1
これは或るスパイ事件だ。
ところで、これから述べてゆく其その物語の中には、日本人の名前ばかりが、ズラズラと出てくるのだが、読者諸君は、それ等を悉ことごとく真しんの日本人だと早はや合がて点んされてはいけない。実はその間かん諜ちょう一味は××人なのである。本来ならば﹁丸まる木きは花なさ作く事こと本ほん名みょう張ちょ学うが霖くりんは……﹂といった風に書くのが本当なのであるが、それを一々書くのが、煩わずらわしい程、××人が出てくることであるから、一つ思おも切いきって、味噌も糞も悉く日本人名前の方だけを書くことにした。
どうかお読みになっている裡うちに、錯さっ覚かくを起さないようにして戴いただきたいと、お願いして置く。さて――
2
霧の深い夕方だった。
秘密警備隊員の笹ささ枝えだ弦げん吾ごは、定さだめられた時刻が来たので、同志の帆ほた立てか介い次じと肩を並ならべてＳ公園の脇わきをブラリブラリと歩き始めていた。もう冬と名のつく月に入ったのだったが、今夜はそう寒くもなかった。しかしこう霧が降りていては、連絡をとるのに稍やや困難を覚おぼえた。その連絡員というのがうまく自分達を探しあてて呉くれればいいが……。
﹁ウーイ、こらさのさッ――てんだ﹂
向うから酔よっ払ぱらいの声が聞える。顔も姿もまだ見えないが……。
弦吾は肘ひじでチョイと同志帆立の脇わき腹ばらを突つついた。
ぬからず帆立が、
﹁ピ、ピーイ、ピッ……﹂
とヴァレンシアのメロディーを口笛で吹き始める。
ヒョロヒョロと、向うから人影が現れた。
弦吾はツと帽子を被かぶり直なおした。
どおーン。
酔払いが突き当った。
﹁ヤイ、ヤイ、ヤイッ﹂酔払いが呶ど鳴なった。
﹁つッ突つき当あたりやがって、挨あい拶さつをしねえとは何でえ。こッこの棒くい野やろ郎う奴め﹂
﹁……﹂
﹁だッ黙ってるな。いよいよもう、勘かん弁べんならねえ、こッ此この野郎ッ﹂
どおーンと突き当ったのはいいが拳げん固こを振ふり下おろすところを、ヒラリと転かわされて、
﹁ぎゃーッ﹂
と叫ぶと、酔すい漢かんは舗ほど道うの上に、長くのめった。
弦吾と同志帆立とは、酔漢の頭を飛び越えると足あし早ばやに猿さる江えの交こう叉さて点んの方へ逃げた。
細い横丁を二三度あちこちへ折れて、飛びこんだのはアパートメントとは名ばかりの安やす宿やどの、その奥まった一室――彼等の秘密の隠かくれ家が！
﹁どうだった？﹂入口の扉ドアにガチャリと鍵をかけると、帆立が云った。
﹁ウン、これだ﹂
弦吾は掌てのひらを開くと、小形のたばこやマッチを示した。酔払いから素早く手渡された秘密のマッチ箱だった。小指の尖さきで、中身をポンと落しメリメリと外そと箱ばこを壊こわして裏をひっくりかえすと、弦吾はポケットから薬くす壜りびんを出し、真まっ黄きな液体をポトリポトリとその上にたらした。果かぜ然ん、見る見る裡うちに蟻の匍はっているような小こ文も字じが、べた一面に浮び出た。
本部からの指令だった！
3
二人は、マッチ箱の裏に書かれた指令文を読み終ると、合あわせていた額ひたいを離して、思わず互たがいの顔を見合わせた。二人は一いち語ごも発しない。余よほ程ど重大な指令と見える。
その指令というのは――
﹇＃ここから罫囲み﹈
︵指令本第一九九七八号︶
︵一︶ＱＸ30トＱＺ19トハ、即そっ刻こく間かん諜ちょ座うざニ赴おもむキ、﹁レビュー・ガール﹂の内うちヨリ左眼ニ義眼ヲ入レタル少女ヲ探シ出シ、彼女ノ芸名ヲ取調ベ、ＱＺ19ハ直ただチニＲ区裏ノ公衆電話傍そばニ急行シテ黄色ノ外がい套とうヲ着ちゃくセル二人ノ同志ニ之これヲ報告セヨ。又ＱＸ30ハ間諜座内ニ其その儘まま止リテ、打うち出だシト共ともニ群衆ニ紛まぎレテ脱出セヨ。
︵二︶右ノ報告ヲ本日午後十時マデニ報告シ得ザルトキハ、在ざい京きょう同志ハ悉ことごとク明みょ朝うちょうヲ待タズシテ鏖おう殺さつセラルルコトヲ銘めい記きセヨ。
﹇＃ここで罫囲み終わり﹈
﹁死しせ線んは近づいたぞ﹂
﹁かねて探していた敵の副司令が判ったというわけだな﹂
﹁ウン、義眼を入れたレビュー・ガールとは、うまく化けやがった﹂
﹁だが間諜座へ入ることは、地獄の門をくぐるのと同じことだ。固くなったり、驚いたりして発見されまいぞ﹂
﹁あのなかは敵の密みっ偵ていで一杯なんだろうな﹂
