科学方法論

戸坂潤







 
 
 
 

「方法概念の分析」(その一)(その二)の二篇は、雑誌『哲学研究』に載せた文章を多少書き改めたものである。

一九二八・一〇
京都にて

戸坂潤



再版序



 再版に際しては、誤植を訂正する程度の変更を加えることしか出来なかった。それも友人や未知の好意ある読者からの注意によって発見したものが大部分である。前に小倉金之助博士から、座標の問題に関して与えられた助言は、或る部分を相当に書き直さねばならなくなる種類のものなので、この版では不本意ながら無視せざるを得ない事情になった。初めてこの書物を書いた時と、現在の私とでは、可なり考えに変化もあるから、いつかは全体を書き直して見なければならない。私はそういう機会が熟する時を待とうと思う。
 前の序文で、この書物と連関した一群の仕事を約束しておいたが、いまだにその仕事の中心へ立入ることができずにいるのは遺憾である。けれども私は決してそれを破棄しない、寧ろ約束した仕事の重大さを、様々な側面から増々痛切に感じているのである。
一九三二・一〇
東京
著者
[#改ページ]





 
 

 

  Wirkliches Wirken 使 Gemeinschaft 
  Handelndes  Leidendes  Lotze, Metaphysik, Kap. 6 
** カントの物自体が感性を感触する処の原因であると云われる時、因果の範疇に就いて今と同じことが云われたことを思い起こす。

 

 
 
 

  Ontologie 


 
 使使使調
  Nacheinander 
 

 西西
 

 
 
  Was  Wie 
* 現象という概念が、文字を同じくする他の諸概念とどう異るかを、立ち入って述べるまでもないであろう。ハイデッガーは之を分類している(M. Heidegger, Sein und Zeit, S. 28 ff)。

 

  par excellence  Da Dasein  Da DaDa Da  Da Da
 
* Heidegger, Sein und Zeit, S. 7 参照。
** 同 S. 52 ff 参照。

  S. 180 ff. 

  Dasein 
 

 Physica, 184 a 16 



 穿Gegenstand schlechthin  Gegenstand im Wie seiner Bestimmtheiten 便
* Husserl, Ideen zu einer reinen Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie, S. 272 参照。

 

 使 Dasein  Dasein  Dasein  Dasein  Vorhanden-Sein  Dasein 使
 使姿

  Dasein 
* アリストテレス(De Anima, 413 a 30)はそう云っている。

 Vitalismus 

  φυU+1F7B19--2σι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) 
* アリストテレス、Physica, 192 b 21―23 参照。

 

 
 

 
 
 使
 
 






 調
 
 

 ars inveniendi使


 
 Wesenheit
* プラトンはその学問――ディアレクティケー――を処々に於てほぼこのように述べている(その代表的なものは例えば『ソフィステース』235 D)。

 982 a

 

 

 便
 
 

 

 
 使
 
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)Privatum

 

 
 
 

 便

 綿綿綿綿綿綿
 綿綿綿綿綿綿使 virtual velocity 
 便
 
 
  Tathandlung U+201E33--10Zu den Sachen selbst

 
* Hegel, Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie des Geistes(phil., Bibl. S. 16)及び Enzyklop※(ダイエレシス付きA小文字)die(phil., Bibl. S. 47).
** Hegel, Wissenschaft der Logik(phil., Bibl.)1-Teil, S. 35 及び 2-Teil, S. 500.

 W. James, What Pragmatism means ? 

 



 
 
 
 

 

 

 


 Wesenheit

 

調

  Tiefsinn 
 
 

 Husserl, Philosophie als strenge Wissenschaft, Logos ※(ローマ数字1、1-13-21). 

 

 
 






 Wissenschaft Wissen-Schaft 
* フィヒテやボルツァーノの知識学とリッケルトなどの科学論とは無論区別されねばならない。後者は前者に対して認識論と呼ばれるべきであろう。後に吾々の関心を呼ぶものは前者ではなく後者である。

 

 

 
 調

 Ars使
 調
 
  imaginatio 使
* Regulae ad directionem ingenii 参照。
** Schelling, System des transzendentalen Idealismus.

