みなかみ紀行

若山牧水








 

 
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大正十三年五月廿日
富士山麓沼津市にて
若山牧水







 ()()()宿
 
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 ()()宿
 便()()()()()湿
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 姿
 沿()

 

 
 
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沿
 

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 宿宿
 
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 宿辿

十月十八日。

 宿便宿
 宿宿
 
 
 
 宿宿
 調
 
 ()便宿宿綿宿
 

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十月十九日。

 降れば馬を雇って沢渡さわたり温泉まで行こうと決めていた。起きて見れば案外な上天気である。大喜びで草鞋を穿く。
 六里ヶ原と呼ばれている浅間火山の大きな裾野に相対して、白根火山の裾野が南面して起って居る。これは六里ヶ原ほど広くないだけに傾斜はそれより急である。その嶮しく起って来た高原の中腹の一寸した窪みに草津温泉はあるのである。で、宿から出ると直ぐ坂道にかかり、五六町もとろとろと登った所が白根火山の裾野の引く傾斜の一点に当るのである。其処の眺めは誠に大きい。
 正面に浅間山が方六里にわたるという裾野を前にその全体を露わして聳えている。聳ゆるというよりいかにもおっとりと双方に大きな尾を引いて静かに鎮座しているのである。朝あがりのさやかな空を背景に、その頂上からは純白な煙が微かに立ってやがて湯気の様に消えている。空といい煙といい、山といい野原といいすべてが濡れた様に静かで鮮かであった。湿ったつちをぴたぴたと踏みながら我等二人は、いま漸く旅の第一歩を踏み出す心躍りを感じたのである。地図を見ると丁度その地点が一二〇八米突メートルの高さだと記してあった。
 とりどりに紅葉した雑木林の山を一里半ほども降って来ると急に嶮しい坂に出会った。見下す坂下には大きな谷が流れ、その対岸に同じ様に切り立った崖の中ほどには家の数十戸か二十戸か一握りにしたほどの村が見えていた。九十九折つづらおりになったその急坂を小走りに走り降ると、坂の根にも同じ様な村があり、普通の百姓家と違わない小学校なども建っていた。対岸の村は生須村、学校のある方は小雨村と云うのであった。
九十九折けはしき坂を降り来れば橋ありてかゝるかひの深みに
おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨の里といふにぞありける
蚕飼こがひせし家にかあらむを壁を抜きて学校となしつ物教へをり
学校にもの読める声のなつかしさ身にしみとほる山里過ぎて
 調()
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 ()姿()
枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなんと申さむ
露霜のとくるがごとく天つ日の光をふくみにほふもみぢ葉
渓川の真白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を
もみぢ葉のいま照り匂ふ秋山の澄みぬるすがた寂しとぞ見し
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 姿()()()
落葉松の苗を植うると神代振り古りぬる楢をみな枯らしたり
楢の木ぞ何にもならぬ醜の木と古りぬる木々をみな枯らしたり
木々の根の皮剥ぎとりて木々をみな枯木とはしつ枯野とはしつ
伸びかねし枯野が原の落葉松は枯芒よりいぶせくぞ見ゆ
下草のすゝきほゝけて光りたる枯木が原の啄木鳥の声
枯るゝ木にわく虫けらをついばむと啄木鳥は啼く此処の林に
立枯の木々しらじらと立つところたまたまにして啄木鳥の飛ぶ
啄木鳥の声のさびしさ飛び立つとはしなく啼ける声のさびしさ
紅ゐの胸毛を見せてうちつけに啼く啄木鳥の声のさびしさ
白木なす枯木が原のうへにまふ鷹ひとつ居りて啄木鳥は啼く
ましぐらにまひくだり来てものを追ふ鷹あらはなり枯木が原に
耳につく啄木鳥の声あはれなり啼けるをとほくさかり来りて
 
 
 ()()

 ()

