砂がき

竹久夢二




     十字架

”神は彼を罰して
 一人の女性の手に
 わたし給へり”










     



 

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     自畫自贊

ほんたうの心は互に見ぬやうに
言はせぬやうに眼をとぢて
いたはられつゝきはきたが
何か心が身にそはぬ。
昨日のまゝの娘なら
昨日のまゝですんだもの
何か心が身にそはぬ
 男は女の貞操を疑つてゐるのである。ほんたうの事を知りたいけれど、聞くのを恐れてゐる。それでも何かのふしにとう/\言つて了つた。女はつと顏をあげて氷も燃えるやうな眼ざしをして、男を見つめた。やがて口の端に不自然な冷笑を浮べたかと思ふと「あなたは馬鹿ね!」と言つた。
「あなたの胸へ顏を埋めて泣きながら、ひどいわ/\ほんたうにそんなことなんかないんですもの。と言へばあなたはすつかりほんたうになさるでせう。けれどあたしがあつた事をすつかり話しちまつたらあなたはまあどうなさる。そして、それをほんたうにしないで、まだ外にもあるだらうつて、きつと聞くでせう。あたしはあなたにくど/\と責められるのがうるさいから、好い加減な事を言ふわ。それをあなたは聞きたいんですか?」男は世の中がくら/\つと覆つたやうに感じて、剥製の梟のやうなうつろな眼を女の方へ向けて、いふべき言葉を知らぬ人のやうに、長い間見つめてゐた。

ふたりをば
ひとつにしたとおもうたは
つひかなしみのときばかり。
 二人の上にかなりの月日が流れた。處に馴れ生活に慣れ運命に慣れて、二人があり得ることを感謝する念がなくなつたから、二人はもう全く別々な生活の感覺を持つやうになつた。それでも人生の路上には運命の恐しさを感じて、一つ線の上で心が觸れ合ふ時がある。悲しみの涙の中に二人の心が漂ひながらいつか抱合ふ。

いつのゆふべの枕邊に
おきわすれたる心ぞも
けふのわが身によりそひて
さみしがらする心ぞも。
 うか/\と戀のために戀をしてゐる時分の夢のかず/\は大方忘れてしまつたが、それでも淡い記憶の中に、純眞な心持で觸れあつたものだけは忘れられずにゐる。それで今の孤獨な靜寂な生活の折々に思ひ出されて却つて自分をさびしくするといふのだ。

わかきふたりは
なにもせず
なにもいはずに
ためいきばかり。
 逢つたらあれも聞きたい、これも言はう、と胸一杯に「つもる思ひ」を持つてゆくのに、さて逢つて顏を見ると、もうなにもかにも心が充ちたりて、何も言ふことがないやうな氣がして、手のおきどころに困りながらだまつてゐるといふのである。


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     流れの岸の夕暮に








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 宿姿
 
 

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姿



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     ネルのキモノの肌ざはり

「ネルのキモノの肌ざはり」といふ主題で、エキゾチツクな草畫をどれかの著書へ描いたのは、もう二十年も前になるやうだ。その後宮崎與平が「ネルのキモノ」といふ繪を描いて、太平洋の展覽會か何かに出した。ネルのキモノはよく描けてゐたが、ネルを着た女の情感サンジピリデ肉感サンジユアリテも出てゐないのを惜しいと、作者へ手紙を書いたのを思ひ出す。
 その頃は、肌ざはりの好い地質と、好もしい線と美しい影をつくるのに好い、本物のフランネルがあつた。今時のはいやにばさばさしてとても素肌に着られる代物ではない。絹裏の素袷の、甞めつくやうな柔かさも好ましいが、善い毛織物の持つ、動物質のすこし櫟り氣味の肌ざはりは、ちよつとした運動を伴ふ場合殊に好いものだ。絹物を着て汗をかいたのは好い氣持ではない。
 なにしろ肌のものをぬいで、素肌に着物をきる頃の――晩春初夏は若者の恵まれる季節だ。若者ならずとも、健康な肉體を感謝して好い季節だ。
青麥の青きをわけてはるばると
逢ひにくる子とおもへば哀し
 
