上
私は二はた十ちになつた今日までの生しや涯うがいにこれぞといつて人さまにお話し申す大事件もなく、父母の膝しつ下かに穏やかな年月を送つて参り升ましたが、併しかし子供心に刻みつけられて一生忘れられまいと思ふことが二ツ三ツ有り升ます。其その中うち十一才の誕生日に有つた事をお話し致しませう。私は子供の中うちから日課の本より戯げさ作くもの実録ものなど読むが好すきで、十一才の時分にはモウお袋の仕事する傍らに坐すわつてさま〴〵貸本やの書物などや、父が読よみふるしの雑誌なども好んで読み升ました。読むものゝ中うちには解げし悪にくい処ところは固もとより尠すくなからず有あり升ましたから本を膝ひざの上へ置おいて母に質問することが度々有つて、それでも分らぬ処ところは想像にたより、よく〳〵夢中で読む処ところもないでは有ありませんでしたが、さういふ処ところは拠よんどころなく捨すて置いていつか分る時もあらうと茫ばう然ぜんと迂うゑ遠んな区域に止とどめ置おいて、別段苦くるしみもいたしませんかつた。十一才の誕生の日には母の免ゆるしを得て一日学校を休み、例の通り少し斗ばかりの祝いはひをして貰もらい升ました。午ひるの赤飯、煮しめも食べ終つて、午ご後ごは雨もよほしで外出も出来ませんかつたから雑誌のよみかけを読まうと母に相談し、さてある社会改革者の事業の一段に読み及ぼして、﹁此この黄金機会を外はづさず﹂といふ一句へ来升と、書物を下へ置いて、母の顔を覗のぞき、質問いたし升ました。
おつかさん、黄金機会ツてなに?
大層好いいをり、好都合の時といふことですよ。
では、なぜ黄金ていの?、金のをりなんて、なに?
母はニツコリ笑つて、それは西洋風の譬たとへの言葉で、金といふものは大層貴い、稀まれなものだから、其場合が貴くつて稀まれな機会だといふ代りに黄金といふ重宝な一字で間に合せるのだとおいひでした。
私は篤とくと母の説明を考へ合せ、かう申まう升しました。
かあさま、其黄金機会ツていふ様やうなことはお金のたんとある人か、さうでなければ、昔むかしの人か、さうでなければ書物に書かいてある、マア日本で正マサ成シゲとか、西洋でワシントンとかいふ様な人にしかないかと思ひ升ネ。なんだかふだん見る本統の人や子供にはない様ですわ。
ナニ、俊トシ子この様な子供に其黄金機会がないとおいひのか?おまへ一ちよ寸つと、さしあたりどんな黄金機会が入いり用ようなのですか、
さうネ、こないだ雑誌で読んだ西洋の婦人みたいにどこか戦争のある処ところへ行つて怪けが我に人んの看病がして遣やり度たいですわ、さうでなければ、ソラ日本の歴史にある橘たちばな姫みた様にお国に大切な人の身代りになり度たいの。アラ、それでも私が海へ跳とび込んで見たつて、何の益やくにも立たたないのネ。
さうですとも。何の益やくにもたちませんよ。
それから、またそれが何か人の益やくにたつたつて、自分にはなんにも分りませんものネ、つまらないわ。死んじまふんだもの。
かあさま、それはいけないとして、こんなことはどうでせう、饑きき饉んでみんな貧乏人が斃たほれて死んでしまふといふ時、お倉にお米や、お金が沢山ある人になつてゝ、みんなにどん〳〵施しをして遣やるといふ様なのわ。デモ、さういふ黄金機会がなにもないんですもの。
いゝえ、さうとも一概にいへませんよ。人に善を施ほどこすといふ折は誰たれにも随分有るもんです。さうして其折を外さず用ゐて行けば、キツト人を助けられるもんです。つまりわたしたちの心一ツで黄金機会が出来るんですよ。
アノ、西洋のハウアドとかいふ人ネ、牢らう屋やにはいつて居る可愛さうな人を助けて出してやつたつてネ、わたしもあの鎖で繋つながれて馬や牛みた様に働らかされてる人たちをゆるしてみんなうちへ帰る様にして遣やり度たいと思ひ升ましたけれどネ………それは出来ませんのさ、しかし貧乏人に人間の義務といふものを教へて遣やつたり暮しの立つ様に家業を見つけてやつたりして、貧に迫られて、盗ぬすみをしない様に世話をしてやれば、始はじめから牢ろうやへはいらない様にしてやれませう。
母は此時私に噛かんで含める様にかういふことの心得をいひきかせてくれまして、人が善をしようと心掛ければ決して機会の見つからぬことはないといふことと、ハウアドと他の人々の違ふ処ところは当時の事情よりか、忍耐と熱心のあるないに因るといふことなどを細こま々ごまと聞かせられましたが、其その話しは一々今覚えて居をりません、たゞ間もなく祖ぢ父ぢの部屋へ連れて行かれたことを覚えて居り升。こゝは祖ぢ父ぢが書かき物ものをする書斎で、母は中に取り散らした紙や本などの片づけに来たのでした。祖ぢ父ぢは今思つて見れば、此時原稿の校正をして居り升ましたのでした。私は其様子を見て、兼かねて母の申まう聞しきかせもあることですから、ヂツト辛抱して黙つて坐すわつて居り升ました。其その中うちお祖ぢ父いさまが摺すりものの上へ筆の先で一ちよ寸つと蚯みみ蚓ずの攀よぢれた様やうなものをお書かきなすつたが見え升ましたから、不思議で〳〵、黙つて居ようと思つても、堪こらへ切れませんで、ツイ
おぢいさま、そのめゝずみたいな物なぜお書かきなすつたの?