 調
 
夕日さす枯野が原のひとつ路わが急ぐ路に散れる栗の実
音さやぐ落葉が下に散りてをるこの栗の実の色のよろしさ
柴栗の柴の枯葉のなかばだに如かぬちひさき栗の味よさ
おのづから干て搗栗かちぐりとなりてをる野の落栗の味のよろしさ
この枯野ししも出でぬか猿もゐぬか栗美くしう落ちたまりたり
かりそめにひとつ拾ひつ二つ三つ拾ひやめられぬ栗にしありけり
 芒の中の嶮しい坂路を登りつくすと一つの峠に出た。一歩其処を越ゆると片側はうす暗い森林となっていた。そしてそれがまた一面の紅葉の渦を巻いているのであった。北側の、日のささぬ其処の紅葉は見るからに寒々として、濡れてもいるかと思わるる色深いものであった。然し、途中でややこの思い立ちの後悔せらるるほど路は遠かった。一つの渓流に沿うて峡間を降り、やがてまた大きな谷について凹凸烈しい山路を登って行った。十戸二十戸の村を二つ過ぎた。引沼村というのには小学校があり、山蔭のもう日も暮れた地面を踏み鳴らしながら一人の年寄った先生が二十人ほどの生徒に体操を教えていた。
先生の一途なるさまもなみだなれ家十ばかりなる村の学校に
ひたひたと土踏み鳴らし真裸足に先生は教ふその体操を
先生の頭の禿もたふとけれ此処に死なむと教ふるならめ
 遥か真下に白々とした谷の瀬々を見下しながらなお急いでいると、漸くそれらしい二三軒の家を谷の向岸に見出だした。こごしい岩山の根に貼り着けられた様に小さな家が並んでいるのである。
 崖を降り橋を渡り一軒の湯宿に入って先ず湯を訊くと、庭さきを流れている渓流の川下の方を指ざしながら、川向うの山の蔭に在るという。不思議に思いながら借下駄を提げて一二丁ほど行って見ると、其処には今まで我等の見下して来た谷とはまた異った一つの谷が、折り畳んだ様な岩山の裂け目から流れ出して来ているのであった。ひたひたと瀬につきそうな危い板橋を渡ってみると、なるほど其処の切りそいだ様な崖の根に湯が湛えていた。相並んで二個所に湧いている。一つには茅葺の屋根があり、一方には何も無い。
 相顧みて苦笑しながら二人は屋根のない方へ寄って手を浸してみると恰好な温度である。もう日も※(「日/咎」、第3水準1-85-32)かげった山蔭の渓ばたの風を恐れながらも着物を脱いで石の上に置き、ひっそりと清らかなその湯の中へうち浸った。一寸立って手を延ばせば渓の瀬に指が届くのである。
「何だか渓まで温かそうに見えますね」と年若い友は云いながら手をさし延ばしたが、あわてて引っ込めて「氷の様だ」と云って笑った。
 渓向うもそそり立った岩の崖、うしろを仰げば更に胆も冷ゆべき断崖がのしかかっている。崖から真横にいろいろな灌木が枝を張って生い出で、大方散りつくした紅葉がなお僅かにその小枝に名残をとどめている。それが一ひら二ひらと断間たえまなく我等の上に散って来る。見れば其処に一二羽の樫鳥が遊んでいるのであった。
真裸体になるとはしつゝ覚束な此処の温泉いでゆに屋根の無ければ
折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り来いで湯のなかに
樫烏が踏みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散り来わが見てあれば
二羽とのみ思ひしものを三羽四羽樫鳥ゐたりその紅葉の木に
 夜に入ると思いかけぬ烈しい木枯が吹き立った。背戸の山木の騒ぐ音、雨戸のはためき、庭さきの瀬々のひびき、枕もとに吊られた洋燈の灯影もたえずまたたいて、眠り難い一夜であった。

十月二十日。

 未明に起き、洋燈の下で朝食をとり、まだ足もとのうす暗いうちに其処を立ち出でた。驚いたのは、その足もとに斑らに雪の落ちていることであった。惶てて四辺を見廻すと昨夜眠った宿屋の裏の崖山が斑々として白い。更らに遠くを見ると、漸く朝の光のさしそめたおちこちの峰から峰が真白に輝いている。
ひと夜寝てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり
起き出でゝ見るあかつきの裏山の紅葉の山に雪降りにけり
朝だちの足もと暗しせまりあふ狭間の路にはだら雪積み
上野と越後の国のさかひなる峰の高きに雪降りにけり
はだらかに雪の見ゆるは檜の森の黒木の山に降れる故にぞ
檜の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ
 ()()穿
 宿
 宿
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宿
 
 

 
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宿

 


十月廿一日。

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 穿

 

 



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 宿便便

 

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十月廿二日。

 
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十月廿三日。

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 廿()()

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 宿宿
 宿

十月廿四日。

 宿
 宿

十月廿五日。

 ()()宿穿姿
 沿()
きりぎしに通へる路をわが行けば天つ日は照る高き空より
路かよふ崖のさなかをわが行きてはろけき空を見ればかなしも
木々の葉の染れる秋の岩山のそば路ゆくとこころかなしも
きりぎしに生ふる百木のたけ伸びずとりどりに深きもみぢせるかも
歩みつゝこゝろ怯ぢたるきりぎしのあやふき路に匂ふもみぢ葉
わが急ぐ崖の真下に見えてをる丸木橋さびしあらはに見えて
散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり
しめりたる紅葉がうへにわが落す煙草の灰は散りて真白き
とり出でゝ吸へる煙草におのづから心は開けわが憩ふかも
岩陰の青渦がうへにうかびゐて色あざやけき落葉もみぢ葉
苔むさぬこの荒渓の岩にゐて啼く鶺鴒いしたゝきあはれなるかも
高き橋此処にかゝれりせまりあふ岩山の峡のせまりどころに
いま渡る橋はみじかし山峡の迫りきはまれる此処にかゝりて
古りし欄干てすりほとほとゝわがうちたゝき渡りゆくかもこの古橋を
いとほしきおもひこそ湧け岩山の峡にかかれるこの古橋に
 老神温泉に着いた時は夜に入っていた。途中で用意した蝋燭をてんでに点して本道から温泉宿の在るという川端の方へ急な坂を降りて行った。宿に入って湯を訊くと、少し離れていてお気の毒ですが、と云いながら背の高い老爺が提灯を持って先に立った。どの宿にも内湯は無いと聞いていたので何の気もなくその後に従って戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異ったたいへんな処へ湯が湧いているのであった。手放しでは降りることも出来ぬ嶮しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲って辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を辿る。その中洲の様になった川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いているのだ。
 這いつ坐りつ、底には細かな砂の敷いてある湯の中に永い間浸っていた。いま我等が屋根の下に吊した提灯の灯がぼんやりとうす赤く明るみを持っているだけで、四辺は油の様な闇である。そして静かにして居れば、疲れた身体にうち響きそうな荒瀬の音がツイ横手のところに起って居る。ややぬるいが、柔かな滑らかな湯であった。屋根の下から出て見るとこまかな雨が降っていた。石の頭にぬぎすてておいた着物は早やしっとりと濡れていた。
 註文しておいたとろろ汁が出来ていた。夕方釣って来たという山魚やまめの魚田も添えてあった。折柄烈しく音を立てて降りそめた雨を聞きながら、火鉢を擁して手ずから酒をあたため始めた。

