青春の息の痕

倉田百三




 


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倉田百三


 


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   手術

 あなたに御無沙汰していた間、私はまた不幸にとらえられていました。私は九月の上旬から穴痔あなじという性質のよくない病気に苦しめられて、今日もなお苦しんでいます。その間二度手術を受けました。二度目のはこの病院で、全身麻痺の恐るべき手術でした。私は今もなおあの手術の時真裸かで、手術台の上に寝かされて、コロロホルムを嗅がされて意識を失う時の、恐るべき嫌悪けんおすべき心持を忘れることができません。手術後で今日は五十日目なのに、まだなかなか癒えそうにありません。毎日痛い目を忍んで生きています。歩行すると出血するので散歩もできません。
 しかし謙さん、私はこのような生活をしていますけれど人生を呪う気にはどだいなれません。それに反して人生がある全一な、積極的な幸福なものでなければならないとの根本信念が私の心の底に日に日に育ってゆくのです。私は信心深くなります。私はこのような病身なのですから、一生涯いっしょうがいほとんど病院暮らしをせねばならぬかもしれません。また私の生涯は長いものではありますまい。それにしても私は私にゆるされた生をたのしんで感謝して暮らしたいと思います。私は病院のなかでもできるような、不幸な人々のためになるような、仕事を発見したいと念じております。私はこの数年、霊の上に、肉の上に、さまざまな苦痛を受けました。そして、真に他人を愛することを知りました。異常な忍耐力と隣人の愛とが私の心に植えられた。これ私の限りなき感謝です。謙さん、どうぞいつまでも私を愛して下さい。私のことを思い出して下さい。私はただひとりはなれて、私の生活を宝石のごとく育て、かつ祈り、かつ考えて生きております。神もし、私に何らかの使命を与え給うならば、私も立って君らとともにはたらく時もありましょう。どうぞ待って下さい。なにとぞ幸福に暮らして下さい。
(久保謙氏宛 十二月二十二日。広島病院より)


 


   

 
 
 
 
 
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   聖者の子

 御親切なお手紙をありがとうございました。お父さんはもはやお帰国なさいましたか、叔父さんが病篤き由さぞ御心配のこととお察し申します。何やかやであなたの心も不安でおちつかないでしょうね。しかしあなたは怒号せず叫泣せざる静かな悲苦と調和との心をもってそれらの思いのままにならぬ周囲に対して平和を保つように努めていられることと思っておいとしく尊く存じます。なにとぞ静かに大きくふくらむように成長していって下さい。私はあなたのために祈っています。私は一燈園で毎日よく働いて暮らしています。畑の仕事や洗濯せんたくや車曳きなどもいたします。昨夜はバケツを携げてお豆腐を買いに十町もある店まで行きました。そのような卑しいしもべのようなことも心にうちより溢るるものがある時には悦んでできます。四、五日前には三条の河道屋というそばやに手伝いに行き、粗末な黒木綿の絆纏はんてんを着て朝から夜の七時まで働きました。車を廻したりそば粉をこねたりしましたが馴れない力わざなのでぐったり疲れて半里もある一燈園への帰り道に燈火の明るい京女の往き交う二条通りなどを歩む時には私はロシアの都会などを歩く労働者などの気持ちがしのばれました。そしてやはり小説を読んだだけではわからないところの、ただ労働者の眼にのみひらける一種の世界があるような気がいたしました。畑へ出て耕したり、野菜を植えたり、草を刈り、焚火をしたりしていると土に対する親しい感じや農夫に対する同悲の心などがしみじみ起こります。私は畑から担いで帰ったねぎやしゃくし菜などを谷川を洗いましたが、その冷たさ、それからは路を歩いても、子をおぶった女などが手を赤くして菜を洗っているのを見ると(これまでは少しも目につかなかったのに)限りなき同悲の情が起こります。私は社会の下層階級の人々の持つ感じ方に注意せられます。そして共に労働するものの間に生まれる愛憐と従属との感じなどを思うときに古えの聖者たちが愛と労働とを結びつけて考えたのは道理のあることと思われます。私は健康さえたしかならば労働者として暮らしたい心地さえいたします。しかし謙さん、私に不安なのは私の健康のことです。一燈園は麦飯と汁のほかは食物はありません。そして労働しなければなりませんし、睡眠もとかく乱れがちになります。私はこれまでの養生法と正反対の生活状態にはいりました。どうも他の質素な人々の目の前で私だけ豊かな暮らし方をするわけにも参りません。私は一昨日も荷車の後押しをして坂を上る時息が苦しくて後で嘔吐を催しました。また立膝をして菜などを洗うので痔のぐあいもよろしくないようです。幸いにして今のところでは無事で暮らさせてもらっています。けれどどうも不安が去りません。天香師は強い信仰から、仏によりて養われるならば粗食でも仏の加護で壮健を保たれるといわれます。また私の二つの病気を知りながら労働することもあまり気にもとめられません。私は慈悲深い西田さんが私の健康をおろそかに取扱って下さるはずはないと信じていますけれど、でもまだ不安は去りません。そしてどこまでも私の理想を妨げる病気が怨めしい心地も起こります。からださえ丈夫ならば、労働は私はたしかに大切な、生活を清新にする尊いものと信じますから喜び勇んでいたしますが、今のところ、まだ少し不安があります。私はこのことに関して神様に特別に祈っております。一燈園は喜捨で生活して行くので、他家ではたらくのは無報酬なのです。二十九人おりますが、みなそれぞれ不幸な運命のもとに生まれた人ばかり、白髪の老人や、切髪の奥様や、宿無し児や若い娘などもおります。私といつも一緒に畑に行く人は気狂いで時々無理をいって私を困らせます。私はこれからおいおいそれらの人々についてあなたにお知らせいたしますつもりですが、今日は天香師の息子さんの理一郎という十四になる少年について少し書きましょう。理一郎さんには母がありません。それは西田さんが出家の生活を初めた時に西田さんを気狂いだと思って西田さんを捨てて行かれました。それは今から十数年前まだこの不幸な少年が三、四歳の時でした。理一郎さんは純な愛らしい少年です。色の白い丸ぼちゃの活溌な子です。それがまたどうした因縁か私をたいへん好くのです。そして寝床も私のなかにはいって寝ます。幾らかそして私に甘えるようにもいたします。昨夜はいい月夜でした。私は理一郎さんと一緒に散歩しました。畑の間や林のそばを通って街の方へ歩きながら、いろいろ話しました。私はこの少年の感じやすい純な性質によく触れました。そしてこの少年の小さな胸のなかに動く悲哀や疑いや憧憬などを聞き感動させられました。母のことを語る時には特別にセンチメンタルでした。「長浜から来た当分は悲しくて悲しくて泣けてしようがなかった」などともいいました。また「みな私のお父さんを偉い偉いといやはるけど私はお父さんの主義はきらいや」などともいいました。その理由を聞くと西田さんは理一郎さんをも他人をも同じように愛するのだそうです。そしてものを買うのにでもなかなかお金を出してくれない。不自由を忍耐させる。また学校も早くやめさせるつもりなのだそうです。私は西田さんの心持ちをよくわかるように説明してやりましたらうなずいていました。そして少年倶楽部が買いたいけれどお父さんが買ってくれないといいましたから、私は「西田さんはお金は幾らでもあるけれどあなたを贅沢な習慣にしないために買ってくれないのだ。それさえわかってれば私が買ってあげる」といって寺町の本屋まで行って少年倶楽部を買ってやりました。帰り道に博覧会のイルミネーションのそばを通る時、急に曲馬の楽隊の音が始まりました。少年は好奇心を挑発されたと見えて大分見たそうでした。私はこの少年は平常このようなものを少しもお父さんに見せてもらっていないことを知りました。そしてちょうどこの年頃の少年の好奇心の強い時代には苦しいことであろうと推察しました。「今晩は遅いから、みなが心配するから帰ろう、また私が見物に連れて来てあげる」と私がいうと「いいえこんなものとは縁を切ります」といいました。しかし見たそうでした。
 私は西田さんの子供の育て方はよいかどうか疑問だと思いました。「そして私のことは習ってはいけない。お父さんのいうとおりにしなさい。しかし今度曲馬を見せてあげるよ」と約束しました。昨夜もこの少年と一緒に寝ました。あわれではありませんか。お絹さんは免職になり今は広島の牧師の家に預けられています。私は彼女をゆくゆくは妻にしてやる気です。彼女を苦しめはしませんから、安心して下さいませ。今日はこれで筆をおきます。どうぞ御大切になさいませ。「朝」と「百合の谷」は今一燈園の人が読んでいます。いつでもお返しいたします。
(久保謙氏宛 一燈園より)


