イデオロギー概論

戸坂潤







 
 
 
 
 
東京
戸坂潤








 






 使
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 
 Psyche
 
 
 調
 
 

 
  Bewusstsein 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 



 
* 唯物史観の輪郭に就いては拙稿「唯物史観とマルクス主義社会学」(岩波講座・『教育科学』〔本全集第三巻所収「社会科学論」〕)で取り扱った。
 
 
 

 id※(アキュートアクセント付きE小文字)ologie
 
 Die Deutsche Ideologie
 
 
 
 
 
 
 

 
* 実際殆んど凡ての場合イデオロギーとは政治的な概念である。それは革命の意識と関係づけられて理解される場合が多い。
 
 
 

 
 
 
* 私はこのただ一つの一般的な命題を証明するために『イデオロギーの論理学』(鉄塔書院)〔本巻所収〕を書いた。

 

 
 
 
 

 




 






 便使
 
 姿
 
 便使

 
 P. Lapie, Logique de la volont※(アキュートアクセント付きE小文字)  Th. Lipps, F※(ダイエレシス付きU小文字)hlen, Wollen und Denken  Les Opinions et les Croyances

 
 
 
 

 ()
 使
 
 
* 範疇のこの――なおまだ一般的である処の――規定を指摘したのはデュルケムである。だが之だけでも範疇が少くとも社会の異るに従って別であることが出来るということを明らかにするには充分だろう。レヴィ・ブリュールも亦原始的社会――そういう社会条件――に於ける諸根本観念――諸範疇――が如何に吾々の世界のものと異るかを実証する。
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 

 
 Notizie Scritte
* 併しブルジョア・ジャーナリズムが今日の隆盛を来すに至ったのはフランス革命を契機にしてであったと云われる。
 NachrichtenwesenNachrichtenwesenNachrichtenwessen
 
 
 
 

 
 Journalism Acta DiurnaDiurna  Journal Jour Journal  Journal intime
* 新聞紙に就いては拙稿「新聞現象の分析」(『法政大学哲学年誌一九三二』〔本全集第三巻所収〕)を見よ。
 

 Public
  Common sense, Gemeinsinn  De Anima human nature Sensus Communis aestheticus
 
 actuality
 
 
 TopikTopos
* フランシス・ベーコンの『市場の偶像』を参考せよ。
 
 



 
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
* 拙著『イデオロギーの論理学』の内の「科学の大衆性」〔本巻所収〕の項を参照。人々はジャーナリズムを問題にしつつ往々大衆の概念に触れるが、ジャーナリズムの概念が理論的に分析して用いられていないと同じく、大衆という言葉も全く個人的な思い付きから意味を与えられているに過ぎない場合が多い。



 
 Position
 
 ()
 
 
 

 
* アカデミズムとジャーナリズムとの一般的な分析は拙稿「アカデミーとジャーナリズム」(『思想』一〇一号)及び「批評の問題」(同誌一二三号)を見よ〔いずれも本全集第三巻所収〕。
 

 
 
 
 
 

 




 






 
 
 
 
 
* この点に就いては拙著『科学方法論』(岩波書店刊行)〔前出〕参照。
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 調
 
 
 
 
 
 

 
 
 姿
 
* 以上の細かい点に就いては拙稿「イデオロギーとしての哲学」(『イデオロギー論』――理想社版の内)〔本全集第三巻所収〕を見よ。

 
 
 
 
 稿



 7512
 
 
 Element
 
 
 
 

 


 
 
 
 WirkungsquantumΔpΔqΔpΔqh
 
 
 
* M. Planck, Der Kausalbegriff in der Physik, 1932, S. 11, 26.
 
 
 
 
 
* 以上の点に就いての多少細かい説明を拙稿「自然科学とイデオロギー」(『知識社会学』――同文館)〔本全集第三巻所収〕で与えた。

 
 
 調
 調調調
 EntelechieEigengesetzlichkeit
 
 

 
 
 
 
* 以上の点に就いては拙稿「生物学論」(岩波講座『生物学』〔本全集第三巻所収〕に多少詳しい。

 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 宿

 
 
 
 
 
 
 
 
* 以上の点に就いては拙稿「唯物史観とマルクス主義社会学」(岩波講座『教育科学』〔前出〕)参照。

 
 
 
 
沿

 
 








 






 
 
 
 
 
 
