1
魔ま都と上シャ海ンハイに、夏が来た。
だが、金きん博はか士せは、汗もかかないで、しきりに大きな手てお押しし式きの起きで電ん機きを廻している。室内の寒暖計は、今ちょうど十三度を指している。ばかに涼すずしい室へやである。それも道どう理り、金博士のこの実験室は、上海の地下二百メートルのところにあり、あの小うるさい宇宙線も、完全に遮しゃ断だんされてあるのであった。
天井裏のブザーが、奇きせ声いをたてて鳴った。
﹁ほい、また来客か。こう邪魔をされては、研究も何も出来やせん﹂
博士は、例の無ぶし精ょう髭ひげを、兎うさぎの尻しっ尾ぽのようにうごかして、天井裏を睨にらみつけた。
﹁博士、御来客です。醤しょ買うか石いせ閣きか下っかの密みっ使しだそうです。はい、只今、X線で、身体をしらべてみましたが、何も兇きょ器うきは所持して居りません。どういたしますか﹂
姿は見えないが、声だけの秘書が、用事を取次いだ。
﹁何か土みや産げを持っている様子か﹂
﹁なんだか、大きな風呂敷包を、背負って居ります。どうやら羊か何からしく、X線をかけると、長い脊せき髄ずい骨こつが見えました﹂
﹁羊の肉は、あまり感心しないが、糧食難の折おり柄がらじゃ、贅ぜい沢たくもいえまい﹂
﹁では、通しますか﹂
﹁とにかく、こっちへ通してよろしい。土産物を見た上で、話を聞くか、追おっ払ぱらうか、どっちかに決めよう﹂
博士は、把ハン手ドルから手を放すと、手をあげて、禿はげ頭あたまをガリガリと掻かいた。
醤の密使油ゆう蹈とう天てん氏が、その部屋に現れたのは、それから五分ばかりたって後のことであった。
﹁おう。油蹈天か。お前が来るようじゃ、大した土産もないのであろう﹂
博士は、密使の顔を見て、率直に落らく胆たんの色を現した。
﹁いや、博士。本日は、わが醤主席の密命を帯びてまいりましたもので、きっと博士のお気に入る珍ちん味みをもってまいりました﹂
﹁羊の肉は、くさくて、嫌いじゃ。第一、羊の肉が、珍味といえるか﹂
﹁羊の肉ではございません。なら、用談より先に、これをごらんに入れましょう﹂
密使は、背中に負っていた大きな包を、機械台のうえに下おろした。博士は、鼻をくんくんいわせながら、傍そばへよってきた。
﹁燻くん製せいじゃな。いくら燻製にしても、羊特有の、あの動物園みたいな悪臭は消えるものか﹂
﹁まあ、黙って、これをごらん下さい﹂
密使油が、包を派手にひろげると、中から鼠ねず色みいろの大きな動物が現れた。顔を見ると、やはり鼠に似ていた。
﹁ほう、これは大きな鼠じゃな﹂
﹁金博士。鼠ではございません。これはカンガルーの燻製でございます﹂
﹁カンガルーの燻製?﹂
博士は、目を丸くして、両手を意味なく、ぱしんぱしんと叩いた。
﹁さようです。カンガルーです。これは只今醤主席の隠れ……あ、むにゃむにゃ、ソノ、特別特製でございます﹂
﹁特製はわかったが、むにゃむにゃというところがよく聞えなかったし、一体これは、どこの産じゃ﹂
﹁はあ、それは御想像に委まかせるといたしまして、とにかく醤主席は、かような珍味を博士に伝達して、その代り、博士におねだりをして来いということでありました﹂
﹁なんじゃ、わしにねだるというと、また新発明の兵器を譲れというのじゃろう。昔の因いん縁ねんを考えると、わしとて、譲らんでもないが、しかしあのように敗けてばかりいるのでは張はり合あいがない。――で、当とう時じ、醤の奴は、どこにいるのか。重じゅ慶うけいか、成せい都とか、それとも昆こん明めいか﹂
