尚書稽疑

内藤湖南




 ※(「族/鳥」、第4水準2-94-39)※(「王+據のつくり」、第3水準1-88-32)
 ※(二の字点、1-2-22)
 ※(二の字点、1-2-22)辿辿退辿便※(「音+欠」、第3水準1-86-32)
 ※(「壽/れっか」、第3水準1-87-65)※(「族/鳥」、第4水準2-94-39)※(「王+據のつくり」、第3水準1-88-32)便

 祿
謹案、孔子序周書四十篇、東周之書、惟文侯之命秦誓二篇而已、合而讀之、一爲孱弱之音、一爲發憤之氣、興亡之象昭昭也、春秋書晉人及姜戎敗秦於※(「肴+殳」、第4水準2-78-4)、公羊子曰、謂之秦、夷狄之也、詐戰書日盡也、穀梁子亦曰、徒亂人子女之教、無男女之別、秦之爲狄、自※(「肴+殳」、第4水準2-78-4)之戰始也、秦穆不用蹇叔百里子之謀、千里襲鄭、喪師遂盡、晉襄背殯用師、亦貶而稱人、序書何取焉、取其悔過之意、深美※(「門<(宏−宀)」、第3水準1-93-46)約、貽厥孫謀、將以覇繼王也、詩書皆由正而之變、詩四始言文武之盛、而終于商頌、志先王之亡以爲戒、書三科述二帝三王之業、而終於秦誓、志秦以狄道代周、以覇統繼帝王、變之極也、春秋撥亂反正、始元終麟、由極變而之正也、其爲致太平之正經、垂萬世之法戒、一也、
と言ひ、又宋翔鳳の尚書譜には
謹案、孔子序周書、自大誓訖※[#「(「臣」を180°回転させたもの+臣)/一/介」、15-1]命、皆書之正經、以世次、以年紀、其末序蔡仲之命費誓呂刑文侯之命秦誓五篇者、幼嘗受其義於葆※(「王+深のつくり」、第3水準1-88-4)先生、※(「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1-94-76)※(「にんべん+占」、第4水準2-1-36)畢、未能詳紀、犇走燕豫、留滯梁荊、函丈斯隔、七年於茲、茲譜尚書、細繹所聞而識之曰、尚書者述五帝三王五伯之事、蠻夷猾夏、王降爲覇、君子病之、時之所極、有無如何者也、蔡之建國、東臨淮徐、南近江漢、伯禽封魯、淮夷蠻貊、及彼南夷、莫不率從、不意蔡侯一虜、熊貲始大、楚之覇業、先於五邦、呂命穆王、實作自呂、征彼九伯、浸及齊桓、晉秦之興、復在其後、覇者之業、相循而作、帝王之統、由此一變、史伯之對鄭桓言秦晉齊楚代興、史※(「にんべん+擔のつくり」、第3水準1-14-44)之見秦獻言別五百載復合、運會所乘、惟聖賢能見其微、孔子序五篇於書之終、中候之文究於覇免、所以戒後王制蠻夷式羣侯、不可以不愼、
と言つてゐる。此二人は近世公羊學の大家であるが、恐らく二人とも其受くる所が同じかつたに相違ない。此議論に於て最疑問とすべきは儒家が覇道をも併せて述べたと言ふ解釋の仕方である。孟子に據れば、仲尼の徒桓文の事を道ふものなし(公孫丑上)と言ひ、荀子にも仲尼の門五尺の豎子も五伯を稱するを羞づ(仲尼篇)と言つてゐる。果して然らば尚書に蔡仲之命以後の各篇を收めてゐることは明かに儒家の主張としては矛盾を來すわけである。そこで魏源の如きは書古微を作る時周書に關する微義は甫刑を以て終りとし、今文家の篇目から云へば其以後の文侯之命、秦誓をも除き、其以前の費誓をも除いて、而して其除いた諸篇の代りに逸周書の中から蔡公解、※(「くさかんむり/内」、第3水準1-90-67)良夫解などを拔き出して之を甫刑の後に補つて、而して
※(「くさかんむり/内」、第3水準1-90-67)良夫之詩、夫子既取入大雅矣、此篇斷無不見之理、且其忠告憂勤、※(「亠/(「覺」の「爻」に代えて「同」、「見」に代えて「且」)、第4水準2-1-20)々乎成康周召之遺、與無逸君※(「爽」の二つの「爻」に変えて「百」、第3水準1-15-74)相表裏、視蔡仲之命文侯之命、不可同年而語、不此之取而取彼何哉、即秦誓亦一時悔※(「肴+殳」、第4水準2-78-4)之敗、而三次報復、濟河焚舟、顯存王覇之分、且時代亦遠在西周之後、何爲殿彼不殿此耶、此皆不可解者、姑附諸穆王之後、以雪僞古文之憾(書古微十二)
と言つてゐる。兎も角公羊學派の人々は尚書の末尾に費誓以下、甫刑、文侯之命、秦誓の諸篇のあることを重大なる疑問と考へたことは疑ない。尤公羊學派は僞古文を斥けず、それ故宋翔鳳は此外に蔡仲之命をも數へてゐるのである。さて斯かる疑問の生ずるのは何人が考へても自然である。是は公羊學派の説く如く詩書は皆正より變に入つてゆくものであつて、詩に於て最後に魯頌、商頌のあることは一の疑問であると同樣に、尚書に於ても以上の諸篇のあることは異例とすべきものである。是に就いては五帝三王の外に五覇をも認める意味でしたものだとする公羊家の解釋も一應は首肯されるが、然しそれでは落ち付きの惡い理由は、前に述べたる如き孟荀等正統の儒家の思想と一致しないといふことである。
