唯物史観と現代の意識

三木清






 
 Genealogie der Theorienhistorische Abstraktion
 
千九百二十八年四月十六日 東京に於て






 
* 拙稿、解釋學的現象學の基礎概念(「思想」第六十三號)參照。
 私は基礎經驗の名を借りて或る神祕的なるもの、形而上學的なるものを意味しようと欲するのではなく、むしろまさにその反對である。それはひとつの全く單純なる、原始的なる事實に對する概念である。私は在る、私は他の人々と共に在り、他の事物の中に在る。これを經驗の最も基本的な形式と見做すとき、私は私以外の事物及び人間の存在そのものが私の意識に依存する、とは主張してゐないのである。世界の存在は固より私自身の存在と同じやうに根源的であるであらう。然しながら、私は基礎經驗の概念をもつて素朴實在論的思想から私を明確に、決定的に分離せしめようと思ふ。我々をめぐつて在る世界の存在は、例へばかの物自體の如く、我々の交渉から全然獨立に、自體に於て完了した存在を保つてゐるのでなくして、却てそれは我々の交渉に於て初めてその存在性を顯はにする。人間が他の存在の中に在る仕方は植物が他の植物に圍まれてゐる關係とは異つてゐる。人間はいつでも他の存在と交渉的關係にあり、この關係の故に、そしてこの關係に於て、存在は彼にとつて凡て有意味的であり、そして存在の擔ふところの意味は、彼の交渉の仕方に應じて初めて具體的に限定されるのである。存在は彼の交渉の過程に於て意味を具現してゆき、そしてかかるものとして現實的になつてゆく。それのみではないのである、人間そのものの存在もまた實にこのやうな交渉の關係に於て初めて自己みづからに對して現實的になり、このやうな交渉の過程に於て次第に自己みづからに對して現實的になつてゆく。約言すれば、人間は他の存在と動的雙關的關係に立つてをり、他の存在と人間とは動的雙關的にその存在に於て意味を實現する。存在は我々の交渉に於て現實的になり、そしてそれに即して我々の存在の現實性は成立する。かかる關係を有することがまさしく人間の根本的なる規定であつて、その故にこそ人間は彼の世界を所有する存在であるのである**。嘗て屡述べたやうに、人間は「世界に於ける存在」である、これに反して植物の如き存在は彼の世界を持つと云ふことが出來ない。ところで經驗とは一般に右の動的雙關的關係の構造の全體の名であり、基礎經驗とはそれの特殊なるもの、即ち存在に對する人間の交渉の仕方が既に在るロゴスによつてあらかじめ強制されることなきものを意味するのである。
* この點に關して我々の謂ふ基礎經驗とベルグソン的な純粹經驗との異同を吟味するのは興味深く、利益多きことであらう。ベルグソンも彼の純粹持續が言葉に支配されぬものであるに反して、日常の經驗が言葉によつて分離され、固定されたものであることを述べてゐる(H. Bergson, Essai sur les donn※(アキュートアクセント付きE小文字)es imm※(アキュートアクセント付きE小文字)diates de la conscience, p.99 et suiv.)。我々との根本的な相違は、我々が基礎經驗の歴史性を特に主張しようとするに對して、ベルグソンには一般に歴史性の思想が缺けてゐるのに由來する。
** マルクスも云つてゐる、「(私の環境に對する私の關係――[交渉的關係 Verh※(ダイエレシス付きA小文字)ltnis]――が私の意識である。)關係の存在するところ、それは私にとつて存在する、動物は何物に對しても關係せずそして一般に關係しない。動物にとつては他に對する彼の關係が關係として存在しない。」(Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21). Band, S. 247.)
 
* ここに私は發展形式(Entwicklungsform)といふ語をマルクスが彼の唯物史觀を規定した句(Marx, Zur Kritik der politischen ※(ダイエレシス付きO)konomie, Vorwort.)の中から轉用した。
  par excellence 滿SelbstauslegungSelbstverst※(ダイエレシス付きA小文字)ndigung調
 滿
* W. Dilthey, Einleitung in die Geisteswissenschaften (Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字1、1-13-21). Band), S. 21 u. 39. 參照。
** Ludwig Noir※(アキュートアクセント付きE小文字), Der Ursprung der Sprache, S. 369.
 




