ある春の朝でした。
太陽は、いま薔ばら薇い色ろの雲をわけて、小山のうえを越える所でした。小さい子供は、白い小さい床ベッドの中で、まだ眠って居おりました。
﹁お起き、お起き﹂柱に掛った角時計が言いました。﹁お起き、お起き﹂そう言ったけれど、よく眠った太たろ郎うは何も聞きませんでした。﹁私が起して見ましょう﹂窓に近い木のうえに居た小鳥が言いました。
﹁坊ちゃんはいつも私に餌えさを下さるから、私がひとつ唄うたを歌って坊ちゃんを起してあげよう﹂
寝た間に
庭にいた小鳥がみんな寄って来て声をそろえて歌いました。それでも太郎はなんにも聞えないように眠っていました。
海の方から吹いて来た南なん風ぷうは、窓の所へ来て言いました。
﹁私はこの坊ちゃんをよく知ってますよ。昨日野原で坊ちゃんの凧たこを揚げたのは私だもの。窓から這は入いって坊ちゃんの頬ほっぺたへキッスをして起そう﹂
南風は、窓からカーテンをあげて子供の寝室へそっと這入っていった。そして太たろ郎うさんの紅あかい実のような頬や、若い草のような髪の毛をそよそよと吹いた。けれど子供は、何も知らぬほど深く眠っていました。
﹁坊ちゃんは私が夜の明けたのを知らせるのを待ってらっしゃるんだ﹂
庭の隅の鳥小屋からのっそのっそ自信のあるらしい歩調で出て来た牝鶏﹇#﹁牝鶏﹂は底本では﹁牡鶏﹂﹈︽めんどり︾が言いました。
﹁誰だれも私ほど坊ちゃんを知ってる者はありませんよ。私ゃね、これで坊ちゃんに大変御ごひ贔い屓きになってるんでさあ。どりゃひとつ夜よあ明けの唄うたを歌おう﹂
こっけこっけあどう。
東の山から夜が明けた
お眼めがさめたら何ど処こいきやる。
大阪天満の橋の下
千石船に帆をあげて。
こっけ、こっけ、あどう。
牝鶏の朝の唄に驚いて、親鶏の翼の下に寝ていた黄いろい雛ひなも、軒の下の鳩はとも、赤い小牛も、牧場の小屋の中へ眠っていた小羊までが眼を覚さましました。それでも太郎の眼は覚めませんでした。
この時、太陽は小山を越えて、春の空に高く輝きました。草に結んだ露は夢からさめ、鈴すず蘭らんはいちはやく朝の鐘を鳴ならしました。草も木も太陽の方へあたまをあげて、歓よろこびました。太陽はしずしずと森を越え、牧場に光を投げながら、太郎の家うちのお庭の方までやって来ました。そして窓のガラスを通して太郎の顔へ美しい光を投げました。すると太郎は、可かあ愛いい眼をぱっちりと明けました。
﹁かあちゃん、かあちゃん!﹂お母様はすぐに太郎を見に来ました。
﹁坊や、お眼がさめたの。誰が坊やを起してくれたえ?﹂
お母様がききました。けれど誰も答えるものはありませんでした。それは太郎も知りませんでしたから。