﹁毎夜、観客の中に百人近くの密偵が交まじっているということだ。そして何か秘密の方法で、舞ぶた台いう上えの首領と通信をしているそうだ﹂
﹁首領よりか副司令のあの小こむ娘すめが恐ろしいのか﹂
﹁そうだ。あの小娘は悪魔の生れ代りだ﹂
﹁するとあの副司令を今夜のうちに、こっちの手でやッつける手ては筈ずになったんだな﹂
﹁ウン。――どうしてやッつけるかは知らないが、副司令のやつ、義眼を入れてレビュー・ガールに化けているてぇことを、嗅かぎつけられたが運の尽つきだよ。おお、もう五時半だ。あといくらも時間が無いぞ。さア出発だ﹂
弦吾は腰をあげた。
﹁おっと待ちな、冷つめたいながら酒がある。別れの盃さかずきと行こう﹂
同志帆立は、押入の隅から壜詰を取出した。汚れたコップに、黄色い酒がなみなみとつがれた。
カチャリ、カチャリ。
﹁地獄で会おうぜ﹂
﹁世話になったな﹂
4
部屋を出ようとするときだった。
ブ、ブ、ブブー。
卓テー子ブルの裏に取付けたブザーが鳴った。
﹁ほい。ＸＢ4が呼んでいるッ﹂
弦吾は室内に引返した。壁をポンと開くと嵌はめこんだような超ちょ短うた波んぱの電話機があった。
﹁ＱＸ30だ﹂
﹁こっちは、ＸＢ4だ﹂と電話機の彼かな方たで小さい声がした﹁報告があったぞ、いよいよ動員指令が下くだったそうだな﹂
﹁ウン﹂
﹁ところで注意を一つ餞はな別むけにする﹂
﹁ほほう。ありがとう﹂
﹁あの間諜座ね﹃魚ぎょ眼がんレンズ﹄のついた撮影機で、観客一同の顔つきが何い時つでも自由自在にとれるんだそうだ。ぬかりはあるまいが、顔色を変えたり、変にキョロキョロしちゃいかん。皆の笑うところでは笑い、皆が澄すましているときには澄ましていなくちゃいかん。いいかね﹂
﹁魚眼レンズを使っているのか？ よおし、油ゆだ断んはしないぞ﹂
﹁義眼を入れたレビュー・ガールの名前をつきとめるんだって、誰にも尋たずねちゃ駄目だぞ。敵の密みっ偵ていは巧妙に化けている。立たち処どころに殺されちまうぞ﹂
﹁ウン、誰にもきかんで、見付けちまおう﹂
﹁見付ける方ほう策さくが立っているのか﹂
﹁うんにゃ、そういうわけでもないが、プログラムを探偵すれば、何々子という名前がきっと判るよ﹂
﹁それで安心した。じゃ別れるぞ。しっかりやれ、同志ＱＸ30！﹂
﹁親切有難うよ﹂
魚眼レンズで観客全部の顔色を覗のぞいているッて――ちえッ、そんなものに引ひっ懸かけられて堪たまるものかい！
5
間かん諜ちょ座うざとは、敵の密偵の夜やか会いじ場ょうなんだから、そういう名で仲間は呼んでいるのだ。本当の座名はディ・ヴァンピエル座！
ディ・ヴァンピエル座第9回公演――と旗が出ている間諜座の前だ。Ｒ区は、いつもと、些ちっとも変らぬ雑ざっ沓とうだった。
しばらくウィンドーの裸ダンスの写真を、涎よだれを垂たらさんばかりの顔つきで眺めて――
﹁さア、お前はどこに決めるんだ﹂
﹁俺は断然、この丸まる花はな一座を観る﹂
﹁じゃ俺もそう決めた。……いいよいいよ、今夜は俺が払うから、委まかしとけ﹂
﹁イヤ駄目だい。今夜は俺に払わせろ﹂
﹁いいんだよオ﹂
﹁いけないよォ﹂
頗すこぶる手てぎ際わよく、だらしなくグニャグニャと縺もつれ合あいながら弦吾と同志帆立はプログラム片手にひッつかんだ儘まま、嬉しそうに入っていった――だが一皮下は、棒を呑のんでいるような気持だった。
明るい舞台では、コメディ﹁砂丘の家﹂が始まっていた。
流さす石がにカブリツキは遠えん慮りょして、中央の席に坐る。
舞台は花のように賑にぎやかだった。
だが、それに引きかえ、観客席のＱＸ30は、面おもてこそ作り笑いに紛まぎらせているが、胸の裡うちは鉛なまりを呑んだように憂ゆう欝うつに閉とざされていた。そのわけは彼の手に握られたプログラムにあった。
この複雑きわまるプログラムのうちから、義眼を入れたレビュー・ガールの名前を探し出すなんて、如何に無むて鉄っぽ砲うなことだか、そのプログラムのおもてを一と目見ただけで充分に知れることだった。
同志百七十一人の生命を賭かける死のプログラム！
6
どうか読者諸君も気を鎮しずめて、次に示すこのプログラムに共に眼を移して下さい。
―――――――――――――――
プログラム
第三・コメディ・砂丘の家
●ブルターニュ郊外の家