なぜつて、字が倒さかさまになつてるから、活版やに直せといふ記しるしだよ。
デモ丸でめゝず見たやうですわ、活版やで知つてるのかしら、ヒヨツト知らないで、そんなめゝずの絵を入れてしまつたらどうでせう?
祖ぢ父ぢはわたくしの申したことが聞こえた顔もせず、筆を筆立へ納めて、大おほ欠あく伸びをし、母に命じて捲まいた書かき物ものを待たせて置いた小僧にやらせ升ました。祖ぢ父ぢは母の部屋を出る姿を見送り、私を側そばへ引よせて、
どうだ、貴様はお袋の様な音なしくつて悧かしこい女になれるか、チツト六むづヶ敷しい様やうだな、今のみゝずの話しも十一の児こにしちやア余り馬ば鹿かげた様やうだな、どうだ、アハヽヽ、そんな真ま面じ目めな顔をせずともだ。けふは貴様の誕生日だらう。何か祝つてやらずばなるまいな。どうら。
おぢいさんなんぞが子供の時は、誰 も金を呉 れる人はなかつたぞ。
私はお祖ぢ父ぢさまの、機きげ嫌んのよくなつたを見済まして、側そばへすりよりて、財布の中を覗のぞき升ました。其中に、一円の金貨が六ツか八ツも有あり升ましたがお祖ぢ父いさまは軈やがて其一ひとつをとり出いだして麗々とわたしの手の掌ひらへ戴のせて下くださつた時、矢張冗じよ談うだんかと思ひ升ました。
貴様それがなんだか知つてるか?
金貨の一円でせう。
どうだ、貴様にやるがつかへると思ふか?
エー〳〵つかへ升とも。
イヨー、中々慾よくに抜ぬけ目めはないな。貴様にやつたつて益やくには立たたないが、どうも仕方がない、誕生日のお祝ひにやるとしやうよ。
アラ、あんなこと仰おつしやつて、益やくにたゝないなんて、なぜ?
格別の益やくにはたゝんといふのだよ、着るものや、食たべるものや、雨露を凌しのぐ家はみんな両親に供そなへて貰もらふのだから、外に大した入いり用ようはないではないか?
さうネ、それでも此金貨はわたくしの好すきな様につかつてよう御ご坐ざい升か?
よいとも、モウ貴様にやつたものだからな。
全体、おぢいさまなにかはこんな金貨いくら持つて入いらつしやるか知れないのネ、つかつておしまひなさるとまたあとからお金入れへはいつて居升のネ、
さうかな。
私なにかは、この一ツつ切りじやありませんか、だから大事ですわ。アノおぢいさま、アノおぢいさまはみんなお金をどうしておしまひなさるんでせうか、私なんかそんなにたんと持つて居たらいろんな好すきなもの買かへ升ますけどネ。
いかさま、先まづ第一木きぼ彫りの人形か、其次は………イヤ中なか店みせのおもちやを一手買占も出できるだらうな。処ところがたつたこれ一ツしか授からないから、先まづおあいにくさまといふ処ところだ、貴様がうつちやる権理のあるのはこれ一枚限りだ、おあいにくさまだナア、アハヽヽヽ
でも、私わたしだつてうつちやると諦きまつてはしませんよ、なにか好すきなことにつかふかも知れませんもの。
善根を蒔まく為ためにつかふといふのか、これはしたり、それはまた大したこつたな、さうともそれなら、うつちやるもんぢやないとも。
それから私は先刻読んだことから、母に聞いたことを細かに話し始め升まして、丁度おしまひにしようといふ時、下女がはいつて来て、もみくちやになつた紙の上に二十銭の銀貨と一銭銅貨を載せて、﹁御隠居さま、靴くつやにお払いを遣やり升まして、これがおうつりで御座い升﹂といひ升ました。お祖ぢ父いさまはそれを請うけ取とり、銀貨を引ひつくらかへし、兎とみ見か角く見みして、新らしい銀貨だと仰おつしやつて二ツとも其そのまゝ私に下すつて、まだ書かき物ものがあるからといつて急に私にあちらへ行けと仰おつしやり升ましたから、私は真まつ直すぐ母の居ゐど処ころをさがして、生れて始めて持つた莫ばく大だいの富を母に示し升ました。
中
私は此この時母の前へ此三ツの貨幣を置いて其その廻まはりをトン〳〵踊り廻まはつたのを覚えて居をり升ます、﹁金の機会に、銀の機会に、銅あかがねの機会だ﹂といつて。疲れ果てるまで跳とびまはり升ましたあとで、フト思ひつき、母に貰もらふた甲カ斐ヒ絹きの切きれで三ツの袋を拵こしらへに取り掛り升ました。これは何が為ためなれば、其貨幣を入れる為ためで、それを一ツつゝ形に合せて丸く縫ふことと太たい白はくの糸で口をくゝることなどに容易ならぬ苦心をいたし升ましたこともハツキリ覚えて居り升。さてまた此大したお金を何ぞ善よいことに遣つかひ度たいと思ふにつけ、さき〳〵の考かんがへが胸の中うちに浮んで来升ましたが、何いづれも夢か幻の様やうな空くうな考へでした。しかし前日の母の教へを記きお臆くして居り升ましたから、まんざら吾わが儘ままな慾よく張ばつた様なこと丈だけは其その中うちに有ありませんかつた。 