歴史哲學

三木清






 
 广3-12

千九百三十二年一月三十一日
東京に於て
三木清



 




 historia rerum gestarum res gestae 
 Geschichte, histoire, history 
  Quellen docere documents
* Langlois et Seignobos, Introduction aux ※(アキュートアクセント付きE小文字)tudes historiques, p. 44.
 
 wirksam 穿
* Eduard Meyer, Zur Theorie und Methodik der Geschichte, Kleine Schriften 1910, S. 45, S. 57.
 
 
 
* Op. cit., S. 44.
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)καιροU+1F7917-3※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)  καιροU+1F7917-4※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) 
 Zeitperspektive der Gegenwart 
* Vgl. Ed. Spranger, Der Sinn der Voraussetzungslosigkeit in den Geisteswissenschaften, 1929.



  contemporaneit※(グレーブアクセント付きA小文字)  contemporaneit※(グレーブアクセント付きA小文字) 
  Perspektivismus 
 
 
  Metaphysik  τ※(重アクセント付きα、1-11-38) μετ※(重アクセント付きα、1-11-38) τ※(重アクセント付きα、1-11-38) φυσικ※(鋭アクセント付きα、1-11-39)  μετ※(鋭アクセント付きα、1-11-39) trans Ur-Geschichte
 



 Spricht die Seele, so spricht, ach, schon die Seele nicht mehr.  Entscheidung  Entscheidung 
  Tat-Sache 
  φιλοU+1F7929-13μυθο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)  φιλοU+1F7929-13σοφο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) 
  Antizipation  eschatologisch 
  Tathandlung Tatsache Tat  Handlung Sache  Tat Tat-sache
* Vgl. Schelling, System des transcendentalen Idealismus, WW. ※(ローマ数字1、1-13-21). 3, S. 587 ff.
 ところで第三に、このやうに身體と見らるべきものは、單に個人的身體であるのではなく、他方に於て、また社會的身體とも云ふべきものである。かやうな社會的身體を我々は、思想の歴史の傳統に從つて、種族 Gattung といふ語をもつて表はさうと思ふ。ここに謂ふ種族は人間といふ類概念のことではなく、また人類學や民族學などの對象であるやうな存在としての種族のことでもなく、人間の社會的自然のことであり、一切の人間がもつと考へられ得る社會的身體のことである。そして我々の見るところによれば、かやうな社會的身體の概念を除いて如何なる社會概念も基礎付けられることが出來ない。ブルジョワ社會の成立以來、近代的な考へ方は社會概念の解明にあたつて個人から出發するのをつねとする。ルッソオ的の社會契約説は固より、カント的な人格の共同體としての社會の概念、現代の社會學の諸學説に至るまで、殆ど凡てがそれである。然しながらこのやうにしては社會は人爲的なものとなり、或は現實的ならぬ倫理的當爲となつてしまひ、社會の現實性と根源性とは失はれてしまふ。さうではなくして、あらゆる人間は事實として社會的身體ともいふべきものを具へてゐるのであつて、そのために人間は社會の存在、從つて存在としての歴史に自己を結び付けるのである。プラトンは『シュムポジオン』の中でアリストパネスをして、昔男女は一つの全體の身體であつたが、二分されてその各々の半分が男となり女となつたのであるために、今男と女とは相求め、相愛し合ふのであるといふひとつの神話を語らしめてゐる。このやうに人間は社會的身體を有するが故に、社會の存在も作られるのであり、彼の凡ての行爲は存在としての歴史に結び付かざるを得ないのである。そのことがなければ、人間には彼の最も特色ある活動のひとつとして歴史を書くといふことも屬しないであらう。「種族」は人間の社會的「事實」である。個人的身體の保存と發達とのために自然物が消費されねばならぬやうに、種族即ち社會的身體の保存と發達とにとつては個人の死滅するといふことが必要なのである。種族は個人の犧牲を要求する。個人が社會のために喜んで犧牲にならうといふのは、種族が彼の社會的身體であるためである。シェリングは云つてゐる、「如何なる犧牲も、ひとがそれに屬する種族は、進歩することを決してやめることが出來ないといふ確信なしには可能でないとすれば、いつたいこの確信は、もしもそれが唯專ら自由の上に築かれてゐるとするならば、如何にして可能であらうか。」人類の歴史が犧牲の歴史であるところに、我々は事實としての歴史のうちに或る必然的なものが含まれてゐるのを知ることが出來る。種族はかかる必然的なものを現はすのである。云ふまでもなく、我々は種族の概念をもつて社會の階級的構成を否定し、國民主義、民族主義、人類主義、等々に加擔しようとするのではない。我々の問題にしてゐるのは一般に種々なる社會の存在が成立するに至る哲學的基礎である。即ち我々は、何故に一般に人間は自己を社會の存在に結び付けるかと問うてゐるのである。一定の構造を有する社會の存在が人間に一定の影響を及ぼし、そのために人間が一定の仕方で結合することによつて例へば階級なるものも成立するのであるが、このことは既に人間が一般に自己を社會の存在に結び付けるといふ事實の必然性を前提しなければならぬ。ここでも事實としての歴史が存在としての歴史を作るのである。固よりまた逆に存在としての歴史が事實としての歴史に影響を及ぼすことがなければ階級などいふものも構成されない。兩者のこのやうな辯證法的關係に就いては更に後に詳論される筈である。
* 拙著『觀念形態論』一九八頁以下〔全集第三卷收緑〕參照。



  Schicksal  Pathos 
*  Schleiermacher, Monologen, Hrsg. v. F. M. Schiele, S. 54.
** Hegel, Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie des Geistes, WW. ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 236.
*** Ibid. S. 550.
**** Schelling, Vorlesungen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Methode des akademischen Studiums, WW. ※(ローマ数字1、1-13-21). 5, S. 312
  Menschengattung  Menschheit  Vern※(ダイエレシス付きU小文字)nftigkeit  Leidenschaft 
*  Hegel, Encyclopaedie § 396 Zusatz.
** Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie des Geistes, WW. ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 530.
 そこで我々は運命の概念に於て表現される哲學的なものが何であるかを一層明確に規定しておかうと思ふ。運命が先づ或る必然的なものを現はすといふことは上の敍述からして明かである。然しながら單に必然的なものはなほ運命的とは云はれ得ない。因果必然的なものを我々は運命的なものとは考へないのである。寧ろ因果と運命とは根本的に對立する概念である。ヘルダーが運命をば「歴史の骰子投げ」Wurf der Geschichte と云つたやうに、運命は或る偶然的なものの意味をもち、因果法則の概念とは相容れない。しかも固より單に偶然的なものはなほ運命的なものではないのである。偶然的なものが必然的なものの意味を含むところに運命の概念は成り立つ。然しこのことは如何にして可能であらうか。偶然的なものが必然的なものの意味を含むことによつて運命的なものとなるのは、かかる偶然的なものが、普通偶然的と云はれるもののやうに、單に附帶的なもの、副次的なものではなくて、偶然的なものこそ却て原理的に根源的なものであるからであり、そして次に、かくの如く偶然的なものが否定の原理を自己自身に於て擔つてゐるからである。運命とは或る否定的なものである。ところで運命は、それが偶然性を豫想しつつしかも偶然性の否定としての必然性であるやうに、實踐的なものの上に立つ實踐的なものの否定である。それ故もし歴史的思惟が或る運命の概念を缺き得ないとすれば、歴史が單なる行動主義の立場に於て成立し得ぬこともまた明かであらう。歴史は我々が作るものであると同時に我々にとつて作られるものである。行爲が同時に物の意味をもつてゐるところに歴史はある。爲すことが同時に爲されることであるところに歴史はある。從つてヘーゲルが運命をパトス―― π※(鋭アクセント付きα、1-11-39)σχω(働きかけられる)から來た π※(鋭アクセント付きα、1-11-39)θο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ――と呼んだのは意味深きことであつて、出來事が、π※(鋭アクセント付きα、1-11-39)θημα ――パトスと同じ語原を有するこの言葉は、實際、ギリシア語に於て出來事 Ereignis の意味を有した――の意味をもつところに歴史はある。それだから運命の概念は勝れて悲劇といふ美的觀想的なものの中心概念ともなり得るのである。然しそれは決して純粹に觀想的なものを現はすのでなく、寧ろ實踐的なものを豫想しつつこれの否定としての觀想的なものである。更に運命の概念が歴史の概念に對して有する重要な意味は、前者が後者にとつて本質的な時間の概念と最も内面的につながつてゐるところにも見られる。因果の概念は時間的前後の關係を除外し得るばかりでなく、時間の關係を除外するといふことが因果的な概念構成の理想であるとも見られ得よう。因果に對して運命はたしかに或る時間的なものを現はす。時間の關係はそれにとつて決定的な意味を有する。否、ヘーゲルが「時間は自身に於て完結してゐない精神の運命であり、必然性である。」と云つた如く、時間こそ運命的なものであり、凡ての運命的なものの象徴である。「唯本來の時間性――それは同時に有限的である――のみが、運命といふやうな或るもの、即ち本來の歴史性を可能ならしめる。」とハイデッガーも書いてゐる
* Martin Heidegger, Sein und Zeit, Erste H※(ダイエレシス付きA小文字)lfte 1927, S. 385.
 西 Schicksal  Geschick 
* Vgl. Oswald Spengler, Der Untergang des Abendlandes, ※(ローマ数字1、1-13-21), 1923, S. 154 ff.