博士の質問は、密使油にとって、甚はなはだ痛かった。当時、醤主席およびその麾き下か百万余名は、その重慶にも成都にも、はたまた昆明にも居なかったのである。
﹁は、それはわが政権の機密に属する事じこ項うでございますから、私から申上げかねます。しかし、主席はぜひ博士の御好意によって、最近御発明になったあの……﹂
といいながら、密使は一応四方八方へ気を配った上で、
﹁……あのう、それ、人じん造ぞう人にん間げん戦せん車しゃの設計図をお譲ゆずり願ってこいと申されました。どうぞ、ぜひに……﹂
﹁あれッ。ちょっと待て。わしが極秘にしている人造人間戦車の発明を、どうして、どこで知ったか﹂
﹁それはもう、地じご獄くみ耳みでございます。それを下されば、このカンガルーの燻製を置いてまいります。下さらなければ、折せっ角かくですが、カンガルーの燻製は、再び私が背負いまして……﹂
﹁わかったよ、もうわかった。あの醤め、わしが、珍味に目がないことを知っていて、大きなものをせびりよる。よろしい。では、その設計図をやろう。これが、そうだ。組立のときには、わしに知らせれば、行って指導してやってもいい。しかしそのときは、うんと代だい償しょ物うぶつを用意して置けよ﹂
そういって、金博士は、大きな青写真にとった設計図を、惜おし気げもなく密使に渡してしまったのであった。
2
有うち頂ょう天てんになって、“人造人間戦車”の設計図を押し戴いただいて、三拝九拝しているのは、珍らしや醤しょ買うか石いせきであった。
醤は、サロン一つの赤あか裸はだかであった。頸くびのところに、からからんと鳴るものがあった。それはこの土地に今大流行の、獣けだものの牙きばを集め、穴を明けて、純じゅ綿んめんの紐ひもを通した頸くび飾かざりであった。醤は、このからからんという音を聞くたびに、寒かん山ざん寺じのさわやかなる秋の夕暮を想い出すそうである。――なにしろ、ここは、人じん跡せきまれなる濠ごう洲しゅうの砂漠の真まっ只ただ中なかである。詰つめ襟えりの服なんか、とても苦しくて、着ていられなかった。
この砂漠に、醤麾き下かの最後の百万名の手てぜ勢いが、炎えん天てん下かに色あげをされつつ、粛しゅ々くしゅくとして陣を張っているのであった。
これは余よだ談んに亘わたるが、彼れ醤は、日本軍のため、重じゅ慶うけいを追われ、成せい都とにいられなくなり、昆こん明めいではクーデターが起り、遂に数すう奇きを極きわめた一生をそこで終るかと思われたが、最後の手段として、某ぼう所しょに於て、英国政権に泣きつき、その結果、或る交換条件により、醤およびその麾下は、海を渡り、赤道を越え、遥かにこの南半球の濠洲のサンデー砂漠地帯の一区くか劃くに移いち駐ゅうすることを許された次しだ第いであった。
ここでは、熱ねっ砂さは舞い、火ひ喰くい鳥は走り、カンガルーは飛び、先住民族たる原地人は、幅の広い鼻の下に白い骨を横に突き刺して附近に出しゅ没つぼつし、そのたびに、青せい竜りゅ刀うとうがなくなったり、取っておきの老ラオ酒チューの甕かめが姿を消したり、泣なき面つらに蜂はちの苦難つづきであったが、しかもなお彼は抗こう日にち精せい神しんに燃え、この広大なる濠洲の土の下に埋まい没ぼつしている鉱物資源を掘り出し、重工業を旺さかんにし、大機械化兵団を再建してもう一度、中国大陸へ引返し、日本軍と戦いを交まじえたい決意だった。それからこっちへ十年、遂にこの砂漠の一劃に、十年計画の重工業地帯が完成したのを機に、密みっ使し油ゆう蹈とう天てんをはるばる上シャ海ンハイに遣つかわして、金博士の最新発明になる“人造人間戦車”の設計図を胡ご魔ま化かしに行かせたのであった。
