新学期行進曲

海野十三




   第一景 勉強組合


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始業しぎょうのサイレンの音――更に遠くに聞える。
ドアをドーンとついて、また新たに教室へとびこんで来る生徒の靴音、鞄を投げつける音、それに交って「あれ、おれの席はどこだ」「おい吉田吉田こっちだこっちだ」「やあ変だなあ、こんなところに僕の机が……」などと急口調きゅうくちょうの話声。
生徒蝦原えびはら あっ先生だ……。
△扉がガチャリとしまる音
先生 えっへん
一同、たちまちしーんと静粛せいしゅくになる(
 簿()()()
△生徒大勢がガヤガヤと不安の気配けはい
 ()()()()()宿
生徒一同。しーんとしている(間)
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廊下にあわただしき靴音、ドアひらく音。
 
先生 (おどろき)ええっ、な、な、なにごとか起ったというのか。
給仕 先生のお宅で赤ちゃんが生れそうですって。
生徒一同、うわーっと喚声かんせいをあげ机を叩き床を踏みならす。
 
生徒一同うわーっ。
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先生の靴音去る、扉の音。
級長 まことに由々しき一大事か。
こんどは誰も笑うものがない(間)。
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生徒、賛否さんぴ両論ガヤガヤ。
級長 どうだ皆、こうしようじゃないか。この由々しき一大事を突破するために、わがクラスは勉強組合というのを作ろうじゃないか。
生徒ガヤガヤ。
生徒 勉強組合ってなんだ。
級長 勉強組合というのはね、放課後、皆で学校に残るんだ。
生徒 残って、何をするんだ。
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生徒 放課後は運動したいね。体力をつけることも、第二国民には大事なことなんだぜ。
生徒大勢「そうだそうだ」
級長 じゃ夕飯ゆうはん[#「夕飯ゆうはん」は底本では「夕食ゆうはん」]がすんでから、誰かの家へ集ってやることにしよう。僕の家の会社に広い会議室があるから、お父さんにいってあそこを貸してもらおうや。
生徒 うまくゆくかなあ。
級長 きっとうまくゆくよ。
生徒 でも蝦原えびはらのような出来ないやつは、いくら教えたって出来やしないよ。
 
場面一転する感じの出る音楽。
生徒ガヤガヤ。
遠く自動車の警笛けいてき、口笛を吹いている行人こうじん、など街の騒音そうおん
級長 外が騒々しいね。暑いけれど、窓を閉めよう。
窓を閉る音。
 531212
 531212()
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蝦原 (くすんと鼻をすすり)なんべんやっても出来ねえ。
生徒 ちぇっ、ちょっと見せてごらんよ。あれ、まだ二番じゃないか。
蝦原 ああ、そうだよ。僕なんか、まだキャラメルを一個しか喰べていないんだ。
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蝦原 なにが駄目だい。
級長の足音。
級長 ああっ、君たち喧嘩なんかしちゃいけないよ。
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蝦原 えーとAの二乗、マイナス、Bの二乗はえーとえーとえーえー。
級長 早く思いだし給え、おい蝦原、キャラメルを喰べたかないかい、ほらこんなにいい色をしているよ。
蝦原 喰べたいよ。それを喰べると、公式を思いだすかも知れない。
 
 ()
級長 蝦原えらい! それでいいんだ。こんどはもう忘れちゃ駄目だよ、ほらキャラメルとチョコレートをやるよ。
蝦原 どうもありがとう(と早速さっそくホオばり、口をもごもごさせながら)ああうまい、ホオペタがおっこちそうだ。
 
 32
級長 いやんなっちゃうね。それで出来たんだよ、それが答なんだよ。
 
級長 あははは、蝦原の奴代数が面白いっていったぞ。あははは。
生徒 代数よりキャラメルの方がうまいだろう。
級長 えっへん、これは誠に由々しき一大事じゃ、勉強組合ばんざいだ。
生徒大勢、あはははとほがらかに笑う。
街の遠くから、出征兵士しゅっせいへいしを送る「天にかわりて」の合唱近づき来る。

……―幕―……



   第二景 夢の中の模擬試験もぎしけん


音楽。夢の曲(トロイメライの如く)
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女教師 もしもし青木さんここへいらっしゃい。
 
