風が、山の方から吹いて来ました。学校の先生がお通りになると、街で遊んでいた生徒達たちが、みんなお辞儀をするように、風が通ると、林に立っている若い梢こずえも、野の草も、みんなお辞儀をするのでした。
風は、街の方へも吹いて来ました。それはたいそう面白そうでした。教会の十字塔を吹いたり、煙突の口で鳴ったり、街の角を廻まわるとき蜻とん蛉ぼ返りをしたりする様子は、とても面白そうで、恰ちょ度うど子供達が﹁鬼ごっこするもん寄っといで﹂と言うように、﹁ダンスをするもん寄っといで﹂といいながら、風の遊あそ仲びな間かまを集めるのでした。
風が面白そうな歌をうたいながら、ダンスをして躍おど廻りまわるので、干物台のエプロンや、子供の着物もダンスをはじめます。すると木の葉も、枝の端で踊りだす。街に落ちていた煙たば草この吸殻も、紙かみ屑くずも空に舞まい上あがって踊るのでした。
その時、街を歩いていた幸こう太たろ郎うという子供の帽子が浮かれだして、いつの間にか、幸こう太たろ郎うの頭から飛下りて、ダンスをしながら街を駆けだしました。その帽子には、長いリボンがついていたから、遠くから見るとまるで鳥のように飛ぶのでした。幸太郎は、驚いて、﹁止れ!﹂と号令をかけたが、帽子は聞えないふりをして、風とふざけながら、どんどん大通りの方までとんでゆきます。
一生懸命に、幸太郎は追っかけたから、やっとのことで追いついて、帽子のリボンを押えようとすると、またどっと風が吹いてきたので、こんどはまるで輪のようにくるくると廻まわりながら駆けだしました。
﹁坊ちゃん、なかなかつかまりませんよ。﹂
帽子が駆けながらいうのです。
すると、こんどは大おお通どおりから横町の方へ風が吹きまわしたので、幸太郎の帽子も、風と一しょに、横町へ曲ってしまいました。そしてそこにあったビール樽たるのかげへかくれました。
幸太郎は大急ぎで、横町の角まできたが、帽子は見つかりません。
﹁ぼくの帽子がないや﹂
幸太郎は、もう泣きだしそうになって言いました。帽子をつれていった風も、幸太郎を気の毒になってきて、
﹁坊ちゃん、私が見つけてあげましょう。﹂
そういって、ビール樽のかげの帽子のしっぽを、ひらひらと吹いて見せました。幸太郎は、すぐ帽子のある所を見つけました。
﹁万歳!﹂
幸太郎は、帽子の尻しっ尾ぽをつかんで叫びました。
﹁風やい、もう取られないぞ!﹂
幸太郎は、帽子のつばを両手で、しっかり握っていいました。
﹁ほう、ほう﹂風はそう言いながら、飛んで行きました。
エプロンも、木の葉も、紙かみ屑くずもまたダンスをしていたけれど、幸太郎の帽子はもうダンスをしませんでした。