父親 ジャック 松田待三郎 母親 カテリナ 武中 文子 姉娘 ロジナ 東明 波子 妹娘 マリイ 郡家 月子 紳士 ケリー 田方 青二 青年 フルトン 丸山 彦太 お手伝いさん ロセット 住吉 景子 店員 アプリン 間宮 林八 近所の娘 アン 香川 桃代 マーゲリー 平河みね子 ドロシー 小林 翠子 ルイズ 六条 千春
第四・ダンス・エ・シャンソン
●ダンス︵木もく製せいの人形︶
六条 千春 平河みね子 辰巳 鈴子 歌島 定子 柳 ちどり
小林 翠子 香川 桃代 三条 健子 海原真帆子 紅 黄世子
●シャンソン︵朝あさ顔がおの歌︶
咲田さき子
●ダンス︵美うるわしの宵よい︶
︵唄︶花柳 春子 須永 克子 山村 蘭子 杉原 常子
●シャンソン︵遥かなるサンタ・ルチア︶
須永 克子
●ダンス︵オー・ヤヤ︶
間宮 林八 花柳 春子 神田 玉子
●ダンス︵カンツリー・ダンス︶
歌島 定子 玉川 砂子 大井 町子 御門 秋子 三条 健子 辰巳 鈴子 水町 静子 小牧 弘子 六条 千春
●フィナーレ
平河みね子 辰巳 鈴子 歌島 定子 柳 ちどり 小林 翠子 香川 桃代 三条 健子 海原真帆子 紅 黄世子
第五・ナンセンス・レビュー弥次喜多
●第一景・プロローグ
喜多八 丸木 花作 弥次郎兵衛 鴨川 布助
●第二景・大阪道どう頓とん堀ぼり
舞妓 紅 黄世子 歌島 定子 三条 健子 辰巳 鈴子 香川桃代 平河みね子
喜多八 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
●第三景・嵐山渡とげ月つき橋ょう
妙林 鷹司 風子 尼僧甲 玉川 砂子 同乙 大井 町子 同丙 水町 静子 同丁 御門 秋子
●第四景・琵びわ琶こ湖は畔ん
薬売 武智 太郎 薬屋娘お金 柳 ちどり お銀 海原真帆子 喜多 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
●第五景・山賊邸展望台
首領 松田待三郎 中国人甲 田方 青二 同乙 春山田之助 同丙 丸山 彦太 唐子の娘 松浦 浪子 柳 ちどり 東路 艶子 歌島 定子 川島 武子 花村 京子 三条 健子 辰巳 鈴子 喜多 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
●第六景・奈なら良いゆ井う遊か廓く
花魁初菊 花柳 春子 同赤玉 山村 蘭子 提灯持 奈良木 清 元永 敏夫 金棒引 清洲 蝶子 神田 玉子 禿 海原真帆子 新造 玉川 砂子 大井 町子 水町 静子 御門 秋子 芸者 小牧 弘子 香川 桃代 平河みね子 小林 翠子 喜多 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
痺しびれる脳髄！
もし此処で卒そっ倒とうしたらば、それで万ばん事じ休きゅうすだ！
弦吾は無むけ形いの敵と闘った。血を油に代えて火を点じ、肉を千ち切ぎって砲弾の代りに撃った。何とかして、この中から義眼のレビュー・ガールの、名前を見付け出したい。その張りきった焦しょ躁うそうで、舞台の方に向けている眼は空うつ洞ろになろうとする。
――いつの間にやら、第三コメディ﹁砂さき丘ゅうの家﹂は幕となった。弦吾は同志帆立に脇わき腹ばらを突つかれて、慌あわてて舞台へ拍手を送った。途とた端んに、
﹁おや？﹂
弦吾は、なにかしらハッとした。霊れい感かんの迸ほとばしり出でようという気けは配いを感じた――子供のときから、不思議な癖くせで……。
︵そうだ。あの消しょ去うき法ょほうという数学、あれを応用して一つやってみよう、よし！︶
彼は遂ついに一つのプランを思いついた。頭脳は俄にわかに冷静となった。科学者だった彼の真しん面めん目もくが躍やく如じょとして甦よみがえった。消去法とは一体どんな数学であるか。
そのときベルが、喧けたたましく鳴った。ジャズに囃はやされて重い緞どん帳ちょうが上っていった。いよいよ第四の﹁ダンス・エ・シャンソン﹂の幕が開いたのだった。
何よりも先ず第一の問題は、誰が義眼を入れているかを発見することだった。
舞台では、飛び上るようなメロディーにつれて七曲の第一、
ダンス︵木もく製せいの人にん形ぎょう︶