 die menschliche Selbst entfremdung
* Feuerbach, Vorl※(ダイエレシス付きA小文字)ufige Thesen zur Reform der Philosophie (S※(ダイエレシス付きA小文字)mmtliche Werke, Hrsg. v. Bolin und Jodl, ※(ローマ数字2、1-13-22). Bd., S. 222.).
** Das Wesen des Christenthums (※(ローマ数字6、1-13-26). Band, S. 37.).
 ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)das Jenseits der Wahrheitdie Wahrheit des Diesseits姿姿
* Feuerbach, Das Wesen des Christenthums (※(ローマ数字6、1-13-26), 54.).
** Marx, Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie (Aus dem literarischen Nachlass von Karl Marx und Friedrich Engels, Hrsg. v. Mehring, ※(ローマ数字1、1-13-21). Band, S. 385.).
*** Op. cit., S. 392.
 辿
* Feuerbach, Grunds※(ダイエレシス付きA小文字)tze der Philosophie der Zukunft (※(ローマ数字2、1-13-22), 317.).
** Vorrede zur zweiten Auflage vom ”Wesen des Christenthums“ (※(ローマ数字7、1-13-27), 283.).
*** Vorl※(ダイエレシス付きA小文字)ufige Thesen zur Reform der Philosophie (※(ローマ数字2、1-13-22), 230, 235.).
 Reden ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Religion
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21). Bd., S. 235.
** Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele, Fleisch und Geist (※(ローマ数字2、1-13-22), 350.).
 ひとつの全く新しい基礎經驗が發展しつつあつた。無産者的基礎經驗がそれである。それの發展が一定の段階に達したとき、それはフォイエルバッハ流のアントロポロギーと必然的に衝突せねばならなかつた。彼の人間學を覆すべき基礎經驗が既に成長しつつあつたに拘らず、フォイエルバッハはそれを知らなかつたのである。マルクスやエンゲルスは彼に無産者的基礎經驗の缺けてゐることを屡指摘し且つこれを非難してゐる。彼は遂に千八百四十八年といふ年を理解することなく、彼にとつてこの年は現實の世界との最後の絶縁、孤獨生活への隱退を意味したに過ぎない。さて進展の過程にあつたプロレタリア的基礎經驗はフォイエルバッハの人間學と矛盾に陷り、ここにアントロポロギーの變革は必然的に行はれたのであつたが、この變革を把握したのは實にマルクスであつたのである。


 マルクス學に於けるアントロポロギーは無産者的基礎經驗の上に立つてゐる。先づ無産者は世界に對して絶えず實踐的にはたらきかけるが故に、彼等はかく交渉することに於て自己の本質を實踐として把握する。しかるに如何なる實踐も感性なくしては行はれないから、彼等はつねに實踐的に交渉することに於て人間の本質を感性として解釋するに到る。フォイエルバッハも抽象的思惟をもつて滿足せず、直觀を欲したけれども、彼は感性を實踐的活動として理解してゐない。彼は『キリスト教の本質』に於てただ觀想的受動的態度のみを純粹に人間的なものと見、これに反して實踐的活動は凡てただその汚らはしいユダヤ的現象形態に於てのみ捉へられて輕蔑され、それの本質的な根源的な意義に於て理解されなかつたのである。彼にとつては、「感性的、即ち受動的、受容的」(sinnlich, d. i. leidend, receptiv)の謂であつたが、マルクスは無産者的基礎經驗からして感性をもつて「實踐的な、人間的―感性的な活動」(die praktische, menschlichsinnliche T※(ダイエレシス付きA小文字)tigkeit)として解さねばならなかつたし、そしてまた實に斯く解したのである**
* Vorrede zur zweiten Auflage vom ”Wesen des Christenthums“ (※(ローマ数字7、1-13-27), 283.).
** Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 5.
 υU+1F5131-4ποειU+1F7731-4μενονSelbstver※(ダイエレシス付きA小文字)nderung
* Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21),140.
** Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 3.
 輿輿die sinnliche Gewissheitγ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)νεσι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 237.
** 河上博士譯、『レーニンの辯證法』、一〇七頁。
 Gattungdie Wissenschaft von den wirklichen Menschen und ihrer geschichtlichen Entwicklung
* Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 8.
** Engels, Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen Philosophie (Hrsg. v. Duncker), S. 48.
*** Grunds※(ダイエレシス付きA小文字)tze der Philosophie der Zukunft, ※(ローマ数字2、1-13-22), 318.
 神學的觀念を批判することによつてそれ自身ひとつのイデオロギーにまで發展したフォイエルバッハの人間學は、新興の無産者的基礎經驗を把握するマルクスの人間學によつて、必然的に押し退けられた。マルクスの人間學はフォイエルバッハのそれと對質せねばならなかつた歴史的状況に於てまたそれ自身ひとつのイデオロギーにまで展開された。それは無産者的基礎經驗の中から直接に生れる第一次のロゴスとしてのアントロポロギーの自覺された、その當時の學問的意識に於て客觀的公共性の中へ持ち出された形態に外ならないのである。それ故に我々はマルクス、殊にエンゲルスのアントロポロギーが、一方では消極的に、フォイエルバッハのそれによつて限定されてゐると共に、他方では積極的に、その當時支配的な學問的意識であつた自然科學によつて特に著しく色づけられてゐることを怪しむべきではないのである。マルクスはフォイエルバッハの人間學を、後者がヘーゲルの思辨哲學を抽象的であると考へたやうに、抽象的であるとして排斥した。けだし如何なるイデオロギーもそれ自身として絶對的に抽象的であるのではない。ヘーゲルの哲學と雖もそれの誕生の地盤であるロマンティクを支配した汎神論的なる基礎經驗にとつては具體的であり現實的であつたのである。ひとつのイデオロギーが抽象的であるか否かは、それが現實の基礎經驗に對する關係に於て決定される。現代に支配的なる無産者的基礎經驗に對しては、それとの必然的なる聯關なき凡ての思想は、現代の意識にとつて抽象的である外なく、そして現代の意識のみが、他の箇所で明かにされるやうに、我々には唯一の現實的なる意識である。さてマルクスの人間學に於て最も重要なのは、繰り返して記せば、一は人間の實踐的感性的なる活動或ひは勞働の根源性の思想であり、他は存在の原理的なる歴史性の思想である。然るに一般にアントロポロギーの構造はイデオロギーの構造を限定するから、これら二つのものこそまさに唯物史觀の構造を限定する最も根源的な契機である。かくて唯物史觀は無産者的基礎經驗の上に、それの規定する人間學の限定の上に、成立してゐると考へられる。そしてこの學問の階級性の理論もまた私が第一節に述べた基礎經驗とアントロポロギーとイデオロギーの相互制約の原理から最も根本的に把握され得るであらう。
 滿滿滿滿
 
――(一九二七・五)――
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 266. アントロポロギーのマルクス的形態を論ずるに當つて、階級の理論は決して見逃すべからざる、重要なものであるが、私はそれについての研究を後の機會に讓ることにした。
** Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie (Nachlass, ※(ローマ数字1、1-13-21), S, 398.).






