一
故く郷にへ帰らうか、それとも京都へ行かうか、平三は此の問題に二日間悩まされた。同じことを積んだり崩したりして何時までも考がまとまらなかつた。 彼は毎年夏季休暇には帰省するを常として居たが、今年は最初から京都で暮さうと思つて居た。それは故郷の生活の単調無為なのに懲こりて居るのと、他に厭な事情もあるのと、一つは京都は彼の第二の故郷とも言ふべき土地であり、その上もう六七年も行かなかつたので、其間に親戚故旧の間に種々の変化もあつた様だから、久ひさ振しぶりに其等の人々に遇つて色々と話合つたら嘸さぞ楽しい床ゆかしいことであらうと思つたからである。勿論長い間だから八月丈け京都に居て其前後は東京で暮さうといふ予定であつた。併し故郷へは明かにさうと言ひにくい事情もあるので、今年は東京に居て勉強せねばならぬから帰られないと手紙を出して置いた。 一度京都へ行くことに決してからは、彼は一二ヶ月の間は来るべき夏の生活を非常に愉快なものと種々都合の宜い様に想像して楽んで居た。彼の心を牽ひきつけたものは京都の山水でもなく名所旧蹟でもなく、彼の今迄の生活に最も影響のあつた、且つ最も意味が深いと彼自身に思はれる過去の生活の追想であつた。少年の彼を中心とした小さい京都の社会を、今の彼が想出す其の心持が当時の生活に種々の色をつけ形を与へて、益彼の心をそゝり立てたのである。 姉、伯父母、従兄弟姉妹、此等の人々の俤おもかげを思ひ浮べて、此人には斯かう、彼の人にはあゝと一人一人に話す材料や話方等まで想像して、何だか恋人にでも遇ふ様な懐しい胸のわく〳〵する思で居た。 今一つ彼をして此夏京都の生活を楽しく思はせた理由がある。友のSが七月下旬東京を出発して信しな濃の飛ひ騨だを旅し、美濃路を経て八月上旬京都に出て、二週間ばかり滞在しようといふ予定であつたので、是を機会にして、伊勢、尾張、近あふ江み、播はり磨まなどに夫々帰省して居る友達が同時に京都に落合はう、藤村の﹁春﹂の人物が、富士山麓の吉原の宿に東からと西からと落合つた様に、各方面から同時に京都に落合つたらどんなに心ゆくことであらうと云ふ様なロマンチックな空想がそれであつた。兎に角さういふことに定めて、幸ひ、平三の親類の家が宿屋であるので、彼から手紙で室のことや宿料のことまでも交渉して置いた。 七月の始めには皆夫々国へ帰つて、残つたものは平三とSばかりとなつた。平三は別段何をするでもなく、只だ月日の早く経つのをのみ待つて居た。 所がもう五六日で出発しようといふ時になつて、Sから﹁種々都合悪しく旅行は出来ない、少くとも京都へは行けないから不あし悪からず……﹂と言つて来た。平三はひどく失望した。早速Sを訪うて最初の計画を実行する様に勧めた。けれどもSは種々家事上の都合があつて到底不可能であつた。 ﹁ぢや僕も京都はよさう。君が行かないのなら。﹂ 平三は斯う言つて別れた。では如何するかといふ考もなかつたが、実際其時は止めようと思つた。恰あたかも彼の京都行の動機は単に友達と一緒に落合ふといふ事のみであつたかの如く、其のために最初の動機も破れて了つた。今迄色々に思ひ浮べて居た楽しい連想や空想は一時に消えて了つた。最初の予望が大きかつただけ、それだけ失望も大であつた。今迄懐しく床しく思つて居た親戚故旧との会合や、其後の変化などは左程心を動かさぬ様になつた。﹁あの人とあんな風な話をし、この人とはこんな風に話をするといつた所で、只だそれ限りだ、それが何で面白からう。話すことはこれ限りだ、聞くこと見ることはこれ丈だ、別段してもしなくても宜いことだ、又必ずしも今年に限らない、よし又行つたとしても一週間位は面白からうが迚とても一ヶ月余は居られまい、単調になり淋しくなるは矢張り同じことだ、矢張り一人ぼつちだ、行つたとてつまらない……。 ﹁止さう。――では何処へ行かう? 東京に居るのは厭だ、温泉か海水浴か、それは経済が許さぬ。では国へ帰らう。それより仕方がない……。 ﹁が考へれば故郷は厭だ、毎年の経験が止せ〳〵と言ふ、そればかりでない、今年は妹は肺病で死にかゝつて居る、去年帰つた時にも伝染せぬかと心配した、今年は尚更だ、もう一年で学校が済む、卒業間際に伝染しては困る……。 ﹁否、それだから尚更帰らねばならぬ、妹が死にかゝつて居る、それを知つて帰らぬのはあまり不人情過ぎる、母に対して義理がすまぬ、母は義理の母だ。妹は其連子で義理の妹だ、たとひ死んでも勉強中の自分には帰れと言つて来ぬに定きまつて居る。だがそれを却かへつてよいことにして顧みないとは良心が許さぬ、今まで妹のことなどは少しも気にかけて居なかつた、が如何にも心配して居るらしく、手紙を出す毎に真先に妹の容子を尋ねた、自己を欺あざむき両親を欺き妹を欺いて居た、それが人の道か……。 ﹁国へ帰れ、故郷へ! 両親が待つて居る、瀕死の妹が待つて居る、死に目に遇つてやれ、空気が清い、青い海が手を広げて居る、新鮮な魚がある、静かに英気を養ひ潜勢力を貯へて来い、身体が大切だ! ﹁然り身体が大切だ、だから帰郷したくないのだ、妹が肺病だ、伝染したら何うする 己は今年は二十五の厄やく年どしだ、ひよつとすると伝染するかも知れぬ、恐しい! ﹁父に遇ひたい、が恐るべき病人と一つ家に居るのは、――あゝ思うても慄然とする、苦痛だ、気が晴れぬ、――京都へ行け、姉が居る、死んだ伯父の跡を弔とむらひたい、色々の人と色々の話をしたい。楽しさうだ、だがそれまでだ、思うた程愉快でないかも知れぬ……。 ﹁故郷、京都、何処へ行かうか、何どちらでも宜い、何処へ行つても同じことだ、価値の等差がない、何いづれを選んでもよい、だから選択に困る、本来ならば故郷へ帰るべきだ、だがもしも……それに京都にも未練がある、では両方へ行けばよい、併し最早時日が足らぬ、彼方へ行き、此方へ行きしてる間に休暇がなくなる、勉強もしなければならぬ。﹂ こんなことを彼は昨今二日の間果てしもなく考へて、遂には何が何だか分らなくなつた。最初は気分だけで京都行に決定したことが後には帰郷と実際的の利害得失を比較商量する様になつた。京都と故郷とに於ける自分の生活状態を詳つまびらかに胸に描いて見て、其利害を比較して見たが、何れも軽重がない様に思はれ、何れを選んで宜いか困つた。 彼は考へあぐんだ結果何れとも定めかねたので、兎に角何処へ行つてもよい様な荷を拵こしらへ、翌朝停車場へ行つて切符を買ふ刹那に決定しようと思つた。 翌朝彼は新橋へ行つた。車の上でも絶えず京都と故郷とを繰返した。けれども只だ如何にも忙しく両方の地名が楯環するのであつた。 が彼は逐に故郷への切符を買つて了つた。二
汽車に乗つてから、彼は最早取り返しのつかぬことをしたと思つた。此一枚の切符が彼の全運命を支配するものの如く思つた。切符を買ふ時に始ど何等の思慮なしに○○と言つて了つたが、あの時もし京都と言つたら矢張り京都へ行くんだつた。何どうして此切符を買つたのであらう、愈帰郷するに極まつたものの、彼は尚ほ京都へ行けばよかつたかしらと思つて、更に一両日来の考を繰返した。そして自分の行為を是認し、責任を免れる気か、今度の行為は自分が熟考の結果定めたのでない、其場に臨んで止むを得ずしたのだ、他から余儀なくせられたのだと思つて自ら慰めた。併し尚ほ京都は断あき念らめられなかつたので、汽車が北陸線との乗換場の米まい原ばらまで行く間に長い時間があるから、兎に角それまでに今一度考へ直して愈分岐点に行つて何うにか決しようとも思つた。 滑稽だ、みじめだ、と殆ど人事の様に自ら嘲り自ら冷笑しては見るものの、この自己嘲笑も事実に対して何等の意義乃至価値があるか。つまらぬことを如何にも生死の大問題の如くに種々に思ひ煩わづらつて全心を労することは如何にも馬鹿気きつたことだ、と自ら自己を批評しては見るものの、それかと言つて何うすることも出来ぬ。つまらぬ些事とは自分自身も十分知つて居るが、尚ほ且つ其つまらぬことが、恰も生死の大問題と同様な権ちか威らを以て彼に迫るのであつた。 時々窓から首を出して掩おほひかぶさる様に曇つた空を眺めたり、カーブした線路を走る時何度も列車の車輌を数へて、其数の多くて長いのに、子供の様に感嘆したり、又車中の人々の話に耳を傾けたりして、なるべく心を転じようと努めた。 米原に着いた頃は真夜中であつた。彼は愈此処が……と一寸思つたが、此時には余程心が平静になつて居て、今迄何事も考へず最初から帰郷することに確定して居たかの如く平然として居た。乗換の人は下車し新しい客が入つて来た。やがて再び発車した。 米原を発車した後は、今迄の様に苛いら々〳〵した気持はなくなつた。そして今迄と反対に、帰郷するといふことが楽しいことに思はれ始めた。恐しい杞きい憂うなどはなくなつて、すべて愉快なこと、楽しいことの連続が思ひ浮べられた。帰らぬと思つて居る所へ不意に帰つて行つたら、嘸さぞかし皆が吃びつ驚くりするであらう。否な喜ぶであらう。深い太い皺の入つた赭顔に、包みきれぬ喜悦の情を湛へた父の俤が眼前に現はれた。それと同時に京都のことも考へた。が今度は別段思ひ残す程のこともなかつた。秋か冬の休にでも行けばよいといふ気になつた。たゞ、行くと言つて居た所へ行かず、帰らないと言つて居た所へ帰つて行くといふことが、何だか我ながら不思議な様でもあり、面白いことの様にも思はれた。大事業でもなし遂げた様に、大なる困難に打勝つた様にも思はれて、彼は独り微笑むだ。 窓から外を見た。外は真暗であつた。其真闇の中を汽車は轟々シュッ〳〵と疾駆して行く、細かい柔かい雨が顔にあたつた。 K市に着いたのは朝の八時、こゝで乗換へになるので下車した。発車まで三十分ほど間があつたので、停車場前の郵便局へ行つて﹁アスカヘル﹂と父に宛てて電報を打つた。彼は彼の村には電報などあまり配達されず、もし来た時には大抵凶報に極まつて居ることを思ひ出し、此電報が配達された時、如何に家人が驚くであらうと想像して、うつかり大変なことをしたと思つた。 