が始まった。赤と白とのだんだらの玩おも具ちゃの兵隊の服を着、頬っぺたには大きな日の丸をメイク・アップした可か愛わいい十人の踊り子が、五人ずつ舞台の両方から現れた。
タッタラッタ、ラッタッタッ。
ラッタラッタ、タッタララ。
踊り子たちは、恰あたかも木製の人形であるかのようにギゴチなく手足を振った。
︵おお、このなかに、義眼を入れた女が居るか？︶
眼を見張ったが、こう遠くては判らない。と云って今さら舞台の前のカブリツキまで出られないし、たとい出てみたところで何しろ小さい眼のことだ。義眼と判るとまで行くまい。
ＱＸ30の笹ささ枝えだ弦げん吾ごは、呆ぼう然ぜんとして舞台の上に踊る彼女達を見入った。
そのとき彼の眼まな底ぞこに映った一人の踊り子があった。その踊り子は、他の九人と同じように調子を揃えて踊っているのであるが、何だかすこし様子が変である。
どう変なのかと、尚なおも仔しさ細いに観察をしていると、成なる程ほど一つのおかしいことがある！
その踊り子は頭を左右に、稍やや振ふりすぎる嫌いがあるのだ。
いや、もっと別の言葉で云うことが出来ると思う。――その踊り子は首を左に傾かたむけているうちに、急に驚いたように首を右に傾かたむけ直すのだった。首を、その逆に右から左へ傾け直す行モー動ションは自然に円えん滑かつに行われるのだった。唯ただ左に曲っている首を右に傾け直すときに限り、非常に不自然な行モー動ションが入った。
もっと別の言葉で云える。つまりそんな不自然な行動も左の眼が悪いからこそ起るのだ。左の眼が悪いときは、悪い方の眼は見えないから右の一いち眼がんで前ぜん面めんを見ることになる。そのためには顔を正面に向けていたのでは、左の方が見えない。それを補うためには右の眼を身体の中心線の方に寄せる必要がある。その時に顔を曲げねばならぬ。このとき人間は首を左へ曲げる！
左眼の悪い人間は、つまり、常に左に首を曲げている。しかし踊り子がいつも左へ傾いた顔をしていたのでは美びか感ん上困る。そこで気のつく度たびに、ヒョイと首を逆にひねる。この場合、右へは、右へ振ったが振りすぎて人ひと目めを引くようになる。そして踊っている裡うちに、つい習慣が出て首が自然に左へ曲る。気がついてハッとすると、不自然にギクリと首を右へ曲げる。――これだ、これだ。
あの、首を振り過ぎる女が、求める副司令なのだッ。しめた！
7
︵しめた︶と喜んではみたが本当に喜ぶにはまだ早かった。何故なら彼女は他の九人と同じ﹁木もく製せいの兵隊さん﹂だった。どれが彼女の名前やら判らない。
︵弱った。やはり呪のろいのプログラムだッ︶
弦吾は、改めてプログラムを呪った。
そうこうする裡に同志百七十一名の生命は、刻こく々こくに縮ちぢまってゆく。そうだ、こうしては居られない。
︵例の試みをやってみるか︶
彼は暫しばらくプログラムの表面を見ていたが、今の﹁木製の人形﹂に出ている十人のレビュー・ガールの名前を胸のうちに諳そらんじた。
この中に彼女の名前があるのだ。この出演人員を
としよう。
ところで一つ前の﹁砂丘の家﹂には彼女は出なかった。しかしこれととの出演人員を較くらべると、両方に出演している女が四人もある。﹁近所の娘﹂をつとめる香川桃代、平河みね子、小林翠子、六条千春の四人だ。するとこの四つの名前には彼女の名前はないのだから、の十人から先ず消し去ってもよい。すると残りは六人となる。
としよう。
ところで一つ前の﹁砂丘の家﹂には彼女は出なかった。しかしこれととの出演人員を較くらべると、両方に出演している女が四人もある。﹁近所の娘﹂をつとめる香川桃代、平河みね子、小林翠子、六条千春の四人だ。するとこの四つの名前には彼女の名前はないのだから、の十人から先ず消し去ってもよい。すると残りは六人となる。
辰巳 鈴子 歌島 定子 柳 ちどり 三条 健子 海原真帆子 紅 黄世子
だけが残る。この中の一人が、あの女なのだ。
ＱＸ30は、今や神を念ねんじた。この調子で、敵の副司令の義眼女の名前を知らしめ給え。
﹁木製の人形﹂が引込むと、次はプログラムに随したがって、﹁シャンソン 朝顔の歌﹂それから﹁ダンス 美うるわしの宵よい﹂いずれも彼女は出ない。﹁シャンソン 遥かなるサンタ・ルチア﹂も出ない。次の﹁ダンス・オー・ヤヤ﹂にも出ない。そして次の﹁ダンス・カンツリー﹂に移った。