翌日は半日のお稽けい古こで帰つて来升と、父が下シタ町マチへ行くから一処に連れようかといはれ升ました。父と下町へ行くのはいつも私の楽しみにして居たことで、此日もかういはれると嬉うれしくて堪たまらず、父の手に引ひかれてイソ〳〵出いで行ゆき升ました。父は銀行に用があるので、済すむまで待つて居る様にといつて、出入の仕立ものする女の家へ暫しばらく預けられ升ました。平へい生ぜい田畑の青あを々した気色計ばかり眺ながめて居るものが折々賑にぎやかな都へ出ることですから見るものが珍らしく、小さな魂はみんな眼め一ツへ集つた心地がして居り升ました。 仕立やの隣りには此この辺ほとりにて余り見ぬほど立派な西洋小間物を商ふ家があり升ましたが、例のシヤツ、靴くつ足た袋び、襟えり捲まきなどが華やかにブラ下さがつて居る中うちに、子供の眼めにつく美きれ麗いなおもちやが沢山に飾つて有あり升ました。私は知らず〳〵隣となり店の方へ首を伸のばし、頻しきりにそちらへ気をとられて居るのを見て、仕立家の主ある婦じが
お嬢様、おとなりへ入いらつして御覧遊あそばしましな。
行つても好いいの?
宜よろしう御座い升とも、御覧遊あそばしたら、其先へ入つしやらずと、直ぐお帰り遊ばしまし、さう遊ばせば、何にもわるいことは御座いません。
私は外ほかへ行かぬことにシカト約束を諦きめて、二足三足歩むと隣りの店の前へ参り升ました。私は此時心の中うちに此店の主人ほど羨うらやましい人はないと思ひ、あんなか愛い人形を棚たなへのせて構かまはずにゐられるとは不思議な人、わたしならばあの人形、あのゴム鞠まり、アレあの異人笛、どうしてあゝして飾つて計ばかり置かれやう、おまけに人がお金を出したとて、どうして手離すことが出来るだらうと思案いたし升ました。私はまばゆい程華やかな店先に佇たたずんでトント夢中に見み惚とれて居たものと見え、店の主人が近よつて声をかけ升ました時ビツクラし升ました。
嬢さま、おはいりなさいまし。
声を和らげ、微え笑みをつくつた其様子を見て、マアなんといふ深切な人だかと嬉うれしく、早速敷居を跨またぎ升ました。主人はいよ〳〵笑顔になり、
嬢さま、何がお眼 に止 り升 た? 何ぞお買ひなすつて。
といひ升から、知らぬ店へ立寄るは物を買ふ
いゝえ、なんにも買ふのぢやないの。
それはどうも、イヤナニ此人形や風琴はツイをとついイギリスの船で揚り升ましたものですから、丁度好よい処ところで、ヘイ、なんぞ御意に入つたものは御座い升まいかナ、ナニ十日もたち升とみんな売うれ切きれ升ますからナ。折角お出いでですからなんぞ……
オヤ、さう、みんな売れつちまふの? みんななくなるの?
と
左様ですとも、モウいまにどん/\買 においでなさい升。見る中 になくなつてしまひ升。
いひながら側そばにあつた小形の風琴をとり、両手をかけて引き伸のばすと雑作もなく﹁てふちよ、てふちよ﹂と何ともいはれぬ面白い調子に鳴り出し升ました。私はあつけにとられて、聞きき惚とれて居升と、主人はます〳〵得意に商買口をきく、見たり聞きいたりして居る私は兼かねての決心も何もかも忘れ果てゝむやみと風琴が欲しくなり、見てとる主人は花とく主いを逃さずたうとう売うりつけてしまひ升まして、新聞紙へ包んだ風琴を持つて其店を出升ました時は、巾きん着ちやくへ納めて懐へ入れた大事の〳〵金貨がチヤント人手に渡つてしまつて居り升ました。
私は父と家へ帰りしな、此この風琴の弾ひき易やすいことを父に話し。
とうさま、両方の手に持つて引張つたり、縮めたりしさへすればようく鳴るんですよ、易やさしいの、いつでもおとうさまにひいてあげ升よ。
といひ升ましたが、父は銀行へ行つた用事のことでも考へてか、墓はか々ばか敷しく返事もして呉くれませんかつた。家へ着き升と母は他出して留守でしたから、早速祖父に見せますと、これも別段よく買つて来たとも、わるかたつともいはず、善根を蒔まく為ためにつかはうといつた言葉を無にしたといつて驚ろく様子も有ありませんでしたが、さりとて私は心の中うちに何となく咎とがめられてソロ〳〵風琴を買つたことが嫌いやになつて来升ました。何はさて置き、おもちや屋の亭てい主しゆがした通りを真ま似ねて、引ひいて見ても縮めて見ても、どうひねくり廻まはしても﹁てふちよ、てふちよ﹂のふしは出いでず、よつて此この時始めて悟り升ました、此風琴も琴、三味線同様、一々人に習はなければ何のふしも出せないといふことを。恥しさと口くち惜おしさに二階の暗がりで風琴を前へ置いて泣いて居り升と、母が丁度帰つて来まして、此様子を見てビツクリし。
おまへどうおしだ?