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青木 先生もう一度いって下さい。
 
 
女受験生房子 はい先生、できました。
青木 あれっ、もう出来た子がいるよ。
女教 はい房子ふさこさん、出来たんですね。どういう式を立てたか、そこで読みあげてごらんなさい。
 
女教 Aとおくのですか、それから……。
 
女教 それまではよろしい、それから……。
 
女教 それで答は?
房子 Xイコール、AプラスBプラスCですからこれをいてXは七個となります。
女教 御名算ごめいさんです。はじめ籠の中にあった卵は七個でした。
△音響、パチパチと大勢の拍手
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△音響、大勢がやがや。
 
青木 はあ、幽霊を幾何で証明しろなんて、そんな変てこな問題は解けません。
老教 なんでもいいから立てというんだ。立てば、わしがここからそっと電波を出してお前に教えてやる。
 
 
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老教 よしよし、それから。
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老教 はて、どの様に見えるかなあ。平面の世界では、卵に高さがあることは理解できないのじゃから。
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老教 うむ、なるほど。
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老教 ごたごたした云いかたじゃが、まあそのへんだろうね。それからどうなる。
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つまり、超立体世界のものが我々の立体世界にまじわると、それが幽霊に見えるのです。

△幽霊の消える擬音ぎおん怪奇かいき音楽よろしくあって……。



   第三景 受験生の親達


△遠くでラジオが聞えだす。(浪花節なにわぶし義太夫ぎだゆうか)
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△この辺で大きないびきの音が聞えだす。
母親 えー次は斧足類ふそくるいはまぐりしじみに……。
いびきが一段と高くなる。
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△音響、畳をけってたち、隣室りんしつふすまをあける。
 
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 ()
道夫 だって睡いんですよ。脳髄がまるでよそから借りてきたみたいで、ちっとも働かないんです。
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道夫 (いよいよ睡そうに)えーえ、あーあー、
蒲団ふとんを出す音。母親は襖をしめて、もとの茶の間にかえってどさりと座る。
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△音響、格子ががらがらとあく。(父親の帰宅)
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母親 お帰りなさいまし。あなた、御飯はもうお済みになりましたの。
父親 どういたしまして。これから洋服をぬいで、そこの長火鉢ながひばちの前で御馳走になるてえ順序でござんす。
母親 まあ……。
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母親 さあ、どうぞ。
父親 よお、どっこいしょ、と……ああ道夫はどうした。
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母親 さあ、どうぞ。
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△音響、茶碗をぼんにのせる音。つづいて飯櫃をひらく音。
父親 おや、赤貝に青柳が出ていないぜ、おい、どうしたんだ。
母親 はい。大山盛です。
△父親、飯をほおばる。
父親 赤貝に、青柳に……。
母親 あーら、いやですわ。あれはあたしが動物学の暗誦あんしょうをしていたんですわ。
父親 (飯を頬張りながら)動物学だって。
 
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母親 あなたア! あ、あ、あなたア!
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父親 冗談いうな。俺はどんなにか心配を――。
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それなのに――。
父親 おい御飯だ、お代りだ。
茶碗と飯櫃おひつの音。
母親 あなたはあまりに冷淡れいたんです。
父親 ばかをいうな、お前が熱心であることは認めるが、そんなやり方は感心できない。
母親 とんだことを仰言おっしゃいます。
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 ()
母親 颱風の中心ですって、そんなこと試験問題集に出ていませんわ。
 西西()()()
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父親 知らん。
 西()()()
父親 知らんよ。
母親 えへん、西歴二〇八年。ではネルチンスクの条約は。
父親 一々おぼえとらん、そんなものは年代表ねんだいひょうをめくればすぐ分る。
母親 でも御存知ないのでは、入学試験に合格しませんわ。
父親 ばか、そんな無駄な暗記は意味がないよ。辮髪令の年号なんか何の役に立つんだ。
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隣室の襖ががらりと開く(道夫起き出る)
 
母親 これ道夫。
父親 なあに、かけさせておやりよ。お父さんはお前を慰安いあんしてやろうと思って、そこにレコードを買ってきたよ。
母親 まあ、あなた。一体どんなレコードを買っていらしったの。
道夫の勉強の邪魔を……。
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道夫 はい「算術の歌」の方ですね。

△レコード「算術の歌」にぎやかにまわる。






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   19391455
 
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西


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