これにも彼女は出なかったが、大いに注意すべき事がある。それは例の残った六人の中の三人、すなわち辰巳鈴子、三条健子、歌島定子が出演していることがプログラムの上から読まれた。これは何を意味するかというと、彼女はその三つの名前の中には無いということ――果かぜ然ん、敵の副司令の名前は、残りの三つの名前の中にあるという結論になった。ああ、その三つの名前！
利とが鎌まを振りまわしている死の神はわれ等の同志百七十一人の許もとを離れて、いまや刻こく々こく敵の副司令へ迫せまりつつあるのだ。
さて残る三人は、どこでそれぞれ判るであろうか。
ＱＸ30は、とどろく心臓を押えてプログラムの先の方を調べて見た。
判る、判る！
次の演出は、初めに返って、第一ナンセンス・レビュー﹁弥や次じ喜き多た﹂二幕十二場だ。辿たどってゆくと、この中の第二景﹁大阪道どう頓とん堀ぼり﹂のところで例の三人のうち、紅黄世子だけが他の二人に別れて出演するのだ。
それから、それから……。
残る海原真帆子と柳ちどりとは、第四景の﹁琵びわ琶こ湖は畔ん﹂に茶ちゃ店みせ娘むすめお金とお銀で一緒に出る。さても焦あせらせることではある。
ところで第五景の﹁山さん賊ぞく邸てい展望台﹂では唐から子この娘として、柳ちどり﹇＃﹁柳ちどり﹂は底本では﹁紅黄世子﹂﹈が出る。
第六景の﹁奈なら良いゆ井う遊か廓く﹂では残りの海原真帆子が出る。これで全部判ったことになる。
だが、此この第六景﹁奈良井遊廓﹂まで待つ必要はない。既に一つ前の第五景﹁山さん賊ぞく邸てい展望台﹂で、残る二人のうち柳ちどり﹇＃﹁柳ちどり﹂は底本では﹁紅黄世子﹂﹈が判るのだから、あとの一人は第六景を見て確たしかめずとも判る筈はずだった。――敵の副司令の断だん頭とう台だいはこの第五景で、切って放たれるのだ。
ＱＸ30笹枝弦吾は、歯を喰くいしばって、喜びの色を押し隠したのだった。
8
弦吾の先走りしたチェックとは別に、先ず﹁フィナーレ﹂が開いて、たしかに例の義眼女を発見することが出来た。プログラムの上に
と印をつけた。第二回目の登場という意味であった。
弦吾には、もう幕まく間あいもなんにもなかった。唯ただ機の至るのが待ちあぐまれるばかりだった。﹁弥や次じ喜き多た﹂が始まって、第一景。一座を率ひきいる丸まる木きは花なさ作くと鴨かも川がわ布ぬの助すけとが散さん々ざん観客を笑わせて置いて、定じょ紋うもんうった幕の内へ入った。
いよいよ第二景。紅黄世子かどうか判ろうという機会が来たのだ。流さす石がに胸が迫った。道どう頓とん堀ぼり行進曲も賑にぎやかに、花道からズラリと六人﹇＃﹁六人﹂は底本では﹁八人﹂﹈の振ふり袖そで美しい舞まい妓こが現れた！
︵居ない、居ないぞ︶
ＱＸ30は軽い吐とい息きをした。
それからプログラムは進む。第四景には、残る柳ちどりと海原真帆子とが茶ちゃ店みせ娘むすめとなって確かに登場したと思われる。プログラムの上に、彼女の出演の印
を打って置こう。ＱＸ30は、成功へもう一歩の手前へ立って、ホッとした。振返ってみればよくまァ此の複雑なプログラムから、彼女の名前を拾い出せるようになったものだ。
さて、いよいよ運命の決まる第五景だ。冷静に、冷静に！
山賊邸の展望台。怪しげなる囃はやしにつれて、一隊の唐から子こが踊りつつ舞台へ上ってきた。
﹁呀あッ﹂
と叫びたいのを懸命で怺こらえたＱＸ30だった。見よ！ 見よ！ あの女がいるではないか。敵の副司令が、唐から子こになって、白しら々じらしくも踊っているのだ。決った！
副司令の芸名は、柳ちどり
弦吾は素早く﹁柳やなぎちどり﹂と名前をプログラムから千ち切ぎりとって、隣りにピタリと寄り添っているＱＺ19﹇＃﹁ＱＺ19﹂は底本では﹁ＱＸ19﹂﹈同志帆ほた立てか介い次じの掌てのうちに、ねじこんだ。
帆立はフラリと席を立った。
一つ大きな欠あく伸びをすると、ディ・ヴァンピエル座の木戸口を出ていった。レビュー館の向うの角を曲まがると急に歩調を速めて、かねて諜しめし合せて置いたＲ区裏の二つ並んだ公衆電話函のところへ……。
9
公衆電話室には、既に黄色の外套を着た青年が二人、別々に入って居おった。サインを送られたのでＱＺ19﹇＃﹁ＱＺ19﹂は底本では﹁ＱＸ19﹂﹈は直ぐに﹁柳ちどり﹂の名前の入った紙片を手渡した。