私は母の顔を見ると一層激しくシヤクリあげ、
アノ………アノこんなもの買つちまつたの………弾けも何もしないものを………モウ黄金……黄金機会がなくなつちまつたア――
と
オヤ、モウあの金貨をつかつてしまひ升ましたの? 長やの捨ステ坊ばうを学校へやる筈ではなかつたの、あのお金があれば、半年学校へやれるつていつて聞かせて上あげたでせう。
おまへモウ買つてしまつたのだから仕方がないけれど、よく考へて御覧なさいよ。おまへも善よい事をし度たいとおもはないではないが、一生懸命にならないからいけませんよ。それが熱心でないといふのです。誰たれでも善よい事ことをし度たくないとおもふ人はないが、本気になつて、一心にそれをしようと思ふ人と好よい加かげ減んに上つらでし度たいと思ふ人とで大変な違ひになるんですよ。おまへは子供にしては余程のお金を持つて、それを善よい事につかへば、大層立派な行状が出来たものを、大切な機会を外しておしまひだつたよ。
あのお捨坊 を半年学校へやつて御覧、それこそあの児 の為 にどの位結搆 なことだつたか知 ませんよ、第一読書のことも少しは覚えられる、また色 /\身の為 になる結搆 なお話しもきける、あの児 の一生にどの位利益があつたか知れませんよ、さうして其立派な善行を行ふ機会を何ととりかへたかといへば………
私はこれまで聞いてモウたまらなくなり、
私が大へんわるかつたんですから、かあさまどうぞ御免下さい、買ふつもりでも何でもないんでしたもの、あの人が弾ひいてるの聞いてたら、みんな忘れつちまつたんです。知らないで、ウツカリ買つちまつたんです。モウ決してこんな事しませんネイ、かあさま、モウおもちや屋なんか行ゆきませんよ。
オヤおまへおもちや屋﹇#﹁おもちや屋﹂は底本では﹁おもち屋﹂﹈計ばかりりが決心の忘れ処ところだとお思ひか、気をつけないとまだ他の処ところで幾度かこんなことをし升よ。
かあさま、それでは私はモウどうしても善よいことは出来升まいか、私が何か善よい事ことをしようと思ひ升と、いつの間にか外の考へが来て邪魔をして居升もの。とうさまが私のことを棒ふらの様だなんて仰おつしやるんですもの。
おまへは決心をしてそれを為し遂とげることの六ヶ敷しい方ほうには違ひ有ありません。それが為ためにおまへもいかい苦労をおしだ、わたしも中なか〳〵はたで気が揉もめ升。しかしまた少ちひさいにしては感心な処ところも有あり升ます。それはおまへを高慢にしよう為ためではない、余り気を落さない為ために話して聞かせて置おき升。
かあさま、それは何ですか早く話して頂ちや戴うだい。
ナニネ、おまへが真実善をし度たいと思ふ心根です。たとひウツカリ忘れて、ずるに諦きめたことをせずにしまふことが有ても、又思おもひ直して新らしく決心をするから、それが一ツ取どころです。だん〳〵其その忘れる癖くせを矯ため直して、心を落着け、恐れ多いことですが、総すべて聖ただしき御心のまゝに治めて入いらつしやる御みか神みの見まへと思つて万事する様にしたら、キツトしまひには思ひ通り出来る様になりませう。
かあさま、本統に仰おつしやる通りですよ、此風琴を見ると心地がわるくなり升から、たゝんでしまひませうネかあさま、
といつて、此時涙を拭ぬぐひながら其おもちやを片づけ升た。銀貨と銅貨はまだ残つて居り升たが、黄金機会はモウおしまひでした。
此この次は銀と銅の機会を私がどうつかつたかお話しいたしませう。
下