 

 
 

 
 調
 
 Wundt, System der Philosophie 
 

 

 
  philosophia  scientia 
* 例えば吾々は Lord Kelvin-Tait の物理学である“Treatise on Natural Philosophiy”(1867)を有っている。

 Kant  Metaphysische Anfangsgr※(ダイエレシス付きU小文字)nde der Naturwissenschaft 

 
 
 便



 学問の分類が、もし学問そのものにとって固有でないような或る標準を以て与えられるならば、凡ゆる場合の分類がそうある通り、その分類は学問それ自身にとって、殆んど何の意味を有つことも出来ないであろう。そのような分類は分類の目的――学問の性格の理解――を果す望みがない。であるから分類の原理は、学問概念それ自身の内から、見出されなければならない。例えばダンテは詩人らしい着想によって、十個の天体の区別を以て十個の学問の分類の標準とした。かくて彼によれば、月と文法学、水星と弁証法、金星と修辞学、太陽と算術、等々が類推によって対応せしめられる。併しこのような着想は無論、分類の名に値するような何の分類をも、直接に結果することは出来ないであろう。何となれば、天体が学問概念にぞくすことを想像することは少しも学問概念と関係のあることではないからである。
 学問は常に何かの目的を有つであろう、目的を有たない学問はあり得ない筈である。併しそうであるからと云って、学問が常に学問ならぬ他の何ものかの手段でなければならぬということにはならない。なる程学問は吾々の生活に何かの意味で役立つのでなければならない、そうでなければ吾々が学問を必要とする理由は元来何処にもありようがないのであるから。併し実は学問それ自らが却って一個の或いは一部の生活それ自身ではないのか。そうすれば学問が生活に役立つというのは、この場合、学問ならぬ他のものの手段となることではなくして実は学問自らの手段になるということに過ぎない。自らの手段となること、目的となるものと手段となるものとの同一、それは自己目的と呼ばれる。学問は、少くとも学問の理想は、即ち又学問概念の性格から云って学問は、自己目的的であることを認めなければならない。故に学問が学問ならぬ他のものの為めに役立つその仕方に於て分類されるというようなことは、その概念を成り立たせている処の性格それ自身にとって、疎外的である。凡そ概念の性格は任意の一つの特色を以て把握されることを許さない、それは人間の性格に就いてそうあると同じであるであろう。このように疎外的な視覚からする分類は学問自身に固有な特徴を逸して了うという意味に於て、偶然(per accidens)――それは per se に対する――である。吾々はこのような場合をストア学徒に於て発見する。ストア学徒によればそれ自らを外にして目的を持たない学問は虚しくして無用である、凡そ学問は吾々の道徳的生活を指導することをその唯一の目的とする。真偽・有益無益を弁別し、自然の裏に分け入って世界の秩序を跡づけ、善と悪とを見分けること、之こそ学問の効用でなければならない。かくて学問は夫々の外部への目的に従って、論理学・物理学・倫理学に分類されるのである。エピクロス学徒も亦この三分法を採用した。彼等によれば論理学は物理学に役立とうために、物理学は倫理学に役立とうために、そして倫理学は人生――その理想は幸福である――に役立とうために、のみ存在する。この分類そのものが受け容れられ得るかどうかよりも前に、この分類の原理である処の学問概念自身が常に吾々の第一の問題であるのであるが、今のこの分類理論が学問意識に就いて多くの真理を語っているにも拘らず、結局学問概念の性格を或る一点に於て逸している(偶然がそれであった)ということは、この分類の致命傷でなくてはならぬ。学問に対しては常に学問に固有な視角に立つことを吾々は要求する
  L. Ferrarese1828 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)Essay concerning Human Understanding
 
 
* コントの所謂歴史三段階説が、直接には、テュルゴとサン・シモンのそれから伝承されたことは、知られている。

 Proudhon, De la Cr※(アキュートアクセント付きE小文字)ation de l'Ordre dans l'Humanit※(アキュートアクセント付きE小文字), 1843. 