今や工学士油蹈天は、大たい任にんを果はたして、めでたくこの砂漠へ帰ってきたのであった。醤の喜びは、察するに余りある次第であった。
﹁おい、油学士。見れば見るほどすばらしい製図ではないか﹂
醤は、どう褒ほめてよいか分らないから、製図の見事なところを褒めることにした。
﹁はい。それだけに、私の苦心の要いったことと申したら、主席によろしくお察し願いたい﹂
﹁それはよろしく察して居る。褒ほう美びには、何をとらせようか。カンガルーの燻製はどうだ﹂
﹁いや、カンガルーは動物園のような臭においがしていけません。――いや、それはともかく、想像していた以上に、これは実に立派にひかれた製図でございますが、更にその内容に至っては、正に世界無比の強力兵器だと申してよろしいと存じます﹂
﹁それで、わしには鳥ちょ渡っと分らんところもあるから、お前、この図について、報告せよ。一体、“人造人間戦車”とは、どんなものか﹂
とにかく御おん大たい将しょうともあれば、威いげ厳んをそこなわないことには、秘術を心得て居る。
﹁はは。そもそも金博士の発明になる人造人間戦車とは……﹂
油学士は、前後左右、それに頭の上を見渡し、砂漠の真中の一本のユーカリ樹じゅの下には、主席と彼との二人の外、誰もいないことを確かめた上で、
﹁……人造人間戦車とは、ソノ……﹂
﹁早くいえ。気をもたせるな。褒美は、なんでも望みをかなえさせるぞ﹂
﹁はい、ありがとうございます。さて、その人造人間戦車とは、実に、人造人間にして、且つ又、戦車であるのであります﹂
﹁余よには、さっぱり意味が分らん﹂
﹁つまり、ソノ金博士の申しまするには、ここに百人から成る人造人間の一隊がある﹂
﹁ふん。人造人間隊がねえ﹂
﹁この人造人間隊が、隊伍を組んで、粛々前進してまいります。お分りでしょうな﹂
﹁人造人間隊の進軍だね﹂
﹁はい。このままで放って置けば何日何時間たっても、遂に人造人間隊でございますが、必要に応じて、司令部より、極ごく秘ひの強力電波をさっと放射いたしますと、これがたちまち戦車となります﹂
﹁そこが、どうも難解だ。極秘の強力電波を放射すると、なぜ人造人間隊が戦車となるのか。お前の話を黙って聞いていると、まるで狐こ狸りの類たぐいが一変して嬋せん娟けんたる美女に化ばけるのと同じように聞える。まさかお前は、金博士から妖よう術じゅつを教わってきたのではあるまい﹂
醤主席の言葉は、油学士の自尊心を十二分に傷つけた。
﹁どうもそれはけしからん仰おおせです。かりそめにも、科学と技術とをもってお仕つかえする油学士であります。そんな妖術などを、誰が……﹂
﹁ぷんぷん怒るのは後にして、説明をしたがいいじゃないか。お前は、すぐ腹を立てるから、立りっ身しん出しゅ世っせが遅いのじゃ﹂
主席に、一本きめつけられ、油学士は、はっと吾れにかえったようである。
﹁はっ、これは恐きょ縮うしゅく。で、その秘術は、かようでございます。只今申した極秘の電波を人造人間隊にかけますと、その人造人間隊は、たちまちソノー、主席はフットボールを御覧になったことがございますか﹂
﹁余計なごま化かしはゆるさん﹂
﹁ごま化しではございません。フットボール競技に於て、さっとプレーヤーが、さっとスクラムを組みますが、つまりあれと同じように、人造人間が、たちまちスクラムを組むのでございます。そしてたちまち人造人間のスクラムによって、一台の戦車が組立てられまして、こいつが、轟ごう々ごうと人造人間製のキャタピラを響ひびかせて前進を始めます。いかがでございますか。これでもお気に召しませんか﹂