 姿
 Vgl. Emil Brunner, Erlebnis, Erkenntnis und Glaube 1923, S. 105 ff.
** 歴史的意識に關しては拙著『觀念形態論』に於ける「歴史主義と歴史」〔全集第三卷收緑〕を見よ。
 
 姿
* Wilhelm von Humboldt, Ueber die Aufgabe des Geschichtschreibers, Die sprachphilosophischen Werke Wilhelm's von Humboldt, Hrsg. v. H. Steinthal 1884, SS. 143, 144.
  philosophie de l'histoire 
 
 
* Vgl. Wilh. Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字7、1-13-27). Band 1927. なほ拙著『史的觀念論の諸問題』に於ける「ディルタイの解釋學」〔全集第二卷收録〕參照。



 




 退
 調Wirklichkeitswissenschaft 
* Vgl. Leopold v. Ranke, Ueber die Epochen der neueren Geschichte, M※(ダイエレシス付きU小文字)nchen und Leipzig, 1921, S. 18.
 現實的な如何なるものもその現實存在の理由をもつてゐる。ライプニツが定式化して云つたやうに、「理由なしには何物も存在しない。」現實存在 existentia は、他の場合に述べておいた如く、「出て來てしまつた」existit ものとして在り、それにとつてはつねに「それの出て來るもと」が豫想される。即ちそれに於ては「存在」と「存在の根據」とが區別せられるといふことが現實存在の根本的規定である。現實的なものは凡てこのやうに自己の存在とは區別せられた存在の理由または根據の上に立つのであるから、世界――歴史的世界も固より――の一切の存在は、神學的な意味を離れても、creatures ――スコラ哲學者は世界の存在を ens creatum として特性付けた――と呼ばるべき意味を擔つてゐる。神を除き、あらゆる現實的なものに於てその存在と存在の根據とは一つでない。それらは自己の存在の根據を自己のうちに含まず、却て他のもののうちに有する。これが現實存在に關する從來の存在論の傳統的な、然し今では殆ど棄てて顧みられない根本思想である。我々にとつて必要なのは、この傳統的な思想を再び取り上げ、新たに理解し直すことである、と信ぜられる。
* 拙稿「辯證法の存在論的解明」、國際ヘーゲル聯盟日本版『ヘーゲルとヘーゲル主義』〔全集第四卷收録〕參照。
 歴史的なものにして現實存在であるとするならば、そこから從つて來る第一のことは、歴史的なものはその本性に於て偶然性を含むといふことでなければならぬ。歴史が或る偶然的なものを含むといふことは、否定され難き我々の根本的な經驗に屬する。然しこのやうな偶然性の本來何であるかが十分に透察されてゐないために、歴史の偶然性といふことは果てしなき、無效果なる論爭の種となつてゐる。我々はここでも新たなる理解のもとに從來の存在論に結び付くことが出來ると思ふ。それによれば、偶然的なものとはそれの現實存在と現實存在の理由とが一ならぬものを謂ふのである。ヴォルフは次の如き定義を與へた、[#下側の右ダブル引用符、U+201E、63-9]ens necessarium est, cuius existentia absolute necessaria, contingens, quod rationem existentiae suae extra se habet.“即ち偶然的な存在とは自己の現實存在の理由を自己の外に有するもののことであつて、必然的な存在とはこれに反し、それに於ては現實存在と現實存在の理由とが一つであるところのものである。ヘーゲルもこのやうな規定を踏襲して、「偶然的なものとは一般に、その存在の根據を自己自身のうちにでなく、却て他のもののうちにもてるが如きものである」、と語つてゐる。かくて神以外の一切の現實的なものは凡て偶然的であると云はれるのである。ことわるまでもなく、偶然性に就いてのかくの如き規定は、現實的なもののその存在に於ける規定であつて、今日普通になされる如き、認識の見地から、從つて法則、殊に因果法則の見地から偶然性を規定するのとは全く異つた仕方に於ける規定である。ひとはこの場合にも先づ認識論的偏見によつて導かれるやうなことがあつてはならぬ。
 Hegel, Encyclopaedie § 145 Zusatz. 
 
 quod potest non esse 
* A. Trendelenburg, Logische Untersuchungen 1870, ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 218.
 
* Vgl. W. Windelband, Die Lehren vom Zufall 1870, S. 74. なほジンメルが現存在の自然法則的決定性の限界に就いて論じてゐるのを參照せよ。G. Simmel, Die Probleme der Geschichtsphilosophie 1922, SS. 130, 131. ジンメルに從へば、世界の現存すること、そしてそれがもともと一定の形態を有するものとして現存すること、否、自然法則の「現存」Existenz といふことでさへも、「或る單に現實的なもの、法則からは理解され得ぬものであり、寧ろ一の歴史的事實」である。我々のいふ「既に」がそれの現存を性格付けるであらう。然るに現存の問題、所謂事實の確定の問題が歴史家にとつてはどこまでも第一次的な問題である。
  Substanz  Subjekt  ens realissimum 



 Farbenraum milieu 
  race milieu  moment Anthropogeographie 
*  H. Taine, Histoire de la litt※(アキュートアクセント付きE小文字)rature anglaise.
** Herder, Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit.
*** F. Ratzel, Anthropogeographie oder Grundz※(ダイエレシス付きU小文字)ge der Anwendung der Erdkunde auf die Geschichte, ※(ローマ数字1、1-13-21). Teil, zweite Auflage, S. 21.
 使 climat Umst※(ダイエレシス付きA小文字)nde milieu logique 
*  H. Taine, Philosophie de l'art, ※(ローマ数字1、1-13-21), p. 8.
** Vgl. E. Bernheim, Lehrbuch der historischen Methode und der Geschichtsphilosophie 1914, S. 634 u. S. 677 ff. フランスの學者は「自然的環境」milieu naturel と「人爲的環境」milieu artificiel との區別を立ててゐる。P. Lafargue, Le mat※(アキュートアクセント付きE小文字)rialisme ※(アキュートアクセント付きE小文字)conomique de Charles Marx. Ch. Seignobos, La m※(アキュートアクセント付きE小文字)thode historique appliqu※(アキュートアクセント付きE小文字)e aux sciences sociales. 等參照。
*** Henri Berr, La synth※(グレーブアクセント付きE小文字)se en histoire, p. 215.
 普通考へられるところでは環境とは一般に或る外的なもののことである。そして我々もまた多くの場合このやうな考へ方を無雜作に受け容れてゐる。然しながら、既に述べた如く、環境は歴史的なものにとつて構成的な意味を有するとすれば、それは單に外的なものとは云はれ得ない。アンリ・ベルの如きが論理的ミリュウといふやうなものを認めたのも、あらゆる歴史的なものはその本性上ミリュウのうちにあると考へられねばならぬことによるのである。それ故にまたデュルケムは「内的社會的環境」milieu social interne といふ語を用ゐ、「何等かの重要性ある凡ての社會過程の最初の起原は内的社會的環境の構造のうちに尋ねられねばならぬ」、と云つてゐる。社會の形態を特性付けるにあづかる種々なる要素が内的社會的ミリュウを構成する。かかる要素として就中デュルケムが社會の容積 volume と呼ぶもの即ち社會單位の數、及び彼が社會の密度 densit※(アキュートアクセント付きE小文字) と稱するもの即ち人口の集中の度が擧げられるであらう。かくして單に外的といふことは環境の根本的な規定であり得ない。たとひそれを或る外的なものとして規定し得るとしても、問題は寧ろ、外的とは何を意味するか、外的なものに對立せしめられる内的なものとは如何なるものであるか、といふことでなければならぬ。そこで我々は一層原理的に次のやうに考へねばならないであらう。
* E. Durkheim, Les r※(グレーブアクセント付きE小文字)gles de la m※(アキュートアクセント付きE小文字)thode sociologique, p. 138.
 
  milieu g※(アキュートアクセント付きE小文字)ographie humaine Endzweck 
* 拙著『史的觀念論の諸問題』五九頁以下〔全集第二卷收録〕參照。
  Mittel Mitte
 Selbstver※(ダイエレシス付きA小文字)nderung 
 



 Bedeutung  bedeutsam 
* Vgl. W. Dilthey, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字7、1-13-27). Band, S. 232 ff.
 
  sinnf※(ダイエレシス付きA小文字)llig  passions 滿geistig-sinnliche Natur 調使
 
* Vgl. M. Heidegger, Was ist Metaphysik? 1929.
 
 Wir alle leben vom Vergangenen und gehen am Vergangenen zu Grunde. 
 Dasein ist nur ein ununterbrochnes Gewesensein, ein Ding, das davon lebt, sich selbst zu verneinen und zu verzehren, sich selbst zu widersprechen. 
 
 
 
 調宿調
* G. Simmel, Der Konflikt der modernen Kultur 1921, S. 3. なほ同じく Simmel, Die Transzendenz des Lebens in der ※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、100-1]Lebensanschauung“1918. を參照せよ。
** Op. cit., S. 28.
  veralten  verj※(ダイエレシス付きU小文字)ngen 姿
*  私はこのやうな關係を嘗て「生の歴史性」及び「歴史の生命性」といふ語で表はした。拙著『社會科學の豫備概念』一三三頁〔全集第三卷二九一頁〕以下參照。
** Hegel, Philosophie der Geschichte, Hrsg. v. Lasson, S. 10 ff.