* 知識社会学が何ものであり、又何故造り出されたかは、第五章を見よ。
  Geist 
* 愛国哲学者フィヒテの如きは、ドイツ語がラテン語から最も注意深く純粋に保たれているのを理由として、ドイツ民族が最も純粋なゲルマン人であることを証明する(Reden an die deutsche Nation ※(ローマ数字4、1-13-24))――封鎖的商業国家のこの著者は、ドイツ・ファシズム(国家社会主義 Nationalsozialismus)の理論的先駆者の一人に数えられる。ヒトラーは、その党の綱領で、ドイツ精神とドイツ民族(特にユダヤ人排撃)とドイツ文化とへの努力を約束する。そのためには「社会主義」などはどうなっても好い。
 KulturGeistSittlich

 
  Sittlichkeit 
* もう少し後の時代になっても、社会学は独立の学として容易には認められなかった。H・トライチュケの著書 Die Gesellschaftswissenschaft はこの点に関する有名な資料である。
 
 
* 社会学は凡て、コントでもそうであったが、Oppositionswissenschaft として始まった。――だが「社会学」は如何なるものとして終るだろうか。
 



 
* 彼の文化社会学の最も簡単な叙述は Handw※(ダイエレシス付きO小文字)rterbuch der Soziologie (A. Vierkandt) S. 284, “Kultursoziologie” の内にある。
 
* Alf. Weber, Ideen zur Staats- und Kultursoziologie (1912―1927) S. 45 ――之は Der soziologische Kulturbegriff, 1912 という論文を含む。
** Alf. Weber, Prinzipielles zur Kultursoziologie, S. 9―11.
  Konstellation
* Ideen, S. 4―8.
 
* Ideen, S. 6―12.
 
* Ideen, S. 48.
 
* Ideen, S. 33.

 
 
* 以上は Prinzipielles, S. 11, 12, 21, 23, 29, 42, ……及び Ideen, S. 3 ……を見よ。
 
  Entdecken 
* 以上は Prinzipielles, S. 22, 25, 28, 29, ……及び Ideen, S. 34, 40, 42, 46, 54, ……を見よ。
 使
* 以上は Ideen, S. 40―42 を見よ。
** Ideen, S. 41―42.
*** 以上は Ideen, S 40―42, 44, 48[#「S 40―42, 44, 48」はママ] を見よ。

 
* 以上 Ideen, S. 40, 45, 47 を見よ。
 
 H. Freyer, Soziologie als Wirklichkeitswissenschaft, S. 21 ff.
  Konstellation 
* Prinzipielles, S. 29, Ideen, S. 10―12, 15, 27―28 を見よ。
 
* Prinzipielles, S. 43; Ideen, S. 51 参照。
** Ideen, S. 14 参照。

 
 Ideen, S. 49 
** Ideen, S. 20―25 を見よ。
 
* だからヴェーバーは当然、自然主義的・唯物論的・歴史観を呪わざるを得ない。彼はE・トレルチの、精神と自然との――公平な――二元論にさえ反対する。唯物史観に於ける社会の上部構造などという範疇は――この言葉はM・シェーラーさえが使っているが(後を見よ)――文化社会学の傍あたりへさえ寄ってはならない(Ideen, S. 27―8)。



 
 
 
 使

 
 RealsoziologieKultursoziologie
* M. Scheler, Probleme einer Soziologie des Wissens (in “Versuche zu einer Soziologie des Wissens”)(之は Wissensformen und die Gesellschaft に含まれている)S. 36 ――なおシェーラーの知識社会学はこの文化社会学の一部分である。
 使Fundamentfundiert
* Probleme, S. 12.
 
 SinngehaltKulturinhalt
* Probleme, S. 8―9.
** Probleme, S. 9―10.
*** Probleme, S. 9, 11, 37 ――なお、精神又は自由を、因果的自然必然性に対して、消極的な役割―― Lenkung, Leitung, Suspension 等――を果すものとして制限し、従って又その限り肯定しようとする彼の企ては、全くH・ドリーシュの生気説――ドリーシュの言葉によれば又目的論――の思想の複写である(第三章参照)。
 
* 以上は Probleme, S. 9, 31 を見よ。

 
 使
 Probleme, S. 39 ff. Wissenschaft und soziale Struktur 
 
 
* フロイト主義文化理論に就いては第六章を見よ。
 使



 
 