さて私の誕生日も過ぎて一週間あとになつた時までも銀貨は銅貨とも〳〵例の絹の袋に居残つて手をつけずに有あり升ました。私は一旦たん落した気も今は漸やうやく取り直して、あの銀貨はどうしてつかはうとソロ〳〵分別し始め升ました。一銭銅貨なんぞどう出来ようと思ひ升ました故、それは始めからあてにしては居をりませんかつた。 私の直じき近処に塩しほ煎せん餅べいを売つて細々暮らしを立てゝ居た可愛さうな後家が有あり升ましたが、母は家政を整へて次には貧民の面倒を見ることを義つと務めにして居た人ですから、此この後家を気の毒がつて何かにつけて力になつておやりでした。丁度此時分此女が少し病気で、いとゞ不自由の中を十日計ばかりも寝て居り升ましたから、母は折々私をつれてこの女を見舞ひ、私は母に申まうしつけられて毎日の様やうに参つて食たべ物もつなども運んでやり升た。ある日母は独りで此この女のところへ行つて来たかへりがけに、私を見かけて一ちよ寸つとと手でまねき、かういひ升ました。
おまへ、あの銀貨をあの金貨の埋うめ合あはせになんぞ善よいことにつかい度たいとおいひだつけネ、あの塩しほ煎せん餅べいやのかみさんもモウ大分よくなつたから、二三日中には田舎へ行いき切きつりに行くつて、けふいつてましたよ、おまへもあの女に今まで可愛がつてお貰もらひだつたから、日ひよ和り下げ駄たの一足もそれで買つておやりだと好いいネ。それとも外につかひ道があればだが。
いゝえ、かあさま何にもつかひ道を考へちやないの、だから買つてやりますよ、本たうに好よいこと、かあさま悦よろこび升ますかネ、
それは大おほ悦よろこびでせうよ、それではそれとお諦きめだネ、おまへが買つておやりでなければわたしが買つて贐せんべつにやらうと思つてたのです。おまへ又お忘れでないよ。おとうさまが明あし日たは町へお出いでだから其時行つて見て来たら好いいでせう。
私は先日の取りかへしをする積りで心嬉うれしく、イソ〳〵して居る処ところへ私の従いと妹こ二人から其その晩言こと伝つてがあつて、明あくる日の午ひる過すぎに遊びにくるといふことでした。これは私が自分で玉たう蜀もろ黍こしを蒔いてよく出来たから見に来きてと此間いつてやつたからのことで、私の大だい中なか好よしの人たち故、日ひよ和り下げ駄た一件は一ちよ寸つと忘れてしまひ、其晩枕まくらについてからもいろ〳〵あしたの楽しみのことを思おもつて、夢にまで見る位でした。あくる日になると、私は朝飯前から畑へ出て丹精の植うゑ物ものを眺ながめ、艶つや々つやした葉の緑の吹流し見た様な処ところ、アツサリした茶色の髪が奇麗に垂れた間から黄金色の実の見える塩あん梅ばいなどをト見カウ見して、従いと妹こたちがどの様に羨うらやましがるだらう、折角美事に出来て居るものだから惜しいけれど是非二三本は掻かいて御ごち馳そ走うせねばなるまいなどと。考へる中うちにフト思ひついたことが有つて、手を拍うち升ました、さうだ〳〵、さうしよう、此葦よし洲ずと此朝顔、これを上へ這ははして丁度好よい涼み場になる、玉たう蜀もろ黍こし畑によく見えるこゝへと独りで合点した、折しも朝飯が出来たとて、母の声で呼ばれ升ました故心に楽しみある身は、何より軽く、トン〳〵跳はねながら家うちへ参り升ました。
御飯も大急ぎに済まし、作さく男をとこのぢいやに委細を呑のみ込こませ、四よす角みに竹を打込むから、よしずを廻まはり三方と屋根へくご繩なはで結びつけるまでもして貰もらひ、あとは自分でさま〳〵工夫を凝らして見みに憎くい処ところのない様に朝あさ貌がほの蔓つるをあちらこちらへ這ははせ升た。此この凝こん胆たんをして居る最中に父が出て参り升て、
アヽおまへこゝに居たネ、おつかさんが町へつれてつて呉 れろといつたが、行くなら早く仕度をするが好 い、直 と出るから、
といひ升から、私は時のたつたのにビツクラし、
オヤモウ十時ですか、今行けば此この涼すず場みばがどうしても間に合ひませんネ、
何に間に合わんといふのだ?
アレ、とうさま、吉ヨシ田ダのとしちやんと秀ヒデちやんがくるんですよ、モウお忘れなすつて?
