法然行伝

中里介山






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 ()宿()()()()()()()
 西



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()耀()()
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かたみとてはかなき親のとどめてし
  この別れさへまた如何にせむ
 西()()()()()()()
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 ()()()()()()殿

 
()()殿殿

 ()()殿()()()



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使()()
 
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 西
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退
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退()退
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 法然はこれ程の学者であり天才であったけれども、学問と才気が到底自分の心身を救うことは出来なかった。名聞利養みょうもんりようが如何ばかり向上するとても解脱げだつ出離しゅつりの道を示してはくれない。学問が深くなり、名誉が高くなるにつれて、彼の心の煩悶は増して来た。
 一切経を開いてその道を求めんと繰返し読むこと五返、釈迦の一代教迹いちだいきょうしゃくの中におのれの心の落ちつき場と、踏み行くべき足跡を見つけようとしたが、つらつら思い見れば見る程、彼も難くこれも難い。
 そのうちに恵心僧都の「往生要集おうじょうようしゅう」は専ら善導大師の釈義を以て指南としている。そこで善導の釈義を辿たどって遂に、
一心専念弥陀名号いっしんせんねんみだみょうごう 行住坐臥不問時節ぎょうじゅざがふもんじせつ 久近念念不捨者くごんねんねんふじゃしゃ 是名正定之業順彼仏願故ぜみょうしょうじょうしごうじゅんひぶつがんこ
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 ()()()()西()()()()()
 殿()()()()()()()()()()()()()
 西()()()()()
 
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()()西西
 
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 西()()()()()()
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 姿
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 殿
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我本因地  以念仏心  入無生忍
今於此界  摂念仏人  帰於浄土
    十二月十一日
源空
   
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 ()退()
 西西()()()()()()()
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 西



 ()()殿殿
 殿()()()()
 殿殿
殿

 殿()()
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()
 ※(「りっしんべん+喬」、第3水準1-84-61)退西()()()()
 ()殿()殿()殿()()
 使退殿
()()殿()()殿
 
殿
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殿宿()()
殿
 殿



 ()()()()便()()()()
 西

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 ()()()()()()()()()()使退使()()()()()()

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ただこれ涯分の自証を述ぶるばかりなり。またく上機の解行げぎょうを妨げんとにはあらず。
 という謙譲なる註釈を以てその席は終った。座主をはじめ満座の衆皆心服して、


 
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 殿
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 ()()()()()()()()西()()()()()()()()()()()
 殿
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 ()()殿()()()()()()姿殿姿
 

西
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 殿
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 ()()寿()()()()()()()
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 ()()殿()()()()
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便()()
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 ()()()()()()()寿()()()()()()()()()()()()()()()()
 
(問)念仏には毎日数を決めないで読んでもよろしゅうございますか。
(答)数を決めないというと怠り勝ちになり易いから数を決めて称えるのがよろしい。
(問)一日に幾度位唱えたらよいでしょうか。
(答)念仏の数は一万遍をはじめて二万三万五万六万乃至十万迄申します。そのうちをお心任せの程おやりなさい。
(問)歌を詠むということは罪でございますか。
(答)あながちに何とも云えない。罪ともなれば功徳ともなる。
(問)酒を飲むのは罪でございますか。
(答)本当は飲まないがよいけれども、この世のならい。
(問)魚鳥を食い、いかけ(身を清むること)して経を読んでもようございますか。
(答)いかけして読むのが本体である。しないで読むのは功徳と罪と両方になる、但しいかけしないでも、読まないよりは読む方がよろしい。
(問)六斎ににらひるを食べるのはどうですか。
(答)食べない方がようございます。
(問)破戒の僧、愚癡の僧を供養するのも功徳でございますか。





 
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 西
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 ()()使
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 使
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 ()()()()()※(「けものへん+臈のつくり」、第3水準1-87-81)()()()()()()()()()()西()()()()()()()()()()
 
西()()()()使
 殿
 鹿鹿鹿
 
()()鹿
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 西使
西西西
 
老らくのゆくすゑかねておもふには
  つくづくうれし西の木の杖
 ()西()()()()()()()西



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 殿殿()
()()殿殿
 

 
()
 

 使
 ()()()()()()西()()西西
浄土にもがうのものとやさたすらん
  にしにむかひてうしろみせねば
 ()()()()
 

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()()()殿()()()()()
 

 

 

 

 使()西()漿()()()



 西()()()()()()()西()()()()()()()()()()()()()()西()()()
 西西
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 使
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 使()()
 寿()殿()()()()()姿()()()()()()()()

 
 
   春
さへられぬ光もあるをおしなべて
  へだてがほなるあさがすみかな
   夏
われはただほとけにいつかあをひぐさ
  こころのつまにかけぬ日ぞなき
   秋
阿弥陀仏にそむる心の色にいでば
  秋の梢のたぐひならまし
   冬
雪のうちに仏の御名を唱れば
  つもれるつみぞやがてきえぬる
   逢仏法身命と云へる事を
かりそめの色のゆかりの恋にだに
 あふには身をもをしみやはする
  勝尾寺にて
柴の戸にあけくれかかる白雲を
  いつむらさきの色にみなさむ
極楽往生の行業には余の行をさしおきてただ本願の念仏をつとむべしと云ふことを


  

  
西
  
   

  
   

  
   

  
   

  寿

  

  

  

  
        




 
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 退()()()
 