十時過にH町に汽車を降りた。こゝから村まで十里程ある、半分は馬車であるが、それから先は歩かねばならぬ。今日中には行けるとは思つたが、あまり突然であつたから、態わざと明日帰ると電報を打ち、今日は何処でも都合のよい所に途中に宿る積りであつた。馬車屋へ行くと馬車がないといふ。一番の客が多くて二番の馬車まで使つたさうで、此次のにはまだ三時間もあるといふことだつた。待つて居るのもつまらぬと思つて荷物を通運会社に托し、行ける所まで行く積りで素足に草わら鞋ぢを穿いた。 雨上りの天気で随分暑かつたが、地面は乾き加減で歩きよかつた。荷馬車や旅商人や、茣ご蓙ざを着、大きな檜ひの笠きがさを被つた半島りの学生の群にも幾組か出遇つたり追ひ越したりした。一町毎に立ててある小さな里程標や電柱の番号の数の益減じて行くのを見て心強く思つて一人テク〳〵と歩いた。一昼夜以上汽車に揺られた上、昨夜は一睡もしなかつたので、迚も歩けぬだらうと思つて居たが意外にも道が捗はかどつた。松並木を通して、真昼の日光を浴びて﹇#﹁浴びて﹂は底本では﹁沿びて﹂﹈チラ〳〵輝いて居る海を見、磯に寄せる波の音を聞いた時は、さすがに爽快を覚えた。的もなく果てしもない旅でもして居る様な気持になつて、歌など口ずさみ乍ら歩いた。遠い〳〵彼方に綺麗な眉毛の様に突き出て居る自分の村の岬みさきを望んだ時には、愈国へ帰つたのだなと嬉しい様な詰らない様な気がした。馬車の終点まで来た時にまだ次の馬車が来なかつた。暫く茶店に休んで又歩いた。かうして夕日が渺べう茫ばうたる日本海に沈む時分、村から一里手前のA町に着いた。そしてまだ十分家に帰り得る時間も精力もあつたが、態わざと其町の知合の宿屋へ入つた。 ﹁あんた今年帰らんちふ話やつたが、帰つてゐらしたね。﹂ 洗すゝ足ぎの水を持つて来た知合の下女が言つた。彼女は平三の村の者であつた。 ﹁誰がそんなことを言うたい?﹂と平三は草鞋を脱ぎながら言つた。 ﹁あんた家とこの人が魚売にござつて言はつしやつた。﹂ 今年自分が帰らぬといふことが、こんな所まで知れて居ると思うて、平三は一種かすかな怖を覚えた。三
﹁兄あん様さま、兄様、もう起きまつしねえ。﹂ 翌くる朝下女がやつて来て、かう言つて平三を起しながら、早や蚊か帳やの吊手を外づしかけた。 ﹁おい何するんだい、今から! 己が起きるまで寐かしといて呉れつて昨ゆう夜べあんなに頼んで置いたぢやないか。﹂ 平三は無理に起されて腹立たしげに言つた。そして下女が蚊帳を外して了ふにも拘らず、彼は尚ほ起きようともせず、 ﹁今日は日暮に家に帰るんだから、おかみさんにさう言つて邪魔でも寐かしといて呉れ。﹂とつけ足した。 ﹁それでもあんた、家うちの人が遇ひに来とるぞね、それで起したのやわいね。﹂ ﹁えゝ、家の者が 誰が?﹂と平三は半ば身を起した。 ﹁阿母様が遇ひに来て御座るのや﹂と下女は手を休めて言つた。 ﹁阿母さんが? どうして解つたのだらう。﹂ ﹁今朝私が市いちへ買物に行つたら、来てござつたさかい、言うたわいね。﹂ ﹁えーむ。そんなら早く言へばいゝに。﹂ 彼は気乗のしない風に言つて起きた。と部屋一ぱいにさし込んだ日光がクラ〳〵するほど眩まぶしかつた。それを避ける様に床の間の方へ行つて、違棚の上に載せて置いた時計を見ると、もう十時過ぎであつた。 ﹁今顔洗つて直ぐ行くから、一寸待つて居て言うて呉れ――お前余計なことを喋しや舌べらねばよかつたのに――﹂ 彼は歯を磨きながら洗面所に行つたが、心の中では﹁困つたな﹂と思つた。こんな所に泊つて帰らなかつたといふことが母に対して何となく気まづい、拍子が悪いと思つた。顔を洗ひながら、どう挨拶したものかと考へた。 手早く衣服を着換へて母おも家やの方へ来た。廊下から茶の間の入口まで来た時、直ぐ平三の眼に入つたのは、母のお光の赤い歯茎と、黒く染めた歯であつた。お光は茶の間の前の通庭に此方を向いて立つて笑つて居るのであつた。彼は母の顔を見ると直ぐ莞につ爾こりと笑つて見せた。 ﹁お、帰つたかいの、息災やのう。﹂とお光は言つたが、平三はそれを聞かぬものの如く黙つて、如何にも鹿爪らしく母の立つて居る前の上り段の板間に横向に坐つて丁寧に頭を下げ、 ﹁帰りました、御機嫌能よう。﹂と改まつた挨拶をした。それがお光の態度と少しも調和しなかつた。 ﹁昨日電報を打ちましたので、吃驚なさいましたでせう。﹂ ﹁お、お前、吃驚してのう、さあ屹きつ度と京の誰かが死んだのに違ひないちて見たら、お前!﹂ ﹁さうでしたでせう。実はあれを打つてから気がついたんですけれど。﹂ ﹁そつでも、読んで見て皆喜んだわの、今年は帰らんちふさかい、一年遇はれんと思うて居つたのに。﹂ ﹁誰どな方たもお変りありませんか。﹂ ﹁うむ、皆息災や――何時頃家へ帰るいの?﹂ ﹁え、今からでも帰ります。昨夜は疲れたもんで大変寐坊しまして。﹂ ﹁さうやらう。昨夜遅かつたかの?﹂ ﹁えいもう大分遅うございました。尤も、昨夜は無理をすれば帰れんこともありませんでしたが、汽車が込んで一眼も眠らなんだのと、一日一晩揺られ通して来て、Hからずつと歩いたもので、もう睡いのと疲れたのとで此家へ一寸休む積りで入つたら、もう動くのが厭になりまして。﹂ ﹁えいイ、歩いたのか? 馬車はなかつたのかいの、お前まあ大層な。﹂ 平三は昨日のことを簡単に話した。そして最後に﹁B村から眠り〳〵歩いて来ました。﹂とつけ足した。 お光の話によると、午後に父と弟とが舟で町まで迎に来ることになつて居る相であつた。毎年帰省する度に家内中が此町まで迎に来て呉れる。そして何のかんのと世話をやくのが平三には却つて迷惑でならなかつた。両親が自分に対する愛情から様々に尽して呉れるのを感謝するよりも、むしろ却つて親の威厳を下げるものと思つた。それで今飯が済むと直ぐ帰るから、迎に来るのを止めて呉れと頼んだ。日中で暑からう夕方流しくなるまでゆつくり休んで、そして舟で帰つた方がよからうとお光は言つたが、平三は是非にとそれを止めた。では帰つてさう話すと言つてお光は帰つて行つた。 毎月一と五の日はA町の市いち日びで、近郷から種々の産物を売りに来たり買ひに来たりするので非常に賑かである。平三の村からは毎日商人が生魚を売りに来て居るが、市日になると買物旁かた々〴〵塩魚を売りに来る人が随分多い。此日も丁度其市日にあたるので町は随分の人出であつた。平三が宿屋を出たのは十二時近くであつた。多勢の村人に遇ふのを避けるために、市のたつて居る本通を行かずに態と裏路を行つた。併し町の出口の茶店に魚売の女が四五人休んで居た。平三は気はついて居たが言葉を交すのが免倒に思はれ、態と知らぬ風を装うて真直に前方を見つめ、如何にも急ぐと言つた風に歩いた。 ﹁お、平七の兄様!﹂と一人が呼び止めた。 平三は始めて気がついたと言はぬばかりに、 ﹁やあ、之は皆様。﹂と蝙かう蝠もり傘がさを杖にして頭を下げた。女達は一人一人叮嚀に挨拶した。そして皆な、 ﹁お桐さんも快ようなれ得さつしやらないで、御心配でございませう。﹂と言つた。 それが平三には恰も彼が妹の病気のため態々帰つて来たのだと此人達に思はれて居る様に聞えた。そして又其言葉附から妹は既に死んだのではないかとさへ思つた。 ﹁大変悪い様ですかね?﹂と彼は心配相に聞いた。 ﹁えい、何しろ長い間の病わづらひやさかい、大変弱つてござるわいね。まあ看病のお陰で今まで……﹂と一人が言つた。 ﹁本当にあんな介抱は、誰だつて為ようと思うても出来んもんぢやが、感心な。﹂と今一人が半ば独語の様に言つた。 町を出ると直ぐ眼の前に、岬になつて海に突出た村が見える。岬の中程にの冠の様に見えるのは寺の森で、それから少し手前に見える瓦屋根の家が自分の家だと思ひながら、小波の寄せる渚なぎさを跣はだ足しになつてピチャ〳〵と歩いた。 枝葉の少い痩せた曲つた松並木を右に見、左に際涯なき海を望んで、白い細かい柔かな砂の渚を一里ほど行くと小さな川がある。其川を渡ると急に巉ざん厳がんになり、今迄の砂浜と殆ど直角をなして突出して居る。其厳壁の下を伝つて峡湾の様な入江を三つばかり越すと村に入るのである。平三は今眼前に自分の村や自分の家らしいものを見て、強ひて何事かを思はうと努めたが駄目であつた。遠い旅から帰つたといふ気は少しも起らなかつた。只だ一つ心に上つたのは、今町の出口で村の女達との話から不ふ図と気がついたことだが、今朝母が来た時何よりも先づ妹の容体を問ふべきであつたことであつた。彼はあの時妹のことは一言も言はなかつた。それを母が何とか思ひはしなかつたらうかと種々に気をまはした。今まで手紙で始終安否を尋ねたことが単にお世辞にすぎなかつたと母に思はれなかつたかしらと心配もした。そして又そんなにかりそめにも母を邪推する自分の卑しい僻ひがんだ心を悲んだ。四