さうだつたナ、さういふ大切なことを忘れては済まんかつた、アハヽヽ併しあれらが来る設まうけにするのならば、家に居て拵こしらへてしまふがよからう町はまたこん度としてナ。
父は例の下げ駄たのはなしは少しも知らぬもの故、かうしたので、それを知つてはこの様には勤めなかつたらうと思ひながら私は家に居ゐ度たくもあり、さりとて前日の決心に対し、行かぬといへば何となく済まぬ様なりて、少しく躊ため躇らつて居ると、母も出て参り升たから、母に頼んで諦めて貰もらはうと思ひつき升た。父は母に
この児 は今 拵 らへて居る涼場 を仕挙度 さうだから、けふはうちに居るとしたらよからう、それにけふは連れて行つて都合のよくないこともあるから、尤も大した用事なら格別だが。
母が答へる暇いとまのない中に父は足早に家の方へ行つてしまひ私は朝あさ貌がほの蔓つるを手に持つたなりで惘ぼん然やりとあとを見送つて居り升た。母は私にあとを追ひかけて行けと命ずるかとおもひ升たが、さうもせず、併しかしどうやらジツト私の様子を見て居る様に掛けね念んされて、まだモヂ〳〵して居升と、折よくぢいやが庭の草花を植ゑ直す指図をして貰もらひに来て、母はぢいやを先にたて、行つてしまひ升た。私は始めてホツト息をつき、下げ駄たはいづれ其その中うちに買はうと自分ながら気安めな考かんがへをして居り升た。
私はこれより心のムシヤクシヤするのを追払らふ積りで一際精神籠こめて働らき、昼ひる頃ごろまでに美事立派な亭ちんが出来あがり升た。高さこそは私の丈せいより少し低い位でしたが、三人坐すわつて遊ぶにはもつてこいといふ加減で、下にぢいやに頼んで枯かれ草くさを敷いて貰もらひ、其その上へ胡ご座ざを敷しくやらおもちやの茶道具を運ぶやらすつかり来客の仕度をして待つて居り升た。
午ごは飯んをしまつて少し過ぎると、二人の従いと妹こが参り升たから蜀たう畑もろこしばたけを見せ、手製の亭ちんを見せると、二人は慾よく目めで見る私さへ満足するほどに賞ほめ揚そやしてくれ升て、私も大分得意になり、此日はいつもより身に染しみて愛想よくし、三人とも暮方まで思ふ存分遊び興じ升た。遊びに耽ふければ是非思はぬいたづらもするもので、私は此この日父の言いひつけを忘れてウツカリ桃の実を屋根へ投はふり挙げ、二階座敷へ近ごろいれた大版のガラス二枚破こはし升た。
此日は土曜日でしたが、あくる日曜日を措おいて、月曜日学校から、帰つて来て家に居ると、父が窓下を通る処ところを見かけ升ましたから、側そばに居た母にもし父が町へ行くのならば、一処に行き度たいと申升た、すると母が
おまへ何しに行くのだえ?
あれ、かあさま、塩しほ煎せん餅べいやのをばさんにやる下げ駄たを買ひにですよ。
アヽヽそれならば、モウ今朝早く立ち升たよ。
母は私の顔を見ず、何となく不興気にかういひ升た。さうして見みれば、母は私の忘れて居る間に下げ駄たを買つておやりなすつたことか、もしさうでなければあの歯かけ下げ駄たをはいて田舎まで行つたかしら、あの人はよく私を可愛がつて呉くれたつけにヽヽヽヽアヽわるいことをした、又しても面目ないと思ひ出し、一言も口へは出ず、ソツト抜け出して、庭へ出て見ると、パツタリ父に出で逢あひ升た、父は南みな向みむきの二階座敷を下から眺ながめて、ガラス障子の穴に気の附ついたものと見え
アヽ、これ、あの障子はおまへがこはしたのか?
うつむく私の様子を見て、少し厳しく、
おとうさま、御免なさいな。
おまへは詫わびをしても忘れるから困り升。今度は忘れさせない様にせずばなるまい、おまへ自分の金をいくらか持つて居るか?
二十銭の銀貨と一銭銅貨と持つて居升の。
中なか〳〵それではあのガラスを取代へる事は出来んが、先まづ其その銭はおまへのいたづらの罰金にとつて置かう。
かう聞くと共に私の眼めは涙で一杯になつて、例の袋をさぐる手先が見えぬ程でした、それ故父の顔も見ず甲か斐ひ絹き袋のまゝ渡し升と、父は妙なかほつきして暫しばらく其袋を眺ながめて居り升た。さまで念入れに拵こしらへた袋を見ては、罰金をとるのが可愛さうになつたのでしたらう。
おまへこれ丈 しか持つて居ぬのか?
エー………あと銅貨が一ツある切り………
エー………あと銅貨が一ツある切り………
といつて、私は子供ながらも、父が其金を罰金にとるを非常につらく思つて居つたことはようく分つて居り升た。父は手の平へ其その袋を載せてやゝ姑しばらく眺ながめて居り升たから、私は今度限り勘弁してやるといつて、返して呉くれるかと一寸は思ひ升た、併しそれほど姑こそ息くな父ではありませんから、懲こらしめはつまり私の為ためと思切つて、其その金を懐へ収め、
これに懲 て今度はモツト気をつけるが好 い。
といひながら向ふへ行つていまひ升た。私は父の影が見えなくなると直すぐ前日拵こしらへた亭ちんへかけ込んで、声を惜おしまず泣なき叫さけび升た。
子供のうち過あやまちをして罰せられた時泣くのは、自分のわるかつたことを後悔するのか、罰しられるが悲しいのか、よく区別がつかぬものです。私も此時までは罰しられて泣く時の涙の訳を我ながら知らずに居り升た。然るに此時はいたづらをして罰金をとられたといふことよりも、父が当惑な顔をして、心を痛めたといふことに………自分が遊戯に耽ふけつて善をする機会を失なつてしまつたといふことよりも、なぜ自分はかうも意い気く地じなく善よい決心が守れまいといふ口くち惜おしさに泣けたのでした。私はまだ泣なきながらフト頭を挙げて見升と、父が気の毒さうな顔をして側そばに立つて居升たから、なにやら恥しい気がして、口早に、
とうさま、あのお金を取りあげておしまひなすつたつて、泣 てるんぢや有 ませんよ。
それでは何を泣 て居るのだ?