十月廿六日。

 

 

 宿
 ()宿
 沿辿姿姿
 宿
 宿辿
 ()宿
 

十月廿七日。

 宿宿
 沿
 
 

 

 

 

 
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下草の笹のしげみの光りゐてならび寒けき冬木立かも
あきらけく日のさしとほる冬木立木々とりどりに色さびて立つ
時知らず此処に生ひたち枝張れる老木を見ればなつかしきかも
散りつもる落葉がなかに立つ岩の苔枯れはてゝ雪のごと見ゆ
わが過ぐる落葉の森に木がくれて白根が岳の岩山は見ゆ
遅れたる楓ひともと照るばかりもみぢしてをり冬木が中に
枯木なす冬木の林ゆきゆきて行きあへる紅葉にこゝろ躍らす
この沢をとりかこみなす樅栂の黒木の山のながめ寒けき
聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色に見ゆ
墨色に澄める黒木のとほ山にはだらに白き白樺ならむ
 沢を行き尽くすと其処に端然として澄み湛えた一つの沼があった。岸から直ちに底知れぬ蒼みを宿して、屈折深い山から山の根を浸して居る。三つ続いた火山湖のうちの大尻沼がそれであった。水の飽くまでも澄んでいるのと、それを囲む四辺の山が墨色をしてうち茂った黒木の山であるのとが、この山上の古沼を一層物寂びたものにしているのであった。
 その古沼に端なく私は美しいものを見た。三四十羽の鴨が羽根をつらねて静かに水の上に浮んでいたのである。思わず立ち停って瞳を凝らしたが、時を経ても彼等はまい立とうとしなかった。路ばたの落葉を敷いて、飽くことなく私はその静かな姿に見入った。
登り来しこの山あひに沼ありて美しきかも鴨の鳥浮けり
樅黒檜黒木の山のかこみあひて真澄める沼にあそぶ鴨鳥
見て立てるわれには怯ぢず羽根つらね浮きてあそべる鴨鳥の群
岸辺なる枯草敷きて見てをるやまひたちもせぬ鴨鳥の群を
羽根つらねうかべる鴨をうつくしと静けしと見つゝこゝろかなしも
山の木に風騒ぎつゝ山かげの沼の広みに鴨のあそべり
浮草の流らふごとくひと群の鴨鳥浮けり沼の広みに
鴨居りて水の面あかるき山かげの沼のさなかに水皺寄る見ゆ
水皺寄る沼のさなかに浮びゐて静かなるかも鴨鳥の群
おほよそに風に流れてうかびたる鴨鳥の群を見つゝかなしも
風たてば沼の隈回くまみのかたよりに寄りてあそべり鴨鳥の群
 さらに私を驚かしたものがあった。私たちの坐っている路下の沼のへりに、たけ二三間の大きさでずっと茂り続いているのが思いがけない石楠木しゃくなぎの木であったのだ。深山の奥の霊木としてのみ見ていたこの木が、他の沼に葭葦の茂るがごとくに立ち生うているのであった。私はまったく事ごとに心を躍らせずにはいられなかった。
沼のへりにおほよそ葦の生ふるごと此処に茂れり石楠木の木は
沼のへりの石楠木咲かむ水無月にまた見に来むぞ此処の沼見に
また来むと思ひつゝさびしいそがしきくらしのなかをいつ出でゝ来む
天地あめつちのいみじきながめに逢ふ時しわが持ついのちかなしかりけり
日あたりに居りていこへど山の上のみいちじるし今はゆきなむ
 沿
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 禿
 

 
 
 

 

 
 
 
 宿
 

 
 
 

十月廿八日。

 

 

 
 

 
 
××
 

 
 
 
 
 
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 宿
 


 

 

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  中禅寺湖にて
裏山に雪の来ぬると湖岸うみぎし百木もゝきの紅葉散り急ぐかも
見はるかす四方の黒木の峰澄みてこの湖岸の紅葉照るなり
湖をかこめる四方の山なみの黒木の森は冬さびにけり
舟うけて漕ぐ人も見ゆみづうみの岸辺の紅葉照り匂ふ日を
  鳴虫山の鹿
聞きのよき鳴虫山はうばたまの黒髪山に向ふまろ山
鹿のゐて今も鳴くとふ下野の鳴虫山の峰のまどかさ
友が指す鳴虫山のまどかなる峰の紅葉は時過ぎて見ゆ
草枯れし荒野につゞくいたゞきの鳴虫山の紅葉乏しも







 ()()駿殿
 殿()
 西
 宿
 辿姿鹿
真日中の日蔭とぼしき道ばたに流れ澄みたる井手のせせらぎ
道ばたに埃かむりてほの白く咲く野いばらの香こそ匂へれ
桑の実のしたたるつゆに染まりたる指さきを拭くその広き葉に
埃たつ野なかの道をゆきゆきて聞くはさびしき頬白の鳥
 
 
 宿
 
××
 

 宿

 
 姿姿
 
 姿姿
 姿宿
 宿()()

