街まち子この父親は、貧しい町絵師でありました。五ごが月つの幟ぼりの下絵や、稲いな荷り様の行あん燈どんや、ビラ絵を描かいて、生活をしているのでありました。しかし、街子はたいそう幸福でした。というのは、父親は街子を、このうえもなく愛していたし、街子もまた父親を世の中で一番えらくて好いい人だと思っていました。母親が早くなくなったので、街子は小学校を卒業すると、家うちにいて、父親のため朝夕の食べものをつくったり、洗濯をしたり、夜おそく父親が仕事をするときに、熱いお茶を入れたりしました。家の外を風が吹くように、貧しいことなどは、ちっとも苦労ではありませんでした。
父親も街子も、ほんとに幸しあ福わせそうでありました。
何よりも好よいことに、街子は父親の仕事を好きなばかりでなく、父親の技ぎり倆ょうを尊敬さえしていたことです。
ところが街子にとって、容易ならぬ悲かなしみが一つ出来たのであります。それは稲荷様の祭の日のことでありました。毎年の習ならいで、ことしも稲いな荷り様の境内から町内の掛かけ行あん燈どんの絵は、みんな街まち子この父親が描かいたのです。地口行燈と言って、おどけた絵に川柳など添えてかいてあるもので、通る人は一つずつそれをよんで見て喜んでいました。仕立おろしのセルをすらりときた若い奥様に、﹁どうだ、愉快だね。こんな風な絵は国宝だよ﹂そう言って見てゆく旦だん那な様もありました。
街子はそれをきいてこのうえもなく幸しあ福わせで、﹁それはあたしの父さんが描いたんですよ﹂そう言いたいほどでした。
ところが街子とおんなじ年に小学校を出て、いまは女学校へ上あがっているお友達が三人、やはり地口行燈のまえに立っていました。街子はなつかしくて傍そばへよってゆきました。するとその時、三人はどっと笑い出しました。
﹁なんて古くさい絵でしょう﹂
﹁馬ば鹿かにしてるわ﹂
﹁この眼めはどうでしょう﹂
そんなことを言いながらまたころげるように笑っていました。
それを聞いた哀れな街子は、人の影へかくれるようにしながら、家うちの方へ駈かけ出しました。それが街子の最初の悲かなしみでありました。