それでは何を
といつて、私を椽ゑん先さきまで手を引いて行き、側そばへ坐すわらせ柔和に私の憂うれひの基もといを問ふてくれた父に私は心をすつかり打あけて、どうぞ決心のよく守れる仕方を教へてと頼み升た。
存外おはなしが長くなり升てお躰屈でせうが紙数が限つて有升から銅貨のお話しは此次へ廻します。
下 続
父は静に私を諭して、つまり此このごろの失策が私の稽けい古こで、父の教おしへより母の諭しより私の為ためになるのだから、よく心を沈めて考へる様やうにと申されました。父の言葉を一々今覚えて居をりませんが、たゞ一ツしつかりと私の心に留つたことがあり升ます、何かといふと、自分の弱味を知る時は即すなはち自分の強くなる時で、人は進歩しようと思ふには一歩〳〵自修して行ゆかねばならぬといふことです。父が話しをやめ升た時、私は嘆ため息いきをつき、
とうさま、モウ黄金機会も何もなくなつて、たつた此この銅貨一ツになつちまひ升たよ。
其その一銭でも真心をもつてつかへば、決して馬ば鹿かに出来ない好よい結果があるかも知れんよ。
父は間もなく用事が出来て行つてしまひ、私も子供心に憂うれひを長く覚えては居ず、椽ゑん先さきで手てま鞠りをついて居り升た。暫しばらくする中うちに、時々母がものを恵んでやつた貧乏のおばあさんが門から這は入いつて来升ましたが、間もなく下女の声ですげなく
御新さまはさつきお出かけで、まだお帰りはないよ、アー、いつお帰りになるかネー、分らないよ。
といふが
ちよいと、おばあさん、お待 なさいよ、これ………
とて手に載せて出したものを見て、老母は始めは驚いた様子でしたが、
嬢さん、ありがたう。
も、口の内で、又トボ/\家路さして帰り升た。何ことと
可哀さうに、よくおやりなさい升たネ、あのばあさんは、ぢいさんと一処にあした救育院へやられつちまふんですとさ可哀さうに、
と繰くりかへして言つて居升ました、私は漸やうやく一銭銅貨のつかひ処ところを見つけて、まづよかつたと安心した。ばあさんも気の毒と思はないでも有ありませんかつたが、別段久しくは覚えて居ず、其そのまゝ時を過ごし升た。
さてこれからどの位たち升たか、半月か一月もたつたことでしたらう、私は妹いもとを連れて、のぶといふ守もりと一処に遊びに出升た。花を摘つみ、木きい栂ちごをとりなどして、小半日もあちこちと遊び歩き升て妹いもとは草くた臥びれたとて泣出し升たから、日影の草原へ腰かけて息やすんで居升と、間近に見える草屋根の家うちから、ばあさんが古ふる手てお桶けを下げて出て参り升て、私どもの腰かけてる側かたはらの小川の中へ手てお桶けを浸し、半分ほどはいつた水を重気に持もちあげ升た。此この時までもばあさんは私どものこゝに居るに気つかず、私も格別気を止めませんかつたが、のぶが急に声をかけて、
オヤ、おとめさん、此節はおかはりも有ありませんか、おぢいさんはどうし升た。
アヽ、ナニ、こねいだは大分好いいよ、ぢいさまもネ、この頃ごろは又畑へ出て、アレあすこに、人の仕事してるとこで石ツころを拾はして貰もらつてまさあ。ハヽイヤ、ふたりともこねいだからいつにねい、笑わらあこともあるんだ、アハヽヽ
あの、うちでもみんな悦よろこんで居升ましたよ、おとめさん夫婦はとんだ仕合せだつてネ、御新さまなんども大へんと悦よろこんでおいでなすつたよ。
どうも有ありがていこつてネ。
といひながらまだ何か話したさうに、手てお桶けを川かは端ぎしへ置き、一本橋を渡つて私どもの側そばへ参り升た。のぶは丁寧に自分の腰こし掛かけた草を別わけて老母を腰かけさせ升た、私は麦むぎ藁わらで螢ほた籠るかごを編んで居り升ましたから、両人の話しを聞くとはなしに聞いて居り升た。のぶは好よい話し合手を見つけたといふ調子で、
で、家賃も何もみんな払へたつて本統ですか? 芳ヨシさんなんて善いい息子をお持ちなすつたのが何よりお仕合せですネ。
さうともネ、なんてい、有ありがていこつたか、おつかさんがよくしておくんなすつた恩は忘れませんてネ、よ、手紙へけいてよこしてさ、あの児こがネ、ほんたうに孝行だよ。
おとめさん、始めつからの話しをおきかせなさいな。話さうともネ、あの日さ、御新さんとけへ行つた時ネ、どうもわたしもよつぽど困つてたのさ、なんて、気持がわるかつたかよ、なんだつていふと、あの朝大家さまから使つかひが来てネ、おめひら何年もこゝに居て気の毒だが、さう〳〵店たな賃ちんが滞つちやア困るから、どうも仕方がねい、あしたにも出てもれひてい、おれの方からねげひ出して救育院ていのへ遣やつてやるつてネ、
ほんたうにひどいネー、こんなに長く居た人たちを………
ばあさんはあとをつぎ、
それさ、わたしもあんまりだと思ふから、いつたのさ、御尤様 ですとネ、御尤様にやア相違御ぜいませんけど、あの通りぢいさんも足が痛んで寝て居るもんで、今ちつと勘弁は出来升めいかつて、いつて見ても、中々いふことを聞いて呉 れるどこでない、ひでい権幕で、おめいらの様なものへは一日も貸して置 かれねい、店賃計 ぢやねい、あつちこつち借財 があるさうだつていはつしやる、さういへばさうなんだが、わたしらあ茶だら一杯入れやしねい、倹約に倹約して暮らして居たんだからネ、
のぶはまた話しの腰を折つて、
いくら借かりておいでなすつたんだネ?