 宿
 ()()()駿殿
 
 
 穿
 殿
ひそやかにもの云ひかくる啼声のくろつがの鳥を聞きて飽かなく
草の穂にとまりて鳴くよ富士が嶺の裾野の原の夏の雲雀は
夏草の野に咲く花はたゞひといろ紅空木の木のくれなゐの花
寄り来りうすれて消ゆる真日中の雲たえまなし富士の山辺に







 
 姿
 
 姿
 ()宿
さくら花咲きにけらしなあしひきの山の峡より見ゆるしら雲
 宿





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(伊豆湯ヶ島にて)
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 湿

 
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 稿駿
 
 
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 宿
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 湿
 
 
 
 
 姿
 宿
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 姿
湿







 宿便
 便()()U+39E1128-10便沿宿宿
 宿
 U+39E1130-11
 
 宿
 廿U+39E1132-11
 
 宿







 宿を出て二三丁とろとろと降ると宿の横を落ちて来た小さな渓が洞穴を穿って流れている処がある。其処まで見送るつもりで、私は友人親子と今一人の女客と共に宿を出た。が、何となく別れかねてせめて峠まで行こうかと云いながら、洞穴の上を越して森の中へ入って行った。檜峠は温泉より二里ばかり、その渓を越すと径はずっと深い森の中を片登りに登ってゆくのである。
 一月あまりも降り続けた雨が漸くその一二日前からあがっていた。そしてそれと共に今まで遅れていたという附近の山々の紅葉が一時に色を増した。それは全く湯宿の二階から眺めていて可笑しい位いに一晩二晩のうちに真紅に燃えたって来た。私どもの登ってゆく大きな国有林も同じく二階から望んで呆れた山の一つであるのだ。紅葉している木はみな喬木であった。中でも山毛欅が最も多く、橡も美しくその大きな葉を染めて立ち混っていた。樅、栂などの常磐木にはことに見ごとな老木があった。白樺ばかりが山の窪に茂っている所もあった。これの紅葉は既に過ぎて、針のように棒の様に大小さまざまな幹のみがその雪白の色を輝かせ窪みに沿うて立ち続いているのである。径を埋めている新しい落葉もかなりに深く、私ども四人が踏む足音は際立って森の中に響いていた。山鳥の尾の長いのがツイ足許からまい立って行った事もあった。
 森と云っても平野のそれと違い、極めて嶮しい山腹に沿うて茂っているので、木立の薄い処では思いがけぬ遠望が利いた。遥かな麓に白々と流れている渓流が折々見えた。日本アルプスの山々を縫うて流れて来た梓川の流である。それに落つる他の名もない渓が、向うの山腹に糸の様に細々と懸っているのも見えた。そして峠真近になった或る崖の端からは真正面に焼岳が望まれた。その火山の煙は頂上からも、また山腹の窪みからも、薄々とほの白く立ち昇っていた。晴れ渡った秋空にその煙の靡いているのを見ると、続けて来た話を止めて、ツイ両人とも立ちどまってぼんやりと瞳を凝らさねばならぬ静けさが感ぜられた。また、思いもかけぬ高い山の腹に炭焼の煙の立っているのをも見出すことがあった。歩きながら一二首の歌が出来た。
冬山に立つむらさきぞなつかしき一すぢ澄めるむらさきにして
来て見れば山うるしの木にありにけり樺の林の下草紅葉
 ()
調
 
 使
 


 
()()
 


 宿宿

 調

 
 宿使
 宿
 沿U+39E1140-3宿宿
 沿
 ()()()湿便便U+39E1141-9
 沿
東高津谷西駒ヶ岳あいを流るる天竜川
天竜下れば飛沫しぶきがかかる持たせやりたやひのき笠
 沿姿







 宿
 
 宿
 
宿
 ()宿

 

 宿
 

 

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宿

 駿便宿駿宿
 

 
 宿
 

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うち敷きて憩ふ落葉の今年葉の乾き匂ふよ山岨道やまそばみち
うら悲しき光のなかに山岨の道の辺の紅葉散りてゐるなり
 
 姿沿
 
 
 
宿
 
 







この一篇は大正十年秋中旬、信州から飛騨に越え、更らに神通川に沿うて越中に出た時の追懐を、そのさきざきで求めて来た絵葉書を取出して眺めながら書きつづったもので、前に掲げた「白骨温泉」「通蔓草の実」「山路」の諸編に続くものである。