﹁さあ、暑かつたらう。涼んでくんさい、冷たい水が汲んであるが一杯飲まつしやい。﹂とお光は広間の板間に薄うす縁べりを敷きながら、仏壇に拝して仏間から出て来た平三に言つた。 ﹁只今。﹂と改めて挨拶して、﹁お桐の様子はどうです。今も途中で聞くと大変悪い様ですが。﹂と先づ聞いた。 ﹁比頃は少し快い方でのう。つい今迄此処へ出て涼んで居つたれど、蠅がむしつたりするんで、蚊帳の中へ這入つた。七八日前にはお前、早やもう死ん〳〵になつてのう、親類のものが寄つて二晩も夜よと伽ぎまでしたれど、又少し快くなつたわいの、これでそんなことが三度や。﹂ ﹁随分御心配でしたでせう。﹂ ﹁昨日お前が帰るちふ電報が来たら、お前、大変喜んでのう、﹃お、嬉しやなア、兄にい様さんに会はずに死ぬかと思うたら、そつでも遇はれるかなあ、﹄つて嬉しがつたわの。﹂ ﹁さうでしたか。﹂ 平三はさすがに妹が悪かつたため予定を変更して帰つたのだと詐いつはりを言ふ事は出来なかつた。 ﹁兄様お帰り……﹂と此時納なん戸どの蚊帳の中から苦し相な妹の声が起つた。 先鞭をつけられたなと平三は思ひながら、 ﹁お、帰つたわいの、大変悪かつたさうやのう、今そこへ行かうと思つて居たのだ。﹂と納戸の入口まで行つて、恐る〳〵蚊帳の外から﹁何うだい、様子は。苦しいか?﹂と言つた。 ﹁有り難う……此間は死ぬと思うたれど……それでもまだ寿命があつたやら、まだかうして居ます……兄様にもいつも心配をかけて……﹂と年とし老よりでも言ふ様な口調で言つて軽い咳をした。 ﹁なに、そんなことは……俺も今年は帰らぬつもりだつたけれど、何だか帰りたくなつてな……﹂ ﹁昨日、電報が来た時、嬉しかつたわね。もう兄様に会はんと死ぬかと思うてをつたが……﹂ 暫く話が途切れた。 隣の人が来て挨拶して居る所へ、父の平七が浜から帰つて来た。丈の高い骨組の大きな、今年漸く五十の坂を越したばかりだのに、もう頭は半白になり、赭あかい顔には深い皺が幾条も刻まれて、年よりは五つも六つも老ふけて見えた。所々綴つ布ぎの入つた腰迄の紺の厚あつ衣しを、腹まで見える程ゆるく素肌に着て、細い木綿絞しぼりの帯を横に結んで、其結目の所に鼠色に垢のついた汗拭を垂さげて居た。俗に足あし中なかといふ手製の小さな藁草履を穿いてスト〳〵と長い足で歩いて来る父の顔を見た時は平三は胸一ぱいになつて、懐しさと感謝の念とがごつちやになつて、思はず涙がこぼれた位であつた。平七は包み切れぬ喜びと満足の色を無作法に開いた口元に笑を湛へながら、 ﹁おう、平三帰つて来たかい。﹂と暫くボンヤリと縁先に立つて平三の顔を見つめて居た。そして平三は居住ひを直して挨拶をしかけるとそれを抑へて、 ﹁挨拶なんかせんでも宜い〳〵、健たつ康しやな顔さへ見りや、それで沢山や、﹂と言つて﹁あはゝゝゝゝ﹂と又嬉しさうに笑つて縁に腰掛けて汗を拭いた。 又暫く沈黙が続いたが、父は思ひ出した様に、 ﹁お桐や、どうやいの、大儀かの?﹂と聞いた。が返事がなかつた。 ﹁瓢てん網こはどうやいね。﹂とお光が問うた。 ﹁うむ、鰹かつをの気けがするので皆な外の者共ア看ま視もつて居る。俺等も行かんならんのやれど、誰も人が居らいで、今誰かに頼まうと思うて来たのやが。﹂ ﹁磯二は何うしたいかえ?﹂ ﹁あれは今仲間網の仕事をして居るので行かれんのや……誰か居らんかなア……﹂と平七は暫く考へる様にして居たが、ふと気がついたやうに﹁平三、お前帰るなり気の毒やが行つて呉れまいか。﹂と言つた。 ﹁え、行きませう。﹂と平三は答へた。﹁又鰹が来たかね、去年も丁度今頃でしたが。﹂ ﹁此人あ、何んぢやいね、今帰つたばかりで疲れとるもんを。﹂とお光は差止める様に言つた。 ﹁いえ、何ともありません、何か着物を出して下さい。﹂ 平三は気軽にかう言ひながらすぐ立ちあがつてその支度にかかつた、父のと同じ様な短い紺の厚衣を着て、父の注意で編笠まで被つた。 ﹁そんなら頼む。﹂と平七は言つて先に立つた。 道に幾人も村の人々に会つた。平三は一人一人に簡単な挨拶を交はした。 ﹁おや〳〵こりやどうぢや、帰るなり早速仕事やね!﹂と誰も言つた。 一足先に歩いて居た平七は、 ﹁家へ帰つて来りや、矢張漁れふ師しをせんならんちや、あつはつはゝゝゝ﹂と嬉しさうに笑ひながら答へた。平三は只だ微笑するのみであつた。五
海岸から五六町も沖に、村の端から端にかけて、一町隔おき位に網が下ろしてある。瓢箪の形をして居るので瓢網と呼んで居る。又俗に﹁テンコ﹂とも言はれて居る。沖から入り込んで来る魚は大小種類を問はず如何なるものでも捕れる。極小さい仕掛の網であるが、一旦入つた魚は再び出て行くことが出来ぬ様に出来て居るのが特長で、可成り取揚もあるし、高沖の漁と違つて資本も人手も多く要らず、この網一具持つて居れば楽に生活出来るので大変調法がられて居るものだ。一日に三四囘見に行けば宜いのであるが、鰹は非常に精悼な魚で、網の中に入ると盲滅法に暴れつて、遂には偶然にでも出口を見出す恐があるので、鰹の来た時に限つて見張りするのであつた。 平三は纜ともづなを解いて舟に乗るや否や艪ろを取つた。父は舳へさきの錨いか綱りづなを放して棹さをを待つた。艪の尖さきで一突きつくと、舟がすつと軽く岸を離れた。平三は艪に早緒をかけた。先刻から浜の岩に大きな檜笠を被つて銜くはへ煙ぎせ管るのまゝ膝掛けて、都合によつては自分も網を下ろさうと他の舟の様子を眺めて居た甚六の爺さんは、﹁やあ、東京の旦那、手が泣きますぞ。筆よか艪が重からうが。﹂とから〳〵と笑つて、﹁またお前さんが来たら鰹が獲とれるわ。﹂とぶつきらばうに言つた。 平三は一年振に艪を振つた時勇ましい気がした。思ひ切り力を入れた。全身を海に投げる様に前に屈かがめ、又出来る丈胸を張つて後に反そつた。艪の下から無数の渦巻から成る舟跡が、まるで広い帯でも織り出す様に繰り出され、真中に艪が角度の鈍い﹁〳〵﹂の字を描いた。彼は眼に見える様に快速に舟の進むのを愉快に感じた。 手鍵を持つて舳の船梁に腰掛けて居た平七は、 ﹁そんなに力入れんでもいゝよ、豆が出来るぞ。﹂と注意した。途端に二人は顔見せて微笑した。 網に着いて直ぐ取り上げて見ると鰹が五六本入つて居た。それから舟を網の台の方へし、二人共舳に立つて、綱の入口や中央を凝ぢつと眺め入つた。暫く注視して居たが入つて来る様子がないので、平三は眼を前方に転じた。一町余下しも手てに同じ網があつてそこにも見張して居た。そのまた下手にも斜にだん〳〵岸に近づいて幾艘かの舟が並んで居た。どの舟にも一二人宛づつ立つて見張つて居た。ずつと遠くの舟に立つて居る者は案か山ゝ子しの様に見えた。 ﹁お前坐つて休んだら宜い。﹂ 平七はかう言つて自分は尚ほ眼を網の中から放さなかつた。平三は言はれるまゝに腰を下ろして煙草に火をつけた。 ﹁今年は今日が始めですか。﹂と平三は聞いた。 ﹁さうでもないけれど、家うちの漁あ場どは沖やさかい今まであんまり獲れなんだ。長平などは下しも手てやもんで、今までに大分獲とつたれど。﹂ ﹁また少し来て呉れると宜いがねえ。﹂ ﹁少し東く南だ風り模様やさかい、今日明日は少し来るやらう﹂と平七は海の中を見つめながら話した。とその途端に、 ﹁入つたぞ!﹂と突然平七が叫んだ。 ﹁どれ?﹂と平三は起ち上つた。 ﹁今あつちへ行つた。――それ来た。光つてるやらう。﹂ 黒ずんだ水の中にピカッと銀色の閃光が平三の眼を奪つた。と思ふと忽ち見えなくなつた。と又忽ちピカッと光つた。彼等は狭い網の中を縦横無尽に突進しまはつて、時々暗夜の電光のやうに其白い横腹を閃めかした。 ﹁さあ、取るまいか﹂と平七は網を外した。平三は舟を網の入口の方へした。 平三の眼には五六本としか見えなかつたが、網を取りつめて行くと二三十本ばかり次第に狭く浅くなつて行く網の中を、前後左右に気狂の様になつて突きまはつて居た。 十分間隔おき位に二三度こんなことが続いて、それから暫く途切れた。 ﹁息をしだしたな、これで暫く来んわい。﹂と平七は独ひと語りごつて、平三に背を向けて立つたまゝ、矢張り凝ぢつと網の中を見つめて居た。 ﹁お桐には困つたわいの、もう早や根こんも精しやうも尽きて了うた。﹂ やがて平七は言ひ始めた。 ﹁あんまり長なが病わづらひでねえ。﹂と平三は言つた。 ﹁長いつて〳〵! もう満三年やが、ちつとでも宜い目が見えるのなら勢せいもあれど。おれはもういやになつた!﹂ ﹁本当ですね。﹂ ﹁死ぬことは分つて居るのやさかい、一日でも早う亡くなつて呉れりや宜いと、俺も阿おつ母かあもさう言つて居れど。﹂ ﹁…………﹂ ﹁家には何も心配のことはないのや。彼あの子さへどうかなると淡あつ然さりとするのやれど、ほんとに困つた。一寸も手を放されんさかい。﹂ ﹁中々長い病気ですからねえ、もと私の学校の先生で十年も肺病に罹つて、もうすつかり肺がなくなつて了つて居たといふのに、矢張り生きて居ましたよ、それには医者も驚いてたといふ程ですからねえ。困つた病気ですよ。﹂ ﹁ほんとに餓鬼病やまひだな、今までに二三度も死にかゝつたれど、矢張り寿命があると見えて、ああして居るが、今までは親の慾目で癒るまいもんでもないと思ふとつたれど、今ではとても駄目やさかいな。﹂ ﹁どうしても駄目ですかね。﹂と平三は外に言ひやうもなかつた。 ﹁駄目だとも! 医者も薬を飲ますのは、気休めのためやと言はつしやるし。﹂ ﹁本人はどう思つて居るでせう?﹂ ﹁あれも覚悟してるよ。一日も早う死にたいと言うては泣いて居るわいの、さうすると又可哀相になつて来るしの、磯二なんか伝う染つると言うて、決して一所に飯など食はん、お桐が納戸から出て来るとお膳を持つて広間へ出て行くもんやさかい、あれも何かにつけて気兼するし、それを思ふと可哀相でならぬわいの。あんな病気を貰うて来たのは、あれの不幸やさかい、どうも致方がない、それでまあ俺達は出来るだけ手を尽して介抱してやつてるわいの。今まで十分医者にもかけるし、どんなものでもあれの欲しいといふものは食はさんものはないのやさかいな。どんなことがあつたつて間あひ食ぐひは絶やしたことはなし、魚なんか刺身でなけりや食はんしの。こんな網でもあるお蔭で、海さへ凪なげば何かかんかあるさかい宜い様なものの、中々大抵なことやないわいの。それやさかい、どうしてあんな介抱が出来るかと人に言はれる位大事にして居る。これだけにしてやつて癒れ得んもの、何ともして見ようがない。﹂ ﹁困りましたねえ。﹂ ﹁お前が帰つて来て善し悪しやつたわいの。﹂と平七は相変らず海の中を見入りながら言つた。 平三は意外に思つた。 ﹁私も帰らぬ積りでしたけれど。﹂ ﹁今年帰らんちふことで俺も内々安心して居たが、昨日電報が来た時、嬉しいはと思うたれど、また、伝う染つりでもせんかと思うて心配でもあつたよ。勉強中で今が大事な時やさかいなア。﹂ ﹁…………﹂平三は深い溜息を洩らした。 ﹁何時も言ふ事やれど身体だけは大事にして貰はんと、……お前一人が頼りやさかいな。﹂ ﹁はい。﹂ ﹁お前一人を頼りにして皆かうして苦労して居るのやさかいなア。﹂と父はしんみりと言つた。 ﹁どうでもして偉い者になつて呉れ、人に笑はれる様な事をして呉れるな。