生滅の心理

田山録弥






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 では芸術の至難境は何処にあるかと言ふと、矢張この生滅の不可思議の心理を表現する所にある。
 だから、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌがあゝした形に行つたのも面白ければ、ユイズマンスがあゝした神秘の境を晩年に心がけて行つたのも面白い。トルストイにも、フロオベルにも、モウパツサンにも皆なさうした処がある。ユウゴオなどにもある。
 運命とか宿命とか言ふことを外国人の作者はよくいふ。神秘、象徴、さういふことをもよく口にする。しかもこの運命とか神秘とか言ふことは、ツルゲネフのやうなドリイミイな感傷的なものではなく、又メーテルリンクのやうな抽象的、舞台的、形式的のものではなく、もつと深く日常の生活の中にも根深くあらはれてゐるものではないか。外国の作家は何方どちらかと言へば、外面に、又は普通の心理に捉はれすぎたやうなところがありはしないか。
 先月あたり『早稲田文学』に出たカアペンタアの『感想』を読んで見たが、あれなどにも、流石は聡明な思想家だと思はれるやうな生滅の感想が多く書いてあつた。かれが今回の戦争、又は文明、文明と人間との交渉、それから起る顛倒、さういふものについていかに深く感じてゐるかといふことを考へるのも興味があつた。
 しかしかういふ風に、人間が平等観を持して来る心理状態は、私達はもつと細かく研究して見なければならない。主客融合といふ事は、私は四五年前に、長岡の温泉に行つての帰りにつく/″\体感して、自分ながらかういふ心の起つて来るのを不思議にしたが――一時は『心の迷ひ』のやうな気がしたり、『こんな消極的な考を持つては為方しかたがない』と思つたりしたが、今考へて見ると、消極どころかさういふ処からこの生滅の不可思議の心理に触れて行つたのであつた。人間に取つては『四十の峠』といふことは非常に大切だと私は思つた。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「毒と薬」耕文堂
   1918(大正7)年11月5日
初出:「文章世界 第十二巻第七号」
   1917(大正6)年7月1日
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2019年12月27日作成
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