上高地温泉


 上高地の温泉宿はこの時候はずれの客を不思議そうな顔をして迎えた。そして通された二階にはすっかり雨戸が引いてあった。一つの部屋の前だけがらがらとそれが繰りあけらるるとまだ相当に高い西日が明るく部屋にさし込んで来た。その日ざしの届く畳の上できゃはんを解いていると、あたりのほこりのにおいが感ぜられた。
 やれやれと手足を伸ばしてうち浸った温泉は無色無臭、まったく清水の様に澄んでいた。そしてこの宿に入った時玄関口に積まれてあった何やらの木の実がこの湯槽の側までも一杯に乾しひろげてあった。よく見ると落葉松の松毬であった。この松毬をよくはたいて中の粒をとり、種子として売るのだそうで、一升四円からする由をあとで聞いた。湯から出てそこ等をのぞいてみると座敷から廊下からすべてこの代赭色の鮮かな木の実で充満しているのであった。一年にとり入れるその種子が何斗とか何石とかに及ぶそうで、金にして幾ら幾らになると、白骨温泉から私の連れて来た老案内者は頻に胸算用を試みながらその多額に上るのに驚いていた。
 長湯をして出てもまだ西日が残っていた。下駄を借りて宿の前に出て見ると、ツイ其処に梓川が流れていた。どうしてこの山の高みにこれだけの水量があるだろうと不思議に思わるる豊かな水が寒々と澄んで流れている。川床の真白な砂をあらわに見せて、おおらかな瀬をなしながら音をも立てずに流れているのであった。私は身に沁みて来る寒さをこらえて歩むともなく川上へ歩いて行った。
 川に沿うた径の左手はすぐ森になっていた。荒れ古びた黒木の森で、樅栂の類に白樺などもまじり七八町がほども沢の様な平地で続いてやがて茂ったままの山となっている。川の向う岸は切りそいだ様な岩山で、岩の襞には散り残りの紅葉が燃えていた。そして川上の開けた空には真正面に穂高ヶ岳が聳えているのであった。
 天を限って聳え立ったこの高いゆたかな岩山には恰もまともに夕日がさして灰白色の山全体がさながら氷の山の様な静けさを含んで見えているのであった。今日半日仰いで来たこの山は近づけば近づくだけ、いよいよ大きく、いよいよ寂しくのみ眺められ、立ちどまって凝乎じっと仰いでいるといつか自分自身も凍ってゆく様な心地になって来るのであった。
 そぞろに身慄いを覚えて踵をかえすと、其処には焼岳が聳えていた。背後に傾いた夕日に照らし出されて真黒に浮き出た山の頂上にはそれこそ雲の様に噴煙が乱れて昇っていた。
 右を見、左を見、この川端の一本道を行きつ帰りつしているうちに私はいつか異様な興奮を覚えていた。これほど大きく美しく、そして静かな寂しい眺めにまたと再び出会うことがあるであろうか、これはいっそ飛騨に越す予定を捨ててここに四五日を過ごして行こう、そのためどれだけ自分の霊魂が浄められることであろう、という様なことを一途になって考え始めていたのであった。
いはけなく涙ぞくだるあめつちの斯るながめにめぐりあひつつ
またや来むけふこの儘にゐてやゆかむわれの命の頼みがたきに
まことわれ永くぞ生きむ天地あめつちのかかるながめをながく見むため
 



 ()
 
 
 
 
群山の峰のとがりの真さびしくつらなるはてに富士のみね見ゆ
登り来て此処ゆ望めば汝が住むひむがしのかたに富士のみね見ゆ(妻へ)
 この火山は阿蘇や浅間の様な大きな噴火口を持っていなかった。其処等一面の岩の裂目や石の下から沸々と白い煙を噴き出しているのであった。

岩山の岩の荒肌ふき割りて噴き昇る煙とよみたるかも
わが立てる足許広き岩原の石の蔭より煙湧くなり


平湯温泉


 噴火の煙の蔭を立去ると我等はひた下りに二三里に亘る原始林の中の嶮しい路を馳せ下った。殆ど麓に近い所に十戸足らずの中尾という集落があった。そして家ごとに稗を蒸していた。男とも女とも見わかぬ風俗をした人たちがせっせと静に火を焚いている姿が何とも可懐なつかしいものに私には眺められた。この辺にはこの稗の外は何も出来ないのだそうである。
 一刻も速く其処に着いて命拾いの酒を酌み、足踏み延ばして眠ろうと楽しんで来た蒲田温泉は昨年とか一昨年とかの洪水に一軒残らず流れ去っているのであった。そしてその荒れすさんだ広い川原にはとびとびに人が動いて無数の材木を流していた。その巨大な材木が揃いも揃って一間程の長さに打ち切ってあるので訳を訊いてみると川下の船津町というに在る某鉱山まで流され、其処で石炭代りの燃料とせらるるのだそうである。
 止むなく其処から二里ほど歩いた所に在るという福地温泉というまで来て見ると、此処もまた完全に流されていた。そうなると一種自暴自棄的の勇気が出て、其処から左折して更に二里あまりの奥に在るという平湯温泉まで行くことにきめた。実は今日焼岳に登らなかったならば上高地から他の平易な路をとってその平湯へゆく筈であったのである。福地からの路は今迄の下りと違って片登りの軽い傾斜となっていた。月がくっきりと我等の影をその霜の上に落していた。
 焼岳と乗鞍岳との中間に在る様なその山あいの湯は意外にもこんでいた。案内者の昔馴染だという一軒の湯宿に入ってゆくと、普通の部屋は全部他の客人でふさがっていた。止むなく屋根裏の様な不思議な部屋に通されたが、もう然し他の家に好い部屋を探すなどという元気はなかったのである。
 やがてその怪しき部屋で我等二人の「命びろい」の祝いの酒が始まった。まったく焼岳の亀裂の谷では二人とも命の危険を感じたのであった。這いかけた岩の腹からすべり落るか、若しくは崖の上から落ちて来る石に打たるるか、どちらかの運命が我等のいずれにか、或は双方ともにか、落ちて来るに相違ないと思われたのであった。其時の名残に荒れ傷いた両手の指や爪をお互いに眺め合いながら一つ二つと重ねてゆく酒の味いは真実涙にまさる思いがするのであった。
 路に迷ったのは兎に角として蒲田や福地温泉の現状すら知らずにいた此老爺は或はもう老耄し果てているのではあるまいかと心中ひそかに不審と憤りとを覚えていたのであったが、其皺だらけの顔に真実命びろいの喜びを表わして埒もなく飲み埒もなく食い、埒もなく笑いころげている姿を見ていると、わけもなく私はこの老爺がいじらしくなった。そしてあとからあとからと酒を強いた。彼の酒好きなことをば昨夜上高地でよく見ておいたのであった。
 そのうち彼は手を叩いてその故郷飛騨の古川地方に唄わるるという唄をうたい出した。元来が並外れた大男ではあるが、眼の前で頻りに打ち鳴らしている彼の掌は正しく団扇位の大きさに私には見えたのであった。
オンダモダイタモエンブチハウノモオマエノコジャモノ、キナガニサッシャイ、イカニモショッショ。
ヒダノナマリハオバエナ、マタクルワイナ、ソレカラナンジャナ、ムテンクテンニオリャコワイ、ウソカイナ、ウソジャアロ、サリトハウタテイナ。
 斯うしたものを幾つとなく繰返して唄った末、我を忘れて踊り出そうとしてはその禿げた頭をしたたかに天井に打ちつけて私を泣きつ笑いつさせたのであった。
としよりの喜ぶ顔はありがたし残りすくなきいのちを持ちて
 余りに疲れ過ぎたせいかその夜私はなかなかに眠れなかった。真夜中に独り湯殿に降りてゆくと、破れた様な壁や窓から月が射し込んでいた。平湯温泉には一箇所共同湯があるのみであるが、僅かにその宿だけが持っているというその内湯の小さな湯殿の三方は田圃となっていた。そして霜の深げな稲の上に照り渡っている月光は寧ろ恐ろしいほどに澄んでいた。