 
 退尿滿
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 τ※(鋭アクセント付きα、1-11-39)ξι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)
 
* Feuerbach, Ueber Spiritualismus und Materialismus, besonders in Beziehung auf die Willensfreiheit, ※(ローマ数字10、1-13-30), 216.
 das Bewusstseindas bewusste Sein
* Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele etc., ※(ローマ数字2、1-13-22), 340.
** Op. cit., ※(ローマ数字2、1-13-22), 345.
 Subjekt-ObjektEinheitIdentit※(ダイエレシス付きA小文字)tIdentit※(ダイエレシス付きA小文字)tssysteme
* Feuerbach, Ueber Spiritualismus und Materialismus etc., ※(ローマ数字10、1-13-30), 214.

 Ebd., 215.



 
 宿
* 我々の學問にとつて最も重要な意義を有するこの方法については他の場合に詳論されるであらう。
 ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11) Cogito ergo sum Umdeutunggespenstige Gegenst※(ダイエレシス付きA小文字)ndlichkeit
* デカルトとアウグスティヌスとの對立を、デカルトと、彼と同時代に生きてゐてアウグスティヌスの思想につながつてゐたパスカルとの對照に於て眺めることは、我々にとつて教訓多きことであるであらう(拙著『パスカルに於ける人間の研究』參照)。
 passiones
 ηU+1F7555-12μειU+1FD655-12※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)λοU+1F7955-13γο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)ζιωU+1FF756-3ον πολικοU+1F7956-3νζιωU+1FF756-4ον λογιστικοU+1F7956-4ν
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21). Bd., S. 247.
** Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele etc., ※(ローマ数字2、1-13-22), 343.
 manon Jeweiligkeit τοU+1F7859-11 εU+1F1559-11καστονπραU+1FB660-3γμα滿
 οU+1F4161-2 λ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)γονπεριU+1F7661-2 ουU+1F5761-2 λ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)γειπροU+1F7861-3※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) οU+1F4561-3νAristoteles, Ars rhetorica, A. 3.
** Derselbe, Politica, A. 2.
 資本主義社會の全體を明かにしそれの根本的性格を示さうとした、マルクスの二つの大なる、成熟した著作が、共に商品の分析をもつて始められてゐるのは偶然でない。社會とは近代に於ては現實には商品生産社會である。人類の發展の現段階にあつては、如何なる問題も、それの究極の分析は必ず商品を指し示し、それの最後の謎はつねに商品の構造のうちに横はつてゐる。商品の問題は特殊科學としての經濟學の特殊問題ではなく、更にそれの中心問題であるばかりでなく、却て資本主義社會そのものの全體的なる問題である。商品の構造はこの社會に於けるあらゆる存在の對象性の形式の原型である。この社會的特性に應じて、存在の凡庸化の傾向は極限にまで推し擴げられる。そしてそれに應じて意識は我々の現實の生活から益埋沒し、かくて存在の物質化は愈支配的となる。そこでは人間の勞働、その最も内面的なるものも、一個の商品に過ぎない。最も物質的なる勞働と雖も固よりそれが精神的なる意味を有し得ることを妨げるものではない。或る時は他に仕へて他のために働くといふことが、一の道義的精神の現はれであることもあつたであらう。然るに商品が全體の社會的存在の普遍的範疇として支配する資本主義社會に於ては、單に人間相互の間の意識的なる關係のみならず、一切の社會的關係そのものが埋沒し、沒入してしまふ。商品の構造の本質は人間の間の關係が物質性の性格を得、かやうにしてこのものにそれ自身の嚴密な法則性に於て人間の間の關係の一切の痕跡を隱蔽するところの、かの妖怪的對象性を賦與するところに存在する。本來各の勞働は社會的全體的勞働の一部分であり、そしてそれらの凡ての部分は互に依存する。ところがそのことは、我々の社會に於ては、事實上は相互のために働くところの人間の間の社會的聯關は、我々の眼に隱されてしまふやうな形式に於て、行はれてゐるのである。資本主義の世界に於ては人間の間に於ける勞働結合は眼に見えぬものである。それは何に因つてであるか。事物がすべて商品の形態をとり、市場において運動し、そして人間が合理的に市場を支配するのでなく、却て市場がその價格をもつて人間を支配してゐるからである。