﹁すみませんでしたね。まァこっちへ入り給え﹂黄色い外套を着た同志は云った。
其その時ときこの二つの公衆電話の甲乙とも相手のベルが喧やかましく鳴っていた。
甲の方の電話は、一町半ほど先の洋食屋の屋根裏へ繋つながっていた。
﹁オイ、どうだ﹂と向うから声がした。
﹁もう直ぐ出て来るから、うまく演やれよ﹂と、こっちから黄色い外套の同志が稍やや震ふるえ声で云った。興奮に慄ふるえているのだった。
﹁ウン、しっかり演ってみせるぞ。安心せい。相手を確めたら直ぐ報しらせろ！﹂
そういった屋根裏の青年の前には一台の機関銃が壁かべ穴あなを通して外を覗のぞいている。いつでも引金が引ける、この機関銃の銃口は、向いの高い建物の三階に、ポッカリ開いた窓に向けられている。もっと精確に云うと銃口は、向いの窓の内から見える壁かべ掛かけ電話機を覘ねらっているのだった。――その電話機は、受話器が紐ひものままダラリと下っていた。思うに、電話で呼出された人を探しに行っているものらしい。
五秒、十秒、十五秒。
向うの窓に、一人のレビュー・ガールが現れた。頭が痛いのか、左手で圧おさえている。
﹁はァ、モシモシ﹂
と、その美しいレビュー・ガールは電話口の前で唇を動かした。
﹁ああ、もしもし﹂レビュー・ガールの電話に答えたのは、意外にも区裏の公衆電話の乙の方を占領している黄外套の同志だった。
﹁もしもし。あんたは、柳ちどりさん？﹂
同志の声は悠々と落着いている。それもその筈、一方の旗頭ＵＸ3鯛たい地ちひ秀で夫おだったから。
﹁ええ、そうよ﹂と女が云った。
鯛地秀夫は、ツと手をあげて、隣の公衆電話甲の同志ＱＸ7左さま馬さぶ三ろ郎うへ合図をした。
︵よし、撃て――といえ︶
というサインだ。鯛地は豪ごう胆たんにも尚も柳ちどりを電話機に釘くぎ止どめにして置こうと努力した。
﹁柳ちどりさんに、いいものを進呈――﹂
撃て、――という命令は、屋根裏の同志の耳に達して、スワと機関銃の引金を引いた。
どどどどどどどど、どどどどどどどッ！
霰あられのような銃じゅ丸うがんが、真白な煙りをあげて、向いの窓へ――
柳ちどりは、声を立てる遑いとまもなく全身を蜂はちの巣すのように撃ち抜かれ、崩くずれるように電話機の下にパタリと倒れた。
﹁命中したぞォ﹂
それが同志への最後の報告だった。
次の瞬間に、屋根裏の機関銃手も公衆電話室甲乙の黄きが外いと套うも、それから又、同志帆立も、飛ひち鳥ょうの如く現場から逃げ去った。
恐ろしい暗あん殺さつ状じょ況うきょうだった。
10
落ち着かぬ心を、客席に強いて落ち着かせようと努力しているＱＸ30の笹枝弦吾だった。
どどどどどどッ。
がたーン。
という異様な物音を余よ所そながら聞いた。
︵ウッ、やったな︶
第五景﹁山賊邸展望台﹂の幕はスルスルと下おりた。
舞台裏には異いよ様うな混乱が起っているようだった。
観客は何事とも知らぬながら、少しずつざわめいてきた。
緞どん帳ちょうが大きく揺れて、座長の丸木花作が、鬘かつらだけ外はずした舞台姿のままで現れた。
﹁皆さん。お静かに願い上げます。唯ただ今いま女優が一人、急病で亡なくなりました。しかしもう事は済みましたから、御安心の上、お仕しま舞いまでごゆるりと御見物願います。では直ちに第六景、﹃奈良井遊廓﹄の幕をあげます﹂
うわーッと何も知らない観客は拍手した。
座長が引込むと、緞帳は別に何事もなかったかのように、スルスルと上へ昇っていった。そして賑にぎやかな囃はやしの音につれて、シャン、シャンと鳴る金かな棒ぼうの音、上かみ手てから花だ車しが押し出してきたかのように、花おい魁らん道どう中ちゅうが練ねり出だしてきた。
提ちょ灯うち持んもちが二人、金かな棒ぼう引ひきが二人、続いて可愛らしい禿かむろが……。
﹁呀あッ﹂
と大声で叫んだのは、客席のＱＸ30の弦げん吾ごだった。
見よ、確かに死んだ筈の義眼の副司令が、真紅な禿かむろの衣裳を着て、行列の中を歩いているのだ。これが驚かずにいられようか。
﹁シ、しまった！﹂
と気がついたときは、もう既に遅かった。隣席の五十坂を越したと思う男が、年と齢しの割には素晴らしい強ごう力りきで、弦吾の利きき腕うでをムズと押えた。