 




 ph※(アキュートアクセント付きE小文字)nom※(グレーブアクセント付きE小文字)nes coexistants faits de r※(アキュートアクセント付きE小文字)p※(アキュートアクセント付きE小文字)tition ph※(アキュートアクセント付きE小文字)nom※(グレーブアクセント付きE小文字)nes successifs s※(アキュートアクセント付きE小文字)ries Nacheinander Nebeneinander 
*  A. D. X※(アキュートアクセント付きE小文字)nopol, La th※(アキュートアクセント付きE小文字)orie de l'histoire.
** J. G. Droysen, Natur und Geschichte, Beilage zum ※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、103-4]Grundriss der Historik.“
 然しながら發展といふことを歴史的なものの最も基礎的な規定と見ることに反對する者がある。リッカートの如きはそれであつて、彼は發展の概念に就いて論じつつ、次のやうに書いてゐる。「この規定もまた我々はもちろん、クセノポルとは反對に、歴史的なものの純粹に論理的な規定のために用ゐることが出來なかつた、なぜならそれは自然と歴史との基礎的な論理的對立を現はすのでなく、却て第二次的なものである、即ちそれは一囘的な、個別的な現實に就いての科學の概念からして初めて從つて來るのである。」リッカートに從へば、歴史的なものの最も基礎的な規定は個性的なものといふことである。個性の概念は、彼によれば、科學的に妥當し得る論理的構造に於ては、實踐的な價値評價とは區別される「價値への理論的な關係付け」によつて初めて形作られ得る。然るにいま發展にしてどのやうな發展ででもなく、特に「歴史的」發展のことであるべきであるならば、それは個性的なものの概念を含まねばならず、從つて歴史的概念構成の原理としての、價値への理論的な關係付けを基礎としなければならない。なぜなら單に生成とか、變化とか、繼起とか、發展とかいふことであれば、それは歴史に於てと同樣に自然に於ても見出され得、それがそれだけとして自然と歴史とを區別する基礎的な規定であるとは考へられ得ないのである。このやうにリッカートは云つてゐる。
* H. Rickert, Die Grenzen der naturwissenschaftlichen Begriffsbildung 1921, S. 301.
  Naturgeschichte Entwicklungswissenschaft  Heterologie 
*  F. Ratzel, Raum und Zeit in Geographie und Geologie 1907, S. 53.
** 拙著『社會科學の豫備概念』一〇一―一一三頁〔全集第三卷二五九―二六一頁〕に就きリッカートの歴史哲學に對する批評を見よ。
 いま他立法に於ては一者と他者といふ、從つてまた同一性と差異性といふ關係が最も基本的である。リッカートによれば、異他性といふものよりも論理的になほ一層根源的なものは考へられることが出來ぬ。異他性は否定に論理上先行する。これに反し辯證法によれば、矛盾こそ根本的なもの、生命的なものであり、矛盾或は否定が運動乃至發展の根源である。ここにヘーゲルをしてこの上なく深き言葉を語らしめよう。「一切の事物は自己自身に於て矛盾的である」、と彼は云ふ。「然るに矛盾が同一性ほど本質的な、内在的な規定でないかのやうに見るのは、從來の論理學の、そして普通の考へ方の根本的偏見の一である。否、もし位階が問題であり且つ二つの規定が分れたものとして固持さるべきならば、矛盾こそより深きもの、より本質的なものと見らるべきであらう。なぜなら同一性は矛盾に比しては唯單純に直接的なものの、死せる存在の規定である、然るに矛盾は一切の運動及び生命性の根源である。唯或るものが自己自身のうちに矛盾を有する限りに於てのみ、そのものは運動し、衝動と活動とを有する。」「矛盾は存在しない、それは現存するものではない、といふ主張に關して云へば、我々はこのやうな斷言を意に介することを要しない。本質の絶對的な規定は凡ての經驗のうちに、凡ての現實的なもののうちに、並にあらゆる概念のうちに見出されなければならぬ。……普通の經驗は、少くとも澤山の矛盾する事物、矛盾する制度、等々が存在し、この矛盾は單に外面的な反省に於てではなく、却てそれらのものそのもののうちに現存するといふことを、自分で言ひ表はしてゐる。然し更に矛盾は單に此處彼處に於てのみ現はれるやうな異常性と見らるべきではなく、却て否定的なものはその本質的な規定に於て、否定的なものの敍述に於てのほか存しないところの凡ての自己運動の原理である。外的な感性的な運動そのものはそれの直接的な定有である。或るものは唯、それが此の今には此處にありそして他の今には彼處にあることによつてではなく、却てそれが同一の今に於て此處に且つ此處にでなくあることによつて、それが此の此處に於て同時にあり且つないことによつて、運動するのである。ひとは昔の辯證家たちに對して、彼等が運動のうちに示してゐる諸矛盾を認めなければならない、然しながらそのことからして、それだから運動はない、といふことが從つて來るのではなく、寧ろ、運動は定有的矛盾 der daseiende Widerspruch そのものである、といふことが從つて來るのである。」
* Hegel, Wissenschaft der Logik, WW. ※(ローマ数字4、1-13-24), SS. 67, 68, 69.
 



 
 ηU+1F21110-13 τουU+1FE6110-13 δυν※(鋭アクセント付きα、1-11-39)μει οU+1F44110-13ντο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) εU+1F10110-14ντελεχεια, ιηU+1F97110-14 τοιουU+1FE6110-14τον, κιU+1F77110-14νησιU+1F77110-14※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) εU+1F10110-14στιν  organisch  οU+1F40111-11ργανικοU+1F79111-11※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) 姿εU+1F10113-6πιU+1F77113-6δοσι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ειU+1F30113-6※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) αυU+1F50113-6τοU+1F79113-6 εU+1F10113-8πιU+1F77113-8δοσι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ειU+1F30113-8※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) εU+1F10113-8ντελ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)χειαν 
*  Physica Γ. c. 1, 201a 10f.
** De anima B. 1, 2.
*** 拙稿「アリストテレス」、岩波講座『世界思潮』、〔全集第九卷收録〕參照。
**** Droysen, Grundriss der Historik 1875, S. 69.
 調
* Vgl. E. Troeltsch, ※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、116-3]Die deutsche historische Schule,“ Die Dioskuren, Erster Band 1922.
  integration  differentiationdifferentiation2t 118-1
*  H. Spencer, The Principles of Sociology, ※(ローマ数字1、1-13-21), p. 462.
** H. Driesch, Logische Studien ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Entwicklung 1918, S. 5.
 Wachstum 西
 
 
 沿
*  Schelling, Vorlesungen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Methode des akademischen Studiums, WW. ※(ローマ数字1、1-13-21) 5, S. 309ff.
** Jakob Burckhardt, Weltgeschichtliche Betrachtungen, SS. 4, 82.
 
* かくて例へばリッカートの如きも哲學の體系的編制の問題を論ずるに際し、觀想と活動なる見地を持ち出し、前者のうちに理論的觀想と美的觀想とを含ませて、道徳的行爲と解せられた後者に對置した。ついでながら、彼によれば、前者にあつては形式が内容を抱擁するに反して、後者に於ては形式が内容を貫徹する。即ち、理論と藝術とにあつては形式は共に「觀想的・抱擁的形式」kontemplativ-umschliessende Form であり、道徳に於ては形式は「活動的・貫徹的形式」aktiv-durchdringende Form である。Vgl. H. Rickert, System der Philosophie, ※(ローマ数字1、1-13-21), 1921, S. 365ff.

 υU+1F51129-14ποκειU+1F77129-14μενον στ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)ρησι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) 
 
 退id※(アキュートアクセント付きE小文字)e de progr※(グレーブアクセント付きE小文字)s



 
  Antithesis  Heterothesis 
 
 調
 
 
 姿Le pr※(アキュートアクセント付きE小文字)sent est plein du pass※(アキュートアクセント付きE小文字) et gros de l'avenir 
 
  Alter Ego 
*  L. Feuerbach, WW. ※(ローマ数字2、1-13-22), SS. 165, 208, 209, 230.
** Op. cit., SS. 167, 173, 174, 176.
 滿



 