人間の間の關係は斯くの如くにして商品の間に於ける關係として現はれる。これがまさにマルクスが「商品の魔術性」(Fetischcharakter der Ware)と呼んでその祕密を暴露したところのものの意義である。彼は次の如く記してゐる、「商品形態の全祕密はそれ故に單純に、それが人間に彼等自身の勞働の社會的性質を、勞働生産物そのものの對象的性質として、これらの物の社會的なる自然性質として反射し、かくしてまた總勞働に對する生産者の社會的關係を、彼等の外部に存在する對象の社會的關係として反射するところに横はつてゐる。この quid pro quo によつて、勞働生産物は商品、即ち感性的に超感性的なる、或は社會的なる物となる。……ここに人々の眼に物と物との關係の幻想的形態を採つて映ずるものは、唯人間自身の一定の社會的關係に外ならない。」商品の世界のこの魔術的性質は、商品を生産する勞働の特有なる社會的性質から生ずるのである。この根本的事實によつて、その背後に眞實には人間の相互的勞働が隱れてゐる事物の運動は自己の法則に從つて固有の運動をし、そして逆に人間を支配するに到る。それによつて、人間に彼自身の活動、彼自身の勞働が或る客觀的なるもの、彼から獨立なるもの、即ち商品として、彼を人間とは縁なき自身の法則性によつて支配するものとして對立することとなる。簡單に言へば、人間は人間みづからの作つたものによつて支配される。ここに於て「人間の自己疎外」(die menschliche Selbstentfremdung)は成就される。資本主義社會の特質は存在の凡庸化が斯くの如き自己疎外に於て普遍的に完成するところにある。
* Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21), 38-39.
 この社會にあつて無産者的存在の可能性は如何なるものであらうか。社會的存在の客觀的現實性は、それの直接性に於ては、無産者にとつても有産者にとつても「同一」である。けだし無産者は資本主義的社會秩序の必然的産物として現はれる。一切の生のかの物質化をそれ故に無産者は有産者と共同に分有する。然しながら兩階級がこの同一なる直接的現實性を、それの媒介性に於て、本來の客體的現實性にまで高める範疇は、兩階級の存在の存在の仕方の相異るに從つて、根本的に相異るものでなければならぬ。マルクスはこのことを次の如き明瞭な言葉をもつて言ひ現はしてゐる、「有産階級と無産者の階級とは同一の人間的自己疎外を現はす。しかし第一の階級はこの自己疎外に於て幸福さと確實さを感じ、この疎外を彼自身の力として知り、そしてそれに於て人間的存在の假象を所有する。第二のものはこの疎外に於て否定されたのを感じ、それに於て彼の無力と非人間的存在の現實性を見る。」彼は更に我々に語る、「一切の人間性からの、人間性の假象からさへもの抽象は、發達したプロレタリアートに於て實踐的に完成されてゐるが故に、プロレタリアートの生活條件のうちに、今の社會の凡ての生活條件はそれの最も非人間的頂點に於て總括されてゐるが故に、人間はプロレタリアートに於て自己自身を亡失してをり、然しながら同時にこの亡失の理論的意識を獲たのみならず、またもはや拒むべからざる、もはや掩ふべからざる、絶對的に命令するところの窮迫に――必然性の實踐的表現に――よつて直接的に、この非人間性に對する叛逆にまで餘儀なくされてゐるが故に、それ故にプロレタリアートは自己を解放し得るし、また解放せざるを得ぬ。」このやうにして、同じ直接的現實性に對して相反する二樣の實踐的態度が可能となる。有産者はこの社會の自己疎外に於て彼等の存在を肯定されてゐるから、その存在の必然性に從つて、この疎外の現象形態をそれの資本主義的地盤から、從てそれの歴史性から游離せしめて、それを獨立のものとし、そしてそれを――商品形態に於て構造づけられた人間の間の關係を――人間の關係の可能性一般の無時間的なる典型として永遠化する。斯くの如き永遠化は一應可能であるかの如く見える。何故なら今や商品の構造は社會的存在一般の對象性の原型として普遍的意味を擔ふことにまで到達したからである。そこで彼等はこの永遠化を實現するために所謂「永遠なる」イデオロギーを打ち建て、所謂「普遍妥當的なる」理論を築き上げる。眞實を言へば、このそれ自身抽象的なる永遠性若くは普遍妥當性は、商品に於ける人間の自己疎外の、人間性そのものからの抽象の反映に外ならない。資本主義の發展の過程に於て、商品の構造は絶えず一層深く、一層運命的に、一層構成的に人間の意識の中に這入つてゆく。あらゆるロゴスは商品の範疇の普遍的なる、決定的なる支配のもとに、人間から抽象された、從て現實の存在から游離された、惡しき意味に於けるイデオロギーに移り變つてゆき、かくして逆に人間性の發展を抑制し、壓迫する。然しながら有産者にはこのやうなイデオロギーを批判する可能性がその存在のうちに與へられてゐない。なぜかならば彼等の存在はそこに於て直接に肯定されてをり、それ故に存在を過程に於て、歴史に於て考察することが拒まれてゐるからである。これに反して、無産者は現在の社會に於てその存在が否定されてゐるが故に、まさしくその否定性の故に、存在を運動性に於て、歴史性に於て把握することが出來、また把握せざるを得ない。彼等は所謂永遠なる理論が資本主義社會の歴史的條件の上に立つてゐることを理解する。「支配階級の思想が各の時代に於て支配的なる思想である**。」彼等は所謂普遍妥當的なるイデオロギーが有産者階級のイデオロギーに過ぎないことを理解する。プロレタリアートは、その存在の必然性に從つて、必然的に批判的である。私は更にこの批判の特性、そしてそれと關係して、マルクス主義的唯物論の特性を見るであらう。
* Die Heilige Familie oder Kritik der kritischen Kritik, Nachlass, ※(ローマ数字2、1-13-22). Band, S. 132-133.

 Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 265.



 eine sachgetreue, ihrem Gegenstand sich aufs Strengste anschliessende, historisch-philosophische Analysedie reale Geschichtschreibung
* Vorrede zur zweiten Auflage vom ”Wesen des Christenthums“ ※(ローマ数字7、1-13-27), 283.
** Op cit., ※(ローマ数字7、1-13-27), 290.
*** Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 237.
**** Zur Kritik der politischen ※(ダイエレシス付きO)konomie, ※[#ローマ数字46、69-7].
 die einzig materialistische und daher wissenschaftliche MethodeAm Anfang war die Tat
* Nachlass, ※(ローマ数字2、1-13-22), 238-239.
** Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 336 Anmerkung.
*** Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 1.
 穿使
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 241.
 マルクス主義は理論と實踐との辯證法的統一を知るが故に、それは如何なる當爲をも、如何なるゾルレンをも知り得ない。マルクスは云ふ、「共産主義は我々にとつて作り出さるべき状態ではない、現實がそれに準ぜねばならぬ理想ではない。我々は今の状態を止揚するところの現實的なる運動を共産主義と呼ぶ。この運動の諸條件は今現存する前提から生ずる。」そこでエンゲルスもまた云つてゐる、「マルクスはそれ故に彼の共産主義的要求を決して我々の道徳的感情の上に基礎付けなかつた、却て彼はそれを我々の眼前で毎日日増に成就されつつある、資本主義的生産社會の必然的な崩潰の上に基礎付けた、彼は、ひとつの單純な事實である、剩餘價値は支拂はれざる勞働から構成されてゐる、といふことを語るのをもつて滿足する**。」ところでマルクス主義に從へば、この理論的な必然性は必ず實踐的な表現を得てゐなければならない。プロレタリアートの窮迫(Noth)はまさにこの必然性の實踐的な表現(der praktische Ausdruck der Nothwendigkeit)である、とマルクスは考へる。今や人類の大衆が全く「無産」となり終り、彼等の貧困はもはや忍び難きものとなつた。かかる現實を將來した資本主義的生産方法はもはや「堪へ難き」力となり、それを革命することはもはや止むを得ざることとなつた。無産者の生活の窮迫はかくしてもはや拒否し得ぬ絶對的命令に於て社會の變革を命令する。これがマルクス主義の理論の「實踐的前提」である。マルクス主義は理論と實踐との辯證法的統一の上に立つが故に、全無産階級の物質的貧困と窮迫とをその理論のうちに止揚する。ここにマルクス主義が自己を唯物論として規定するひとつの根源は横はつてゐる。
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 252.
** Mis※(グレーブアクセント付きE小文字)re de la philosophie, Pr※(アキュートアクセント付きE小文字)face, p. ※(ローマ数字12、1-13-55).
 
――(一九二七・七)――
* Nachlass, ※(ローマ数字2、1-13-22), 133.






 das pragmatische Sein使
 調
 μηU+1F7481-6ον
* ここに我々は、もとよりその意圖に於て我々のものとは距つてゐるにせよ、ディルタイの謂ふ「形而上學の現象學」(Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie der Metaphysik)の理念について想ひ起す。
 πραU+1FB683-4γμαπραU+1FB683-4γμαπραU+1FB683-4ξι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)practical consequenceπραU+1FB683-13γμα使HergangHerkunftGegenstandοU+1F4284-7ν ωU+1F6184-7※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) πραU+1FB683-7γμα調
* William James, Pragmatism, p.46.

 使 die pragmatische Geschichte Hegel, Vorlesungen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Philosophie der Geschichte, Reclam-Ausgabe, S. 38.W. Dilthey, Die Jugendgeschichte Hegels, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字4、1-13-24), 8. 



 genetic theory調沿辿leadinginstrument
* James, Pragmatism, p. 201.
 in so far forthits bare holiday-giving valuemediator調reconciler調辿practical cash-value調
* Op. cit., p. 72 ff.
** Ibid., p. 45.
*** Ibid., p. 81.
 radical empiricism滿temperament輿the tender-mindedthe tough-minded
* Essays in Radical Empiricism, p. 193.
** Ibid., p. 196.
*** Pragmatism, p. 75.
 姿滿 Homo sapiens  Homo faber 
* ベルグソンとジェームスとの關係を我々は彼等自身の言葉によつて窮ふことが出來る。William James. Extraits de sa correspondance, par F. Delattre et M. Le Breton, avec une pr※(アキュートアクセント付きE小文字)face de Henri Bergson.
** L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, p. 31.
*** Introduction ※(グレーブアクセント付きA小文字) la m※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique (Revue de m※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique et de morale, 1903, p. 16.).
**** L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, p. 149 et suiv. さて全く異つた思想の上に於てではあるが、マルクスもまた記してゐる、「勞働手段の使用及び創造は、その萠芽に於ては既に或る種の動物種屬に屬してゐるけれども、特に人間的な勞働過程を特性付ける、そしてフランクリンはそれ故に人間を道具を作る動物(a toolmaking animal)として定義してゐる」(Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21), 142.)。
 dur※(アキュートアクセント付きE小文字)e puresympathie intellectuelle※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)