 


   

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(久保正夫氏宛 丹那より)


 


   

 
 
 
 
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   墓場にこそ幸福はあれ

 ずいぶん御無沙汰いたしました。あなたはこの頃はどうして暮らしていらっしゃいますか、相変わらず熱心に勉強していらっしゃることと思います。何か書いていられますか、暑さがさわりはいたしませんか。
 私はこの頃は大分心よくなりましたから喜んで下さい。けれどまだ読み書きも歩行もできません。しかし危険な時期を通過した、やや安らかな気持ちです。苦しみも悲しみも忍び受ける、淋しい心地はいよいよたしかに私の基調となってゆきます。その地に立ってしかも世界のさまざまの Irrungen を眺め、しかし冷やかに傍観するのではなく、それを人間の分として、淋しく受けとるような気持ちで見ている姿です。私はやはり心の静けさ、というものが、一番尊い幸福であるように思います。そして死は永久安息を私たちに与えてくれるのではありますまいか。
 私は死のねがい、あこがれ、というような気持ちがしだしました。墓場こそ私たちのもとめている本当の幸福があるのではありますまいか。私は自分の墓を生きているうちに建てその墓もりとなっているような気持ちで、これから後の生涯――それは必ずながくありますまい――を過ごすつもりです。常に死を待つ心地で。そして健康が許すなればそのような気持ちで芸術の仕事にたずさわりたいと思います。
 この世の希望はことごとく私から去りました。しかし私はもうそれを悲しみますまい。昔から人生の無情から深き知恵に達した、聖者たちの淋しき道を分けゆこうと思います。どうぞ私に変わらぬ静かな愛を終わりの日まで送って下さい。
 今日はやっと表記だけ私が書くことができました。
(久保正夫氏宛 中村病院より)


 


   

 
 調
 
 
 


   

 
 
 
 

   

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 Im Abendrot 
(十二月四日。明石より)


 


   

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底本:「青春の息の痕」角川文庫、角川書店
   1951(昭和26)年4月30日初版発行
   1965(昭和40)年10月30日31版発行
   1972(昭和47)年5月30日改版5版発行
底本の親本:「青春の息の痕」大東出版社
   1938(昭和13)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本では編集に当たった藤原定氏が、手紙の日付を推定して括弧付きで復元している部分がありますが、本ファイルではその著作権を考慮して削除しました。また、同氏によって付されている注についても、同じ理由から削除しています。
入力:藤原隆行
校正:土屋隆
2008年8月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







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