  Geschichte  Geschehen  Sein Zeitwissenschaft ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)quid est ergo tempus? si nemo ex me quaerat, scio ; si quaerenti explicare velim, nescio. 
*  Vgl. F. Gottl, Die Grenzen der Geschichte 1904
** J. G. Droysen, Grundriss der Historik 1875, S. 64. u. S. 67.
*** Augustinus, Confessiones, ※(ローマ数字11、1-13-31), 14.
 歴史に於ける時間の問題は特に「歴史的時間」の問題として提出される。そしてひとは歴史的時間の問題は、或は自然科學的時間との區別に於て、或は所謂空間化された時間との對立に於て取扱はれねばならぬと考へる。このこと自體に固より間違ひはないであらう。然しながらそれは少くとも不精密であると思はれる。なぜなら先づ、同じく自然的と云つても、「自然科學的時間」と「自然的時間」とが區別され得るし、また區別されなければならぬからである。例へば、我々が後に至つて論及しようとする「世代」Generation といふ概念の如きは、もと自然的時間を表はすけれども、それだからとてそれは本來の自然科學的時間であるのではない。然るにもし人間の歴史にして自然を基礎とするものであり、何等かの仕方で自然と織り合はされてゐるものであるとするならば、よし自然科學的時間の問題は歴史の問題にとつて沒交渉であるとしても、自然的時間の問題は決してさうではあり得ない筈である。それと共にまた、特にこのやうな自然的時間の概念に對して、固有なる意味に於ける歴史的時間の概念――ここでは「世代」の概念との區別に於て「時代」Zeitalter といふ概念をかかるものとして擧げることが出來る――の明かにされることが要求されるばかりでなく、更に兩者の聯關の示されることが必要になるであらう。
 けれどもそれだけでなほ問題は全く透明にされたわけでない。この不透明は歴史といふ語のもつ兩義性に關係してゐるものの如くに見える。即ち我々は最初に歴史なる語の擔ふ意味を分析し、就中事實としての歴史と存在としての歴史とを區別したが、丁度このことに相應して、自然的時間からひとまづ區別された歴史的時間の概念に於てもまた二つの意味が區別されねばならぬものと考へられるのである。我々はその一方を「事實的時間」と稱し、その他方を特に固有なる意味に於ける「歴史的時間」と名付けよう。ところで後者が例へば時代の概念として歴史的諸科學に於てそのロゴス的表現に達するものとするならば、前者即ち事實的時間は何處に於て自己をロゴス的に表現することにならうか。我々はかやうな表現の場所として、歴史的諸科學を裏付けしてゐる史觀なるものを示すことが出來ようかと思ふ。これ史觀のうちには事實としての歴史が自己を表出するといふことに相應するのである。それのみでなく、我々は事實としての歴史と存在としての歴史との間に或る一定の本質的な關係の横たはつてゐることを見出した。そこでまたそれに相應して歴史的時間――自然的時間から區別されたそれ――の二つの概念の間にも何等か一定の内面的な聯關が存するのでなければならない。
 かくて時間の問題が歴史に關係して論ぜられるとき、そこには必ず明かにさるべき三つのものの關係のあることが知られるであらう。自然的時間歴史的時間及び事實的時間の關係がそれであつて、このものを解明することによつて初めて時間の全構造は、歴史にかかはる限り、明瞭にされることが出來る。もしかくの如く現實の歴史の時間にしてこれら三つのものの構造聯關に於て成立せるものであるとするならば、それを普通になされるやうに唯ひとむきなる直線的進行として表象することが如何に誤つてゐるかは明白である。寧ろ歴史の現實的な時間を形成するそれら三つの要素はかかる時間の三つの次元と見らるべきであらう。現實の時間には奧行もあり、深さもある。云ふまでもなく時間形成的な三要素の形作る構造聯關は、時間の本性上動的であり、從つて現實的な時間はそれぞれの場合に於てそれぞれ異つてゐる。時間の範疇そのものが歴史的である、とも云はれ得るであらう。そして我々はそこに範疇の歴史性の最も原始的な且つ最も根源的な形態に出會ふのである。
 いづれにせよ、歴史に於て甚だ種々なる時間の觀念が現はれてゐることはたしかである。二、三の例を擧げてみよう。今日普通に時間は無限に涯なく前進するものと考へられる。然るにこのやうな時間の觀念は古代人には殆ど全く縁のないものであつた。彼等のもつてゐたのは却て囘歸的時間の觀念であつた。「必然の環」とか「運命の車輪」などいふ言葉、プラトンの「完全年」の思想等がこれを示してゐる。アリストテレスもあらゆる種類の運動のうち圓運動が時間の最も正確なアナロジーを現はすと云つた。そして實際、歴史が圓環行程を形作るといふことは、單に最も偉大なギリシア及びローマの歴史家たちの見解であつたばかりでなく、その民族の一般的な考へ方であつたのである。彼等にとつて歴史は無限なる進歩を過程するといふ思想ほど縁遠いものはなかつた。これは全く近代人のものである。そこでフリードリヒ・シュレーゲルは、古代史と近代史とは二つの全く異つた法則の上に立つそれぞれの全體であると見做し、前者は「圓環行程の體系」をなし、後者はこれに反して「無限なる前進の體系」をなすと解釋した。然るに原始キリスト教の場合に於ては如何であつたであらうか。その信徒等は彼等の感激に於て固より全く新しく明ける日の微風に包まれてゐるのを信じたが、然しそれは同時にこの世界の過ぎ去る最後の審判の日であるべきであつたのである。パウロがテッサロニケの教會を建てたとき、改宗者たちはかかる新しき日を經驗することなく死んで行く兄弟たちのために憂慮した、そこでパウロは自分自身は少くともこの日を肉の眼をもつて見るのであるといふ希望を仄めかすことによつて彼等を慰めたと云はれる。古代的な囘歸的時間、近代的な無限進行の時間に對し、ここには或る第三のものとして終末觀的時間がある。
* Vgl. Friedrich Schlegel, Vom Wert des Studiums der Griechen und R※(ダイエレシス付きO小文字)mer.
  αU+1F00157-4νακυU+1F7B157-4κλωσι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) querelle des anciens et des modernes id※(アキュートアクセント付きE小文字)e de progr※(グレーブアクセント付きE小文字)s
 hodiernus tuus aeternitas.Ita nunc, sive praesens, complicat tempus creator et ordinator temporum  anima  praesens de praeteritis praesens de praesentibus praesens de futuris  expecto attendo  memini  video, intueor βιU+1F77163-6ο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) θεωρητικοU+1F79163-6※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) vita contemplativa  αU+1F00164-5ν※(鋭アクセント付きα、1-11-39)μνησι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) 
*  Augustinus, Confessiones, ※(ローマ数字11、1-13-31), 16.
** De civitate Dei, ※(ローマ数字11、1-13-31), 6.
*** Confessiones, ※(ローマ数字11、1-13-31), 26.
**** Ibid. ※(ローマ数字11、1-13-31), 28.
  sich zeitigen 姿
 



  Kategorie Existenzial Existenzial  Existenzial  Dasein Kategorie  Vorhandensein
 Vgl. M. Heidegger, Sein und Zeit, Erste H※(ダイエレシス付きA小文字)lfte, S. 54. 使 Existenzial 
 アリストテレスは「何時」ποτ※(鋭アクセント付きε、1-11-49) といふことを「時間」χρ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、169-8]νο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) といふものから區別した。彼は今日普通なされる如く「時間」といふ語を範疇の意味に用ゐず、却て彼が範疇として掲げたのはつねに「何時」といふことであつた。時間そのものの問題が彼によつて研究されたのは範疇論としてでなく、物理學に於てであつた。「何時」とは「限定された時間」である。即ち「何時」は關係の限定を包む。それは一定の時間點をばかりでなく、「何時から」「何時まで」などといふ場合に於ける「何時」をも現はす。もちろんアリストテレスに於て「時間」と「何時」とは無關係であるのではなく、またさうあることも出來ない。物理學に於て解明されるやうな時間にして初めて、後に述べられる如く、「何時」といふ範疇的關係を含み得るのである。ところで先づ、範疇としての歴史的時間はこのやうな「何時」といふことに於て性格付けられると見える。そこでジンメルの如きも『歴史的時間の問題』に就いて論じ、次のやうに書いてゐる、「一の現實内容は、我々がそれを我々の時間體系の内部に於て一定の所に綴ぢ付けにされてゐるのを知るとき、一の歴史的なものである――尤もこのやうな限定はその際樣々な精密さの度合をもち得るであらう。この自明なこと且つ平凡なことは、歴史的なものに關するより深い且つより進んだと見える形式的な諸定義に比して實により決定的なものであることが認められるであらう。」即ち單に一般に時間に於てあることでなく、一定の時間に於て立つてゐるといふことが歴史的なものにとつての根本的な規定に屬してゐる。一言で云へば、歴史的なものに就いては「何時」といふことが範疇的である。何等かのものは、それに就いて何時起つたかと問ふことが有意味であり、何時起つたと確定される限りに於て、本來、歴史的な或るものであるのである。從つて年代記といふものが歴史敍述の最も原始的な、然しまた最も基本的なものとも考へられ得るのである。どのやうな歴史も年代の前後關係に從つて敍述される。いまかくの如き「何時」といふ範疇的關係を成立せしめるものとして時間はそれ自身如何なる規定を含まなければならないであらうか。
* Vgl. G. Simmel, Das Problem der historischen Zeit (Zur Philosophie der Kunst 1922.)
 duratio permanens duratio successiva τουU+1FE6171-10το γ※(鋭アクセント付きα、1-11-39)ρ εU+1F10171-10στιν οU+1F41171-10 χροU+1F79171-10νο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57), αU+1F00171-10ριθμοU+1F78171-10※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) κινηU+1F75171-10σεω※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)κινηU+1F75171-10σεω※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)κινηU+1F75171-10σεω171-10※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) κατ※(重アクセント付きα、1-11-38) τοU+1F78171-11 προU+1F79171-11τερον καιU+1F76171-11 υU+1F55171-11στερον.  τοU+1F78171-13 νυU+1FE6171-13ν 
* Aristoteles, Physica Δ. 11, 219b.
 
 
 西Dauer Zeitraum  Periode  media aetas, medium aevum 
 
 姿調
  Folge  Reihe 
* Vgl. H. Cohen, Logik der reinen Erkenntnis, zweite Auflage 1914, S. 154.