 
* L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, ※(ローマ数字4、1-13-24).
 the empiricist temper regnant調belief調
* ここに私はベルグソンから次の一節を引いておかう。「テーヌのそれの如き所謂『經驗論』と或るドイツの汎神論者の最も超越的な思辨との間の距離は、ひとの想像するよりはずつと少い。方法は二つの場合に於て類似である、それは飜譯の諸要素について恰もそれらが原物の諸部分であるかのやうに論ずることのうちに成立してゐる。しかるに眞の經驗論は、原物そのものを出來るだけ近く引き寄せ、それの生命を究め、そして、一種の知的聽診によつてそれの魂の鼓動するのを感じるのを目的とするところのものである、そしてこの眞の經驗論が眞の形而上學である」(Revue de m※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique et de morale, 1903, p. 14.)。
 der exemplarische IndexEdmund Husserl, Philosophie als strenge Wissenschaft, Logos, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 295.
*** Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 240.
 使 usefulness  utility Briefwechsel zwischen Friedrich Engels und Karl Marx, Hrsg. v. Bebel und Bernstein, ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 266.
 μεταU+1FB6100-13βασι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ειU+1F30100-13※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) αU+1F04100-13λλο γ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)νο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)
* Georges Sorel, De l'utilit※(アキュートアクセント付きE小文字) du Pragmatisme, p. 365 et suiv.
 
 dur※(アキュートアクセント付きE小文字)e r※(アキュートアクセント付きE小文字)elle退le temps qui s'※(アキュートアクセント付きE小文字)coulele temps ※(アキュートアクセント付きE小文字)coul※(アキュートアクセント付きE小文字)退βιU+1F77103-9ο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) θεωρητικοU+1F79103-9※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)
* オックスフォードに於けるベルグソンの講演、≪La perception du changement≫はこの問題の論究によき手懸を與へる。更に、W. James, The experience of activity (Essays in Radical Empiricism ※(ローマ数字6、1-13-26).) なる論文參照。
 Geschichtlichkeit des Lebens alternative 

 Wilhelm Dilthey, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字4、1-13-24). Band, S. 529.



 la d※(アキュートアクセント付きE小文字)composition du marxisme
 l'action directeviolence使gr※(グレーブアクセント付きE小文字)ve g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)rale mythe en bloc et par la seule intuition, avant toute analyse r※(アキュートアクセント付きE小文字)fl※(アキュートアクセント付きE小文字)chie
* H. Bergson, L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, p. 30.
** G. Sorel, R※(アキュートアクセント付きE小文字)flexion sur la violence, p. 46.
*** Op. cit., p. 180.
**** Ibid., p. 173.
  mythe social 
* Op. cit., p. 38.
 Ibid., p. 33. E. Bertram, Nietzsche. Mythos  Mythologie Legende
*** La d※(アキュートアクセント付きE小文字)composition du marxisme, p. 59.
 intuitioninstinctspontan※(アキュートアクセント付きE小文字)調調
 le tableau de la catastrophe totale使eschatologie使On travaille pour l'incertain.ardent jans※(アキュートアクセント付きE小文字)nisme social
* Op. cit., p. 217.
** マルクスもまた共産社會と共に全く新しい歴史が始るとし、それまでの從來の一切の歴史を人類の「前史」と見做し、歴史のこれら二つの時代の間には絶對的なる分離が存在すると考へた。Sorel, Op. cit., p. 201.
 Pens※(アキュートアクセント付きE小文字)es, 234.
**** Georges Guy-Grand, La philosophie syndicaliste, p. 61.
 Pathos der DistanzZur Genealogie der Moral鹿 blonde Bestie使renouvellementl※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)chet※(アキュートアクセント付きE小文字) bourgeoise
 退Que faire?
――(一九二七・一一)――
* Das kommunistische Manifest.
** Mis※(グレーブアクセント付きE小文字)re de la philosophie, p. 217.
*** Das kommunistische Manifest.
**** Que faire? p. 25. et suiv.
[#改ページ]

