成ったということでした。 譬たとえて申しましょうなら、御本宅や御親類は蜂はちの巣です。其処へ旦那様が石を投げたのですから、奉公人の私まで痛い噂うわさに刺されました。 しかし、山家が何どれ程ほど恐しい昔気かた質ぎなもので、すこし毛色の変った他よそ所も者のと見れば頭から熱にえ湯ゆを浴せかけるということは、全く奥様も御ごぞ存んじない。そこが奥様は都みや育こそだちです。御親類の御女中方は、いずれも質じ素みな御方ばかりですから、就わけ中ても奥様御一人が目立ちました。奥様は朝に粧つくり、晩に磨みがき、透き通るような御顔色の白過ぎて少すこ許し蒼あおく見えるのを、頬の辺へはほんのり紅を点さして、身の丈たけにあまる程の黒髪は相あい生おい町のおせんさんに結わせ、剃かみ刀そりは岡源の母おふ親くろに触あてさせ、御召物の見立は大だい利りの番頭、仕立は馬場裏の良助さん――華は麗での穿せん鑿さくを仕尽したものです。田いな舎かの女程物見高いものは有ません。奥様が花やかな御おみ風な俗りで御通りになる時は、土壁の窓から眺め、障子の穴から覗き、目と目を見合せて冷いやな笑いかたを為るのです。そんなことは奥様も御ごぞ存んじなしで、御慈悲に拝ませて遣やるという風をなさりながら町を御おあ歩る行きなさいました。たまたま途み中ちで御親類の御女中方に御逢なさることが有ても、高い御挨あい拶さつをなさいました。奥様の目から見ると、この山家の女は松井川の谷の水車――毎日同じことをして廻っている、とまあ映るのです。たとえ男が長い冬の日を遊暮しても、女は克よく働くという田舎の状あり態さまを見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸の女を御ごぞ存んじないのです。これを御本家始はじめ御親類の御女中に言わせると折角花きゃ車しゃな当世の流行を捨すてて、娘にまで手織縞で得心させている中へ、奥様という他所者が舞込で来たのは、開けて贅ぜい沢たくな東京の生くら活しを一ひと断き片れ提げて持って来たようなもの、としか思われないのでした。ですから、骨しん肉みの旦那様よりか、他人の奥様に憎にく悪しみが多く掛る。町々の女の目は褒ほめるにつけ、譏そしるにつけ、奥様の身一つに向いていましたのです。 春も深くなっての夕方には、御二人で手を引いて、遅咲の桜の蔭から飛ひ騨だの遠山の雪を眺め眺め静に御散歩をなさることもありました。さあ、旧弊な御親類の御女中方は、御夫婦一緒に御花見すらしたことが無いのですから、こんな東京風――夢にも見たことの無い、睦むつまじそうに手を引き連れて屋うち外のそとを御歩きなさる御様子を初めて見て、驚いて了いました。得たり賢しと、悋りん気き深い手合がつまらんことを言い触して歩きます。私は奥様の御噂さを聞くと、口く惜やしいと思うことばかりでした。 春雨あがりの暖い日に、私は井戸端で水みず汲くみをしておりますと、おつぎさん――矢やは張り柏木の者で、小諸へ奉公に来ておりますのが通りかかりました。 ﹁おつぎさん、どちらへ﹂ と声を掛ると、おつぎさんは酸ほお漿ずきを鳴しながら、小肥ぶとりな身体を一寸揺ゆすって、 ﹁これ﹂と袖に隠した酒の罎びんを出して見せる。 ﹁お使かね﹂ ﹁ああ﹂ ﹁御苦労さま﹂ ﹁なあ、お定さん、お前まい許んとこの奥おく様さんは……あの御おめ盲く目らさんだって言うが、真ほん実とうかい﹂ ﹁まあ、おつぎさんの言うこと﹂ ﹁ホホホホホホホホホ、だって評判だよ。こないだの夕方、ホラお富婆さんなあ、あの人が三の門の前に立ってると、お前まい許んとこの旦那様と奥様が懐古園の方から手を引かれて降りて来たと言うよ。私おら嫌いやだ。お盲めく目らさんででも無くて、手を引かれて歩くという者があるもんかね﹂ ﹁馬鹿をお言いよ﹂ と私は水を掛る真ま似ねをしました。おつぎさんはお尻を叩たたいて笑いながら、 ﹁好いい御主人を持って御おし仕あわ合せ﹂ と言捨て逃げる拍子に、泥ぬか濘るみへ足を突込む、容易に下駄の歯が抜けない様子。﹁それ見たか﹂と私は指差をして、思うさま笑ってやりました。故わざと、 ﹁どうも実まことに御気毒様﹂ 井戸端に遊んでいた鶩あひるが四羽ばかり口くち嘴ばしを揃そろえて、私の方へ﹁ぐわアぐわア﹂と鳴いて来ました。忌々しいものです。私は柄ひし杓ゃくで水を浴せ掛ると、鶩は恰さも噂うわ好さずきなお婆さん振ぶって、泥の中を蹣よろ跚よろしながら鳴いて逃げて行きました。二
台所の戸に白い李すももの花の匂うも僅わずかの間です。山家の春は短いもので、鮨すしよ田でん楽がくよ、やれそれと摺すり鉢ばちを鳴しているうちに、若わか布めう売りの女の群が参るようになります。越えち後ごな訛まりで、﹁若布はようござんすかねえ﹂と呼んで来る声を聞くと、もう春はる蚕こで忙しい時になるのでした。 御承知の通、小諸は養蚕地どこですから、寺の坊さんまでが衣の袖を捲まくりまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。奥様は御慣れなさらないことでもあり、御嫌いでもあり、蚕の臭においを嗅かげば胸が悪くなると仰おっしゃる位でした。御本家の御女中方が灰色の麻袋を首に掛けて、桑の嫩しん芽めを摘みに御おい出でなさる時も、奥様は長火鉢に倚もたれて、東京の新狂言の御噂さをなさいました。 もともと旦那様は奥様に御執心で、御二人で楽たのしい御暮をなさりたいという外に、別に御望は無いのですから、唯もう嬉しいという御顔を見たり、御声を聞たりするのが何よりの御楽み――こうもしたら御喜びなさるか、ああもしたら御機嫌が、と気を御揉もみなさいました。それは奥様を呼捨にもなさらないで、﹁綾さん、綾さん﹂と、さん付になさるのでも知れます。旦那様がこれですから、奥様は家おう庭ちを温泉の宿のような気で、働くという昼があるでなければ、休むという夜があるでもなし、毎日好いた事して暮しました。﹁お定、きょうは幾いく日にちだっけねえ﹂と、日も御ごぞ存んじないことがある。たまたま壁の暦を見て、時の経つのに驚きました位。夢の間に軒の花はな菖しょ蒲うぶも枯れ、その年の八せんとなれば甲きの子えねまでも降続けて、川の水も赤く濁り、台所の雨も寂しく、味噌も黴かびました。祗ぎお園んの祭には青あお簾すだれを懸けては下はずし、土用の丑うしの鰻うなぎも盆の勘定となって、地獄の釜の蓋ふたの開くかと思えば、直じきに仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。奥様は外そとの御おた歓のし楽みをなさりたいにも、小諸は倹しま約つな質じ素みな処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡うた曲いの師匠は飴あめ菓子を売て歩き、見るものも聞くものも鮮すくないのですから、唯かぎりある御おう家ちの内の御歓楽ばかり。思えば飽きもなさる筈はずです。終しまいには絹手ハンも鼻を拭かんで捨て、香水は惜気もなく御お紅ね閨まに振掛け、気に入らぬ髪は結ゆい立たてを掻かき乱こわして二度も三度も結わせ、夜食好みをなさるようになって、糠ぬか味み噌その新漬に花はな鰹がつおをかけさせ、茶漬を召上った後で、﹁もっと何か甘おいしい物はないか﹂と仰るのでした。新酔月の料理も二口三口召上って見て、犬にくれました。女の歓たの楽しみほど短いものはありません。奥様はその歓楽にすら疲れて、飽々となさいました。 ﹁毎日、毎日、同じ事をするのかなア﹂ というのは、柱に倚もたれての御おひ独とり語ごとでした。浮気な歓楽が奥様への置土産は、たったこの一ひと語ことです。 次第に奥様は短きみ気じかにも御成なさいました。旦那様は物事が精こま密か過すぎて、何事にもこの御気象が随ついて廻るのですから、奥様はもう煩うるさいという御顔色をなさるのでした。﹁これは乃お公れの病気だから止やめられない﹂と、能よく御自分でも承知していらっしゃるのです。殊ことに、奥様が癇かん癪しゃくを起した時なぞは、﹁ちょッ、貴あな方たのように濃しつ厚こい方はありゃしない﹂と言って、ぷいと立って行って御了いなさることも有ました。奥様の癇癪の起きた日は直すぐに知れます。毎いつでも御顔色が病人のようになって、鼻の先が光りまして、眉まゆの間が茶色に見えます。後の首筋を蒼くして、無むや暗みに御部屋の雑巾掛や御掃除をさせて、物を仰るにも御声が咽の喉どへ乾ひからびついたようになります。そうなると、旦那様と御おと取りぜ膳んで御飯を召上る時でも、口を御利ききなさらないことがありました。 旦那様は五ごお黄うの金かね、その年の運気は吉、それに引換え奥様は八はっ方ぽう塞ふさがり、唯じっとして運勢の開けるのを待てと、菓子屋の隣の悟道先生が占いました。全く、奥様の為には廻まわ合りあわせも好くない年と見えて、何かの前しら兆せのように悪いやな夢ばかり御覧なさるのでした。女程心細いものは有ません。それを又た苦になさるのが病人のようでした。結けっ構こう尽づくめの御身体は弱々しくなり、心しんは労つかれ、風か邪ぜも引き易くなって、朝は欠あくびばかりなさいました。﹁女というものは、つまらないものだ﹂と仰って、深い歎息に埋うずまって、花も嗅いで御捨てなさいました。旦那様は奥様の御機嫌を取るようになすって、御小使帳が投なげ遣やりでも、御出迎に出たり出なかったりでも、何時まで朝寝をなさろうとも、それで御小言も仰らず。御家に奥様が居て下さるのは――籠かごに鶯うぐいすの居るように思おぼ召しめして、私でさえ御気毒に思う時でも御腹立もなさらないのでした。旦那様は銀行から御帰りになると、時々両手を組合せて、御庭の夏を眺めながら憂もの愁おもいに沈んでおいでなさることもあり、又、日によっては直に御二階へ御上りになって、御飯の時より外ほかには下りておいでなさらないこともありました。奥様が御ごき気しょ色くの悪い日には旦那様は密そっと御部屋へ行って、恐おず々おず御傍へ寄りながら、﹁綾さん、どっか悪いのかい。こんな畳の上に寝転んでいて、風でも引いちゃ不いけ可ないじゃないか。そうしていないで、診みて貰もらってはどうだね﹂と御聞きなさる。﹁いいえ、関かまわずに置いて下さい﹂というのが奥様の御返事でした。 変れば変るものです。奥様は御おひ独とりで縁側に出て、籠の中の鳥のように東京の空を御眺めなさることもあり、長い御手紙を書きながら啜すす泣りなきをなさることも有ました。