 
 辿()()便
 

 
 
 
 駿
 宿
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 高山一泊は終に二泊になり、次ぎの日には郊外の高台に在る寺で歌会が開かれた。そして三日目の朝また茣蓙を着、杖をついてその古びて静かな町を離れる事になった。
 福田君は急に忙しい事が出来たという事で、自動車の出る所で別れ、その代りに昨日の歌会に出席した中の同君の友人某々両君が高山の次ぎの町、四里を離れた古川町まで送って呉れる事になった。古川町と云えば二三日前に平湯で別れた老爺の故郷である。高山よりももっと古びた平かな町であった。そぞろになつかしい思いで自動車から降りて眺め廻していると、一寸草鞋酒をやりましょうと、とある家に案内せられた。草鞋を履いてからの別れの酒の意味だそうだ。
 正直にそのつもりでいると、終に草鞋をぬがされた。そして一二杯と重ぬるうち、いつか知らこの二三日来の身体に酔の廻るが速く、うとうととなっている所へ、なんの事だ、いま別れて来たばかりの福田君がひょっこりと立ち表われた。長距離電話で呼び出されて、自動車で駆けつけて来たのだそうだ。そうなるといよいよ私も腰を据えて杯を取らざるを得なくなった。
 折から雨が降り出した。この雨では屹度鮎の落つるのが多かろうと、急に夕方かけて其処から二里の余もある野口の簗というへ自動車を走らす事になった。
 簗は山と山の相迫った深い峡谷に在った。雨は次第に強く、櫟の枝や葉で葺いた小屋からは頻りにそれが漏り始めたが、然し、どんどと燃える榾火の側に運ばるる鮎の数もそれにつれて多くなった。連れて来た二三人の中に今日初めて披露目をしたという女がいた。今迄一切黙って引込んでいたのが、その雨漏に濡れながら急に唄い出した声の意外にも澄んで清らかであったも一興であった。
時雨降る野口の簗の小屋に籠り落ち来る鮎を待てばさびしき
たそがれの小暗き闇に時雨降り簗にしらじら落つる鮎おほし
簗の簀の古りてあやふしわがあたり鮎しらじらととび跳りつつ
かき撓み白う光りて流れ落つる浪より飛びて跳ぬる鮎これ
おほきなる鯉落ちたりとおらび寄る時雨降るなかの簗の篝火
 







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 宿便殿殿
 
 
 
 殿
 
 沿宿姿
 
 宿
 
 
 

 
 
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 鹿
 
 
 宿西西西西
 
 宿殿
 宿
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 便西西宿
 宿殿西宿

 
 
 
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  秋近し
畑なかの小みちを行くとゆくりなく見つつかなしき天の河かも
うるほふと思へる衣の裾かけてほこりはあがる月夜の路に
園の花つぎつぎに秋に咲き移るこのごろの日の静けかりけり
うす青みさしあたりたる土用明けの日ざしは深し窓下の草に
愛鷹の根に湧く雲をあした見つゆふべ見つ夏の終りとおもふ
明けがたの山の根に湧く真白雲わびしきかなやとびとびに湧く







