十二月の四日から此處に來てゐます。二日に秋聲氏と一緒に來る約束をしてゐたのですが、その日は私の持病の頭痛の發作が起つたので、秋聲氏はその最中に見舞かた〴〵私の樣子を見に來てくれました。で、秋聲氏も一日延ばし、翌日三日は朝から大雨でしたが、氏はその雨の降る最中をこゝにやつて來たのでした。私はその又翌日四日の午後から東京を立つてきました。こゝは東京から來るのに電車の便の惡い所です。京濱電車を降りてからも二十町ばかりの田舍道を海岸まで車に乘らなければなりません。 東京から彼是れ二時間ばかり費して夕方ここに來てみると、秋聲氏のほかに上司小劍氏も來てゐました。氏は私達のはじめ來る日であつた二日に來たのださうです。これで三人が一つ旅館に偶然落ち合つたわけです。 秋聲小劍二氏は今まで一ちよ寸い々/々\來た處ですが、私には初めての土地なのです、四邊はもうすつかり蘆荻の葉も褐色にうら枯れ、平濶な水田に小波が立つてゐるのも寒さうで、田圃の中につゞいてゐる悒せき田舍家の間を縫うて俥に搖られながらゆくと、海近い冬の風が遠くから強く吹きつけて來ました。この沿道のわびしい光景を見て、私は何とも云へない寂しい心地になつてゐました。やがて旅館に辿りつくと兩氏がゐるので大に心が引立つたわけです。東京の私達の知人は大抵知つてゐる土地のやうですが、現に故人の岩野泡鳴氏がよく來てゐた部屋はあそこだといつて、上司氏は私に指して教へました。 その翌日は夕方になつて久米正雄氏と岡榮一郎氏が東京の何處かの崩れから押寄せて來て、私達の風呂に入つてゐるところへ飛込んできました。久米氏は新年物の稿に追はれて、途中で原稿用紙とペンなどを用意して來たのでした。そこで五人大一座になつて、私達先着の三老人は一滴もやらない方ですが、若い二氏は共にそれがなくてならぬので、ぼつぼつ始めかけてゐるところへ又ひよつくり中村武羅夫氏が鵠沼への歸途を秋聲氏を訪ねてやつて來ました。遂に六人といふ大一座。ちやうど今夏の箱根のやうな繁昌です。老人三人はやりませんが、若い三人はいづれも酒豪なので、かなり遲くまで秋聲氏の部屋で酒盃を手にしながら談論風發をやつてゐました。秋聲氏は流石に落着いたもので、山の如く眼の前に控えてゐる年末年始の仕事がありながら卓を前にして二十年も年の若い文壇の新鋭を對手に、いつまでも論談するのが聞えてゐました。私の部屋はその隣り、その又となりが廊下を一つ隔てゝ上司君の部屋。私と上司君とは一旦銘々の部屋に退却。流石に談話ずきの私も頭痛の持病の發作が、さういふ時に得て起り易いので自分の部屋に戻つて額をもみながらじつと寢てゐました。やがて久米、中村、岡の三氏は今夜一と晩一緒に自分達にきめられた、向うの方の二階に退散していつたやうでしたが、私も、あとで其等の若い人達の元氣のいゝ氣焔が聽きたくつて、又起き上がつてそつちの方へ行つてみました。久米氏はビールを飮みながら、ある新聞に送る小説をさら〳〵と書いてゐました。その傍で火鉢を圍みながら中村、岡の二君と私は遲くまで又愉快な話をしてゐました。久米君は耳のそばで喧しい話をするのを聞きながら平然として書いてゐるのでした。 翌日午頃に三人は歸つて行きました。久米君は出直して仕事に來るといつてゐました。 私達年寄りは又靜かな三人になりましたが、その日はその前の二三日とはちがつて穩かな暖い天氣でした。部屋の外の廊下に立つて見渡すと、海岸の平らな荒蕪地の先に枯れ草の生ひ茂つた防波堤が長くつゞいて、育ちの惡い小松がところ〴〵に立つてゐる。別莊風の家もその間に一つ二つ見えてゐます。土堤の彼方に鼠色の帆のさきが、いくつも動いてゆくのが坐ながらに見えてゐる。ほかに何の物音も聞えない靜かな午後、さうして部屋の中にじつとしてゐると、その土堤の彼方の海の上を發モー動ター汽ボー船トが荷物船を曳いてゆくのであらう、タツタツタツタツといふ單調なリズムをなした音が響いて來るのが、一層あたりの閑靜さを思はしめる。今はもう日毎に温度が降下して酷しい寒さが加はるばかりですが、やがて春さきになつたら、どんなに長閑だらうといふことが思はれます。土堤には黄色い蒲公英の花や眞紫の菫が咲きこぼれて、青草の萠えそめた土堤の向うには白帆が半分ほど見えて荒れた畑のところ〴〵には芝居の作り花のやうに菜の花も咲くでせう。 私はそんなことを思ひながら、昨日は一日、お互に皆の部屋から部屋へと渡り歩るくのみで、外に出なかつたので、お腹ごなしに少しそこらを歩いてみたくなつたので、ほかの二人を誘つてみましたけれど、二人とも今が時よと原稿紙に向つて頻りにペンを走らせてゐる最中でしたから、強ひて同行を求めないで、ひとり、ぶらりと出てみました。