 
* E. Lederer, Aufgabe einer Kultursoziologie (in Erinnerungsgabe f※(ダイエレシス付きU小文字)r M. Weber, ※(ローマ数字2、1-13-22)) S. 152, 153, 158, 160―161, 163―165を見よ。

 
 Soziologie als Wirklichkeitswissenschaft, S. 107109.
 Aufgabe einer Kultursoziologie, S. 149 M. Adler, Wissenschaft u. soziale Struktur  S. 187, 189, 192, 210 

 
宿




 







 
* コントに好意を持たない人々のためにコントの先輩サン・シモンを置きかえても好い。
** コント的プロレタリアは併し、自己の実証哲学の宣伝によって人間をキリスト者・人類にまで変革する。産業的な資本家は資本と実証哲学とを持つことによって勤勉なプロレタリアとなり又であることが出来るわけである――次を見よ。之こそがコントの言葉を借りれば「偉大なる革命」なのである(A. Comte, Discours sur l'esprit postif[#「postif」はママ]. ※[#ローマ数字20、172-上-21]其他)。
*** 知識社会学が社会学一般の成立の動機をなしたのは、単にコントの場合ばかりには限られない。ドイツではフィヒテやシュライエルマッハーに於てそうであったと云われる(K. Dunkmann, Soziologische Begr※(ダイエレシス付きU小文字)ndung d. Wissenschaft. ――Archiv f. systematische Philosophie und Soziologie, Bd. 30 参照)。
 
 
 

 
* 三種類の知識を次のようにも呼ぶことが出来る、――「救済の知識」(例えば釈尊の宗教)、「教養の知識」(例えば孔子やソクラテスの形而上学)、「労作(労働)の知識」(例えば科学者の科学)。
** M. Scheler, ※(ダイエレシス付きU)ber die positivistische Geschichtsphilosophie des Wissens. (Moralia S.[#「Moralia S.」はママ] 31―33)
 
* M. Scheler, Probleme einer Soziologie des Wissens. (Versuch zu einer Soziologie des Wissens, S. 55.) ――この論文は一つの重大な増補と共に、後に、Die Wissensformen und die Gesellschaft に載っている。
** ※(ダイエレシス付きU)ber d. positiv. G―Phil. d. W., S. 35.
*** Probleme einer S. d. W., S. 24 ff.
 
 
  homo sapiens  homo religiosus 
 (Scheler, Formen des Wissens und die Bildung, S. 38 f.)
  Setzende Weltanschauung Weltanschauungslehre, Soziologie und Weltanschauungssetzung 
 
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
 

 
  transitive
* 哲学の著しい政治的性格・党派性は、この螺旋の切線のヴェクトルを考えて見ることによって、画に書くことが出来る。例えば螺旋内の観念論という一点に於ける切線のヴェクトルは、唯物論という一点に於ける切線のヴェクトルと方向が正反対であるが、前者のヴェクトルをそのまま後者のヴェクトルの上にまで平行移動させれば、前者は茲に反動的な役割を持って来る。――この平行移動を時代錯誤という。
** この点に就いては曾て分析を試みた(拙著『イデオロギーの論理学』一五三頁〔本巻七二ページ〕以下)。

 
 
 

 espritGeist
* K. A. Wittfogel, Geopolitik, geographischer Materialismus und Marxismus. (Unter dem Banner des Marxismus. ※(ローマ数字3、1-13-23)) を参照せよ。
 
 
 

 
 Scheler, ※(ダイエレシス付きU)ber die positivistische Geschichtsphilosophie des Wissens.
 退退
 
* 「ただ精神的労作の名声と通用だけがみずからの社会学を持つ、或る労作の意味内容と価値内容は社会学を持つことが出来ない。」(M. Scheler, Weltanschauungslehre, Soziologie und Weltanschauungssetzung.)
** 彼によれば、階級的科学という問題は、論理の問題ではなくして、単に「社会学的な偶像論」にぞくすべきものでしかない(Die Wissensformen und die Gesellschaft)。――併しフランシス・ベーコン自身はその論理学(Novum Organum)の劈頭に、かの有名な「偶像論」を掲げたのであった。
 シェーラーはそして、真の哲学と科学とを妨害する運動の一つに就いて云っている、「プロレタリアのマルクス主義的階級イデオロギーが、誤って、ブルジョア科学に対するプロレタリア科学というような何か特殊な科学ででもあるかのようなものにまで引き上げられている、まるで科学が(イデオロギーから区別されたる科学が)或る階級の有つ機能ででもあり得るかのように」と(M. Scheler, Formen des Wissens und Bildung, S. 10)。――イデオロギーは論理と無関係である、だからプロレタリア科学などは存在し得ない、と云うのである。
 