3
醤主席は、今や極ごく上じょ々うじょうの大だい機きげ嫌んであった。
彼は、毎朝早く起きて、砂漠の下の防ぼう空くう壕ごうを匐はいだすと、そこに出迎えている常じょ用うよ戦うせ車んしゃの中に乗り込み、文字どおり砂さじ塵んを蹴たてて西進し、重工業地帯へ出動するのであった。
そこでは、これまた、得意の絶ぜっ頂ちょうにある油ゆう蹈とう天てん学がく士しが待っていた。彼は、この重工業地帯長官ということになっていて、かの金博士の発明になる人造人間戦車の部分品の製造監督に、すこぶる多たぼ忙うを極きわめていた。
﹁どうじゃな、油学士。どうも生産スピードが鈍にぶいようじゃないか﹂
醤主席が到着すると、すぐいい出す言葉はこれであった。工場の中を見ないうちに、このおきまり文もん句くをぶっぱなすところが、主席の得意な嚇おどかしの手だった。
﹁え、とんでもない。仕事は、たいへんに進しん捗ちょくして居ります。ちと、こっちを巡じゅ覧んらんしていただきましょう﹂
油学士は、猿さるが飴玉を口に入れたように頬をふくらませ、主席を案内していくところは、毎朝多少ちがっていたが、結局、主席が最後ににこにこ顔で腰を据すえるところは、外ならぬ人造人間戦車の主要部分品であるところの人造人間が、山と積まれている倉庫の前であった。
︵やあ、いつ見ても、ええものじゃのう︶
主席は、心の中で、すこぶる満足の意を表ひょうするのであった。
そこには、出来たばかりの人造人間が、ぴーんと硬こう直ちょくしたまま、ビールの空あき壜びんを積んだように並べられてあった。実に、世にもめずらしい光景であった。
﹁おい。油学士。この人造人間は、もううごくようになっているか﹂
﹁いや、まだでございます﹂
﹁なんじゃ。うごかないものを、どんどんこしらえて、どうするつもりか﹂
﹁すべて合理的な能率的なマッス・プロダクションをやって居りますです。人造人間をこしらえるときには、人造人間だけをつくるのがよいのであります。主席、どうか製作に関しては、いつも申上げるとおり、すべて私にお委まかせ願いたいものです﹂
﹁それは、委せもしようが、しかしこんなに一時に作っても、これが万一やりそこないであって、さっぱりうごかなかったら、そのときは一体どうするのか。百万台をまた始めからやりかえるのは困るぞ。それよりも、一台の人造人間戦車に必要な各部分を一組作りあげ、それで試験をしてみて、うまく動いてくれるようになれば、次にまた第二の戦車を一組作るといったように、手がたくやってもらいたいものじゃ﹂
醤主席は、かくも見事な重工業地帯を完成しても、その昔、英えい米べいから売りつけられた碌ろくに役にもたたない兵器に懲こりた経験を思い出し、また重じゅ慶うけいで、しばしば嘗なめた不ふわ渡たり手てが形たて的きえ援んし醤ょう宣せん言げんの苦にが苦にがしさを想い出し、すべて手てが硬たい一方で押そうとするのであった。
しかし油学士は、反対であった。
﹁御心配は、御無用にねがいたい。天下に有名なるかの金博士の発明品に、作ってみて動かなかったり、組合わせてみて働かなかったり、そんなインチキなことがあろうはずはありません。現に、私が博士のところを辞しますときに、博士からこの人造人間戦車の模型を見せていただきましたが、実にうまく動きました。大したものでした﹂
﹁お前は、動かしてみたかね﹂
﹁はい。もちろん、上シャ海ンハイでは、やってみました。戦車を動かしますのは、渦うず巻まき気きり流ゅう式しきエンジンというもので、じつにすばらしいエンジンですな﹂