時によると、御おね寝ま衣きのまま、冷ひや々ひやした山の上の夜気に打れながら、遅くまで御庭の内を御歩きなさることも有ました。 秋のはじめから、奥様は虫歯の御おわ煩ずらいで時々酷ひどい御おく苦るし痛みをなさいましたのです。烈はげしくなると私を御離しなさらないで、切ないような目付をなさりながら、私の背せなかに御おつ頭むりを押しつけておいでなさる。耳から頬へかけて腫はれ起あがりまして、御顔色は蒼ざめ、額もすこし黄ばんでまいります。これには旦那様も大弱りで、御自分の額を撫なでたり、大きな手を揉んで見たりして、御介抱をなさいましたのです。 と申したような訳で、よく歯医者が黒い鞄かばんを提げてやって参りました。 歯医者というのは、桜井さんと言って、年はまだ若いが、腕はなかなか有ました。私が勝手口の木戸を開けて、河ばたの石の上に蹲しゃ跼がみながら、かちゃかちゃと鍋なべを洗っていると、この人が坂の下の方から能く上って参りました。慣なれ々なれしく私の傍そばへ来て、鍋の浸つけてある水みず中のなかを覗いて見たり、土塀から垂下っていた柿の枝えだ振ぶりを眺めたり、その葉裏から秋の光を見上げたりして、何でもない主う家ちの周まわ囲りを、さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見る度たびに、都を想おも起いだすと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風みな俗りを作っておりますが、さて男おと振こぶりの好いいという人も有ません。然し、この歯医者ばかりは、私も風よう采すが好と思いましたのです。 この人が来る時は、よく私に物を携もって来てくれました。この人が帰って去いった後で、爺さんは必きっと白銅を一つ握っておりました。 或日、旦那様は銀行の御用で御おと泊まり掛がけに上田まで御出ましでした。その晩は戸も早く閉めました。私も、さっさと台所を片付けたいと思い、鍋は伏せ、皿小鉢は仕舞い、物置の炭をかんかん割って出し、猫の足跡もそそくさと掃ふいて、上うわ草ぞう履りを脱ぎまして、奥様の御部屋へ参りました。まだ宵の口から、奥様は御横におなりなすって、寝ながら小説本を御覧なさるところでした。誰を憚はばかるでもない気散じな御様子。あらわな御胸の白い乳房もすこし見えて、左の手はだらりと畳の上に垂れ、右の足は膝頭から折曲げ、投げだした左の足の長い親指の反そったまで、しどけない御姿は花やかな洋ラン燈プの夜の光に映りまして、昼よりは反かえって御美しく思われました。 ﹁奥様、御おみ足あしでも撫さすりましょうか﹂ と私は御傍へ倚より添そいました。 ﹁ああ、もうお済かい﹂と奥様は起直って、懐ふところを掻かき合あわせながら、﹁お前、按あん摩まさんをしてくれるとお言いなの。今日はね、肩のところが痛くて痛くて――それじゃ、一つ揉んで見ておくれな﹂ ﹁あれ、御お寝よっていらしったら、どうでございます﹂ ﹁なに、起きましょうよ﹂ 私はよく母おふ親くろの肩を揉せられましたから、その時奥様のうしろへ廻りまして、柔やわらかな御肩に触ると、急に母親を想出しました。母親の労はた働らく身体から思えば、奥様を揉む位は、もう造作もないのでした。 ﹁お世辞でも何んでもないが、お定はなかなか指に力があるのねえ。お前のように能くしておくれだと、真ほん実とうに私ゃ嬉しい。旦那様も、日しょ常っちゅう褒ほめていらっしゃるんだよ﹂ それから奥様は私の器量までも御褒め下さいました。奥様が私を御褒め下さるのは、いつも謎なぞです、――御器量自慢でいらっしゃるのですから。その時も私の方から、御褒め申せば、もう何よりの御機嫌で、羽はが翅いを張ひろげるように肩を高くなすって、御およ喜ろこ悦びは鼻の先にも下唇にも明あり白ありと見みえ透すきましたのです。 ﹁ねえ、お定、お前は吾う家ちへ来る御客様のうちで、誰どな様たが一番好いいとお思いだえ﹂ ﹁そうで御座ますねえ……まあ、奥様から仰おっしゃって見て下さい﹂ ﹁否いいえ、お前からお言いよ﹂ ﹁私なぞは誰様が好か解りませんもの﹂ ﹁あれ、そうお前のように笑ってばかりいちゃ仕様がない﹂ ﹁それじゃ笑わずに申しますよ。ええ、と、銀行の吉田さん﹂ ﹁いやよ、あんな老じじ爺いじ染みた人は――戯ふざけないでさ。真ほん実とうに言って御覧﹂ 私はそれから、種いろ々いろなお方を数えて申しました。島屋の若旦那、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、荒町の亀かめ惣そう様、本町の藤勘様――いずれ優おと劣りまさりのない当世の殿方ですけれど、成程奥様の御話を伺って見れば、たとえ男が好くて持物等の嗜たしなみも深く、何をさせても小器用なと褒められる程の方でも、物事に迷易くて毎いつも愚痴ばかりでは頼たの甲みが斐いのない様にも有あり、世せち智がし賢こくて痒かゆいところまで手の届く方は又た女を馬鹿にしたようで此方の欠あ点らまで見透されるかと恐しくもあるし、気前が面白ければ銭ぜに遣づかいが荒く、凝こり性しょうなれば悟過ぎ、優しければ遠慮が深し、この方ならばと思うような御おひ人とは弱々しくて、さて難の無い御方というのは、見当らないのでした。 ﹁そんなら、奥様、あの桜井さんは﹂ ﹁そうお前のように、私にばかり言わせて……お前も少ちっ許たあ言わなくちゃ狡ず猾るいよ。あの方をお前はどう思うの﹂ ﹁桜井さんで御座いますか。実ほんとに歯医者なぞをさして置くのは惜しいッて、人が申すんで御座いますよ﹂ ﹁ホホホホホ、それじゃ何に御おな成んなされば好と言うの﹂ ﹁あの、官員様にでも……﹂ ﹁ホホホホホ﹂ ﹁あれ、女であの方を褒めない者は御座ません。奥様、貴あな方たも桜井さん贔びい負きじゃ御座ませんか﹂ 奥様は目を細くなさいました。何とも物は仰いませんでしたけれど、御顔を見ているうちに、美しい朱くち唇びるが曲ゆがんで来て、終しまいに微にっ笑こりわらいになって了いました。 洋ラン燈プの側にうとうとしていた猫が、急に耳を振って、物音に驚いたように馳かけ出だしたので、奥様も私も殿方の御噂さを休やめて聞耳を立てていますと、須やが叟て猫は御部屋へ帰って来て、前脚あしを延しながら一つ伸のびをして、撓しな垂だれるように奥様の御膝へ乗りました。御子様がないのですから、奥様も恰さも懐しそうに抱だき〆しめて、白い頬をその柔い毛に摺すり付つけて、美しい夢でも眼の前を通るような溶とけ々どけとした目付をなさいました。 つい側に針箱が有ました。奥様はそれを引寄せて、引出のなかから目も覚めるような美しい半襟えりを取出して、﹁こないだから、これをお前に上げよう上げようと思っていたんだよ﹂ と仰りながら私に掴つかませました。夜のことですから、紫縮ちり緬めんが小あず豆き色に見えました。私は目を円くして、頂いてよいやら、悪いやらで、さんざん御断りもして見たのです。 ﹁あれ、お前のようにお言いいだと、私が困るじゃないか。そんなに言う程の物じゃないんだよ。お前がよく勤めておくれだから、寸ほんの私の志と思っておくれ。……いいからさ、それは仕舞ってお置き﹂ 奥様はまだ何か言いたそうにして、それを言得ないで、深い歎ため息いきを御お吐つきなさるばかりでした。危い絶が壁けの上に立って、谷底でも御覧なさるような目付をなさりながら、左右を見廻して震えました。﹁お前だから話すがねえ﹂までは出ましても、二の句が口籠ごもって、切れて了います。 ﹁今夜私がお前に話すことは、決して誰にも話さないという約束をしておくれ。それを聞かないうちは――然しお前に限ってそんな軽かる卒はずみなことはあるまいけれど﹂ 幾度も念を押して、まだ仰り悪にくいという風でしたが、さて話そうとなると、急に御顔が耳の根元までも紅くなりました。 遂とう々とう奥様は御声をちいさくなすって、打開けた御話を私になさいました。その時、私は始めて歯医者とのこれまでの関係を聞きましたのです。私は手を堅く握〆られて、妙に顔が熱ほてりました。他ひとから内証を打うち開あけられた時ほど、是こっ方ちの弱身になることはありません。思いつめた御心から掻かき口く説どかれて見れば、終しまいには私もあわれになりまして、染しみ々じみ御おみ身のう上えを思遣りながら言いい慰なぐさめて見ました。奥様は私の言葉を御聞きなさると、もう子供のように御泣きなさるのでした。 拠よんどころなく、私も引受けて、歯医者に逢わせる御約束をしましたら、漸やっと、その時、火のように熱い御手が私から離れたようにこころづきました。 その晩は、私も仮ほんの出来心で、――若い内に有あり勝がちな量見から。 然し、悪いた戯ずらが悪戯でなくなって、事ほん実とうも事ほん実とうも恐しい事実になって行くのを見ては、さすがに私も震えました。私は後暗いと、恐しいとで、噂さを嗅かぎ附つける犬のようになって、御人の好い旦那様にまで吠ほえました。 或時は自分で責められるような自分の心を慰めて見たこともありましたのです。全く道ならぬ奥様の恋とは言いながら、思の外のあわれも有ましたので。人の知らない暗なみ涙だは夜の御床に流れても、それを御話しなさるという女の御友達は有ませんので。ですから、私は独り考えて、思い慰めました。 さ、それです。 奥様は暖い国に植えられて、軟やわらかな風に吹かれて咲くという花なので。この荒い土地に移されても根深く蔓はびこる雑く草さでは有ません。こうした御慣れなさらない山やま家がず住まいのことですから、さて暮して見れば、都で聞いた田いな舎かぐ生ら活しの静しず和かさと来て視みた寂さび寥しさ苦つら痛さとは何どれ程ほどの相ちが違いでしょう。旦那様は又た、奥様を籠の鳥のように御眺めなさる気で、奥様の独り焦じれる御心が解りませんのでした。何い時つ、羽根を切られた鳥の心が籠に入れて楽しむという飼主に解りましょう。何程、世間の奥様が連添う殿方に解りましょう。――女の運はこれです。御縁とは言いながら、遠く御里を離れての旅の者も同じ御おみ身のう上えで、真ほん実とに同おも情いやりのあるものは一人も無い。こればかりでも、女は死にます。奥様の不ふし幸あわせな。歓たの楽しみの香においは、もう嗅いで御覧なさりたくも無いのでした。奥様は歎なき疲くたぶれて、乾いた草のように萎しおれて了いました。思えば御無理も御座ません――活いき返るような恋の雨が、そこへ清すずしく降りそそいで来たのですから。 丁度、秋草のさかりで、歯医者の通う路みちは美しゅうございました。三