﹁話は判っている筈はずだ。さア静かに向うへ来給え﹂
その一語で、すべては終った。魚ぎょ眼がんレンズを透とおした写真を調べてみるまでもなく、大声をあげたりして、もう明めい瞭りょうな失敗をしたＱＸ30だった。もう再さい度ど、生きて此のレビュー館は出られなくなった。
万ばん事じ休きゅうす！
＊
義眼の副司令の女を、柳ちどりと思っていたのは笹枝弦吾の惜おしい誤ごか解いだった。柳ちどりは確かに機関銃で殺された踊り子だった。この柳ちどりは、第五景に出る段になって、急に烈しい頭痛に襲われたのだった。出場は迫せまるし、遂ついに已やむなく副司令が柳ちどりに代って出たわけだった。そこで彼女は柳ちどりと間違えられるようなことになった。次の第六景、﹁奈良井遊廓﹂の場で正しい持もち役やくで出演したわけだった。柳ちどりでなければもう海原真帆子に決っている。皆さんは其その名前が、﹁禿かむろ﹂という役割の下にあるのを既に御ごぞ存ん知じの筈はずである。
海かい原ばら真ま帆ほ子ここそ幸運なる副司令の芸名だった！
と印をつけた。第二回目の登場という意味であった。
弦吾には、もう幕まく間あいもなんにもなかった。唯ただ機の至るのが待ちあぐまれるばかりだった。﹁弥や次じ喜き多た﹂が始まって、第一景。一座を率ひきいる丸まる木きは花なさ作くと鴨かも川がわ布ぬの助すけとが散さん々ざん観客を笑わせて置いて、定じょ紋うもんうった幕の内へ入った。
いよいよ第二景。紅黄世子かどうか判ろうという機会が来たのだ。流さす石がに胸が迫った。道どう頓とん堀ぼり行進曲も賑にぎやかに、花道からズラリと六人﹇＃﹁六人﹂は底本では﹁八人﹂﹈の振ふり袖そで美しい舞まい妓こが現れた！
︵居ない、居ないぞ︶
ＱＸ30は軽い吐とい息きをした。
それからプログラムは進む。第四景には、残る柳ちどりと海原真帆子とが茶ちゃ店みせ娘むすめとなって確かに登場したと思われる。プログラムの上に、彼女の出演の印を打って置こう。ＱＸ30は、成功へもう一歩の手前へ立って、ホッとした。振返ってみればよくまァ此の複雑なプログラムから、彼女の名前を拾い出せるようになったものだ。
さて、いよいよ運命の決まる第五景だ。冷静に、冷静に！
山賊邸の展望台。怪しげなる囃はやしにつれて、一隊の唐から子こが踊りつつ舞台へ上ってきた。
﹁呀あッ﹂
と叫びたいのを懸命で怺こらえたＱＸ30だった。見よ！ 見よ！ あの女がいるではないか。敵の副司令が、唐から子こになって、白しら々じらしくも踊っているのだ。決った！
副司令の芸名は、柳ちどり
弦吾は素早く﹁柳やなぎちどり﹂と名前をプログラムから千ち切ぎりとって、隣りにピタリと寄り添っているＱＺ19﹇＃﹁ＱＺ19﹂は底本では﹁ＱＸ19﹂﹈同志帆ほた立てか介い次じの掌てのうちに、ねじこんだ。
帆立はフラリと席を立った。
一つ大きな欠あく伸びをすると、ディ・ヴァンピエル座の木戸口を出ていった。レビュー館の向うの角を曲まがると急に歩調を速めて、かねて諜しめし合せて置いたＲ区裏の二つ並んだ公衆電話函のところへ……。
9
公衆電話室には、既に黄色の外套を着た青年が二人、別々に入って居おった。サインを送られたのでＱＺ19﹇＃﹁ＱＺ19﹂は底本では﹁ＱＸ19﹂﹈は直ぐに﹁柳ちどり﹂の名前の入った紙片を手渡した。
﹁すみませんでしたね。まァこっちへ入り給え﹂黄色い外套を着た同志は云った。
其その時ときこの二つの公衆電話の甲乙とも相手のベルが喧やかましく鳴っていた。
甲の方の電話は、一町半ほど先の洋食屋の屋根裏へ繋つながっていた。
﹁オイ、どうだ﹂と向うから声がした。
﹁もう直ぐ出て来るから、うまく演やれよ﹂と、こっちから黄色い外套の同志が稍やや震ふるえ声で云った。興奮に慄ふるえているのだった。
﹁ウン、しっかり演ってみせるぞ。安心せい。相手を確めたら直ぐ報しらせろ！﹂
そういった屋根裏の青年の前には一台の機関銃が壁かべ穴あなを通して外を覗のぞいている。いつでも引金が引ける、この機関銃の銃口は、向いの高い建物の三階に、ポッカリ開いた窓に向けられている。もっと精確に云うと銃口は、向いの窓の内から見える壁かべ掛かけ電話機を覘ねらっているのだった。――その電話機は、受話器が紐ひものままダラリと下っていた。思うに、電話で呼出された人を探しに行っているものらしい。