こゝまで漕ぎつけたのやさかい、もう先も知れとれど、若し今お前に何うかあつたが最後、俺達はもう如何することも出来んのやぞ! 四年の間無理な金を入れたことは惜しいことはないが、それ見たことかと人に後指さゝれるのが俺ア何より辛いのや。お前が東京へ修業に行つて居ると、そりや、賞めてくれる者もある代り、悪口言ふ者もあるから、そこをよく考へて貰はんと、なあ平三。よくまああんな小さい商売して居て遣つて行けるなア、感心だ、とても人の真似の出来んことやと賞めて、都合の悪い時には何時でも少し位の金なら貸してやると親切に言うて呉れる者もあるが、又無理算段してまでそんなに学問さして何になる、と妬ねたんで言ふのか、蔭で悪口言ふ者もあるさかいな。どうかまあ俺に恥をかゝせぬ様にして呉れや、これ見て呉れと言ふ様になつて呉れ、そればつかりを楽しみに待つて居る。﹂ 平七は尚ほ網の中を見つめながら話しつゞけた。 ﹁平三や、俺は長生き出来ぬぞ、早く死ぬぞ! がお前が何うにかなるまで死にたうないと思うとる。金のことは心配するな、あれだけでは迚もやつて行けぬことはいや程知つて居れど、今の所はどうにもならね。けれども臨時に要る時は幾らでも送るよ。なあに俺の生命のある間は三百や五百の金は如何にも出来るさかいなあ、幾ら借金しても俺の眼の明るい間はお前に心配はかけぬわい。なあ平三、おれは借金までしてお前に送つて居ると人に思はれるのが業ごふ腹はらがわくさかい、決して金の出所を人に悟られぬ様にして居る。それやさかい、誰でも言はんものはない。﹃平七の奴はまあ何処にあんなに金があるいな? どれだけ貯めて置いたやら﹄つて。村のものには誰にも一文も借りて居らんさかい、さう思ふのも無理はないさ。村の者には鐚びた一文も借りてないさかい、お前も誰にも遠慮することはない。肩身を広くして居るこつちや。な、解つたかい、何も心配せんでも宜い、誰にも遠慮は要らぬのやぞ。﹂ 平七はしみ〴〵と語つた。平三はその愛と情とに充ち満ちた父の言葉に対して何と言つてよいか解らなかつた。感謝の涙が頬を伝うた。彼の子供の時分から親子がしんみりと語るのは何時もかうした舟の上であることを思ひ出した。小学校に居た頃、或夜自分のことについてお光と喧嘩して、二人が舟に菰こもを被つて寝ながら語り明したことがあつたことなどが訳もなく心に浮んだ。生れて直ぐ母に分れてから今日までの父の苦労を思ふと傷いた々〳〵しくて堪らぬ程であつた。 ﹁俺は長生きせぬぞ、早く死ぬぞ。﹂と今言つた父の言葉がゑぐる様に彼の胸を貫いた。何となしにそれが真実であるかの如く思はれて悲しかつた。 ﹁おうい、どうや〳〵、大漁かねえ。﹂と此時直ぐ下しも手ての舟から呼び掛けたので話が切れた。 ﹁おうい、大漁だ大漁だ――船脚が入つて此通りだ。﹂と平七は高声に叫んだ。 ﹁そこに坐つて煙草を喫のんでる者あ誰やい! 何処からそんな立派な水か夫こを雇うて来たかい?﹂ ﹁東京、東京! 東京の若旦那だわい。はつはは。﹂と平七は気味のよささうに笑ひながら言つた。 平三は立つて其船の方に向つて腰を曲げた。 ﹁さうかい、俺も多分さうやらうと思ふとつたのやが。また福の神が舞ひ込んで来たなア――やア東京の兄さん!﹂と其男は手を挙げて空に振つた。村の青年会長をして居る甚作といふ男であつた。平三も黙つて同様のことをした。 日暮頃までに百あまりの鰹を獲つた。そしてもとの入江に入つて船を繋つないだのは、夕映が真赤に海に漾たゞよふ頃であつた。 帰郷祝と、初漁祝とを兼ねて、晩には本家の主人をも招いて小宴会を開いた。 お桐も炉の側に出て団だん欒らんの席に加はつた。眼ばかり大きくなつた血の気のない顔は凄味を帯びて居た。褞どて袍らを着た姿が時節柄平三にはむさくるしく思はれた。六
翌くる日平三は朝から村の家々へ挨拶に出掛けて昼頃帰つて来た。皆留守であつた。母は町へ行つたし、父と弟の磯二とは浜へ行つて居ると、納戸の蚊帳の中からお桐が言つた。 ﹁あのう、膳棚に貴方の……お膳が拵へてあるさかい……﹂ お桐はかう言ふ中にも二三囘続けて咳をした。そして暫くの間苦し相に呼い吸きをはずませた。平三は一人で膳を出して食べかけた。 ﹁今日は鰹が大分獲れる相な、先さき刻がたたんとあつたのでお父さん等、町へ船で持つて行つてござつたさうや。﹂とお桐が言つた。 ﹁さうかい、有り難いな。﹂ ﹁どつさり獲れると宜いがねえ。﹂ ﹁本当だ、今年も来ることは来ようけれど、去年より漁あ場どが悪いからどうだかな。﹂ ﹁漁場が悪うても、お父さんは運が宜いさかい。﹂ ﹁さうかも知れん。﹂ ﹁いつでも自う家ちが一番沢山獲りますもん。﹂ ﹁さうかな。﹂ ﹁自家にはお金が他ほ家かより余計要るさかい神様がちやんと……﹂とお桐はまた咳き入つた。 ﹁まあ何でも獲れさいすりや宜いわい。﹂ ﹁去年は五郎平の端はなまで行つて、獲るのを見て居つたれど、今年は――﹂ ﹁出られないかい?﹂ ﹁呼い吸きが苦しうて。﹂ ﹁ふむ。﹂ 平三は飯をすました。暫く二人とも無言で居た。 ﹁お前寂しいだらうな。﹂と平三はやゝあつて言つた。 ﹁いえ。﹂ ﹁それでも、誰も居ないと退屈だらう。﹂ ﹁退屈は退屈やれど何ともありません。慣れとるさかい――兄さん何処かへ行らつしやるの?﹂ ﹁うむ、午後学校へ一寸行つて、それからお寺へ行かうと思つてるんだ……。けれどもお前一人で寂しいけりや行かないし。﹂ ﹁いえ、何ともありません、もう直きお母さんも帰るやらうさかい。﹂ ﹁さうか、ぢや行つても宜いな。﹂ ﹁え。﹂ ﹁何か用はないか。あつたら俺の居る間に言うたがいゝよ。﹂ ﹁へい、おほきに。﹂ ﹁ないか。﹂ ﹁え、何にも。﹂ ﹁遠慮するな。﹂ 平三は表うはべに親切を装ひながら腹の中で巧く逃げるつもりであつたのだ。 ﹁何もありません。﹂ ﹁ぢや俺ア行つて来るからな。もうお母さんも帰るだらうよ、――もしお父さんが用がある様だつたらお寺に居るからな。﹂ 平三はほつとしながら逃げる様に出て行つた。村の小学校へ一寸顔だけ出して檀だん那なで寺らへ行つた。暫く東京の話などしてから、住職と五目並を四五囘やつた頃、磯二は鰹が沢山獲れるから手伝に来て呉れと呼びに来た。 平三は弟と一緒に走つて帰つた。弟の話によると、今朝から千五六百も獲つたさうだ。始め二囘で四五百あつたのを直ぐ町の缶詰屋へ持つて行き、帰つてから今までに千余り獲つたが、本家で節ふしにするからといふので今浜へ揚げて居る所ださうだ。東く南だ風りが大分吹いて来たから日暮までにうんと獲れるだらう、明日は到底網は下ろして置けないから、向でも今日一日に出来るだけ獲らうと磯二は途々勇み立つて言つた。鰹やこづくらなどいふ通り魚は東南風が吹いてざわ〳〵波の立つ様な時の外はあまり獲れない、而も村は南東を受けて居るので其の時には海が荒れるのであつた。 平三が浜へ来た時、平七は鰹を陸へ揚げて了つて船の垢あ水かを汲み出して居た。女共が五六人其の鰹を担つて運んで居た。平三は衣服を浜はま納な屋やへ投げ込み、襯シヤ衣ツの上に帯を巻いて船に飛び乗つた。そして向鉢巻をして手唾をつけて棹をさした。磯二は力一杯に艪をおした。平三は思はず拳を握つた程自然に勇気づいた。平七は、 ﹁磯二と二人でも宜いのやれど、風が大分吹いて来さうだし、波が出ると網がとり悪いからな、気の毒やれど今日一日頼む。﹂と言つて、網に着くまで垢水を汲み出して居た。 着くとすぐ網を取つて見た。百疋あまり入つて居た。それから十分隔おき位に入つて来た。そして何時でも百疋前後入つて居た。他の船も絶え間なしに取つて居た。船脚重く浜へ揚げに行く船や、揚げて再び網へ戻る船などで、海上には常に見られぬ活気があつた。 ﹁大漁だ、大漁だア。﹂ 側を通る船から景気のよい声をかけた。こちらからも亦振向きもせずに之に応じた。陸には女の甲かん高だかな笑声が断続して起つて、村全体が何となく動ど揺よめいて居る様に思はれた。 二時間程の間にもう船の隅々まで満ちて何処へも入らぬ様になつた。船脚が深く沈んで、最もう少しで水が入る程になつた。 陸へ揚げに行つて再び戻つて来た時には、波は可成り高くなつて居た。沖の方には轟々と遠鳴が響いて居た。何時の間にか薄黒い雲も出て空は険悪の色を示して来た。海の色が黝くろずんで来た。 ﹁さあ大分吹いて来たぞ、緊しつかりせい。今日一ぱいだ。動けぬ様になるまで獲れい! 耐こたへられるまで耐へるんだ、仕方がなくなつたら網位捨てても関かまはんから。﹂と平七は二人の息子に元気をつけた。 磯には波が立つて、岬の端が白くなつた頃、鰹は無暗に押しかけて来た。何者かに追ひ駆けられて逃場を失つた様に。 ﹁そら! また来た!﹂ ﹁よしきた!﹂ ﹁うまく取れ、縁ふちを張れ!﹂ ﹁よいしよ〳〵。﹂ ﹁気を注つけい、網の胴一ぱいになつとるぞ!﹂ ﹁おや仰山入つたなア!﹂ ﹁網が重くて動かぬ。﹂ ﹁そら飛び出す〳〵!﹂ ﹁えい! 緊しつかりせんかい、撲ぶん殴なぐるぞ!﹂ ﹁そんなこと言つても。﹂ ﹁馬鹿! こりやかうするんだ、えーい、畜生!﹂ ﹁さあもう大丈夫だ。籠で掻き込め〳〵。﹂ こんなことを口々に叫び合ひながら漸く網を取り詰めて、再びそれを放すか放さぬ間に、もう後からつめかけて居た。休む間もなく、腰を伸すことも出来なかつた。平三は疲労と空腹とで身体がよろ〳〵した。眼鏡に水がかゝつて見えないがそれを拭くことすら出来なかつた。遂にはまだ半分も網を取り詰めない中に、もう既に後から押しかけて居る程であつた。 ﹁また来やがつた。厭だなア。﹂と遂には磯二も投げ出すやうに言つた。 ﹁どうする? 僕はもう手も足も動かぬ。﹂と平三も苦しさうな呼吸をしながら言つた。 ﹁お父さんもう止めう。﹂と磯二は言つた。 ﹁えいん、もつと獲ろ〳〵。﹂と平七は激励した。 ﹁船が沈むが。﹂と平三は躊躇した。 ﹁何を馬鹿な!﹂と平七は怒鳴つた。 ﹁俺アいやだ。﹂と磯二は言つた。 ﹁本当にかうやつて来ては堪らないな。﹂と平三も磯二と同じ思ひで嘆くやうに言つた。