 
 



 
 
 V. Pareto, Trattato di sociologia generale  H. O. Ziegler H. O. Ziegler, Ideologienlehre, Archiv f. Sozialw. u. Sozialp., Bd. 59. 1927 G. H. Bousquet, Pr※(アキュートアクセント付きE小文字)cis de sociologie d'apr※(アキュートアクセント付きE小文字)s V. Pareto 
 
 
 Michels 
 



 
* 吾々が容易に連想するものは、リボーの『感情の論理』である。之は恐らく一般に、フランスの Moralistes 達の問題の一つであったと思われる。
  De Rhetorica  Enthymema 
 
 
 辿
 
* 知識はコントに於ては歴史的存在の代表者である。それ故知識の歴史的三段階は直ちに歴史的存在全体の夫である。この観念主義的なる歴史観が、哲学――思想・観念――を歴史の政治的変革の原理と考えるのは当然である――前を見よ(この哲人政治的思想がやがて人道教の提唱となったということに何の不思議もない)。従って彼のイデオロギー論は決して歴史哲学(社会学)の一部分であるのではなく、正にそれの基礎をなす処のものでなければならない。彼の知識社会学はこのような種類の一種のイデオロギー論であった。
 コントの知識社会学に於ける歴史的原理の二つの契機、イデオロギー論(階級観)と段階説とは併し、新しい実証主義的知識社会学者達によって問題の範囲外に追放された。まずそこにはデュルケムがある
* 知識社会学に関するデュルケムの優れた思想は、原始民族社会に於ける宗教の土俗学的な材料の整理から惹き出される(E. Durkheim, Les formes ※(アキュートアクセント付きE小文字)l※(アキュートアクセント付きE小文字)mentaires de la vie religieuse を見よ)。この点での実証的精神はコントの歴史哲学自身にはなかった。

 
* 「社会現象を、夫がぞくしている時代的な系列から引き離すことが必要である」(Durkheim, Les r※(アキュートアクセント付きE小文字)gles de la m※(アキュートアクセント付きE小文字)thode sociologique, p. 154)。「同時的共変法」は「社会学的研究の優れたる道具である」(p. 162)。
 知識の歴史的規定という知識社会学的問題――イデオロギー論が之を代表する――からの逃避は併しながら、之に代わるべき新しい知識社会学を積極的に開拓して見せることによって、至極目立たないように行なわれることが出来る。デュルケムの知識社会学はかくて、社会学的認識論という形を取らねばならない。
 カントの先験論的――論理学的――認識論は今や実証主義的――社会学的――認識論となる。範疇は先験的に演繹される代りに社会学的に実証される。元来、デュルケムによれば宗教は形而上学的な神学者や自然主義的な宗教学者達の考える処とは異って、社会的に発生した根本的な社会現象でなければならないのであるが、認識は処で恰もこのような宗教意識によって限定され、そうすることによって初めて認識の形態を取ることが出来る、ということが証明される。で論理の範疇は全く、宗教的社会生活の現実的な諸関係から導き出されたものに外ならない。人間的思惟の内部的な構造は人間の実際的な社会生活――それが原始的には宗教的なのであるが――によって組み立てられ、そこから人間的思惟の発展が始まるのである、と説かれる。空間や時間も、夫々「社会的空間」と「社会的時間」とに基くのだ、というのである。
 Les formes ※(アキュートアクセント付きE小文字)l※(アキュートアクセント付きE小文字)mentaires de la vie religieuse C. Bougl※(アキュートアクセント付きE小文字) 
 
 
 
* デュルケムのテーマを広範に展開したものとして少くとも L※(アキュートアクセント付きE小文字)vy Bruhl の名を挙げておくべきである(Les fonctions mentales dans les soci※(アキュートアクセント付きE小文字)t※(アキュートアクセント付きE小文字)s inf※(アキュートアクセント付きE小文字)rieures 及び La mentalit※(アキュートアクセント付きE小文字) primitive 其他を見よ)。

 
 