 さて從來自然的時間として注意されて來たのは自然環境の時間であつた。即ち地球の公轉を基礎とする所謂太陽暦、或はまた太陰暦などの時間がそれである。このやうな自然的時間が存在の時間としてそれ自身前後の關係に從つて刻まれることは云ふまでもない。それが歴史にとつて有する重要性は、それがその規則性、就中その周期性の故に、歴史的時間を刻むための單位を與へるといふばかりでなく、その根本的な重要性は、寧ろ、人間のあらゆる歴史的活動が自然の基礎の上に於て行はれ、從つてまたつねに自然によつて制約される方面を有するといふ所に存してゐる。それだからこのやうな自然的時間は歴史的時間にとつて單に外面的である以上に深い關係を有するのでなければならない。歴史的時間はたしかに自然的時間に制約される方面をもつてゐる。
 然るにかくの如き人間の歴史的活動の地盤乃至環境としての自然のほかに、なほ他のひとつの自然がある。普通に歴史的活動の主體と見られてゐる人間そのものがまさに一の有機的自然なのである。人間的有機的自然の時間の統一は「世代」といふ概念をもつて表はされる。ところでこのやうな時間概念は歴史にとつて環境的自然の時間よりも遙かに重要な意味をもつてゐるものの如くに思はれる。なぜなら世代は、環境的自然の時間のやうに、歴史を外部から測定するのでなく、却てまさに歴史の主體と見做される人間生命に結び付き、從つて歴史を内部から測定するやうに見えるからである。それは人間の歴史的活動に於ても、自然的環境からの相對的な獨立性の程度の高いところの所謂文化生産的な活動の歴史にとつてはとりわけ重要なものであるやうに考へられるのである。それ故に特にイデオロギーの歴史の研究に從事する人々の歴史理論の中へ世代の概念が一の原理的なものとして導き入れられるに至つたといふことは偶然ではなからう。我々は最近ドイツの文學史家の間に於て著しくこの傾向を認めることが出來る。その代表的理論家としてユリウス・ペーターゼンなどの名が擧げられるであらう。ペーターゼンの主張するところによれば、單に文學に關する科學ばかりでなく、人間及び彼の生産物に就いての一切の科學は、何等かの仕方で世代の問題に關係するのである
* Vgl. Julius Petersen, Die literarischen Generationen in der ※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、186-11]Philosophie der Literaturwissenschaft,“ Hrsg. v. E. Ermatinger 1930.
 退
*  Vgl. Gustav R※(ダイエレシス付きU小文字)melin, Ueber den Begriff und die Dauer einer Generation in den ※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、189-8]Reden und Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze“ ※(ローマ数字1、1-13-21), 1875.
** Vgl. Ottokar Lorenz, Ueber ein nat※(ダイエレシス付きU小文字)rliches System geschichtlicher Perioden in der ※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、189-11]Geschichtswissenschaft in Hauptrichtungen und Aufgaben“ 1886.
 
  Lebensalter 使※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
* Vgl. Wilh. Dilthey, Ueber das Studium der Geschichte der Wissenschaften vom Menschen, der Gesellschaft und dem Staat 1875, Gesammelte Schriften ※(ローマ数字5、1-13-25). Band, S. 38 ff.
 然しながらそれにも拘らず、世代概念の世代概念たる基礎的な意味はどこまでもそれが自然的時間の刻みを現はすところになければならない。從つて歴史理論としての世代理論の擔ふべき特徴は、かくの如き自然的時間の刻みが本來の歴史的時間の刻みと平行し、對應し、調和すると考へられるところに求められなければならぬ。ローレンツはこのことを主張した。詳しく云へば、世代理論にあつては、一方では世代が我々の時計の時間の如く歴史的過程にとつて外的なものでなく、一の内的な且つ自然的な單位であり、そして他方ではこのやうな内的な自然的な統一が本來の歴史的進行と一致する、と見られてゐるのである。ディルタイは次のやうに記してゐる。「精神的諸運動及び科學的諸活動の過程の足場は、唯外部から見られるときにのみ、我々がそれらを秩序付けるところの時、月、年、十年といふ體系のうちに存する。我々がそれによつてこの過程を直觀的に表象するところの統一は、この過程そのもののうちに存しなければならない。時計の秒や分と内的な心理學的な時間との間の關係に、歴史的過程の大きな期間にとつては、十年、百年とそして他方ではその中間の平均に於ける及びその年齡の繼起に於ける人間生活との間の關係が對應する。といふのは、人間生活の經過のうちに精神的諸運動の歴史の直觀的な測定にとつての自然的な統一が與へられてゐるからである。」即ち彼は外的な時間と内的な時間または本來の歴史的時間とを區別しながら、しかも同時にかかる歴史的時間と人間的自然の時間とを統一的に見ようとしてゐるのである。彼が「人間生活」といふのはかかる統一の基礎である。彼もまた一世代を約三十年であるとし、ヨーロッパの知的歴史は、その名と業績とが傳はれる最初の科學的研究者たるタレース以來、彼の時に至るまで僅か八十四世代に過ぎない、と云つてゐる。このやうにして世代理論の根本思想をなすのは、我々がかの浪漫的有機體説を特徴付けたところのものにほかならないことが知られよう。言ひ換へれば、その理論の基礎には、自然的なものと精神的なもの、實在的なものと觀念的なもの、外的なものと内的なもの、との調和、連續乃至統一の思想が横たはつてゐる。
 そこで我々は世代概念の歴史理論的特性を有機體説的として規定することが出來る。このことを我々はこの概念の歴史的起原を突きとめることによつても理解し得るであらう。即ちローレンツの權威に從へば、彼の師ランケが世代の思想を暗示したと云ふ。ランケはその『ロマン的・ゲルマン的諸民族の歴史』の改訂(一八七四年)に際し、屡々引用されるところの次の文章を附け加へたのである。「恐らく一般に、諸世代をば、能ふ限り、それらが世界史の舞臺に於て互に一體となり且つ互に區別される有樣に從つて、順次に配置するといふことが課題であるであらう。ひとはそれら諸世代の各々を完全に公平に取扱はねばならぬであらう、ひとはその時々にそれぞれ互に最も密接な關係をもち且つその諸對立に於て世界發展が更に進展するところの最も光輝ある諸形態の系列を敍述し得るであらう、そのとき諸事件はそれの本性に一致する。」なほローレンツの傳へるところでは、ランケは世代の概念のもとに「人間一代のうちにはたらける或る一定の理念に對する表現」を理解した。然るにランケも根本的には例外をなさず、一般に、廣義に於けるドイツ歴史學派の特色をなしたものが有機體説的な歴史理論であつたことは、さきに論じた通りである。この學派はその最初の形而上學的傾向から次第に實證主義的方向へ進んで行つたが、それに應じてその有機體説も最初の形而上學的意味のものから實證主義的意味のものに變化した。このとき人間的有機的生命がその歴史理論の基礎におかれるやうになつたのは、最も自然的なことであつたであらう、この過程に於てかの「民族精神」なる理念は世代の概念によつて代られたとも見られることが出來る。そこでまた世代の概念を特色付けるものは、有機體説的な歴史の論理と實證主義との混合といふことである。實際、ローレンツの如きはランケ的な歴史を支配する理念といふ思想を全く棄て去つてゐないに拘らず、その世代の理論を生物學上の遺傳説によつて基礎付けようとしたのである。かやうにして、世代理論はまた我々がさきに有機的發展の思想に就いて掲げた種々なる性格を具へてゐる。例へばそれは、その實證主義的意圖にも拘らず、その有機體説的な理論に制約されて、歴史學に法則科學的意味を負はせることが出來ず、これを寧ろ形態學的に見るのほかない。從つてそこでは一般に類型、即ちテュプス、シュティルの如きが歴史學の中心概念とならざるを得ないのであつて、これ全くペーターゼンなどの明らさまに主張してゐる通りである。然るにローレンツは彼の世代理論をもつて歴史學の本來の意味に於ける「將來理論」であると主張した。同じやうにフランスの人ジュスタン・ドロメルはその『諸革命の法則』(一八六一年)に於て將來に對する科學的見通しを與へることを公言したのである。ドロメルによれば、民主主義の社會にあつては市民の政治的活動は平均四十年間に亙るが、この活動の初期は前世代の人間がなほ生存してゐることによつて、その末期は自分自身の世代の人間が既に死滅しつつあることによつて、共に制限を受ける。そこで各世代はただ約十五年の間投票に於ける多數を制し得、これによつて國家の運命を決定し得る。この法則はフランスに於ける諸變革が一七八九、一八〇〇、一八一五、一八三〇、一八四八の年々に起つてゐることによつて證明される、と云ふのである。今かりにローレンツの三世代の法則、或はドロメルの十五年説――この場合にはなほ社會が凡ての時代に民主主義的議會主義的であるのでないといふことを勘定に入れないで――が事實に適合するとしても、それは何等本來の意味に於ける法則であるのではない。それはたかだか歴史が周期的に、波動的に進行するといふことを記述的に表はすのみである。寧ろ我々は世代理論の特徴をその有機體説的方向に、その個性記述的乃至類型記述的理論の方向に求むべきであらう。そしてこのことによつて世代理論は美的な、觀想的な史觀に屬するのであつて、それが今日特に文學史家たちの間に喧傳されてゐるのも偶然的ではなからう。
 さて我々は事實的時間、歴史的時間及び自然的時間の三つを區別して來た。後の二つは共に存在の時間である限り最初のものに對して或る共通な性質を具へてゐる。然し自然と歴史とが存在として區別される限り兩者の間にはまた差異がなければならぬ。我々は自然的時間を「待つ」wait 時間として、歴史的時間を「期待する」expect 時間として特性付けることも出來るであらう。自然は繰り返すこと或は循環することを特色とする。そこでは我々は待てばよいのである、待てば繰り返して來るのである。自然は繰り返すものと考へられ、歴史はこれに反し繰り返さぬもの、一囘的なものと考へられる。待つのでなく期待するといふことが歴史的時間の特色である。自然人は待ち、文化人は期待する。既に述べた如く、歴史的時間の歴史的なる所以はそれが事實的時間によつて構造付けられてゐるところに存し、そしてそれによつてその何處に於ても「既に」の性質を有する歴史的時間に或る未來性が負はされる。この特殊な未來性を現はすのは「期待する」といふことである。然し「期待する」といふ未來性は寧ろ非本來的な未來性に過ぎぬ。本來的な未來性はひとり事實的時間の性格である。これは期待するといふことでなく、寧ろ豫料するといふことである。思惟の意味に於て豫料するといふのでなく、却て行爲の意味に於て先取するといふことである、否、まさに「決心する」decide といふことである。期待するといふ未來性のうちにはもはや「既に」の意味が含まれてゐる。瞬間は未來から時來すると云つても、それは決して期待する時間ではないのである。ところで三つの時間は、固よりそれぞれ獨立な時間であるのでなく、却てそれらは眞に現實的な時間を構成する三つの要素乃至次元と見らるべきである。眞に現實的な時間はそれらのものの構造聯關に於て成立する。このやうにして、例へば、觀想的態度は自然的時間に優位を與へる。觀想的な世界觀の模範たるギリシア思想に於てさうであつた。そこでは自然的時間に象つて歴史的時間が理解され、從つて歴史は循環すると考へられた。けれどもこれが決して單なる自然的時間のアナロジーの意味に盡きるものでなく、また事實的時間の意味を含んでゐたことは、かかる囘歸的時間がまさに運命的なものを意味したといふことによつても知られよう。そしてこのやうな觀想的態度に於て永遠は「圓環」をもつて象徴されるのをつねとする。或は時間を「包む」といふことが永遠の本性であると考へられる。然るに實踐的態度にあつては自然的時間に對する歴史的時間の獨立性と獨自性とが高調される。このとき瞬間こそ永遠の象徴であると見られる。瞬間は凡ての時間を包むものといふ靜的な意味で永遠であるよりも、寧ろそれは存在の時間を超越し、そこから存在の時間の何處にでもつながり得るといふ動的な意味で永遠の相を現はしてゐるのである。然し實踐的態度は歴史的時間の現在に最も重要性をおくであらう、しかもそれは未來を期待するといふことと無關係ではなく、却てこのことの結果である。そこからしてフィヒテがその人類歴史の哲學的構成に於てこれを五つの時代に分ち、彼の現代はまさしくその第三の時代即ち「罪惡の完成した状態」にあると見做したが如きことも一部分説明され得るであらう。即ち現代を最大の危機として把握することによつて現代の決定的な重大性が力説されるのである。なほシュレーゲルは古代史は圓環行程の體系をなし、近代史は無限なる前進の體系をなすと述べたが、このことは少くとも一面では、近代の歴史的發展に於て歴史的時間が自然的時間に對して次第にその相對的獨立性を増大して來たことを意味し、そしてこれは人間の自然に對するはたらきかけが深刻になり、擴張されて來たことを示すものとも考へられよう。いづれにせよ、我々の生活しつつある眞に現實的な時間はいはば一音のものでなく、却て多くの音の合成である。それは自然的時間、歴史的時間及び事實的時間のそれぞれ具體的な構造聯關に於て成立する。けれどもそこに響いて來るのは必ずしもつねに美しいシュムフォニーではない。この聯關は何よりも辯證法的に構造付けられてゐる。そしてこのことは存在と事實との辯證法的關係に相應する。固より事物の運動そのものが時間ではない、運動は却て時間のうちにあるのであるとも云はれるであらう。然しまた事物の運動を離れて時間は考へられない。かくて現實的な時間の形成そのものが動的である。
* Vgl. Fichte, Die Grundz※(ダイエレシス付きU小文字)ge des gegenw※(ダイエレシス付きA小文字)rtigen Zeitalters.