﹁何故こんなに入るのかなア。﹂ 平七も只だ苦笑するばかりで、網一ぱいに入つて居る鰹の群を見ながら茫然として居る位だつた。其中に波は益高まつて来た。太陽は気味の悪い程真赤になつて、遠くにうねつて居る波の間に沈まうとして居た。船は水に浮ぶこと僅かに四五寸、船脚が重いから浪の為には動かないが、人が一寸動くと直ぐ其方にぐらつと傾くのであつた。 ﹁もう一度取つて呉れ。そして止めう。﹂と平七は最後に頼む様に言つた。 ﹁そんなに積まれん、網取るのに三人一所に集まると船が傾かたがつて危ない。﹂と磯二は相手にならなかつた。 ﹁早く取れ、もうお終しまひだ、あんまり風の吹かぬ前に。﹂ ﹁陸をかへ合図して誰かに船を持つて来て貰つたら如何です?﹂と平三は思付いた様に言つた。 ﹁それが宜い、俺や信も号のを揚げるぞ。﹂と磯二は棹の先に手拭をくゝり付けようとすると、平七は慌てて、 ﹁馬鹿! そんなことするもんぢやない、難船した時の様に!﹂と刺した。 が、平三も磯二も厭だといふので平七も我がを折つて、網一ぱいの魚を其儘に出口を塞せいて、兎に角帰ることにした。 浜に着くや否や平七は船を平三と磯二とに委して、自分は他の空舟を借り本家の下男を頼んで乗り出して行つた。それから二人して三度ばかり取つて人顔の見えなくなつた時分、船の沈む程鰹と網とを積んで戻つて来た。浜で握飯を食つて一時の空腹を凌しのいで網だけ干し、魚の始末は明朝に延して一先づ家に帰つた。二艘の船は其夜鰹を満載したまゝ、腐敗をさけるために水を満して入江に繋いで置いた。 ﹁さあ皆様御苦労様でございました。一杯飲あがつてくんさいませ。﹂ お光は鉄瓶から燗徳利を取り出して広盆の上に置いた。 ﹁あゝ嬉しや。﹂と平七は腰を伸した。 ﹁目出度いことでしたのう。﹂と本家の主人は盃を取つた。 ﹁どんだけ寄り込んだもんだかね。こんことは覚えてからないね。﹂と今一人治平といふ親類の者が言つた。 ﹁さあお祝に一杯、あゝ苦労やつたのう。﹂と平七は平三に盃をさし、磯二に向つて﹁お前も飲みたけりや幾らでも飲め、御苦労やつた。﹂と言つた。 ﹁平三さんな、疲れたでせう。帰つて来るなり大変な仕事をして――あんたが帰ると何時でも大漁するね。万歳だ。﹂と治平は平三に盃をさした。本家の主人もさした。 ﹁これでお桐さへ癒つて呉れりや――﹂と平七は小声に言つて、納戸の方へ振り向き、﹁お桐、喜んで呉れ、大漁したわいの。﹂と言つた。 ﹁さうや相なね。嬉しいわね。﹂ ﹁遅くまで誰も帰らんので寂しかつたやらう。﹂ ﹁いえ、私、皆遅いさかい、屹きつ度と大漁してござるのやと思うて喜んで居りました。﹂ ﹁さうか。さうか。﹂と平七は上機嫌になつた。 皆な疲れて居るので酔が早かつた。暫く賑かに其日の模様やら、それに因ちなんだ話に花が咲いた。七
翌くる朝は空は晴れて居たが風は中々強かつた。浪は高く岸に砕けては深く石垣の下まで押し寄せて来た。岬端から遠く沖の方へ一体に黒ずんだ海面には、浪の穂尖が白く風に散つて絣かすり模様に見えた。併し入江は自然の防波堤の為めに浪は左程に立たなかつた。沖漁に行く船は皆陸へ引き揚げてあるが、小伝馬船は皆舳を揃へて繋いであつた。そしてどの船もどの船も昨日の鰹を揚げるのに忙しがつた。男は皆裸になつて、或は船から籠に入れ、或者はそれを浜へ運んで居た。女達はそれを受取つて浜納屋の側へ運んで居た。そこには大釜を据ゑて盛に蒸して居つた。釜の側には日蔽をして、十幾人の女が円座を作つて魚を切つて居た。舟の掃除をするもの、海へとび込んで騒ぐもの、往く者来る者、帳面を持つて立つて居る者、浜は近来にない活気を呈して居た。笑ふ声、唄ふ声、子供の泣く声、それを叱る声、罵る声、呼ぶ声、命ずる声、種々の物音が相混じ相乱れて騒がしいと言つたらなかつた。納屋の屋根や、樹の上には鳥が真黒になつて啼き騒いで居た。隙があつたらとび下りて掴み去らうと空高く舞うて居る鳶とびも幾羽も居た。何処からともなく沢山の猫が集つて来て人の足許やそこらにうろついて居た。 平三は表紙一ぱいに肉太に﹁浜帳﹂と書いた厚い帳面と矢やた立てとを持つて、先刻から岩の上に腰かけて此活気に充ちた光景を眺めて居た。かうした激しい活動の間に立ち交つて、自分も其中の一人であることが非常に愉快であつた。昨日今日東京から帰つたばかりとは思はれぬ程、気分が田舎生活に同化して居るのを感じた。眼の前に働いて居る多くの漁夫等と心持の上で何等の間隔がない、自分もそれらの人々と同じく今日まで漁夫の生活して来た者の如く思つた。若い男や女に交つて、後で考へると我ながら気恥しく思ふ様な洒しや落れや戯じや談うだんをも平気で言つたりした。 十時頃には大方片附いた。どの船からも血の交つた垢水をかひ出したので入江は赤土の泥を流した様に濁つた。船は綺麗に洗つて、お互に手伝ひ合つて陸へ揚げた。そして帰る者は帰つて行くし、残つて幾組にもなつて悠つくりと話し合ふ者もあつた。忙しいのは鰹節を拵へて居る者ばかりとなつた。今晩夜更までかゝらねば蒸し終へないだらうと本家の主人は天気を気遣ひながら言つて居た。 ﹁どうかまあ、今日明日だけ雨にしたくないもんだが、怪しいもんだ。﹂と空を見上げて言つた。 製造法や売うり捌さばきのことや損益のことなどについて暫く本家の主人と話して、平三と平七とは帰つた。磯二は若い者等と尚ほ浜に残つて話して居た。 ﹁総体でどれだけあつたかいの。﹂と平七は途すがら平三に尋ねた。 平三は歩きながら帳面を開いて、 ﹁昨日からのを合せて一万以上になります。﹂ ﹁一疋一銭として百円余か、随分獲つたなあ、自う家ちが一番多かつたらう?﹂ ﹁さうだつたでせう。本家へ持つて行つたのは自家が一番多いといふことでした。﹂ ﹁何にせい思ひがけぬことで大でかい拾ひ物した様なもんぢや。﹂ ﹁さうですね。たつた二日、それも一日みたいなもんですからね。﹂ ﹁ほつほ、気味の宜いことやつたなあ。﹂と平七は快活に言つたが、急に調子を変へて、﹁それでもお桐の葬式料とお前の道中金が出来たわい。﹂と言つた。 平三はハッとした。が何気なく、 ﹁葬式には大抵どれほど要るもんですか。﹂と聞いた。 ﹁さうやな、四五十円は何うしても要るな。﹂ ﹁中々要るものですね。﹂ ﹁眼に見えん入費が要るさかいな――借金せんならんと思ふとつたが、それでも其心配は要らん様になつた。嬉しやな。﹂ ﹁都合が好うございましたねえ。﹂ ﹁ぢやが何にも残らんなあ、みいんな担かついで行つて了ふんだ、使へるだけ使ひ尽して、そして死ぬ時にや、こつぽりと集かためて持つて行くんだから。﹂と平七は嘆くやうに言つた――﹁まア仕様事がない、どうしたもんだ、どうも仕様がない。これだけに尽つくいてやれや、彼あれも満足やらうぞい。﹂ そして平七は寂しい徴笑を洩らした。其中に家へ来た。父は外から、 ﹁お桐帰つたわいの、寂しかつたかいな。﹂と声をかけた。 お桐は眠つて居たか返事がなかつた。お昼の仕度には父は納屋の戸前で肴さかなの料理を始めた。平三は炉に火を焚きつけた。納戸から呻うめ声きごゑが聞えた。平三は﹁お桐。﹂と呼んだが矢張返事がなくて、うん〳〵と呻うなつて居た。続いてはつはと急促な呼い吸きづかひに変つた。もう一度呼んで見たが返事がなかつた。 ﹁眠ねてるんやらう、黙つとれ〳〵。﹂と平七は外から平三に言つた。 其中に磯二も帰つて来た。お菜かずが出来上つた頃、町へ行つて居たお光も帰つて来た。お桐も眼を覚した。飯を食べる時お光はお桐にも出て来て一緒に食べんかと言つた。が平七はそれを制して、 ﹁今、混やゝ雑こしいさかいお前は後に食べいの、済んだら其処へ持つて行つて呉れるさかい、お前のに別に刺身が拵へてあるわいの。――それとも一緒に食べたかつたら出て来てもよけれど。﹂と腕曲に言つた。 平三は母の顔を窃ひそかに見た。 ﹁え、後にします。﹂とお桐は力なく答へた。八
お桐は肺を病んで満三年以来寝て居るのであつた。五年前に肋膜炎だといつて京都の親類の家に居たのが帰つて来た。それから三四ヶ月養生して居たら癒つたので村の或家へ嫁入した。 其時年は十八であつた。婿は其頃海軍々人で舞鶴に居た。結婚後間もなくお桐も舞鶴に行つた。夫は一生海軍々人で終る積りであつたが突然其兄が死んだので家を継がねばならぬ様になつた。お桐は舞鶴へ行つた翌年の夏、夫が休暇に帰省する時一緒に帰つて来た。夫は後二年で再さい役えき年限が終るから其時満期を取つて帰る都合にして再び舞鶴へ行つた。 お桐は帰つて縁家に畑仕事などして居た。慣れぬ仕事が身体に障つた為めに其年の冬病気が再発した。実家へ養生に戻つて来た時にはもう肺結核と極つた後であつた。病気が病気だから離婚の話が先方から持出された。実家では前から覚悟して居たことであつたが、本人だけには暫く秘密にして親同士の間には大体離婚と定めて了つた。夫の方からは病気になつたからとて離婚するは人情でないから出来ぬと言ふ反対の手紙が二三囘来たけれども、親の方からは病気の性質がよくないから断あき念らめろと言つてやつた。それでは満期して帰るまで相談は待つて呉れとお桐の実家の方へも言つて来た。実家では婿が離婚に不同意であることを此時始めて知つた。手紙の中には別にお桐に当てたものが封入してあつた。お桐はそれを読んで始めて事情を知り非常に驚き且つ悲しんだ。此時分はお桐は少しよくなつてぶら〳〵して居る時であつたが其の翌日から又床に就いた。両親は仕方なしに今迄の成行を話して聞かせた。病気に障ると不い可けないと思つてかくして居た事を詫びる様に言つた。お桐は悲しんだ。そして﹁不ほと如ゞぎ帰す﹂の浪子の様だと寂しく笑つて独語した。父母は何事かと聞いたのでお桐は浪子の話をして聞かせた。そして自ら手紙を認したゝめて舞鶴に居る夫に送つた。同時に夫が戻つて来るまで相談を中止して貰ふ様に縁家へ頼んで呉れと両親に頼んだ。父母は言ふ通りに先方へ話して見たが先方では之を拒んだ。そして到頭離婚になつた。 ﹁仕様がないから断念めさつしやいの、婿さんが何と言うても親の承知せん所に居られんさかい、それに俺等もそんな所へやつて置かれんさかいのう。﹂ 愈離婚の話が纏まつた時、お光はお桐の枕元に坐つて慰める様に言つた。 お桐は黙つて居た。 ﹁身体さへ健たつ康しやになりや。又どうでもなるさかい、何でも養生して早う癒つて呉れいの。﹂ かう言つたお光の心の中には到底全快出来ぬといふ考があつた。お桐は其後快くなつたり悪くなつたりして今日まで生き存ながらへて来た。梅雨、土用と不順な気候が続いたのでお桐は最早望みなくなつた。肺病に罹つては到底駄目だとは知りながらも尚ほ親の慾目で此春までは若しやといふ恃たのみが両親の心にあつた。そして田舎で出来るだけの手を尽した。けれども今や全く望を絶つて只だ其死を待つのみとなつた。お桐自身もまた早く死にたいと言ひ〳〵して居た。 ﹁念仏申さつしやい。今に楽な身にして貰へるさかい。﹂ お桐が苦しがつて居る時、母は其の側に坐つて背をさすりながらいつでも斯う言ふのであつた。 ﹁あい、妾わたしも早う死にたい、こんなに世話して貰うて治られんのなら、一日も早く楽になりたい、先に行つて居るさかい、お前様達は後から来てくんさいませ。﹂とお桐はうん〳〵と呻きながら答へるのであつた。 ﹁おう〳〵俺達は後から行くさかいな、先に行つて待つてございの、死ぬのではない、生れ代らして貰ふのやさかい、難あり有がたいと思うてお念仏申さつしやい。﹂とお光は涙ながらに言ふのであつた。 ﹁あい…………﹂ ﹁こんな汚きた穢ない身ながら、其まゝ仏にして下さるのやぞ、お、可愛! 可愛! 可愛が腹一ぱいなれど、今となつてはどうあつても病に勝たれんさかい、お前も断念めさつしやい。こんな苦しい思して何の娑しや婆ばに生きとりたいことがある。阿あ弥み陀だ様が、お、来たか〳〵と御手を広げて迎へて下さるのやぞ、何も心配は要らぬ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏……﹂ そしてお米は色々仏法のことを説いて聞かせるのであつた。 お桐は﹁あい、あい。﹂と答へて母と共に念仏を称となへるのであつた。九
平三が帰つてから二週間余り過ぎた。暑い日が続いたのでお桐は非常に衰弱した。呻く声が戸外へ聞えるほど高くなつた。母はそれを箕みで簸あふる様だと穀物の塵を箕ではたく音に譬たとへて言つた。通りすがりに聞きつけて﹁お桐さん苦しいかの。﹂と一寸立止つて行く者もあつた。けれども誰も長く停る者はなかつた。父や母はこんなことに慣れて居るので平気で居るが、平三は斯ういふ呻き声を聞くと、堪らぬ程苦痛に感じた。家に居てそんな呻き声や、苦しげな呼い吸きづかひを聞くと、気が鬱ふさいで自分も病気に引入れられる様に思ひ、それに伝染の恐れもあつたので彼は食事の外はなるべく家に居ない様に力めた。弟の暇な時には一緒に海へ行つて遊んだり、誰ど家こといふことなしに通りすがりに若い者などの集つて居る家へ入つて、何時も同じ様な漁業の手柄話や女の話などを聞いて時間を過した。酒や菓子や其他の日用品を売つて居るお君といふ独身者の女の店には村の親爺達が寄り集まるので、彼は其店へ行つて誰彼とくだらぬ世間話をしたり、勝手に奥へ入つて昼寝したり、或時は其処で年寄共が象しや棋うぎをさして居るのを見て半日も過すこともあつた。学校の授業を参観したり、役場へ行つて地方新聞や官報などを開けて見たりすることもあつた。寺の住職と五目並べをして暮す日もあつた。彼はまだ帰つてから一度も机に向つたことがない、毎日かうしてだら〳〵と無為な生活をして居るのである。かういふ単調な生活は到底堪へ得る所でなかつた。読書もしたい、又せねばならぬ、冥想に耽ふけりたいなどと思ふけれど、お桐のことを考へれば迚も家に居る気になれなかつた。今は家に居るのも外へ出るのも苦痛となつた。旅行したいとの念が強く起つた。温泉にでも行つて静かに勉強したいと思ふけれども、同時に旅費のことも考へずには居られなかつた。先日の鰹の取揚があるから少し位は都合が出来ると思へど、母や妹に対する遠慮が先に立つてそんな贅沢も言へなかつた。妹は何時死ぬかも知れぬ。もし旅行でもして居る間に死んだりしては済まぬと思つた。あゝつまらない、何故帰つて来たらう? 京都へ行つて居ればよかつたのにと後悔されもした。寧いつそ東京へ行かうかとも思つて見たがそれも要するに思ふ丈で実行する勇気がなかつた。 畑仕事が後れて居るとかで早朝から家内中が畑へ行つた日であつた。平三は二階の物置から机を下ろして自分の部屋に充あててある表の四畳に据ゑた。机は毎年夏から夏へかけて二階に片附けてあるのである。行李の中から沢山持つて帰つた書物を取り出して机の上に積んだ時、今更ながら失望の念が起つた。暫くぼんやりと眺めて居たが、やがて其中の一冊を取つて宜い加減の所を開いて見た。そして又他の一冊をとつて同じことを繰返した。けれども何れも読む気が起らなかつた。併し今日は何処へも出ずに居ようと考へた。たとひ勉強は出来なくとも、二三日家に居て癖をつけたら其後は幾らか落付いて読書も出来ようと思つたのである。かう思つて彼は再び最初の一冊を取つて初めから読み出した。それは外国の小説であつた。精神を統一する為めにキチンと正坐して膝に手を重ねた。 其日は涼しい風の吹く日であつた。お桐も気持がよかつたと見え、あんまり苦し相でなかつた。時々ごぼ〳〵咳をするのみで呻くことは少かつた。隣のおかみさんが一寸格子の外から覗いて﹁ほう、一生懸命に学問やね、皆さん畑か?――今日はお桐さんも静やね、楽やと見えて、眠ねてござるのか。﹂といふ様なことを言つて行つた後は、家は内も外も極めて静かであつた。平三は十頁ばかり読んだ時分、 ﹁兄さん、﹂とお桐は微かな声で呼んだ。 平三は一寸驚いたが、 ﹁おい、何か用かい?﹂と何気なく答へた。 ﹁気の毒やれど、頼むわいねえ。﹂ ﹁何だ?﹂と平三は不興気に訊いた。 ﹁あの、湯ゆわ沸かしに水一杯下くだんせねえ。﹂ ﹁うむ、一寸待つて呉れ、今一寸切の所まで読んで……﹂とそんな必要もなかつたがさう言つて了つた。 ﹁え、急ぎません。﹂とお桐は幾らか遠慮気味であつた。 ﹁よし、今。﹂と言つて平三は尚ほ読み続けた。 平三は今迄お桐のために何一つしてやつたことはなかつた。のみならず此二週間は殆ど口をもきかない位だつた。彼はお桐のやつれた顔を見るのも厭であつた。便所のかへりに縁側に出て休んで居るのや晩飯などに、台所へ出て来るのを見る時は、眉をひそめ顔をそむけるのが常であつた。そんな時はいつでも早く床へ入ればよいと思つて、 ﹁あんなことして居て、風を引かないかね。今風を引くと大変ですよ。﹂などと母に向つて遠しに言つたりした。 平三は今妹に頼まれてから七八行も読んだ後に漸く立つて台所へ行つて、炉にかゝつて居る鉄瓶から湯沸に沸き冷ざましを移した。そして蚊帳の裾をめくつて中へ入れてやつた。顔をそむけ呼吸をせぬ様に口を堅く結んで。 ﹁へい、おほきに。﹂とお桐は礼を言つた。 平三は黙つて元の座に帰つてホッと息を吐いた。そして、 ﹁まだ何でも用があつたら言うたがよいよ、﹂と言つて無頓着に頁を返した。自分ながら自分の挙動を可笑しく思つた。 グウと胸をすかす音が聞えた。平三は無意識に納戸の方を見た。お桐はボリ〳〵と蚕そら豆まめを噛み出した。お桐は何よりも蚕豆の煎つたのを好んだ。寝床の側には常に煎豆を入れた重箱を置いてあつた。彼女は退屈になるとそれを噛んで居るのだ。其音が平三の耳についてならなかつた。一寸静まりかゝつた彼の心は又焦立つて来た。外へ出ようかと思つたが行き所を考へて急にがつかりした。又病人一人置いて外出することが今日に限つて気が咎めた。豆を噛む音が中々止まない。平三は益焦立つて来て遂に欠あく伸びまがひの嘆声を発した。そして机の下へ足を突き込んで仰向きになつた。蝿がしきりに頭や顔の上に飛びつた。彼はやけになつて頬や額を叩いたり頭を振つたりした。にたにたと汗が滲み出た。 とサラ〳〵と蚊帳の裾を振る音がして、続いてコソリと畳の上に落ちる音がした。平三は頭だけを納戸の方へ向けると、お桐は蚊帳から出て居つた。 ﹁出たのか?﹂ 平三はかう言つて仰向きになつたまゝ身体を起した。 ﹁えい、あんまり暑うて。﹂とお桐は身体を動かさずに答へた。 ﹁風邪引かぬかな。そして蝿がむしつて煩うるさからうが。﹂ ﹁…………﹂ お桐は蚊帳から出たきり動かなかつた。両足を揃へて立膝して、其膝の上に胸をもたせた姿は猫が前足を揃へて坐つて居る様であつた。胸から肩へかけて動くのが見えると思はれる程呼吸が荒く、陸にあげられ少量の水の中に入れられた魚が、死に瀕して鰓えらを頻しきりに動かすにも似て居た。平三には生きた人間だとは思はれなかつた。陸にあげられて死に瀕せる人魚とはこんなものでないかとイプセンの﹁海の夫人﹂を思合した。恐ろしく物凄く遂には憎らしく思つた。可哀相だといふ気は少しも起らなかつた。穢きたない醜いものを見ると、平三は時としては癪に触つて叩き倒すかぶちつけるかしたい気がする、それと同じ心持が、この時お桐に対して起つた。こんな風になつてもまだ生きて居なければならぬか、而も死ぬことも生きることも自分の力では何うにもならぬのだと思ふと、無暗にもどかしくなつて泣きたい様な気持になつた。 ﹁何うしたら宜いだらう?﹂ 恰も自分自身にどうにもならぬ屈托があつて、思ひあぐんだ時の様に彼は心の中に叫んだ。また事実せうだつた。お桐がただ所いは謂ゆる無常の風を待つばかりになつて、納戸に寝て居るのが、丁度自分自身の胸の中に何うしても動かぬ塊がつかへて居る様だ。此塊のある間は、何時まで立つても胸が晴れぬ、朝も昼も晩も夜も四六時中同じ所に同じ塊が蠢うづ々〳〵として居る。大きな声で話も出来ぬ。笑ふことは尚更出来ぬ。沈んだ冷たい空気が常に家の中に漾たゞようて居る。暗い重い沈黙が家人の心を圧して居る。あゝこの塊がとれたら如何に胸のすくことであらう……。 平三は時々自分の残忍冷酷を責め、お桐に何か優しい言葉をかけて慰めてやりたい気のすることがあつた。またさうせねばならぬとも思ふのであるが、どうしても出来なかつた。 お桐は便所へ行つて来て再び蚊帳の中へ入つた。平三は黙つて外へ出て行つた。十