午後の冬の日は室の中からみると暖かさうに照つてゐましたが、それでも戸外に出ると、さすがに襟頸に冷くしみつく樣である。私は旅館の屋敷のまはりをぐるりと廻りながら、向うの海の見える土堤の方に上つていつてみたが、寒い海は灰色に濕つて、ひた〳〵と濁つた波が石垣に打ち寄せてゐました。左の方は品川から東京の方につゞいた汀が遠くのびて、ごちや〳〵した海岸の工場地の建物がどんより曇つて見えてゐる。それでも右手の方には汚い海の沖に遠く松林が延び出てゐるのが見える。それは穴守の方です。滿目悉く荒寥としてゐるのに堪えかねて私は暫く土堤を歩いてゐたが、今度は違つた道を歩いて枯れ蘆の一ぱい﹇#﹁一ぱい﹂は底本では﹁一ばい﹂﹈立つてゐる池の脇をまた旅館の方に戻つて來ました。つまらないと云へばつまらない處ですが、相應に部屋數などのありさうな小綺麗な旅館が、そつち此方に十軒ばかりもありませうか。湯といつても鑛泉を沸かしたもので、黄濁の色をしたものだが、箱根などの湯に入りつけた者には、はじめは心地が惡いが、それでも此の五六日入つてゐるうちに、私の身體には何より腸の爲に好いことが分つてきました。十一月の末に近く、一日急に冬らしい冷い雨が降つた時あてられて大腸を惡くして淡い赤い色のまじつた粘硬さへ﹇#﹁粘硬さへ﹂はママ﹈出てゐましたが、尤もそれは二三日養生をして服藥してゐるうちに治癒したやうであつたけれども、まだ何となく便が固まらなかつたのが、こゝへ來てから毎日二三度入浴してゐる間に段々良くなつたやうです。これが普通の白湯であつたら、たとへ一日に三度入つてもそんな效果はありません。 神經の疲勞の甚だしい私は、その夜たつた新聞を一囘と半分書きかけたのみで、十一時にがつかりして床に就きました。兩隣りの二人は尚ほ遲くまでペンを走らしてゐました。でも上司氏は何かゞ几帳面で大抵起臥の時間は一定してゐるやうですが、明けて五十一歳の秋聲氏は、その夜殆ど徹夜をして五十枚からのある物がまだ三十枚くらゐ殘つてゐたのを書き上げて﹇#﹁書き上げて﹂は底本では﹁晝き上げて﹂﹈しまつて、なほその上に毎朝午前中に書くことになつてゐる新聞のつゞき物を一囘書いてしまひ、翌朝私が八時に眼を覺して起きいでた頃には、もう朝湯に入つて、一と仕事あがつた後の、のんびりとした好い氣持ちになつて、温かさうな褞袍に着ぶとりながら縁側の障子をあけて私の部屋を覗くのでした。 私はその朝は一寸東京へ行つて來る豫定で昨夜寢たのですが、昨日あまり暖かかつたせいか、昨夜々半から縁側の雨戸がこと〳〵と搖れるのに時々寒い夢を覺まされてゐたが、曉方になつて氣が付くと軒廂に雨の音が聽えてゐました。﹁あゝ雨だな。これでは東京ゆきも斷念だ。﹂と思つて、私は寢温もつた床の中に、もぐ〳〵してゐると、一緒に東京にゆかうといつてゐた上司氏も縁側から私の部屋を覗きながら、 ﹁近松君、今日は東京へはゆけないよ。﹂と、いふ。 ﹁うむ、雨だらう。﹂ ﹁雨ぢやないよ。起きて見たまへ、雪だよ。﹂ 十二月七日は、今年の初雪でした。 ﹁あゝさうか。隨分早い雪だな。﹂と、私は床の中から答へながら、ぼつ〳〵起き上りました。さうして縁側に立ち出てみると、なるほど冷い雨にまじつて大きな雪がチラ〳〵飛んでゐます。でも海に近いせいか、雨の爲めに雪は降るあとから後から消えてゆきました。 私達三人は朝も晝も晩も大抵誰れかの部屋で一緒に食事をするのでしたが、その朝秋聲氏の部屋で朝食を濟まして話してゐると、女中がやつて來て、障子のところに手をつきながら、 ﹁あの、今日はお寒うございますから、皆さまお炬燵をこしらへて差上げませうか、いかゞでございますか。﹂と、いつて訊く。 秋聲小劍二氏は言下に、聲をそろへて、 ﹁いや、炬燵は入らない﹂ と、云つてのけたが、私だけは、大悦びで、 ﹁うむ。こしらへておくれ。﹂ と、早速命じました。やがて女中は私の部屋に一枚敷布團を伸べて、その上に大和炬燵に炭團をいけて、温ぬく々〳〵とした炬燵をこしらへてくれて、 ﹁かうして置きますから、ぢきに暖かになります。﹂といつて、退がつていつた。しばらくしてから私は机の脇から蒲團の下にそつと、足を入れてみると炬燵はほか〳〵するやうに暖くなつてゐる。 ﹁どうです? あなた方來ませんか。﹂といつて、呼ぶと、秋聲小劍の二老は、 ﹁どれ一つ炬燵に入つてみようかな。﹂といつて、障子をあけて私の部屋に入つて來ました。 そして三人炬燵につかまりながら障子の中のガラスから縁側の方を眺めると、冷雨にまじつて、綿のやうな大きな雪片が靜かに舞ひ落ちてゐました。︵大正九年十二月八日誌、早稻田文學︶