﹁渦巻気流式エンジンというと、どんなものじゃ﹂
﹁これは金博士の発明の中でも、第一級の発明だと思いますが、つまり、気流というものは、決して真まっ直すぐに進行しませんで、廻転するものですが、その廻転性を利用して、一種の摩まさ擦つ電気を作るんですなあ。その電気でもって、こんどは宇宙線を歪ゆがまして……﹂
﹁ああ、もういい。渦巻気流を応用するものじゃと、かんたんにいえばよろしい﹂
頭が痛くなることは、頭の大きい醤主席にとっては、苦にが手であった。
渦巻気流式エンジンは、もうすっかり出来上って、倉庫に一万台分が収おさめてあるときかされ、主席はやっと機嫌を直したのであった。
彼等は、夢中で話をしていたので、ついに気がつかなかったけれど、このとき、この二人の後にある塀へいの上から、色の黒いオーストラリア原地人の首が五つ、こっちを覗のぞいていたのに気がつかなかった。もちろん、その首の下には完全な胴や手足がついていたわけで、彼らは、きょときょとと山さん積せきされた人造人間に、怪けげ訝んな目を光らせていた。
4
﹁おい、たいへん、たいへん﹂
五人の原地人斥せっ候こうは、酒をのんでいる酋しゅ長うちょうのところへ、とびこんできた。
﹁なんじゃ、騒そう々ぞうしい﹂
﹁たいへんもたいへん。あの醤しょうなんとかいう東洋人の邸やしきの中には、死しが骸いが山のように積んであります。あの東洋人は、弱そうな顔をしていたが、あれはおそろしい喰しょ人くじ種んしゅにちがいありません。たいへんなものが、移民してきたものです﹂
﹁えっ、それは本当か。死骸が山のように積んであるって、どの位の数すうか﹂
酋長は、盃さかずきを手から取り落として、胸をおさえた。
﹁その数は、なかなか夥おびただしい。ええと、どの位だったかな﹂
﹁そうさ、あれは、たいへんな数だ。九つと、九つともう一つ九つと、九つとまだまだ九つと九つと九つと……﹂
斥候は、汗を額からたらたらと流しながら、妙な方法で数を数えた。
それを聞いている酋長の方でも、だんだん汗をかいてきた。
﹁もう、そのへんでよろしい。お前のいうところによるとこれはたいへんな数である。わしが生れてこの方かた、この眼で見た鳥の数よりもまだ多いらしい。よろしい、これは、ぐずぐずしていられない。者もの共ども、戦争の用意をせよ﹂
﹁えっ、戦争の用意を……﹂
﹁そうだ、かの醤軍と闘うんだ。わが村の忠ちゅ良うりょうにして健康なるお前たちやわしが死骸にさせられない前に、あの醤軍の奴ばらを、あべこべに死骸にしてしまうのだ。どうも前から、いやな奴だと思っていたよ。彼きゃ奴つは、おれたちのところから、カンガルーを何頭、盗んでいったかわからない。その代金も、ここで一しょに払はらわせることにしよう。それ、太たい鼓こを打て、狼のろ烟しをあげろ﹂
﹁へーい﹂
とんだことから始まって、たちまち戦雲はふかくサンデー砂漠の空にたれこめた。
村の騒ぎは、醤軍の方へも知れないでいなかった。
醤主席は、重工業地帯からちょっと放れたところにある望ぼう楼ろうへのぼって、村の様子を見渡した。
太鼓は、いやに無気味な音をたてて鳴り響いている。九本の狼烟は、まるで竜巻のコンクールのように、大空を下から突きあげている。その合図をうけとった原地人が、砂漠の東から西から南から北から、蟻ありのように集り寄ってくるのが見られる。なんという夥しい数であろうか。千や二千ではない。すくなくとも万をもって数える夥しい原地人の数であった。
醤は、これを見て、ちょっと顔色をかえたが、すぐ思い直したように、瘠やせた肩をそびやかせて、強しいて笑顔をつくった。