 




 
 
* F. Engels, Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen Philosophie, Marxistische Bibliothek, S. 56.
 姿
 210-5struggle for life 211-12 ontisch  ontologisch 
*  Ludo Moritz Hartmann, Ueber historische Entwicklung, Sechs Vortr※(ダイエレシス付きA小文字)ge zur Einleitung in eine historische Soziologie 1905, SS. 10, 11.
** K. Marx, Briefe an Kugelmann, Hrsg. v. H. Duncker, zweite Auflage 1927, S. 85.



 
*  Dietrich Sch※(ダイエレシス付きA小文字)fer, Das eigentliche Arbeitsgebiet der Geschichte 1888.
** F. Gottl, Op. cit., S. 37.
  consensus gentium Grundlagenkrisis 
*  Max Scheler, Mensch und Geschichte, Z※(ダイエレシス付きU小文字)rich 1929, S. 8. またハイデッガー(M. Heidegger, Kant und das Problem der Metaphysik 1929, S. 200.)、更にディルタイ(W. Dilthey, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字5、1-13-25). Band, S. 88.)を見よ。
** 拙著『唯物史觀と現代の意識』に於ける「人間學のマルクス的形態」〔全集第三卷收録〕參照。
 なほこの論文に就き人間學とイデオロギーとの辯證法的關係、並びに、我々が「ロゴスの第一次變革過程」及び「ロゴスの第二次變革過程」と云つたものに注目せよ。これらのことは歴史の場合にも當て嵌まるのである。
 調滿 Technologie  Technik  Taktik  Seele  Raubtier 
*  Vgl. Kant, Muthmasslicher Anfang der Menschengeschichte.
** Kant, Kritik der reinen Vernunft, B. 868.
*** Vgl. O. Spengler, Der Mensch und die Technik 1931.
 
  Existenz  Seinsverst※(ダイエレシス付きA小文字)ndnis  Dasein 
* M. Heidegger, Kant und das Problem der Metaphysik, S. 219.
  Vorhandensein 
 調調



 
 
* Vgl. J. Goldstein, Die empiristische Geschichtsauffassung David Humes 1903.
 
 姿
  transpersonalistisch 
  Einstellung 
* 拙稿「ヘーゲルの歴史哲學」(『史的觀念論の諸問題』)〔全集第二卷收録〕參照。
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第六章 歴史的認識