 予は之に對して同じ疑問より出發して、異つた結論に到達することになつたのである。即ち孔子以後儒家の人々が主として戰國の諸國に用ゐられ、各其國の用を爲してゐる間に自然に曲學阿世の風を生じたものと看るのである。公羊學の成立は漢代に於ける曲學阿世の最明白なる證據と謂ふべきもので、單に公孫弘が武帝個人の意を迎へたのが曲學阿世であるのみならず、董仲舒が漢代に適合すべく春秋の學を解釋して、それに由つて百家を斥け學問の一統を圖つたのも半ば曲學の方針から出たことは疑ない。漢代に於て此の如く曲學阿世の風が行はれ、董仲舒の如き人物でさへも此の如き方針を取るに至つたのを見ては、其以前の儒家が一人も曲學を爲さなかつたとは信ぜられない。孔子の時代に於てさへ冉有や子路は各其の仕へた家の爲めに其操守を曲げたと言はれてゐる。かゝる點より考ふれば、例へば魏の文侯、武侯の時に子夏の門流が西河に於て大きくなつたとか、齊の宣王※(「さんずい+緡のつくり」、第4水準2-78-93)王の時に學者が多く稷下に集つたとか、或は其以後呂不韋の爲めに學者が秦に招かれ、それが秦の博士として殘つてゐたとか、――伏生や叔孫通も其中の一人である――兎も角孔子以後に儒家の學者が大きな集團を作つた國々では、其等の學者が各其の仕へた國の爲めに其の學を曲げたといふことは勿論想像せられないことはない。今日の尚書は固より伏生から出たのであるが、伏生は秦の博士であつて、而して今の尚書の末篇が秦誓で終つてゐる事などから考へ合すと、其間の消息が窺はれる。かゝる看方によりて考ふれば、甫刑が齊の勢力を代表し、文侯之命が晉の勢力を代表して夫々附け加へられたことも想像せられる。晉の勢力は後に三晉に分れた時魏に傳へられ、魏のことを普通に晉と呼んでゐたことは孟子にても知られる通りにて、魏は晉の相續者と自らも考へ他からも考へられてゐた、それで文侯之命が儒家の晉國に用ひられてゐた時の産物たることは想像がつく。それでは、甫刑が齊國の産物たることは如何といふに、それは小島君の最近に發表した贖刑の研究にも言はれてゐる所であるが、猶其他にも甫刑に含まれてゐる思想で齊國を代表したと考へられる證據がある。それはやはり魏源が書古微の甫刑發微で論じてゐる所である。曰はく
禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見※(「山/松」、第3水準1-47-81)高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋※(「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1-92-63)茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)
退
 祿
 ※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)※(「王+頁」、第3水準1-93-87)
 

 
(大正十年三月發行「支那學」第壹卷第七號)
  自注
※(「王+據のつくり」、第3水準1-88-32)※(「日+斤」、第3水準1-85-14)沿
※(「兀+虫」、第4水準2-87-29)
(四)一二の例を擧げて見ると、

※(「壽/れっか」、第3水準1-87-65)※(「龍/共」、第3水準1-94-87)

(六)王柏の説は其の著なる書疑に出で、堯典、皐陶謨、益稷、洪範、多方、立政諸篇に於て、皆其の錯脱に注意し、己が意見を以て更定して居る。金履祥は其門下に出て、尚書表注の著があつて、やはり尚書各篇に更定を試みて居る。






底本:「内藤湖南全集 第七卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年2月25日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「研幾小録」弘文堂
   1928(昭和3)年4月発行
初出:「支那學 第壹卷第七號」
   1921(大正10)年3月発行
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年2月5日公開
2006年1月18日修正
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