 宿

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便
 

宿
 
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松山や松のうら風吹きこして忍びて拾ふ恋忘貝
 という歌によって忘れ貝と呼ばれて居るこの島特有の貝殻の拾い取ってあったのを特に私のために分けられたりした。中に美しい純白なものがあったが、これなどは今極めて稀にしか拾えない種類なのだそうだ。
 併し、惜しい事に歴史上の年代や考証がかった話を聴くべく余りに私は旅に疲れていた。今度の旅に出てまだ幾日もたってはいないが、その出立前からかけての烈しい不摂生、不健康、ことに岡山に来てからの四五日が間、夜昼なしに飲み続けていた暴酒や不眠のために殆ど全くの病人となっていた私にとってはそれらの入り込んだ話はともすると頭の中で纏らぬがちであった。幸いに翁は説明を中途でやめ、これから順々と重もな故跡を案内しましょうと自分から立ち上った。そしてそのあとを兼ねて鯛網見物の場所ときめてあった琴弾の浜へ出ようというのである。
「なアに、御覧の通り島が小さいのですから全体を廻るにしてもざっと半日あれば足りますよ」
 と云って、長い杖を一本私に渡しながら大きい声で翁は笑った。
 三人続いて門を出ると、直ぐ径は坂になった。若い松がまばらに生えて、山の肌はうす赤い。雲は多いが、折々暑い日が漏れて、私の身体はすぐ気味の悪い汗になった。その赤い山襞のあちこちに遥々都から御あとを追うて来た御側の女がやがて身重になって籠ったあとの森だとか、同じくおあとを慕われた姫宮がどうなされたとかいう様な伝説のあとを幾箇所も見てすぎた。
 程なくその島の脊に当っていると思わるる峠を越すと、今まで見て来たと違った海が割合に広々と見渡された。峠に崇徳上皇を祭ったお宮があった。小さいながらにがっしりとした造りで、四辺には松が一面に枝を張っていた。東南に向った海の眺め、海に浮ぶ二三の島の眺め、それらを越して向うに見渡さるる四国路の山から山の大きい眺め、流石に私も暫しは疲れを忘るる心地になった。其処を磯の方にとろとろと二三丁も下ると、きょう目ざして来た重もの目的のお宮の跡というのに出た。
 其処も小さな山襞の一つに当っていた。波の寄せている磯まではほんの十間もないほどの僅かに平たい谷間で、あたりには同じく松がまばらに立ち並び、間々雑木が混っていた。三宅翁は携えた杖で茂った草や落葉をかき分けていたが、やがて目顔で私を呼んだ。行って見ると、その杖の先には小さな石を畳んだ石垣風の所が少し現われていた。
「どうした建築の法式でしたか、この石垣が三段に分れて積まれています、此処が一段とその上と、もひとつ上の平地と……」
 翁の杖の先に従って眼を移すと、成程それぞれ三坪ほどの平地を置いて、二三尺の高さに三段に重なっているのである。想うにこの一段ごとに一軒ずつの小屋があり、御座所やお召使または警護の者共それぞれの住所にあてられていたものらしいと想われた。二坪ほどの御居間に三年余もお籠りになった当時の御心持を想うと、古い歴史のまぼろしが明かに眼の前に現われて来る様な昂奮を覚えずにはいられなかった。仰げば峰まで二三丁の嶮しい高さ、下はとろとろと直ぐ浪打際になって、真白な小波が寄せて居る。住民とても殆んど無かったと伝えらるる当時のこの小さな島の事を心に描いて来ると、あたりに立っている松の木も茅萱ちがやの穂も全く現代のものではない様な杳かな杳かな心地になって来るのであった。
 いつまで立っているわけにもゆかなかった。帽子をとって四辺の木や草に深く頭を下げて、私たちは磯の方に降りて行った。崖下の浪打際をややしばし浪に濡れて歩いて行って、やがて少し打ち開けた平地の所に出た。其処等にもくさぐさの伝説のあとがあった。平地の南の端、三四十の家の集っている玉積の浦(この名もなつかしい)には寄らずに田園を西に横切って行くと一列の並木の松が見えた。其処に著くと松並木の蔭におおらかに湾曲した大きな浜があって、同じく弓なりに寄せている小波が遥かに白く続いていた。例の忘れ貝は多くただ其処からのみ出るという琴弾の浜(この名も同じ上皇に因縁した伝説から出たものであった)が其処であった。そして其処に粗末な漁師の小屋が五六軒松の根に建ててあった。私たちは其処でこれから鯛を網しようというのであった。

  はつ夏
うす日さす梅雨の晴間に鳴く虫の澄みぬる声は庭に起れり
雨雲のけふの低きに庭さきの草むら青み夏虫ぞ鳴く
真白くぞ夏萩咲きぬさみだれのいまだ降るべき庭のしめりに
コスモスの茂りなびかひ伸ぶ見れば花は咲かずもよしとしおもふ
いま咲くは色香深かる草花のいのちみじかき夏草の花
朝夕につちかふ土の黒み来て鳳仙花のはな散りそめにけり
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伊豆紀行





二月九日。

 
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 西
 
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 宿宿
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二月十日。

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 ()()()()()西()()
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 宿
 宿()()宿宿()宿()()()()
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二月十一日。