前の家に十坪あまりの空地があつた。もと其処に家が一軒建つて居たが、四五年前に土蔵を建てるからといつて立退いて貰つたが未だそれきりになつて居た。今は其処を畑にして一寸した野菜物など作つてあつた。其片端に二三株の西すゐ瓜くわの苗を植ゑてあつた。これは去年お桐が西瓜を買つて食べて、あまり旨かつたので其種を取り此春日分で植ゑたのだ。素人作であつたが、それでも夏の初にはいくらかの花を持つた。併し実は僅か三つしか残らなかつた。其中一つは早く腐つて了つた。お桐は後に残つた二つが大きくなつたら食べようと心待に楽しんで居た。所が其また一つを烏に食はれて了つた。其時お桐は非常に落胆した。父や母に番の仕方が悪いからだと小言さへ言つた。たつた一つになつた西瓜をどうしても満足に成熟さしたいと願つて居た。其時分はまだ林檎ほどの大きさしかなかつた。烏にとられてからは父に頼んで上から網を張つて貰つた。家は明放しだから納戸の蚊帳の中からでも、烏が来た時などはよく見えた。お桐は横になると胸が苦しいので前に靠もたれ蒲団を置いて坐つて居た。そして絶えず前の畠に気を配つて烏の番をして居た。恰も自分の生命が其西瓜であるかの如く、今はそれが熟したら食べうと云ふよりも自分が手づから植ゑたのだから其を完全に発育さしたいと望むのであらう。併し林檎ほどになつた一つの西瓜はそれから少しも大きくならなかつた。のみならず少し萎しなびかけて来た。けれども父や母は大分大きくなつたぞ、もう直ぐ熟するだらうとお桐に言つて居た。お桐は之を聞いて喜んで居た。もう隣村から真まく瓜はや西瓜を売りに来る季節になつた。前の畑には胡きう瓜りや茄な子すが作つてあつたし、西瓜や真瓜を食つて其皮を畑に捨てるので、烏は始終来て離れなかつた。向うの家の屋根にとまつて居て隙を窺つては飛び下りて来るのだ。それを見るとお桐は躍起になつて力ない声を絞つて﹁ほう、ほう。﹂と追つた。誰か家に居る時には﹁烏が、烏が、﹂と言ふ。すると誰かがとんで行つて追ふのであつた。 或日の朝真瓜を買つて食べて、例の如く其皮を畑の中に捨てた。烏は向うの家の屋根に沢山集つて騒いで居た。親烏が獲物を啣くはへて来ては小烏の口の中へ入れてやつて居た。其時の声が殊に耳にたつて騒がしかつた。烏は時々首を左右に傾けて下の畑を覗く様な風をした。お桐は始終注意して居た。 皆台所で昼飯を食べて居た。誰も烏のことなど忘れて居た。と突然、 ﹁あれい、烏が!﹂とお桐は叫んだ。 ﹁おのれッ! やあ!﹂と言ひながら平七は縁側へ走つて行つて、そこから跣足のまゝに前に飛び下りた。烏は二三羽あわてて向うの屋根へとび上つた。其中の一羽は口に黒いものを啣へて居た。お桐は目めざ敏とく之を見付けて、 ﹁おう、西瓜を捕られた!﹂と泣声を立てた。 ﹁違ふ〳〵、真瓜の皮だよ。﹂と平七はぽかんとした顔付で外に立つて向うの屋根を見上げながら言つた。 ﹁それでも青いものを啣へて行つたもの。﹂ ﹁否うむ、お前は蚊帳の中で見とるさかい、青う見えたのや、西瓜はちやんと此所にあるぞ。﹂と語尾に力を入れて言訳した。 お桐は何も言はなかつた。平七は台所へ戻つて来て、お桐に知れぬ様に皆に眼めく配ばせした。 ﹁えい!﹂と磯二は突然大きな声を立てた。平七は眼で制した。 其後も尚ほお桐は何も知らずに烏を追うて居た。十一
雨が幾日も降り続いた。十日あまりの間に天気の日は一日しかなかつた。物に黴かびを誘ふことの甚しい雨であつた。此間にお桐の容体は革あらたまつた。絶間なしに痰たんを吐いて居た。肺が全部腐敗して出て来るかと思はれるほど烈しかつた。今迄は無理をしても便所に立つたが最早それも出来ぬ様になつた。便器を入れて貰ふことを非常に気に懸けて、すまぬ〳〵と言つて居た。父と母とは交代に毎夜徹夜した。然し食事は割合に進んだ、量は少くとも、毎日夜食を合せて五囘宛は欠かさなかつた。其外間食として例の豆を噛み通した。それには誰も驚かぬものはなかつた。 ﹁あんなに弱つて居てもあんなに食べるのが不思議ぢや。﹂ ﹁食べるものが皆何処へ行くのやらう。﹂ ﹁皆な痰になるのや。﹂ ﹁与そなはつて居る物を食つて了はねば死なれぬと見える。﹂ ﹁よくまあ消こ化なすもんやなア。﹂ こんな会話が皆の間に交はされた。 お桐はもう大分前から医者の薬を用ゐなくなつた。いくら飲んでも無駄だからと自分から言ひ出したのであつた。父母はそれに逆らはなかつた。その代りに種々な手薬を飲ませた。蜂の巣がよいといふことを聞いて、お寺の御堂の軒にあつた大きな巣を貰つて来て煎せんじて飲ませたりした。 あれが宜いこれが利く、何ど家この誰が何年間肺病で寝て居て医者も手を放したのが何々を飲んでからすつかり治つたなど、種々の人が種々の療法を話した。其中最も両親の心を引いたのは、火葬場の煙突の煤すゝを煎じて飲めば治る、大分昔だが隣村の何とかいふ家の娘が四五年も肺病で寝て居て、もう死にかゝつた時分にその煤を飲んだら治つて、今は某家へ嫁入して壮健に働いて居ると隣村から来た知合の野菜売の女が話したことであつた。其治つたといふ女はお桐の両親も知つて居るので、この話を聞いて大分心が動いた。駄目だとは十分知りながらも最後の手段としてそんなこともやつて見たらと思つた。どうせ治らないものなら捨てて置いてもよいが、又一方から言へば寧ろ種々のことを行つて見た方が心残りがない丈けでもよい、平七夫婦はさう相談して兎に角実行することに決した。併しさすがに此事は平三には話せなかつた。 久振に天気になつた日、彼等は午後から一寸畑へ行くから用があつたら呼びに来いと言つて出て行つた。その畑は村の畑の中で最も山に近く火葬場に近い所にあつた。 何時の間にか夕日が沈んで海がギラ〳〵と赤く輝いた。久振の日和で近くの港から出た上り下りの帆前船が一面に夕映のした海を駛はせて居た。湿つた風が海面から吹き上げて来て後の松林の中に消えた。彼方此方の畑に出て居た人々は次第に帰つて行つて、最早四あた辺りに誰も居なくなつた。 ﹁暗くならん中に行つて来まいかね。﹂とお光はこんな場所にも声を低くして言つた。 ﹁うむ。﹂平七は直ぐに﹁応﹂とも言はなかつた。 ﹁さあ。﹂とお光は鍬を肥納屋へ入れて来て促した。 ﹁どうせそんなことをしても駄目やらうけれど……﹂ ﹁さうかつて現在それで治つたものがあるやないかね。﹂ ﹁あんなにお前、医者様が肺が無くなつてると言はしやるもの、どうして治れるもんか。﹂ ﹁さうかも知れねど。﹂ ﹁行つて来るかなあ。﹂と平七は尚ほ急に動きさうでなかつた。 ﹁行くなら早う行つてくだんせ、暗うならん中に。﹂ 平七は何とも言はずに先に立つた。畑から松林の間の路を三四町行くと、そこに林の一部を切り開いた火葬場があつた。最早四方が大分薄暗くなつた。風も斂やまつて林の中は森しんとして居た。烏が一羽、連れから離れたやうに、﹁があ、があ。﹂と啼きながら奥山の方へ飛んで行つた。 平七はあたりを見して入口の戸に手をかけた。重い大戸がゴロ〳〵と音がして一方に開いた。一種異様の臭が鼻をついた。湿つた冷たい風が奥の方から顔にあたつた。二人は瞬間入口に立つて恐る〳〵中を見した。中は暗かつた。突当りの壁の細い隙間から微かな光線がさして居た。板石で築き上げた四角い竈かまどが真中に据ゑつけてあつた。其後方に煙筒が屋根を貫いて立つて居た。竈は大分煤けて石と石との間の漆しつ喰くひが落ちて隙間の出来た所もあつた。 二人は中へ入つて戸を締めた。黒闇の中にマッチがパッと点ともつて二人の顔が暗中に浮んだ、用意の蝋燭に火を点けてお光が持つた。平七は頬冠した。そして赤錆びた鉄の扉を開いて、腹這になるやうな形をして一度奥を覗き上げた。 ﹁危いぞ。﹂とお光は其の後から火を見せた。 平七は半身を竈の中へ入れて竹片で煙筒の中を擦つた。錆を落すやうな音がした。 二人は外へ出てホッと息を吐いて互に顔見合せた。そして何事も言はずに逃げるが如く家に走つて帰つた。日はすつかり暮れて居た。十二
二三日は何事もなく過ぎた。お桐はあの薬を飲んだが、別に何等の効目がなかつた。咳もあまりしない程楽さうな日もあれば、又非常に苦しむ日もあつた。例の箕で簸る様な呻き声を立てて家人の心をハラ〳〵させることも多かつた。併し相変らず飯も食ひ豆も噛んだ。何か欲しいものがないのかと言へば、豆さへあれば何も欲しくないと言つて居た。遠方へ嫁入して居る妹のお夏も急を聞いて帰つて来た。村の人々は少しばかりの品物を持つて見舞に来た。病が革あらたまつて今度はと噂する度毎に、かうして見舞に来て呉れるのであつた。 ﹁常病人にそんなことをして呉れんでもよいがね。又しても〳〵、ほんとにお気の毒様な。とても駄目なものに勿体ない。﹂と平七やお光は気の毒がつた。 お桐の友達である若い人達は多くは蚊帳の外か、さなくば台所で誰かに見舞の辞を述べて、今日は斯かく々〳〵で忙しいから長く居られぬなどと言訳をして行くかした。お桐は之を慊あきたらず思つた。そんなに病気が恐いか、あまり薄情だと言ふ僻ひがみも起つた。お桐は妹のお夏にこの事を話して二人で泣いた。 年老の人達は大抵は蚊帳の中へ入つて二三十分宛も念仏交りに極楽往生の有難味を説いて聞かせた。誰も彼も嘗てお光が言つたやうに、生の苦、死の楽を説き、最後に死ぬのでなく生れ変るのだと言つた。時には三四人も一緒になつてお桐の側に法談会か何かのやうに長い間仏法の話をすることもあつた。 ﹁もう直に楽な身にして貰へるぞ。﹂ ﹁もう一時の辛抱や。﹂ こんなことを正直に人々は言つた。 ﹁先に行つて待つて居ますさかい、お前様達は後から緩ゆる々〳〵来て下さいませ。﹂ お桐は見舞に来る人々に斯う一々暇乞を言つた。 ﹁今では迚も治られぬさかい一心に阿弥陀様にお縋り申さつしやいの。