五秒、十秒、十五秒。
向うの窓に、一人のレビュー・ガールが現れた。頭が痛いのか、左手で圧おさえている。
﹁はァ、モシモシ﹂
と、その美しいレビュー・ガールは電話口の前で唇を動かした。
﹁ああ、もしもし﹂レビュー・ガールの電話に答えたのは、意外にも区裏の公衆電話の乙の方を占領している黄外套の同志だった。
﹁もしもし。あんたは、柳ちどりさん？﹂
同志の声は悠々と落着いている。それもその筈、一方の旗頭ＵＸ3鯛たい地ちひ秀で夫おだったから。
﹁ええ、そうよ﹂と女が云った。
鯛地秀夫は、ツと手をあげて、隣の公衆電話甲の同志ＱＸ7左さま馬さぶ三ろ郎うへ合図をした。
︵よし、撃て――といえ︶
というサインだ。鯛地は豪ごう胆たんにも尚も柳ちどりを電話機に釘くぎ止どめにして置こうと努力した。
﹁柳ちどりさんに、いいものを進呈――﹂
撃て、――という命令は、屋根裏の同志の耳に達して、スワと機関銃の引金を引いた。
どどどどどどどど、どどどどどどどッ！
霰あられのような銃じゅ丸うがんが、真白な煙りをあげて、向いの窓へ――
柳ちどりは、声を立てる遑いとまもなく全身を蜂はちの巣すのように撃ち抜かれ、崩くずれるように電話機の下にパタリと倒れた。
﹁命中したぞォ﹂
それが同志への最後の報告だった。
次の瞬間に、屋根裏の機関銃手も公衆電話室甲乙の黄きが外いと套うも、それから又、同志帆立も、飛ひち鳥ょうの如く現場から逃げ去った。
恐ろしい暗あん殺さつ状じょ況うきょうだった。
10
落ち着かぬ心を、客席に強いて落ち着かせようと努力しているＱＸ30の笹枝弦吾だった。
どどどどどどッ。
がたーン。
という異様な物音を余よ所そながら聞いた。
︵ウッ、やったな︶
第五景﹁山賊邸展望台﹂の幕はスルスルと下おりた。
舞台裏には異いよ様うな混乱が起っているようだった。
観客は何事とも知らぬながら、少しずつざわめいてきた。
緞どん帳ちょうが大きく揺れて、座長の丸木花作が、鬘かつらだけ外はずした舞台姿のままで現れた。
﹁皆さん。お静かに願い上げます。唯ただ今いま女優が一人、急病で亡なくなりました。しかしもう事は済みましたから、御安心の上、お仕しま舞いまでごゆるりと御見物願います。では直ちに第六景、﹃奈良井遊廓﹄の幕をあげます﹂
うわーッと何も知らない観客は拍手した。
座長が引込むと、緞帳は別に何事もなかったかのように、スルスルと上へ昇っていった。そして賑にぎやかな囃はやしの音につれて、シャン、シャンと鳴る金かな棒ぼうの音、上かみ手てから花だ車しが押し出してきたかのように、花おい魁らん道どう中ちゅうが練ねり出だしてきた。
提ちょ灯うち持んもちが二人、金かな棒ぼう引ひきが二人、続いて可愛らしい禿かむろが……。
﹁呀あッ﹂
と大声で叫んだのは、客席のＱＸ30の弦げん吾ごだった。
見よ、確かに死んだ筈の義眼の副司令が、真紅な禿かむろの衣裳を着て、行列の中を歩いているのだ。これが驚かずにいられようか。
﹁シ、しまった！﹂
と気がついたときは、もう既に遅かった。隣席の五十坂を越したと思う男が、年と齢しの割には素晴らしい強ごう力りきで、弦吾の利きき腕うでをムズと押えた。
﹁話は判っている筈はずだ。さア静かに向うへ来給え﹂
その一語で、すべては終った。魚ぎょ眼がんレンズを透とおした写真を調べてみるまでもなく、大声をあげたりして、もう明めい瞭りょうな失敗をしたＱＸ30だった。もう再さい度ど、生きて此のレビュー館は出られなくなった。
万ばん事じ休きゅうす！
＊
義眼の副司令の女を、柳ちどりと思っていたのは笹枝弦吾の惜おしい誤ごか解いだった。柳ちどりは確かに機関銃で殺された踊り子だった。この柳ちどりは、第五景に出る段になって、急に烈しい頭痛に襲われたのだった。出場は迫せまるし、遂ついに已やむなく副司令が柳ちどりに代って出たわけだった。そこで彼女は柳ちどりと間違えられるようなことになった。次の第六景、﹁奈良井遊廓﹂の場で正しい持もち役やくで出演したわけだった。柳ちどりでなければもう海原真帆子に決っている。皆さんは其その名前が、﹁禿かむろ﹂という役割の下にあるのを既に御ごぞ存ん知じの筈はずである。
海かい原ばら真ま帆ほ子ここそ幸運なる副司令の芸名だった！