十月の二十日は銀行に十五年の大祝というのが有ました。旦那様に取ては一生のうちに忘れられない日で、彼あそ処こでも荒井様、是こ処こでも荒井様、旦那様の御評判は光岳寺の鐘のように町々へ響渡りました。長いお功ほね労おりを賛ほめはやす声ばかりで。 その朝は、私も早く起きて朝飯の用意をしました。台所の戸の開捨てた間から、秋の光がさしこんで、流なが許しもとの手てお桶けや亜ば鉛け盥つが輝ひかって見える。青い煙は煤すすけた﹇#﹁煤すすけた﹂は底本では﹁媒すすけた﹂﹈窓から壁の外へ漏れる。私は鼻を啜すすりながら、焚たき落おとしの火を十能に取って炉へ運びましても、奥様は未だ御目覚が無い。熱にえ湯ゆで雑巾を絞しぼりまして、御二階を済ましても、まだ御起きなさらない。その内に、炉に掛けた鍋は沸々と煮に起たって、蓋の間から湯気が出るようになる。うまそうな汁の香が炉ろば辺たに満ち溢あふれました。 八時を打っても、未だ奥様は御おや寐すみです。旦那様は炉辺で汁の香を嗅いで、憶おも出いだしたように少すこ許し萎れておいでなさいました。やがて、御独で御膳を引寄せて、朝飯を召上ると、もう銀行からは御使でした。そそくさと御仕度をなすって、黒くろ七なな子この御羽織は剣けん菱びしの五つ紋、それに茶ちゃ苧うの御おは袴かまで、隆りゅうとして御出掛になりました。私は鍋を掛けたり、下したりしていると、漸ようよう九時過になって、奥様は楊枝を銜くわえながら台所へ御見えなさいました、――恐しい夢から覚めたような目付をなすって。もう味おみ噌おつ汁けも煮詰って了ったのです。 その日は御祝の印といって、旦那様の御おぼ思しめ召しから、門に立つものには白米と金おか銭ねを施しました。 一体、旦那様は乞食が大嫌いな御方で、﹁乞食を為する位なら死んでしまえ﹂と叱しかす位ですから、こんなことは珍しいのです。その日は朝から哀な声が門前に聞えました。それを又た聞伝えて、掴つか取みどりのないと思った世の中に、これはうまい話と、親子連で瞽ご者ぜの真ま似ね、かみさんが﹁片輪でござい﹂裏長屋に住む人までが慾には恥も外聞も忘れて来ました。七十にもなりそうな婆さんまでが、跛ちんばひきひき前垂に白米を入れて貰いまして、門を出ると直ぐ人並に歩いたには、呆あきれました。 昼過に、旦那様は紫袱ふく紗さを小脇に抱かかえながら、一寸帰っておいでなさいました。私は鶏に餌をくれて、奥様の御部屋の方へ行って見ますと、御二人で御話の御様子。何の気無しに唐紙の傍に立って、御部屋を覗きながら聞耳を立てました。旦那様は御羽織を脱捨てて、額の汗を御拭ふきなさるところ。 ﹁ねえ、綾さん、こういう時にはそんな顔をしていないで、もうすこし快くしてくれなくちゃ張合がないじゃないか。それに、今日は御祝だもの、奉公人だって遊ばせてやるがいいやね﹂ ﹁ですから、いくらでも遊んでおいでッて言ったんです﹂ ﹁それ、そう言われるから誰だって出られないやね、――まあ、そうじゃないか。綾さんはこの節奉公人ばかし責めるようなことを言うが、そんなに為したって不いけ可ない。お定にしろ、あの爺さんにしろ、高が人に遣つかわれてるものだ﹂ ﹁誰も責めやしません﹂ ﹁責めないって、そう聞えらア﹂ ﹁私が何時責めるようなことを言いました﹂ ﹁お前の調子が責めてるじゃないか﹂ ﹁調子は私の持前です﹂ ﹁お前が御父さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ﹂ ﹁誰が親と奉公人と一緒にして物を言うような、そんな人があるものですか。こんなところで親の恥まで曝さらさなくってもようござんす﹂ ﹁奇きた異いなことを言うね﹂ ﹁ああ、奉公人まで引合に出して、親の恥を曝されるのかなア﹂ ﹁解らない人だ。そんな訳で親を担かつ出ぎだしたんじゃ無し、――奉公人は親位に思っていなくて、使われると思うのかい。……然し、そんな事はどうでもいい。まあ、今日は一つ綾さんに喜んで貰もらおう﹂ と御機嫌を直しながら、旦那様は紫袱紗を解ほどいて桐の小箱の蓋を取りました。白絹に包くるんだのを大事そうに取とり除のけて、畳の上に置いたは目も覚めるような黄き金んの御盃。折畳んであった奉書を披ひろげて見せて、 ﹁今日の御祝に、これは銀行から私へくれたのだ。まあ、私に取っては名誉な記念だ。そら、盃の中に名前が彫ってあるだろう。御覧よ、この奉書には種いろ々いろ文句が書いてある﹂ ﹁拝見しました﹂ ﹁もっと能よく見ておくれ。そんな冷淡な挨あい拶さつがあるものか。折角こうして、お前に見せようと思って持って来たものを……何とか、一言位﹂ ﹁ですから拝見しましたと言ってるじゃ有ませんか﹂ 旦那様は口を噤つぐんで了いました。御互に物を仰らないのは、仰るよりも猶なおか冷い心ここ地ろもちがしましたのです。旦那様は少すこ許し震えて、穴の開く程奥様の御顔を熟みつ視めますと、奥様は口くち唇びるに微かすかな嘲さげ笑すみわらいを見みせて、他の事を考えておいでなさるようでした。やがて、旦那様は御盃を取上げて、熟つく々づく眺めながら歎ため息いきを吐ついて、 ﹁そう女というものは男の事しご業とに冷淡なものかな。今までは、もうすこし同おも情いやりが有るものかと思っていた﹂ ﹁どうせ私なぞに貴方がたの成さる事は解りません﹂ ﹁無論さ。何も解って貰おうとは言やしない。同情が無いと言ったんだ。男の事業が解る位なら、そんな挨拶の出来よう筈はずもない。まあ、私の言うことを能く聞いてくれ。自慢をするじゃアないが、今こん日にち小諸の商業は私の指先一つでどうにでも、動かせる。不景気だ、不景気だ、こう口癖のように言いながらも、小諸の商人が懐ふと中ころうちの楽なのは、私が銀行に巌がん張ばっているからだ。町会の事業でも、計画でも、皆私の意見を基にしてやっている。小諸が盛んになるも、衰えるも、私の遣やり方かた一つにあるのだ。その私が事しご業との記念だと言って、爰ここへこうして並べて、お前に見て喜んで貰おうとしているのに……アハハハハハハ﹂ と、旦那様は熱い涙を手に持った黄金の御盃へ落しました。 やがて、御盃や御羽織を掻かき浚さらうようになすって、旦那様は御部屋から御座敷の方へいらっしゃる。御様子がどうも尋た常だではないと、私も御後から随いて行って見ました。もうもう堪こらえきれないという御様子で、突いき然なり、奉書を鷲わし掴づかみにして、寸ず断た々ず々たに引裂いて了いました。啜すす泣りなきの涙は男らしい御顔を流れましたのです。御一人で小諸を負しょって御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを御自由に成さることは出来ません。微ちい々さな小諸の銀行を信州一と言われる位に盛おお大きくなすった程の御腕前は有ながら、奥様の為には一生の光ほま栄れも塵ごみ埃くた同様に捨てて御了いなすって、人の賛ほめるのも羨うらやむのも悦うれしいとは思召さないのでした。これが他の殿方ででもあったら、奥様の御おぐ髪しを掻つか廻みまわして、黒縮ちり緬めんの御羽織も裂けるかと思う位に、打ぶち擲たたきもなさりかねない場合でしょう。並なみ勝すぐれて御人の好い旦那様ですから、どんな烈はげしい御腹立の時でも、面と向っては他ひとにそれを言得ないのでした。旦那様は御自分の髪の毛を掻かき毟むしって、畳を蹴けって御おで出ま掛しになりました。ぴしゃんと唐紙を御閉めなすった音には、思わず私もひょろひょろとなりましたのです。 私は御部屋へ取って返して、泣き伏した奥様をいろいろと言いい慰なだめて見ましたが、御返事もなさいません。すこし遠慮して、勝手へ来て見れば、又たどうも気きが掛かりになって、御二人のことばかりが案じられました。 黄ゆう昏がたに、私は水汲をして手桶を提げながら門のところまで参りますと、四十恰かっ好こうの女が格こう子しさ前きに立っておりました。姿を視れば巡礼です。赤い頭ずき巾んを冠せた乳呑児を負いまして、鼠色の脚きゃ絆はんに草わら鞋じば穿き、それは旅たび疲やつれのしたあわれな様子。奥様は泣腫はらした御顔を御出しなすって、きょうの御祝の御おあ余まりの白米や金おか銭ねをこの女に施しておやりなさるところでした。奥様が巡礼を御覧なさる目付には言うに言われぬ愁うれいが籠っておりましたのです。 ﹁私にその歌を、もう一度聞かしておくれ﹂ と奥様が優しく御尋ねなさると、巡礼は可おか笑しな土地訛なまりで、 ﹁歌でござりますか、ハイそうでござりますか﹂ 寂しそうに笑って、やがて、鈴を振鳴して一ひと節ふし唄いましたのは、こうでした。 ちちははのめぐみもふかきこかはでら ほとけのちかきたのもしのみや 日に焼けた醜まずい顔の女では有りましたが、調子の女らしい、節の凄あわ婉れな、凄婉なというよりは悲いた傷ましい、それを清すずしい哀かなしい声で歌いましたのです。世間を見るに、美いい声が醜まずい口くち唇びるから出るのは稀めずらしくも有ません。然し、この女のようなのも鮮すくないと思いました。一節歌われると、もう私は泣きたいような心ここ地ろもちになって、胸が込上げて来ました。やがて女は蒼あおざめた顔を仰あげて、 ふるさとやはるばるここにきみゐでら はなのみやこもちかくなるらん ﹁故郷や﹂の﹁や﹂には力を入れました。清すずしい声を鈴に合せて、息を吸入れて、﹁はるばるここに﹂と長く引いた時は女の口唇も震えましたようです。﹁花の都も﹂と歌いすすむと、見る見る涙が女の頬を伝いまして、落おち魄ぶれた袖にかかりました。奥様は熟つく々づく聞惚ほれて、顔に手を当てておいでなさいました――まあ、どんな御おこ心ころ地もちがその時奥様の御胸の中を往たり来たりしたものか、私には量りかねましたのです。歌が済みますと、奥様は馴なれ々なれしく、 ﹁今のは何という歌なんですね﹂ ﹁なんでござります。はァ、御詠えい歌かと申しまして、それ芝居なぞでも能くやりますわなア――お鶴が西国巡礼に……﹂ ﹁お前さんは何ど処こですね﹂ ﹁伊勢でござります﹂ ﹁まあ、遠方ですねえ﹂ ﹁わしらの方は皆こうして流しますでござります。