ヘーゲルとマルクス



 ヘーゲルの『法律哲學綱要』の序文の中に我々は次の如く書かれてゐるのを見出す、「個人に關して云へば、もとより各の者は彼の時代の子である。哲學もまたさうであつて、思想に於て把握されたそれの時代である。何等かの哲學がそれの現在の世界を越えて行くと思ふのは、個人が彼の時代を飛び越え、ロードゥスを飛び渡ると思ふと同じく馬鹿なことである。」もしこの言葉にして眞であるならば、それは何よりも先づヘーゲル自身の哲學に對して適用されねばならぬであらう。まことにヘーゲル哲學はそれの屬するロマンティクの時代、この時代の存在の基本的構造としてのロマンティク的基礎經驗の最も宏大なる表現ではあるが、しかしなほロマンティクを越えて進むことが出來ず、却てこのものによつて根本的に限定されてゐる。基礎經驗の構造はイデオロギーの構造を規定する。ヘーゲル哲學に於ける最も強力なるもの、その辯證法的方法と雖も、ロマンティク的基礎經驗によつてその構造を規定され、斯く規定されることによつてその意義と特質とを獲得すると共にまたその制限と限界とをも賦與されてゐる。けだし辯證法は形式論理學の如きものではない。ヘーゲルは考へる、哲學は學問であるべきであるが、それはこのためにそれの方法を下級の學問、例へば數學の如きから借りてはならず、それかと云つて、また内的直觀の斷言的なる保證に身を委せてもならず、更にそれは外面的なる反省の根據からの論證、即ち形式論理學を用ゐることも許されない。認識の絶對的なる方法は同時に「内容そのものの内在的なる魂」であるべきである。學問的認識のうちに運動するものは内容の本性であり得るのみである。「方法とはそれの内容の内的なる自己運動の形式についての意識である」(die Methode ist das Bewusstsein ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Form der inneren Selbstbewegung ihres Inhalts)、とヘーゲルは云つてゐる。さうであるとすれば、ヘーゲルの辯證法的方法はその特性を、彼の學問的加工に這入つて來た存在の特殊性によつて、與へられねばならぬであらう。私はこの聯關をいま少し嚴密に分析してみようと思ふ。
* Hegel, Wissenschaft der Logik, Hrsg. v. Lasson, Erster Teil, S. 35.
 調
* 拙稿、問の構造(「哲學研究」第百二十四、百二十八號)參照。
** 笠信太郎氏譯、プレハノフ、『ヘーゲル論』、參照。
Was vern※(ダイエレシス付きU小文字)nftig ist, das ist wirklich ; und was wirklich ist, das ist vern※(ダイエレシス付きU小文字)nftig.Unvern※(ダイエレシス付きU小文字)nftigkeitder revolution※(ダイエレシス付きA小文字)re Charakter調
* Engels, Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen Philosophie, S. 17.
 DarstellungHerstellung An sich F※(ダイエレシス付きU小文字)r sich An und f※(ダイエレシス付きU小文字)r sich das Ontologischedie Kategorien des Lebensdas OntischeοU+1F44132-2νλοU+1F79132-3γο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ontologisch 

 



 
 DiesseitigkeitObjektivit※(ダイエレシス付きA小文字)tenObjektiver ldealismus
 SubstanzSubjektDeus sive naturaκριU+1F77136-5νεινκινειU+1FD6136-5νψυχηU+1F75136-5使※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)Panlogismus※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)emanatistisch
* W. Dilthey, Die Jugendgeschichte Hegels. 參照。なほ簡單には、クーノ・フィッシァーの近世哲學史の中の『ヘーゲル』についてのディルタイの批評(Beilage zur Deutschen Literaturzeitung 1900. Nr. 1.)を看よ。
** Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie des Geistes, Vorrede.
*** Aristoteles, De anima Γ9.アリストテレスのこの書とヘーゲルの『精神現象學』とを比較することは有益なことであると思はれる。
**** 流出的論理學については、E. Lask, Fichtes Idealismus und die Geschichte.參照。
Das Wahre ist das GanzeDas Wahre ist nur als System wirklich
 調調Theodizee : Rechtfertigung Gottesvers※(ダイエレシス付きO小文字)hnende ErkenntnisνουU+1FE6142-3※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) vers※(ダイエレシス付きO小文字)hnende Erkenntnis 調調
* Vorlesungen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Philosophie der Geschichte, Reclam-Ausgabe, S. 49 u. 50.
 kontemplativpraktisch姿姿das Wissen des Substantiellen ihrer Zeit姿姿※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)der Stand der vollendeten S※(ダイエレシス付きU小文字)ndhaftigkeit
* Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts, Vorrede.

 Aristoteles, Politica, B. 5.