 元久元年甲子十一月七日    沙門源空 在判
信空  感聖  尊西  証空  源智  行西
聖蓮  見仏  道亘  導西  寂西  宗慶
西縁  親蓮  幸西  住蓮  西意  仏心
源蓮  源雲  欣西  生阿  安照  加進
導空  昌西  道也  遵西  義蓮  安蓮
導源  証阿  念西  行首  尊浄  帰西
行空  道感  西観  尊成  禅忍  学西
玄耀  澄西  大阿  西住  実光  覚妙
西入  円智  導衆  尊仏  蓮恵  源海
安西  教芳  詣西  祥円  弁西  空仁
示蓮  念生  尊蓮  尊忍  業西  仰善
忍西  住阿  鏡西  仙空  惟西  好西
祥寂  戒心  顕願  仏真  西尊  良信
綽空  善蓮  蓮生  阿日  静西  度阿
成願  覚信  自阿  願西
 
 殿()



 



 
 鹿()()
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()()()()()※(「さんずい+冗」、第4水準2-78-26)()()()()()()()()()()()()()()()
 の文を読み上げたので、逆鱗愈々さかんにして、ついに官人秀能に仰せて六条川原で安楽を死刑に行われてしまった。
 安楽を死刑に処せられた後も逆鱗なお止まず、それにこれを機会として多年法然の念仏興行に多大の嫉妬と反感を持っていた勢力が喰い入ったものか、遂にその咎が師の法然にまで及んで来た。
 法然は「藤井元彦ふじいのもとひこ」という俗名を附けられて土佐の国へ流されることになった。その宣下状に云う。
太政官符  土佐国司
流人藤井元彦
使左衛門府生さえもんのふしょう清原武次   従二人
門部かどべ二人         従各一人

   建永二年二月二十八日
符到奉行
右大史中原朝臣
左少弁藤原朝臣
 ()()()()()使()使()()()()
()()
 西
()()()
 西

 西

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 殿()()殿殿



 
 ()()()()()輿()
 輿輿
 ()()()
 ()()()殿()()
ふりすててゆくはわかれのはしなれど
  ふみわたすべきことをしぞおもふ
 法然の返辞、
露の身はここかしこにてきえぬとも
  こころはおなじ花のうてなぞ
 
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 ()()()()

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 ()

 




 ()()()()駿()()()()()()()()西西()宿()()()()
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 殿()()
殿
 
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「七月十四日の御消息。八月二十一日に見候ぬ。はるかのさかいに。かように仰せられて候。御こころざし。申つくすべからず候。……」
 と書いて今生の思い知るべきことと、往生の頼むべきことを痛切に書いている。
 直聖房という僧は矢張り法然のお弟子となって念仏の行をしていたが、熊野山へまいっている間に法然が流されるという話を聞いて急いでその跡を追おうとしたが俄に重病にかかってうごけなくなった。権現に祈ると、「死期はもう近づいている。お前は安らかに往生するがよい。法然上人は勢至菩薩の生れかわりだからお前はそう心配することはない」というおつげがあったから安心して往生を遂げたということである。
 法然はこの国にあって化道けどうの傍ら国中の霊地を巡礼して歩いたが、そのうち善通寺にも詣でた。この寺は弘法大師が父の為に建てられた寺であるが、その寺の記文の中に、「ひとたびももうでなん人は。かならず一仏浄土のともたるべし」とあるのを見て、この度の思い出はこのことであるといって喜んだ。

三十六


 藤中納言光親卿は、月輪殿の最後の頼みによって様々に、法然上人恩免の運動をして見たけれども、叡慮お許しがなかった。しかし上皇が或る夢を御覧になったことがあり、中山相国(頼実)もさまざまに歎いて門弟のあやまちをもって咎を師範に及ぼすことの計り難いことをおいさめ申すことなどもあって、遂に最勝四天王院供養の折大赦が行われた時、御沙汰があって、承元元年十二月八日勅免の宣旨が下った。その条に、
    
 
()
   承元元年十二月八日
符到奉行
左大史小槻宿禰
権右中弁藤原朝臣
 ()
 ()
 西()()
 ()()※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)()()()()()()使
 
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 綿



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 ()

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 退()西
()()()()()()()()()()()()()()()()
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 西()()宿()()()



 ()()簿西()()()()()殿
 ()()()宿
 西()()



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使使
()()()()()()()()
 
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 使
 ()※(「火+禾」、第4水準2-82-81)()()()退
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 ()※(「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56)※(「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56)
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 ()歿()
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 ()()()()耀()()



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()()使退
 殿
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 西()西()()輿()
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 西()()
 ()西()()



 西
 西

 

 西
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 西殿()()便()()()()()()()()
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 殿()()()()
殿()()
 
 ()()()()()西()()西()()()
 ()()()()()()輿()()()()()()()()()()()
 

 



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殿殿
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 使
 
 
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 ()西()

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 西()
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西西
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 西()()
 
 
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 西()()()()()()()
 



 法性寺の空阿弥陀仏はどこの人であったかわからないが、延暦寺に住んでいた坊さんであったが、叡山を辞して都に出て法然に会って一向専修の行者となって経も読まず礼讃も行わず、称名の外には他の勤めなく在所も定めず、別に寝所というてもなく、沐浴便利の外には衣裳をかず、それでも徳があらわれて人に尊まれた。ふだん四十八人の声のよいものを揃えて七日の念仏を勤行し、諸々もろもろの道場至らざる処なく、極楽の七重宝樹しちじゅうほうじゅの風の響、八功徳池の波の音をおもって風鈴を愛し、それを包み持ってどこへでも行く度毎にそれをかけた、又常に、
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 
 西()
 
()()
 
 西
 西()
 ()()()

 宿西西()()()





底本:「中里介山全集第十五巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年8月30日発行
入力:山崎史樹
校正:小林繁雄
2010年3月11日作成
2011年12月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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