 
* 学問に教職的段階を見出す考え方は Comenius(―1645―)に始まると云われている。

  P. E. Dove1850 H. M. Stanley1884

 

 
* Whewell はその独特の立場から、学問が精神能力によって分類され得ないことを主張した。
** Rosmini はそう考えている。
*** 能力と対象とを併せ以て分類の原理とするものは少なくない。例えば Cantoni(―1870―)がそれである。
**** De Pamphilis(―1869―)は客観的・主観的・客観主観的の三つの学問を区別する。
 sciences cosmologiques  sciences noologiques   coeontology  idiontology 
* 学問の分類が精神能力の区別によらずして学問それ自身の性質に依らなければならないことを述べた者にすでにカンパネラがあることを注意しよう。
** Cournot, Essai sur les fondements de nos connaissances, Chap. ※[#ローマ数字22、56-下-22] 参照。
 Chrestomathia Somatology, Pneumatology ; Posology, Poiology 

  Logik, Bd. ※(ローマ数字2、1-13-22); Philosophische Studien ; System der Philosophie 


 
  De Roberty 
 
 
* これはルヌヴィエに於て見出される例である。

  Whewell 

 
 Architektonik der reinen Vernunft Architektonik  Architektonik  Architektonik 
* Kant, Kritik der reinen Vernunft, S. 860 参照。

 B. Labanca1875


 
R. Flint, Philosophy as Scientia Scientiarum and a History of Classification of Sciences, 1904 






 
 
 
  Klassifikation Einteilung, Gliederung
 

 
 
 
 
 使
* Windelband, Die Prinzipien der Logik, ※(ローマ数字3、1-13-23) 参照。

 Lotze, Logik, 2 Buch 

  Methodologie, Methodenlehre 
* 学問の分類――それは科学論の機能の一つであった――も亦論理学にぞくするものとして面目を新にする。諸科学分類の原理は、もはや今までのように任意の視角から取り上げられることが出来ず、論理的に必然的に指定されなければならないことになるからである。
 
* 例えばヴィンデルバントは認識論を形式論理学と方法論とから区別する(Windelband, Die Prinzipien der Logik)。併し今仮にカントの立場に立っている吾々にとって、認識は主に学問的認識を意味してよいであろう。
 
 沿Wissenschaftslehre
 

 辿

 

 

 

 
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28) stetiges Anderssein 
* Rickert, Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft, S. 34 ff 参照。
** リッケルトによれば数学の対象は等質的媒質――時間と空間――に於てある。其処に於ては同一の対象が異なれる位置に即くことが出来る、対象は交換し得る(Rickert, Das Eine, die Einheit und die Eins, S. 58 ff 参照)。

 Windelband, Pr※(ダイエレシス付きA小文字)ludien, Bd. ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 141

 

 Windelband, Pr※(ダイエレシス付きA小文字)ludien, Geschichte und Naturwissenschaft

 

 


 
 
* Rickert, Die Probleme der Geschichtsphilosophie, S. 15―25 参照。
 精神科学は、一方に於て心理学として自然科学に対立することが不当であり、他方に於て歴史科学として理解されることも不適当であることが主張された。精神科学という概念の代りに単に歴史科学か又は文化科学かの概念が望まれる。之こそ初めて真に自然科学に対立することが出来るであろう。歴史的方法に基く諸科学は、之をその形式から見て名づける時、歴史科学と呼ばれ、之を内容から見て名づける時、文化科学と呼ばれるのである。今やリッケルトによれば経験科学は自然科学と精神科学とに分類される代りに、自然科学と歴史科学(又は文化科学)とに分類されなければならない
  irreale Sinngebilde, Bedeutung f※(ダイエレシス付きU小文字)r sich 
 