そつちこつちで三両二分もあつたかネ、それに店たな賃ちんが三月分溜たまつて二両と七〆さ。米やへは其その前めいに払ひして、薬料はやる、家うちにあ、からつきり一文もなかつたんだよ、食べるものといつたら一とかけらだつてなくなつてさ。
そこを助けたんだから芳ヨシさんもほんたうに孝行だネ、
さうとも、わたしの腹を痛めた児こぢやアねいがネ、実の児ことおんなじこと、可愛がつてそだつたから、をやぢよりわたしをこよしがるくらゐだよ。だが、あゝしてうちを出て人につかはれて居るんだから、あの時分居どこが知れなくなつてネ、なほと困つたんだ。丁度あの日わたしも実困つちまつてよ、どうすることもなしだから、いつも贔ひい屓きにしておくんなはる御新さんにおはなしゝて、迚とても大変なお金だからしやうがあるめいけど、たゞ可哀さうだつていつて貰もらつてもそれ丈だけ気もちが好よいと思つてさ、
本にさうとも、気の毒がつて貰もらふ計ばかりでも、嬉うれしいもんですからネ。
御新さんもお留守ださうで、むだ足して帰るとこをよ、この嬢さんがひよつくら来て、一銭銅貨アくれたんだ、可愛らしいけんど、どうすべい、五両も六両も借かりてるもんに一銭があになるべいと思つたが、よく〳〵思ひ直して、今夜つける油もねいから、よし〳〵これで蝋らふ燭そく一挺ちやう買かつてぢいさんとふたり暗くら闇やみで今夜泣くとこを、このおかげに、燈あかりがつけられると思つてネ、万よろづやへボツ〳〵いつて蝋らふ燭そく一挺ちやう買つてネ、直すぐ帰らうとすると万よろづやの五ゴ郎ロ兵ベ衛イどんが、おとめさん久ひさ振しぶりだ一服吸つていきなつて愛想するから、其気になつてちよつこら腰を息やすめてると、そこへあすこのかみさんが出て来てネ、思おも付ひついた様に﹁オヤ、おとめさんかへ? きのふ来た手紙を忘れずにやらないでは﹂といふので、五ゴ郎ロ兵ベ衛イどんも漸やうやく気がついたと見えて、﹁さうだつけ、モウちつとで忘れるとこだつけ﹂といふ様な訳さネ。わたしも粟あはアくつて、﹁なにかへ、芳ヨシんとこから来たんぢやねいか﹂ツていふと、これだといふのさ、挨あい拶さつもろくにしねいでうちへけいて蝋らふ燭そくうつけてぢいさんに読んで貰もらふと、今度福井ツていふ方かたへお供に来て、大分お金の貰もらはれる様になつたから月々送る、これは久しく溜ためておいたのだから少し計ばかりだけどつてネ、十円札が一枚はいつて居るぢやねいか、ぢいさんもわたしも頭ア挙あがらなかつたネ、嬉うれし泣なきになけてよ、
ばあさんは其その金で店たな賃ちんも、他ほかの借財も奇麗に払つたといふ話しをまだ長々としつゞけ、大家がどんな顔せしたとか、あとに残つたお金はどうつかふとか聞手のあるまゝに嬉うれしげに話しつゞけまして、私が一銭銅貨をやつた時とは月と炭たど団んほどもちがふ顔して、大口にアハヽヽアハヽヽヽと笑い興じ升て、一時間余もたつたあとで漸やうやく手てお桶け下げて家へはいり升た。ばあさんにも、おのぶにも少しも気がつかなかつた様子でしたが、私は子供心に此老夫婦の悦よろこびの中には私の一銭銅貨が余よつほど役にたつて居るといふことを気づき升た。おのぶにも申ませんでしたが、私は帰りがけ何となく嬉うれしく、自分の手柄ではない中にも一銭を真心もつて人に恵んだおかげに金銀に勝まさつたつかひ様が出来たと思ひ、足が地につかない様に跳とび〳〵家に帰り升た。