伊那紀行

今井邦子




 
 
 
 
 
        
 
眞珠庵の古き疊にさし入りてとこ世のものと春日ゆらめく

 
  
 殿
 
 
        
  
 
 
 
 

 
   
        
 
 谿西
「月が出ると高遠町は全く雪月花の世界だ」
と誰かゞ言つた。
 山を下つて令妹原氏の邸宅で暫くは快談に時をうつした。私の泊りの爲に萬端の準備をされ風呂も沸かして下された由だけれど、私はその夜伊那町で彼地の篤學高津才次郎先生に會し、南信の漂泊俳人井月の事を拜聽する約束が出來てゐたので、強ひてそこを辭して伊那町の箕輪屋に投じた。
 高津才次郎先生は伊那高等女學校の教頭で、はやく井月の研究家として知られてゐる。井月は越後生れとのみ郷里を明かにしないが明治廿年三月十日まで、伊那を中心に南信の所々を漂泊し俳諧に終始した、歌道に於ける良寛の如き人であつた。先生の編された漂泊俳人井月全集(白帝書房)によつて見ると、故人芥川氏、又室生犀星、久保田万太郎、佐藤惣之介等の諸氏もその刊行に力を添へられ、之を愛讀された樣である。
 先生が靜かに物語られる逸話のなかで私の心を打つたものは、井月が或る家の庭前に柿の落葉を拾つて埃をふき、其家の家女に「ハイお土産」とさし出したといふ話と、又その臨終に前日貰つた饅頭を持つて仰臥してゐたが、人が訪れるとパチリと一たん眼をあいて再び閉ぢた。それが終りであつたといふ樣な實に尊いと思ふお話であつた。
 私は俳諧を知らないが、此全集を旅先でひろひ讀んでみた處で、ずゐぶん優れたものもあるが、和歌に於ける良寛の樣な格調の高さに至つたものに出會ふ驚きを、良寛ほど數多く感じなかつた。可成り月次調の俳句もまじる心地であつた。併し井月の文字を見、その學殖の深き樣を聞いた時に私は全く驚嘆した。楷書は顏眞卿の筆致をほの見せたと言ふのであるが、草書も假名も實に流麗で、その風格は一茶の樣な野趣のおもしろさでもなく、良寛の全人的深遠なものとも違ひ、實に井月の文字は知識的の鋭さによつて引しまり、心の無駄のない言はゞ近代味をもつたものである事であつた。かゝる人が全く乞食と選ぶなき漂泊の俳人として芭蕉の精神道に正直に殉じた事を思ふと、更に更に尊い心に觸れるのである。私は此度の短い旅にかくまで心を養はれた伊那の二日を、永く忘れ得ぬ事であらう。





底本:「信濃詩情」明日香書房
   1946(昭和21)年12月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年5月7日作成
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