 
* 以下特に断らない限り Rickert, Die Grenzen der naturwissenschaftlichen Begriffsbildung ; Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft ; Die Probleme der Geschichtsphilosophie 参照。
 
  nomothetisch 
* von Kries は科学を略々之に似て nomologisch と ontologisch とに分つ(Die Prizipien d. Wahrscheinlichkeitsrechnung, 1. 27. S. ※[#ローマ数字15、71-上-2]. 及び Logik 其の他参照)。
 
 
 
 
 
  nomothetisch  idiographisch 
 
 

 
 使
 




 便
* Frischeisen-K※(ダイエレシス付きO小文字)hler, Wissenschaft und Wirklichkeit, S. 139 ff. はこの批評のために特に章を設けている。
 

 

 

 

 Hessen, Individuelle Kausalit※(ダイエレシス付きA小文字)t

 
 

 
  Generalisation  Generalisierung  Isolierung 
* フリッシュアイゼン・ケーラーによれば所謂単純化は Isolierung ではなくして、ただ Generalisierung にのみぞくする。
 自然科学に於ける――一般に凡ての科学に於ける――法則は何のために求められるのであるか。無論普遍的な関係を求めることが法則の目的には違いないが、この普遍的な関係が更に何のために求められるのか。それは、之によって個々の現象を統一的に説明し得ようためである。法則の目的はそれ故実は一般化ではなくして一般化を通じて個々のものを理解することになければならない。単に普遍的関係を見出しただけでは――なる程それだけでも知識上の一つの収穫ではあろうけれども――、法則は法則としての本来の機能を現わすことは出来ない。例えば社会が次第に分化して行くという普遍的な関係を指摘し得ても、この関係によって個々の社会現象が今まで出来なかった仕方に於て説明され得、又之を機関として更に個々の現象の研究を進め得る、そのような実践的機能を有たない限り、その関係はただ単に法則の名を有っていると云うまでである。之を法則と呼ぶのは差閊えないであろう。そのようなものを法則と呼んで法則の名に満足することは、法則概念自身が許さない。ケプラーの法則はただ天体界の普遍的関係であるのではなくして、之によって諸々の星の軌道を計算し得るものでなければならないであろう。法則は、法則概念の性格それ自身によって、単なる普遍的関係ではなくして、与えられたる諸現象を説明し得、且つその上に、未だ与えられない諸現象へ理論を嚮導し得る資格をもたなければならない。この与えられたる又未だ与えられない諸現象――それは普遍的ではなくして個々の現象である――を法則が規制するのでなければ、法則は本来の法則ではない。法則の目的は個々の現象を統一的に記述することに存在する、普遍的関係を用いることはそれの一つの手段の外ではない。法則は普遍者に到着することが目的ではなくして個々の現象に還ること――それこそ学問的実践である――を目的とするものであることを特に吾々は注意しなければならない。この意味に於て、法則の有つ一般化は Generalisierung ではなくして Isolierung と呼ばれることに重大な意味があるであろう。リッケルトの法則概念はこの関係を意識することに於て、散漫であった。

 使

 調

 CassirerCassirerGassirer, Substanzbegriff und Funktionsbegriff, S. 292 f 

 

 Wissenschaft und Wirklichkeit, S. 151

 

 
* Frischeisen-K※(ダイエレシス付きO小文字)hler, Wissenschaft und Wirklichkeit, S. 164―175 参照。

  S. 176  Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in der GeisteswissenschaftGesammelte Schriften, Bd. 7, S. 138

 調調
* 人々はリッケルトの歴史理論と、例えばエドゥアルト・マイアーの歴史論とを比較して見よ(E. Meyer, Zur Theorie und Methodik d. Geschichte. ―― in“Kleine Schriften”)。両者の比較はすでにマックス・ヴェーバーによって与えられている(M. Weber, Zur Auseinandersetzung mit Eduard Meyer. ――“Gesammelte Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze zur Wissenschaftslehre”, S. 215 ff.)。