 歴史的知識は人類そのものと共に古い。ひとつの民族が唯何等かの仕方で文化の段階に到達した處では、到る處既に或る歴史敍述が見出される。「歴史的感覺は人間の本性のうちに於て、それが夙に、幸福な諸關係のもとで、適當な形式に於てそれの表現を見出す筈がないには、あまりに活溌である。そしてこの自然的なタクトこそは、今もなほ我々の諸研究に道を示し、形式を與へるところのものである。」(ドロイセン)。凡ての人間は歴史人であると共に歴史家である。然るに歴史理論家によれば、かかる歴史敍述は一定の階梯を經て近代の所謂歴史學にまで發展した。この點に就いてベルンハイムの説くところは模範的として認められてゐる。彼は歴史學の概念の歴史的發展を三つの階梯に分つた。第一、物語的(報告的)歴史。この階梯に於ては、ひとはただ何が起つたかを知らうと欲する、材料そのものが知識慾の對象である。歴史的材料はその自然的な時間上の順序に從つて物語られ、または數へ上げられる。この動機となる材料に對する關心は樣々な方向のものであり、そしてそれに應じて再現の形式も色々と違つてゐる。最も古いのは、半ば傳説風な、半ば歴史風な敍事詩などの場合の如く、人の目を惹く英雄的な行爲、人間の運命の變化または冒險に就いての美的關心である。ホメロスの詩はその類である。次に名譽心や功名心、重要と見える事件、殊に權力者の行爲を記憶に保存しようとする願望から他の類の記録が生ずる。石、金屬或は木に法律、條約、戰勝のことどもが彫り付けられる場合の如きである。更により實際的な關心、即ち宗教上、儀禮上、政治上の目的から或る事實を保存し、確實に傳へようとするとき、他の形式が生れて來る。君主及び役人の人名録、家族または氏族の系圖等がこの類に屬してゐる。第二、教訓的(實用的)歴史。この見方の最初の意識的な且つ古典的な代表者としてツキヂデスが擧げられる。彼はあからさまに彼の著作が過去のことに就いて、そしてそれによつて人事の常としていつかその通りにもしくは似た仕方で起り得ることに就いて、明瞭な觀念を得ようとする人々に役立つと述べた。從つて彼は、過去に關する知識から以後の同樣の政治的状態にとつての實際上の教訓を汲み取らうとする者であつて、このことは人間の本性及び行爲の普遍的な類似性のために可能であると彼は考へた。「實用的」pragmatisch といふ語はもとポリビオスから出たものであり、彼もまた教訓的歴史の立場をとつた。尤もこの有名になつた「實用的」といふ語は最初かやうな立場を表はしたのでなく、却てポリビオスは彼の歴史敍述を、それが國事 πρ※(鋭アクセント付きα、1-11-39)γματα に關係してゐる限り、かく呼んだのである。この階梯の歴史認識は、その實用的傾向に從つて、事件を規定する心理的動因、言ひ換へれば、個人が一般に懷く人間的な動機や目的に特に注意を向け、所作する人物の激情及び思慮から一切を説明しようとするのがつねである。このやうに心理的動因に重きをおき、そして過去に關する敍述によつて現在に對する教訓を與へようとするところから、この種の歴史は屡々事件を道徳的に判斷し、政治的に評價するといふ特徴を有する。それは第一の階梯の如く材料を素樸に再現するのでなく、それに一定の見解から反省を加へるのである。第三、發展的(發生的)歴史。この階梯に於てひとは各々の歴史的現象に就き、如何にしてそれが今在るものにまで生成したか、如何にしてそれが諸々の事件との聯關に於て發展したか、を知らうとする。この見方は材料の蒐集にとどまつたり、この材料から實際上の教訓的方面を讀み取ることに滿足するものではない。それは對象をその固有性に於て認識し、理解しようとする。この階梯に至つて歴史は眞の科學にまで高められるのである。然るにかかる發展的な見方が遲れてやつと現はれたのは、ベルンハイムの云ふところでは、理由のないことでない。なぜならかくの如き見地に到達するためには樣々な前提條件の作られることが必要であつた。そのためには就中三つのこと、即ち、一、全人間種族が一の内的な統一をなすといふ觀念、二、凡ての人間的諸關係のうちに一の連續的な變化が行はれてゐるといふ思想、三、人間の種々なる諸活動が内的な聯關に、相互の且つ自然的諸條件との交互作用に立つてゐるといふ洞見、がなければならない。これらのことは今日我々にとつて殆ど自明のこととなつてゐるけれども、人類が歴史に於て漸次に到達した諸思想であつて、その基礎の上に歴史の發展的な見方は徐々に築かれたのである。
 A. Meister, Grundz※(ダイエレシス付きU小文字)ge der historischen Methode, zweite Auflage 1913. A. Feder, Lehrbuch der historischen Methodik, zweite Auflage 1921. 
 滿
*  Bernheim, Lehrbuch S. 37f.
** 拙著『觀念形態論』に於ける「科學の發展の制限とその飛躍」〔全集第三卷收録〕を參照せよ。
 いま歴史的認識の根源にして生のうちに横たはつてゐるとすれば、歴史の分類として普通行はれるベルンハイム風の區別よりもかのニイチェのなした分析が如何に遙かに深く本質的なものを捉へてゐるかは容易に理解されよう。ニイチェは歴史が生に一定の仕方に於て――然し唯一定の仕方に於てのみ――奉仕し、且つこのことを生は必要とすると考へた。歴史は彼によれば三つの見地に於て生ける者に屬する。換言すればそれは、活動する者及び努力する者としての生ける者に、保存する者及び崇拜する者としての生ける者に、苦惱する者及び解放を要する者としての生ける者に屬するのである。生そのものに對するこれら三重の關係に相應して、歴史の三つの種類、即ち、記念物的歴史 monumentalische Historie と古物的歴史 antiquarische Historie と批判的歴史 kritische Historie との區別が生ずる。歴史は先づ何よりも活動的な者、強力な者、大いなる戰を戰ふ者、模範と教師と慰める人を必要としてしかもそれを彼の仲間、彼の時代のうちに見出し得ぬ者に屬してゐる。彼は歴史の中から偉大な行爲、偉大な人間の理想を讀み取り、それによつて強大な刺戟を受ける。そこからして彼は、偉大なものが一度は嘗てあり、とにかく一囘は可能であつた故に、それ故にまた再び可能であらうと思惟し、勇敢に彼の道を進むのである。(記念物的歴史)。次に歴史は保存する者及び崇拜する者、彼がそこから來た處、彼がそこで生じた處、そこへ忠實と愛とをもつて囘顧の眼を向ける者に屬してゐる。この敬虔によつて彼は彼の存在に對していはば返禮をなすのである。彼は昔から在るものを注意深く育むことにより、彼がそのもとで生成した諸條件をば彼の後に生成すべき者のために保存しようとするのであつて、さうすることによつて彼は生に仕へる。小さきもの、限られたもの、朽ちたるもの、ふるびたものも、古物的人間の保存し崇拜する魂がこれらの事物のうちへ移住し、そこに故郷の巣を作ることにより、それ自身の品位と不可侵性とを得て來る。(古物的歴史)。然しながら更に人間は、過去を考察する記念物的及び古物的仕方と並んで、屡々第三の、即ち批判的な仕方を必要とする。そしてこのものもまた生に仕へるのである。人間は生き得るために、過去を破壞し解消する力を具へ、時々それを用ゐなければならぬ。過去を法廷へ引き出し、拷問にかけ、最後に斷罪することによつて彼はこのことをなし遂げる。蓋しあらゆる過去は罪せられるに値する、これに値せぬが如き人間的事物の何物も存しない。このとき裁判する者は正義といふものではない、この場合判決を下す者は固より恩寵といふものではない、却てそれはただ生、かの暗き、衝動的な、飽くことなく自己自身を意欲する力である。このやうにして過去の忘却を必要とする生は、この忘却の否定を一時必要とする、そのとき過去は批判的に考察されるのである。(批判的歴史)。ここに述べたニイチェのいはゆる「時代はづれの考察」に於て見逃してはならぬ重要な點は、そこでは歴史が生、殊に生の歴史性の見地から考察されたといふことである。我々はそれを先づ次の如く解釋することが出來る。過去の歴史を活かすものも生であり、それを殺すものも生である。かかる二重の關係の統一に於て生の歴史性が成り立つ。前の場合は更に二つに分れるであらう。即ち生が實踐的に過去の歴史を活かす場合、そこに記念物的歴史の形式が生れ、生が寧ろ觀想的に――觀想も生のひとつの在り方である以上、最も廣い意味では行爲乃至實踐の一樣式とも見られないではないけれども、兩者が區別される限りに於ては觀想的に――過去の歴史を活かす場合、そこに古物的歴史の形式が現はれる。そして生が歴史を殺す場合に現はれるのは批判的歴史の形式である。然しながら我々はニイチェの思想になほ一層根本的な解釋を與へることが出來、またさうすることが必要である。生の歴史性の最も根本的な規定は時間性である。我々はニイチェの區別した三つの種類の歴史を時間性の關係に從つて解釋し得るであらう。すなはちかうである。過去が現在として把捉される、このとき歴史は記念物的である。過去が過去として把捉される、このとき歴史は古物的である。過去が未來の見地から把捉される、このとき歴史は批判的である。かくの如く解釋することにより、我々はニイチェの歴史の分類が全く本質的なものを言ひ表はしてをり、彼の考へたより以上に完全なものであることを理解し得るであらう。ところで過去を現在として、過去を過去として、過去を未來の見地に於て解釋するものは何であらうか。「唯現在の最高の力からしてのみ汝等は過去を解釋せねばならぬ。」とニイチェは記してゐる。歴史は現在から書かれる。然しながら現在と云つても二重のものである。生も同じく二重のものである。そして存在としての歴史の秩序に於ける現在即ち現代はそれ自身なほひとつの過去であり、このものに就いても記念物的、古物的及び批判的の三樣の歴史が原理的に可能である。從つてそれから歴史が書かれる現在は事實としての歴史のほかない。それは生と云つても、事實としての生のことでなければならない。
* Vgl. Nietzsche, Vom Nutzen und Nachtheil der Historie f※(ダイエレシス付きU小文字)r das Leben.



 
 Genealogie 
 
 Koh※(ダイエレシス付きA小文字)renz von Ich und Aussenwelt 
*  Vgl. Giambattista Vico, Die neue Wissenschaft ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die gemeinschaftliche Natur der V※(ダイエレシス付きO小文字)lker, Uebersetzt von E. Auerbach, S. 125 u. S. 139.
** この命題は我々の認識論に於て基礎付けられ、展開されるであらう。簡單には拙稿「認識論の構造」(『觀念形態論』)〔全集第三卷收録〕を見よ。
 Kr※(ダイエレシス付きA小文字)fte Richtung Leistung調
* Vgl. Adolf v. Harnack, Ueber die Sicherheit und die Grenzen geschichtlicher Erkenntnis 1917.
 然しながら既にエピクテトスは云つてゐる、「事實でなく、事實に就いての把捉が人間に刺戟を與へる。」と。過去の歴史でなく、過去の歴史に就いての把捉が現在の歴史的行爲に影響を與へるのである。かく云ふ意味はかうである。一定の時代に於ける歴史敍述がその時代の歴史そのものに影響を及ぼし、歴史を作るといふことが見られるのは、歴史敍述がその本性上過去の歴史のそのままの、所謂客觀的な模寫でなく、却てそれが現在の主體的事實との關係に於て過去の歴史を把捉したものであるからである。ひとはここにまた「生産的なものがひとり眞である」Was fruchtbar ist, allein ist wahr. といふゲーテの語を想ひ起してもよいであらう。然し事實が何であるかも存在を通じて初めて客觀的に把握されるに至る――これは事實が單に心理的なものでないことを考へれば當然である――といふことを忘れてはならない。事實は單に個人的心理的なものでない故に、生産的なものがひとり眞であるとも語られ得るのである。事實を生産的ならしめるものは決して單に心理的功利的價値のあるものでなく、寧ろ最も多くその反對である。そして何等かのものは主體的なものとの關係を離れては一般に歴史的なものとして與へられることもないとすれば、「生産性」といふことこそ少くとも歴史に關しては眞理の最も重要な表徴でなければならない。このやうに歴史敍述はその根柢に於て事實によつて規定されてゐるところから、一定の時代に於ける歴史敍述とその時代の他の諸文化との間には同形性が見出され得るといふことも生ずるのである。例へば文藝上のクラシシズムの時代に於ては、ギリシア及びローマの文化の歴史的研究もまたクラシシズムといはれる形をとつた。クラシシズムは古代人の作品をばつねに美の永遠の模範、形式及び内容の絶對的な規範と見た。然るに十九世紀の古代學はその深い現實感をもつて現實の古代を再び新たに發見しようとした。我々はこれを古典解釋のリアリズムの傾向とも呼び得よう。この新しい見方が同時代のやはりリアリズムの傾向をとつた文藝に如何なる影響を與へたかを見るのは興味あることである。ギリシア及びローマの文化に關する解釋の仕方もそれぞれの時代に應じて異り、そしてその文化はかかる解釋の仕方に應じてまたそれぞれ特殊な仕方でその時代に影響を及ぼしたのである。ドイツにあつてはそれの古代に對する關係の發展の線を我々はヴィンケルマン――ゲーテ――ヘルダーリン――ニイチェといふ風に辿ることが出來よう。歴史敍述も生の中から生れる、そして唯生の中から生れたもののみが生に對して生産的な關係を結び得る。歴史を敍述するといふことが既に人間の生き方のひとつ、しかもそれの最も特色的なものに屬してゐる。「生は生けるものによつて最もよく教へられる」とゲーテは云つた。歴史敍述は主體的事實に關係する深さに從つて生けるものとなるのである。これによつてそれは心理的主觀的なものとなるのでなく、却て社會的生産的なものとなるのである。
 鹿Anatole France, Le Jardin d'※(アキュートアクセント付きE)picure.



