﹁今日は二人で、こうして海を眺めながら、歌を作り合ふじやありませんか。 貴方は文科へ行つてゐらつしやるのだから定めし詩や歌をお作りになることがお上手でせう。 私なんか、どうもたゞ下手の横好で……ちよつと待つて下さい――えゝと、 ひとつ出来ました。 まあこんなものですが、見て下さい。﹂ ﹁……ウム。こりや、うまい、ほんとにうまい、実によく整つてゐますね。﹂俺にはとてもこんなに巧みに歌ふことは出来ない、と私は思ひました。 ﹁さあ今度は貴方の番です。﹂ ﹁私は出来さうもありません。﹂と私は自分の心の儘を云ひました。 ﹁戯じよ談うだんじやありませんよ。謙遜されては私が困つて仕舞ひます。﹂ ﹁謙遜? ハツハヽヽ、それや恐れ入つた。﹂ ﹁私には、まあそれは謙遜とより他に思へませんもの、だつて、 貴方は朝からこうして、黙つて海ばかり眺めて暮してゐるじやありませんか。 それは歌でなければなりません。詩でなければなりません。――もういゝ時分です。歌が出来上つた時分です、さあお聞かせ下さい。﹂ ――何と云はれても出来なければ仕方がない。成程俺は今朝から海ばかり眺めてゐる、その間には多少、詩になりさうな気持も浮むで来ないでもない……然し俺にはそんな気持はどうしても書き現すことは出来ない、俺は、 ﹁最後のものを歌ひ度い。﹂――美しい、と思つた瞬間、悲しいと思つた瞬間、それは俺にとつて﹁最後のものだ。﹂それが書ければ文句はないのだが……俺は常にその刹那に出遇つた時、ふとある空虚を感ずる、何といふ悲惨なことだらう……悲しい、と感じた瞬間には、俺は、﹁余り悲しくない﹂と思つてしまふ――と、笑ひたくさへなつてしまふ――俺は﹁恍惚﹂に浸る夢心地をもつことが出来ないのだ、あゝ俺はもう今、俺の想ひは、この人に責められてゐるといふことから全々離れてしまつた――。 私はこんな事を考へて居りました。 ﹁さあ、もうお出来になつたでせう。﹂ ﹁――――﹂ ﹁一体貴方はこの美しい海を、どんな気持で眺めていらつしやるのですか。﹂その人の句調には大分私の芸術的感覚を疑ふやうな色が見へて参りました。 ﹁――――﹂ ﹁それに答へられないといふのは何といふ怪し気なことでせう。﹂ ﹁僕は……別になんにも考へてゐませんよ。﹂ ﹁どうか正直な事を云つて下さい。あの美しい空の色を何と歌はうとしてゐるか、とか、あの紺碧の水を渡る白鳥について、とかと、ね、貴方の眼に写つた儘でも……それが貴方の詩となり歌とならなければならないのです、ですから――貴方の今の瞬間の気持をどうか正直に云つて下さい。﹂ ﹁僕は、今頼むだ子供が早く煙草を買つて来て呉れゝばいゝと思つてゐます。﹂私は、思つてゐる事を正直に云へと云はれましたので、正直に答へました。 ﹁へえ﹂その人は大変に驚いた。と云ふ顔付をしました。 ﹁貴方は芸術家にならむがために文科へ通つてゐらつしやるのでせう。﹂その人は親のやうな威厳を示して云ひました。 ﹁まあ……そんなやうなつもりで。﹂私は心から恥入つて――仕方がなく、ニヤニヤ笑ひながら答へました。 ﹁貴方は詩人じやないのですね。﹂その人は勝ち誇つたやうに云ひました。 ﹁……まあ、そうですかね。﹂私は悲しい気持︵?︶になつて答へました。 ﹁私は貴方のやうな非芸術的な――似非詩人とは絶交します。﹂その人は行つてしまひました。 私は砂をはらつて立ち上りました。浜風がそよ〳〵と吹いてゐましたので、私はうまく煙草に火がつけばいゝが、と思ひながらマツチをすりました。舌がピリピリしたので、ペツと唾を吐きました。