御詠歌は西国三十三番の札ふだ所しょ々々を読みましてなア﹂ ﹁どっちの方から来たんですね﹂ ﹁越えち後ご路じから長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい﹂ その時、爺さんが恍とぼけた顔を出して、 ﹁あんな乞食の歌を聞いて何にする﹂ と聞えよがしに笑いました。 ﹁これはこれはどうも難あり有がとうござります。どうも奥様、御蔭様で助かりますでござります﹂ 巡礼は泣き出した児を動ゆす揺ぶって、暮方の秋の空を眺ながめ眺め行きました。 爺さんは奥様を笑いましたけれど、私はそうは思いませんので。熟しみ々じみ奥様があの巡礼の口唇を見つめて美いい声に聞惚れた御様子から、根ねほ彫りは葉ほ刻り御尋ねなすった御話の前あと後さきを考えれば、あんな落おち魄ぶれた女をすら、まだしもと御羨うらやみなさる程に御思召すのでした。この同じ屋根の下に旦那様と御二人で御暮しなさるのは、それほど苦つらいと御思召すのでした。御器量から、御身分から――さぞ、あの巡礼の目には申分のない奥様と見えましたろう。奥様の目には、又た、世間という鎖に繋つながれて否いやでも応でも引ひき摺ずられて、その日その日を夢のように御暮しなさるというよりか、見る影もない巡礼なぞの身の上の方が反かえって自由なように御思いなさるのでした。 御祝の宴さかもりがありましたから、旦那様の御帰は遅くなりました。外で旦那様が鼻の高かった日も、内では又た寂しい悲しい日でした。旦那様は酒臭い呼い吸きを奥様の御顔に吹きかけて置いて、直ぐ御二階の畳の上に倒れて御了いなすったのです。 その夜から御床も別々に敷のべました。四
手てお桶けを提げて井戸に通う路は、柿の落葉で埋まった日もあり、霜しも溶どけのぐちゃぐちゃで下駄の鼻緒を切らした日もあり、夷えび講すこうの朝は初雪を踏んで通いました。奥様から頂いて穿はいた古足た袋びの爪先も冷くなって、鼻の息も白く見えるようになれば、北向の日蔭は雪も溶けずに凍る程のお寒さ。 十二月の十日のこと、珍しい御客様を乗せた一輌だいの人く力る車まが門の前で停りました。それは奥様の父おと親う様が東京から尋ねていらしったのです。思いがけないのですから、奥様は敷居に御おつ躓まずきなさる程でした。旦那様も早く銀行から御帰りになる、御二人とも御客様の御おも待てな遇しやら東京の御話やらに紛れて、久振で楽しそうな御笑わら声いごえが奥から聞えました。奥様の御喜よろ悦こびは、まあ何どん程なで御座ましたろう、――その晩は大した御馳走でした。 御客様は金お銭か上ねの御相談が主で、御お来い遊でになりましたような御様子。御着つきになって四日目のこと、旦那様と御一緒に長野へ御出掛になりました。奥様は御留守居です。私は洋こう傘もりと御履物を揃そろえまして、御部屋へ参って見ると、未だ御仕度の最中。御客様は気きぜ短わしない御方で、角帯の間から時計を出して御覧なすったり、あちこちと御部屋の内を御歩きなすったりして、待遠しいという風でした。その時、私は御客様と奥様と見比べて、思当ることが有ましたのです。御客様は丸い腮あごを撫なで廻しながら、 ﹁婆さんもね、早く孫の顔を見たいなんて、日しょ常っちゅうその噂うわさばかりさ。どうだね、……未だそんな模様は無いのかい﹂ 奥様は俯うつむいて、御顔を紅らめて、御返事をなさいません。やがて懐しそうに、 ﹁御おと父っさん、羽織を着更かえていらッしゃいよ﹂ ﹁なに、これで結構。こりゃお前上等だもの﹂ ﹁それでもあんまりひどい﹂ ﹁この羽織は十五年からになりますがね、いいものは丈夫ですな﹂ 御客様は袖そで口を指で押えて、羽はが翅いのように展ひろげて見せました。遽にわかに思直して、 ﹁こうっと。面倒だけれど――それじゃ一つ着更えるか﹂ と御自分の御包を解ほどいて、その中から節ふし糸いと紬つむぎの御羽織を抜いて、無造作に袖を通して御覧なさいました。 ﹁あれ、其そっ方ちのになさいよ﹂ ﹁これかね。どうして、お前、此方の着物を着た時の羽織さ。ね、――この羽織で結構﹂ ﹁でも何だかそれじゃ好おか笑しいわ。それを御着なさる位なら、まだ今までの方が好いいのですもの﹂ 御客様は茶の平ひら打うちの紐ひもを結んで、火鉢の前にべたりと坐って御覧なさいました。急に、ついと立ってまたその御羽織を脱ぎ捨てながら、 ﹁それじゃ、これだ――もともとだ。アハハハハハハ﹂ 奥様がそれを引寄せて、御畳みなさるところを、御客様は銜くわ煙えぎ管せるで眺入って、もとの御包に御おし納まいなさるまで、熟じっと視ていらっしゃいました。思いついたように、 ﹁ハハハハ、婆さん紋付なんか入れてよこした﹂ こういう罪もない御話を睦むつまじそうになすっていらっしゃるところへ、旦那様も御用を片付けて、御二階から下りておいでなさいました。見る見る旦那様の下唇には嫉ねたましいという御色が顕あらわれました。御客様は急せき立てて、 ﹁さあ、出掛けましょう。もう三十分で汽車が出ますよ﹂ 御二人とも厚い外がい套とうを召して御出掛になりました。爺さんも御荷物を提げて、停車場まで随いて参りました。後で、取散かった物を片付けますと、御部屋の内は煙草の烟けむりですこし噎むせる位。がらりと障子を開けて、御客様の蒲ふと団んや、掻かい巻まきや、男臭い御寝ねま衣きなどを縁へ乾しました。 御おひ独とりになると、奥様は総桐の箪たん笥すから御自分の御召物を出して、畳直したり、入直したり、又た取出したりして御眺めなさる――それは鏡に映る御自分の御姿に見みと惚れると同じような御様子をなさるのでした。全く御召物は奥様の御身の内と言ってもよいのですから。私も御側へ寄添いまして見せて頂きました。どれを拝見しても目うつりのする衣も類のばかり。就わけ中ても、私の気に入りましたのは長襦袢です。それは薄葡ぶど萄うの浜縮ちり緬めん、こぼれ梅の裾すそ模様、は緋ひぢ縮りめ緬んを一分程にとって、本ほん紅こうの裏を附けたのでした。奥様はそれを御膝の上に乗せて、何の気なしに御婚礼の晩御召しなすったということを、私に話して聞かせました。不ふ図と、御自分の御言葉に注ここ意ろづいて、今更のように萎しお返れかえって、それを熟みつ視めたまま身動きもなさいません。死しんだ銀色の衣し魚みが一つその袖から落ちました。御顔に匂いかかる樟しょ脳うのうの香を御嗅ぎなさると、急に楽しい追おも憶いでが御胸の中を往たり来たりするという御様子で、私が御側に居ることすら忘れて御了いなすったようでした。 ﹁ああああ着物も何も要らなくなっちゃった﹂ と仰おっしゃりながら、その長襦袢を御抱きなすったまま、さんざん思いやって、涙は絶とめ間どもなく美しい御顔を流れました。 その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往たび々たびあることで、こういう陽気は雪になる前しら兆せです。昼過となれば、灰色の低い雲が空一面に垂下る、家うちの内は薄暗くなる、そのうちにちらちら落ちて参りました。日は短し、暗さは暗し、いつ暮れるともなく燈あか火りを点つけるようになりましたのです。爺さんも何どっ処かへ行って飲んで来たものと見え、部屋へ入って寝込んで了いました。台所が済むと、私は奥様の御おさ徒むし然さが思われて、御側を離れないようにしました。時々雪の中を通る荷車の音が寂しく聞える位、四そこ方いらはとして、沈まり返って、戸の外で雪の積るのが思いやられるのでした。御一緒に胡おこ燵たにあたりながら、奥様は例の小説本、私は古足袋のそそくい、長野の御噂さやら歯医者の御話やら移り移って盗賊の噂さになりますと、奥様は急に寂しがって、 ﹁どうしたろう、爺さんは﹂ ﹁もう最とっ前くに寝て了いました﹂ ﹁おや、そう、早いことねえ。お前戸じまりをよくしておくれ。泥棒が流は行やるッて言うよ﹂ と、二人で恐こわがっておりますと、誰か来て戸を叩たたく音が聞えました。﹁はてな、今時分﹂と、ついと私は立って参りまして、表の戸を明けて見れば――一面の闇やみ。仄ほの白じろい夜の雪ばかりで誰の影も見えません。暫しばらく佇たた立ずんでおりましたが、﹁晴れたな﹂と口の中で言って、二歩あし三歩あし外へ履ふみ出だして見ると、ぱらぱら冷いのが襟えり首くびのところへ被かかる。 ﹁あれ、降ってるのか﹂と私は軒下へ退のいて、思わず髪を撫なでました。暗くはあるが、低い霧のように灰色に見えるのは、微こまかい雪の降るのでした。往来の向むこうで道を照して行く人の小提ぢょ灯うちんが、積った雪に映りまして、その光が花やかに明く見えるばかり。 私は戸を閉めて暫しば時らく庭に立っていますと、外からコトコトと戸を叩く音がする。下駄の雪を落す音が聞える。一旦閉めた戸を復また開けて、﹁誰どな方た﹂と声を掛けて見ました。誰かと思えば――美しい曲くせ者もの。 ﹁奥様、桜井さんがいらっしゃいましたよ﹂ と、早速申もう上しあげに参りましたら、奥様は不意を打たれて、耳の根元から襟首までも真まっ紅かになさいました。物の蔭に逃隠れまして、急には御見えにもなりませんのです。この雪ですから、歯医者の外套は少すこ許し払った位で落ちません。それを脱げば着物の裾は濡ぬれておりました。いつもの様に御履物を隠して、奥様の御部屋へ御案内をしますと、男はがたがたと震えておりましたのです。 先ず濡れたものを脱がせて、奥様は男に御自分の裾の長い御召物を出して着せました。それは本ほん紅こうの胴裏を附けた変かわ縞りじまの糸織で、八つ口の開いた女物に袖を通させて、折込んだ広襟を後から直してやれば、優やさ形がたな色白の歯医者には似合って見えました。奥様は左からも右からも眺めて、恍うっ惚とりとした目付をなさりながら、 ﹁お定、よく御覧よ。まあ、それでも御似合なさること。まるで桜井さんは女のように御見えなさるんだもの﹂ と仰って、私の手を握りしめるのです。 私は歯医者から美しい帯おび上あげを頂きました。 奥様の御差さし図ずで、葡萄酒を胡おこ燵たの側に運びまして、玻コ璃ッ盞プがわりには京焼の茶呑茶ぢゃ椀わんを上げました。静な上に暖で、それは欺だまされたような、夢心地のする陽気。年の内とは言いながら梅も咲さき鶯も鳴くかと思われる程。猫まで浮れて出て行きました。私は次の間に退さがって、春の夜の夢のような恋の御物語に聞惚れて、唐紙の隙すき間まから覗のぞきますと、花やかな洋ラン燈プの光に映る奥様の夜の御顔は、その晩位御美しく見えたことは有ませんでした。