﹁ははは、たとい、あの何万の原地人が攻めて来ても、われには人造人間戦車隊があるんだ。鋼こう鉄てつ製せいの人造人間に命令電波をさっと送れば、たちまち鋼鉄の戦車となって、貴様たちを、苺いちごクリームのように潰つぶし去るであろう。わが機械化兵団の偉いり力ょくを、今に思いしらせてやるぞ﹂
と、そこまでは、威いせ勢いのいい声を出して、見み得えを切ったが、その後で、急に情なさけない声になって、
﹁……しかし、大丈夫かなあ。油学士の奴、おちついていやがって、部分品を作って数を揃えたはいいが、未だに試験をしていないのだ。電波のスイッチを入れたとたんに、うまくスクラムとやらを組んで戦車になってくれればいいが、万一人造人間の愚ぐど鈍んな進軍だけが続くようでは、原地人軍は、その間に人造人間の頭の上をとび越えて、わが陣営へ攻めこんでくるであろう。ふーむ、こんなにわしに心しん痛つうをさせるあの油学士の奴は、憎んでもあまりある奴じゃ﹂
すると、うしろで、えへんと咳せき払ばらいがした。主席は、はっとして、うしろをふりかえってみると、何い時つの間に現れたのか、そこには当の油学士が、いやに反そり身になって突立っていたではないか。
﹁ああ醤主席、あなたが心痛されるのは、それは一つには私を御信用にならないため、二つには金博士を御信用にならないためでありますぞ。金博士の設計になるものが、未だ曾かつて、動かなかったという不ふて体いさ裁いな話を聞いたことがない。主席、あなたのその態度が改められない以上、あなたは、金博士を侮ぶじ辱ょくし、そして科学を侮辱し、技術を侮辱し、そして……﹂
﹁やめろ。お前は、まるで副主席にでもなったような傲ごう慢まんな口のきき方をする。見苦しいぞ。わしはお前には黙っていたが、こんどの人造人間戦車が、満足すべき実じっ績せきを示した暁には、お前を取立てて、副主席にしてやろうかと考えているんだ。しかし実績を見ないうちは、お前は一要よう人じんにすぎん。――どうだ。本当に大丈夫か。仕した度くは間に合うか﹂
油学士は、かねて狙ねらっていた副主席の話を、思いがけなく醤の口からきかされたので、彼は処しょ女じょの如く、ぽっと頬を染め、
﹁大丈夫でございますとも、丁ちょ度うど只今、一切の準備が整ととのいました。仍よって、夕陽を浴びて、輝かしき人造人間戦車隊の進撃を御命令ねがおうと思って、実は只今ここへ参りましたようなわけで……﹂
と、油学士は、急に慎つつしみの色を現して、醤主席を拝はいしたのであった。
5
戦せん機きは熟じゅくした。
全身に、妙な白い入いれ墨ずみをした原地人兵が、手に手に、盾たてをひきよせ、槍やりを高くあげ、十と重え二は十た重えの包ほう囲いじ陣んをつくって、海岸に押しよせる狂きょ瀾うら怒んど濤とうのように、醤の陣営目め懸がけて攻めよせた。
これに対して、醤の陣営は、闃げきとして、鎮しずまりかえっていた。
ただ、かの醤の陣営の目印のような高き望ぼう楼ろうには、翩へん飜ぽんと大おお旆はたが飜ひるがえっていた。
その旆はたの下に、見晴らしのいい桟さじ敷きがあって、醤主席は、幕ばく僚りょうを後にしたがえ、口をへの字に結んでいた。
この望楼の前には、百万を数える人造人間が、林のように立って居り、その望楼の後には、これは赤い血の通った醤軍百万の兵士たちが、まるでワールド・シリーズの野球観覧をするときの見物人のような有あり様さまで、詰めかけていた。
雲うん霞かのような原地人軍は、ついに前方五千メートルの向うの丘のうえに姿を現した。
﹁おい、油学士。もう人造人間をくりだしてもいいじゃろう﹂