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宿
 






     

 
筑波根を流して涼し隅田川

 宿
 

 
 
 
 

 
廣重のあさぎの空についついと
のぼる花火をよしと思ひぬ
田之助に誰やら似たり薄墨の
山谷をいづる影繪舟かな
 これはお縫さんの歌である。なんという威勢の好い歌であらう。田之助はほつそりした美男であつたのに、私はこんなに丸つこく肥つてゐる。松二郎は身にあはぬ、浴衣の袖を今更のやうに引張りながら考へるのだつた。
わが戀はあさぎほのめくゆふそらに
はかなく消ゆる晝の花火か
細腰のあけのほそひもほそぼそに
消ぬがにひとの花火見あぐる
ほのかなる浴衣の藍の匂より









     

 
 
 
 






     

 47-6
 
 使
 
 
 
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 西
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 鹿
 
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     西

 
 便
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 西
 
 
 
 
 
 
         
 
 
 
我飛行界新進の花形として多大の囑望を集めた天野中尉はある重大任務を帶びてフランスへ派遣を命ぜられたが半途にして歸國し歸國後打つて變つた樣に酒色の巷に耽溺し世間をして驚きと失望に陷らしめた。あまり激變、轉化。昨日の淵は今日の瀬とかはる浮世の習とは言へそれにはまた纒綿とした色々の祕密が含まれて夜の夢さへのどかならず、しかも一朝夢さめて怱如飛行機上の人となり我國未曾有の妙技を發揮し數萬の観衆の手に汗を握らせたが爆然墜落して可惜二十有餘の若木の花を散らせてしまつた。有意か無意か嬌艶牡丹のごとき藝妓小富、崇高百合の如きフランスの少女エンミイ、清楚バラの如き吉本將軍令孃美彌子によつてすべての祕密は物語られ訴へられ見る人悉く泣かざるなし。
 
 
 
 



 
 
 






 
 
 






     西

 
 姿宿
秋の夜や加茂の露臺にしよんぼりとうつむける子にこほろぎの鳴く
         ○
 秋が立つといふのに、日のうちはさすがに日本一の暑さ、東京がいつでも京都よりも十度から涼しいのはすこしくやしい。こんな夕方には銀座を歩きながら資生堂のソーダ水でも飮みたいがそれよりも播磨屋が見たい。この頃に、魚がしの人から播磨屋の舞臺姿に添へて、すばらしくいきな下駄を贈つて貰つたが、好い折がなくてまだ履かないでゐる。南座へ播磨屋でも來たらはくことにして樂しんでゐる。
金と青やなぎ花火のふりかゝる兩國の夜をきみと歩みし
堀留の藏の二階の窓の灯の青くわびしき夜もありぬべし
         ○
 ある日。京極に三馬がかゝつたときいたので、S君とおしのさんと三人夕方から出かけた。
 おしのさんは、ゑり清のシヨウヰンドをのぞいてゐる。そこには柳や薄の縫模樣のある襟が掛つてゐた。私たちは歩いた。私たちは、見覺えのある圖按の中形をきてあるく二人の女を見た。それは私が曾てもの好きで染めたものであつた。三人は、立どまつて不思議な心持で眺めた。
「たいへん不躾でございますが」とおしのさんがその女の人に聞いた。
「あなたは東京から來てお居でぢやないんでせうか、つひお召物がなつかしくておたづねしましたの」
 笑つて答へず。
そのかみの少女見むとて街をゆく我ならなくに淋しきものを
         ○
 祇園會の神興みこしが御旅所に置かれてゐる間は、路へ向いた御旅所の軒にぎつしりと、高張提灯が掛けられる。そこには、有名な席亭や商店の名が書いてある。東京ならさしづめ魚がし、柳ばし、と書いてある所だ。その前を電車が通る時、乘客が窓から首を出して合掌するのも京都でなくては見られぬ。かうして神輿が御旅所にある一週間は、參詣人が引きもきらない、この一週間に無言詣でをしたものは、どんな願の筋でも叶へられるといふことで、家を出るから往復の道すがらどんなことがあらうとも物を言はないで、お詣りするよき人もある。惡戲好きの嫖客は、自分の知つた子が通るのを待ち構へて、何がなものを言はせようとする。髮の簪をそつと抜きとつて
「これあんたのやおまへんか」
などと言つて笑はせる。
 無言詣で、無言狂言、なんといふ詩趣の豐かな畫題であろう。無言で思ひついて、宵やまの歸りに文之助茶屋へよつて、京都の神輿かきは大變靜かだがなんと言つてかくのだと聞いたら、京のは「よいな/\」と言ふのださうな。大阪は「よいしよ/\」東京のは「わつしよ/\」夏の日盛りの炎天の下で赤や黄や草色で彩つた團扇や手拭を持つて殺倒する、東京の夏祭りは、どこまでも野趣と蠻力とを持つてゐる。灼熱と喧騒のためにいやが上にも神經を昂らせたお祭佐七が、群集の喧騷の裡で、音もたてず人を殺す心持を連想する。
 それに引きかへこの祇園祭は、九十八度の炎天の下にいともしづかに雅びやかに行はれるのはさすがである。
月鉾の稚子のくちびる玉蟲の色こきほどの言の葉もがな
         