奥様があの艶つやを帯もった目を細くなすって葡萄酒を召上るさまも、歯医者が例の細い白い手を振って楽しそうに笑うさまも、よく見えました。御物語も深くなるにつけ、昨日の御心配も、明日の御煩わず悶らいも、すっかり忘れて御了いなすって、御二人の口くち唇びるには香にお油いあぶらを塗りましたよう、それからそれへと御話が滑はずみました。歯医者は桜色の顔を胡おこ燵たに擦こすりつけて、 ﹁奥さん﹂ ﹁あれ復また。後生ですから﹃奥さん﹄だけは廃よして頂戴よ﹂ こころやすだてから出たこの御言葉は、言うに言われぬほど男の心を嬉しがらせたようでした。男は一寸舌なめずりをして、酒に乾いた口唇を動かしながら、 ﹁酔った。酔った。何故こんなに酔ったか解らない﹂ ﹁だっても御ごし酒ゅを召上ったんでしょう﹂奥様は笑いました。 ﹁少ばかりいただいて、手までこんなに紅くなるとは﹂ と出して見せる。 ﹁でも、御覧なさいな、私の顔を﹂ と奥様は頬ほおに掌を押当てて御覧なさいました。 ﹁貴方はちっとも紅く御おな成んなさらない。紅くならないで蒼あおくなるのは、御酒が強いんだって言いますよ。――貴方はきっと御強いんだ﹂ ﹁よう御座んす。沢たん山と仰い﹂と奥様はすこし甘えて、﹁ですがねえ、桜井さん、私は何どん程なに酔いたいと思っても、苦しいばかりで酔いませんのですもの﹂ 男は奥様の御言葉に打たれて、黙って奥様の美しい目元を熟みつ視めました。奥様は障子に映る男の影法師を暫く眺めていらっしゃるかと思うと、急に御自分の後を振返って、物を探る手付で宙を掴つかんで御覧なさいました。恐おそ怖れは御顔へ顕れました。やがて、すこし震えて男の傍へ倚より添そいながら、 ﹁何時までもこうして二人で居られますまいかねえ。噫ああ、居られるものなら好けれど﹂ と沈しめる。男は歎ため息いきを吐つくばかりでした。奥様も萎れて、 ﹁私はもう御目にかかれるか、かかれないか、知れないと思いますわ。あの昨ゆう夜べの厭いやな夢、――どうして私はこんな不ふし幸あわせな身からだに生れて来たんでしょう。若しかすると、私は近い内に死ぬかも……もう御目にかかれないかも……知れません﹂ ﹁また、つまらんことを。夢という奴は宛になるもんじゃなし﹂ ﹁そう貴方のように仰るけれど、女の身になって御覧なさい――違いますわ。ああ、もういやいや、そんな話は廃よしましょう﹂と奥様は気を変えて、﹁何時でしたっけねえ、始て貴方に御目にかかったのは。ネ、去年の五月、ホラ磯部の温泉で――未だ私がここへ嫁かたづいて来ない前……﹂ ﹁おおそうそう、月げっ参さん講こうの連中が大勢泊った日でしたなあ。御一緒に青い梅のなった樹の蔭を歩いて、あの時、ソラ碓うす氷いが川わで清いい声がしましたろう。貴方がそれを聞きつけて、﹃あれが河かじ鹿かなんですか、あらそう、蜩ひぐらしの鳴くようですわねえ﹄と仰ったでしょう﹂ ﹁覚えていますよ。それから岡へ上って見ると、躑つつ躅じが一面に咲いていて。ネ、私は坂を歩いたもんですから、息が切れて、まあどうしたら好よかろうと思っていると、貴方が赤い躑躅の枝を折って、﹃この花の露を吸うがいい﹄と仰って、私にそれを下すったでしょう﹂﹇#﹁﹂﹂は底本では﹁﹄﹂﹈ ﹁あの時は又た能く歩きましたなあ。貴方も草くた臥ぶれ、私も草臥、二人で岡の上から眺めていると、遠く夕日が沈んで行くにつれて空の色がいろいろに変りましたッけ。水蒸気の多い夕暮でしたよ。あんな美しい日ひの没いりは二度と見たことが有ません、――今だに私は忘れないんです﹂ ﹁あら、私だっても……﹂ 御二人は目と目を見合せて、昔の美しい夢が今一度眼めの前まえを活いきて通るような御様子をなさいました。奥様は茶呑茶椀を取上げて、 ﹁さ、も一つ召上りませんか﹂ ﹁沢山﹂ ﹁そう、そんなら私頂きましょう﹂ ﹁え、召上るんですか。――然し、もう御お廃よしなさいよ﹂ ﹁何故、私が酔ってはいけませんの﹂ ﹁貴方のは無理な御酒なんだから﹂ ﹁それじゃ未だ私の心を真ほん実とうに御ごぞ存んじないのですわ。私はこうして酔って死ねば、それが何よりの本望ですもの﹂ 無理やりに葡萄酒の罎びんを握つかませて、男の手の上に御自分の手を持添えながら、茶呑茶椀へ注ごうとなさいました。御二人の手はぶるぶると戦ふるえて、酒は胡こた燵つが掛けの上に溢こぼれましたのです。奥様は目を閉つぶって一口に飲干して、御顔を胡おこ燵たに押宛てたと思うと、忍び音に御泣きなさるのが絞るように悲しく聞えました。唐紙に身を寄せて聞いて見れば、私も胸が込上げて来る。男は奥様を抱くようにして、御耳へ口をよせて宥なだめ賺すかしますと、奥様の御声はその同おも情いやりで猶なお々なお底とめ止どがないようでした。私はもう掻かき毟むしられるような悶もだ心えご地こちになって聞いておりますと、やがて御声は幽かすかになる。泣なき逆じゃ吃くりばかりは時々聞える。時計は十時を打ちました。茶を熱く入れて香かおりのよいところを御二人へ上げましたら、奥様も乾いた咽の喉どを霑しめして、すこしは清せい々せいとなすったようでした。急に、表の方で、 ﹁御願い申しやす﹂ それは酔よい漢どれの声でした。静な雪の夜ですから、濁った音おん声じょうで烈はげしく呼ぶのが四そこ辺いらへ響き渡る、思わず三人は顔を見合せました。 ﹁誰だろう﹂と奥様は恐こわがる。 ﹁御願い申しやす、御休みですか﹂ 歯医者はもう蒼まっ青さおになって、酒の酔も覚めて了いました。震えながらきょろきょろと見廻して、目も眩くらんだようです。逃隠れをしようにも、裾の長い着物が足纏まといになって、物に躓つまずいたり、滑すべったりする。罎は仆たおれて残った葡萄酒が畳へ流れました。 半信半疑で聞いていた私も、三度呼ばれて見れば、はッと思いました。父おや親じの声に相違ないのです。 ﹁奥様、吾う家ちの御おと父っさんで御座ますよ﹂ 奥様は屏びょ風うぶの蔭にちいさくなっていた男の手を執って、押入のなかに忍ばせました。私は立って参りまして表の戸を開けながら、 ﹁御父さん、何しに来たんだよ……今頃﹂ ﹁はい、道に迷ってまいりやした﹂と舌も碌ろく々ろく廻りません様子。 ﹁仕様がないなア、こんなに遅くなって人の家へ無むや暗みに入って来て﹂ 親とは言ながら奥様の手前もあり、私は面目ないと腹はら立だたしいとで叱しかるように言いました。もう奥様は其処へいらしって、燈あか火りに御顔を外そ向むけて立っておいでなさるのです。 ﹁お定の御父さんですか﹂ ﹁否いいえ、そうじゃごわしねえ。私わしは東京でごわす﹂ と恍とぼけ顔に言淀よどんで、見れば手に提げた菎こん蒻にゃくを庭の隅すみへ置きながら蹣よろ跚よろと其処へ倒れそうになりました。 ﹁これ、さ、そんな処へ寝ないで早く御おい行でよ﹂ ﹁まあ、いいから其処へ暫く休ませて遣やるが好いいやね﹂ ﹁こんなに酔ったと言っちゃ寝てしまって仕方がありません。これ、御おい行でよ﹂ ﹁そこですこし御休みなさい﹂ ﹁はい﹂と父おや親じは上あが框りがまちへ腰を掛けながら、 ﹁私はお定さんに惚れて来やした﹂ ﹁早く去いっとくれよ。こんなに遅くなって人の家へ酔って来たりなんかして﹂ ﹁そう言うな。十とつ月きあ余まりも逢わねえじゃねえか。顔が見たくはねえか……﹂ 奥様は炉辺の戸とだ棚なを開けて、玻コ璃ッ盞プを探しながら、 ﹁水でも一つ上げましょう﹂ ﹁見ろ、奥様はあの通り親切にして下さる、……時にお定、今幾時だ﹂ ﹁十二時﹂と私は虚う言そを吐ついてやりました。 ﹁なに、十……﹂と険けわしい声で、 ﹁十一時半﹂ ﹁さあ水を御上り﹂と奥様はなみなみ注いだのを下さる。 ﹁難有うごわす。ええ、ぷ、私わしは今夜芸者……を買って、四五円くれて了った。復また、私はこれから行って、……そ、そ、その、飲もうというんで﹂ ﹁大変酔ったものだね﹂ ﹁これ、早く御帰りよ。まるでその姿なりは雫しずくじゃないか、――傘も持たず﹂ ﹁洋こう傘もりは買ったけれども、美代助にくれて来やした。ええ、ぷ、……なあ奥おく様さん、一服頂戴して﹂ ﹁煙草なんか呑まなくても好いいから、さっさと御おい行で﹂ ﹁さあ、煙草盆を上げますよ﹂ と出して下さる。その御顔を眺めて、父親は甘うまそうに一服頂いて、 ﹁よう、奥様は未だ若えなア。旦だん那なさ様んは――私旦那様の御顔も見て行きたい﹂ ﹁旦那様は御留守だよ﹂と私が横から。 ﹁幾時だ﹂と復また尋ねる。 ﹁十一時半。主う家ちじゃもう十時になれば寝るんだよ。さあ、さっさと御帰りよ﹂ ﹁水を、も一つ上げましょう﹂ ﹁沢山、もう頂きました﹂ ﹁すこし沈おち静ついたら、今夜は早く御帰りなさい。お定もああして心配していますから、ね、そうなさい﹂ ﹁はい。はい。さあこれから行って復た芸者を揚げるんだ。六区へでも行かずか﹂ ﹁さあ、そうだ、そうなさい﹂ ﹁これは不調法を申しやした。御免なすって御くんなさい。酔えばこんなものだが、奥様、酔わねえ時は好い男だ。アハハハハハハ﹂ と、よろよろしながら立上りました。 ﹁おやすみ、おやすみ﹂と可おか笑しな調子。 ﹁何だねえ、確しっ乎かりして御おい行でよ﹂と私は叱るように言いまして、菎こん蒻にゃくを提げさせて外へ送出す時に、﹁まあ、ひどい雪だ――気を注つけて御行よ﹂と小声で言いました。 ﹁お、や、す、み﹂ と歌のように調子をつけながら、千鳥足で出て行く。暫く私は門口に佇たた立ずんで後姿を見送っておりますと、やがて生なま酔よいの本ほん性しょうを顕して、急にすたすたと雪の中を歩いて行きました。見れば腰こし付つきから足元からそれ程酔ってはいないのです。父親は直ぐ闇に隠れて見えなくなって了いました。 ホッと一息吐ついて、私は御部屋へ参って見ますと、押入のなかに隠れた人は頭かきかき苦にが笑わらいをしておりました。私は御気毒にもあり、御恥しくもあり、奥様の御傍へ寄添いながら、 ﹁御父さんは上りにくいもので御座ますから、あんな酔った振をして、恍とぼけて参ったんで御座ます﹂ ﹁お前に逢い度たいからさ﹂ ﹁私が是こち方らへ上る時に、﹃己おれも一諸に行こう﹄と申しますから、誰がそんな人に行って貰うもんか、旦那様の御家へなんぞ来るのは止よしとくれ、と言って遣りましたんで御座ます﹂ ﹁逢い度ものと見えるねえ﹂ ﹁﹃十月余も逢わねえじゃねえか、顔が見たくはねえか﹄なんて申しましたよ。