* W. Jerusalem, Die soziologische Bedingtheit des Denkens und der Denkformen, S. 184―7 (in “Versuch zu einer Soziologie des Wissens”).
** Jerusalem, Soziologie des Erkennens (in “Gedanken und Denker”) S. 149.
*** Die soziologische Bedingtheit......, S. 189.
 姿
  voir pour pr※(アキュートアクセント付きE小文字)voir 
 
** Soziologie des Erkennens, S. 150 ff. 参照。
 真理の概念を(行動によって)実証主義的に問題とすることは、デュルケム達の知識社会学がイェルザレムの夫に一歩を譲らねばならない点である。何故なら、イェルザレムは茲でカントに代わって、そして又デュルケムに代わって、論理的アプリオリを問題として提出し得たからである。先にコント知識社会学の歴史的段階の原理を再生したように見えたイェルザレムは、今度は又コントに於ける真理虚偽論理の問題を、とに角復原したかのように見える。
* 彼は自分の知識社会学の課題を「人間理性の社会学的批判」と呼んでいる。之は云うまでもなくカントの『純粋理性の批判』に比較するためである。
 

 
 
 



 
 
* イデオロギーの概念の発生と変化とに就いては森戸辰男氏「マルクス・エンゲルスのイデオロギー観」(『大原社会問題研究所雑誌』第八冊)が好い文献である。なお、G. Salomon, Historischer Materialismus und Ideologienlehre(Jahrbuch f※(ダイエレシス付きU小文字)r Soziologie, Bd. ※(ローマ数字2、1-13-22), 1926)を参照せよ。
 
 
 
* K. Mannheim, Das Problem einer Soziologie des Wissens (Archiv f. Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Bd. 63, 1925) S. 593.
** 同じく S. 589―90.
 Engagiertsein 
* Mannheim, Ideologie und Utopie にこの点は詳しい。なお彼の一般的な立場に就いては “Historismus” を見るべきである。
** Mannheim, Das Problem einer Soziologie des Wissens. S. 642―652.
 
 Ideologie und Utopie S. 67 ff.

 さて、こう云って来ると、マンハイムのイデオロギー論は、マルクス主義的イデオロギー観の、マンハイム的名辞を用いた、一つの展開であるかのように見えるかも知れない。けれども、この外貌上の・個々の・一致にも拘らず、その根本的な性格に於て、之は全く反マルクス主義的であるだろう。尤も、それには何の不思議もなかった筈だが。
 マンハイムの歴史主義に於ける歴史の概念は、それがトレルチの系統にぞくすることからも想像出来るように、無論決して唯物史観ではない。歴史的とは彼にあっては「あくまで精神的」であることであり、イデオロギーの下層建築も「精神的なものに外ならない。」そればかりでなく、下層建築と上層建築とは、即ち多少とも物質的なものと優れて精神的なものとは、「交互的」関係に置かれている。と云うのは、上層と下層との区別は、単に全く精神的なるものと多少とも物質的なるものとの区別にしか過ぎず、それは存在の構造上の被規定者と規定者との区別でもなければ、分析方法や叙述方法の上での優位者と劣位者との区別でもない。両者は凡ゆる点に於て同格・対等の位置に置かれるというのである。
* 前掲論文 S. 632.
  voir pour pr※(アキュートアクセント付きE小文字)voir 
* 以下 Ideologie und Utopie を見よ。
 relationistischAspekt
* 例えば P. Eppstein はマンハイムに従って云っている、妥当性の基準は論理範疇的な形式の内にはなくして、「形而上学的判定の明白感の内に求められねばならぬようである」と(Die Fragestellung nach der Wirklichkeit im historischen Materialismus, Archiv f. Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Bd. 60, 1928)。
 
* K. Mannheim, Ideologische und Soziologische Interpretation d. geistigen Gebilde (Jahrbuch f※(ダイエレシス付きU小文字)r Soziologie, Bd. ※(ローマ数字2、1-13-22)) ――人々によれば社会学が発達しないのは、その方法がイデオロギー的であってまだ社会学的でないからだそうである。例えば H. Ehrenberg (Ideologische und soziologische Methode. Archiv f※(ダイエレシス付きU小文字)r systematische Philosophie und Soziologie, Bd. 30, 1927)。
 
 
 