恩愛の娑婆やさかい行きたくないのは真ほん実たうやれど、というて行かぬ訳にはいくもんでなし、行きたいけれど行かれぬし、行きたうなけれど行かねばならぬ。これが浮世の有様やさかいの、可愛いけれども……。﹂ 八十以上になる向うの家の老婆は、草の葉を貼つた眼の縁を擦りながら斯う言つた。 ﹁おほきに……早う楽な身になりたいわね。﹂ と、お桐は涙ながら言つた。 ﹁もう暫くの辛抱や。此儘仏になるのやぞ。﹂ しかし本人も其他の人々も死を望み且つ待つて居るに拘らず、かの所いは謂ゆる﹁楽な身﹂には急になれなかつた。 ﹁貰うて来た日の来るまでは、辛うても辛抱せんならん。﹂ お桐が苦しがつて早く死にたいと言ふと、お光はかう言つて慰めた。 ﹁何といふまあ執しつ拗こい病やなあ、早う何うにかなつて呉れると宜いけれど。﹂と平七は平三と二人きりの時浮かぬ調子で言つた。 ﹁さうですね。﹂と平三は同じた。 ﹁お前も気が晴れんで困つたなあ。﹂ ﹁いーえ。﹂ ﹁折角休みに来たのに、気の毒でならん。﹂ ﹁そんな心配は決して。﹂ ﹁どうも斯うも仕方がない、寿命やさかい。﹂と父は嘆息した。 又雨が降り続いた。そして何時晴れるといふ様子も見えなかつた。此の雨の晴れぬ間に死ぬのだらうとお光は言つた。それはお桐の生れた日が大雨の日であつて、雨の日に生れたものは死ぬ時も雨だといふことを昔から言ひ伝へて居るからであつた。 或日お桐は髪を切つて呉れと頼んだ。今迄あまり煩うるささうでもあり、又穢く見苦しかつたので、お光は幾度も切つてやらうと勧めたが、お桐は応じなかつたのに、今度は自分から頼んだので、それでもう末まつ期ごの近づいたことを知つた。 ﹁それでも断おも念ひきつて切つて了ふのかいの、欲しないかい。﹂とお光は子供にでも言ふやうに笑ひながら言つた。 ﹁え、もう要りません。﹂とお桐は力なく言つた。 髪を切つて貰つてから、お桐は鏡を貸して呉れと言つた。お光は一寸躊躇したが言ふがまゝに出してやつた。涙が胸一ぱいにこみ上げて来た。 坊主頭の萎びた眼の凹んだ鼻と頬骨の高い汚い顔が鏡面に映つた。心持反そり出た粗い二本の前歯が露あらはになつて居たのが物凄く見えた。鏡に映つた自分の窶やつれた顔を眺めて、お桐はこれが自分の顔かと怪む程であつた。 ﹁もう見納めやさかい、能く見て置かんならん。﹂と彼女は淋しく笑つた。 ﹁能う見て置かつしやい。死ぬと見られんさかいのう。﹂ 蚊帳の外に立つたまゝ期う言つたお光の声は曇つて居た。そつと前垂の先で涙を拭いた。 妹のお夏はたまり兼ねて泣き出した。 ﹁姉さん、鏡なんか見んと置けいなあ。﹂ ﹁だんないわいな。何時まででも見さして置くこつちや。見納めやさかい。――どうや綺麗な顔やらう。﹂とお光は気強く強ひて笑声を作つた。が半分泣き声であつた。 広間に網を結すいて居た父も堪りかねたやうに﹁えへん。﹂と咳払した。 昼頃出入の太助爺さんが見舞に来て、蚊帳の中へ入つて例の引導めいたことを言つて居た。お光は流元で洗物などして居た。雨は頻しきりに降つて居た。隣のおかみさんが流元の窓の外から、 ﹁善兵衛の親爺様が死なしやつたさうな。﹂と低い声で言つて行つた。お桐は耳みゝ敏ざとく聞きつけて、 ﹁えッ何に? お母さん。﹂と叫んだ。 お光は止むを得ず、 ﹁善兵衛の親爺様が参らしたといの。﹂と言つた。 ﹁おゝ、羨けなるいなあ……あの親爺様は私より先に死んだかいなあ……﹂とお桐は突然泣き出した。 ﹁おう、おう、お前ももう直き楽にして貰へるぞ!﹂とお光はすゝり泣きながら言つた。 善兵衛の親爺と言ふのは、半年程前から矢張り肺病に罹つて居たのであつた。 ﹁さう言へば、今日は和平新宅の俊子の七日やが、七日目〳〵に死ぬな。﹂と太助爺さんは誰にともなしに言つた。 お桐は之を聞いて、 ﹁おう、どうしたら可いやらなあ、まだ七日も生きて居らんならんかなア、今夜でも死にたい。﹂と泣き〳〵言つた。 お光もお夏も声を立てて泣いた。 ﹁そんなに泣くないかあ、大きなもんが。﹂と磯二は母に向つて叱る様に言つた。 平三はそゝられる様に、 ﹁お桐や、そんな情ないことを言はないで、確かりして居れよ。大丈夫だから。﹂と言つた。 平七は黙つて網を結すいて居た。 太助爺はうつかり悪いことを言つたと納戸から出て来て後悔した。十三
平三は暗い窖あなぐらの中に閉ぢ込められた様な気持で、其鬱積した心の遣場もなく、毎日つまらぬ日を送つた。こんなことが長く続いては迚もやり切れないと思つた。こんな長い間があつたのなら、あの時思ひ切つて旅行したらよかつたと後悔の念も起つた。浮かぬ額を見せまいとしても、おのづから外に露あらはれると見えて父母は気の毒がつた。
﹁我慢して呉れ。﹂と詫びる様に言はれるのが却かへつて気の毒で辛かつた。一日に一囘はかのお君婆さんの所へ行つて、一時間程愚図ついて来た。そこへ集つて来る人達は、
﹁どうです兄あんさん、病人があつて気が晴れませんのう。﹂と慰めるやうに言つた。
平三は只だ力なく﹁えい﹂と云ふのみであつた。時には酒を飲んで帰ることもあつた。
近頃お桐の顔を見たことがなく、又言葉をかはしたことも殆どなかつた。それでお桐の自分に対する心持は如何だらうと気にかゝつて来た。自分の冷淡なのを恨んで居ないだらうか。少くとも慊あきたらなく思つて居ないだらうかと疑ひ出した。友達の冷淡を恨んだお桐の言葉を思ひ出さずには居られなかつた。且つ又母に対しても気きま拙づく思つた。見舞に来た人達が、
﹁お桐さんも善う無うて、御心配でございませう。それでも貴方も帰つてござつてお桐さんも嬉しうございませう。貴方も心残が無うて……﹂などと平三に挨拶されると、彼は何だか皮肉を言はれる様にも思つた。
此前東京の友達への手紙に妹の病気のことを言ひ、本人も周囲の人々も今は只だ死を待つのみだと書き添へてやつたら、返事旁かた々〴〵見舞の手紙をよこしたが、其中に、
﹁……令妹御重病の趣き嘸さぞ々〳〵御憂慮のことと察します。折角帰られた君の心持もほゞ解することが出来ます。御病人の為めにはせめて出来るだけの事をして上げ給へ……﹂
といふ一節があつた。其最後の一句が彼の胸に非常に強く響いた。そして今更ながら自分の冷淡であつたことを後悔した。もう取り返しがつかぬと思つた。出来るだけの事どころではない。せねばならぬことすらもして居ない。初めから冷酷に憎悪嫌厭の情を以てお桐に対して居たのではなかつたかと思つた。今や悔恨の念がむら〳〵と湧いて来た。同時に彼には珍らしい優しい温い情が起つて、妹の前に懺悔して一緒に相擁して泣いてやりたいとの念も起つた。不図子供の時分の事を想ひ出した。
「親のない子は様子で知れるウ――、
指を銜 へて門 に立つウヽウ、」
指を
平三が鎮守の森などに進んで居ると、お桐は妹のお夏を背負つて守しながら、よくこの当てつけた様な唄を子守唄の節で歌つた。平三は之を聞くと胸が一ぱいになつて、飛びかゝつて思ふ様髪の毛でも引ひきつてやりたい気がした。併し其悲憤の情は常に其出口を塞がれて居た。平三が一寸何うかすると直ぐ泣き出して母に告げに行つた。ある事無い事を捏造して告げ口をした。平三にどんな理由があつても、大きなものが小さいものを苛いぢめる法はない、小さい者がどんなことをしようと大きな者は辛抱して居るものだとお光は平三をたしなめた。お桐は家一ぱいになつてそれ見たことかと言はぬばかりの態度を示した。平三はいつも小さくなつて居た。母に小言を言はれるのが恐ろしさに彼はどんなにお桐に侮辱されても黙つて居なければならなかつた。お桐はそれを宜いことにして益々平三を苛めた。大勢の前で平三の弱点など大袈裟に言ひ触らした。平三は十歳頃までは時々寝小便を外もらすことがあつたが、
﹁寝よつ小ぱ便りげんざい、はりげんざい。菰こも被かぶりでれ……﹂
などとお桐は他の子守等と一緒になつてこんな事を大声に囃はやし立てた。平三が我を忘れて拳を固めて追ひ蒐かけると彼等は一生懸命に逃げる、平三は勢を示しただけで一寸立ち止ると彼等も向うの方で立ち止つて前と同様なことを繰返す、又追へば逃げ、逃げては又嘲弄する、どうにも斯うにも手のつけ様がなかつた。継母のことを思はなかつたら、如何なことをしたかも知れない位彼は腹が立つた。
﹁ざま見よ、気味が宜いな。貴様の阿おつ母かあが死ごねつたがいや、やあい、親なしい!﹂
お桐は赤んべをしながらこんなことも言つた。
此時分父は常に沖漁に行つて家に居ないし、姉は京都へ行つて居て居らぬし、平三は全く一人ぽつちで自分の苦しい感情を吐露することも出来ず、毎日泣くやうな思で小さくなつて居つた。
かうしてお桐が面憎いといふ印象が子供の時分から平三の胸に深く刻まれて居た。そして其印象が消え失せぬ中に平三は国を去つて居た。平三が再び国に帰つた時分お桐は又京都へ行つて居た。かくして二人が比較的近く相接する様になつたのは最近三四年のことで、それも平三が夏季休暇に帰省した時位のことに過ぎなかつた。
彼はまだ子供の折のことを根に持つて居るといふ訳ではないけれど、何となくお桐を好かなかつた、平三にはお桐は小こざ賢かしいおせつかいな負惜みの強い女に見えた。さうしてこれらの性質が他の如何なる性質よりも平三は嫌であつた。末の妹のお夏の様に優しい女らしい所は少しもなく何となくすれて居る、小面憎いといふ気持が絶えず平三の胸にひそんで居た。
お桐の方ではそんな子供の時分のことなどは少しも知らない。京都から帰つて以来は人間が違つた程優しくなつた。兄さん兄さんと平三を慕ひ且つ尊敬して居た。病床にありながら絶えず遊学中の平三の成功を祈つて居たといふことも父や母の口から平三は聞いた。併し疑深くひがんだ平三は却つて之を厭味に感じ虚偽だとさへ思ふこともあつた。けれども彼は今死んで行くものに、かりそめにも悪感情を抱かせたくなかつた。悪い印象を与へたまゝ死なしたくなかつた。せめて虚偽でもよいから出来るだけのことをしてやりたい、温い情を注いでやりたいと思つた。