馬鹿な、誰があんな酔ぱらいに逢い度もんか﹂ ﹁御おっ母かさんも心配していなさるだろうよ﹂ と言われて、私は逢いに来た父おや親じよりも、逢いに来ない母おふ親くろの心が恋しくも哀しくも思われました。歯医者は熟じっと物を考えて、思い沈んでおりましたのです。奥様はその顔を覗くようになすって、 ﹁桜井さん、何をそんなに考込んでいらっしゃるの﹂ ﹁成程――さすがは親だ﹂ ﹁大層感心していらっしゃるのねえ﹂ ﹁人情という奴は乙なものだ。……そうかなあ﹂ ﹁何が、そうかなあですよ﹂ ﹁難有い﹂ ﹁ホホホホホ﹂ ﹁そういうものかなア﹂ ﹁あれ、復また﹂ ﹁そうだ、もう半年も手紙を遣らない﹂ ﹁誰どな方たのところへ﹂ ﹁なにも私は御恩を忘れて御無ぶ沙さ汰たをしてるんじゃ無いけれど……﹂ ﹁まあ、好おか笑しいわ﹂ ﹁つい、多いそ忙がしくッて手紙を書く暇も無いもんだから﹂ ﹁貴方、何を言っていらっしゃるの﹂ ﹁え、私は何か言いましたか﹂ ﹁言いましたとも。もう半年も手紙を遣らないの、御恩を忘れはしないの、手紙を書く暇がないのッて、――必きっと……思出していらっしゃるんでしょう﹂と奥様は私の方へ御向きなすって、 ﹁ねえ、お定、桜井さんは御容よう子すが好よくっていらっしゃるから……﹂ ﹁止して下さい。貴方はそう疑うたぐり深いから厭さ﹂と男はすこし真ま面じ目めになって、﹁こうなんです――まあ、聞いて下さい。私には義理ある先生が有ましてね、今下した谷やで病院を開いているんです。私もその先生には、どんなに御世話に成ったもんだか知れません。全く、先生は私を子のように思って、案じていて下さるんで。私がこれまでに成ったというのも、先生の御蔭ですからね。ですから、﹃貴様は友達の出世するのを見ても羨ましくはないか、悪わるも好加減にしろ﹄なんて平しょ素っちゅう御小言を頂戴するんです。……先生の言う通りだ――立身、出世、私はもうそんな考が無くなって了った。私の心を占領してるのは……貴方、貴方ばかりです。ああ、昔の友とも人だちと競争した時代から見ると、私も余程これで変ったんですなア﹂ と言って、稍やや暫しば時らく奥様の御顔を見つめておりましたが、やがて、思付いたように立上りました。見れば今まで着ていた裾の長い糸織を脱いで、自分の着物に着替えようとしましたから、奥様も不思議顔に、 ﹁何故、それを着ていらっしゃらないんですか﹂ ﹁なんだか私は……こう急に気分が悪く成りましたから、今夜は帰ります﹂ ﹁お帰りなさるたッて、このまあ雪に……。貴方の着物は未だ乾かないじゃ有ませんか﹂ ﹁なあに、構いません。尻しり端はしを折れば大丈夫﹂ ﹁まあ、真ほん実とうに御帰りなさるんですか。それじゃ、あんまりですわ……﹂ 歯医者は躊もじ躇もじして、帽子を拈ひねっておりましたが、やがて萎しおれて坐りました。 ﹁無理に御留め申しませんから……もう少し居て下さいな﹂ ﹁然し、またあんまり遅くなると……﹂ ﹁遅くなったって好じゃありませんか。まあもうすこし﹂ ﹁そう仰らずに、今夜だけは帰して下さい﹂ ﹁そんなら、もう二十分﹂五
誰言うとなく、いつ伝わるともなく、奥様の浮名が立ちました。万よろず御注進の髪結が煙草を呑散した揚句、それとなく匂わせて笑って帰りました時には、今まで気を許していらしった奥様も考えて、薄気味悪く思うようになりました。銀行からは毎日のように旦那様の御帰を聞きによこす。長野からも御おた便よりが有ました。御客様は外の御連様と別所へ復おま廻わりとやらで、旦那様よりも御帰が一日二日遅れるということでした。それは短い御手紙で、鼠色の封ふう袋じぶくろに入れてありましたが、さすが御寂しいので奥様も繰返し読んで御覧なすって、その御手紙を見ても旦那様の不風流な御気象が解ると仰いました。いよいよ御帰という前の日、奥様は物を御調べなさるやら御隠しなさるやらで、気を御揉みなさいましたのです。 肌身離さず御持なすった写真が有ました。それは男に活いき写うつし、判はんは手てふ札だ形とやらの光つや沢け消しで、生地から思うと少すこ許し尤もっともらしく撮とれてはいましたが、根が愛あい嬌きょうのある容おも貌ばせの人で、写真顔が又た引立って美しく見えるのですから、殿方ならいざ知らず、女に見せては誰も悪にくむものはあるまいと思う程。頬の肉付は豊ふっ麗くりとして、眺め入ったような目元の愛くるしさ、口くち唇びるは動いて物を私ささ語やくばかり、真に迫った半身の像は田舎写真師の技わざでは有ませんのです。奥様はそれを隠す場処に困って、机の引出へ御入れなさるやら、針箱の糸屑の下へ御納いなさるやら、箪笥の着物の底へ押込んで御覧なさるやら、まだそれでも気になって取出しました。壁に高く掛けてありました細こまかな女文字の額の蔭に隠しても、何度かその下を歩いて御覧なすって、未だ御安心になりませんのです。この小な写真一枚の置処が有ません。終しまいには御自分の懐ふところに納いれて、帯の上から撫でて御覧なさりながら、御部屋の内をうろうろなさいました。 文ふば箱この中から出ましたのは、艶ふ書みの束です。奥様は可なつ懐かしそうにそれを柔やわらかな頬に磨すりあてて、一々披ひろげて読返しました。中には草花の色も褪さめずに押されたのが入れてある。奥様は残った花の香を嗅かいで御覧なすって、恍しげ惚しげとした御様子をなさいました。旦那様に見られてはならないものですから、その艶書は一切引裂いて捨てて御了いなさる御積でしたが、さて未練が込上げて、揉みくちゃにした紙を復た﹇#﹁復た﹂は底本では﹁腹た﹂﹈延して御覧なすったり、裂いた片きれを繋つな合ぎあわせて御覧なすったりして――よくよく御おな可つか懐しいと思召すところは、丸めて、飲んで御了いなさいました。 ﹁屑くず屋でござい。紙屑の御払はございませんか﹂ と呼んで来たのを幸、すっかり掻かき浚さらって、籠かごに積たまった紙屑の中へ突込んで売りました。屑屋は大な財布を出して、銭の音をさせながら、 ﹁へえ、毎度難有う存じます。それでは三銭に頂戴して参ります﹂ と言って、銅貨を三つ置いて行きました。 その日は奥様も思い沈んで身の行末を案じるような御様子。すこし上の気ぼせて、鼻血を御出しなさいました。御気分が悪いと仰って、早く御休みになりましたが、その晩のように寝苦しかったことも、夢見の悪かったことも、今までに無い怖おそろしい目に御出逢なすったと、翌朝になって伺いました。落おち々おち御休みになれなかったことは、御顔色の蒼あおざめていたのでも知れました。奥様の御話に、その晩の夢というのは、こう林りん檎ごば畠たけのような処で旦那様が静かに御歩きなすっていらっしゃると、密そっと影のように御傍へ寄った者があって、何か耳みみ語こすりをして申上げたそうです。すると、旦那様は大した御立腹で、掴つか掛みかかるような勢で奥様を追廻したというんです。奥様は二度も三度も捕つかまりそうにして、終しまいには御召物まで脱捨てて、裸はだ体かみになって御逃げなすったんだそうです。いよいよ林檎畠の隅へ追い詰められて、樹と樹との間へ御身体が挟はさまって了って、もう絶体絶命という時に御目が覚めて見れば――寝汗は御かきなさる、枕紙は濡ぬれる、御おね寝ま衣きはまるで雫びっしょりになっておったということでした。一体、奥様は私共の夜のようじゃ無い、一寸した仮うた寝たねにも直ぐ夢を御覧なさる位ですから、それは夢の多い睡ねむ眠りに長い冬の夜を御明しなさるので、朝になっても又た克よくそれを忘れないで御話しなさるのです。﹁私の一生には夢が附纏まとっている﹂と、よく仰いました。こういう風ですから、夢見が好いいにつけ、悪わるいにつけ、それを御目が覚めてから気になさることは一通りで無いのでした。奥様は今までが今までで、言うに言われぬ弱味が御有なさるのですから、御心配のあまり、私までも御疑いなさるような言ことを二度も三度も仰いました。奥様は短い一夜の夢で、長い間の味方までも御疑いなさるように成ましたのです。――風あら雨し待つ間の小鳥の目の恐おそ怖れ、胸毛の乱れ、脚の戦わな慄なき、それはうつして奥様の今の場合を譬たとえられましょう。 三番の上のぼり汽車で旦那様は御帰になりました。御茶を召上りながら長野の雪の御話、いつになく奥様も打解けて御側に居いらっしゃるのです。私は買物を言付かって、出掛しなに縁を通りますと、御話声が障子越に洩もれて来る、――どうやら私のことを御話しなさる御様子。 立たち竦すくんで息を殺して聞いて見ました。奥様はこんなことを旦那様に御話しなさるのでした。さ、その御話しというのは、あれも紛なく失なった、これも紛失った、針箱の引出に入れて置いた紫縮緬の半襟も紛失ったと御話しなさいました。どうも変だと思おぼ召しめして私の風呂敷包の中を調べて見ると、その半襟やら帯上やら指輪やらが出て来たと御話しなさいました。私が井戸端で御主人の蔭口を利きいて、いらざる事を言触らして歩いたと御話しなさいました。それから、又、私が我わが儘ままに成ったことから、或時なぞは牛乳配達の若い男が後から私の首筋へ抱着いたところを見たものがあると御話しなさいました。もうもう私の増長したのには呆あきれて了った、到とて底も私のような性しょうの悪い女は奥様に役つかえないということを御話しなさいましたのです。 私は全まる身で耳でした。 ﹁何だ、そんな高い声をして――聞えるじゃないか﹂と言うのは旦那様の御声。 ﹁否いいえ、使に行って居りませんよ﹂ ﹁その話は今止そう。私は非常に忙しい身だ。これから直ぐに銀行へ出掛けなくちゃならないんだ。……なにしろ、そんな者には早く暇をくれて了うがいい﹂ と言捨てて、旦那様は御立ちなさる御様子。 私は呆れもし、恐れもしました。油断のならぬ世の中。奥様のあの美しい朱くち唇びるから、こんな御言葉が出ようとは私も思掛ないのです。浅はかな、御自分の罪の露顕する怖しさに、私を邪魔にして追出そうとは――さてはと前の日の夢の御話も思当りました。私は表へ飛出して、夢中で雪道をすたすたと歩いて、何の買物をしたかも分らない位。風呂敷包を抱だき〆しめて、口惜しいと腹立しいとで震えました。主人を卑けなすという心は一時に湧わき上る。今まで、美しいと思った御自慢の御器量も、羨うらやましいと思った華は麗でな御おみ風な俗りも、奥様の身に附いたものは一切卑す気に成りました。怒の情は今までの心を振い落す。御恩も、なさけも、思う暇が有ません。