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幾年か見ざりし草の石菖の青み茂れり此処の渓間に
 乗合自動車の故障の直されるあいだ、私はツイ道ばたを流れている渓の川原に降り立って待っていた。洪水のあとらしい荒れ白んだ粒々の小石の間に伸びている真青な草を認めて、フト幼い頃の記憶を呼び起しながら摘み取って嗅いで見ると正しく石菖であった。五つ六つから十歳位いまでの間夏冬に係らず親しみ遊んだ故郷の家の前の小川がこの匂いと共に明らかに心の底に影を浮べて来た。私の生れた国も暖い国であるが、なるほどこの伊豆の風物は一帯に其処に似通っている事などもなつかしく思い合わされた。
 まだ枯葉をつけている櫟林や、小松山や色美しい枯萱の原などを、かなり烈しい動揺を続けながらこの古びた乗合自動車は二時間あまりも走って、やがて下田街道へ出た。其処で私だけ独り車と別れた。車は松崎港から下田港へ行く午後の定期であったが、私は下田とは反対の天城の方へ歩こうというのであった。
 裾を端折って歩き出すと、日和の暖かさが直ぐ身に浸みた。汗が背筋に浮んで、歩かぬさきから何となく労れた気持ちであった。時計は午後の三時すぎ、今夜泊ろうと思う湯が野までは其処から四里近い道と聞いて、少し急がねばならぬ必要もあった。
 梅が到るところに咲いていた。ことに谷向うの傾斜畑の畔に西日を受けて白々と咲き並んでいるのが何れも今日の日和に似つかわしく眺められた。暖くはあるが、はっきりと照らない日ざしに今をさかりらしいこの花の白さは一本一本静かな姿で浮き出しているのであった。
 同じ湯が野まで帰るという荷馬車屋と道づれになった。少し脚を速めて行って、矢張り少しは夜に入ろうという。そう聞けばなおこの荷馬車を離れるのが心細く、一生懸命に急いで彼に遅れまいとした。木炭を下田まで積み出しての帰りだということで、炭の屑が真黒に車体に着いていたが暫て私は彼の勧めて呉れるままにその荷馬車に乗ってしまった。二十歳前後の口数少い荷馬車屋は、そう勧めると同時に馬車を留めておいて田圃の中へ走り出したと見ると其処の積藁の中から一束の藁を抱えて来て炭屑の上に打ち敷きながら席を作って呉れた。労れ始めた身には、そんな事が少からず嬉しかった。その藁の上に尻を据えて、烈しい動揺に耐えながら、膝を抱いて揺られて行くとまったくそのあたりは梅の花の多いところで、山の襞田圃の畔到るところにほの白く寂しい姿を見せていた。
 長い長い坂を登りつくして、山の頂上らしい処で一つの隧道を通り過ぎると、思いもかけぬ大海が広々と見渡された。そしてツイ眼下とも云いたい近くに一つの島が浮んでいた。驚いて名を訊くと、あれが伊豆の大島だという。いかにも、ほのかに白い煙が島のいただきに纏り着いている。島全帯が濃い墨色に浮んでいるので、このかすかな火山の煙がよく眼立つのであった。
「明日は雨だよ」
 と若い馬車屋は云う。斯う島が近く明かに見えると必ず降るのだそうだ。
 また長い長い坂を降りる処があった。右手下、海に近い処に遥かに電燈らしい灯の集りが見下された。河津の谷津温泉だという。少し行くと更らに前方に一団の灯影が見えて来た。それが今夜泊ろうとしている湯が野温泉であるのであった。
 とっぷりと暮れてその渓間の小さな温泉へ着いた。若者に厚く礼を云って別れ、その別懇だという宿屋へ寄って、やれやれと腰を伸した。荷馬車に乗ったのは生れて初めての事であったが、併しそれに出会わないとすると案外に山深い街道の独り夜道となる処であった。
 困ったことに私の通された部屋の真下が共同湯の浴場となっていた。多分先刻の若者なども毎晩此家に入浴に来る処から此家と親しくしているのであろうが、その喧騒と来たら実に烈しいものであった。しかも夜の更けるに従って温泉の匂いとも人間の垢の匂いともつかぬ不快な臭気がその騒ぎと共に畳を通して匂って来て愈々眠り難いものとなった。止むなく私は出立の時東京駅の売店で買って来た西洋石鹸の香気の高いのを思い出してそれを枕の上に置き、やがて鼻の下に塗り込む様にして臭気を防いだ。
 眠り不足の重い気持で翌朝早くその宿を出た。見廻すとまったく山蔭の渓端に小ぢんまりと纏り着いた様な温泉場であった。自分の泊ったのよりずっと気持のよさそうな宿屋が他に一二軒眼についた。
 温泉場の裏から直ぐ登り坂となっていた。一里二里と登って漸く人家も断えた頃から思いがけない雪が降り出した。長い萱野の中の坂を登って御料林の深い森の中に入る頃には早や道には白々と積っていた。立枯になった樅、掩い被さる様な杉の木などの打ち続いた森の中に音もなく降り積る雪の眺めは美しくもあり恐ろしくもあった。峠に着いた時には既に七八寸の深さとなっていたが其処の茶屋で飲んだ五六合の酒に元気を出して留めらるるのを断りながら終にその日、天城山の北の麓に在る湯が島温泉まで辿り着いたのであった。その渓端の温泉も無論円やかに深々と雪を被っていた。真白に濡れながら上下七里の峠道を歩き歩き詠んだ歌二三首をかきつけてこの短い紀行文を終る。

冬過ぐとすがれ伏したる萱原にけふ降り積る雪の真白さ
大君の御猟みかりにはと鎮まれる天城越えゆけば雪は降りつゝ
見下せば八十渓に生ふる鉾杉の穂並が列に雪は降りつつ
天城嶺の森を深みかうす暗く降りつよむ雪の積めど音せぬ
岩が根に積れる雪をかきつかみ食ひてぞ急ぐ降り暗むなかを
かけ渡す杣人がかけ橋向つそばにつづきて雪積める見ゆ






底本:「みなかみ紀行」中公文庫、中央公論社
   1993(平成5)年5月10日発行
底本の親本:「みなかみ紀行」書房マウンテン
   1924(大正13)年7月
※「陰」と「蔭」、「着いた」と「著いた」、「背」と「脊」、「舟」と「船」、「湯ヶ島」と「湯が島」の混在は、底本通りです。
入力:kompass
校正:岡村和彦
2017年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







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JIS X 0213

JIS X 0213-


「てへん+亥」、U+39E1    128-10、130-11、132-11、140-3、141-9


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