 


 
殿
 
         
 
 











   

 
         
 調

 
 
         
 
 
 
 
 麿調
 
 
 
         
卯月八日は奇黄丸それはお前何んのこつたへ、いきもとんまも蟲のせい、むかいのかゝる長ばこのペン/\草にもやるせがねえ。
鳥かげに鼠なきしてなぶられるこれも苦海のうさはらし、愚痴がのませる冷酒はしんきしんくのアヽくの世界。
蟲の音をねぎる不粹も時世なれ蟲もなかずば賣られじを因果となくよくつわ蟲。
秋の野に出て七草みれば露で小褄はみなぬれる、よしてもくんねえ鬼あざみ。
身はひとつ心はふたつ三股の流れによどむうたかたの、とけてむすぶの假枕、あかつきがたの雲の帶、なくか中洲のほとゝぎす。
忍ぶ戀路はさてはかなさよ、こんど逢ふのが命がけ涙でかくす白粉のその顏かくすむりな酒。
かねてより惡性者と知りながら虫がすいたか惚れすぎて薄情さへも場違への親切よりも身にしみていまはしんじつ身もたまも投げた朱羅宇の辻占に命とかいたもむりかいな。
         ○
 京の街はどんな小路を歩いてゐても、きつと路のつきる所には山が見える。それは京の町が昔から言はれてゐるやうに、碁盤の目のやうに南北東西に眞直に通つてゐるから、東西北の三方には實に近く山の姿が見られる。東山が紫にかすむことも、北山に時雨が降りることも、高尾栂尾の山が紅葉することも、京の人にとつては、隨分親しみの多いことなのである。江戸の女に比べて京の女は、着物の裾をはし折つて、よく歩くことが好きだ。櫻が咲いたと言へば、折詰をこしらへて青い古渡りの毛氈をぼんさんに持たせて、嵯峨の方へ出かけて、どこの田の畦でもピクニツクをはじめる。動物園の夜櫻の下、動物の糞の匂ひをかぎながら平氣で高野豆腐をたべる。かくの如き自然兒は、江戸の女の中にはないのである。「お前とならば奥山住ひ」と唄にはあるが、深川の女にはとても田園生活は出來さうもない。
         ○
靈山御山の五葉の松、竹葉なりとぞ人はいふわれも見る竹葉なりとも折りてもこん閨のかざしに。
月のまへのしらべは夜寒をつぐる秋風雲井のかりがねは琴柱におくるこゑ/″\。
世々の人のながめし月はまことの形見ぞとおもへば/\涙玉をつらぬく。
春によせし心もいつしかに秋にうつらふ黒木赤木のませのうちによしある花の色々。
吉野川には櫻をながむ龍田川には紅葉をながむ橋の上より文とりおとし水に二人の名ぞながむ。
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ゆく春や重き琵琶の抱き心
 