* A. Fogarasi も亦吾々と殆んど同じ仕方によってマンハイムの Ideologie und Utopie を批判した(Uuter[#「Uuter」はママ] dem Banner des Marxismus, 1930. 3)。――なお K. A. Wittfogel, Wissen und Gesellschaft (Unter dem Banner des Marxismus, 1931. 1) を見よ。
 
 
 
 さてあるべき知識社会学・イデオロギー論は、ただマルクス主義の内に於てのみ、発見され展開される必然性と可能性とがある。マルクス主義的なこの課題は恐らく「芸術社会学」などにも増して、より根本的な重大さを持つだろう。実際それは、殆んど凡ゆるマルクス主義的理論の隅々にまで織り込まれていると云っても好い。併しそれにも拘らず、それはまだ知識社会学自体としては、必ずしも目立たしい程充分に展開されてはいないように見える。だが、問題は、それであればこそ愈々益々重大である
* 之に関係を持つ著述として、吾々はさし当り、K. A. Wittfogel, Die Wissenschaft der b※(ダイエレシス付きU小文字)rgerlichen Gesellschaft とか E. Untermann, Science and Revolution とか A. Bogdanow, Die Entwicklungsformen der Gesellschaft und die Wissenschaft とかを挙げることが出来る。




 






 
 使
  Les Soci※(アキュートアクセント付きE小文字)t※(アキュートアクセント付きE小文字)s Animales b※(ダイエレシス付きU小文字)rgerliche Gesellschaft
 辿
 common-wealth
 
 

 
 
 
一、生産力の状態、
二、この状態に制約された経済関係
三、与えられた経済的「地盤」の上に生じる社会的政治的秩序
四、一部分は直接に経済によって、一部分は経済の上に生じる社会的政治的全秩序によって、規定された、社会人の心理
五、この心理の諸特徴を反映する処の様々の諸観念形態(イデオロギー)、

* G. Plechanow, Die Grundprobleme des Marxismus[#「Marxismus」は底本では「Maxismus」], S. 31 (Marxistische Bibliothek).
 



 
 Psyche
 
 
 
 Vitalit※(ダイエレシス付きA小文字)t

 Mutter-Erde
* A. Kolnai, Psychoanalyse und Soziologie (英訳 Eden and Pedar).
 
* 吾々はこの点及び他の点に就いて、I. Sapir がフロイト主義に加えた批評に同意出来る(I. Sapir, Freudismus, Soziologie, Psychologie. Unter dem Banner des Marxismus, ※(ローマ数字3、1-13-23), S. 937 f. ※(ローマ数字4、1-13-24), S. 123 f)。

 
 
 Biologismus
* W・ライヒの理解する処によればフロイト主義はマルクス主義に帰着する唯物論である(W. Reich, Dialektischer Materialismus u. Psychoanalyse〔Unter dem Banner des Marxismus[#「Marxismus」は底本では「Maxismus」] ※(ローマ数字3、1-13-23). 5〕)。
 フロイト主義はかくて、個人心理学的方法による生物学主義である。それが社会理論――即ち又歴史理論――に於ては観念論的歴史観を産まねばならない理由であった。この世界観を吾々は初め、マルクス主義に対立させて見たが、今や両者の根本的な相違とその優劣とがおのずから明らかとなっただろう(そしてこの両者の社会階級的な役割が、どう振り当てられねばならないかに就いても、もはや説明を必要とはしないだろう)。吾々は少くともフロイト主義を観念論に還元し、そして観念論を一つのイデオロギーとして一般的に批判するならば、それだけでもフロイト主義を形式的に批判するには充分だと考える
* イデオロギーとしての観念論の一般的な批判に就いては第三章を見よ。

 
* W. Jurinetz, Psychoanalyse und Marxismus (Unter dem Banner des Marxismus[#「Marxismus」は底本では「Maxismus」] ※(ローマ数字1、1-13-21). 1.)
 W. Reich 
***[#「***」は底本では「*」] I. Sapir 前掲論文。
 Sozialpsyche※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
 KlassenpsycheI. Sapir 



 
 
* この代表的なものは例えば、E. A. Ross の “Social Psychology” であろう。
** McDougall “An Introduction to Social Psychology” は結局、社会的本能に研究を集中している。
*** 「集団心理学は全然社会学に外ならない」(E. Durkheim, Sociologie et Philosophie, p. 47)。
 