﹁はい。只今、命令を出します﹂
命令は出た。
人造人間部隊は、たちまち一せいに手足をうごかして、前進を開始した。冷い灰かい白はく色しょくの身体が、夕陽をうけて、きらきらと、眩まぶしく輝く。
この人造人間は、精巧なる内燃機関で動くのであって、別に不思議はない。
人造人間部隊が粛しゅ々くしゅくと行軍を開始して向ってきたので、原地人軍は、さすがにちょっと動どう揺ようを見せた。が、先せん登とうに立つ勇ゆう猛もう果かか敢んな酋長は、槍を一段と高くふりまわして、部下を励ました。
人造人間部隊は、粛々と隊伍を組んで進む。どこか算そろ盤ばん玉だまが並んだ如くであった。
﹁おい、油学士。もう始めてよかろう。わしは早く見たいぞ。見て、まず安心をしたいのじゃ﹂
﹁はい。では、スイッチを入れましょう。まず第一のスイッチでは人造人間がばらばらと寄り、見事なスクラムを組んで戦車と化します﹂
﹁早くやれ!﹂
﹁では、――﹂
スイッチが入った。人造人間部隊は、その瞬間にさっとどよめいた。
がちゃがちゃがちゃん――と、まるで長い貨車の後から、機関車がぶつかったときのような音がした。と、なんという奇きか観ん、人造人間は、吾われ勝がちに、身体を曲げて車輪になるのがあるかと思うと、四五人横に寝て、鋼こう鈑ばんとなるものもある。それがたちまちのうちに折り重かさなって、びっくりするような立派な戦車に組くみ上あがってしまった。
ああ、一万台の人造人間戦車隊の出しゅ現つげん!
﹁うーむ﹂
醤主席も、これにはよほど愕おどろいたと見える。
﹁では、この辺で、いよいよ第二のスイッチを入れ、かの人造人間戦車に、全速力進撃を命じ、蹂じゅ躙うりんさせます。よろしゅうございますか﹂
醤主席は、まだ咽の喉どから声が出てこないので、黙って頷うなずいた。
﹁では、只今、第二のスイッチを入れます。はーい﹂
懸かけ声と共に、第二のスイッチは入った。
すると、一万台の人造人間戦車は、とたんに、ぶるんと一揺れ揺れた。と、たちまちものすごい勢いで、がらがらがらと疾しっ走そうを始めた。但ただし原地人軍の方へ向って前進しないで、何を勘かんちがいしたか、あべこべに、醤軍の方へ向けて、全速力で後退を始めたではないか。
呀あっ!
それは、ほんの一瞬間の出来事――いや、悪夢であったように思われる。一万台の人造人間戦車は、電撃の如く、呀っという間に、醤主席をはじめ全軍一兵のこらずを平等にその鋼鉄の車体の下に蹂躙し去り、それから尚なおも快速をつづけて、やがて、そこから三百キロ向うの海の中へ、さっとしぶきをあげて嵌はまりこんでしまった。
あまりに意外な勝しょ戦うせんに、原地人軍の酋長は、それ以来、自分が神様の生れかわりであると信ずるようになったそうである。
一体、なにがこう間違ったのであるか。
これについて、後ごじ日つ、わが金博士はこのことを伝え聞き、そしてしずかにいったことである。
﹁あいつは、大馬鹿者じゃよ。渦巻気流というものは、北半球と南半球とでは、あべこべに巻くのだ。あの設計図にあるのは、北半球用のエンジンだ。南半球で使うときには、線コイ輪ルをあべこべに巻かなければ、前進すべきものが後退するのじゃ。油ゆう蹈とう天てんのやつに、組立のときは知らせよと、よくいって置いたのに、彼きゃ奴つめ、自分だけの手柄にしようと思って、知らせて来なかったから、あんな間違いをひきおこしたのじゃ。惜しいものじゃ。たった一言、これは南半球で実験をするのですと教えてくれればよかったものを。……まあ、それが、積せき悪あくの醤や油の天命じゃろうよ﹂