 
 VermittelungUnmittelbarkeitMitteilung
* Grunds※(ダイエレシス付きA小文字)tze der Philosophie der Zukunft, ※(ローマ数字2、1-13-22), 301.
** Zur Kritik der Hegelschen Philosophie, ※(ローマ数字2、1-13-22), 169-172.
 然しながらフォイエルバッハは斯くの如くにしては、彼みづからの希望したやうに、ヘーゲル主義を克服することが出來ない。なぜなら彼は――マルクスが『ドイッチェ・イデオロギー』の中に書き記してゐる如く――「この感性的世界が何等直接に永遠の昔から與へられた、絶えず自己同一なる、物でなく、却てその各がそれに先立つものの肩の上に倚りかかつてゐるところの諸世代の生産物である」、といふことを看過したからである。フォイエルバッハの感性に直接に供せられる現實の世界もただ歴史的發展の過程に於て生成したものであり、かく生成したものとして初めて彼の直接的なる感性に這入つて來るのである。然るに彼は存在の歴史性については何事も知らない。彼は現實をそれの生成の道に於て、ゲネシスに於て把握しない。そして辯證法とはまさしく事物をそれの生成(Werden)に於て認識する方法である。それではこの辯證法は直接性については何事も知らないのであらうか。恰もその反對である。辯證法はただ直接性を、フォイエルバッハがこれを絶對化するのに反して、相對化するのみである。即ちヘーゲルに從へば、存在の辯證法的發展の各の段階にあつて、從來の過程の結果はつねに直接的なるものとして現はれる。例へば、我々にとつて我々の現在の社會形態は直接的なる明證に於て與へられてをり、しかもそれが一層複雜な、ヘーゲル的に言ふならば、一層媒介された形態であればあるほど、それだけ一層直接的に明證的なのである。ところがこの直接性は、まさにそれが發展の結果の擔ふところのものであるの故をもつて、假象である。この直接性は、このものがこの直接性となるために過程に於てそれを通して進展して來たところの媒介の諸範疇がなほ認識されてゐないことを意味する。然しながらこの假象そのものは存在の一の必然的なる客觀的なる形態である。そしてこの必然性と客觀性との認識はそのものを存在の必然的なる假象、存在の必然的なる現象形態となして來たところの媒介の諸範疇が示されるとき、それ故に直接的なるものが單に結果としてその直接性に於て把握されるばかりでなく、また同時に過程の一契機としてその煤介性に於て把握されるとき、可能である。
 ヘーゲルの辯證法は右の關係を正しく理解した。それにも拘らず彼の哲學は「現代」――それは最初にそして原始的には直接性に於て與へられてゐる――の絶對化、從て直接性の絶對化をもつて終つてゐる。彼は現代をただ結果としてのみ觀察して過程として觀察しない。我々はこの制限の根源を、彼に於ては意識が存在のモデルであり、そしてその辯證法が自覺のモデルに從つて自己より出て自己に還るところの或ひは即自に於ける直接性の對自を媒介として即自對自に於ける絶對的なる直接性に到るところの完結的なる過程であつたといふこと、そしてそのことと聯關して彼の哲學的態度が根本的に觀想的であつたといふこと、のうちに見出した。この制限が除かれるためには、觀念論から唯物論への、觀想から實踐への、轉換が行はれなければならない。マルクス主義はかかる轉換を爲し遂げた。實踐的なる唯物論――フォイエルバッハの唯物論は觀想的であつたため直接性を絶對化せねばならなかつた――、所謂戰鬪的唯物論(der k※(ダイエレシス付きA小文字)mpfende Materialismus)にして初めて能く現代を單に結果としてのみならずまた同時に過程として把握し得る。實踐に於ては現在は未來と關係させられて特に過程として現はれる。しかるに過程が過程として批判的に認識されるためには、それは同時に過去の發展の結果として觀察されねばならぬ。現在を過去に關係せしめるのは特に優越なる意味に於ける觀想であり、理論的態度がそれである。――我々が理論と譯する言葉の語源をなすギリシア語のθεωρ※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、155-7]αは根源的には觀るといふことを意味した。――このやうにして、そのうちには理論と實踐との二元性が止揚されるところの態度にとつては、現代は一方では具體的なる、直接的なるものとして、けれど歴史の過程の結果として、從てゲネシスに於て、それの直接性の根柢に横はる凡ての媒介性を通じて、捕へられ、そして他方では現代はこのものを越えてゆく過程の契機として掴まれる。我々は既に屡マルクス主義の本質を理論と實踐との辯證法的統一に於て見た。現在の直接性に對する批判的なる態度のみがそれを人間の活動と關係せしめ得る。現在の含むところの自己自身を打越える契機のうちに人間の實踐的批判的活動、革命的なる實踐の現實の地盤がある。そして現在を單に後方に向つてばかりでなく、却てまた前方に向つて一の過程に轉化するところの態度のみが現在を批判的に把握することが出來る。現在は成つたものとしてそして同時に成りつつあるものとして理解されねばならぬ。この矛盾の理解は理論と實踐とを辯證法的に止揚する立場に於て初めて可能である。まさに現在に於てあらゆる對象性に於ける過程的なるものは全く具體的に充實されてゐる。なぜなら現在は過程の結果と出發點との統一を示してゐるからである。恰も斯くの如きものとして、現在は最も具體的なるもの、最も現實的なるものである、と云はれることが出來る。從て現實的なるもの、具體的なるものの認識が單なる觀想的、理論的態度によつては不可能であるといふことは明かであらう。理論と實踐との辯證法的統一の上に立つ哲學のみが眞に具體的なる哲學である。未來への展望を含むか否かが學問の現實性の基準である。我々はこのことをマルクス主義から學ばねばならぬ。

――(一九二八・四)――






 
   1966411217

   192835
 
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2-672-68




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 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213



JIS X 0213-


有気記号付きυ、U+1F51    31-4
鋭アクセント付きι、U+1F77    31-4、103-9、136-5、155-7
鋭アクセント付きη、U+1F75    55-12、136-5
曲アクセント付きι、U+1FD6    55-12、136-5
鋭アクセント付きο、U+1F79    55-13、56-3、56-4、103-9、132-3
曲アクセントと下書きのι付きω、U+1FF7    56-3、56-4
重アクセント付きο、U+1F78    59-11、61-3
有気記号と鋭アクセント付きε、U+1F15    59-11
曲アクセント付きα、U+1FB6    60-3、83-4、83-4、83-4、83-13、83-7、100-13
有気記号付きο、U+1F41    61-2
重アクセント付きι、U+1F76    61-2
有気記号と曲アクセント付きυ、U+1F57    61-2
有気記号と鋭アクセント付きο、U+1F45    61-3
ローマ数字46    69-7
重アクセント付きη、U+1F74    81-6
無気記号と重アクセント付きο、U+1F42    84-7
有気記号付きω、U+1F61    84-7
無気記号付きι、U+1F30    100-13
無気記号と鋭アクセント付きα、U+1F04    100-13
無気記号と鋭アクセント付きο、U+1F44    132-2
曲アクセント付きυ、U+1FE6    142-3


●図書カード