もうその時の私は、藁わら草ぞう履り穿はいて、土だらけな黒い足して、谷たに間あいを馳かけ歩あるいた柏木の昔に帰って了いました。私は野けも獣ののような荒い佐久女の本性に帰って、﹁御母さん、御母さん﹂と目あて的どもなく呼んで、相生町の通まで歩いて参りました。 橋の畔たもとに佇たた立ずんで往来を眺めると、雪に濡れた名物生き蕎そ麦ばうんどんの旗の下には、人が黒山のように群たかっておりました。雪を払かいていた者は雪ゆき払かきを休やめる、黄色い真綿帽子を冠った旅人の群は立止る、岩村田通がよいの馬車の馬べっ丁とうは蓙ござ掛がけの馬の手たづ綱なを引留めて、身を横に後を振返って眺めておりました。その内に、子守の群が叫びながら馳けて来て、言触らして歩きます。聞けば、千ちく曲まが川わへ身を投げた若い女の死しが骸いが引上げられて、今蕎麦屋の角まで担かつがれて来たとの話。一人の子守が﹁菊屋に奉公していた下女﹂と言えば、一人が﹁柏木から来たおつぎさんよ﹂と言う。さあ、往来に立っている群のなかには噂うわさとりどり。﹁今年は、めた水に祟たたる歳としだのう、こないだも工女が二人河へ入はまって死んだというのに、復また、こんなことがある﹂﹁南なむ無あ阿み弥だ陀ぶ仏つ。南無阿弥陀仏﹂﹁オイ何だい、情しん死じゅうかね﹂﹁情死じゃアねえが、大方痴いた戯ずらの果はてだろうよ﹂﹁いや、菊屋のかみさんが残ひど酷いからだ、以この前まえもあそこの下女で井戸へ飛んだ者がある﹂などと言騒いでおります。死骸を担いだ人々が坂を上って来るにつれて、おつぎさんということは確に成りました。おつぎさん――ホラ、春雨あがりの日に井戸端で行逢って、私に調から戯かって通った女が有ましたろう。その時、私が水を掛ける真ま似ねをしたら、﹁好いい御主人を持って御仕しあ合わせ﹂と言って、御尻を叩たたいて笑った女が有ましたろう。 丁度、日の光が灰色な雲の間から照りつけて、相生町通の草屋根の雪は大な塊かたまりになって溶けて落ちました。積った雪は烈はげしい光を含んで、ぎらぎら輝きましたから、目も羞ま明ぶしく痛い位、はっきり開あいて見ることも出来ませんのでした。白く降ふり埋うずんだ往来には、人や馬の通る痕あとが一ひと条すじ赤く染ついている――その泥どろ交まじりの雪道を、おつぎさんの凍った身体は藁むし蓆ろの上に載せられて、巡査小やく吏にんなぞに取囲まれて、静に担がれて行きました。薦こもが被かけて有りましたから、死顔は見えません、濡乱れた黒髪ばかり顕れていたのです。 それは胸を打たれるような光さ景までした。同じ奉公の身ですもの、何の心も無しに見てはおられません。私はもう腹立しさも口惜しさも醒さめて、寂しい悲しい気に成ました。娘むす盛めざかりに思いつめたおつぎさんこそ不運な人。女の身程悲しいものは有りません。変れば変る人の身の上です。僅わずか小一年ばかりの間に、おつぎさんのこの変りようはどうでしょう。おつぎさんばかりでは有りません。旦那様も変りました。奥様も変りました。定めし母おふ親くろも変りましたろう。妹や弟も変りましたろう。――私とてもその通り。 全く私も変りました。 道々私は自分で自分を考えて、今更のように心付いて見ると、御奉公に上りました頃の私と、その頃の私とは、自分ながら別な人のようになっておりましたのです。華は美でな御おく生ら活しのなかに住み慣れて、知らず知らず奥様を見習うように成りましたのです。思えば私は自然と風な俗りをつくりました。ひっつめ鬢びんの昔も子供臭く、髱たぼは出し、前髪は幅広にとり、鏡も暇々に眺め、剃かみ刀そりも内証で触あて、長湯をしても叱られず、思うさま磨みがき、爪の垢あかも奇麗に取って、すこしは見よげに成ました。奥様から頂いた華は美でな縞しまの着古しに毛けじ繻ゅ子すの襟えりを掛けて、半はん纏てんには襟えり垢あかの附くのを気にし、帯は撫廻し、豆腐買に出るにも小風呂敷を被かけねば物恥しく、酢の罎びんは袖に隠し、酸ほお漿ずき鳴して、ぴらしゃらして歩きました。柏木の友達も土臭く思う頃は、母親のことも忘れ勝でした。さあ、私は自分の変っていたのに呆れました。勤も、奉公も、苦労も、骨折も、過去ったことを懐おもいやれば、残るものは後悔の冷汗ばかりです。 こういうことに思い耽ふけって、夢のように歩いて帰りますと、奥様は頭ごなしに、 ﹁お前は何をしていたんだねえ。まあ本町まで使に行くのに一時間もかかってさ﹂ と囓かみ付つくように仰いました。その時、私は奥様と目を見合せて、言うに言われぬ嫌いやな気持になりましたのです。怒った振ふりも気け取どられたくないと、物を言おうとすれば声は干ひか乾らびついたようになる、痰たんも咽の喉どへ引懸る。故わざと咳せき払して、可おか笑しくも無いことに作つく笑りわらいして、猫を冠っておりました。 その晩は、まんじりともしません。始めて奉公に上りました頃は、昼は働に紛れても、枕に就くと必きっと柏木のことを思出すのが癖になって、﹁御母さん、御母さん﹂と蒲ふと団んのなかで呼んでは寝ました。次第に柏木の空も忘れて、母おふ親くろの夢を見ることも稀たまに成りました。さ、その晩です。復また私の心は柏木の方に向きました。その晩程母親を恋しく思ったことは有ません。唐から草くさ模様の敷蒲団の上は、何時の間にか柏木の田たん圃ぼ側のようにも思われて、蒲たん公ぽ英ぽが黄な花を持ち、地梨が紅く咲いた草土手を枕にして、青麦を渡る風に髪を嬲なぶらせながら、空を通る浅間の鷹たかを眺めて寝そべっているような楽しさを考えました。夜も更ふけて来るにつれ、寝苦しく物に襲われるようで、戸棚を囓かじる鼠も怖しく、遠い人の叫とも寂しい水車の音とも判つかぬ冬の夜の声に身の毛が弥よ立だちまして、一旦吹消した豆洋ラン燈プを点けて、暗い枕許もとを照しました。何度か寝返を打って、――さて眠られません。青々とした追おも憶いでのさまざまが、つい昨日のことのように眼めの中なかに浮んで来ました。もう私の心にはこの浮は華でな御家の御おく生ら活しが羨しくも有ません。私は柏木のことばかり思続けました。流はや行りう謡たを唄って木もめ綿んば機たを織っている時、旅たび商あき人んどが梭おさの音ねを賞めて通ったことを憶おも出いだしました。岡の畠へ通う道々妹と一緒に摘んだ野のい苺ちごの黄な実を憶出しました。楽しい菱ひし野のの薬師参を憶出しました。大酒呑の父おや親じが夕日のような紅い胸を憶出しました。父親と母親とで恐しい夫婦喧げん嘩かをして、母親が﹁さあ、殺せ、殺すなら殺せ﹂と泣叫んだことも憶出しました。終しまいには私が七つ八つの頃のことまで幽かすかに憶出しました。すると熱い涙が流れ出して、自分で自分を思いやって泣きました。髪は濡れ、枕紙も湿りましたのです。思い労つかれるばかりで、つい暁あけがたまで目も合いません。物の透すき間まが仄ほの白じろくなって、戸の外に雀の寝覚が鈴の鳴るように聞える頃は、私はもう起きて、汗臭い身体に帯〆て、釜の下を焚たき附つけました。 私も奥様に蹴けられたままで、追出される気は有ません。身の明りを立てた上で、是こち方らから御暇を貰って出よう、と心を決めました。あまりといえば袖つれない奥様のなされかた、――よし不義のそもそもから旦那様の御耳に入れて、御気毒ながらせめてもの気きば晴らしに、奥様の計略の裏を掻いてくれんと、私は女の本性を顕したのです。もうその朝は復かた讐きうちの心より外に残っているものは無いのでした。 炉に掛けた雪ゆき平ひらの牛乳も白い泡を吹いて煮立ちました頃、それを玻コ璃ッ盞プに注いで御二階へ持って参りますと、旦那様は御机に倚より凭かかって例の御調物です。御机の上には前の奥様の古びた御写真が有ました。旦那様もこの頃はそれを取出して、昔恋しく御眺めなさるのでした。とうとう私は何もかも打ぶち明まけて申上げましたのです。急に旦那様は御顔色を変えて、召上りかけた牛乳を御机の上に置きながら、 ﹁むむ、分った、分った。お前の言うことは能よく分った﹂ と寂しそうに御笑なすって、湧上がる胸の嫉しっ妬とを隠そうとなさいました。御顔こそ御笑なすっても、深い歎ため息いきや玻コ璃ッ盞プを御持ちなさる手の戦ふる慄えばかりは隠せません。やがて、一口召上って、御おひ独とり語ごとのように、 ﹁然し、元はと言えば乃お公れの過あやまりさ。あれが来てから一年と経たない内に、もう乃公は飽いて了った。その筈はずだろう――あれとは年も違い、考も違う。まるで小ねん児ねえも同然だ。そんな者と話の合いようが無かろうじゃないか。噫ああ、年甲が斐いもない、妻さいというものは幾いく人たりでも取替えられる位の了見でいたのが大間違。二度目となり、三度目となれば、もう真ほん実とうの結婚とは言われない。若いうちから長く一緒に居たものは、自分の経歴も知っていてくれるし、自分の嗜この好みも知っていてくれるし……。お前が乃公のとこへ来てくれた時分は、乃公もあれを喜ばせたいばっかりに事しご業とをした。この節はあれを忘れよう……忘れようで事業をしているのだ。あれの不ふら埓ちは乃公も薄々知ってはいた。知って今まで堪こらえていたというのも……その乃公の心持は……アハハハハハハハ。こんなことをお前に話したところで始まらないなア。あれの御おと父っさんも御出なすったし、幸い一緒に連れて帰って貰う積りで、わざわざ長野までも出掛けては見たが、さて御父さんの顔を見ると――ああいう好いい人ひ物とだからなア、どうしても乃公にそんな話が出来ないじゃないか﹂と気を変えて、一段御声を低くなすって、﹁これはもうこれっきりの話だが、お前もそう言うからには何か証拠があるのかい。証拠がなくちゃ駄目だ。なあ、そうじゃないか。お前は何にも証拠がなかろう。だから、お前に一つ折入て頼みがある。お前が言う通り、桜井がこの節は毎日のように乃公の留守を附つけ狙ねらって入込むという証拠には、どうだ二人で出であ逢いをしているところを乃公に見せてはくれまいか。きょうは赤十字社の北佐久総会というのがあるから、乃公は其処へ出掛る振ふりをして、お隣の小山さんに話している。よしか。桜井が来たらば、直に乃公の処へ知らしてくれ。お前の役はそれで済むんだ。そうしてお前はとにかく一旦柏木へ御帰り。お前がこれまで能く勤めてくれたのには、乃公も実に感心している。いずれ乃公の方からお前の御おっ母かさんの処へ沙さ汰たをして、悪いようにはしないから﹂ ﹁難有うぞんじます﹂ 丁とん、丁とん、丁とんと梯はし子ごだ段んを上って来る人の気配がしました。旦那様は急に写真を机の引出へ御隠しなすって、一口牛乳を召上りました。白い手ハンで御口端を拭ふきながら、聞えよがしの高調子、 ﹁さあ、今日は忙しいぞ﹂六