 
 
 調
* Dilthey, Die Entstehung der Hermeneutik, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字5、1-13-25). Bd. S. 318.
 
 Biographie 
* Dilthey, Einleitung in die Geisteswissenschaften, SS. 33, 34.
 二、解釋學は意識を超越せる事實を認めないことによつて、自己の主張する存在的分析と心理的分析との結合の關係をみづから説明し得ず、却てこれをひとつのアポリアとして感ぜざるを得ない。ディルタイが解釋學に關して掲げたアポリア、特にその第三のものがこれを言ひ表はしてゐる。彼はこのアポリアを次のやうに述べた。既に各々の個々の心的状態ですらがそれを喚び起した外的刺戟からしてのみ理解される。私は憎みを生への有害な侵害からして理解する。このものへ關係付けることなしには諸々の激情は私にとつて全然表象され得ぬものである。それだから環境は理解にとつて缺くべからざるものである。押し詰めて云へば、理解はこのやうにして説明から、かかるものがこの領域に於て可能なる限り、區別され得ない。そして説明はまたそれ自身理解の完成をそれの前提に有する。なぜなら環境は生への交渉を含むことによつて初めて環境としての意味をもつのであるからである。かくの如く言ひ表はされたアポリアは、外部の説明と内部の理解との交互關係を成立せしめ、これを可能ならしめてゐるところの或る第三のものを認めることによつてアポリアの外觀を失ふことが出來る。かかる第三のものとは我々のいふ事實以外のものでない。即ち事實は一方存在に於て自己を實現すると共に、他方意識に於て自己を表出するが故に、存在的分析と心理的分析との雙方が要求されるのであり、そして兩者がまた一の統一でもあり得るのである。事實はいはば存在よりもより客觀的なものであると共に、意識よりもより内なるもの、より主體的なものである。事實に對しては意識もひとつの存在と見られ得る。事實は單に意識の「作用」といふ如きものではない、意識に於て作用と内容とは相關的構造をなし、かかる構造に於て一緒に意識の領域を形作つてゐるのである。事實は意識の作用に對し寧ろ「作用の作用」とも云ふべきものであり、かかる作用の作用が同時に「もの」の意味を含むところに事實の概念がある。我々人間は存在と事實との統一であり、この統一は兩者の對立をも含むが故に――この關係は、既に述べた如く、ディルタイの所謂精神物理的統一體としての人間の概念によつては不十分にしか表はされ得ない――我々にとつては内と外との關係も與へられてゐるのである。もちろん、意識に於てでなければ外部に對する内部は與へられない、なぜなら唯意識に於てのみ主體的な事實は自己をその主體性に於て表出するからである。
* Vgl. Dilthey, ※(ローマ数字5、1-13-25), SS. 333, 334.
 三、解釋學的立場の根柢をなすものは有機體説である。このことは既に詳論しておいたから再び繰り返さないであらう。ここに唯ひとつの點を擧げれば、有機體説は美的觀想的態度とつながつてゐる。そして實際我々はこの態度がディルタイの解釋學を性格付けてゐるのに出會ふ。彼は詩が「生そのものの信憑すべき解釋」であると見た。「宗教が神及び靈魂の存在に對する形而上學的諸推論の據所を失つたので、現代人の大多數にとつては唯なほ美術と詩とのうちに生の意味に就いての觀念的な見方が存してゐる。」と彼は云ふ。ディルタイ自身が唯なほ詩の體驗のうちから生の意味に就いての觀念的な見方を汲み取らうとしたのである。彼はロマンティクの代表的詩人ノ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ーリスのうちに所謂「實在的心理學」を探り出し、これと彼の心理學或は人間學との連繋を見出してゐる。「人間學的研究は詩と隣り合つてゐる。體驗はここでは想像のうちに於てそれに内住する意味に從つて形成される。」かくの如く有機體説的思想は心理的研究の方面に於て詩的體驗を偏重するが、それはまた存在的研究の方面に於ては比較の方法を偏重するといふことが認められる。注意深い讀者はディルタイに於て比較の方法に如何に重要な位置が與へられたかを知つてゐる。然るに彼の友人で刺戟者であつたヨークはこの點に就いて書いてゐる、「特別に比較の方法が精神科學の方法として主張される。この點で私はあなたと一致しない。比較はつねに美的であり、つねに形態を離れない。」ディルタイは比較の方法によつて法則を見出さうとしたのでなく、寧ろゲーテ的な「形態」もしくはテュプスを發見しようとしたのである。模範的なる有機的世界觀を抱いたゲーテもまたその獨特な自然研究に於て絶えず比較の方法を用ゐた。然るに比較の方法によつては歴史的なものは根源的に歴史的なものとして、換言すれば主體的なものとの關係に於て存在論的に捉へられることが出來ない。それだからまたヨークはディルタイの諸研究が「存在的なもの das Ontische と歴史的なもの das Historische との間に於ける種の差異を強調することがあまりに少い」ことを指摘してゐる。ディルタイは心理的研究が主觀的になり易いのを見て、それの客觀性を保證するために歴史的存在に結び付くのであるが、しかも彼の立場に於ては心理的分析と存在的分析とはそれぞれ獨立の意味をもちながらなほ統一をなすとは考へられ得ないのである。このことは根本的には存在と事實との辯證法の立場に於て可能であり、必然でもある。そしてかかる辯證法こそ、我々の歴史哲學を貫く根本思想であつた。
* Briefwechsel zwischen Wilhelm Dilthey und dem Grafen Paul Yorck v. Wartenburg 1923, SS. 191, 193.
 さてこれ以上歴史的認識の問題に深入りするためには、一方では史學方法論、他方では認識論の問題に立ち入らねばならぬこととなるから、ここで我々はひとまづ本書を結ばうと思ふ。全體として取殘された問題は固より數多く、研究の道は歩んで盡くるところを知らぬ。しかも我々はつねに前へ進み得るのでなく、また屡々新たに出發點へ立ち戻つて出直さねばならない。―― Stirb und werde!





 
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Juki
2020828

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JIS X 0213



JIS X 0213-


「纏」の「里」に代えて「黨−尚−れんが」、「广」に代えて「厂」    3-12
鋭アクセント付きο、U+1F79    17-3、17-4、29-13、29-13、111-11、113-6、163-6、169-8、171-10、171-11
下側の右ダブル引用符、U+201E    63-9、100-1、103-4、116-3、186-11、189-8、189-11
有気記号付きη、U+1F21    110-13
曲アクセント付きυ、U+1FE6    110-13、110-14、171-10、171-13
無気記号と鋭アクセント付きο、U+1F44    110-13
無気記号付きε、U+1F10    110-14、110-14、113-6、113-8、113-8、171-10
有気記号と曲アクセントと下書きのι付きη、U+1F97    110-14
鋭アクセント付きι、U+1F77    110-14、110-14、113-6、113-8、129-14、163-6
無気記号付きο、U+1F40    111-11
無気記号付きι、U+1F30    113-6、113-8
無気記号付きυ、U+1F50    113-6
小書き片仮名ヰ    118-1、210-5、211-12
有気記号付きυ、U+1F51    129-14
無気記号付きα、U+1F00    157-4、164-5、171-10
鋭アクセント付きυ、U+1F7B    157-4
有気記号付きο、U+1F41    171-10
重アクセント付きο、U+1F78    171-10、171-11、171-13
鋭アクセント付きη、U+1F75    171-10、171-10、171-10
上方に不鮮明な符号が付いているω    171-10
重アクセント付きι、U+1F76    171-11
有気記号と鋭アクセント付きυ、U+1F55    171-11


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