         
 
         
 
         

         

         
 
 
         
 
         
 
         
 
         
 
 

 
         

         

         
 
 

 

 
         
 

 
         
 
         
 






    

指がまづそれと氣のつく春の土
 これは最近「雛によする展覽會」のため、人形をつくる首を泥でこねた實感をうたつた句である。今年は春が早くきて庭の梅もくれのうちから蕾みそめて、雪がきたらどうすることかと心配しながらアトリエの窓から人形をつくりながら時折梅の枝を眺めやつたものだつた。しかし彼女はためらいながらも、氣まぐれな寒い日暖かい日を送り迎へながらも咲いた。季節のうつりかはりや、花の咲くけはひなどをこんな心持で觀察したり感得したりすることは近來のことだ。少年時代にはまるで美しい景色とか花とか注意を向けなかつたと思ふ。年と共に認識が深くなつてゆくやうだ。これはどうも日本人特有のものらしい。
野茨やこの道ゆかばふるさとか
 少年時代には何げなく見過ごしたことであるが、村から村、村から街をつなぐ街道の美しさ、あの曲り、あの高低、そしてあの無限感それから遠い村にさいたこぶしの花の明るさは、白壁の白よりも白い、あんなに朗らかな春の傳令使もあるまい。
 武藏野には野茨がまことに少いその代り、このあたりでゑごとよんでゐる、ちさの木はいたるところに見られる。くぬぎ林の中に、畑の畦道の傍に、冬の素直な枝ぶりを見せて立ち、五月はじめには三角な葉と共にまことに可憐な白い匂ひの花をつける。五月の雨に花が散りしいて、深い影を野の小徑につくつてゐる風情は、もし自然木の牧場の柵の傍にでもあればもしそれロシア更紗のガウンでもきて手籠をもつた若い細君でも過ぎてゆくとしたら、そのまゝ可憐な風景畫が得られる。總じて東京の近郊は土壤が黒くて道がぬかるみで惡いが、春先き三月のはじめころになると、さすがに土の底からもりあげる春のけはひを靴の底に感じることが出來る、丘をくだる時、すこし滑りぎみな赤土の中に、吸ひこむやうな春の誘惑がある。しかし道は平坦なもの、曲線よりも直線が短いという概念から東京の郊外も人が住むや否や、丘も森も切拂つて、オフイスへ出かける時間の節約を考へる。或は靴に土をつけないため門のうちまで自動車が入るやうに道をつける。車のわだちのあとに生えてゐたおばこ草もいつの間にかなくなつた。やがてゑごの小徑もなくなるであらうと思はれる。私はゑごの木を惜む心から、見あたり次第にゑごの木を買つてきて庭へ植つけた。實生から出來たゑごの苗木も百本ほどになつた。希望の方にはおわけしたいと思つてゐることをこの機會に書きつけておこう。
土つきし靴のいとしさや烏麥
 鹿






    

 
 
 姿調調調調
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 西
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 使調調麿()()漿173-2調
 
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 西
 



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 姿
 
 


 
 





底本:「砂がき」ノーベル書房株式会社
   1976(昭和51)年10月5日初版発行
※項の変わり目は、冒頭のごく短いものをのぞいて改頁されている。別丁の口絵を挟んだ後のみは、改丁扱いとなっているが、特にその箇所が大きな区切れ目を表しているわけではない。そこで誤解を避けるために、「改丁」されている箇所もあえて「改頁」と注記した。
※底本中には、「奥」と「奧」、「観」と「觀」、「懐」と「懷」、「騒」と「騷」、「髪」と「髮」など、新旧の関係にある文字が共に現れるが、統一はせず、ママとした。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:皆森もなみ
校正:Juki
ファイル作成:
2003年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







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JIS X 0213-


「○の中に五」    47-6
「漿」の「將」に代えて「将」    173-2