丁度その日は冬至です。山家のならわしとして冬至には蕗ふき味み噌そと南とう瓜なすを祝います。幸い秋から残して置いた縮ちり緬めん皺じわのが有ましたから、それを流なが許しもとで用意しておりますと、花火の上る音がポンポン聞える。私はいそいそとして、物を仕掛けてはついと立って勝手口の木戸を出て眺ながめました。見れば萌もえ初そめた柳の色のような煙は青空に残りまして、囃はや立したてる小供の声も遠く聞えるのでした。
軒並に懸る赤十字の提ちょ灯うちん、金銀の短冊、紅白の作つく花りばなには時ならぬ春が参りましたよう。北佐久総会とやらの式場は、つい東隣の小学校の広い運動場で、その日は小諸開かい闢びゃく以来の賑にぎわいと申しました位。前の日から紋付羽織に草わら鞋じ掛という連中が入込んでおりましたのです。長野から来た楽隊の一群は、赤の服に赤の帽子を冠って、大太鼓、小太鼓、喇らっ叭ぱ、笛なぞを合せて、調子を揃そろえながら町々を練って歩きました。赤い織色の綬きれに丸形な銀の章しるしを胸に光らせた人々が続々通る。巡査は剣を鳴して馳かけ廻まわっておりました。島屋の若旦那、荒町の亀惣様、本町の藤勘様、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、いずれも羽織袴はかまの御立派な御様子で御通りになりました。歯医者は割わり笹ざさの三つ紋で、焦茶色の中折を冠りまして、例の細い優しい手には小あず豆きが皮わの手袋を着はめて参りました。急いで歩いて来たものと見え、暫らく土どべ塀いの傍に立って息を吐きましたが、能く見れば目の縁も紅く泣腫はれて、色白な顔が殊こと更さらいじらしく思われました。姿の美しい男は怒れば怒ったでよし、泣けば泣いたでよく見えるものです。情を含んだ目元は奥様に逢いたさで輝いて、何もその外のことは御ごぞ存んじない様子が、反かえっていたわしくも有ました。いつ見ても、悪にくめないのはこの人です。早く人目に懸らぬうちと、私は歯医者を勝手口から忍ばせて、木戸を閉めました。
﹁お定さん、今日は大層賑にぎやかだね﹂
﹁まあ、人が出ましたじゃ御座ませんか﹂
﹁お前さん、どうしたの。なんだか蒼い顔してるね﹂
﹁御寒いからです﹂
﹁寒けりゃ女は蒼くなるものかね。私は今まで赤くなるとばかり思ってた。いいえ、戯じょ言うだんじゃないよ。全くこう寒くちゃ遣切れない。手も何も凍かじかんで了う。時に、あの何は――大将は……﹂
﹁旦那様ですか。もう最とっ前くに御おで出ま掛しに成りました。貴方、奥様は先さっ刻きから御待兼で御座ますよ﹂
歯医者は少すこ許し顔を紅くして勝手口から上りました。続いて私も上りまして、炉に掛けて置いたお鍋の蓋を執って見ますと、南とう瓜なすは黄に煮え砕けてべとべとになりましたが、奥様の好物、早速の御茶菓子代り、小皿に盛りまして、蕗ふき味み噌そと一緒に御部屋へ持って参りました。奥様は思いくずおれて男とおさしむかい、薄化粧した御顔のすこし上の気ぼせて耳の根元までもほんのり桜色に見える御様子の艶あでやかさ、南向に立廻した銀屏びょ風うぶの牡ぼ丹た花んの絵を後になすって、御物語をなさる有様は、言葉にも尽せません。伏目勝に、細く白い手を帯の間へ差込んでおいでなさいましたから、美しい御おぐ髪しのかたちは猶なおよく見えました。言うに言われぬ薫かおりは御部屋のうちに匂い満ちておりましたのです。怒と恨とで燃えかがやいた私の目ですら、つい見み恍とれずにはいられません位。はっと心付いて私は御部屋を出ました。――もう奥様の御運は私の手の中に有ましたのです。
さすがに私も台所に立って考えました。
これを旦那様に申上げたら、事の破れはさてどうなるだろう。耐こらえに耐えた旦那様の御怒が一旦洪水のように切れようものなら、まあその勢はどんなであろう。平ふだ常ん御人の好い旦那様のような御方が御立はら腹だちとなった日には、どんな恐しいことをなさるだろう。とこう想い浮べましたら、遽にわかに身の毛が弥よ起だって、手も足も烈しく震えました。ふらふらとして其処へ仆たおれそうにもなる。とても躊ため躇らわずにはいられませんのでした。私は見えない先のことに恐れて、上草履を鳴らしながら板の間を歩いて見ました。
冬の光は明あか窓りまどから寂しい台所へさしこんで、手慣れた勝手道具を照していたのです。私は名残惜しいような気になって、思乱れながら眺めました。二つ竈べっついは黒々と光って、角に大おお銅どう壺こ。火吹竹はその前に横。十じゅ能うのはその側に縦。火消壺つぼこそ物言顔。暗く煤すすけた土壁の隅に寄せて、二つ並べたは漬物の桶おけ。棚の上には、伏せた鍋、起した壺、摺すり鉢ばちの隣の箱の中には何を入れて置いたかしらん。棚の下には味噌の甕かめ、醤しょ油うゆの樽たる。釘に懸けたは生わさ薑びお擦ろ子しか。流許の氷は溶けてちょろちょろとして溝どぶの内へ入る。爼まな板いたの出してあるは南瓜を祝うのです。手桶の寝せてあるは箍たがの切れたのです。※ざる﹇#﹁竹かんむり/瓜﹂、U+7B1F、62-6﹈に切捨てた沢たく菴あんの尻も昨日の茶殻に交って、簓ささらと束たわ藁しとは添寝でした。眺めては思い、考えては迷い、あちこちと歩いておりますと、急に楽隊の音がする。大太鼓や喇叭が冬の空に響き渡って、君が代の節が始りました。台所の下駄を穿はいて裏へ出て見ますと、幾千人の群の集った式場は十字を白く染抜いた紫の幕に隠れて、内の様子も分りません。幕の後から覗く百姓の群もあれば、柵さくの上に登って見ている子供も有ました。手を拍たたく音が静しずまって一時森しんとしたかと思うと、やがて凛り々りしい能く徹る声で、誰やらが演説を始める。言うその事柄は能く解りませんのでしたが、一言、一言、明はっ瞭きり耳に入るので、思わず私も聞惚れておりました。
丁とん、と一つ、軽く背せなかを叩かれて、吃びっ驚くりして後を振返って見ると、旦那様はもう堪こらえかねて様子を見にいらしったのです。旦那様も唖おし、私も唖、手てつ附きで問えば目で知らせ、身振で話し真似で答えて、御互にすっかり解った時は、もう半分讐あだを復かえしたような気に成りました。私も随分種いろ々いろな目に出逢って、男の嫉妬というものを見ましたが、まあその時の旦那様のようなのには二度と出逢いません。恐らく画にもかけますまい。口に出しては仰らないだけ、それが姿かたちに顕あらわれました。目は烈しい嫉妬の為に光り輝やいて、蒼ざめた御顔色の底には、苦くる痛しみとも、憤いか怒りとも、恥は辱じとも、悲かな哀しみとも、譬たとえようのない御心持が例の――御持前の笑に包まれておりました。総から身だじゅうの血は一緒になって一時に御おつ頭むりへ突きかかるようでした。もうもう堪こらえ切ないという御様子で、舌なめずりをして、御自分の髪の毛を掻かき毟むしりました。こう申しては勿もっ体たいないのですが、旦那様程の御人の好い御方ですら制おさえて制えきれない嫉妬の為めには、さあ、男の本性を顕して――獣のような、戦みぶ慄るいをなさいました。旦那様は鶏を狙ねらう狐きつねのように忍んで、息を殺して奥の方へと御進みなさるのです。怖こわいもの見たさに私も随ついて参りました。音をさせまいと思えば、嫌いやに畳までが鳴りまして、余計にがたぴしする。生あい憎にく敷居には躓つまずく。耳には蝉せみの鳴くような声が聞えて、胸の動どう悸きも烈しくなりました。廊下伝いに梯子段の脇まで参りますと、中の間の唐紙が明いている。そこから南向の御部屋は見通しです。私は柱に身を寄せて、恐こわ怖ごわながら覗きました。
南の障子にさす日の光は、御部屋の内を明るくして、銀の屏風に倚より添そう御二人の立姿を美しく見せました。いずれすぐれた形の男と女――その御二人が彩色の牡丹の花の風ふぜ情いを脇にして、立っていらっしゃるのですから、奥様も、歯医者も、屏風の絵の中の人でした。儚はかない恋の逢おう瀬せに世を忘れて、唯もう慕い慕われて、酔いこがるるより外には何も御存じなく、何も御気の付かないような御様子。私は眼めの前まえに白ひ日るの夢を見ました。男の顔はすこし蒼あおざめた頬ほおの辺あたりしか分りません――それも陰か影げになって。奥様の思いやつれた容かお姿かたちは、眉まゆのさがり、目の物忘れをしたさまから、すこし首を傾かしげて、御おつ頭むりを左の肩の上に乗せたまでも、よく見えました。御二人は燃えるような口くち唇びると口唇とを押しあてて、接くち吻づけとやらをなさるところ。奥様は乳房まで男の胸に押されているようで、足の親指に力を入れて、白足袋の爪先で立ち、手は力なさそうにだらりと垂れ、指はすこし屈かがめ、肩も揚って、男の手を腋わきの下に挟んでおいでなさいました。手も、足も身体中の活はた動らきは一時に息とまって、一切の血は春の潮の湧わき立たつように朱くち唇びるの方へ流れ注いでいるかと思われるばかりでした。
あまりのことに旦那様は物も仰おっしゃらず、身動きもなさらず、唯もう御二人を後から眺めて、不じっ動と其処へ棒立のまま――丁度、釘くぎ着づけにして了った人のように御成なさいました。
﹁最敬礼、最敬礼﹂
と丘の上の式場で叫ぶ声は御部屋の内まで響きました。
遽にわかに、表の格こう子しの開あく音がして、
﹁只今﹂
と御呼びなさるのは御客様の御声。
﹁今、帰りましたよ﹂
二度呼ばれて、御二人とも目を丸くして振返る途端――見れば後に旦那様が黙って立っていらっしゃるのです。奥様は男を突つき退のける隙すきも無いので、身を反そらして、蒼まっ青さおに御成なさいました。歯医者は、もう仰天して了しまって、周あわ章てて左の手で奥様の腮あごを押えながら、右の手で虫歯を抜くという手てつ付きをなさいました。
誰も御出迎に参らないうちに、御客様はつかつかと上がっていらっしゃると見え、唐紙の開く音がして、廊下が軋きしむ。稲いな妻ずまのような恐おそ怖れは私の頭の脳天から足の爪先まで貫つき通りました。
その時、吹き立てる喇叭や、打込む大太鼓の音が屋うちの外に轟とど渡ろきわたりました。幾千人の群は一時に声を揚げて、
﹁天皇陛下万歳。天皇陛下万歳﹂
それは雷の鳴響くようでした。