  Max Weber, Objektive M※(ダイエレシス付きO小文字)glichkeit und ad※(ダイエレシス付きA小文字)quate Verursachung in der historischen KausalbetrachtungGesammelte Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze zur Wissenschaftslehre, S. 266 ff

 

 
* 前者が国民を以て、後者が階級を以て、支配的な社会単位と見做しているのも好い対照である。

 Die Probleme der Geschichtsphilosophie, S. 89 ff 

 
 
 

 便

 
 
 
 
* リッケルトは形式的に自然科学と歴史科学とを区別し、内容的に自然科学と文化科学とを区別する。歴史文化との区別は対象世界との区別に相当するであろう――前を見よ。
 
 
* ディルタイは歴史的世界に就いて云っている。「世界の概念に於ては次の要求が云い表わされる、体験し得べき一切のもの直観し得べき一切のものを、之に含まれている事実的なるものの諸関係の連関によって云い表わすという要求がそれである」と(Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in der Geisteswissenschaften, Gesammelte Schriften, Bd. 7, S. 129)。
 Abgrenzung 

 
 
 

 

 






 
 
 

 使
 
 

 
 
 
 姿

 調P. Natorp, Die logischen Grundlagen der exakten Wissenschaften 

 
 
* von Kries, Die Prinzipien der Wahrscheinlichkeitsrechnung, S. 192 ff 参照。
** この区別を吾々はプランクから学ぶ。自然科学に於ける統計的法則はボルツマンによって促された(Planck, Physikalische Rundblicke)。
*** これはすでに、単に所謂法則を有つことだけでは科学の精密性はまだ与えられるものではない、ことを示しているであろう。
 
 
  eigentlich 

 

  eigentlich eigentliche Mechanik
 
 
 
 

 Cassirer, Zur Einsteinschen Relativit※(ダイエレシス付きA小文字)tstheorie Weyl, Raum-Zeit-Materie  Reichenbach, Philosophie der Raum-Zeit-Lehre 

 

 

 Synchronismussynchron線分ABの数式gleichzeitig
* Einstein, ※(ダイエレシス付きU)ber die spezielle und die allgemeine Relativit※(ダイエレシス付きA小文字)tstheorie ; 及び zur Elektrodynamik bewegter K※(ダイエレシス付きO小文字)rper 参照。

 E. Cohn, Physikalisches ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Raum und Zeit 


 
* H. Minkowski, Raum und Zeit を見よ。
 

 ※(ダイエレシス付きA小文字)quivalent沿
 

 Eddington, Report on the Relativity Theory of Gravitation Einstein, Grundlage der allgemeinen Relativit※(ダイエレシス付きA小文字)tstheorie 

 
 
* Eddington, Space, Time and Gravitation, p. 19 参照。
 併し[#「併し」は底本では「供し」]そればかりではない。物質の存在や重力ばかりではなく、電磁気も亦世界の性質から導き出される。ヴァイルによれば、世界――それは一つの幾何学的図形として表現される――の各点は、必ずしも同じ計量の尺度を有つとは考えられない。即ち世界線――ヴェクトル――の計量されたる長さはその移動の道の如何に拘らず不変であるとは限らない。一般に、世界各点は夫々固有の計量の尺度を有ち、世界は計量上の連続をなしている。世界の計量関係は、その時、ガウスの与えた曲率関係だけによるのであってはまだ不定であり、終局的には決定されないであろう。之を終局的に決定すべきである処の他の一つの計量関係、それに於て、恰も電磁気のポテンシャルに相当する諸因子が見出される、というのである。かくして世界は電磁気の場に同値なる計量関係を有つということが主張される。故に今や、世界はそれ自身の内に、一切の――ニュートンの力学によって与えられたものに限らず――力学的内容を含むことが出来たわけである。

 Weyl, Gravitation und Elektrizit※(ダイエレシス付きA小文字)t

 