 宿
 McDougall, An Introduction to Social Psychology, Introduction
 logique collectivel'※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)me des foules
* G. Le Bon, Psychologie des Foules ; Les Opinions et les Croyances 及び La R※(アキュートアクセント付きE小文字)volution fran※(セディラ付きC小文字)aise et la Psychologie des R※(アキュートアクセント付きE小文字)volutions 其他参照。――なおこの種の論理の解明はリボーやタルドの夫とは全く軌を一つにしていることを注意すべきである。
** La R※(アキュートアクセント付きE小文字)volution fran※(セディラ付きC小文字)aise ……を見よ。
 ル・ボンによる巨大な一連の社会心理学的研究の諸労作は、現代に於ける唯心史観の、恐らく最も恰好な見本であろう。なる程之まで、歴史の合理的な原因が首肯出来る程度に与えられなかった場合、このような――意識による――説明も亦、夫が一応統一的である限り、決して無益ではない。だが吾々は今、このような史観が一般にどのような欠陥を有つか、それが又どのような社会的勢力と結合しているか、又それからル・ボン自身がどのように俗流的な無責任な結論を引き出だすか、などに就いて語る必要を有たない。問題は、社会心理学という科学が、このような場合――意識から出発する場合(そうでない場合もあった筈であるが――前と後とを見よ)――如何に観念論的歴史観に到達せねばならないかを、この代表的な社会心理学者ル・ボンに於て見ることが出来る、という点に存在する
* ル・ボンの『群衆心理学』は最も重大な古典的文献であるが、それに対する批評も亦決して少なくない。それに就いては G. M※(ダイエレシス付きU小文字)nzner, Oeffentliche Meinung und Presse を見よ。

  Tiefenpsychologie 
* S. Freud, Massenpsychologie und Ichanalyse (2 Aufl.) ――以下之による。
 VerliebtheitIdentifizierung退
 

 
 group mind
 Massecrowdgroup稿crowd  group The Group Mind, p. 21 ff. Masse  G. Colm, Die Masse (Archiv f. Sozialw. u. Sozialpolitik. 1924) 
 社会心理学は群集(乃至集団)心理学に集中されると云ったが、群衆(乃至集団)心理学の問題は更に、集団心(乃至群衆心)の問題に集中される。W・マクドゥーガルは茲で代表的な位置を占めている(The Group Mind, 2 Ed. 1926**)。
* 「集団心という言葉が技術上不都合であるにしても、この言葉によって示される領域の研究は進捗しつつある。そしてそれが普通社会心理学と呼ばれる処のものの中心で最も本質的な部分であることが愈々益々認められて行くだろう。」(McDougall, The Group Mind, p. ※[#ローマ数字17、212-上-17])
 Espinas  conscience multipleL※(アキュートアクセント付きE小文字)vy-Bruhl  repr※(アキュートアクセント付きE小文字)sentation collective volont※(アキュートアクセント付きE小文字)g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)rale, T※(ダイエレシス付きO小文字)nnies  Wesenwille,  Volksgeist M. Ginsberg, The Psychology of Society, 1921 
 collective mind, collective soul
* R. M. Maciver, Community, p. 76―88.
 (McDougall, Psychology, p. 229)
*** 「で、集団心の実在性を仮定するのは、独り私ばかりではない。」(McDougall, The Group Mind, p. 19)
 調
 
 Komplex Sentiment 
 



 repr※(アキュートアクセント付きE小文字)sentation collectiveparticipation  l'※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)me collective  group mind, collective mind
* L. L※(アキュートアクセント付きE小文字)vy-Bruhl, Les Fonctions Mentales dans les Soci※(アキュートアクセント付きE小文字)t※(アキュートアクセント付きE小文字)s Inf※(アキュートアクセント付きE小文字)rieures, Introduction. ――序でに読者は注意すべきだ。この書物の名前が例えば社会の心理というようなものの研究を意味してはいずに、社会に於ける心的機能の研究であることを。
 

 comparative method
 
 

 
 
 Sinn
* G. Luk※(アキュートアクセント付きA小文字)cs, Geschichte und Klassenbewusstsein, S. 62―3, 86―8, 92 etc.
 
 MassenMassenpsychologie
 
 
* L. Rudas のルカーチに対する批判はこの点で正しかった。
 
 
 
* 拙稿「無意識的虚偽」(『イデオロギーの論理学』〔前出〕の内)を見よ。
 Normalit※(アキュートアクセント付きE小文字)
 

 
 
 調
 

      

 






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其他

以上






 
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