 

 
 
 

 
 
 

 



 
 

  streng 

 

 divinatorisch

 Dilthey, Entw※(ダイエレシス付きU小文字)rfe zur Kritik der historischen VernunftGesammelte Schriften, Bd. 7S. 226 

 
 彿
* 数学的な真理を真理一般の典型とする考え方は非常に多い。エウクレイデス〔ユークリッド〕はスピノザの手本となり(Ethica)、ニュートンがカントの叙述の模範となる場合が茲から生じて来る(Metaphysische Anfangsgr※(ダイエレシス付きU小文字)nde der Naturwissenschaft)。近くは形相的なるものが現象学を支配する。

 

 
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
 

 

 使便使

 
  Provincialism 

 

 
 姿
 

 
 
 
 E. Meyer,  S. 4750 M. Weber, Objektive M※(ダイエレシス付きO小文字)glichkeit und ad※(ダイエレシス付きA小文字)quate Verursachung in der historischen Kausalbetrachtung  von Kries  M. R※(ダイエレシス付きU小文字)melin 
** 従って歴史的記述は変化し得る――歴史的に――性質を有つ(次を見よ)。
 歴史的事実の選択の原理は価値であったが、価値の評価は経験と共に変化しなければならない。哲学――或いは寧ろ一種の形而上学――にとってでない限り、価値は常に現実的に評価された価値をしか意味しない、そして価値の評価は個人と共に或いは又その他のものと共に、そして終局に於ては時代と共に、変化するのが事実であるから。歴史的事実の選択はそれ故終局に於て時代と共に変化しなければならない。処が事実の選択は同時に事実の因果づけを制約しなければならない筈である。実際、因果づけは価値関係づけの如何によって夫々異るであろう。そうすれば歴史的事実の因果づけも亦時代と共に変化しなければならない。かくて初めて歴史記述は時代と共に変化すると云う言葉が許される。何となれば事実の選択は云わば歴史記述の準備であるのであって、因果づけこそ歴史記述の目的に他ならないからである。歴史はこの意味に於て――増補や訂正を外にして――常に書き替えられるべき運命を有っている。歴史のこの性質は併しながら、歴史が常に現代に関係づけられてのみ理解されるべきであるということを云い表わしているに外ならない。そして又之は如何に歴史が社会から離れることを許されないかをも物語る――前を参照。蓋し社会から離れて理解された歴史概念に於て、現代とは、容積なき一つの時間点に外ならないであろうから。さて常に書き替えられるという歴史のこの運命を、もし自然科学までもが分つならば、それは自然科学の学問性を破壊することを除いて何物をも意味しない。というのはもし或る自然科学の業績が書き替えられねばならぬものとして見出されたならば、その業績は自然科学の真理としては――歴史的財としては別である――否定されたことを意味するのであるから。処が之に反して歴史学が向に述べた意味に於て書き替えられねばならぬ時、書き替えられるべきものは歴史学としての真理を否定されるのではなくして、単に過去の歴史記述として待遇されるというに過ぎないのである。茲に自然科学と歴史科学との根本的な相違が、学問性に於て見出されるであろう**。そして之は論証的学問性と透察的学問性との区別の他ではない。
 

 M. Weber, Gesammelte Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze zur Wissenschaftslehre, S. 262

 
 


      





 
 
 







底本:「戸坂潤全集 第一巻」勁草書房
   1966(昭和41)年5月25日第1刷発行
   1967(昭和42)年5月15日第3刷発行
底本の親本:「科学方法論」岩波書店
   1929(昭和4)年6月25日
初出:「科学方法論」岩波書店
   1929(昭和4)年6月25日
入力:矢野正人
校正:Juki
2011年6月11日作成
2013年10月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213



JIS X 0213-


鋭アクセント付きυ、U+1F7B    19-下-2
下側の右ダブル引用符、U+201E    33-上-10
ローマ数字22    56-下-22
ローマ数字15    71-上-2


●図書カード